日々雑記


檀王法林寺と沖縄

2023-4-1

京都産業大学むすびわざ館ギャラリー「檀王法林寺と沖縄」展を拝見。

展示点数は少ないものの、『琉球国由来記』を執筆した袋中上人(慶長16年(1611)帰国)へ尚寧王(在位1589年~1620年)〔1609年~1611年:国質(人質)〕から贈られた資料も展示。
なかでも司馬温公家順螺鈿掛板、黒漆文字入螺鈿曲彔、朱漆垣松螺鈿中央卓、鼎形香炉は必見である。特に前3資料は「琉球王国文化集積再興事業」で採用したいほど。
資料をみているうちに、ここは沖縄県立博物館・美術館の収蔵庫かと錯覚するほど。

4月1日(土曜日)ということもあって入館者は少ない。じっくりと各資料を拝見。図録も頂く。

充実の新年度スタート。

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めちゃびっくり

2023-4-3

15:30より新入生向け専修別相談会と専修概要説明あり。

「1年生時は幅広く作品に触れる、学ぶということを大切にして下さい。私の専門は仏教彫刻であっても、皆さんあまり興味ないでしょ。(プロの)大学教員、東西の美術作品はなんでも指導できます」と。

ところが、学生から「仏像はしないのですか?」と。いやいや、「あなたに関心があれば十分すぎるほど指導します」と弁明。
そのほか1年生から見学会を希望。事前に連絡するので連絡先を乞う。
こんなこと(2022-11-20)櫻井忠剛と原田直次郎 もあって、このところ見学会の開催もかなり消極的気分だったのだが。

なにより驚いたのが、専修概要説明の時には教室がほぼ満席になったこと。
これまでこの行事は教室半分程度が埋まるほどだったのに。
ついには、こちらのTwitterを見ていた学生(フォローしました)も現れる。

異例尽くしの専修別相談会。

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甲斐荘楠音 展

2023-4-5

午前中、京都国立近代美術館「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性」展へ。 入館後にふむふむと作品を見ていたが、《舞ふ》(1921年)、《幻覚(踊る女)》(1920年)あたりからえっ?となり、あらっとなって展示は映画・衣装に移り最後は《畜生塚》(1915年頃)、虹のかけ橋(七姸)(1915~76年)で終了。
これが甲斐荘楠音の全貌とすると(現実にはそうだが)、絵画の実力は如何ほどだったのだろうかと。

甲斐荘楠音がセクシャルマイノリティで、1920年(大正10)に丸岡トクと結婚したもののすぐさま破局を迎えたこともあろうが、《舞ふ》を第3回帝展出品(落選)するなど不思議な行動に出る(私が審査員でも落選の烙印)、自由な創造発表の場であるはずの国画創作協会展(第5回)で『女と風船』が土田麦僊に陳列を拒否されたのは不幸としか思えないが、越境性といえども結局のところ、"絵"から逃げたかったのではなかったか。代表作《横櫛》からの進歩は感じられない。

関心があるので見に行ったのではなくゼミ生が甲斐荘を扱うというので、予習かたがた。
思っていた以上に難題。

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よい子はマネをしてはいけません

2023-4-6

昨日朝、信濃善光寺から賓頭廬尊者像が盗難されるも、本日昼前に犯人逮捕、像も発見。

報道をみると、警察が像を運んでいる写真。
誰かが呟いていたが、像の持ち方が2人で裳先を持って運んでいる。刑事(警察)が仏像を運ぶことなど未経験なので仕方がないといえば仕方がないが、非常に怖い。

警察だけでなく、一般の人や住職でも然り。
以前、等身大の立像で両肩に新しい接合痕のある像を見た。
どうも檀家さんが移動の時に脚と両腕を持って運んだ際に両腕が取れたそうである。
文化財防火デーなどで、文化財避難のデモンストレーションで箱を持ちだす光景を見かけるが、あれは辞めたほうがよい。常に箱入りの状態であるとは限らないのだから。
盗難ともどもよい子はマネをしてはいけません。

