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2006年11月22日

ニューヨークのかけら

しばしばニューヨークはエキサイティングな街と評される。ここには最上と最低が,本物と偽物が,そして,混沌と秩序が同居している。ここに行けば何もかもがあり,もしかしたら自分も何かになれるのではないか。世界中から人々を惹き付けるには十分な神話が構築されている。何につけても鈍感なってしまった今ではなく,もっと若く愚かな頃にここを訪れることができたら。ひりひりした表情で街を歩くやせこけた若者を目にすると羨ましく思う。

こんな若年性老衰の私にもニューヨークはおこぼれをくれる。地下鉄のユニオンスクエアから大学までの徒歩10分間,ぐっと口許に力が入り,ここで学べることの喜びを独り噛みしめることができる。この感覚が持続すれば僕も何かになれるのに,とすぐにいつもの自嘲気味の自分に戻ってしまうが,いずれにしても貴重な心の動きである。おっと,こんな青臭い感情よりも,なかなか味のある出来事が起こってくれるので,なかから3つばかり紹介したい。

今の住居はブルックリンにある。近所にはプロスペクト・パークという市民の憩いの場があり,湖ではフィッシングを楽しむことができる。幸い,ぎりぎりシーズンに間に合い,マンハッタンでバスのタックルを一揃えし,3回ほど釣りをする機会に恵まれた。晩秋のスローなバスに,ゲイリー山本よろしくワームでコツコツとあったていたところ,20メートルぐらい先の茂みから,突然若い兄ちゃんの声が。"Don't hate me. I always come here." 思考を無理矢理に湖から地上に引き上げられたことに若干いらだち,"It's OK, I don't care"とぶっきらぼうにやりすごすと,大兄おもむろにしゃがみ込む。どうやら私は雉撃ちの許可を求められたようである。その後も彼はお気に入りの場所で小枝を片手にぶらぶら。私は次のポイントに。その日は彼のおかげか運が回ってきたようで,3回の釣行のうち唯一釣果があり,キレイで元気な小ぶりのバスを3匹あげることができた。

2つ目の出来事は風邪で寝込んでいるときに起こった。訪問者を知らせるベルが何度も鳴り,遠くで家内が返答している声が聞こえる。しばらくのやりとりの後にドアを開ける音が。訪問者に対してドアを開けないことは鉄則なので不安になり,重たい身体を引きずって玄関に向かうと,電力会社のconEdisonから人が来たとのこと。身なりもきちんとしており,IDもぶらさげていたため,危険がなさそうなことを安心していると,家内は何やらサインをしている。きっと何らかの検診が行われたことへのサインだと思い込み,寝床に戻った。数日後にふと家内がサインしていた書類に目をやるとそこにはIdt energyの文字が。書面に目を通すとconEdisonからIdtに電気のデリバリーをスイッチする旨の契約書で,変動相場への投機により電気代を「安くできることもある」とのこと。契約書のカーボンコピーにはしっかりconEdisonのカスタマー・アカウントも明記されている。やられたと思い急遽,ネットで検索するとconEdisonの名を騙り,強引な戸別訪問をかけてくる業者であることが判明。早速,家内がconEdisonに電話をしてスイッチをブロックしてくれるように依頼し,Idtにキャンセルの電話をかけて事なきを得る。

さらに,別の日にはCCSとやらから突然,クレジットカードらしきものが郵送されてきた。First National Cardと記されたそのカードはどう見てもクレジットカードで,添付文書を見ると頼んでもいないカードなのに"Approved"と書かれ,限度額は6,500ドルなど破格の条件が記されている。アメリカ発行のクレジットカードを保有するにはクレジット・ヒストリーが不可欠で,渡米後2ヶ月の私のもとにカードが送れれてくるはずはない(アメックスのブラックはある日突然送られてくるそうだが私には一生縁はないし)。よく書面を読んでみるとまたしても「このカードはCCSのカタログ・ショッピングでのみ利用可能」とのこと。本物件もネットで調べてみると,クレジットヒストリーがあまり無い人へカードを送りつけ,割高商品しか掲載されていないカタログショッピングしかできない上に,200ドル程度のフィーをとるというやり口が判明。とりあえず,Activateしていないので実害は無いと思うが,しばらく口座を監視しなくては。

