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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>346.横山秀夫『クライマーズ・ハイ』文春文庫316.梁石日『闇の子供たち』幻冬舎文庫309.東野圭吾『さまよう刃』角川文庫306.仙川環『感染』小学館文庫

<人間ドラマ>369.渡辺淳一『愛の流刑地(上)(下)』幻冬舎文庫363.乃南アサ『火のみち(上)(下)』講談社文庫362.乃南アサ『しゃぼん玉』新潮文庫350.山本文緒『あなたには帰る家がある』集英社文庫346.横山秀夫『クライマーズ・ハイ』文春文庫344.大崎善生『ドナウよ、静かに流れよ』文春文庫341.奥野修司『心にナイフをしのばせて』文春文庫338.大崎善生『将棋の子』講談社文庫334.吉田修一『悪人(上)(下)』朝日文庫325.百田尚樹『永遠の0』講談社文庫314.湊かなえ『告白』双葉文庫309.東野圭吾『さまよう刃』角川文庫304.山崎マキコ『ためらいもイエス』文春文庫

<推理サスペンス>386.沼田まほかる『九月が永遠に続けば』新潮文庫382.乃南アサ『鎖(上)(下)』新潮文379.宮部みゆき『誰か』文春文庫375.山田宗樹『黒い春』幻冬舎文庫372.望月諒子『神の手』集英社文庫351.乃南アサ『未練』新潮文庫318.天藤真『大誘拐』双葉文庫314.湊かなえ『告白』双葉文庫312.貫井徳郎『転生』幻冬舎文庫311.宮部みゆき『地下街の雨』集英社文庫309.東野圭吾『さまよう刃』角川文庫306.仙川環『感染』小学館文庫305.北森鴻『メビウス・レター』講談社文庫

<日本と政治を考える本>398.北原みのり『アンアンのセックスできれいになれた?』朝日新聞社336.米澤泉『私に萌える女たち』講談社325.百田尚樹『永遠の0』講談社文庫323.保阪正康『なぜ日本は<嫌われ国家>なのか――世界が見た太平洋戦争――』角川oneテーマ21320.関裕二『古代神道と天皇家の謎』ポプラ社319.大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』NHKブックス307.鹿島茂(聞き手・斎藤珠里)『セックスレス亡国論』朝日新書303.岩村暢子『家族の勝手でしょ!――写真274枚で見る食卓の喜劇――』新潮社302.紺谷典子『平成経済20年史』幻冬舎新書301.石川結貴『ブレイク・ワイフ』扶桑社

<人物伝>396.河合敦『後白河法皇』幻冬舎新書391.中村彰彦『闘将伝――小説・立見尚文――』文春文庫368.大崎善生『聖の青春』講談社文庫361.平野威馬雄『平賀源内 蘇る江戸のレオナルド・ダ・ビンチ』ちくま文庫357.猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』文春文庫356.中村晃『平清盛』PHP文庫353.稲葉稔『大村益次郎』PHP文庫331.杉森久秀『暗殺』光文社文庫329.佐野眞一『渋沢家三代』文春新書327.吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘(上)(下)』新潮文庫315.八幡和郎『坂本龍馬の「私の履歴書」』ソフトバンク新書310.伊藤之雄『元老 西園寺公望』文春新書

<歴史物・時代物>396.河合敦『後白河法皇』幻冬舎新書392.一坂太郎『幕末歴史散歩 東京篇』中公新書391.中村彰彦『闘将伝――小説・立見尚文――』文春文庫387.澤田ふじ子『木戸のむこうに』幻冬舎文庫383.宇江佐真理『深川恋物語』集英社文庫378.大久保智弘『水の砦 福島正則最後の闘い』講談社文庫377.山本周五郎『正雪記』新潮文庫373.こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社371.(財)赤穂市文化とみどり財団『赤穂義士を考える』(財)赤穂市文化とみどり財団370.久保田千太郎原作・ほんまりう画『森一族 もうひとつの忠臣蔵』小池書院359.村上もとか『JIN――仁――』(全20巻)集英社356.中村晃『平清盛』PHP文庫353.稲葉稔『大村益次郎』PHP文庫349.西木正明『孫文の女』文春文庫331.杉森久秀『暗殺』光文社文庫327.吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘(上)(下)』新潮文庫326.長宗我部友親『長宗我部』バジリコ325.百田尚樹『永遠の0』講談社文庫324.阿井景子『龍馬の姉 乙女』光文社文庫320.関裕二『古代神道と天皇家の謎』ポプラ社319.大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』NHKブックス317.遠山美都男『天平の三姉妹 聖武皇女の矜持と悲劇』中公新書315.八幡和郎『坂本龍馬の「私の履歴書」』ソフトバンク新書310.伊藤之雄『元老 西園寺公望』文春新書

