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2008.5.21開始、2010.4.11更新)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>243.垣根涼介『君たちに明日はない』新潮文庫208.三崎亜記『となり町戦争』集英社文庫

<人間ドラマ>295.有川浩『阪急電車』幻冬舎294.辻井喬『彷徨の季節の中で』新潮文庫290.池永陽『コンビニ・ララバイ』集英社文庫288.劇団ひとり『陰日向に咲く』幻冬舎文庫287.横山秀夫『深追い』新潮文庫273.井上靖『氷壁』新潮文庫246.梶原真治『この胸いっぱいの愛を』小学館文庫244.北原亞以子『東京駅物語』新潮文庫243.垣根涼介『君たちに明日はない』新潮文庫240.梁石日『血と骨(上)(下)』幻冬舎文庫234.山田宗樹『嫌われ松子の一生(上)(下)』幻冬舎文庫220.白川道『天国への階段(上)(中)(下)』幻冬舎文庫214.横山秀夫『出口のない海』講談社文庫207.白石一文『一瞬の光』角川文庫

<推理サスペンス>293.小杉健治『父からの手紙』光文社文庫291.伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社287.横山秀夫『深追い』新潮文庫280.雫井脩介『クローズド・ノート』角川文庫269.荻原浩『コールドゲーム』新潮文庫258.川田弥一郎『白く長い廊下』講談社文庫257.薬丸岳『天使のナイフ』講談社文庫256.雫井脩介『犯人に告ぐ(上)(下)』双葉文庫254.赤井三尋『翳りゆく夏』講談社文庫232.折原一『異人たちの館』講談社文庫230.貫井徳郎『修羅の終わり』講談社文庫224.乾くるみ『Jの神話』講談社文庫223.志水辰夫『行きずりの街』新潮文庫220.白川道『天国への階段(上)(中)(下)』幻冬舎文庫215.宮部みゆき『模倣犯(1)〜(5)』新潮文庫213.矢口敦子『償い』幻冬舎文庫209.乾くるみ『イニシエーション・ラブ』文春文庫

<日本と政治を考える本>300石川モンスターマザ 世界は「わたし」まわっている光文社299.原田曜平『近頃の若者はなぜダメなのか――携帯世代と「新村社会」――』光文社新書286.伊藤之雄『山県有朋 愚直な権力者の生涯』文春新書249.中村政則『戦後史』岩波新書248.大下英治『政商 昭和闇の支配者 2巻』だいわ文庫247.平野貞夫『平成政治20年史』幻冬舎新書233.石渡嶺司・大沢仁『就活のバカヤロー』光文社新書222.安倍晋三『美しい国へ』文春新書216.産経新聞取材班『溶けゆく日本人』扶桑社新書204.岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮新書201.池田清彦・養老孟司『ほんとうの環境問題』新潮社

<人物伝>286.伊藤之雄『山県有朋 愚直な権力者の生涯』文春新書264.三田誠広『堺屋太一の青春と70年万博』出版文化社248.大下英治『政商 昭和闇の支配者 2巻』だいわ文庫241.福沢諭吉『新版 福翁自伝』角川ソフィア文庫228.松尾浩也『来し方の記――刑事訴訟法との50年――』有斐閣225.中村彰彦『いつの日か還る――新選組伍長島田魁伝――』文春文庫

<歴史物・時代物>237.坂本勝監修『古事記と日本書紀』青春新書225.中村彰彦『いつの日か還る――新選組伍長島田魁伝――』文春文庫206.伊藤三男『小説・徳川三代』文春文庫

<青春・若者・ユーモア>299.原田曜平『近頃の若者はなぜダメなのか――携帯世代と「新村社会」――』光文社新書294.辻井喬『彷徨の季節の中で』新潮文庫292.村上春樹『ノルウェイの森(上・下)』講談社文庫291.伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社288.劇団ひとり『陰日向に咲く』幻冬舎文庫276.綿矢りさ『蹴りたい背中』河出書房新社275.田中康夫『なんとなく、クリスタル』新潮文庫274.石原慎太郎『太陽の季節』新潮文庫255.真野朋子『ぎりぎりの女たち』幻冬舎文庫251.伊藤たかみ『ミカ!』文春文庫250.浅田次郎『椿山課長の七日間』朝日文庫233.石渡嶺司・大沢仁『就活のバカヤロー』光文社新書231.関西大学学生広報スタッフ企画・編集「関大生の恋愛事情」『関西大学通信』第359209.乾くるみ『イニシエーション・ラブ』文春文庫

<純文学的小説>298.石田衣良『娼年』集英社文庫297.井上荒野『潤一』新潮文庫296.梨木香歩『西の魔女が死んだ』新潮文庫294.辻井喬『彷徨の季節の中で』新潮文庫292.村上春樹『ノルウェイの森(上・下)』講談社文庫276.綿矢りさ『蹴りたい背中』河出書房新社271.小川洋子『博士の愛した数式』新潮文庫270.市川拓司『そのときは彼によろしく』小学館文庫260.小手鞠るい『欲しいのは、あなただけ』新潮文庫259.北村薫『夜の蝉』創元推理文庫251.伊藤たかみ『ミカ!』文春文庫229.乃南アサ『ピリオド』双葉文庫208.三崎亜記『となり町戦争』集英社文庫

<映画等>289.(演劇)保木本真也作・演出『迷宮入りはお早めに』コメディユニット磯川家285.(映画)西川美和監督『ゆれる』(2006年・日本)284.(映画)ジェームズ・キャメロン監督『アバター』(2009年・アメリカ)283.(映画)西谷弘監督『容疑者Xの献身』(2008年・東宝)281.(歌舞伎)歌舞伎座さよなら公演・初春大歌舞伎278.(映画)クリント・イーストウッド監督『マディソン郡の橋』(1995年・アメリカ)277.(映画)若松節朗監督『沈まぬ太陽』(2009年・「沈まぬ太陽」制作委員会)272.(映画)ラッセ・ハルストレム監督『HACHI 約束の犬』(2008年・アメリカ)268.(映画)西谷弘監督『アマルフィ 女神の報酬』(2009年・日本)267.(映画)ロバート・ベントン監督『クレイマー、クレイマー』(1979年・アメリカ)266.(映画)ミロシュ・フォアマン監督『カッコーの巣の上で』(1975年・アメリカ)265.(映画)オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督『ヒットラー――最期の12日間――』(2004年・ドイツ)263.(映画)村野鐵太郎監督『富士山頂』(1970年・石原プロ)262.(映画)木村大作監督『劔岳 点の記』(2009年・劔岳制作委員会)261.(映画)ロン・ハワード監督『天使と悪魔』(2009年・アメリカ)253.(ドラマ)松本清張原作・向田邦子脚本・杉田成道演出『駅路』(2009年・フジテレビ)252.(映画)ノーラ・エフロン監督『奥様は魔女』(2005年・アメリカ)245.(映画)デビッド・フィンチャー監督『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年・アメリカ)242.(映画)マイケル・マン監督『アリ』(2001年・アメリカ)235.(映画)フィリダ・ロイド監督『マンマ・ミーア』(2008年・アメリカ)227.(映画)佐藤祐市監督『キサラギ』(2007年・日本)226.(映画)滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008年・日本)219.(映画)下山天/イー・ツーイェン/チャン・イーバイ『アバウト・ラブ』(2004年・日台中合作)212.(映画)市川崑監督『東京オリンピック』(1964年・日本)211.(映画)黒澤明監督『野良犬』(1949年・日本)210.(映画)宮崎駿監督『崖の上のポニョ』(2008年・日本)205.(映画)三谷幸喜監督『ザ・マジックアワー』(2008年・東邦)

<その他>299.原田曜平『近頃の若者はなぜダメなのか――携帯世代と「新村社会」――』光文社新書282.小林哲夫『東大合格高校盛衰史』光文社新書279.(音楽アルバム)茉奈佳奈『ふたりうた2』NAYUTAWAVE RECORDS(2009年)239.篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHKブックス238.宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社236.陰山英男『娘が東大に合格した本当の理由』小学館新書221.玉木正之『スポーツ解体新書』朝日文庫218.猪貴義『生物進化の謎を解く』アドスリー217.企画展「ダーウィン展」(大阪市立自然史博物館・2008.7.19〜9.21203.薬師院仁志『地球温暖化論への挑戦』八千代出版202.竹内洋『社会学の名著30』ちくま新書

<最新紹介>

300.石川結貴『モンスターマザー 世界は「わたし」でまわっている』光文社

 読み終わって、「うーん、日本は滅びるな」という気になってしまいました。運動会でピザを頼む母親がいるというのは何かで聞いていましたが、この著者の調べが基になっていたのかもしれません。15年間のべ3000人の母親に取材したことを基に書かれた本ですが、「いくらなんでもこういう母親は極少数だろう」と思いたいのですが、社会学者としては、「確かに、こういう母親たちを生みだすような社会になっている」ということは認めざるをえない気がします。運動会に宅配ピザを注文する母親や、幼稚園のお弁当にコーンフレークを持たせる母親は極少数かもしれませんが、コンビニ弁当だったり、菓子パンだったりする母親は決して少なくないことでしょう。また、こうした人目につく場面では、むしろよい母親という評価を得ようとして頑張るが、家の中はめちゃくちゃ手抜きだったり、実家べったりだったりする人たちとなるともっともっと多くいるでしょう。子どもを支配する母親、子どもに甘える母親、子どものためという大義名分で夫をないがしろにする母親、いろんな母親がいます。最後の章で、著者は子育てを車の運転に喩え、車の運転をするためには、教習所に通い、何度も試験を受けて、初めて運転をしてもよいということになるのに、子育ては運転免許もないのに、突然新車を与えられたようなものなのだから、うまく子育てができないのも当然と言えば当然であると述べています。決して、子育てを免許制にせよとは言っていませんが、いつの日かそうせざるをえなくなるのではないかと不安になりました。子育ては、本来は誰でも特別な勉強をせずにやれていたことなのに、ここ20年ほどの間に一気に子育てが難しい仕事のようになってしまったのはなぜでしょうか。一言で言ってしまえば、我慢をできない人間を、現代日本社会が作り出しすぎたということに尽きるのでしょう。母親がいつまでも「お姫様」気分でいたいなんて思ったら、子育てはうまく行きません。日本人は「類」として生きることの重要性を再認識しなければならないのではと改めて思った本でした。(2010.4.11)

299.原田曜平『近頃の若者はなぜダメなのか――携帯世代と「新村社会」――』光文社新書

 これは久しぶりに見つけた好著です。今年33歳になる博報堂勤めの若い著者が、自分たち世代でも理解ができない20歳代後半から10代半ばの携帯世代(著者は「ケータイ・ネイティヴ」という言葉を使っています)の人間関係の実態について、インタビューを基に、見事に明らかにしています。ケータイを中学生、あるいは小学生から当たり前のように持ち始め、携帯の所有を前提とした現代の若者たちの人間関係は、一度は滅びたと言われていた日本型「村社会」を復活させていると言います。「KY(空気を読めない)」などという言葉が流行ったのも、その典型的な表れであり、かつての村社会では当たり前だった規範の復活だと言います。団塊の世代からバブル世代(年齢的に言うと、60歳代前半から40歳前後)までは、個人としての生き方を重視し、他者に合わせすぎることをあまりよしとしない価値観を醸成してきたわけですが、ケータイを通してたくさんの友人(知り合い?)と関係を維持し続ける現代の若者は、とにかく誰からも嫌われないように友人たちにものすごく気を使いながら生きざるをえなくなっているという実態を、納得のいく例とともに示してくれています。大学生と長年つき合い、調査もし、本を出している私から見ても、「そうだよなあ」とか「なるほど、そこまで行っていたか」と感心する事実がたくさん含まれていて、おおいに参考になりました。私自身も2002年に大学に入学した学生たち「恋の始まりには携帯が不可欠か?」という議論をしていた際に、ほとんどの学生がそれを肯定したので、なんか違うステージに入ってきたなと気づいた最初でした。彼らに言わせると、自分たちが高校に入った1999年にiモードが登場し、それ以降は高校生にとって携帯を持つのは当たり前で、つき合うかどうかもまずはメールのやりとりからというのが常識になっていると教えてくれたのです。その彼らが今26歳です。まさに、この著者が指摘する「ケータイ・ネイティヴ」の上限と一致すると思います。「ケータイ八分(あるいはケータイ十分)」にされないために、「即レス」する、鬱ブログに「頑張って」とコメントする、彼氏・彼女・友人を切れない、など、ある社会学者が「友だち地獄」と呼びたくなったような事態が確かに現出しているようです。ただし、この著者はバランスの取れた人で、現在の若者たちがダメな存在になっているというトーンではこの本を書いていません。(書名の主タイトルはきっと出版社の方でつけたものでしょう。内容に合っていません。)たくさんの人と繋がっていられることを積極的に活かしていたり、コミュニケーションの取り方が上手になっている若者たちもいることも指摘しています。最後に、付録として、ある大学3年生の1週間の送受信メールをすべて掲載していますが、総メール数301通(送信135通、受信166通)、やりとりした友人数35人にも驚きましたが、その内容もなるほど、こういうやりとりをしているのかと驚きとともに感心もしてしまいました。すごいとしか言いようのない若者の人間関係管理能力です。ただ、気になったのは、こんなにメールのやりとりに時間と気を使っていたら、知識を得たりする時間はそりゃ削られるだろうなということでした。携帯では平均して12,3通もやりとりしていない自分が幸せにも思えてきました。(2010.4.7)

298.石田衣良『娼年』集英社文庫

297.井上荒野『潤一』新潮文庫

 たまたま同じようなテーマの小説を続けざまに読んでしまいましたので、まとめて紹介します。どちらも1人の青年が様々な年齢の女性たちとの性的体験をもつという話です。潤一は素人ですが、『娼年』の主人公リョウはプロとして、そういう行為を行っています。井上荒野氏は女性作家、石田衣良氏は男性作家だからなのかどうかわかりませんが、小説『潤一』の主役は潤一ではなく、主人公は、個々の連作短編に出てくる女性たちで、彼女たちの微妙な心理が詳しく描かれます。『娼年』の方の主役はあくまで青年・リョウであり、女性の心理はすべてリョウに向けられた発言として語られ、女性の心理より以上に、それを受け止めるリョウの心理を描く小説になっています。女性たちの性的関心、行動がかなり自由になってきたという時代背景を受けて書かれた小説という点ではまったく同じテーマの小説ですし、メインの男性キャラクターが受動的で、女性たちが能動的であることなど、社会学的分析からすれば、同じ分類に入れるべきものですが、読み終わった読後感はかなり違う気がします。読み比べていただいたらおもしろいかもしれません。(2010.3.17)

296.梨木香歩『西の魔女が死んだ』新潮文庫

 映画化もされた作品ですので、すでに読まれた方も多いのではないかと思いますが、私もたまたま本が家にあったので、読んでみました。純文学のような、少女小説のような、童話のようなお話です。女性向けなんでしょうね。男性の私からすると、まあ可もなし不可もなしという印象ですが、女性たちは、「私にもこんな時期があったなあ。そして、こんなおばあちゃまがいてくれたらよかったのになあ」とか思いながら読むような小説なのでしょうね。(2010.3.6)

295.有川浩『阪急電車』幻冬舎

 2年ほど前に出版され、当時ゼミ生だった西宮市在住の男子学生がすごくおもしろいと言っていたので、じゃあ読んでみようかなと思っていましたが、なんか新刊の単行本として買うほどの価値はないような気がして、ブックオフで安く売りに出たら買おうかなという程度で半分忘れていました。2年前の会話を聞いて覚えていた同期の子(吹田市在住)が「私はおもしろかったし、先生、きっと買わなさそうなので、読んで欲しくて持ってきました」と、先日本を貸してくれました。そこまで言われたら読んでみないわけにもいかないので、読んでみました。結論から言うと、なるほど若者、特に女性に受けるのはよくわかるライトな小説だなという印象でした。阪急今津線の宝塚駅から西宮北口駅までの8駅を往復する中で生じた恋愛や諍いなどの軽い人間ドラマを短編仕立てでスマートに描いた少女小説のような物語です。作者の名前を見て男性作家だろうと思っていたので、ずいぶん女性作家っぽい作風の人だなと思い読んでいましたが、最後のあとがきを読んだら、実は女性作家だったということがわかり、納得しました。悪くはないですが、今津線沿線――宝塚、西宮――のスノッブさが感じられて、ちょっと鼻につくなあと思いました。東京で言えば、東急東横線沿線――目黒、世田谷――的なスノッブさです。芦屋や田園調布のような典型的な高級住宅地だと、「何、お高くとまってるんだよ!嫌味だな」と批判を受けるところですが、今津線あたりだと、自慢しやすいのでしょう。古い寺社や大学も多く文化的な雰囲気が漂っているので、好印象なのでしょう。そういえば、この本を評価していた学年のゼミの時に、よく兵庫県内の地域イメージについての議論をしたのですが、西宮は悪いところが出てこなかったですね。マイナスイメージが圧倒的に強い尼崎市在住の子も「将来は西宮に住みたい」と言っていました。確かに悪くはないと思いますが、私は、かつて「つらつら通信」第199号に、「阪急宝塚県」という一文を書き、そのあたりの地域に存在するプライドとアイデンティティについて触れましたが、この本を読みながら、やっぱりなという印象とを改めて持ちました。(2010.2.26)

294.辻井喬『彷徨の季節の中で』新潮文庫

 西武セゾングループの総帥であった堤清二は作家・辻井喬としての顔を持っており、この小説は自分の子ども時代から大学卒業直後あたりまでを描いた自伝的小説です。名前やディテールは変えてありますが、かなり事実に近いと思われる部分が多く、非常に興味深く読めました。西武グループ創業者である父・堤康次郎への憎悪と畏怖の念がこの小説のテーマで、その部分もよく書けていますが、個人的には実際に作者が体験したであろう19481951年頃の全学連創設期の日本共産党との関係とそれに振り回される大学生たちというのが個人的には一番おもしろく感じました。特に、闘争の同志でもある女子学生と主人公のやりとりは、実におもしろいです。安易な恋愛感情に流されずに、2人の関係を精神的に高め合う関係にしようとする観念的な恋愛関係が、この時代の優秀な学生たちの心情をよく表しています。私には非常におもしろい小説でしたが、歴史的背景なども知っておく必要がありますので、今の時代の学生たちでおもしろいと思って読める人は少ないだろうと思います。(2010.2.24)

293.小杉健治『父からの手紙』光文社文庫

 知らない作家でしたが、105円の値段と「ミステリー仕立ての中に、人と人との強い絆を描く感動作!」という謳い文句に惹かれ、読んでみました。まあまったくの嘘ではなかったですが、荒唐無稽すぎて感動はできませんでした。この無理矢理な展開は、本格ミステリーに近いのだと思います。謎をおもしろくするための無理な設定が多すぎて、「こんな話は2時間ドラマでしか見られないなあ」と思いながら読み終わりました。ドラマ化はしやすそうだったので、きっともうドラマ化されているのではと調べてみたら、やはりすでに2時間ドラマになっていました。ドラマでは設定が少し変えられ、不必要なキャラクターが消され、ストーリーが単純化されているようなので、ドラマの方がましかもしれません。いずれにしろ、登場人物のキャラクター設定、心理描写、物語の展開、すべて物足りません。二流の凡庸な小説です。(2010.2.15)

