(2024年度)

 
  



   
   
    
    
   
    


 









 



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ここは、文化共生学専修の電子ジャーナルです。
専修に属する先生や学生のみなさんの、研究や就活にまつわる
最新の体験談やエッセイを紹介しています。



混ざり合った先にはなにがあるか?―青木 敬


 私の名前は漢字3文字で青木敬と書きます。日本語話者であれば、この人が日本人だと思うことでしょう。ところが、名前の横に写真が貼られているとどうでしょうか。私はよく「目は日本人で鼻は外国人」といわれることがあるから、きっと名前と顔をみて違和感を覚える人がいるでしょう。しまいには「欧米系」の顔立ちをしているせいか、日本人と認識されないことがあり、「日本語がお上手で」といわれる。「私は『ハーフ』ですし、日本生まれ日本育ちですから」と答えても、「いや〜本当、日本語が得意なんだねぇ」と返されることがしばしば。これが日本に住む私の日常です。私に限らず、「ハーフ」の人たちのあいだで、このような経験を日常的にしていることをよく耳にします。
 しかし「ハーフ」にも、色々な「ハーフ」がいる。私の場合、日本人の父親とイギリス人の母親のあいだに生まれましたが、両親の会話がフランス語であるため、家庭内の共通語はフランス語です。では、3ヶ国語を「流暢」に話せるのかというと答えに困る。イギリス、フランス、日本の現地学校へ通ったものの、いずれの言語にしても文化にしても、「中途半端」に身についています。ですから、母語がなにか、ネイティブ・ランゲージとはなにかなど、アイデンティティにかんするさまざまな問いについて日頃から考えています。このように私は自己アイデンティティを 毎度のように説明しなければいけない日々を過ごしており、これは決して住みやすい社会だとはいえません。
 このように複合的なアイデンティティをもつ人びとについて理解することが大切なのだと経験的に知ることができ、これが私の研究の出発点となりました。とくに私の研究で大事なことは、異文化をもつ人びとがどのようにして交流し混ざり合い、どのような接触があるのか、それは人間にとってなにを意味するのかということを理解していくことです。なにかが混淆するということは、たとえば「混血」が生まれる、文化が衝突する、言語が混ざり合うなど、じつに多様な接触が根底にあります。こんにち耳にするブラジルのサンバやキューバのソンなどは、じつは異なる文化背景をもつ白人や黒人などの人びとが植民地主義という凄惨な歴史をつうじて出逢い、接触し、さらにべつの地域へと移動し、文化を伝播したことによって創造された音楽です。
 こうした、もともと黒人だった人たちの文化と支配者だった白人たちの文化が植民地支配の時代に融合することで混淆された文化が誕生しました。これがクレオール文化です。私は世界のいたるところに存在するクレオール文化、とくにクレオール音楽を追いかけ続け、人びとが「混ざり合っていく」なかでどのような共生社会が形成されているのか、そこから我々がなにを学ぶことができるのかを追究していこうと考えています。


