訳者による南仏紀行 (Part7)

12.ビュウックス村 -小さな村から大きな環境保護-
 アプトから6キロ,ボニューからも5キロほどのところに,ビュウックス(Buoux)という人口110人ほどの小村がある。英国人ピーター・メイルの紀行『南仏プロバンスの12か月』により一躍脚光をあびることになったリュベロン地方の小村群の一つで,いわゆる観光地化・別荘地化することなく素朴で広大な自然そのものの美しさを保持している稀有な存在の村となっている。岩肌が剥き出しになった山が連なっており,ロック・クライミングの聖地の一つでもある。この村でオーベルジュ・ド・ラ・ルーブ(Auberge de la loube)というレストランを経営するモーリスは,自分が母親から食べさせてもらったような伝統的な郷土料理をお客さんに出すことに生きがいを感じている。 『南仏プロバンスの12か月』で,クリスマスのディナーの予約をし忘れ,あちこちのレストランで食事を断られてきたピーター・メイルが,モーリスのはからいで食事をとるエピソードの舞台としてこのレストランは登場する。ここは何度も訪れても,10ほどの小皿に決め細やかな郷土料理が盛られた「プロヴァンス風オードブル」には飽きることがない。
プロヴァンス風オードブル

プロヴァンス風オードブル ビュウックス村 オーベルジュ・ド・ラ・ルーブ

 モーリスのレストランから歩いて数分のところに,広大なラヴェンダー畑に囲まれたラ・グランド・バスティードという民宿がある。ここのケラさん一家とは,既に述べたように,「南仏ドットコム」という南仏観光案内のWEBサイトを運営している芝田さんに1997年に紹介していただいて以来,何度も繰り返しこの民宿に滞在して家族ぐるみの付き合いを続けてきた。
 ご主人のジャン-アラン・ケラ氏は,パリの名家の出身で,大学の原子物理学教授の助手を10年間,次にマーケティング調査の独立コンサルタントを務めた。独立コンサルタント時代は,1年の半分ぐらい仕事をして,残りの半分は読書や映画鑑賞三昧をしていた。しかし,そういう生活に行き詰まりを感じて,農業への転身を決意した。当初,エクス・アン・プロヴァンスの郊外で土地を探していたが,街の近くは値段が高かたので,だんだんと土地探しの半径が広がっていった。最終的に1979年にビュウックスの村に広大な土地を買って,最初は農業だけを営んでいた。やがてこの農家を民宿用にたった一人の手で改造して,民宿を開業した。ある日やって来た女性旅行客が,いつまでも帰らなくなって,結局結婚してしまったのが,奥さんのヴェロニクさんだ。彼女は,古典的な家具や額縁の金の部分の補修をする金塗装師だ。
 プロヴァンス地方では,7月になると,ラヴェンダーが満開となる。あちらこちらで紫の絨毯を敷いたような美しい光景が見られる。ラ・グランド・バスティードでも,8月に入ると,ラヴェンダーの収穫時期となる。のこぎりくわがた虫の頭のような装置がついたトラクターで刈り込まれ,束にされたラヴェンダーがトラクターに積み込まれる。アプトへ下る道沿いにある蒸留所に運び込まれたラヴェンダーは,大きな装置で蒸留され,香水や石鹸の元となるラヴェンダー・エッセンスが抽出される。
 ご夫妻とも口を揃えて「民宿に来るさまざまなお客さんとの交流が面白い」と言う。問題点として,ジャン-アランは「農業が支える自然環境の保護と,観光客の確保との両立」の問題を指摘してくれた。ラヴェンダー栽培については,「7月に咲くラヴェンダーは美しく,本当にいい香りがするので,接していて楽しい。一方,雑草との戦いは本当に大変だ」と語ってくれた。
ラ・グランド・バスティード (La Grande Bastide)
84480 Buoux
e-mail : cayla.bastide@wanadoo.fr
*共有キッチンのコーナーがある民宿。民宿の前はラベンダー畑。村長がオーナー。
ビュウックス村 ジャン・アラン・ケラ村長の民宿とラヴェンダー畑

ビュウックス村 ジャン・アラン・ケラ村長の民宿とラヴェンダー畑

 さて, 2001年の市町村議会選挙が行われ,アニアーヌ村では,モンダヴィの進出計画の是非が問われ,反対派のマニュエル・ディアズが当選して注目を集めたが,このビュウックス村では,ジャン-アラン・ケラ氏が村長に初当選した。ラヴェンダー栽培を中心とする農業と民宿業を営んでいたジャン・アランが村長職に立候補を決意するに至ったきっかけの一つに,自らがこよなく愛するリュベロンの美しい自然を守らなければならないという強い使命感があった。前村長は,観光施設の開発に傾きかけていたのだ。
 フランス全土が酷暑に見舞われた2003年夏,国営テレビ・フランス2の夏の連続ドラマは,その名も『酷暑の夏』で,舞台はリュベロン地方であった。村長ジャン・アランの自宅兼民宿は,ドラマの中で主人公一家が住む家として撮影に使用された。このドラマが放映された夜,その鑑賞会に同席させてもらったが,ヴェロニクの言葉が印象的だった。「村は変わった。大きなリスクをとって,ジャン-アランが村長になって本当によかった」
 村長ジャン-アランの持論は明快だ。
 「観光振興によりリュベロンの村々の財政は潤い得る。しかし観光客のための施設をいくら充実させても,リュベロンの自然保護そのものには繋がらない。観光客が魅力を感じて訪れてくれる美しい自然環境を保護するためには,それを手入れする人が必要だ。それは農業に従事する人たちにほかならない。風光明媚な景観の維持は,実は農業の充実によって保証されているのだ。農業をないがしろにして目先の観光振興に走ってはならない。人口110人の小さな村が,自然環境保護には大きな役割を担っているのだ」
 ジャン・アランは言う。「こんな小さな村でも,民主主義は守られなければならない。フランス国家の法律は守られなければならない。村長として2つの役割がある。まず第一に,この人口110人余りのコミューンの舵取りをすること,第二に,国の代理人として,この小さなコミューン内においても国家の決まりごとを住民たちに守ってもらうことだ。つまり,この小さなコミューンにおいても,共和国の精神を遵守してもらう(faire respecter la république dans cette petite commune)のが私の役割だ。また重視しているのが,若い世代への投資だ。したがって子供たちや若者たちのためのアソシアシオン(子供会・青年会)を結成している」
 「日常的に直面している問題点は,1800ヘクタールの面積に住民が110人しかいないということで,常に,住宅地建設と,観光施設建設の圧力を受けているということだ。農業に理解のなかった前村長は,その圧力に屈しかけたことがある。しかし,忘れてはならないことがある。人口10万人のエクス・アン・プロバンス市の面積は約5000ヘクタールだ。ビュウックスはこのわずかな人口で,エクス・アン・プロバンスの面積の3分の1に相当する面積を保有している。しかも,その土地は農業従事者によって手入れされ,素朴で実に美しい自然環境が保護されている。かくも小さな村の村長であるが,農業を軽視して,住宅地建設や観光施設建設による環境破壊の圧力に屈すれば,一気に大きな環境破壊のリスクを招いてしまうことになるのだ。繰り返しになるが言っておこう。小さな村が,自然環境の保護には大きな役割を果たしているというのはこういうことなのだ」
 小さな村が,重要な役割を担うというこの構図は,アニアーヌ村で起こったモンダヴィ事件にもそのままあてはまる。かくして,オリビエ・トレス氏の言う「テロワールとの近接性・結びつき」を大切にする人たちとの交流録を通じた,本書の舞台めぐりを終えよう。

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