日々雑記


千切(地切)

2021-5-1

「千切(地切)〈ちき(ぎ)り〉」とは、使用した材を緊結(密着)させる鼓形の木材。建築用語。
左は高知・長谷寺仁王像の千切。
〔写真はよしだ造佛所のTwitterから〕

仏像の用材を緊結するための「千切」の使用は何時から始まったのだろうか。
管見では、史料の上からは延宝6年(1678)の京都・石清水八幡宮護国寺の薬師如来立像台座修復(康祐施工)にみる「はぎめはぎめに地きりを入、こくそ(木屎・刻苧)かひ」というのが初見である。
ただ、台座なので仏(像)躰に使用したのは何時からといえば、明らかではない。
「仏師新佛古佛再興目録」(元禄5年(1692)『用文章綱目』)にも「千切」とみえ、造像用語にも援用されていることがわかる。

鎌倉時代、東大寺僧形八幡神像もがっつりと鎹で緊結されるように、仏像用材の緊結は鎹。釘による場合もあるが、材の厚みによっては使用できないこともある。
室町時代以降は角枘(2015-8-18)による緊結が主流。共に漆は補助的役割。
江戸時代に入ると膠が多用される。

経年により、鎹・釘は錆による膨張で仏躰表面にも影響を及ぼすため焼付漆を施すことが多い。また角枘は気温や湿度変化によって角枘・用材の膨張収縮によって緩んでしまい、用材の分離を招く。
そこで使用されたのが「千切(地切)」だと思うのだが、確証はない。

長谷寺仁王像の千切による施工は、「福田院卓」「清水新蔵」のどちらなのだろうか。

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風刺画

2021-5-2

頑張って授業準備。この時期、この話題。

流石にWikipediaも「ときには微笑ましく風刺した」作品という記述は削除されたが、未だ誤った記述を流用しており、甚だしいのは、企業の商品PRにこのフレーズが使われている。
企業は、よほどひねくれた企業なのだろう。

これは「風刺画」を表現した鳥獣戯画。
クスッって笑える。こういうのが「風刺画」。

たまに卒論のテーマに「風刺画」と書く者がいるが、いつもテーマ変更を強制する。さほど歴史や当時の世相に詳しくなく、なぜ「クスッ」と思えるのかが説明できない、自分で論理的に考えることが出来ないからである。

風刺画だけは止めときなはれ・・・。

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やっぱり、無理ゲー

2021-5-4

みんな大好き「西洋美術史」。
木村泰司『西洋美術史』(ダイヤモンド社)の帯にも「美術史を知らずして世界とは戦えない」(ユニチャーム・高原豪久)とある。
とはいえ、多くの学生は、イワン・クラムスコイ「曠野のイイスス・ハリストス 」(2021-2-17)状態。無理ゲー。

西洋美術史の根本はキリスト教絵画ながら、旧約・新約聖書もあいまいな状態。クリスマスのみ熟知。
せめてうちの学生にはと、準備。

「イサクの犠牲」はもちろんユダヤ教、ユダヤ人のお話。
旧約聖書のお話ながらユダヤ教からは「聖書」。
「旧約聖書」とはキリスト教からみた名称。

「信仰の父」とも呼ばれたアブラハム。年老いて出来た息子イサクがいる。神はアブラハムに対してイサクを生贄として捧げるよう命じる。そこでアブラハムは神の言葉に盲信的に従ってイサクに刃物を振り上げるが、すんでのところで、天使が現れアブラハムから刃物を叩き落す。神はアブラハムの信仰心を試していたのであった・・・。

えっ、これってジャータカの「シビ王と鳩と鷹」の説話とほぼ一緒じゃん。

美術の根本は宗教にあると実感するも、学生にとってはやっぱり無理ゲーか。

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PVA(ポリビニルアルコール)

2021-5-5

連休中、春先にご恵与いただいた日本画の修復報告書をようやく読了。

興味深かったのは、昭和20年代以降に剥落止めとしてPVAの合成樹脂(糊)を塗布したこと(たぶんググると商品名が出てくるが、その商品ではない。念のため)。
扱いが比較的簡易であったために少なからぬ作品に使用された。
今では画面上で白濁しており、劣化損傷の要因となっている。当時はよかれと思った処置が今となってはアダに。

既にPVAの分解酵素が研究製造が進められ、PVAの除去も行われている。今回の修復も分解酵素を使用してのPVA除去。しかし完全な除去は難しいらしい。
修復後の写真をみると確かに視覚的な違和感は無くなっている。

