往ったり、来たり、立ったり、座ったり

 

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2005年12月26日

  京都生命倫理研究会に行く。この研究会ができて20年だそうだ。20年前、私は生命倫理学を知らない大学院生のひとりとして参加した。今では、哲学・倫理学の別の問題を主たる研究テーマとしている研究者だけでなく、哲学・倫理学とはもともと関わりのない研究分野の方の発表を聞くことも多い。そのぶん、実際に即した議論が増してきたともいえる。一方、哲学・倫理学の研究者である私からみると、社会的妥当と道徳的妥当とのちがい、道徳的主張の基礎づけの点で突っ込みたくなる議論もある。そこばかりしていると、逆に、「実際に役立たない」「倫理学のための倫理学だ」という反論を受けるとしても。

2005年12月18日

  全国私立大学教職課程連絡協議会学校インターンシップ検討委員会(第4回委員会)で学校インターンシップの説明をするために、龍谷大学へ。事情をよくお分かりの先生方なので、本質をついた質問。話が通じて楽しい。久しぶりに京の底冷えを味わう。学生時代に北白川や銀閣寺の近くに下宿していた。そのころの若さはもちろんないけれども、京都の固く引きしまった小雪が風に舞う景色は依然として好きだ。

2005年12月17日

  午前、東京都教育庁指導部の方の来訪を受ける。「道徳教育の充実のための教員養成学部等との連携研究事業」のお話で、学校インターンシップをしている関大の調査にみえたわけだ。道徳教育が昔の修身とちがい、教師が徳目を説くようなものではなくなっているというお話。だとすれば、これから教師に必要とされているのは、多様な意見を聞き届け、理由をあげて討論しあうといった、論理的思考や討論の作法の修得であり、少人数ゼミによる導入教育でやろうとしていることと重なり合う。別段、教員志望者だけに必要な技術ではない。

   17:00-18:30 学校インターンシップの事後報告会(長期型)。教委や受入校の先生方に多くきていただき、感謝。

2005年12月16日

  2時限の授業を終えてから、谷町4丁目の大阪府庁に出向き、大阪府教委が主催する「教育課程及びまなびングサポート事業担当指導主事連絡会」へ赴き、府教委「まなびングサポート」(学校現場を支援する大学生のボランティア事業)の終了にともない、今後の参考に、学校インターンシップ導入マニュアルを用いて学校インターンシップを紹介(14:50-15:20)。関大に帰ると16:00。16:20-17:30まで2コマ授業する。

2005年12月14日

  大阪府内某市の職員倫理委員会へ。公益通報者保護法の話が出る。ビジネス・エシックスが論じる内部告発にからむ問題だ。告発者の不利益を防ぐ法だが、告発の正当化の条件が厳しすぎると思う。とはいえ、弁護士の方の話では、条件をゆるめると、談合などについてのいわゆる「ちくり」が内部告発の形で出てきて、しかもその多くは「公益のため」とはいえないものとなるおそれあり、と。行政が告発を関知した場合の対応については、いずれ国がマニュアルを示すだろうから、それを参照して・・・・・・という方向の話になる。一般のひとにとって、「倫理」とは、マニュアルにしたがうことなのかなあ。自己の利益に反するかもしれない内部告発には「実存的決断」みたいな面もないわけでもない。行政が告発を関知した場合、マニュアルにそって対応するにしても、その告発が示唆している公益の大きさ、それに応じてどんな対応をどれほど早くしなくてはならないか、そのつど判断しないといけない。自己の不利益を顧みずに告発したひとの意気に応えるには、「お役所」ではあっても、やはり、マニュアルを超えた主体的判断が必要になると思う。