292.村上春樹『ノルウェイの森(上・下)』講談社文庫

『セカチュー(世界の中心で愛を叫ぶ)』に抜かれるまで、もっとも売れた小説として君臨していた本ですが、正直に言って、この本がなんで400万部も売れるのか、私にはよくわかりませんでした。若者の漠然とした不安定な気持ちを描いた作品で、そんなにおもしろくもない小説だと思うので、ただ売れているという噂だけでブームになったのではないかと推測します。しいて言えば、物語の8割くらいが性を話題にしているので、それで売れたのかもしれません。露骨な性描写そのものはそう多くはないですが、精神的な意味での性的小説と言えるように思います。くだけた言い方をすると、品のよいエロ小説とも読めます。物語の舞台となる時代は1960年代末ですが、出版された1987年頃のスマートさが強く出ていて、1960年代末という時代とは思えません。カタカナ言葉が多く、たぶん当時は実際にはそう言っていなかったであろう物を80年代後半的な言い方に変えているために、60年代的泥臭さがなくなり、80年代的なお洒落感を与えています。例えば、「カフェオレ」(当時は「ミルクコーヒー」だったと思います)、「ハンバーガー・スタンド」(「ハンバーガー屋」)、「ホワイト・ジーンズ」(「白いジーパン」)、「ヨットパーカー」、「ビニール・レザー」、「ピッツア」。1960年代末と言えば、学生運動の時代ですが、著者は学生運動に対してはかなりシニカルで批判的な見方をちらちら見せています。これは、実際に当時大学生だった著者が漠然と感じていたことをそのまま書いたものでしょう。学生運動の時代でも、こういう冷めていた学生たちもいたのだということがよくわかるという意味では興味深かったです。(2010.2.13)

291.伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社

現代の大学生を主人公にした小説を探す中で、学生に教えてもらって読んでみましたが、残念ながらこれは純文学的な青春小説ではなく、ソフトな推理小説で、この小説に描かれた大学生で、この時代(2000年代前半)の大学生は語れません。1年生の時に出会った仲間たちの大学生活4年間を描いてはいますが、みんな麻雀が好きだったり、超能力を使う場面や、格闘場面などがあり、登場人物の学生たちにリアリティはありません。あくまでも作者の頭の中で作られた大学生たちで、別に登場人物は大学生でなくともまったく問題はないと思いました。世界平和のことを気にしている人物もいますが、あくまでも軽いノリであり、単にキャラクター設定上使っているだけで、社会問題や政治問題は本格的にテーマ化されてはいません。仕掛けを作ることが好きな伊坂幸太郎には、社会問題や政治問題を語りきる知識はまだついていないのではないかと思います。「砂漠」というタイトルも、大学を卒業した後に飛び込まなければならない「社会」の比喩として使われており、非常に安易な比喩で感心しません。登場人物の心理もきちんと描ききれていませんし、この作者の作品としては出来の悪い部類に入ると思います。(2010.2.13)

290.池永陽『コンビニ・ララバイ』集英社文庫

 この作家の作品は初めて読みましたが、まあまあ上手な作家です。ずいぶん筆が早いようですし、文体から言うと、いずれ直木賞あたりを取る可能性を持った作家ではないかと思いました。ほとんど情報を持っていなかったので、ネットで調べてみたら、私より5歳も上で、48歳でデビューしていました。それでこの小説も理解しやすくなりました。小さなコンビニに関わりを持った人たち――特に大人――の恋の物語という感じなのですが、その大人がかなり上の年齢まで含まれているし、今風の若者を主人公としたさらりとした恋物語ではなく、人間の欲求のどろどろした部分まで書きたがるのは、作家本人がそういう世代だからというのが一番の理由でしょう。草食系だらけの若者にはあまり好印象を持たないかもしれませんが、年配世代には共感しやすい物語ではないかと思います。(2010.2.12)

289.(演劇)保木本真也作・演出『迷宮入りはお早めに』コメディユニット磯川家

 役者をやっているゼミのOBが出演するということで見に行ったのですが、非常によくできた作品でしたので、思わずここでも取り上げようと思いました。この作品は推理物になっています。7人の人物が出てきますが、主要なシーンは4人の人物で展開されます。もちろん3人の場面も意味があり、そこで語られることが物語の伏線にもなっていますし、4人だけの物語にしてしまうより、話にふくらみが出ています。さて、メインの4人のシーンですが、非常に奇妙な設定から入ります。出口の閉ざされたマンションの1室に見知らぬ4人の男女が記憶もないまま監禁されており、そのうち、1人の男性が意識を失った状態で場面がスタートします。その彼が意識を取り戻してから、他の3人が状況を説明する中で、この奇妙な状況が観客に理解できるように提示されます。最後に意識を取り戻した男性が取り乱すのを3人が落ち着かせる中で、4人の共通点が実は詐欺まがいの犯罪者であったということがわかります。ひとりは降霊師、ひとりは占い師、ひとりは超能力者(マジシャン)、そして最後の男性は結婚詐欺師。それぞれが自分の手口を語り合う中で、最後に意識が戻った男性も結婚詐欺の手口を語り始めます。しかし、そこには当然ある仕掛けがあります。そこにどんな仕掛けがあったかは、4人目の男性が再び意識を失ってから、他の3人によって語られます。そこでは、見事な再現シーンが演じられ、大きな笑いも誘います。また、その3人の話し合いは、再び4人目の男性が意識を取り戻した時に、うまく使われてさらに笑いを誘います。4人目の男性は三度意識を失い、そして三度意識を取り戻した時に、本当の最後の仕掛けが姿を現します。実によく出来ています。再現シーンのおもしろさなどは芝居でしか得られないと思いますが、ストーリー自体は、小説として独立させても十分売れると思いました。この作者は非常に才能があります。今後も注目したいと思います。(2010.2.12)

288.劇団ひとり『陰日向に咲く』幻冬舎文庫

 素人の芸人さんが初めて書いたとはとても思えない上手な小説です。評判になっただけのことはあります。キャラクター設定、人物描写、人に対して優しい気持ちになれる温かさがありつつ、オチもあるストーリーが作れるというのは、たいしたものです。短編小説集ですが、登場人物が少しずつつながりを持っているという仕掛けもいいです。さらっと読めてしまいすが、読んで損のない小説です。(2010.2.5)

287.横山秀夫『深追い』新潮文庫

 久しぶりに、横山秀夫の警察小説を読みましたが、やはりこの分野を書かせると、彼は本当にうまいです。G県(群馬県がモデル)三ツ鐘警察署という架空の警察署を舞台に、様々な役割にある人を主人公にした短編小説ですが、いわゆるヒーロー刑事が問題を解決するような話はひとつもありません。どちらかという人情話に近いようなものなのですが、ちゃんと謎解きもあり、推理小説としても読めるようになっています。一言でまとめれば、「警察組織を舞台とした人情推理小説」というところです。時代小説などではこうした人情推理小説的なものが結構あるように思いますが、現代の警察署を舞台にとなると、横山秀夫以外によい書き手はいないように思います。彼のこの手の小説を読んでいると、しみじみプロの作家だなと思います。(2010.2.3)

286.伊藤之雄『山県有朋 愚直な権力者の生涯』文春新書

 帯に「不人気なのに権力を保ち続けた、その秘訣とは?」という問いが書かれていますが、まさに私の興味もそこにありました。幕末から活躍し、大正11年まで生き、総理大臣、元帥、元老と、位人臣を極めた立志伝中の人物であり、葬儀は国葬として行われたにもかかわらず、そこにはわずか1000人弱しか参列者が来なかったという、まさに不人気な軍人政治家です。ドラマや小説の主人公になったことがないのはもちろん、幕末、明治を描いた物語で、重要な役割を果たす人物として登場しているのもほとんど見たことがありません。正直言って、読み終わった今も、なぜ権力を保ち続けられたのだろうという問いにすっきりした答えは出ません。著者は副題にもあるように愚直なまでに国家のためと考え仕事をしてきたことを、その理由としていますが、結構病気がちで別荘に籠もっている期間も多かったようですし、身を粉にしてまで尽くしたかどうかは、今ひとつわからないなと感じました。ただ、山県有朋の政治観が、つい最近まで続いてきた政治家より官僚に任せる日本の政治風土を作り上げてきたのだということはよくわかりました。山県とともに明治国家を作り上げた伊藤博文は、憲法制定後、国民の声を代表する政党中心の政治への転換をめざしますが、山県は晩年に至るまで政党に不信感を持ち、(藩閥系)官僚を育てあげ、彼らをコントロールしながら、日本を動かしていこうとします。たぶん、こういう政党嫌い、徹底的な藩閥中心主義的発想が大正デモクラシーの広がる中で怨嗟の対象となったのだろうと思います。しかし、山県本人は日本国家のためにやらなくてはならないことをやっているだけだという意識で、間違ったことは一切していないと信じていたと思います。確かに伊藤博文ほどのキレも明るい空気感もない人物だったようですが、明治国家の成立を考える上ではもっと光を当てるべき人物ではないかと思いました。最後になりましたが、この本は通常の新書レベルをはるかに超えた歴史書と評価できる本です。(2010.2.1)

285.(映画)西川美和監督『ゆれる』(2006年・日本)

 なかなか複雑な兄弟の心理を描いた作品で、ストーリーも推理ものなので最後までどうなるかわからないおもしろさもあります。見る価値はあると思いますが、配役が納得行きません。誠実でやさしいガソリンスタンド勤めの兄役が香川照之、兄思いのカメラマンの弟役がオダギリジョーなのですが、まずはこの配役からすっと入りにくいです。2人に似たところがまったくなくどうしても兄弟に見えませんし、クセのある役者である香川照之がただの平凡なやさしく誠実な人物に見えません。オダギリジョーの方はカメラマンには見えますが、兄思いの弟に見えません。さらに、検事役が木村祐一って、違和感がありすぎます。父親役の伊武雅刀も、その兄で弁護士の蟹江敬三も、なんかマンガ的すぎて、ストーリーに入り込む上での邪魔になっています。せっかくいい脚本なのに、登場人物と役者のずれが気になってしまい、もったいないなという印象を持ちました。(2010.1.20)

284.(映画)ジェームズ・キャメロン監督『アバター』(2009年・アメリカ)

 予告編を見た時に、どうせCGばかり見せる映画だろうと思って見に行く気がなかったのですが、観客動員もいいようですし、ゴールデングローブ賞も取ったというので、もしかしたらキャメロン監督作品だし、3Dでもあるし、私の最初の見込みが間違っていたのかもしれないと思い、見に行ってきましたが、やはり最初の印象が正しかったようです。単純なストーリー、たいして立体感のない映像、CG映画特有のただ派手なだけの戦闘シーン、「ああ、やっぱりこんな映画だったなあ」というのが、見終わった感想です。まあ「アバター(あばた)もえくぼ」(笑)ですから、好きな人は好きなんでしょうね。(2010.1.20)

283.(映画)西谷弘監督『容疑者Xの献身』(2008年・東宝)

 「今頃ですか?」と突っ込まれそうですが、映画館で見ておらず、年末にテレビで放映していたものを最近になってようやく見ました。なかなかよくできています。というか、堤真一と松雪泰子が実にうまいです。彼らの演技が素晴らしく、原作よりも映画の方がおもしろいのではないかと思わせるほどです。原作を読んだ時は、評判ほどには感心しなかったのですが、2人の演技力で、よりリアルにストーリーが伝わってきて、おもしろいストーリーだなと改めて感心し直しました。原作を読んでいたにもかかわらず、最後の謎解きを忘れていて、映画を見て、なるほどそうだったかと再度納得してしまいました。ガリレオ・シリーズということで、形式上の主演は福山雅治と柴咲コウなのでしょうが、内容的には堤真一と松雪泰子が主演の映画です。(2010.1.10)

282.小林哲夫『東大合格高校盛衰史』光文社新書

 1949年から2009年までの東大合格高校のランキングを分析した本ですが、非常に優れた学歴社会論、高校論になっています。ランキングも上位だけでなく、一桁台の学校まで拾っていますので、都道府県別に書かれた章などを読むと、ある程度以上のレベルの高校の名前はほぼ出てくると思います。全体の通年的な変化だけでなく、都道府県別の分析、女子校の分析、マスコミによる報道史、さらに渋いところでは、旧制一高の合格中学ランキング分析や高校紛争などについても触れています。細かいところでは間違いもありますが、戦後日本の学歴社会化がどのような変化をしてきたかが大きくつかめる本です。教育界の過度の平均化志向が生みだした学校群が何を生みだしたか、その学校群も大学校群、中学校群、小学校群といろいろあること、都道府県別に公立・私立の力関係が異なること、いろいろなことがわかる本です。非常に価値のある本で、かつ読んでおもしろい本です。お勧めです。(2010.1.9)

281.(歌舞伎)歌舞伎座さよなら公演・初春大歌舞伎

 久しぶりに歌舞伎を見ました。正月公演の上、歌舞伎座が建て替えられることもあり、そうそうたるメンバーによる顔見世興行でした。昼の部だけでしたが、4部構成になっていて、11::0016:00という長丁場でしたので、途中で退屈して寝るのではと密かに心配していましたが、まったくそんなことはなく、楽しめました。第1部「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」、第2部「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」、第3部「勧進帳(かんじんちょう)」、第4部「松浦の太鼓(まつうらのたいこ)」。おもしろかったのは、第2部と第4部でした。どちらも、歴史の有名な話の裏話というストーリーで、歴史好きな私としてはわくわくしました。「梶原平三誉石切」は源頼朝が関東で打倒平家を掲げて旗揚げした時期が、「松浦の太鼓」は赤穂浪士の討ち入りが舞台となっています。どちらも、歴史短編小説に仕上げることのできそうな人情話です。歌舞伎を見ていると、滑舌のよさ悪さがはっきり出ます。第2部の主役・梶原平三は松本幸四郎、第4部の主役・松浦綱信は中村吉右衛門の兄弟でしたが、やはり評判通り中村吉右衛門がはるかにうまいですね。幸四郎は滑舌が悪く、主役なのに何を言っているのかわかりにくいのが残念でした。あと感心したのは、舞台の転換です。ほんのわずかな時間で大きな舞台装置をがらっと変えてしまいます。計算され尽くしています。さすが伝統芸能です。(2010.1.9) 

280.雫井脩介『クローズド・ノート』角川文庫

 物語の展開はわりと早くわかってしまうので、謎解き的な楽しさはない作品ですが、手堅い小説で悪くはないと思います。ある部屋に住む女子学生が、かつてそこに住んでいた小学校教師の日記を見つけ、その日記を書いた女性の恋に思いを馳せつつ、自分自身の微妙な恋心を育みます。そして、最後に、そのふたつの恋が1人の男性に収斂するという話です。ネタバレですが、まあその程度の展開は誰もが気づくでしょうし、この物語の楽しみ方は、主人公の女子学生の天然型のキャラぶりと、その心理の描き方にあると思いますので、物語のあらすじは書いても構わないだろうと判断しました。それにしても、この作家は『火の粉』(116)ではじめて取り上げた時にも書いたことですが、女性の心理描写が抜群にうまく、女性作家なのではないかと疑いたくなるほどです。女性視点でここまで物語を書ききれるのは本当に感心します。ちなみに、この本で私が一番心をうたれたのは、物語が終わった後に、作者がこの物語を書くに至ったきっかけについて述べている1頁ほどの文章です。それを読むことによって、物語の重みがすごく増した気がしました。この部分こそネタバレにしない方がいいと思いますので、そこに何が書いてあるかは自分で読んで確かめてください。なお、この物語は、沢尻エリカ主演で映画化されています。その映画の舞台挨拶で、沢尻エリカの転落が始まった「別にぃ」発言があったわけです。小学校教師役は竹内結子だったようです。正直言って、2人とも小説のキャラクター・イメージとはかなり違う気がするのですが、物語自体は映画化しやすいものですし、どんな映画になっているのか、一度見てみたいと思っています。(2009.12.28)

279.(音楽アルバム)茉奈佳奈『ふたりうた2』NAYUTAWAVE RECORDS2009年)

 娘が借りてきて「いいよ」というので、私も聞いてみたのですが、確かにいいです。平成の歌も含んだ昔のヒット曲のカバーアルバムですが、すべて「昭和の歌」に聞こえます。決してものまね風ではなく、ふたりの歌にしていますので、彼女たち自身が昭和のイメージ、歌い方なのでしょうね。歌詞がはっきり聞き取れるのが、われわれ世代が安心して聞ける理由でしょう。ピンクレディの「透明人間」ってこういう歌詞だったのかと初めてちゃんと聞いた気がしました。ハーモニーもきれいですし、こういう歌は今でも求められているのではないでしょうか。ただし、テンポの速い曲を求める若い人には受けないかもしれません。「いいよ」といううちの娘は古いのかもしれませんね(笑)。(2009.12.27)

 

278.(映画)クリント・イーストウッド監督『マディソン郡の橋』(1995年・アメリカ)

 小説、映画ともヒットした有名な恋愛物語です。毎日子どもの世話と夫の世話に明け暮れる退屈な毎日を送っていた主婦がたまたま家族の留守中に現れたカメラマンと恋に落ち、濃密な4日間を過ごし、その思いを死ぬまで大事に持ち続けるという話です。主婦の不倫の話と言えばそれだけなのですが、主演がメリル・ストリープという名優で、相手役かつ監督がクリント・イーストウッドという才能のある人なので、揺れる女性の気持ちを上手に見せてくれます。恋というのは障害がある方が燃え上がるものだということを再確認させられます。原作もいいのでしょうが、4日間だけの恋にしているから美しく思えるのでしょう。もしも一緒に住み始めたら、2人の思いはまったく変わっていたことでしょう。障害を乗り越えて恋をし、短い時間濃密な時を過ごし、別れざるをえなくなるというのは、「恋の純粋型」の不可欠な要素なのだと思います。まあ、美しく描かれた「携帯小説」みたいなものかもしれませんが。(2009.12.26)

277.(映画)若松節朗監督『沈まぬ太陽』(2009年・「沈まぬ太陽」制作委員会)

 この映画の原作をかつて酷評したことがあります(「本を読もう!139参照)が、この映画は原作小説よりかなりいいです。原作は無駄に長く冗長な小説ですが、3時間22分の映画にまとめるために、無駄な部分を省いていますので、ストーリーがしっかり伝わってきます。そして、主役の渡辺謙が小説の中の主人公より迫力があり魅力的な人物を演じることができているのが、原作小説より私の評価が高くなっている理由です。実話に基づいたこの物語は、誰が観ても「日本航空」がモデルであることがわかる「国民航空」で組合委員長を勤めた主人公が、会社上層部の報復人事によって、10年も僻地勤務をさせられ、他方で昔の仲間や上層部は甘い汁を吸い続けるという話です。主人公が日本に戻ってしばらくして御巣鷹山にジャンボ機が墜落し、その世話係をし、その後会社の体質改善のために、会長室勤務に抜擢され、会社の問題点をあぶり出すが、最後はまたアフリカ勤務に出されるという展開です。この終わり方が原作通りなのが物足りないです。山崎豊子の小説はほとんどノンフィクションのようなものなので、実際主人公のモデルになった人物がそういう人生を歩んだので、その通りにまとめたわけですが、フィクションとしてはこの終わり方はもうひとつです。もう少しドラマティックな終わり方に変えてしまってよかったのではないかという気がしました。それにしても、これが日本航空という会社でほとんど実際に起こったことと思うと、日航は一度潰した方がいい会社だなと誰も思ってしいます。日航の社内報で、この映画の批判がされているそうですが、まあそうせざるをえないだろうなと思うほど、影響はありそうです。会社建て直しが国会で議論されている今、この映画が公開されるというのは、なかなか厳しいものがあると思います。(2009.11.7)