卒業論文への第一歩―下鶴 明日香

 文化共生学専修では、二年次に「文化共生学専修ゼミT・U」が必修科目となります。この「文化共生学専修ゼミT・U」(以下専修ゼミT・U)では、「文化共生学専修研究」や一般的な講義とは異なり、学生によるプレゼンテーションが中核となっています。卒業論文に向けての第一歩と言うべき授業です。専修ゼミTを春学期に、専修ゼミUを秋学期に履修する形となっており、担当教授はそれぞれランダムに選出されます。文化共生学専修の教授陣はそれぞれ異なる分野を専門としており、ランダムに担当教授が選出されることで様々なに分野に触れることが可能となるのです。他専修に比べて自由な研究テーマ設定ができる専修であるということもあり、こういった様々な分野に触れる経験は自身の卒業論文に大きく繋がるものではないかと思います。
 私が受講した春学期の専修ゼミTでは、二度のプレゼンテーションがありました。テーマは自由、参考文献は書籍・論文・ウェブサイトなどから最低八つ以上、パワーポイント及びレジュメは必須、加えて質疑応答なども重視される、など卒業論文執筆を見据えてより実践的な技術を磨くことができる授業でした。私達学生は、卒業論文のテーマを決めるための足掛かりという位置づけで発表テーマを模索したことで、自らの関心のある事柄について研究を見据えて深く掘り下げることが出来ました。
 秋学期の専修ゼミUでは、「『視覚』をめぐる冒険」と題して、視覚効果についてのプレゼンテーションを行いました。大きな枠組みとして『視覚』というものが設定されはしましたが、『視覚』に関わることであればテーマは自由であったので、映画、演劇、アニメ、SNS、絵本、フラッシュアニメなど、様々な事柄についての発表が行われました。また、担当教授が元々の専門以外にサブカルチャーについての研究も行っていらっしゃる方だったので、時間の余った日には少しアイドル論のお話をして下さったりしたこともありました。
 卒業論文の予行演習のような内容のゼミではありましたが、一年を通して終始和やかな雰囲気で、楽しみながら学べる、意義深いものでした。プレゼンテーションのテーマが自由、というのは容易に見えて難しいことではありますが、このゼミで自由にテーマを決め、プレゼンテーションを行った経験は私達学生にとってとても大きなものになると思います。視野を広げ、自らの興味と真摯に向き合うことの肝要さを感じられる授業でした。
 この文章をお読みになっている皆様方が専修ゼミで御自身の学びを広げ、深めてゆかれることを祈ります。


卒論執筆のためのテーマ決定―佐藤 凜太朗

 三年次の専修ゼミの最大の目的は、自身の卒論の大まかなテーマを決めることです。そして、それについて書かれた先行研究・論文・資料・文献などを探し集めると同時に、それらを読み進める中で卒論の方向性を考えていかなければいけません。
 私のゼミではテーマ決めに向けて、個々人が気になるテーマについて調べて、スクリーンとレジュメを用いながら、30分間の発表を大体月に一度のペースで行います。発表後、ゼミ生同士、発表内容についてわからない点を発表者に質問をすることで、発表者はより深い理解が求められるだけでなく、客観的な意見を取り入れ、次の発表に反映していきます。また、先生からは手厳しいコメントを頂戴することがほとんどですが、毎回「卒論のテーマは何なのか」を問われるため、緊張感をもって発表をすることができます。文化共生学専修の先生方は、多様な研究テーマをもった学生を、何人もご指導しておられるため、たとえ先生の専門分野でなくとも適切なご指摘や、文献の紹介もしてくださいます。実際に、テーマを決めて卒論を書くのは自分自身ですが、「テーマが迷走していないか」や「これで卒論が書けるのか」という点を研究者の立場からアドバイスしてくださるので、悩んで行き詰まったら先生に相談するのも良いと思います。また、言うまでもなく人前に立って話すことで、プレゼンのスキルは培われますし、発表資料の制作も将来的に役立つ経験になると思います。
 テーマ発見のきっかけは些細なことでも良いと思います。私自身「日本における肉食」をテーマに卒論を書こうとしていますが、きっかけは趣味の筋トレです。その詳細は省きますが、日常の出来事に目を向け、「なぜだろうか?」という探求心のセンサーを張っておくことが一つのポイントかなと思います。新聞を読んで考えることも大変有効な方法でしょうし、そうして得た視野の広さや知識は、就職活動でも必ず活かされると思います。
 卒論のテーマを決めるのは、なかなか一筋縄ではいかないというのが、ほとんどのゼミ生の感想だと思います。実際、私のゼミでも三年の後期になってからテーマを変更した人もいます。一方で、入学前から自分がやりたいテーマを決めていた人もいますが、その人でも20000字の卒論に収めるために、テーマの絞り込みには苦戦しています。就活の準備も三年の後期には本格化し始めるため、忙しくなる前に気になるテーマはとりあえず広く手を付けてみて、そこから取捨選択していくと良いと思います。


