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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>492.佐江衆一『黄落』新潮文庫

<人間ドラマ>492.佐江衆一『黄落』新潮文庫490.佐江衆一『江戸職人奇譚』新潮文庫477.大石英司『神はサイコロを振らない』中公文庫473.安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』文春文庫461.浅田次郎『お腹召しませ』中公文庫460.角田光代『空中庭園』文春文庫437.横山秀夫『顔 FACE』徳間文庫434.東野圭吾『夜明けの街で』角川文庫433.衿野未矢『十年不倫の男たち』新潮文庫432.衿野未矢『十年不倫』新潮文庫431.山田太一『冬の蜃気楼』新潮文庫429.菊池寛『父帰る』青空文庫427.田山花袋『蒲団』青空文庫420.佐野真一『東電OL殺人事件』新潮文庫418.奥野修司『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の17年』文春文庫411.横山秀夫『第三の時効』集英社文庫

<推理サスペンス>478.翔田寛『誘拐児』講談社文庫477.大石英司『神はサイコロを振らない』中公文庫475.湊かなえ『贖罪』双葉文庫474.浦賀和宏『彼女のために生まれた』幻冬舎文庫472.蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』新潮文庫471.乃南アサ『風の墓碑銘(上)(下)』新潮文庫437.横山秀夫『顔 FACE』徳間文庫434.東野圭吾『夜明けの街で』角川文庫411.横山秀夫『第三の時効』集英社文庫

<日本と政治を考える本>497.渡辺房男『お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生――』祥伝社新書487.溝口睦子『アマテラスの誕生――古代王権の源流を探る――』岩波新書483.白石太一郎『古墳とヤマト政権――古代国家はいかに形成されたか――』文春新書482.産経新聞社『国民の神話――日本人の源流を訪ねて――』産経新聞出版481.村井康彦『出雲と大和――古代国家の原像をたずねて――』岩波新書480.武光誠『神道――日本が誇る「仕組み」――』朝日新書479.島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』幻冬舎新書473.安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』文春文庫468.原彬久『岸信介 権勢の政治家』岩波新書467.杉森久英『夕陽将軍 小説・石原莞爾』河出文庫455.新雅史『商店街はなぜ滅びるのか――社会・政治・経済史から探る再生の道――』光文社新書452.片田珠美『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』光文社新書446.川田稔『昭和陸軍の軌跡 永田鉄山の構想とその分岐』中公新書443.古川隆久『昭和天皇――「理性の君主」の孤独――』中公新書439.山田風太郎『戦中派不戦日記』講談社文庫430.坂口安吾『堕落論』青空文庫421.竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論社407.毛利敏彦『大久保利通』中公新書406.古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』講談社402.諸永裕司『ふたつの嘘 沖縄密約〔1972-2010〕』講談社

<人物伝>489.高山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』文春文庫470.百田尚樹『海賊とよばれた男(上)(下)』講談社文庫468.原彬久『岸信介 権勢の政治家』岩波新書467.杉森久英『夕陽将軍 小説・石原莞爾』河出文庫464.増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上・下)』新潮文庫450.中野利子『父 中野好夫のこと』岩波書店449.辻井喬『父の肖像』新潮社448.石田伸也『ちあきなおみに会いたい。』徳間文庫447.一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光『同期生 「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年』集英社新書444.豊田穣『英才の家系――鳩山一郎と鳩山家の人々――』講談社文庫443.古川隆久『昭和天皇――「理性の君主」の孤独――』中公新書440.津村節子『智恵子飛ぶ』講談社文庫426.北原みのり『毒婦。――木嶋佳苗100日裁判傍聴記――』朝日新聞出版424.中村彰彦『知恵伊豆に聞け』文春文庫407.毛利敏彦『大久保利通』中公新書

<歴史物・時代物>497.渡辺房男『お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生――』祥伝社新書490.佐江衆一『江戸職人奇譚』新潮文庫488.本村凌二『馬の世界史』講談社現代新書482.産経新聞社『国民の神話――日本人の源流を訪ねて――』産経新聞出版463.近衛龍春『前田慶次郎』PHP文庫461.浅田次郎『お腹召しませ』中公文庫454.山田風太郎『警視庁草紙(上)(下)』河出文庫445.五十嵐貴久『相棒』PHP文芸文庫439.山田風太郎『戦中派不戦日記』講談社文庫425.山田風太郎『甲賀忍法帖』角川文庫424.中村彰彦『知恵伊豆に聞け』文春文庫421.竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論社419.杉本章子『東京新大橋雨中図』文春文庫409.竹内洋『大学という病――東大紛擾と教授群像――』中公文庫403.美川圭『院政 もうひとつの天皇制』中公新書

<青春・若者・ユーモア>428.森鴎外『ヰタ・セクスリアス』青空文庫416.百田尚樹『ボックス!(上)(下)』太田出版

<純文学的小説>427.田山花袋『蒲団』青空文庫

<映画等>499.(映画)降旗康男監督『あ・うん』(1989年・東宝)498.(映画)フィリダ・ロイド監督『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年・イギリス)496.(映画)原田眞人監督『わが母の記』(2011年・日本)495.(映画)内田吐夢監督『浪花の恋の物語』(1959年・東映)494.(映画)前田弘二『婚前特急』(2011年・日本)491.(ドラマ)『幻の祝祭――1940年の東京五輪物語――』(2013年・NHK485.(映画)フィル・アルデン・ロビンソン監督『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年・アメリカ)484.(映画)ルバート・ワイアット監督『猿の惑星:創世記』(2011年・アメリカ)476.(映画)舛田利雄『上を向いて歩こう』(1962年・日活)469.(映画)クリス・パック・ジェニファー・リー監督『アナと雪の女王』(2013年・アメリカ)466.(映画)山田洋次監督『東京家族』(2012年・松竹)465.(映画)松林宗恵監督『連合艦隊』(1981年・東宝)462.(映画)熊井啓監督『黒部の太陽』(1968年・日本)459.(映画) スティーブン・ダルドリー監督『愛を読むひと』(2008年・米独合作)458.(映画)山崎貴監督『永遠の0』(2013年・『永遠の0』制作委員会)457.(映画)杉田成道監督『最後の忠臣蔵』(2010年・「最後の忠臣蔵」制作委員会)456.(映画)三谷幸喜監督『清洲会議』(2013年・東宝)453.(映画)宮崎駿監督『風立ちぬ』(2013年・スタジオジブリ)451.(映画)木下恵介監督『二十四の瞳』(1954年・松竹)442.(映画)三木孝浩監督『ソラニン』(2010年・日本)441.(映画)トム・フーパー監督『レ・ミゼラブル』(2012年・アメリカ)438.(映画)アッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012年・日本フランス合作)436.(映画)高橋栄樹監督『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on――少女たちは傷つきながら、夢を見る――』(2011年・日本)435.(映画)デビット・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』(2010年・アメリカ)422.(映画)君塚良一監督『誰も守ってくれない』(2009年・東宝)417.(映画)武内英樹監督『テルマエロマエ』(2012年・東宝)415.(映画)三宅喜重『阪急電車 片道15分の奇跡』(2011年・東宝)414.(映画)小林聖太郎監督『毎日かあさん』(2011年・「毎日かあさん」制作委員会)413.(映画)成島出監督『八日目の蝉』(2011年・「八日目の蝉」製作委員会)412.(映画)峰旗康男監督『冬の華』(1978年・東映)410.(映画)今井正監督『仇討』(1964年・東映)408.(映画)小林正樹監督『切腹』(1962年・日本)404.(映画)スタンリー・クレーマー監督『招かざる客』(1967年・アメリカ)401.(映画)山崎貴監督『ALWAYS三丁目の夕日’64』(2012年・東宝)

<その他>500.太田省一『紅白歌合戦と日本人』筑摩書房493.本庄慧一郎『新宿今昔物語 文化と芸能の300年』東京新聞486.四方田犬彦『日本映画110年史』集英社新書430.坂口安吾『堕落論』青空文庫423.鈴木元『立命館の再生を願って』風418.奥野修司『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の17年』文春文庫405.「週刊新潮」編集部編『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』新潮文庫

<最新紹介>

500.太田省一『紅白歌合戦と日本人』筑摩書房

 大晦日に、この本を紹介しようと狙って読んでみました。「歌は世につれ、世は歌につれ」ということが実感できるまあまあの本ですが、正確なデータがまったく提示されていないのは残念です。ある程度時代に沿って書いていますが、それも厳密に行っているわけではなく、時々時代を戻したりもしています。それと、歌詞に分析の重点を置いており、メロディー、リズム、曲調などの分析がほとんどなされていないのは分析としてはやや弱さを感じます。何よりも必ずしも「紅白歌合戦」に焦点を絞り切らずに書いているのも、肩透かしを喰らった感じがしました。まあそれでも、「紅白歌合戦」を中心とした戦後歌謡史をおおまかに知ることのできる本として一定の評価はできるように思います。(2014.12.31)

499.(映画)降旗康男監督『あ・うん』(1989年・東宝)

 高倉健が親友の妻に密かに恋心を持ちながらも、その思いをストレートに出さずに、物語は展開します。もともとは向田邦子の脚本のNHKドラマが原作で題名は何度も聞いていた有名な作品ですが、「へえ、こんな物語だったのか」とちょっと新鮮な驚きを持って見ていました。これは、実話に近いのでしょうか?小説や映画のストーリーとしては、すっきりしない感じで、隔靴掻痒感が残ります。親友の妻を愛する主人公、その思いに気づいている親友とその妻、しかし「生まれ変わったら」なんて話はするけれど、実際には決して手を出そうとしません。一方で主人公は神楽坂の芸者をひかせて二号として家を持たせたり、他にも浮気は数々しているということも語られます。なぜ、親友の妻にだけは手を出さないのか、キャラクター的には納得は行きません。しかし、事実としてはあったのかもしれません。実際に、谷崎潤一郎が佐藤春夫に妻を譲ったなんて話も大正時代にはありましたし、向田邦子の関係者にそういう人がいたのかもしれません。この映画では、その妻の役を演じている富司純子が非常に美しく魅力的です。夫が坂東英二でしたので、高倉健とのバランスでは、別れないのが不思議な気がしてしまいました。坂東英二はセリフも棒読みですし、まったく魅力的ではないです。もう少し、見た目は魅力的ではないが誠実感は溢れるような役者さんを使ってほしかったです。(2014.12.30)

498.(映画)フィリダ・ロイド監督『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年・イギリス)

 映画館で上映している時から見たかったのですが、見損なっていたのをようやく見ることができました。予想通り、なかなかよい作品でした。イギリス初の女性首相というか、先進国で初の女性首相の生涯を描いたストーリーだということはわかっていましたが、晩年は認知症になっていたようですから、どういう描き方をするのかなと気になっていました。最初から老け込んだ役で出てきて、過去を妄想と交錯するような形で回想していくという形で、サッチャーの生涯を振り返っていきます。中年期から老年期までメリル・ストリープが演じていますが、さすがに見事な演技力でした。しかし、改めてこの映画を見ながらサッチャーの登場がイギリスを転換させる意味を持っていたことを確認しました。「ゆりかごから墓場まで」がいつの間にか「イギリス病」と呼ばれるようになっていたのを、サッチャーの新自由主義が変えたわけです。しかし、結果的にそうなったのか、まさにサッチャーだからそうできたのかは議論の分かれそうなところですが。(2014.12.29)

497.渡辺房男『お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生――』祥伝社新書

 幕末から明治にかけての歴史書はたくさんありますが、この本は通貨に焦点は合わせたもので、なかなか興味深い本です。通常の幕末・明治初期を扱った歴史書では人の生き死にを中心にした派手な話が多いですが、ひとつの社会体制が終り、新たな社会体制が作られるにあたっては、様々な社会制度がうまく作られなければならないわけで、そこに焦点を当てた歴史書があってしかるべきです。特に通貨に関しては、江戸時代には、江戸を中心とした東日本では金本位制で「両、分、朱」、西日本では銀本位制で「銀何匁」という形で、同じ日本の中でも通貨が異なっているという複雑な事情があった上に、幕末には200以上の藩が藩札まで発行していたのですから、これらを保証しながら、新たな円という通貨に切り替えるのがいかに難しかったかは、経済に詳しくない人間でも理解できます。しかし、難しいとわかるだけでは新たな体制は作れないわけです。そういう時に、経済のわかる政治家・官僚が力を持つようになるわけです。実際、この本でも、大隈重信、井上馨、伊藤博文、渋沢栄一、前島密、松方正義といった、後に総理や大蔵大臣、大実業家になった人々が通貨制度の確立に尽力した人々として紹介されていますが、考えてみると、この人々は、幕末に切った張ったで大活躍した人たちではありません。革命後に腕が立ったり弁舌で人を引き付けてきたようなカリスマ性をもった人々の影が薄くなり、経済のわかる官僚的な事務能力の高い人が地位を得ていくのもこういうことがあるせいなんだなと納得しました。(2014.12.28)

496.(映画)原田眞人監督『わが母の記』(2011年・日本)

 各種の賞を受けた作品ですが、確かに良い作品です。認知症の母親を描いた作品ということで、重い気持になりすぎたら嫌だなと思い、長らく見ずにいたのですが、実際見てみたら、暖かい気持になれる作品でした。主演の役所広司も樹木希林ももちろん名演でしたが、三女役の宮崎あおいがすごくいいです。篤姫をやって以降、妙にイメージ転換をはかろうとしていた感じもしますが、やはりこういう純粋で真っ直ぐで清潔感のあるかわいい娘役が一番魅力的です。中学生時代から30過ぎまでの役ですが、そんなに違和感がないのがすごいです。長女のミムラも次女を演じた女優さんも綺麗で、美人3姉妹にしたことによって、この映画は品がとてもよくなっていると思います。見る価値のある良質な映画です。(2014.12.27)

495(映画)内田吐夢監督『浪花の恋の物語』(1959年・東映)

 タイトルがダサいのですが、映画としては非常に素晴らしい作品です。近松門左衛門原作の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」あるいは「梅川忠兵衛」として知られる作品を映画化したものですが、単純に原作を映画化するのではなく、近松自身が役の上で出てきて梅川と忠兵衛の恋の展開と結末をそばで見て、物語を書き上げるというストーリーになっています。これまで人形浄瑠璃をいいなと思ったことはほとんどないのですが、この映画の中で少しだけ出てくる浄瑠璃を見ていたら、一度浄瑠璃も見てみたいなという気になるほどでした。ストーリーは、まじめ一筋だった飛脚問屋の養子が悪友に無理に誘われ花街に行き、そこで梅川に出会い惚れ込み、決してやってはならない人のお金に手をつけてしまい、2人で逃避行をするものの捕縛されるという話です。ストーリーもいいのですが、主役の中村錦之介と有馬稲子が非常に美しく、特に有馬稲子はまるで彼女自身が人形のようでした。脇役も素晴らしいですし、セットも本格的で、映画全盛期の時代劇は素晴らしいなあと改めて思いました。(2014.11.30)

494.(映画)前田弘二監督『婚前特急』(2011年・日本)

 NHKBSで地味に放送していたのでたいしておもしろくないだろうと思いながら見たのですが、ちょっと意外な展開だったので、最後まで見てしまいました。主役は吉高由里子で5人もの男性とつき合っているという設定でした。5人目に、小太りの格好悪い男が出てきて、「なんで、こんな人と付き合っているという設定なのだろう?この男優さんはどういう役割なんだろう?」と違和感を持ちながら見ていたら、なんと途中からはこの男性との恋愛物語になっていきます。要するに恋愛コメディ映画だったわけですが、なんか予想を裏切られてついつい見てしまいました。まあ、後半はそのまま進んでしまった感じで、もう1回くらいどんでん返しがあればおもしろかったのにとちょっと残念でした。(2014.11.25)

493.本庄慧一郎『新宿今昔物語 文化と芸能の300年』東京新聞

 先日、四谷にある「新宿歴史博物館」に行った時に、写真が多くてちょっとおもしろそうな本かなと思って買いました。前半はいろいろ調べて書いていて悪くないと思ったのですが、作者自身が実体験として知っている部分が多くその知識に基づき書いている後半(1960年代以降)は主観的で体系性もなく資料としての価値もない本になってしまっていました。読む価値があるのは前半、特に最初の4分の1(戦前まで)だけです。最初の方は新宿という宿場町が江戸時代に造られ、何もなかった村に人が住み始め、少しずつ盛り場となっていくという歴史で、この辺は興味深かったです。あとは、めちゃめちゃ美少女だった15歳の水の江瀧子の写真が見られたことくらいでしょうか。まあ読んだという記録のために書いておきます。(2014.11.15)

492.佐江衆一『黄落』新潮文庫

 身につまされるというのは、こういう時に使う言葉なのだろうなといのうが読みながらずっと思っていたことでした。59歳の主人公と同い歳の妻が、近くに住む自分の年老いた両親の面倒を見なければならない苦しい日常生活とその心理を丁寧に描いた小説です。かなり作家自身の体験にもとづく物語ではないかと思うのですが、読みながら心が押しつぶされそうな気に何度もなりました。昔、有吉佐和子の『恍惚の人』を読んだ時には、まったく他人事と思えたこうしたテーマが、作家と同い歳の今の私には実感を持って受け止められます。いかに死すべきかということを考えずにはいられない小説でした。たぶん、若い方々が読んでもぴんとこないと思いますが、私には非常に興味深い小説でした。(2014.11.7)

