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2005年06月25日

英国プライベート・ブランドの発展過程(上)(矢作 1999)

要約
 この論文は英国における第2次大戦前のPB開発の初期的状況について述べられている。ここでは英国や他の欧州諸国におけるPB開発の起源とも言える生協と,それに台頭した小売企業としてマークス&スペンサー(以下M&S)の事例について取り上げられており,生協はまじりっけがなく,量目が確かで,適切な利潤の商品の確保を目指したとしており,一方で一定限度額の高品質の商品を提供することにより差別化を試みたM&Sは,生産過程の上流にまでさかのぼることにより,独自の価値ある商品開発を行ったことが述べられている。両者のPB開発における目的と動機には微妙に差異が認められるが,品質や価格面で十分に商品供給体制が整備されていない状況において大量販売力を背景に良質で廉価な商品を,流通業者自らが開発し販売する責任と権限を担ったという点においては同一であると述べられている。

1.生活共同組合
 英国や他の欧州諸国においてPBが初めて広く導入されることとなったのは,1844年英国のロッジデールで最初の店舗を開設した生活共同運動においてであると述べられている。食料品の供給不足がひどいことによる様々な疑惑と結びつき,生協のPBは消費者の強い支持を得ることに成功したと述べられており,早くも19世紀末に流通企業として初めて大量販売力を背景に加工製品の製造を開始し,海外を含めた産地やメーカーから大量仕入れを行ったとしている。1980年代以降,生協の卸部門は良質な生活必需品を適切な価格で提供するという社会的使命の実現に向け,調達した商品に固有の名称を付けて販売し,これが「Co-op」ブランドの起源になっていると述べられている。しかしながら生協を脅かす存在としてマルチプルズや一般消費財メーカーが台頭したとしており,卸部門と小売部門が組織的に分離,独立している上に小売部門が各地域の生協に分かれている生協は各地域生協の管理が不十分であり,中央本部の一括仕入れの規模の経済が働きにくい組織・管理体制であったという問題点が述べられている。

2.M&S
 両大戦期間マルチプルズが急成長し,その中からM&SのようにPB開発に秀でた小売企業が出現したと述べられている。M&SにおけるPBは不況と輸入品の急増に悩んだコラー社がM&Sの大量注文に関心を持つようになり,ひそかにM&Sに向けた女性用ストッキングを供給し始め,その後これが「セント・マイケル」と名づけられたことにより始まったとしている。M&Sが発注した商品をすべて買い取るということを条件に前もって生産設備の一定の割合を確保することにより,メーカーは営業や広告費の削減や,安定操業と原材料や人手の計画的な確保が可能になったとしている。さらにM&Sはコラー社との直接取引によって1ダースあたりのストッキングを1シリング浮かせることに成功し,その1シリングの1部を製品の品質改善のための共同作業に当てたと述べられている。費用の削減は製品価値の向上というかたちで顧客に還元され,結果として従来に比べ販売が急激に増大し,利潤においても小売企業,メーカー双方で大幅に改善されたと述べられている。また,1930年代にM&Sは繊維メーカーのブリティッシュ・セラニーズ社に対し婦人下着の新素材開発を依頼し,「V-30」というレーヨンが「セント・マイケル」の生産を行う縫製工場にもたらされたとしており,その後も高品質の様々な素材が開発され,原材料にまでさかのぼる商品開発の先駆的な事例となったと述べられている。また,M&Sの供給業者に対する支援は奥深く,商品の品質の決定や向上させる仕様や製法だけに留まらず,さらにその先の工程である原材料の選定,費用引き下げにまで及ぶとしている。メーカーと接触し,消費者が必要とする商品を適切な価格において販売するためにPB開発を行ったという点ではM&SのPB開発の動機は生協と同様,商品の供給確保であると考えられるが,M&Sの欲していたのは消費者にとって「価値のある」商品であったとしている。小売業の競争が激化していた両大戦期において,競合店が扱うことができない魅力のあるPB商品を提供することが競争差別化の有効な手段であると認識されていたと述べられている。以上のように1930年代M&SがPB開発に急傾斜したのは供給される商品の制約条件を克服するという目的によるものであるとしており,販売・流通・生産の各段階を統合する力になったのは技術指導の重要性を認識していた経営者の理念であり,主体的選択の結果であったと述べられている。

 結論は次の通りである。現代におけるPBはNBと比較して劣等財的なイメージが強いが,生産と流通が未発達な状況においてPB開発は,とくにM&Sの場合において品質信頼性を確保するという競争手段としての側面を合わせ持っていたと考えられるとしている。

論点は次の通りである。M&Sについては肯定的な見解のみが述べられているが,戦前M&Sにおいて負の要素はなかったのだろうか。

出典:矢作敏行(1999),「英国のプライベート・ブランドの発展過程」『経営志林』第36巻3号,33―43ページ。

投稿者 02takenaka : 2005年06月25日 23:36

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