276.綿矢りさ『蹴りたい背中』河出書房新社

 2004年に『蛇とピアス』を書いた金原ひとみとともに芥川賞を最年少で受賞した作品ですが、たぶんおもしろくないだろうと思って、ずっと読まずにいましたが、先日ブックオフで105円で売っていたので買って読んでみました。文章力はいかにも文学少女といったところでしょうか。テーマは、結局のところ、友人がいないということが致命的な問題のように思われている現在の若者層の感覚を研ぎ澄ました形で描いた物語と言えるでしょう。おそらく、著者が高校時代に感じていたことを吐露した物語なのではないかと思います。ストーリーは、以下のとおりです。高校生になった主人公の少女は、中学時代の親友が他の友人たちとグループを作ったため、1人で過ごす機会が増えて寂しい思いをしていたときに、ふとしたきっかけから、同じく友達のいない男子と話をするようになる。彼はあるアイドルの大ファンであり、そのアイドルとたまたま会ったことがある少女からその時のことを聞きたがったのだ。友人が離れていくこと、いないこと、群れ合っているクラスメートに、違和感と不快感を覚えていた少女はなんとなく彼に興味を持つ。それは「好き」という感情では単純に言い表しにくいもので、軽いサディスティックな加害感情を向けたくなる対象として描かれている。その象徴としてその男子の背中を蹴りたいという感情が描かれている。ということですが、この背中を蹴りたくなる気分というのが、私にはさっぱりわかりません。文芸評論家なら、ここをこじつけ的に解釈して「深い意味がある」とか言うのでしょうが、私はわかりません。こんな感情の吐露は単なるひとりよがりにすぎません。人に読ませる小説としては評価できません。(2009.11.2)

275.田中康夫『なんとなく、クリスタル』新潮文庫

 1981年に刊行されるや、大ベストセラーになった小説ですが、売れた理由はストーリーによるものではなく、冊子の半分がブランド物などに関する注でできている珍しさによるものでした。今回改めて読み直してみて、この注がなかなか毒がきついということに気づきました。注とはいっても、客観的な説明のためというより、著者が皮肉や批判をたっぷり込めたコメントを書きたいがために書いたものです。こういうブランドに目の色を変える(本当はオシャレでない)女子大生に対しても、またこういうことをまったく知らない人々に対しても小馬鹿にしたいような気持ちが、この注から感じ取れます。「僕はこんなことは常識として知っているよ」という上から目線で書かれている感じです。一応ストーリーを紹介しておくと、神戸出身で都心のおしゃれな大学に通う女子大生が、恋人と同棲(古臭いイメージがするので、主人公は「共棲」と言い換えています)しつつも、時々他の男ともセックスをしたりするという数日間を描いたものです。これといった山場もなく、心理描写などに長けているわけでもありません。ただ、この数年後に始まるバブル時代を先取りしたかのような都会生活に、時代が感応したということなのでしょう。ちなみに、昨日紹介した石原慎太郎の『太陽の季節』と、この小説は非常に共通点が多く、興味深いです。作者は2人とも一橋大学に在学中にこれらの小説を発表し、学生作家として人気を博した後、政界へと転出していきます。小説の内容もそれぞれの時代の先端的な若者層を描き、「太陽族」と「クリスタル族」を生みだし、社会風俗に影響を与えています。確か、石原慎太郎と田中康夫は仲が悪かったように思いますが、近親憎悪のようなものかもしれません。(2009.10.31)

 

274.石原慎太郎『太陽の季節』新潮文庫

 1955年に発表され、翌年に芥川賞を取り、映画化もされ、「太陽族」と呼ばれる若者を生みだした社会学的に意味の大きな小説ですが、正直言って、今の段階で読むと、何もない小説だと思います。刹那的な楽しみのみを求める金持ちのわがままで勝手な不良高校生が、町で声をかけた女性とつきあい、振り回し、最後は女性が妊娠中絶の結果死んでしまうという「ジェットコースター・ドラマ」のような短絡的な物語です。まだそれほど豊かではなかった日本に、こういう若者が出てきたのかという驚きのみで評判になった作品なのでしょう。心理描写にも情景描写にも深みも味もまったくありません。石原慎太郎という人は作家としては三流です。ちなみに、つい最近、映画も放映されていたのでそちらも初めて見たのですが、これも今の感覚では古すぎて、まったく魅力的ではありませんでした。ただ、この映画の端役でデビューした石原裕次郎が、この映画の主役であった長門裕之(ヒロインは南田洋子が演じており、彼らはこの作品がきっかけでつきあい始め、結婚にまで至ったわけです)よりもはるかに輝いており、次の作品から主役に抜擢されたのは当然だなと思いました。(2009.10.30)

273.井上靖『氷壁』新潮文庫

 映像化も何度なくされている昭和30年代の有名小説ですが、正直言って退屈な小説です。おそらく新聞連載小説だったのでしょうが、山らしい山もなく、だらだら続きます。読み終わってもまったく納得感がありません。こんな小説は今なら絶対に当たらないでしょう。ストーリーは、友人でもある2人の登山家の1人が山で遭難し、その原因は何かというのが一応大きな筋ですが、その死んだ登山家が恋い焦がれていた既婚婦人とその登山家の妹が、生き残った登山家(主人公?)と恋愛感情を密かに温めるというのが、もうひとつのストーリーです。しかし、最終的にはもうひとりの登山家も死んでしまうため、どちらのストーリーも明確な結末を迎えないため、なんだかぼわっとしたままで終わります。主人公の会社の上司が妙にたくさん登場するのですが、どういう役割を果たさせたくて出しているのか最後までわかりませんでした。井上靖と言えば、戦後を代表する小説家の1人ですが、もう読まなくていいやという気分です。(2009.9.21)

 

272.(映画)ラッセ・ハルストレム監督『HACHI 約束の犬』(2008年・アメリカ)

 家内が「泣けるらしいよ」と言うので、「ハチ公物語」なんて、飼い主が死んだことも理解できない「馬鹿犬」の話だろと悪態をつきながら、涙もろい私は絶対泣くんだろうなと思いながら、「夫婦50割引」で見てきました。予想通りしっかり泣かせてもらいました。ストーリーなんて、本当になんのひねりもなく、そのまんま「ハチ公物語」ですが、犬がかわいくて賢いので、普通の人間なら泣きます。この映画を見て、泣けない人は、逆にちょっと怖い人かもしれません。なんで、あんなに演技ができるんでしょうね。たいしたものです。特に、最後の方に出てくる老犬はすごいです。あんなよぼよぼで死にそうな演技をできるものなんですね。秋田犬というのもいいですね。なんか茫洋としていて、最近のペット犬では感じられない犬らしさがあります。この映画の主役は明らかに犬です。犬の演技で持っている映画です。しかし、それでは、HACHIにボールを追いかける芸を仕込むために、四つん這いになってボールを口でくわえる演技まで見せてくれたリチャード・ギアが可哀想なので、一言コメントをしておくと、最近のリチャード・ギアを見ていると、しみじみ感慨深く思います。私が初めてリチャード・ギアを映画で見たのは、30年ほど前の「アメリカン・ジゴロ」という作品でした。年上の女性を手玉に取って生きていくヒモ男の話でした。その頃は格好がいいだけの中身のなさそうなワルって感じだったのに、今やハリウッドの良心とも言えるような素敵なロマンスグレーの紳士になったわけです。すばらしい人生を着実に歩んできたんでしょうね。

 話をHACHIに戻し、少し重箱の隅をつつくようなことを指摘するなら、なぜ秋田犬の子犬がアメリカに送られたのか最後まで謎のままなのはちょっと気持ちが悪いのと、フジテレビがスポンサーに入っているので、「それで、HACHI(8)なのか!」と突っ込みたくなってしまった点でしょうか。あと、帰ってから実際の「ハチ公」についてウィキペディアで調べてみたら、なかなかおもしろいことが書いてありました。よかったら自分で調べてみて下さい。なお、私が今回初めて知ったのは、「ハチ公」が秋田犬だったということです。渋谷駅の銅像があまり大きかった印象がなかったので、てっきり柴犬だと思っていました。(2009.9.11)

271.小川洋子『博士の愛した数式』新潮文庫

 2004年に第1回「本屋大賞」、読売文学賞を取り、映画化もされた有名作品です。確かになかなかうまく考えられた作品です。数学者を主要人物にした物語で、数字の不思議な魅力にもつい引き込まれてしまいます。読みながら、数字の不思議さについて書かれた本を読んでみたくなりました。「28」という数字なんか特に重要な数字なんだと本気で思ってしまいます。数学者を主要人物にした小説というのはほとんどなかったのではないかと思いますので、その珍しい設定がこの作品が高く評価された最大の理由だと思いますが、この数学者がかつて交通事故にあって、80分しか記憶が持たなくなっているという変わった条件をおくことで、ただの高尚な数学者ではなく、奇妙な行動をする愛嬌のある人物に作り上げています。母屋に住む義姉も謎のある人物として描かれ、読者の興味を引きます。ジャンルで言えば、純文学系の作品になると思いますが、結末はどうなるのだろうという期待感を持って読み進められる作品です。 (2009.8.20)

270.市川拓司『そのときは彼によろしく』小学館文庫

 『いま、会いにゆきます』で大ヒットを飛ばした著者の、たぶん2番目に売れた小説です。同じ著者なので当然といえば当然ですが、『いま、会いにゆきます』と空気感が似ています。優しい物語で女性には受ける小説でしょう。この著者の場合、主人公の男性が頼りないとも言えそうな優しさを持っているのが特徴でしょうね。「草食系男子」がそれなりに魅力的に描かれた物語と位置づけることができます。ストーリーは中学時代の仲間3人が、15年後に再会をし、また別れが来て、そして……といった展開で、そこに、この著者特有の「あちらの世界」から戻ってくるという設定が「隠し味」(全然隠してないですが……)として使われています。『いま、会いにゆきます』と比べると、「あちらの世界」から戻ってくる人が多すぎて、少し焦点がぼけてしまっています。あまりにいろいろな偶然や奇跡を乱用しすぎているために、驚きも感動もなく読んでしまいます。もう少し出し惜しみをした方がよい小説になったことでしょう。ところで、この小説は確か映画化されていたはずという記憶があったので、読み終わってから、調べてみたところ、ヒロインの花梨を長澤まさみが演じていると知りました。率直に言って、小説を読みながらイメージしていた花梨とはかなり違っていました。もう少しきりっとした30歳前後の女優さんの方がイメージに合っていると思います。(2009.8.10)

269.荻原浩『コールドゲーム』新潮文庫

 中学生のいじめがテーマの推理小説です。中学の時にいじめられていた少年が4年後にいじめていたクラスメートに復讐をしていくというストーリーです。いじめていた側の少年達の視点から描かれ、犯人は本当にいじめられていた少年なのかという疑問を与えつつ、犯人探しの物語として進んでいきます。最後に、意外な犯人が出てきますが、納得のいくどんでん返しというよりは、ちょっと無理があるなあという印象を持ってしまいました。緻密な推理小説というより、サスペンスドラマのシナリオといったところです。この作家はプロの作家で、何を題材にしてもそれなりに読ませるものを書きますが、この程度の小説ばかりでお茶を濁していたら、印税はそれなりに入ってくるでしょうが、器用で便利な作家という評価で終わることでしょう。 (2009.8.7)

268.(映画)西谷弘監督『アマルフィ 女神の報酬』(2009年・日本)

 現在公開中の話題の映画を見てきました。まあまあの作品です。映像と音楽はなかなかいいです。イタリア観光映画としては、『天使と悪魔』より大分いいと思います。『天使と悪魔』を見てもイタリアを旅したいとは思わなかったですが、この映画を見ると、アマルフィに行ってみたいという気になります。きっと今後日本人のアマルフィ観光ブームが起きることでしょう。さて、映画の中身ですが、少し違和感があったのは、目的に対してやや手段が大仰すぎるところです。そこまでやらなくても、目的を達成する手段は他にもあっただろうと思ってしまいます。まあでも、映画としておもしろく見せるためには許される範囲でしょう。織田裕二が生きています。天海祐希の役は他の人でもできるでしょうが、織田裕二の役は他の人では大分イメージが変わるでしょう。いろいろ使いにくい俳優さんだという話は聞きますが、かなりの存在感です。それにしても、オール・イタリアロケで、さぞやお金がかかったのではないでしょうか。まるでバブル期の映画のようでした。きっと昨秋の経済危機が生じる前に制作を決めてしまっていたのでしょうね。大ヒットしてくれないと、フジテレビも大変でしょう。(2009.8.6)

267.(映画)ロバート・ベントン監督『クレイマー、クレイマー』(1979年・アメリカ)

 懐かしの名画シリーズという感じですが、いい映画は観たら書きたくなるものです。『カッコーの巣の上で』と違い、こちらは日本で公開されていた時にしっかり見に行った映画です。誰と観に行ったか、どんな席だったかもよく覚えています。しかし、内容の方はというと、ダスティン・ホフマン演じる夫がメリル・ストリープ演じる妻に出て行かれて、残された幼い息子との2人だけの父子生活を描いた話という大雑把な記憶しかなく、なんで「クレイマー、クレイマー」というタイトルなのか、結末はどうだったか、すっかり忘れていました。「クレイマー、クレイマー」は、今なら原題通りに「クレイマー VS. クレイマー」とするところでしょう。まだあの頃は、「VS.」という記号が日本人にはわかりにくいと思われていたのでしょう。要するに、子どもの養育権をめぐっての争いが後半のヤマ場になっているために付けられたタイトルでした。そして、結末は……と、これを書いてしまっては、これから観ようと思う人の楽しみを奪うことになりますから、書かずにおきます。しかし、約30年経って見直したゆえのおもしろさもありました。それは、この時代はまだアメリカですら専業主婦を求める夫と社会に出たい妻というのが映画のテーマになっていたんだということを改めて知ったことです。しみじみ、この30年間で男女のあり方は大きく変わってきたんだなと感慨深かったです。(2009.7.31)

266.(映画)ミロシュ・フォアマン監督『カッコーの巣の上で』(1975年・アメリカ)

 この名作を今頃になって初めて見たと告白するのもかなり恥ずかしいのですが、やはり観てしまったらどうしても一言触れたくなる作品です。私が大学生の時から評判の高い映画でしたし、何度も見るチャンスはあったのですが、暗そうな雰囲気に、まあ見なくてもいいかと思って過ごしてきてしまいましたが、なんと勿体ないことをしていたのだろうと、見終わった今思っています。評判に偽りのない名作です。精神病院が舞台で重たいテーマと言えばそうも取れる作品ですが、ユーモア精神と人間に対する愛に満ちた作品なので、決して後味は悪くないです。何よりも考えさせられます。これは精神病院の話ではなく、管理社会の縮図なのだろうと。映画の公開は1975年ですが、原作の小説は1965年に発表されたようです。まさにアメリカで管理社会に対するアンチテーゼが次々に現れつつあった時代です。しかし、「反管理社会」という露骨な思想を押しつける作品にせずに、映画として魅力的に仕上げているのが素晴らしいところです。時代背景や隠喩に気づかなくても、しっかり映画の世界に引き込まれるはずです。テンポが良く軽い映画しか興味がない人にはお勧めしませんが、テーマ性のある映画が好きな人なら間違いなく満足すると思います。怪優ジャック・ニコルソンの魅力が見事に出ている作品です。人生で見ておくべき映画の1本です。(2009.7.30)

265.(映画)オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督『ヒットラー――最期の12日間――』(2004年・ドイツ)

 タイトルから、ベルリンが包囲され死を選ぶまでのヒットラーの心理を克明に描いた映画なのだろうと予想して見始めましたが、ヒットラーの死後も描かれていますし、ヒットラーだけでなく周りの様々な人々の心理にもしっかり焦点が当てられており、ヒットラーについての映画というより、敗戦間際という極限状態おかれたドイツの様々な人間たちの心理を描いた見応えのある映画でした。ざっと思い出しても、20人ぐらいは重要な登場人物がいます。そのそれぞれが彼らの立場と考え方から様々な行動を取ろうとします。極限状態で人はどういう選択をするのかを考えさせる優れた人間ドラマになっています。日本の戦争末期を描いた映画では、これに匹敵する作品はないように思います。この違いはなんなのでしょうか。私が思うに、映画制作者の技量の差というより、日本的な条件がこういう映画を作れない要因になっているような気がします。第1に、東京はベルリンのように包囲されるまでに至らなかったこと。第2に、日本人の多くは個々の人々が主体的に考え、行動するようにはなっていなかったこと。第3に、ヒットラーを描くようには天皇を描くことは決してできないこと。特に第3の条件が大きいように思います。天皇を、戦争を起こしそして終了させた国の指導者として描ききってよいのなら、日本でもそれなりの人間ドラマはあったわけですから、似たような作品を作れるかもしれません。しかし、天皇についてはなるべく触れずにとなると、大事なポイントを曖昧にしたままということになりますのでうまく描けないのは当然だと思います。いつか天皇も1人の悩める人間として位置づけた終戦映画を日本でも作ってほしいものです。(2009.7.28)

264.三田誠広『堺屋太一の青春と70年万博』出版文化社

 堺屋太一と言えば、最近では小渕内閣、森内閣で経済企画庁長官をやっていた人、あるいは評論家というイメージが強いかもしれませんが、もともと通産省の官僚でその後作家に転身した人です。昭和2224年生まれの人を指す「団塊の世代」という言葉はよく知っていると思いますが、この言葉を作ったのも堺屋太一です。この本を読むと、堺屋太一(本名・池口小太郎)という人が先を読む目と実行力を持った希有な才能を持った人であったことがわかります。「団塊の世代」以上に、彼の才能が輝いたのは、本のタイトルにもなっているように、あの1970年の日本万国博覧会です。東京オリンピックとともに、高度経済成長期の日本を代表するビッグイベントは、実は池口小太郎という一若手官僚のアイデアから出たものだということを知ると驚きます。大阪出身の彼は大阪の地盤沈下を食い止めるために、大阪の有力者に働きかけ、通産省の有力者に働きかけ、自腹も切りながら、少しずつ開催に向けての環境作りを進め、ついに開催にこぎつけました。しかし、妬みか官僚機構の機械的な人事制度のせいかわかりませんが、日本万国博覧会開催直前に、他の部署に移されて担当者としては最後まで関われなかったそうです。(ただし、「生活産業館」のオーナーになっていたので、パビリオンのオーナーとして参加はできたようですが。)堺屋太一のすごさは、この異動させられた鉱山石炭局で腐らずに、今度は石油問題に関わり、石油の輸入が止まった場合、日本社会にどんな事態が生じるかをシミュレーションし、第1次石油ショックが起きる前に、そのことを予想していたということで、さらに再認識させられます。このシミュレーションの結果は、『油断!』という小説として発表され、大ベストセラーになります。『団塊の世代』は『油断!』が大ヒットしたために、未来予測小説の第2弾として書かれたものです。「団塊」という言葉もそれまでは「マンガン団塊」といったように鉱物などでしか使われなかった言葉ですが、仕事柄それになじんでいた堺屋太一がベビーブーム世代に使い、一般に知られるようになったわけです。なかなか興味深い人物伝なのですが、著者である三田誠広の文章の下手さにはあきれます。昔からうまい作家だとは思っていませんでしたが、この本はまるで素人が書いた文章のようです。とても芥川賞をもらったとは思えません。まあ、堺屋太一という素材がおもしろいので、なんとか最後まで読めましたが、もう少し文章の上手いルポライターが書いたら、もっとよい本になったと思います。(2009.7.22)