2005年12月10日

  関西倫理学会委員会のため、同志社大へ。夏から秋にかけての疲れが出て気力・体力とも衰弱ぎみだが、学生の頃によく散歩した真如堂あたりを散歩して元気をつける。紅葉はすでに過ぎたが、サンシュユの赤い実が美しい。銀閣寺通の学生向けの食堂のおばさん、以前と同じ調子で客をさばいている。浄土寺の荒物屋のおじいさんも変わりないようだ。中世哲学の著名だった研究者の住居が、主を代えて、そのまま残っている。うーん、私が学生としてこのへんを歩きまわるようになってから、もう30年近くになりますか。

2005年12月1日

  日本学生支援機構大阪支部と大学コンソーシアム大阪との共同発行による「学校インターンシップ導入マニュアル」が完成して手元に届く。やれやれ、今年の6月から10月はこれに相当の時間と精力を割いた。しかし、周囲のひとの評価では、仕上がりは上々とのことで、まあ、よかった。

2005年11月30日

  河内長野市教育委員会と関西大学の連携協力協定締結のため河内長野市へ。紅葉が美しい。これで連携協力の締結は、大阪府、神戸市、大阪市、長岡京市、高槻市、吹田市、東大阪市、茨木市、箕面市、豊中市、摂津市、京都市、伊丹市、寝屋川市に続いて15番目。

2005年11月26日

  東京大学の21世紀COEプログラム「死生学の構築」公開シンポジウム「ケアと自己決定」を聴きに東大へ。300人入れるという医学部大講堂がいっぱいになる。私はメタエシカルな概念分析のほうに興味があるが、もちろん、ケアといえば、ケアと称される現場の問題に関心が集まるわけだ。階段の踊り場に、骸骨を手にした小金井良精の肖像画をみる。森鴎外の義弟で、日本の解剖学の先蹤だ。解剖学教室のある建物で、ここで働いていたわけか。そしてまた大江健三郎の「死者の奢り」を思い出す。

2005年11月23日

  特色GPフォーラムのため、京都へ。京都国際会館でポスターセッションをし、シンポジウムを聞く。これでこの一連のフォーラムは終わり。7回のうち、新潟を除いて参加したわけだ。競争的資金獲得というのは気分のよいものとばかりはいえないが、他大学の取組を知るこういう機会は緊張感があってよろしい。おそらくこういう催しにスタッフを欠かさず送り込む大学が生き残るのだろう。私の今の勤め先はその点でのんびりしすぎている。

2005年11月20−22日

  特色GPフォーラムのため、札幌へ出張。札幌コンベンションセンターでポスターセッションをし、シンポジウムを聞く。この日に報告のあった立教大学の全カリは教養教育改革の関連から注目していた。これが特色GPの選定からもれたことがあるのが不思議に思える。

2005年11月19日

  大阪のナースの学習会「楽学舎」でケアの倫理について講演する。会場は桜ノ宮のアメジストビル。ケアの倫理といっても、ケアについての倫理、看護倫理ではなく、倫理学史にどうしてそのような考えが現われたかというところから話したが、熱心に聴いてくださり、ありがたかった。行きがけに駅売りの毎日新聞を買い、10月22日に行われた大学教育改革フォーラムの記事を読む。

2005年11月17日

  学校インターンシップ導入マニュアル編集委員会と大学コンソーシアム大阪学校インターンシップ推進委員会のため、扇町の日本学生支援機構ビルへ。前者で「学校インターンシップ導入マニュアル」の原稿しあがり、後者でマニュアル発刊を承認。各都道府県の教育委員会に配布する予定。しかし、特色GPフォーラムで関西大学の学校インターンシップの話をすると、関心をもつ方も多いので、きっと需要はもっと多いだろう。

2005年11月15日

  15日、特色GPフォーラムのため、名古屋へ出張。熱田の国際会議場でポスターセッションをし、シンポジウムを聞く。複数の競争的資金を獲得している大手の某大学の取組が、学内では外部資金の獲得を前提とした組織によってなされたと知る。ハングリー精神と他の大学にはない理念を追求する気概をもっているメンバーの取組が採択されているなあとあらためて感じる。翌16日、勤め先の会議で、ポスト配分の長期的プランニングの案件をあつかうと、複数の先生方から「競争はよくない」というご意見を承り、学外と学内の落差にめまいを覚える。