491.(ドラマ)『幻の祝祭――1940年の東京五輪物語――』(2013年・NHK

 昨年末にNHKBSで放送されたものですが、私は比較的最近に再放送されたものを観ました。私の好きなタイムスリップものですが、実際にいた名陸上選手を扱っていたので、より興味を惹かれました。その選手は山下勝という選手で、1940年に中止されてしまった東京オリンピックが開かれていれば、そこに日の丸を背負って出場していたであろう長距離ランナーでした。1936年のベルリン・オリンピックで、5000m10000mの両方で4位に入る活躍をし、1939年まで10000m6連覇(5000m1938年まで5連覇)していた村社講平を、山下勝は1940年の全日本大会で破り、5000m10000mの両方で優勝しました。村社講平は長生きをしたこともあり、陸上競技の名選手として知っていましたが、この山下勝という選手は知りませんでした。このドラマがよくできていたので、架空の人物かと思ったほどです。山下が有名になれなかったのは、全日本で優勝した後、召集を受け、戦地で死んでしまったからです。野球選手などは、いろいろな文献があり、軍隊に召集され帰って来なかった有名な選手がしばしば紹介されますが、陸上長距離でたった1回だけ全日本で優勝しただけの選手では、話題性が小さいと思われたのか、これまで誰も取り上げなかったわけです。現に、ウィキペディアで、この山下勝の項目は作成されていないくらいです。でも、もしもこの選手が生きていたら、もしも1940年の東京オリンピックが開催されていたら、といろいろな想像してみたくなる、魅力的な人物として、このドラマでは描かれていました。久しぶりの、見ごたえのあるドラマでした。(2014.11.5)

490.佐江衆一『江戸職人奇譚』新潮文庫

 この作家は名前だけ知っていたのですが、読んだのは初めてです。読んだ感想は、「うまいなあ」という印象です。もともと純文学系の人で時代小説は途中から書きはじめたようですが、最初からこういう小説を書いていたのでは思うほど、知識も豊富ですし、本当にうまいです。1934年生まれで酸いも甘いも噛み分けている上に、江戸時代の空気も、職人仕事の詳細も見事に描けています。次の作品もぜひ読んでみたいと思いました。ちなみに、この本は、江戸時代の様々な職人を主人公にした短編集です。職人仕事の見事さをきちんと伝えつつ、人と人の物語を作り上げています。(2014.11.3)

489.高山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』文春文庫

 中上健次という作家の存在はよく知ってはいましたが、実は1作も読んだことがありません。にもかかわらず、この評伝をブックオフで見つけた時、なんとなくおもしろそうだなと思い購入したのですが、実際かなり興味深い本でした。著者自身の力ももちろんあるとは思いますが、中上健次という作家自体が異様な魅力を持っており、その生き方自体がこの評伝を成功に導いています。和歌山県熊野被差別部落で私生児として誕生し、東京に出て自堕落な暮らしをしながらも文学的才能をもった人物である中上健次が、比較的若いうちから小説家として評価され、そしてその後和歌山県の被差別部落のルポルタージュを発表し、熊野大学というあ実践活動にも関わり、46歳という若さで亡くなっていったという人生が丁寧に語られています。この評伝を読みながら、改めて中上健次の作品を読んでみようかなという気になりました。(2014.10.24)

 

488.本村凌二『馬の世界史』講談社現代新書

 馬を通して世界史を見直すという試みで、なかなか面白い本です。馬の登場し、その馬を使いこなした部族が、世界史に圧倒的影響を与えたのだということがよく理解できます。ただ、遊牧民は中央アジアを中心に活躍したわけですが、長く文字を持たなかったこと、また近代以降はその存在感を薄くしたために、われわれが習った世界史の中ではヨーロッパや中国の辺境の部族が勢いがあった時代があったという程度の認識しか私も持てていませんでした。実際、本を読んでいても、中央アジアの地理が頭に入っていないので、なかなか読みづらく感じました。もともとの関心から言うと、日本に騎馬民族は来たのだろうかということだったのですが、その点についてはほとんど得るところはありませんでした。あと、著者自体は古代ローマ史が専門なので、それ以外の部分はやや深みが足りない気がしました。まああまりに広い範域に、長い時代を扱いすぎたかなという印象があります。まあでも、新しい認識が多少なりとも得られた本でした。(2014.10.6)

487.溝口睦子『アマテラスの誕生――古代王権の源流を探る――』岩波新書

 古代史に関する本はかなり読んできて、もう新たな視点に出会うことはないかなと思っていましたが、この本は久しぶりに「なるほど」と思いました。著者は1931年生まれの方なので、きっと以前からこういう主張をされてきたのだと思いますが、もともと国文学出身で、50歳を過ぎたころから、古代史について語り始めたようなので、本格的な歴史学者という位置づけではないのでしょう。その結果として、このおもしろい視点(必ずしも、この著者の独自の視点ということでもないようですが)が意外に知られていないということなのかもしれません。

さて、どのあたりがユニークな視点かというと、アマテラスは7世紀天武天皇時代に、皇祖神に意図的に位置づけられた神であり、本来の皇祖神はタカミムスヒという神であったということです。アマテラスがこの時代に皇祖神に意図的に位置づけられたという説は過去にも読んだことがあり、そこでは藤原不比等が天武天皇の皇后でもあった持統天皇という女性天皇のイメージを結びつけるために、アマテラスを皇祖神にしたという説でした。狙いに違いはありますが、7世紀終わりから8世紀初めにかけて、アマテラスが皇祖神に意図的に位置づけられたという点では一致しています。本書をよりおもしろく思ったのは、タカミムスヒという神が天孫を降臨させるという神話と同型の神話が朝鮮半島にもあり、さらにたどっていくと北方ユーラシアの遊牧騎馬民族の神話にたどりつくということです。応神朝以来の大王の古墳に馬に関連するものが初めて登場してくるので、その頃から日本には騎馬民族の文化が強い影響を与え始めたことは明らかで、学者によっては騎馬民族がやってきて支配勢力となったという説を唱える人もいます。最近は、騎馬民族が到来して日本を支配したという説はあまり支持されていませんが、神話という文化も含めて騎馬民族に影響を受けた人々が、この時代に大量に日本にやってきて支配勢力になったか、強い影響力を与える立場に就いたことは間違いないと思います。この著者は、この応神朝の時代をヤマト王権時代(57世紀)と呼び、その頃はタカミムスヒが皇祖神と位置づけられていたと述べます。この時期の王権が、それまでの王権と異なるのは、大王が絶対的な存在となってきたところです。それ以前は、豪族の連合政権のような政治体制だったのが、この時期から大王は特別な存在とされるのです。そして、それを単に力による支配にせずに、天から遣わされた神の子孫だからという正統性をつけるために、天孫降臨神話が必要となったというわけです。

他方で、アマテラスはスサノオやオオクニヌシとともに、上記の騎馬民族神話が入って来る前から、人々に信じられていた土俗神話上の神だったという位置づけです。こうした土俗信仰はアニミズムとしてどこの社会でも自然に誕生しやすいものです。アマテラス、ツクヨミ、スサノオというイザナギが最後に生み出した3神は、それぞれ「太陽」「月」「荒ぶる自然」と捉えることができ、人々が畏れながらも感謝の気持をもつ自然界そのものを表していると考えられます。特に、天孫降臨神話以前の日本の神話には、海にからむものが多く、中国東南部や東南アジアに共通の話が多いそうです。つまり、日本の神話は二重構造になっていて、先に日本にたどりつき文化を作っていた人々の神話に、騎馬民族、朝鮮からの文化が継ぎ足された形で作られているわけです。ただし、古事記や日本書紀の編纂を始めさせた天武天皇は、それを単純につなぐのではなく、タカミムスヒの役割を土俗信仰の象徴的存在である太陽神・アマテラスにすることで、2つの世界をうまく融合させたのだというのが、この本の主張です。

もうひとつ「なるほど」と思わされたのが、「臣・連・君・伴造・国造」という姓の意味です。著者によれば、「臣・君・国造」という3つの姓をもつ氏族は、蘇我、葛城、大三輪、宗像など、地名を氏(うじ)の名にしている氏族が多いことから、5世紀以前から力を持っていた土着の勢力――アマテラス・スサノオ・オオクニヌシ神話の人々――に与えられたものであるのに対し、「連・伴造」は、物部、大伴、土師、犬養など職種を氏の名にしている氏族が多いことから、5世紀に支配勢力となった大王一族に仕える立場にあった勢力――タカムスヒ神話の人々――に与えられたものであるという主張です。昔から、この姓の違いはどういう風に決められたのだろうと謎に思っていましたので、この主張を知ってかなり納得がいきました。

基本的には、多くの点でこの著者の見方に賛成なのですが、いくつか疑問というか、この著者が触れていない部分が気になるところとして残りました。ひとつには、この著者は応神朝以降をヤマト王権と呼びますが、それ以前に、崇神朝もヤマトを中心に存在したことは確かなので、この王権についてはどう位置付けるのだろうかということです。崇神朝、あるいはそれ以前の邪馬台国(?)が、出雲系の王権だったという説が強くなりつつありますが、いずれにしろ、騎馬民族文化の影響が入る前に、すでに政治勢力はいろいろできあがっていて、戦いなどの記録もあるわけですが、そうした政治勢力はみな中国東南部や東南アジアとつながる勢力というのは、解釈として厳しいように思います。朝鮮半島からの移住は何波にもわたって起きたというのが、私の見方です。出雲や日本海側に早くにできた勢力も、海流の関係などから考えると、やはり朝鮮半島からの移住者たちと考えるのが無理がないと思います。ただし、彼らは騎馬民族系ではなかったのでしょうが。

書きはじめると、古代史はきりがなくなりますので、この辺でやめておきます。いずれにしろ、この本はなかなかおもしろい本だったことは間違いありません。(2014.10.1)

486.四方田犬彦『日本映画110年史』集英社新書

 日本映画史を概観するにはよい本です。新書の厚みで110年を振り返るので、かなり駆け足になってしまっているところも多いですが、映画という文化も確実に時代の影響を受けていたことがよくわかります。その意味では映画は社会学の対象になりうるということがよくわかります。対象は違いますが、かつて私自身が書いた論文「マンガの社会学−−マンガを通してみる大衆意識の分析」(『桃山学院大学社会学論集』第24巻第1号,21-53頁,1990年)と、同じ切り口の大衆文化論です。個人的には、戦後の占領期と、独立してからの違いがおおいに興味深かったです。占領期が終わってから、時代劇も戦争ものもようやく撮れるようになったのだということを、もっと意識してみないといけなかったということに、今更ながら気づきました。その時代の映画をその時に見ていた人々は、きっとそういう映画を見ながら、「ああ、本当に日本は独立国に戻ったんだ」と感じていたことでしょう。左翼的な映画を撮っていた監督も多いですし、戦時中の国家による統制も含めて、映画と政治の関わりは非常に濃いということがよくわかりました。(2014.9.27)

485.(映画)フィル・アルデン・ロビンソン監督『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年・アメリカ)

 昔公開されていた頃に、ちらっと見た映画紹介で、ケビン・コスナーが主演で、野球選手になりたかった若い時の夢を球場を作って叶える映画なんだろうなと勝手に思っていました。でも、綺麗そうなイメージがあったのでちょっと見たいなと思っていたのですが、ずっと見るチャンスのないまま25年も経ってしまいました。NHKBSで大分前に放送していたのを録画しておいたものを、漸く見ました。結構予想していたストーリーと全然違っていて最初ちょっと引き込まれました。要するに、ちょっと不思議な物語という内容で、「ドリームス」と複数形になっていることにも暗示されているように、主人公の夢だけでなく、いろいろな人の夢が叶うフィールドを、主人公は作ってしまったということです。最後まで見た感想としては、まあこんなものかというくらいでしたが。もともと原作を書いた作家に、野球に対する思い入れが強いのだろうなということは、よくわかりました。出だしの興味深さに比べると、最後は尻すぼみ感がありましたが、忘れてしまいそうなので、記録のためにも感想を書いておくことにしました。(2014.9.23)

484.(映画)ルバート・ワイアット監督『猿の惑星:創世記』(2011年・アメリカ)

 先日TVで放送していた2011年版の映画です。『猿の惑星』シリーズは、1968年の第1作、70年の第2作、再映画化された2001年の作品と見てきましたが、いつもまあまあだなと思っていましたが、この作品はおもしろかったです。CGのレベルが高くなり、どこが本物のチンパンジーなのか、特殊メイクの俳優なのか、CGなのかがわからないところも多かったです。何より、この創世記という猿の知能進化がなぜ進んだのかという、最初のストーリーがわかるのがよかったです。たぶんクライマックスのつもりで撮ったであろう最後の闘争シーンはCGだらけで個人的にはあまり興味はなかったですが。でも、この作品がおもしろかったので、現在公開中の「新世紀」を見たくなってきました。(2014.9.21)

483.白石太一郎『古墳とヤマト政権――古代国家はいかに形成されたか――』文春新書

 考古学の立場から、特に古墳を通して、古代国家がいかに形成されたかを語っている本です。なかなかよく整理されていて説得力があります。著者の主張では、邪馬台国以来、大和・河内を中心とした首長連合政権が奈良・大阪を中心に成立していて、もっとも有力な勢力は時代ごとに変化していたということになります。古墳群が何か所かに分かれて存在するのは、時代ごとに力をもった豪族がその地にいたことを示します。河内王朝(=応神朝)以降、河内・大和の古墳で突出して大きなものが出てくるのは、5世紀半ばに大王勢力が圧倒的な力を持つようになったことを示しているという解釈です。応神朝=騎馬民族説は否定しています。確かに、朝鮮半島の国際情勢が変化したことにより、ヒト、文化、技術が一気に入り込んだということでも説明はつくかもしれません。ただ、皇室系図的には、応神天皇はヤマトタケルの孫で、神宮皇后の子ですので、このまま信じるのは無理があるので、それまでの崇神朝とは断絶はあるのだと思います。もともと河内にいた豪族が勢力を増して、大王の地位に就いたという解釈でもいいのですが、その場合気になるのは、記紀等に、応神朝以前の河内・和泉の有力豪族の話が出てこないのが気になります。基本的には支持できる本ですが、細かい点では意見が異なるところもありました。でも、よい勉強になりました。(2014.9.19)

482.産経新聞社『国民の神話――日本人の源流を訪ねて――』産経新聞出版

 古事記を中心に日本の神話を紹介している本です。部分的には、知らなかったこともありおもしろく思えたところもあったのですが、やはり産経新聞なので、神話を史実と比較して、客観的に語るというよりは、日本神話の魅力を伝えようという意図で書かれており、私にとっては隔靴掻痒感の方が強かったです。特に、大陸(中国や朝鮮)からの影響について触れられることが少なく、日本の歴史を知る本としては物足りないです。出雲にしても越の国にしても、北九州にしても、大陸系の勢力の影響、あるいはヒト、モノ、知識の移入ということを考えないと、何も説明がつきません。まあ、そういう意図の本ではないので、仕方がないと言えば仕方がないのですが。おもしろかったのは、古事記下巻について紹介された部分で、河内王朝とも呼ばれる応神朝の各天皇の紹介の部分です。今の時代では決して書かれないであろう暴虐な天皇だったり、利己的な天皇だったり、非常に人間的な姿が描かれていて、中には史実を基にしているのだろうなと思える話も多く、興味深かったです。(2014.9.15)

481.村井康彦『出雲と大和――古代国家の原像をたずねて――』岩波新書

 80歳を過ぎた歴史学者が自分なりに学界の通説に囚われずに古代日本の原像を探し求めるという本です。帯にも「邪馬台国は出雲勢力が立てたクニである!」と書かれているように、邪馬台国は大和にあり、それは出雲系勢力が創った国で、その後九州からやってきた勢力に敗れ、大和の地を譲ったという主張なのですが、もうこの主張は、私にとっては自明になりつつあり、特別な新鮮味はなかったです。ただし、この著者の偉い所を、80歳を過ぎておられるのに、山に登り、神社を見に行きと、実際自分の足と目で歩き回って証拠探しをしている点です。細かい主張では、この著者と意見を異にするところはあるのですが、初期に大和の地に勢力を持ったのが出雲勢力であったということに関しては、この本を読んでさらに確信を深めました。(2014.9.13)

480.武光誠『神道――日本が誇る「仕組み」――』朝日新書

 適当なタイトルの本だったので、どうなのだろうと思いながら読み始めましたが、かなりおもしろかったです。「神道」というフィルターを通して日本史を語るという壮大な狙いの本ですが、最初の期待以上に成功していると思いました。「神道」なんて呼ばれるようになったのは、室町時代に生まれた「吉田神道」あたりからのようですが、その基になる神社信仰、アニミズムにつながる日本の土着信仰ということで言えば、縄文時代まで遡れるわけで、この本は実際に縄文時代から始まり、現代まで語り切っています。様々な日本の歴史が神道を変え、また神道が日本の歴史を変えてきたということに、改めて思い至らせてくれます。帯に「すべてを呑み込む融通無碍」と書かれていますが、まさにその通りだなと思いました。自然信仰、土着信仰に根差しているので、いろいろ形を変えながらも、決して消えることのない信仰なのでしょう。これは、この本には書いていないことですが、他の社会でもこうした自然信仰心はもともとあったにもかかわらず、多くの国では一神教になり、日本は「八百万の神々」の方が優勢で、一神教にならなかったのは、きっと日本が自然の豊かさと脅威がふんだんにある国だったからだと思います。いずれにしろ、日本の神道という一言で捉えにくい信仰について、おおいに理解が進む本です。神社について知りたいと思う方には、下の479の本よりかなりお勧めできます。(2014.9.11)