263.(映画)村野鐵太郎監督『富士山頂』(1970年・石原プロ)

 石原裕次郎の23回忌記念として、先日TVで初めて放映されていたものですが、『劔岳 点の記』との比較をしたくなったので、書いておきます。物語は、「プロジェクトX」の第1回目でも取り上げられた富士山頂に気象レーダーを建設するという実話が基になっています。まだCGがなかった時代ですから、撮影は実際に富士山でかなり行ったのだと思います。ヘリコプターを利用する場面も実際に近い状態で行われており、よく撮ったなと思います。CGを一切使いたくないと思った『劔岳』の監督・木村大作も、この作品は認めるでしょう。(というか、この作品が彼の目標になっていたのではないかという気がします。)山の映像は、『劔岳』の方が美しいと思いますが、ストーリーは『富士山頂』の方がはるかにおもしろいです。実は、『劔岳』も『富士山頂』も新田次郎という作家の作品です。山を題材にした小説が多いため、「山岳小説家」などとも言われていますが、『富士山頂』は自分自身の体験に基づくものです。彼はもともと気象庁に勤めており、実際にこの富士山頂に気象レーダーを建設する計画のリーダーだったそうです。たぶん映画では芦田伸介が演じている役だと思います。この富士山頂気象レーダーを建設後に気象庁をやめ、作家業1本になったそうです。想像ではない現実のリアリティが映画からも伝わってきます。1965年に実際に起きたことを1970年に映画にしたわけですから、明治時代の話を21世紀になって作った『劔岳』とは異なり、時代感のずれがなく、そこがリアリティをより感じさせるのだと思いますが。高度成長期時代に自らの仕事に命をかけた男たちの話というのに、最近妙に惹かれます。ビデオやDVDが発売されていないそうなので、簡単に見られないのが残念です。石原プロの作品は石原裕次郎の「映画は映画館で観てほしい」と方針でDVD化していないそうですが、そろそろ方針転換してほしいものです。『黒部の太陽』も見てみたいものです。(2009.7.9)

262.(映画)木村大作監督『劔岳 点の記』(2009年・劔岳制作委員会)

 公開前から非常に楽しみにしており、公開初日の今日見に行ってきたのですが、残念ながらまったくの駄作でした。長くカメラマンをやり、その領域では名声を得てきた木村大作が、初めて監督をやったわけですが、やはりカメラマンが撮った映画以外の何物でもありません。彼の頭の中には「美しい山の絵」しかなかったのでしょう。確かに山と空の映像は美しいし、CGを使わずに撮ったらしいので、自分も山を登るような人はそれだけで感動するかもしれませんが、映画としてはそれだけでは物足りません。脚本があまりにもお粗末です。観客が先の展開を期待したくなるような筋がまったくないのです。ただただ、劔岳に初登頂する陸軍測量隊の苦労を描いているだけです。役者が監督(脚本も兼務)によって殺されています。公開前に宣伝のために、監督と主役級の俳優がテレビに出演し、映画制作の苦労話をしていましたが、その中で「山に登る時に、誰も台本を持っていなかった」とか、浅野忠信と宮崎あおいの新婚夫婦の場面は役者2人にセリフは適当に作ってもらったなどという、脚本軽視のいい加減な話をしていたので、密かに心配していましたが、まさにそのエピソードが事実であったことを証明しているような浅薄なセリフのオンパレードになっています。映像も山を映しているところは確かにきれいですが、人物の映し方はまったくうまくありません。映画館のワイドなスクリーンをまったく活かさない人物のアップが多いのは、CGを使わずにすべて実写にこだわったために、足元の悪い中でカメラを回さないと行けなかったからなのかなと思ったりもしていました。私は、CGを露骨に乱用した映画があまり好きではないのですが、この映画を見ながら、上手にCGを使った方がよい映画になるなら、そんなに徹底して拒否するのもいかがなものかと感じました。(2009.6.20)

261.(映画)ロン・ハワード監督『天使と悪魔』(2009年・アメリカ)

 莫大な金をかけた娯楽凡作です。『ダヴィンチ・コード』と同じ役柄でトム・ハンクスが出てくるし、バチカンが舞台なので、キリスト教教義がストーリーに深くからんでいるのだろうと思って見ていたのですが、キリスト教はちょっとした味付け程度の意味しかありません。内容は『名探偵コナン』レベルの推理ものです。『名探偵コナン』がおもしろいと思う人なら、この映画もおもしろいと思うかもしれませんが、私は『コナン』を馬鹿馬鹿しいと思う方なのでまったく評価できませんでした。『コナン』と同じで真犯人がすぐわかってしまいましたし、そんなヒントでそんなことがわかるわけないだろうとか、なんでこの女性科学者はずっといるんだろうとか、どうしてここでは殺さないんだろうとか、ツッコミどころだらけです。まあでも、『コナン』程度の作品だと思えば、あきらめもつきますが。ちなみに、『ダヴィンチ・コード』はパリ観光案内、この作品はローマ観光案内となっています。ヒロインの女性も、それぞれ典型的なフランス女性とイタリア女性を使っており、わかりやすぎるほどわかりやすい作りの映画でした。(2009.6.13)

260.小手鞠るい『欲しいのは、あなただけ』新潮文庫

 「島清恋愛文学賞」という賞を受賞した女性作家の作品ですが、なかなか珍しいタイプの作品かもしれません。2人の男性との恋愛を描いた作品ですが、最初の恋はDV、後の恋は不倫です。しかし、どちらの恋も主人公の女性の方がどっぷりと恋にはまっており、その女性の視点からすべてが語られます。「欲しいのは、あなただけ」というタイトルですが、読んでいると、「欲しいのは、求められている私」ということなんだろうなと思います。男性の私にははまりにくい小説でした。一番気になったのは、これは著者の自伝的小説なのかどうかということでした。ディテールの書き込み方などからすると、小説そのままの話ではなくとも、似たような経験をしていたのではないかと思わされました。(2009.6.5)

259.北村薫『夜の蝉』創元推理文庫

 非常に格調の高い小説でセンスもある作家だと思いますが、読み始めから終わりまでずっと違和感を持ち続けたままでした。20歳の大学2年の女子学生が主人公なのですが、こんなに文学と古典芸能に詳しく、大人の感性を持った女子学生はいるわけがないという違和感です。時代設定は1990年代初めのようですが、著者自身が学生生活を過ごした1960年代終わりの学生イメージを持ち込んでいるように思います。たぶん、この著者はリアリティにあまり興味がなく、時代に合った女子学生を描こうなんて気持ちはまったく持っていなかったのではないかと思います。むしろ、本書を執筆した時点で著者自身が持っていた知識を20歳の女子学生に自在に語らせている感じです。主人公だけでなく、その友人や姉妹も含めて、すべて40歳を過ぎた文学好きな女性たちだと思って、読めば違和感は消えます。女子大生になぜしなければならなかったのか、そこがよくわかりませんでした。純文学作品と位置づけられると思うのですが、一応小さな謎を解く推理小説でもあります。主人公はワトソンみたいな役割で、ホームズにあたるのが落語家という、これまた奇妙な組み合わせです。好きな人は高く評価する作家なんだろうなと思いますが、私は今ひとつでした。(2009.6.4)

258.川田弥一郎『白く長い廊下』講談社文庫

 1992年の江戸川乱歩賞受賞作品ですが、レベルの低い作品です。医療を題材にしたもので、実際に作者は医者なのだそうですが、なんか浅薄です。強引に謎解きに関連づけている医学知識と、勤務先を大学病院の医局が決めていた時代の問題性に触れているところが、多少医学界に詳しい人だなと思わせるだけで内容はぱっとしません。医療事故のように見せかけた殺人事件が起こり、その真相をそれに巻き込まれた若手医師と唐突に現れた美貌の薬剤師が解いていくという物語ですが、その程度のことでそんな行動は起こさないだろうとか、その程度の証拠でそんなことはわからないだろうというツッコミを入れたくなるところだけです。登場人物のキャラクター設定も下手で人間観察力の甘さを感じさせます。こちらの予想をよい意味で裏切ってくれるようなところがほとんどなく、やはり医者の趣味程度の素人小説という印象です。他にも何本か小説を書いているようですが、この作者の小説を読むのは、これが最初で最後になりそうです。(2009.5.31)

257.薬丸岳『天使のナイフ』講談社文庫

 久しぶりに読みながら興奮するほどのおもしろい作品に出会いました。大傑作です。最後の方で幾重にも仕掛けられた真実が次々に明らかにされていくあたりは、本当に息をもつかせぬといった印象です。通常見事な「どんでん返し」が最後に1回できていれば、十分おもしろいミステリーと言えると思いますが、この作品では一体いくつ「どんでん返し」が仕掛けられていたのだろうかと数え直したくなるほどです。そして、その仕掛けがちゃんとつながっているところが見事です。もちろん、現実にはこんな偶然は起こりえないし、人間描写にはやや弱さがあるので、いわゆる「本格ミステリー」のジャンルに入るのだと思いますが、少年犯罪のもつ問題点をうまく利用して書き上げているため、「社会派ミステリー」のジャンルに入れてもよいのではないかと思えます。ミステリー小説なのであらすじは語れませんが、4年前に3人の中学生に妻を殺され、割り切れぬ思いを抱いたまま残された幼い娘と生きていた主人公の仕事場の近くで、加害者の少年のひとりが殺害され、主人公の男性が容疑者として疑われるというストーリーで始まるということだけ語っておきます。真犯人は誰かと読者は思いながら読み進むわけですが、その謎解きの過程で、次々に意外な真実が明らかになり、「よくこんなプロットを思いついたなあ、すごい!」と唸りたくなります。久しぶりの大絶賛お勧め作品です。(2009.5.23)

256.雫井脩介『犯人に告ぐ()()』双葉文庫

 非常におもしろいミステリー小説です。確か2004年の「このミステリーがおもしろい」のベスト1に選ばれた作品だと思いますが、その評価は間違っていません。この作家はどの小説でもそうですが、まずキャラクター設定が見事です。たくさん出てくる登場人物1人1人の性格がきちんと描き分けられ、この人ならこういう喋り方でこういうことを言うだろうと無理なく思わせます。長編小説の場合、下手な作家だと途中から、人物の性格が変わってしまったり、同じような性格・喋り方の人物が何人も出てきたりするのですが、そういうミスはこの作家の場合はまったくありません。これは簡単そうに見えて、実は非常に難しいことだと思います。そうした基礎力が優れている上に、またプロット作りが一工夫も二工夫もされていて感心します。『火の粉』(No.116)という作品も感心しましたが、この作品もそれに負けるとも劣らぬ作品だと思います。一応犯人探しの本なので、あまり詳しくは書けませんが、捜査に行き詰まった警察が、1人の刑事をTVに出演させ、「劇場型犯罪」ならぬ「劇場型捜査」を仕掛け、幼児殺害事件の犯人を誘い出すという仕掛けをしていきます。現代のようなメディア社会では、実際にありえそうな気がしてくるのが、この作家の巧みさでしょう。はたして犯人は捕まるのかという興味だけでなく、サブテーマ的に様々な人間ドラマが折り込まれていて、読者を飽きさせません。終わらせ方もこういう感じでいいんだろうな、うまいなあ、としみじみ思いました。映画化もされているはずですが、ヒットしたと聞いていないので、この小説の複雑なおもしろさをうまく映像化できなかったのでしょう。でも、豊川悦司の主役は雰囲気的には合っていそうなので、機会があったら見てみたいと思います。(2009.5.22)

255.真野朋子『ぎりぎりの女たち』幻冬舎文庫

 いかにも以前はジュニア小説を書いていましたという感じのする小説でした。100%女性視点の短編小説です。書いておかないと忘れるので書いておくことにしましたが、105円でなければ読むこともなかったでしょうし、今後この作家の作品は読まないだろうと思います。不倫、婚外妊娠、結婚式、シングル、若い夫などをテーマとして、主人公の女性の心理を描くというよくあるパターンです。読みやすいですが、読み終わった後に、何も残りません。金も頭も使わずに小説を読みたいと思っている人がいればお勧めしますが、中身のある小説を求めている人にはまったくお勧めできません。(2009.5.6)

254.赤井三尋『翳りゆく夏』講談社文庫

 久しぶりに納得の行く推理小説に出会いました。2003年の江戸川乱歩賞を取った作品ですが、この小説なら十分賞に値します。犯人は誰かという本格派の推理小説で、最後になってまったく思いがけない犯人が出てきますが、読み返すとそれなりに伏線が敷かれており、そんなに無理はありません。マスコミ界を舞台にし、地理的にも無理がなく、解説に書かれているように、十分「リアリティ」があります。元誘拐犯の娘が大新聞の記者に内定したことから、20年前の誘拐事件を調べ直すと、意外な犯人が……という展開は、読者を上手に引きつけます。登場人物の描き分け、心理描写もしっかりできていますし、人に対する愛情があり、読後感も気持ちのよいものです。プロの作品と思いきや、マスコミ界に勤める人が副業的に書いたようで、まだあまり多く作品を発表していないようですが、他の作品も読んでみたいと思いました。(2009.5.3)

253.(ドラマ)松本清張原作・向田邦子脚本・杉田成道演出『駅路』(2009年・フジテレビ)

 松本清張生誕百周年記念と銘打ってフジテレビが先日放送したドラマですが、ここ数年でもっとも見応えのあるドラマでした。原作・松本清張、脚本・向田邦子、演出・杉田成道(名作ドラマ「北の国から」の演出家)という今後絶対ありえない組み合わせだけで十分期待度は高かったのですが、出演した役所広司、深津絵理らの演技がこれまた素晴らしく、予想を超える充実した作品に仕上がっていました。役所広司が語る台詞の深み、深津絵理の写真、十朱幸代演じる妻の複雑な心理を示す演技、木村多江の超アップ顔の涙、巧みな音楽の使い方、映像の美しさなど、たくさんの見所があるのですが、ストーリーに直接関係のない場面で「これはすごい!」と思ったのは、自宅で顔の美容マッサージ(?)を受ける十朱幸代がすっぴんで演技をしていた場面です。60歳代の女優さんがすっぴんで演技って、なかなかできないと思います。それだけ役者さんもその気にさせられたということでしょう。95点くらいあげたいドラマですが、いくつか「あれっ?」と思った点もあげておきます。まず、時代設定を昭和63年晩秋から昭和6417日までとし、昭和天皇の病状悪化から崩御までの時期にすることで、昭和を思い起こさせる設定にしていたのですが、見ているともっと古い時代の雰囲気が漂ってきます。わかってやっているのだとは思いますが、当時を知っている人間からすると違和感が残りました。2つめに、唐十郎演じる半分呆けた老人が、謎解きの大きなヒントとなるアルバムに挟まれた写真の存在を刑事に教える場面は、いかにも唐十郎のために無理矢理見せ場を作った感じで奇妙でした。3つめも写真がらみですが、最後の場面で湖に沈んでいた鞄の口が開き、そこから写真だけが浮かび上がってきて、湖面に浮かぶのですが、急にご都合主義の安易な演出になってしまった感じで残念でした。こんな奇妙な演出はせずに、鞄を見つけさせて、その中に写真を発見するという演出で十分だったと思います。といくつかケチをつけたいところはありますが、滅多にないハイレベルなドラマであることは間違いありません。いつかDVDが出たら見てください。(2009.4.20)

252.(映画)ノーラ・エフロン監督『奥様は魔女』(2005年・アメリカ)

 ニコール・キッドマンという女優さんはきれいだけれど恐い感じの人という印象を持っていましたが、この映画のニコール・キッドマンは本当にかわいく、思わず「ほれちまうやろ!」って言いたくなりました。こんなコミカルな役もできるんですね。TV版のリメイク映画かと思ったら、そうではなく、「奥様は魔女」のリメイクドラマを作るという設定の物語で、そこに実際の魔女(ニコール・キッドマン)がサマンサ役として抜擢され、人気がなくなってきたダーリン役の俳優と、いつしかドラマと同様恋に落ち、そして……という意外に複雑な構成になっています。この映画には、私が好きな要素(劇中劇、本歌取り、ラブコメ)がたくさんあって、個人的には非常に楽しめました。昔のTVドラマ「奥様は魔女」(日本でも数年前に米倉涼子でリメイクしていましたが、そっちではなくもちろんアメリカドラマの方です)が好きだった人なら、私と同様、楽しめると思います。(2009.4.18)

251.伊藤たかみ『ミカ!』文春文庫

 2006年に芥川賞を取っている作家ですが、芥川賞にほとんど興味のない私は、この作家の名前をまったく記憶に留めていませんでした。ただ、この作品は105円で売っていたのと、小学館児童出版文化賞をもらったことと、男女の双子が主人公というプロットがおもしろうそうに感じたので、読んでみることにしました。読み終わっての感想は、「?」という感じです。児童文学と言えば児童文学、純文学と言えばそうも言えるという作品でしょう。ストーリーに山はありません。小さな事件はありますが、大事件はありません。ちょっとしたことで一喜一憂する小学6年生の心理が描かれています。文章は下手ではないし、キャラクター・イメージもちゃんと作れていますので、下手な作家ではないと思います。でも、なんでしょうね。この小説から何を受け止めたらいいのかがよくわかりません。双子という設定もあまり活かされていないような気がします。年の近い兄妹でも問題がなかったような気もします。この作品の続編があるようですが、たぶん読まないだろうと思います。(2009.4.5)

250.浅田次郎『椿山課長の七日間』朝日文庫

 朝日新聞夕刊の連載小説で映画化もされた作品ですが、駄作です。突然死亡した中年男性が初七日まで女性の姿に戻って、現実社会に舞い戻り、自分の知らなかった事実をいろいろ知るというストーリーです。いわゆるユーモア小説の類と言えましょう。軽いノリで書いており、一貫して読み応えのない作品なのですが、最後になんとなくほろりとさせられるのは、やはり隠れたテーマが家族愛にあるからかもしれません。まあでも、それくらいしか拾うところは見つかりません。映画もTV放映で観ましたが、ストーリーも配役もぼろぼろです。B級映画にも入れられない駄作でした。本当はここで取り上げる必要もない本なのですが、最近読んだ本を忘れがちなので、記録のためだけに書いておきます。(2009.3.9)

