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2019.2.16開始、2020.9.26更新)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>723.朱野帰子『わたし、定時で帰ります。』新潮文庫

<人間ドラマ>799.遠藤周作『父親』講談社文庫795.川端康成『古都』新潮文庫794.桜木紫乃『ホテルローヤル』集英社文庫793.白石一文『私という運命について』角川文庫769.大岡昇平『武蔵野夫人』新潮文庫763.澤田瞳子『火定』PHP研究所747.澤地久枝『妻たちの二・二六事件』中公文庫743.太宰治『人間失格』青空文庫742.三遊亭円朝『怪談牡丹灯篭』青空文庫739.太宰治『ヴィヨンの妻』青空文庫726.谷崎淳一郎『鍵』中公文庫724.谷崎潤一郎『卍』新潮文庫721.谷崎潤一郎『痴人の愛』新潮文庫720.連城三紀彦『隠れ菊(上)(下)』新潮文庫716.なかにし礼『赤い月(上)(下)』新潮文庫713.谷村志穂『海猫(上)(下)』新潮文庫

<推理サスペンス>800.乾くるみ『リピート』文春文庫796.乾くるみ『セカンド・ラブ』文春文庫791.乃南アサ『窓』講談社文庫764.北村薫『スキップ』新潮文庫758.花村萬月『皆月』講談社文庫711.桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』創元推理文庫708.真梨幸子『孤虫症』講談社文庫707.桜庭一樹『私の男』文春文庫

<日本と政治を考える本>761.遠山美都男『名前でよむ天皇の歴史』朝日新書754.加瀬英明『天皇家の戦い』新潮文庫751.保坂正康『秩父宮と昭和天皇』文藝春秋749.山中恒『青春は疑う ボクラ少国民の終焉』朝日文庫725.広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』星海社新書706.安田浩一『「右翼」の戦後史』講談社現代新書701.牛窪恵『恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚』ディスカヴァー携書

<人物伝>786.海音寺潮五郎『吉宗と宗春』文春文庫778.城山三郎『秀吉と武吉』新潮文庫776.藤沢周平『一茶』文春文庫751.保坂正康『秩父宮と昭和天皇』文藝春秋744.難波利三『小説 吉本興業』文春文庫741.工藤美代子『恋づくし 宇野千代伝』中央公論新社735.村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』新潮文庫725.広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』星海社新書703.古川薫『不逞の魂』新潮文庫

<歴史物・時代物>798.杉本苑子『伯爵夫人の肖像』朝日文庫786.海音寺潮五郎『吉宗と宗春』文春文庫785.石原比伊呂『北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書778.城山三郎『秀吉と武吉』新潮文庫774.藤沢周平『喜多川歌麿女絵草紙』文春文庫 773.岡田秀文『足利兄弟』双葉文庫771.永井路子『噂の皇子』文春文庫768.立川昭二『病気の社会史 文明に探る病因』NHKブックス766.遠藤周作『侍』新潮文庫763.澤田瞳子『火定』PHP研究所761.遠山美都男『名前でよむ天皇の歴史』朝日新書757.坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書754.加瀬英明『天皇家の戦い』新潮文庫749.山中恒『青春は疑う ボクラ少国民の終焉』朝日文庫747.澤地久枝『妻たちの二・二六事件』中公文庫740.渡辺保『明治演劇史』講談社734.吉村昭『戦艦武蔵』新潮文庫731.元木泰雄『河内源氏――頼朝を生んだ武士本流――』中公新書716.なかにし礼『赤い月(上)(下)』新潮文庫

<青春・若者・ユーモア>764.北村薫『スキップ』新潮文庫749.山中恒『青春は疑う ボクラ少国民の終焉』朝日文庫748.山田洋次『悪童 小説・寅次郎の告白』講談社702.原田曜平『若者わからん!』ワニブックスPLUS新書701.牛窪恵『恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚』ディスカヴァー携書

<純文学的小説>797.川端康成『みずうみ』新潮文庫769.大岡昇平『武蔵野夫人』新潮文庫767.遠藤周作『海と毒薬』新潮文庫766.遠藤周作『侍』新潮文庫743.太宰治『人間失格』青空文庫707.桜庭一樹『私の男』文春文庫

<映画等>792.(映画)是枝裕和監督『歩いても歩いても』(2008年・日本)790.(映画)クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』(2008年・アメリカ)789.(映画)蔵原惟繕監督『愛と死の記録』(1966年・日活)788.(映画)水田伸生監督『あやしい彼女』(2016年・松竹)787.(映画)油谷誠至監督『飛べ!ダコタ』(2013年・日本)784.(映画)F.トリュフォー監督『終電車』(1980年・フランス)783.(映画)スティーブン・スピルバーグ監督『シンドラーのリスト』(1993年・アメリカ)782.(映画)ローランド・ジョフィ監督『キリング・フィールド』(1984年・アメリカ・イギリス合作)781.(映画)ケビン・コスナー監督『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年・アメリカ)780.(映画)アンソニー・マン監督『エル・シド』(1961年・イタリア・アメリカ合作)779.(映画)山田洋次監督『母と暮らせば』(2015・松竹)777.(映画)大森立嗣監督『マザー』(2020・日本)775.(映画)西河克己監督『伊豆の踊子』(1974年・東宝)772.(映画)ビリー・ワイルダー監督『七年目の浮気』(1955年・アメリカ)770.(映画)武内英樹監督『今夜、ロマンス劇場で』(2018年・日本)765.(映画)塚本晋也監督『野火』(2015年・日本)762.(TVドラマ)橋田壽賀子脚本「おしん」(1983年〜1984年・日本)760.(映画)リー・アンクリッチ監督『リメンバー・ミー』(2017年・アメリカ)759.(映画)ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(2019年・韓国)755.(映画)山本透監督『グッモーエビアン』(日本・2012年)753.(映画)舛田利雄監督『あゝひめゆりの塔』(日活・1968年)752.(映画)劇団ひとり監督『青天の霹靂』(2014年・日本)750.(映画)白石和彌監督『ひとよ』(2019年・日活)746.(演劇)オン・キャクヨウ演出『ギア』(京都・ギア専用劇場)745.(映画)キャロル・リード監督『華麗なる激情』(1964年・アメリカ・イタリア)738.(映画)蜷川実花監督『人間失格 太宰治と3人の女』(2019年・松竹)737.(映画)三谷幸喜監督『記憶にございません』(2019年・東宝)736.(映画)ビリー・ワイルダー監督『情婦』(1957年・アメリカ)733.(映画)マイク・ニコルズ監督『ワーキング・ガール』(1988年・アメリカ)732.(映画)樋口尚文監督『葬式の名人』(2019年・日本729.(映画)是枝裕和監督『万引き家族』(2018年・日本)728.(映画)山下敦弘監督『マイ・バック・ページ』(2011年・日本)727.(映画)藤井道人監督『新聞記者』(2019年・日本)722.(映画)原田眞人監督『関ケ原』(2017年・東宝)719.(映画)ヴィットリオ・デ・シーカ監督『ひまわり』(1970年・イタリア・フランス・ソ連)718.(ドラマ)源孝志作・演出『スローな武士にしてくれ』(2019年・NHK)717.(映画)ヴィクトル・エリセ監督『ミツバチのささやき』(1973年・スペイン)715.(映画)ロマン・ポランスキー監督『テス』(1979年・英仏)714.(映画)ロバート・ゼメキス監督『ザ・ウォーク』(2015年・アメリカ)712.(映画)ロバート・ベントン監督『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984年・アメリカ)710.(映画)岩井俊二監督『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016年・日本)709.(映画)山田洋次監督『小さいおうち』(2014年・松竹)705.(映画)スコット・ヒックス監督『シャイン』(1995年・オーストラリア)704.(映画)上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』(2018年・日本)

<その他>756.福岡市博物館『FUKUOKA アジアに生きた年と人びと 福岡市博物館常設展示公式ガイドブック』730.なべおさみ『やくざと芸能界』講談社α文庫

<最新紹介>

800.乾くるみ『リピート』文春文庫

 この作家は様々な変わった設定で小説を書くので、それがうまくはまった場合は非常に面白く、外れた場合は空回りという感じですが、この作品は割と上手く行っている方です。約10か月前の自分に戻れるという設定です。こういう設定の小説は結構あるようですが、この小説の場合、ナビゲーターがいるというところがミソです。すでに何度もこのリピートを繰り返している風間という男がたまたま電話に出た9人に過去に戻れるのだということを信じさせ、実際に連れて行きます。しかし、戻った世界では戻った10人が次々と死んでいくという事件が生じます。主人公の大学生・毛利はなぜこうした事件が起きるのかを同じく過去に戻った天童らと考えます。そして、実はナビゲーターは1人ではなかったこと、そして自分たちはたまたま電話に出ただけのメンバーではなく、本来は死んでいたメンバーがナビゲーターによって命を助けられたメンバーということがわかります。そして最後は、、、さすがにそこは書かずにおきます。しかし、最後がどうなるかよりも、なぜ次々に過去に戻ったメンバーが亡くなっていくかの謎解きの方が面白いです。

 メイン以外のストーリーのところでの人間関係も割と上手く書けています。今の記憶を持ったまま若い時に戻れたらという発想は誰でも持つものですが、もしも現実になると、確かに実際こういうややこしい事態が生じるだろうなと思えます。トータルでまあまあ読める小説です。(2020.9.26)

799.遠藤周作『父親』講談社文庫

 1979年から1980年にかけて東京新聞に連載された小説ですが、なんか古いなあという印象です。まあ40年前ですから古くても仕方がないとも言えますが、すでに自分が2425歳くらいの時期だったので、この時期にはこんな父親感を前面に出す人がまだまだいたんだったかなと思いながら読みました。でも、時代より価値観が私とは違いすぎるので違和感が強いのかもしれません。『父親』というタイトルですが、実際の物語は「父と娘」の話です。掌中の珠のように育ててきた娘が、妻と子のいる男性と恋愛関係に陥り、それを認められない父親とぶつかり家を出ます。最終的には、男性は妻と子の元に戻ってしまい、娘はふられます。父親は東北まで娘を迎えに行きます。父親は「けじめ」という言葉を頻繁に使います。会社の方針に納得が行かなくて「けじめ」をつけるために退職し、既婚者と恋する娘を「けじめ」がないと批判します。この本が出た年の秋に、読売ジャイアンツの長島監督が「男のけじめ」と言って監督を辞任しますが、この頃の流行りだったのかなと思うほどです。

 しかし、「けじめ」の話以上に違和感を持ったのは、父親は娘を嫁にやりたくないものだという感覚はみんな持っているでしょと言わんばかりの書き方です。そうなんですかねえ。さだまさしの「親父の一番長い日」という歌でも娘と結婚させてほしいと挨拶に来た男に、「わかった。娘はくれてやる。そのかわり一度でいい。奪っていく君を殴らせろ」という歌詞がありますよね。私はそんな風に思ったことはまったくないので、この娘に対する父親の気持ちが全然理解できません。ちゃんとした男を選んでほしいとは思っていましたが、恋人を作るなとか結婚するななんて思ったことは一度もありません。息子も娘も独り立ちできる人間に育て上げれば、後は自分の人生です。相手の人物に関する感想くらいは述べますが、最終的に決めるのは本人です。娘に対する父親の異様な所有意識なんて持つ方がおかしいと私は思うのですが、、、(2020.9.18

798.杉本苑子『伯爵夫人の肖像』朝日文庫

 大正6年に実際に起きた「千葉心中事件」(若き伯爵夫人とお抱え運転手の心中事件で女性の方は生き残る)を追う記者を主人公に、当時の新聞社や新聞記者の生活、華族社会の腐敗を、世相を絡めながら書いた小説です。大正時代なので歴史小説と言い難いですが、長年典型的な歴史小説をものにしてきた著者なので、時代はやや新しいものの、ほぼ歴史小説と言ってよい内容です。主人公(新聞記者)はおそらく架空の人物かと思われますが、物語には実在の著名人がたくさん登場します。こういうストーリーの作り方は、まさに歴史小説の手法です。たぶん、この人物ならこんなことを言ったはずだと作家が想像力を働かせて会話を成立させています。事実だけに基づいて書こうと考えたら、こんな風に物語は作れなくなりますが、このあたりを自由に書くところが歴史小説の面白さです。ただし、時代が新しく(物語の舞台は1917年から1920年代前半くらいまでなのに対し、この小説が発表されたのは1985年)登場人物の子どもや孫なども生きてたりするでしょうから、そういうところからクレームが出ないようにしないといけないのが、新しい時代を歴史小説として描く難しさでしょう。

 それほど大きく扱われているわけではありませんが、1918年から日本でも大流行したスペイン風邪のことも織り込まれているので、今の時期にこの小説を読むことになったのも何かの縁かなあと思いながら読み終えました。比較的読みやすい小説です。(2020.9.8)

797.川端康成『みずうみ』新潮文庫

 これは川端が新しい様式の小説をめざして実験的な狙いで書いたものなのではないかと思いますが、正直言って失敗していると思います。気持ちよく読み進めない小説です。その最大の理由は時制がめちゃくちゃなのです。主人公の少年時代の過去に戻ったかと思ったら、少し前の過去、現在、また別の過去と脈絡なく時制が変わります。それも章を変えるとか、せめて1行くらい開けるとかしてくれたら読む方もここで時制が変わるのかと理解ができますが、主人公に過去の記憶が浮かんでくるという感じで急に時制が変わります。非常に理解しにくくついていけません。

 そして主人公が美少女好きでストーカー行為――1954年の小説なので、後をつけるという行動です――を頻繁に行う気持ちの悪い人物だというのも、この小説を受け入れにくくしています。少年時代の2つ年上の従姉、高校教師時代の教え子、さらには町で見かけただけの美少女につきまといます。全部拒否されているなら、キャラクター設定としては明確になりますが、なぜか教え子の少女とはうまく行っていた時期もあることになっています。しかし、なぜこの気持ち悪い教師と上手く行くのかまったく理解できないような人物です。物語の終わり方もさっぱり理解できません。長靴を履いた40歳くらいの美しくもない女性とおでんを食べ、家まで送っていき、向かいにあった連れ込み宿に誘わないことを女性が怒り石を投げつけられ、逃げて終わります。一体なんなんだ、これは?という感じでした。

 また、物語の中盤で、この主人公とほんのちょっとだけの接点があった妾暮らしの女性の家での生活が長々と描かれます。最後に何かこの描写が生きてくるのかなと思いましたが、まったくそんなこともありませんでした。なぜ、この女性の生活やこの家の女中である母娘のことをこんなに克明に描く必要があったのだろうとまったく理解できませんでした。川端康成というと、『雪国』『伊豆の踊子』「ノーベル賞」と思い浮かび、抒情的な小説で日本を代表する大家という印象が強いですが、駄作もたくさんあるなと知ったのが唯一の収穫でした。(2020.9.7)

796.乾くるみ『セカンド・ラブ』文春文庫

 『イニシエーション・ラブ』で有名になった作家で、この作品も『イニシエーション・ラブ』と同様「2度読み必至」とあらすじ紹介欄に書いてあったので、ちょっと期待して読みましたが、今一つどころか今三つくらいの作品です。確かに、最後を読むと最初に戻って確認したくはなります。でもそれだけです。そういう設定をしたらそういうズルもそりゃできるよねとツッコミたくなります。そして、その2度読みの部分が全体にとってたいした重要さを持っていないのもがっかりさせる原因です。

 里谷正明という26歳の男性の視点で、恋人の内田春香と彼女とそっくりの半井美奈子という二人の女性への思いでいろいろ悩むというストーリーですが、ここでも一卵性双生児だった、一人二役だったといった設定が使われます。最後にすべてを悟った主人公の男性がある行動を取り、それがこの本を「2度読み」させるポイントになっているわけですが、なんでその行動を取ったのかの説明はないですし、最終的にかなりひどい女である内田春香という女性が一体なぜこんなひどい行動を取ったのかも何も説明されません。

 最後を読んで最初だけ「2度読み」させるためだけに考えられたキセルのような中身のない小説です。舞台となっている80年代前半の世の中のこととかを時々これ見よがしに描写しますが、それも作者の自己満足にすぎないという印象です。50点くらいの小説です。(2020.9.6)

795.川端康成『古都』新潮文庫

 川端康成の有名な作品ですが、京都が舞台なんだろうなというくらいしか知らないまま読み始めましたが、主人公の女性が実は一卵性双生児だったという、少女マンガのような設定の物語でした。純文学というよりは中間小説あるいは大衆小説に近い感じです。京都の着物問屋の一人娘として何不自由なく暮らす主人公の女性・千恵子は、実は捨て子だったという境遇にあり、その双子のもう一人・苗子とたまたま出会います。瓜二つだったために、知り合いも違う人物だと気づかないという設定です。千恵子を愛していたやや身分違いの機織り屋の息子・秀男は、双子だと知り、千恵子に届けられぬ思いを貧しい生活をしている苗子に求婚することで思いを遂げようとします。しかし、苗子は自分が千恵子の身代わりに過ぎないことに気づき、求婚を単純には受け入れられない気持ちを持ちます。さあ、この後どう展開するのだろうと思ったら、ここで物語は終わってしまいます。

 あとがきに、この小説は朝日新聞に連載されていたもので、連載終了後まもなく、睡眠薬を使いすぎていた川端康成は入院をし、10日ほど意識不明の状態に陥ったほどで、この「古都」という小説も何を書いたか思い出せないほどだったと、川端は書いているので、本当はもっと続く予定の物語だったんだろうなと思います。あまりに唐突な終わり方で、未完成の小説としか思えません。残念なので、私が勝手にこの後のストーリーを考えてみます。

苗子は悩みながらも秀雄の求婚を受け入れるが、やはり身代わりとしてしか愛されていないという気持ちが払しょくできず苗子と秀男の結婚生活には隙間風が流れる。他方、千恵子は実家よりも大きな問屋の息子・竜助を入り婿として受け入れるが、千恵子が本当に好きだったのは幼馴染であった弟の真一の方だった。そのことに気づいてしまった竜助は徐々に千恵子に辛くあたるようになり、芸妓遊びなども派手になり、いったん持ち直しかけた問屋家業が傾き始める。そんな時に、苗子とたまたま会い、姿形はそっくりでも千恵子とは異なる心根の苗子に惹かれていく。苗子はここでも千恵子の身代わりでしかない自分を嘆くも、竜助の強引な誘いを断りきれずにいる。他方、千恵子は夫婦間の悩みを真一に隠そうとするが、真一の方がそれとなく気づいてしまい、「辛いのだったら、兄と別れ、自分と一緒になろう」と優しく語りかけてくる。苗子の夫・秀男も最初は千恵子への叶わぬ思いを苗子に向けているのだと思っていたが、徐々に「自分が本当に好きなのは千恵子ではなく、苗子なのだ」と気づき、改めてその思いを苗子に伝えようとする。果たして、この5人の恋の行く末は、、、、、

いかがでしょうか?こんな恋の五角形にしたら面白いのではないでしょうか?結末はいろいろ考えられますが、個人的趣味としては、1人くらい自ら命を絶つパターンに持っていきたいですね。私が誰を殺すかわかりますか?(笑)(2020.9.5)

794.桜木紫乃『ホテルローヤル』集英社文庫

 直木賞を取った小説です。直木賞に決まった時から面白そうだなと思っていたのですが、ようやく読みました。読み終わった感想は「上手いなあ」というものです。よく練られた小説です。ホテルローヤルというラブホテルを舞台にした連作短編小説です。そういう物語だというのは知っていたので、幾分官能小説みたいな要素もあるのかなと予想しながら読み始めましたが、まったくそういうストーリーではありませんでした。ホテルと小さな接点でつながっているだけの様々な人の生活と気持ちが丁寧な描写で描かれます。無駄のない繊細な表現力をもつ作家です。

 何よりいいのは連作の魅力を見事に活かしているところです。7編の短編は時間軸が逆になっていて徐々に時代が遡っていきます。最初の短編で潰れて廃墟になったホテルとして登場するホテルローヤルが最後の7編目では開業の時の話になります。もちろん、ただひたすらホテルの盛衰を描いているわけではありません。上に書いたようにホテルとほんのわずかな接点しかない人の生活と気持ちが見事に描かれていて、ひとつひとつの物語が十二分な余韻を残します。この作家の別の作品も読んでみたくなりました。(2020.9.4)

793.白石一文『私という運命について』角川文庫

 文庫本で489頁もありますが、正直言って駄作です。女性主人公の29歳から40歳までの人生を描くということで、その設定でしっかり描けていたら面白いかもと思いながら読み始めましたが、割と最初の段階でこれはだめだと思いました。無駄に長くするために、社会の変動と関わらせたようなストーリーにしていますが、あまり本質的な感じはしません。欧米小説の無駄に長いストーリー作りと似ている気がしました。登場人物のキャラクターが一定しないし、魅力的ではないんですよね。男性作家が書く女性心理の典型という感じもしますが、男性キャラクターも魅力的に描けていないので、性は関係なく、この作者の技量の問題なのかもしれません。

 メインのストーリーは女性主人公が20歳代後半ではプロポーズを断った男性と30歳代後半になって今度は自分から結婚してほしいと言い、子どももできますが、その日に新潟中越地震のせいでその男性は死んでしまうという話です。なんかなぜ最初に「この人は運命の人ではない」とか言って振っておいて、やっぱり運命の人だったということになるのかさっぱりわかりません。二番目につき合っていた男性とも「あなたのためならどんなこともしてあげる」と言った舌の根も乾かないうちに、事故った彼に代わりに運転していたことにしてほしいとい言われ、なんてことを言う男だとあっさり別れます。二重性格かとツッコミを入れたくなる場面です。