479.島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』幻冬舎新書

 タイトルほどには謎を解いてくれてはいない本ですが、八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉といった、日本の有名な神社に関する情報が多少得られます。ただし、体系的に語ってくれてはいないので、各神社に関するエピソードがいろいろ書いてある本という印象です。それでも、神社に関しては知らないことが多いので、手元に置いておいて、時々参考にすることはできるかなと思いました。日本は、神仏習合の歴史が深く長いため、神社信仰だけを純粋な形で抽出するのはかなり難しそうです。それはそれでおもしろいとも言えるのですが、日本の古代史を知るために神社信仰の原点を知りたいと考え読み始めた私にとっては、難題です。(2014.9.8)

478.翔田寛『誘拐児』講談社文庫

 江戸川乱歩賞を受賞したミステリー小説ですが、まあまあというところでしょうか。昭和21年に5歳の男の子が誘拐され、その15年後の昭和36年に一人の若い女性が殺されるという事件が起きます。この2つの事件がつながっていくというストーリーです。中盤あたりで、ほぼ犯人らしき人物も登場し、後は犯人探しよりも動機と方法の解明が読ませどころになっているのですが、最後はかなり無理な急展開でまとめてしまった感じで、消化不良を起します。私より3歳若い昭和33年生まれの作家なのに、昭和21年の闇市の空気感とかはうまく書けているなと思ったのですが、昭和36年の方はそこまで時代を書けてはおらず、そこは残念でした。たぶん、戦後の混乱と闇市を誘拐事件の背景に使いたかったので、あとはその時効が成立する15年後に設定をせざるをえなかったということで、戦後社会の方は大分イメージ作りをしたのだと思いますが、昭和36年の方はそこまで力を入れて時代を知ろうとはしなかったのだと思います。(2014.9.2)

477.大石英司『神はサイコロを振らない』中公文庫

 10年前に突然消えた旅客機が10年後にタイムスリップして現れますが、それは時空間のひずみに巻き込まれたもので、理論上の計算ではまた2日後には消えてしまうという状況の中で、乗っていた乗客とその10年後の家族たちがどのように時間を過そうとするかというストーリーで、なかなかおもしろそうだなと思って読んでみたのですが、「可」という程度の小説でした。まず、登場人物が多く、そのキャラクターのかき分け方がうまくないので、どの人物のセリフなのかをうまくつかめないまま読み進めなければいけません。また、個々の家族に起きたことは当事者にとっては大きなドラマでしょうが、読者からすると、たいしたドラマは起きていません。最後ももしかして予測がはずれて、あるいはなんらかの方法で、現代に生き延びる人物が出るのではとも思いましたが、そういうことも起きず、みんな消えて行きます。ただ、彼らが10年後の世界にたった3日間といえども現れたことによって、救われた遺族もいたというのが最後のまとめですが、たぶん現れたことによって困った人達もきっといたのではないかと思え、やや綺麗事としてまとめすぎているなあという印象も持ってしまいました。(2014.9.1)

476.(映画)舛田利雄『上を向いて歩こう』(1962年・日活)

 坂本九が歌う「上を向いて歩こう」という歌はたぶん若い人も知っているであろう有名な歌ですが、歌がヒットした後この映画が作られたわけですが、てっきり明るいコメディタッチのものだろうと思っていたら、まったく違っていました。冒頭の場面は少年鑑別所でまず少年たちが脱走をはかります。その後なぜか脱走したのにつかまらなかった2人の少年(坂本九と浜田光男なので1819の青年)が、それぞれ保護司の元と、バンドマンの元で生活していきます。描かれる世界は、貧しく荒々しい不良少年たちの世界です。ストーリー的にはまったくおもしろくない映画ですが、「上を向いて歩こう」という歌のイメージとのギャップと、東京オリンピック前のまだまだ貧しさがあちこちに溢れている東京の姿が見られるのが、興味深いところです。(2014.8.20)

475.湊かなえ『贖罪』双葉文庫

 なかなかおもしろいミステリーです。ある少女が殺された現場に居合わせた4人の少女が、殺された少女の母から「贖罪」を迫られ、それを心の重荷として抱えたまま成長し、それぞれがまた殺人事件に関与することになります。秘密は、最初に殺された少女の母にもあり、彼女もまた「贖罪」を迫られていたというストーリーです。あまり書きすぎてしまうと、これから読もうという人の興味を削いでしまいますので、ストーリーはこのくらいにしておきます。よく考えると、かなり無理な設定なのですが、各女性の独白調で話が進むため、すらすら読めてしまいます。wowwowでドラマ化されたようで、少女の母親を小泉今日子が、4人の少女の成長した姿を、蒼井優、小池栄子、安藤サクラ、池脇千鶴が演じたようです。なかなか魅力的な女優陣で見てみたい気もしますが、ドラマは独白調では進められないので、かなり無理が目立つことになっているのではないかと想像します。他の湊かなえ原作のドラマでもかなり無理がありましたので。この作家の作品は、ある意味で小説の特性をうまく活かしているため、一見ドラマ化しやすそうで、実際にはしにくいタイプなのではないかと思います。(2014.8.19)

474.浦賀和宏『彼女のために生まれた』幻冬舎文庫

 この本もブックオフの108円のコーナーで見つけた本で、「どんでん返しの連続に、一時も目が離せない傑作ミステリー」と書いてあったので、作家の名前も知らないけれど、まあはずれでもいいから一応読んでみるかと思い、買った本です。読み始めて数十頁で、「ああ、どんでん返しだけしたくて、無理な設定を次々に入れ込むよくある本か」と気づきましたが、まあどの程度のどんでん返しができる力量があるのだろうかと思い、一応読みました。正直つまらなかったです。個々のキャラクターが嘘っぽすぎます。力のない作家は、自分なりに考えたパズルを完成させるためには、キャラクターの性格を一定にさせることや、無理のない展開にすることにエネルギーを割けなくなるということがよくありますが、この作家もそういう一人でした。次々に無理な動機を作り、それをまたさらに無理な動機で上書きしていくという展開にしているために、最後の真実が一番嘘っぽくなってしまいました。タイトルの意味もわかりません。1978年生まれということでまだ若い作家ようなので、今後腕が上がる日もあるかもしれませんが、この路線で書いている限り、たぶんたいしたものは書けないままで終るでしょう。(2014.8.18)

473.安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』文春文庫

 20年ほど前に読んだ時は非常に読みにくかったのですが、知識が増えたために、今回はなかなか興味深く読めました。著者は、1948年に東京大学に入学し、すぐに共産党員となってから1961年に脱党するまでの10数年間の日本共産党員と過ごし、その体験をもとにその時期の日本共産党の歩みを個人的な観点から書き上げた本です。著者はそれなりに重要なポジションについていたので、まったくの個人史というよりは、ある党員から見た日本共産党史という位置づけはできるように思います。1948年の全学連の結成、1950年の所感派と国際派の対立、1955年の六全協による方針転換など、この時代の共産党の様々な転換が語られています。おそらく日本の歴史上、もっとも共産党が期待されていた時代で、多くの有為な若者が共産党に入党し、党に振り回され、それでも党を信じようとして、また振り回されてといった時代だったわけですが、その雰囲気はよく伝わってきます。今から冷静に考えれば、なぜそんな無理なことを信じられたのか、なぜそんな判断になったのかと不思議に思う人も多いかもしれませんが、共産党員の一部が、戦時中も「戦争反対」を貫き通したこと、まだスターリンの暴挙も知らされることはなく、中ソの関係もよかった時代です。共産党と共産主義こそが、日本を良くするのだと思った人も多かったでしょう。ただ、すべての有為な若者がそう思ったわけではなく、共産主義の問題点に気づいていた人も少なくなかったはずです。むしろ、数としてはそう思った人の方が多かったからこそ、日本には共産主義革命は生じなかったわけです。私の父親も、1948年に東大に入学していますが、父の日記を読むとストライキをして授業を受けさせない学生たちに腹を立てて議論をしたりしています。この本には、後に共産党と縁を切って功成り名遂げた人もたくさん出てきますが、そういう人たちは精神が相当に強い人たちだと思います。自らの過去の言動に間違いがあったとしても、それを乗りこえて生きていける人たちです。この本で出てくる話では、「スパイ査問・リンチ事件」などは、まるで連合赤軍事件と同じようなことをしています。リンチされた人が死ななかったという違いはあるものの、このリンチの加害者になりながら(この本の著者もその一人です)、その後も堂々と生きていけたというのは、いい意味でも悪い意味でもたいしたものだと思います。出てくる人物のことを私も直接知っていたり、著書や論文を読んでよく知っていたりするので、そうした人物が若い時に、こういうところで、こんなこともしていたのだという読み方もできておもしろかったです。(2014.8.14)

472.蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』新潮文庫

 久しぶりにブックオフに行き、なんとなく108円のコーナーを見ている中で、ちょっと気になったので買ってみました。名前を知らない作家でしたが、この小説はこの作家のデビュー作で今から13年も前にベストセラーになったそうです。現在に至っても、私が名前を知らないということはあまりその後はヒット作を出せなかったのだろうと思います。ちょっと気になったのは、舞台が1970EXPOだということです。EXPOでホステスと働いていた女性の恋物語ということだけしかわからなかったのですが、結構いろいろ仕掛けはありました。主人公の祖父がA級戦犯で処刑されたこと、恋人の行動が怪しいことなど、途中からは先が気になってきて一気に読んでしまいました。しかし、読み終った感想としては、まあまあという程度の小説です。いろいろ気になることがあります。ひとつはタイトルです。ほぼストーリーとは何の関係もありません。どこかで関係してくるのだろうと思いながら読んでいましたが、無理矢理1か所だけ関係させていますが、別にその日時にしなくてもよい程度のことで、正直言って無駄に頭を使わせられただけでした。解説を読むと、サイモンとガーファンクルの歌のタイトルだそうです。本文中にも音楽のことがたくさん出てきますので、たぶん作家本人がこの手の音楽が好きで思い入れだけでつけたタイトルでしょう。次に、祖父を処刑されたA級戦犯にした点です。軍人であったことはわかるように書いてあるので、そうなると処刑された人は6人しかいません。このうちの誰なのかが物語を読んでいくとわかるのではと思いましたが、そういう展開にはまったくなっておらず、その程度のことなら、わざわざA級戦犯で処刑されたなんて設定にする必要はなかっただろうと突っ込みたくなりました。唯一評価できるのは、恋人の秘密が明らかにされるところでしょうか。まあ、この秘密なら、この恋が成就しないという展開もそう無理はないかなとは思えました。たぶん、この作家の2冊目は読まない気がします。(2014.8.13)

471.乃南アサ『風の墓碑銘()()』新潮文庫

 女刑事・音道貴子のシリーズです。もうこのシリーズは何度も取り上げているのですが、読むたびに、この著者のプロの作家としての力量に感心します。推理物としてきちんと構成ができているだけでなく、登場人物一人ひとりの顔が浮かんでくるほどの、見事な人間描写力です。本当に頭がよい作家だと思いますし、アイデアが枯渇しないというのもすごいです。私がもっとも高く評価する作家のひとりです。

 今回のストーリーは、家屋の解体現場から白骨死体が2体出てきたところから始まります。そして、その家屋の持ち主だった老人も殺害されます。うまくつなげていけるだろうかと思いながら読んでいましたが、途中からあまり気にならなくなりました。決して荒唐無稽な展開にはなっていません。伏線はきちんと処理してあるし、本筋と直接関係ないストーリーも上手に織り込み、物語の遊び的な部分も楽しませてくれます。結局、最終的に明らかになる犯行の動機はシンプルですが、それゆえにリアリティを持てている気がします。しばしば、かなりありえないような動機を最後は犯人に語らせてがっかりさせるような推理小説もありますが、さすが乃南アサはそんなことはしません。現実の犯罪はこのくらいシンプルな動機で行われるものがほとんどでしょう。納得の1冊でした。音道貴子のシリーズはすべて読みたいと思います。(2014.8.9)

470.百田尚樹『海賊とよばれた男()()』講談社文庫

 『永遠の0』を書いた著者が、昨年「本屋大賞」を取った話題の本で、単行本の時にも買おうかなと思ったくらいだったので、文庫本になってすぐに入手し読みました。感想は「つまらない本」です。本当にがっかりしました。以前に、他の著者で本屋大賞を取った本を読んだ時もつまらなかったので、もうこれで、私は本屋大賞は二度と信じないことにします。「本好きの本屋さんが選んだ本当の文学賞」みたいに言われていますが、絶対に嘘です。こんな賞の与え方をしていたら、信用度が落ちるだけです。

 さて、賞に対する不満はこのくらいにして、本の中身について語りましょう。この本は、要するに実在の経済人・出光佐三の一代記です。この人物について全く知らなければ少しはおもしろく読めたかもしれませんが、私はテレビ番組で紹介されたものを見たことがあったので、ほとんど新鮮さがありませんでした。かなり実話をベースにしているようで、小説としてのおもしろさがほとんどありません。駄作です。この作家の本は3冊目ですが、『永遠の0』以外はおもしろくありません。すっかり売れっ子になりましたが、私はもうこの作家の本は読まないと思います。小説家としての腕はやはりたいしたことはありません。むしろ、『永遠の0』だけがどうしてあそこまでおもしろく書けたかが不思議な気がしてきました。

 小説としての魅力はなくても、主人公に魅力があれば、実話ベースでもおもしろい読み物にもなると思いますが、私にはモデルとなった出光佐三がそんな魅力的な人物に思えません。古臭い家族主義経営で、こんな非合理的なやり方でうまく行ったのはかなり幸運だった人で、まねをしてもうまく行かないだろうと思います。(2014.8.4)

469.(映画)クリス・パック・ジェニファー・リー監督『アナと雪の女王』(2013年・アメリカ)

 ブルーレイも売り出された今頃になって、こっそり映画館で見てきました。どうせたいしたことはないだろから、ここにも書かずに記憶だけに留めることになるのだろうなと思っていましたが、なかなかおもしろかったので、感想を書くことにしました。「レディゴー」現象とか言われ、「ありのままに〜♪」とエルサが歌いながら氷の階段を作る場面ばかり見せられていたので、あの歌が出てくる場面がクライマックスなのだろうと思いこんでいました。実際は前半の終り頃にあの歌は歌われ、その後も雪の女王はありのままに生きられず悩みつづけるのだと知らなかったため、ストーリーが実に新鮮でした。最後の方は、「えっ、こいつワルだったんだ」とか「えっ、2番目の恋も本当の恋か?」とか思いながら見ていたら、「おおっ、最後はそう来たかあ。なるほど納得できるなあ」と、ちょっとストーリーに感心してしまいました。実は、ミュージカルは結構好きなので、その意味でも見ごたえがありました。「Let it go」は聞きすぎていたので特に印象はなく、むしろ子どもの声から大人の声まで歌われる「雪だるま作ろう」の方が印象に残りました。オラフがなかなかかわいかったです。(最近、どうもゆるキャラにやられ気味です(笑))しかし、「Let it go」が歌われる場面って、とても合唱するような気分になる場面じゃないですよね。あれで、映画館中が盛り上るなんてことが日本で起きなかったのは当然だと思いました。あと、最初にあったミッキーマウスとミニーマウスの短編映画にもかなり見入ってしまいました。たぶん、あの白黒映画は昔実際にあったものだと思いますが、それをカラー版と組み合わせて劇中劇のように仕立てあげている、実に興味深いアニメでした。ということで、『アナと雪の女王』はおもしろかったです。(2014.7.21)

468.原彬久『岸信介 権勢の政治家』岩波新書

 岸信介と言えば、現在の安倍晋三内閣総理大臣の母方の祖父にあたり、60年安保がもめにもめた時の総理大臣で、A級戦犯であり、東条内閣の商工相で軍需省次官(大臣は東条英機)で、首相を降りた後も「昭和の妖怪」と言われるような暗然とした力を持ちつづけた政治家というイメージで、好ましいイメージはほとんどありません。しかし、私は岸信介についてイメージ以上の何を知っていたのだろうかとふと疑問に思い、この本を入手して読んでみました。読み終った印象としては、岸信介は天下国家のあり方を視野に入れていた大物政治家であり、マイナス部分もありつつも、プラス部分が正しく評価されていない人物ではないかというものです。生い立ちから追ったこの本はなかなか説得力があり、岸信介という人が生きた人生を丁寧にたどることができます。戦前には若手革新官僚として、国家社会主義を合理的な戦略として進めようとし、満州に渡ってからは、それを現実化させていきます。満州時代の岸はつつかれたらまずいようなこともしているようですが、媚びて上に取り入り出世するような生き方はしていなかったようです。むしろ、才気が走りすぎて、若手官僚時代から嫌われる人には嫌われるという人間だったようです。また、国家社会主義は、マルクス、エンゲルスの社会主義、共産主義思想とも相通じるところもあり、岸は社会主義者として疑われていた時期もあるし、戦後釈放されてからも、社会主義者たちとも付き合っていたようです。

