本を読もう!2

2005.4.15開始、2008.5.16更新)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>153.小松左京『日本沈没(上)(下)』小学館文庫137.宮部みゆき『R.P.G.』集英社文庫119.天童荒太『家族狩り1〜5』新潮文庫118.天童荒太『永遠の仔1〜5』幻冬舎文庫113.篠田節子『女たちのジハード』集英社文庫112.山崎豊子『女系家族』新潮文庫

<人間ドラマ>164.佐藤正明『陽はまた昇る――映像メディアの世紀――』文春文庫152.乃南アサ『晩鐘(上)(下)』双葉文庫151.乃南アサ『風紋(上)(下)』双葉文庫134.市川拓司『いま、会いにゆきます』小学館113.篠田節子『女たちのジハード』集英社文庫111.重松清『流星ワゴン』講談社文庫108.浅倉卓弥『四日間の奇跡』宝島社文庫105.奥田英朗『最悪』講談社文庫

<推理サスペンス>195.伊坂幸太郎『ラッシュライフ』新潮文庫193.五十嵐貴久『交渉人』幻冬舎文庫191.五十嵐貴久『リカ』幻冬舎文庫171.東野圭吾『幻夜』集英社文庫152.乃南アサ『晩鐘(上)(下)』双葉文庫151.乃南アサ『風紋(上)(下)』双葉文庫149.野沢尚『深紅』講談社文庫141.貫井徳郎『神のふたつの貌』文春文庫137.宮部みゆき『R.P.G.』集英社文庫132.ダン・ブラウン(越前敏弥訳)『ダヴィンチ・コード(上)(中)(下)』角川文庫127.松岡圭祐『千里眼』小学館文庫119.天童荒太『家族狩り1〜5』新潮文庫118.天童荒太『永遠の仔1〜5』幻冬舎文庫116.雫井脩介『火の粉』幻冬舎文庫115.桐野夏生『柔らかな頬(上)(下)』文春文庫114.天童荒太『孤独の歌声』新潮文庫

<日本と政治を考える本>199.藤原智美『暴走老人!』文藝春秋198.藤原正彦『国家の品格』新潮新書196.横田由美子『ヒラリーをさがせ!』文春新書180.相原博之『キャラ化するニッポン』講談社現代新書178.吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波新書162.竹内洋『丸山眞男の時代――大学・知識人・ジャーナリズム――』中公新書157.日高隆『そして殺人者は野に放たれる』新潮文庫146.海音寺潮五郎・司馬遼太郎『日本歴史を点検する』講談社文庫129.林信吾・葛岡智恭『昔、革命的だったお父さんたちへ――「団塊世代」の登場と終焉――』平凡社新書126.今尾恵介『生まれる地名、消える地名』実業之日本社103.吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日文庫

<人物伝>177.佐野眞一『巨怪伝――正力松太郎と影武者たちの一世紀――』文藝春秋176.魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』講談社文庫173.酒井美意子『ある華族の昭和史――上流社会の明暗を見た女の記録――』講談社文庫170.魚住昭『野中広務 差別と権力』講談社文庫144.城山三郎『気張る男』文集文庫140.近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』講談社文庫

<歴史物・時代物>169.江宮隆之『真田昌幸』学研M文庫168.浅田次郎『輪違屋糸里(上)(下)』文春文庫161.飯嶋和一『始祖鳥記』小学館文庫158.飯嶋和一『雷電本紀』小学館文庫154.河合敦『世界一受けたい日本史の授業』二見文庫148.北原亞以子『深川澪通り 燈ともし頃』講談社文庫135.小泉和子『昭和のくらし博物館』河出書房新社131.池宮彰一郎『四十七人目の浪士』新潮文庫125.バロン吉元『柔侠伝』(全3巻)中央公論社104.司馬遼太郎『韃靼疾風録』(上)(下)中公文庫

<青春・若者・ユーモア>200.ステファノ・フォン・ロー『小さい“つ”が消えた日』新風社189.荻原浩『僕たちの戦争』双葉文庫181.田村裕『ホームレス中学生』ワニブックス147.なかにし礼『てるてる坊主の照子さん(上)(中)(下)』新潮文庫145.荻原浩『神様からひと言』光文社文庫106.中野独人『電車男』新潮社

<純文学的小説>167.丸谷才一『女ざかり』文春文庫141.貫井徳郎『神のふたつの貌』文春文庫128.リリー・フランキー『東京タワー――オカンとボクと、時々、オトン――』扶桑社121.デビット・ゾペティ『いちげんさん』集英社文庫120.伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』新潮文庫

<映画等>194.(映画)及川中監督『ラヴァーズ・キス』(2002年・日本)190.(ミュージカル)ジョー・マンテロ演出『ウィキッド』(劇団四季)188.(映画)緒方明監督『いつか読書する日』(2005年・日本)186.(映画)井坂聡監督『象の背中』(2007年・松竹)185.(映画)山崎貴監督『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年・東宝映画)184.(映画)李相日監督『フラガール』(2006年・日本)182.(映画)クリス・ヌーナン監督『ミス・ポター』(2006年・アメリカ)175.(映画)黒木和雄監督『父と暮らせば』(2004年・日本)174.(映画)五十嵐匠監督『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999年・日本)172.(映画)長澤雅彦監督『青空のゆくえ』(2004年・日本)165.(映画)マーク・ロレンス監督『ラブソングができるまで』(2007年・アメリカ)160.(映画)山田洋次監督『武士の一分』(2006年・松竹)159.(映画)犬童一心ほか監督『いぬのえいが』(2004年・日本)156.(映画)佐々部清監督『陽はまた昇る』(2002年・「陽はまた昇る」制作委員会)150.(映画)溝口健二監督『近松物語』(1954年・大映)143.(映画)木下恵介監督『女の園』(1954年・松竹)142.(映画)佐々部清監督『チルソクの夏』(2003年・「チルソクの夏」制作委員会)139.(映画)イ・ジェハン監督『私の頭の中の消しゴム』(2005年・韓国)138.(映画)堤幸彦監督『明日の記憶』(2006年・東映)133.(映画)メル・ギブソン監督『パッション』(2004年・アメリカ・イタリア)123.(映画)成瀬巳喜男監督『驟雨』(1956年・東宝映画)122.(映画)山崎貴監督『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年・東宝映画117.(映画)スパイク・リー監督『マルコムX』(1992年・アメリカ)110.(映画)谷口千吉監督『公式長編記録映画・日本万国博覧会』(1971年・日本万国博覧会協会)109.(映画)クリント・イーストウッド監督『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年・アメリカ)107.(映画)ジャック・ペラン制作・クリストフ・バラティエ監督『コーラス』(2004年・フランス)102.(映画)マーティン・スコセッシ監督『アビエイター』(2004年・アメリカ)

<その他>197.杉浦由美子『腐女子化する世界――東池袋のオタク女子たち』中公新書ラクレ192.中川右介『松田聖子と中森明菜』幻冬舎新書187.『週刊エコノミスト』(2007年11月13日号)特集「「昭和ブーム」の郷愁」毎日新聞社183.企画展「‘07 EXPO’70」(吹田市立博物館・2007.10.20〜12.2179.山口誠『グアムと日本人 戦争を埋立てた楽園』岩波新書166.小林照幸『熟年性革命報告』文春新書163.齊藤孝『教育力』岩波新書155.山里亮太『天才になりたい』朝日新書136.呉善花『私はいかにして「日本信徒」となったか』PHP文庫135.小泉和子『昭和のくらし博物館』河出書房新社130.青木俊也『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』河出書房新社124.林香里『「冬ソナ」にハマった私たち』文春新書101.上山明博『発明立国ニッポンの肖像』文春新書

<最新紹介>

200.ステファノ・フォン・ロー『小さい“つ”が消えた日』新風社

 とても素敵な童話です。ちょっと内容紹介をしておきます。「五十音村」があって、そこには文字たちが住んでいます。たとえば、「あ」はあいうえお順でもアルファベットでも一番はじめにくるから自分が一番えらいといばるおじさん。「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、笑うことが大好きな5人組。「か」は何でも疑い、とても優柔不断な性格。「ら」は最近若い人たちが使ってくれないと悩んでいます。「ゃ」「ゅ」「ょ」は子ども。「`」(てんちゃん)と「`」(てんくん)は双子でいつも一緒にいます。さて、そんな村の住人たちがある日話していた時に、一番えらくないのは、音がない小さい「っ」だとみんなが言ったものだから、「っ」は「ぼくは大切じゃないから要らないんだ」と嘆いて、「五十音村」を出て行ってしまいます。さあ、それからが大変です。「鉄器をつくる」は「敵をつくる」になってしまうし、「失態をさらす」は「死体をさらす」になってしまいました。ある弁護士さんは「どうしましょうか?訴えますか?それとも訴えませんか?あなたからOKがあれば、訴えますよ」と言ったつもりだったのに、小さい「っ」がいなくなっていたので、相手には「どうしましょうか?歌えますか?それとも歌えませんか?あなたカラオケがあれば、歌えますよ」と言うことになってしまい、依頼者を怒らせてしまいました。「五十音村」の住人たちは、「っ」がとても大切な存在だったことに気づき、「っ」に帰ってきてもらうように呼びかけ、ようやく「っ」が無事に戻ってきてくれたので、人間たちは普通に会話ができるようになりましたという話です。この話を外国人が書いたというのがすごいです。日本語の監修をした人はいるようですが、翻訳書ではありません。というか、これを外国語に完璧に訳すのは不可能です。外国人だからこそ、小さい「っ」の発音に苦労したからこそ出てきたアイデアなのでしょうが、素晴らしいです。途中、政治家を茶化してみたりするところは、やはり外国人っぽいシニカルさがよく出ています。この本は出てすぐに出版社が潰れてしまったそうで、通常の取り寄せができなかったのでAmazonで購入しました。早くどこか大手の出版社がこの本を改めて出版してほしいものです。必ずベストセラーになると思います。(2008.5.16)

199.藤原智美『暴走老人!』文藝春秋

 社会学的に見て、なかなか興味深い本です。今密かに中高年層のキレる行動が増えているそうです。キレると言えば、若者の行動と思われがちですが、突然怒り出すといった行動の増加率は、実は最近は中高年の方がはるかに高いのです。著者は研究者ではなく、作家・ライターなので、統計的データを集めて語るという本ではなく、自分の経験談とインタビューと新聞記事から実態を把握し、こうした事態が生じる原因を急速な社会の変化にあると見ています。特に、ケータイの普及や笑顔でサービスを提供する「感情労働」が一般化する中で、新たに確立しつつある「透明なルール」(マナー)と、これまで自分が正しいと思ってきたマナーとのずれをきちんと理解できないことがいらだちにつながっているのではないかといった内容です。決して「だから年寄りはだめなんだ」という冷たい本ではなく、早すぎる時代の変化が引き起こした必然的な悲劇というのが著者の見方です。私ももうどこから見ても中高年ですし、タイプ的には十分「暴走老人」になりうる潜在性をもった人間だと自覚していますので、自らの感情をもっとコントロールしないといけないなと反省もさせられました。ただし、新たに確立しつつあるルールの方が、これまでのルールよりすべていいとは思いませんので、たぶんこれからもしばしば時代とぶつかるのだろうなと思います。「暴走」と言われない程度でやっていこうと思います。(2008.5.16)

198.藤原正彦『国家の品格』新潮新書

 2年ほど前のベストセラーですが、もともと藤原正彦の主張は知っていましたし、目次を見る限りまったく買うに値する本ではないだろうと思い、ずっと読んでいなかったのですが、なぜか家に本があったので、まあ社会学者として、なぜこの本が売れたのかチェックしてみるかと思って読んでみました。結果はというと、想像していた以上に中身のない本で、なぜこれがあんなに売れたのか、ますます謎が深まってしまいました。しいて言えることは、ベストセラー本を買う人はちゃんと中身を判断して買っているわけではないということが再確認されたということでしょう。実は、もう1冊の「品格本」ベストセラーである板東真理子『女性の品格』は昨年売れる理由を見つけようと思って買ってみたのですが、あまりにつまらなくて投げ出していました。今回も何度も投げ出しそうになったのですが、とりあえずここで取り上げるためだけに無理して読みました。(中身はないので、この本は23時間で十分読めますが、23時間連続してこの退屈な本につき合う気力が湧かなかったため、1週間以上もかかってしまいました。)出版社もこういう本が売れるとなると、ますます売れる中身のない本作りに走るんだろうなと思うと悲しくなります。ちなみに、この本の主張は、日本ほどすばらしい文化を持った国はないので、意味のない欧米崇拝などやめるべきだという1行で済みます。(2008.5.4)

197.杉浦由美子『腐女子化する世界――東池袋のオタク女子たち』中公新書ラクレ

 読み始めから半分過ぎくらいまでは、軽いカルチャーショックの連続でした。「腐女子」と冗談半分に自己卑下をしてみせる「オタク女子」たちの実態が予想外のもので、価値のある本だと思いながら読み進めたのですが、後半は、女性の生き方の格差の一般論にまで無駄に広げてしまい、一気に平凡なダメな本になってしまいました。ということで、この本の価値は前半部分だけなのですが、その部分は結構興味深いので、そこに絞って語ってみたいと思います。何がカルチャーショックだったかというと、「腐女子」たちはとても普通の女性たちなのだということに気づかされた点です。「普通」というのは正確な言い方ではないですね。オシャレとブランドが大好きで現実世界の男性にもてることを至上命題とし、ゆくゆくはお嫁さんになることを夢見ているのが普通の女性なのだと思っている人からすると、やはり普通ではないということになるでしょう。しかし、電車男などで戯画化された「男オタク」のイメージをそのまま当てはめようとすると大間違いのようです。(「男オタク」も実際は戯画化されたイメージとは大分異なるタイプも多くなっているようですが……。)ちゃんとオシャレにして、彼氏や夫もいたりする人たちが、「ボーイズラブ」系のマンガや小説を好んでいるんだそうです。ジャニーズや宝塚にはまっている女性なども実質的には「腐女子」と一緒と指摘されると、なるほどと思い当たる人が、私の周りにもいます。本書で紹介されている医師をしている女性が「腐女子」になったきっかけとして語るのは、「高校生の頃、進学校に通っていると、勉強はちゃんとする。で、それ以外になにをするかっていうと、男漁りしたり制服を改造したりするわけでもない(笑)。小説や漫画を読むのが楽しみになるんですよね」ということだ。また、著者はこうも指摘する。「腐女子を取材していて感じるのは、彼女たちは現状(現実)への肯定が強いことである。既婚女性たちは旦那さんを大切にしているし、恋人のいる女性はみな一様に恋人を『優しい』と褒める。夫や彼氏がいない女性もそれに対して不満や不自由さを語らない。端的にいうと、『関心が妄想(物語)の男性にいっているので、現実の男性への欲求が低い』のである。」この本を読んで、「腐女子」(女性オタク)に対する偏見が取り払われた気がします。外見を装うことにしか関心がない人より、「腐女子」の方が中身があっておもしろそうです。「腐女子」、悪くないんじゃないですか。(2008.2.21)

196.横田由美子『ヒラリーをさがせ!』文春新書

 タイトルは話題に乗ろうとしてつけられているだけのダサイものですが、中身は結構おもしろいです。女性のライターが女性政治家へのインタビューを核にしつつ、男性社会の中で互してやっていくことが如何にしんどいかということを正直に書いた本です。インタビューした女性政治家たちにもこびるわけではなく、素直に自分が感じたことを書いています。自分の感性重視で客観的把握にはなっていないという問題点がありますが、だからこそおもしろい読み物になっている気もします。男たちに負けずにバリバリ働こうと思っている女性たちにとっては興味深い本ではないかと思います。(2008.2.18)

195.伊坂幸太郎『ラッシュライフ』新潮文庫

デビュー作の『オーデュポンの祈り』がまったくおもしろく思えず、この作家の作品を読む気が失せていたのですが、この作品はおもしろいです。やはり評価が高いだけのことはあります。見直しました。この作品は、4人の主要人物の話が平行して進み、最後にはいろいろなつながりがあったことがわかるという作りです。当然こういう平行的に進む物語は、読者の方も必ずどこかでつながってくるのだろうと期待して読みますので、そのつなげ方や伏線の処理の仕方が悪ければ、まったく評価できないものになりますが、この作品ではうまくできています。まるで、複雑なジグソーパズルを4方向から同時に作っていって見事に完成に持っていったような印象です。「ラッシュ」を”lash-lush-rash-rush”という4つの英語にあててみたり、エッシャーの騙し絵を扉に入れてみたりしていますが、それがすべて意味のあるものになっています。この作家はかなり頭のいいテクニシャンだということがよくわかります。ただ、少し自分のテクニックに酔っているような気がしなくもないですが……。個々の登場人物の魅力や、作品全体を通して伝えたいテーマは何かといった点には弱さを感じます。書きたいテーマがあったから書いた作品と言うより、己のテクニックを誇示するために書いた作品という気がします。おもしろいことはおもしろいですが、読み終わった後に何かを考えさせてくれるような作品ではありません。やはりパズルのような小説というのがぴったりだと思います。(2008.1.26)

194.(映画)及川中監督『ラヴァーズ・キス』(2002年・日本)

 高校生6人の恋をめぐる心理を描いた作品です。同性愛あり、近親相姦(を匂わせる)あり、といった内容だけ聞くと、ドロドロの人間劇のように思われそうですが、全体の印象は実にきれいでリリカルな作品と言っていいと思います。役者(特に男優陣)の演技はあまりうまくなく、ストーリー展開も単純ですが、なんとなく見れる映画です。鎌倉を舞台(特に夕暮れの海)にしていることと、音楽の使い方がいいのだと思います。50歳を過ぎても、まだこういうリリカルな映画に引かれるというのは、若い時には想像だにしなかったです。こういう青春のみずみずしさを素敵だなと思う感覚は消えないようです。188で取り上げた『いつか読書する日』のような50歳代が主人公の映画にもはまれて、青春映画にもはまれます。やはり歳を取るのは幸せなことです。(2008.1.22)

193.五十嵐貴久『交渉人』幻冬舎文庫

 この作家の2作目ですが、これは傑作です。最初のうち、あまりにスムーズに話が進むので、なんかもうひとつだなあと思いながら、読み進めていたのですが、後半から急展開になり、前半のスムーズすぎる展開もすべて計算のうちだったということがわかります。てっきり「交渉人」という警察の新しい職種のヒーローを描く作品だと思っていたら、実はそうではなく、別の問題を描く作品だったというのは、非常にうまいアイデアです。現実にはまずありえない設定ですが、小説としてはおもしろいです。まさかそんな所に犯人が、と驚くこと、間違いなしです。こういう後になって真犯人が出てくるパターンの場合、そんな理由でこんな犯罪を犯すだろうかと動機が納得行かないことが多いのですが、この作品の場合はまあまあ納得できます。しいてケチをつければ、最後の最後の終わり方がややきれい事すぎるというところでしょうか。しかし、いずれにしろ、読んで損のない作品であることは間違いありません。(2008.1.21)