こちらは、何ひとつ修復技術を持ち合わせていないが、せめて修復者の疑問に応じられるようにしないといけないと、自戒の念を新たにして読了。

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浅子周慶

2021-5-7

とある江戸仏師の事績を知り、この仏師も「神輿」を制作したんだと思う。

仏師から神輿師への移行は江戸仏師「浅子周慶」が有名。
残念ながら、2007年に16代浅子周慶をもって浅子神輿店は廃業したが、創業当初は仏師専業で、後に神仏像だけでは経営が苦しく神輿師も兼ね、そのうち「神輿師」へと移行。

こうした転業パターンは大坂では見られない。
大坂の神仏師が寺院の欄間彫刻を手掛けることはあっても神輿や地車を製作することはまずない(基本的に大阪・神戸は「地車文化」)。地車は大工、彫刻は彫物師が担当する。

18世紀後半には江戸仏師が神輿を手掛けていることから、この頃には仏師といえども神仏像だけでは立ち行かなくなっていたのかも知れない。
おそらくは享保9年(1724)・寛政11年(1799)の像高制限、数量制限令〔江戸仏師限定〕が江戸仏師の造像活動を縮小させたのであろう。

そうした事情もあって、もとは江戸仏師の活動圏内であった秋田・鎌沢の大仏(正法院・丈六地蔵菩薩半跏像)も78㎝の「頭部」だけを京都から運んだという伝承(頭躰同作)が生まれたのかも知れない。

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仏像片

2021-5-9

ご依頼を受けて、某寺で仏像見学(下見?調査?)。

ウキウキしながら赴くと、ありゃ。大損傷を受けている。
頭部も残っており、年紀・作者も判明、修理銘まで。

なんか、以前にも同じような光景(2012-5-26)をみたような・・・。ともかく色々と考えないといけないことが多い。

かつて、晩秋に漆箔が若干剥落した程度の仏像を調査し、その後、剥落止めのため某仏壇屋へ修理に出された。仏壇屋は引き受けたものの、漆箔の剥落程度では手間賃にしかならないと思ったのか解体してしまい、胎内から長い銘記が出てきて時代や作者が判明した(時代判断はピタリ)。
慌てた仏壇屋が年末に解体状態のまま寺に戻して、寺も大騒ぎ、こちらも年始早々に再調査にうかがった。その後も色々あってちゃんとした修復家で修復されたこともあった。

そうした話題をしながら、ゆめゆめ仏壇屋さんへ修復を依頼しないように念押しする。

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なぜ、あなたはそんなことを勉強するのですか?

2021-5-10

パソコン内のフォルダーがぐじゃぐじゃになっていたので、若干整理。

とあるフォルダの3層目のフォルダー内に「整理ポスト」があった。んっ?
開けてみると、ハンドルネームで行っていた頃のホームページの残骸。
その頃、よく研究者にこのような質問を受けていたので公開していたのだろう。

今でも時折あることなので、20年近くも前のページながら、タグをいじって復元してPROFILEに貼ってみる。
なぜ、あなたはそんなことを勉強するのですか?

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本当はいけないが・・・

2021-5-12

コロナ禍の関係で、ゼミ生が郷里に帰っている。
ゼミはZoomでなんとかなるが、参考文献が手に入らない。
地元の図書館も5月末まで休館中。どうしたらよいでしょうか・・・と。

まかせなさい!!と開館している大学図書館へ。
ゼミ生の参考となるであろう図書を乱読しながらコピーを取り、レターパックで学生の元へ送りつける予定。
乱読しながら、どうしても丸ごと読んでほしいと思う書籍が2、3冊ある。
う~ん、と考えた末に館外貸出の手続き。

また貸しはダメながら、緊急事態宣言のもと「ゆうパック」で送ることに。
教員が借りると、半年間の貸出。その間には通常授業に戻るだろう。

大学が再開したら、こちらへ返却下さい。

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時事問題は絡めず

2021-5-13

とある授業の準備。
前回は新約聖書の絵画を行ったし次は・・・、と思っていたところ、パレスチナとイスラエルとの衝突激化のニュース。
この発端は旧約聖書の時代まで遡る・・・。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画やブリューゲル「バベルの塔」、ニコラ・プッサン「黄金の子牛の礼拝」、「ダビデとゴリアテ」、プッチネリ「ユダヤ人のバビロン捕囚」などなど、絵画の題材になったテーマはことのほか多い。
逆順ながらこれを教材にして「旧約聖書の絵画」とすることに。