死刑にならなかったのは、GHQ内部の権力闘争が岸に有利に働いただけで、岸自身もある時期までは死刑になることも覚悟していたようです。しかし、実際にはそうならず、それどころかA級戦犯だったのに、内閣総理大臣という最高の地位までたどり着いたわけです。岸自身の実力もあったようですが、運も大きく作用しています。ただ、国家像をどのくらい描けるかという意味では、同じ時期のライバルたちよりはるかに高い能力を持っていたので、その意味では岸が総理大臣になるのは当然であったと言えば、そうも言える気がします。55年体制と後に呼ばれることになる、政権交代のない安定的な政治体制を作りだした自民党という巨大保守政党を生み出すにあたっては、岸が大きな役割を果しています。また、60年の安保改定がなぜ必要だったか、そこに到達するまでアメリカとの交渉がいかに厳しいものであったか、もしも60年安保で反対運動側が勝ち、サンフランシスコ条約の時に調印した安保条約がそのまま残ったら、日本がどれほど不幸だったかを考えると、この時岸が執念を燃やして60年安保を成し遂げたことは、その後の日本社会の発展にとって大きなプラスを与えたということを、もう少し日本人は理解した方がいいかもしれません。顔が本当に妖怪みたいで、A級戦犯になったくらい戦争責任者のくせに、といった感覚的思いが、人々を岸信介に関してニュートラルに評価させない理由でしょう。総理大臣にもなりたくてなったというより、なるべくしてなった人という気がしてきました。やはり、表面的なイメージだけで決めずにきちんと調べて冷静に判断することが重要だなと改めて思いました。(2014.6.1)

467.杉森久英『夕陽将軍 小説・石原莞爾』河出文庫

 石原莞爾は柳条湖事件を計画し実施し満州国を創り出し、その後15年も続くことになる日本の戦争時代の幕を開けた人です。満州事変で政府の言うことを聞かず戦線を勝手に拡大した陸軍ですが、それが成功したら結果として称賛されたために、その後、515事件も226事件もあるいは盧溝橋事件から日中戦争へと続く流れもすべて石原の計画が成功したことの影響とも言えます。しかし、石原自身は226事件にも、盧溝橋事件にも賛成していないし、東条英機に対しては罵倒の限りを尽くすという変わった男でした。以前から、石原莞爾には興味を持っていて、一体どういう考えをもった、どういう人物であったのかを深く知りたいと思っていましたが、ようやくこの本である程度納得が得られました。石原は頭はかなりよかったようですが、人物的には相当に変人です。弱きを助け強きをくじくというような行動をよく見せるので、関わった配下の人間には石原を崇拝する人も少なかったようですが、上への楯突き方は妥当なものではなく、傲慢と言ってもよいほどのものです。自分の意見を通すためにも、そんなに無駄に敵を作る必要はないだろうしか思えませんでした。才能とある種の人間的魅力はあるが、変人だったようです。日本の歴史上の人物でこういうタイプの人は時々います。まともな人間からしたらかなり付き合いにくいタイプでしょう。ちなみに、石原は日米開戦の頃には予備役になって一線から退いていて、アメリカとの戦いではまったく活躍していません。そして戦争が終る頃には腎臓癌が進行しつつあり、結局昭和24年に亡くなります。改めて振り返ると、石原莞爾は結局満州事変の首謀者としてその存在を示すだけで、それ以外においては日本において特に大きな役割を果したとは言えないように思います。著者は、この石原莞爾の魅力と欠点を見事な筆致で伝えており、読み応えのある伝記に仕上げています。ちなみに、この本に出てくる満州で活躍する日本人・小沢開作という人物の三男があの有名な指揮者・小沢征爾で、彼の名前は、満州事変を起した時の参謀長・板垣征四郎(後A級戦犯として処刑)と石原莞爾から一文字ずつもらってつけられたということを知り、意外さに驚きました。(2014.5.1)

466.(映画)山田洋次監督『東京家族』(2012年・松竹)

 山田洋次が小津安二郎の『東京物語』のオマージュとして作った映画で、プロットはほとんど同じなので新鮮味はなくたいして面白くないだろうと思いながら見たのですが、役者が実力派揃いでそれなりにいい作品だなと思いながら見てしまいました。主役の橋爪功という役者さんはこれまで見たドラマではいつもちょっと偉そうであまり好きではなかったのですが、この作品では『東京物語』の笠智衆のイメージを壊さないように演技させられており抑え目の演技をしているのが逆に存在感を増している気がします。またいつも爽やかな好青年役が多い妻夫木聡が父親と肌合いの合わないぱっとしない次男役をこれも地味にうまく演じています。長女役の中島朋子も、母親役の吉行和子もとてもいいです。ただ、長男役の西村和彦と長女の夫役の林家正蔵には違和感を持ちました。平凡な家族の物語ですが、トータルでは山田洋次はプロの映画監督だなと思わせてくれる作品です。(2014.4.27)

465.(映画)松林宗恵監督『連合艦隊』(1981年・東宝)

 日米開戦直前の時期から敗戦に至るまでの日本海軍の戦史を追った作品です。2時間半弱の時間に詰め込んでいますので、描き方は十分ではないところもありますが、こういう流れだったのかというのがある程度わかります。「永遠のゼロ」の方が物語としてはよくできていますが、連合艦隊の歴史を知りたい人にとってはこちらの作品の方が参考になるでしょう。ただし、戦術的な失敗がなければ結果が違ったかもと多少思わせるようなところもありますが、たぶん万一その局地戦で勝敗が逆転していても大きな結果は変らなかったでしょう。まあでも、それなりに見られる映画です。重厚な男優陣が豪華な男のドラマです。(2014.4.14)

464.増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上・下)』新潮文庫

 単行本で出ていた時からおもしろそうだなと思い買おうかなと思っていた本でしたが、単行本は場所を取るのが嫌で結局買わずにいたのですが、ようやく文庫本になったので早速読んでみました。予想以上の傑作でした。久しぶりに、本を読むことを他の何よりも優先したいという気にさせてくれました。ノンフィクションの醍醐味がすべて詰まったような本です。木村政彦という人物については若い人は知らないでしょうね。われわれの世代にとっては、第1回日本プロレス選手権で、力道山に完膚なきまでに敗れた元柔道家、あるいはシャープ兄弟とのタイトルマッチでは力道山と組んでいつもやられているところを力道山に助けてもらう元柔道日本一のレスラーという印象でした。体格も力道山に比べたら一回り小さく、シャープ兄弟にやられるのも、力道山にやられるのも、まあそりゃそうだよな、柔道日本一と言ってもより本格的な格闘技には勝てないのは当然なんだろうなという印象を与えた人でした。しかし、心の奥底のどこかで、なんか変だなと思っていたこともありました。それは、この力道山vs木村政彦の映像を見た時に、「プロレスって筋書きのあるショーのはずなのに、この試合だけはどう見ても本気でやっている(少なくとも力道山は)な。どうしてそういうことになったのだろう?」という違和感でした。まあこの試合があったからこそ、しばらくの間はプロレスはショーではなくガチンコの闘いと思いながら、みんな見ていたのですが……。それゆえ、この本のタイトルを見て、中身をぱらっと見た時、そのずっと持ちつづけた違和感が解けるのではないかという期待感を持ったわけです。そして、この本はその期待に見事に応えてくれました。

 タイトルからすると、力道山戦だけに焦点が当たっていそうに思いますが、そうではありません。この本は、木村政彦の伝記本です。幼少期から晩年まで、木村政彦という人間がどういう人間だったのかを丁寧に教えてくれます。柔道界には「木村の前に木村なし。木村の後に木村なし」という言葉があり、空前絶後の柔道家であったと言われていますが、この本を読むと納得が行きます。私が知っていた、あの小さくていつもやられているプロレスラー木村政彦とはまったく違う人物がそこにはいたのだということがよくわかります。掲載されている全盛期の写真を見るだけでも、この人の強さは本物だったのだろうなと素人目にも思います。その強さがどれほどのものであったかは読んでもらうしかないですが、私はこの本を読みながら、YOUTUBEで、木村政彦の映像を何度も探しました。最全盛期の映像はないのですが、総合格闘技界で有名なグレイシー柔術の創始者とも言われるエリオ・グレイシーをブラジルで破り、グレイシー一族から尊敬されているというエピソードを知るならば、ある程度若い方も相当強かったのだろうなと想像できるかと思います。

 この本は木村政彦について語りながら、柔術という武道術が講道館の巧みな戦略によって柔道というスポーツに変化し、本来は格闘技の中で最高の強さすら誇っていたものが、換骨奪胎したものになってしまったという歴史にも気づかせてもらえます。以前から疑問に思っていた「なぜ柔道が世界に広まったか?」という謎も解けた気がします。嘉納治五郎を中心に講道館が柔道を世界に広めていったからというイメージで持っていましたが、オリンピックで見ていても、もうひとつ判定がはっきりしない競技で、こんなものがどうして世界的に普及できたのかなと素朴に疑問に思っていました。この本を読むと、結局スポーツ柔道が世界に受け入れられたのではなく、もともとは強力な戦闘能力を持った武術としての柔術が、より強さを求める男たちに受け入れられていったのだということに気づきました。

 とにかくおもしろい本です。本を読むことの魅力を再確認させてくれる本です。久しぶりの絶対お勧め本です。(2014.4.6)

463.近衛龍春『前田慶次郎』PHP文庫

 前田慶次郎は、最近はアニメやゲームの世界で有名になりつつありますが、長らく私はたいして注目もしていませんでした。大河ドラマなどからの知識で、前田利家の長兄の子と認識していましたが、かなり歴史研究書をいろいろ調べたらしいこの作家によると、もともと滝川一益の甥で前田家には養子で入ったようです。アニメやゲームによく登場するのは、「天下一の傾奇者」の言われるほど派手な外見と、幾度もの戦いで生き残った武辺者としての要素があるからのようです。どういう人生を送ったのかはこの小説でおおまかなところはわかりました。あくまでも時代小説ですから、ディテールは作家の想像でしょうが、仕えた大名などにはおそらく間違いはないでしょう。滝川配下だったのが、秀吉の天下になったため前田利家にいったん仕え、浪人を経て上杉家に仕えて生涯を終えたようです。この本は小説としては特におもしろいわけではありませんが、前田慶次郎という人物について興味があれば読んでみる価値はあるかもしれません。(2014.3.13)

462.(映画)熊井啓監督『黒部の太陽』(1968年・日本)

 日本映画史上に残る名作ですが、一昨年くらいまでDVDも出さない、テレビでも放映しないという方針を貫いていたため見る機会がなかったのですが、ようやく見ることができました。破格の製作費がかかったと聞いていましたが、確かにこれならお金がかかるだろうなと納得します。企業名がすべてそのまま登場しますので、全面協力はあったでしょうが、あれだけの人数で実際に近い迫力を出すために、相当大がかりなセットを作ったことは間違いないでしょう。黒部第4ダムを造りあげる物語で資材運搬のためのトンネル工事の際の苦難が描かれていることはよく知っていましたが、結構、親子、家族の物語も織り込まれていたのだということを、見て初めて知りました。ただし、まともなセリフのある女優はたった4人しか出てきませんので、あくまでも男たちの物語ですが。CGを使わずこの映画が作られたのだと思うと感動しますが、物語としてはまあまあというところです。まあでも、映画好きなら一度は見ておくべき作品でしょう。(2014.3.12)

461.浅田次郎『お腹召しませ』中公文庫

 浅田次郎の短編時代小説です。背景はいずれも江戸末期から明治初めの江戸に設定してあります。徳川幕藩体制が崩れつつある中で、武士社会で生じた(かもしれない)ちょっと哀れで滑稽な物語が展開します。各短編の最初に枕話のような前フリと、終りにちょっとした後日談や解説みたいな話を作者は書いています。ストーリーも含めて、なんだか武士を主人公にした落語のようです。時代物、歴史小説というより、幕末を舞台とした名もなき武士の人間ドラマという感じです。まあまあの作品だと思います。(2014.1.31)

460.角田光代『空中庭園』文春文庫

 冒頭のインパクトが静かに強烈で、連作短編らしく1話ごとにストーリーの語り手が変るという非常に魅力的な構成で、おおいに期待しながら読み進めたのですが、最後まで読んでも何も解決されず欲求不満が残りました。もしかしたら、この連作はまだ続くのではという気がするほど中途半端な終わり方です。これで終りでは「起承転結」の「結」がないという印象です。知りたいのは、「秘密がない」ことをモットーとしている家族が実はみんな秘密を抱えているので、それがすべて晒されていった時に、この家族は崩壊するのか、それとも再構築されるのかといったところです。まあ私が作家なら一度壊してどろどろの姿を見せ、その後再構築の兆しを見せて締めるという感じでしょうか。べたな展開かもしれませんが、そういう終り方にしてくれたら納得がいくのですが……。(2014.1.28)

459(映画) スティーブン・ダルドリー監督『愛を読むひと』(2008年・米独合作)

 年末・年始にはおもしろそうな映画がテレビ放映されるのでいろいろとっておいて後で見るのですが、これもその1本です。最初は、若い少年が年上の女性に恋する青春恋愛映画かなと思って見始めたのですが、まったく違っていました。女性はかつてナチスのユダヤ人強制収容所で看守として働いていたという過去を持っていました。そして、彼女は文字が読めないという事実を隠しながら生き、そのために他の看守よりも重い罰をうけることになります。その事実に気づいたかつての恋人であった少年は、かつて自分たちが恋人同士で会った頃に、彼女にせがまれて読んだ物語をテープに吹き込んで、獄中の彼女に送ります。そして、彼女はそのテープを何回も聞きながら、文字を覚えて行きます。やがて、出所の日を迎え、他に身寄りのない彼女は彼の世話で出所後の生活を始めることになるはずだったのですが……。全部書いてしまってはおもしろくないでしょうから、ここまでにしておきます。重い歴史的事実を、個人の物語として作ったストーリーは好きなので、この作品も非常におもしろかったです。(2014.1.23)

458.(映画)山崎貴監督『永遠の0』(2013年・『永遠の0』制作委員会)

 傑作小説の映画化はなかなか難しいのではないかと思っていましたが、見事に映像化しています。『Always 三丁目の夕日』を撮った山崎貴氏に監督をさせたのが成功の最大の理由でしょう。ハリウッドのCG映画はまったく好きではないのですが、山崎作品はいいです。ハリウッドのCGがありえない世界ばかり描くのに対し、山崎CG映画は過去に実際にあった風景をCGで再現してくれるのがいいのでしょう。戦闘機の空中戦や空母と戦闘機の戦いなどが迫力ある映像にできあがっています。役者もいいです。特に、戦争経験者として、昔話を語る年配の役者陣が非常にいい味を出しています。岡田準一もしっかり演じ切れています。若い人にぜひ見てほしい作品ですが、見た若い人はどんな感想を持つのか興味深いです。(2014.1.12)

457.(映画)杉田成道監督『最後の忠臣蔵』(2010年・「最後の忠臣蔵」制作委員会)

 基本的にいい映画です。やや過剰な演出も目に付きます(墓場のシーンや最後の次々と元赤穂侍が駆けつけるシーンなど)が、役所広司という役者の魅力を十分に引き出しており、そこがこの映画の最大の魅力になっています。昔なら高倉健が演じた様な役で、自らの私情を押し殺して義を通すという典型的な話です。簡単なストーリー紹介をしておくと、大石内蔵助の落としだねの娘を誠心誠意育て上げ、大店の嫁に出し使命を果たした男がその後どうするかというストーリーです。名作ドラマ「北の国から」を撮ってきた杉田成道の作品なので、まったく物語は違うものの、能弁に語りすぎない男の魅力という点では相通じるものがあるように感じました。(2013.12.31)

456.(映画)三谷幸喜監督『清洲会議』(2013年・東宝)

 三谷幸喜久しぶりの駄作です。ここ3作ほどはずれなしの監督になっていましたが、この作品はつまらないです。小ネタで笑いを取るだけで、三谷幸喜独特の思いがけないストーリー展開がなく、一体三谷幸喜はなぜこの映画を作りたかったのだろうと疑問ばかり感じながら見ていました。NHKの大河ドラマ『新選組』は50話くらいありましたから、あれはそれなりにおもしろかったですが、2時間ちょっとでは史実のある物語に独特の世界にまで引き込めないようです。三谷幸喜には、もう一度オリジナル脚本に戻って映画を撮ってほしいと思います。(2013.11.24)

455.新雅史『商店街はなぜ滅びるのか――社会・政治・経済史から探る再生の道――』光文社新書

 いい本です。世の中に出回っている最近の安易な新書とは格の違う本です。かつて岩波新書と中公新書くらいしか新書がなかった頃のレベルです。簡単に言うと、読みやすい専門書というレベルの本です。商店街がなぜ誕生し、なぜ滅びつつあるのかを、まさに総合的視点から分析できており、やや経済史寄りにも思えますが、れっきとした社会学書と言えます。商店街に興味を持ち、卒論で取り上げたいと言う学生が時々現れますが、この本は必ず読むように勧めたいと思います。歴史社会学的な分析手法が中心ですが、特定の商店街に焦点を絞った研究ではなく、商店街一般を対象としているため、特殊性を超克して一般化がはかれています。強いて難点を言えば、最後の再生の道筋がやや理想論に流れていて、実現性が担保されていないことでしょうか。しかし、これも「あとがき」を読み、商店街の酒屋の息子として生まれ育った著者の複雑な思いを知ると、まあこのくらいの思い入れの多い将来像を提示したくなるのも理解できるなあという許容する気になります。むしろ、なんとなく興味があったからとか、指導教員に勧められたからということでなく、内生的に生れてきた自分の思いを、こうした研究にまとめあげたことを評価したいと思います。(2013.9.8)