留学体験記 他人とファミリーになること―長田 萌里

 私は2回生の秋学期の4か月間、オーストラリアのアデレードに留学しましたが、その間、最も長い時間を共にしたのがホストファミリーであり、最も多くの影響を与えてくれたのもまたホストファミリーでした。見たことも話したこともない人と、言語が思うように通じない異国の地で一緒に生活するとはどういうことなのか――私なりに感じたことをここに記したいと思います。
 結論から言うと、私は一度ホストを変えています。原因は、前のホストとの価値観の違いから生じた喧嘩でした。私が比較的好奇心旺盛で、何事にも挑戦したいと思うアクティブな性格であったのに対し、ホストの両親は、あまりリスクを冒すようなことはせず、勉強に集中してほしいと考える保守的な性格で、物事に対する考え方が大きく異なっていました。こういった摩擦は時が解決してくれるものではないと判断した私は、次の日に向こうの大学の先生に相談し、新しい家を探してもらうようお願いしました。すると、案外すんなりと次のホストが決まり、なんとその日のうちに家を変えることになったのです。何事も勇気を出して言ってみるものだな、と思いました。
 さて、新しいホストはというと、まるで『マンマ・ミーア』の映画に出てくるかのような、明るく弾けた方で、自分の人生を謳歌している女性でした。彼女は、私の考えをしっかりと汲み取ってくれ、いつも背中を押してくれました。二人で夜更かしをして映画をみたり、休日に一緒にパーティーに参加したり、それはもう数えきれないほどの思い出を作り、コミュニケーションの中で互いの価値観を共有し、理解しあい、本当の意味でファミリーになれたような気がします。私にたくさんの刺激を与え、留学生活をこの上ないほど充実したものにしてくれた彼女には、今でも心から感謝しています。
 もちろん、他人の家で生活させてもらうということは、さまざまな我慢がつきものです。キッチンの使い方や風呂の時間など、ルールが提示されたのならば、それに従うべきだと思います。しかし、自分が留学中に達成したいこと、挑戦してみたいことを否定する資格はホストにはありません。トラブルを恐れて何でも我慢したり、ホストに気を遣って自分を偽るようなことはせず、しっかりと自分の目標の達成に重きを置いて、それを主張することの重要性を、この一件を通して強く感じました。
 最後に、これから留学される方に「現地では常にハングリー精神を持ち、勇気を出して色んなことをやったもん勝ちだ」というメッセージを送って、この小文を締めくくりたいと思います。


家を建てることの醍醐味―山口 桃代

 私は世界中で住居支援を行っているNGOの学生支部として活動している国際ボランティアサークルに所属しています。主となる活動は年に二回春と夏に行っている東南アジアの発展途上の国々への住居建築ボランティア派遣です。具体的には約2週間、実際に現地に赴いて現地のワーカーさんと共に、生活をするのに十分な家を持つことができない中間貧困層の家族のための家をつくります。現地でのワークと呼ばれる作業はセメントづくりや、家の壁となるレンガ運びなど本当に泥臭いものばかりです。ただ何の技術も知識もない学生の自分たちに出来ることを考え話しながら、実際に汗をかいて自分以外の人々のために行動することは日本での日常では経験できない貴重な経験となりました。この活動に私は3度参加して、フィリピン、インドネシア、カンボジアに行きました。
 この団体に入ったのは大学1年生の春、どのサークルに入ろうかと迷っていた時期にたまたまSNSで団体のアカウントを見つけたことがきっかけです。最初は正直なところ「ボランティアをしよう」という気持ちよりも「海外で家をつくることなど、周りで聞いたことがないし、何となく面白そう」という漠然とした気持ちの方が大きかったです。しかし、はじまりは漠然とした動機でもこの活動に参加したことで、大学生活での4年間で私自身たくさんの変化がありました。
 変わったことは大きく2つあります。まず一つ目は「ボランティア」という言葉に対する印象です。自分がボランティアと呼ばれる「自発的、非営利的、利他的」な活動に参加するまでボランティアは自分とは縁のない「意識高い系」の人たちがすることだと思っていました。自分でない誰かのために時間もお金も使って活動する人たちは社会的な意識や責任感がすごく高い人たちだと。でも実際は全然そんなことはなくて、私と同じように普段かかわることのない世界への好奇心で参加を決めた人もいます。ただこうした活動を通して実際に困っている人たちを目の当たりにすると、自分には関係ないと思っていた発展途上国での労働問題や世界規模の環境問題、さらに教育などの社会問題に対して、何かできるわけでもないですが、見て見ぬ振りを続けるのは良くないと感じるようになりました。
 二つ目は、「違い」に寛容になったことです。ボランティア活動では自発性が重んじられるということもあってか、協調は求められますが、派遣先でもサークルの活動でも他人から押し付けや強制をする空気感はまずありません。また派遣先では今まで知ることがなかった文化や貧困層の生活と直に触れることになります。支援させて頂く家族の方たちと通訳を通して話をすることも、子供たちと一緒に遊ぶこともあります。分からずに知らない「他者」に対しては勝手なイメージばかりが先行しがちですが、実際にかかわってみることで「違う」文化や生活の担い手の方々はたまたまその場所に生まれただけのことで、みんな「同じ人間だな」と思うようになりました。
 一度の派遣で約20万円がかかります。大学4年間の内、時間もお金もたくさんこの活動のために使いましたが、価値のある経験だったと思います。