 そして、どの登場人物も長々と自分の思想を語ります。うるさいよと言いたくなるくらい、みんな能弁です。こんなに人は論理立てて思想をべらべら喋らないよとここもツッコミたくなります。なんかこの作者の人間モデルが妙に理屈っぽいのです。この作家の作品を紹介するのは二作目ですが、今一作目の『一瞬の光』(No.207)という作品にどんな感想を書いていたのだろうと見たら、今回と同じような感覚を抱いていたことがわかりました。今回でしっかりこの作家の名前をインプットし、今後は100円でもパスします。時間の無駄です。(2020.8.31)

792.(映画)是枝裕和監督『歩いても歩いても』(2008年・日本)

 2008年の映画が2012年にテレビで放映されていた時に録画し、それから8年経った今年ようやく見ました。世間で評価されるほどに、是枝裕和を買っていない私は、以前に初めの方だけちらっと見て「なんだか退屈そうな映画だな」とそのまま8年間放置していました。このコロナ禍の自粛生活でだんだん見るものがなくなってきて、ついに8年前に録画したこの映画を見てみることにしました。見終わった感想は、「うーーん、、、」というものでした。最初にちらっと見てやめた「退屈そうな映画」という評価は結局最後まで変わりませんでした。

 是枝裕和はどういう家族を描きたいんですかねえ。一見うまくいってそうに見えても、実はみんな心に刺のようなものを持っているとか、あるいは救いなさそうなところにも小さな幸せはあるという感じでしょうか。小津安二郎的なものを意識しているのでしょうか。小津作品も最近はちっとも面白いと思えなくなりましたが、是枝作品も駄目ですね。まあ話題にはなるので、テレビで放映したら一応録画して観たりしますが、いつも鑑賞後に隔靴掻痒感が残ります。

 さてこれでは映画の中身がまったくわからないので、少し内容紹介をしておきます。主役は阿部寛ということに形式上なっていますが、実質はその母親役の樹木希林です。セリフが多いです。そして、いろいろな人に対する自分の気持ちをよく喋ります。海で少年を助けようとして溺れ死んでしまった長男の命日に、長女一家と次男一家が集まります。長女はYOUが演じていますが、閉院した父母の医院であるこの家を二世帯住宅に改築して自分たち家族が一緒に住むことを考えています。母親である樹木希林は「あたしはいいんだけど、お父さんがねえ、、」とひとのせいにしながら、実際には他人である婿やうるさい孫と一緒に住みたくないという気持ちを、次男である阿部寛に吐露します。

 その阿部寛の妻は夏川結衣が演じていますが、こちらは子連れ再婚です。樹木希林とは互いに気を遣いながら微妙な空気が醸し出されます。この映画の樹木希林は愛する長男を失ったせいか、非常に根性が悪く、この嫁についても阿部寛に「子どもはどうするの?作らない方が別れやすいから作らない方がいいね」などと話したりします。夫は原田芳雄が演じていますが、二人の思い出の曲として樹木希林が「ブルーライトヨコハマ」をかけ、その歌詞の中に「歩いても歩いても」という部分があるので、それがこの映画のタイトルにもなっているのですが、この言葉で是枝裕和が何を言いたかったのかよくわかりませんでした。また、樹木希林と原田芳雄にとって、この曲がどういう思い出の曲なのかもちゃんと語られないので、すっきりしません。

 この映画における樹木希林と家族の根性の悪さがもっとも現れるのは、10年前に海で助けてもらった少年が25歳の青年として尋ねてくる場面です。毎年命日には線香をあげに来ているという設定ですが、彼は就職もうまくいかないフリーターの太った気の弱そうな人物としてそこにいます。助けてくれた人の家族に囲まれ、「もらった命なので、その分も頑張って生きます」というのですが、どちらかと言えば、そう言わざるをえない空気に合わせている感じです。太り過ぎた体からは汗が吹き出し、靴下は泥がつき、彼が帰った後、ほぼ全員で笑い者にしています。しかし、樹木希林は送り出す時に「また来年も必ずきてくださいね」と念押しをします。その晩、阿部寛から「もういいんじゃないの、来させなくても。彼もかわいそうだよ」と言われると、「だから来てもらっているのよ。10年くらいで忘れてもらってはたまらない。なんであんな人を助けるために、うちの息子が死ななければならなかったのだろう」と愚痴ります。

 この映画で是枝裕和は何を描きたかったんでしょうか。優しげに見える人の心に刺があるとしか印象に残らない映画です。最後の最後にとってつけたような、母親のセリフが息子の心に響いていたという場面が現れますが、この程度でそれまでの2時間以上の印象は覆りません。見終わって「いい映画を観た」という気持ちにまったくならない作品です。(2020.8.30)

791.乃南アサ『窓』講談社文庫

 歴史書ばかり読んでいて少し飽きてきて久しぶりに小説を読もうと思うと、結局乃南アサ作品に手が伸びてしまいます。彼女は本当にプロの小説家なので、どの作品もそれなりのレベルにあり、安心して読めます。もう30冊以上読んできたと思いますが、この「本を読もう」のコーナーでは56冊しか紹介してないと思います。

 さて、久しぶりに読みましたが、この作品もやはり上手に書いています。登場人物のキャラクター設定、伏線の処理の仕方、無理なく様々な関係性を処理し、かつ最後に「えっ、そうだったっけ?」と前に戻って確認したくなる読者騙しのテクニック(私は、二か所で遡りましたが、たぶん多くの読者が私と同じ個所で同じように前に戻って確認していると思います)、読みやすいリズムのある文章、いずれも見事です。主人公の高校3年生の少女・麻里子は聴覚障害をもつ少女で、その聴覚障害がこの物語では重要な設定となっています。ただし、それは物語の肉付け的な位置付けで、骨格になる設定はまた別にあります。それをうまく融合することができる上手さがこの作家にはあります。強いてケチをつければ、「窓」というタイトルが、それほど物語には関係なく、このシリーズの第1作が「鍵」だったので、1文字にしたくて無理につけたんだろうなという感じがするところくらいです。まあでも、全体としては読みやすくてよい時間つぶしになる作品です。(2020.8.25)

790.(映画)クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』(2008年・アメリカ)

 この映画はたぶん見たのは2度目だと思います。部分的に覚えている場面がかなりありましたので。でも、ここに書いておかないと細かいストーリーは忘れてしまいますね。見ながら、ああそうだ、次はこんな場面があるはずだと蘇るのですが、結末まで一気に思い出せないので、結局もう1回しっかり見てしまいました。でも、クリント・イーストウッド監督作品は好きなので、2度目でも見て時間を損した気持ちはなりませんでした。

 この物語は最初に「A true story」と表示されるように、実際にあった事件を元にしたものだそうです。ストーリーは19283月にロサンゼルスでシングルマザー・クリスティン・コリンズの9歳の1人息子が突如姿を消すところから始まります。5か月後に子どもが見つかったとして連れてこられた少年は息子ではなかったにもかかわらず、ロス市警は母親の方がおかしいのだと主張して間違いであることを認めようとしません、さらには、警察を訴えようとする母親を精神病院送りにまでします。とれも実話とは思えないほど、警察が不当なのですが、どうも実話のようです。

 この事件が別の局面に動き出すのは、ゴードン・ノースコットという連続少年誘拐殺人犯がつかまってからです。彼が殺したと自白した少年の1人がクリスティンの息子・ウォルターだったのです。このノースコット事件も実話です。腐敗した警察組織と異常犯罪者というふたつの悪にどん底に突き落とされるクリスティンを、アンジェリーナ・ジョリーが熱演しています。結末までは書きませんが、異常犯罪者よりも警察の腐敗と警察権力の過剰な行使、それに従う医師や看護師たちがこんなにいたのかと思うと、本当にぞっとします。実話に基づく物語はいろいろなことを考えさせられます。(2020.8.24)

789.(映画)蔵原惟繕監督『愛と死の記録』(1966年・日活)

 渡哲也の追悼記念として、BSNHKで放映されていた映画ですが、いろいろな意味で興味深い映画でした。主演は吉永小百合で、渡哲也とはこの映画初共演で、彼らはこの映画で出会い、実際に恋に落ち結婚まで考えるようになったというのは公然の秘密になっています。1980年代後半くらいにテレビのトーク番組で吉永小百合が失恋経験を語っているものがあるのですが、その失恋相手は明らかに渡哲也だろうなあと思えます。

 まあそれはともかく別の観点からもこの映画は興味深かったです。渡哲也が原爆症の青年で吉永小百合演じる女性と恋に落ち結婚も考えるようになりますが、自分が原爆症で将来はないかもしれないという不安に囚われ、プロポーズを待つ吉永小百合に言いだせません。ついに自分が放射能を高い濃度で浴びていて原爆症なんだと告げるのですが、なんとその場面が原爆ドームの中で撮影されています。今は立ち入り禁止になっている原爆ドームですが、この映画ではしっかり中に入って撮っています。まだ耐震補強工事や整備がされる前だったために、ドームの周りは草茫々だし、ドームも今より古びていて壊れそうな感じがします。このフィルムが残っているのは貴重だと思います。

 ストーリーはあまり詳しく書いてしまうと、いつか見る人のためにならないので書かずにおきますが、この当時の広島で原爆の後遺症と人々がどう向き合っていたかがよくわかる映画です。(2020.8.22)

788.(映画)水田伸生監督『あやしい彼女』(2016年・松竹)

 昨年NHKドラマで「それは経費で落とせません!」というドラマを見て以来、多部未華子のコメディエンヌとしてのセンスが気に入り、今はドラマ「私の家政婦・ナギサさん」も楽しく見ています。そんな時に、NHKBSプレミアムで、多部未華子主演の映画だというので、とりあえず見てみようと思い見はじめました。多部未華子は、73歳のおばあちゃんが急に若返ったという設定で登場してきます。その辺は新聞の紹介欄にも出ていたので、わかっていたことですが、彼女が歌が上手くそれで孫を含めたバンドが人気者になっていくというストーリーとは知りませんでした。多部未華子が歌が歌えるのかどうか知らなかったので、アテレコかあるいはかつて佐藤健がまったく声を出さないボーカル役をやった映画のように、本人が歌うわけではないのだろうなと思い見ていたら、なんと上手に歌うじゃないですか。ストーリーとして、その歌声があまりにも素晴らしいのでという設定なのですが、確かにこの多部未華子の声は、その役に恥じない声だなと思えました。60年代風ファッションと踊り方で歌う多部未華子の魅力が十分に出ている映画でした。

 後で調べたら、この映画はもともと韓国で作られたもので、アジア各国でそれぞれ各国バージョンができているようでした。軽く楽しく見られる映画でした。(2020.8.19)

787.(映画)油谷誠至監督『飛べ!ダコタ』(2013年・日本)

 そこまで素晴らしい映画というわけでもないのですが、なんだか胸が熱くなって何度も涙してしまいました。第2次世界大戦が終わって5か月後に、佐渡島にイギリスの飛行機(ダコタ)が不時着し、それを島の人々が協力して滑走路を造り再び飛行させるというストーリーです。このイギリス機の不時着は実際にあった歴史的事実だそうで、これにフィクションを組み合わせて作られた映画です。

 「鬼畜米英」と唱えていた戦争が終わってわずか5カ月でその「鬼畜」と思っていたイギリス人に遭遇するわけです。当然最初はみな怖がり、なるべく近づかないようにしようとするのですが、徐々に心が通い合い、この飛行機を再度飛行させるためにみんなで協力しようということになります。ただ、他方で戦死の連絡が届いたりする中でどうしても敵と思っていたイギリス人を受け入れられない者もおり、この計画を阻止しようとしたりもします。たぶん、このあたりは映画をドラマチックにするためのフィクションかと思いますが、うまくはめ込めています。

 結局、こういう風に個人と個人としてつき合うと簡単に心が通い合うのに、戦争となるとどうしてあんなに敵として憎んだりできるのだろうかという疑問を、観た人がすべからく持つような映画になっています。人の優しさが伝わってくる良い映画でした。(2020.8.17)

786.海音寺潮五郎『吉宗と宗春』文春文庫

 紀州藩主から徳川8代将軍となった徳川吉宗と、彼の政策にことごとく対立した尾張藩主・徳川宗春が本書のタイトルですが、実際は宗春について書かれた歴史小説です。この小説はもともと1939年〜40年に雑誌に掲載されたものだったそうですが、そんな80年前の小説とは思えません。というか、なんだかコロナでみんなが行動自粛をしている今の時代と重なって読めます。一般的に吉宗は享保の改革を成し遂げ幕府の財政を立て直した名将軍と言われていますが、この小説ではまったく評価されません。宗春があえて派手で驕奢な生活を打ち出しますが、その論理は「武士と農民だけなら倹約をすればするほどいいかもしれないが、商人や職人にとっては物が売れなくなり、金が回らなくなり、みな苦しむことになる。ひたすら倹約しろという政策は間違っている」というものです。なんだか、今の日本社会のことを言われているようです。今は倹約のためではないですが、旅行をするな、飲み会をするなという、楽しいことは我慢しましょうという政策が打ち出されています。まるで倹約して地味に暮らしなさいというのと似ています。著者は宗春を魅力的な人物に書いていて、この本を読む限りは、将軍に逆らってまで素晴らしい政策を打ち出していたのに不当に隠居させられたという印象になりますが、他の情報を調べてみると、派手な放漫財政で藩財政を危機に陥らせたという指摘もあるようです。歴史的事実はどうなのか明確にわかりませんが、少なくともこの小説で描かれる徳川宗春という人物は魅力的です。(202.8.16)

785.石原比伊呂『北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書

 タイトル、特に副題は一般人から批判されないように編集者が考えたんだろうなと思います。「翻弄された」というより、武家政権に取り入りながら生きてきた天皇家という内容の歴史書です。私より20歳以上若い本書の著者の価値観には天皇家を特別視する見方はまったくなく、そこまで本人は意識してないかもしれませんが、右寄りの人が読んだら、かなり憤るような書き方で天皇家や天皇、上皇を描写しています。これまで読んだ新書版の歴史書の中でもっとも軽いタッチで描かれています。比喩もすごく低次元のものが使われていて、あえてこうしたというよりはこの著者には、これが普通の感覚なんだろうなと思いました。ある意味、新しい歴史家の登場かもしれません。

 歴史書とは思えないほどの軽い書き方なのでさらっと読めますが、通常あまり光の当たらない室町期の天皇家と足利将軍家の関係に踏み込んだ内容はなかなか新鮮で面白かったです。承久の変で鎌倉幕府に敗れほぼ武士政権の言いなりだった天皇家は後醍醐天皇という強烈な個性の持ち主の登場によって、いったんは天皇親政を生みだしますが、結局武力の多寡には敵わず、足利幕府に屈します。しかし、その間に複雑な皇統の争いがからみ、よく知られる南北朝の対立だけでなく、北朝自体にも皇統争いあったことがわかりやすく説明されます。伏見宮家って、なんでこんな昔から皇族の扱いなのだろうと疑問に思っていたことも、この北朝の皇統分裂の説明で納得が行きました。室町時代の天皇なんて何のイメージもなかったのが、この本を読んで11人の個性が見えてきて興味深かったです。 ただし、かなり自由に自分なりに解釈しているところも多そうなので、話半分に聞いておこうと思っています。(202.8.15)

784.(映画)フランソワ・トリュフォー監督『終電車』(1980年・フランス)

 名前だけは記憶のどこかにあったのですが、内容はまったく知らず見始めました。タイトルと中身はほとんど合っていません。ナチスに支配されたパリの劇場を舞台にした劇中劇です。カトリーヌ・ドヌーヴ演じる女優は、ユダヤ人演出家である夫を国外に逃亡したことにして劇場の地下にかくまっているという設定です。ナチス寄りの映画批評家にいろいろ詮索されながらも、なんとか芝居を続けています。舞台の声が地下でも聞こえるように細工し、地下で芝居を聞きながら、夫の演出家はアドバイスをします。舞台の主演男優は、一見女たらしのようですが、実はレジスタン運動に関わっていたりします。舞台を酷評したナチス寄りの批評家を殴りつけ、ドヌーヴから叱責されます。しかし、実は二人は互いに惹かれていたとなります。

 ああ、なんか全然上手くまとめられません。私の能力の問題もあるかもしれませんが、トリュフォーが言いたかったことは何なのかが正直言ってあまりよくつかめないのが原因です。ナチスのユダヤ人迫害をテーマと見るにはあまりに緊張感のない展開です。また、ドヌーヴをめぐる三角関係と言うほどには恋愛ものの魅力もありません。この時、36歳か37歳だったドヌーブが魅力的だったということ以外、実は評価するところがありません。この映画が公開された頃、私にとってドヌーヴはもうおばさんにしか見えていなかったのに、今見ると実に色っぽくて綺麗です。20歳代前半の私と、60歳代半ばの私では女性の見方がまったく異なるんだなあという妙な感想を持ちました。(2020.8.14)

783.(映画)スティーブン・スピルバーグ監督『シンドラーのリスト』(1993年・アメリカ)

 有名な映画ですが、初めて観ました。ナチス支配下のポーランドで1200人のユダヤ人を救い出したオスカー・シンドラーという人物を主人公にしたストーリーです。シンドラーはもともとナチス党員にもなり、安い労働力を使って軍需関連産業で儲けるだけしか考えていなかった人間だったのが、ナチスの非道行為を見る中で徐々に考えを変え、出来る限りのユダヤ人を救い出そうとします。映画は現代の場面以外は基本的に白黒映像で撮られています。唯一赤い服を着た少女が写るですが、ここに託したスピルバーグの狙いは私にはもうひとつわかりませんでした。

 下に取り上げた最近見た映画と同様、この映画もエキストラの使い方と撮影技術がすごいなあと感心しました。身体検査をされるユダヤ人役の多数の人が素っ裸にされる映像が出てきますが、こんな役を演じてくれるエキストラがこんなにたくさん集められるのだと感心し、また多くの人がこの映画の中で至近距離で射殺される場面があるのですが、殺される人の動きなどが実にリアルです。1993年の映画ですから、まだそんなにCGを駆使しきっているわけではないと思いますが、こんな動き、普通はできないよなと感心しました。

 妙な感想になりましたが、見応えのある作品であることは間違いありません。社会派映画は面白いです。(2020.8.10)

782.(映画)ローランド・ジョフィ監督『キリング・フィールド』(1984年・アメリカ・イギリス合作)

 ポルポト政権時代のカンボジアを描いた作品です。若い方は、ポルポト政権時代のことを知らないでしょうが、中国の文化大革命の影響を受け、エリートの存在を否定し、都市の住民を農村に移住させ、原始的な農業生産に携わらせることをしたわけですが、それだけでなく政権にとって好ましくないと勝手に決め、多数の人間を殺戮もした時代でした。正直言って、私もまだ若かった時代で、なぜこんな政権ができたのかはもうひとつわかっていませんでした。この映画を観ても、そのあたりの詳しい事情はわからないのですが、観ることによって思わず調べたくなります。私が調べて理解したことを書いておくと、ベトナム戦争が発端になります。アメリカが介入してからベトナム戦争は泥沼化しますが、隣国であるカンボジアも巻き込まれます。カンボジアの極左共産党組織・クメール・ルージュ(ポル・ポトが指導者)などを中心に北ベトナムやベトコンへの支援がなされます。当時はシアヌークが国王としていたのですが、容共的立場を取っていたため、1970年にアメリカの支援を受けたロン・ノルがクーデターを起こし、王制を倒します。アメリカは北ベトナムへの助力を断ち切るために、カンボジアにも空爆を加え、国土が荒れ果て農産物も十分できなくなります。その結果、国民のロン・ノル政権に対する不満が高まり、クメール・ルージュが支持されるようになり、ロン・ノル政権は倒され、ポル・ポト政権となります。しかし、そこで展開されたことは、当初のカンボジア国民の期待とはまったく異なる異様な生活だったわけです。

 以上のような内容は映画では読み取れませんが、こうした知識を持った上での方が映画の紹介もわかってもらえるでしょう。形式上主人公はアメリカの新聞記者・シドニー・シャンバーグですが、実際の主役はカンボジア人の通訳兼記者のディス・プランという人物です。クメール・ルージュの支配が及び始めた際にカンボジアに残り、状況を世界に伝えようとした2人ですが、クメール・ルージュの方針で外国人は国外退去、カンボジア人にはそれを許さないということで、プランはカンボジアに取り残されます。エリートに厳しく対処していたクメール・ルージュなので、プランは自分が英語やフランス語を喋れることを徹底して隠して何とか生き延び、ついにタイへの脱出に成功し、シャンバーグと再会し、物語は終わります。

 この映画で驚かされるのは、たくさんのカンボジア人がこの映画に役者やエキストラとして参加しているのですが、ポル・ポト政権が倒れてからたった5年しか経っていない時期にこの映画が作られていることです。出演したカンボジア人はどういう気持ちでこの作品に参加したのだろうかと気になりました。クメール・ルージュの辛い記憶はまだ生々しいものとして多くの人が持っていたはずです。撮影秘話を知りたいなと思いました。(2020.8.7)

781(映画)ケビン・コスナー監督『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年・アメリカ)

 よい作品でした。南北戦争でアメリカの英雄になった将校が西部のフロンティアを見たいと志願して最果ての砦にやってきて、そこでスー族インディアンと交流を深めるストーリーですが、1950年代、60年代にジョン・ウェイン主演で作られた作品などと違って、インディアンたちこそアメリカの先住民であったのに移住者であるアメリカ国家によって不当に抑圧されてきたのだということを知ることのできる内容です。広大な土地で撮影された美しい映像、異なる言語や文化であっても心の通い合いは生まれるのだと思わせてくれるテーマで好作品です。タイトルにもなった狼――たぶん狼犬なのでしょうが――の演技も静かに印象に残ります。

 アメリカ白人文化の中で先住民としてのインディアンをこんな風に丁寧に描いた作品は他にはないのではないでしょうか。今も白人中心主義がはびこるアメリカで改めて見直されるべき映画ではないかと思いました。(2020.8.6

