往ったり、来たり、立ったり、座ったり

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2014年12月24日

  ハイデガー全集の最後の巻、『黒い本』と称される巻には、ハイデガーの反ユダヤ主義の言辞が含まれているというので、今年春にドイツに出張したときには、それに関する本が本屋に平積みされていた。その巻の編集にあたったTrawny氏が来日して講演されたが、私は時間がとれずに行けなかった。さいわいに講演翻訳をいただいて読むことができた。ところで、それと同時に、「反ユダヤ主義者はずいぶんいたのであって、なんでハイデガーだけ批判するのか」という意見が、日本の哲学研究者の一部にあるということも伝わってきた。そういう情報をくれた方(この方も同じ意見でありそうだった)へ出した返事をここに転記しておく。

 「ハイデガーだけが」といわれるひとも多いでしょうが、ナチズムとユダヤに関わる特殊性を(取り除くことはできないにしても)いったんわきにおくと、これは、超時代的な(時代に制約されない)広がりをもつ認識に到達したとみずから考える哲学者が実際には実定的なもの、時代に制約されたものに囚われているのではないかという問いでもあり、たとえば、ヘーゲルが世界精神を語りながら、ゲルマン的なものを歴史の到達点に据えた発想について疑念や批判をするのと通じているようなところがないわけではありません。

  しかし、そういうふうにいってしまえば、「ハイデガーも時代の子であった。しかたなかった」というハイデガー擁護論が出てきそうです。しかし、もし、そういうひとがいるのなら、「それがあなたご自身にもあてはまるということであなたご自身安心してしまうようではいけないのではありませんか。あなたは哲学をしているのでしょう。ですから、あなた自身の時代的制約を―― 結局は乗り越えられないにしても――自覚して克服するような哲学的思索に邁進すべきではないですか。えらい師がその程度だから、あなたのような人間はますますこの程度でよいとでもお考えですか」と問いたいと思います。

  日本の場合、哲学はけっして社会的意義を強くもつ学問として認められてきませんでしたから、そのために、いわば私小説作家がそういう態度をとったように、哲学を学ぶ者が社会とは離れたところで仕事をするのを「正当化」する傾向が強いように思います。

  ハイデガー問題が、もしも、日本で(欧米とは別の)特殊性をもつとすれば、社会から期待されていないし、また、それでみずからよしとする哲学研究者がこの問題への反応をとおして自分を正当化してしまうかどうか、という(ハイデガーではなくて)その本人の問題に関わる問題である可能性にあると思っています。

2014年12月13日

  私は講義をするときに、懐中時計を机のうえにおいてしている。腕時計もしているが、懐中時計のほうが時間をすばやく、かつ、さりげなく確認できるからだ。これは亡父の形見で、どういう趣味からか、鉄道関係で使うものを手に入れたのだった。ぜんまい式で、時計商の話では、もうそろそろこれに合ったぜんまいの在庫がなくなるそうで、だから、今度切れたら使えなくなるのかもしれない。

  学生は講義する私のしぐさをみて、この懐中時計を知っているのだろう。きょう、ひとりの学生から「先生の時計は銀時計ですか」と尋ねられた。銀でできているはずもない。ところが、学生が続けて聞くには、「大学を卒業したときに大学からもらったのですか」。――おいおい、私はたしかに京都大学は卒業したが、京都帝国大学を卒業したのではないのです。かりに、私が帝国大学に入学したとしても、成績優秀で銀時計をもらえるような学生ではないことはたしかだが、しかし、それよりも、その学生が、恩賜の銀時計について少しは知っていて、しかも、その慣習が目の前の教員の卒業時にもあったのだろう、と考えていたことにおどろく。

  きょうは、関西大学哲学会秋季大会。学生企画のシンポジウム「おとなになるということ」と、須川重光氏の講演「訪問看護から見える超高齢化社会の姿」。前者はそれなりのできで、後者は、夫婦ともども認知症をわずらっているケースや独居の高齢者のケースをとおして、なんとも対応のむずかしい状況について教えられる。

2014年11月27日

    以前、勤めていた大学の同僚だった方たちと会食。某名誉教授が選んだお店で築後100年を超える木造建築の割烹。廊下が畳敷きで、池をめぐらした庭園に面して、仲居さんが案内してくれるという、私一人なら来るはずもないところだ。四人のうち、一番若い私が50代後半なのだが、70代に入った先生、80を超えた先生がそれぞれお元気で、私などが早くもくたびれたようなことをいっていてはすまない。

2014年11月15日

  高大連携の出張講義のために、向日市の京都府立向陽高等学校へ。「脳死はひとの死か」と題して80分ほど授業。3年から1年まで含めて40名ほどの受講生。担当の先生からあてられてではあったが、生徒数名からの質問もあったのでよかった。