就活、入念こそ、第一!―松井保奈実

 私が就職活動を振り返って大切だと感じたことは2点あります。1つ目は事前の準備をしっかり行うことです。3月に入ると、企業へ提出するエントリーシートの作成で忙しくなります。私は12月頃から筆記試験やwebテストの対策を1日最低でも1時間することを決めて継続していました。また、エントリーシートでよく尋ねられる自身の強みや学生時代に頑張ったことについての文章を作成し、大学のキャリアセンターに提出して何度も添削をしてもらいました。早いうちから準備を進めていたことが功を奏し、多くの企業でテストとエントリーシートの過程を突破することができました。
 2点目は自分の就職活動における軸を明確にすることです。就職活動が始まると、集団面接やグループディスカッションなどの場面で、どうしても他者と比較して自分の就職活動の進度に焦ってしまうことがあります。そのため、内定を獲得することがゴールになってしまい、自分の本当にしたいことが何なのか、分からなくなってしまいます。そのような時こそ、じっくり自分を見つめ直す時間を作る必要があると思います。私はこれまでに自分が夢中になったことや直面した困難、そしてその困難をどう乗り越えたのかなどを紙に書き出して自己分析を行いました。また、webサイトに載っている企業情報を見るだけではなく、沢山の企業説明会に足を運び、社員の方と直接お話させて頂きました。その結果、初めは「海外で活躍できる会社で働きたい」という軸から、商社に絞って就職活動をしていましたが、メーカーや金融など様々なジャンルの業界でも海外と接点があることを知り、自身の視野を広げることができました。内定先である村田製作所は売り上げの9割を海外で占めるとてもグローバルな部品メーカーです。就職活動の軸をしっかりと持ち、多くのイベントに積極的に参加したことが、結果的に内定に繋がったのだと思います。
 就職活動を終えた今、妥協せずに頑張って本当に良かったと心から感じています。就職活動は今後の人生を大きく左右する人生選択の一大イベントです。肉体的にも、精神的にも苦しい時期が続くと思いますが、自分を信じて活動すれば必ず結果はついてきます。どうか、事前の準備を怠らず、後悔のない就職活動を行なってください。