2005年11月10-11日

  特色GPフォーラムのため、広島へ出張。国際会議場でポスターセッションをし、シンポジウムを拝聴。広島大学には6年いて、広島市には5年住んでいた。広島にくるとなんとなく気分が落ち着く。久しぶりにお会いしたひともいれば、はじめてお目にかかるが共通の知人のいることがわかったひともいる。終了後、同道したスタッフと、小いわしの刺身・天ぷら、生たこの刺身・しゃぶしゃぶ、あなご、西条の銘酒賀茂泉、竹原の銘酒龍勢を賞味。

2005年11月9日

  大阪府立高校の先生方との懇談。学校インターンシップについて説明する。

2005年11月5−6日

  関西倫理学会大会のため、同志社女子大学へ。京都御所の木々が少し色づいている。2日間ともに会場にいたので、秋の京都を楽しむわけにはいかなかったが、若手研究者の発表を聞くのも刺激になる。しかし、これじゃ、年寄りの感想だ。久しぶりに会った知人が「髪が白くなった」「髪が細くなった」だの話すもんだから、そのせいか。

   偶成 君はいま髪の悩みを嘆かふか 昔は神を語りしものを

      小春日の淡きひかりをいただきてなげきたまひそ君のよはひを

2005年10月27日

  大阪府教委が大学生による学校支援活動「学びングサポート」を今年度で打ち切る件について、府教委の方と関大の高大連携で会談。おりから、関大では特色GPで学校インターンシップのパンフレットを作成してフォーラムで配布中、大学コンソーシアム大阪でも学校インターンシップ導入マニュアルが11月に完成する。こうした相談ごとが今後も増えそうだ。

2005年10月26日

  原子力安全基盤調査研究「原子力の社会的リスク情報コミュニケーションシステム」プロジェクト主催、シンビオ社会研究会(京都大学大学院エネルギー科学研究科)共催の公開ワークショップ「原子力リスクコミュニケーション活動の新たな成果を発信する」で「倫理とリスク・コミュニケーション」と題して講演をしに、京都のキャンパスプラザ京都へ。昨年も参加した。Webを用いた高レベル放射性廃棄物処分のコミュニケーションのサイトを開設している研究グループだが、コミュニケーションを誘導しようという姿勢よりも、情報を伝達し共有しようという意図が強い点で、原子力政策に対する見解とは別に、共感している。

2005年10月23-24日

  特色GPフォーラムのため、福岡へ。会場は天神のアクロス福岡。24日のシンポジウムで「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える学外型実践教育の大規模展開」を紹介、あわせてポスターセッションで説明。シンポジウムのほうは、私たちの取組はメッセージ性が高いものなのだが、どうもそのメッセージを受け止めて議論が進むというふうではなく、先方が組み合わせた3つの事例に無理に共通点を見出そうとして、かえって中途半端なものになったような気もする。生産性の高い議論がもう少しできそうな気がしたが・・・・・・

2005年10月22日

  「毎日新聞 大学教育改革フォーラム」(梅田スカイビル)で、特色GPの事例として関西大学の「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える学外型実践教育の大規模展開」を紹介する。文部科学省審議官による大学改革についての講演のほか、報告したのは関大以外に、親和女子大学の教員養成GP、帝塚山大の現代GP、関西学院大の特色GP。いずれも熱気あるもの。11月末の毎日新聞に掲載の予定。

2005年10月16-17日

  特色GPフォーラムのため、横浜へ。会場は桜木町のパシフィコ横浜。17日にポスターセッションで「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える学外型実践教育の大規模展開」の説明。シンポジウムはちょっと傍聴しただけだが、かなり内容が充実している。