最後はニューヨーク名物の地下鉄の車内。家内がオペラを観に行った日は,劇場近くのバーで一杯やった後に迎えに行くことにしている。帰りの地下鉄で席に着くと正面にはすっかりできあがったおっちゃんが二人がけの席を独占して,何とも幸福そうな顔で,うつらうつらしたり,何やらつぶやいたりしている。彼のあまりにほほえましい姿を家内と話題にしていると,私の席の隣に立っていた乗客も何やら話しかけてくる。車内の騒音で聞き取れなかったので,適当に相づちを打っていると,大将,帽子を床に落としてしまった。気の毒なので拾い上げると,これまた幸福そうな表情で礼ともつかない何かをもぐもぐと言おうとしている。しばらくして,おや,隣の乗客が別の乗客と酔客を話題にまだ会話しているようだと思いながら,ふと床に目をやると真の話題が何たるかを知った。大将の入れ歯が床で大口を開けているのである。どおりで口許がおぼつかない訳だ。さてここで,ジレンマがよぎる。はっきり言って入れ歯には触れるのはキツイ。かといって,このまま放置すれば大将帰宅後に母ちゃんから大叱責を受けるだろうし,アメリカの医療制度から考えると,新しい入れ歯はかなりの出費になるだろう。幸いポケットにはハンカチが入っていたので,えいやと入れ歯を包んで大将の手に持たせるも相変わらずくねくねしているので,墨痕鮮やかに「投票にはちゃんと行きましょう」と書かれている彼のジャンパーのポケットにハンカチごとねじ込んだ。

「雉撃ちの許可」,「スキャム」,「入れ歯拾い」。これが私にとってのニューヨークのかけらである。能動的にあれこれ面白そうなことを見つけに行かなくても,受動的に存在することで何かが起こってくれる。これこそがあらゆる街の真なる魅力を決定し,いわくエキサイティングということだ。事前の予想や経験や常識との乖離があればあるほどいい。だからこそ若ければ若いほどこれらの乖離を感じられると思う。20歳そこそこなら,観光名所を一夜漬けの知識で回るよりも,ありもしないロマンスを期待するよりも,何だかよく分からないけど美味しいと思いこむよりも,街の魅力を感じられるだけどこかに住んでみるべきだ。私はここで1年暮らすために,大学院時代の5年間と就職してからの5年間で合計10年かかっている。ちと,時間がかかりすぎた。もはややせこけてもいないし,ゼミ生諸君はよくご存じの通り,目元には常に微笑みをたたえている。

投稿者 Baba : 2006年11月22日 23:36

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コメント

風邪ひかれてらしたんですね。大変責任を感じます。大事な時期に申し訳ありません。
先生のおっしゃる通り、たしかに純粋に自分の為だけに生きられるこの年齢で、NYという街に暮らすチャンスを得たことは幸福なことかもしれません。マイノリティが多数を占めるCity Universityの中にあって、日本人が一人もいないカレッジに通い、ネイティブでさえ危険というエキサイティングな街Jamaicaを毎日歩くことになるとは夢にも思いませんでしたが、これはこれで『生きている』ということを心から感じさせてくれる毎日です。両親の十分すぎる支援のおかげで何不自由のない暮らしをさせてもらっている私ですが、父、母が生き抜いてきた時代は、こんなハングリーな時代だったのかなと思うと、いつも偉そうい親父の商売に口を出す自分が恥ずかしくなります。そして、敗者、弱者には決してやさしくないこの街の空気は、私の「成功」への渇望を日に日に高めてくれます。決して海外の文化に特別な興味があるわけではありませんし、決して語学も得意なわけではありませんが、「言葉を超えて、人種を超えて人々と対等に付き合ってみたい、ビジネスがしたい。」素直に毎日そう感じます。残り半年弱しかない留学期間ですが、うろたえることなく、「ただ淡々と日々をすごせたら」そう切に願うばかりです。負けません。
P.S. 本日11月23日はThanksGiving Day。一般的にアメリカ人はターキを食べるそうです。しかし、私の住む台湾人家族の本日の食卓には「ターキ」ではなく「しゃぶしゃぶ」が。時にどこの国いるのかわからなくなる食生活です。(笑)

投稿者 kou0824 : 2006年11月24日 10:47

 
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