関西大学文学部英米文化専修 小林剛研究室

Department of Cross-Cultural Studies, Faculty of Letters, Kansai University

留学とは?/中野葉月

1-1.jpgこんにちは。オーストラリア・アデレード大学に留学中の中野葉月です。オーストラリアに来て、早半年が過ぎました。今回はウェブレポートの第一弾ということなので、「留学とはどういうものか」を私の半年の経験をもとに話したいと思います。

さて、みなさんは文化人類学/Anthropologyという学問を知っていますか?日本ではあまり聞かない名前でしょうし、おそらく学科として成り立たせている大学はあまりないのではないかと思います。というのも、文化人類学は4つの分野から成り立っており—Biological Anthropology:生物文化人類学(解剖学なども入る)、Archaeology:考古学、 Linguistic Anthropology:言語文化人類学、Social Anthropology:社会文化人類学—日本では、その4つ分野がそれぞれ違った学問領域に属しているからだと思われます。

しかし、「フィールドワーク」という言葉であれば、どこかで聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。私も大学1年生の時に社会学の授業でフィールドワークという言葉を知りました。フィールドワークとは文化人類学者/Anthropologistが行う研究であります。特にSocial Anthropologistに限った研究形態はRaymond Scupinの”Introduction To Social Anthropology”によると’Social anthropologists use a unique research strategy…(which is) referred to as participant observation, which involves learning the language and culture of the group being studied by participating in the group’s daily activities. Through this intensive participation, the social anthropologist becomes deeply familiar with the group and can understand and explain the society and culture of the group as an insider.’(社会文化人類学者はユニークな研究形態をとっている。それは研究対象グループの日々の営みに参加することによる当事者としての観察であり、その研究内容には研究地で使われている言語を学んだり、その土地の文化を学ぶことも含む。こういった深い関わりによって、社会文化人類学者はそのグループを深く知るようになり、内部の人間としてその社会や文化を理解したり説明したりすることができるようになる)

1-3.jpg私は、まさしくこの「フィールドワーク」こそが「留学体験」に似ているのではないかと思うのです。簡潔に言うと、インサイダーとして留学した社会を見ることと言えるのではないでしょうか。もちろん日本人であることに代わりはありませんが、留学中は、オーストラリアに英語で生活をする一人の人間に他なりません。むしろ、インサイダーになろうとすることで、地元の人たちと交流が深まり、それによって、今までと全く違う視界が開けてくると私は思います。

実は、フィールドワークのプロセスにはまだ続きがあります。Anthropologistはフィールドワーク中に気づいたこと等をひたすらメモします。そして大切なのは、フィールドワーク終了後、集めた資料を自分の国に持ち帰って、そしてEthnographyと呼ばれる研究録にまとめます。留学中にメモを必死に取る必要はありません。しかし、自分が研究する(学ぶ)立場であることは忘れてはいけません。フィールドワークのプロセスと同じように、留学中に気づいたこと、学んだことなどを日本人としての自分や日本の文化、状況などにあてはめて、理解・消化して初めて留学の体験の一連の流れが完了するのではないでしょうか。こう書くととても難しいように聞こえますが、要するに、アンテナを広くはって、チャッチした情報を自分なりに噛み砕くことと言えると思います。

フィールドワークの話ばっかりして…勉強についてはどうなのよ!?と思う人がいるかも知れません。しかし、大学での勉強もフィールドワークの一環と見なすこともできるのではないでしょうか。そして、実に状況も似ているのです。留学中はローカルの学生に混じって、同じように授業を受けます。授業内容によっては、今まで当たり前だと思っていたことが覆されたり、日本の大学では取り上げられないような新たな視点、または批判的な視点を学ぶことがあります。それを、ただ「あぁそうか」と受けとって終わるのではなく、もう少し掘り下げて、どちらが本当に正しいのか、また、なぜこのような違いが生じたのかなど、自分なりに考え、分析することで、またひとつステップアップができるのだと思います。

1-4.jpg自分自身の話をすると、私は幸い、もとから外向的な正確なので、オーストラリアの学生たちと打ち解けるのに時間はかかりませんでした。しかし、同じ寮に住んでいる約20人のアジア人留学生のうち、オーストラリアの学生と一緒にいるのは、私一人しかいません。もちろん、私自身、アジア人の留学生と関わっていない訳ではありませんし、日本人の留学生も私以外に2人いて、いい関係を築いています。しかし私の場合、オーストラリア人と一緒にいることで、オーストラリア人とはどういう人たちで、オーストラリアの文化はどういうものかなど、まさしくインサイダーとしての視点で捉えることができるようになりました。(ただ、オーストラリアは他民族国家なので、私の友人たちから学んだこと=オーストラリア全体にあてはまることではないということを理解しなければなりませんが。)

日頃よく感じているのは、他の日本人2人のオーストラリア人や文化に捉え方と私の感覚が違うということです。それは言うまでもなく、経験や体験の違いだと言えると思います。例えば、前に日本人の友人がオーストラリア人の勉強の姿勢に対してこう話していました。「オーストラリアの学生は飲みに行ったり、遊んでばっかり…授業もサボったなんて言っているけど…ほんとうに勉強しない人たちなんだ」これが外から見たイメージだというのは私も納得します。しかし、彼らの話をよく聞いてみると、授業の空きコマを利用して課題を済ませたり、朝早く起きて、授業が始まるまで図書館でリーディングをしたりしているようです。そして、講義形式の授業の場合は、授業に出る代わりに、オンライン学習システムを利用して授業のビデオやテープで済ませている学生もいるようです。オーストラリアの学生は、生真面目に勉強するのではなく、うまく勉強して、余暇を思いっきり楽しむスタイルだということを私は知っています。

地元の学生と仲良くなることは、文化の面だけでなく、語学の面での収穫も伴います。というのも、実際の英語のニュアンスを知ることができるからです。時には、英和・和英辞典の訳には載っていない単語が、まさしく自分の言いたいことを簡潔に表現できる場合もあります。そういうものは、実際の場面で使われているのを参考にするのが一番手っ取り早い方法だと私は思います。特に、イディオムや俗語になると、ローカルの学生と話す場合の方が学ぶ機会が多いことは明らかです。

こんな私でも、こちらに来て間もない頃は、他の留学生と違うことをしている自分に対し、これでいいのかと疑問に思ったことが何度もありました。けれども、自分のやっていることに対する結果に焦点を当てたときに、自分はこのやり方でいいんだと思えるようになりました。

長々と書きましたが、「留学」とはどういうものかイメージが沸いたでしょうか?私の理解では、留学した社会の一員になりすまして、その文化や言葉を学び、最終的には自分にあてはめて消化することと言えると思います。これはあくまでも私の理解であり、私が実践している方法なので、すべての状況において有効もしくは最良かどうかは分かりません。しかし、特に交換留学など時間が限られた中で留学した文化や社会を理解しようとする場合、その社会にとけ込まない限り、実態は把握できないと私は信じています。Anthropology(文化人類学)は“人間”に対する知識を習得したり、“人間”を研究する学問です。その中でも文化や社会を特に研究する分野:社会文化人類学が採用している研究形式だと考えると、少しは説得力が増すのではないでしょうか。

今回の第一回目は抽象的な話になってしまったので、少し退屈だったかもしれません。現在の予定では、次回以降は休暇中に行った旅行の話や、大学のシステム、オーストラリア留学事情など…具体的な話を写真などもたくさん入れて書こうと思っています。私の体験話と共に、今後留学を目指している人にとって役に立つ情報満載のレポートにできたらいいなと思っています。

2005-08-22 (Mon)