249.中村政則『戦後史』岩波新書

 学生たちにも読みやすい戦後史を学べる適度な本がないかなとずっと探していたのですが、この本はなかなかいい線を行っています。戦後史を知ることは、現代社会について考える上で不可欠な知識ですが、60年以上の期間について語ることになりますから、どうしても大部の著作になったり、一部を取り上げたりということになりやすいのですが、この本は一応バランス良く戦後史を押さえることのできる内容となっています。索引、年表、参考文献も新書としては充実しており、よい本だと思います。ただ、難点を言えば、19451990年までは通史を書くという姿勢をきちんと保持していて偏りの少ない叙述になっていますが、1990年以降の現代史と言える時代に入ってくると、まだ一般的評価が定まっていないために、著者自身の政治的立場がかなり強く出てしまっています。現代史の部分は、他の立場の人が書いたものも併せて読まないといけないだろうと思います。(2009.2.28)

248.大下英治『政商 昭和闇の支配者 2巻』だいわ文庫

 田中角栄元首相が逮捕されることになったロッキード事件で有名になった小佐野賢治の生涯をたどった本です。私は、小佐野賢治に関しては、ロッキード事件の証人喚問で「記憶にございません」と言い続けた怪しい「政商」というぐらいの知識しか持っていなかったので、今回たまたまこの本を見つけて読んでみることにしました。ロッキード事件で、多くの人は「政商」とか「フィクサー」と呼ばれる存在がいるのだということを知ったのですが、その詳しい実態はよくわかっていません。ロッキード事件の場合は、児玉誉士夫が「フィクサー」で、小佐野賢治が「政商」、そして関与した政治家は田中角栄ということになります。児玉誉士夫は戦前からのヤクザでありまさに裏社会の人間ですが、小佐野賢治は、国際興業という会社を興し企業買収を巧みにしながらのし上がってきた経済人です。山梨の貧困な小作農家の長男に生まれ、自らの努力と才覚で、財を築き、元華族の美しい女性を妻とした、功成り名遂げた昭和の立志伝上の人物とも言えるようです。もちろん、のし上がっていくためには、様々な手段を利用しており、それは現在では許されないような手段もたくさんありますので、清廉潔白な人物とはとうてい言えませんが、少なくともロッキード事件で作られた悪人という印象はなくなりました。ロッキード事件を経た後にも、帝国ホテルの会長の地位にまで上りつめており、小佐野賢治にとっては、ロッキード事件は小さな贈賄事件のひとつにしか過ぎなかったのかもしれません。しかし、もしもあの事件も明るみに出ていなければ、「政商」ではなく、「財界の大物」と呼ばれる地位にまで上りつめていたかもしれないという気もしますので、やはりそれなりに打撃を被ったと見ることも可能かもしれません。それにしても、この大下英治という作家の本は何冊か読んでいますが、読むたびに思うのは、この作家はよい素材を殺してしまう才能のない人だということです。難しいことは全然書いていないのに、なんか読みにくい本です。まあ丁寧な取材と鋭い切り込み方をせずに、功成り名遂げた人のあいまいな「よいしょ本」を乱造して需要を得ている作家なのですから、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれませんが。もっと力のあるノンフィクション作家が書いたら、小佐野賢治はもっとおもしろい伝記になる人物だと思いました。(2009.2.27)

247.平野貞夫『平成政治20年史』幻冬舎新書

 小沢一郎の懐刀と言われた元参議院議員が書いた平成政治の裏話です。この著者は1960年から衆議院事務局に勤務し、国会の裏の裏までよく知り、人脈も広かったために、1992年に参議院議員となってからは、新人議員にも関わらず、重要な水面下の政治にしばしば関与したようです。特に、小沢一郎に重用され、自民党、新生党、新進党、自由党、民主党と、常に小沢一郎とともに行動した人ですので、小沢一郎が関わる政局の話は詳しくおもしろく読めます。2004年にこの著者が政界を引退するまでの12年間は、ちょうど小沢一郎を中心にして政党が作られたりなくなったり、連立政権ができたり壊れたりした時期ですので、その内部からの証言として興味深く読めます。もちろん、あくまでもこの著者と小沢一郎にとって都合の悪い話はかなり隠されているでしょうし、様々な政治家の評価もその時々で見方が変わります。一貫しているのは、小沢一郎という政治家はマスコミで流されている程、悪い人物ではないという見方です。ただし読んでいると、小沢一郎は「人間嫌い」というか「人間不信」なのではないかという気がしてきます。引退後の政治についてはやはり外部の評論家と変わらない程度のことしか書けていませんので、それ以前の永田町内部から見た政治史の部分に多少の価値のある本です。(2009.2.25)

246.梶原真治『この胸いっぱいの愛を』小学館文庫

 映画の原作用に書いたものを、原作者自身が小説化したものです。作家は『黄泉がえり』で評価を上げた梶原真治です。この小説(映画)は、完全に『黄泉がえり』の「二匹目のどじょう」を狙った作品で、その底の浅さが見えてしまうので、映画も小説もヒットしなかったのは当然だろうなと思います。しかし、軽いちょっと不思議な話が好きな人なら、それなりに読めると思うかもしれません。ストーリーを簡単に紹介しておくと、2006年から20年前の1986年にタイムスリップした主人公をはじめとする何人かが、1986年という年にしたかったこと、すべきだったことをなし、その結果として2006年に戻った時にどうなっているかという話です。あまり書きすぎると、ネタばれになってしまいますので、この辺までにしておきます。ちなみに、私の新刊(『不安定社会の中の若者たち――大学生調査に見るこの20年――』)も、1987年から2007年の大学生の変化を扱っていますので、ちょうどこの小説の設定とほぼ同じ時間差を扱っていることになります。この小説を読んで改めてこの時期の20年というのも、やはりそれなりに昔に感じるものなのだなと思いました。最後にもう一言。映画の主役は伊藤英明とミムラでしたが、原作のイメージとはまったく合っていませんでした。(2009.2.24)

245.(映画)デビッド・フィンチャー監督『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年・アメリカ)

 見応えのある映画です。80歳で生まれて徐々に若くなっていく不思議な男の物語です。3時間近い長い映画ですが、次はどうなってくのだろうと物語に引き込まれ、長くは感じません。見た目が老人であった幼少期に出会った少女と運命的な恋をしますが、男は若返り、女は老いていくというカップルが、普通のカップルのように穏やかに人生をともにしていくことはできません。果たして、2人の愛はどうなるのかというストーリーです。ストーリーも興味深いのですが、特殊メイクやCGを駆使したブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの年齢の変化に合わせた顔や体の変化に、目を引かれます。特に老けさせる方はよくあるので、それほどびっくりしませんが、18歳くらいになったブラッド・ピットの美青年ぶりは見ものです。CGを使いすぎた映画は嫌いなのですが、こういう形での巧みな使い方なら評価できます。最後に、この映画を見終わると、歳を取って徐々に老いていくという普通の人生でよかったなと思います。年齢不相応に若返るなんて夢は見ない方がいいんだなと気づきます。(2009.2.23)

244.北原亞以子『東京駅物語』新潮文庫

 人情時代物の名手が、明治初頭から昭和21年までの東京駅で小さな接点をもった人々をそれぞれ主役にした連作短編小説です。北原亞以子の文章はわりと好きですし、東京駅が造られる前の時代から戦後の混乱期まで、東京駅とその周辺の町の変化なども折り込みながら、そこでほんの少しすれ違った人に焦点を当てていくという凝ったプロットはプロ作家の意欲的な試みとして評価できるのですが、総合評価としてはもうひとつという感じでした。個々の登場人物に魅力が足りないこと、そしてもう少し登場人物間の接点を増やして欲しかったなという気がしました。実際に書かれた程度の接点でもフィクション(嘘っぽさ)を感じさせてしまうのですから、それなら徹底してやってもらって、最終章の登場人物が最初の章の登場人物と実は深い関係にあったというようなオチがほしかったなと思いました。なるほど、そことそこをそうつなげたかといった感動をもっと与えてくれたら、さすがプロの仕事と評価できたのですが……。北原亞以子が推理小説も書く人なら、必ずそこまでやったのではないかと思います。(2009.2.22)

243.垣根涼介『君たちに明日はない』新潮文庫

 山本周五郎賞受賞作と書いてあったので、知らない作家でしたが、読んでみました。なるほど、なかなか人間を描くのが上手な作家です。短い歯切れの良い文体で、非常に読みやすい小説です。主人公はリストラを専門に行う会社に勤める33歳の男性で、彼と、彼がリストラ対象として出会った人々の様々な物語が連作短編小説という形で展開されていきます。解説者も書いていますが、リストラを専門に行う会社などというものは、おそらく実際にはないのではないかと思いますが、確かにあってもおかしくないという気にさせるのは、この作家のうまさと時代を捉える嗅覚の鋭さによるものでしょう。つき合っている女性が41歳で2人のベッドシーンがそれなりに描かれるというのも、今の時代を反映しているように思いました。ちなみに、この本は2005年に単行本として出版されています。全体としては、まあまあの小説でした。(2009.2.19)

242.(映画)マイケル・マン監督『アリ』(2001年・アメリカ)

 モハメド・アリの若き日から、徴兵拒否をしてのタイトル剥奪、そして「キンシャサの奇跡」と呼ばれるタイトル奪還までを描いた作品です。黒人差別を「地」にボクシングを「図」にした映画ですが、どちらのテーマもアメリカ映画が得意とするジャンルです。それほどのレベルの作品ではありませんが、カシアス・クレイという名を捨てモハメド・アリという名に変更したことや、徴兵を拒否してタイトルとプロボクサーとしての資格を剥奪された経緯など、歴史的事実を確認できるという意味で、個人的には見甲斐がありました。(2009.2.15)

241.福沢諭吉『新版 福翁自伝』角川ソフィア文庫

 有名な自叙伝ですが、最近なんとなく目についたので、読んでみました。「こんなに愉快な読み物はない」(小泉信三)、「この本が一冊でも多くの国民に読まれるのはいいことである」(大内兵衛)、「およそ日本で書かれた伝記文学の中で、『福翁自伝』ほど面白くてためになる作品を私は知らない」(「解説」より)と高く評価されていますが、私はそこまでおもしろくは読めませんでした。若き日の苦闘時代の話や、子どもには体育こそまずは必要で勉強なんかさせない方がいいといった教育論や、自分が政府の役人にならなかった話から役人批判を展開していることなどは、なかなか興味深く読めましたが、全体としては、功成り名遂げた人は、自叙伝も好きなように作れるものだなというのが、もっとも強く抱いた感想でした。自叙伝では、当人にとって都合の悪いことは書かれませんので、やはり伝記なら、丁寧な取材をしたノンフィクション・ライターによるものの方が読み応えがあります。(2009.2.14)

240.梁石日『血と骨()()』幻冬舎文庫

 昭和初期から昭和40年代の終わり頃までを大阪猪飼野の在日朝鮮人集落で生きた、ある在日1世を主人公にした物語です。主人公は、超人的な肉体と極端なまでの自己中心的な考え方の持ち主で、彼に関わったほぼすべての人が不幸になると言ってもよいような人物です。この主人公のモデルは、著者の父親だそうですが、よくここまで書いたなという感慨を持つほど、すさまじい人物として描かれています。小説として書いていますので、もちろんデフォルメはしているのでしょうが、これといったオチのない終わり方やストーリー展開上必ずしも必要と思えない叙述、重要人物の末期のあっさりした描き方などから推測すると、かなり実話に近いのではないでしょうか。計算された起承転結のない小説なので、読後感はやや肩すかし気味になりますが、昭和という激動の時代を、在日朝鮮人がどう生きてきたか(生きなければならなかったか)について生々しく知ることができ、なかなか興味深い小説でした。(2009.2.13)

239.篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHKブックス

 「DNAから解明するその多元的構造」という副題を見ると中身がわかると思いますが、要するに近年急速に進歩しているDNA解析技術を使って、日本人のルーツを探ろうという本です。さぞや見事に解明してくれるのだろうと期待して読んだのですが、そういうわけにもいかないようです。塩基配列の割合から見て近そうな集団を特定できるだけなので、従来の形態学から語られてきた日本人起源説とそれほど違う結論は出ていません。主題においては少し不満を残す本でしたが、より大きな人類の誕生と移動の話としてはおもしろかったです。DNAの分析からすると、現代の人類は、今からわずか7〜6万年前にアフリカを出て世界各地に移動していったのは確実だそうです。人類の誕生は200万年ほど前と聞いていましたが、それはネアンデルタール人や北京原人と呼ばれる先行人類で、現在の人類とは血縁関係にはないのだそうです。ゴリラやチンパンジーと700500万年ほど前に別系統になったように、ネアンデルタール人とも7050万年前に別系統になったのだそうです。しかし、200万年前から世界各地に移動しそれなりに生きのびてきた先行人類がすべて絶滅して、わずか7〜6万年前にアフリカを出た新人類(それも150人程度とまで記されています)の子孫が世界各地に散って、5000年前頃にはかなり強大な国家組織を作り上げたというのは、信じられないほどの長足の進歩です。最近100年の変化もものすごいですが、肉体以外に何も持っていなかったであろう現在の人類の祖先がわずか7万年程度で地球の隅々まで行き渡ったということの方が驚きとも言えるような気がします。(2009.2.10)

238.宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社

 あまり同業者の本は、このコーナーでは取り上げないようにしているのですが、一般書のように書かれた本ですし、「社会学の伝道師」を自認する私としては、やはりどうしても気になって読んでしまいましたので、一言述べさせていただきます。著者は現代日本の社会学者の中でもっとも有名な人の1人で、彼がTVなどによく出ることによって社会学という学問が以前より知られるようになったという見方もあるぐらいです。そういう著者が書いたこのタイトルの本ですから、やはりよく売れるようで、一月半で4刷までいっています。すごいものです。ただし、この本の内容からすると、実際に14歳は買って読んでいないでしょうし、万一読まされたとしても最後まで読み切れないでしょう。レベルから言うと、勉強する気のある17歳以上くらいからようやく読める本だと思います。著者が本気でこれを14歳向けと思って書いたのだとしたら、ちょっと今時の14歳のことを知らなさすぎると思います。まあ、『13歳のハローワーク』の「二匹目のドジョウ」を狙って付けたタイトルでしょうから、本気で14歳向けとは考えていないとは思いますが……。で、17歳になら読ませたい本かと言えば、まったくそんな本ではありません。この本を読んで社会学がわかったという人はいないでしょうし、いても困る気がします。これはどの程度社会学的視点に基づいた本なのでしょうか。まあ著者とすれば100%なのでしょうが、私の社会学観からすると20%くらいです。著者と私の社会学観の違いかもしれませんが、この本を読んで社会学をやりたいと思いましたという学生が現れたら、私は指導に困惑すると思います。(でも、喜ぶ社会学者も結構いそうですが……。)また、歴史を知ることが大切と言いながら、著者が「昔」という言葉を安易に使うのが気になってなりませんでした。しかし、そうした細かい印象よりも、この本を読んで一番強く抱く印象は、この著者の「俺ってすごいだろ?俺が小室直樹や廣松渉に感染したみたいに、君たちも俺に感染してみないか?」という自信満々な態度でしょう。そこを「格好いい」と思う人は、この本を肯定的に評価するでしょうし、「鼻につく」と思う人はまったく評価できないと思います。基本的に読み甲斐のない本でしたが、後半の方になって、著者の家族愛に満ちたエピソードがたくさん出てくるのが、個人的にはもっとも興味深かったです。14歳(あるいは17歳でも)が社会学を知るには、私の『不安定社会の中の若者たち』を読んだ方が絶対にいいと思います(笑)。(2009.2.9)

237.坂本勝監修『古事記と日本書紀』青春新書

 高校生くらいに向けた古事記と日本書紀の初歩的な解説書なのかもしれませんが、なかなか上手にまとめてあり、両書の違いも含めてよくわかる本です。日本の古代国家がどのようにできあがってきたのかを改めて考えたくなりました。以下では、この本の紹介と言うより、私の考えを提示させてもらいます。紀元前300年頃に稲作技術を持っていた集団が渡来し弥生文化が始まり、4世紀の後半に河内王朝(応神朝)が確立していたことはほぼ確実ですので、その間の650年ほどの歴史がもっとも興味深いところです。信頼に足る史実は『魏志倭人伝』に載っている、238年に邪馬台国の卑弥呼の使いがやってきたことくらいです。あとは、古墳からの出土品と神話等から推測しないといけません。神話はそのまま歴史ではありませんが、なんらかの歴史的事実を反映していることも多いはずです。古事記・日本書紀から、われわれは何を読み取ることができるでしょうか?私の推測は、ほぼ「私説・日本人の起源」に書いた通りですが、今回この本を読みながら、少し修正を加える点があるなと思ったのは、出雲政権と大和政権の関係です。第1次大和政権(崇神朝)の本拠である奈良県櫻井市にある「大神(おおみわ)神社」は日本最古の神社とも言われるのですが、この神社は出雲神話につながる大国主神によって造られているので、出雲政権と第1次大和政権は非常に良好な関係にあったと考えるべきだという点です。高天原と出雲の戦いは両書に記されているので、戦いはあったはずですが、それはすでに奈良県櫻井市あたりにできあがった第1次大和政権と出雲政権の戦いではなく、九州にあった「ヤマト?」政権と出雲政権の戦いと考えた方がいいように思います。実際、この戦いが終わった後に「東征」の話が出てきます。ここで初めて九州から奈良へと「ヤマト?」政権は移動を開始するわけです。その時には、出雲の勢力はすでに味方になっていたと考えるべきでしょう。この「神武東征」とも言われるイワレビコの奈良入りは、地元の豪族ナガスネヒコに邪魔され容易に入れず、大和川を東に遡って奈良に向かうという最短ルートをとることができず、紀伊半島南端の熊野から吉野を超えて攻め入り勝利を得ることになっています。これがあったために、熊野大社は格の高さを持てたわけです。サッカー日本代表とともに有名になった3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」は、この時にイワレビコの道案内をした熊野大社の使いと言われています。いずれにしろ、邪魔されて容易に櫻井市に入れなかったということは、すでにその地にそれなりの豪族がいたということを意味します。これを倒して、櫻井市あたりに強力政権を作り、徐々に日本国中を支配下に置くための遠征(有名な話では「ヤマトタケル」のクマソ退治や東国への遠征)を繰り返したのは間違いないところでしょう。しかし、この第1次大和政権は、十分な国家統一を成し遂げる前に、あらたに北九州からやってきた馬を操る技術をもった勢力(応神朝)に取って代わられることになります(第2次大和政権)。もちろん、第1次大和政権も最後の力を振り絞って闘いますから、すぐには大和に入れず、河内に本拠を置くことになったため、仁徳天皇陵をはじめとした百舌古墳群が大阪に残されることになったのです。邪馬台国の卑弥呼は、私は「ヤマトのヒメミコ」だと思っていますので、「ヤマト?」政権と何らかの関わりは持っているだろうと思っています。時代的に言うと、「ヤマト?」政権が奈良に移ってからかどうかが微妙なところですが、『魏志倭人伝』には、卑弥呼になって、それまでの国の中の闘いが納まったことになっていますし、中国に親書を送るなどいうことは、やはりある程度の国家統一ができてからでないと難しいので、その意味では奈良に「第1次大和政権」ができてからか、少なくとも出雲政権との関係が良好になって以降のことだと思います。古代史は書き出すとキリがありません。本の紹介の範域をすでに大幅に逸脱していますね。今回はこの辺でやめておきます。(2009.2.8)