192.中川右介『松田聖子と中森明菜』幻冬舎新書

書店で立ち読みをしていたら、結構おもしろかったので、そのまま買って読んでみましたが、本書のメインの対象である松田聖子と中森明菜がデビューする前の時代を描いた最初の章(立ち読みしていた部分)が一番おもしろく、2人のデビュー後の話は今ひとつでした。歌詞分析に偏りすぎているのと、「ザ・ベストテン」と「オリコン」の順位、それに売り上げ枚数だけでほとんどすべてを語ろうとしているので、深みがありません。非常に単純な見方で80年代を駆け抜けた2人の女性歌手を分析していますが、あくまでもひとつの見方に過ぎないと思います。私は別にどちらのファンでもありませんでしたが、当時のことはもちろんよく知っているので、まあこういう解釈もあるかなという程度に受け止められます。しかし、80年代の記憶がほとんどない若い人は、これが真実だと思って読んでしまうんだろうなと、ちょっと不安に思いました。書籍に書いてあるからと言って、すべて事実だとは思わずに読む批判精神が必要です。(2008.1.18)

191.五十嵐貴久『リカ』幻冬舎文庫

 私が滅多に読まないホラー小説です。以前TVでドラマ化されているのを見たことがあったので、ブックオフで105円で売っていたのを見て、つい買ってしまいました。読み始めたら、怖いことは怖いのですが、先が読みたくなる展開で、あっという間に読み終えてしまいました。グロテスクなというより、心理的な怖さを感じるホラー小説です。映画で言えば、ヒッチコック映画的な怖さです。出会い系サイトに安易に入ってしまい、そこで知り合った女性のストーカーにつきまとわれる男の話です。女性があまりに常人離れしているので、途中からは、フィクションとして割り切って読めますが、つきまとわれ始めるあたりは、現実世界でも起こりそうな設定で、かなり怖いです。好きではないホラー小説なのに、あっという間に読めてしまったのは、やはり作家がうまいのだと思います。解説を読むと、この作家はこれがデビュー小説で、その後、2作目ではミステリーを、3作目では時代小説を、4作目では青春小説を書いているそうですから、なかなか才能が豊かなようです。ちなみに、ネットでさらに調べてみると、つい最近やっていたドラマ『パパと娘の7日間』もこの作家の小説が原作だったようです。この五十嵐貴久という作家にかなり興味が湧いてきました。(2008.1.11)

190.(ミュージカル)ジョー・マンテロ演出『ウィキッド』(劇団四季)

 ブロードウェイで今一番チケットが取りにくいミュージカルで、日本では劇団四季が昨年6月から東京で公演を始めていますが、ものすごい人気だそうです。たまたまチケットが入手でき、見に行ったのですが、いやあ実によかったです。評判に偽りなしです。あまり知られていないと思いますが、私は結構ミュージカルが好きで、海外にいるときはよく見に行きました。ものすごくたくさん見てきたわけではないので、たいした評価にはならないかもしれませんが、私がこれまで見てきたミュージカルの中ではベスト3には入ると思いました。音楽自体はそれほどでもないように思いますが、この舞台はとにかく脚本がいいです。「もうひとつの『オズの魔法使い』」というキャッチコピーがあるように、このミュージカルのストーリーは『オズの魔法使い』を本歌としたストーリーになっています。西の国の悪い魔女がなぜ悪い魔女と呼ばれるようになったのか、そしてよい魔女グリンダはなぜよい魔女となったのかを、女性の友情物語として作り上げています。ドロシーの家はなぜ竜巻に巻き込まれてしまったのか、「オズの魔法使い」はなぜドロシーに西の国の魔女の成敗を頼むのか、ブリキの木樵、臆病なライオン、そしてかかしも登場します。なるほどなあ、こういう物語が作れるのかと感心しました。早速原作であるグレゴリー・マグワイアの『オズの魔女記』を読んでみようかと思いましたが、ネット情報では、ミュージカルを見て感動して原作を読むと、必ずがっかりしますという声ばかりでした。どうやら、脚本家が素晴らしいようです。(2007.1.6)

189.荻原浩『僕たちの戦争』双葉文庫

 2001年を気楽に生きていたフリーターの若者と1944年という戦争末期を航空隊員として死を目の前にして生きていた若者がタイムスリップして入れ替わってしまうというユーモア青春小説です。最近は人格が入れ替わるという話がたくさんありますが、2001年の若者の目から見た1944年の軍隊、1944年の若者から見た2001年の日本が語られるというのが、この小説のおもしろさです。特に、後者の視点が興味深いです。「お国のために死をも厭わず」と心から思っていた若者が、2001年のけだるい軽佻浮薄な日本をどう受け止めるかというのは、おもしろい設定だと思います。「こんな国にするために、われわれは命をかけたのか……」という嘆きの言葉は、ユーモア小説という域を超えて、読む者にいろいろなことを考えさせます。しかし、全体としてはテンポもよく、2001年を生きていた若者が知っていた人物の先祖に出会ったりするという物語のおもしろさも組み込まれていますので、楽しく読める小説です。(2007.1.6)

188.(映画)緒方明監督『いつか読書する日』(2005年・日本)

 素晴らしい作品です。日本の映画界も捨てたものではないと思わせてくれます。大手映画会社ではないところで、こういう芸術作品が作られているんですね。私個人としては、この作品は小津安二郎の映画を超えていると評価しています。ストーリーを簡単に紹介しておきます。主人公は、早朝の牛乳配達とスーパーのレジを仕事とする50歳の独身女性。彼女は30年以上の長きにわたって同級生だった男性に恋をしています。相手の男性は結婚していますが、実は彼も彼女のことを思っています。男性の妻が2人の恋を後押しする遺言を残して亡くなり、2人の恋は30年の時を超えて動き出します。そして……。これ以上は書かない方がいいでしょう。脚本もロケ地も俳優さんもすべて素晴らしいです。特に、主演の田中裕子さん(なんだか彼女には「さん」をつけたくなってしまいます)が素晴らしいです。脚本を選んでいるのでしょうが、彼女が主演する作品はほぼはずれはありません。大袈裟な演技をまったくせずに自然に役になりきっていますが、本当にうまいです。それほど美人でもなく目立つ顔でもないのに、まさに主演女優です。彼女は確か私と同じ歳のはずです。でも、少女の雰囲気も残した不思議な女優さんです。SFXだらけの冒険活劇のような映画好きな方にはお勧めできませんが、複雑な心理描写などを好む方なら楽しめると思います。(2007.12.25)

187.『週刊エコノミスト』(20071113日号)特集「「昭和ブーム」の郷愁」毎日新聞社

 本日(2007115日)発売の『週刊エコノミスト』に、「若者も泣く「三丁目の夕日」「昭和ブーム」の郷愁」という特集が組まれています。その巻頭に「現代日本が追い求める「古き良き昭和」の夢」という文章を執筆しました。これは、今春刊行された『関西大学社会学部紀要』第38巻第3号に掲載した「「昭和ブーム」を解剖する」という論文の要約的なものですが、紀要よりは手に入りやすいと思いますので、よかったらご覧ください。なお、この特集には他に、映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のエグゼクティブ・プロデューサーである阿部秀司氏が「三丁目の夕日」はネオ時代劇だと語るインタビュー記事など他に5本の文章が掲載されています。映画も公開されたことですし、興味を持って読んでいただけるのではないかと思います。(2007.11.5)

186.(映画)井坂聡監督『象の背中』(2007年・松竹)

 主演の役所広司がこの役のために10kg以上減量したとか、原作を書いた秋元康がコミック化やTVドラマ化も仕掛けているという情報を得て、かなり期待していたのですが、まったくもってひどい作品でした。何ですか、これは。秋元康は大衆をなめきっています。こんな作品で、大衆を引きつけられると思っているのでしょうか。愛人に出会っても一言もそのことに触れない出来過ぎの妻に、負担にならずに静かに去っていこうとする出来過ぎの愛人、半年の命と父に告白されても取り乱さずに受け止め、家族の責任は任せてという出来過ぎの息子に、父の前で「ファイト!ファーザー!」と言いながらチアリーディングを一人で行う娘。12年ぶりに現れて金の無心をする弟に何も文句も言わずにわかったという出来過ぎの兄に、自分の仕事をあきらめてでも友人の夢を叶えてやろうとする出来過ぎの同期、顔も忘れていた男性が突然現れて「あなたが初恋の人でした。私は実は半年の命です」と言われても落ち着いて聞く初恋の女性に、30年ぶりに現れた友人が実は半年の命だと聞かされても静かに聞く元親友。アホじゃないか!と何度も叫びたくなりました。こんな風な最後の半年なんて120%ありえません。嘘っぽすぎます。携帯小説並です。松竹は映画作りにもっとちゃんと力を入れないとまずいのではないかと思います。夏前にも田村正和が14年ぶりに映画出演という話題性があった「ラストラブ」も見てしまいましたが、さらにひどい作品でした。もっとちゃんとした原作を選んで、ちゃんとした脚本を書いて、しっかり演出しろよと言いたいです。話題性と安易なお涙頂戴だけでひっかかるほど観客は馬鹿じゃありません。(見に行った私が言うのも何ですが……。両方とも招待券でしたので。)(2007.11.4)

185.(映画)山崎貴監督『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年・東宝映画)

 大ブームになった前作の続編で見る側の期待水準も高くなっていましたので、難しい2作目だったと思いますが、上手に作っています。最初のうちは前作から4ヶ月しか経っていない設定なのに、淳之介君が妙に背が伸びていて声変わりまでしているのが気になったりしていましたが、見ているうちにだんだん気にならなくなってきました。ストーリーにひねりはなく観客の予想通りに展開しますが、そこがいいんでしょうね。こういう風になってほしいなと思う期待にちゃんと応えてくれる安心できる映画です。全編を通してあたたかくほのぼのとした空気が流れており、これは前作のイメージをきちんと継承しています。既存映画を「本歌取り」のように利用している遊び心も悪くないです。前作のようにアカデミー賞をほぼ制覇するほどの評価は受けないでしょうが、ヒットは確実にすると思います。

 ちなみにここからは映画講評ではないのですが、実は映画を見終わって、「さあ出よう」と思って立ち上がったら、あちこちから「先生!」という聞いたことのある声が聞こえてきて、「あれっ」と思って振り返ると、4回生ゼミ生が6〜7人いるじゃないですか。いやあ、びっくりしました。なんと同じ時間帯の映画を、それもすぐそばで見ていたんだそうです。何でこのタイミングでこんな近くで……。周りの人にも結構注目されてしまい、かなり恥ずかしかったです。これからは、映画館に入ったら、周りを見渡さないといけないですね。個人的にはある意味強烈な印象を残す映画となりました。(2007.11.3)

184.(映画)李相日監督『フラガール』(2006年・日本)

 2006年の日本アカデミー賞の作品賞を取った映画ですが、看板に偽りなしです。実にいい映画です。炭坑の町から「ハワイアンセンター」に転換した苦闘の過程を涙あり笑いありで描いています。昭和40年代の時代感もよく出ています。見ようによっては『ALWAYS 三丁目の夕日』よりも優れた作品かもしれません。日本アカデミー賞は作品賞も含めて5部門で受賞していますが、ひとつ納得行かないのは、蒼井優が最優秀助演女優賞だということです。評価されたのがおかしいと言いたいのではなく、この映画における蒼井優は絶対に主演女優です。クレジットで松雪泰子がトップなので、主演は松雪泰子という位置づけなのかも知れませんが、この映画は蒼井優で持っている映画です。吹き替えも使っているのかもしれませんが、蒼井優だとしっかりわかる場面での踊りも見事なものです。もしも彼女がうまく踊れなかったら、この映画はこんなにいい作品にはなっていないと思います。いずれにしろ、お勧め作品です。(2007.10.31)

183.企画展「‘07 EXPO’70」(吹田市立博物館・2007.10.2012.2

今、吹田市立博物館で、「’07EXPO70」という企画展がやっていますが、これは見応えのある企画展です。「人間洗濯機」として話題を呼んだ「ウルトラソニック・バス」(写真右)が展示の目玉ですが、他にも「太陽の塔」の着想を岡本太郎がどこから得たかということも紹介されていたり、「太陽の塔」と空中展示がされていた「大屋根」の詳細な模型や、市民が提供した家族写真なども展示されています。わずか300円の入館料で、「EXPO70」の興奮をちょっと味わうことができて、ワクワクします。期間限定ですので、お近くの人は会期中にぜひ見に行ってみてください。(2007.10.26)

182.(映画)クリス・ヌーナン監督『ミス・ポター』(2006年・アメリカ)

 公開前から見たい見たいと思っていたのですが、忙しくてなかなか見に行けず、もうロードショー終了が間近になってようやく見に行けました。予想通りとてもよい作品でした。「ミス・ポター」では誰のことかわからないかもしれませんが、「ピーターラビット」の作者であるベアトリクス・ポターのことです。この映画は彼女の絵本が売れるまでと、彼女の抑制された恋、そして湖水地方での暮らしを描いた作品です。私は1999年にロンドンで1年間過ごし、湖水地方にも出かけ、ポターの家も見てきましたので、特に思い入れが深かったかもしれませんが、そういう経験を持たない人でも、「ピーターラビット」が好きだったり、山と湖の美しい風景が好きだったりする人なら、きっとこの映画はいいと思えるでしょう。静かで心が癒される映画で、まるで「環境映画」のようです。こういう良質の映画がヒットしない日本の映画状況が残念でなりません。日本の映画ファンは一体何を見たいのでしょうか。CGだらけでマンガのように展開の早い映画ばかりを映画と思わないでほしいものだと思います。この『ミス・ポター』という映画、いつの日かじわじわと知られ、DVDなどで静かなブームになったりするのではないかと密かに思ったりしています。背景として描かれる20世紀初めのロンドンの階級社会、女性の生き方、ポターも大きな貢献をした歴史的環境を残す運動をしているナショナルトラストについてなど、いろいろ知れる映画で、社会学的にも価値があると思います。もう1週間も公開していないのですが、時間がある人はぜひ見に行ってみてください。(2007.10.20)

181.田村裕『ホームレス中学生』ワニブックス

 今話題になっている本なので、どの程度のものだろうとチェックするために本屋に行き、立ち読みを始めたら、ある文字が飛び込んできて、急に関心が増し、結局そのまま1時間立ち読みをして読み終えてしまいました。その私を引きつけた文字とは「吹田市山田西」です。実はこれは著者である田村クンが中2の夏休みに住んでいた公園の住所なのですが、我が家のすぐ近く(自転車で10分ぐらい)なのです。正直言ってびっくりしました。結構、麒麟のマイナーなファンである私は、田村クンが公園に住んでいたという話はこの本が出る前から知っていたのですが、そんなうちのすぐ近くだったということに、本当に驚き、またすごく関心が湧いてきたわけです。彼が中学2年生だったのは14年ぐらい前の話のようですから、どこかで中学生だった田村クンとすれ違っていたかもしれません。通っていた高校も吹田高校だそうですから、十分見かけている可能性はあります。彼のお兄さんとお姉さんがしばらく住んでいたのはいざなぎ神社横の公園で、その後、居を移したのが万博公園近くのタコ公園って、うちの子供たちも遊んだことがあるところです。あそこに住んでいたなんて……。で、ミーハー社会学者としては、早速田村クンが住んでいた公園を探しに行きました。彼の記述は正確ですぐに見つかりました。遊んでいた子供たちに、「最近この公園、有名になっているの、知ってる?」と聞くと、「うん、麒麟の田村でしょ?」とみんな知っていました。で、確かにその滑り台は彼の記述通り「巻き巻き○○○」と言いたくなるような形をしていました(写真参照)。ああ、彼はここで幾晩も寝ていたのかあと思ったら、なんだか妙な感動の仕方をしてしまいました。もしも、実際にその時に彼とここで会っていたら、私は何かできただろうか、なんてことも考えてしまいました。本は買って読むほどの価値はないと思いますが、吹田の温かい人々に救いの手を差し伸べてもらって田村クンの今があると思うと、「麒麟、今年こそM1を取れ!」と応援したくなっています。(2007.10.20)

180.相原博之『キャラ化するニッポン』講談社現代新書

 いかにも広告会社でトレンドを追いかけていた人が書いた本という感じで、データ的根拠に欠けるところが多く決して出来のよい本ではないのですが、「キャラ化」というトレンド自体は無視ができないのではないかと思いますので、取り上げてみます。この本を読んでいると、複雑さを前提とした「キャラクター」と単純さを前提とした「キャラ」は違うこと、そして、「キャラが立つ」かどうかが、現代日本では非常に重要な役割を果たしていることに改めて気づきます。「キャラが立つ」かどうかが人物評価の基準になるのは、芸人だけでなく、政治家も、そして身近な友人に対しても使われています。「キャラが立たない」ことは、イコール「存在感が薄い」ということになってしまっているという指摘はその通りだなと思います。しかし、このトレンドは非常に問題があるということも私としては指摘しておきたいと思います。確かに、短時間で相手とのコミュニケーションを取ろうと思ったら、ある程度パターン化された「キャラ」イメージにあてはめて対応するのは有効な手段です。実際、私もよくやっています。しかし、人間は本来多面的な存在です。長くつき合っていたらある一面だけでは相手のことを理解できなくなるはずです。それを一面的な「キャラ」のままで済ませてしまえているのは、いかに表面的な部分しか見ていないかという証でしょう。お笑いタレントならともかく、自分にとって大切な友人や、日本の将来を託している政治家を一面だけの「キャラ」で捉えてしまうことに対する問題性は常に意識しておいてほしいものだと思います。(2007.10.12)

179.山口誠『グアムと日本人 戦争を埋立てた楽園』岩波新書

 若い人たちにとっては、今や手軽に行ける「南国の楽園」としてしかイメージされないグアムに、日本人が忘れてはならない歴史があったことをきちんと伝えている好著です。忘れてはならない何があったのか?それは戦争です。ハワイの真珠湾への攻撃を行ったと同じ日にアメリカの領土だったグアムも日本軍によって攻撃され、ハワイとは違い、日本軍によって占領され、「大宮島」と改称されたのです。それから2年7ヶ月、グアムは大宮島として生きていたのです。アメリカの支配下に戻って以降もジャングルに逃げた日本兵が何人も隠れて暮らし、そのうち、1960年には2人の日本兵が「最後の日本兵」として現れましたが、さらにその12年後の1972年には「昭和の浦島太郎」とも呼ばれることになった横井庄一氏が「発見」されます。1960年当時のことは私の記憶にはありませんが、横井さんのことはよく覚えています。「恥ずかしながら生きながらえて帰ってまいりました」という発言とそのぼろぼろの姿は、万博も終え、すでに豊かさを享受し始めていた我々日本人に強烈な時代錯誤感を与えたものでした。それがグアムだったのです。この本は、そんな日本人にとってつらい歴史のある島がどのようにして「南国の楽園」になっていったのかを丁寧に調べており、知的な刺激を受けるおもしろい本です。一読をお勧めします。(2007.9.20)