学生にとっても時事問題を知る手掛かりにもなろう。
ただし授業では絵画中心。時事問題は絡めずに。

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顔料

2021-5-14

ゼミ(Zoom)でのこと。
この学年の、以前の授業で話したことがあったのだろうかと考える。

油絵具と日本画の絵具は一緒!!という話題。
絵具は、顔料(発色)と画面に固着させる媒材(バインダー)からなる。油絵具の媒材はリンシードオイルやポピーオイルなどの油、日本画の媒材は膠(牛・鹿)であり、異なるのは媒材の違いだけである(やや暴論だが)。
以前、千住博の作品は「水彩絵の具(媒材はアラビアゴム)で・・・」と思って発表した学生がおり、それ以来、顔料等の話題は折に触れて話している。

今日の話題は、近代日本画における西洋顔料の使用について。
もともと岩絵具主体の日本画に何時から西洋顔料が用いられたのかである。なんだか矛盾しているようだが、発色性が異なる。
例えば、これまで「頭髪は群青・・・」と仏像調査で呪文のごとく言われてきたが、実際には、群青があり、藍があり、プルシアンブルー(ベロ藍)もある。
厳密な話をすると(出来ないが)、ほとんど理科学系の内容になってくる。

「ええっ!同じですか!!」と驚かずに答えていたので、恐らく授業で見聞したのだろう。
荒井経『日本画と材料-近代に創られた伝統』(武蔵野美術大学出版局)を紹介。

「ゆうパック」の学生は、今月下旬には来阪するとの由。

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図書館 再開

2021-5-15

来週から図書館が月~土曜日まで開館。安堵。

まかせなさい!!と言ったので、あれこれオーダーが入る。
『絵畫叢誌』225・226号所収の横山大観・菱田春草「絵画につ(就)いて」(1906年1月))などなど。

(うちの図書館には)無いわなぁ・・・と諦め半分でKOALAで検索すると、マイクロフィルムで架蔵。
えっと思ったが、7、8年前に『日本近代美術関係マイクロ資料コレクション』として購入したものに入っていた。すっかり失念。
かなり高価だったので、他の先生方にも購入のお願いに伺ったことも・・・。爾来、うちの学生をメインに随分と利用されているはず。

大学に行けば、常時図書館が開館しているというのは本当に有難い。あつく感謝。

授業のほうは「緊急事態宣言解除まで」(当面~5/31)遠隔授業。大阪大学なんかは、「学部専門科目(3年次以上)及び大学院の科目は、原則対面授業」なのに。

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赤と黒

2021-5-17

スタンダールの長編小説ではなく、もちろん「ジョニーウォーカー」のラベルでもない。
「聖徳太子1400年遠忌記念 聖徳太子と法隆寺」展(~6月20日・奈良国立博物館)に出品の法隆寺聖霊院聖徳太子坐像(国宝)。

実はこの像と瓜二つの聖徳太子坐像が法隆寺にある。
法隆寺や他にあるどんな聖徳太子坐像よりも群を抜いて巧い模刻像である。オリジナルは像高84.2㎝、模刻像は84.7㎝。従って地方での法隆寺展ではこちらが出品される。
両像の見分けはそう難しくなく、赤い彩色が残る像がオリジナル、黒い彩色像は模刻像。模刻像の左手甲に彩色のわずかな剥落。

製作時期は弘化2年(1845)、作者は京都仏師の「清水浄運(定運)」。
『昭和資財帳4 法隆寺の至宝』「彫刻 木彫」によれば、黒漆塗厨子(室町)、如意輪観音像(鎌倉)ほかが納入されているとのこと。

模刻像の出来栄えに驚くばかりだが、なぜこの時期に聖霊院聖徳太子坐像の模刻(しかも納入品まで)という疑問が拭いきれないである。

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漂着仏

2021-5-19

日本の某博物館保管「伝 迦楼羅王立像」。

解説にある「中国・南宋時代」「元~明時代」というのがいつも納得できないので、何度も現地や他館へも足を運んで見学していた。
ベルト正面には緑色の宝石(ガラス玉)が嵌っているし、台座には「烏将軍」の文字。
1990年、赤い布に包まれた状態で日本の海岸に打ち上げられたとされる「漂着仏」である。

別件で、とある技法に注目して調べていると、中国・明末清初から今日まで主に台湾や福建省南部(厦門)で使用される技法であると。そのホームページを見ると、やはりベルトに緑色の宝石を嵌め、同じ技法を使用している。
1990年頃に日本に漂着したことからおそらく同じ頃に台湾か厦門で製作した仏像。