  長岡天神まで送り迎えしてくださった先生に「長岡天神は初めてですか」と聞かれる。大学院生のときに高槻にあった塾で生活費を稼がせてもらい、そのときに途中下車して長岡天神にお参りしたことがある。そういえば、円明寺にお住いの教授のお宅におじゃましたことがあった。JRの駅は「長岡京」と変わったが以前は「神足(こうたり)」で、隣駅が「向日町(むこうまち)」だから、名前の読みの難しい駅が続いていたのだった。

2014年11月9日

    関西倫理学会のために大阪教育大学へ。 いくつかの発表に質問をするが、どうも辛口の質問になってしまったかもしれない。こちらの指摘を理解してくれればよいが、考えてみれば、発表者は「せっかく準備して発表したのに厳しい質問をぶつけられた」とうけとるかもしれないから、心もとない話ではある。

  現在、四つほどの学会で、評議員、委員、編集委員長、編集委員といった役割にあたっている。今年度で任期の終わるものもあるので、これほど重なることはもうないだろう。なにぶん同じ分野、似た分野のひとが集う学会の委員会だから、どうしても若いころからの知り合いといった面々が顔を合わせるわけで、悪くすると、そこに慣れ合いのようなふんいきが出ないこともない。どうもそういう点にはなじめない。私はいつも自分を「よそ者」のように感じてしまうたちだからだ。しかし、はたからみれば、いくつかの学会で役職を務めている私なども、結局、学会の「お仲間」にどっぷりつかっている一員にみられているのかもしれない。……そんなことを考えていて疲れてしまったのか、他用もあって、二日目は失礼する。

2014年11月2−3日

   科研費による共同研究(基盤研究(A)「尊厳概念のアクチュアリティ――多元社会に適切な概念構築に向けて――」(研究代表者:加藤泰史一橋大学大学院社会(科)学研究科教授)のために、第9回一橋哲学フォーラムに参加。先月10-12日に行われた会議の発表をおさらいして、意見交換する。私はBirnbacher教授の発表を分担する。Birnbacherは「生命の尊厳(Würde des Lebens)」という概念の基礎づけ可能性を検討し、同概念の基礎づけが脆弱であり、むしろ、その内容からして「生命への畏敬(Ehrfurcht vor dem Leben)と表現するほうが適切であり、方向づけの原理として役立つだけであるという主張をした。私もまた、「尊厳」という概念は「たんなる手段にしてはならない」というカント的な意味に限定して用いるべきだと考えるので、生命の尊厳という概念を用いることには反対している。だから、Birnbacherの立論におおよそ賛成だが、しかし、その概念の基礎づけは脆弱だというそのことを裏返して、逆に、生命の畏敬や(誤った表現にしても)生命の尊厳ということを主張したい論者がいおうとしていることをとりだす作業をしてみた。それはまた、「基礎づけ」という作業がいかなるものであり、さらに、その作業をそのようなものとして理解することの正統性を問うことでもある。

  二日間の研究会のあいだ、一橋大学が面する通りでは地元商店街が大々的に行っている「くにたち秋の市民まつり」を開催。久しぶりに屋台のやきそばを食べる。

2014年10月25-26日

  関西哲学会大会のために、関西学院大学へ。編集委員長なので発表をできるかぎり聞いておかねばならないが、今年は2会場同時並行で計24本の公募発表があったために、半分しか聞けない。しかし、発表者が増えてめでたい。総会で、規約を会則に改正する件の説明、関西哲学会研究奨励賞受賞者の紹介をする用件もあって忙しい。やれやれ。

  関西学院大学のキャンパスは前から美しかったが、創立125周年で手を入れたそうな。私の住んでいるところからだと、阪急宝塚線を宝塚経由で行っても、十三から神戸線で西宮北口経由で行ってもそんなに時間の差がないので、あまり乗ることのない宝塚まわりでいく。中山観音、売布(めふ)神社、清荒神(きよしこうじん)となんだかなつかしいような名前の駅が多く、そのあたりの景色は里の秋という風情で、のんびりした気分となる。

2014年10月10-12日

     科研費による共同研究(基盤研究(A)「尊厳概念のアクチュアリティ――多元社会に適切な概念構築に向けて――」(研究代表者:加藤泰史一橋大学大学院社会(科)学研究科教授)の研究発表を兼ねたThe 7. Hitotsubashi International Conference on Philosophy/Socal Philosophy/Applied Ethics in Kooperation mit der Japanisch-Deutschen Gesellschaft für angewandete Ethik (応用倫理学日独研究会との共催による、哲学・社会哲学・応用理rに学についての第7回一橋国際会議)の Workshop: Wert und Würde des Lebens(ワークショップ:生命の価値と尊厳)に参加する。発表者は、Raji C. Steineck, Frank Dietrich, Matthias Kettner, Gerhard Schönrich, Keiko Matsui Gibson, Dieter Birnbacher, Dieter Sturma, Arnd Pollmann, Shingo Shimadaの各氏で、3日間にかけて集中的な議論をかわす。