今日から授業開始。

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北海道の近世彫刻

2023-4-7

過日、異分野の研究者から黒田高山についての情報をお寄せいただいた。これで2度目である。ご厚意に深謝。
国会図書館デジタルコレクションが便利と共感しつつ、改めて「黒田高山」を入力。

『日光東照宮修営志』もヒットするが、北海道教育庁日高教育局『日高の教育 平成27年度』も。読んでみると、北海道様似町等澍院の薬師三尊像が黒田高山作、像は文化元年(1804)に等澍院が蝦夷三官寺の首席に推された当時からの本尊、と記されている。

北海道の近世彫刻といえば、平取町・義経神社の義経像(2018-7-21 義経像)を制作した法橋善啓(2022-6-16 幸啓と幸慶)を思い浮かべるが、黒田高山までもとは驚きである。

等澍院が首席に推された蝦夷三官寺は、伊達市有珠町善光寺(浄土宗)、様似町等澍院(天台宗)、厚岸町国泰寺(臨済宗)。厚岸町って釧路のまだ先じゃないの。
そんなところにまで江戸時代に寺があったとは。

改めて北海道も見直さなければ・・・。

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大人の事情

2023-4-8

今日は仏生会(灌仏会・仏誕会)。釈迦が生まれた日とされる。各地で“花祭り”が開催。

Twitterで奈良・薬師寺仏生会を拝見。
行われたのは大講堂。
仏足石があるので問題ないが、奥に見えるのは“弥勒如来坐像”である。左右には法苑林菩薩像・大妙相菩薩像。
“弥勒如来坐像”との間には阿僧伽菩薩(無著)・伐蘇畔度菩薩(世親像)。2007年に彫刻家 中村晋也氏の制作奉納。

さして問題ないようにも思えるが、“弥勒如来坐像”と法苑林菩薩像・大妙相菩薩像は、近世には「阿弥陀三尊像」(像内納入品・古磵筆「薬師寺縁起」)、近代以降は「講堂所在薬師三尊像」とされてきた。『稿本日本帝国美術略史』(明治34年・1901)にも、「天智天皇時代の彫刻物」として薬師寺講堂薬師三尊銅像と紹介されている。
こちらが学生の頃でも、制作時期は下るものの薬師三尊像として理解されていた。

阿弥陀三尊像→薬師三尊像→弥勒三尊像の変遷は、大人の事情によるものである。

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関西のダビデ像

2023-4-10

旧聞ながら、アメリカの小学校で11~12歳を対象とする美術史の授業で、ミケランジェロ「ダビデ」、「アダムの創造」、ボッティチェリ「ビーナスの誕生」を取り上げ、当該写真を生徒に見せたところ、保護者から「子供がポルノを見せられた」と苦情が寄せられ、校長が辞職との ニュース

似た経験談。
授業「旧約聖書の絵画」でダビデとゴリアテの内容を話す。ミケランジェロ「ダビデ」の背面も紹介。
サウル王の前で竪琴を引くダビデの話もした。
ミニッツペーパーでミケランジェロ「ダビデ」についてのコメントを求めたら、とある男子学生。
「ゴリアテを倒してひと風呂浴びようとするダビデ」!?

授業後に呼びだして「なんでひと風呂なん?」と聞けば、「『テルマエ・ロマエ』の場面じゃないっすか?」と。絶句。
立腹しつつ「じゃ、右手に握っているものは?(怒)」の問いにも「石鹸!」と。
授業を全然聞いてへんやないか・・・というより、どうやら寝ていたようである。

これが関西のダビデ像。美術不毛の地、関西ならではの迷回答。
アメリカも関西もさほど変わらないことを実感。

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和泉か~い?

