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訳者ノート 「ワイン編」 (Part4)

テロワール(terroir):土壌特性,地域特性
 フランス語で土を意味するテール(terre)から派生した概念で,ワインという形で現れるブドウ畑の個性を意味する。ワイン以外の地域の名産物についても,名産物を生みだす地域の個性・特性という意味合いに用いられる。フランスでは,地域の名産物のことをプロデュイ・デュ・テロワール(produit de terroir)という。

 「経済学の父,アダム・スミス(1723~1790)は,彼の主著『国富論』(1776年出版)の第11章「土地の地代」の項で,古代ローマ時代からのワイナリー経営に関して,以下のような興味深い分析を記しています。

 「葡萄樹はどんな果樹よりも,土壌の違いの影響を受けやすい。ある種の土壌から,おそらく,どんな耕作や手入れによっても得られないような,独特の風味を受け取っているとされている。こうした(土壌に由来する)風味が,本当に存在するものなのか,単なる空想上のものなのかは分からないが,ごく少数の葡萄畑だけに存在するとされることもあれば,狭い地域の大部分にわたる特徴となっていることもあり,大きな州のかなりの範囲に及ぶ特徴となっていることもある」

 ここでアダム・スミスが述べているのは,今日我々が「テロワール」として認識している,葡萄畑の自然環境要因に由来するワインの個性のことです」(堀賢一『ワインの個性』ソフトバンククリエイティブ,2007年,3頁「はじめに 失われゆく個性」)

 「カベルネ・ソーヴィニョンやシャルドネ,ピノ・ノワールやシラーといった消費者に人気のある葡萄品種が世界中に拡散する以前,ワインは地域性を色濃く反映した農産物でした。地域により栽培されている葡萄品種も違えば,収穫のタイミングや醸造方法も異なり,結果としてワインは多様な個性を持った飲み物でした」(堀賢一,前掲書,5頁「はじめに 失われゆく個性」)

 「ワインの香りや風味は原料となるブドウの果実に含まれるさまざまな成分によって醸し出される。ということは,ワインの香りや風味がみな違うのは,原料のブドウが違うからだろうか。確かに,ブドウにはたくさんの品種がある。だが,ワインの香りや風味の多様性はブドウの品種の多様性だけでは説明がつかない。同じ品種のブドウから造ったワインでも,香りや風味はみな違うからだ。
 では,その香りや風味の違いはどこから来るのだろう。
 ブドウもほかの植物と同じように,根から水分や養分を吸収し,葉で糖や酸を合成する。果実に含まれ,ワインの香りや風味のもとになるのは,そのようにして吸収されたり合成されたりした物質だ。その吸収や合成のしかたは品種によって異なる。だが,それはあくまでブドウの素質だ。いくら運動能力のある子どもがいても,まわりにそれを伸ばせる環境がなければ伸ばせないのと同じで,ブドウの素質もそれにぴったりの環境がなければその素質のままには発揮されない。つまり,実際にブドウの果実のなかにたくわえられる物質の種類や量は,個々のブドウの品種の素質と周囲の環境との兼ね合いで決まる。
 そして,その環境となるのが,土壌であり,気象条件であり,ブドウ栽培やワイン醸造に関するその土地独特のさまざまな事情だ。ワインの世界では,そのようなものをひっくるめて「テロアール(terroir)」と呼んでいる。「土地」「産地」「土壌」「風土」などを意味するフランス語だ。最終的にブドウの果実にたくわえられる香りや風味の成分の種類や量を決めるのは,このテロアールにほかならない。  ブドウ畑は広大無辺な宇宙のなかで悠久の歳月の間にさまざまな要素が作用した結果としてたまたまそこにできた唯一無二のものだ。ふたつと同じ畑はない。土壌に含まれる物質も,糖や酸の合成に影響する日照量や雨量も,みな畑によって異なる」
(塚本俊彦『ワインの愉しみ』NTT出版,2003年より,70-71頁)
ドメーヌ(domaine) :ブドウ栽培・ワイン醸造所
 本来は「領域」「私有地」を意味する言葉。ブルゴーニュを中心にフランスで使用される用語で,ボルドー地方の「シャトー」に相当する言葉。。ブドウ畑を所有し,自らブドウを栽培し,その畑で収穫したブドウを使ったワイン醸造をする生産者。ワインを樽で購入して,ブレンド,瓶詰めして,自社ブランドで出荷するネゴシアン(ワイン取引商)と対比される概念。
ネゴシアン(négociant) :ワイン取引商
 主として,自社の畑を持たずブドウ生産者から購入したブドウで作ったワインや,購入したワインをブレンドして,瓶詰めし,自社のブランドで販売する業者。
バタール・モンラッシェ(Batard-Montrachet)
 ブルゴーニュ地方,コート・ドール県,コート・ド・ボーヌ地区,ピュリニ・モンラッシェ村にある特級畑で,シャルドネ種から白ワインを生産。
セパージュ :品種名表記
 