178.吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波新書

 この夏は戦前〜戦中〜戦後という時代を考える本を集中的に読んでいますが、これもそうした本の1冊です。もう終戦から62年も経っていますので、現代を生きている人たちにとっては当時のことなどもはやなんの関係もないという気がするかもしれませんが、決してそうではないと思います。815日が近づくたびに、靖国神社に総理大臣が参拝すべきか否かという議論が起こり、A級戦犯論が展開される時には、ふとそんなことも思うでしょうが、そのことだけでなく、なぜあれだけの敗戦があったのに、天皇制は生き残れたのか、戦前の天皇制と戦後の天皇制はどこが同じでどこが違うのか、といった問題は現代の問題としても受け止めるべきことです。大東亜戦争は東条英機を中心とした軍人が勝手に起こしたものだなどという「シナリオ」がなぜ作られたのかも、この問題との関わりで捉えなければならないのです。無条件降伏を求めるポツダム宣言の受諾を日本が連合国軍に伝えたのは、原爆を2度落とされ、ソ連が中立条約を破棄して日本に宣戦布告してきた後の814日ですが、ポツダム宣言自体は、726日に発表されています。もしもすぐに受諾していれば、もっと多くの日本人が死なずに済んだことでしょう。なぜすぐ受け入れようとしなかったのか、一体その責任はどこにあったのか、われわれはもっと知るべきです。(ちなみに、戦争責任をすべて負わされるような形になっている東条英機は前年の7月にすでに総理大臣の座を追われています。)また、人は平等でなければならない、差別はいけないという価値観を誰も疑わないこの現代で、なぜ出生によって特別な地位を保証される天皇家があるのか、その機能は何なのかということももっと議論されてしかるべきことです。イギリスでは毎年のように、大手新聞社が「50年後に王室はまだあると思うか?」といった世論調査を行っていますが、現代の日本のTV,新聞は絶対にやろうとしません。ある時期までは日本の新聞やTVも、こうした議論を活発にやっていた時期もありますが、最近はほとんどタブーになってしまっています。敗戦によって体制が大きく変わったにもかかわらず、昭和という時代が20年で終わらず64年まで続いたこと、そのことによって曖昧にされてきてしまったことは何だったのかを、今を生きるわれわれももっと考えなければならないと思います。この本はその辺の事情を読み取れるバランスよい本です。興味を持ったら読んでみてください。(2007.9.13)

177.佐野眞一『巨怪伝――正力松太郎と影武者たちの一世紀――』文藝春秋

 若い人は、正力松太郎という人物はもう知らないでしょうね。プロ野球好きの人なら、もしかしたら「正力松太郎賞」という賞があるので、聞いたことがあるかもしれませんが……。そうした賞が存在することからわかるように、日本のプロ野球の誕生に大きな関わりのある人ですが、そうした業績は彼の残した仕事のほんの一部にすぎません。大正時代から亡くなった昭和44年まで、大衆の必要とするところにいつも彼が存在するといった、まさに「巨人」「怪人」と呼びたくなるような人生を送った人です。明治18年に富山県で生まれ、東京帝国大学を卒業後警視庁に入り、米騒動の鎮圧、第1次日本共産党員の検挙、関東大震災後の治安回復(?)等を行い、40歳を前に警視庁No.2にまで上りつめながら、虎ノ門事件(皇太子(後の昭和天皇)狙撃事件)の引責で懲戒免官となります。一見ここで挫折したかに見えますが、むしろここからの経歴で、彼は歴史上に残る人物となります。懲戒後2ヶ月もせずに、当時大阪から進出してきた朝日、毎日の勢いに負けて倒産の危機にすらあった読売新聞の社長となり、5万部程度だった売り上げ部数をあっという間に100万部を超える大新聞にします。部数拡大のために正力松太郎が取った作戦は、イベントとのタイアップで新聞を売っていくという現代でも使われる、巧みな大衆操作作戦だったわけです。こうしたイベントの一環として行われたのが、アメリカ野球チームの招待であり、それに対応したプロ野球の創設であったわけです。戦時中は大政翼賛会の役職にも積極的につき、戦後はA級戦犯容疑で逮捕されながらも無罪釈放となります。公職追放の措置が解除されてからは、今度はテレビ放送開始に意欲を燃やし、昭和27年に日本で最初の放送免許を取得します。放送自体は、既存の放送局を持っていたNHKに先んじられますが、NHKがテレビ受信機を持つ家庭からの聴取料取得という方式で運営して行こうとしたのに対し、日本テレビは街頭テレビを積極的に設置し、たくさんの人が宣伝を見る状況を作り出し、企業に宣伝広告費を出させるという民放方式を確立しました。この街頭テレビのおかげで急速に人気を得ていったのがプロレスでした。プロレスは正力の作った日本テレビのおかげで普及したわけです。もうこのあたりで相当にすごい人生ですが、まだ終わりません。昭和30年には衆議院議員に初当選し、その年のうちには大臣になり、原子力エネルギーの平和利用(要するに原子力発電のことです)の日本での強力な推進者となり、実際に昭和32年には、初代の科学技術庁長官兼原子力委員長として、日本初の東海村の原子炉に火を入れました。この時期は、かなり本気で総理大臣の椅子も狙っていたようです。他にも、ゴルフブームのきっかけを作ったカナダカップの日本招致を行ったり、サッカーのプロ化も進めようとしたりと、彼の人生はまさに大衆の欲望を先取りして提供するものだったと言えるでしょう。

 もちろん、これだけの仕事をすべて一人で思いついて一人で実行に移すことなどはできるはずもなく、著者が副題に入れたように、正力松太郎には優秀な影武者が何人もいて彼らのアイデアと情熱があって初めてなしえた仕事を、正力松太郎はすべて自分個人の業績としてしまったという指摘はまさに正しいだろうと思います。しかし、それを知った上でも、やはり正力松太郎個人の、金と人を集める力、時代を見る目、決断力等があって、すべて形になったことですので、その意味でやはり正力松太郎は日本の歴史に名を残す巨人だと私は思います。本書は、単行本で700頁にもなる大部の著作(文庫版も出ていますが、上下で1000頁を軽く超えるようです)で、ただのノンフィクション本というより、研究書と言っても恥ずかしくない名著です。きっとみなさんなかなか自分で読んでみようという気にはならないでしょうから、詳しく紹介させてもらいました。(2007.9.8)

176.魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』講談社文庫

 今やマスコミ界の天皇のような存在となっている、読売新聞会長の渡邉恒雄の伝記です。魚住昭というノンフィクション作家はすごいです。170で紹介した野中広務の伝記を読んで、よくここまで書けるなと感心しましたが、このナベツネに関するノンフィクションもそれに勝るとも劣りません。出版業界に対するナベツネの影響力を考えたら、ある意味ではこちらの方がすごいかもしれません。絶版に追い込まれずに文庫本にまでして刊行した講談社もなかなかやるなと思いました。野中広務を扱ったものとともに、権力者の実態暴くというメディアの持つもっとも良質な役割を見事に果たしている本です。作家の力量があって素材も生きてくるわけですが、この本の素材である渡邉恒雄自身の生涯も尋常なものではありません。戦時中の反天皇制的考え方から、戦後すぐに東大共産党細胞のトップになりますが、後輩の沖浦和光(私が最初に大学教師になったときに、その大学の学長をされていました)らに追い出されてからは、一転して反共的姿勢に変わり、大野伴睦や中曽根康弘といった政治家や児玉誉志夫のような裏社会の人間とも深いつながりを作って、己の比重を増していきます。ありとあらゆる権謀術数を使って一記者から読売新聞社長まで上りつめるその人生は、まるで戦国時代の侍が大名に出世していく――もちろん武士道精神などによってではなく策謀と裏切りで地位をあげていく――物語を読むようです。ここに書かれている関係者の証言が事実なら(たぶんこの本をナベツネは名誉毀損で訴えてはいないはずなので、ほぼ真実に近いのだと思いますが)、渡邉恒雄は相当に危ない橋を渡って来ています。一度も検挙されていないのが不思議なぐらいです。それにしても、この本を読みながら、自らを責めることなく闘争心に溢れ危険な臭いのするところでもプラスになると思えば果敢に飛び込んでいく男は最後には勝利をつかむのかな、と思ってしまいました。最近はこういう傲慢な自信家は少ないような気もしますが、村上ファンドの村上世彰なんかはこのタイプかもしれません。彼は逮捕起訴されましたが、財産を失ったわけではないので、またいずれなんらかの形で出てくるでしょう。めげない奴は強いものです。(2007.8.25)

175.(映画)黒木和雄監督『父と暮らせば』(2004年・日本)

 井上ひさし原作の名作舞台劇だそうですが、この映画版もすごくいいです。なんと言っても、主演の宮沢りえが抜群です。演技がうまいのはもちろんですが、彼女の細さが戦後すぐの時代の人間を演じさせても違和感がありません。これが血色の良すぎる女優さんだったり、スタイル抜群の女優さんであれば、たぶんこの時代の空気感がこんなに出なかっただろうと思います。舞台は見ていないのですが、映画版の宮沢りえを見てしまうと、他の女優さんでは物足りなく感じてしまいそうです。ストーリーは、原爆投下後3年経った広島で一人で暮らす23歳の娘の元に原爆で亡くなった父親が戻ってきて、「原爆で死んだ人に申し訳ないので、自分は幸せになってはいけない」と自分で自分を縛ってしまっている娘に、「死んだ人間の分まで幸せにならないといけない」と語り、彼女の恋心を励まします。この紹介だけだと説教臭いストーリーのようにも思うかもしれませんが、実際には父親役の原田芳雄との掛け合いはユーモラスで決して重たすぎるストーリーではありません。それでも最後には原爆のむごさ、こんなことが2度とあってはいけないと強く思える作品になっています。名作です。(2007.8.20)

174.(映画)五十嵐匠監督『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999年・日本)

 26歳の若さで内戦中のカンボジアで亡くなった一ノ瀬泰造という戦場カメラマンの生涯を描いた作品です。浅野忠信が主役の一ノ瀬泰造を熱演していますし、カンボジアやベトナムでのロケも素晴らしく見事な作品と言えるでしょう。しかし、私は映画の出来以上にカンボジアの現代史に興味を持ちました。カンボジアの内戦の歴史は1970年頃から始まっており、私はオンタイムで情報は得ていたのですが、複雑すぎて、正直なところよくわかっていませんでした。今回、この映画を見てものすごく関心が湧いたので、いろいろ調べて初めてわかった気がしました。植民地支配、冷戦、ベトナム戦争、アメリカの介入、中ソ紛争、毛沢東主義、ベトナムの侵攻と変化など、20世紀のアジアを席捲した様々な要因がすべてからんできているのが、カンボジア問題だったわけです。若く知識も十分でない時にはとうていその全貌は理解できなかったのもやむを得なかったし、現在進行形で進んでいる事態というのは正確に理解するのは難しいものだと改めて思いました。それにしても、映画(映像)にはこういう風に知を育む力もあるので、やっぱりすごいですね。(2007.8.16)

173.酒井美意子『ある華族の昭和史――上流社会の明暗を見た女の記録――』講談社文庫

 加賀前田家に生まれ、戦前は華族のお嬢様として育ちながら、戦後の混乱期はたくましく生き抜き、後にマナーやエチケットの評論家、あるいは皇室評論家として地歩を確保した一人の女性の「自叙伝」です。日本の華族とはどういう人々だったのか、女子学習院での「S」の流行、華族の婚約と結婚、戦後の「華族廃止令」が出て以降の生き方などがかなり赤裸々に書かれており、実に興味深い本です。著者は、これはフィクションではなくあくまでも「自伝」で、すべて事実であるかのように「あとがき」に述べています。差し障りのありそうな人に関してのみ「仮名」とし、あとは実名ですべて書いています。読んでいると、どうしても「仮名」になっている人が誰なのか気になってきます。で、いろいろ調べてみたのですが、どうしてもわかりません。しかし、同じようなことを考える人はいるようで、ネット情報ですが、もっと徹底的に詳しく調べた人によれば、どうやら架空の人物を紛れ込ませているようです。だとすると、この本の価値は3〜4割差し引いて読まないといけないと思います。自分と身内に対してかなり甘い評価になっていることも含めて、自分の人生を実態よりもかなり美しく描き残そうとしたのでしょう。著者はまだ存命だと思いますが、いつか実力のあるノンフィクションライターに、酒井美意子という女性が本当はどんな人生を生きたのか、この本のどこが事実でどこが事実でないのかを調べてほしいものだと思います。(2007.8.15)

172.(映画)長澤雅彦監督『青空のゆくえ』(2004年・日本)

 この映画のことはまったく知らなかったのですが、新聞の映画紹介だけ見ておもしろいかもしれないと思い、深夜にTVで放映していたのを録画しておいたのですが、いやあ予想以上にいい映画でした。ロードショー映画は無駄な金ばかりを使ったこれみよがしのCG作品ばかりですが、こういう等身大のいい映画が密かに作られているんですね。日本の映画界も捨てたものじゃないですね。物語は、海外に行ってしまう一人の中学3年生の男の子を巡って夏の1ヶ月間ほどに生じた人間模様を描いた作品です。この時期ならでは淡い恋心と友情が見事に映像化されています。2004年の作品なのに37年前に中学生だった私でも共感できるのは、この作品が時代を超えた普遍的な何かを伝えることができているからでしょう。見ながら、自分の中学3年の時を思い出してしまいました。私もバスケットをやっていて、好きな子も同じバスケット部だったので、特にはまりやすかったかもしれませんが……。でも、バスケに関係なくてもまっすぐな気持ちの持ち主なら、みんな見て良かったと思える作品です。私もこんな映画を撮ってみたいなと思いました。お薦めです。(2007.8.14)

171.東野圭吾『幻夜』集英社文庫

 『白夜行』の興奮が蘇るという紹介があったし、同じようなプロットなので、「二匹目のドジョウ」狙いの本かなと思っていましたが、完全に『白夜行』の続編でした。個々の事件の遂行の仕方や過去を知る人間の少なさなど、少し設定に無理がある気がしますが、うまい作家ですので、読み始めたら、どうしても最後まで一気に読みたくなってしまいます。『白夜行』もそうでしたが、この『幻夜』でも時代状況をうまく使っているところが、彼がプロの作家である所以でしょう。この作品で扱われている時期は1995117日から200011日までです。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、2000年問題と記憶に新しい事件等をストーリーの核や飾りに上手に使っています。この小説の終わり方からすると、たぶんもう1作はこのシリーズで彼は書くつもりでしょうが、もし書くなら今度こそ”To be continued”ではなく”The end”のマークを見せてもらいたいところです。これまでと同じような終わり方なら、もう読者も飽きてしまいます。このシリーズをどう終わらせるのかが非常に興味深いところです。(2007.8.4)

170.魚住昭『野中広務 差別と権力』講談社文庫

 若者用語で言えば、「KY君」(空気の読めない人という意味)のような安倍総理大臣が、もっと「KY君」だった赤城農水大臣を辞めさせた日に、常に空気を読み切って国政に出てから非常に短期間で「陰の総理」とまで呼ばれる地位にたどり着いた野中広務という政治家について書かれた本を紹介するのも、何かの縁かなと思います。小泉首相に正面から闘いを挑んで敗れ引退してもう4年ほど経ちますので、若い諸君は野中広務についてほとんど知らないかもしれませんが、ある意味でこれほど興味深い人生を生きた政治家もあまりいないのではないかと思います。被差別部落出身で57歳という高齢で衆議院議員に初当選してからあっという間に権力の階段をなぜ彼が駆け上がれたのか、野中広務とはどういう政治家だったのかが詳しく語られています。ちょうど長らく続いていた田中角栄による政治支配が終わり、政党の分裂や離合集散や連立の組み合わせがころころ変わる政治激動期に入ったことが、彼には大きなチャンスとなったわけですが、彼個人の情報収集力の高さ、意志の強さがあったことも忘れてはなりません。野中広務は信念の政治家ではなく空気を読む政治家だったとずっと思っていましたが、この本でそのことを改めて確認できました。空気を読み人の中には風に合わせて向く方向を変えるただの風見鶏になったりしますが、野中広務の場合は、風を強めたり弱めたり、空気を変化させることすら試みるという豪腕的な空気読みでした。結局最後の最後には負けることを覚悟で、小泉首相に吹く「追い風」を変えようとしましたが、この強風はやはり変えることができず、そのまま引退することになりました。総理大臣をやった政治家ではないので、一般的にはいずれ忘れ去られていく政治家なのでしょうが、私の中では今後出てくる政治家も含め5本の指には入る印象的な政治家として残っていくと思っています。この本はその野中広務という人物のことがきちんと描かれた力作です。(2007.8.1)

169.江宮隆之『真田昌幸』学研M文庫

 真田というと大阪冬の陣・夏の陣で活躍した真田幸村が有名ですが、幸村は生まれるのが遅く大阪冬の陣・夏の陣ぐらいしか大活躍の機会がなかったので、父親の昌幸の方が戦国武将としてはより興味深い生涯を送っています。この本はその真田昌幸の生涯を虚実ない交ぜに描いた歴史小説です。武田信玄の近習として戦術を学び、武田家の滅亡後は織田、北条、上杉、徳川、豊臣といった大勢力に圧迫されながらもその時々に巧みな外交戦略で乗り切り、それでも戦わなければならなくなった際には10倍以上の兵力を見事な戦術で破るという戦国史上に名を残す軍略家でした。もっとも有名な戦いが関ヶ原の戦いに参戦しようとする徳川秀忠軍を7日間にわたって翻弄し、結局関ヶ原の戦いに遅参させた上田城の戦いです。この関ヶ原の戦いの前に、昌幸は長男・信之を東軍に、自分と幸村は西軍に味方することで、どちらが勝っても真田家が残るように図ったというのも有名な話です。実際、信之の家系は松代で10万石を得て明治まで生き残ります。真田昌幸の見事な長期戦略だったとも言えるのではないでしょうか。(2007.7.23)

168.浅田次郎『輪違屋糸里()()』文春文庫

 本の帯に「『壬生義士伝』を超える最高傑作登場」と書いてあったのですが、たぶんそうだろうなと思っていましたが、やはりこれは誇大広告です。まあ読めることは読めますが、『壬生義士伝』と比べては可哀想な作品です。いろいろな人に独白させ、主役が誰なのかわからないような書き方になっているところがこの本の致命傷です。タイトルにもなっているのですから、本来は京都島原の天神・輪違屋糸里が主役のはずですが、そんなに重要な役割を果たしていません。この小説は結局なぜ芹沢鴨は惨殺されなければなかったのかを浅田次郎なりに推理した話で、これまで暴虐で無慈悲な悪人としてしか描かれてこなかった芹沢鴨を本物の「尽忠報国の士」として描こうとしたところが新しい解釈なので、芹沢鴨を主役にした方がすっきりと書けたと思います。しかし、男の心情を描ききった『壬生義士伝』とはぱっと見の印象から大きく異なるものにするためには、どうしても女性を主役にしたかったのでしょう。そうは言っても、島原の天神を新撰組の物語に頻繁にからませるわけには行かなかったので、結局別の女性たち(八木家のおまさ、前川家のお勝、芹沢と愛人関係にあった菱屋のお梅、桔梗屋の吉栄など)にもかなり頁数を割くことで、「女たちから見た芹沢鴨と新撰組」というテーマを一応書ききったということにしたのでしょう。凡作ですが、売れっ子になってしまった浅田次郎ですから、まあこの程度でもましな方と思わなければならないのでしょう。(2007.7.17)

