訳者による南仏紀行 (Part1)

ワイン・ウォーズ:モンダヴィ事件の舞台を訪ねて
Tour de la Guerre des Vins

1.南フランスとの出会い
 1997-1998年,南仏プロヴァンス地方ブッシュ・デュ・ローヌ県エクス・アン・プロバンス(Aix-en-Provence)市に住み,フランス政府給費留学生としてエクス・マルセイユ第三大学のIAE(企業経営学院)のDEA課程に学んだ。以来,本書訳者は南フランスに関わりを持ってきた。エクス・アン・プロヴァンス留学から帰国後も,毎年,南仏に足を運んできた。毎回滞在するのが,リュベロン地方の小村ビュウックス(Buoux)と,ラングドック・ルシヨン地方の中心都市モンペリエ(Montpellier)の二つだった。2005-2006年に,関西大学の在外研究員として留学する機会を得たときには,モンペリエ第一大学経営学部のERFI(企業研究班)客員教授として,モンペリエに住んだ。訳者の南仏滞在・訪問経験から,本書にゆかりのある場所を紹介してみよう。
2.ラングドック地方 モンペリエ
 東はスペイン国境から西はローヌ川に至る地中海に面した地方がラングドック・ルシヨン地方が本書の舞台となった。西側のラングドック地方の中心都市は何と言ってもモンペリエだ。パリdから南へ750キロ。マルセイユから西へ170キロ。人口約25万人。ラングドック・ルシヨン地方の地方圏議会所在地。エロー県の県庁所在地。この街は1220年に創設されたヨーロッパ最古の医学部を中心に,学園都市として中世から栄えてきた。モンペリエ第一大学の医学部は現在もサン・ピエール寺院のカテドラルに隣接した校舎を使用している。この医学部の卒業生に医師そして占星術師として活躍したノストラダムスがいる。この街はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を行く巡礼者たちの宿場町としても栄えてきた。コメディ広場を中心に,街の中心部は活気にあふれ,広場の北西部には17~18世紀の古い街並みが残る。ローマ時代の水道橋や,ルイ14世を称えるために建立された凱旋門もある。2007年2月に改修工事が終わったファーブル美術館には,クールベの『出会い(La Rencontre)』(こんにちはクールベさん)などが所蔵されている。
 コメディ広場の東側は,パリゴーヌという商業施設やアンティゴーヌという住宅地域を中心に街並みが整備されている。1977年から2004年にまでの四半世紀以上,モンペリエの市町を務め,現在はラングドック・ルシオン地方圏議会の議長を務める社会党のジョルジュ・フレッシュ(Georges Frêche)が,モンペリエの街の整備,モンペリエを中心とする地域の現在の発展を推進してきた。 街の整備の大きな政策として,2000年にトラムウェイが開通した。色鮮やかなブルーの車両が街の中を軽やかに進む姿は,すぐに街の名物となった。現在は,黄色と赤色の花柄模様のトラムウェイ第2線も開通し,市民にとって利便性がさらに向上している。モンペリエは「トラムウェイのある街」としても知られるようになった。
 家族がかつてこの街に留学していたので,2005年から2006年の関西大学在外研究の地としてこの街を選んだ。受け入れて下さったモンペリエ第一大学・経営学部・ERFI(企業産業研究班)において,中小企業研究のフランス第一人者でERFI創設者のミシェル・マルシェネ(Michel Marchesnay)教授,現在の所長で競争戦略論のフレデリック・ル・ロワ(Frédérique Le Roy)教授,中心メンバーとして活躍している本書の作者オリビエ・トレス(Olivier Torrès)ら,優れた研究者と出会うことができた。
 モンペリエの街に大小合わせると30回以上滞在してきた。子供たちといっしょに暮らした経験からも,この街は気候もよく,とても住みやすい。街の人口は増え続けている。産業・商業面のほか,文化やスポーツにもとても力が入れられている。アンティゴーヌ地区に新しくできた中央図書館やプールの設備は素晴らしい。こうした市民の文化・スポーツ設備が充実している。プロ・スポーツでは,2003年の一時期に元日本代表の廣山望選手が在籍したサッカーは低迷しているが,ハンドボールはフランス・リーグで優勝10度を誇る最強豪で,2003年の欧州チャンピォンズ・リーグ決勝で逆転勝利を収めて欧州一になったときには,応援する市民でコメディ広場が揺れた。
さまざまな体験をして,思い出の詰まったこの街を起点に,本書の舞台をめぐってみよう。
モンペリエ コメディ通り

トラムウェイの走る街 モンペリエ コメディ広場

モンペリエ トラムウェイ

モンペリエ トラムウェイ 第2路線

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