454.山田風太郎『警視庁草紙()()』河出文庫

 山田風太郎の最高傑作と評判の高い小説を今頃ようやく読みました。時代は、明治6年西郷隆盛が陸軍大将の座を捨て鹿児島に帰る場面から始まり、明治10年の西南戦争に警視庁抜刀隊が出陣する場面で終わります。と言っても、まじめな歴史小説ではなく、虚実ないまぜの時代小説です。確かにおもしろいと言えばおもしろいです。この時代を生きていた有名人(後に有名になる人も含めて)が、ここでこんな関わりを本当に持っていたかもしれないと思わせるだけの歴史知識を駆使しての傑作と言えるでしょう。ただ、後半は少し物語が破天荒になりすぎて、前半にあったような「もしかしたら史実かも」と思わせられることが少なくなり、やや尻すぼみな印象を受けました。連載していた当時のビッグニュースだった小野田少尉の帰還をそのまま盛り込んでしまった箇所などは、完全なパロディになってしまっており、この小説の価値を下げていると思います。きっと当初考えていたより、人気が出て、無理矢理書き継いだようなところがあったのではないかと思います。私にとって、この小説は、戊辰戦争が終り、明治体制が急速に作られていく10年間ほどのことをもっと調べたくなる知的刺激を与えてくれるものでした。明治の最初の10年ほどというのは、昭和20年からの10年よりも大きく社会が変った時期だったわけです。10年なんてあっという間に経ってしまう時間ですが、明治10年の10年前には、将軍や大名や侍がいたわけです。まったく異なる政治体制に変っていくことを、当時の人々はどう受け止めていたのか、どうしてこんな大変革が可能となったのか、もう一度きちんと考えてみたいと思いました。(2013.9.7)

453.(映画)宮崎駿監督『風立ちぬ』(2013年・スタジオジブリ)

 ジブリ作品にあまり惹かれない方なのですが、年配者に評判がよいという話を聞いたので見てきました。確かに観客層の平均年齢はかなり高かったですが、作品の内容から言えば、そうなるだろうなあというのも納得ができました。年配者にとっては、宮崎駿が作ったかどうか、アニメであるかはあまり関係なく、ノスタルジックな作品として見ているのでしょう。おそらく「Always 三丁目の夕日」を楽しんで見た人たちと観客層が重なるのではないでしょうか。歴史的事実をベースにした架空の物語ですので、歴史を知っている人の方が楽しめる作品だと思います。実在の人物である堀越二郎を主人公にして堀辰雄の「風立ちぬ」という小説のプロットを一部借りて作られたストーリーになっています。個人的には、どの程度事実との関わりがあるのかが気になり、少し調べてみましたが、堀越二郎の生年と業績が事実に近いくらいで、あとは事実とは異なるようです。年配者を引き付けているのは、ノスタルジックな背景と夫婦の純愛でしょう。落ち着いたトーンのストーリーが見やすい映画という印象を与えています。(2013.8.15)

【追記:2013.8.24】この映画で喫煙シーンが多すぎること、病人のいる部屋でタバコを吸うシーンまであることなどで、禁煙を進める団体が抗議をし、それをまたおかしいという人たちが出てきたりして話題を呼んでいますが、私も正直言ってこのアニメを見た時、喫煙シーンがむやみに多いなと思いました。現代のような禁煙推奨ではなかった時代の映画でも、こんなに喫煙シーンはなかったと思います。たぶん、宮崎駿はわざとやったのだろうというのが私の推測です。法的に禁止されていないタバコを徹底的に排除しようとする人々に対して揶揄しようという宮崎駿のへそ曲がり精神が表れている気がします。これがもっと名のない監督の作品なら、今後のTV放映なども考えて、きっとスポンサー側からクレームがついたことでしょう。しかし、宮崎駿クラスになれば、表現にクレームをつけることは誰もできないので、あえて宮崎駿はやったのだろうと思います。この作品がTVでこのまま放映されるのかどうか興味深いところです。

452.片田珠美『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』光文社新書

 主タイトルがひどい本(まず間違いなく、著者自身がつけたタイトルではなく、インパクトだけを狙ったセンスのない編集者がつけたタイトルでしょう)ですが、中身は副題の「成熟拒否」という病が蔓延し、そのことが原因で様々な問題が起きていることを的確に示した本です。不登校、ひきこもり、草食系男子、新型うつ、モンスターペアレント、モンスターペイシェント、薬物依存、etc.。こうした問題現象が起きるのは、様々な対象を失った時に、適切に断念をして、切り替えられないことが原因であり、こういう状態を成熟拒否、大人になれない人たちと指摘します。著者は精神科医ですが、ミクロな視点だけでなく、マクロな視点についても触れており、こういう成熟拒否が特別な人間だけに起ることではなく、今の豊かだが、規範が薄れ、かつ右上がりが期待できそうもなく、少子化が進んだ社会では、普通に生じてきてしまうことなのだと指摘します。絶対的な対処方法はないが、ミクロレベルでは、失敗を経験し、そこから学び、立ち上るという経験を積んでおくこと、マクロレベルでは一度失敗しても復活のチャンスがあるような社会になることが必要だと述べています。読みながら、私がいつも言っていることとほぼ同じような指摘をしていたので、納得しながら読みました。悪くない本です。(2013.8.6)

451.(映画)木下恵介監督『二十四の瞳』(1954年・松竹)

 昨日TVドラマで松下奈緒主演で『二十四の瞳』をやっていましたが、それを見る前に、有名な木下恵介監督の映画版『二十四の瞳』を見ました。やはり名作だと言われるだけのことはあります。有名な小説が原作で映画も非常に有名な作品ですが、小豆島が舞台の教師と子どもの交流物語という程度で、実はストーリーはよく知りませんでした。昭和3年から物語は始まります。岬の分教所に来た新人教師である女性教員が小学1年生12人と出逢います。この12人の成長と女性教員との交流が物語の核になっています。時代は5年飛んで、小学校56年時代を描き、昭和16年出征、そして終戦後、翌年に再び岬の分教所に戻って来た女性教員のために教え子たちが歓迎会を開き、昔話を語り合います。映画は昭和20年代の作品であり、時代の雰囲気がまだそのまま残っていること、女教師役の高峰秀子のうまさもあって、何度も涙しながら見ました。この作品を見た後、TVドラマ版も見てみましたが、やはり大分違いました。ストーリーやシーンは木下映画版をリスペクトしていたのか、そのままになっているところがたくさんありましたが、やはりこの2013年という時代に、戦前・戦後の空気感を出すのは難しいようです。もしも昨晩のTVドラマ版を見て「よかった」と思った人は、ぜひ1954年の木下版の映画『二十四の瞳』を見てみてください。(2013.8.5)

450.中野利子『父 中野好夫のこと』岩波書店

 中野好夫は戦後知識人の代表格の1人ですが、私がこの本を読んでみようと思ったのは、父の書斎にあった本だからです。私の父は「漢字博士」(漢検が誕生する前の19721991年に、毎年1回写研主催で「漢字読み書き大会」というのが開かれていましたが、父はそこで3回優勝し、「名誉博士」の称号を与えられました)になるほどの、国語や編修業務のプロ中のプロでしたが、大学時代は実は英文学科でした。そして、その指導教員が中野好夫だったのです。生活費の工面に追われてアルバイトに明け暮れていた父は、卒業の時に中野好夫から「卒業はさせるけれど、英文学科卒とは名乗らないように」というようなことを言われたと生前に話していました。戦後知識人としての中野好夫ではない大学教師としての中野好夫のことがわかるかと思って、手に取ってみたわけです。大学教師はわりとさっさやめているので、この本でも学生との関わりなどはほとんど出て来ず、私の期待には応えてくれませんでしたが、多少は中野好夫という人物のイメージはつかめました。戦争中はかなり戦争に協力的で、戦後はその反省から平和運動を死ぬまで続けていたということのようです。しかし、娘の目から見た中野好夫は普通の人です。この世代にありがちな男は仕事がすべてというタイプだったようです。書物としての出来は悪く緊張感もおもしろさもない本でしたが、この著者の生母、つまり中野好夫の1人目の妻は土井晩翠の娘だったという事実も知り、結婚を通して階層は再生産されるのだなと改めて思いました。ちなみに、父の妹は詩人で、土井晩翠賞をもらっているので、いろいろ縁があるものだなと不思議にも思った次第です。(2013.6.6)

449.辻井喬『父の肖像』新潮社

 辻井喬とは堤清二元セゾングループ会長で、その父親は1代で西武グループを作り上げ、衆議院議長も務めた堤康次郎です。この本は、小説の形式を取った息子が書いた父親の伝記という要素が色濃くあります。あくまでも小説なので、家族の設定などが変えられていたりするので、そのまま事実と思ってはいけないのですが、堤康次郎という人物がどういう人物であったのか、どういう人生を辿ったのかはおおよそわかるように思います。今、私自身も父親や祖父などの人生に非常に関心を持っており、なんとか記録をまとめておきたいと思っていますので、個人的には興味深く読みました。ただ、私がまとめるときは小説の形ではなく、ノンフィクションとしてまとめたいと、この本を読みながら改めて思いました。販売を前提にしないなら脚色の必要はなく、子孫になるべく正しい事実のみを伝えることが大事だと思います。そしてそうした記録は、いつか社会学的にも価値のある資料になりうると思いますので。(2013.6.2)

448.石田伸也『ちあきなおみに会いたい。』徳間文庫

 ここ何年か前から、「ちあきなおみ待望論」が出ているなあと気になっていたので、この本を買って読んでみました。ちあきなおみという歌手は、団塊世代なので私より少し年上ですが、もちろんよく知っていました。ただ、彼女がデビューして数年後に次々に登場してくる清純派アイドルの方に関心があった青春時代の私は、ちあきなおみのイメージと言えば、妙に色気がありすぎてちょっと水商売風の女性歌手という受け止め方でした。ヒット曲としては「四つのお願い」と「喝采」くらいしか記憶になく、むしろドラマやバラエティやCMでコミカルな色気のある役を演じる人としての方が記憶が濃いくらいでした。今回この本を読んで、ちあきなおみが美空ひばりと並び称されるほど歌のうまい人で、その歌のうまさゆえに、まったく活動しなくなって20年以上経った今でも、復帰が望まれているのだと知りました。隠れた名曲も多いと知りましたので、Youtubeで探して、改めてちあきなおみの歌を聞いてみました。確かに抜群にうまいです。特に、ブレス音をマイクを離してもいないのにまったく拾わせないのは一体どうやって息継ぎをしているのだろうと感心しました。また、「朝日のあたる家」や「夜へ急ぐ人」のドラマテッィクな歌唱や、「矢切の渡し」(細川たかしがレコード大賞をこの曲で取っていますが、もともとはちあきなおみのために書かれた曲だったそうです)や「紅い花」の静かでいて伝える力の強い歌などもいいなと思いました。まさに「プロの歌手」という感じがしました。最近は、歌をじっくり聞かせるよりダンスなどのパフォーマンスで見せようとする歌手(グループ)がほとんどで、きちんと歌を聞かせようとする人が減っていますので、特にちあきなおみのようなプロ歌手の復活が待望されるのでしょう。でも、もしも実際に復帰して、その時に以前のように歌えなくなっていたら、「ちあきなおみ伝説」が崩れてしまうので、私は復帰しない方がいいのではと思います。歌わなくなって20年以上ですから、やはり声帯も衰えているでしょう。年齢ももう65歳です。以前のように声が出ないとしても、その方が自然です。やはりかつて非常に歌のうまかった森昌子が森進一と結婚して歌をやめ、20年経って離婚後また歌い始めましたが、かつての森昌子の声はもう出なくなっていて、残念に思ったことがありました。まあ森昌子の場合は仕事をしなければならない事情もあったのでしょうが、かつての抜群の歌唱は衰えた歌唱で上書きされてしまい、歌の抜群にうまい歌手という範疇からはずれてしまったように思います。あの人をもう一度見たい、あの歌手の歌をもう一度聞きたいという気持ちもあるのでしょうが、昔の映像のみにしておいた方がよかったと思うことも多いと思います。山口百恵も、原節子もそのことがよくわかっている人たちです。ちあきなおみもこのまま復活せずに、昔の素晴らしい映像が引き継がれるだけでよいのではないかと思います。(2013.5.11)

447.一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光『同期生 「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年』集英社新書

 1967年の「第1回りぼん新人漫画賞」にともに入賞者となり、その後「りぼん」を主舞台に活躍した3人の漫画家が自らの人生を語った本です。あっという間に読めてしまう本ですが、個人的にはなかなか興味深い本でした。彼らは1968年から次々に「りぼん」誌上でマンガを発表していきますが、そのことによって「りぼん」も読者層が変っていきます。それまでの小学生向けから、中高生も読める雑誌へという変化です。マンガ史的には、彼らの後に、「24年組」と呼ばれる少女マンガの地位を一気に上げた女性漫画家たち(萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子、山岸涼子)が登場してくるのですが、彼ら3人の登場と一定の成功が他のマンガ誌においても、幼い少女より中高生以上が読めるようなマンガを描かせてみようという気にさせた大きな誘因になっていたと思います。ちょうど「団塊の世代」にあたる彼らのマンガに取組む姿勢はまさに真剣勝負で、この世代の若者たちが努力して夢をつかむという価値観をもって生きていたのだということも感じさせます。政治闘争や学生運動に向った若者たちとは違う場面ですが、根っこのところのまじめさなどは世代的な共有物なのかもしれません。少女マンガ史を研究する人には不可欠な本の1冊だと思います。(2013.5.2)

446.川田稔『昭和陸軍の軌跡 永田鉄山の構想とその分岐』中公新書

 この本は新書のレベルを超えたかなり本格的な歴史書と言ってもよい本です。昭和の陸軍がどうやって日米戦争という勝ち目のない戦いに突入して行ったのかを昭和陸軍のキーパーソンに焦点を当てながら丁寧に明らかにしていきます。一般には戦争責任者としては東条英機しか知られていませんが、この本を読むと、東条英機はそれほど大きな役割を果してはおらず、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一といった人々が国際的な視野をもった軍事戦略を構想してきたと著者は見ています。日米戦争は陸海軍ともできれば避けたい選択肢ではあったようですが、最終的には英米は不可分であり、戦わざるをえなくなったということのようです。それでも、まったく戦略がないまま戦いを始めたわけではなく、それなりのシナリオは描いていたものの、ドイツが期待通りの役割を果してくれなかったこと、ミッドウェー海戦での敗退で、シナリオは完全に瓦解してしまいました。本来なら、その時点(1942年中か遅くとも43年の早いうち)で勝ち目のない戦いになっていることは軍関係者ならわかっていたことで、戦争を終わらせる(降伏する)という選択をすべきだったのですが、そうできなかったことで、その後に多くの犠牲を出すことになったわけです。アメリカとの戦争の原因にもなった中国への侵攻をやめ撤退することができなかったのも、1,2年で戦争を終えられなかったことも、これだけの犠牲を払ったのだから、今更無に帰することなんてできないという感情的論理でさらに泥沼に入り込んで行ってしまうという、組織にはしばしば起こりがちなパターンだったことがよくわかりました。読み応えのある本でした。(2013.3.29)

445.五十嵐貴久『相棒』PHP文芸文庫

 この著者は多様なジャンルの作品を描ける人で、私もこのコーナーでホラーサスペンスの『リカ』と警察ものの『交渉人』を取り上げたことがあります。今回読んだ『相棒』という作品は幕末を舞台にしたフィクションです。主人公は、坂本龍馬と土方歳三です。この2人が大政奉還直前に15代将軍徳川慶喜を狙った射撃犯を協力して探すという架空の話です。歴史的事実としてはまったくない話ですが、出てくる人物は実際にすべていた人たちばかりで、こういう場面でなら、この人はこんなことを言ったのかもしれないと思わせてくれます。幕末の歴史に詳しい人間にとっては、こんな設定が本当にあったらおもしろいだろうなと思えます。最後の方では龍馬の暗殺も描かれ、それに関する独自の解釈と予想外の展開(私にはちょっと見えてしまっていましたが)も楽しめるでしょう。エンターテイメント小説としては悪くない作品だと思います。(2013.3.4)

444.豊田穣『英才の家系――鳩山一郎と鳩山家の人々――』講談社文庫

 2009年に民主党政権が出来た頃に買い、由紀夫や邦夫までつながる鳩山一族の家系を知ろうと思って読み始めた本ですが、古い時代の話が多く、途中で放り出していたのを、最近の昭和戦前史マイブームの中で改めて読みたいと思って引っ張り出して読みました。この本の中心は副題にあるように鳩山一郎です。彼の父親である和夫の生涯から書き起し、一郎の死で閉じられるノンフィクションです。今の若い人たちには、時代が古すぎて興味が湧かないでしょうが、私としてはなかなかおもしろかったです。エリート家系の創始者とも言うべき和夫の人生、そしてエリート2代目として生まれた一郎がどのような人生を辿ったのかを当時の時代状況や周りの人間との関係からしっかり描けています。1856年(安政3年)生まれの父・和夫から始まり、1883年(明治16年)生まれ1959年(昭和34年)に亡くなった一郎とその周辺の人々を描くことで、明治・大正・昭和という時代がかなり見えてきます。(2013.2.11)

