フィリピン・スタディーツアー体験記/大村咲恵
皆さんはじめまして。文学部英米文化専修の大村咲恵です。最近めでたく小林剛ゼミの第5期生になりました。
私は将来国際協力に携わる仕事に就きたいと考えており、現在あるNGOでインターンをしています。今回は、そんな私の人生を変えたと言っても過言ではないフィリピンのスタディーツアーの体験についてお話したいと思います(訪れた「ハウス・オブ・ジョイ」という孤児院のサイトでも訪問時の写真を見ることができます)。
2006年の8月から9月にかけての21日間、私は関西大学総合情報学部の久保田賢一ゼミの11期生としてフィリピンのスタディーツアーに参加しました。スタディーツアーといっても、決まっているのは行き先がフィリピンということだけ。あとはゼミ生が現地で何をしたいかを話し合い、それに沿って役割分担をし、定期的に勉強会をするなどして、約半年かけて計画を立てました。フィリピンではマニラ、ブラカン、ダバオの3ヶ所を移動しながら様々な活動を行いました。私たちが行った主な活動としては、NGOの活動見学、大学での日本文化のワークショップ、高校でのパソコン研修、日本人街見学、そして孤児院での滞在でした。
私はゼミ生数人とともにNGOの活動見学を担当していて、現地のスタッフにアポイントメントを取ったり、ゼミ内で定期的に行なわれる勉強会で、訪問先のNGOについてのプレゼンテーションを行ったりしていました。そのNGOの行っている活動の一つがスモーキーマウンテン(ゴミ処分場の中にあるスラム地区)に住んでいる人々への医療支援でした。私たちは勉強を重ねるうちに、「フィリピンの貧困を自分の目で見て、帰国後できるだけ多く人々に伝えるのだ」という使命感を強く持つようになりました。
しかし訪問予定であった時期に、スモーキーマウンテン周辺の治安状況が悪化したことから、当日あまり現場を見せてもらえなかったことに加え、訪問した住民の家がスモーキーマウンテン内でも生活の比較的安定している家庭だったため、私たちの中にはきちんと見学させてもらえなかったという不満が残りました。今思えば、貧困で苦しんでいる「途上国」の人々を「先進国」は援助してあげるべきだという傲慢な考え方がもともと私の中にあり、想像と現実のギャップに戸惑ったのだと思います。ただ当時はそれに気がつかず、「幸せそうでよかったのでは」とか「もっと悲惨な状況を見たいというのは、動物園に行く気持ちと同じなのでは」という意見もゼミ生内に出て議論になり、悔し涙を流しました。
滞在中にはハプニングもいろいろありました。4日目に合流する予定だった久保田先生が来る前に、航空券購入のため両替をしたはずのお金を紛失して皆で不安な夜を過ごしたり(原因は未だに分かりませんが、恐らく両替時にすられたのだろうという結論になりました)、結膜炎がゼミ生内で流行したり、私自身40度の高熱で人生初の点滴を打ったりと、本当にいろいろありました。
こんなことばかり書くと楽しいことはなかったのかと聞かれそうですが、実際は楽しいことのほうが多くて、学校を訪問したときにサイン攻めに遭い、人生最大のモテ期かもしれないと思ったり(しかも小学生)、ダバオの孤児院に滞在したときは、トラックの後ろに皆で乗って近くの海や川に出かけて子どもたちと遊んだり、夜の屋台でホストファミリーと一緒にハロハロ(フィリピンのかき氷)を食べたり(蟻が数匹混入していましたが)、とにかく毎日が充実していました。そしてなによりも、孤児院の子どもたちからたくさんの愛をもらいました。彼らと思うようにコミュニケーションがとれず、何もできていないのではと悩んだ時もありましたが、孤児院を発つ前日、ある子どもに「咲恵のこと、とても好きだったよ」と言われたとき、そんなに何かしようと意気込まなくてもよかったのだと思えるようになりました。孤児だから特別に何かをしてあげるのではなく、ただ一緒に食事をしたり、一緒に遊んだり、一緒に生活することで、彼らも私たちも満たされ、お互い幸せな気持ちになれるのだということを教わりました。
そして今、ここには書ききれないほどの素敵な思い出をくれたフィリピンに恩返しをするためにも、国際協力という分野でがんばっていこうと日々がんばっています。この体験記を読んで、皆さんが少しでもフィリピンに興味を持ってくださったら、これほどうれしいことはありません。