モンダヴィ事件 年表

1997年:

 10年来、地元カリフォルニアのブドウ園を脅かす害虫フィロキセラの影響によって、グローバル展開を急ぐアメリカのモンダヴィ社は、フランスのラングドック地方における買収を着々と進行。モンダヴィはエロー県のワイン仲買業者ジャンジャンと取引関係を強化し、現地マスコミにも名前が知れ渡る。かくしてモンダヴィはラングドック・ワイン市場の表舞台に登場。

1998年2月

 モンダヴィはフランス支社「ヴィション・メディテラニアン」をモンペリエに設立し、フランスに根をおろすべくブドウ畑の入手、ラングドック・ルーション銘柄のさらなる買収を計画。責任者はデヴィッド・ピアソン。

1998年3月:

 モンダヴィは投資計画を発表。100%ラングドック・ルーションのワインを使った自社ブランド「ヴィション・メディテラニアン」の開発に1億8千万フランを投資するという内容。内訳はワイン醸造所建設と高級ワイン生産のためのブドウ畑買収資金。

1998年11月20日:

 ロバート・モンダヴィの息子、ティム・モンダヴィがラングドックを訪問、モンペリエ市長のジョルジュ・フレッシュと会談。

1999年10月:

 ジョルジュ・フレッシュはカリフォルニアへ視察旅行。ナパ・ヴァレー(モンダヴィ・ワイナリー)のモンダヴィを訪問。

1999年11月:

 モンダヴィはオード県からガール県までのブドウ栽培地に適する20ヘクタールから50ヘクタールの土地を探していると発表。

2000年1月:

 共同組合の貯蔵所と「ピエモン・ド・セランヌ」地区の独立貯蔵所の方策の違いについて研究するために、エロー県議会は研究グループを設置。

アニアーヌ

モンダヴィが進出を計画したラングドック地方 アニアーヌ (2007年8月 訳者撮影)

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2000年3月:

  「ピエモン・ド・セランヌ」の研究が県議会に報告される。

2000年4月:

  モンダヴィはアニアンヌ村進出を決定し、村議会にプロジェクトを提出。アルブサッス山地に50ヘクタールのブドウ園を作るために、費用2千2百万フランを計上。モンダヴィは風土を保存することを主張。風致計画技師や環境保全協会に協力を依頼。動物保護の目的で、5ヘクタールずつに分割してブドウ畑を造営するという内容。年間30万本のワイン貯蔵が可能なハイテク貯蔵庫の建設に3千3百万フランを充当。ナパ・ヴァレーのようなワイナリーは想定せず。 アルブッサス山地は村の所有であり、長期賃貸借契約(99年間)で譲渡される。モンダヴィは建物の建設用地として私有地も探す。

2000年4月:

  ドーマス・ガサックのドメイン所有者エメ・ギべールはアニアンヌ村のアンドレ・ルイズ村長に、モンダヴィが入手しようと狙っているアルブッサス山地の森林地帯の譲渡、または賃貸を要求。

2000年5月:

  「アルブッサス山地を守る会」設立。モンダヴィのプロジェクトと同山地への進出に全面的に反対することが目的。

2000年5月:

  アニアンヌ村のワイン業界の要請で、SAFER(農村土地開発整備会社)はモンダヴィがプロジェクトに基づいて購入を希望する私有地25ヘクタールを先買し取得すると表明。SAFERは5月22日にこの要求を取り下げ。

2000年5月:

  エメ・ギベールはモンペリエの地方裁判所に、アンドレ・ヴェジネ県議会議長とアニアンヌ村アンドレ・ルイズ村長を、森林保護法違反及び都市開発法違反だと訴える。ギベールの見解では、モンダヴィ進出の工事はすでにはじまっている可能性があるという。

2000年5月30日:

 モンダヴィのプロジェクトは阻止されることなく、共同貯蔵所がこの山間部の土地を入手することもありうる状況に。共同貯蔵所はモンダヴィとの交渉に十分な時間が必要であるとして、延期を要求。アニアンヌ村長は決定までに最大3か月の猶予を認める。

2000年6月:

 エメ・ギベールはアンドレ・ヴェジネ県議会議長とアンドレ・ルイズ村長に対する罰金の支払いを命じられる。地方裁判所はギベールの行為を越権だとして、彼の申し立てを却下した。SAFERはモンダヴィが地元ワイン製造者と共に貯蔵庫の建設を予定している25ヘクタールの私有地を先買する。以後、モンダヴィはこの地区の開発業者と競い合うことになる。

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2000年7月:

 共同貯蔵所の理事会は貯蔵所で高級ワインを製造するというモンダヴィのプロジェクトに同意。モンダヴィは共同貯蔵所が行う投資(4百万フラン)に、貸付という形で参加。ワインはモンダヴィと貯蔵所が50%ずつの折半で所有し、アリアンナというブランドで販売されることに。

2000年7月25日:

 村議会は議会を招集し、開拓開始を表明。プロジェクトはモンダヴィが50ヘクタール、アルブッサス山地の地元ワイン製造業者が25ヘクタールを開拓するものである。村議会はモンダヴィの進出計画を許可し、50ヘクタールの開発を許可する取り決めに署名。プロジェクトを実現するには、DDAFの賛同、及び当時の農業相で社会党のジャン・グラヴァニーの署名を欠く。

2000年7月から2001年3月:

 この時期は2001年の市町村及び県議会選挙のキャンペーンと重なる。

2001年3月18日:

 社会党の現職アンドレ・ルイズ村長は、モンダヴィのプロジェクトに全面的反対の共産党マニュエル・エディアスに破れる。

2001年3月末:

 新選出された村議会は県と農業省に、前村議会が行ったアルブッサス山地の開発を許可するという決議の保留を要請。村議会が開かれ、アメリカ大手企業進出に反対を決議。プロジェクトそのものが再び暗唱に乗り上げる。

2001年4月:

予定されていた開拓工事の着工は当面中止。

2001年5月17日:

 デヴィッド・ピアソンとマニュエル・ディアスの間で二者会談が予定されていたが、モンダヴィは進出計画の失敗を悟る。アニアンヌ村の地元業者グループは2001年5月15日に声明を出し、村の政策変更による行政、法、政治の各方面の障害により、開発から撤退すると発表。

2001年9月:

 モンダヴィはこの地域から全面的に撤退することを発表。この地区のブドウを使った「ヴィション・メディテラニアン」を、リムー市のシュー・ダルク共同貯蔵所に売却。

(すったもんだの挙句、フランス進出計画を断念したモンダヴィ。 ところが、その後ラングドック・ルーションのワイン生産地に進出してきたのが、俳優のジェラール・ドパルデューだった。)

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