  「生命の尊厳」という概念は、私は賛成しない。「生命の畏敬」ならわかる。ドイツ語として成り立たないとは思うが、スイス憲法に「被造物の尊厳」という概念が登場したこともあって、あらためて「生命の尊厳」概念の検討に入ったわけだが、ドイツの研究者たちが門前払いのようにこの概念を退けるのではなくて、いかにも、ドイツ哲学の伝統にしたがって綿密な考察によってその可能性および不可能性を論じているのに感銘する。つまりは、私のような日本の哲学者も、あらためて真摯にこの概念――私の立場からは反対だけれども、日本では奇妙に受容されやすいこの概念――について考えなくてはならない。そういうことを日本側の共同研究者の幾人かの方と話し合う。

2014年10月3−5日

     日本倫理学会のために国立市の一橋大学へ。21日午後の共通課題「可能性としての中世」の司会を務める。おりから台風が接近し、遠方のひとは早く帰り、参加者数が懸念されたが、90名近くの方が最後まで議論に参加された。中世哲学の研究者ではない私が実行委員長というのもへんだが、昨年から2年任期の共通課題設定委員を務めていたからやむをえない。しかし、私自身は中世哲学に、知識は浅いながらも、私たちが「ヨーロッパ」、「西洋」として理解している世界が作られた時期として関心を抱いているので、このテーマにむしろ積極的に賛同したのだった。ともあれ、大役を果たすことができて安堵する。

   3日は授業を終えてから移動したので、七時過ぎに立川のホテルに着く。「どぜう汁」と書いてある居酒屋を発見。柳川を注文する。酒は、気に入りの山形の上喜元があったので、久しぶりにそれを飲む。

2014年9月20−21日

    ハイデガー・フォーラムに参加するために東洋大学へ。この学会は、一昨年、ヨナスに関する講演を依頼されてから――ヨナスにもとづいて語る以上、ハイデガー批判になってしまうが―― 昨年は関西大学で行われたので下働きし、今年は、森一郎さんのnatalityについての講演、榊原哲也さんのケアの現象学の講演にとくに関心をもって聞きにいく。質問がさかんにとびかう元気な学会で充実した時間を過ごす。

   ちょうど秋祭りの時期にあたっていて、東洋大学の近くにある白山神社でもおみこしをかついでいたし、二日目の昼休みに散歩して千駄木から根津のほうにいくと根津権現も祭礼であった。『吾輩は猫である』に出てくる落雲館中学のモデルである郁文館中学をはじめてみる。夜、入った居酒屋に(関西に住んでいると珍しい)にしんの塩焼き、ほやの塩辛があったので一献。

2014年9月7−8日

    科研費による共同研究(基盤研究(A)「尊厳概念のアクチュアリティ――多元社会に適切な概念構築に向けて――」(研究代表者:加藤泰史一橋大学大学院社会(科)学研究科教授)の研究発表を兼ねて、第8回一橋大学哲学フォーラムに参加するために国立市の一橋大学へ。私は「ハンス・ヨナスの自然哲学」と題して発表する。かなり深い関心をもって聞いていただいた。ヨナスの哲学のなかでは、尊厳という概念はそれほど頻用されていない。彼の自然哲学は、生き物はそれ自身の目的をもっているということを基本の原理として、目的が成就されることが(人間なり他の生き物なりにとっての相対的な価値とは独立に)善であるという形而上学がそこに接続する。そのうえにさらに、そのような自然を創造した神についての思索が結びつけられる。「尊厳」という概念には、人間を超越した存在とのかかわりがどうしても控えているように思う。カントの「人間の尊厳」は、そういう超越的な存在すなわち神とは独立に成り立つようにみえるが、叡智界という、経験を超越するものの想定がやはり残っている。

2014年9月4日

  今年度中に修士論文や博士論文を出す予定の大学院生の中間発表会。来週初めに自分の研究報告を控えていて、全部は聞けなかった。この営みは十年くらいまえから始まり、続いている。まえは合宿だったのだが、負担が重いというので1日だけの行事となっている。しかし、こういう会がきちんと続いていくことで大学院が成り立っているわけだ。

2014年9月1−2日

     土井道子記念シンポジウムに初めて参加させていただき、京都ガーデンパレスホテルで2日間ほどみっちりとした論議に加わることができた。このシンポジウムは京都大学で宗教学を学ばれた方の遺贈によって営まれている由。物語とリアリティとをめぐる討議であった。

   京都御所の西側だから学生時代に散歩したことが何度かあったろうが、和気清麻呂をまつった神社を参詣したのは初めてかもしれない。夏とはいえ、御所が近くで涼やかなたたずまい。

2014年8月5日

     大阪府・大阪市教員研修講座「若い世代に国の概念をいかに教えるか」を関西大学で開く。リベラリズム、コミュニタリアニズムの国家観などを話したが、時間のわりに中身を欲張りすぎたかもしれない。難しいものである。3人ほどの方から、ご質問とご感想をいただく。