780.(映画)アンソニー・マン監督『エル・シド』(1961年・イタリア・アメリカ合作)

 自宅で過ごすことが多いので、せめての気晴らしに録り溜めていた映画をいろいろ見ています。この映画は、チャールトン・ヘストン主演の歴史ロマン大作です。物語は11世紀のスペインを舞台にした話で、伝説の勇者「エル・シド」という一応歴史上実在の人物の若き日から最後までを描いたものです。この時代のイベリア半島の歴史なんて、イスラム国家との覇権争いが行われていたんだろうなくらいしか知らず、まあとりあえず見てみようと思って見ていました。割と単純なストーリーで、それほど素晴らしい映画だとも思いませんでしたが、見終わってから史実の方を調べて、少しだけ中世のイベリア半島の知識が増えたので、それでよしとします。

 映画の中身より気になったのは、CGのまったくなかったこの時代に多数の人間が戦う戦闘シーンを何度か描いているのですが、エキストラの数は大変なもので、彼らにちゃんとこの時代の衣装を着せていますので、一体製作費はいくらかかったんだろう、利益は出たんだろうかと、他人事ながら心配になりました(笑)この時代、ハリウッドは何作もこういう歴史ロマン大作の映画を作っているのですが、映画産業の最盛期だったんだなあとしみじみ思ってしまいました。(2020.8.5)

779.(映画)山田洋次監督『母と暮らせば』(2015年・松竹)

 井上ひさし原作の名作舞台劇で映画化もされている「父と暮らせば」(本コーナーでの紹介:175.(映画)黒木和雄監督『父と暮らせば』(2004年・日本))の応答のような形で、山田洋次が作った映画です。舞台は前者が広島、後者が長崎で、生き残るのは、前者は娘で、後者は母で、霊として表れるのが前者は父で後者が息子です。どっちがいいかというと、私は圧倒的に前者ですね。生き残った娘が自分だけ幸せになってはいけないと恋愛に悩むのは、宮沢りえの痩せた姿とともに納得のいく感じでしたが、本作の場合は残されるのが母役の吉永小百合なわけですが、どうも戦後すぐのやつれ感が吉永小百合では出ないし、母なので「父と暮らせば」の宮沢りえのような悩み方はできません。仕方がないので、息子の恋人役として黒木華を配役し、彼女に結局宮沢りえと同じ役割を担わせます。なんだ、結局「父と暮らせば」と同じテーマになってしまっているのではとツッコミたくなりました。あと、霊として出てくるのが「父と暮らせば」では父役・原田芳雄に対し、「母と暮らせば」では息子役・二宮和也なのですが、ガキっぽ過ぎて、この時代の医学生に見えません。まるで小学生みたいで、母親との会話も小学生と母親の会話みたいに感じてしまいました。

 最後の吉永小百合も死んで雲の上に二宮和也とともに去っていくシーンでは白い服を着た天国の合唱団みたいな人々が現れ合唱をするのですが、なんかすごく安っぽい映画になってしまった感じです。唯一よかったなと思ったのは、死ぬ前に婚約をして幸せになっていくであろう息子の元恋人に対して、「どうしてあの子が代わりに死んでくれなかったのか!」と吉永小百合が吐露するところでした。ここだけリアルな母親の気持ちが出ている感じがしました。山田洋次は、好みの俳優を使うことを優先し、役柄に本当に合う役者を探そうとしないので、もう傑作は作れないですね。(2020.8.4

778.城山三郎『秀吉と武吉』新潮文庫

 1520年に生まれ1604年に亡くなった、瀬戸内海を支配した村上海賊の首領・村上武吉の一生を描いた伝記小説です。タイトルから豊臣秀吉と海で戦ったのか?いやそんな歴史はないよなあと思っていましたが、実際秀吉とは戦っておらず、敵視されあちこちに移住させられるだけです。むしろ、秀吉との関係に入る前の方が面白いです。毛利元就が大きくなるきっかけとなった厳島攻めにも参加し、信長の石山本願寺攻めを邪魔したり、鉄で覆われた信長の巨大船と戦ったり、小早川隆景や安国寺恵瓊との関係などが、どこまで事実かわかりませんが、興味深いところでした。小説やドラマによく描かれる戦国から安土桃山、そして江戸幕府へという時代を瀬戸内海の海賊だった村上武吉の視点から見るのは面白かったです。特に、鞆の浦の研究を長くしている私にとって、このあたりの地理に関してはかなり頭に入っているので、特に面白く思えたと思います。このあたりの地理が頭に入ってないと少し読みにくいかもしれません。(2020.7.30)

777.(映画)大森立嗣監督『マザー』(2020・日本)

 少年が血だらけのTシャツを着ている姿と「なめるように育てた」というセリフとともに、長澤まさみが小学生くらいの少年の膝小僧をなめる映像くらいしか知らないまま、社会派映画みたいだし、長澤まさみが熱演しているなら見てみようと映画館に足を運びました。映画としての出来はまあまあというところでしたが、途中からこの話ってフィクションじゃなさそうだなと思い、終わってから調べてみたら実際にあった事件のノンフィクションが原作と知りました。実際の事件というのは、2014年に川口市で起きた孫による祖父母殺害事件だったのですが、こんなセンセーショナルな事件なのに、私の記憶にはこの事件のことがまったく残っていませんでした、ワイドショーとかで取り上げていないはずはないのできっと事件のニュースは見たのでしょうが、時々起きる家庭内暴力をしていた孫による殺人なんだろうと思い、それほど特殊な時間と思わなかったのかもしれません。あるいは、殺害時間が発見されてから、孫が犯人だったとして逮捕されるまで2カ月くらい経っていたので、関西版では大きく報道されなかったのかもしれません。いずれにしろ、この事件に母子の共依存関係という複雑な背景があったとは全く知りませんでした。

 さて、映画ですが、悪くはないのですが、なんか違和感もありました。主役の母親が長澤まさみなわけですが、どうも自堕落な母親に見えきれないのです。これだけ綺麗でスタイルもよければいろいろ仕事は探せたのではと思ってしまいます。あと、映画の中でお金もない時に妊娠したのに、その後どうするんだろうと思っていたら、ぽんっと5年後に飛んでしまい、元気そうな5歳の女の子が登場するので、どうやってここにたどり着けたのだろう不思議に思わざるをえませんでした。長澤まさみは確かに熱演でしたが、安藤サクラあたりにやらせた方がもっとリアリティが出たのではと思ってしまいました。またDV男として登場するのが、阿部サダヲなのですが、最近のいい人役が目に焼き付いていて、怒鳴ったり蹴ったりしてもなんか嘘っぽいし、長澤まさみが惚れるとは思えない感じでした。もう少し苦み走ったいい男にやらせた方がこの役は合っていたように思います。まあでも、悪くない映画です。原作本を読んでみようと思います。 (2020.7.26)

776.藤沢周平『一茶』文春文庫

 喜多川歌麿に続いて、小林一茶について藤沢周平作品を読んでみました。こちらも、「一茶って、こんな世俗的成功を求めていたんだ」と驚きでした。なんとなく豊かで優雅な隠居生活でも送っている人かと思っていたのですが、全然違っていました。信州の農家の出身で義母と合わず江戸に出て様々な仕事をするもののどれも続かず、金儲けのために俳句を詠みはじめ、徐々に名を挙げていきますが、俳句1本で食べていくのは難しく、最終的には義母と義弟との訴訟を経て、実家半分と田畑半分を手に入れ、50歳過ぎに信州に落ち着きます。そこから妻をもらい、子もなしますが、子も妻にも先立たれるという不遇の人生を送ります。まったく考えてもいなかった人生でした。

 しかし考えてみたら、そういう人生だったからこそ、あの一茶調と言われるちょっと世を拗ねたような庶民派の俳句ができたんだなとも思えてきました。いやあ、知るということは面白いですね。(2020.7.6)

775.(映画)西河克己監督『伊豆の踊子』(1974年・東宝)

 山口百恵と三浦友和が初共演した映画です。当時アイドルの映画と馬鹿にしてまったく見る気がなかったのですが、46年経って初めて観て、よくできた作品であることに驚いています。「伊豆の踊子」は何度も映画化されていて、この時の映画化が6回目だったそうです。ほぼ観ていなかったのですが、なんとなく時代のアイドルを売り出すための軽い作品と勝手に思っていました。実際観たら、全然そうではなかったです。旅芸人に対する差別や性の対象として見る酔客の存在など、大正時代の社会が上手く描かれています。脇役に上手い人を配置し、そうした空気をしっかり伝えられています。

そしてやはり主役の二人がとてもいいです。原作の一高生は両親を早くに失ったことで孤独感や憂鬱な気持ちを持って伊豆に1人旅に出てきたという設定ですが、この映画の中の三浦友和はそういう暗さはほとんど感じさせず、ひたすら爽やかです。でも、これだけ爽やかなら、踊り子の少女は好きになるだろうなというのが納得もできます。山口百恵も初の映画主役ですが、この役をよく理解して見事に演じています。微妙な表情や態度など複雑な心情をよく出せています。この頃もう2人は付き合っていたのかもしれませんが、淡く惹かれ合いながらも、別れなければならない2人のせつなさも伝わってきます。これは、素直に名作と認めた方が良さそうです。

ちなみに、この映画は実際伊豆でロケをしていると思いますが、大学1年生だった私はこの映画が公開された半年後くらいに、天城越えをして下田へ行く、まさに「伊豆の踊子」のコースを一人旅しています。映画は観ていなかったのですが、なんとなく影響は受けていたのかもしれません。この一人旅は、親戚や知り合いを一切訪ねない、初めての本格的1人旅でした。映画に出てくる旧天木隧道や伊豆大滝や下田の町を見ながら、青春が蘇るような気がしました。(2020.6.27)

774.藤沢周平『喜多川歌麿女絵草紙』文春文庫

 喜多川歌麿はもちろん著名な浮世絵画家ですが、美人画や枕絵などの名作が多いというくらいしか知らず、どんな人物だったのかはまったく知りませんでした。謎の画家・写楽、画狂人と呼ばれる葛飾北斎などに比べると、小説や映画でもあまり描かれていない人物だと思います。

この作品ではすでに売れっ子になって中年期を迎えた歌麿を主人公に、彼が絵のモデルとした女たちをめぐるエピソードが描かれる短編集です。しかし、それぞれの物語を読むことで、藤沢周平が想像する歌麿像はくっきりと浮かび上がってきます。それはどんな人物かというと、天才肌の芸術家というより、普通の絵の職人というイメージです。内から湧き上がってくる情熱のままに筆を走らせたというより、どういう絵を描いたら版元の期待に応えるのか、売れるのかを計算しながら描いている常識人という感じです。

もちろん、最後に藤沢周平自身も書いていますが、あくまで一つの歌麿像に過ぎないわけですが、読み終わった後、歌麿の作品を見てみると、なるほど枠に収まった絵だなと思えてきて、写楽のような枠からはみ出しそうな勢いも、北斎のような至高の画力もない絵だなと思ってしまい、藤沢周平の想像した歌麿像は当たっているのではないかと思えました。とりあえず、まったくイメージをつかめていなかった喜多川歌麿という人物のイメージがつかめて読んだ甲斐がありました。(2020.6.12)

773.岡田秀文『足利兄弟』双葉文庫

 鎌倉幕府末期から室町幕府初期までの足利尊氏とその弟の直義を核に描いた歴史小説です。このあたりの歴史は複雑で私も流れがよくつかめていなかったのですが、この小説を読んで少し流れがわかりましたし、知識も大分増えました。簡単に要約するのは難しいのですが、自分自身の記憶を明確化するためにも書いておこうと思います。足利氏は頼朝の血筋が絶えてからは、関東の源氏の総領的な地位を持ち、北条氏も足利氏を大事にして代々の当主は北条氏の娘と結婚させ関係を強固にしてきていました。尊氏――この頃は、北条高時から1文字もらって高氏――もそうで、後に2代将軍になる義詮と初代鎌倉公方となる基氏の母は北条氏出身の登子です。

 北条政権の中で重きを持っていた足利氏だったので、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒をめざして立ち上がった時にはその鎮圧の主力として派遣され、実際抑え込みます。しかし、次にまたそうした動きが生まれた時には鎮圧に向かった足利氏が後醍醐天皇側につくという立場の転換をします。このあたりについて、この小説の著者はもともと足利氏は源氏の総領として、本来源氏が開いた幕府を執権だった平家の北条氏が牛耳っているのはおかしい、源氏の世に戻さないといけないという野望を持っており、そのチャンスを虎視眈々と狙っていたと考えています。

 同じ源氏でルーツは近く、後に敵対する新田との関係については、足利が京都に行っている間に、鎌倉の北条氏を倒すように仕向けそれは成功するものの、逆に新田が関東で力を持ち過ぎにならないように、尊氏と直義は鎌倉に戻り、新田を追います。新田は京都をめざし、後醍醐天皇を支える有力勢力となります。後醍醐天皇は自分の意向を無視して鎌倉に戻った尊氏を敵視するようになります。朝敵にされてしまった足利は、後醍醐天皇が1度目の蜂起に失敗し隠岐に流された時に次の天皇となっていたものの後醍醐天皇が京都に戻ってきてからは上皇とされてしまった持明院統の光厳上皇を味方につけ、院宣を鞆の浦で受け取り、それを利用して九州の勢力を味方につけ、再び京都に上り、後醍醐天皇らを追い落とし、尊氏は持明院統の天皇から将軍宣下を受け室町幕府を開くわけです(南北朝の始まり)。

 南朝方は最初のうちはどんどん弱体化していく状態で、足利将軍を中心とした北朝が圧倒的優位を保つわけですが、外部の敵が弱体化すると、内部の争いが大きくなります。尊氏を支える2本柱であった弟・直義と執事の高師直のめざす政策が異なり――直義は穏健・守旧派で、師直が改革・武闘派――、その2人がいがみ合うようになります。最初は、直義が優勢で高師直が追われますが、命を狙われているとわかった段階で師直は開き直り、逆に攻勢に出て、今度は逆に、直義を追い落とします。追われた直義は自分が養子にした直冬――実は尊氏の子――が九州で反乱を起こしたのを尊氏や師直が制圧のために京都を離れた際に、なんと南朝と手を結ぶというウルトラCで形勢を挽回します。

 朝敵にされてしまった尊氏と師直は敗れ、師直は兄・師泰とともに殺されます。尊氏はいったん和解して京都に戻ります。直義は尊氏を亡き者にするチャンスは何度もあったものの、それをしなかったゆえに、足利氏の総領で、茫洋とした魅力をもっていた尊氏には結局かなわないという経験をすることになります。最後は、今度は逆に尊氏が南朝と手を組み、直義を追い落とし、ついには自害をさせます。しかし、この後も直冬が南朝と手を組んで京都に攻め入ったりします。

 こんな風に融通無碍と言ってもいいほどに、敵味方が簡単に変わってしまうので、この時代の把握が難しいわけです。大体の流れはわかったのですが、足利兄弟だけでなく、いろいろな人が利害のみを考えて手を組む相手を簡単に変えたりとかするのですが、これが事実ならこの時代には信義のようなものはほぼなかったのかなと非常に興味深く思いました。(2020.6.10)

772.(映画)ビリー・ワイルダー監督『七年目の浮気』(1955年・アメリカ)

 マリリン・モンローのスカートが地下鉄の空気口から風でぱあっと舞い上がることで有名な映画ですが、考えるとちゃんと見たことがなかったので、先日BSで放送していたのを録画して観てみました。主役は勝手にマリリン・モンローのように思いこんでいましたが、結婚7年目38歳の男でした(笑)ほぼ主役の彼が出ずっぱりの映画で、ストーリーも半分以上は彼の妄想です。でも、なかなか楽しいコメディです。今なら38歳はまだまだ若い年齢でしょうが、1950年代における30歳代後半の男は完全に中年男の雰囲気を漂わせ、中年男が妻子のいない時期に浮気心を押さえられなくて悶々とするという物語です。マリリン・モンローはかわいい色気がたっぷり出ていて、なるほどマリリン・モンローの代表作のように言われるのもむべなるかなという感じです。映画としてはもっといい作品もあるし、マリリン・モンローも熱演している作品もありますが、この「7年目の浮気」こそ、多くの人がイメージするマリリン・モンローそのものなんでしょうね。私自身も納得してしまいました。(2020.5.30

771.永井路子『噂の皇子』文春文庫

 永井路子の作品は平安時代を中心としていて、その辺の時代が今まであまり興味がわかなかったので、あまり読まずに来ていましたが、院政への興味が湧き、徐々に摂関政治期にも関心が出てきたので、この本を読んでみました。表題作を含む8篇の短篇集です。いろいろな人物が出てくるので個々の物語の紹介はできませんが、どの物語も主人公は超有名人物ではないですが歴史上の実在の人物でなかなか個性的な人ばかりです。この本で存在を知った人も多かったです。どの物語にも脇役で天皇や摂政関白といった人物が出てきて、なるほどその時代の人で、その有名人と関わりがあったのかと関心を持って読めるように描かれています。全体として割に面白かったので、また永井路子の作品を読んでみようと思いました。(2020.5.28)

770.(映画)武内英樹監督『今夜、ロマンス劇場で』(2018年・日本)

 『飛んで埼玉』でアカデミー最優秀監督賞を取った監督の作品だということもありましたが、映画のヒロインが映画から飛び出してリアルの世界で恋をするという発想の面白さでとりあえず録画して、気分転換に観てみました。しかし、思った以上にいい作品でした。白黒画面とカラー画面の使い方の上手さ、リアルの世界の人と触れ合ったら消えてしまわなければならないヒロインの設定に、恋する男はどう決断を下すのかというストーリーの面白さ、そして最後まで見ると、最初の方でちゃんと伏線を張っていたことにも気づかされ、うーん、この監督、才能あるなと感心しました。俳優陣もいいです。特に、恋人役の晩年期を加藤剛に演じさせるとは、、、、彼ならこの生き方ができるかもしれないという説得力のある演技でした。究極の純愛映画という位置付けもできそうです。『飛んで埼玉』をまだ見ていないのですが、見たくなってきました。(2020.5.17)

769.大岡昇平『武蔵野夫人』新潮文庫

 『野火』を読もうかと思ったのですが、先にこちらを読むことにしました。戦後すぐの時代に国分寺あたりの地域を舞台に、恋愛心理を描いた小説です。一応主人公である20代終わりの妻・道子とその夫・秋山、そして、その妻の従弟であり、フィリピンの戦地で辛酸をなめてようやく日本に帰ってきた青年・勉、そしてもう一人の従兄・大野とその妻・富子の5人が主たる登場人物です。人間関係はややこしく、五角形とも言える男女関係です。個々の人物の性格が複雑なので、主役である道子に焦点を当てて説明します。

 道子は良い妻を演じようとはしいていますが、秋山に対する愛情は失っており、秋山自身も妻にはあまり興味がなく、大野の妻・富子に秋波を送っています。そんな中で久しぶりに現れた従弟・勉に対する気持ちが恋愛感情だと道子は気づくようになります。勉の方も、道子を女性として愛していることに気づきます。二人は嵐の夜に帰れなくなり、宿屋に2人で泊まりますが、キスまではしてもそれ以上の関係になることは道子が「いけないこと」と言って拒み、勉も一応理解して、それ以上は求めません。他方で、奔放な富子と秋山は肉体関係を持ちます。

秋山は、道子と別れ富子と一緒になるために、道子に離婚を切り出しますが、道子はそれを受け入れません。だからと言って、秋山に対する愛があるわけではなく、気持ちは勉に向いているのですが、自分は人妻であり、別に好きな人ができたからと言って別れて若い恋人と一緒になるなんて、そんなことはしてはいけないと自らを制します。勉の方は、道子の気持ちを大事にしたことが本当に正しい判断だったのかぐちぐちと悩み続けます。道子に果たせぬ行為を富子に求めようとしたりします。

推理小説ではないですが、果たして道子と勉の恋はどうなるのか気になって読んでみたいと覆う人もいるかもしれないので、結末は書かずにおきます。この時代なら、かなり艶っぽい小説として話題になったことでしょう。(2020.5.3)

768.立川昭二『病気の社会史 文明に探る病因』NHKブックス

 こういう時代ですから、こういう本を取り出してきて読みたくなります。1972年という約50年前に出された本で、最近の病気としては癌までしか扱われていませんが、過去の様々な病気が、如何に社会との関係が深いかについて教えてくれます。社会が原因で病気が生み出されたり、大流行したりするだけでなく、その病気が原因で社会が大きく変わったことも述べられており、非常に社会学的な本と言えるでしょう。昔買った本で読んだのかどうか記憶がないのですが、今回は新型コロナの大流行の時期ですから、非常に興味深く読みました。

現代ほどではないですが、昔も今もパンデミーへの対策は似たようなものなのだというのが全体を通しての印象でした。そして、その収束には時間がかかり、完全に制圧するというのはほぼ不可能だということもわかりました。数年後、いや数十年後に、今回の新型コロナの話も含んだ「病気の社会史」が書かれることになるのでしょうが、果たしてどういう風に書かれることになるのでしょうか。ペストの大流行が中世封建社会を崩壊させたとこの本に書かれていましたが、新型コロナもひとつの時代を終わらせたということになるかもしれません。1930年代の大恐慌が第2次世界大戦を導いてしまったように、このコロナが引き起こすであろう「コロナ恐慌」も怖しい結果を導いたりしないだろうかと不安です。(2020.4.16)

767.遠藤周作『海と毒薬』新潮文庫

 2作続けて遠藤周作です。『侍』が面白かったので、この有名作品も読んでみました。ストーリーは第2次世界大戦末期に実際に日本で起きた「捕虜生体解剖事件」を題材としたものです。前作を読んでいなければ、この事件の展開だけを追い、閣下掻痒感をもっともったのではないかと思いますが、前作を通して、改めて遠藤周作が日本人の宗教観を問う作品を描いているということを納得できたので、この作品の読み方も事件の経緯を知るというだけでなく、そこに関わった人々の罪の意識を考える作品として読むことができました。

