ハレ便り2018


デッサウのレオポルト祭




 デッサウ(Dessau)は建築・芸術の学校「バウハウス」で有名な町である。今は合併してデッサウ・ロスラウと言う。2009年、ここのWasserburgという城跡で行なわれた中世祭を見たときの感動が残っており、また見たいと思っていたが、この時期に開催されるのはレオポルト祭というものであった。アンハルト=ケーテン候であったレオポルト(1694~1728)はバッハを宮廷楽長として招いた人物である。バッハの実り多いケーテン時代を支えた人と言える。
 ハレからデッサウまでは電車で1時間弱、途中ケーテン(Köthen)で乗り換えた。デッサウ駅から10~15分歩いたところの公園で祭が開かれる。レオポルトの時代に即してか、18世紀の王侯貴族に扮した人がたくさんいる。実は、興味があるのはここではなく、少し離れたところで開かれている歴史市場(historischer Markt)である。祭の中には中世の見世物(Mittelalter- spektakel)とか中世市場(Mittelaltermarkt)と言われるジャンルがあり、中世風の店や出し物を多くそろえている。
 にぎわっている店を眺めながら歩いていくと舞台が見えたので、一番前のテーブルに陣取った。12時から音楽の出し物が始まる。登場したのはScherbelhaufenという男性3人組。彼らは2009年、ハレの提灯祭(Laternenfest)で見ている。太鼓とギターと、たぶんDudelsackと呼ばれるバッグパイプの一種を奏でながら、中世の音楽を披露する。ドイツだけでなく、スウェーデン、フランス、ハンガリーといったところから曲を選んでいたようだが、中世という時代がそうさせるのだろう、みな同じに聞こえた。舞台があるといっても、出店が立ち並ぶところにあるので、音楽に興味のない人も頻繁に目の前を通り過ぎる。そういう人たちを呼び止めて話しかけ、笑いをとったりもする。彼らの出番が終わったところで、私はいったんそこを離れ、まわりをぶらついた。現代的な遊園地になっている場所ではジェットコースターのような乗り物がたくさんあり、叫び声が響いていた。さらに歩くと大掛かりな舞台があって、アンプを使った音響で現代的な踊りを披露していた。その向こうには巨大な観覧車がある。ドイツ人はこうした移動遊園地はお手の物で、祭があるといえばすぐ組み立て、終わるとまたたくまに解体する。
 先ほどのところへ戻ると火を使った曲芸が行なわれていた。火を口に入れたり、体に近づけたり、中世のGaukler(大道芸人、曲芸師)もかくやと思わせるパフォーマンスを披露していた。一度見ればもういいという代物だが、祭には付き物の大道芸である。さて、今回の祭のプログラムにRitterkampf(騎士の戦い)というのが載っており、とても楽しみにしていた。どこであるんだろうと探したが、それらしい広い場所がない。出店の人に聞いてみると、この辺でやるよと言う。つまり先ほどからすわっているところの目の前である。私が何を勘違いしたかというと、馬を疾駆させて戦う馬上槍試合を期待していたのである。結局、騎士の服装をした人が一対一で戦うものであった。剣を使ったり、斧を使ったり、さまざまな戦いの型を見せてくれるのであるが、子供たちが路地で行なうちゃんばらと変わりなかった。しまいには取っ組み合いのようになり、最前列で見ていた私のテーブルに寄ってきて、相手の頭をテーブルに叩きつけるという、プロレスごっこまでやってくれた。
 9年前(2009年)、Wasserburgの祭りでは馬上槍試合があった。あのときも縄を張った最前列で見ていた(何て物好きな!)。実はそのときも少しばかり期待はずれだった。互いに突進して槍で突かれたほうが馬から落ちるのであるが、そのあとはコミカルに退場する。阿呆帽子(=道化帽)をかぶった阿呆(=道化)が出てきてちょっかいを出して笑いをとっていた。それも一つのやり方かもしれない。それでも物足りなさを感じたのは、さらにさかのぼって1996~97年、ハイデルベルクにいたときに、壮大な騎士絵巻を観覧したときの記憶があったからである。これは競技場のような場所を使い、入場料をとって見せるもので、サーカスと同じである。「サラセン人がやってきた」という触れ込みどおり、ドイツ人がサラセン人を迎え撃つ。色とりどりの甲冑を身にまとった騎士たちが馬を疾駆させ、戦いを繰り広げる。これを見ているものだから、その後、祭で行なわれる騎士の出し物がみな、宴会の余興みたいに思えてしまうのである。デッサウの祭からだいぶ離れてしまったが、テーブルを使った「場外乱闘」を見せられた時点で私はそこを離れ、駅に向かった。


付記:この祭より先に、ヴィッテンベルクの祭「ルターの結婚式」を見に行っている。マルティン・ルターとカタリーナ・フォン・ボーラが1525年6月13日に結婚したことにちなんだ祭である。祭は金、土、日であるが、金曜のほうが人が少ないと思って出かけたのが間違いだった。地元の人によると、祭は金曜の16時から始まるとのことで、お昼ごろはまだ準備の最中であった。帰るころようやくにぎわいを見せ始めた。というわけで、人が少ない中で撮った写真は皮肉にもデッサウのものより鮮明である。これらも含めて、フォトギャラリーに写真をまとめた。