<青春・若者・ユーモア>358.万城目学『プリンセス・トヨトミ』文春文庫338.大崎善生『将棋の子』講談社文庫333.森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』角川文庫308.石田衣良『4TEEN』新潮文庫

<純文学的小説>344.大崎善生『ドナウよ、静かに流れよ』文春文庫340.小川洋子『妊娠カレンダー』文春文庫335.大崎善生『パイロットフィッシュ』角川文庫

<映画等>399.(映画)家代巳代治監督『姉妹』(1955年・日本)397.(映画)ジャスティン・チャドウィック監督『ブーリン家の姉妹』(2008年・アメリカ・イギリス)395.(映画)野村浩将監督『愛染かつら(総集編)』(1938年・日本)394.(映画)成瀬巳喜男監督『めし』(1951年・東宝)393.(TVドラマ)重松清原作『とんび』(2012年・NHK390.(TVドラマ)司馬遼太郎原作『坂の上の雲』(2009〜2011年・NHK389.(映画)錦織良成監督『RAILWAYS』(2010年・松竹)385.(映画)三谷幸喜監督『ステキな金縛り』(2011年・日本)384.(映画)森永健次郎監督『若草物語』(1964年・日活)381.(映画)市川崑監督『私は二歳』(1962年・大映)380.(映画)成島出監督『孤高のメス』(2010年・日本)376.(映画)岩井俊二監督『市川崑物語』(2006年・日本)374.(映画)小林正樹監督『人間の条件 第1部〜第6部』(1959〜1961年・松竹)367.(映画)オリヴァー・ストーン監督『JFK』(1991年・アメリカ)364.(映画)北川悦吏子監督『ハルフウェイ』(2009年・日本)360.(映画)前田哲監督『ブタがいた教室』(2008年・「ブタがいた教室」制作委員会)355.(映画)ダーレン・アロノフスキー監督『ブラック・スワン』(2010年・アメリカ)354.(映画)松山善三監督『名もなく貧しく美しく』(1961年・東映)352.(映画)成瀬巳喜男監督『浮雲』(1955年・東宝)345.(映画)フリッツ・ラング監督『メトロポリス』(1926年・ドイツ)343.(映画)イ・ジェハン監督『サヨナライツカ』(2010年・日本)342.(映画)黒沢清監督『トウキョウソナタ』(2008年・日本)339.(TVドラマ)吉村昭原作・源孝志監督『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討』(2011年・TV朝日)337.(映画)トム・フーバー監督『英国王のスピーチ』(2010年・イギリス)332.(映画)デヴィッド・リーン監督『逢びき』(1945年・イギリス)330.(映画)宮藤官九郎監督『少年メリケンサック』(2009年・日本)328.(TVドラマ)橋田壽賀子脚本『99年の愛――Japanese Americans――』(2010年・TBS321.(映画)是枝裕和監督『誰も知らない』(2004年・日本)313.(映画)中島哲也監督『告白』(2010年・日本)

<その他>400立石恭則ヤマダ電機暴走草思社373.こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社366.本城零次『泣けるAKB48 メンバーヒストリー』サイゾー365.週刊プレイボーイ編集部編『AKB48ヒストリー』集英社359.村上もとか『JIN――仁――』(全20巻)集英社348.竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書347.わぐりたかし『地団駄は島根で踏め 行って・見て・触れる《語源の旅》』光文社新書322.杉野昭博編『スポーツ障害から生き方を学ぶ』生活書院

