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2005年07月07日

クオリティ・オブ・ライフに関する基本的問題(渋谷 1998)

要約 
 クオリティ・オブ・ライフは生命の質、生活の質などと訳されているが,適訳がなく,現在では英語あるいは略語のQOLをそのまま使用していることが多い。QOLは人それぞれによってとらえ方,感じ方は異なるが,基本的には人間としてより充実した生活を送るために,その生活の質や人生の質を重視し,肉体的,精神的,社会的に良好な状態を保つ,あるいは向上を目指す考え方であると述べられている。高齢者の福祉,精神医療,終末医療,社会環境,社会老年学など,さまざまな分野でその重要性が唱えられているとしている。近年、特に医療の世界においてクオリティ・オブ・ライフが重視されてきているとし,この述語の意味するところは何であるのかというこの問いに答えるには,「Life」という概念を検討することが必要不可欠であるとしている。この論文の意図は,「Life」の多義性を解明し,さらにクオリティ・オブ・ライフをめぐって生起する問題点を指摘することとしている。

1.生命
 「命の質」という場合には生命の質の良否という価値判断の前に「生命とは何か」という問いにある程度答えなければならない。私たちは「生命体」を単に「生命」と称するあり,必ずしも両者を自覚的に区別しているわけではなく,私たちは「生命体」なり「生命」なりを無反省に使用しているのである,としている。言うまでもなく,生命現象は有機体に固有の現象であり,生命は生命体の機能であるとし,「もとより生命体としての人間は一つの統合体であり,そこに生起する諸々の生命現象は相互に関連し,一つの有機的な統一を保っている」(306ページ)と述べている。ここで論じるQOLのLifeは生命体の機能を意味し,QOLは生命体の機能の質となる,としている。

2.生と死
 死には,脳死という死や,呼吸の停止という死もあるため,「死」は,一義的ではなく,多義的なものであるとしている。死は段階的に進行するものであり,死は生命力が弱まる過程に見られる現象であるから,生と死は不可分の関係にあり,共存しうると述べている。QOLにおけるLifeが「生命」を意味するのであれば,この生命は過程としての生命現象のどの範囲を指すのであろうか。そして,或る固体において生の現象と死の現象とが共存しているとき,その個体の死をどの時点で判断するのか。これは生物学や医学の問題であると同時にそれを越えた問題であるとしている。生命の終末がどのように考えられようとも,QOLはこの時点に至るまで考慮の対象になりうると述べられている。

3.個体
 「固体という概念は,倫理学では人間の集団,社会的な組織に対立する概念とされており,個人と言われるものである」(310ページ)としている。先に私たちはQOLを生命体の昨日の質と見なし,その際,個体としての生命体を念頭に置いていたが,生命体は固体としてのみ存在するわけではないとし,生物学や医学で生命体を論ずる場合,生命体は,細胞,組織・臓器,固体,集団などのレベルで考察することができる。「個体として生命体の機能の質の良否は,当然のことながら組織・臓器としての生命体の機能の良否に依存する」(311ページ)としている。

4.QOL
 今日では「生命の量よりも質」ということが医療の合言葉であり,QOLが重大な関心事となっている。生の最終段階が死であり,生なくして死はありえない。生が社会性を持つものであるならば,生の完成としての死もまた社会性を有するものでなければならない。生も死も単なる個人のためではない。患者に自己決定権があるといっても,しれは無条件のものではなく,自ずと限界がある。患者の生死はある意味では管理された生死である。・・・このような状況で,患者のQOLをどのように理解したら良いのか。Lifeは生命でもあり,生活でもある。医療の現場でのQOLを考慮する場合に,そのQOLには現在のQOLだけでなく快癒後のQOLも含まれていると説明している。生命の質の良否は彼らの日常生活に現れてくるため,QOLは結局,生活の質であるとし,QOLを「生命の質」と訳そうが,「生活の質」と訳そうが,QOLは人間的生命の質であり,人間的生活の質なのであると述べている。

5.QOLと意思決定
 意思決定能力のない患者のQOLと生命維持については,多くの問題があり,現在でも一致した見解は見られない。QOLの段階を設け,完全な健康体の場合にそれを1とし,死体の場合にそれを0とするならば,意思決定能力のない患者のQOLは0に限りなく近いとしている。誰であれ,人格を有するものとして,等しくQOLの向上に与かる権利を有することができるが,果たして個人は自己のQOLを無制限に追求できるのか。或る個人のQOL向上のために別の個人のQOLを犠牲にすることが許されるのか。医療経済学は,今後多くの難問の解決を迫られるであろうとしている。
 
結論
 QOLの向上は誰もが願うところであるが,現実は過酷である。QOLは個人の問題ではなく,社会の問題である。個人のQOLや個人の幸福のみを追求する時代はどうやら終わりを告げようとしている。「新しい時代に即応した医療と生命倫理の確立こそが急務である」(316ページ)。

出典:渋谷久(1998),「クオリティ・オブ・ライフに関する基本的問題」『上越大学研究紀要』,第17巻第1号,305-317ページ。

投稿者 02hidemin : 2005年07月07日 23:54

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コメント

いくつかの問題点を指摘します。
①さも自分が書いたような文体であるため,広い意味で剽窃ととえられかねない。
②QOLをレビューするにあたり医学分野の文献を扱っている理由が不明瞭である。
③若干の脱字や表現のおかしなところがある。
早急に対応するように。

投稿者 Baba : 2005年07月08日 17:51

以後,文体はもちろん,論文の選び方に気をつけます。申し訳ございませんでした。

投稿者 02hidemin : 2005年07月09日 01:37

 
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