2005年10月15日

  学校インターンシップ事後報告会。受入校の教員の方や教育委員会の方をお招きして、100名を超す学生が参加。6名の報告。それなりにしっかりした報告で安心および感心。特色GPに採択されたが、この仕事はひととひととのつながりでできているので、研修先に歓迎され、学生も成長したことをつねに確認しなくてはいけない。

2005年10月12日

  学校インターンシップ導入マニュアル編集委員会のため、扇町の日本学生支援機構ビルへ。6月末からはじまったこの仕事は、きょうでほぼ原稿完成。この夏はこの仕事と特色GPの全国各地で開かれる準備のために多大な時間がとられ、今に来て、疲れが出ている。しかし、ともかく印刷所にまわすまでできあがったのは重畳。

2005年10月9日

  第56回日本倫理学会大会が岡山大学で7日から9日にかけて開催。9日の共通課題(シンポジウム)「倫理学の現実(リアリティ)」で6人のパネリストのひとりとして報告(「倫理、倫理学、倫理的なるもの」)。この学会の1999年大会共通課題「20世紀 倫理学への問い」のときに提示した「倫理学者コーディネーター説」を覚えていらっしゃる方も多いようで、それが論点のひとつとなる。この考えはそれほど刺激的だったのだろうか。私としては、20世紀前半のメタ倫理学の興隆、1960年代以降の応用倫理学の興隆に対して、どのような評価をするか(ないしは、前者の掲げた争点についてどのように「清算」するか、後者の登場をいかなる意味で受容する・是認する・推進できるのか)という問題と絡んでの論点として提出したものだ。

  今年2回目の学会発表を終えた疲れを癒しに、岡山から広島へ出て、なじみの店で飲む。日本倫理学会に来てくれていた関大の院を修了した広島出身の某君を誘う。

2005年10月1日

  29日から風邪で発熱。30日は授業があったが、休講にしてもらう。1日は土曜だが会議。熱が下がったので出てきたが、夜、書類の手直しをするうちに、また熱っぽくなったような。

2005年9月24日

  京都生命倫理研究会が京大で行われており、あらかじめ原稿を下さった発表者もおられるが、他用のため不参。研究室で雑事。日本法社会学会の原稿、締切の一週間前だが、脱稿。締切前に送ってくる人間は、逆に、時間のゆとりのない人間である場合もあるのじゃないかしら。

2005年9月22日

  朝1時限の卒業演習をすませて、午後、理事会で「特色GPプロジェクト申請代表者」として職員表彰規程により表彰を受ける。私は学長補佐・高大連携運営委員長という役職でこの事業の責任者になっているので、いただいていいのかどうかという気もする。取組自体は関大初の特色GPだし、表彰されるにふさわしいだろう。表彰の対象が人間である以上、私になるわけなのか・・・。まあ、出張先のドイツでみた夢のなかに、この申請書類が追いかけてきたくらいに苦労してきたのではあるが。

  一昨日、昨日とりくんだパンフとポスターとを発注。学校インターンシップの10月の予定の打ち合わせ。

2005年9月21日

  学部長会議が延びて2時半まで。その後、特色GP採択プログラムが10-11月に全国7箇所(札幌、横浜、新潟、名古屋、京都、広島、福岡)で行うフォーラムのためのポスター作成。理系の研究者でないから、ポスターセッションなど初めてだ。芸もなく、A4で作成したものを順に布置する方向で考える。なんだか屏風に手紙を貼りまぜにしたような、あるいは、絵巻物のような・・・。変かもしれないけれども、午後10時近く、できあがり。

2005年9月20日

  午前の会議を終えて、午後から特色GPのためのパンフレット作成。内容は学校インターンシップのことだから、日本学生支援機構・大学コンソーシアム大阪で作成しているのと重なるが、できるかぎり似たものにならぬようにレイアウトなどに配慮。この手の仕事でワードのオートシェイプの使い方が上達したものだ。午後10時近く、できあがり。