2023-4-12

国会図書館デジタルコレクション「地図」から。

海軍省水路局「自東京海灣至和泉海 日本・本洲南岸」(明治30年〈1897〉3月刊)。
「和泉海」?
大阪湾の誤りじゃないかと思いつつ、当該地図をみるとやはり和泉海。IDZUMI SEAとある。大阪は「大坂」。

Wikipediaでは、昭和29年まで海軍省や海上保安庁が「和泉灘」とし、昭和41年まで「大阪湾(和泉灘)」と併記していたとされるが、「和泉海」についてはまったく触れていない。
知りたいところに手が届かないWikipedia。

「和泉海」、「和泉灘」、「大阪湾(和泉灘)」、「大阪湾」と変遷しそうなのだが。

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ビンゴ・ゲーム?

2023-4-13

授業が終わり、ちさと図書館へ書籍返却。途中で吹田市議選のポスター掲示板を見る。
数字がバラバラ。市議選はビンゴ・ゲーム?

どうも前回の市議選で、某党の候補者全員が番号抽選会場に欠席、欠席者全員のポスターを不参加候補者の1箇所(末番)に集めたところ、逆に目立ったことからアトランダムにしたとのこと。

吹田市民ではないが、そんな前例があるなら条例(選挙公報発行に関する条例)改正して、公的掲示板の貼付を禁止すればいいものを。
確か、公的掲示板以外にもポスターを貼ることができる。それでも厭なら番号抽選会に代理人を出席させるべきだよ。
市職員の無駄を省け(←公約あるある)と言う割に、市職員に無駄を強いる市議たち。

被選挙人の権利もよいが、選挙人への公約はもっと大事だよ。

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ミニシアター

2023-4-14

授業も1クール終わって、12日に受講者確定。(それまでお試し期間)。

今日は日本彫刻史。普段は10~20名程の受講ながら、今年は60名弱。もうびっくりである。

きっと講義内容ではなく、この教室を使用しているからだと思う。おそらく学内唯一の“ミニシアター”風教室(定員80名)。

授業時には教卓を除去し(下の画像)、スクリーンを降ろすと、正面ホワイトボード幅超えの大スクリーンが現れる。

ここに仏像を大写ししての講義。
この仏像の像底は…とか、玉眼の目尻、目頭には…とかを説明予定。今日は飛鳥時代後期(金銅仏・木彫)ながら細部までバッチリである。

ただ難点はサイドテーブル付ふかふか椅子。経験上、講義が難しくなると居眠りも多発。

この大画面を使って何を投影しようかと、従前のパワーポイントにあれこれ追加。
畢竟、深夜帰宅する羽目に。

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学究

2023-4-16

某日、日本史学徒なら誰もが知る高名な先生(重鎮)からメールが届いた。知人の方が某寺の仏像を見てほしいとのご依頼。
何も小生でなく彫刻史の先生がおられるのにと読んでいくと、某寺は黄檗宗。なるほど・・・。

本日、調査に出向く。
天王殿に1mほどの四天王像。「江戸」と市史にはみえるが、どう見ても12世紀後半から13世紀の作品。
以前からあった寺院が改宗して黄檗宗寺院となった折に旧来からの仏像は客仏扱いとなってそのまま安置される。
某寺は近世初頭まで真言宗、以後、禅宗、黄檗宗に転宗。

本堂内には聖徳太子半跏像。真言宗時代末期(17世紀中頃)の制作である。
黄檗宗が広まるにつれ、曹洞宗や臨済宗では「臨済正宗」に傾倒する僧が現れ、萬福寺に倣った仏像も安置。また萬福寺で「黄檗三壇戒会」(授戒会)が行われた際に、和泉神鳳寺(真言宗)の真政円忍が、寛文5年(1665)での第2次黄檗三壇戒会での「三師七証」のうち証明師に選ばれている。聖徳太子半跏像もそうした影響であろう。

仏像の前で住職や知人の方にあれこれ説明しながら、ふと先生を見ると一生懸命にこちらの説明をメモされている・・・。
最後は厨子入仏像。仏像は16世紀後半、台座は17世紀後半、厨子は18世紀末頃と説明。

緊張しながらも、色々と違う意味で学ぶところが多かった調査。
帰途「学究」という言葉が脳裏をよぎる。

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ベルト・モリゾ《モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人》