 ただ、解説にも書いてありましたし、私自身も読み終わってそう思いましたが、この作品は本当は続編が書かれなければならなかった作品だと思います。この事件に関わった人の過去と事件の起きたすぐ後くらいまでは書いていますが、その後どう生きたか、自らの罪とどう向き合ったのかというところが書かれないまま終わっています。実際、この作品の冒頭は、この事件に若い時に関わった医師がその10数年後に東京の郊外でひっそりと個人病院をやっているという話で始まりますが、最後まで読んでも、なぜそこにたどりついたのかはわかりません。もともとは遠藤周作自身も続編を書くつもりだったようですが、小説の登場人物と実際の事件に関わった人々が重ねられるような事態が生まれ、これ以上迷惑をかけないために書くのをやめたようです。仕方がなかったのかなとおも思いますが、ちょっと残念です。(2020.4.4

766.遠藤周作『侍』新潮文庫

 伊達政宗が送った慶長遣欧使節をモデルにした物語です。主人公は、支倉常長(この本では、長谷倉六右衛門)と通詞でもあり神父でもあるベラスコの2人です。叙述は客観的な第三者的視点(著者の視点)と、ベラスコの一人称視点との2つの書き方がされます。あえて、こういう異なる叙述の仕方をしたのは、たぶんベラスコという神父の内面心理を深く書きたかったからでしょう。ストーリーの展開だけなら、第三者的視点のみで書けたと思いますが、神との対話、自らの欲望の吐露といったことこそ、著者が一番書きたかったことでしょう。主人公を2人にしてあるのも、キリスト教精神と西洋型の上昇志向を合わせ持つ情熱的な男と、自然も不幸な出来事も苦しみながらもすべて受け入れる日本の男を対比させたかったからでしょう。

 この小説は見事に成功していると言えます。なぜ、日本にキリスト教が根付かなかったのかについて、この小説を読んでいると自然に理解できる気がします。あえて、この箇所はすごく納得できたなというところをあげておくと、スペインのマドリッドでの司教会議で、ベラスコと対決することになった滞日30年の経験をもつヴァレンテ神父の以下の言葉です。

 「あの日本人たちは……この世界の中で最も我々の信仰に向かぬ者たちだと思うからです。日本人には本質的に、人間を超えた絶対的なもの、自然を超えた存在、我々が超自然と呼んでいるものに対する感覚がないからです。30年の布教生活で……私はやっとそれに気づきました。この世のはかなさを彼らに教えることはやさしかった。もともと彼らにはその感覚があったからです。だが、怖ろしいことに日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせ持っているのです。その能力があまりに深いゆえに彼らはそこに留まることのほうを楽しみ、その感情から多くの詩を作っております。だが、日本人はそこから決して飛躍しようとはしない。飛躍して更に絶対的なものを求めようとも思わない。彼らは人間と神とを区分けする明確な境界が嫌いなのです。彼らにとって、もし、人間以上のものがあったとしても、それは人間がいつかはなれるようなものです。たとえば彼らの仏とは人間が迷いを棄てた時になれる存在です。我々にとって人間とはまったく別のあの自然さえも、人間を包みこむ全体なのです。私たちは……彼らのそのような感覚を治すことに失敗したのです」

 日本人キリスト教徒の遠藤周作がずっと考えてきたことを、この神父の言葉として言わせたのでしょう。見事に日本人の感覚を描き切っていると思います。私自身もまさにこういう感覚の持ち主なので、ものすごく納得してしまいました。名作です。(2020.4.1)

765.(映画)塚本晋也監督『野火』(2015年・日本)

 大岡昇平の有名な戦争小説で、1959年に市川崑監督で一度映画化されていますが、塚本晋也という監督が自ら主演して生々しく敗戦直前のフィリピン・レイテ島での悲惨な日本兵の状況を描いたものです。なんとなく録画してなんとなく見始めたのですが、ショッキングなほどの映像が続くので、ついつい目が離せなくなってしまいました。残虐に殺される兵士、腐った死体の山、そして人肉食。ほとんどホラー映画です。知らない監督でしたが、もともとホラー映画をかなり撮っていた人のようなので、その手法を利用しているのでしょう。いずれにしろ、この作品を監督・脚本・編集・撮影・製作を兼ねる自主映画的手法で作ったというのは、この監督に強い反戦意識があったんだろうなと思います。原作の小説をよんでいなかったのですが、読んでみたくなりました。(2020.3.27)

764.北村薫『スキップ』新潮文庫

 17歳の女子高校生がある日起きたら42歳の既婚女性になっていたという設定の小説です。別人になったわけではなく、25年の人生がスキップされてしまったというのが主人公の意識です。夫と娘がいて、高校の国語教諭にもなっている42歳の外見をした人の意識が完全に17歳の高校生だということで、どう適応していけるのかというのがストーリーです。娘と夫はもちろん最初は「何の冗談?」と一瞬信じられないという顔をしますが、主人公の必死の主張に少なくとも嘘はついていないようだと思います。おそらく、25年分の記憶だけが喪失してしまったのだろうという理解をするようです。

この物語がちょっと面白いのは、よくある記憶喪失の物語は、自分と周りの人間に関する記憶だけがなくなったというパターンのものが多いのに対し、この小説では25年をスキップしているという設定なので、その間の社会の変化も主人公はまったく知らず、様々な変化に驚くということです。17歳の女子高生時代が1967年頃で、42歳の女性になっているのが1992年頃という設定で、その25年間に様々な変化があったことが、主人公の驚きとともに描かれます。これは、社会学的にもなかなか面白いです。私も1967年と1992年の記憶を明確に持っていますが、そこで起きた変化を連続したものとして受け止め普通に適応してきたわけですが、1967年までの社会しか知らない人を1992年に連れてきたら。そうだよなあ、こういう変化に驚くよなと改めて気づかされました。ちなみに、この物語の時代からすでに28年ほど時間が経っているので、この物語の続編を書いてもらったら面白いかもしれません。1992年ころのことしか知らない人を2020年に連れてきたら、どういうところで驚くでしょうか。日頃こういう発想で考えないので、なかなか興味深い気がします。

さて、この物語はどうその後展開するかというと、17歳の女子高生の知識と経験しかなかったにもかかわらず、同じく国語教諭という立場にあった夫の協力も得て、なんとか高校教諭として生活していきます。意外にこの部分が長く、後半は高校教師としての奮闘物語になっています。作家自身が高校教師だったために、こういう学園もののようなことも書きたかったのでしょう。そして、最後にこの主人公がどうなるか(すべては女子高生の夢だったパターン、記憶喪失から元に戻るパターン、etc.)は、読みたいなと思った人の楽しみを奪わないために書かずにおきます。

私はまあまあ面白い小説だと思いましたが、高度経済成長期とバブル経済期を同じ時代だと思っている人も多い今の若い人が読んだら、1992年頃という自分たちが知らない大分過去の時代を現在とし、それよりさらに古い1967年頃を過去として語っているので、理解がしにくいかもしれません。でも、よかったら読んでみてください。(2020.3.24)

763.澤田瞳子『火定』PHP研究所

 「火定」と書いて「かじょう」と読みます。私も初めて聞いた言葉です。辞書で調べてみると、「仏道の修行僧が身を火中に投じて入定すること」だそうです。こんな読めないし意味も分からないタイトルの本をなぜ読んだのか不思議と思われるでしょうね。実は、つい最近ニュース番組で、この本が紹介されていて読みたくなり、AMAZONで探して購入しました。内容は、奈良時代に政界の中心にいた藤原四兄弟の命を奪った流行り病(天然痘)の大発生時のことを描いた小説です。なので、この新型コロナの大流行期にこの本が紹介されていたわけです。

 藤原四兄弟の誰かが主役になっているのかなと思いましたが、施薬院が舞台になっており、主要人物は基本的にそこの人びとでした。「火定」というタイトルにしたのはなぜなのか、もうひとつよくわかりませんでした。僧侶の1人が天然痘にかかった悲田院の子どもたちとともに、自ら蔵に閉じ込められるという道を選びますが、この人物はこの小説の中では56番手くらいのサブキャラクターなので、この人の行動で、このタイトルにしたわけではない気もします。天然痘の広まる中で逃げ出さずに治療に当たる医師や使用人たちの行動すべてをもって、「火定」とつけたのかもしれませんが、もうひとつぴったりのタイトルではない気がします。

 まあ読みたかったのは、そうした個々の登場人物の行動より、流行り病が広まった時に社会ではどんなことが起きるかという点でした。この小説では、偽の札を売って設ける輩、新羅から持ち込まれたということから外国人排斥の動きが起きること、などは、実際にあったのかもしれないなと思います。政治の無策が批判されたりもし、紹介していたニュース番組でも現在と似ていますねと言われていましたが、実際政治が何をしようとしたのか、しなかったのかが書かれていないので、そこは十分わかりませんでした。

 最終的には対症療法薬が生み出され、死者が減り始めたというところで話は終わります。実際の歴史がそうだったのかどうかはよくわかりません。機会があったら歴史をきちんと調べてみたいと思います。(2020.3.22)

762.(TVドラマ)橋田壽賀子脚本「おしん」(1983年〜1984年・日本)

 若い人はご存じないかもしれませんが、「おしん」というドラマは、1983年度(19834月〜19843月)に放送されたNHKの朝の連続テレビ小説、いわゆる朝ドラで、平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%という第1位の記録を持ち、かつ世界中で大ヒットし、国によっては子どもの名前に「おしん」という名をつけるところもあるほどの脅威のドラマです。しかし、このおしんが放送していた年度は、私が大学教師1年目の年で朝ドラなど見る余裕もなければ興味もないという状態で過ごしていたので、見たことがありませんでした。

その後、世界で社会現象化したり、視聴率の話が出るたびに、社会学者としては一度ちゃんと見ておかないといけないなと思いながら時間だけが過ぎていきました。たまに懐かしのTVドラマというような番組で紹介されることもありますが、その時はほぼ100%子ども時代を演じた小林綾子の場面だけでした。おしんは、最近の朝ドラと違って、子役の後は1人の役者が演じるのではなく、16歳から40歳代を田中裕子が、50歳代以降を乙羽信子が演じるという形式でした。しかし、この2人の女優さんは、おしんを振り返るといった番組に出たことはたぶん一度もなく、また彼女たちが演じている場面が紹介されることもまったくなく、見たことがありませんでした。

なんとかして見たいと思っていたら、昨年4月からNHKがBSプレミアムで朝の7時から再放送をしてくれていることに気づきました。気づいたのは、6月くらいだったでしょうか。ちょうど子役の小林綾子から田中裕子に切り替わったばかりの時期でした。そこから、本日まで録画して欠かさず見てきました。田中裕子バージョンのおしんは見応えがありました。東京に出て、髪結いの師匠に可愛がられ、結婚して子どももでき、自分の店もいよいよ開店となった時に関東大震災が起こり無一文になり、地主の子である夫の田舎の佐賀に生活を移します。ところが、佐賀の姑はきつい人で、おしんには再び苦難の時代になります。その後、2人目を死産した後、佐賀に夫を残し、三重にやってきて、魚の行商を始め、少しずつ得意客を得て商売が成り立つようになります。そこに夫もやってきて、2人目も生まれ、生活も安定してきますが、次は戦争の時代に入っていきます。子ども時代に反戦を唱えていた青年に出会い戦争の恐ろしさを教えられていたために、おしんは戦争や軍隊に否定的な姿勢を取ります。しかし、夫は軍人の兄の口利きもあって、軍への納入業者となり商売を大きくします。戦争が終わると、夫は戦争に協力した自分を責めて自殺してしまいます。愛する長男は戦死し、少年飛行隊に志願した次男はぼろぼろになって戻ってきます。そして、戦後の苦難の時代をなんとか乗り越えて生きていきます。たぶん、この田中裕子バージョンのストーリーが、アジアやイスラム圏の女性たちの共感を得ているのでしょう。

 ところが、乙羽信子バージョンになってからのおしんは、まったく面白くありません。時代との絡みが少なくなり、家族のゴタゴタばかりが描かれます。ほとんど「渡る世間に鬼はなし」のようです。そして非常に受け入れにくかったのが、主要登場人物を演じる役者が乙羽信子バージョンに変わってから最低1回は変わってしまうことです。そして、役者が変わるたびに、その登場人物のキャラクターががらっと変わってしまい連続性がなくなるのです。なにより、主役のおしんが田中裕子と乙羽信子ではまったく連続していないのです。田中裕子は苦難に負けず静かに立ち向かう強い女性という感じでしたが、乙羽信子が演じると強さが心の強さではなく権力者の強さになってしまい、まったく好感が持てなくなるのです。乙羽信子バージョンになってからの2カ月ほどは、毎日のように見るのをやめようかなと思い続けましたが、とりあえず我慢して最後まで見ました。最近は青春時代から晩年まで1人の役者が演じる方が一般的だと思います。中には、老けた演技がうまく出来ない人もいて、それも違和感がありますが、キャラ変まではしないので、やはりそっちの方がいい気がします。「おしん」では、おしんの初恋の相手である浩太役を、渡瀬恒彦が若い時から80歳代まで演じていますが、ちゃんと年齢相応に演じられていて、これができるのなら、田中裕子に老年時代まで演じてほしかったなあとしみじみ思いました。以上からまとめると、「おしん」は名作ではなく、まさに「迷作」です。(2020.3.21)

761.遠山美都男『名前でよむ天皇の歴史』朝日新書

 神武、綏靖、安寧、威徳、、、で始まる天皇の名前がどのように付けられたか、またその天皇はどういう人生を生きたのかを初代・神武天皇から幕末の孝明天皇まで紹介した非常に興味深い本です。天皇家の歴史には人一倍関心のある方なので、いろいろな本を読んできていますが、こういう風に天皇の名前という一貫した視点で日本の歴史を見るというのは、実によいところをついていると感心しました。

天皇家の歴史は日本の歴史そのものなので、いろいろなことが見えてきます。そもそも初期の頃にはその実在が信じられない天皇がたくさんいるわけですから、その名前はどうやって決まったのだろうかという基本の疑問がありましたが、これに関してはすぐに理解できました。奈良時代に、孝謙太上天皇によって命じられた淡海三船(おうみのみふね)が762年〜764年にかけて考え撰進したものです。古事記や日本書紀がまとめられたすぐ後のことです。つまり、古事記や日本書紀では、今よく知られている名前では天皇は出てこないことになります。むしろ、そこで整理された事績をデータとして、淡海三船は天皇の名前を考えて行ったわけです。この淡海三船が考えた天皇の名前はすべて漢風諡号(しごう)と言われるもので、その事績を反映したものになっています。たとえば、王朝の創始者的逸話を持つ天皇にのみ「神」という字を付けていたり――神武、崇神、神功、応神――します。

これ以降の天皇の名前は、その時々で決め方はいろいろ違っていたようです。平安時代に入ると、事績を含みこむ漢風諡号は減り、譲位して上皇となった後に住んでいた土地の名とかをそのまま天皇としての名前とするというパターン――平城、嵯峨、白河、堀川、鳥羽など――が一般化します。こういう名前は追号というそうです。しかし、上皇にならずに亡くなったり、怨念を残して亡くなったりした天皇の場合は、その魂を鎮める意味もあって漢風諡号―――崇徳、安徳、順徳など―が贈られたりしています。「徳」という字は、特に不遇な運命にあった天皇に贈る字だったそうです。

天皇の名前が、京都の地名を中心とした名前になっていくのは、天皇の権力を超える権力――摂関政治、院政、武家政権――が日本の中に生まれ、天皇がローカルな存在になっていたことを実質的に示しているようです。これが幕末になって、日本は天皇を中心とした国だという尊王思想が広まるようになってきてから、再び漢風諡号――光格、仁孝、孝明――が復活してきます。

 まさに天皇の名前から日本の歴史が見えてくると思える好著でした。(2020.3.12

760.(映画)リー・アンクリッチ監督『リメンバー・ミー』(2017年・アメリカ)

 あまりアニメ映画には興味がないのですが、ピクサーのアニメ映画だけは割と好きなんですよね。映画館で観たことはないのですが、テレビで放映されるのに気づいたら録画して観ています。ピクサーのアニメはハートフルな上に、ストーリーに捻りがあるので、見終わった後に大体満足感が得られます。

 この映画は2018年に日本で公開されたようですが、まったく知りませんでした。朝、新聞のテレビ欄を見ていたら、ピクサーのアニメっぽいなと気づいたので録画して観てみました。いやあ、思った以上によかったです。そうかあ、そういう展開かあ、なるほどと感心しました。主人公の少年の祖母の祖母の時代から話は始まります。その高祖母の夫――つまり、少年の高祖父――が音楽で成功するために家族を捨てて出て行ってしまったため、妻は決して子孫には音楽をさせないというルールを作り、それを一族は守って暮らしてきました。しかし、主人公の少年は音楽が大好きでなんとか音楽をやりたいと思うのです。で、ここに死者の日という、日本のお盆のような日が重要なキーとなってきます。その日、自分のギターを祖母に壊された少年は、自分の高祖父だと信じる伝説のスターのギターを借り出そうとした瞬間、その死者の世界の方に入り込んでしまいます。そこで、高祖母をはじめとする骸骨となった一族のメンバーに会います。生者の世界に戻るためには一族の誰かから許しを得なければならないのですが、高祖母は二度と音楽はしないことを誓えと求めます。少年はそれは嫌だと主張し、もう1人の親族である伝説のスターを探し、その許しを得ようとします。その探索を手伝う代わりに、自分の生前の写真を生者の世界に飾ってほしいという骸骨が現れます。死者の世界ですが、生者の世界に、自分のことを覚えている人が1人もいなくなると、死者の世界からも完全に消えてしまうからです。さて、少年は高祖父である伝説のスターからの許しを得て生者の世界に帰れるかというストーリーです。本当は、この展開に捻りがあるのですが、そこまで書いてしまうと、まだ見ていない人の楽しみを奪ってしまいますので、この辺までとしておきます。

 特にいいなと思ったのが、死者の世界でも生者から完全に忘れられたら消えてしまうという設定です。確かになあ。実際の世界でも亡くなっても覚えてくれている人がいる間は完全に存在が消えたと言えないけれど、覚えている人が1人もいなくなったら完全にその存在が消えたということになると、しみじみ思いました。歴史上の有名人はある意味では永遠に生き続けていると言えるかもしれません。有名人でなくても、家族の記録などをきちんと残しておけば、その人は生き続けると言えるかもしれません。(2020.2.23)

759.(映画)ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(2019年・韓国)

 アカデミー賞の作品賞。監督賞を取り一気に有名になりましたが、私はその前に教え子が観に行き、「面白かったので、先生もぜひ観てください」と言われていたので、気になっていました。時間を見つけてようやく見に行ってきました。確かに面白いと言えば面白く、ストーリーはどう展開していくのだろうという期待感を持たせます。ただ、こまかい設定を気にし始めると、いろいろおかしいなあと気になってきます。半地下の家族がそれぞれ金持ち家庭で雇用される能力を持っているというのはかなり無理があると思います。最初に入り込んだ息子の英語能力は目をつぶったとしても、娘が美術を学ぶ人間で絵画心理療法ができる人(ネットで調べたと言っていますが、そう簡単に応用できるものではないはずです)と評価され、車をあまり運転したことがなさそうな父親がベテラン運転手になりきれるとか、貧しい暮らししかしていなかった母親が様々な料理を作れる腕を持っているとか、どんどん設定に無理が出てくるなあと思いながら見ていました。匂いに敏感なはずの金持ち一家がついさっきまで飲み会をしていた部屋の匂いに気づかないとか、大雨で自宅が水浸しになったのに、どこかで着替えて、それなりの格好をしてまた雇い主のところに現れるとか、細かいところはおかしいだろうと思うところが満載です。基本は喜劇なのでしょうから、あまりリアリティーを考えなくてもいいのでしょうが。

 韓国における貧富の差や北朝鮮への揶揄が織り込まれていたりする社会派喜劇だといわれているようですが、どうなんでしょうか。私にはそこまで社会派喜劇には思えませんでした。アカデミー賞の作品賞を取ったという色眼鏡で観たので、少し厳しめの評価になってしまいましたが、まあでも最後まで一気に見せる勢いはある映画なので悪くはないです。個人的には、『カメラを止めるな』の方が好きです。(2019.2.17

758.花村萬月『皆月』講談社文庫

 一度も読んだことのない作家でしたが、この作品で吉川英治文学新人賞を取ったと書いてあったので、じゃあ読めるかなというだけでブックオフで買いました。いつ買ったかも覚えていないくらい放置していた1冊ですが、なんとなく読んでみるかと今回手に取ったのですが、めちゃくちゃひどい作品でした。なんで、こういう作品が賞が取れるのかさっぱりわかりません。世の中にはもう少しましな小説が書ける人がごまんといるのではないかと思うのですが、、、何がひどいというと、登場人物の設定、関係性、ストーリーと、もうすべてと言ってもいいです。にもかかわらず一応読み終えたのは、冒頭に濃厚なベッドシーンが描かれ、その後すぐに妻が消え、その妻を夫が探し始めるというストーリーがちょっと面白そうだと3分の1くらい読んでしまったからです。ところが、最初ただの端役だと思っていた妻の弟が妙に存在感を増し、途中からは、この人物が主役かと思うくらい強烈なイメージのキャラクターになってきます。一応主人公だったはずの妻に逃げられた男は、まるでナレーターのような役割になり、その義弟に紹介された元ソープ嬢とパートナーになり、セックスばかりしながらそのまま妻探しをするという馬鹿馬鹿しい展開です。