就職活動を終えて感じたこと―石橋 沙季

 私は、最終的に就職を決めた会社とは異なりますが、3月の頭に内定を1つ頂いていました。本来はこの時期からいわゆる〈就活解禁〉がなされ、周囲は本格的に説明会などに参加しはじめる時期です。なぜ私がこの期間に内定を頂くことができたのか。就職活動を終えてひとえに感じたことは、「インターンシップの大切さ」です。
 私自身、もともと人と会話をすることが好きなこと、服や着こなしといったファッションに興味があることから、アパレル会社に就職したいということは3回生の秋ごろから考えていました。将来やりたいことが明確にあったので、そこからの行動はとてもはやかったように思います。自分なりにインターネットや就活アプリケーションなどをとおして企業研究をおこない、3回生の1月に、はじめてインターンシップに参加しました。
 そこからみえてきたのは、アパレルといっても会社によって全く社風や環境が異なるということでした。会社の方々の人となりはもちろん、参加している側の学生のことなどもはっきりとつかむことができるので、より「この会社は自分に合っているのかどうか」ということを吟味できたように思います。人数も説明会などに比べるとかなり少ないので、質問やディスカッションも気軽におこなえる雰囲気でしたし、よりその会社のことを知るうえで、欠かせないイベントであると感じました。
 そして、1番重要なのが、インターンシップに参加すると〈先行選考会〉に参加できるというところです。これはいくつかの企業のみがおこなっている制度ですが、一般の就活生より一足先に選考していただける機会を指します。つまり就職活動のスタートダッシュがきれるということです。私が冒頭で述べた3月頭の内定は、この先行選考会にて頂いたものでした。インターンシップに参加するということは、自分の進路や将来の夢を強く意識し、企業に積極的にアプローチできる絶好の機会となります。
 私が、就職活動中に周りをみていて感じたことが1つあります。それは、内定が1つでもある状態で就活をおこなうことと、内定が1つもなく就活をおこなうこととではモチベーションがまったく異なるということです。良い意味で気持ちに余裕ができることはもちろん、どうしても自分を卑下してしまいがちなこの時期に、自信を持つことができるのです。私自身気持ちに余裕があったからこそ、1番行きたいと感じた会社の面接などでも、自身のことをきちんと伝えることができましたし、そこから内定を頂けたのだと思います。
 就職活動は、自分自身と向き合う期間です。自分が1番自分のことを理解していないとうまくいかないと私は思うのです。面接官の方々は、何人もの学生と面接をおこなっています。取り繕った自分ではすぐ見破られてしまうのです。就職活動が本格的にはじまる前に、「自分は何がしたいのか」、「自分はどういった人なのか」という自己分析をぜひおこなってみてください。友人や自分の周りの方々に聞いてみることも良いと思います。そこから新しい発見や、これからの就職活動に役立つ部分がきっとみえてくるはずです。就職活動は大変ですが、終えてみると、社会人になる前に自己をみつめる良い経験ができたと感じます。私の経験が少しでも参考になれば幸いです。みなさんが納得して就職活動を終えられることを願っています。


卒業論文とは“推し”を語る場である―松本 千広

 関西大学文学部に在籍する学生は、卒業要件として、在学中の研究成果を2万字程度にまとめた卒業論文の提出が求められます。これほどの文章量を書くことはめったにないため、卒業論文の執筆に対して、漠然とした不安やおそれを抱く方もいるかもしれません。しかし、それは杞憂であると私は思います。なぜなら、卒業論文とは、「なぜ、自分は“推し”(=好きなもの・こと)が好きなのかを客観的に分析する」だけで完成させることができるからです。
 文化共生学専修では、幅広い学術分野を研究対象とできるため、自分が関心を持つテーマを選ぶことができます。そして、“推し”が好きな理由を分析する過程をていねいに文章化すれば、文字数というハードルは自然とクリアすることができます。ただ、単に“推す”理由を並べただけの文章は、「感想文」でしかありません。「論文」を執筆するためには、いくつかのポイントがあります。以下、私の卒業論文執筆段階を例に挙げて、そのポイントを紹介したいと思います。
 1つめのポイントは、“推し”を「客観的に」語る材料を探すことです。私は、TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)という参加者による会話型の物語作成ゲームを愛好していたため、これを卒業論文の題材にすると決めていました。しかし、TRPGはマイナーな娯楽であり、先行研究はほぼありませんでした。そのため、関連テーマであるゲームをはじめ、漫画やアニメ・コスプレなどのサブカルチャーやメディアに関する文献・論文を、学術分野を問わず収集しました。情報収集には、大学図書館や各種データベース、市立図書館も活用しました。また、収集した情報は出典を控えて項目別に整理し、のちのちの参照が楽になるよう工夫しました。
 2つめのポイントは、“推し”が社会に受容される理由を検討すること、ひいては論の骨子やアウトラインを固めることです。関連テーマの情報と“推し”を比較することで、“推し”の特徴を分析し、現実社会との間にどのような相互作用があるかを考察します。TRPGには、コンピューターゲームと異なり、参加者間のコミュニケーションが重視されるという特徴があります。私は、この特徴が、コミュニケーションレスな現代社会に要請されるのではないか、という論を立てて執筆に取り掛かりました。論旨を決めてしまえば、それに至るために不可欠な情報、および論文の構成はおのずと決まるため、アウトラインを描くことができます。アウトラインに沿って、細部を肉付けしていく形で執筆を進めると、スムーズにまとまりある論文が書けると思います。
 3つめのポイントは、執筆を始める前に、執筆要領を確認することです。卒業論文は、参考文献の記載方法や注釈のつけ方にはじまり、文字のサイズやフォント、余白設定に至るまで詳細に定められています。執筆途中や脱稿後に要領に合わせた変更を加えると、レイアウトが狂ったり、変更漏れを起こすおそれがあります。そのため、あらかじめ執筆要領を確認し、Word機能の設定などを行った上での作業をおすすめします。文字表記もあらかじめ意識して統一しておくと、さらに校正作業が楽になりますよ。
 最後に、卒業論文の執筆は、下準備を含め、長い時間を要します。長期的視野をもって無理のないスケジュールを立て、地道に、楽しんで書き進めてください。そして、本気で“推す”ことで、新たな同士や新たな“推し”と出会えた時の快感をぜひ味わってください。