2014年7月26日

   科研費による共同研究(基盤研究(B)「世界における『患者の権利』に関する原理・法・文献の批判的研究とわが国における指針作成」(研究代表者:小出泰士芝浦工業大学教授)の研究打ち合わせのために芝浦工業大学へ。うーむ、この1か月、週末のたびに用があり、三週間つづけて東京出張をしている。上智大学の町野朔教授の報告などを聴く。</font>

2014年7月20日

   科研費による共同研究(基盤研究(A)「尊厳概念のアクチュアリティ――多元社会に適切な概念構築に向けて――」(研究代表者:加藤泰史一橋大学大学院社会(科)学研究科教授)の打ち合わせのため、国立にある一橋大学へ。 打ち合わせのあとに、Michael QuanteのPersonの邦訳を出された後藤弘志氏の発表を聴く。この本は以前にドイツ語で読んで、そのPersönlichkeitの概念については、論文「ふくらみのある尊厳概念のためのノート――Persönlichkeit概念について」(『生命倫理研究資料集IV』(科研報告書「生命・環境倫理における「尊厳」・「価値」・「権利」に関する思想史的・規範的研究」 、2010年3月15日、富山大学、1-12頁)に記した。そういうわけで、関心を新たにして議論に加わることができた。

2014年7月19日

     日本倫理学会評議員会に出席するため、竹橋近くの学術総合センターへ。今年の大会の共通課題「可能性としての中世」の実行委員長を務めているので、その最終的な段取りの確認。 

2014年7月12日

   関西大学哲学会を開く。幹事なので総会をとりしきる。関大大学院の南木喜代恵さんのカントについての発表、同じく当麻久男さんのライプニッツについての発表。そして、関西大学非常勤講師の後藤博和さんの映画「アクト・オブ・キリング」を題材とした、熱のこもった講演を聴く。この映画はみたことがなかったが、一部をみただけで、じゅうぶんに衝撃的であった。後藤さんの演習に出ている学生の参加もあり、よかったが、もう少し、参加者がいてくれるといいのだが。

2014年7月5日

     第22回関西大学倫理学研究会を開く。 私が森岡正博・吉本陵両氏が以前に書かれた論文「将来世代を産出する義務はあるか? 生命の哲学の構築に向けて」にたいする応答を行い、ついで、日本学術振興会特別研究員として関西大学に籍をおいている居永正宏さんが「『産み』を哲学するとはどういうことか――哲学と経験・『産み』の哲学に向けて」という題目で発表し、大阪府立大学の山本史人さんと私が特定質問者を務める。参加者もそれなりの数になる。

2014年6月27-29日

   日本哲学会のために北海道大学へ。28日午前中の発表の司会1本があたっており、金曜の授業をすませて夜九時ごろに千歳に着。28-29日はよい天気で、休み時間にキャンパスを散歩。ポプラ並木を風がわたる景色、よし。29日は飛行機の都合で14時に千歳発。来年に北海道にかんする博物館ができるそうだ。私は北方民族に若干の関心をもっている。北海道道庁の赤煉瓦館に、たしか以前は北方民族についての展示があったと思ったが、それは新博物館に移行したのだろうか。新博物館ができたら、また訪れたいものだ。

2014年6月21日

   京都ユダヤ思想学会第7回学術大会を関西大学で開催。朝、正門に看板を出す。昨日のうちに会場設営はできていたので、午前中の発表は会場内で聴講させていただいた。合田正人氏のスピノザのヨナスにたいする影響の可能性の指摘は、ヨナスがスピノザをそれほど明確に肯定的に扱っている箇所はあまりないので、触発的。午後はシンポジウム「『アウシュヴィッツ以後』のユダヤ的なるもの」で、私が基調講演「ハンス・ヨナスという問い」を務め、その後、島薗進氏、芦名定道氏、石崎嘉彦氏、村岡晋一氏とともにパネリストの席につく。司会は関大同僚の小田淑子氏。

   私の発表は、内在と超越を鍵概念としてヨナスの思想の展開を解釈したものだが、「超越」(つまり「神的なるもの」である)という概念を私が発表のなかで主題化するのは、若いときの私からすれば予想外のことだった。現象学研究者である私には、「神について現象学的に論じることはできますか」という問いに「神が体験のなかに現れたなら、現象学的に記述できます」と答えたフッサールのように、神という主題は縁遠いものだったからだ。フッサールが遺稿のなかで神について考察しているにしても、生前に公刊された著作では神は主題ではない。しかも、京都ユダヤ思想学会という組織では、超越という概念が主題となることに抵抗があるはずはなかった。そのようにすなおに受け取られることもまた、私にとってはめずらしい体験だった。