2005年9月15日

  高校生への大学授業の開放(Kan-Dai 15セミナー)秋学期分開始の挨拶。受講生が増えてきて定着した感じ。

  研究室でソファに寝転んで、書きかけの論文の参照のためにカントの『人倫の形而上学』を読み返していると、机の下に黒くて細い物体が転がっている。ボールペンにしては短いような。近づいてみるとムカデの死骸だった。あわてて片付ける。どこから入ってきたのか、窓の外は桜の木、木の多い中庭に面していて蚊も多いけれども、びっくりした。

2005年9月9日

  学校インターンシップ導入マニュアル編集委員会のため、扇町の日本学生支援機構ビルへ。この仕事もどうにか山を越えた感じ。委員長として執筆する分を増やして、強引に仕事を進めてしまったが、そうしなくては期日に間に合わないそうもなかった。この日は重陽の節句だが、蒸し暑く、夕立もあり。梅田の古本屋をひやかしたあと、前歯の欠けた、人のよさそうな娘さんのいる十三の飲み屋で小酌。

2005年9月3日

  関西倫理学会委員会のため、同志社大学へ。暑い一日。昼前に出かけて至誠堂に寄って2時間ほど洋書をあさる。鴨川べりの喫茶店で少憩。学生時代にしたように。

2005年8月26日

  特色GP事例集の原稿、了。ある審査に係る書類、了。学校インターンシップ導入マニュアルの原稿、半分、了。しかし、こんな忙しい夏休みはなかった。というよりも、夏はあったが、休みはなかった。いつのまにか、夜、虫の声がする。

2005年8月22日

  勤務先の盆休みがあける。私立大学には事務を含めて、夏期一斉休業をするところがあると、私大に移ってからはじめて知った。盆休み中に作成した日本倫理学会の報告要旨を郵送。電話がかかってきて、急遽、学校インターンシップ導入マニュアルの件で打ち合わせ。きょうはひとに会う予定はなく、Tシャツを着ていた。"sport"その他スペイン語の書いてあるTシャツでどうも変。以前、おなかの出た中年男が"healthy"と書いてあるTシャツを着ているのをみて不審な感じがしたが、他人のことはいえない。

偶成 夏の一日、あえぎながら坂を登りくる中年男をみてよめる

    でっぷりとせりだす腹を包みたるTシャツの胸のhealthyの文字

2005年8月12日

  採択された特色GPの事例集のための原稿、学校インターンシップ導入マニュアルの原稿、ある審査に係る書類、学内の教養教育改革、と膨大な債務のなかで、5月の日本法社会学会での報告をまとめる原稿の締切も迫りつつあるし、10月の日本倫理学会の報告の構想も立てねばならないし・・・・・・というわけで、弱ったものだ。きょうは月末締切の学内の書類ひとつ終了。

  偶成 片づかぬ書類の山や油照り

2005年8月10日

  学校インターンシップ導入マニュアル編集委員会のため、扇町の日本学生支援機構ビル。むずかしい作業で、なかなか進捗せず。天神橋筋の古本屋の貼り紙、「8月8日から12日は横浜から孫が来ますので休みます」と。「横浜から孫が来る」と理由が書いてあるのがおもしろい。

2005年7月29−8月1日

  応用倫理研究会のために、北海道大学へ出張。「人間の尊厳」がテーマで、昨年、『岩波応用倫理学講義1 生命』に「生命の神聖 その失効とその再考」を掲載し、関西哲学会で「人間はいかなる意味で存続すべきか」という題目で報告した身にとって、関心を共有できる研究者と会えるのはたいへんうれしい。特色GPと学校インターンシップ導入マニュアルと教養教育改革とに忙殺されているなかで、つかのまの息継ぎ。ただ、札幌も暑くて、曇りがちだったけれども。ハルニレの林、コデマリの花、けむるような白いナナカマドの花に安らぐ思い。