卒業していくみなさんへ――いわゆる「立身出世」について―澤井茂夫(繁男)

 「立身出世」――この言葉からはあまりよい印象が生まれないかもしれない。手もとの国語辞典によれば、「高い地位や身分に就いたり成功したりして、世間で有名になること」とある。なるほどそうで、サラリーマン世界での「出世街道、まっしぐら」の感がある。しかし、こうも解釈できはしないか。「身を立て、世に出る」と。どうだろう? 意味するところは、「自活・自立が出来て、社会できちんと仕事をこなしていく」に変化する。
 みなさんは、これからそれを実際にやっていく身におかれている。就職してまずは自活・自立が可能だろう。実家から通勤するひともいるだろうが、きちんとご両親に食事代等を支払わなくてはならない。もちろん、関西以外の地域で仕事に当たるひとは、マンション等の家賃が入用だ。「出世」のほうは、当初より要職を任されることはないだろうが、新米社員として、大学内で「守られてきた」自分はもう存在せず、実社会のなかで荒海に身をさらすことになるだろう。そうした際に、「世に出る」という意識を自覚してほしい。
 昨年、以前のゼミ生・2人から、春と秋に次のような依頼があった。両名とも鮮明に記憶にのこっている女子学生だ。ひとりはのんびり屋さんで、特段就職活動もせずに卒業していったので、それだからこそ覚えていた。もう一人は、刻苦勉励して一流の製薬会社に就職し、東京支店にて勤務となった。
 2人とも「推薦状」を求めてきた。卒業後「立身出世」を果たしていたはずなのに、どういうことだろう? 前者はロンドン近郊の大学院に進学して、(国際)マーケティングの研究をしたいという。29歳だ。後者は、有名企業を辞しアメリカにわたって、同じくマーテティングの勉強をしたいという。28歳になる。ここで言う「マーケティング」とは「市場活動」の意味ではなく「起業」に該当する。つまり、英米圏で「起業家」にいたる方途を勉学してきたい、というわけだ。
 30歳に近い独身女性が異国で自活しながら、大学院生や大学生として研学に精励することは容易ではない。親兄弟、会社関係者からみな反対されたという。とうぜんな反応だろう。でもよくよく考えれば、彼女たちにとっては二度目の「立身出世」なのだ。その反面、きつい表現になるが、この日本で、勤務している会社にて、「自分の居場所」をその年齢に及ぶまで見出し得なかったことにもなるとも思える。これは、「身を立て、世に出る」とおなじくらい重要な問題で、「自分の居場所」の有無はたえずつきまとうものだ。みつけられないと精神的にいたたまれなくなる。旅に出るのは帰ってくる場があるからで、迎えてくれる場所のないひとにとっての旅は、糸の切れた風船のごとしだ。2人のゼミ生の真意はわからぬが、とにかく推薦状を英文で書き、関大のロゴマークの入っている用紙に添付して送信した。
 みなさんもそれぞれの人生を生きると思うが、身を立て世に出たら、自分の拠って立つ場を発見してほしい。そしておおいに、仕事に励んでもらいたい。そう期待してやまない。 〈了〉