2014年5月13日

   関西倫理学研究会の電子ジャーナル『倫理学論究』にISSN番号(ISSN 2188-6725)がついたので、ウェブサイトを手直し。

2014年5月11日

      応用哲学会で司会をするために、関西大学ミューズキャンパスへ。JR高槻の駅前に建ったキャンパスで、小中高が併設されていることもあって、私のような関大教員でも入り口で誰何される。このキャンパスの創設が計画されていた時期に、私は学長補佐だったのでその会議に出ていた。小中高のレベルは高いようで、順調な進展というところかもしれない。

   竹中利彦氏のケアの倫理と中江藤樹の孝の概念とを対比する発表と、山口尚氏のblameについて分析した発表の司会を務める。前者は、現代社会のフェミニズムのなかから生まれたケアの倫理と儒教道徳とでは結びつけがたい点はあると思うが、むしろ、それなら、ケアの倫理をアリストテレス的な徳の倫理と結びつけるのでも無理はあるかもしれず、また、儒教では経綸の学である倫理学と現代の市民社会の倫理学の違いもあるし、そういう広い文脈で考えれば刺激的な問題提起。後者は「非難」についての概念的――というなら哲学的分析で、「非難する」ということにかんする心理学的分析も含まれ、もちろん、道徳的非難がトピックにあがるのだから倫理学的分析でもあり、そういう意味で意欲的でおもしろくもあったが、しかし、文脈や観点をもう少し整理できたらよかったろうという印象をもった。

   理事の辞退者が出たとのことで理事に繰り上げられそうだったが、私も辞退。この学会は若手の研究発表者が多く、若いひとで運営すればよろしい。

2014年4月2日

   新学年が始まってしまった。開催期間と他用との組み合わせからするときょうが最後の機会だろう、神戸市立美術館にターナー展をみにいく。平日だからすいていると思ったら、日本人はターナーが好きなのかなあ。思わぬ人ごみ。知らなかったが、ターナーはなかなか出世欲、自己顕示欲のある人柄だったとのこと。なじんでいた自画像も実物より美しく描いていたそうな。月明かりの海の絵や山岳地方の虹の絵をみると、もともとはロマン主義的な象徴的な画風だったのかと思う。最後は、色彩と面による抽象画のようになっていくが、ただし、今回出展されている作品のいくつかについては、本人がその絵を出展するつもりなら、もっとわかりやすい事物を描きそえたいたろうという解説もある。夕刻近くに研究室にいき、書類の整理。

2014年3月12-26日

   ドイツへ出張。

   昨年おとずれたNeuengamme強制収容所を再訪。Hamburgの郊外、Elbe川の近くにある。この立地条件から、ドイツに占領された近隣諸国から集められた囚人やソ連軍捕虜、ユダヤ人たちを使って、SSおよびSSと結託した多くの企業が強制労働を行ったのだった。昨年は、最も激しい労働を課した硬質レンガ製造工場を時間の関係で見残した。今回は、記念碑からそちらへまわる。なぜ、硬質レンガの大量生産を行おうとしたかといえば、ヒトラーが、ベルリン、ミュンヘン、ニュルンベルグ(ナチ党大会第1回を行った場所)とともに、「世界への窓口」であるハンブルクを大改造する計画を立て、とくにハンブルクには250mの高層建築を立てようとしていたのだから、硬質レンガが必要だったのである。工場施設は当時として最も先端的なものであった由。しかし、素材の粘土を採掘する仕事は手とスコップに頼り、だから、強制労働のなかでも最も寿命を縮める仕事となったのだ。

   強制収容所を見学するのは、人間の尊厳がどのようにして、どこまで蹂躙されてしまうのかという問いをとおして、人間の尊厳という観念を考えてみたいからだ。この問題関心は、直接的には、ハンス・ヨナスの『アウシュヴィッツ以後の神』(法政大学出版局)を翻訳したころからはじまっているが、人間の尊厳という観念そのものについてはそれ以前から関心を寄せていたから、潜在的にはずいぶん前から意識していた問題ではある。これまでに、ミュンヘン郊外のダッハウ、ポーランドのアウシュヴィッツ、ワイマール近郊のブーヘンヴァルト、ベルリン郊外のザクセンハウゼン、ツェレの近くのベルゲン−ベルゼン、そして、ハンブルク郊外のノ イエンガンメを調査した。

   強制収容所をおとずれると、結局のところ、人間にとって、他の人間は労働力としてしか重要でなく、あるいは、人間ではなく人間の労働の産物しか重要でないのではないか、という疑念がからみついて離れなくなる。しかも、その強制労働を効率よく運営していたそのことにうちのめされる気分。

   しかし、ドイツは、戦後すぐではなかったにしても、少なくとも、そうした実態を明らかにして展示しているのだ。そのことには感心する。

      *   *   *

   Neuengammeの村落には、かやぶき屋根の農家がある。昨年、はじめてみて、「ドイツにもかやぶき屋根があるのか!」とおどろいた。Hamburgの歴史博物館にその内部構造の模型がある。まず、レンガや石によって一階の壁を築き、そのうえに、2・3階ぐらいの高さに達する合掌型(日本の合掌造りほど急傾斜ではない。一階の面積に左右されるが、大きな建物だと直角二等辺三角形から鈍角二等辺三角形にいたる木組みである。そのうえに屋根をふく。しかし、レンガと石の壁のうえに、どうやってこの巨大な木組みを載せるのだろう。

