日々雑記


徳川家康像

2018-5-1

メーデーながら天気もよいので滋賀県立安土城考古博物館「神像」展へ。

織田信長像は明治14年(1881)乾清太郎の作品。信長三百回忌の折に制作されたもの。かつて某所で二百回忌に関するとみられる信長像を見たが、こちらのほうが格段に上質である。おそらくは信長画像が流布して後の制作であろう。

今回のメインである岡崎・大樹寺徳川家康坐像。何度もみているが、格段に巧い。袍の紐?も表現されている。黒袍に葵文はみあたらず。康以の作品。じっくり拝見。

豊臣秀吉像。大阪・理知院と大阪城天守閣が展示。天守閣像は図録では絶賛好評ながらどうかなと思う。
奥行がなく頭体のバランスもよくない。面相も皺だらけである。桃山時代あたりとは思うが、生前の秀吉を見知っている者もまだまだいたはず。「太閤殿下を何とこころえる!」ときっと仏師は打ち首ものであろう。武将がなぜ神になるのかがテーマだが、神像として制作するためには後世の人から崇拝されるような神としての威厳、それを裏打ちする理想化が計られたはずである。皺だらけの顔は理想化とはほど遠く、なんだかヘンテコな作品である。作者も七条仏師系と推測しているが、もっと素人っぽい作者が実人秀吉を慕う武将ではない人物の依頼によって制作したかもしれない。その点、理知院像はまさしく豊国大明神にふさわしい肖像彫刻である。
余談ながら、大樹寺徳川家康坐像が知恩院像より巧いと思うのは私だけだろうか。

滋賀も春、一面に広がる麦畑が心地よい。

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同窓会

2018-5-2

本日はメーデー後の勤務日である。雨のなか、勤務を終えて梅田で夜から同窓会。
不慣れな梅田のディープな場所でやや迷う。

「がっちりマンデー!!」組(10期生)である。

毎春、卒業生を送り出しているが、こうやって卒業後も集まるゼミ生もあれば、卒業後はまったく音信不通(知らぬ存ぜぬ)のゼミもある。
今風の学生だからといえばそれまでだが、うちのゼミでは段々と希薄になっているような気がする。こちらがもとは「コミュ障」だったこともあり(人と話をするのが苦手だったので屏風や仏像と話をしていた)、特に問題はないのだが、最近は音信不通のゼミ生の名前すら忘れている。

肝心の「うにく」は雲丹と牛肉の料理であった。(写真にはボカシをいれてある)
勤務先や新入社員、大学などの話題で歓談しながら、あっという間に深夜。
次回は東京「赤羽橋」ということで。

珍しくもないが、久々に終電&タクシーでご帰還。

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再び不思議ちゃん

2018-5-3

某住職のFBをみて、あっと思う。右肩に衲衣が懸かっている、条帛を着していない。「不思議ちゃん」だ!

知人から「不思議ちゃん」は白山妙理菩薩像であることをご教示いただき、その後白山の麓でも立像を見た。
これは仏像ではなく神像だと言ってもあまり反応はない。
住職がUPした新聞記事も神社にありながら「オカノサン(観音像)」である。

十一面観音坐像を調べると、衲衣を纏い条帛を着けない十一面観音坐像が散見できる。しかし専門家による解説にも「不思議」であることに何ら触れていない。
作品をよく見ろと言いたくなる。

一度、不思議ちゃんを展覧会で勢揃いさせてみたい。

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五百羅漢像

2018-5-5

山形・鶴岡市善寳寺で五百羅漢像の特別拝観。

チラシを見ても19世紀半ば、京都仏師による制作にほぼ間違いない。一度見てみたい!
路線案内を見ても、大阪からだと羽田経由庄内空港か、東京から新庄か新潟経由である。
むぅ、断念・・・。
ふとググると、大阪-鶴岡の夜行バスがあるではないか。 南海バス・庄内交通 Good Job!

他地域もそういう傾向かも知れないが、山形は異様なほど京都仏師の作品が多い。山形に行くと必ずと言ってよいほど驚く作品がある。
山形県域の中軸を背骨にように流れる最上川がもたらす上方(京都)文化は半端ない。

あれこれと予定を立てる。

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(続)五百羅漢像

2018-5-6

善寳寺五百羅漢像の修復は20年かかるとされている。

制作期間に関してはあまり資料はないが、盛岡・報恩寺五百羅漢像(駒野定英・駒野丹下・法橋宗而)の場合、実質4年ほどかかっており、月10躯ほど。3名の仏師が主に携わっているので10日間に1~2躯の制作ペースである。
ただ精粗もあるらしく、享保16年12月から同18年6月10日までの約19ヶ月間で241躯(月平均12躯)、同18年6月10日から9月26日まで約3ヶ月で98躯(月平均33躯)、9月26日~12月まで約3ヶ月で53躯(月17躯)。