443.古川隆久『昭和天皇――「理性の君主」の孤独――』中公新書

 新書ですが、読み応えのある研究書と言ってもよい本です。タイトルにある通り、昭和天皇の生涯を丁寧な文献渉猟から描き出した力作ですが、昭和天皇がどのような天皇であったと著者が考えていたかは、「「理性の君主」の孤独」という副題で見事に表わされています。その孤独が際立つのが満州事変以後戦争終結までの時期です。皇太子時代に訪英しイギリス的な立憲君主制に強く影響を受け、日本の天皇制でもそれが可能であると考え、英米に親近感を持っていた昭和天皇は、満州事変以後の軍部(特に陸軍)の独走に強い不信感を示し、なんとか止めようと試みていました。また、ドイツ、イタリアとの三国同盟にも不信感を持ち、成立を望んでいなかったにもかかわらず、結局すべて軍部と国体主義者の思うままにされてしまいます。立憲君主制であるという自覚を持つ昭和天皇にとって、たとえ自分の意に沿わない方針であっても、政府が承認を求めて来るならば最終的には認めるという方針で行動していたため、強権を発揮して、国家の進むべき方向を変えることはしなかったということのようです。ただし、後年「軍部の独走」と言われるようになる軍部の侵略戦術もアメリカとの戦いにおける圧倒的劣勢が知られるようになるまでは、国民も支持をしつづけていたのですから、昭和天皇の考える理念(新英米的対外的平和主義)は、完全に極少数派の意見となっており、実現は不可能だったと見ることもできます。終戦の際にも、軍部の中にはまだ、無条件降伏とも言える「ポツダム宣言」拒否、「本土決戦」を唱え、従わない者も少なくなかったわけですが、ここでは、昭和天皇の強い意志でポツダム宣言受諾が決まったわけです。それが可能になったのは、すでに国民の中に厭戦気分が広まっていたため、アメリカとの開戦前とはまったく状況が異なり、天皇の意見が通りやすくなっていたことが大きかったと言えるでしょう。その意味では、昭和天皇は一貫して立憲君主として行動したとも言えるように思います。戦後の天皇は、大日本国憲法とは異なり「象徴天皇」になったわけですが、どうも昭和天皇の内面では、新憲法発布前も後も「立憲君主」としての意識が変化なく連続していたようです。タテマエでは政治には直接関わらない立場ですので、その意見がマスコミで紹介されることはほとんどなかったのですが、総理大臣をはじめ、様々な大臣が皇居におもむき、天皇に内奏をしており、昭和天皇もその場では自分の意見を述べていたようです。しかし、間違ってそこでの会話を大臣が漏らしたりすると、「象徴天皇なのに、政治向きのことに口を出した」と問題視されるため、ほぼ隠されていたということだったようです。一般向けには戦後の昭和天皇は「人のよさそうなおじいちゃん」というイメージだけが伝わり、どのような考え方を持っていたかが伝わらなくなっていました。しかし、この本を読むと、昭和天皇という人は実に理知的で英明な君主であり、国際情勢や戦争責任についても自分なりのきちんとした考えを持っていたということがよくわかります。それだけわかっていながら、何も発言できない立場に追いやられたといい意味では、戦後も「理性の君主」の孤独は続いたと言えるのでしょう。(2013.2.4)

442(映画)三木孝浩監督『ソラニン』(2010年・日本)

 見た人も多いでしょうが、深みはないですが、恋、友情、音楽、つまらない仕事。学生たちが興味をもつ要素を取り揃えた典型的な青春恋愛映画ですが、悪くはないです。最後に、宮崎あおいがちゃんとギターを弾き、歌を歌っているので納得感があります。「BECK」という映画では一番大事な歌うシーンで無音になるというひどい演出で欲求不満になったのですが、この映画ではそれはありませんでした、自分たちが軽音サークルに入っている人たちにとっては特にたまらない映画でしょうね。(2013.1.6)

441.(映画)トム・フーパー監督『レ・ミゼラブル』(2012年・アメリカ)

 久しぶりの傑作です。もともと海外で2度ほど舞台を見たことがあり、ミュージカル「レ・ミゼラブル」は非常に好きな作品です。しかし、それゆえに映画版になってがっかりするのではないかと半分怖れながら見に行きました。これまでにも「オペラ座の怪人」や「マンマ・ミア」などは舞台版の方がよかったなと思ったことがありましたので。しかし、今回の「レ・ミゼラブル」の映画化は成功しています。舞台版で描けないスケールの大きさとリアリティがしっかり出せています。19世紀前半のパリの都市の貧困さがよく伝わって来て、舞台版よりストーリーが深みをもって伝わってきます。ちょうどこの時代のフランスで社会学が誕生しているわけですが、こうした都市の問題性と政治の混乱が社会に関する学問を必要としたのだということも理解できるよい映画です。まあそんな変った見方はしなくても、俳優たちの熱演というか熱唱には誰もが引き込まれることでしょう。アン・ハサウェイがこんなに歌が歌えるとは思いませんでした。もともとのミュージカルの曲がいい上にアップで切々と歌う姿は舞台版では見られませんからね。特に好きなのは、バリケードを作って戦う青年たちのシーンです。舞台版でも一番好きなところですが、映画版もいいです。とにかくお勧めの映画です。(2012.12.26)

440.津村節子『智恵子飛ぶ』講談社文庫

 高村光太郎の『智恵子抄』で有名な、高村光太郎の妻・智恵子の生涯を描いた伝記小説です。高村智恵子について私が知っていたことと言えば、福島の出身であること、『青鞜』創刊号の表紙の絵を描いたこと、晩年精神を病んでいたことくらいでした。どんな人生を生きた人なのかという単純な興味で読み始めましたが、なかなかよかったです。福島県で羽振りのよい商家の長女として生まれ賢く何でも上手だった智恵子は親の反対を押し切り、できて間もない日本女子大学に進学します。そこで絵と出会い、絵画で生きていこうとします。こうした生活の中で、東京芸術大学の教授であった高村光雲の息子・光太郎と知合い惹かれていきます。想いが叶って光太郎と夫婦となりますが、実家の家業が父親の死と共に急速に悪化していき、妹や弟たちの問題でも頭を悩ませます。夫婦仲はいいのですが、才能豊かな光太郎と暮すことは、智恵子にとって己の才能の無さを日々確認させられる毎日でもあったわけです。好きな仕事しかしない光太郎に収入は少なく、家計は常に火の車でこのことも智恵子を悩ませます。著者はこうした智恵子を取り囲む困難な状況を丁寧に書きこむ事によって、智恵子が精神に破綻を来たして行くことも必然であったと読者に思わせてくれます。精神を病んでからの智恵子の挙動に関する描写も巧みで、映像が浮かんでくるほどです。「智恵子抄」は何度か映画化されていると思いますが、この津村節子版の映画が見てみたいです。(2012.10.31)

439.山田風太郎『戦中派不戦日記』講談社文庫

 忍者ものやフィクション性の強い時代小説の書き手である山田風太郎が昭和20年の1年間に書きつづけた日記を出版したものです。当時、作者は医大生で戦争には行っていません。それがタイトルの「不戦」という言葉で表されているのだと思います。昭和20年は世の中の価値観がある日を境にがらっと変ってしまった年です。こんな時代を人はどう受け止めて生きたのだろうというのが昔から興味がありました。前半は空襲のことなどがたくさん書かれていますが、そんな時でもたまには寄席に行ったりしていて、ああこんな時代でも人は日常生活を送っているんだなと実感させられます。原爆の情報、ソ連の参戦、そして無条件降伏を経て戦争継続に懐疑的だった著者も徹底して戦うべきだという気持ちに変わっています。これも当時の実感でしょう。戦後あっという間に国民が占領軍になびき、軍人たちに冷たくするその態度の変化に違和感を覚えつつ、著者も日々の生活を生きるのに精一杯で、日々を過ごしています。のちのちふり返ったら、あの時代が転機だったといった回顧はできるのでしょうが、その時点で書かれたものはどんな激動の時代であっても、どの1日と同じ様に人は食べ寝て生きているんだなということを強く感じました。女性関係とかが一切出てこないのは著者の性格なのか、それとも時代ゆえなのでしょうか。たぶん前者の様な気がします。こんな時代でも、いやこんな時代だからこそ女性への思慕を持ちつづけた人も多いのではないかという気がするのですが……。(2012.10.28)

438.(映画)アッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012年・日本フランス合作)

 われわれが編集した『基礎社会学』のテキストが映画に使われるかもしれないということで撮影に入る前から注目していた作品をようやく見に行くことができました。アッバス・キアロスタミという人はイラン出身の名匠と言われる監督ですが、この作品に関しては高い評価は誰もできないでしょう。鑑賞した人の多くが感想に述べていますが、確かに「えっ、ここで終り?」と思わざるをえません。ここからドラマはどう進展していくのだろう、監督はどう見せてくれるだろうというところを断ち切って、後は観客それぞれが自由に想像してみてくださいという終り方になっています。こういうのをおもしろいと思う人もいるのかもしれませんが、私は好きではないです。しっかり物語を作って結末を描いてほしかったです。しかし、違う見方で見ると、個人的にはおもしろかったです。というのは、主人公の老人は84歳の元大学教師で社会学を教えていたという設定ですし、ヒロインの女子大生もやはり社会学を専攻しています。大学でテストが終わった後、老人から「どんな問題が出たの?」と聞かれたヒロインは、「進化論を最初に言い始めたのはデュルケームだよね?」と言い、老人は「ダーウィンだよ。デュルケームはそれを応用した人だよ」と答えます。この会話、私にとっては突っ込みどころ満載でした。進化論はダーウィンが『種の起源』を出版したことで一躍有名になりますが、最初に唱えたのはダーウィンとは言いがたいです。ラマルクもすでに唱えていたし、ダーウィンの父親も進化論者でした。また、進化論を応用した社会学者といえば、やはりスペンサーをあげるべきでしょう。デュルケームについて説明するなら、もっと他の話をした方がいいのにと思ってしまいました。ちなみに、最後のテロップで「関東社会学会」が監修で名が出てくるのですが、本当に監修したのかな、だとしたら、かなり恥ですね。さて、問題の『基礎社会学』ですが、結局出てきませんでした。強いて言うと、ヒロインがバッグの中から本をとり出す場面があるのですが、その本がもしかしたらそうなのかもという気がしました。ただし、本の裏しか見えないので、もしもそうだとしても、何の価値もないのですが……。(2012.10.1)

437.横山秀夫『顔 FACE』徳間文庫

 似顔絵を描くことを専門とする女性警察官・平野瑞穂が主役の連作短編集です。何を書かせてもうまい作家ですが、この作品でも十分にその能力を発揮しています。多くの物語で最後の最後にそうだったのかというどんでん返し的な結末が用意されています。このプロット作りのセンスは一流です。警察組織における女性警察官の難しい立場なども上手に織り込んでおり、さすが警察小説の第一人者と言われるだけのことはあります。読んで損のない一冊です。(2012.9.3)

436.(映画)高橋栄樹監督『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on――少女たちは傷つきながら、夢を見る――』(2011年・日本)

 前田敦子がAKB48を卒業しました。引退ではないグループからの脱退がこんなに好意的に騒がれたのは初めてではないかと思います。引退を含めてもこれだけ盛り上がったのは、キャンディーズや山口百恵以来ではないでしょうか。さて、この機会に今年のはじめに公開されたら、AKB48のドキュメンタリー映画を見てみました。なかなかいい作品でした。昨年に公開された作品も見ましたが、それよりはかなりよかったです。1年間をすべて同じような比重で扱うのではなく、東日本大震災を核にしたことがドキュメンタリーとしてよい作品に仕上がった理由だと思います。被災地を訪問したAKB48をキラキラした目で見つめる子供たちの映像を見ていると、彼女たちが今の時代でもっている力を感じさせます。そして、その自分たちのもっている力を半信半疑ながら受け止め、期待に応えようとする彼女たちの努力がもうひとつの見所です。昨夏の西武ドームの公演の舞台裏はなかなかすごかったです。ライブなのに、彼女たちはほとんど生歌で歌っていないことで低く評価する声もありますが、あれだけ踊ってMCをしていれば、パフォーマンス集団としては評価されていいのだろうと思えてきました。あと、昨年の総選挙の舞台裏で、大島優子がかなりつらそうな顔をしていたのが印象的でした。舞台上では、見事に爽やかに振る舞っていた感じでしたが、やはりつらかったんだなということがよくわかります。この総選挙があるがゆえに、前田敦子もAKB48からの卒業を決め、そして争わなくてよくなった大島優子との仲は、トップのつらさを知る者同士として急速に接近したのでしょう。いずれにしろ、よいドキュメンタリー映画となっています。(2012.8.29)

435.(映画)デビット・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』(2010年・アメリカ)

 見た人も多いでしょうが、フェイスブックがどのように誕生したかを実話に基づいて描いた作品です。見終わった印象としては、「そうかあ。フェイスブックって、こんな不埒な動機から始まったのか」ということでした。まあでも、どんな素晴らしい発明などでも最初の動機なんて、そんなものなのかもしれません。崇高な目的のためにエネルギーを使うのは実は結構つらいもので、私的な欲望に動機づけられてこそ、人はエネルギーを使えるものなのでしょう。それにしても、この映画の主役でありフェイスブックの考案者であるマーク・ザッカーバーグにまったく好感を持てませんでした。ビル・ゲイツも今は神のように崇められていますが、若いときは鼻柱の強い嫌な奴だったそうですから、マーク・ザッカーバーグもいずれは素晴らしい人物と思われていくのかもしれませんね。(2012.8.27)

434.東野圭吾『夜明けの街で』角川文庫

 久しぶりに東野圭吾を読みましたが、相変わらずうまいです。ちゃんと読者を引き込むノウハウがわかっている作家です。この作品は主人公の男性が不倫をし、愛人と妻との間で悩むというテーマを描きつつ、その不倫相手の女性が殺人犯かもしれないという推理小説としての要素をもった小説です。主人公は家庭を捨てるのか、そして愛人は殺人犯だったのかというふたつの謎が読者を捉えます。その結論をここに書いてしまったら読む楽しみがなくなりますので、書かずにおきます。ちょっと疑問を持ったのが、最後の「おまけ」の章でした。なぜ、このおまけの章を東野圭吾が書いたのか、それが最後に一番気になってしまいました。(2012.8.24)

433.衿野未矢『十年不倫の男たち』新潮文庫

432.衿野未矢『十年不倫』新潮文庫

 続きものみたいな本なので2冊まとめて紹介します。長く不倫をつづけている女性たち、そして男性たちにインタビューをしたノンフィクションです。タイトルからかなりドキドキするようなエピソードが書いてあるのかなと思ったら、期待を裏切られます。不倫も長く続くと、もうひとつの婚姻関係みたいなもので、淡々としたものになってしまうことが多いようで、ポルノ小説のような話ではまったくないようです。もちろん、著者がおもしろおかしく書こうとすればそういう内容にもできたのでしょうが、この著者はそうしたことは狙っていません。むしろ、不倫関係と夫婦関係のトライアングル関係の当事者たちの心理状態を描いています。事例が多く、個々の事例に関して淡々と描いているので、おもしろい読み物になっているかというとそれほどでもないですが、ある面で時代を捉えている本とも言えるでしょう。(2012.8.22)

431.山田太一『冬の蜃気楼』新潮文庫

 不思議な小説です。推理小説ではないけれど、真実は一体どうだったんだろうと嫌でも考えたくなってしまいます。物語の5分の4は、著者の分身ともいうべき新人映画助監督が17歳の新人女優に密かに思いを寄せるとともに、中年の下手くそな役者になぜか振り回されるという奇妙な数か月が描かれます。そして、最後の章で時が33年も飛び、脚本家となった主人公がかつて好きだった新人女優から突然電話をもらい、かつて振り回されたあの俳優の家に行こうと誘われます。そして、そこで昔話をしていると、記憶が一致していないことに気づきます。主人公の一人称で書かれているので、読者も主人公とともに違和感を持つことになります。一体事実はどうだったのだろうと疑問をもったまま物語は終わってしまいます。読後感は少し気持ち悪いのですが、そういえば、過去のことで、自分が真実と思い込んでいることで、実は違ったなんてことはあるのかもしれないなと思わされる不思議な小説です。(2012.8.8)

430.坂口安吾『堕落論』青空文庫

 坂口安吾と言えば『堕落論』ですが、これは的確な日本人論、あるいは人間の弱さに関する鋭い考察になっていて、なかなかおもしろかったです。天皇崇拝も武士道の精神も純潔の精神も、みんな自然に任せているとできないことだから、無理に美徳にし、ルール化することで守らせようとしている。人間は放っておけば堕落するものなのだという分析です。ただし、徹底的に堕落するのもなかなか難しいことだという指摘もされています。「正論」や「タテマエ」を振りかざす人間に嫌気がさしている時や、自分が聖人君子になれないことに悩んでいる時に読むと、救われるエッセイだと思います。(2012.8.7)

429.菊池寛『父帰る』青空文庫

 これも有名な作品ですが、読んでみてびっくりしました。まさか、こんなに短くて、オチもないような作品とは思いませんでした。なんで有名になったんでしょうか?逆に気になってきました。ということで、調べてみたら、発表当時はほとんど評判を呼ばなかったのが、3年後に二代目市川猿之助によって舞台化されて評判を呼んだそうです。原作は、夕餉時の数時間の家族の会話だけというものすごくシンプルな物語ですが、子供時代のことなどを容易に想像して織り込めますので、膨らませようはいろいろある作品なので、舞台や映画には使いやすかったのでしょう。しかし、それにしてもかなり深みには欠ける作品です。(2012.8.7)