      *   *   *

   HamburgからDüsseldorfへ移動。3日間、Düsseldorf大学 (正式にはHeinrich Heine Universität。デュッセルドルフには詩人ハイネの生家があるのだ。ドイツでは、伝統ある大学の正式名称は偉人の名をつけたものが多い)で行われた「日独応用倫理学ワークショップ」に参加。私が関心をもっていることについて、関心を共有できるひとたちと会えて、明るい気分となる。

   大学のゲストハウスであるSchloß Mickelnに泊まらせてもらう。城というよりも別荘のようなたたずまい。ライン川の岸の近くで、ワークショップのあとは、Amsel(クロウタドリ)の鳴き声を聴きながら、ドイツの長い日暮れをすごす。

      *   *   *

   Mönchengladbachにまわる。Hans Jonasの生地。市立図書館で調べもの。昨年、市の中心地をほりかえしていたが、どうやらそこにサッカースタジアムを作るみたいだ。この街はサッカーでも有名だ。

   以前、Jonasの像が立っていた公園(Hans Jonas Park)に、昨年、その像がなくなっているのを発見。どうしたのだろうと思っていたら、今年は、以前の台座を外してモダン・アートっぽく(この町メンヒェングラートバハは現代美術館でも有名なのだ)立っていた。どういう事情か知らないが、まず、像が復活したのはよかった。

      *   *   *

   Kölnに 移動。ケルン大学図書館と市立図書館のGermania Judaica(ユダヤ思想関連資料センター)で調べもの。

   一昨年、ほりかえしていて、元ユダヤ街だったからユダヤ博物館が建てられるという説明のあったところは、まだほりかえしていて、今回は、その説明はどこかへいってしまった。市の中心部で、そこにユダヤ博物館を建てる計画に反対があるという記事をずいぶんまえにドイツの新聞のウェブサイトで読んだ。計画がどうなったのか、わからないが、いずれにしても、時間のかかることだ。

   ケルン大学の校舎はだいぶ美しくなり、建て増しされた校舎も増えたようだ。私がここに客員研究員として籍をおいたのは、もう7年前になる。哲学の時間割をみても、私の記憶にある教授の名前は3−4名にとどまるようだ。

      *   *   *

   今年は、ドイツとは思えないほどあたたかい日が続き(15度とか20度という日もあった。10度の日もあったが)、桜、れんぎょう、もくれん、雪柳、クロッカス、チューリップなどが咲いていた。しらかばの枝先が赤くて、けむっているようにみえる。柳はやわらかそうな黄緑に輝いているし、たいへんに高い木々も枝先のうれは細かく、けむっているようにみえ、全体として、ピサロの春の絵を思い出す。

   どうして、ドイツの春はこう美しいのだろう。

2014年3月5日

   私のゼミの学生が仲間と行っているフルートとハープの演奏を聞きに京都へ。曲目は、アイルランド、スウェーデンなどのいわゆる吟遊詩人の作った曲が中心。空高くひばりが飛んでいる牧草地やら、一日、土を鋤き返してすごす昔の農夫の暮らしやら、十字路にキリスト像の立っている田舎町を思い浮かべる。

   1年だけドイツに住んでいたときに、教会で行われる音楽の催しを聴きにいった。演奏家は、完全なプロのときもあれば、セミプロのときもあり、アマチュアのときもあった。それほど肩がこらずに、しかし、夜の時間を少しだけ他の日よりもしみじみした気持ちですごせるようで、いいものだった。久しぶりにそういう気分を味わって帰る。

2014年3月3日

   ナカニシヤ出版から2007年に出した拙著『正義と境を接するもの――責任という原理とケアの倫理』の3刷が届く。哲学書の専門書は2刷まで出れば、まず成功といわれる現状で、3刷は無理かと昨年のここにも書いていたのだが、復刊を希望する方がいてくださったのと出版社の判断で3刷をみることができた。増刷の後押ししてくだった方々(どなたかはわからぬものの)に心から「ありがとうございます」と申し上げたい。

   その本を出したころに依頼されて、まだ約束をはたしていない本がある。この数年、いつも頭のなかにはあるのだが、ぼちぼちと書き溜めるばかりで、多忙と力不足のために進んでいないのだ。しかし、書き上げなくては。

2014年2月28日

      Jürgen Manemann (Instituts für Philosophie Hannover ハノーファー哲学研究所所長)の講演”Theologie nach Auschwitz”(アウシュヴィッツ以後の神学)を聞きに京都大学へ。私は2009年にハンス・ヨナス(Hans Jonas)の『アウシュヴィッツ以後の神』を訳した。ヨナスはユダヤ人として、アウシュヴィッツを起こるにまかせた神をいかなるしかたで理解できるのかという問いを立て、その事態と全知かつ全能かつ善なる神とが矛盾するゆえに、世界を創造するために力を蕩尽し、その後は世界の行く末(と、それを操舵する力をもってしまった人間の所行)を気づかいつつ見守る無力な神という神概念に行き着いたのだった。