地元のロマンを壊すようだが、これまで客観的な理由がなかったのだから仕方あるまい。

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Early Netherlandish Painting

2021-5-23

まだまだ子供並の脳内なのか、20日夕刻、授業準備中に体調急変・発熱。急遽自宅にもどり安静。もう歳ですな。

本日、作業再開。スライド中に参考文献としていくつかの書籍を提示。いずれも図書館に架蔵。
そのなかにマックス・フリートレンダー『ネーデルラン絵画史 : ヴァン・エイクからブリューゲルまで』(岩崎美術社、1983年)をあげる。

学生の頃、非常に興味をもった授業内容だったので、図書館に行ってみるもそれらしい参考書がなく、授業終了後に参考文献を乞うと、個人研究室へ連れられて書架から1冊の本を取り出して、「これをどうぞ(読んで下さい)!」と差し出された Max J Friedländer『Early Netherlandish Painting』の1冊。
勿論、オリジナル。中身はすべて英語。
今なら快慶の阿弥陀如来像を学びたいといってきた学部生に『日本彫刻史基礎資料集成』1冊を手渡すようなものである。
後年聞けば、当時の大学院生にも同じようにされていた。

翌年-あの授業は2回生であったか-、簡略邦訳版が岩崎美術社から出版されたが、既に日本美術に転向(?)していたので、邦訳版を買ったものの一読したままである(その後は行方不明)。
今では『Early Netherlandish Painting』も図書館に架蔵されているが、なぜか「Volume1. The van Eycks, Petrus Christus」だけは架蔵されていない。

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恐るべし『山伏山文書』

2021-5-24

京都府立大学のT先生から『京都山伏山町文書調査報告』をご恵贈いただいた。
深謝しきり。
研究論考に齊藤久子氏「近世山伏山町の権威利用と差別化―聖護院・七條左京―」が収録されており、すぐさま拝読。
東昇先生の「文書解題」にあるように、この論考は齊藤氏の「卒業論文」(!!)である。
卒論なので若干の指摘はあるものの、拝読しながら机上で天を仰ぐことばかり。

「2-3 明治期の七條左京」など、わずか25行ほどの文章を読みながら、む~んと唸るばかりである。
例えば、「七條康教家は天台宗蘆山寺の檀家である。」えっ?
確かにもう時宗の時代ではないと思ってはいた(真言宗?)が、天台宗蘆山寺ですか。
蘆山寺にも定朝の墓があるが、そっちでしたか。

「明治5年頃の七條康教は士族、43歳、父七條康敬であり、後妻たね31歳と長男彦一7歳、長女きお3歳の4人家族である。たねは明治6年上黒門町伊東家より嫁いでいる。」
彦一・きおは先妻の子でしたか。明治5年に彦一7歳とすれば、彦一の生年は慶應元年(1865)、系図最末の「六十歳」って大正14年(1925)ですよ。
ここまで分かるのかぁと脱帽。
また「目録」には康教弟として「佐野栄助」の名もあがる。

『山伏山文書』といい、齊藤氏の論考といい想像を絶する濃厚な内容。
恐るべし『山伏山文書』!

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取材依頼

2021-5-27

先日、社会学部メディア専攻の4回生から取材依頼。実家にある仏像(県指定)についてコメントが欲しいとの由。
博物館運営など卒論絡みで、学生からの取材依頼はたまにある。

夕刻、事前に見てほしいとのことで写真や解体時写真、指定当時の新聞記事などが送られてきた。ファイルを開くと、実際に見たことはないがよく知る阿弥陀如来像。日本彫刻史基礎資料集成にも掲載済。

以前、ゼミ生の実家が真宗の大きな寺院であったにも関わらず、卒論は「竹久夢二」(2017.5.23)であったように、意外にも御寺の子供たちは寺の什宝類に関心が向かないようである。

「日常の管理はどのようにされていますか?」「『修理銘札』は今もそちらで保管されていますか?写真がないのですが・・・。」などと、”所蔵関係者への逆質問”も面白いかもしれないが、ここは大人しく対応することに。

何を尋ねられるのか、今から楽しみである。

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ブームスポーツ

2021-5-28

遠隔授業などで右往左往するなか、『ブームスポーツ』に注視。

『ブームスポーツ』は、関大と関大前通りに関する情報誌。コロナ禍で教員側も学内情報が少ないなか、頼りにしている。
以前から学内に紙面が置かれていた記憶があるが、Web版では2016年1月2日の「ダイコクドラッグ(コンビニampmの後継)閉店のお知らせ」からである。