428.森鴎外『ヰタ・セクスリアス』青空文庫

 青空文庫の第2弾です。これも有名な小説で、高校生の頃から名前とおよその内容だけは知っていました。森鴎外の若き日のことを描いた自伝的小説で、テーマは性の目覚めと経験です。この小説が掲載された雑誌は発禁処分になったとそうですが、今読むとまったく刺激的ではありません。小説としては盛り上がりもなく出来の悪いものだと思いますが、こういうテーマを軍医でもあり、著名小説家でもある森鴎外が赤裸々に(というほど露骨な表現はそれほどないですが)描いたことで、評判を呼んだのでしょう。文学史に出てくるのは、427で紹介した田山花袋の『蒲団』など自然主義文学に影響を受けて書かれたものだからでしょう。小説としてはおもしろくありませんが、社会学的には明治時代の青年の性への関わり方がわかるという点では興味深いものでした。(2012.8.7)

427.田山花袋『蒲団』青空文庫

 青空文庫とは、著作権がなくなった古典的小説が安価で読めるアプリです。名前だけ知っていて読んだとことがない小説が一気にいろいろ手に入ったので、とりあえず第1弾として田山花袋の『蒲団』を読んでみました。私小説の代表と言われているこの話は、中年(と言っても、まだ36歳なのですが……)の作家が弟子希望の若い女性に恋心を抱き、悶々とするという内容だということは知っていましたが、若い女性に恋人ができ、嫉妬心を抱きながら、さも理解者であるかのように振る舞うという男の心理を描いたものだということは知りませんでした。意外におもしろかったというか、こういう心理は時代を超えて生じる心理で、意外に古臭く感じませんでした。もちろん、言葉遣いや女性の生き方などに関しては現代とはかなり異なりますが。若い女性は神戸女学院出身で、その恋人は同志社の大学生というのも、親近感を持てた理由かもしれません。私小説ですから、みんなモデルがいるんですよね。実際、広島県の上下という町に行ったときに、このモデルになった岡田美知代の実家があり、そこが資料館になっていました。(ちなみに、その資料館建設には亀井静香が力を貸したようなことも書いてありました。)ウィキペディア情報ですが、この岡田美知代はその後、件の恋人と結婚し子供を設けたそうです。(2012.8.6)

426.北原みのり『毒婦。――木嶋佳苗100日裁判傍聴記――』朝日新聞出版

 婚活詐欺と練炭殺人でおおいに話題になった事件の一審の裁判を傍聴した著者が、自分なりの解釈を入れて書いた本です。著者の解釈はともかく、この事件の容疑者である女性の生き方と、それにあっさり騙される男性たちの物語は、小説でもこんなストーリーは描けないのではと思うほど、読み手を引き付けずにはおきまません。太っていて、決して美人とは言えない彼女がどうやって大金を男に貢がせることができたのか、少しわかりました。外見的は美人でスタイルが良いわけではないが、料理上手だったり、女らしさをきちんと演じられたりすること、そして男性の方も自信満々のタイプを選ばないこと、など経験から知ったのか、計算してやったのかわかりませんが、ある意味社会学的にも納得する部分がありました。たぶん、外見が高嶺の花に見えないというのも、男たちに本気で結婚を考えさせるのにちょうどよかったのだと思います。それにしても、睡眠薬を飲まされて意識を失っても、まだ疑ってかかれないものなのでしょうか。投資詐欺などもそうですが、欲望が強いと冷静な判断力が失われるものなのでしょうね。いずれにしろ、平成の犯罪史に記録されるこの事件について記されたこの本は、一気に読みたくなってしまう本です。(2012.8.5)

425.山田風太郎『甲賀忍法帖』角川文庫

 山田風太郎の時代小説にはコアファンが結構いますが、私は奇想天外な時代小説よりは史実をベースにした歴史小説の方が好きなので、これまであまり読まずに来ましたが、山田風太郎の魅力がまったくわからないというのも残念なので、ブックオフで105円で売っていたこの本を読んでみました。読後感としては、なんかなつかしい感じがしました。子供時代によく通った貸本屋にあった忍者マンガや少年誌で連載していた「伊賀の影丸」「サスケ」といったマンガを思い出しました。昭和30年代から40年代の初めくらいの時代には、こういう忍法を駆使する忍者たちの死闘というストーリーがずいぶんあったものでした。少年向けと違うのは、艶っぽい場面がかなり織り込まれていることです。まあまあ楽しめましたが、もう忍法ものはいいかなという感じです。次に、山田風太郎を読むなら、明治ものにしてみます。(2012.8.3)

424.中村彰彦『知恵伊豆に聞け』文春文庫

 この著者は歴史上の人物で超有名人ではない人物を主役にした歴史小説が多いので、しばしば読むのですが、だんだんレベルが下がってきました。この本は家光の側近として仕え老中にもなり、島原の乱を鎮圧し油井正雪の乱を未然に防いだ松平信綱の生涯を描いたものですが、主役の信綱をプラス面からしか描いておらず、小説としての深みはまったく足りません。ただ、徳川幕府という統治体制が作り上げられていく時代が描かれていますので、いくつかなるほどと思わされるところはありました。(2012.7.27)

423.鈴木元『立命館の再生を願って』風璹社

 立命館総長理事長室室長を長年務めた人がやめた後に大学批判を展開した本です。正直言って、文章は下手だし、同じ話を何回も繰り返すし、自己弁護のために書いているとしか思えないところも多く、好感のもてる本ではありません。内容もあくまでも、この著者の立場からの解釈であり、他の人が書けば、まったく違う話になるのだろうと思います。しかし、そうした点を割り引いて読んでも、立命館はずいぶんいろいろとごたごたしている大学なんだなあという印象は残ります。立命館は、この著者を引っ張ってきた前理事長の時から、次々に様々な「改革」を打ち出し、評価を上げてきた(?)と言われていますが、その裏では、こんなに強引なことが行われていたのだということが、白日の下に晒されています。立命館をモデルにして後追いをしようとする大学も多いわけですが、正直言って、この方向がよい方向だとは思えません。足が地に着いた教育と研究を忘れて、大学が経営体として走り始めることには、1大学人として懐疑的にならざるをえません。立命館を見ていると、バブル期に拡張路線を歩み続けて、バブル崩壊後に倒産した企業を思い浮かべてしまいます。関西大学は決してそういう道を歩まないように願うばかりです。(2012.7.16)

422(映画)君塚良一監督『誰も守ってくれない』(2009年・東宝)

 映画館で予告を見たときからおもしろそうだなと思っていたのですが、実際に見たら期待の3倍くらいおもしろかったです。幼女殺しで逮捕された未成年の家族、特に妹と彼を保護する刑事の物語ですが、予告編ではわからなかった刑事自身の過去やマスコミよりも怖いネットでの情報流出等が描かれていて、脚本がよくできていました。特に、ネットの怖さについては心胆寒からしめるものがありました。今は非難していいと多くの人が思うような事件が起こったら、実際こういう風になるんだろうなと怖くなりました。少しエンターテイメントを意識して、無駄なカーチェイスやありえない設定がいくつかありますが、見ている最中は何かの伏線かなと思ってそんなに気になりません。見終わった時に、「ああ、あの場面は盛り上げるためだけに必要だったのか」と思いますが、まあ許せる範囲です。見て損のない映画だと思います。(2012.7.2)

421.竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論社

 つい先日「吉野作造賞」の受賞が決まった本です。1970年代前半に大学に入学した私にとっては、なかなかおもしろい本でしたが、若い人(40歳代以下)が楽しむのは難しいだろうと思います。相当の知識がある人でないと、登場する知識人が誰が誰やらわからないでしょうし、何より「革新幻想」が存在していた当時の空気感がわからないと思いますので。ということで、今回は若い人にわかるかどうかを意識せずに書きます。この本の読みやすさは、著者自身の自分史を上手に織り込んでいることが大きいと思います。学術書とノンフィクションの中間くらいの読み物になっています。(どちらかというと、ややノンフィクションに近いような気がします。)さて、中身に入りましょう。私が一番おもしろかったのは、V章の教育学の革新幻想について書かれた部分でした。著者自身が教育学部出身ですから、実感も一番伴っていますが、私自身も大学時代に東大のある教育学者から「君は典型的な『期待される人間像』通りの学生だね」と揶揄されたことがあり、なんでこんな言われ方をするんだろうと悩んだことがありますので、この章で扱われている東大教育学部の「革新的」偏りを読んで、そういうことだったのかと非常に納得しました。次に、事実として興味深かったのは、W章の旭丘中学校事件です。これはまったく知らない事件でしたが、1950年代前半には京都の公立中学校でこんなイデオロギー性の露骨な教育が正しい教育としてなされていたのかというのは衝撃でした。京都は今でも共産党の力がかなり強い地域ですが、195070年代は強烈だったのでしょうね。立命館大学もかつてはそういう系列の大学と言われていたくらいでしたし。さて、この本をトータルで評価するなら、前半の5章までがより読み応えがあり、後半の3章はやや内容的に落ちると思いました。ただ、まだまだ革新幻想の残っていた頃に、大学生活を送り、さらに大学院では革新幻想のもっとも強い領域のひとつだった社会運動論を、革新幻想イデオロギーから切り離して、自由に語れる社会学の一研究領域として確立しようとしてきた私にとっても、共感のできるところが多い本でした。(2012.6.30)

420.佐野真一『東電OL殺人事件』新潮文庫

 つい先日この事件の犯人とされていたネパール人の再審請求が認められ、ネパールに帰国しましたが、改めてどんな事件だったのか知りたくて読んでみました。東電のエリートOLが夜な夜な売春をしていたことで当時おおいに話題になった事件でしたが、改めてこの本を読んで、犯人とされたネパール人男性よりも、被害者の女性がなぜこのような行為をしたのかの方がはるかに気になりました。正直言って、私にはまったく理解不能です。人は自らに課せられた役割を踏まえて合理的行為を行うという人間モデルを支持する私の社会学的観点からは、この女性の行為はまったく理解できません。最後に、精神分析医が登場し、精神的病だったのではないかということが暗示されますが、そういう解釈しかとりあえずはできないのかもしれません。ちなみに、読んで知った事実は、今回解放されたネパール人男性とこの被害者女性とはまったく無関係だったわけではなく、彼は3回この女性を買っていたこと、友人たちから家賃代を多めに出させてピンハネをしていたことなどです。だから、殺人犯の可能性があるということではありませんが、最近の報道だけ見ていると、無垢なネパール人としか見えなかったので、軽くカルチャーショックでした。なお、佐野真一というノンフィクション作家はそれなりに優秀な人だとは思いますが、この本に関していうと、かなり主観が入り込みすぎて、ノンフィクション作家というよりは、推理小説作家が半分当事者として関わりながら、その経過を執筆したような文章だなという印象を受けました。(2012.6.18)

419.杉本章子『東京新大橋雨中図』文春文庫

 20年ほど前に読んだ本ですが、久しぶりに引っ張り出して読み直してみました。いやあ、びっくりするほど内容は覚えていないものだなあと妙な感心の仕方をしてしまいました。明治期の実在の浮世絵師である小林清親を主人公とした中編連作小説です。各章には、清親の描いた絵のタイトルが使い、その絵をうまく物語に折り込んでいる巧みな小説です。江戸末期から明治初期の市井の人々の姿がいきいきと描かれています。もちろん、一御家人だった小林清親がどのようにして光線画という西洋風浮世絵を作り上げたのか、そして後には「清親ポンチ」と言われる風刺画まで描くようになっていたかということ物語の一番重要な筋を作っており、そこも非常におもしろいです。どこまでが史実なのかを知りたい気になってきましたし、小林清親の絵を探し出して見たくなってきました。(2012.6.5)

418.奥野修司『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の17年』文春文庫

 沖縄で1971年に実際に起こった「赤ちゃん取り違え事件」とその後の子どもたち、家族を追ったノンフィクションです。6歳の夏に判明し、小学校入学前に双方実子を引き取る形で交換するのですが、それだけですべて丸く収まるなどということにはならず、その後の生活が非常に難しくなったということが丁寧な取材で描かれます。子どもの成長や気持ちに焦点が当たっているのはもちろんですが、親の気持ち、それぞれの家庭の状況まで詳しく描かれ、読みながら、ノンフィクションというのは、ここまで書いてしまっていいのだろうかと思ったほどです。というのも、片方の家庭は母親がしっかりしていて引き取られた実子も徐々に実の親として受け止めていくのですが、もう一方の家庭は母親が母親らしいことを何もしないため、父親はそういう妻では家庭が任せられないため妻の独身の姉に子どもを預かってもらったりしているうちに、その姉と深い仲になり、子までなしてしまいます。それでも、妹と離婚して姉と再婚するなどということは世間は認めないだろうと考え、結果的に2人の「妻」と同居するという奇妙な家庭を作り出します。当然引き取られた子どもも、この家庭になじむことはできず、育ててくれた親の家庭の方に入り浸りになります。子どもの時は、なんとかお互いの家庭にそれぞれの子どもをなじませようと努力しますが、徐々にまともな家庭の方に2人の子どもがいるという状態になります。2人の子どもが20代前半になる頃までがもともとの本では描かれていますが、文庫版には新章がつき、30歳を超えた2人の生活、親たちのことなども描かれています。これはこれで力作のノンフィクションだと思いますが、もしも両方の家庭がまともだったら、また2人の人生は違ったものになっていたんだろうなと思いながら、読んでいました。出産が自宅から病院に切り替わった1950年代後半から1970年代前半にかけては、結構赤ちゃん取り違いというのは起こっていたそうです。1973年に学会で報告したある教授の調べでは、1957年から1971年の間に32件わかっているそうです。当然取り違いに気づかないまま成長してしまったケースなど、闇に埋もれているケースも考えると、この10倍くらいは取り違いは起こっていたのではないかと言われるそうです。それぞれがどんな人生を生きたのか、怖いけれど知ってみたい気もします。(2012.5.24)

417.(映画)武内英樹監督『テルマエロマエ』(2012年・東宝)

 もともとバカバカしいB級映画っぽいなと思い、見に行く気などまったくなかったのですが、観客動員がすごくよいと聞き、私が読み切れないような魅力が何かあるのかもしれないとだんだん気になってきたので、見に行ってきました。今日も大人気で14:00からの回は完売でした。「すごいなあ。そんなにおもしろいのかなあ」とさすがに半分くらい期待しながら見始めたのですが、見終わっての感想は、「どうして、この映画がこんなに人気なのだろう???」でした。頭の中のクエスチョンマークは見る前より増えてしまいました。はっきり言って、おもしろくありません。オチも盛り上がりもありません。この映画に1800円も出すのはもったいないです。TVで放映された時に見ればちょうどよい程度の映画です。社会学者としては、おもしろくなかった、代金に見合わなかったという感想だけで終わらずに、なぜこの程度の映画が評判を呼んでいるのか分析しなければならないなと思うのですが、正直に言ってよくわかりません。見終わった時の観客の反応からすると、私と同様「えっ、こんな映画なの??」と思っている人が多そうでしたので、見た人がおもしろかったと他の人に伝えているとも思えません。なんで当たっているのでしょうか?(2012.5.13)

416.百田尚樹『ボックス!()()』太田出版

 名作『永遠の0』の作者が書いた高校ボクシング小説です。スポーツと青春の躍動感がよく伝わってくる良質の小説です。一般的な評価も高いようです。しかし、私はどうしても『永遠の0』と比べてしまうので、そこまで高くは評価できません。『永遠の0』のような大きな物語を背景にしているわけでもないし、謎解きもあるわけではなく、単純に痛快青春小説という位置づけになりますので、この作家の力からしたら、65点くらいではという評価です。ただし、高校ボクシングに関心もなく、ルールも何も知らなかった私ですら、この小説を読み終わった時には、高校ボクシングにちょっと興味が湧いてくるくらいの魅力とわかりやすさを持たせえていることは、この作者の力量なんだろうなと思いました。(2012.5.11)

415.(映画)三宅喜重『阪急電車 片道15分の奇跡』(2011年・東宝)

 最近映画ばかりですみません。昨日TVで放映していたのを見て感想を少し書きたくなりました。映画としての出来はあまりいいものだとは思いません。人物造形が単純で、いい人と悪い人がパターン化されすぎていて、深みがありません。本の方がましだったように思います。(「本を読もう!3」の295に紹介済み。)阪急電鉄と関西学院大学の宣伝にはかなりなっていますね。阪急電鉄はタイトル自体に入っているので当然ですが、関学は本よりも映画の方が比重を増しています。この映画を見て、憧れを感じる高校生もいることでしょう。書きかけ途中になっている「阪急電車――千里線物語――」を書き上げないといけないなと改めて思いました。(2012.5.6)

2度目の感想(2021.8.2)9年ぶりに見たら、今度は割と興味深く見られました。まず、今ではこんなに俳優たちを集められないだろうなと思うくらい、現在は主役級になっている俳優――特に女優陣――がたくさん出ていますし、その多くが実際に関西出身だということを今回初めて知りました。特に、女子高生役で出ていた有村架純のことは、最初にこの映画を見た時は、私は認知していませんでした。2013年の朝ドラ「あまちゃん」で初めて有村架純を認識したので。芦田愛菜が出演しているのは、「Mother」というドラマを見た後だったので知っていましたが、今や高校2年生くらいになった芦田愛菜の小学校に入るか否かくらいの姿を見られて懐かしくも感じました。

 あと、今回見て面白く感じたもうひとつのポイントは、この頃原作を書いた有川浩の小説は、この『阪急電車』しか読んでいなかったのですが、今はかなり有川浩の小説を読んでいて、この物語の中にも、「軍事オタク」や野草を食べることなど、他の小説のテーマになっていることが盛り込まれている点です。

 こんな2回目の感想を書くのは初めてですが、前の感想と印象とかなり違ったので、つい書いてみたくなりました。(2021.8.2)