 半分過ぎたくらいから、これはひどい小説だと確信したのですが、時間をかけずに読める文体だったのと、一応最後に妻と会ってどうなるのかという結末を知りたくて、後半4分の1くらいは斜め読みで最後までたどり着きました。しかし、ある意味予想通りでしたが、妻と会ってもどんでん返しも何もなく終わりました。105円で買って短時間で読んだ小説ですし、金を返せとも時間を返せとも言いませんが、二度と読まない作家として記憶しておくために、ここに書いておくことにしました。(2020.2.15)

757.坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書

 「承久の乱」については歴史の教科書でさらっと習うくらいの知識しかなかったのですが、院政や南北朝について関心が高まってきた今、非常に興味を持って読みました。主役は、後鳥羽上皇です。「治天の君」と言われた上皇は、白河、鳥羽、後白河、そしてこの後鳥羽の4人です。前3者までは、鎌倉幕府が成立する前に、院政を開始していたため、もちろん強大な権力を持っていただろうと想像できますが、後鳥羽上皇は鎌倉幕府成立後の院政開始なので、その力はたいしたことはなかったのではと勝手に思っていましたが、いろいろ調べていると、後鳥羽上皇という人は非常に頭もよく才能豊かな人で、決して武家政権の言いなりになっていた人ではないことがわかりました。文の方では「新古今和歌集」を編纂させ、武の方では自分で刀を打ち、流鏑馬などにも興じるスーパー上皇だったようです。

 幕府との関係も3代将軍実朝とは非常によい関係で、実朝を通して幕府もコントロール下に置けるだろうという見込みもあったようです。しかし、実朝が公暁に暗殺されてからは、鎌倉幕府との関係がぎくしゃくし、その元凶と考えた執権・北条義時を排除しようと動いたことが、承久の乱が起きた原因です。幼い仲恭天皇を抱えた後鳥羽、土御門、順徳の3上皇が義時排除に乗り出したのですから、武士たちも朝廷側に味方すると後鳥羽上皇は読んでいたのでしょうが、そういう展開にはならず、鎌倉幕府側が朝廷軍を打ち破り、後鳥羽上皇は隠岐の島へ、順徳は佐渡へ、土御門は土佐へと配流になります。元天皇だった3人の上皇がいっぺんに配流になるなどという「不敬」な出来事は、日本の歴史上唯一のことです。そして、この乱の終息をもって、基本的には明治になるまで――「建武の新政」と言われた後醍醐天皇が支配した数年を除き――武家が支配する日本になるわけです。

 つまり、この承久の乱こそ、日本社会が大きく変化する転機となった事件だったのです。幕府が次期天皇の践祚に口をはさむようになったため、幕府によって天皇の地位に就いた土御門上皇の息子だった後嵯峨天皇は自分で後継者を決めなかったために、2人の息子が、大覚寺統と持明院統として、交互に天皇を出す奇妙な慣習を生み出し、後の南北朝につながる事態を生み出したのです。ちなみに、後嵯峨天皇のもう1人の息子・宗尊親王は、鎌倉に下り、第6代将軍となっています。実朝も後鳥羽上皇の息子を猶子として将軍にし、朝廷と幕府の結束を強めようとしていましたが、実朝の死でこれは実現せず、摂関家の息子を持って第4代将軍としています。宗尊親王が将軍になったのは、形式的には実朝のめざした形が実現したことになりますが、この時点の親王将軍は、幕府の命令に朝廷が従う形で実現したもので、後鳥羽と実朝のめざした関係ではなかったわけです。(2020.2.11)

[追記(2020.3.11)]

761の『名前でよむ天皇の歴史』を読んで、自分の認識の間違いに気づきました。大覚寺統と持明院統に分かれた両統迭立が生まれたのは、後嵯峨天皇が自分で後継者を決めなかったからではなく、自分が天皇の地位を後深草天皇(持明院統)に譲り、上皇となり実質的な「治天の君」となり、次は、後深草を譲位させ弟の亀山天皇(持明院統)を立て、さらにその次も亀山天皇の皇子を皇太子にするという強引なことをしたために、持明院統が納得行かず、幕府の力を利用して、自分の方が正統であると認めさせようとして、これが成功すると、今度は、持明院統が逆に幕府を味方につけようとするということが繰り返され、南北朝にまで続く複雑な状況が生まれたということのようです。いずれにしろ、天皇の権威が落ちて、幕府の権威を頼らざるをえなくなったという事実が生み出した事態であったわけです。

756.福岡市博物館『FUKUOKA アジアに生きた年と人びと 福岡市博物館常設展示公式ガイドブック』

 福岡市博物館には初めて行ったのですが、非常に充実した博物館で時間内に見切れなかったので、公式ガイドブックを買って読んでみました。博多(福岡)は歴史が豊富で実に興味深いです。朝鮮半島との玄関口だった古代史の時代、大和朝廷成立期の争い、遣隋使・遣唐使の出発地点、大宰府、蒙古の襲来(元寇)、戦国期の覇権争い、博多豪商の登場、福岡の誕生(黒田氏の支配)、時代に乗り遅れた幕末の福岡藩、近代化をめざす福岡、戦時期と戦後の引揚港、現代の福岡、とどの時代を取り上げても、博多は重要な場所だったことがよくわかります。ガイドブックだから当たり前ですが、写真が多く見やすい本です。(2020.2.5)

755.(映画)山本透監督『グッモーエビアン』(日本・2012年)

 全然知らない映画だったのですが、新聞のTV欄を見ていて、「へえー、麻生久美子と大泉洋かあ。行けるかも」と思い、録画して観てみました。主人公の中学生の娘役を三吉彩花が、その親友をのん(能年玲奈)が、担任教師を小池栄子が演じていますが、みんななかなか適役で気持ちよく見られる作品でした。ひねりはないですが、人間を好きになれるストーリーで個人的には好きな作品です。能天気ではちゃめちゃだけどあったかいといった人物像を演じさせたら、今は大泉洋の右に出る人はいないですね。最後に、ちゃんと歌う場面があるのがいいです。ブルーハーツの真似みたいですが、なんとなく大泉洋らしさが出ていて、こういうライブが実際あったらいいかもと思ったりしました。麻生久美子もいい役者ですよね。すごく美人というわけではないですが、なんか深みがある感じがします。特に、はちゃめちゃな大泉洋を受け止めるツンデレな感じがうまく演じられていて、この2人、本当のカップルでもいいかもと思いました。三吉彩花は、そこまで魅力的ではないですが、逆に固い演技が自らのキャラクターをつかみきれていない思春期の少女らしさにも見え、これはこれでありかと思いました。のんは、「あまちゃん」でブレークする前ですが、あまちゃんにも通じるちょっと抜けたような感じの役でした。考えてみると、彼女は能年玲奈時代から現在まで、ほぼそういう役ばかりですね。あの喋り方が、そういう役を呼び込むのでしょうね。とりあえず、まあまあの映画でした。(2020.2.2)

754.加瀬英明『天皇家の戦い』新潮文庫

 昭和20年から昭和22年までの3年間、天皇と皇族たちがどのように考え、どのように動いたかを克明に紹介したノンフィクションです。戦争を如何に終結させるか、終結させた後は、軍隊解体、天皇制度の維持、天皇の人間宣言、天皇自身の戦争責任問題、高まる共産主義への国民の期待感といったことが、結果的にどうなったかということはよく知っている事実ですが、そのプロセスでどういう動きがあったのかということはそれほど詳しくは知らなかったので、いろいろ知識の得られる本でした。かなり詳細な取材をしており、当時の関係者の考え方がよく理解できる好著でした。(2020.1.13

753.(映画)舛田利雄監督『あゝひめゆりの塔』(日活・1968年)

 「ひめゆりの塔」の映画としては、独立後まもない1953年に公開された香川京子版が有名ですが、これは吉永小百合が主演のものです。1960年代終わり頃の日活は映画斜陽時代に入っていて、1971年からはエロを前面に押し出した「日活ロマンポルノ」路線を打ち出していくことになるような時期です。なので、ほとんど期待せずに見始めたのですが、なかなか頑張って作ってありました。確か1953年の映画は、かなり暗い部分しか描かれていなかったと思いますが、この映画では初めの30分くらいは女学生たちの溌溂とした楽しそうな生活が描かれます。軍に従って行動する辛い時期の話にも、ちょっとした恋物語が描かれたり、女学生たちが水浴びをしたりする場面が描かれ、若さと青春を描く映画としての要素を持っています。そして、そうした部分が描かれることにより、よりその後の戦争の悲惨が強く印象に残ります。今のリアルなCG映画に慣れた人たちには、そういうものが一切ない中で描かれる戦闘場面は幾分リアリティにかけるように見えるかもしれませんが、この時代のものとしては、かなり頑張ってお金をかけて作っている映画だと思いました。日活での吉永小百合は軽い青春ものが多い印象ですが、これは力演だと思いました。吉永小百合の代表作の1本に入れてもいいのではないかと思います。(2019.12.27)

752.(映画)劇団ひとり監督『青天の霹靂』(2014年・日本)

 あまり期待を持たずに見たせいもあるかもしれませんが、なかなかよい作品だと思いました。劇団ひとりが原作、監督、助演の作品ですが、たいしたものです。才能があるんですね。主演の大泉洋は演技はもちろんですが、マジックもかなり練習したんでしょうね。自然な感じで見られます。柴咲コウの演技もいつもの柴咲コウと違って、優しく芯の強い女性を演じていてよかったです。1973年にタイムスリップしてからはどういうタイミングで現代に戻すのだろうと思っていましたが、非常によいタイミングでの戻し方でした。無駄のない映画で評価に値する作品だと思いました。(2019.11.22)

751.保坂正康『秩父宮と昭和天皇』文藝春秋

 昭和天皇が男ばかりの四人兄弟だったことはご存知でしょうか?比較的最近まで一番下の弟であった三笠宮が存命でしたが、今はすべて亡くなってしまいました。さて、この本で焦点を当てられる秩父宮は、昭和天皇のすぐ下の弟で昭和天皇とは1歳しか離れていません。わずか1年早く、あるいは遅く生まれたことで、2人の人生はまったく異なるものになります。天皇あるいは皇太子の弟という立ち位置の人物は、明治天皇や大正天皇にはおらず、この秩父宮が近代日本では初めての弟宮という立場になったのです。昭和8年に、昭和天皇に、現上皇である明仁皇太子が生まれるまで約7年間は、秩父宮は皇位継承順位1位の皇太弟の位置にもあったわけです。

 明治35年に生まれた秩父宮は、10年間は昭和天皇や弟の高松宮とともに、三兄弟として育ちますが、明治天皇が崩御し父親が大正天皇として即位すると、将来天皇となる兄・皇太子とはまったく異なる道を歩むことになります。皇太子はいずれ天皇となり、軍事的には大元帥として陸海軍のトップになるわけですが、弟宮たちはそれぞれ士官学校に入り、軍人となり、天皇を支える立場になります。秩父宮は本当は海軍に行きたかったそうですが、海軍より上位に位置している意識の強い陸軍が、皇太子のすぐ下の弟宮は、絶対に陸軍に入るべきだという主張を譲らず、本人の意向を無視して秩父宮は陸軍士官学校から陸軍大学校へ、というコースを歩みます。ちなみに、その下の弟の高松宮は海軍へ、四男の三笠宮はまた陸軍へ進んでいます。

 不本意な陸軍だったかもしれませんが、そういう不満を持つこともなく、秩父宮は自らを鍛え、それなりの実力を持った士官となっていきます。しかし、この陸軍時代に、後の二・二六事件の中心メンバーとなる安藤輝三と親しくなったことで、二・二六事件との関わりが疑われます。実は、私もそういう噂を聞いて、そのあたりが実際どうだったのかを知りたいということが、この本を読んでみたいと思ったきっかけでした。様々な噂がありますが、一番過激なものでは、二・二六事件を起こした青年士官たちは、昭和天皇を退位させ、秩父宮を新天皇に立て親政を行うという希望を持っていて、それを秩父宮も了解していたといったものがあります。しかし、この本を読み、それは噂に過ぎず、事実とはまったく異なるものであったことは確信できました。

 二・二六事件以降の秩父宮の動向というのをまったく知らなかったのですが、昭和15年から結核治療のため療養生活に入っていたためだったという事実も知りました。元気であれば、年齢的にも第2次世界大戦時に、将校として活躍していなければいけなかったはずですが、名前が出てこないのはそういうことだったんだと納得がいきました。しかし、療養中とはいえ、海軍士官だった高松宮と頻繁に連絡を取り、中国との戦争拡大や米英との戦争に反対し、東条英樹に対しては早くやめさせなければならないと、いろいろ働きかけをしますが、なかなかうまくいかないまま終戦を迎えます。

 戦後も体力が回復せず、本格的な活動をできないまま、昭和281月に亡くなります。でも、戦後日本もこの頃は、神格化された皇室から開かれた皇室へという時代だったので、秩父宮のざっくばらんな発言も雑誌や新聞など、様々な形で紹介されていました。それを読む限り、皇室の伝統と自らの立場をわきまえ、日本の皇室を英国の王室のようにしたいと考えていたことがわかります。また、遺書では自分の体を解剖して今後の結核治療のために役立てて欲しいとか、自分の葬儀に関しては一切の宗派に囚われずにやってほしいと書き残すなど、今の時代よりはるかに開かれた皇室の姿が見えて興味深いところでした。(2019.11.22)

750.(映画)白石和彌監督『ひとよ』(2019年・日活)

 田中裕子という女優さんが好きなので――今も毎朝「おしん」を見ています――、公開中のこの映画を観てきました。まだ公開1週間程度なのに、もう小さなスクリーンに移されていましたので、あまり観客が入っていないのだろうと思います。私が観に行ったのは平日の午後でしたが、小さなスクリーンだったせいもあり、8割くらいは席がうまっていましたが、年配者がほとんどでした。

 さて、映画の内容ですが、3人の子どもたちに家庭内暴力を振るう父親をその妻(田中裕子)が殺し、子どもたちを暴力から解放します。自分は自首して罪を償います。自首する前に15年後に戻ってくると言った通り、戻ってくるわけですが、3人の子どもたちは「殺人者の子ども」というレッテルを貼られ、母親が言ったようには、自由に生きられてはおらず、戻ってきた母親を素直に受け入れられず、ぎくしゃくした家族関係が生まれます。そこに従業員の親子関係もからみ、それがきっかけとなり、家族の心が少し寄り合うようになるという展開です。

 評価としては、説明不足なところが多く、もう少し丁寧に描き込んでくれないと、心情の変化がわかりにくいという印象を持ちました。たとえば、殺された父親も含めて仲良さそうに5人家族で写っている写真が飾られているのですが、こんな家族写真を撮れるような家族の中で、どうして父親が乱暴を振るうようになったのかがよくわかりません。子どもを救うために、夫を殺そうとまで思い詰めるためには、家庭内暴力を何年も振るっていないといけないと思いますが、その明るい家族写真に写っている子どもたちの姿は、父親が殺された頃の姿です。本当に殺さなければいけないほど暴力を振るっていたなら、こんな家族写真は撮れるはずがありません。

 それから、佐々木蔵之介演じる従業員が、かつてヤクザだったらしいことと、息子がしゃぶ中毒の中学生になっていて運び屋になっているというのもかなり荒唐無稽ですが、そこは目をつぶったとしても、何があって子どもを手放すことになったのか、息子がしゃぶ中毒になったことと父親は関係があるのか、運び屋の息子を、彼の命令通りのところまで送ったのか、なぜ田中裕子は酔っぱらったまま運転する彼の車の助手席に乗ったのか、さっぱりわからないことだらけです。

 原作を読んでいないのでわかりませんが、この物語は映画で描くには少し時間が足りない感じで、本当は5話くらいで完結するテレビドラマの方が向いているのだろうと思います。ただ、映画の中でセックスシーンも含めて、ストーリーにとってなくてもよいような無駄なシーンも結構あるので、監督に力があれば、映画でももう少し伝わる物語になったのではないかと思います。

 結局いい役者を使いながら、ただただ暗い作品に仕上がっているというのが私の感想です。(2019.11.16)

749.山中恒『青春は疑う ボクラ少国民の終焉』朝日文庫

 フィクションの体裁を取っていますが、ほぼ著者自身の経験に基づいたノンフィクションです。19453月に神奈川県平塚から家族とともに、生まれ故郷の北海道小樽に移住した中学1年の主人公が、戦争末期、終戦、戦後1948年まで、どのような人間に出会い、どのように思い、どのような行動したかを、丁寧に描いた作品です。副題にもなっていますが、戦時期に、軍国主義、天皇主義を徹底的に植え込まれ信じ込まされた「少国民」だった少年たちの、素直な思いがしっかり伝わってきます。

 神国・日本は絶対に負けないと信じ、本土決戦を覚悟し、11秒たりとも日本のためにならないことはしないと行動してきた中学生が、決して経験することはないだろうと信じていた敗戦をどう受け止めたか、そしてその後の価値観の転換にあっという間に適応していく大人や教師たちをどう見ていたか、しっかり伝わってきます。読みながら、自分が主人公の少年になったような気持で、一緒に憤慨してしまうほど伝わってくる物語でした。

 著者は、私の父の4歳下、母の1歳下ですから、ざくっといえばほぼ同じ世代ですが、わずかな年齢差と性差はかなり大きい気がします。終戦時17歳だった父は、自らが「少国民」だったと言ったことはなかったですし、母も戦争のことについて深く考えたことはなかったようで、「少国民」だったと言ったことはありませんでした。私が、知り合いから「僕らは少国民だったからね」という発言を聞いたのは、ちょうど著者と同い年のある先輩社会学者からでした。ただ、当時どういう思いだったのかを、その時詳しくは聞けなかったので、この本を読んで、初めて「少国民」の感覚を知ることができました。

彼らは未年で私のちょうど2回り年上――24歳違い――に当たります。今、私の2回り年下は40歳の方々です。私と40歳の方々との間には、もちろん生きた時代に違いがありますが、それは根本的な違いではなく連続した量的な変化にすぎませんが、私と2回り年上の人との間にある時代の違いは、根本的な価値観の違いも含んでいます。

戦争は多くの人が死ぬからいけないというのは誰もが思うことですが、それ以上に戦争になったら、こういう風に人々が洗脳され、おかしなこともまかり通ってしまうことがあるということこそ、より恐れるべきことと思います。そういうことを知るために、この本はうってつけの本だと思います。(2019.11.4)

748.山田洋次『悪童 小説・寅次郎の告白』講談社

 映画「男はつらいよ」の車寅次郎が、自分の子ども時代を語るというストーリーですが、山田洋次の狙いは、戦前から戦後の日本を庶民視点で描くことにあったのだと思います。長く「男はつらいよ」で葛飾柴又を舞台にしていたからよく調べて知っているのかもしれませんが、まるで山田洋次自身がこのあたりの出身地で、本当にこういうことがあったのではないかと思わせるほどリアリティがあります。山田洋次の創造上の人物に過ぎないはずの車寅次郎が、本当にいた実在の人物だという気がして来るほどです。やはり、山田洋次にとって、車寅次郎は最高傑作なんだと改めて感じました。(2019.11.2

747.澤地久枝『妻たちの二・二六事件』中公文庫

 誰もが知る二・二六事件ですが、その陰で残された若き妻たちがどのような人生を送ったかを、35年後にインタビュー等を通して描かれたノンフィクションです。勝手に自分たちで正しいと論理立てた信念に生き、そして死んだ男たちは自己満足の中で人生を終えられたかもしれませんが、20代半ばで「昭和維新の志士の未亡人」という立場に置かれてしまった女性たちはどれほど苦しい人生だったろうかと思います。死刑に処せられた青年将校たちの中で、残された妻に「自分のことは忘れて、良い人を見つけて欲しい」と遺書を残した人は1人もいません。それどころか、「ずっと俺はお前のそばにいる」と、まるで永遠に忘れるなと言わんばかりです。実際、ほとんどの妻たちは、35年間そのまま未亡人として生きています。男って、勝手だなあと思います。現代では、こんな生き方を女性に押しつけることなんか絶対にできないですね。というか、こんな風に信念のために死ぬ男たちも出てこないような時代になっていますね。ちょっと皮肉な感想を持ってしまいましたが、ノンフィクションとしてはよい視点の優れた本だと思います。(2019.11.1

746.(演劇)オン・キャクヨウ演出『ギア』(京都・ギア専用劇場)

 関大社会学部社会学専攻出身のマジシャン・新子景視君が出演しているということで知り、前から見たいなと思っていたのですが、どこでやっているのか知らないまま何年も過ぎてしまっていました。先日、三条通りの近代建築物を見ながら、ぶらぶら歩いていたら、なんとその近代建築物のひとつである1928ビルがギア専用劇場になっているのを知り、これは行くしかないと思い、すぐにチケットを取り見に行きました。見るまでどういう演劇かよく知らず、とりあえずいろいろなパフォーマーがパフォーマンスを見せながらお芝居が進むようだというくらいの情報でした。

 見に行った日は、新子君は出演日ではなかったですが、いやあ、想像していた以上に面白かったです。90分間セリフはまったくないのですが、きちんとストーリーは伝わってきます。パントマイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリングに秀でた4人の男性と、ドール役の1人の女性の5人しか出ない芝居です。音楽、プロジェクト・マッピング、レーザー。LEDを利用したドレスなど、現代の様々な技術と、出演者のパフォーマンスが見事に調和していました。若い人に人気のあるお芝居ですので、見た人も結構いると思いますが、見ていない人にはぜひともお薦めします。きっと大満足できると思いますよ。(2019.10.27)

 

745.(映画)キャロル・リード監督『華麗なる激情』(1964年・アメリカ・イタリア)

 ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に天井画を描く物語です。チャールトン・ヘストン演じるミケランジェロと、その仕事をさせたレックス・ハリソン演じるユリウス2世の2人の物語になっています。個人的には、ミケランジェロよりもユリウス2世に関心を持ちました。映画の中で、ユリウス2世は傲慢で戦争ばかりしているのですが、実際にそうだったのかと調べてみるとやはりそうだったみたいです。今のローマ教皇と16世紀の教皇とはまったく違う存在のようです。ひとつ勉強になりました。

 ストーリーはあまり深みはないですが、CGのなかった1964年にできた映画だと思うと、しみじみすごいと思います。セットも大がかりですし、石切場なんかは本当に石を切ったのだろうと思いますし、エキストラも一体何人使ったのだろうかと驚きます。この頃は歴史映画の大作が次々に作られていた時代です。映画黄金期だったのでしょう。最近のCGだらけの映画は好きではないのですが、この時代の歴史超大作は好きです。また何か放映されたら見てみたいと思います。(2019.10.24)

744.難波利三『小説 吉本興業』文春文庫

 1980年代後半に出版された吉本興業、特に当時会長だった林正之助を主人公にした小説というか、ノンフィクションに近い作品です。吉本興業と林正之助に対する「よいしょ本」ですが、今読むと、こういうトップで、こういう組織運営だったから、先日のような事件――直営業や反社会的勢力との付き合い――も起こるんだなという感想を持ってしまいました。時代が違うので仕方がないと言えば、仕方がないですが、今なら林正之助はパワハラ、反社会的勢力との付き合いで批判され退場を余儀なくされていたでしょう。たいして面白い本ではないですが、最小限の吉本興業の歴史がわかる本です。(2019.1.22)

743.太宰治『人間失格』青空文庫

 書名だけは、小学生から中学生くらいの時から知っていながら、特に読む気も起らずにいた作品ですが、先日見た映画で、太宰治が最後に残した渾身の作品のように扱われていたので、青空文庫で読めるし読んでみるかと思ってチャレンジしてみました。

 読み終わった感想は、というと、「全然面白くない」です。なんで、これが有名なのか不思議なほどです。まあ心中して死んでしまったセンセーショナルな作家の遺作だから売れたんでしょうね。話は、妙にモテるが、生き方に筋の通っていない男の物語です。いろいろなことから逃げながら、その時々の状況に流されていくだけの男です。自分に自信もなく、他人も信じられない、ちょっと複雑な心理が描かれてはいますが、その悩みはちまちましているだけで、共感もできません。

 太宰治ファンが聞いたら烈火のごとく怒りそうですが、つまらないものはつまらないのだから仕方ありません。よくこの程度の文才で芥川賞を欲しがったものです。長生きしてもたいした作品は残さなかっただろうと思います。若くて死んだことで評価が上がったというパターンだと思います。なんかもう太宰はいいやという気分です。(2019.10.15)

742.三遊亭円朝『怪談牡丹灯篭』青空文庫

 NHKでドラマとして「怪談牡丹灯篭」が始まって、その第1話を見たら、登場人物が多く、話が複雑そうだったので、「えっ、怪談牡丹灯篭って、こんな話なの?」と驚き、一体どんな話なのだろうと知りたくなり、調べたら、青空文庫の無料で読めるようなので、早速読んでみました。

 青空文庫で347頁もあり、これは1席の落語で話し切るのは無理な物語です。実際その後、YouTubeで落語として語られた「怪談牡丹灯篭」を見てみると、やはりその一部を話しているのがほとんどです。「お露と新三郎/お札はがし」がほとんどです。それでも短くて30分、1時間を超えるものがほとんどです。全部話すとなったら、一体何時間かかるかわからないほどです。

 落語のネタとしてではなく、普通に小説として読んだ方がいいような物語です。登場人物も多く話も複雑です。落語ではほとんど出番のない孝助という若侍(というか草履取り)が、実は物語の主役です。落語で幽霊となって新三郎のところに現れるお露の実家(旗本・飯島平左衛門)の中間(家来)です。お露と新三郎の恋と恨みの話とは独立して、この孝助の忠義と敵討ちの物語も進行し、人間関係は複雑に接点を持ちながら話は進んでいきます。とても簡単には語れないストーリーです。

 落語というのは比較的短い話で笑いを取りながら、最後にオチをつける話なんだろうと思っていましたが、この「怪談牡丹灯篭」で印象が変わりました。今よく知る演芸としては、むしろ講談に近い気がしました。円朝の落語の口述筆記本が、二葉亭四迷の『浮雲』に影響し、日本近代文学の言文一致運動に影響を与えたというのもなるほどと思えるくらいの、まさに人間ドラマでした。(2019.10.12)

741.工藤美代子『恋づくし 宇野千代伝』中央公論新社

 宇野千代に関しては、最近まで晩年の写真しか知らなかったのですが、綺麗だった若い時の写真を見て興味を持ち、この本を探し出して読むことにしました。ただ、著者があまり上手い書き手ではなく、宇野千代という女性作家が次から次に男に恋をしてセックスをして文章を書いて生きてきたと描かれるばかりで、その心理を丁寧に描けている感じはなかったです。男に魅かれる理由も基本的には顔の良さがすべてという感じです。まあ確かに付き合った著名な男たちの写真を見ると2枚目ばかりなので、宇野千代が、男性の外見を重視していたのは間違いないのだろうと思います。しかし、あまりにあっさりとセックスをして前の男を捨て、またほんのわずかなきっかけで次の男に乗り換えているのですが、そのあたりがあまりにあっさりと描かれ過ぎていて、深みがないように感じてしまいます。戦時中のこともあっさり描かれていて、苦労もほとんどなかったようです。これが事実なら、宇野千代は相当にラッキーな人生を歩んだ人ということになりそうです。美しく才能のある女性が、1人の男に尽くすという価値観を持たずに生きると、こういう生き方ができるのかもしれません。かなり女性が自由に生きられるようになった現代社会でも、ここまでの恋多き生き方はなかなかできないだろうと思いますので、明治30年生まれの女性がこんな生き方ができたのが不思議な気がするくらいです。(2019.10.1)

740.渡辺保『明治演劇史』講談社

 こんな渋い本を読みたくなったのは、NHKのファミリーヒストリーで中村梅雀の祖父の話を聞いたからでした。単純に歌舞伎界の人だと思っていたら、曾祖父が旅芸人から歌舞伎界の末端に入り、その息子であった中村翫右衛門も5代目中村歌右衛門の下で歌舞伎役者として舞台に立っていたわけですが、旧態依然とした歌舞伎界を批判して、4代目河原崎長十郎らと前進座を作り、この前進座がなかなか面白い活動をしていることを知ったからです。今は、歌舞伎の世界も固定化されてしまっている感じですが、そうかあ、昔はいろいろあったんだと知り、演劇史を調べてみたくなったわけです。

 ネットでもある程度は調べられたのですが、通史のような本がないかなと思い、関大の図書館の書庫に入り、良さそうな本がないかと探したところ、この本が見つかりました。読み始めたら実に面白くてあっという間に読んでしまいました。明治という近代化が一気に進む時期に、歌舞伎界にも変化の波は当然押し寄せてきます。現在ほどに、歌舞伎の様式もまだ確立されてきていなかったこともあって、現代劇的なものもずいぶんやっていたようです。そのうち、川上音二郎たちの壮士芝居、そしてそれと密接な関係を持ちつつ新派と呼ばれる演劇集団が次々に生まれてきます。そして、明治の最後の方で、小山内薫、島村抱月、松井須磨子らの新劇が出てきますが、この本はその前の歌舞伎界の変化と新派の登場に紙幅が割かれています。そうかあ、こういう役者が当時は大人気だったんだということも知ることができ、知識が増えました。

 この本の面白さは人間関係の複雑さです。歌舞伎界の方は、「団菊左」と言われた、9代目市川團十郎、5代目尾上菊五郎、市川左団次の3人に、劇場主でプロデューサーだった守田勘彌の協力と反目がまるで小説のようですし、新派の方では、川上音二郎、伊井蓉峰、高田実、喜多村緑郎の関係が複雑で面白いです。政治家もいろいろからんできますし、ノンフィクションなのに、このままドラマか映画にできるのではないかと思いました。

 調べ始めたらどんどんはまっていって、明治に留まらず、大正から昭和、そして最近の三谷幸喜の「東京サンシャインボーイズ」の旗揚げまで演劇史年表作りをしてしまいました。昭和初期くらいはかなりプロレタリア演劇の色が濃く、戦争中に弾圧されたものの、戦後また左翼寄りの劇団がいくつも復活してきます。しかし、徐々に伝統ある劇団が体制寄りになっていく中で、1960年代になると、小劇場運動が生じてきます。演劇史には政治や思想がからみ、個性の強い人間が」たくさん出てくるので、調べれば調べるほど面白くなっています。まだまだわからないことがたくさんあるので、しばらく関心は続きそうです。(2019.9.22

739.太宰治『ヴィヨンの妻』青空文庫

 下の738で取り上げた映画の中で、『ヴィヨンの妻』の話題が出てくるので、どんな話なのだろうと早速読んでみました。まあどうということはない短編小説ですが、読みやすいことは読みやすいです。太宰治の文章というのは、リズムがあり、現代でも通用しそうな文章です。きっとこの時代においては、新鮮な感じを与えたのだろうなと想像できます。こういう読みやすい文章なら、確かに女性ファンが増えそうです。さて、この小説のストーリーはと言えば、作家らしき夫がツケで飲み続けていた居酒屋の上がりを盗んで、居酒屋の夫婦に追われながら帰ってくるというところから始まります。作家は盗んだ金を返しもせずに消え去ります。作家の妻は、必ず返すので、警察沙汰にはしないでほしいと頼み、翌日からその居酒屋で働き始めます。そこに夫が、女性を連れて現れ、その女性が盗んだ分のお金は返します。それでも、ツケはたっぷり溜まっていて、それを返すために、妻は居酒屋で働き続けます。で、ある雨の晩、お客の1人と関係を持ってしまいます。でも、詳しくディテールが語られるわけではなく、そのまままた妻は居酒屋に働きに行き、そこに来ていた夫と仲良く会話をするという場面で終わります。これといった山もない小説です。すでに名の通っていた太宰が書いたので評判になったのかもしれませんが、名のない作家なら必ずボツになるような作品だと思いました。(2019.9.18)

738.(映画)蜷川実花監督『人間失格 太宰治と3人の女』(2019年・松竹)

 主役級の4人の役者が良さそうだったので見てみました。なかなか悪くなかったです。こんな危ない恋愛をする人って、今は少ないでしょうね。昔は、「浮気は男の甲斐性」といった言葉もあり、愛人や浮気相手がいることが男の勲章のようになっていた時代だったので、太宰もこんな生活ができたんでしょう。今なら、歌舞伎役者が花柳界の人とホテルに泊まっても「不倫」と騒がれて、社会的生命を失いそうになりますから、とてもじゃないけど、太宰のような生き方はできないでしょう。また、女性の側の恋に対する思いの強さも、今では現実味がない気がします。最近は心中なんてニュースはほとんど聞かなくなりました。でも、そんな時代だからこそ、こんな恋愛を見てみたいと思うのか、蜷川実花が人気があるのか、映画館は女性が9割以上を占めていましたし、かなり埋まっていました。

 史実に基づきつつ、人間関係やその心理などは監督の自由な解釈でつくられていると思いますが、こんな感じだったんだろうなあとわりと納得できました。強いて言えば、藤原竜也の坂口安吾や、高良健吾の三島由紀夫とは要らなかったかな。成田凌の編集者はよかったですが。まあ、いずれにしろ、まあまあという評価を与えられる作品でした。(2019.9.18)

737.(映画)三谷幸喜監督『記憶にございません』(2019年・東宝)

 珍しく公開すぐの映画を観てきました。三谷映画は当たり、外れが結構ありますが、この映画はどちらでもない感じです。中井貴一が不人気で態度のでかい総理大臣の役で、その人物が記憶喪失になるという設定はかなり期待させ、実際に映画が始まってしばらくはおおいに笑えて期待通りだなと思ったのですが、後半ちょっと綺麗にまとめすぎている感じで、見終わった時はやや物足りない気持ちになりました。個人的にもっと見たかったのは、悪かった時の中井貴一の演技です。日頃いい人の役が多い中井貴一ですので、そうでない中井貴一の演技は興味深かったですが、ほとんどなく、結局いつもよく見るような中井貴一になっていました。回想場面でいいので描いてほしかったです。あと、最後の方は、もう少しひねれなかったかなあという不満も残りました。見て損したとまでは思いませんでしたが、まあこんなもんかあという感じでした。(2019.9.14)

736.(映画)ビリー・ワイルダー監督『情婦』(1957年・アメリカ)

 古い映画ですが、今でも十分通用する面白い映画です。原作がアガサ・クリスティーなのできっと面白いだろうと思って見始めましたが、予想以上に面白かったです。ミステリーなのでネタバレしないように感想を書きますが、ある老婦人が殺害され、その犯人と疑われた男性の裁判をめぐる話です。映画では、その男性役を二枚目俳優のタイロン・パワーが演じ、怪しい年上の妻をマレーネ・デートリッヒが演じています。この2人の演技ももちろんよいのですが、この映画の主役は、毒舌で病気持ちの太った老弁護士です。アガサ・クリスティーが生み出した名探偵・ポワロ的な存在です。映画では、結構彼の病気のことも扱われるのですが、これが本筋とは関係ないのですが、この映画にユーモアを生み出すよいスパイスになっています。そして、結末は、私の大好きな二転三転です。さすがアガサ・クリスティーです。この映画、ぜひ日本でリメイクしてほしいです。現代劇で十分通用します。日本語タイトルの「情婦」は、この時代、映画館に大衆を引き付けるためのネーミングで、内容にも合っていませんので、ぜひ現代でリメイクする場合は、原作通り「検察側の証人」でやってほしいと思います。(2019.9.12)

735.村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』新潮文庫

 あまり少女小説に興味がなかったので、『赤毛のアン』という小説も名前しか知らず、ましてやその翻訳者のことも全然知りませんでした。数年前に、NHKの朝ドラ「花子とアン」で取り上げられた時もほとんど見ていなかったのですが、柳原白蓮と友人だったということのみ情報として得ていて、少しだけ関心を持ちました。たまたまブックオフで108円でこの本が売っていたので、なら読んでみようかという感じで読み始めました。

 そういう期待感ゼロのような状態で読み始めたせいか意外に面白かったです。私が不勉強で知らなかっただけで、村岡花子という人物はかなり興味深い人物でした。父親が社会主義者で貧しい家庭でしたが、東洋英和女学校に入学し、成績優秀で奨学金をもらいながら勉強を続けます。柳原白蓮との友人関係はここでできています。初恋の相手は後に外交となる澤田廉三という人ですが、この恋は実らず、彼の妻になった人が澤田美喜で、彼女は戦後第2次世界大戦後たくさん生まれた混血児の面倒を見るエリザベスサンダーホームを運営した人です。

 また、村岡花子は、同じく朝ドラ「あさが来た」で取り上げられた明治期の女性経営者・広岡浅子にも可愛がられていたり、大正時代から昭和時代にかけて次々に登場してくる女流作家たちの中心となって活動していたり、戦前にラジオ番組を持っていたりと、非常に重要な役割を果たしています。村岡花子をはじめ、この時代に社会的に活躍していた女性たちが女性の参政権を求めて活動していたというのも初めて知りました。まだまだ知らないことがたくさんあるなと実感させられた本でした。(2019.9.11)

734.吉村昭『戦艦武蔵』新潮文庫

 タイトルからすると戦記物と思われそうですが、この本の3分の2は武蔵建造過程の話です。大和型戦艦は当初は4艦作る予定だったのですが、最終的には大和以外にはこの武蔵しか造られませんでした。そして、華々しい活躍もしないまま、最後は、194410月にあっけなく沈没してしまいます。巨額のお金をかけ、民間会社に無理を言って、秘密裡に造らせたわけですが、もはや時代は空中戦の時代となっており、戦艦が砲撃し合い、それで勝敗が決まるような時代ではなくなっており、武蔵は完成した時点ですでに古き時代の遺物になっていたと言っても過言ではないでしょう。4号艦は製造中止、3号艦は急遽空母に変更させられたのも当然だったわけです。

 しかし、この本は読み応えがあります。戦いの場面よりも、この大型艦船をいかにして秘密裡に造り上げ、うまく進水させるかという造船物語として実によく書けています。大和が呉の海軍工廠という軍直属機関で造られたのに対し、武蔵は三菱造船という民間会社に造らせたため、その秘密保持がいかにしてなされたかというのが非常に面白いです。ただでさえ、大型船を造るのは大変そうなのに、それを一部関係者以外には全貌を把握できないように進めるというのは想像しがたいほど大変なことだったことでしょう。

 本書を読んで、こういう戦記物もあるんだなと視野が広がりました。(2019.9.5)

733.(映画)マイク・ニコルズ監督『ワーキング・ガール』(1988年・アメリカ)

 BSで放映されていたのを録画して観たのですが、この時代のアメリカって、まだこんな感じだったんだなと知れて面白かったです。ストーリーは努力して出世したいと思っている若い女性がなかなかチャンスを与えられず、上司の女性が怪我で休職中に成り代わって取引を進め、仕事のパートナーとなる男性の協力も得て最後は成功をつかみ取るという単純なものです。面白いのは、この1980年代後半のアメリカでも、まだ女性たちが対等な働き手として考えられておらず、セクシャルな面ばかり強調されていたということです。髪型、ファッション、いずれも女性性を強調した形になっており、オフィスも上司は基本的に男性で、女性は単純なデスクワークや秘書や受付のような仕事についている姿ばかりが描かれます。映画ですから、多少デフォルメはされているかもしれませんが、実態もそう遠くはなかったことと思います。すでに30年以上前の映画ですから、今とは大きく違うのは当たり前でしょうと若い人に言われてしまうかもしれませんが、当時すでに働いていた私などからすると、アメリカはこの頃はもう大分女性の進出が進んでいたように思っていましたが、まだこんなもんだったんだなと確認でき、面白かったです。(2019.8.29)

732.(映画)樋口尚文監督『葬式の名人』(2019年・日本)

 茨木市でオールロケを敢行し、茨木高校が舞台で、旧制茨木中学(後の茨木高)出身の川端康成の原作を元にしているといった要素から、それなりに興味を持ってわざわざ映画館に足を運んだのですが、映画館で観た映画では、私の長い人生でワースト3には入る、いやワーストワンかもしれないと思うほどひどい映画でした。あまりにひどい映画で、ツッコミどころ満載なので、感想を書いておきます。設定・ストーリー・脚本すべて最低で、役者もよくそんな棒読み・大根芝居でOKが出たなと思うくらい下手くそです。ひとつとしていいところがないです。

 ありえない設定ばかりです。アメリカに行っていたはずの男が突然茨木高校のグラウンドに現れ、ボールを追って道路に飛び出そうとした少年を救おうとして自分が車にひかれて死にます。この場面も撮り方が下手くそで、救うというより子どもを道路に突き飛ばしているようにすら見えます(笑)この男性の死の連絡が何人かの友人に回り、警察の霊庵所らしきところに両親と友人6人が集まります。その集まる前の場面で、ヤクザが死んで寝かされている部屋に間違って高良健吾が入ってしまい、しょうもないやりとりがされますが、このシーンに一体何の意味があったのかまったく不明です。

 集まった6人はどういう関係の友人かは最後までわかりません。男性陣は野球部仲間かなと思えるのが2名いますが、女性はさっぱりわかりません。そして、両親は一度も涙を見せませんし、高良健吾が棺ごと茨木高校に連れて行きたいと言うと、あっさり認めます。そんなことありえないことです。まあそこも目をつぶりましょう。そして、体重70kgは優にあるだろう男性の遺体が入った棺を男女3名ずつの6名で担ぎますが、まともに担ぐ芝居をしているのは、両端の棒を肩に乗せた男性2人だけで、あとの4人は横の取っ手を片手で持っているだけです。その上、一人の女性はハイヒールですし、前田敦子は途中片手スマホで息子に電話しています。こんな状態で70kg以上はありそうな男性の遺体の入った棺が持ち上がるはずはありません。もっと重たいものを必死で運ぶ演技をなぜさせないのか不思議でなりませんでした。観客を馬鹿にした演出です。

 棺が運び込まれても茨木高校は何の反応もありません。ありえないでしょ。リアリティの完全無視です。そして、学校の食堂で通夜の練習をします。そこで、シングルマザーとなっている前田敦子の子どもが、その死んだ男性の子であることが明かされますが、それまで「誰の子だろう?」とか死んだ男性は誰と付き合っていたのだろうとか話していた友人たちが誰一人として驚きません。(ちなみに、観客には丸わかりでしたので、観客ももちろん誰一人驚きません。)死んだ男性の母親が交際や結婚に反対していたということは語られますが、なぜ反対だったのかという理由は最後まで一言も語られません。交際に至った経緯も、別れることになった経緯も何ひとつ語られず、まったくわかりません。

 途中棺の中に遺体ではなく、生きた坊さんが入っていたり、夢の中に出てくる老婦人が誰のか、なぜ腕を付け替える必要があったのか、夢の中に出てくる伊豆の踊子をはじめとする川端康成の小説に出てくるキャラクターたちが弔問に訪れるのはなぜなのかとか、意味不明の演出ばかりです。

 こんな映画を市政70周年記念として作ってしまった茨木市も、ロケに全面協力した茨木高校も、出来上がりを見てさぞや頭を抱えたことでしょう。市民やOBOGから、「恥ずかしいから早くお蔵入りさせろ」という声が上がっているのではないでしょうか。両者にとって、記憶を消したい「黒歴史」になることは確実な気がします。(2019.8.27)

