訳者による南仏紀行 (Part5)

6.セート -ラングドック地方のヴェニス-
 エクス・アン・プロバンスに住んでいた時,気分転換に車で約1時間のところにあるカシ(Cassis)やラ・シオタ(La Ciotat)という地中海の海辺の街によく行った。それと同じように,モンペリエに住んでいた時は,約1時間ほど西南に車を走らせてよくセート(Sète)に出かけた。セートは,1666年に,ミディ運河(Canaldu Midi)を築いたピエール=ポール・リケ(Pierre Paul Riquet)によって建造が始まった港町で,ミディ運河の地中海への出口になっている。世界遺産に登録されているミディ運河は,全長240キロで,セートからツールーズの街を結んでいる。ツールーズの街を流れるガロンヌ川は大西洋岸のボルドーへ至っており,こうして地中海と大西洋が水路で結ばれている。セートは運河が縦横に走り,サン・クレール山(Mont Saint Clair)の丘がそびえる「奇妙な島」のような外観の港街で,ラングドック地方のヴェニスとでも呼びうる存在だ。今もフランス有数の漁港としての存在感を見せている。詩人ポール・ヴァレリー(Paul Valéry, 1871-1945),歌手のジュルジュ・ブラッサンス(Georges Brassens, 1921-1981)の故郷であり,本書の作者オリビエ・トレス氏の故郷でもある。ヴァレリーの眠る海辺の墓地がある。この街の名物でタコをトマトソースで煮込んだものを詰めた円形のパイのティエルは手頃でおいしい。セートは,ジュット(Joutes)と呼ばれるラングドック地方の運河特有の競技の中心地で,毎年夏のサン・ルイ祭りでのジュット大会は大きな盛り上がりを見せる。この世にも珍しい競技では,運河を進む二隻の船がすりちがいざまに,船上に立つ競技者が互いに相手が持つ楯を棒で突き合って落とし合う。街には,ジュット競技者を養成する学校がある。
ティエルの味,ジュット競技観戦と共に,訳者にとって忘れられないセートの街の思い出は,2006年2月3日にセートの競技場で行われたフランス・サッカー2部リーグのセート対グルノーブル戦だ。前年2005年の日本のJリーグで,ガンバ大阪の初優勝に大きく貢献し,2006年に入ってグルノーブルに移籍した大黒将志選手が,この試合で,見事フランス移籍後初ゴールを決めた。日本のマスコミを除けば,この片田舎の競技場に応援に来ていた日本人は訳者と長男の2人だけだった。地元セートのサポーターの罵声を浴びながら,私たちは大黒のフランス初ゴールの瞬間を用意したプラカードを掲げて喜んだ。田舎の小さな競技場ならではのことだが,試合後,選手通用口で待って,日本企業が所有する唯一の欧州サッカーチームであるグルノーブルの日本人GMの方の話をうかがったり,大黒選手と握手して快挙を直接祝福することができた。この様子は「幸運日本人親子」の小見出しで,翌日の日刊スポーツ1面の片隅に掲載された。
 モンペリエから南西へ36キロ,独特の雰囲気を持つ港町セート。人口39500人。ジュート競技に熱中するセトワ(セートの人)の人たちの熱い心意気が,この街出身のオリビエ・トレス氏が執筆した本書にも脈々と流れているように思う。
7.ミヨー -グローバリゼーション反対運動のシンボルとなった街-
 ラングドック地方の北側に,中部山岳地帯(Macif Central)のオーヴェルニュ(Aubergne)地方がある。ラングドック地方とオーヴェルニュ地方を結ぶ中継地点に,アヴェロン(Aveyron)県のミヨー(Millau)は位置する。ミヨーを起点に,昆虫学者アンリ・ファーブルの生家があるサン・レオン村や,サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にあるフランスで最も美しい村の一つコンク(Conques)を巡ることができる。タルン(Tarn)川沿いのこの街は山間の谷間にあるため,クレルモン・フェランとベジエを結ぶ高速道路がここで分断され,慢性的な交通渋滞を引き起こしていた。この交通渋滞問題を解決すべく,2004年12月に,ミヨーを見下ろす形で,山と山との間を結ぶミヨー高架橋(Viaduc de Millau)が完成した。ミヨー高架橋は全長2460メートルで,高さは最高の地点で343メートルで,「世界一高い橋」となっている。近くには,世界的に知られたブルーチーズの産地ロックフォール(Roquefort)がある。マ・ド・ドマス・ガサックの当主エメ・ギベールは,アニアーヌに移住してワイン生産に転ずる以前は,この街の名産物である手袋を製造する会社を経営していた。グローバリゼーションに伴う韓国製手袋の輸入解禁によって,ミヨーの手袋産業は打撃を受け,ギベールの会社も倒産に追い込まれた。
 この街がフランス全土のみならず全世界から注目を浴びたのは,1999年8月12日の出来事による。この日,リーダーのジョゼ・ボヴェが率いるフランス農民同盟(Confédération Paysanne)と市民のデモが「欧州が米国のホルモン肥育牛肉の輸入を禁止したことへの報復として,アメリカがフランス産のロックフォール・チーズに対して制裁課税したことに対する抗議」として,マクドナルドを「多国籍企業による地域文化の破壊のシンボル」に見立てて,ミヨーに建設中だったマクドナルドの店舗を解体してしまった。