236.陰山英男『娘が東大に合格した本当の理由』小学館新書

 第1部は「百マス計算」で有名な教育者/教育評論家の著者が、次女が1浪して東大に合格するまでの話を書いたもので、第2部はその当人が受験体験記を書いています。おそらく子どもが東大を受験し合格した家族なら誰もが「この程度の話はうちでも書ける」と思う程度の内容ですが、学力向上の指南役と目され、安倍内閣肝いりの「教育再生会議」のメンバーとして日本の教育方針への影響も持った著者だけに、娘さんが東大に入ったことは、自らの教育方法論の成果ともみなされるために、特に嬉しかったようです。教育再生会議の報告書に、しきりに「朝ご飯をきちんと食べること」「生活習慣を身につけさせること」が大事だと述べられていますが、この本を読むと、この著者の主張が反映されたことだということがよくわかります。本書でも、如何に自分自身と自分の子どもたちがそういう環境で育ってきたかということが繰り返し述べられます。まあ確かに、そうした生活習慣がきちんとした子は成績もよいでしょうが、社会学的に見ると、それは因果関係ではなく相関関係にすぎないと思いますが……。日常生活はきちんとしておいた方がいいのはもちろんですし、カルタの利用、読書のすすめ、反復学習の大切さなど、著者の教育論は当たり前のことを言っているだけです。なんで、彼が凄腕の教育者のように言われるようになったのか不思議な気がするほどです。しかし、全体としては、著名な教育者/評論家も、家庭ではただのお父さんにすぎないという印象を与えるように書いていますので、それほど鼻にはつかないのが不幸中の幸いです。ちなみに、著者の娘さんが東大に合格した本当の理由は、要するに彼女がよく勉強したということに尽きると思います。(2009.2.7)

235.(映画)フィリダ・ロイド監督『マンマ・ミーア』(2008年・アメリカ)

 舞台で演じられたミュージカル「マンマ・ミーア」は、1999年にロンドンで初演を見、2005年に劇団四季版を見ました。前者はスタンディング・オベーションをしましたが、後者は日本語で歌われるアバの曲に今ひとつ入りきれず幾分がっかりしました。映画はきっと大丈夫だろうと思いおおいに期待していたのですが、ある雑誌で映画評論家がメリル・ストリープや元007役だったピアース・ブロスナンの歌と踊りは「痛い」と書いてあるのを読んでしまったため、半分期待・半分疑念を持ちながら見てきました。最初のうちは、確かにメリル・ストリープが20年前に情熱的な恋をして娘を生んだ年齢の母親に見えず、確かにこれは「痛い」かもしれないと思いながら見ていました。しかし、ベッドで飛び跳ね、女性たちを引き連れて桟橋に踊りに行く場面あたりから気にならなくなってきました。歌もそれなりに聞けます。(ピアース・ブロスナンの歌は確かに少し厳しかったですが……。)最後の方では、あのメリル・ストリープが本当にかわいい女性に見えてきました。終わった時には、拍手をしたくなる快作でした。私の隣で1人で見ていた60歳代後半とおぼしき男性も、最後は指でリズムをとっていたぐらい、はまれる映画です。見て損のない映画です。ちなみに、もしも日本のミュージシャンの音楽で、こういうミュージカル作品を作るなら誰がいいかなと考えてみたのですが、松任谷由実が一番いいのではないでしょうか。真似が得意な日本人ですので、いつか「ユーミン・ミュージカル」を作る人が出てきそうな気がします。(2009.2.6)

234.山田宗樹『嫌われ松子の一生()()』幻冬舎文庫

 映画化されたものの予告編か何かをどこかで見て、てっきりユーモア小説の類だと思っていましたが、まったくユーモア小説ではありません。小さなつまずきが重なってどんどん不幸になっていく女性の物語です。フィクションなのでしょうが、似たような人生を送った女性はいたのではないかと思えます。読んでいると、主人公の川尻松子という女性に対して、狂言回しである甥の川尻笙と一緒に優しい気持ちを持つようになっていきます。ベタな大衆小説ですが、結構読ませます。大衆小説としては成功している作品と言ってよいかもしれません。(2009.2.4)

233.石渡嶺司・大沢仁『就活のバカヤロー』光文社新書

 主タイトルの「就活のバカヤロー」と副タイトルの「企業・大学・学生が演じる茶番劇」という一見おもしろそうなタイトルに引かれ、購入し読んでみましたが、中身はどうということもありませんでした。学生、大学、企業、インターンシップ、就職情報会社で行われていることを批判するようなスタンスを取りつつ、結局「就活マニュアル本」として売れることをめざした本です。しかし、2ヶ月で5刷まで行っていますので、売れる本を作るという狙いは見事に達成している本と言えるでしょう。タイムリーな時期に、目を引くタイトルで、買いやすい値段の本を出せば売れるという戦略通りの本です。就活中の人は、今はワラをつかみたい気分でしょうから、つい読んでみたくなるかもしれませんが、読まない方がいいと思います。きっとどうしたらいいかわからなくなるだけですので。就活の終わった人なら読んでもいいと思いますが、たいしておもしろくありません。そんじょそこらの「就活日記」とたいして変わりません。「就活」ねえ……、まあ気にはなるでしょうね。でも、「ローマは1日してならず」と同じで、人間も短期間で急に魅力的になったりしません。マニュアル本を読んで演じきれるほど社会と人生は甘いものではありません。「就活」に勝利しても、次は「婚活」が待っています。その次は「育活」(子育てに関してマニュアル本を読んだりして必死になること。今作った私の造語ですが、誰かどこかで言っていそうな気もしますね)でしょうか?つまり、就活に勝利したからと言って、その後の人生のすべてが決まるわけではありません。ワークライフバランスだって、企業が与えてくれるものではなく、自分で作り上げるものです。年齢とともに人としての魅力を増し、楽しみを増して行くのだという気持ちを持ち続けてさえいれば、きっとなんとかなりますよ。(2009.2.3)

232.折原一『異人たちの館』講談社文庫

 こういうのが「本格ミステリー」と言うのでしょうか。要するに、テーマなどはなく、パズルみたいな小説を作りたいだけなんですね。まあそれでも出来のよいパズル(たとえば、伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』(194)など)なら、読み終わった際に満足感もありますが、下手くそなパズルではピースを無理矢理はめ込んでいるようで、まったく納得が行きません。この小説はまさにそんな小説です。あり得ない設定、強引な展開、そしてこの小説がもっともだめなところは、人間が描けていない点です。主役級の人物のキャラクターが一貫していません。あとがきを読むと、この作家はこういう「本格ミステリー」ばかり書いているそうですので、もう読むことはないと思います。才能のない作家です。(2009.1.31)

231.関西大学学生広報スタッフ企画・編集「関大生の恋愛事情」『関西大学通信』第359

 発行されたばかりの我が大学の広報誌におもしろい記事が載っていたので、紹介しておきます。インフォメーションシステムを通して調査を行い、381人(男性140人、女性241人)から回答を得た結果だそうですが、「へえ〜、今の大学生はこんな恋愛をしているのか」とちょっと驚きました。一番驚いたのは、「現在の恋人と結婚したい」と回答した人が61.2%もいたことです。卒業した教え子たちを見ていると、実際に大学時代につき合っていた人と結婚した人は1割いるかいないかではないかと思いますので、6割を超える割合はかなり驚きでした。10年前もこんなにいたでしょうか?安定志向、結婚志向が強まっていることの表れなのかもしれません。次に驚いたのが、メール送信数です。日に10通以上が42.3%もいます。その内訳は、10通程度が24.4%、30通程度が14.5%、50通以上送るという人も3.4%もいます。10通でも一体何を書くのだろうと想像もつきませんが、50通ってすさまじい数ですね。やはり現代の恋愛にはメールが欠かせないようです。あと、恋人がほかの人とデートすることを許せないと考える人が59.8%しかいません。状況によるという人が32.8%、許せるという人も7.4%います。なんで許せないという人が限りなく100%に近づかないのでしょうか。「許せる」はもちろん、「状況による」ってどういう状況なら恋人以外の人とデートしてもいいのでしょうか。不思議です。嬉しかったプレゼントでは、「車」「200万円の時計」というのもあったそうですが、これは少しマユツバのような気がします。最後に、キャンパス内のおすすめデートスポットに「社会学部の最上階から見える梅田周辺の夜景」というのもあったそうですが、そこは社会学部教員の研究室が並んでいるところですので、デート気分を教員に妨げられるかもしれませんので、あまりおすすめではないと思いますよ(笑)(2009.1.28)

230.貫井徳郎『修羅の終わり』講談社文庫

 久しぶりに貫井徳郎の作品を読みましたが、一言で言うと790頁の大駄作です。『慟哭』(No.72)、『神のふたつの貌』(No.141)と同様、著者得意の「叙述トリック」を使ったミステリーで、3人の主人公の物語が平行して進みます。最後はこの3つの物語をどんな風に結びつけてくれるのだろうと期待しながら読み進めたのですが、「なんじゃ、これは!」と腹が立つ終わり方でした。文庫本の裏表紙には、「驚愕のクライマックスへ」と書いてありましたが、「唖然、呆然」という意味の「驚愕」なのかい!とツッコミを入れたくなりました。何も解決されません。主題すらよくわかりません。ひどい小説です。こんなものを790頁も書けた著者の鈍感さに「感心」します。このぐらい鈍感だと、どんどん作品も書けるのでしょう。しかし、こんな作品ばかり書いていたら、いずれ読者に見放されると思いますが……。ちなみに、この小説に出てくる警察関係者はすべて極悪人ばかりなのですが、あまりにひどすぎないでしょうか。警視庁や警察庁は、この小説に異議申し立てをしないといけないのではないかとまで思ってしまいました。いくらフィクションとはいえ、ここまでめちゃくちゃに書かれて何も異議申し立てをしないなら、これが実態なのかと疑いたくなってしまいます。(2009.1.27)

229.乃南アサ『ピリオド』双葉文庫

 サスペンスの名手である乃南アサの小説で、殺人事件も起こるので、推理物なのだろうと思って途中まで読み進んでいましたが、読み終わってみると純文学でした。「ピリオド」というタイトルはあまりしっくりしません。本の裏に著者の紹介のような文章が掲載されていて、そこには「人は人生にいくつかのピリオドを打ちながら進んでいく」という一文がありますので、これがこのタイトルにした理由でしょう。しかし、この物語の終わり方では決してピリオドが打たれたような印象は持てません。また、同じようなことが繰り返されるのだろうと嫌でも思ってしまいます。この作品のテーマをわかりやすくタイトルにするなら「Home & Death」です。「Home」には人のつながりとしての家族(Family)と物理的な建造物としての家(House)とが含まれますが、この作品では後者の比重が重いのが特徴です。「Death」も人の死だけでなく家の死も詳しく語られます。こうした焦点の当て方をすることによって、この作品は純文学的になっているのだと思います。映画が撮りやすそうな小説なのですが、ヒットする映画には決してならないでしょう。哲学的、あるいは芸術的な作品として評価は得られそうな気はします。(2009.1.23)

228.松尾浩也『来し方の記――刑事訴訟法との50年――』有斐閣

 全然畑違いの本を紹介させてもらいます。著者の松尾浩也先生は、東京大学名誉教授で学士院会員にも選ばれている刑事訴訟法の大家で、この本は著者が自分の人生を振り返った「私の履歴書」のような本です。実は、松尾先生は私の父の旧制五高の1年後輩にあたり、父が亡くなった時に、弔辞を読んでくださった方です。今回、この本に出会ったのもその弔辞がきっかけです。父親の名前(片桐大自)でネット検索をしていたら、この本がヒットしたのです。なんとこの法学の大家が、ご自分の履歴書のような本に、父に向けた弔辞をそのまま載せてくださっていたのです。父の一周忌に作った『紫風記』という私家本に弔辞を載せさせていただいたのですが、その私家本からの転載という形で掲載してくださっています。弔辞の中には、私の名前の話も出てきます。母の話では、私が大学に受かって週刊誌に名前が掲載された時(昔の週刊誌はそんな情報も流していました)、「片桐」という名字と「自」がついているので、たぶん息子だろうと思って、松尾先生は連絡を取ってきてくださったそうです。名前という記号はいろいろな役割を果たします。それはともかく、早速購入して、せっかくですからすべて読ませていただいたのですが、個人的にはとてもおもしろかったです。九州で過ごされた子ども時代から旧制高校時代の思い出は、同じ九州出身で同世代の父の子ども時代・青春時代に重なります。戦時中の軍事教練や勤労動員、戦後の学制改革と消えゆく旧制高校の寮の歴史を残そうとした本作りの話(ここが著者と父の接点になっています)、理系からの文転、九州から東京への上京まで、著者と父は同じ道をたどっています。戦時中、戦後の青春時代がよくわかります。その後、著者はミシガン大学に研究のために行かれており、ミシガン大学があるアナーバーの思い出を書いていますが、私もミシガン大学には半年いたので、とてもなつかしかったです。また、東大紛争のあたりも興味深く読ませていただきました。全体を通して、著者の誠実な人柄がよく表れていて、こういう方が人望を得て、高い地位にも就かれるのだなと納得できました。もちろん、本書は刑事訴訟に関わる方が読んだ方がより得るものが多いと思いますが、私にとっても十分おもしろい本でした。(2009.1.17)

227.(映画)佐藤祐市監督『キサラギ』(2007年・日本)

 いやあ、久しぶりに、おもしろい映画を見ました。評判のよい映画とは聞いていましたが、予想以上です。これは見事な作品です。日本でもこんな映画ができるんですね。演出も役者さんもいいですが、古沢良太の原作・脚本がこの作品の最大の魅力です。あまりによくできたストーリーなので、もともと小説か芝居用に書かれたものかなと思いましたが、この映画用に書かれたオリジナルのようです。あまりよく知らなかったので、調べてみたら、あの『Always 三丁目の夕日』も監督の山崎貢とともに脚本を書いている人でした。ものすごく才能のある人です。今後は、彼の原作・脚本なら、必ず見に行こうと決めました。そのぐらい素晴らしいです。たぶんストーリーだけなら、『Always 三丁目の夕日』よりも、この作品の方が上です。喜劇でありながら、推理物になっています。B級(C級?)アイドルの謎の死を5人のファンが集まって解いていくというストーリーなのですが、いろいろな伏線を散りばめておき、後半で次々に処理していって、見ている人間を納得させてくれます。途中から、「おお、そうきたか!」「なるほど」「やるなあ」と感嘆しきりでした。三谷幸喜の後継ぎは、古沢良太で決まりでしょう。脚本があまりに素晴らしかったので、そのことばかり書きましたが、演出もいいです。死の謎解きとともに、もうひとつ見ている人間が気になって仕方がないことを、最後にきちんと解消してくれるので、もやもや感が残らずに済みます。(他方で、別の意味でがっかりしたりもしますが、それはそれでまた納得できたりします。)そして、5人のファンを演じた役者さんたちがこれまた素晴らしいです。この作品は、いつか舞台化もされると思いますが、その時はぜひこの5人にそのままやってほしいと思うぐらいはまっています。それぞれ実にいい味を出しています。推理物的な要素が重要なので、これから見る人の楽しみを奪わないようにあまり詳しい内容は書きませんが、絶対お薦めです。お暇があったら、ぜひ見てください。満足できると思いますよ。(2009.1.9)

226.(映画)滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008年・日本)

 ずいぶん評判が良さそうだったので、見に行ってみましたが、評判通りの好作品でした。故郷・山形に戻って納棺師という陽の当たらない職業に偶然ついた主人公(と妻)が、人の死というものをきちんと受け止められるようになっていく物語です。納棺師が、亡くなった人に装束を着せ、化粧をし、納棺する場面が幾度も出てきますが、見事な様式美になっています。それは悲しい美しさで、演技であることがわかっているにもかかわらず、私は何度も涙を流してしまいました。しかし、決してつらい悲しい映画ではなく、人に対する思いが静かな優しさとして、じわっと胸に染みこむ映画です。主人公の前職がチェロ奏者という設定だったので、全編を通して、チェロの美しい音色が流れるのが効果的で、また素晴らしいです。観客は中高年の年配者が多かったですが、若い人にもぜひ見てほしい映画です。久しぶりのお薦め作品です。(2008.10.4)

225.中村彰彦『いつの日か還る――新選組伍長島田魁伝――』文春文庫

 副題にある通り、新選組で監察や伍長を勤め、明治33年まで生きた島田魁の伝記小説です。数年前に放映していたNHK大河ドラマの「新選組」では、照英というタレントさんが演じていた役です。近藤、土方、沖田といったスター的存在と比べると、非常に地味な存在ですが、新選組が壬生浪士隊と言っていたもっとも初期段階から参加しており、最後の函館五稜郭の戦いまで加わり、そして明治30年代まで生きたという人生は、1冊の本の主人公として焦点を当てるに値するだけのものがあると思います。この著者は、歴史小説の巧みな書き手で、どの小説もそれなりに読ませます。本書もうまく書けていると思いますが、唯一気になるのが、新選組のほとんどすべての活動に関わっていた島田魁が、降参し拘留された後も死罪にならず、明治5年という幕末の記憶も鮮やかなうちに許されたのはなぜなのかが、まったく書かれていない点です。新選組は明治を作り上げた権力者たちにとっては、仲間を多数殺害した恨み骨髄の相手のはずです。島田魁もその経歴と巨大な体躯(182cm169kg)から、よく知られた存在であったはずです。新選組の他のメンバーで明治まで生き残った永倉新八や斉藤一は、名前を変えつかまらないようにして生き延びたわけであり、つかまった島田魁の赦免は不思議でなりません。(2008.10.1)

224.乾くるみ『Jの神話』講談社文庫

 最初のうちは、女学園を舞台にした殺人事件の謎を女探偵が解いていく軽い推理小説かと思っていたら、途中からホラーというかグロテスクというか、うーん、こんな小説は一般書として売っていいのかなと思うような展開になっていきます。こんな展開は誰も予想ができないでしょうから、推理小説としては成功ということになるのでしょうか。しかし、科学的にありえない設定なので、こういう無茶な設定を可とするなら、どんな予想外な展開も可能になるでしょうから、私は邪道ではないかという気がします。おもしろくないこともないですが、読後感はかなり悪いのではないかと思いますので、あまりお薦めできません。(2008.9.20)

223.志水辰夫『行きずりの街』新潮文庫

 1991年度に「このミステリーが凄い!」でベスト1に輝き、日本冒険小説協会大賞受賞作だというので、それなりにはおもしろいのだろうなと多少期待して読んでみたのですが、まったくおもしろくありませんでした。「ミステリー」なのか「冒険小説」なのか知りませんが、いずれにしろこの手の小説なら、最初はつまらなくても最後はどうなるのだろうと期待感が増していくものです。なのに、私は最後の20頁を残して寝てしまいました。翌朝、残りの20頁を読みましたが、なんのどんでん返しもありませんでした。わずか350頁の文庫本なのに1週間も持ち歩いていました。なんで、この小説が賞を取れるの?とクエスチョンマークだらけで終わってしまいました。ハードボイルド小説の一種なのでしょうが、この手の小説はこんなレベルでもいいんですかね?ストーリーは、教え子との恋愛・結婚を非難され、離婚し東京を追われ地元に戻った主人公は、地元の教え子が行方不明になったため、東京に探しに出てきて、以前勤めていた学園の裏事情に巻き込まれながら、教え子を救い、かつての教え子である元妻ともよりを戻すというような物語です。この登場人物を使うなら、最初の教え子である女性との関係を前面に出して物語を作った方が魅力的になりそうな気がしました。まあ読むのは時間の無駄のような作品です。(2008.9.3)