製作費は石川・全昌寺五百羅漢像(山本茂祐)は1躯2両。500躯で1千両。

仏師にとって五百羅漢像は長期にわたる安定した制作対象と思われる。制作する仏師よりも金策に走る寺院がたいへん。

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話にならない

2018-5-7

世界遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録勧告。
新聞は「潜伏キリシタン」について「仏教徒、神道信者」と見出しを付けた。妥当な理解である。「潜伏キリシタン」は「隠れキリシタン」とは別種である。

いっぽう、お話にならないのは、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(自然遺産)である。殊に沖縄島北部。

かつて仕事の後で、辺戸岬(沖縄本島最北端)まで行ったことがある。
行った人ならわかると思うが、辺戸岬手前の自然豊かな山中に突如現れる「ヤンバルクイナ展望台」。たぶんまだ撤去していないはず。そんな下卑た醜悪なモノを造っておいて、なにが「世界遺産」か。

まず。これを根こそぎ撤去してからのお話だろうが。

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大人買い

2018-5-8

「くすり湯」を買いに行った際には、いつも見ている法華寺・文殊菩薩騎獅像(未指定品)が納入品で話題。

仏像を触っているとわかるが、たいてい重いのは一木造か納入品のある寄木造の像しかない。 法華寺文殊菩薩騎獅像は非常に重いはず。

ところが、獅子像(台座)は近世作で、獣面が割れるなど極めて脆弱で台座の強化が早急に必要。このことについて誰も何も触れないのが不思議でならない。

話題になるのはよいけれど、後世にどう残していくのかという観点をすっかり忘却。
奈良博で仏像をみていただけでは分からない文化財事情。

微力ながら、この冬には「くすり湯」を大人買いしようと思う。

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35代康教

2018-5-9

七条左京家棟梁35代康教。
これまで美術研究本『大仏師系図』を何度も何度もみていたはずだが、まったく気付いていなかったこと。

『大仏師系図』の事績は編年で書かれているのだが、嘉永8年、安政2年、嘉永6年、嘉永 年、安政6年、慶応3年と嘉永・安政年間が不規則。
康教は明治3年に官人を廃され士族身分となる(仏師業は辞めていない)。

なんで不規則なんだ?

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御物石器

2018-5-10

M氏から新潟・某町の仏像・神像報告書を恵贈される。深く感謝。

仏像や神像も興味深かったのだが、目を見張ったのは、神社等に御神体や礼拝対象となっている石皿や石棒。紛れもない縄文時代のもの。
某町には縄文時代の遺跡が多いというが、それを御神体とみる感覚に驚く。

考古学では石皿や石棒などは実用や用途不明と機能面に重点が置かれて考察されているが、民俗学では一部にみられるものの、こういう信仰面にもっと注目してもよいのではと思う。

神(古代神道?)に関わる遺物と考えれば、皇室に献納された「御物石器」という名称もすんなり理解がいく。

仏像・神像の報告書をみながら、あらぬ方向に引き込まれる。

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富士御神火文黒黄羅紗陣羽織

2018-5-12

夕刻、久しぶりに上娘からメール。「『ふじごしんかもんくろきらしゃじんばおり』って実際にあるの?」と。はぁ?また なにごとぞ。
「実際にあるよ。秀吉の陣羽織、黄色いヤツやろ。大阪城(天守閣)が持ってる。またなんで?」「あんがと。」とメールが途絶えた。

しばらくして、YouTubeのURLが張られたメールがやってきて、開くと抱腹絶倒。

YouTubeのサイドには色々とあって、思わずあれこれと開いてみる。
E-TV「びじゅチューン!」で流されているようで、「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」もそのひとつ。 美術を扱ったものだが、ハチャメチャながらそれとなくマニアックな内容も含ませてある。

こういうのをうちの学生は見ているのだろうか。

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大きな地方都市から

2018-5-14

この時期、卒論ゼミで学生が全員揃うことはまずない。就活である。

アドバイスが終わって学生と雑談かたがた話していると、「大阪はほんと大きな地方都市!」と。
大手企業は面接などが東京で開かれ、何度も行かなあかん、ホンマ大変ですわと。
「まぁ、本社は続々とあっちへ移転するし、君の言う通りやで」
「それに・・・」「ん?」
「あっちの美術館、なんであんなにいつも人多いんですか。息抜きで見に行っても大混雑やし」
「まぁ、そこが大阪が地方都市といわれる所以なんやて」。