   きょうの講演は、アウシュヴィッツを初めとする他者の苦しみに関心を示さぬままに神に祈る欺瞞を突いて、Compassionにもとづいて受難への感受性をもちつつ神を語る神学を提唱するものだった。エリ・ヴィーゼルの『夜』の一節――アウシュヴィッツで少年が絞首刑に処せられるときに、「神はどこにいるのだ」と尋ねる声に、「そこに神は吊り下げられている、絞首台に」と答えるくだり――を引用して、これを「アウシュヴィッツにおけるイエス」すなわち「ともに苦しむ神」と解釈するキリスト教神学者を「苦しみの美化」と批判するところに、清潔さを感じた。「ともに苦しむ神」を賛美するだけでは、子どもを処刑する人間の所行の悪とそれが現実のひとにもたらす苦しみのほうは脇に追いやられるからである。しかし、この批判はキリスト教徒のあり方、教会のあり方を鋭く問いただすことにはなるが、ヨナスのように、神概念を問いなおす話ではない。そこに、ユダヤの人びとの神が、なぜ、アウシュヴィッツを黙認したのかというユダヤ人ヨナスの立てる問いと 、神への信仰のあり方を問うキリスト教神学内部の問いとのあいだの、どうしようもないへだたりがあるのだろう。

   人間が他の人間の苦しみをともに苦しむところに、神の痕跡が見出されるというレヴィナスの思想の引用がなされた。私は、キリスト教徒でもユダヤ教徒でも、キリスト教、ユダヤ教の研究者でもないが、「ひととひととのほんとうの交わりのためにはひとを超越する契機が必要ではないか」という問いを抱くことが多い(そういう超越的な契機がなくても、私たちは世間話ならできるけれども)。もし、他人の苦しみをともに苦しむことが実際に「できる」とすれば、人間はなんらかのしかたですでにひとを超越しているものとつながりをもっているということだろうか。

   それはそれとして、数年前、大雪の日曜日にミュンヘンの有名な教会にミサを見物にいったときのことを思い出した。入り口の外側に若い白人男性が明らかに栄養失調の顔色で身を横たえていた。「どうして、この若い白人男性が……」と不思議に思ったが、顔色から窮状は明らかなので、ほんのわずかなお金をあげると、"Danke."(ありがとう)と弱弱しく答えた。戸を開けると、教会のなかは、もわっとするあたたかさ。遠くで白の礼装をまとった聖職者がさかんに"Gemeinschaft"(共同体)の連帯を説いていた。「共同体のかけらが、今、そこの戸口の向こうに倒れています」といいたいところだったが、そんなことをいったら、「だから、そういった人びとを助けるために、今、説教をして寄付を募っているのです。あなたも志あらば、うちの教会に醵金しなさい」とでもいわれそうだった。

2014年2月25日

   東京都美術館が政権批判のメッセージを記した紙を貼った作品に撤去を要請し、結局、紙をはがして展示されているそうだ。施設の運営要綱の「政治・宗教活動をするためのもの」の「使用を承認しないことができる」という条件が適用されたとのこと。

   ケルンのルートヴィッヒ美術館には、米兵がベトナム兵を射殺する瞬間の写真を用いた作品そのほか、強烈な政治的メッセージを含んだ作品が展示されている。東京都美術館では、そういう作品は展示されないことになるわけだが、他の美術館でみられればそれでいいというわけでもない。こうした動きが、宿泊施設や会議場のあいだに特定の団体の利用を拒否する動きが広がるのと同じように、広がっていかないことを望む。

2014年2月24日

   「武器輸出三原則の見直し」が報道される。同盟的な関係にある国への輸出をゆるすということだが、売る物があるということは売る物が用意されているということだ。軍事技術は日進月歩だろうから、売れる商品をつねに用意するには、前の商品がつぎつぎと消費されなくてはなるまい。つまり、どこかで戦争が起こっていることを望むことになる。そういうことを考えないようにするということを、武器輸出の規制は含意していたのではないか。

   日本の戦後の復興には朝鮮半島やベトナムでの戦争が追い風になっていたのだから、上のようなことをいうのは偽善的だという見方もあろうが、軍需産業にたいして抑制的な姿勢をこの国のかたちとしてもちつづけるところに意義があると思う。まず輸出先にイスラエルが想定されているようだが、アラブとの関係はどうなるのか。