731.元木泰雄『河内源氏――頼朝を生んだ武士本流――』中公新書

 副題が示すように、鎌倉幕府を築いた源頼朝につながる河内を地盤として力をつけた河内源氏の歴史を、清和天皇の孫で源を最初に名のった源経基から始め、頼朝まで語ります。なるほど、こういう風につながっていたんだと興味深いところも多かったですが、新書で語るには長期間過ぎて時代がどんどん変わるので、理解するのはなかなか困難です。登場人物も多すぎて、一度読んだだけでは十分に把握しきれません。ただ、こういう血脈があって頼朝まで来たんだというのは興味深い視点ではありました。源頼朝という歴史上の著名人物の生涯に焦点を当てたものはよくありますが、考えてみると、なぜ流刑先だった関東で、彼があれほどの味方を集められ、さらには京都に上らず鎌倉に幕府を開いたという歴史を説明するには、彼の父親やさらにその先祖たちが関東で活躍し、源氏の名声と信頼を得ていたからなのだという事実を知らなければならないことに気づかされます。(2019.8.5)

730.なべおさみ『やくざと芸能界』講談社α文庫

 吉本の問題で興味をもつ人がいるだろうと考えて書店が平積みで売っていたものですが、まさにその通りに興味を惹かれて買ってしましました(笑)。若い人は知らないかもしれませんが、なべおさみというタレントは昔はよくテレビに出ていたものでした。息子が明治大学に不正入学した問題以降あまり公に出なくなったなあと思っていたら、こんな本も書いていて、これではますますテレビからは呼ばれなくなったのもむべなるかなという印象を持ちました。

 内容は、芸能界とヤクザの世界が如何に近い関係にあったかを赤裸々に語っています。自分を大きく見せたいようなところもあり、どこまで本当なのか幾分怪しいところもありますが、それなりに事実も書いてあると見るべきでしょう。20世紀の芸能界を知っている人には、芸能界とヤクザが近いのは当たり前に知っていたことなので、そこはそれほど驚くところではありませんでしたが、小物タレントとしてしか認識していなかったなべおさみがかなりの人脈を持っていたことには驚きを感じました。でも、ここまでいろいろ書いてしまったら、もうテレビには出られないでしょうね。(2019.8.3)

729.(映画)是枝裕和監督『万引き家族』(2018年・日本)

 テレビで放映されていたものを録画し、ようやく観ました。確かにいい作品と言えるでしょう。家族とは何かを考えさせるというテーマは明確で、役者は子役も含めていい味を出しています。ただ、映画館で観たい映画かと言われるとどうかなあと思います。テレビで放映されたものでちょうどよかった感じです。どうしても「家族」がテーマだと、大きなスクリーンが生かしきれない気がします。まあでも、最初からテレビドラマでは、予算の関係で、これほどの役者を集めて作品は作れないのでしょうが。

 役者は上にも述べたように、みんないいですが、特に安藤サクラですね。朝ドラの主役より、こっちが安藤サクラの真骨頂だなと思います。多くのセリフを喋らず、表情だけで見事に複雑な心理を表します。安藤サクラが主役の映画ははずせないなと思いました。(2019.8.1)

728.(映画)山下敦弘監督『マイ・バック・ページ』(2011年・日本)

 朝、新聞を見ていて、なんか面白そうな映画だなと思い、録画して見てみました。1969年から1972年までの短い期間を舞台に、ある新聞社の若手記者が巻き込まれていく話ですが、妙にリアリティがあるなと思って、後で調べてみたら、川本三郎という評論家の実体験に基づく話でした。川本三郎という評論家は映画に関する本が多く、私も何冊か読んだことがありましたが、こういう過去を持っていた人だということを知りませんでした。

 映画としてはまあまあの出来だと思います。特に、2011年という時点で、1970年前後の空気感をよく出せています。映画で起きる自衛隊員襲撃事件も、事件の名前としては知っていましたし、京大元活動家の滝田修がなぜ地下に潜伏していたのかも、これが理由だったのかとわかりました。私が高校生だった頃の事件で、まだ政治に関する知識が乏しかった時代なので、この頃は全然理解できていませんでした。今頃という感じですが、わかってよかったです。こういう過去の事実を知ることのできる映画は好きです。(2019.7.8)

727.(映画)藤井道人監督『新聞記者』(2019年・日本)

 日本ではなかなか珍しい政治映画です。ストーリーに、現政権下で起きた様々な事件が想起されるようになっていて、露骨な現政権を批判する映画になっています。映画を観た人の評価は、☆5つか☆1つに分かれています。平日の午後に見に行ったということもありますが、観客の年齢層はほぼ60歳代以上で男性が非常に多かったです。安倍内閣が長期政権になっていることに不満を持つ人が観に行っていたのでしょう。

 テレビ局は政府に睨まれたくないので、この映画を紹介することは一切しないでしょうが、まだ公開中ですので、ぜひ若い世代にも観に行ってもらいたいものです。権力がずっと同じところに留まると、こういう事態は起きます。「この国の民主主義は形式だけでいいのだ」という官僚のセリフがありますが、今のままでは本当にそうなってしまいそうです。肯定的に観ることになるのか、否定的に観ることになるのか、どちらでも構いません。まず観て考えてみてください。(2019.7.5)

726.谷崎淳一郎『鍵』中公文庫

 50代と40代の夫婦の性を描いた小説です。若い人が読んだら気持ち悪いとしか思わないかもしれませんが、私は非常に面白かったです。「鍵」というタイトルの小説ですが、「日記」というタイトルの方がぴったりです。というのは、物語は、夫婦それぞれが書いている日記が交互に紹介されるという形で進むからです。鍵というのは、夫の日記がしまわれている引き出しの鍵ということだと思いますが、それほど重要な意味は持っていません。たぶん、もともとは『中央公論』という雑誌に掲載されたものなので、最初の方で重要そうな役割を果たすように見えた鍵をそのままタイトルにしてしまったということでしょう。夫婦は、互いの性についての思いを日記に書き、それをお互いに隠しているけれど、きっと読んでいるに違いないと思い、相手が読んでいるのを前提に、自分の思いを伝えようとしているという要素もあるというなかなか複雑な日記になっています。そして後半は夫が脳溢血で倒れるという状況変化も含めて、ストーリーはどうなっていくのだろうという先の読めない楽しさを味わえます。初出は1956年ですが、大衆小説として非常に評判を呼んだだろうなと想像できます。(2019.7.3)

725.広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』星海社新書

 太平洋戦争中のもっとも悲惨な戦いのひとつであるインパール作戦の指揮者であった牟田口廉也の伝記です。インパール作戦にのみ焦点を当てるのではなく、誕生時から職業軍人になるまでの過程、そして盧溝橋事件にも深く関わっていることなどにも大きく紙幅を割きます。こうした分析を通して、著者が浮き彫りにしたかったのは、牟田口廉也という軍人が特別に変わった人間、能力の劣った人間だったわけではなく、出世志向の強い当時の職業軍人にはありがちな行動をする人間に過ぎなかったこと、そして彼を止めないどころか、無謀な作戦を国家の作戦として承認してしまった日本軍上層部全体の責任であること、です。

確かにそういう分析は可能だろうなと思います。ただ、日中戦争のきっかけを作った上に、インパール作戦という無謀な作戦で多くの人命を無駄に失わせたこの軍人が、戦犯とされることもなく、1966年に77歳で亡くなるまで生き続けたことを納得のいかないことと思う人は少なくないでしょう。戦争では、指揮系統の上位に行けば行くほど死の危険からは遠ざかります。牟田口廉也もそうした人間の1人で、この戦争で兵士として出征し子どもを失った親からしたら、せめて責任を感じて自分なりに多くの人が納得のいく対処してほしかったと思われた人物の代表格でしょうね。(2019.6.30)

724.谷崎潤一郎『卍』新潮文庫

 有名な小説ですし、家に文庫本があったので、昔1度読んだのかもしれませんが、ストーリーをまったく知らず、なんとなく谷崎が読みたいと思って探し出して読んだのですが、非常に面白かったです。90年も前に書かれた小説ですが、現代でも通用しそうなテーマです。ある若き未亡人が、作家に自分に起きた出来事を語るという形で話は進みます。このストーリーが実に複雑で、人間関係も二転三転し、一体どういう結末になるのだろうと、後半は推理小説を読む面白さでした。

 ストーリーを簡単に説明するのは困難なのですが、主要な登場人物は4人です。語り手の未亡人――途中までは夫が生きているので人妻としておきましょう――とその夫、そして人妻が愛する美しい若い女性とその恋人です。この4者の関係が実に複雑なのです。最初は、女性2人の同性愛の話で物語は進むのかと思っていたら、そこに女性の恋人が現れ、女1人をめぐっての男と人妻がライバルになるような展開になります。しかし、この男が策略家で人妻の夫を巻き込むことで、関係はさらに複雑になっていきます。女性の恋人を排除し終えた後は、今度は夫と妻が、若い女性をめぐって恋愛感情がぶつかるようになります。若い女性は夫妻双方から愛されることで、2人の支配者的立場に立つようになります。最後は、こうした複雑でふしだらと思われる4者の関係をマスコミに晒されるようになり、3人で死を選ぶ選択をします。そして、その結果は、、、というストーリーです。ストーリーテラー大谷崎の面目躍如たる小説です。

 あともうひとつこの小説の魅力は全編大阪弁で語られていることです。東京生まれの東京育ちで、関東大震災の後関西に来たばかりでまだそんなに関西歴も長くないのに、見事に大阪弁で語られています。誰かが方言チェックをしてくれたのだろうと思いますが、それにしても巧みですし、妙に艶っぽい大阪弁で、この文体で語られることで、この小説の魅力はおおいに増していると思います。

 映画化も何回かされているようですので、機会があったら見てみたいと思います。(2019.6.17)

723.朱野帰子『わたし、定時で帰ります。』新潮文庫

 今テレビドラマでやっている作品の原作小説です。ゼミ生が「ドラマよりは面白いですよ」と貸してくれたので、読んでみました。読後感としては、まあこの程度の小説なら、あの程度のドラマにしかならないだろうなという感じです。キャラクター設定が単純すぎて、また状況次第でその性格や行動ががらりと変わったりするので、マンガみたいだなという印象でした。ドラマは来週が最終回です。主人公の女性をめぐる2人の男の争いはそっちと結ばれるのかと結末は見えてしまいましたが、ドラマと原作とは少し展開が違うようですので、どういう風に持っていくのかが少しだけ気になります。原作はものすごく下らない展開でした。ちなみに、原作の男は2人ともあまり魅力的ではなかったです。というか、原作に出てくる人物全員魅力的ではないです。ドラマの方がちょっとましかもしれません。この作家、他にも何冊か書いているようですが、人間の描き方に深みがないので他の作品を読んでみようという気にまったくなりません。

こんなに酷評ばかりじゃ、貸してくれた子が気にしそうですね。この本を読みながら唯一興味が湧いてきたのが「インパール作戦」です。その指揮官の無謀な作戦命令と、この物語の上司の無謀な仕事命令が重ねられます。この作家の小説はもういいですが、インパール作戦の無謀さについては調べてみたくなったという潜在的機能があったというところで気分を直してもらえたらと思います。 (2019.6.12)

722.(映画)原田眞人監督『関ケ原』(2017年・東宝)

 テレビで放映されたものを見ただけですが、あまりにも駄作で時間を返せと言いたくなったので、ここに腹立ちまぎれに書いておきます。いいところが一か所もないです。これだけたくさんの俳優を集めて、甲冑やら武器やら衣装やらさぞかしお金がかかったでしょうが、一体なぜこの映画を作ろうと思ったのか、テーマは何なのか、まったく不明でした。キャスティングもまったく合っていません。主役の石田三成を演じた岡田准一、敵役の徳川家康を演じた役所広司の2人がまったく生かされていません。全然三成っぽくも家康っぽくもありません。秀吉も金吾中納言も演じさせられた役者さんが可哀そうに思えるような安易なキャラクター設定でした。そして、物語の展開上の必要性がまったく感じられない、意味不明の登場人物・有村架純と岡田准一演じる三成との秘めた恋物語。「はああ?」って感じでした。他の武将役の役者もまったく魅力がないし、島左近なんか、まるで一兵卒のようにチャンバラばかりしています。軍の指揮を執る立場にある武将が、あんな行動は取りません。なんでこんな企画が通ったのか、監督が悪いのか、プロデューサーが悪いのか、思い切り首を傾げたくなる作品でした。ともかく、ここ数年見た作品のなかでダントツのワーストワン作品でした。時間の無駄ですから、見ない方がいいですよ。(2019.6.7)

721.谷崎潤一郎『痴人の愛』新潮文庫

 歳を取ってきたせいか、谷崎の耽美主義文学を急に読みたくなって、この『痴人の愛』を読んでみました。若い女性に振り回される老人の話だったように勝手に思っていましたが、実際は30歳代前半の謹厳実直な男が10代の女性に振り回される話でした。でも、この時代(大正時代)は、30歳代でもおじさん扱いされているので、基本的には若い女性に振り回される男の話という点では間違ってはいませんでした。

 カフェで働いていた娘に目をつけた男が、彼女を引き取り立派な女性に育てさらには妻にするわけですが、最初は純情だった娘がどんどんわがままになり奔放な生活を始めます。数々の不貞の事実を知った男はいったん彼女を追い出しますが、結局彼女の色香の誘惑に負け、言いなりになってしまうという物語です。まあそれほど素晴らしい物語とは思いませんが、大正時代の雰囲気と、異様な愛情が生み出す心理が平明な読みやすい文章で書かれており、あっという間に読めてしまいます。

 この女性のモデルは谷崎の最初の妻の妹なのだそうですし、その最初の妻は佐藤春夫に譲ってしまうという前代未聞の事件も起きていますので、小説以上に谷崎の人生を追ってみたくなりました。(2019.6.2)

720.連城三紀彦『隠れ菊()()』新潮文庫

 柴田錬三郎賞を取った作品というので、ちょっとくらいは面白いのかなという薄い期待で読みましたが、その薄い期待にさえ応えてくれない作品でした。登場人物のキャラクター設定や人間関係やその心理がめちゃくちゃです。登場した頃とキャラクターが変わっている人だらけですし、男女関係も次々に安易にくっつけてしまいます。もともと新聞連載小説だったということなので、結末まできちんと構想せずに書き始めたのだろうなということが見えてしまう作品です。

 まったく魅力のない作品ですが、記録のために簡単に内容を紹介しておきます。静岡県浜松の料亭の嫁が主人公で、義母が亡くなり、夫に離婚を切り出されるという場面からスタートします。まじめ一筋と思っていた夫には愛人がいて、その愛人が高飛車な感じで現れ、離婚を迫ります。料亭の手伝いを一切しなくていいと言われ、普通の主婦生活を送っていた主人公が突然嵐に巻き込まれます。でも、離婚は借金の負担から妻子を守るための偽装だったとよくあるパターンになりますが、その後がめちゃくちゃなんですよね。ただの主婦だった主人公が突然店をやると言い、愛人も協力者にしてしまうとか、お店の足を引っ張り傷害事件まで起こしたカップルをまたお店で使うとか、他にもなんだ、このキャラクターはという人が次々に登場し、実はこんな関係者でしたという茶番劇ばかり見せられます。自分でも、最後までよく放り出さずに読み切ったなと思うくらいの小説でした。(2019.5.26)

719.(映画)ヴィットリオ・デ・シーカ監督『ひまわり』(1970年・イタリア・フランス・ソ連)

 ソフィア・ローレン主演の名作として、主題曲は昔からよく聞いていたのですが、映画自体は今回初めて見ました。正直言って、ストーリーはめちゃくちゃです。なんで、こんな映画が名作と言われているのか、私にはさっぱりわかりません。

 ソフィア・ローレンとその夫役のマルチェロ・マストロヤンニの出会いから結婚に至る過程がジェットコースターというよりロケットのような速さで一気に進みます。なぜ出会ったのかの説明は一切なく、たぶん初対面の二人がすぐに魅かれ合って浜辺で男女の関係になります。兵士だったマストロヤンニは、結婚休暇を取るためだけにソフィア・ローレンの誘いに乗って結婚します。

 さらに軍隊に戻るのを避けるために、マストロヤンニの精神状態がおかしくなったという演技を2人でしますが、ばれてソ連戦線に送られます(時代は、第2次世界大戦の末期でイタリアが舞台です)。ソ連戦線はイタリア軍にとってはもっとも厳しい戦地で、敗北を重ね、雪原を歩いて退却していきます。その途中でマストロヤンニは体力を奪われ、おきざりにされます。

 戦争が終わってソ連からの帰還兵が戻ってくるのは、ソフィアは夫の写真1枚もって知っている人間を探します。たくさん人がいる中で、L1枚の写真に写っている男が自分の知り合いかどうかなんて絶対きづくはずはないのに、ご都合主義のこの映画では、たまたま知り合いに出会います。そして、彼からソ連の雪の中で倒れてそれ以降は知らないと聞きます。

 ここで、ソフィア・ローレンは、なんとソ連行きを決意し、簡単に行けてしまいます。そしてまた、都合のいいことに、新たに結婚をし子どもも持って暮らしていたマストロヤンニの家を訪ねあてます。せっかくそれだけの行動を取ったのに、彼が列車を降りてきて、新しい妻と仲良さそうなそぶりを見せただけで、彼のもとを去ります(そんな簡単に去るくらいなら、ソ連までいくなよ、と突っ込みたくなります(笑)

 ソフィアはイタリアに戻り、新しい恋でも始めようかとなりますが、マストロヤンニがイタリアを訪ねてきてやり直そうと言います。ラブシーンが始まりそうな時に、ソフィアの赤ん坊の泣き声が聞こえ、「もう元には戻れないわ」となります。

 超ご都合主義の映画の上に、ソ連との合作映画だったようで、妙にソ連の町が綺麗に描かれています。意味もなく、マストロヤンニと新しい家族は高層の団地に引っ越すという場面もあり、如何にソ連が豊かに発展しているかを、自由主義国に知らしめるプロパガンダ映画の趣もあります。

 ネットの映画評で結構激賞している人がいるのですが、一体どういう見方をしたら、この映画が素晴らしい作品となるのか、私にはまったくわかりません。(2019.5.20)

718.(ドラマ)源孝志作・演出『スローな武士にしてくれ』(2019年・NHK)

 面白いドラマでした。ドラマは滅多に取り上げないのですが、非常に見ごたえがあったので、紹介します。様々な技術が進歩し、撮影もこれまでできなかったようなことができるようになったので、その技術を使って、時代劇を撮るという物語です。見る前は、ストーリーより新しい撮影技術ばかりが強調されるのだろうと予想していましたが、どうしてどうして、ストーリーも役者のパフォーマンスも素晴らしく、このドラマを素晴らしいものにしていました。

 この撮影を企画したNHKの技術者が時代劇オタクという設定で、もうロートルになっていた老年の時代劇監督、カメラマン、技術者を引っ張り出し、彼らの感覚と新技術を融合させていきます。さらに、主役を務める内野聖陽の殺陣が素晴らしく、彼の殺陣の実力がなければ、このドラマはこんなに素晴らしいものになっていません。

 ストーリーもよく練られていました。妻役の水野美紀も見事なアクションを見せますし、その水野美紀に対する秘めた思いを持ち、最後の場面で内野聖陽に迫る、仲間でもありライバルでもある中村獅童もいいです。セリフが苦手だった主役に、最後の場面で見事なセリフを言わせるなんてやられたと思いました。

 そして、実際に様々な新しい撮影技術を使った映像も見事でした。私が見たのが再放送でしたので、もう一度再放送はないのかもしれませんが、もしもあったら見てください。お勧め作品です。(2019.5.17)

717.(映画)ヴィクトル・エリセ監督『ミツバチのささやき』(1973年・スペイン)

 若い頃から、名作と言われている映画として名前だけは知っていて、数年前に録画していたのですが、なんとなく見る気もなくそのままにしていたのをようやく見てみたのですが、私にとってはまったく魅力的な映画ではなかったです。映画評とかを見ると、激賞している人も多いようですが、画面は暗いし、セリフは少ないし、監督がこの作品で描きたかったことがなんなのか、私にははっきりつかめませんでした。1960年代、70年代にヨーロッパで名監督と言われたような人の作品は総じて難解なものが多いです。よくわからないまま内容紹介を簡単にしておくと、スペイン内戦が終わった後、1940年のスペインの地方都市を舞台にしていますが、必ずしもスペイン内戦については深くは触れられません。主人公は56歳くらいの少女です。この子が年子くらいに見える姉とフランケンシュタインの映画を観る場面から始まり、フランケンシュタインのような存在に興味を持ちます。村の廃屋のようなところに、何か見知らぬ存在がいるように思い、そこに通い続けるうちに、脱走兵らしき男がその廃屋に逃げ込んできます。少女は、この男と心を通わせますが、男は脱走兵として殺されてしまいます。それを知った少女は悲しみで自宅から姿を消します。見つかって戻ってきた後も、家族に心を開かぬ少女になっていたという感じで終わります。結局、監督は何が言いたかったんでしょうか?映画にあまり頭をあまり使いたくない私にはまったく不向きの映画でした。(2019.5.11)

716.なかにし礼『赤い月()()』新潮文庫

 なかにし礼の自伝的小説で、彼の母親が主人公になっています。ソビエトが日ソ不可侵条約を破棄して満州に攻め込んできたところから小説は始まりますが、途中でいったん時代を遡り、満州にやってくる前の恋愛、そして結婚。そして満州へと話は展開していきます。後半途中で、再び冒頭と話はつながり、牡丹江からの逃避行、帰国までの哈爾浜での生活と続きます。登場人物も多彩で、実際にこんな人たちとの出会いがあったのかなと思いましたが、最後に掲載されている作家との対談を読むと、もっとも重要人物である男性は実際にそういう人がいたと語っています。すべてが実話ではもちろんないのでしょうが、なかにし礼はかなりドラマチックな体験をしてきたようです。ただし、この小説がそれなりにちゃんと読める小説になっているのは、単に体験だけで書いているわけでなく、満州事情をよく勉強して書いているからと言えるでしょう。なかにし礼の別の小説も読んでみたいなと思わせる、それなりに読める小説でした。(2019.5.5)