2023-4-17

ベルト・モリゾ 1870年の作品。描かれているのは、読書するモリゾの母親と姉エドマ。

1870年のサロン出展直前にマネに見てもらおうと自宅に招いたが、マネは称賛しつつも絵筆をとって母親の姿を大幅に塗り直した。作品はそのまま搬出され、サロンに入選。
モリゾは「この絵が入選するくらいなら川に身を投げたほうがまし」と思いつめ、みかねた母は会場まで出向いて取り返そうとするも、そのまま展示される。
坂上桂子「モリゾの初期芸術の形成とマネ」

なんか指折り数えるともうお正月的な時期に似たようなことを経験。
秋以降、卒論ゼミを絶賛欠席中の学生がふいに現れ卒論を見てほしいと原稿を持参。
書式もさることながら、文章が論文の態をなしていない。マネのように絵筆とパレット持って修正したくとも、時間がない・・・。
こちらは赤鉛筆持って大きな矢印を書き「こことここの文章は入れ替え!」「ここはダブっているので、こちらを削除!」などと朱書き。
結果は入選どころか、屋根すれすれの低空飛行で卒業。

モリゾも制作途上のうちに適宜、マネを呼んだほうが良かったのにとも思ったり。

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みたび、不思議ちゃん

2023-4-20

知己の方からのご相談。
「釈迦如来坐像ながら、胸元に盛上げ彩色で胸飾があるんですが?」と。

胸飾(瓔珞)を付ける釈迦如来坐像があることはあり、宝冠釈迦如来像は瓔珞を付ける。ただし頭髪は螺髪ではなく、髻を結って髪筋を表している。
ご相談の像は大きな螺髪を持つ像。盛上げ彩色の瓔珞も当初だろう。では・・・。

所蔵寺院HPの「歴史」を見ると合併前の町史参考の記載があり、某町史は幸いにも大学図書館に架蔵。
さっそく町史を繰ると寺の歴史が確かに記載、改めて「神社」の項目で寺院近郊の神社を探す。あった!
由緒は寺院と全く同じ記述、神社の別当寺が所蔵寺院であるとも。はい、神仏混淆像。
不思議ちゃん(2013-8-26)再び不思議ちゃん(2018-5-3)に続く、不思議ちゃん出現。

本尊として小さいのは、寺が江戸時代に2度も全焼したことに因るのだろう。
取り急ぎ、返信。

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雀百まで踊り忘れず

2023-4-21

学生との雑談で、ヒエロニムス・ボス《乾草車》の話題が出て、おもわず「懐かしいなぁ」と。学生はきょとん?!

実は、学生時代の期末試験レポートで《乾草車》を扱って提出し「優」をもらった(当時「秀」はない)。

なにしろ厳しい先生であったが、こうしたこと(Early Netherlandish Painting〈2021-5-23〉)でも鍛えられて、《乾草車》は思い出深い作品である。

差し出された画像を見ながら、この場面はこういう内容だなどと思い出している。
よもやまさか、この作品を前にして学生と語ろうとは。

「雀百まで踊り忘れず」である。

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江戸時代は江戸時代

2023-4-24

最近、気になる言説を目にした。古い仏像を研究しているので、近世の研究者より立派であると捉えかねないような内容。
素人かと思いたいが、似たような反論をどこかで読んだ気がして、しばらく記憶を辿っていたが、ようやく思い出した。
ま、優れているものを研究しているから自分も人より優れている、と信じ込んでいる莫迦はどの研究分野にもいる。(中略)落ち着いて考えれば、『源氏物語』の研究をしているから、江戸の戯作を研究する中村幸彦(先生)より優れているなどとは、口が裂けてもいえないだろう。
狩野博幸「江戸時代は江戸時代」『美術フォーラム』創刊号、118頁
「江戸時代の仏像は美術史では評価が低い」「江戸時代の仏像は、造形的に劣っている作品は多い」「江戸時代の仏像は仏教美術史的に冷遇されてきた」との評価が未だにあるが、明治から既に150年以上も経つ。
国重要文化財もあることだし、そろそろ彫刻史も近代の言説の呪縛から離れるべきではないかと思うのだが、その道のりはまだまだ遠い・・・。