167.丸谷才一『女ざかり』文春文庫

 『裏声で歌へ君が代』以来、久しぶりに丸谷才一を読みました。単行本で出たときにベストセラーになり、吉永小百合主演で映画化もされた作品です。丸谷才一は現代かなづかいを拒否して旧かなづかいで文章を書くので、1993年に発表された小説で、その時代を舞台にしているにもかかわらず、読んでいるうちに、1950年代ぐらいの時代の話のような気がしてきます。内容は新聞社の女性論説委員が書いた論説をめぐって事件が起き、その問題解決をめぐって様々な人物が登場してくるというものです。主人公の恋人が哲学者という設定になっていることもあり、哲学の話をはじめとして、著者は様々な蘊蓄を傾けます。豊富な知識を持っていることをこれ見よがしに出してくるのがちょっと鼻につきます。でも、これが純文学の特徴でしょう。ストーリーに関係ある話だけならこの小説は半分以下の量で書けます。しかし、そんな小説にしたら、この小説はほとんど意味がなくなります。ストーリー自体はたいしたものではありませんので。純文学はストーリーで読むものではないのだと思います。でも、もっと小難しい純文学と比べたら、読みやすい小説だと思います。(2007.6.17)

166.小林照幸『熟年性革命報告』文春新書

 この本は若い学生諸君が読むとショックかもしれません。お年寄りは枯れていて性的関心なんてあまりない、あってもせいぜい口で言うだけで実際の行動なんてしないはずと思っている人にとっては、ある種のカルチャーショックを与えます。70歳代、80歳代でも、少なからぬ人が、性行動を欲しているということを様々なデータから具体的に示します。私も1516年前に『老春の門』という本を読んではじめてこういう事実があることを知り、目から鱗が落ちる思いをしたのを思い出します。「性の低年齢化」は社会問題としてメディアでもよく取り上げられますが、より複雑なのにあまりおおっぴらに議論もされずなおかつ今後ますます重要性を増してきそうなのは「性の高年齢化」の方なのかもしれません。大脳に支配された人間は大脳が衰えない限り、様々な欲望を持ち続けるのです。高齢者も自分たちと変わらずいきいきと今を生きている人間なんだと思える人なら、この本も受け入れられるでしょう。(2007.6.3)

165.(映画)マーク・ロレンス監督『ラブソングができるまで』(2007年・アメリカ)

 現在公開中のヒュー・グラント主演のラブコメ映画です。私は結構ヒュー・グラントという俳優さんが好きで、今回もまあそこそこ見られる映画にはなっているだろうという程度の気持ちで見に行ったのですが、予想以上におもしろかったです。腰を振りながら歌い踊るヒュー・グラントというのもなかなか見られるものではないですし、ポスターでは全然魅力的に見えなかった相手役のドリュー・バリモアが、途中からどんどん可愛く魅力的に見えてきて、見終わったときにはすっかりファンになっていました。ストーリーの中で彼らが作るラブソングもなかなかいいですし、ディテールもちゃんと作っていて、かなり手をかけた作品だと思いました。館内は平日の昼間ということもあったかもしれませんが、8割がやや年齢層の高い女性陣が中心でしたが、この映画は若い人が見ても、十分楽しめると思います。軽くお薦めです。(2007.4.27)

164.佐藤正明『陽はまた昇る――映像メディアの世紀――』文春文庫

 156でこの本を元にした映画を取り上げたわけですが、今回原作となった本を読んでみて、映画とは印象がかなり異なると思い、本は本で取り上げてみようと思いました。映画では、高野鎮雄という人物は西田敏行が演じたせいもあって暖かみのある人物という印象が強いのですが、本で読むと信念の人、あるいはかなり我の強い人という印象を受けます。そして、映画は高野鎮雄とビクターの物語でしたが、本ではその他の企業や経済人についてもかなり光を当てていて、映像メディアの主導権をめぐって生じた戦国物語という印象です。文庫版の解説で大林宣彦も違和感を表明していますが、私も上記の文庫版のタイトルより、単行本の時のタイトル『映像メディアの世紀――ビデオ・男たちの産業史――』の方が、内容に合っていると思います。「陽はまた昇る」って、ビクターがビデオのおかげで経営を立て直したということの暗喩なのでしょうか?なんかもうひとつピンと来ません。途中まで勢いよく読んでいたのですが、途中からかなりしんどくなってきて、なんとか最後までぎりぎりたどりついたという感じでした。あとがきを読むと、どうやら日経新聞に連載していた頃の部分がおもしろく、単行本になってから付け足した部分がすっきりしていないせいだと思います。もうひとつ読みにくさの原因を挙げると、いかにも新聞記者の取材という感じの文章で、しっかり推敲を重ねたものではないからだと思います。きっと日経新聞に掲載中に評判が良くて、急いでその後も調べて本にしたのでしょう。前半85点、後半60点という感じです。日本のモノづくりがまだ元気だった頃の時代を知りたいという人は読んでみたらいいですが、そうでなければ映画で留めておいた方がいいかもしれません。(2007.2.21)

163.齊藤孝『教育力』岩波新書

 とても真当なことが書いてある本です。「教師の何よりの仕事は、学ぶ者同士が相互に切磋琢磨する友情の関係性を『場』の雰囲気として実現することである。」「教育者には、生徒と一緒に過ごす時間をある種お祭り的に捉える、というぐらいのタフさがほしい。『自分のエネルギーをとってくれ』という感じである。」「教育力に関して言うと、コミュニケーション力と、醸し出される人格的な魅力が、重要な部分を占めるのは間違いない」「生徒が先生にすごみを感じないようでは、教師としてはやっていけない」「教師自身が、知識というものが人を強くし、人を幸せにするものだという強い確信を持たないといけない。」「勉強するということの基本は、人の言うことを聴くことである。『おれが、おれが』という自己中心的・独善的な態度を一度捨てる必要がある。『自分に理解できないことは全部価値がない』という、自分の好きか嫌いかが世界をすべて決めるという態度では何も学べない」いずれも、教育について真剣に考えたことがある人なら、誰でもが思っていることです。私もほぼまったく同意見です。たぶんこの本は売れるでしょう。ただし、売るために、様々な立場の教師、また教師以外の人も読者として想定しているために、途中から焦点がぼけてしまっています。また、後半は有名人と対談したときにこんなことを言っていたというような安易な箔付けが何度も出てきて鼻につきます。最後まで読むと、結局、売れっ子学者が出版社からの要望に応えて時間をかけずにまとめた本という印象が残り残念でした。しかし、上で引用したように前半部分に書いてあることは真当な教育論です。まあ、この引用を読んだだけで、この本の8割は読めてしまったようなものですが……。(2007.2.12)

162.竹内洋『丸山眞男の時代――大学・知識人・ジャーナリズム――』中公新書

戦後すぐに論壇のスターとなり、進歩的知識人の代表格と見なされてきた丸山眞男という政治学者を取り上げ、戦前・戦中・戦後の時代の空気を読み解こうとした本ですが、非常に興味深く読むことができました。ただし、私は丸山眞男がスターであった時代を知っている世代であるがゆえに興味を持てたので、現在の若い学生さんたちにはさほどおもしろいとは思えないかもしれません。(大学院生あたりならついてきてほしいところですが。)本書にも書いてあることですが、1970年代頃まで丸山眞男はビッグネームでした。そして、彼に代表される「岩波文化人」ぽい雰囲気を持った人は、社会学の教授でもいました。たぶん、「ミニ丸山眞男」は日本の多くの大学にいたのではないかと思います。(今でも多少いるような気がします。)そういう先生方の醸し出す独特の空気はいかにも「知識人」という感じで、凡才の私などはとうていたどり着かない高みだと思っていました。しかしまた他方で、なんか格好はいいけれど、少しきれいごとすぎるような気がしていたのも事実です。本書を読んで、「丸山眞男神話」あるいは「丸山眞男風知識人神話」から、私自身も完全に解き放たれたような気がします。「知識人」という格好良さはないけれど、泥臭い、地に足が着いた学問・研究・教育をしていきたいと改めて思いました。(2007.2.8)

161.飯嶋和一『始祖鳥記』小学館文庫

 『雷電本紀』で知った飯嶋和一の名作として名高い小説ですが、確かに評判通りの傑作だと私も思いました。江戸時代(天明)に日本で(世界で?)初めて空を飛んだ男として有名な備前屋幸吉を主人公にした本ですが、『雷電本紀』同様、単なる伝記小説ではなく、幕藩体制(政府の無策)への批判を横軸に折り込んでの、本格的な江戸歴史小説です。『雷電本紀』よりストーリー(縦軸)が明確なので読みやすいと思います。歴史的背景をよく調べて書いているので、幸吉以外の魅力的な登場人物もみんな本当にいたのかなと思わせます。印象的な最後の場面も史実にはないようですが、史実のような気がしてしまうほどです。フィクションなのかノンフィクションなのか読者が悩むのは、歴史小説としては大成功と言えるのだと思います。私が映画プロデューサーなら、ぜひ映画化してみたい作品です。制作費はかなりかかる(というか、かけなければいけない)でしょうが、きちんと作れば、日本映画史上に残る作品になることは請け合いだと思います。いつかきっとどこかの映画会社が目をつけるでしょうが、安易な作りにだけはしてほしくないものです。絶賛していますが、実は少し気にかかることもあります。それは、この小説の完成度についてです。三部構成の小説なのですが、第一部と第三部は幸吉が主役ですが、第二部では幸吉は完全に脇役になっています。私はこの小説を『始祖鳥記』という題名に合う作品として完成度を高めるためには、第二部は簡略化し、第一部と第三部を素直につないだ方がよかったと思います。第二部も非常におもしろいのですが、これはむしろ幸吉以外の人物を主人公とした別の独立小説として読んだ方がいいように思います。作者は1冊で2冊分の小説を書いてしまったように思います。いずれにしろ、久しぶりに出会った傑作で、お薦め作品です。(2007.1.23)

160.(映画)山田洋次監督『武士の一分』(2006年・松竹)

 山田洋次監督の時代劇3部作をこれですべて見たことになりますが、この作品は1作目の『たそがれ清兵衛』と比べるとかなり落ちますが、2作目の『隠し剣・鬼の爪』よりは出来のよい作品です。2作目の失敗を反省して作ったんだろうなということが感じ取れました。主演の木村拓哉と壇れいはまあ合格点だと思います。前作の永瀬正敏と松たか子のようなミスキャストではありません。最初キムタクが少し軽いかなと思いますが、それも計算のうちだったということがじきにわかります。壇れいという女優さんは宝塚出身で映画などにはこれが初めての本格出演ではないかと思いますが、確かになかなかきれいな人でした。ただ、艶のある美人だったので、私が監督ならもう少し色っぽい場面を作りたいところでした。山田洋次監督はそういう場面を描かない人なので、仕方がないのかもしれませんが、少し押さえすぎている感じで、そこが残念でした。宮澤りえや松たか子ならあの程度で十分でしょうが、この壇れいという女優さんを生かすためには、もう少し艶のあるシーンが必要だったのではないかと思います。さて、メインの果たし合いシーンですが、キムタクは頑張っていたと思います。永瀬正敏は下手すぎたのかそうしたシーンがほとんどありませんでしたが、木村拓哉はそれなりに盲人剣らしい迫力を出しています。真田広之にはおよびもつきませんが、よくやっていると評価できます。テーマは夫婦愛で、ストーリーはわかりやすいです。わかりやすすぎて、予想ができてしまいますので、ストーリー自体はそんなに高く評価できるものではありません。まあぎりぎり合格点という感じの映画ですが、見て損をしたという気分にはならないことは保証します。(2007.1.21)

159.(映画)犬童一心ほか監督『いぬのえいが』(2004年・日本)

 出演者が結構豪華な顔ぶれだったので、どんな映画かも知らずになんとなく録画しておいたのですが、ちょっと見始めたら、いつのまにか引き込まれてしまいました。別に特段の犬好きではない人間ですが、こんな風に映像化されたら、やっぱりかわいいなと思ってしまいます。やられたという感じです。日頃CMを撮っている人達が監督しただけあって、映像がきれいで、見る人に確実に印象を残すような作りになっています。いろんな犬が出てきますが、私はやはり主役級の活躍をする柴犬のポチがいいですね。後で、出演者(犬?)のところを見たら、3匹が演じ分けていたようですが、犬通ではない私にはどこで入れ替わったのかはよくわかりませんでした。(少し年齢が違う犬は出ていたように思いますので、たぶんそのあたりだと思いますが。)なんか癒される「環境映画」のようでした。(2007.1.13)

158.飯嶋和一『雷電本紀』小学館文庫

 雷電とは江戸後期に現れた相撲取りで記録が残っている中では現在までに現れたもっとも強い力士(21年間で、25410214預、勝率962厘)です。彼の生涯を知りたくて読み始めた本でしたが、単なる伝記小説ではなく本格的な歴史小説でした。江戸時代の史実を生かしながら、雷電ともう一人の主役・鍵屋助五郎との交流、さらには江戸庶民との関わりも上手に描かれています。しばしば時代を前後させるので、年表でも作りながら読まないとちょっと読みにくい感じもしますが、たぶんさらっと読みやすい小説になってしまわないように、著者は狙ってやっているのでしょう。飯嶋和一という作家は知る人ぞ知る力のある本格的な歴史小説家で、1作1作丁寧な資料調べに時間を費やすようであまり多作ではないため、これまで気づきませんでした。何作か出されている作品はいずれも評価が高い作品のようなので、探して読んでみようと思いました。ちなみに、相撲や江戸文化に興味のある方でないと、読み切るのはしんどいかもしれません。 (2007.1.7)

157.日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』新潮文庫

 これは名著です。法曹界の関係者、精神医学関係者、政治家、メディア関係者、みんなが読んで、この著者の語る方向で、法律を変えるべきです。人は社会で生きていく上で、様々なルールに縛られています。その代表格のひとつが社会の常識であり、もうひとつが法律です。この両者が合致していれば、我々は法にも素直に従えますが、しばしばこのふたつがずれることがあります、最近のニュースで密かに話題を呼んだ「18歳成人」も、大学生から実質的に大人扱いしている世間の常識と法律を合致させようという改革案として捉えると支持できるように思います。さて、この本も、そうした世間の常識と法律のずれが非常に大きい刑事裁判における「精神鑑定」の不可解さを鋭く追及したものです。読んでいると、こんな判決が本当に出ていたのか!と憤りを押さえられなくなるほどです。覚醒剤を自分で打ったり、あるいは勝手に大量の酒を飲んだりして、その勢いのまま「通り魔」的に見知らぬ人を殺したら、「心神喪失」という名目で「責任は問えない」ということになって、不起訴(実質無罪)になるケースが山のように日本ではあるのだそうです。そういう判断を下された人間は精神病院に入れられますが、しばらくしたら治癒したという判断が下され退院してまた一般社会に戻ることが多いのだそうです。ちょっと待ってよと言いたくなります。もしも自分が被害者の関係者だったらこんな判決は絶対納得いきません。いや、被害者の関係者でなくても納得行きません。刑法39条(心神喪失による不罰規定)は削除すべきだという著者の主張は間違いなく正しいと思います。なぜ未だにこの39条が削除されないのか不思議でなりません。(2006.12.28)

156.(映画)佐々部清監督『陽はまた昇る』(2002年・「陽はまた昇る」制作委員会)

 先日深夜にTVでやっていたのを録画して見たのですが、これは良質な作品です。「プロジェクトX」でも取り上げられたビクターのVHS開発をめぐる実話を映画化した人間ドラマです。映画にするにあたって多少のフィクションは作られたのかもしれませんが、話の骨格は事実を基にしているはずです。大物の演技派の俳優さんたちがたくさん出演していて、締まりのある映画になっています。(まともに出演料を払っていたら、相当に制作費が高くつきそうですので、きっと皆さん、この映画の原作に惚れて、かなり安い出演料で出ているのではないかと推測しています。)主演は西田敏行です。私は彼は人間的には好きなタイプなのですが、俳優としてはあまりに西田敏行色が出過ぎるので、彼が主演する映画はどれももうひとつ評価できませんでした。しかし、この作品に関しては、まさに彼の良さが活きていて納得できます。西田敏行の代表作と言ってもよい作品だと思います。それにしても、こんな素晴らしい人間ドラマが実際にあったんだと思うと、じわっと感動してしまいました。これは日本アカデミー賞を取ってもおかしくない作品だと思いますが、この作品が公開された2002年は『たそがれ清兵衛』や『阿弥陀堂だより』という名作があったせいで、優秀作品としてのノミネートのみで終わったようです。どうやら2002年は日本映画の当たり年だったようです。(2006.11.23)

155.山里亮太『天才になりたい』朝日新書

 立ち読みで読み終えてしまったのですが、結構おもしろかったので、罪滅ぼし代わりに紹介しておきます。著者は、「南海キャンディーズ」の「山ちゃん」です。2年前の「M−1」決勝で南海キャンディーズを初めて見たときのインパクトは忘れられません。その後の活躍はみなさん、ご存知の通りです。その山ちゃんが売れるようになるまでの半生(?)を素直に語った本です。これもみなさんご存知でしょうが、山ちゃんは関大文学部の出身です。てっきり関西人かと思っていたのですが、なんと千葉県出身でした。どうしてもお笑いをやりたくて、そのためには関西に行かなければならないと信じ、反対する親を説得するために関西以外でも名の知られている大学でなければ関西行きが許されないという条件の下で、関大を選んだのだそうです。関大北斗寮での珍妙な生活ぶりなども好意的に描かれていて、結構関大にとって宣伝になる本です。まあそれは関大関係者ゆえの特殊な読み方ですね。もちろん本書の中心は、お笑い芸人として売れるために山里亮太という人間が如何に工夫を重ねてきたかについて書かれた部分です。話の展開のさせ方や心理描写がとてもうまく読みやすい本です。たぶん自分で書いたのでしょうが、彼は文章を書く力は十分あると思いました。でも、逆にこんなに文章のちゃんと書ける人は、いつまでもお笑い芸人というポジションで留まっていられるのだろうかと気になりました。キャラの濃さから言うと、司会役に転身するというタイプでもないと思いますので、個性の強い役者か構成作家か、といった感じかもしれませんね。(2006.11.23)

154.河合敦『世界一受けたい日本史の授業』二見文庫

 タイトルほどすごい本ではありませんが、このコーナーもしばらく更新していなかったし、高校までの教科書でしか日本史を知らない人たちにとっては、「トリビアの泉」風に「へぇー」を連発しながら、軽くおもしろく読める本なので、一応紹介しておきます。「教科書で見た歴史上の人物の肖像画(源頼朝、足利尊氏、聖徳太子など)は別人だった!?」とか「江戸時代、日本に鎖国制度なんてなかった!」といった目次を見ると、歴史好きはわくわくすると思います。歴史って変えようのない過去の事実だと思いがちですが、新たな資料の発見や、解釈の変化などで、ずいぶん変わってしまうものです。この本は軽い読み物として書いていますが、その内容によっては日本の歴史の本質に関わることだったりしますので、文体ほどには軽く考えることはできないなあと思いながら、読みました。教科書で習ったこととどれほど異なる歴史が日本にあるのかに興味がある人は、ぜひ読んでみて下さい。(2006.10.20)