過日も大本営(新型コロナウイルス感染症対策本部会議)発表では、6月7日(月)から原則、対面授業を開始するが、大阪府の要請によっては、6月7日(月)以降の対応については、臨時の対策会議で決定との報告があった。
しかし『ブームスポーツ』では、「6月7日の対面授業再開見送り?6月28日有力」との見出し。たぶんこちらのほうが妥当だと思う。

恐らく文化部系サークルのひとつだろうが、確実によい活動をしている。
今後の活動も大いに期待しております。

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近代絵画は大阪弁がお似合い

2021-5-29


お馴染みのエドゥアール・マネ『草上の昼食』(1863年)。
元ネタは、ラファエロ弟子のライモンディ『パリスの審判』右下部分。当時、裸体表現は神話など非現実の人物に限られた(ヴィーナスが好例)。
もちろん、『草上の昼食』はサロンで落選、アレクサンドル・カバネル( こんな作品 を出品して入選)などから、大バッシングを浴びる。

マネ:「左の女性は『女神』でええやん。なんで非難されなあかんねん!!」
友人:「俺、その女、知ってんで。モデルのヴィクトリーヌ・ムーランやん。
それに横の男は 彫刻家のフェルディナンド・リーンホフ(後の義弟) 、指を差し出しているヤツは弟のウジェーヌ・マネやんけ。おまけに奥にいる女は、スザンヌ・リーンホフ(後に妻となる)とちゃうんか。え、どこのどいつが『女神』なんや?」
マネ:「・・・・」。

その後、モネは1865年のサロンにティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』を元ネタとした『オランピア』(またしてもモデルはヴィクトリーヌ・ムーラン)を出品、入選するものの再び批判を受ける。

すみません。授業の準備中でした。
なんか、近代絵画の説明には大阪弁がピッタリなんやけど・・・。

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高野山の名宝

2021-5-30

高野山霊宝館「高野山の名宝」展へ。
霊宝館開館100周年記念展。国宝・重要文化財がずらり勢揃い。

まず新館第1室は”快慶部屋”。執金剛神立像・深沙大将立像が展示され、奥には孔雀明王像、横には四天王立像も。じっくり見た後、次の展示室に入ると、不動明王像と八大童子像が展示された”運慶部屋”。
八大童子像は各独立ケースに収まっている。
さほど入場者は多くなく、時折、”運慶部屋”で独占状態。平安後期の不動明王像もやや色褪せがち。隅々まで拝見。既に「お腹いっぱい」状態。

3室は「聾瞽指帰」1巻冒頭、飛行三鈷、諸尊仏龕と続く。

旧館に向かうと、正面には阿弥陀聖衆来迎図が懸架。気になりつつも尊勝曼荼羅、阿弥陀八大菩薩像を見ながら阿弥陀聖衆来迎図に。左右には「血曼荼羅」(複製)も架かる(オリジナルは3期)が、今日はまず阿弥陀聖衆来迎図。
その後丹生明神像・狩場明神像と続き、霊宝館建設関係の書類、図面でひと休み。馬越恭平や根津嘉一郎など当時の数寄者の氏名が見える。

角の独立ケースには、西塔旧在大日如来坐像が鎮座。360度自由に見放題。
正面からは見えないように背面主要部は黒漆下地のまま。平等院鳳凰堂阿弥陀如来像も同様で、表面360度漆箔にするのは何時からなのだろうかと、ふと疑問にも。
その後は八万四千宝塔(円通律寺)を見ながら、四天王像を見て退館。
お腹、はちきれんばかりの充実ぶり。

運動かたがた、壇上伽藍を巡り、久々に大門仁王像に挨拶して帰宅。

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取材

2021-5-31

4Kカメラ(備品)持って、社会学部メディア専攻の3回生(でした)が取材。

DVDに映っていたのは福岡市博のSさん。その後インタビューに答える。
文学部の卒論とは違って、映像作品で評価(卒業認定)とは難しいだろうなと思う。
論文だと、こういう資料についての言及がないとか論理的に破綻しているとか指摘できるが、映像作品だと何を判断基準にするのかよくわからない。勿論、指導教員はプロだから学生も納得できるのだが。

一応の撮影・インタビューが済み、個研を訪ねてくるシーン。
カメラをもって机の前までやって来るので(あまり上品な絵ではない)、「いや、それだと”密着潜入!”ぽい絵になるやん。扉をノックして私が迎えるという形でいいんでない」と、映像専攻の学生に文学部教員がダメ出し。

何度もこの部屋にプロが来て取材に来ているので、ちょっとアドバイス。

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過去ログ