フィロセキラ(phylloxera) :ブドウ根アブラ虫
 「長いブドウ栽培の歴史のなかで,環境に合わないものが自然にあるい人為的に淘汰され,次第に品種がセレクトされてきたわけですが,それが一段と促進する大きな事件が十九世紀のヨーロッパで起こりました。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて,ヨーロッパのブドウは大きなダメージを次々と受けたのです。順を追って記せば,まず「オイデューム(ウドン粉病)」に,そして害虫の「フィロキセラ(ブドウ根アブラ虫)」に,ほぼ同時期に「ミルデュー(ベド病)」にも襲われました。  最大のダメージはフィロキセラ禍でした。フィロキセラとは根に寄生する微笑の害虫の名前で,アメリカから蒸気船で運ばれてきたブドウの苗木の根に付着していたのです。このフィロキセラにより,ヨーロッパのブドウ畑では次々とブドウの樹が枯死していきました。  フィロキセラに関しては,ウドン粉病やベド病以上に解決策が見つかりませんでした。ありとあらゆる対応策がことごとく失敗します。  長い苦難を経て,ようやく薬では無理ということがわかり,アメリカの台木が登場することになります。アメリカの土地にはフィロキセラがたくさんいるはずなのに,ある種のブドウは生き続けている。ここに注目したのです。もしそうであるならば,アメリカ系のそれらの品種を台木にして,ヨーロッパ系のブドウを接ぎ木すればいいのではないか。この解決法によって十年近くにわたる危機をようやく乗り切ることができました。  フィロキセラ禍はヨーロッパのブドウ栽培史上最大の被害ではありましたが,一方,それがもたらした結果は悪いことばかりではありません。実はある意味で,良質のワインを生み出す好機にもなったのです。 十九世紀のフランスでは,信じられないかもしれませんが,現在の倍近い面積のブドウ畑がありました。しかし,フィロキセラ禍などによって激しいダメージを受けた結果,それまで凡庸なワインしか造っていなかった多くの栽培農家はブドウ栽培を再開しなかったのです。一方,土地や気候風土を見直してより上質なブドウ品種に切り替え,もう一度やり直そうという意欲的な栽培農家も現れました。つまり栽培面積は激減したけれど,優れた農家が生き残ったことによって,土地とブドウの再度のセレクションが行われ,より品質の高いワインが造られるようになったのです」(田崎真也『ワイン上手』新潮選書,1999年,20-22頁) 「AxR-1と名づけられた台木は60年代から70年代にかけて広範囲に使われたが,アメリカ原産種にヨーロッパ原産種を交配してつくられた台木であったため,80年代後半から急速に広がりだした新しいタイプのフィロキセラには耐性がなく,ナパ・ヴァレーでは全ブドウ畑の40%以上が植え替えを余儀なくされた。」(ロバート・モンダヴィ著・大野晶子訳・石井もと子監修『最高のワインをめざして ロバート・モンダヴィ自伝』早川書房,1999年,監修者註,362頁)
19世紀後半のフィロキセラ被害~不正ワイン横行~1907年ラングドック地方ブドウ栽培者蜂起~ワイン産業保護の法制化:
 (1800年代後半に欧州を襲った害虫フィロキセラへの対策として)アメリカの台木に接ぎ木するにも多額の投資が必要だったから,ボルドーやブルゴーニュ,シャンパーニュなどの有力産地は比較的容易に危機を乗り越えたのに対して,パリ周辺などの弱小産地は完全に衰退し,ブルターニュやノルマンディーのように事実上ブドウ畑が姿を消した地域もあった。対象的に,南部のラングドック・ルーション地方では栽培面積が激増し,フランスのワイン地図は大きく塗りかえられた。