2005年7月22日

  平成17年度文部科学省「特色ある大学教育プログラム」(特色GP)に関西大学から申請した「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える実践型学外教育の大規模展開」が採択された。じつは、2005年4月4日の項に記している「ドイツからの帰国後ずっと文案を練り直していた文部科学省への提出書類」とはこれのことで、ゲッティンゲンのホテルでむかえた朝にも、この書類の夢で目がさめたのだった。7月4日の東京出張は選定のためのヒアリングだった。取組責任者としての挨拶を関西大学高大連携のサイトにのせる。

  関西大学として特色GPに採択されたのははじめて。学長補佐などと似合わぬ職についている責めも、これで一応は果たせたことになるのであろう。

2005年7月19日

  午前の会議のあと、扇町の日本学生支援機構ビルに出向き、学校インターンシップ導入マニュアル編集委員会。まあ、予想されたことだが、編集委員長として分担しなくてはならない仕事がどうしても多くなる。帰途、サウナで汗を流し、後でビール。そういえば、昼はチャーシューめんだった。体に悪いことばかりしているような。

2005年7月16日

  昨日の会議で、ある学校の先生から「インターンシップ生にぜひ来てほしい行事があるのだが、大学の授業とかちあってこれない。公欠扱いに配慮してもらえないだろうか。私の知るかぎりでは、大学の授業は出席管理がそれほど厳しくなかったのでは?」という質問をいただいた。

  さて、きょうは、自分の担当する講義のレポートを採点中。その科目ではE-learningによる小テストを実施している。小テストの分は機械が集計するから、きちんと受験していない場合には、明確に数字になって表われてくる。 昔、大学生だった皆さん! 今の大学は、よくも悪くも、こんなふうなのです。そして、学生の出席率もまた意外にも(?)高いのです。

2005年7月15日

  伊丹市と高大連携に関する連携協力協定を締結。これで13自治体と締結。午後は学校インターンシップの受入校担当者連絡会議。そして、大学院の授業ひとつ。「あすから夏休みだ! さあ研究だ!」といいたいところだが、教養教育改革、高大連携その他、案件多く、作らねばならない書類も山のごとし。

2005年7月13日

  ふと7月のスケジュールをみてみると、月の前半、土日は除いて、会議のない日が2日しかない。企業のトップなんかならいざしらず、これで授業と研究もするというのは無理なような。一番やりたいのは研究で、次が授業だけれども・・・・・・。きょうも会議3つ。大学南門の横にむくげの木あり。紙のように薄い花びらが涼やかでよい。

2005年7月4日

  東京に日帰り出張。用を済ませて2時間ほど、神田の古本屋街を歩く。目当ての本は見つからず。しかし、古本屋街を歩いていると、時間がゆっくり流れるようで、気分はよい。中野重治の妹中野鈴子についての本を見つけるが、ちょっと値が張り、手が出せず。

2005年6月30日

  学校インターンシップの学校業務講座(7月2日も)に立ち会う。途中、中座して、1年生の演習科目の受講者を図書館ガイダンスにつれていき、帰ってきてから、過去の学校インターンシップ実践例について説明。きょうはこの講座のまえにカリキュラムに関する会議があった。難しいテーマなので議論が沸騰しかけたところ、この講座のために会議を打ち切って、キャンパス内を会場まで駆けてきた。どうも忙しすぎる。

  研究室にもどってちょっとした時間の空きに『断腸亭日乗』を読む。「昭和21年5月10日 晴、借家の庭に躑躅牡丹薔薇藤その他花樹多し(中略)流寓の身にとりては是亦意想外の幸福ならずや ほろび行く国の日永や藤の花」。荷風の文章は型で読ませるところがあって、そこにいやらしさもあるが、気持ちを立て直すのに役立つところもあり。