153.小松左京『日本沈没()()』小学館文庫

 1973年の大ベストセラーですが、久しぶりに映画が公開されたことで文庫本として復刊されたので、初めて読んでみました。いやあ、これは壮大な小説です。安易なパニック小説とはまったく違う、これこそ本格的なシミュレーション小説です。読後感としては、小説を読んだというより、軽い学術書を読んだという印象です。それも地球物理学、地震・火山学といった自然科学系の知識だけでなく、国際政治論、日本人論、日本社会論などが、総合的に含まれています。小松左京という作家の知識の広さと深さに感嘆しました。すらすら読める小説ではありませんが、日本社会と日本人について改めて考えたくなる読みごたえのある小説です。(2006.9.19)

152.乃南アサ『晩鐘()()』双葉文庫

 『風紋』の続編です。判決から7年後に、被害者、加害者の子どもたちがどうなったかを描いた作品です。一方の主役である被害者の娘は『風紋』でもすでに主役的な扱われ方をしていましたので、『晩鐘』ではもう一人の主役である加害者の子どもたち、特に小5の男の子が新鮮な存在となっています。事件のことはもちろん、父も母も知らずに育った少年が、徐々に自分の周りの秘密に気づいていき、そして最後には……という展開です。被害者の娘との接点、そして秘密を知った後の少年の行動、いずれもそれほど強引な展開にはしておらず、無理なく受け入れられました。上・下巻合わせて1400頁近くになる長編(『風紋』と合わせると2400頁にもなる大作)ですが、飽きさせません。一気に読んでしまいました。できたら、また7年後ぐらいに続々編が読んでみたい気がします。傑作と言っていいと思います。(2006.9.4)

151.乃南アサ『風紋()()』双葉文庫

 乃南アサという作家は一流だと思います。ほぼ同じ世代で同じようなジャンルの作家としては宮部みゆきの方が世間では評価が高いようですが、私は乃南アサの方が優れていると思います。彼女の作品はどの作品もそれなりの水準を保っており、読んで損したという気にはなりませんので、これまでにもたくさん読んできましたが、まあここで取り上げるほどのこともないかなと思い、これまでには2冊しか取り上げてきませんでしたが、この作品は久しぶりに取り上げたくなりました。ジャンルとしては推理サスペンスものに入るのかもしれませんが、どちらかと言えば犯罪に関する推理よりも、本人の意思に関わりなく行われた犯罪によって被害者遺族と加害者家族となってしまった人々の生き方を、その心理に深く入り込んで描ききった作品です。この作家は人物描写が丁寧で、何人もの登場人物を見事に描き分けます。ざっと思い浮かべてもすぐに20人以上が出てきますが、その一人一人がみんな単純な人間ではなく、いろいろな思いを抱えた人物として見事に造形されています。お薦めの一作です。(2006.9.2)

150.(映画)溝口健二監督『近松物語』(1954年・大映)

 近松門左衛門の浄瑠璃芝居「おさん茂兵衛」を映画化した作品ですが、ストーリー以上に江戸時代を感じさせる細かい気配りに見ほれてしまいました。髷ひとつとっても、武士、公家、大店の主人、奉公人と身分によって明確な違いを示しており、女性の着物の着方なども今とはまったく異なる着こなしです。最近作られる時代劇作品はここまでディテールを丁寧に扱っていません。この映画が作られた1954年頃にはまだ江戸時代に生まれた人で生きていた人もいたでしょうし、まだ江戸が書物の中だけの歴史になってしまっていなかったんだろうなとしみじみ思いました。ちなみに、ストーリーも悪くないです。長谷川一夫の茂兵衛と香川京子のおさんの恋は節度のある艶を感じさせ、最後は幸福そうに磔台に引かれていくのが非常に納得がいきます。(2006.9.2)

149.野沢尚『深紅』講談社文庫

 数頁で読者を引き込む劇的な「起」、謎解きの「承」、場面が大きく変わり次への期待をさせる「転」と、ここまではパーフェクトな小説ですが、最後のもっとも重要な「結」が残念ながらもの足りません。確かにこういう終わり方もありかもしれませんが、やはり推理・サスペンスものとして読み進めてきた読者からすれば、被害者の娘である主役が隠してきた秘密が加害者の娘である友人に露見し、そこで何か劇的なことが起こるという結末を期待します。「えっ、こんな平穏な終わり方?」と、ちょっと肩透かしを喰った気持ちになりました。同年齢の被害者の娘と加害者の娘を知り合いにさせるという設定は、現実世界ではまずありえない非常に緊張感のあるユニークな設定だと思います。それだけに、その事実を知っているのが片方だけでなく、双方ともになった場合、2人の間に何が起こるかを、著者にはぜひ書き込んでほしかったところです。最後に満足感を持てないので、点数をつけるなら70点という感じの小説です。(2006.8.28)

148.北原亞以子『深川澪通り 燈ともし頃』講談社文庫

 この作品は、深川澪通りの城戸番夫婦を狂言回しとして物語が展開するシリーズ物で、「本を読もう!1」の初期の頃にも取り上げたことがあるのですが、久しぶりに読んで、やはりこの人はプロの作家で本当にうまいなと思ったので、取り上げておきます。前作の『深川澪通り 城戸番小屋』は短編集でしたが、2作目のこちらは中編2本が収録されています。無頼な生活から狂言師となった男を主人公にした物語と、腕のよい仕立屋である女を主人公にした物語です。本書の魅力はたくさんあるのですが、まず見てきて書いたのではないかと思えるほど江戸の下町の風情が見事に描写されています。第2に、たくさんの登場人物が出てきますが、一人一人の個性がきちんと描き分けられていて、またどの人物も最終的には憎めない人物と思わせてしまう人物造形力はこれまた見事と言えます。第3に、主人公の悩み(物語のテーマ)が時代を超えて現代でもそのまま通用するものだということです。第1話の狂言師は、自らの狂言師としての成功を追い求めすぎた結果、女房に逃げられてします。これは「仕事と家庭の両立」で悩む男の話と言えるでしょう。第2話の仕立屋は35歳独身の女性で、「結婚を半分あきらめかけたキャリアウーマン」の物語として読めます。もちろん、これだけのまとめ方ではこの2つの物語の魅力はまったく伝わらないのですが、人生の悩みというのがかなり普遍的なものだと気づかせてくれるのも、小説を読む楽しみのひとつだと思います。時代小説なんて、若い人はあまり読まないかもしれませんが、絶対読んで損のない本なので、お薦めしておきます。(2006.8.16)

147.なかにし礼『てるてる坊主の照子さん()()()』新潮文庫

 NHK朝の連続小説「てるてる家族」の原作になった本です。小説としての出来はまったく良い本ではありませんが、長女がオリンピックのフィギュアスケート代表になり、次女が「いしだあゆみ」という女優になり、四女が、この小説を書いたなかにし礼の妻になった一家の実録物語としてみると、興味深く読めます。家族が馬鹿明るすぎるのがちょっと嘘っぽすぎるのですが……。舞台は大阪府池田市で、ライバルとして登場してくるフィギュアスケートの選手たちはみな実名で登場し、そのひとりは関西大学の選手だった人(現在は夫婦で有名なコーチになっている人)もいますので、親しみを持って読めました。また、早々と喫茶店にテレビを置いて人気を博したり、力道山の話題やら、昭和20年代〜40年代はじめ頃までの空気もある程度伝わってきますので、個人的にはおもしろかったです。ちなみに、テレビドラマでは、インスタントラーメンを生みだした日清食品の安藤百福がモデルと思われる人物が登場し、三女や四女との接点があったような話になっていましたが、小説の方ではそんなエピソードはまったく出てきません。確かに、日清食品のチキンラーメンも池田市で誕生していますし、時代的にも重なっているので、どこかで接点があってもおかしくはないのですが、事実としてはなかったようです。薄い本なのに無理に3巻本にしており買ってまで読む価値のある本ではないですが、もしインスタントラーメン発明記念館などを訪ねる目的で池田に行く機会があるなら、読んでおくといいかもしれません。栄町にある「照子さん」(実際は久子さん)のお店(今はブティックらしいです)や、四姉妹が初詣に行った呉服神社、下の2人が通った池田小学校などをついでに訪ねる楽しさが増すかもしれません。(2006.8.12)

146.海音寺潮五郎・司馬遼太郎『日本歴史を点検する』講談社文庫

 2人の大歴史小説家が日本の歴史と日本人について語り合っている対談本です。対談が行われたのは、1969年でもう37年も前のものですが、今読んでも十分おもしろく読めます。日本人の由来、天皇制について、室町時代、戦国時代、江戸期、幕末、明治時代そして大学紛争についてまで、本当に縦横無尽に話題が展開しますので、歴史に関する知識を相当に持っていないとついて行きにくいかもしれません。長い歴史の営みの上に今という時代があることを感じさせてくれる本で、日本社会を考える上で非常に参考になる本です。今、こんなレベルの高い対談をできる歴史小説家はいないような気がします。いつか私自身がこんな対談をやってみたいものです。(2006.8.6)

145.荻原浩『神様からひと言』光文社文庫

 「書店員さんが大絶賛!」という帯に惹かれて買い、読んでみました。企業のクレーム対策室を舞台に描かれたユーモア小説で、確かに悪くはないです。この作家は、1956年生まれでもう50歳ですが、小説は40歳を過ぎてから書き始めたそうです。もともとコピーライターを職業としていた人らしく、ひとつひとつのセンテンスが短く歯切れのよい文章を書きます。人物設定の荒唐無稽さ、テンポのよさから、ちょうどおもしろいマンガを読んでいるような気分になりました。大学生には受ける小説だと思います。疲れているときに、軽く何か読みたいなと思った時に読むのに最適な作品だと思います。「ユーモア小説」が多いようですが、若年性アルツハイマー症を扱った『明日の記憶』も書いているようなので、少しずつ守備範囲を広げて来ているのかもしれません。『明日の記憶』も含めてもう何冊か読んでみてからでないと、正確な力量は判断できなさそうです。(2006.7.21)

144.城山三郎『気張る男』文集文庫

 松本重太郎という明治時代に大阪で活躍をした経済人を扱った伝記小説です。老いすぎた城山三郎の書く文章はあまりに粗雑で小説としての出来はほとんど最低といっていいほどの本です。にもかかわらず、ここで取り上げようと思ったのは、松本重太郎という人物の存在を知ってほしかったからです。4年近く前に同じような思いで取り上げた白州次郎(52.青柳恵介『風の男 白州次郎』新潮文庫)は、最近大人気のようで、書店に行くと彼の関連本がたくさん出ています。いつか松本重太郎にも光が当たる日も来るかもしれません。もっとも、すでに3年ほど前に彼の生涯はNHKでドラマ化されているようですし、白州次郎のようにダンディーではないので、まあブームにはならない可能性の方が高そうですが。ただ、彼の残した足跡は、関西経済界にとっては、白州次郎などと比べものにならないほど大きなもので、もっと知られていなければならない人物です。かく言う私も実はつい最近までまったく彼のことを知りませんでした。数ヶ月前に高野山に行き、いろいろな著名人の墓を見ていたときに、彼の業績を記した大きな墓(記念碑だったかも?)を見つけ、「ふーん、こういう人がいたんだ」と名前を初めて知りました。で、先日ブックオフでなんとなく本を見ていたときに、この本を見つけたわけです。しかし、読んでみて、正直びっくりしました。なんで、これほどの人物がこんなに知られていないのだろうと不思議に思うほどです。彼は、江戸末期に、今やブランド蟹で有名な丹後半島の間人(たいざ)で生まれ、10歳で村を出て、京都、大阪で丁稚奉公から始め、若いうちに独立し明治という新しい時代が求める産業を次々に起こしていきました。絶頂期には「西の渋沢栄一」と呼ばれ、その所得は住友に次いで第2位だったほどです。そのすごさは、彼が起業したり、創立に大きな関わりを持った企業を並べてみるのが一番わかりやすいでしょう。「日本の鉄道王」と呼ばれたこともあるほど、鉄道建設には熱心で、明治17年に日本初の民営鉄道会社、阪堺鉄道(後に和歌山まで延ばし、現在の南海電鉄となる)を造ったのを皮切りに、神戸と下関を結ぶ山陽鉄道(現JR山陽本線)、大阪と舞鶴を結ぶ阪鶴線(現JR福知山線)、浪速鉄道(現JR片町線)、七尾鉄道などを造りました。また、アサヒビール、明治生命、東洋紡績の起業に深く関わり、百三十銀行を創設しました。最終的には、日露戦争の経済不況の中、銀行経営に失敗し、すべてを手放すことになってしまいました。養子の嫁は総理大臣・松方正義の娘で、その子どもが松本重治という著名ジャーナリストだったりしますし、今や観光スポットになった長浜の黒壁は、もともと百三十銀行の長浜支店だったりしますので、本書を読みながら、「へえー、そんなところにも関係しているんだ」と新鮮な驚きを持ち続けました。この本自体はわざわざ買って読むこともありませんが、松本重太郎という人物のことはぜひ覚えておいてください。なお、明治30年代に、関西大学の前身の関西法律学校が江戸堀に校舎を立てて本格的に拡張するにあたっても、彼はおおいに活躍しているそうです。(2006.7.17)

143.(映画)木下恵介監督『女の園』(1954年・松竹)

 最近1950年代の世相が描かれた映画に興味があり、BS等で放映しているときはよく見ています。レンタルビデオ屋には、黒澤明や小津安二郎の作品なら置いてあると思いますが、海外で高く評価されることがなかった木下恵介となるとほとんどないように思います。しかし、彼は当時黒澤明と人気を2分する人気監督で、日本での観客動員数自体は黒沢明より多く集めた作品も何本もあります。私のような50年代生まれの人間にとっては、映画監督という以上にテレビドラマの「木下恵介劇場」を思い出します。そのテレビドラマも多くがそういう作品だった記憶がありますが、この映画も複雑な人間心理を描いた作品です。京都の女子大学を舞台に、高峰秀子、高峰美枝子、久我美子、岸恵子といったその後大女優になった女優陣が火花を散らします。極端なまでに厳しい規律を求める学校側の代表を寮母として高峰美枝子が演じ、他の3人はその規律に苦しめられる女子学生を演じています。デフォルメはされていると思いますが、1950年代前半の女子学生にはこういう生き方が求められていたのかと思うと、しみじみ隔世の感があります。ストーリー自体は単純なものですが、1950年代前半の都市の様子や交通機関、ファッション、価値観など、社会学的には実に興味深い映画です。(2006.7.8)

142.(映画)佐々部清監督『チルソクの夏』(2003年・「チルソクの夏」制作委員会)

 下関に住む陸上少女が主人公で、韓国の少年との「ロミオとジュリエット」のような恋と、3人の陸上仲間との友情がテーマです。ベタと言えば思い切りベタな映画で、緻密に計算され尽くした映画と言うよりは、大衆受けを狙って挿入したとしか思えない安易なシーンがたくさんある映画です。あだち充のマンガにでも影響を受けたのではないかと思われる無用に頻出する女子高生の着替えのシーン、定番の女子高生妊娠ネタ、そして197677年が舞台であることをしつこいほど感じさせるその頃のヒット曲の折り込み方、スナックへのカラオケの普及などといった風俗事情が安易に挿入されます。朝鮮半島の南北分断や日韓の反発意識なども折り込まれていますが、いずれも深く語られることはありません。そういう意味ではこの作品は、完成度の高いものではありません。でも、映画に深い思索を求める気のない人なら、主役を演じた水谷妃里や上野樹里をはじめとする4人の若い女優たちの、本気で走る姿、跳躍する姿を見るだけでも、「ああ、青春だな」と気持ちよくなれると思います。単純人間の私も、細かいところは気にしすきずに、みずみずしい青春映画と評価したいと思いました。(2006.6.24)

141.貫井徳郎『神のふたつの貌』文春文庫

 久しぶりに貫井徳郎を読みましたが、やはりこの作家はなかなかの力量の持ち主です。叙述上のトリックは『慟哭』とほぼ同じだったので、第3部に入ったときに私は気づきましたが、第2部までは疑いませんでした。トリックを仕掛けるためにかなり強引な設定がしてあることと、第3部の謎解きのキーパーソンになる人物の強引な登場のさせ方は、本書を通俗なミステリー小説に分類させたくなってしまいますが、全編に流れる「神との対峙」というテーマは、本書を純文学にすら分類させたくなるほどです。身近なテーマと安易なプロットで作品を量産するミステリー作家が多い中で、これだけプロテスタント系キリスト教を勉強して、単なる装飾としてではなく物語の骨格を構成するテーマにまで仕上げたことには、おおいに感心しました。一読の価値のある小説です。(2006.6.21)

140.近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』講談社文庫

 今、京都の国立近代美術館で「藤田嗣治展」がやっています。非常に見応えのある美術展です。そこで販売されていた本ですが、非常におもしろかったです。日本の画家で彼ほど、変化の激しい人生を送った人も珍しいのではないかと思います。陸軍軍医総監(森鴎外の後任)を父に持ちながら、若い時から画家を志し、東京美術学校を卒業するも、日本では評価されず、パリに行きます。そこで、若き日のモディリアニやピカソなどに出会い影響を受けたりもしながら、日本画の要素を取り入れた「乳白色の肌」と呼ばれる画風を確立し、一躍時代の寵児になります。彼が時代の寵児であった1920年代のパリは、退廃的文化の栄えた街で、藤田はその中心的なメンバーの一人でした。有名なおかっぱ頭にロイド眼鏡とチョビ髭というユニークすぎるほどユニークな藤田の風采は、20年代のパリゆえに受け入れられたと言えるかもしれません。フランスでもっとも有名な日本人画家になった藤田ですが、相変わらず日本では、奇妙な格好と宣伝上手で売れているだけと、絵画は正当には評価されないままでした。それでも、あくまでも日本人たらんとした藤田は1930年代に日本に帰り、第2次世界大戦中はこれまでの作品とはまったく趣の異なる力強い戦争画を何枚もものにします。しかし、戦争が終わると、今度はそうした戦争画を描いたことで、また非難されるようになり、ついに再び日本を離れ、最後はフランスに帰化して、彼の地で生涯を閉じます。「私が日本を捨てたのではなく、私は日本に捨てられたのだ」というのが晩年の藤田の思いだったそうですが、本書を読むと、藤田がそういう気持ちになったのも納得が行きます。美術展を見て本書を読むと、一人の人間が己の才能を活かしながら生きていく執念のようなものが感じられます。本は後でも入手して読むことができますが、京都国立近代美術館の「藤田嗣治展」は7月23日までです。戦争画も含めて若き日から晩年までの藤田の仕事が見られる機会は滅多にないと思います。ぜひ一度ご覧になることをお薦めします。(2006.6.18)

139.(映画)イ・ジェハン監督『私の頭の中の消しゴム』(2005年・韓国)