授業が終わり、大きな地方都市から夜行バスに乗っていざ山形・鶴岡へ。 OCAT からの乗客は私だけ。ほぼ貸切ぽい。結局4名乗車。

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五百羅漢像

2018-5-15

目覚めれば、海岸の「道の駅(あつみ)」。鶴岡で下車し、羽前大山から善宝寺へ向かう。

さっそく五百羅漢像、拝見。
天井下まで羅漢像が並ぶ。発願者・寄進者は松前福山町清水平三郎、栖原六右衛門、伊達林右衛門。清水像の下に木札があり創立(発願)は弘化3年(1846)、落成は安政2年(1855)。9年間にわたる大事業である。
釈迦三尊像等を含む531体、単純計算で1年59体。仮に3人の仏師で担当すると1人1年20体。楽勝である。
仕様書が慈照殿に展示されていたが、釈迦如来像50両、文殊・普賢45両、四天王像@12両、十大弟子@5両、五百羅漢像@1両3分、計約860両が入用。輸送費は各港の廻船問屋が負担寄進。松前昆布と仏像のウィンウィンな関係。

多くの方が10分ほどで拝観を済ませる中、1時間ほど見ていた不審人物。寺関係者のMさんの手を煩わせてしまう。反省。
明日はMさん曰く「ディープな仏像がある」羽黒山(正善院)黄金堂へ。

その後、別寺院で慶応3年「北越大川之住 後藤重太郎定融」作の金剛力士像などをみて、あとは致道博物館。近代建築や石川静正(石川淡僊)「油彩鶴ヶ丘城図」などを見学。『荘内史要覧』によれば、仏師7軒。

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黄金堂

2018-5-16

バスで羽黒山に向かい、麓の正善寺黄金堂へ。

仁王門金剛力士像は寛永10年(1633)七条西仏所「大仏師宮内卿康音」の作。巧い。
南禅寺山門諸像造立の後、なぜ出羽にと思う。仁王門ともども明治44年秋に出羽三山神社「下居社」から移築。

黄金堂内は特別拝観。三十三躰の聖観観音像。平安時代に遡る作品もちらほら。堂内にも金剛力士像一対。もと随神門に安置。元禄8年(1695)善慶作との由。江戸仏師の和泉善慶と思う。両脚が180度近く開く仁王像(吽形)。羽黒三所権現(聖観音像・妙見菩薩・軍荼利明王〈軍荼利は盗難〉)はもと五重塔本尊像。廃仏毀釈後に移された作品が目立つ。
月山大権現像(阿弥陀如来像)は江戸時代初期か末期かで悩むが、一応末期としておく。

午後のバスで羽黒山山頂。出羽三山歴史博物館では覚諄の企画展。東叡山絵師神田宗庭(隆信)や長谷川嘉市の絵画作品のほか羽黒鏡もたくさん展示。じっくり拝見。
鏡池には雪が残り、涼しいというより肌寒い。急な石段を延々と下って五重塔内を見学。仏像は黄金堂で見たので、塔内は急拵えの厨子(ご神体納入)以外ほぼ何もない。 修験道・神仏分離の複雑な事情を垣間見る。


最終バスで鶴岡へ戻り帰阪の途につく。

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足が痛む

2018-5-17

早朝、OCATに到着しいったん帰宅。足の痛みを堪えて午後からの授業に臨む。昨日の延々と続く石段である。

「もう歳なんだから、(夜行バス往復)無茶せんと…」と言いながら、ふくらはぎをグーパンチする家人。
猫まで足の上に乗ってくる。痛いって・・・。

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300匁

2018-5-18

兵庫歴博K氏から「南あわじ市寶光寺十二神将立像の造立について-仏師「宮内法橋」の書状からみる-」(『塵界』第29号)をご恵贈いただく。

宮内法橋の書状は昨年展示済。氏の考察によれば、十二神将像1躯(像高9寸ほど)25匁で、初期の造立で支払い遅延が発生、金銀相場の変動もあって遅延後の支払いも一部は「かけ」となる。
その後は特に何もないようだが、遅延前は仏像を大坂から送付していたが、遅延後は大坂での受け取りに変更。十二神将像が揃うまで20年弱の期間を要したと。

十二神将像一揃い銀300匁。微妙な造像料(アバウトな計算だと375,000円)ながら20年弱かかるのか。

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PTA

2018-5-20

午後よりPTA。種々の紹介があって個人面談。

「『この先生に・・・』という方おられます?」と司会。
後方の座席の方から「長谷センセに」との声。はぁ?
前の座席に来られるまで、最近は学生に毒を吐くこともなくおとなしく温厚に接しているのに何だろうかと、これまでの行状を反芻。でもまったく思い当たる節はない、でもなぜ私に・・・。
あれかこれかと思いながらご父母が着席。開口一番「〇〇です。その節はどうもお世話になり・・・」と。「あ~!こちらこそお世話になりまして」。