715.(映画)ロマン・ポランスキー監督『テス』(1979年・英仏)

 長いGWは録り溜めていた映画を色々見ています。この作品に関しては、タイトルと主演がナターシャ・キンスキーだったことを覚えていたので、昔見たのかもしれないと思って見始めましたが、まったく記憶にない映画でした。19世紀終わりのイギリスを舞台に貧しくも美しく生まれた女性の波乱の生涯を描いた文芸作品です。それほど深みはないですが、ナターシャ・キンスキーの美しさと19世紀イギリスの農村地帯、階級問題などが描かれており、それなりに見られる作品でした。この映画が撮影された頃のナターシャ・キンスキーはまだ17歳だったそうですが、日本人の目からはとうていそうは見えないです、まあまあという程度の作品ですが、見たという記録のために書いておきます。(2019.5.4)

714.(映画)ロバート・ゼメキス監督『ザ・ウォーク』(2015年・アメリカ)

 今は無きワールド・トレードセンターにロープを渡し綱渡りしたフィリップ・プティの実話をCGで映画化したものですが、CGだとわかっていても自分が高所恐怖症になってしまうのではないかと思うほど、ドキドキしました。本当にこんなことをやったんですね。当時のニュースをかすかに覚えていますが、改めて映画で見ても信じられません。400mを超える高さで命綱をつけずに綱渡りなんて、私のような臆病者には想像すらできません。でも、映画としては非常に面白かったです。主役のジョセフ・ゴードン=レヴィットは綱渡りの猛練習をしてそれなりにできるようになったようです。いくらCGを使うと言っても、ある程度はできないと撮影も嘘っぽくなりすぎるでしょうから、それなりに綱渡りをしているんだと思います。それと、この映画を作ったロバート・ゼミキスとしては、アメリカ同時多発テロで消えてしまったワールド・トレードセンターに対するレクエイムという意味もあったんだろうなということも感じました。(2019.5.2)

713.谷村志穂『海猫(上)(下)』新潮文庫

 女性向け恋愛大河官能小説という感じの物語です。見てはいないのですが、かつて映画化もされたのを覚えていたのですが、薫というロシアの血を半分もつ美しい女性を愛してしまった兄弟の葛藤を描いた物語なのだろうと思っていましたが、その3人の間にできた2人の娘が大きくなった次世代の物語が後半についていました。映画でも、大人になった娘たちが出ていたようですが、そんな印象は全く持っていませんでした。映画で後半の物語の印象がなかったのもやむをえないかなと思うほど、前半の緊張感のある物語に比べると、後半は緩いです。なんか前半の印象を薄めさせる役割しか果たしておらず、失敗しているように思います。前半にも登場しながら、存在感がほとんどなかった薫の母親が妙に存在感を持ってくるのも違和感があります。まあでも、トータルで見たら、まあまあの作品と言えるでしょう。(2019.4.26)

712.(映画)ロバート・ベントン監督『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984年・アメリカ)

 録画してあったのですが、どんな映画を録ったのかまったく覚えておらず、まあとりあえず見てみようかと思って見始めたのですが、なかなかよかったです。1935年のテキサスが舞台で、主人公は保安官の妻です。夫の保安官は映画が始まってすぐ酔っぱらった若い黒人青年に間違って撃たれて死んでしまいます。幸せな専業主婦だった女性の人生が一転します。借金もあり、家を売るように銀行から言われるも、たまたまやってきた黒人男性や盲目の間借り人と協力しながら苦境を乗り越えていきます。苦境を乗り越えた話で終わるのかなと思っていたら、KKK団が出てきて、黒人男性を襲います。黒人男性は命の危険を感じ、土地を去ることにします。最後の場面は、教会での礼拝の場面で終わるのですが、その礼拝の場には、思いがけない人たちがいるというところで終わります。大恐慌後の1930年代半ばのアメリカ南部ではどういう雰囲気だったのかなんとなくわかる映画で、個人的には好印象を持ちました。(2019.4.18)

711.桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』創元推理文庫

 同じ著者の『私の男』が面白かったので、その本の解説で、初期の傑作と書いてあったので、早速買って読んでみたのですが、この本はだめですね。鳥取の旧家の女3代の物語ということですが、なんかファンタジー小説みたいでまったく重厚な作品ではないです。それまで書いていたライトノベルの感覚が著者に残っていたのでしょう。時代の変化を露骨に反映させようとしていますが、薄っぺらい時代との関わりで素人小説のようです。登場人物のキャラクター設定もマンガのような設定で、リアリティがまったくありません。ジャンル的にもどのジャンルの小説なのか、中途半端でよくわかりません。一応、この作品で、日本推理作家協会賞をもらっていますが、そんなに推理を働かせなければならないようなストーリーでもありません。ということで、この小説はまったくお勧めできませんが、その後少しずつうまくなっている作家なので、今後への期待はもうしばらく持ち続けたいと思います。(2019.4.13)

710.(映画)岩井俊二監督『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016年・日本)

 岩井俊二らしいリリカルな映画ですが、なんか監督の自己満足のような作品になっています。描きたかったのは後半でしょうが、私は前半の、主人公黒木華が男性とネットでの出会い、教師としてはうまく行かず、結婚に逃げ、その後、綾野剛演じる安室にはめられて、離婚し路頭に迷うという展開の方が面白かったです。こういう展開にすることで、安室の無茶な仕事話にも乗ってくるという展開なのでしょうが、あそこまで描いたなら、もう少し後半で前半のストーリーを活かしてほしかったと思いました。安室という人物が謎のまま終わってしまい、私の中では隔靴掻痒感が残りました。まあでも、説明しすぎるのも、この映画には合わないと言えば合わないのでしょうから、この程度の展開で仕方がないのかもしれませんが。冒頭の引き込まれ方からすると、最後は物足りなさが残る映画でした。(2019.4.3)

709.(映画)山田洋次監督『小さいおうち』(2014年・松竹)

 いかにも山田洋次っぽい映画ですが、悪くはなかったです。昭和10年代の中流家庭に女中を勤めた女性が年老いて過去を振り返るという設定です。物語りの核は、その勤めた家の奥様と若い恋人との恋愛ですが、たぶん山田洋次が描きたかったのは、昭和10年頃の日本の現実だったのだと思います。あまりに単純に軍国主義の時代、ものがなかった時代と描かれてしまうことに対して、そんなに単純ではないということを示したかったのだと思います。語り部的な役割を果たす妻夫木聡が、祖母の記録を、過去を美化していると批判する場面が何度もあるのは、まさにそういうことを言いたいからでしょう。また、この時代の「女中」という職業に関しても偏見を払拭したいという意図が見えます。

 社会学者の性分からつい余計なことが気になってしまいますが、許されぬ恋とわかっていても、どんどん深みにはまっていく女性の気持ちを主演の松たか子は上手に演じていますし、女中役の黒木華もうまいので、その2人の複雑な心理を示すシーンは気持ちよく見られます。しかし、他の役者のところは、セリフに山田洋次が見えてしまうくらい台本通りやっているんだろうなという感じを強く受けてしまいます。だんだん山田洋次が小津安二郎っぽくなってきました。大御所なので、時々映画は撮らせてもらえるのでしょうが、インパクトのある素晴らしい作品はもう撮れないでしょう。(2019.3.19)

708.真梨幸子『孤虫症』講談社文庫

 メフィスト賞という賞をもらったと書いてあったので、まあ読めるかなと思って108円で買って読んでみました。最初急速な展開でちょっと引き込まれましたが、最後の方はむちゃくちゃで、よくこんな小説で賞をもらうなあと変な意味で感心しました。もうこの作家の作品を読むことはなさそうなので、記録のためだけに書いておきます。

 物語は、郊外の高僧マンションに住む主婦が寄生虫に蝕まれ、また彼女とセックスをした男たちも感染し、何人も死んでいきます。どういう展開にもっていくのだろうと思っていたのですが、とにかく気持ちが悪い場面ばかりが続きます。死の原因は寄生虫だとほぼわかっているわけなのに、無理やり失踪事件や殺人事件なども増やして、犯人は誰だという展開にもっていきます。そして、一応犯人が誰だったか明らかにされますが、それは無理だろうとツッコミたくなります。ほとんどトンデモ小説ですした。(2019.3.19)

707.桜庭一樹『私の男』文春文庫

 父娘間の禁断の愛を扱った小説で、テーマ的には好きではないのですが、なぜかこの小説は不快な気持ちにはなりません。こういう状況なら、こういう愛も生まれるのかもしれないということを思わせる構成力と描写力があります。特に構成がいいです。1章ずつ時代が戻っていきますが、そのたびに最初の章で漠然としかわからなかったことが少しずつ明らかにされていきます。殺人事件もからんでいますし、ある種の推理小説のような味わいがあります。読み終わった後、もっと続きが読みたいという気持ちになります。1984年のエピソードと2008年以降が読みたいです。まあでも、こういう余韻を残して終わる小説が良質な小説なんでしょうね。この作家はこの小説で直木賞を取っていますが、賞に十分値する小説で、お勧めです。(2019.3.17

706.安田浩一『「右翼」の戦後史』講談社現代新書

 「日本会議」については以前に紹介しました(606.菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書

603.青木理『日本会議の正体』平凡社新書)が、それ以外の「右翼」の変遷に興味があったので読んでみました。新書なので、十分紹介しきれていない感じは否めませんが、ある程度のことはつかめます。

 戦前の右翼は、国家社会主義、天皇崇拝、反米が理念だったため、戦後アメリカを中心とした占領軍に当然のこととして抑圧されていたわけですが、米ソ関係が悪化する中で反共を進めるうえで使える手駒としてかつての右翼たちが復活してきます。彼らはその段階でかつて持っていた理念のうち、国家社会主義と反米は捨て、親米、反共、自民党支援を新たな旗印に力を回復していきます。1950年代から1960年代は左翼系の運動に勢いがあり、政府批判が厳しかった時期ですから、政府(=自民党)を守る――時には暴力を使ってでも――活動をしてくれる「右翼」が水面下で政治と結託し力を獲得していったのも当然だったわけです。

 そして1970年に入った頃から「新右翼」と自らを名乗る人々が登場してきます。彼らは、新左翼が既成左翼を含めて体制批判したように、戦後闇の力を持って自民党支持=政府支持=親米の立場を取ってきた既成右翼や政府を批判し、米国追従からの脱却をめざす民族主義を唱えます。

 現在、日本会議に代表される右翼は、大きく言えば、この「新右翼」の延長線上にあることになりますが、アメリカに対するスタンスは微妙です。一方でアメリカに押し付けられた現行憲法を改訂することを目標として掲げますが、他方で日米安保は堅持の立場を取り、日本がアメリカに追従する関係になっていることを実質的に認めています。日本の伝統文化を重んじる民族主義的な思想を持ちつつも、自民党政府との関係――特に安倍内閣との関係――は良好にして、政治的に圧力をかけられるようにしているというのが現在の右翼の状況でしょう。

 かつて右翼といえば、時代の流れに逆らう少数派というイメージでしたが、今は日本国民全体が右傾化の方向にあるため、もはや一部の少数派の考え方とは言えなくなっています。日本だけでなく、先進各国で「自国中心主義」という右傾化が急速に進んできています。世界が巻き込まれる戦争が終結してから73年以上経ちました。もうその時の辛い記憶を持っている人は極少数になりました。再び戦争の足音が聞こえる時代に入りつつある気がします。(2019.3.15)

705.(映画)スコット・ヒックス監督『シャイン』(1995年・オーストラリア)

 実在するピアニストのディヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画です。音楽に造詣が深くないので、ヘルフゴットというピアニストをまったく知らず、どんな映画かもわからないまま見始めましたが、引き込まれました。絶対的支配者としてふるまう父親への恐怖とピアノのコンクールにかける緊張感から精神に変調をきたし、精神病院に収監されていた時期もあったヘルフゴットは、たまたま入ったバーのピアノを弾き、そこから再びピアニストとして生きる道に戻ります。まるでマンガのような話ですが、おおよそ実話に基づいているそうです。その後、調べてみたら、ヘルフゴットは1947年生まれでまだ70歳をわずかに過ぎたにすぎず、この映画が創られた時は50歳にもなっていなかったことを知りました。奇跡の復活を遂げたピアニストとして注目されていた時だったのでしょう。新たな知識が増えただけでなく、映画としてもなかなか面白かったです。(2019.3.15)

704.(映画)上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』(2018年・日本)

 昨年話題になった映画ですが、映画館で上映中は足を運ぼうと一度も思わなかったのですが、テレビで放映してくれるなら、まあ話題作だし見ておこうというくらいの軽い気持ちで見始めました。出演者たちが最初に出てきて、最初の37分間の違和感を大事にして後半を見てください、最初に面白くないと思ってもやめないでくださいという言葉通りに、最初の37分間のつまらなさに、「なんじゃ、これは?」と思いながら見ていました。そして、その後種明かしが始まってからは一気に引きこまれ、見終わったら、もう一度最初の37分間を見てしまいました。素晴らしいエンターテイメント映画です。見てない人のためにあまり書きすぎることはできませんが、素晴らしい脚本、編集、カメラワークがあって初めてできた映画です。計算されつくしているなと最後は監督に脱帽という気分でした。(2019.3.9)

703.古川薫『不逞の魂』新潮文庫

 昭和初期に総理大臣になった田中義一という人物の伝記本です。彼に関しては歴史書でもほんのわずかしか登場せず、一般的には、張作霖事件に関して、昭和天皇の不興を買って辞めざるをえなかった長州軍閥出身の政治家というくらいのことしか知られていません。私自身もその程度の情報しか持っていませんでした。私が期待していたのは、全生涯を紹介してくれるものでしたが、読んでいて、「あれっ?こんなに展開が遅かったら総理大臣まで行きつくのかな」と不安に思っていたら、案の定、前半生しか描かれていない伝記本でした。仕方がないので、後半人生はウィキペディアで調べました(笑)

 とりあえずこの本でわかったことは、田中義一は武士とも言えない駕籠かきの息子として幕末に生まれ、苦学して陸軍士官学校、大学校を卒業して、日清戦争、日露戦争で参謀として活躍して力を持つようになった人物で、この本では特にたっぷり描かれているのが、日露戦争前にロシア陸軍に留学して情報集めをしていた時代の話です。幾分長すぎてこの辺を端折って、後半人生も描いてくれたらよかったのにと思いました。田中義一について多少知識が増えましたが、それほど魅力的な人物とは思えませんでしたので、この後田中義一について関心を持つことはなさそうです。(2019.3.8)

702.原田曜平『若者わからん!』ワニブックスPLUS新書

 テレビにもよく出演し、若者論の本もたくさん書いているこの著者の本は、はずれてはいないけど、読んだからと言って、何か新鮮な発見があるわけではありません。この本で取り上げている「ミレニアム世代」とはゆとり教育にどっぷりつかり、スマホを常時使用する最近の20歳代のことです。私が「ゆとスマ世代」と名付けているのとほぼ同じ層を指しています。指摘していること自体はそう大きくはずれてはいないですが、妙に、この「ミレニアム世代」をこれまでの若者とは違うと言いたがるのは、著者自身が40歳代に入り、20歳ほど下の年齢の若者との違いを感じ始めたからではないかと思います。

 確かに、10年前の若者と今の若者は違うところがありますが、それは10年前の若者だって、その10年前の若者とは違っていたことを考えれば、みんな時代の影響を受け変わっているということにすぎないとも言えます。著者よりも20歳以上上でずっと若者を分析的に見てきた私からすると、これから10年後、20年後と同じように若者を捉え続けたら、「ミレニアム世代」はまだましだったとか、この著者が言い始めるのが見えるようです。というか、もうそろそろこの著者には若者分析は難しくなるのではないかと思います。

 特にそう思うのが、「ミレニアム世代」にはこう対応しようとして書かれていることが、別に「ミレニアム世代」だけでなく、どの世代の若者を育てる上でも大切なことなおですが、昔の若者にはもっと違うやり方ができたとか、自分の時代は違ったとか言い始めているところです。上から偉そうに言ったり、説教臭かったりする指導なんて、どの時代の若者も受け入れてはいなかったはずです。それを、「ミレニアム世代」だけの特徴のように言う点で、この著者の分析がだめなことがわかります。結局きちんとしたデータに基づかずに、一部の若者の印象論だけで書いてしまうからこうなるのです。

でも酷評ばかりでは可哀そうかもしれません。現代の若者分析としては間違ってはいません。もしもあなたがもう30歳代半ば以上50歳以下くらいの人であれば、この本に書いてあることを、「そうそう、そういう若手社員は多い」と思いながら読めるだろうと思います。50歳以上の人は、「そんな若者は、まったく理解できない」と腹を立てながら読むことになるのではないかと思います。でも、うまくきっかさえ与えてあげれば、若者は成長します。それはいつの時代でも一緒です。「若者わからん!」とか言ってないでわかってあげましょう。ただし、この本で書いているほど、若者に迎合しなくてもいいと思います。30歳代も、40歳代も、50歳代も、60歳代も、70歳代も、みんな楽しく生きているよという姿を見せることが一番よい影響を与えると思いますので、みんな楽しく若者と付き合えばいいのです。秘訣はそれだけだと思います。(2019.3.1)

701牛窪恵『恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚』ディスカヴァー携書

 業界の人の若者論は、色々な人から話を聞いてきてそれをつなげ合わせて自分の主張にしている感じなので、誰の主張なのかよくわかないところはありますが、この本で語られている若者の恋愛事情は、日頃大学生と付き合っている私の認識とも合致します。特に、恋愛とセックスと結婚は三位一体だという考え方が今やなくなってしまったというのは、私も同意します。ついでに言えば、私が若い頃は、それに子どももくっついて四位一体だった気がします。「恋愛→結婚→セックス→子ども」という順番が正しい人生だと考えて、そう生きなければならないという価値観を形成していました。つまり、恋愛は、様々な果実を手に入れるために、どんなに面倒でも突破していかなければならない入口だったのです。それが1980年代頃から、結婚と子どもがまず切り離されて、「恋愛→セックス」となり、これを何回か経験した後で、「結婚→子ども」にたどりつく時代となってきました。しかし、それも2010年代くらいになってくると、「恋愛」と「セックス」も切り離されて、恋愛関係でなくともセックスを楽しんでもいいのではという時代になりつつあるようです。

 かつて若い男性にとって、女性の身体やセックスこそ最大の果実だったので、そこにたどりつくためには、どんなに面倒でも恋愛をし、気持ちを盛り上げることをしなければならなかったのに、身体を見るだけなら指先ひとつで見られてしまう上に、セックスも恋愛と関係なくできるなら、せずにセックスをしてしまった方が楽だという気持ちになり、恋愛離れをするのも当然でしょう。また、この本によれば、20歳代〜30歳代前半の女性で、彼氏や夫以外にセフレ(セックスフレンド)がいる人が7人に1人いるそうです。そういう相手をもつ女性たちの声として紹介されているのは、「恋人とのセックスでは慎み深い女性を演じなければならいが、セフレとのセックスでは自由奔放に楽しめる」という声です。中には、恋人はいないけれどセフレはいるという女性もたくさんいると紹介されています。実態がどの程度かはよくわかりませんが、私の学生調査のデータを見ても、「性的交渉(セックス)」をするのに、愛とか結婚とか関係ないという意見が、2017年調査で男女とも大きく伸びていますので、ある程度納得できます。

 セックスと恋愛が不可欠なつながりでなくなっただけでなく、結婚と恋愛もここに来てつながらなくてもいいのではとなりつつあるという主張もされています。恋愛結婚があるべき結婚の姿と日本で思われていた時期は実は非常に短い期間しかなく、もともと日本では結婚は恋愛を前提とせずになされる方が一般的でした。「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」が広く普及した1960年代から1970年代以降、恋愛結婚こそあるべき結婚の姿となったわけですが、恋愛が面倒で恋愛をしなくなった若者たちは、この恋愛結婚神話を重たく感じています。結婚はしたいけれど、できれば面倒な恋愛はなしで結婚に至れないものかと考える人も出てきているようです。「恋愛結婚」より「連帯結婚」という著者独自の表現で示しています。恋愛感情はなくても結婚はできるのではという考えは、かつて見合い結婚が多数派だった時代を考えればまったく無理ではないと言わざるをえません。

 そしてもうひとつ。多くの人が恋愛をパスしてでも結婚はしたいと思うのは子どもがほしいということが大きいはずですが、今や子どもを持つ上での結婚前提という考えを捨ててもいいのではという女性たちの声も紹介されています。夫という面倒なポジションは与えず、精子提供者としてのみ男性と関わり、後は自分と実家で子を育てるという考え方です。確かにこういう考え方はこれからどんどん増えてくるのではないかと思います。私も「つらつら通信」に「第539号 「子はかすがい」の時代は終わった?!(2015.2.25)」という文章で、実家に余裕さえあれば、今は子どもがいることで逆に女性が離婚しやすくなっているのではないかと述べましたが、それが結婚前から計算されるようになると、この本で著者が指摘しているようなことが起きるわけなので、これから増える可能性はあるなと思います。まあ、まだ結婚せずに子どもを産むことに対する周りの目は厳しいので、私が指摘したような、とりあえず結婚し、子どもができたら、適当なタイミングで離婚し、実家へ戻るというパターンの方がより急速に増えそうですが。

 本の紹介というよりも、本に刺激され、自分の考えを述べたようなものになりました。それにしても、私が作り上げてきた恋愛観と今の恋愛観はすっかり変わってしまったなと思う今日この頃です。(2019.2.16)