222.安倍晋三『美しい国へ』文春新書

 福田康夫が総理になって約1年が過ぎましたが、最初は安定感がありそうで期待されたものの、結局調整的なことしかできず、政治家として一体何をやりたいのか、国民にまったくわからず、どんどん内閣支持率が落ちる1年でした。こんな時に、その前に前代未聞の内閣投げ出しをした前総理が、一番勢いのあった総理就任直前に書き、ベストセラーになった本を読んでみました。(105円で売っていたのが最大の理由ですが……。)これは、自分は政治家として何をやりたいかを示した施政方針演説のような本で、実際彼は総理になってから、この本で主張していたことをいろいろと進めました。憲法9条と自衛隊の存在には矛盾があるという主張は憲法改正も可能にする国民投票法としてその一歩を踏み出し、全国学力テストの実施や教員免許の更新制も導入しました。考えてみると、今の福田総理と同じ約1年しかその席にいませんでしたが、安倍総理はやろうとする方向は明確に出し、実際にやった総理だったと言えるでしょう。お坊ちゃん育ちで精神的にひ弱だったために、苦境を乗り切れませんでしたが、やる気は今の福田総理の何倍もあったんだなと、本を読みながら思いました。内容的にも、そんなにおかしなことは言っていないと思います。ブレーンが指導はしているでしょうが、「郵政民営化」にしか興味がなかった前々総理よりは全体的なバランスは取れていると思います。しかし、日本では短期間にラディカルに改革を進めると、荒っぽい人間として見られて損をするようになっています。安倍晋三もその例に漏れなかったわけです。今の政界で偉そうな顔をしている人を見ると、政治家には厚顔無恥と言っていいぐらいのずうずうしさが必要なのでしょうが、それがこのお坊ちゃん政治家には欠けていたということなのだろうと思います。しかし、1020年ぐらい経った時に、意外に安倍内閣時代になされた改革というのが評価される日が来るかもしれません。(2008.8.22)

221.玉木正之『スポーツ解体新書』朝日文庫

 優れたジャーナリストによるスポーツ社会学の好著です。日頃当たり前と思ってあまり考えずにいるスポーツのルールや制度を、そのスポーツが誕生した社会や普及した社会の状況と関わらせて、見事に説明してくれます。たとえば、アメリカ生まれのスポーツとイギリス生まれのスポーツのルールは、それぞれの国が持つ歴史の違いを反映しています。アメリカ生まれのバスケットボールやアメリカンフットボールで選手交代がいくらでもできるのに対して、イギリス生まれのスポーツであるサッカーやラグビーではかつては基本的に選手交代ができなかったそうですが、これは先発メンバーをエリートとみなす考え方がイギリスではあったからだそうです。また、主審の権威(たとえば、試合終了時間は主審の腕時計で決まる)が前者より後者でより強いのも、絶対王政を経験しているかどうかの差だと説明されます。日本のスポーツについての分析も鋭く、欧米からのスポーツを輸入するにあたって、スポーツが持つ暴力的だったり享楽的だったりする要素を排除して、体育にしてしまったことと、体育以外の面に関しては長らく公的資金を投入してまで育てる必要があるとは認識してこなかったために、企業スポーツとしてしか育たなかったことが、日本のスポーツの特性を生んだと指摘しています。小中学校の体力テストの種目に、@懸垂・逆上がり、Aソフトボール投げ、B跳び箱があるのは、もともと軍事教練の一環として考え出されたもの(@重い銃を扱う腕力を鍛える、A手榴弾投げ、B山野を駆け回る敏捷さを鍛える)が、戦後もそのまま引き継がれてしまったのだと言われるとなるほどと思えてきます。現在やっている北京オリンピックや次のロンドンオリンピック決定の背後で動いたアメリカを中心とした国際的な政治力学などについても触れています。非常に読み応えのある本です。(2008.8.18)

220.白川道『天国への階段()()()』幻冬舎文庫

 現代版『金色夜叉』、あるいは「韓流ドラマ」のような、大メロドラマです。最初のうちは馬鹿にしながら読んでいたのですが、いつのまにかはまってしまいました。若い時に土地と家族と恋人を奪われ、犯罪に関わるほどどん底まで落ちた男が成り上がり、復讐と自らの地位を守るために、さらに犯罪を犯すダーティ・ヒーローものかと思っていたら、途中から愛に満ちた人間的な物語となっていきます。まあ単純と言えば、単純な物語ですが、それなりに登場人物は魅力的に描けているし、ストーリー展開も適度にスピーディで、悪くない小説だと思いました。非常に映像的イメージの湧きやすい物語なので、きっとドラマ化されているだろうなと思って調べてみたら、やはり2002年に佐藤浩市主演でドラマ化されていました。なぜかまったく記憶にないのですが、佐藤浩市はなかなか適役だと思いますので、ちょっと見てみたい気がします。再放送してくれたらぜひ見てみたいと思います。(2008.8.18)

219.(映画)下山天/イー・ツーイェン/チャン・イーバイ『アバウト・ラブ』(2004年・日台中合作)

 日本と台湾と中国の監督が言葉の壁を越えて引かれ合う男女を、それぞれ東京、台北、上海を舞台に撮ったオムニバス作品で、良質の青春叙情映画になっています。ただし、3つの物語の出来にかなりの差があり、伊東美咲を主演に使った第1話の東京篇がもっとも凡作で、第3話の上海篇がもっともよい出来です。第2話の台北篇も言葉の壁を直接的な小道具にしたなかなかおもしろい作品ですが、登場人物の心理が理解しにくく、物語に入り込みにくいのが難点です。第3話の上海篇のヒロインの少女の演技が一番光っています。あの少女の純粋な思いは、見ているすべての人に初恋を思い起こさせると思います。第1話は、ストーリーは漫画的ですが、「出会い」というテーマで撮られている写真はなかなかいいです。あのセンスをもっとストーリーに生かせなかったのかなと残念に思います。伊東美咲を主演に持ってきてしまったのが失敗だったのかもしれません。彼女は、あまり器用な女優さんではなさそうなので、「エルメス(=『電車男』のヒロイン)」や「音無響子さん(=『めぞん一刻』の管理人さん)」のような、現実にはまずいそうもない「天然」系の美しい女性の役ならはまりますが、この作品の役柄である画家は無理のような気がします。(2008.8.11)

218.猪貴義『生物進化の謎を解く』アドスリー

 ダーウィン展で興味を持って買ってきた本ですが、非常におもしろかったです。生物の進化について考えるというのは、すべての基本になるなと改めて思いました。ヒト属と認められる原人の最古の化石は約160万年前のもので、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿と分岐したのは400500万年前なのだそうですが、生命の誕生が35億年前、恐竜の絶滅が14000万年前だと知ると、類人猿とヒトは本当に近い種なのだと実感します。ラマルク、ダーウィン、メンデルによって19世紀に提起された進化と遺伝についての理論は、近年はDNAの分析まで行われるようになり、各種の近接性などはどんどん明らかになっているようですが、なぜ生命は誕生したのか、なぜ進化が起こるのか、なぜ大量の種が絶命したのか、本当にヒトはアフリカで誕生し、世界中に移住していったのか、これからどのような進化の未来が生じるのか、まだまだわからないことだらけのようです。社会学は誕生の時から生物学に大きな影響を受けてきたわけですが、現代においても、生物進化論から学ぶものはたくさんあるように思います。この本は、ちょうど大学の教養課程の教科書に使うのに適した本だと思いますが、こういう内容の授業なら、社会学部にあるといいなと思えるものでした。(2008.8.9)

217.企画展「ダーウィン展」(大阪市立自然史博物館・2008.7.199.21

 今、大阪市立自然史博物館で開催されている「ダーウィン展」を見てきました。来年がダーウィン生誕200年、『種の起源』刊行150年にあたることを意識して、アメリカ自然史博物館が企画したもので、1200円の入場料が高くないと思える充実した企画展です。ダーウィンの生涯、ガラパゴス島の生き物をはじめとするビーグル号での世界一周の旅で得た様々な事実、そして『種の起源』を発表するまでの思索過程と苦悩、現在に至るまでの進化論をめぐる議論などを克明に紹介しています。知っていそうで知らない事実ばかりで、知的好奇心をおおいに満足させてくれます。特に、私が「ええっ、そうだったんだ!」とびっくりしたのは、ダーウィンの祖父がすでに進化論を唱えていたことと、その祖父が高級陶磁器ブランドとして有名なウェッジウッドの創設者と親友で、ダーウィンの母親はそのウェッジウッドの創設者の娘で、妻は孫娘(つまり従姉妹)というウェッジウッド家との深いつながりです。博物学者としてのダーウィンの名を高めたビーグル号での世界一周の旅も、父親は最初反対していたのにウェッジウッド家の叔父が支持してくれたから行けることになったそうです。大英帝国の絶頂期で全世界に植民地を持っていた国の民ゆえにできた研究だとは思っていましたが、ここまで好条件を持った家庭の子だったとは知りませんでした。ちなみに、ダーウィンの孫娘は、経済学者ケインズの兄弟と結婚しています。その間に生まれたリチャード・ダーウィン・ケインズというケンブリッジ大学の名誉教授がメッセージを寄せていますが、彼にはウェッジウッド家とダーウィン家とケインズ家の血が流れているわけです。「社会ダーウィニズム」(人間社会においても、優れた者が生き残るのだという主張)は、ダーウィン理論の誤用であると述べられていますが、こういう閨閥を見ると、ダーウィン家自体が、実は「社会ダーウィニズム」を密かに信奉していて実践しているのではないかと疑いたくなるほどです。まあ、日本でも、麻生太郎の祖父が吉田茂であることは有名ですが、その妻は大久保利通の孫娘ですから、麻生太郎には大久保利通の血も流れているということを考えれば、イギリスに限らず、ほとんどの人は潜在的「社会ダーウィニスト」なのかもしれません。それはともかく、見応えのある企画です。ぜひ一度見に行ってみてください。(2008.8.7)

216.産経新聞取材班『溶けゆく日本人』扶桑社新書

 現代日本の身近な生活に起こっている様々な問題点を指摘した本ですが、「溶けゆく日本人」というタイトルはうまくつけていると思います。読んでいると、本当に、もう日本人的美徳など消え去ってしまったのだろうなと思いたくなります。目次から一部抜粋してみます。「街にあふれる家庭ごみ」「救急車をタクシー代わりに」「既婚なのに小遣い」「“代理見合い”に群がる親」「数分間でイライラ」「治らないと暴力、暴言」etc. 実際に、こんな行動をしている人は多数派ではないと思います。しかし、12%なら誤差の内ですが、12割となってくると目立ちはじめます。そして、そうした行動を取っている人を見かける機会が多くなれば、自分もこの程度のことはしてもいいのだろうと思う人が加速度的に増え、社会の暗黙のルールは変更されていきます。おそらく、普段はちゃんとした人なのに、ちょっとしたきっかけでキレてしまうという人が増えているのだと思います。「数分間でイライラ」という項目の本文に紹介されていましたが、ある調査でビジネスパーソンがいらいらし始める時間は、「総合病院30分、通勤電車5分、レジ3分、パソコン起動1分、サイト表示10秒」という結果が出たそうです。確かに、と頷く人も少ないのではないでしょうか。自分自身が被害者にも加害者にもなりやすい時代です。(2008.8.6)

215.宮部みゆき『模倣犯(1)(5)』新潮文庫

 この分量を一気に読ませたくなる物語を作れる力はさすがです。また、これだけ多くの登場人物をそれぞれ存在感のある人物として書ききれるのもたいしたものです。日本の推理小説史上に残る作品でしょう。ただし、伏線の未処理、やや都合のよすぎるストーリー、理知的すぎる登場人物など、細かいことを言い始めたらいろいろ言いたいことはたくさんあります。もともと週刊誌の連載として書かれたもののようですから、処理しきれない伏線を出してしまったり、都合の良いストーリーになってしまうのは、ある程度は仕方がないところでしょう。しかし、主犯のピースのキャラクターと動機がぼけているのと、「模倣犯」というタイトルが適切とは思えないというのは、大きな欠点だと思います。従犯のヒロミはよく書けていると思うのですが……。(2008.8.5)

214.横山秀夫『出口のない海』講談社文庫

 読みやすいですが、戦争を扱った重みや深さが出ていないというのが、率直な印象です。著者は私より2歳下で、ほぼ同世代なので、我々の世代が戦争を題材に物語を作ろうとすると、こういうものになってしまうというのはよくわかります。私自身が書いた『桜坂』も似たようなテーマになっています。戦争という大きな社会の仕組みとして生じることが、どうしても個人レベルの悩みだけに矮小化されてしまいます。もちろん、小説というものは、人間を描くことが基本ですから、個人の生活レベルの話が中心になるのは当然なのですが、戦争を多少なりとも経験した世代の作家たちが書いた作品(たとえば、五味川純平の『人間の條件』、野間宏『真空地帯』、山崎豊子の『二つの祖国』、野坂昭如の『蛍の墓』など)には、戦争のどうしようもない悲しみだったり、不条理さだったりするものが、読む方がつらくなるほど出ていて深みが違うのですが、我々戦争が終わってから生まれた世代にはどうしてもそこの感覚が書ききれません。横山秀夫は優れた作家だと思うのですが、この作品は凡作です。ちなみに、物語は第2次世界大戦の終戦間際に開発された潜水型特高兵器「回天」の乗務員になった野球青年を主人公にした話です。市川海老蔵主演で映画化されたものを見たことがありますが、原作に忠実には作っていましたが、駄作でした。「回天」の存在については、私は大学院生の頃に、実際にその訓練を受けていた恩師から話を聞いて知り、その時の印象が今でも強烈なものとして残っています。考えてみると、私たちの世代は、戦争を肌で知っていた人を親や教師に持ち、そういう話を生で聞ける立場にいたわけです。今、私たちの世代は次の世代の子どもや学生たちにどんな話をつないで行くことができるのだろうかと、ふと考えてしまいました。(2008.7.30)

213.矢口敦子『償い』幻冬舎文庫

 裏表紙の「感動の長編ミステリ」の言葉に誘われて読んでみましたが、全然感動できませんでした。どうして、こういう「誇大広告」をうつんでしょうね。まあ、私のように騙される人もいるからでしょうか?もちろん、私は古本で買ったので、定価分ほど損していませんが。幻冬舎という出版社は宣伝上手ですが、本当によい本を作る力はない出版社です。今後、幻冬舎の売り文句は「マユツバ」と思って割り引いてみておきたいと思います。という風に、出版社自体の姿勢に疑いを持たれたら大きなマイナスだと思うのですが……。それにしても、この作家は人間を書き分けられません。中学生もホームレスも看護婦さんも刑事も容疑者も、みんな同じタイプで実にベラベラとよく喋ります。すべて、作家の頭の中で人物像が作られ、それがみんな作家自身の分身になってしまっているのではないかと思います。この作家は、私より2歳年長ですが、ここまで人間を書けないというのは、現実世界でたくさんの人間とつき合っていない、かなり変わった生活をしている人ではないかと思います。ストーリーも無茶苦茶です。一人息子を急病で、妻を自殺で亡くし、大学医学部での権力闘争にも敗れ、すべてを無くし、ホームレスになった元医師が、たいしたきっかけもないのに、突然やる気満々になり、探偵の真似事をします。そして、13年前に偶然命を救った幼児が中学生となって現れ、もしかしたら、その子が連続殺人事件の犯人ではないかと疑い、自分が命を助けたことが間違っていたのかと思い、さて結末は?といった内容です。書いていて「韓流ドラマ」か、三浦綾子の『氷点』を連想してしまいました。もうこの作家の本は読まないと思います。(2008.7.26)

212.(映画)市川崑監督『東京オリンピック』(1964年・日本)

 映画が続きますが、北京オリンピックを前に、NHKBSで放映していたので、録画して見ました。昔から、この映画は芸術性が高いと評判を聞いており、一度ちゃんと見たいと思っていたので、よい機会でした。いろいろな番組でこの映画の映像が使われていますので、見たことのある映像も結構あったのですが、そういう番組では紹介されることのないマイナーな競技の選手たち、観客、沿道の応援の人々などの映像がとても興味深かったです。特に、印象に残ったのが男子マラソン(ちなみに、この頃は女子マラソンはありませんでした)の映像でした。優勝は「走る哲学者」と言われたエチオピアのアベベ選手で、彼の映像と、3位になった円谷幸吉選手の映像はよく使われていますので、見たこともありましたが、今回見ておもしろいと思ったのは、メダルどころか入賞もできなかった選手たちの映像です。給水場では立ち止まってジュースや水を飲む選手がたくさんいました。中には、3杯も飲んでいる選手もいました。歩いたり、立ち止まったり、座り込んだり、まるで市民マラソンのようでした。44年前のマラソンはとても人間的な競技です。映っている大気の汚さも印象的です。今、北京の大気の汚さを日本のメディアはこぞって叩いていますが、1964年の東京の空はもっと汚く見えます。ふらふらになって走っている選手が何人も映っていますが、マラソンという競技の過酷さ故なのか、日本の大気汚染のせいなのかは、今から思うと、その判断は容易でないように思います。まあそれはともかく、単なる記録映画ではなく、人間を描く作品にしたかったのであろう市川崑の強い思いが伝わってくる映画です。監督は異なりますが、前に紹介した『日本万国博覧会』(110参照)と、この『東京オリンピック』は、同じコンセプトで作られていると思います。『日本万国博覧会』の監督であった谷口千吉が『東京オリンピック』の制作メンバーの1人であったようですので、ある意味では当然なのかもしれませんが、それだけでなく、この6年しか違わない時代の空気が同じものを求めていたのではないかという気がします。(2008.7.25)

211.(映画)黒澤明監督『野良犬』(1949年・日本)

 時代劇のイメージの強い黒澤明が撮った刑事物です。ストーリーは、新米刑事の三船俊郎が拳銃をすられ、それが犯罪に使われたため、必死になって犯人を捜し出し、ついに逮捕するというものですが、ストーリー以上に昭和24年の東京とそこに暮らす人々が私には興味深かったです。昭和33年を舞台にした『Always〜三丁目の夕日〜』はセットとCGで東京を作り出していますので清潔感がありましたが、夏場にロケを多用して撮ったこの映画に出てくる東京には、きれいなところなどどこにもありません。人も町もみんな大汗をかきながら必死で生きています。約60年前の東京が今とはまったく違う町なのは当然かもしれませんが、人間もあまりにも違うので不思議なほどです。ラインダンサー役の淡路恵子は当時16歳だったそうですが、今の人の目から見たら、30歳近くに見えるのではないでしょうか。小さな子どもを持つ母親役の女優さんなどは、おばあさんに見えると思います。みんな本当にふけています。苦労して生きていると、人は早く歳をとるんですね。なんだか斜めから映画を見ているように思われるかもしれませんが、フィルムの映し方からすると、黒澤明もこの時代の東京とそこで暮らす人々を映したかったのではないかと思えますので、決して間違った見方ではないと思っています。まあ若い人が楽しめる映画ではないと思いますが、時代を知ることのできる映画ではあるので紹介しておきます。(2008.7.22)