昨夏、数名の学生を仏像調査に連れて行った。
見ているだけでも良い経験になるだろうと考え、何も知らない、出来ないことを承知のうえで。像高のある仏像だったので、バック紙のスタンドを高く掲げてもらったり、細々したことを手伝ってもらった。
「帰宅後、めちゃめちゃ楽しかった、貴重な経験をした」とご父母は仰り、和気あいあいと面談。

口には出さなかったが、不覚にも〇〇さんが仏像に高い関心があったとは、今初めて知ったわ。

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法人設立

2018-5-21

事務方へとある書類を提出した。
よしよし・・・と思っていたら、訂正が入った。問題の記入欄は法人名(学校法人)と設立年月日。法人名は問題ないが、設立日に問題。

うちの創立記念日は11月4日で、2016年に創立130周年を迎えた(募金集めのため企業訪問したのでよく覚えている)ので、創立は1886年11月4日と書いた。
ところが、「学校法人関西大学」としての法人成立は「1920年3月11日」で、そのために登記関係までを確認されたとの由。脱帽。

時として大学の事務方は、前職時代の法規係にみえる時がある。

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日本美術は絶滅危惧

2018-5-24

うちの大学で、今「紀伊國屋書店」と「丸善雄松堂」の電子ブックが期間限定で読めるようになっている。
まあ、基本は新入生向けだろうが、あまりに貧素で吃驚してしまった。

前者のサイトで「芸術・美術」の項目は10冊、そのうち日本美術に関係しそうな書物は『 読みなおす日本史 戦国武将と茶の湯』のみ。『スポーツは誰のためのものか』といった類まで含まれている。分類がぐじゃぐじゃ。
後者のサイトで「美術」で検索すると、18件あがるが、建築設計資料3件、アートセラピー1件と無関係な書籍も含まれており、お薦めしたい書は岡倉覚三『日本美術史』(平凡社ライブラリー)のみ。しかし裏読みしないといけない難物。前者にもあった『モニュメントの20世紀』も薦めたいが、かなり高度な内容である。あとは評論が多い。新入生向けとしては『美術史の7つの顔』ぐらいだが、如何せん西洋美術史に傾いている。
小説だが、学長が選んだ20冊のうち葉室麟『乾山晩愁』が入っていたのが、唯一の救いである。

厳しいようだが大学図書館が旗上げて行うことではないわと思いながら、春から必ずレジュメに参考文献を載せている。

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カオス大阪

2018-5-27

大阪市立美術館「江戸の戯画」展見学会。
お笑いの街大阪だけあって館内大混雑。
国芳は教養で扱ったし、暁斎は先々週の授業で解説した。
耳鳥斎(「じちょうさい」じゃなくて「にちょうさい」)は来月、図書館で「地獄図巻」など実作品を前に授業の予定。
企画展示でも仙がい・白隠が出品。

展覧会場を出ると、学生が図録を買うか否かでぼそぼそと相談。そんなことで迷うなよ!と思いつつ「みんなで回し読みしたら」と言いながらこちらが購入。

解散後、JR駅に向かう道すがら。
「茶臼山歴史(ママ)について!」の立派な石碑。その横には「二宮金次郎と報徳訓」の石碑上に二宮金次郎像。そして隣にはラブホDの(裏)玄関。
「なぁ、さっきの『雁金屋御画帳』、めっちゃよかったやん。ちょっと休んでいけへん?」という状況はまずあり得ないが、なんなんやろ、この大阪的カオスは。 大阪市美に行くたび、困惑は深まるばかり。

最短ルートながら、よい子は“てんしば”を通って動物園・美術館に行きませう。

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捏造

2018-5-28

大正時代に出版された地方某仏師(幕末明治に活躍)の伝記。

興味深いことが多数記してあり参考になるが、名を継いだ大佛師の創始が「寛永17年」とある。
しかし作品からは「寶永」以前に遡ることが出来ない。
古記録は時に捏造されることも多々ある。「元禄」を「文禄」、「嘉永」を「寶永」や「寛永」にいとも簡単に捏造。
作品の銘記は見られないことを前提に記されているので、(馬鹿)正直に書いている。
だから重要なんだ。

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書類

2018-5-30

ここしばらく、とある書類作成に没頭。

「活用」を踏まえた文化財保護法改正なんかするから、大きく苦悩。
脳裏によぎるのは、HITACHI製の看板と完全にパーソナルスペースと化した本堂の脇に立つ仏像、そして重要文化財 〇〇如来像 平安時代」の木札。
こうした現状で、どうすれば「活用」が計られるのか、はなはだ疑問。

活用よりまずは調査・保存・研究だろう。壊れてしまっては何もならないし価値すらわからない。

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過去ログ