南部では,フィロキセラへの対応を迫られた小規模栽培者が協同組合に結集する一方で資本主義的な大ブドウ園経営が現れ,多収量品種を使って大衆市場向けの安価なワインを大々的に生産した。  フィロキセラによる国内生産の不足を補うために,スペインやイタリアの安ワインと,フランス領だったアルジェリアのワインも大量に輸入された。市場を洪水に陥れたのは,それだけではなかった。フィロキセラ後,<レーズン・ワイン>(レーズンと着色料,濃縮香料などが原料)や<砂糖ワイン>(ブドウの搾りかすにぬるま湯や甜菜糖(てんさいとう),着色料を加えてつくる)などのワインもどきをつくるワイン商が後を絶たなかった。国内生産の回復後もそうしたワインは市場に居座った。  消費量も増えていたが,それを圧する勢いで供給量が増え,ワインの値崩れを招いた。病害予防の薬剤散布やフィロキセラ後の接ぎ木はフランスワインへの不信を招き,高級ワイン市場さえ冷え込んだが,とりわけ売れ行き不振にあえいだのはブドウの単作に転換した南部の小規模生産者だった。19世紀末,ラングドック地方は全国の20パーセント強のブドウ栽培地で全生産量45パーセント近くを産していた。  カフェ店主マルスラン・アルベールを中心に組織されたラングドック地方のブドウ栽培者の委員会は,まがい物ワインや輸入ワインの一掃を求めて立ち上がった。ラングドック各地で立て続けに行われた抗議集会は,1907年6月には60万人規模に達した。その後,事態は急転し,強硬な姿勢を貫く政府が投入した軍隊との衝突で6人の死者が出た。最終的に,政府は対策を盛り込んだ法案を通過させて人心を鎮めた。  不正行為糾弾に終始したブドウ栽培者の反乱は,過剰生産を引き起こす構造的問題を見逃していた。今やワインづくりは産業化していた。不況の波に洗われる生産者を保護しながら業界を安定的に発展させるには,法による規制が不可欠な時代に入っていたのである。ワイン生産と取引を規制する法律は各国にあったが,ワイン産業を体系的にカバーするものではなかった。他に先駆けて法整備に取り組んだフランスが,模範を示すことになる。  1907年に制定された一連の法律は,収獲量申告の制度化やワイン生産者への砂糖の販売制限,不正行為取締局の設置を定めたのに加え,ワインは<必ず新鮮なブドウかその果汁をアルコール発酵させてつくる>産物でなければならないと明記していた。  第1次世界大戦中はフランス軍兵士への配給がワイン需要を高める一方で生産は減り,需給バランスが一時的に回復する。戦争を機に産地以外の兵士がその味を覚えた結果,ワインはついにフランスの国民的飲み物になった。国内消費は伸びたが,ロシアの帝政崩壊やアメリカの禁酒法,世界恐慌後の保護貿易主義の強化によって高級ワインの需要は落ち込んだ。  より限定された産地呼称を保護する法律があらわれたのは1919年である。最終的に,産出区域だけでなく栽培するブドウ品種,最大収量,栽培法,醸造法などの条件が盛り込まれた法律が定められ,AOC(原産地統制呼称)制度が創設されたのは1935年だった。これに貢献したシャトーヌフ・デュ・パプのブドウ園所有者ル・ロワ男爵はAOCの産みの親といわれる。政治家主導ではなく,生産者からの強い働きかけが法制化を促した点は注目に値する。

 (八木尚子「ワインの歴史 ワインがたどった8000年の道のり」辻調理師専門学校・山田健監修『ワインを愉しむ基本大図鑑』講談社,2007年,306‐307頁) *1907年のラングドック地方におけるブドウ栽培者の蜂起については,第2章の第2節「組合闘争と協同組合的保護主義の20世紀」に記述あり。ジルベール・ガリエ著,八木尚子訳『ワインの文化史』筑摩書房,2004年356-359頁参照。

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