210.(映画)宮崎駿監督『崖の上のポニョ』(2008年・日本)

 見終わっての感想は、「ああ、そうだ。僕は、宮崎駿作品がよくわからない人間だったんだ」でした。自分が長年研究対象としてきた鞆の浦で、宮崎駿が構想を練ったということで今回だけは楽しみに見に行ってみたのですが、やはり私は宮崎駿の世界観がよくわかりません。今回のテーマはなんなんでしょうか?海の何かを伝えようとしたような気もしますが、そこに宗介とポニョのかわいい恋がどうして必要なのか、どうして彼らの恋が実ると海が穏やかな海に戻るのか、よくわかりませんでした。考えてみると、「ハウル」も「千と千尋」も「もののけ姫」もまったく感動してないんですよね。「トトロ」、「ラピュタ」、「魔女の宅急便」はまだ見られましたが、「ナウシカ」は巨大化した虫が気持ち悪く、「紅の豚」は「はあ?」という感じでした。ジブリ作品で私が好きなのは「蛍の墓」と「思い出ぽろぽろ」ですが、どちらも宮崎駿ではなく、高畑勲が監督した作品です。(「平成狸合戦ぽんぽこ」というのも意外におもしろいと評価しているのですが、これも高畑勲作品です。)どうも、宮崎駿とは相性が悪そうです。まあ私が評価しなくても、好きな人は見に行くのでしょうから、ある程度はヒットするのでしょうね。ただ、見終わった際の観客の反応からすると、大ヒットはないと思います。なんかみんなよくわからないなあという感じのまま席を立っているようでしたので、見終わった人が他の人に「おもしろいよ」と勧めることはあまりなさそうですし、もちろんリピーターにもならないでしょう。前半の台風(津波?)の場面は、音楽の使い方などがディズニー映画の「ファンタジア」によく似ているなと思いました。最後に、私が個人的に期待していた鞆の浦との関連がどの程度出ていたかですが、これもかなり弱いものでした。これでは、この映画を通して、鞆の浦がブーム化することはないでしょう。正直に言って、ちょっと(かなり?)残念な映画でした。(2208.7.20)

209.乾くるみ『イニシエーション・ラブ』文春文庫

 裏表紙の紹介文の中に、「必ず2回読みたくなる」と書いてあったので、気になって買い、読んでみました。確かに2回読みたくなりました。途中からある程度予想はついていたのですが、さすがに完璧には読み切れませんでしたし、後の「解説文」を読むと、そんなところにも仕掛けがあったのかとかなり感心しました。目次構成もおしゃれです。80年代半ば頃に大学生をやっていた世代(ちょうど新人類世代にあたります)が、もっとも楽しめる小説だと思いますが、若い人も十分楽しめると思います。(2008.7.18)

208.三崎亜記『となり町戦争』集英社文庫

 不思議な小説です。タイトルからユーモア小説の類かなと思い、読み始めたのですが、読み終わってみると、これは純文学か社会派小説に近いような気もしてきました。少なくともユーモア小説ではありません。2つの隣り合った町が、公共事業の一種として7ヶ月間の戦争を行うことにするという奇妙な設定で始まる物語です。戦闘シーンなど一切描かれませんが、死者は確実に出ているということだけ報告されます。戦争遂行のための業務が粛々と行われます。どこで、どんでん返しがあるのだろうと思いながら読んでいましたが、最後までどんでん返しはなく、本当に戦争が行われたのだということだけ確認されます。文庫版になった際に、付け加えられた「別章」によって、著者の言いたいことは明確になっていますが、もしもこの「別章」のない状態の単行本を読んでいたら、納まりの悪い感じはより強かっただろうなと思います。非日常の典型のように思われている戦争も、いったん起こってしまえば、それは公的機関の日常的な業務として処理され、人々も当たり前のように巻き込まれていくのだということを、隣町同士の戦争という形でパロディとして描いたという位置づけも可能かもしれません。あまり似たものがない変わった小説ですが、妙にひかれます。なぜ、この作家がこんなテーマと設定を思いついたのか、非常に気になります。いずれ、この作家の別の作品も読んでみたいと思います。ちなみに、すでに映画化もされていますが、評価は低いようです。でも、この内容を映画にするのは難しいと思いますので、失敗したのもやむを得ないところだと思います。(2008.7.18)

207.白石一文『一瞬の光』角川文庫

 なんか「うーーん……」という感じの本なのですが、最近現代小説を取り上げていなかったので、自分の記憶に留めるためにも取り上げておきます。裏表紙に「混沌とした現代社会の中で必要とされるものは何かを問う、新たな物語。各紙書評で絶賛と感動の声を集めた気鋭のデビュー作」という謳い文句が書いてあり、ブックオフで100円だったということも勘案して購入し、読んでみました。読めなくはないですが、この作家が一番書きたかったテーマが何なのか、私にはよくわかりませんでした。最初は「島耕作」風の企業小説かなと思ったのですが、一部ポルノ小説のようなところもあり、最後は献身的な純愛小説のようになっています。半分ネタバレになりますが、どうせ読む人もあまりいないでしょうから書いてしまいますが、この結末からすると、現代社会の中で必要とされるのは、直感的な無償の愛なのかい?と首を傾げたくなってしまいました。38歳で大企業でバリバリ仕事をしていた男が、20歳のたまたま知り合った不幸な過去を抱えた女に、男女の愛ということでもなく気になって仕方がないって、よくわかりません。そもそも、その主役の男も、ヒロインにあたる20歳の女も、どこが魅力的なのか、私にはさっぱり伝わってきませんでした。なんで、これが「絶賛と感動」を呼ぶのか理解に苦しみます。しいて言えば、ある種の男たちの理想だからなのかもしれません。仕事でその能力をいかんなく発揮していたのに、正義感から社長に辞表を叩きつけ、知的で料理もうまく美人でスタイル抜群で上流出身の女性に深く愛されながらも、それを振って自分だけを頼りにしてくれる若い女性のために生きていくことにする。サラリーマンが現実には絶対できないことをしてくれる主人公だから、痛快だと思って評価されたのかもしれません。正直に言って私には「はぁ?」って感じでしたが。女性は絶対に共感できない小説ではないかと思います。タイトルもピンときません。(2008.7.14)

206.伊藤三男『小説・徳川三代』文春文庫

 ものすごくおもしろい本というわけではないのですが、関ヶ原前夜から家光死去までの約半世紀の間に、徳川幕藩体制が如何に作られていったか、その間の権力闘争はどのようなものであったかを、著者の推測交えて描いた大河小説です。副題に「家康・秀忠・家光をめぐる人々」とあるように、将軍たちよりも彼らの周りにいた徳川家譜代大名の権力闘争と生き方が中心になっています。組織の中で人はどう生きるべきかを自ずと考えたくなる本です。大きな山場もなく、抑えた筆調で書かれている本ですが、それなりに読ませます。歴史好きには評価される本だと思います。著者の名前をまったく知らなかったのですが、あとがきを読んで驚きました。66歳まで普通に会社勤めをして退任してから、趣味で歴史調べを始め、執筆もするようになり、この本を書き終えた時はなんと87歳になっていたそうです。そんな年齢を感じさせない的確な筆運びはたいしたものです。小説の登場人物以上に、著者の生き方に引かれました。(2008.7.4)

205.(映画)三谷幸喜監督『ザ・マジックアワー』(2008年・東邦)

 傑作です。三谷幸喜が「自分が作った映画の中で最高傑作だ」と言っていましたが、認めます。結構おもしろかった『THE有頂天ホテル』よりも、かなりおもしろいです。『THE有頂天ホテル』はまだ舞台演出的な要素が色濃く残っていましたが、これは映画でなければ表現できない作品です。ついに、三谷幸喜はプロの映画監督になったなという印象です。今年の「日本アカデミー賞」の作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞は、この『ザ・マジックアワー』で決まりでしょう。実は、三谷幸喜作品なので見に行くことに決めていたので、どういうストーリーなのか、まったく知りませんでした。「マジック」って書いてあるから、マジシャンの話なのかなと思っていたぐらいです。まったく違う話でした。素晴らしいプロットです。三谷幸喜は本当に頭がいいです。プロットだけでなく、セリフ、伏線の処理、最後の締め方、すべて納得です。セットも素晴らしいし、ほとんど非の打ち所がありません。映画を作るスタッフに対する愛もたっぷり入った作品です。久しぶりの絶賛お勧め作品です。(2008.6.27)

204.岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮新書

 東京大学で「オタク学」の講座も開き、オタクの王様という意味で「オタキング」として有名な著者が、最近の「オタク=萌え」が理解できないという問題意識から書いた本です。かつては「オタク道」を貫くためには大変な努力が必要だったのに、今の「オタク」はただ「萌え〜」だけで終わってしまっていてまったく評価できないと切って捨てています。それは、「大人」の趣味だった「オタク」が、子どものお遊びになってしまったという嘆きでもあります。本の帯に「一億総コドモ社会はなぜ生まれたのか」と書いてあるように、こうした状況が生まれたのには社会的原因があると述べています。社会全体が子どもであることを肯定するようになったので、オタクたちもとてもつまらない存在になってしまったというのが著者の主張です。社会学的に見ても十分評価できる本だと思います。(2008.6.9)

203.薬師院仁志『地球温暖化論への挑戦』八千代出版

 読み終わって「目から鱗が落ちる」という表現をまさに使いたくなってしまう本です。二酸化炭素の過剰排出を中心とした人為的な活動の結果として地球温暖化が急速に進んでいるのはわれわれ日本人にとって自明のこととなっています。政府もマスコミもそう言っているし、企業もその対策のためにいろいろ努力をしていますし、さらにはその防止のためにわれわれが汗水垂らして働いて納めた税金から莫大なお金を使おうとしているのですから、人為的な理由での地球温暖化は進んでいないはずはないというのが、多くの方の認識でしょう。もしも、実は人為的な理由で地球温暖化が起きているかどうかは定かではないのだと聞いたら、みんな怒り出すのではないでしょうか。この本は、地球温暖化に関する主張を丁寧に読み込み、地球温暖化論の論理破綻やデータ不足を的確に指摘します。決して、地球温暖化の全面否定をしようという狙いではなく、地球温暖化脅威論を盲目的に信じていて大丈夫ですか、マインドコントロールされていませんか、と問うている本です。ちなみに、この本を書いたのは環境社会学者ではない社会学者だというのが非常に興味深いところです。まさに、社会学の健全な批判精神が十二分に生かされた本とも言えます。業績主義の研究者社会においては、自分の研究しているテーマは、社会に深刻な影響を与えるものだと力説した方が注目を浴び、地位も金も入ってきますので、環境社会学者を名乗る人で、人為的な地球温暖化など進んではいないという人はほとんどいないのですが、環境社会学で生きていこうとしていない社会学者である著者ゆえに書き得た本でしょう。私も、一応環境問題をずっと主たる研究対象としてきた人間ですが、冷静に読むと、単純に「地球温暖化は急速に進行している!」と叫ぶ人の論理より、この著者の論理の方に軍配をあげたくなります。確かに、日本人は贅沢に豊かに暮らしすぎていますので、無駄をはぶいた生活を心がける必要はあるだろうと思いますが、京都会議で約束した二酸化炭素排出量削減目標を達成できないからと言って、莫大なお金を出して他国から排出量を買うべきなのかどうかは、改めて検討する余地があると思います。「地球温暖化」を主張する人は、この本を論破できないといけないと思うのですが、ネットで調べる限り、この本を全面的に論破できている人はいなさそうです。一読の価値のある本です。 (2008.5.28)

202.竹内洋『社会学の名著30』ちくま新書

 先日著者を囲む合評会があり、そこに参加して、著者である竹内先生には直接コメントしたのですが、影響力のある新書本ですので、ここでも取り上げて一言を述べさせていただきます。私たちのような社会学に関して自分の立場をすでに築いている人間からするとこの本はとてもおもしろい本です。名著と呼ばれる本を功成り名遂げた社会学者が若き日にどう読んだのかというエピソードを交えた内容は、自分の経験と比較しながら、自分もそうだったとか、なるほど時代が違うとそういう受け止め方だったのかと興味深いところだらけでした。しかし、この本が世間一般にどういう印象を与えるだろうかという別の観点から考えると、単純に「おもしろかった」では済まないという気がしています。この本は、あくまでも著者が「おもしろい」と思う社会学書を取り上げたのであって、他にも社会学の名著はたくさんあるということは、著者自身も「はじめに」で述べています。しかし、新書本を買う多少社会学に興味を持ってくれる学生さんや一般の方々は、その辺は深く気に留めずに、「これが社会学のスタンダード30冊なのだ」と思って読んでしまうだろうと思います。(売れるためには、出版社的にはそういう誤解はぜひしてほしいところでしょう。)そこがちょっと怖いです。この本のタイトルが、『おもしろい社会学書30』あるいは『一社会学徒の選ぶ社会学の名書30』であれば、私はこの本を何の躊躇もなく皆さんにお勧めしますが、現在のタイトルでは単純にお勧めできません。「営業妨害だよ」と竹内先生から怒られそうなので、言い方を変えましょう。買って読んでもいいですが、その際にはこれはあくまでも竹内先生がおもしろいと思った社会学書30冊であり、決して社会学者の間で多くの人がスタンダードだと思う本ばかりではないということを意識してほしいと思います。別の社会学者が選べば、半分ぐらいは入れ替わるだろうと思います。もしも私が選ぶなら、やはり機能主義関連の書物は必ず入れるでしょう。「おもしろい」という意味ではあまりおもしろくはないかもしれませんが、「社会学の名著」というタイトルをつけるなら、やはりその関連の本を一切入れないというのは問題だと思います。ちなみに、私がこんな新書本を書いてくれと頼まれることはないと思いますので、ここに著者風にパーソンズの『社会体系論』の思い出を書いておくと、この本は、大学3年の時に同じ学科のメンバーたちと自主ゼミで読みました。概念の説明ばかりが並んでいて頭の痛くなる本でしたが、こういう本をきちんと読めなければ、社会学は理解できないんだと思い、線を引きながら、わからないところを何度も何度も読み直し、みんなで解釈の仕方について議論した思い出があります。その自主ゼミのメンバーの大部分は研究者になったわけではありませんから、しみじみ昔はこういう専門書を学部学生が買ってちゃんと読んでいたんだなと思います。しかし、今の時代、こんな専門書を買って読めと言っても無理があるでしょうから、社会学の名著を知りたい初心者は、ちょっと粗いところもある本ですが、那須寿編『クロニクル社会学』有斐閣あたりから入るのがよいのではないかと思います。(2008.5.21)

201.池田清彦・養老孟司『ほんとうの環境問題』新潮社

 帯に「「地球温暖化を防止しよう」だって?そんな些末なことは、どうでもいい。大事な「問題」は別にある。」と書かれていますが、まさにその通りの内容の本です。最近は、政府の方針として、地球温暖化防止(進行遅延?)のために様々な施策が打ち出されていて、地球温暖化防止のためと唱えれば誰も逆らってはいけない(あるいは素直に従っているふりをしていないといけない)ような空気も出てきています。しかし他方で、そうした政府の施策を愚策として批判し、それに洗脳されている日本人の甘さを指摘する本が次々に出版されています。私が最初にこうした環境問題対策に対する疑問を投げかけた本を読んだのは、もう10数年前のことだったように思います。当時は、まだ「地球温暖化」などということを言う人はほとんどいませんでしたが、エコロジーという言葉が普及し始め、リサイクルなどに関心が向き始めた頃でした。そうした中で、たとえば牛乳はリターナブルな牛乳瓶に戻すべきだという主張があるが、重たい牛乳瓶を運搬するのにどれほど無駄なガソリン代が使われるかとか、古紙やペットボトルを回収して溶かしてまた使える商品にするのには、どれほど無駄なエネルギーを浪費するかといった指摘がされていて、確かにそういう見方もあるなと思いました。この本もスタンスは同じようなところにあります。表面的で外面がよい環境施策・環境行動の裏でどれほどの無駄と政治的思惑が働いているかを鋭く指摘したものです。今は、環境問題といえば「地球温暖化」のことと思う人が多いわけですが、この著者たちは、「地球温暖化」などたいした問題ではないと言い切ります。たとえ日本が京都議定書を守っても100年後の温度を0.004度下げるのに貢献するだけで、ほとんど何の影響もない。たとえば、札幌と東京の平均気温の差は7度もあることを考えれば、100年後に0.004度下げるために毎年1兆円もお金を使うのはおかしい。そもそも地球は寒冷化した方が食物の出来も悪くなり生命の危機が生じやすくなるのであって、温暖化はむしろ多くの生命にとっては住みやすくなるだけである。にもかかわらず、地球温暖化の危機が喧伝されるのは、二酸化炭素排出取引で儲かるEUの戦略に引っかかっているだけだ。(ロシアがぎりぎりになって京都議定書を批准したのも、日本に二酸化炭素を売れる目処がついたからだ。)アメリカは自分の得にならないことからはさっさと逃げてしまい、原油の高騰とバイオ燃料の普及で一挙両得を狙って行動している。中国ももちろん一切協力する気はない。そんな中で、日本だけが人の良すぎる金持ちとして、たくさんのお金をこんな無意味なことに使ってしまっているのだ。環境省の役人はこんな事実に気づいていても、己の省の予算を拡大し相対的な力を増すためには、率先して地球温暖化の危機を叫ぶのである。マスコミ(特にテレビ・新聞)も良心的な存在であることを示すために率先して地球温暖化の危機を訴える。しかし、本当の環境問題は地球温暖化などではなく、エネルギーと食料の不足問題、そしてその根には人口問題があるというのが著者たちの主張の骨子です。データの正確さなどで疑問のつくところも多々ありますが、それなりに説得力を持っているように思います。私も、今の日本の温暖化防止策には乗り切れない何かを感じています。現代では、環境・平和・人権が一切の批判や疑問を受け付けない「立派な思想」(実際はある種の立場に制約された偏った見方=「イデオロギー」に過ぎない)になっているという主張は時々されていますが、私もそう思います。かつて戦前に「天皇制」が、そして戦後1960年代頃までは「社会主義」が同じ位置にあり、批判を一切受け付けず、結果として進むべきでないところに進んでしまった日本の歴史をきちんと反省し踏まえるなら、たとえどんなに立派そうに聞こえる思想でも、問題点はないのかという批判的視点を持ち続けることは、健全な社会であり続けるために不可欠だと思います。この著者たちの主張に全面的に賛成できなくとも、環境問題に関心を持つ人はこういう本も読んでみるべきでしょう。地球温暖化を危機だと主張する人の本(映画)とそうではない、問題はもっと別なところにあると主張する人の本を両方読んで、自分なりの立場を考えるべきです。片方の意見にしか耳を傾けないのは危険です。(2008.5.21)