『明日の記憶』と同様、若年性アルツハイマー症を素材にした夫婦愛の話なのですが、こちらは純愛映画の趣が強いです。アルツハイマーの症状が出る以前の若い2人の出会いと幸福な生活を描くことにこの映画はかなりの時間を割いており、若年性アルツハイマー症は、韓国恋愛ドラマお得意の不幸(交通事故、血を分けた兄妹etc.)を作り出すための小道具に過ぎず、病気の大変さは十分描き切れていないと思います。だからこそ、同じ設定でも、映画を作りうると渡辺謙(『明日の記憶』のプロデューサーとして名前が出ていました)は考えたのだと思います。シリアスな社会派映画として見たら不合格ですが、純愛映画としては合格点を与えてもいいように思います。主演男優のチョン・ウソンは男らしい魅力に溢れ、主演女優のソン・イェジンは愛らしい女性としての魅力に溢れています。若い人が楽しめるのは、『明日の記憶』より『私の頭の中の消しゴム』でしょう。(2006.6.5)

138.(映画)堤幸彦監督『明日の記憶』(2006年・東映)

 なかなかよい作品です。49歳でアルツハイマー症と診断され、徐々に記憶が消えていく夫とその妻の物語です。もしもこんなことになったら、自分ならどうなるだろうとつい考えてしまいます。夫を渡辺謙、妻を樋口可南子が演じていますが、2人とも熱演です。来年のアカデミー賞には間違いなく2人とも主演賞でノミネートされるでしょう。特に樋口可南子の、静かに押さえたそれでいて芯の強さを感じさせる演技は、最優秀主演女優賞に値すると思います。以前『阿弥陀堂だより』でも、すばらしい演技を見せていましたが、今やこういう静かだが芯の強い妻役をさせたら、彼女の右に出る人はいないでしょう。現実は芝居とは違うのかもしれませんが、糸井重里(実生活での樋口可南子の夫)がちょっと羨ましくなりました。(2006.5.20)

137.宮部みゆき『R.P.G.』集英社文庫

 直木賞を取った『理由』がもうひとつだったので、宮部みゆきからしばらく離れていましたが、前からちょっと読みたいなと思っていたこの本が安く売っていたので、久しぶりに宮部みゆきを読んでみました。大傑作ではありませんが、十分平均点以上の作品で、それなりに読ませます。こういうレベルの作品をコンスタントに書けるというのは、まさにプロの作家という感じがします。「RPG(ロール・プレーイング・ゲーム)」というタイトルを二重の意味で使っているところが、この作品のミソです。最後まで読んで、なるほどそういうことかと思わせてくれます。宮部みゆきは、最新の社会現象をテーマ化するのがうまいです。この作品ではインターネットのバーチャル・リアリティの世界を、『火車』ではカード破産を、『理由』ではマンションの不法占拠を取り上げています。こういう社会現象に敏感だという点では、村上龍と宮部みゆきが現代作家の双璧でしょう。(2006.5.2)

136.呉善花『私はいかにして「日本信徒」となったか』PHP文庫

 おそらく出版社が話題作りを狙ってわざとやっているのでしょうが、この著者の本のタイトルはいつもわざと過激につけられています。この本もタイトルほど日本絶賛の本ではありません。韓国の反日・反共・愛国教育の申し子だった著者が、なぜ日本を受け入れられるようになったのかを素直に書いた本です。来日してすぐの予想外の日本人の優しさ、その後にやってきたやはり日本人は冷たいという印象、そして徐々に理解できるようになっていく日本人の美意識、そしてその思いを書籍にまとめたことにより、巻き起こった韓国人からの批判という、著者のたどった過程が描かれています。私も先日初めて韓国に行き、外見の類似性と美意識の違いに奇妙な違和感を抱いたばかりですので、逆の立場から著者が様々な違和感を日本に抱いたこともよくわかります。新聞各紙では取り上げられないのに密かにベストセラーとなっている『マンガ嫌韓流』(山野車輪作・晋遊舎)は、タイトル通りかなり悪意に満ちた本ですが、この本はそんなことはないと思います。この著者が、韓国で「売国奴」と呼ばれているとしたら、やはり韓国の反日感情が少し強すぎるように思います。第2次世界大戦終了までの近代の不幸な歴史(それを極端な形で教える戦後の韓国の教育)によるものだけでなく、中華思想の強い影響を受け、自らを「小中華」と位置づけ、日本を「夷」と見る歴史を持つ韓国が、日本を正しく認めるのは、著者が指摘するように、なかなか困難なことかもしれません。(2006.4.28)

135.小泉和子『昭和のくらし博物館』河出書房新社

 最近、意識して「昭和」探しをしているので、いろいろな本に当たるのですが、なかなか「これは!」と思うものに出会いません。そんな中で見つけた1冊ですが、これは割と良い本だと思いましたので、紹介しておきます。昭和8年生まれの著者が自らの体験をベースにしつつ、資料・記録にも丁寧にあたり、昭和の家庭生活の変化を平易に語った本です。写真がたくさん使われていますので、昭和の記憶のない若い人たちでも読みやすい本だと思います。私は以前から、昭和一桁生まれの女性たちは日本に革命を起こした世代だと思っています。もちろん、その革命とはホットな暴力的革命ではありません。静かにしかし非常に大きく日本を変えた家庭生活の革命です。(私はこれを「静かな革命」と呼んでいます。)昭和1桁生まれの女性たちのほとんどは、第2次世界大戦が終了した昭和20年代から30年代前半にかけて結婚し、家庭を持ちました。自分自身が「産めよ、増やせよ」時代の子どもで多すぎるほどの兄弟姉妹の中で貧困をたっぷり味わいながら育ったこの世代の女性たちは、まず自分はたくさん子どもを産まないという選択をすることで、最初の「革命」を起こしました。(現在「少子化」がよく話題にされますが、割合で見れば、今の女性たちより昭和一桁生まれの女性たちの方が子どもの数を激減させているのです。)そして、戦前の日本の家庭生活の大変さを身をもって知るこの世代の女性たちは、戦後知ることとなったアメリカ人の家庭生活に強い憧れを持ち、日本の家庭生活を洋風化するという第2の「革命」を起こしました。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機といった電化製品だけでなく、洋服の普段着化、ミシン、テーブルと椅子の生活、子どもの勉強机、ソファー、等々、この世代の女性たちが主婦となって普及させたものは数知れません。彼女たちの家庭生活と、娘たちの世代(昭和20年代後半〜30年代生まれ)が結婚して送っている家庭生活とのギャップはもちろんありますが、彼女たちの母親たちが送った家庭生活とのギャップほど大きなものではありません。それはまさに日本の生活を大きく変えた「静かな革命」であったと言えるほどのものなのです。この本を読むことで、その3世代の間に生じた家庭生活の変化がよくわかると思います。若い学生諸君にとっては、昭和一桁生まれの女性たちはちょうど祖母の世代にあたるのではないかと思います。この本を読んで、おばあちゃんから昔話を聞いたら、すごくおもしろいと思いますよ。(2006.4.28)

134.市川拓司『いま、会いにゆきます』小学館

 先日TVで放映されていた映画を見てはまってしまい、早速原作本を読んでみました。TVドラマでやっていたときに初めの方を少し見ていたので、死んだ妻が梅雨の間だけ戻ってくる話ということだけは知っていたのですが、最後の謎解きの部分を知らなかったので、映画を見たときに「ああ、そういうことだったのか」と新鮮な驚きを感じながら納得してしまいました。映画でストーリーを知っていたにも関わらず小説は小説でまた別の味わいを感じることができました。たぶん映画制作者が原作をそのまま忠実に描こうとせずに、映画としての魅力が出るように設定を微妙に変えていることが、原作小説と映画の両方を味わっても十分楽しめる理由だと思います。(映画版は映画「Love letter」の影響を受けているのではないかと思います。)小説上の巧と澪が映画に出てきた中村獅童と竹内結子のイメージとあまり重ならないのも、映画と小説とが別のものと思える大きな原因だと思います。映画も見ていないし、小説もまだ読んでいないという人がいたら、やはり映画を先に見ることをお薦めします。小説を先に読んでしまうと、巧と澪のイメージが違うと少しがっかりするかもしれませんので。いずれにしろ、映画も小説もお薦めです。(2006.4.21)

133.(映画)メル・ギブソン監督『パッション』(2004年・アメリカ・イタリア)

 『ダヴィンチ・コード』の解説で荒俣宏が「世界で物議を呼んだ映画」として紹介していたので期待して見てみたのですが、信仰心のない人間にはとうてい魅力的な映画とは思えない作品でした。内容は、捕まってから十字架に磔にされるまでのイエスの苦しむ姿をリアルに描いたものです。「こんな苦しみをイエス様は背負ってくださったのだ」といった見方のできる人には心を打つ宗教作品かもしれませんが、映画としての魅力を求めて見ている人間には、ただのサディスティックな映画にしか見えません。肉体的苦痛に耐え抜いたイエスの「パッション(受難)」より、この作品を構想12年、私財30億円を費やして作ったメル・ギブソンの「パッション(情熱)」の方に、私は興味を持ってしまいました。あと、些末なことかもしれませんが、この映画でイエスを徹底的に痛めつける役をやった人って、いくら演技とはいえ後で良心の呵責に囚われたりしないのだろうかと気になってしまいました。孫もいそうな役者さんもいましたが、「おじいちゃん、イエス様にこんなことしていいの?」と聞かれたらつらいだろうなと思います。まあ「R指定」の映画ですから、とりあえずはばれないのでしょうが……。(2006.4.15)

132.ダン・ブラウン(越前敏弥訳)『ダヴィンチ・コード()()()』角川文庫

 昔、子どもたちを喜ばせようと、メモを何枚も隠してそれをひとつひとつ見つけていくと、最後にプレゼントにたどりつくというような遊びをしたことがありますが、この小説も要はそういう話です。キリスト教、異端、マグダラのマリア、テンプル騎士団、レオナルド・ダヴィンチ、ルーブル美術館など、知的好奇心をかき立てる小道具がたくさん用意されていますが、必ずしもストーリーに不可欠なものばかりというわけではありません。私はあまり欧米の小説を好んで読まないのですが、その理由のひとつが無駄なことをたくさん書いてページ数ばかり稼ぎたがる作家が多いということにあります。はっきり言って、この作家もそのタイプのようです。私からするとこの小説も3分の2ぐらいは無駄な装飾でページ数を稼いでいる感じがします。確かにダヴィンチの作品に隠された意味があるのではないかというところはおもしろいですが、それ以外の隠喩はたいしたことはありません。暗号解読にページ数をたくさん割いていますが、その程度の暗号なら最初に気づけよと突っ込みを入れたくなるところが多かったです。この本は単行本で出ていた時に日本でも大ヒットしたわけですが、キリスト教の教義について詳しくない日本人のどのくらいが、この小説を本当におもしろいと思って読めたのか、かなり疑問を持ちました。たぶん多くの人が「『ダヴィンチ・コード』はベストセラーだからおもしろいのではないか」と思って購入し、「まあこんなものかな」と自分を無理矢理納得させながら読んだのではないかと思います。映画化もされるようですが、たぶんあまりおもしろくないのではないかと思います。でももしも映画に期待している人がいたら、小説は読まずに映画を見に行くことをお薦めします。基本的に謎解き物語ですから、本を読んでしまったら、まったくおもしろくないと思います。(2006.4.12)

131.池宮彰一郎『四十七人目の浪士』新潮文庫

 池宮彰一郎という作家は、司馬遼太郎の作品を盗作したことで名前だけ知っていましたが、今回初めて彼の作品を読んで、さすが元脚本家だけあって、司馬遼太郎よりドラマ作りはうまいなと、ちょっと感心してしまいました。この作品は盗作とは言われていませんが、数限りなく題材となってきた「忠臣蔵」物ですから、探せば、これもどこかで何か似たものは見つかるかもしれません。まあ私にはそれを見つけ出す能力はないので、とりあえずこの作品は彼のオリジナルとして評価しておきます。で、そんなことを気にせずに読むと、この時代小説はなかなかいいです。吉良邸に討ち入った赤穂義士は47人ですが、切腹したのは46人で、寺坂吉右衛門という足軽だけが泉岳寺前から消えています。この出奔に関しては怖くなっての逃亡説と密命を帯びての脱出説とがあるのですが、本書は後者の立場に立って、その後の寺坂吉右衛門がどう生きたかを虚実ないまぜに描いた作品です。長年映画の脚本を書いてきただけあって、人物造型や情景描写が非常に巧みで、読みながら1シーン、1シーンがくっきり浮かんできます。そんなに出番の多くない女性が非常に魅力的に描けているのも、やはり映画的な特徴だと思いました。これだけのドラマ作りができる人が盗作を怖れて書かなくなるのはもったいない気がします。映画の脚本なら原作があってそれを脚色するわけですから、盗作とは言われないわけです。彼が司馬遼太郎のプロットを利用してしまったのも、脚本家感覚が抜けていなかったせいかもしれません。司馬遼太郎原作・池宮彰一郎翻案といった形で書くことが小説でも許されたら、この作家は魅力的な仕事をするだろうと思うのですが……。(2006.3.6)

130.青木俊也『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』河出書房新社

 「団地」と聞いても、今の若い人たちは誰も魅力的な住宅だとは思わないでしょうが、昭和30年代には中流階層の憧れの住宅でした。応募者が多すぎて抽選でないと入居できないようなところでした。人気の理由は賃貸料が安かったからではなく(実際当時の賃貸料は相場と比べて決して安いものではありませんでした)、ダイニングキッチン、洋式トイレ、自家風呂、シリンダー錠のついたドアなど、それまでの日本の家屋では得られなかったような洋風生活が享受できる住宅としての人気でした。本書は千葉県松戸市にあった常磐平団地の昭和37年頃の団地暮らしを紙上で再現したものです。著者は、松戸市立博物館の学芸員で、博物館に実際にそうした常設展示を作るに当たって調べたことを1冊の本にまとめあげたものです。現在、全国各地の博物館やアミューズメントパークで昭和30年代頃の暮らしを再現する展示がたくさんあり、書籍も多く出版されていますが、本書は「団地暮らし」に焦点を当てることで、昭和20年代以前の過去よりも昭和40年代以降の未来に向かっていく人々の意識をうまく示しえたように思います。「ALWAYS 三丁目の夕日」では昭和33年の東京の下町の暮らしが描かれ、本書では昭和37年の東京近郊の千葉県の団地暮らしが描かれていますが、ちょうど我が家がたどった道がまったくこの通りの道でした。記憶が定かな分だけ、私にとっては「ALWAYS 三丁目の夕日」以上に思い入れたっぷりに読める本でした。若い方々は私ほどには楽しく読めないと思いますが、地域共同体意識の強かった伝統的な住まい方から、マイホーム主義や都会型生活と言われる現代的な住まい方に、日本人が変化していく上で、団地の果たした役割が大きかったのだ(その成功があったがゆえに、その後マンション建設ブームがやってきた)ということを頭に入れて読んでもらうとその価値がわかるのではないかと思います。写真のたっぷり入った本ですから、昔の写真を見るのが好きな人は、それだけで十分楽しめると思います。(2006.2.23)

129.林信吾・葛岡智恭『昔、革命的だったお父さんたちへ――「団塊世代」の登場と終焉――』平凡社新書

 194749年生まれの団塊世代(本書ではしばしば1951年生まれまで同世代に入れている)がいよいよ還暦を迎え大定年時代がやってきますが、そうした事態を前に、ポスト団塊世代である著者たち(1958年と1959年生まれ)が、団塊世代は何をなしてきて、これから何をしようとしているのかを批判的に問うた本です。団塊世代を基軸にした戦後若者史としても読むことができます。新左翼諸派の誕生と分裂についても、簡潔に紹介されていて、結構勉強になります。さて、私も1955年生まれで、まさにポスト団塊世代にあたり、団塊世代が嵐のように通り過ぎた後の道を細々と歩いてきた一人です。団塊世代とは一体なんだったのか、彼らのように生きるべきか、生きるべきでないかを、否が応でも考えさせられた世代です。私たちの世代は、大学生の頃に「シラケの世代」とか「三無主義」(無気力、無関心、無感動)と呼ばれたのですが、これは明らかに大学紛争を祭りのようにやり去っていった団塊世代の生き方に対する無意識のアンチテーゼ的な生き方に対するラベリングだったと言えます。著者たちは、私より3〜4歳下で彼らが受けた団塊世代の影響力は私の世代よりは大分小さいようで、彼らはどちらかと言えば新人類世代(著者たちの定義では1960年代以降に生まれた世代)にシンパシーを持ち、団塊世代を厳しく批判します。私は、著者たちほどに、団塊世代を突き放して見ることはできません。おそらく団塊世代をひとくくりで単純に見てしまうには、個々人が見えてしまう近すぎる世代なのだと思います。シンパシーも持てないし、突き放すこともできない、そんな距離感にあるような気がします。本書はあまりに単純に団塊世代を語りすぎてしまっているところも多く疑問を持つ点も多いのですが、本書全体を通して、実は団塊世代というのは数的影響力は大きかったが、理論、思想、価値観などといった内実に関しては1960年安保世代(プレ団塊世代)などに比べて、その影響力は小さかったのではないかという指摘は、非常におもしろいと思いました。しかし、数は力です。高齢化していくこの膨大な人口を持つ世代がどういう生き方を選択するかで、今後の日本型高齢社会の行方は決まることだけは間違いありません。われわれポスト団塊世代は、永遠に団塊世代が切り開いた(あるいはがたがたにした)道をスムーズに(あるいは苦労しながら)歩いていかなければならない宿命を担っているわけです。(2006.2.19)

128.リリー・フランキー『東京タワー――オカンとボクと、時々、オトン――』扶桑社

 「人は誰でも1冊は素晴らしい小説を書ける。自分の人生を包み隠さずに赤裸々に書くことができさえすれば。」これは、密かに一目置いていた高校時代の国語教師の言葉なのですが、この本を読みながら、この言葉を思い出していました。リリー・フランキーという人をあまりよく知らなかったのですが、多面的な仕事をしている、まさに現代的文化人のようですね。おそらくエッセイもかなり書いている人でしょう。この本はエッセイ風のテンポの良い文体で、自分と母親の母子関係を丁寧に描いています。一応小説として書いたのでしょうから、多少作り話の部分も入っているとは思いますが、基本的にはほとんど事実に基づいたものだと思います。これで、実はお母さんはぴんぴん元気にしているという事実があるなら、作者のフィクション作りの才能には驚愕しますが、まずありえないでしょう。この本で描かれる感情は経験していなければ書けないものだと思います。いずれにしろ、とても優しい気持ちになれる暖かさに満ちたよい本です。久しぶりに一気読みをしてしまいました。読み終わって、私も一人暮らしをしている母親に電話しようと思いました。(2006.2.16)