2005年6月29日

  大学コンソーシアム大阪の学校インターンシップ推進委員会に出席するため、大阪の扇町の学生支援機構へ。「独立行政法人日本学生支援機構 平成17年度大学等の地域的な連携を促進するための事業 ――支部における学生生活支援プログラム――」に、大学コンソーシアム大阪から申請した「学校インターンシップ導入マニュアル作成」が採択された(12申請に対して4件採択)。その編集委員長を命じられる。学内の仕事、山積しているうえ、さらにまた・・・・・・。仕事というものは自己増殖していくものだ。 からつゆで連日7月下旬なみの暑さの大阪に、きょうは、驟雨あり。少ししのぎやすくなる。

2005年6月25日

  大学基準協会第7回大学評価セミナー「大学から高等学校への情報発信――大学評価を媒体にして――」が関西大学で開催されたので参加する。媒体が大学評価だから大学の説明責任を切り口とするためしかたないのかもしれないが、話題が、入試、大学の研究・教育などの情報開示にとどまっている点が少し不満。連携というからには、もっとふみこんだ大学・高校間の関係づくりに進むべきだろうが。むろん、そのための前提が情報開示ではある。高校生の情報収集の進め方についてのリクルート社の方の報告、前高校長の方の高校における進路指導の実情の話はおもしろかった。

2005年6月24日

  学校インターンシップ内定者のオリエンテーションを行う。1時間の予定だったが、1時間半かかる。応募者が増えるほど、この事業の質の確保に心せねば。

2005年6月5日

  学校インターンシップを希望する学生の面接を行う。300名弱を13班にわけ、1日で済ませようというのだから、10時からはじめて5時までかかり、くたんくたんとなる。今年は学校側からは1500名程度の募集があったが、学生の応募数は去年と同様にとどまり、つまり、せっかくインターンシップ生を受け入れてくれる学校に派遣できないケースが増えるわけだ。

2005年5月31日

  大阪府内の某自治体の職員倫理委員会へ。案件少なく、めでたし。せっかく縁があるのだから、地域を歩いてみたいが、時間なし。

2005年5月15日

  日本法社会学会学術大会「法主体のゆくえ」の分科会「主体・ケア・物語」に招かれて報告する(専修大学)。どなたが呼んでくださったのか、ありがたいことだ。途中、雷が鳴り、ひょうがふった。この日と前日は神田祭だったが、涼しいくらいの陽気である。

2005年5月7日

  関西倫理学会委員会で同志社大へ。よい天気だが、雨気をはらんでいるように感じる。若葉が照り映える季節だが、会議して、議論して、お酒飲んで、帰ってきただけのような。この時節の真如堂のもみじの新緑、東寺のくすのき、それからもう少し梅雨が近づいてくると、東山のむせるような青葉のにおい。京都の季節の推移はいつも美しい。

2005年4月27日

  きょうは9:00-11:45に将来構想に関わる会議、その後12:30まで、文部科学省に出す書類についての打ち合わせのための打ち合わせ、いったん大学を出て扇町にある学生支援機構へ行って、14:00-16:00、大学コンソーシアム大阪の学校インターンシップ推進委員会。そのまま久しぶりに本屋にいきたいところを大学に帰って、16:45から18:00まで書類作り。別の件で別の組織に電話して18:30-21:45まで書類作成。22:00に大学を出る。会議の恐ろしいところは、会議をするために会議が必要で、会議をするために会議にかける資料を作る必要があることだ。これを考えれば、たくさん出席していても、ただ会議に出るだけのひとなど、ひまなもんだよ。

2005年4月7日

  関西大学の授業は昨日から始まったが、私の授業はきょうから開始。うーん、学内行政(変なことばだが、大学教員が教育・研究面での組織の管理運営に関わる業務をこういう)の負担が多すぎて、こんな程度の準備でいいのかと思うが、授業はしなくてはならない。廊下を歩いていると、「あ、しながわせんせえだ。こんにちわー」といってくれる学生がいる。そんな声に励まされてどうにかもっているようなものでございます。>_<