   ドイツのエッセンを訪れたときに、名だたる鉄鋼会社で軍需産業の(交戦国の両方に兵器を売って成長したとかいわれている)クルップ社が、第一次世界大戦後だったかに、社員のための社宅を建造していたことを知った。写真でみるかぎり、(石造だからかもしれないが)中流階級の住居というたたずまいで、その時代の社宅としては立派なものだという印象をもつと同時に、戦争で利益をあげて身内には行き届いた対応をしているそのことに、それが企業というものだといえばそれまでであるが、わりきれない気持ちが残った。

   このところの日本の政治の動きを仄聞するに、まがまがしい話だが、永井荷風が敗戦直後に詠んだ俳句、

ほろび行く国の日永や藤の花

を思い出してしまう。

2014年2月14日

   1998年から続けてきた関西大学生命倫理研究会を関西大学倫理学研究会(Kansai University Society for Ethical Studies)と改称して、電子ジャーナル『倫理学論究』(Journal for Ethical Studies)を発刊した。ウェブサイトを開き、その日のうちに第1巻第1号をアップ。誌名に迷った。『倫理学研究』はいくつかの大学の紀要や関西倫理学会の機関誌などがその名前だし、『倫理学論叢』という名前も某大学の紀要にある。『倫理学考究』か『倫理学論究』かと迷ったが、コウキュウは発音しにくいので、ロンキュウをとった。あとから『倫理学探究』という名前もあったと気づく。コウキュウ、ロンキュウ、タンキュウなどと舌先でころがすうちに、『倫理学 Thank you!』というのも思いついたが、これはやめておいたほうが無難だろう。

2014年2月10日

  日本倫理学会の今年の大会で行われる共通課題「可能性としての中世」の打ち合わせのために慶應義塾大学へ。 私は西洋中世哲学の研究者ではないが、昨年度から共通課題設定委員であるうえに、近現代の哲学や近代以後の世俗的な倫理学にもっぱら関わってきた身に縁遠いからこそ関心があるのだ。昨日の大雪がいたるところに残っている。北ドイツでみるような破風屋根の校舎がある。その赤レンガと雪の配合が美しい。

2014年2月3日

  きょうの朝日新聞の歌壇に薮内真由美さんという香川県の方の歌が入選していた。

この国を出でしことなし食卓にモーリタニアの蛸を噛みつつ

  経済のグローバリゼーションの結果、地球上のおとずれたことのない、また一生おとずれることのないであろう遠方からいろいろな食材が手許にやってきて私たちの日々の糧になっている。

    アフリカの西端、大西洋に面した国から運ばれてきたタコが、この国から一歩も出たことのない自分の口のなかに今現に入っていて、いずれ自分の血となり肉となるであろう出会いのふしぎさ。しかも、その腑に落ちないような思いと、タコの肉の噛み切れなさとが響きあっている。さらに、「モーリタニア」という国名がまた、口のなかでもごもごした発音だけにぴたっとくる。「シシリー島のタコ」や「アルゼンチンのタコ」や「ニュージーランドのタコ」では(それらの場所でタコがとれたにしても)こうはいかない。

  モーリタニアにはタコを食べる習慣がない。砂漠の広がる、産業の乏しい国である。NHKの番組によれば、中村正明さんという方がタコ漁を伝えて、 それ以来、タコが日本向けの貴重な輸出品となったそうな。そういうことにも思いいたれば、なかなか噛み切れない口のなかのタコが、それまで縁もゆかりもなかった 見知らぬ遠国に住まうひとたちの身の上を、居ながらにして思いやるよすがともなるわけだ。味わい深い名吟というべし。

2014年1月18日

    センター試験の試験監督をする。毎年、機器の故障が問題となるリスニングがある日で緊張する。さいわい、担当の教室には機器の故障その他の問題なし。受験生ひとりひとりがそれぞれに与えられた機械から音声を聞いている。試験監督にはその音声は聞こえない。ただ、受験生がほぼいっせいに問題用紙をめくり、また、問題用紙を閉じる音が教室に響く。なんだか、私たちの知らないしかたで宇宙と交信している集団をみるがごとし。

2014年1月1日

  あけましておめでとうございます。 

   鏡餅のうえの橙のまばゆい光沢、寒椿のつややかな葉や花弁の紅色をみると、よくぞ冬にこういう彩りがあるものだと、自然の配剤にいまさらながらに感じ入りますね。  

  昨年、2013年は、3月にドイツのKönigshausen & Neumann社から刊行されたDialog-Reflexion-Verantwortung. Zur Diskussion der Diskurspragmatik (『対話、反省、責任――討議遂行論の議論のために』)に論文„Der nicht omnipotente Gott und die menschliche Verantwortung”(「全能ならざる神と人間の責任」)を収録、7月にイギリスのオクスフォード大学上廣実践倫理センターから刊行されたEthics for the Future of Life(『生命の未来のための倫理学』)に論文”The status of the human being: manipulating subject, manipulated object, and human dignity”(「人間の地位はいかなるものか――操作する主体、操作される客体、人間の尊厳」)を収録しました。海外で読んでくださる方が少しでもいる幸運に感謝しております。

 

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