127.松岡圭祐『千里眼』小学館文庫

 数年前の有名なベストセラーですが、サイコホラーものだろうと勝手に思い込み、これまで手に取らずにいたのですが、同じ著者の『催眠』とともに安く売っていたので、この値段ならいいかと思いとりあえず買って読んでみました。どちらもサイコホラーものではなく、『催眠』は「トンデモ本」、『千里眼』は荒唐無稽な話でした。(同じようなものですが。)どちらも、臨床心理士がスーパー(ウー)マンのような活躍をするのですが、前者では臨床心理の技術がほとんど超能力のように使われ、後者ではそれを押さえた代わりに、自衛隊で戦闘機パイロット経験のある臨床心理士がスーパー・アクション・スターとして、大活劇を展開します。臨床心理士の資格を持つ著者が、臨床心理士をこんなスーパーマンに描くんだと思ったら、ぞっとしました。もちろん、フィクションなので、割り切って読めばいいのでしょうが、中には臨床心理士って、こんなにすごいことができるんだと思って、臨床心理士になりたいと思う人もいるのではないでしょうか。しかし冷静に読めば、相手の気持ちが読めるのは心理学の知見に基づいた科学的技術であると主張するところなど、まるで『巨人の星』で「大リーグボール」の仕組みが「科学的」に説明されているようで、笑ってしまいそうになるはずです。たぶん、この作家の持ち味は基本的にハードボイルド・アクションにあるのだと思います。シリーズ化された『千里眼』ではそういう要素を強めているようですが、まあ当然の方向転換でしょう。私は、アクションものにはあまり興味がないので、もう彼の作品を読むことはないと思います。(2006.2.13)

126.今尾恵介『生まれる地名、消える地名』実業之日本社

 平成の大合併の結果、全国各地で由緒ある地名が消え、訳のわからない地名が生まれていますが、この本ではそうした消えようとしている地名、新たに生まれた地名を広く取り上げて紹介しています。著者のスタンスは、合併は一概にいけないわけではないが、合併するにあたっては、なるべく由緒ある地名を使うべきだということに尽きます。私も基本的にその考え方に賛成です。この本を読んでいると、地名も貴重な歴史的遺産だということに否が応でも気づかされます。今回の合併ではひらがな地名がかなり増えましたが、これも残念なことです。さくら市(栃木県)やみどり市(群馬県)なんて地域の歴史となんの関係もない瑞祥地名などは言語道断ですが、たとえ由緒ある名前を残していても漢字で書くと難読なのでひらがなにした所も個人的には評価できません。確かに最初は読み方がわからない地名はたくさんありますが、旅などをしてあれが読めるようになるのが楽しいものなのですが。行政担当者としては、万人に読める方がいいだろうと考えるものなのでしょうか。ひらがなだと個性がかなり消えてしまうような気がします。また、今回の合併では合併協議がうまく行かずあちこちで飛び地合併が生じていますが、これも今後いろいろ問題を引き起こしそうな気がします。政府は合併しろ、合併しろというだけで、合併に関する基本的な方針をちゃんと持っていたのかなと疑問を感じます。(2006.2.6)

125.バロン吉元『柔侠伝』(全3巻)中央公論社

 この本は漫画なのですが、今どきのそんじょそこらの小説では決して出てこない深い歴史的知識と思想が折り込まれた大河作品です。もともとは1970年から『漫画アクション』に連載された作品で、私は1989年に中央公論社から出たこの愛蔵版で初めてちゃんと読み、今回17年ぶりに再読しましたが、改めてすごいなと思いました。この愛蔵版には明治大正期を描いた「柔侠伝」と第2次大戦終了までを描いた「昭和柔侠伝」までが含まれていますが、実はこの後まだ「現代柔侠伝」「男柔侠伝」「日本柔侠伝」「拳侠伝」「新柔侠伝」と続いているようです。私はこの愛蔵版しか読んでいないので、「現代柔侠伝」以降のストーリーはインターネット等で集めた情報になりますが、要するに3代(あるいは5代)にわたる柔道一家の物語です。しかし、ストーリーの中で柔道はすぐにさしみのツマのようなものになり、作者の狙いは時代の空気を描くことにシフトしています。最初の明治大正期を描いた「柔侠伝」が秀逸だと思います。明治大正期の無産者階級にシンパシーを感じさせるこの作品は、作者自身が階級闘争にシンパシーを感じていたことをよく示しているように思います。(実際に、連合赤軍事件に関わったある人物はこの漫画に心酔していたため、連合赤軍の中で「バロン」と呼ばれていたそうです。)漫画という絵を見せなければいけないメディアで、明治大正昭和の上流階級から下層階級までの人々を描ききるには、相当な資料集め、周到な準備が必要だったと思います。今、こんな漫画を書ける人はまずいないでしょう。だんだん話が荒唐無稽になってくるようですが、ぜひ「現代柔侠伝」以降の続編を読んでみたいものです。ネット・オークションなどにはほとんど出ていないのですが、漫画喫茶とかに行ったらあるでしょうか。誰か見かけたら教えて下さい。(2006.2.3)

124.林香里『「冬ソナ」にハマった私たち』文春新書

 この本は、新書という一般書の形を取り内容的にも読みやすいのですが、社会学的な好著だと思います。私も「つらつら通信」の148号に「まじめなロマンティストがはまるヨン様」という文章を書きましたが、そこで書いたことがこの本で実証されている気がしました。世間では、「冬ソナ」ファン=「ペ・ヨンジュ」ファンは、おっかけをする騒がしい「おばさん」というイメージが流布されましたが、実際の「冬ソナ」ファンは、もっと抑制的で家庭を大事してきた中高年女性たちであるということが、丁寧な調査を通して語られています。しかし、この本は、そうした「冬ソナ」にハマった中高年女性がどういうタイプの人たちであったかを紹介するだけで終わりにしている本ではなく、日本のマスメディアの問題性や日韓関係のあり方にまで言及しています。前者に関しては、日本のマスメディア報道のジェンダー・バイアスや若者に偏った番組作りなどの問題性を鋭く指摘しています。日韓問題では、「ソフトパワー」(外交の舞台で強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力)の重要性に触れています。著者は東京大学社会情報研究所の助教授で、この本には「社会学では」といった言葉がしばしば登場します。まさに「ソフトな学術書(社会学書)」として読める本です。社会学にあまり興味を持っていなかった世代の女性たちにも、社会学的な研究の魅力をうまく伝えてくれる本になるのではないかと思います。もしも、両親や祖父母が社会学のことをなかなか理解してくれないと悩んでいる人がいたら(いないかな?でも、受験生の時には、法学部、経済学部などの方が手堅そうでいいんじゃない、なんて言われることは結構あるのではないでしょうか?)、この本を読んでもらったらいいと思います。(2006.1.26)

123.(映画)成瀬巳喜男監督『驟雨』(1956年・東宝映画)

 最近読む本がなんかみんな中途半端で、もうひとつここで取り上げる気が起きないでいたところ、今日NHKBSで放映された原節子の映画がちょっと興味を引かれたので、またまた映画になってしまいますが、これを取り上げてみることにします。はっきり言って、映画自体の出来はいいものではありません。B級映画と言ってもいいと思います。にもかかわらず、ここで取り上げようと思ったのは、この作品が50年前のもので、その当時の日本の都市郊外の中流生活を描いたもので、社会学的に見て興味深いと思ったからです。『ALWAYS 三丁目の夕日』が美しく描いた昭和30年代はじめの日本の現実はこんなものだったんだという適度な幻滅感を味わえます。この物語は結婚4年目の子どものいない倦怠感漂う夫婦の話なのですが、この時代の夫と妻の関係がどのようなものだったかが、戯画的に描かれています。原節子には珍しく多弁な役で、勝手な夫にいろいろ不満を述べるのですが、それでも、おそらく今の若い女性が見たら(いや男性でも)、「なんなの!この不平等な夫婦関係は!なんでこれで妻は我慢していたの!信じられない!」と腹が立つのではないかと思います。他にも、井戸で水を汲み、火鉢で暖をとり、1500円のトースターには手が出せず、近所の人は他人の生活にいろいろと口を出してくるといった様子が描かれています。多少戯画的かとは思いますが、『ALWAYS 三丁目の夕日』で昭和30年代はじめをバラ色に思いこみすぎている人の感覚を戻すためには、いい作品かもしれません。(2006.1.24)

122.(映画)山崎貴監督『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年・東宝映画)

 先週から上映が始まったばかりの映画ですが、心のあたたまるとてもよい作品でしたので、このコーナーでも紹介しておきます。我々以上の世代ならなつかしく自然に共感を持てる作品ですが、戦後日本の青春時代が描かれている作品ですから、歴史的想像力を豊かにするためにも、若い人にもぜひ見て欲しい作品です。でも見れば、歴史的想像力が云々なんて忘れて若い人も十分楽しめると思います。舞台は昭和33年の東京。長島が巨人に入団し、1万円札が初めて登場し、東京タワーが建設され、現天皇ご夫婦の婚約が決まった年でした。戦争の痛手からようやく立ち直り、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「3種の神器」と言われはじめ、大衆の憧れの存在として意識されるようになった時代です。その時代の雰囲気をセットとCGを使ってよく再現していますし、役者さんもいい味を出しています。特に、メインの子役2人がいいです。みっともないですが、かなり泣いてしまいました。こういう作品は好きです。ほとんどの演技がロケよりもセットで行われていたせいだと思いますが、なんだか映画を見ているというより、お芝居を観ているようで、臨場感がありました。お薦めです。(2005.11.12)

121.デビット・ゾペティ『いちげんさん』集英社文庫

 これは優れた文学作品です。純文学嫌いな私ですが、これはお薦めしたいと思います。外国人に対する京都の(というより日本の)排他性の壁という大テーマを、それを突き崩す可能性を持った盲目の女性との恋で味付けをして読ませるよく計算された作品です。日本の美と醜を見事に浮き彫りにもしています。そして何より素晴らしいのが、文章が実に美しいということです。今どきこんな美しい文章を書ける作家は、日本人でもあまりいないのではないでしょうか。ただし、この作者は単に優れた日本語の使い手だというだけでなく、文庫本の解説者も指摘していたことですが、やはり日本人でないがゆえに、新たな日本語の表現を生みだしているというプラスアルファも生みだしています。そうした新たな日本語表現がなされている部分は強く印象に残ります。推理小説のような劇的な展開はないのに、一気に読みたくなってしまう小説です。(2005.9.23)

120.伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』新潮文庫

 最近直木賞の候補にしばしばなっている作家なので、それなりにおもしろいのではないかと思い期待して読んでみたのですが、全然だめでした。登場人物は1人として魅力的に描けていないし、その位置づけ方もよくわかりません。全体として奇妙な不条理な世界を描いているのですが、それによってこの作家が何を伝えようとしているのかが、私にはさっぱりわかりません。中途半端に時代が行ったり来たりするのですが、その狙いもわかりません。直木賞の候補になった他の作品はもう少しおもしろいのでしょうか。少なくとも、この作品に関する限り、作者の思い入れが読者にはまったく伝わらないおもしろくない純文学的作品という印象です。もう少し他の作品も読んでからでないと、この作家の力量を判断してはいけないのだと思いますが、果たして次を手に取る気が起こるかどうか……。(2005.9.23)

119.天童荒太『家族狩り1〜5』新潮文庫

118.天童荒太『永遠の仔1〜5』幻冬舎文庫

 どちらも家族をめぐる重いテーマを扱ったもので、最近流行のちょっと不思議な純愛物語の対極をなすような作品です。『永遠の仔』は児童虐待を、『家族狩り』は家庭内暴力をテーマにしています。読み甲斐のある作品ですが、あまり若い人に勧めたくない作品でもあります。『家族狩り』の方は最後に少しだけ希望が見えるような終わり方をさせていますが、その程度ではカバーしきれない沈鬱な物語が全編を満たしています。『永遠の仔』の方は、よりきつい内容です。確かに、こうした悩みを抱える家族は現実にいるのでしょうが、この小説を読んだ若い人が家族を形成することに不安を感じるようになってしまうのではないかと、私は心配します。こうした社会問題が現実にあることを理解しつつも、小説はあくまでも架空の物語であると割り切って読める自信のある人だけ読んで下さい。もし読む場合は、思い入れをしすぎずに読むようにしてください。(2005.9.6)

117.(映画)スパイク・リー監督『マルコムX』(1992年・アメリカ)

 劇場公開の頃から関心を持っていたのですが、見逃してしまい、つい最近ビデオで見たのですが、なかなかよくできた伝記映画でした。60年代前半にキング牧師と並び称されるほどの、黒人解放運動のスターだったマルコムXの生涯を描いた作品です。マルコムは、キング牧師の白人との融和政策に真っ向から反対し、黒人の白人に対する優越を説き分離政策を打ち出したブラック・モスリムのアジテーターとしてマスコミの寵児となり、その目立ちすぎゆえに、組織から排除され、さらには殺されてしまったという劇的な生涯を送った人です。映画ですから、ある程度の創作も入っているのでしょうが、丁寧な作りで、一定程度歴史的資料としての価値もある作品だと思いました。マルコム役のデンゼル・ワシントンが、現実のマルコムXに実によく似ていて、一瞬区別がつかないほどです。3時間20分という大作ですが、飽きずに見られます。(2005.8.21)

116.雫井脩介『火の粉』幻冬舎文庫

 これは傑作です。裁判で無罪になった被告人が、無罪判決を出した元裁判官の隣人となり、彼が引っ越してきてから、家族内に不協和音が生まれ始める。彼は善意に溢れた隣人なのか、それとも……。ストーリー、人物描写ともに一級品です。特に、女性の描写が素晴らしく、この作家は本当に男性作家なのか疑いたくなるほどです。何タイプもの女性を、その心理だけでなく言葉遣いまで、これほど見事に描き分けられる男性作家は初めてです。男性の描き方は、女性に比べるとかなり甘いので、この作家は男性名を使った女性作家だと思った方が納得が行くぐらいです。書き出しも、終わらせ方も見事です。ぜひ読んでみてほしい作品です。(2005.8.16)

115.桐野夏生『柔らかな頬()()』文春文庫

 直木賞を取った作品で、裏表紙には「真実という名のゴールを追い続ける人間の強さと輝きを描ききった最高傑作」とまで書いてあったので、おおいに期待して読んだのですが、ひどい作品で、がっかりしました。読み終わったら、なんでこれで直木賞が取れるの?どこが傑作なの?と突っ込みを必ず入れたくなる作品です。作者は書き始めた時に考えていたであろう構想がうまく行かず、途中から構想をいじったに違いないと私は見ています。最初に重要だった人物が中盤からはほとんど意味のない存在になり、中盤から脈絡なしに登場した人物が後半は中心人物になっています。主人公もちっとも魅力的ではないし、人間関係の描写に意味も深みもありません。最悪は、謎を最後まで解かないという推理小説としてはルール破りとしか言えないような終わり方をしていることです。アホな解説者はそこが素晴らしいとか書いていますが、冗談じゃありません。推理小説である限りは、最後は伏線をきちんと処理して読者を納得させなければ、それは推理小説と言えません。それができないから、作者はこういう逃げのような終わり方をしたに違いありません。こんな作品で、直木賞は絶対におかしいと思います。何らかの政治的判断が働いていたのでしょうね。文藝春秋社から出版されている本ですし。新刊で買わなくて本当によかったです。(2005.8.7)

114.天童荒太『孤独の歌声』新潮文庫

 構成に無駄のないよくできた小説です。この著者の小説は初めて読みましたが、おおいに気に入りました。演劇学科の卒業で、映画の原作や脚本を手がけてきたというだけあって、映像が目の前に浮かんでくるような作品です。ドラマ化はされたことがあるようですが、映画で見てみたいと思いました。人物もきちんと描き分けられていますし、伏線の張り方も、付加的知識の示し方もうまいと思いました。こういう推理サスペンス小説で、主役が3人いるという設定は珍しいのではないかと思いますが、その3人がいずれも単純人間ではなく、それぞれに過去を引きずっているのですが、その過去が物語にとって重要な意味を持っていて、無駄な設定にはなっていないところに、著者の見事な構成力を感じました。主役3人の接点の持たせ方も不自然ではなく、納得が行きます。強いて穴を探すなら、クライマックス場面での若者の活躍がやや超人的で、ここだけは安易さを感じましたが、たんたんと終えることのできないこの手の小説では、多少のスーパーマン的活躍をする人物が出てくることは仕方がないことなのだろうと思います。いずれにしろ、お薦めできる作品です。(2005.8.5)

113.篠田節子『女たちのジハード』集英社文庫

 この著者の作品はこれまでに何冊か読んでいたのですが、いずれももうひとつという感じでここで取り上げるほどの気が起きませんでした。今回この『女たちのジハード』を読んでさすがに直木賞を取っただけあって、これはそれなりの作品だと思いましたので、初めて取り上げてみることにしました。保険会社で働く女性3人を主役にして短編小説を連ねるような感じで物語が進みます。現代社会における結婚と女性の生き方がテーマです。わかりやすいテーマなので、そんなに深みはありませんが、登場人物の性格がはっきりしていて明快な印象を与えます。読後感は非常にさわやかです。まあそれだけといえばそれだけですが……。ちょっと気になったのは、少し登場人物の感性が時代より古いように思えることです。この本が単行本で出たのは8年前の1997年なのですが、この時点ですでに2425歳は結婚に焦る歳ではなくなっていたように思うのですが、その年齢が結婚適齢期として幾度も触れられますし、30歳はじめの登場人物が実質的に結婚をあきらめてマンションを購入するのですが、この頃には、30歳はじめではマンション購入なんて行動に移るには早すぎる年齢だと思われるようになってきていた頃だったように思います。著者は一所懸命に時代をつかむ努力はしているのでしょうが、もともと私と同じ歳の方なので、どうしても自分たち世代の感性が入り込んでしまっているのではないでしょうか。(2005.7.27)

112.山崎豊子『女系家族』新潮文庫

 『沈まぬ太陽』で山崎豊子にがっかりして、その頃すでに買って持っていたこの『女系家族』も読まないまま放置していたのですが、今クルーでドラマが始まったのを見て、「えっ、こんな話だったかな?」と気になってしまったので、引っ張り出してきて読んでみました。で、やっぱりドラマはあまりにも原作小説とは違いすぎるということを確認しました。もちろん、遺産争いをする女系家族の3人姉妹というストーリーも登場人物の名前までそのままですが、この話は昭和30年代前半の大阪船場の商家を舞台にして初めて成立しうる話です。これを現代の東京を舞台にしてしまうなんて無理がありすぎます。本家、分家、妾、親族会議、奥、店、のれん、先々代から勤める大番頭、山林の価値、戦後の民法改正、etc.が、この話を支える重要なアイテムですが、これらを現代の東京を舞台にした話で設定することは不可能です。無理にやったら、ものすごくリアリティのない話になってしまいます。大まかな筋だけ借りた別の物語として見なければ、ドラマは見られないでしょう。ついでに言わせてもらえば、配役が原作のイメージとまったく合っていません。元気いっぱいの米倉涼子が日陰の女で、真っ黒に日焼けした高橋克典が踊りの師匠って、もうそれだけでも受け入れられません。ドラマのプロデューサーの感覚はおかしいとしか思えません。