 モンペリエ第一大学経営学部のERFI(企業産業研究班)における1年間の滞在を終えようとしていた2006年の7月末に,ミヨーを再訪した。同行した京都市の町田さんと共に,ミヨーの街へと下る山の中腹の道路沿いにあるマクドナルドの席に腰を下ろしてみた。店の駐車場からは,ミヨー高架橋が見える。ごく普通に営業されている店内の様子からは,かつて,この場所で,世界中の注目の集めた反グローバリゼーションの事件が起きたとはまったく想像できない。思えば,1983年に筆者が初めてフランスを訪れたときには,マクドナルドはフランスに全く存在しなかった。その後の25年間で,マクドナルドのない街を探す方が難しくなってしまった。
8.プロヴァンス地方・リュベロン地方
 「ワイン・ウォーズ」「グローバリゼーションとテロワール」というテーマに関連した取材先として,モンペリエを起点とするラングドック・ルシヨン地方から,エクス・アン・プロヴァンスを起点とするプロヴァンス地方に目を向けてみよう。
 歴史的には,紀元前の600年ごろに,ギリシアの移民によりマルセイユが建設されたことが,この地方の起源となる。紀元前後に古代ローマが進軍し,ローマ文化を取り入れた街,例えばアルル,オランジュ,ニームなどが栄えた。5世紀から10世紀にかけては東方民族の侵入により,暗黒時代的な時代が続いたが,11世紀ごろから修道院や教会が建ち始め,14世紀にはローマ教皇をアビニョンに迎えるなどして,再び繁栄の時期を迎える15世紀には,善王ルネがエクス・アン・プロヴァンスを首府としてプロバンス地方を治めて,芸術や文化の華やかな時代を迎えた。しかしこの善王ルネが亡くなると,プロバンスは独立を失いフランスに併合され,フランスと運命を共にして,ルイ王朝やフランス革命を経験した。時が流れて19世紀になると,多くの芸術家が風光明媚なこの地方を好んで訪れて,ヨーロッパ中にプロヴァンス地方の魅力が伝わった。
 独特の強烈な個性を見せるこの地方のテロワールによる名産物をまとめてみよう。
 ①「セミ」:プロヴァンス地方のシンボルマーク,②「プロバンス・プリント」:緑,赤,青などを中心にした色鮮やかで花柄模様が中心のプリント生地で,タラスコンという街に本拠のあるソレイアードが有名なブランド,③「パスティス」:アニスやウイキョーなどの香草から作られるお酒で,プロヴァンス語で「混ぜ物」の意味アルコール度は40~50度で水に割って飲みます。食前酒の定番で「リカール」や「ペルノー」などの銘柄,④プロバンス料理に欠かせない「ニンニク」,「オリーブ油」,各種「ハーブ」,⑤オリーブ:「塩漬けオリーブ」など,いろいろな形でプロバンス料理に使用,⑥「カリソン」:エクス・アン・プロバンスの街の名物は,プロヴァンス地方名産のアーモンドのペーストに卵白と砂糖をのせたというエクス・アン・プロヴァンス名産のお菓子,⑦「トリュフ」:「黒いダイヤモンド」と呼ばれる世界3大珍味の一つ,⑧「ペタンク」:地中海沿いの街ラ・シオタを発祥の地とするフランス国民的競技と言える鉄球投げゲーム,⑨「ラヴェンダー」:色とりどりの花が咲くこの地方でもとりわけ美しく芳香な花で,7月に満開となり,オイルやエッセンスに加工される,⑩「ミストラル」:ローヌ川からアルプスの冷気をともなって吹き下ろす強風で,プロヴァンス語で「風の親方」,⑪「サントン」:クリスマスの季節に家庭で「クレーシュ」と呼ばれるキリスト誕生の情景模型を飾るのに用いられる人形で,プロバンス語で「小さな聖者」を意味する。
 訳者が,この風光明媚な地方に出会ったのは1997年8月28日にフランス政府給費留学生として,留学先のエクス・マルセイユ第三大学のあるエクス・アン・プロヴァンスの街の駅に降り立ったときのことだ。以来,南仏探訪が始まった。特に,エクス・アン・プロヴァンスからさらに山間にあるリュベロンという美しい山岳地帯に,何度も足を運ぶようになった。リュベロンは,メネルブ村に移り住んだ英国人作家ピーター・メイルが1990年に発表したエッセー『南仏プロヴァンスの12か月』(全世界で500万部のベストセラー)で一躍脚光を浴びるようになった。
 リュベロン地方を初めて訪れたのは,1997年の9月に,現在は諏訪市でしんしゅうアソシエーツを経営されている芝田さんに案内していただいたときだった。ルールマランやボニューなどの美しい村を初めて目にしたこの日,芝田さんから,ビュウックスという小村で民宿ラ・グランド・バスティードを運営しているケラさん一家を紹介していただいた。 同じ年頃の男の子の兄弟を持つという共通点もあって,その後,現在に至るまで,キッチン付きのこの民宿,ならびに周辺のジットに,ヴァカンスの滞在先あるいは調査の拠点として,数えきれないくらい滞在してきた。
しんしゅうアソシエイツ
主な業務内容:高品質ライブカメラ開発と運用に伴う技術開発,
デジタル・プレゼンテーション,ウェブ・サイトの企画制作
長野県諏訪市 e-mail :info@shinshu-a.com
しんしゅうアソシエイツが運営する「南仏ドットコム」(南フランス観光案内サイト)

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