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白壁にみる余情と静謐さ

2023-4-25

学生のゼミ発表。フェルメール《窓辺で手紙を読む女》のキューピッドについて。

事前提出の原稿を一読、なかなか興味深い内容。
1675年にフェルメールが妻カタリーナの実家で没した後、1742年にザクセン選帝侯アウグスト3世がレンブラントの作品として購入するまでの間に塗りつぶされたが、その時期が何時なのかを問う。

結論は、1677年のカタリーナ自己破産後の競売か、ピーター・ファン・ライフェン(フェルメールに債権があった)の娘婿ディシウスコレクション・オークションであると。

参考用パワーポイントにはXRFやX線画像はもちろんキューピッド部分の断層写真や《真珠の首飾りの女》・《牛乳を注ぐ女》・《水差しを持つ女》まで用意。

発表が終了し参考パワーポイントを見せながら補足説明(自己破産後の競売とオークションでは落札額が異なるなど)を加えて、以下質疑応答。

ところが、修復(白壁除去)についての質疑が大半。
こちらが説明せざるをえない。
フェルメールのオリジナルを重視したとするも、右下隅のゴブレットは何故消したのかなど思わぬ展開。当初はカーテンを描くつもりではなかったが、フェルメール自身が最終的に描き込んだので消した(右下隅にゴブレットの脚は現れている)と説明。
また未完成作品と完成作品の区別について更なる質問。その境界は曖昧であるとも返答。

白壁に余情と静謐さを求めたであろう学生は、夢をぶち壊された思いなのだろうか。
意外な質疑に驚き。

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何者?

2023-4-27

ジュリー・マネ(ベルト・モリゾの娘)の日記*を読む。
読んでいると、ちょっと気になる記述を見出した。
1893年11月10日(金)〔ジュリー・マネ15歳〕
ママンとわたしはルーブルへ行く。曇っていた。(中略)サロン・カレのなかで背の低い日本人がレオナルド・ダ・ビンチの模写をしていた。まるっきり日本風なのがとてもおもしろかった。
1893(明治26)年にルーブルでレオナルドの作品を模写していそうな日本人は黒田清輝かなと思い、東京文化財研究所の「黒田清輝年譜」等を見ると、同年7月1日の日記に1週間前にニューヨークに着いたことが記され、そのまま帰国している。
誰だろうか。山本芳翠は1887年、五姓田義松は1889年、久米桂一郎は1893年に帰国しているし、浅井忠は1900年、中村不折は1901年にフランスへ留学しているし・・・。
ちょっと想像できない。

日記の「まるっきり日本風」が、レオナルド作品の模写に掛かるのか、画家某の風貌に掛かるのかも気になるところだが、ベルト・モリゾと画家某は、ルーブルですれ違っていたことになる。 ジュリー・マネをきっかけにして会話でもしていたら、日本の近代洋画も違った変遷を経たかもしれないと妄想。

*ロザリンド・ドゥ・ボランド=ロバーツ、 ジェーン・ロバーツ編:橋本克己訳『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』(1990年)47頁。

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要らぬ悩みの種

2023-4-29

学生のゼミ発表でドガを扱うというので、やむなく「Degas」で補助画像を漁っていると、環境テロ組織がワシントンナショナルギャラリーの「14歳の小さな踊り子」の展示ケースにペンキを塗り付ける事件がヒット。

卑劣な行為ながら、キモいドガのキモい作品なのでやむを得ないとも。

「授業でドガは扱わない」(2022-4-14)と言いながらも、学生の発表なので「私、関心ありません。」では済まない。
何しろ更生させないと、「踊り子〈エトワール〉」がキレイな絵で終わってしまっては、ドガの性癖は見えてこない。

タイムリーな話題ながら、発表者が女子学生なのでどう説明するか・・・と、要らぬ悩みの種まで。

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