 ドラマ酷評ばかりになってしまいました。原作自体の評価はというと、漫画(劇画?)っぽいですが、読めることは読めます。登場する人物がすべて利己的で、いい人が1人も出てきません。こんな「性悪説」に基づいたような話を山崎豊子はよく書こうと思ったなと妙な感心の仕方をしてしまいました。この作品は、山崎豊子の初期の作品に当たり、中期の傑作である『二つの祖国』や『不毛地帯』などと比べると作品の質はかなり落ちます。しかし、昭和30年代前半の大阪を中心とした関西の情景がしっかり描かれていたので、歴史的想像力を馳せやすく、その点では私は楽しめました。(2005.7.24)

111.重松清『流星ワゴン』講談社文庫

 1ヶ月ほど前に書店の前を通りかかった際に、この作者の『疾走』(角川文庫)という作品が新作コーナーに平積みされていました。表紙にかなりのインパクトがあり思わず購入したのですが、同じ日に別の書店では、彼のこれまで文庫本になった著作がずらっと並べられていました。まるで重松清を読めと運命づけられた日のようでした。この作者の小説はこれまで読んだことがなかったのですが、『ビタミンF』(新潮文庫)という作品で直木賞を取ったことは記憶にありましたので、とりあえず『ビタミンF』も読んでみようと購入しました。で、早速この2冊の本を読んでみたのですが、もうひとつの印象で、このコーナーでも取り上げる意欲が湧きませんでした。そんな時に、本好きの学生さんとたまたま出会い、そんな印象を述べたら、「じゃあ、先生、『流星ワゴン』を読んでみてください。あれが一番傑作ですから」と言われました。書店で改めて本を手に取ってみると、2002年の「本の雑誌」ベスト1に輝いた作品と紹介されていたので、今度こそと期待して読んでみました。38歳の息子が同じ歳の父親と出会い、自分の人生のターニングポイントとなった場面に戻り、後悔をなくすためのやり直しをするという、最近流行のちょっと不思議な心温まる物語です。テーマ(父と息子の関係)は明確で、文章は読みやすいです。でも結局、前の2冊で感じたのと同様の物足りなさをやはり感じてしまいました。なんか浅い感じなんです。ストーリーの骨格をなす親子関係の(心理)描写も平凡ですし、ストーリーを肉付けする山の作り方もうまくないし、プラスアルファの価値に当たる様々な知識の開示などもほとんどありません。私は、小説を評価する際に、人間描写に優れていること、ストーリーの展開がわくわくするようなものであること、こちらが知らないような興味深い知識がストーリーの中に自然に折り込まれていること、などを重視しているのですが、残念ながらどの点でも合格点はつけられませんでした。これなら、まだ『疾走』の方がおもしろいと思います。これが「本の雑誌」年間ベスト1に輝いたというのですから、世間の評価は甘すぎるような気がします。『いま会いに行きます』『四日間の奇跡』など、最近はちょっと不思議なファンタジーが流行ですが、知識も経験も豊富ではない40歳代以下の若い作家が、時間をかけた本格的な取材もせずに、物語を書こうとすると、こういう物語が一番書きやすいのだと思います。読者の方も知識も経験もないので、蘊蓄など無駄に読まされずに物語を純粋に楽しめるこういう作品を好むので、ますます安易にこういう物語を書く作家を増やしているのでしょう。自分が若かった頃は、小説を書ける人って特別な才能を持ったものすごい人と思っていたのですが、最近はそういうすごさを感じさせてくれる作家に滅多に出会わなくなりました。自分が歳をとって、作家より知識も経験も豊富になったのも原因かもしれません。新鮮な知識とワクワクするストーリーを的確な人物描写のもとに提供してくれる作品に飢えています。(2005.7.15)

110.(映画)谷口千吉監督『公式長編記録映画・日本万国博覧会』(1971年・日本万国博覧会協会)

 「本を読もう!2」に入ってから、妙に映画紹介が多く、これではまるで「映画を見よう!」ですね。と言いつつも、また映画なのですが、ずっとビデオもDVDも発売されていなかった「EXPO70」の公式記録映画がついに発売され、漸く入手できました。ダイジェスト版は、万博公園内にある万博記念館でも常時上映されていて、それは何度も見たことがあったのですが、3時間近い本編はやはりダイジェスト版と違ってかなり見応えがあります。芸術性という点では、「東京オリンピック」や「民族の祭典(ベルリン・オリンピック記録映画)」にはとうてい敵いませんが、時代の空気をよく伝えてくれていて、記録映画としては、それなりの価値があると思いました。ダイジェスト版では詳しく紹介されていない各パビリオンの内部や太陽の塔の内部がしっかり紹介されており、実際に見た気分になれます。35年前に中学校の修学旅行で半日だけ過ごしたEXPO70を初めてじっくり味わえました。ちなみに、書籍では、串間努『まぼろし万国博覧会』(ちくま文庫)が様々な観点からEXPO70の内容を詳しく紹介していますので、映画と合わせて読まれると、よりよいと思います。(2005.6.15)

109.(映画)クリント・イーストウッド監督『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年・アメリカ)

 すごい映画です。さすがにアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞という主要4部門の受賞をしただけのことはあります。ただの女性ボクサーの成り上がり物語ではないだろうとは思っていましたが、まさかこんな展開とはまったく予想しませんでした。ハリウッド映画とは思えない展開でした。息を呑んでものすごく集中して見ていたので、映画が終わった後も通常の呼吸に戻るのに、ずいぶん時間がかかってしまったほどです。何より感動するのが、主演女優のヒラリー・スワンクの演技です。これこそまさに役者だと納得しました。『レイ』で主演男優賞を取ったジェイミー・フォックスもなかなかよかったですが、彼の何倍もすごい演技力です。男女区別なしで、主演賞を選んでも、間違いなくヒラリー・スワンクを受賞者にすべきです。素晴らしい映画ですが、「世界の中心で愛を叫ぶ」や「いま、会いに行きます」のような軽く泣ける映画がお好きな方にはあまりお勧めできません。映画の重さをしっかり受け止められる人なら、感動すると思います。(2005.6.2)

108.浅倉卓弥『四日間の奇跡』宝島社文庫

 今週土曜日からの映画公開に合わせて書店に平積みされていたので、手に取ってみたら、第1回「このミステリーがすごい!」大賞に選ばれたと書いてあったので、それならある程度おもしろいのだろうと思い、買って読んでみました。で、読後感はと言えば、まあ確かにそれなりに読ませます。3分の1を過ぎたあたりからは最後まで一気に読みたくなる本です。作者は新人だそうですから、相当の筆力のある人と評価していいと思います。ただ、文庫本の解説にも書いてありましたが、どうしても別の人気作家の有名作品(東野圭吾の『秘密』)を思い浮かべてしまいます。解説者は、作者は意識的に同じプロットを使ってより感銘を与える作品を書き上げたところがすごいと言っていますが、そのあたりの評価は人によって分かれるところでしょう。若い人には、『秘密』よりこちらのほうが後味がよく、好印象を与えるような気はしますが。なお、解説者は気づいていないかもしれませんが、私はこの作品はもうひとつ他の話からアイデアを借りているのではないかという気がしてなりません。それは、ベートーベンの「月光」という曲の特別な位置づけについてです。『ピアノは知っている 月光の夏』という本があるのですが、それは特攻隊として飛び立つ前に、特攻隊所属の青年がある女学校に突然現れ、「ピアノを弾かせてください」と言って「月光」を弾き、そして飛び立っていったという実話です。まあ「月光」は有名な曲ですので、たまたま重なっただけかもしれませんが、最後の場面で「月光」を弾くという発想は、ここから得たのではないかという気がしてなりませんでした。この推測ははずれているかもしれませんが、全体的な印象として、この小説はよくは書けているけれど、みんなどこかで聞いた話の寄せ集めのような気がしてしまいます。過去の人気作品をよく分析して、どういうキャラクターを出し、どんなストーリー展開にしたら、読者が食い付くかをしっかり計算した上で、書かれた優等生的な小説という印象でした。酷評ばかりしてしまった感じですが、読んで損のない小説であるということは、ちゃんと言っておきたいと思います。(2005.6.1)

107.(映画)ジャック・ペラン制作・クリストフ・バラティエ監督『コーラス』(2004年・フランス)

 心に沁みる名作です。愛に溢れた教育の力に感動すること請け合いです。問題児の多い寄宿制の学校に赴任した舎監教師が音楽を通して子どもたちの心をつかんでいくという話です。ありきたりの設定と言えばそうも言えますが、少年たちのコーラスの美しさ、主役のジェラール・ジュニョ(お腹が出て髪の毛も薄くなった中年のおじさん)の溢れ出るような優しさと人間味、1人1人の生徒の気持ちの丁寧な描き方、いずれも素晴らしく、全体としては間違いなく珠玉の名作に仕上がっています。ひたすらお金をかけて迫力で見せるハリウッド映画では味わえない作品です。「彼は音楽家としては名を残すことはなかったが、音楽教師として多くの若者を幸福にした」というナレーションに、思わず涙してしまいました。(2005.5.30)

106.中野独人『電車男』新潮社

 遅ればせながらですが、昨秋の話題書『電車男』を読みました。古本屋で立ち読みしていたらはまってしまい、最後まで読みたくなって結局購入しました。いやあ、なかなかおもしろかったです。まさに純愛物語ですね。特に、シャイな若い男の子たちが夢見ているような典型的な設定なのでしょう。私もかつて十二分に純情な青年でしたので、はまってしまったのかもしれません。女性たちから見ると、ちょっとあり得ない話だと馬鹿にしたくなるかもしれません。実際、この話は、事実ではなく、「電車男」と呼ばれる人が架空のシチュエーションを報告し、それで盛り上がっていただけだという声もあがっているようです。でもこの恋の話が事実かどうかはたいした問題ではないのだと思います。たとえ恋の物語自体が架空であったとしても、それが進行していく上で、多くの人が時々刻々見つめアドバイスや激励を送り続け、ネット上にある種の共同体が成立したのは事実であり、そこにこの本のおもしろさがあるからです。現在映画化やドラマ化が進んでいるようですが、「電車男」と「エルメス」の恋愛に重きを置きすぎたら、必ず失敗するでしょう。この物語の主役は、「電車男」の報告に一喜一憂する匿名の「2ちゃんねらー」たちです。彼らの思いを描ききれなければ、本当の意味でこの本が映画化されたことにはならないでしょう。彼らの思いは、文字という記号を使って(意味を伝えるものとしてだけでなく、形象としてのみ利用することも含めて)はじめて表現できるものです。そして、それは映像化が非常に困難なので、たぶん映画もドラマも失敗するでしょう。まあでも、最近はしょうもない純愛映画が大ヒットしていたりするので、客は入るかもしれません。(2005.5.21)

105.奥田英朗『最悪』講談社文庫

 最後まで一気に読んでしまいたくなる小説です。まじめにこつこつ仕事をしてきた町工場の経営者、平凡に生きていた銀行勤めのOL、時々パチンコで稼ぐ程度のぱっとしない生活を送っていた若者という、何の接点もなかった3人の平凡な主人公たちが、それぞれちょっとした不運から次々に悪しき事態に見舞われ、それが頂点に達した時に、3人の人生が奇妙な形で交差し、結末を迎えます。この著者は昨年直木賞を受賞しましたが、それ以前にも何度か候補になっていました。さすがに幾度も候補になるだけの力のある作家だと思いました。まず何と言っても、人物の描き分け方が見事です。主役の3人以外にも重要な脇役がかなり出てきますが、ひとりひとりの個性がきちんと描き分けられています。ストーリーは細かいことを言えば、ちょっとその展開は不自然じゃないかなと突っ込みを入れたくなるところはありますが、ドラマ性を高め、テンポ良くストーリー展開を進めるためには、細かい所には目をつぶってもいいやと思わせるだけのものがあります。久しぶりのお勧め作品です。ただし、読んでいると、自分の平凡な人生もどこかで歯車が狂うと、こんな風な悲惨な事態に陥ってしまうのかもしれないと思わせるだけの怖さがありますので、あまり思い入れをしすぎずに読んだ方がいいかと思います。(2005.5.21)

104.司馬遼太郎『韃靼疾風録』()()中公文庫

 読めない人もいるかもしれませんので、まず書名の読み方から。「だったんしっぷうろく」と読みます。司馬遼太郎の最後の歴史小説で、漢民族から「韃靼」というひどい字を当てられて呼ばれていた女真族という満州地域の少数民族が、万里の長城を越えて漢民族を支配するようになるまでの「清朝の勃興」を題材にした本です。一応主役となる日本人がいますが、彼になりきって物語の世界に入っていける小説ではありません。司馬遼太郎の歴史小説は、フィクションを楽しむのではなく、「歴史的事実」(の可能性があるもの)を比較的読みやすい形で呈示しているものとして受け止めるのが正しい読み方でしょう。そういう観点で読めば、非常に魅力的な小説です。明朝の瓦解と清朝の勃興など他国のことであってあまり興味ないと思う人もいるかもしれませんが、これは近代日本の歴史に大きく関わってくる地域のことですので、実は他国のことを扱った小説だと言い切れないのです。おそらく司馬遼太郎自身もそういう認識だったはずです。なぜなら、彼は基本的に日本の歴史を題材にした歴史小説家であり、日本の歴史を書き続けてきた結果、この題材を取り上げる必要性を感じたとみるのが妥当だからです。17世紀の半ばに興ったこの清という国が20世紀まで続き、その間列強の侵略を受け(それが日本に間接的に与えた影響は大きい)、末期には小国・日本にすら敗れ、王朝としては瓦解したのは周知の通りです。日本はその後、清朝の最後の皇帝を立てて満州国を作ったのですが、本音は別にあったにせよ、建前では彼ら女真族の先祖伝来の土地に彼らの独立国家を立てさせたという「正統性」を主張したわけです。この本を読むと、本来は地域名称ではない「満州」という名の由来、それが現実的にどの辺の地域を指す名称となっているのかがよくわかります。また、近代日本人(いや世界の人々)が中国人のステレオタイプ的なイメージとみた外見(弁髪やチャイナドレス)は、もともと女真族の風俗であり、明朝までの漢民族にとってはまったくの異装であったことなども知ることができます。そして、「あとがき」で司馬遼太郎もちらつかせていますが、この女真族(ツングース系民族)と日本の古代王朝の関係は非常に深いのではないかと推測されますので、実は近代だけでなく古代から日本と深く関わってきた民族なのではないかと思うとさらにこの本はおもしろく読めてきます。戦国時代や幕末ぐらいにしか興味のない初歩的段階にある歴史小説読者ではおもしろく感じられないかもしれませんが、かなり歴史小説は読んできたと自負する方なら、きっとおもしろく読めると思います。(2005.5.8)

103.吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日文庫

 第2次世界大戦中に、京都や奈良、鎌倉といった日本の古都が大規模な空襲から免れたのは、アメリカがそうした古都の価値をわかっていて特別な配慮をしたからだという話を聞いたことがあるかと思います。ウォーナーという日本文化研究者が、戦時中に「ウォーナー・リスト」と呼ばれる日本の文化財や文化施設の網羅的リストを作ったこともあって、彼こそ日本の古都を守ったアメリカの恩人として日本各地に6つもの記念碑が建てられています。この本は、その「ウォーナー伝説」をまったくの偽りと断言し、それどころか京都は原爆の投下の有力候補地だったということを明らかにします。ではなぜ空襲を免れたのかと言えば、鎌倉や奈良は人口規模が小さかったからであり、京都は最終的には無傷(厳密に言うと小規模の空襲はあったのですが)で残すことが、占領統治にとってプラスになるという政治的判断があったからです。ちょうど皇居を爆撃せずに天皇の存在を占領統治に利用したのと同じように、日本人にとって象徴的な価値のある京都も政治的に利用するために残したというわけです。著者が示す様々な資料はなかなか説得力があり、確かにひとつ判断が違っていたら、京都が被爆地になっていたのかもしれないと納得させられます。しかし、ややエキセントリックな感じのする文章で、あまり好感を持てないのが残念です。確かにウォーナー個人が空襲を止めさせたわけではないので、「ウォーナー伝説」は正しくないでしょうが、「ウォーナー・リスト」が一定の意味を持っていたことや、政治的配慮が直接的な要因だったとしても、京都の文化的価値をアメリカ政府の上層部が理解していたことはやはり認めるべきでしょう。通説やアメリカに対してこんなに攻撃的に書かずに、もう少しソフトな書き方をした方が、この本は人口に膾炙しただろうに、と思ってしまいました。でも、通説をひっくり返すおもしろい本であることは間違いありません。(2005.5.2)

102.(映画)マーティン・スコセッシ監督『アビエイター』(2004年・アメリカ)

 レオナルド・ディカプリオがアカデミー最優秀主演男優賞を取るかもしれないと一時話題だった映画ですが、結局取れなかったので、日本ではもうひとつ評判になっていませんが、かなり見応えのある映画です。ディカプリオは『タイタニック』よりもはるかに難しい役をこなしており、最優秀主演男優賞に値する演技です。まあでも、私は別にディカプリオのファンではないので、彼が見たくて映画館に足を運んだわけではありません。ディカプリオ演じるこの映画の主人公ハワード・ヒューズに興味があったから見に行ったのです。若い方々は、ハワード・ヒューズという人を知らないでしょうが、私たちの世代にとっては謎の資産家として、名前は轟いていました。厖大な金をつぎ込んで映画を作り、多くのハリウッド女優と浮き名を流し、また自分で設計した飛行機を作り、自分が操縦して、当時の世界最高速度を記録し、航空会社も持っていたという大金持ちです。映画は、彼が若くして両親の遺産を相続し、40歳代で隠遁生活を開始するまでの20年間ほどを扱っています。ストーリーはそんなに複雑ではありませんが、ヒューズ自身が複雑な性格の人だったようで、彼の心理状態がストーリーにスパイスを効かせています。飛行シーンが大迫力で、目の前を飛行機が通り抜けていく場面などでは、体感でもしているように、びくっとしてしまいました。最後の終わらせ方に納得の行かなさが残りますが、総体的には見て損のない映画だと思います。(2005.4.23)

101.上山明博『発明立国ニッポンの肖像』文春新書

 長年社会学に携わっていると、社会科学系の新書では「これは知らなかったなあ」という新鮮な情報に出会うことは少なくなってしまっていますが、自然科学系の新書では、新書程度の本でも「へえ〜、そうだったんだ」と初めて知るようなことがたくさんあり、わくわくと読めたりします。この本もそんな本の1冊で、非常に読みやすいのですが、意外な事実に気づかされます。この本では、日本で発明された10種類の「モノ」について、それが発明されるまでの経緯を中心に述べられています。完全な自然科学書ではなく、しいて言えば「自然科学史」の一部、あるいは「技術史」と見た方がいいかもしれません。NHKの「プロジェクトX」風の読み物といった感じでしょうか。さらりとした書きぶりや意外な情報が折り込まれていることから言うと、「トリビアの泉」風とも言えそうです。いくつか皆さんも「へえ〜」と言いたくなるような情報をこの本から探して見ると、「ファクシミリは昭和3年には実用化されていた」「電子レンジは殺人光線兵器の応用で生まれた」「日清戦争での死者の大部分は脚気によるもの」。いかがですか?「へえ〜」と言いたくなりませんでしたか? (2005.4.15)