2005年4月4日

  ドイツからの帰国後ずっと文案を練り直していた文部科学省への提出書類、完成。午後には関西大学の講義を高校生に開放するKan-Dai 15セミナーの挨拶。あさってからは新学年。学長補佐としての仕事に追われるうちに講義の準備が充分できていない!「年のうちに春は来にけり」という心境。

2005年3月22日

  時差ぼけで12時開始の会議に遅刻。4時から京都市教育委員会と関西大学の連携協定締結のため、京都市役所へ。すでに相当の学校ボランティアを経験されているだけに、教育長のお話には、学校インターンシップなどで思い当たることが多く、わが意をえた思い。これで関大が連携した教育委員会は、大阪府、神戸市、大阪市、長岡京市、高槻市、吹田市、東大阪市、茨木市、箕面市、豊中市、摂津市につづいて12番目となる。

2005年3月5日−21日

  ドイツに出張。ベルリン自由大学ハンス・ヨナス・ツェントルムのベーラー所長とお会いし、また、ケルン大学のブルクハルト教授とお会いする。それぞれ討議倫理学とヨナスを研究されている方である。私の目下のテーマのひとつである正義と責任の関係から訪問したわけだ。問題のありどころについてある程度共有できた。励ましとなる。

  5日にフランクフルトからベルリンに向かったときには、吹雪で飛行機が遅れ、ベルリンは昼間がマイナス3度。ところが、旅の途中から急に春めいてきて、ケルンでは15度、帰国するときのフランクフルトは20度まで気温があがっていた。最初は雪景色だった野原が緑に変わり、しらかばや唐檜の枝先がかげろうでけぶっているようにみえる。

  どういうわけか、旅行者の私に尋ねるひとがいる。フランクフルトの市内電車の停留所では、ドイツ人の老婦人に「ここは横断禁止か?」と聞かれた。(私がこの町についたのはつい3分前のことなのです)と思ったが、"vielleicht verboten."(禁止でしょうね)と答えると、何か聞き取れない小声でいいながら向きを変えた。おそらく、「市役所の奴らが勝手に規則を作りよって」といった意味なのだろう。また、列車のなかで「きょうの食堂のメニューを知っているか」と聞かれたこともある。「私のほうにもあいにくメニューがないのです」。ドイツの列車は食堂車のメニューが座席におかれているのだが、なぜかその列車にはなかった。

  ハイデルベルクの駅のなかの本屋に哲学書のコーナーがあって、ヘッフェの小哲学史などが売られていたのには感心した。ベルリンの本屋にはコミックコーナーがあって、ドイツ語訳した日本のマンガがずいぶん出回っている。いろいろ面食らうこともあったが、久しぶりに会議から解放されて気分転換となった。

2005年2月21日

  某大学の医学倫理委員会へ。はじめての顔合わせと案件数件。以前、和歌山県立医大に勤めていた頃のことを思い出す。久しぶりに医学部特有の雰囲気。

2005年2月7日

  関西大学新キャンパス構想について理事長と学長の記者会見があった。JR高槻駅北側に幼稚園から大学、大学院、社会人教育までそろえた新キャンパスを造るという内容。NHKは17:00のニュースで流したそうだ。

2005年1月12日

   高大連携の件で京都市役所を訪問。関西大学大学院外国語教育研究科が京都市立御池中学校の英語授業に協力している。京都は小雪が舞う天気。学生時代、京都の町に小雪が乱舞する景色は好きだった。底冷えする寒さのために、京都の雪は固いのだ。大阪に来るとしぐれとなる。

2005年1月7-8日

  日本文化研究センター共同研究会「日本の近代化過程における技術と身体の思想」第5回共同研究会へ。日文研に1泊。  

 

 

 

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