414.(映画)小林聖太郎監督『毎日かあさん』(2011年・「毎日かあさん」制作委員会)

 最初のうちは、小泉今日子演じる明るい母親の子育て奮闘記なのかなと思って見ていましたが、途中から物語が急速に深みが増していきます。永瀬正敏演じるアル中のダメ父親を慕う子供たちの演技、それを受け止めようとする小泉今日子の演技はなかなか見せます。そして、末期ガンであることがわかってから、家族の写真を撮り続ける永瀬正敏の演技と、最後に流れる実際に永瀬正敏が撮った家族の写真には、本物の愛情が写し出されているような気がしてしまうほど入り込んでしまいました。見終わった時には、なんで小泉今日子と永瀬正敏は実生活で離婚してしまったのだろう、すごく相性が良さそうなのに、とまで思ってしまいました。原作者である西原理恵子と鴨志田穣の実話をベースにしているストーリーで、作り物感が少ないのもいいのかもしれません。鴨志田穣が書いた『酔いがさめたら、うちに帰ろう』の方は、永作博美と浅野忠信で映画化されているようですので、そちらも見てみたくなりました。(2012.5.3)

413.(映画)成島出監督『八日目の蝉』(2011年・「八日目の蝉」製作委員会)

 今年の日本アカデミー賞を総ざらいした作品ですが、なるほどよくできています。NHKのテレビドラマで同じ作品を見ていたのですが、描き方がまた違っていて興味深く見ることができました。井上真央が最優秀主演女優賞で、永作博美が最優秀助演女優賞というのは、テレビドラマ版しか見ていなかった私にはやや不思議な感じがしていたのですが、映画を見ると、これはダブル主演という作りなので、まあこれもありかと納得しました。アカデミー賞の会場に小池栄子もいて、一体彼女は何の役だろうと思っていたのですが、やはりそれなりに大事な役でした。子を誘拐された母親役の森口瑶子、子役の少女も含めて、女性たちの複雑な心理が実によく表現されていました。それに比べて、男は口先で都合のいいことを言い浮気をするだけの浅薄な人間としてしか登場してきません。もともと女性作家が書いた小説が原作なので、原作自体がそういう話になっているのか、読んでみたくなりました。あと、ふと思ったのが、『Mother』という名作ドラマは、この物語からインスピレーションを得て書かれたのかもしれないということでした。私は、『Mother』というドラマを先に見てから、『八日目の蝉』を見たので、『Mother』を単純に高く評価していましたが、誘拐した少女を誘拐した女性が本当の母親以上の愛情を持って育てるという骨格のテーマはあまりに似すぎていますし、映画『八日目の蝉』の娘を誘拐される母親役が『Mother』の脚本家である坂元裕二の妻である森口瑶子ですので、この映画の原作を知らずに、彼があのストーリーを書いたとはとても思えません。まあ、プロットに違いはありますし、どちらもよい作品に仕上がっていますので、「盗作」云々ということにはならないと思いますが。それにしても、母と子というテーマは人気作品が作りやすい鉄板ネタですね。(2012.4.16)

412.(映画)峰旗康男監督『冬の華』(1978年・東映)

 高倉健主演のやくざ映画です。基本的にやくざ映画は興味がないのですが、倉本聰脚本・高倉健主演に惹かれて見てみました。ストーリーはそんなにひねられたものではないですが、高倉健は期待通りにかっこいいです。現実社会でやくざという存在は鼻つまみ者であるにもかかわらず、映画ではしばしばヒーローとして描かれるのは、偏にこの高倉健という俳優さんが1960年代から何度もかっこいいやくざを演じてきたからなのだと思います。無口で義理堅く人情にも厚い清潔感のあるやくざを演じさせたら、高倉健の右に出る者はいません。高倉健はやくざ以外を演じてもすべてこういう役どころですし、どうも私生活もそういう人みたいです。日本の男のあるべき姿を、高倉健はスクリーン上でも、現実世界でも演じてくれているようです。とても高倉健のようにはなれませんが、やっぱり憧れます。(2012.4.8)

411.横山秀夫『第三の時効』集英社文庫

 本当にこの作家はうまいです。警察ものの短編集なので、謎解きのおもしろさはもちろん入っていますが、それ以上におもしろいのは人間心理に深くメスを入れている部分で、この要素があるために小説としての無駄がなく物語に一気に引き込まれます。個々の物語は独立していますが、すべてF県警強行犯捜査課を舞台としており、登場人物などは共通しており、さらに最初の短編の始まりと最後の短編の終わりがちゃんとつながっていたりするという、見事なプロの業を見せてくれます。刑事が活躍する警察ものというのはあまり興味がないのですが、この横山秀夫のF県警強行犯捜査課のシリーズは、これからも時々読んでいこうと思いました。(2012.4.5)

410.(映画)今井正監督『仇討』(1964年・東映)

 408で紹介した『切腹』に続き、名作時代劇です。ほんのささいなことで諍いになり、面子を潰されたと思った男に果たし合いを申し込まれ、それに勝ってしまったことから中村錦之助演じる主人公の侍の不幸が始まります。その果たし合いは、両者ともに「乱心」したということで穏便に済ませられたものの、討たれた侍のすぐ下の弟は腕に覚えがあり、兄を討った男が生き延びていることが許せずに討ちに出かけます。しかし、この闘いにも勝ってしまった主人公は、ついに3番目の弟の正式な仇討の相手とされ、衆目の見守る中で、討ち果たされる舞台が作られます。お家大事の主人公の兄は、抵抗せずに討たれてやれと諭しますが、納得の行かない主人公は、相手方の多数の助太刀を相手に獅子奮迅の暴れぶりを示します。最終的には討ち取られてしまいますが、その間の中村錦之助の鬼気迫る暴れっぷりは壮絶です。この頃までの役者さんは、時代劇をやると、本当にその時代の人はこんな感じだったのではないかと錯覚させるくらい無骨で迫力があります。現代では絶対撮れない映画だと思いますので、一見の価値があると思います。(2012.4.4)

409.竹内洋『大学という病――東大紛擾と教授群像――』中公文庫

 大正末期から昭和10年代にかけてもめにもめた東京帝国大学経済学部の学内政治状況を克明に描くことで、日本的な大学のあり方、教養のあり方、そして大学教員のあり方を問うた好著です。大正時代から昭和のはじめにかけて、マルクス主義思想が普及しますが、それに批判的な立場を取るのは、日本主義を唱える右翼的立場の教授だけでなく、リベラル派の教授たちもでした。しかし、軍の力が強くなり、マルクス主義的な思想・行動が押さえ込まれた後は、今度はリベラル派が批判されるようになります。リベラル派、改革派(体制迎合的)、少数派(親社会主義系)が三つどもえとなって、経済学部の実権争いをします。そこに、政府・文部省や東京帝国大学のアカデミズムなどの思惑が複雑に絡み合いながら事態は進んでいきます。そして、この紛擾は、実は戦後の東京大学にも大きな影響を与えていることも語られます。1970年頃まで、この戦前の東大紛擾を生き残った大学教員がそれぞれの分野の大家として影響力を持っていたわけです。私が東大で学んでいた頃にまだおられた超有名教授が、若き日に、こういう行動を取っていたのかというのは、非常に興味深い事実を知った気がします。(2012.4.3)

408.(映画)小林正樹監督『切腹』(1962年・日本)

 脚本とカメラワーク、大道具・小道具が抜群にいいです。映画黄金期の時代劇の素晴らしさを感じます。もともと、この映画は原作がいいです。滝口康彦という作家が原作者ですが、彼の時代小説は深いです。江戸期の武士のつらさを見事に描いています。この映画のストーリーは、食い詰め浪人となった仲代達也演じる元広島藩の武士が井伊家江戸屋敷に現れ、切腹をさせてほしいというところから始まります。これは、こういう行動を取ってそれを評価され仕官できたということがあったため、この真似をする食い詰め浪人がたくさん現れ、各藩も切腹されるのも面倒なので幾ばくかの金を与えて追い返すという対応をしたため、ますますこういう浪人が増えていたということを物語の基礎としています。実は、この少し前に同じ広島藩の武士が同じように切腹したいとして現れ、それに対して井伊藩では本当に切腹をさせてしまったという事件があり、これと仲代達也演じる武士の行動はどう関係があるのかというのがひとつの筋になります。壮絶な展開になりますが、最後は三国連太郎演じる井伊家家老が武士的秩序の中にすべてを納めてしまうという終わり方になります。多少ネタばらしになっていますが、途中過程の方がたぶんより見応えがあると思いますので、たぶんこの程度のネタばらしはこの映画を見る意欲を削ぐものではないと思います。(2012.4.2)

407.毛利敏彦『大久保利通』中公新書

 「維新の3傑」の中では一番地味ですが、実はもっとも大きな影響力を持っていたのは、この大久保利通ではないかと思います。この本のよさは、幕末と明治を切り分けることなく連続して叙述していることです。そうすることによって、どうやって武士の世の中から、近代国家ができあがっていったかという謎が解けます。大きな体制変化を内在的になしうるのは非常に困難なことです。当然、江戸から明治への変化も容易ではなかったのです。どんな右往左往があったのか、どんな揺り戻しの動きがあったのか、そしてそうした困難にも負けずに、近代国家の体制を作り得たのは、大久保利通という人物の存在が大きかったのだということが、この本を読むとよくわかります。(2012.3.25)

406.古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』講談社

 「26歳社会学者による大型論考の誕生!」と帯に唱い、上野千鶴子と小熊英二が推薦文を載せている話題の本です。全体的な印象としては、よく勉強をして、その勉強したことに若者である自分の感覚をたっぷり加えて書かれた若者論です。現在の若者が現状に満足感をもっていることは、私の本『不安定社会の中の若者たち』でも触れていますし、この著者が何度も語っている日本が戦争に巻き込まれたらすぐに逃げ出すという意見も触れていますので、改めてこの若い著者から私が教わることはあまりありませんが、若者の時代感覚を生の言葉で語っているという意味では、同じ若い人たちが読めば、共感できるところも多いかもしれません。ただ、どうもこの著者もまた今どきの若者とはかなり感性が違う部分があるような気がしますが……。過去のこともよく勉強はしていますが、やはり彼が産まれる前の時代の空気はつかみ切れていない感じがします。特に、各時代の政治的な空気はつかみ切れていないと思います。私の本はどうやら読んでいなさそうなので、そこは不勉強ですね(笑)。読んだら、彼の研究にとってはいい参考になっただろうと思うのですが。(2012.3.13)

405.「週刊新潮」編集部編『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』新潮文庫

 昭和35年から平成14年までに、「週刊新潮」という雑誌に掲載された記事の内、インパクトのあったものを29本掲載しています。昭和40年代、50年代が中心なので、扱われている事件自体は記憶があるものも多いのですが、「週刊新潮」という雑誌はまず読むことがなかったので、記事自体は初めて読むものばかりでした。時代もバラバラですし、週刊誌の記事ですから、信憑性もよくわからず、知識にはあまりなりませんが、いかにも週刊誌らしい内容で、自然にページはめくってしまいます。読んでいる時は結構おもしろいと思ったのですが、こうやってあらためて読後に何か書こうと思うと、結構紹介しにくい本です。記憶に留めるためだけの記録として残しておくことにします。(2012.3.10)

404.(映画)スタンリー・クレーマー監督『招かざる客』(1967年・アメリカ)

 アカデミー賞受賞作品ですが、それなりの価値はやはりあります。公民権運動やブラック・パワーが唱えられていたこの時期に、この映画が創られたんだなと思いながら見ると感慨深いです。内容はリベラルな家庭で差別は間違っているということを教えられて育った白人の娘が、黒人の医師と恋をし、結婚をしたいと両親のところに連れてきます。差別は間違っていると言い続けてきた両親ですが、まさか自分の娘が黒人と恋に落ちて結婚したいと言い出すとはまったく想像をしておらず、2人ともショックを受けます。両親だけでなく、その家で長年働いている黒人女性なども強い抵抗を示します。母親はシドニー・ポワチエ演じる黒人医師が人間的に素晴らしい人物であることを知り、娘の気持ち通りにしてあげようとしますが、父親はどうしても承諾できないと思い続けます。そこに黒人医師の両親も現れ、やはり戸惑いますが、ここでも母親が先に理解を示し、父親は反対しようとします。最後にはハッピーエンドとなるわけですが、そこに至るまでの親――特に父親――の複雑な心情を描くのが、この映画の見所です。シドニー・ポワチエ演じる黒人医師の聡明さぶり、スペンサー・トレイシー演じる娘の父親の微妙な心情などがしっかり描けていて、良質な映画です。(2011.3.6)

403.美川圭『院政 もうひとつの天皇制』中公新書

  この本は名著です。新書というレベルをはるかに超えたしっかりした歴史書です。院政という日本特有の不思議な政治制度を縦糸にして平安時代から幕末までの政治体制の推移を見事に説明してくれます。平安時代の後半にだけ意味をもったと思っていた院政が実は深く日本の政治史に関わっていたことがわかり、わくわくしながら読み切りました。白河、鳥羽、後白河の3代の院政は有名ですが、白河のはるか以前の上皇(太上天皇の略語)である持統からこの本は説き起こしていきます。もちろん、もっとも紙幅が割かれるのは上の3代ですが、その後を襲った後鳥羽上皇のところもかなり詳しいです。新古今和歌集を作らせるほど、和歌、音曲、さらには蹴鞠にまで精通した才人・後鳥羽が承久の乱で敗れることにより、院政は実質的な権限を失い、鎌倉幕府(執権・北条氏)が宮中の問題も決めて行くようになります。なぜ4代将軍以降が摂関家や親王になったのか、彼らはどんな役割を果たしたのか、五摂家(近衛、九条、鷹司、二条、一条)がなぜできたのか、南北朝時代につながる2つの王家(大覚寺統と持明院統)はなぜ生まれたのか、後醍醐はなぜ鎌倉幕府を倒そうとしたのかなど、これまで私の歴史知識の中では曖昧だったことがかなりすっきりと見えてきました。改めて歴史はつながっているのだということを実感させてもらいました。現在の象徴天皇制の成立にもつながる話で、ぜひ読んでもらいたいお薦め本ですが、ある程度の歴史知識がないと読み切るのはつらいかもしれません。また、読む際には天皇家と藤原氏の家系図が必携です。(2012.3.6)

402.諸永裕司『ふたつの嘘 沖縄密約〔1972-2010〕』講談社

 現在テレビドラマで放送中の『運命の人』でも扱われている沖縄密約問題を朝日新聞の記者である著者独自の切り口で焦点を当てたノンフィクションです。2部構成になっており、第1部は西山事件としても知られるこの密約問題の当事者である西山太吉氏の妻・啓子氏の思いに寄り添う形で語られます。夫に裏切られつつも離婚もせずに現在まで夫を支え続ける日々を送っています。今の若い人には彼女がなぜ離婚しなかったかは理解しにくいのではないかと思います。突き詰めて言えば、昭和一桁世代の女性の結婚観ゆえだったということではないかと思います。第2部は、女性弁護士が主役となり、西山事件としてではなく、国家が国民に対する嘘を突き続けたことを白日の下にさらすための、情報公開、国民の知る権利を求める裁判の話になります。第1審で勝訴したところで、この本は終わっていますが、裁判自体は国が控訴したため、まだ続いているようです。アメリカで密約の公文書が出てきていますので、密約がなかったとはもう国も主張しないのでしょうが、文書自体が日本にまだ存在するかどうかが争点なのでしょう。ノンフィクションですが、登場人物の思いや感情がかなり書き込み、客観性よりも登場人物の主観を重視した物語という印象を持ちました。読みやすいですが、事実を知るという点では物足りなさが残ります。ちなみに、西山太吉氏という人物は、この本を読んでもどうも好きになれない人物です。彼は例の事件で失敗していなければ、新聞記者をいずれやめ、政治家に転身する予定だったようですが、もしもそうなっていたら傲慢で偉そうな嫌な政治家になっていたのではないでしょうか。友人であったナベツネも傲慢な人間として有名ですが、ジャーナリストを標榜する人たちというのは、どうしてああいうタイプが多いのでしょうか。自分は正義のために働いていると勝手に思いこんでいる気がします。(2012.2.24)

401.(映画)山崎貴監督『ALWAYS三丁目の夕日’64』(2012年・東宝)

 『ALWAYS』の3作目です。2作目が1作目ほどの感動を呼ばなかったので、3作目は公開してすぐに見に行こうとまでは思わず、ようやく見てきました。見る前は70点くらいの映画に仕上がっていればよしとしようと思いながら見始めました。最初のうちは、泣けないし、笑えないしで、これは50点の映画だなと思いながら見ていたのですが、途中から涙腺が壊れてしまい、後はずっと涙がこぼれっぱなしでした。別に、ストーリーはたいしたことはありません。こんな展開なんだろうなと誰でも思いつくような展開です。にもかかわらず、涙が出てしまうのは、この映画との距離感の問題ではないかと思います。3作目となると、この映画の中の架空の町の人々がみんな知り合いのように思えてきて、まるで自分もこの町の住民になったような気持ちになっていました。あの赤いほっぺで田舎から出てきた六ちゃんがお嫁さんになるのかと思うと、あのチビだった淳之介がこんなに大きくなったのかなんて思うと、もうそれだけでボロボロになってきます。独立した作品としてはきっと75点くらいの映画だと思いますが、1,2作と見てきた人間にとっては、88点くらいつけたくなります。次は、日本万博の開かれた1970年バージョンをぜひ見たいものです。(2012.2.23)