<最新紹介>

400.立石恭則『ヤマダ電機の暴走』草思社

 この著者の本は、以前『復讐する神話』という松下電器(現・パナソニック)についてのものを紹介したことがありますが、今回は表題通り、ヤマダ電機についてのものです。前者はメーカーを扱った本でしたが、今回は家電量販店という流通企業を扱っているわけですが、この焦点の変化は家電業界(家電製造・販売・アフターサービス業界)の力関係を表しているようです。かつて、松下電器は「ナショナル系列店」を作り、メーカーが主導する販売・アフターサービス体制を創りあげ、メーカーの希望価格で家電製品を売らせるという圧倒的な力をもっていましたが、ダイエーの登場から徐々にメーカー主導体制が崩れ、大手の流通業界が売値を決められるようになった現在では、メーカーの社員が大手家電量販店で「ヘルパー」として無償で働かされるといった事態が常態化するほど、大手家電量販店の力が強まっています。そのトップを走るのが、ヤマダ電機です。もともと群馬県の小さな「町の電気屋さん」にすぎなかったヤマダ電機がいかにして年間売り上げ2兆円を超える日本第1位の企業になりえたのか、そしてそこに問題はなかったのかを語った本です。ヤマダ電機の成長過程は、なんだかまるで戦国時代の国盗り物語でも読んでいるようでした。上州(群馬県)のほんの小さな1領主にすぎなかったヤマダ電機がライバル店との競争の中で徐々に支配地域を増やしていき、ついには日本一の大々名に成り上がっていく物語を読んでいる気持ちになりました。表題に「暴走」という言葉が入っているように、最近のヤマダ電機の戦略については、この著者は懐疑的に見ています。信玄の武田家は織田信長に潰され、その織田信長は明智光秀に殺され、明智光秀は秀吉に敗れ、太閤関白までなったその秀吉の豊臣家も息子の秀頼で耐えてしまいました。比較的最近の例では、ダイエー、西友、そごうと一時は我が世の春を謳歌した流通業界の新興勢力はすべて消え去っていくことになりました。戦国家電業界のトップに躍り出たヤマダ電機がずっとこの地位にいられるないのは、すでに歴史が証明しているのかもしれません。(2012.2.19)

399.(映画)家代巳代治監督『姉妹』(1955年・日本)

 信州木曽の水力発電所におそらく技術者として勤める父親と品のよい母親をもつ2人の娘たちのそれぞれの生き方を描いた作品です。野添ひとみ演じる長女はしっかりものの優等生で、発電所に好きな男性がいながら生活のことを考えて彼との結婚は選ばず、親の勧めるエリート銀行員との結婚を選びます。中原ひとみ演じる妹はやんちゃな男勝りで「世の中はおかしい」「政治が悪い」といったことを言葉にし、世の中の不公平と闘う姿勢を示します。監督が松竹をレッドパージされ独立映画として作っただけのことはある思想性が色濃く出た映画です。発電所の労働者たちが屋上で合唱する場面があるのですが、これなどまさに日本共産党がこの年の6全協で、それまでの戦術を「極左冒険主義」として自己否定し「議会主義」とソフトな戦術として「うたごえ運動」を打ち出した方針転換をわかりやすく反映しています。映画もまさに時代の中で作られるものだということをしみじみ感じさせる映画です。(2012.2.13)

398.北原みのり『アンアンのセックスできれいになれた?』朝日新聞社

 タイトルに引かれて興味半分で読みはじめましたのですが、最初のうちは中途半端な『アンアン』分析と自己体験が重なり合うだけの本で今ひとつだなと思って読んでいたのですが、『アンアン』が時代に合わせて保守化した2000年代以降からは、バブル世代のシッポに位置する著者と、コギャル以降の若い女性たちとのセックスに対する考え方のずれがクリアに出てきて、読み終わった時には、これはこれで興味深い本だという評価になっていました。『アンアン』はある時期(2000年代に入る)までは女性誌の先頭を走り続けてきた雑誌で、表紙と新聞広告だけしか目にしなかった私でも、インパクトがあるなあ、ちょっと読んでみたくなるなあと密かに思っていた雑誌でした。1970年の創刊の頃のインパクトは後に知識として知るようになっただけですが、この著者が一番衝撃を受けたという19894月の「セックスできれいになる」は、私もあまりのストレートで大胆なコピーに、一体何が書かれているのだろうとこっそり買った覚えがあります。それ以外にも、90年代の『アンアン』はしばしば男たちの目すら引きつける革新的な雑誌だったように記憶しています。それが最近はあまり聞かなくなったし目にも止まらなくなったなと思っていましたが、『アンアン』自体が保守化し、魅力的ではなくなっていたのだということを、この本を通して知りました。1970年生まれで現在アラフォーの著者は、意識していたかどうかは別として、セックスを通して女性解放を叫びつづけてきたということのようです。そして、それは著者だけでなく、著者より少し上のバブル世代も実践を通して、同じような意識を持っていたということのようです。2010年に『美STORY』で読者ヌードに応募した女性たちと1992年に『アンアン』で読者ヌードを披露した女性たちは同じ世代です。若い時しかヌードなんか披露できないと思っていたのに、その18年後にまだ現役の女としてヌードを披露している世代がいる一方で、今の若い女性たちはつけまつげにアイラインに髪を盛り、ヌードどころか素顔すら見せませんという世代になっているわけです。セックスに対する女性たちの世代による意識の違いがわかる本です。今の若い女性たちが読めば、「なんて肉食系なんだろう」という感想を持ちそうですが、たぶん「肉食系」というのは違うのだろうと思います。「自由なセックス」=「男に合わせるセックスではなく、自分がのぞむセックス」にすることが女性の生きやすさにつながるはずという、フェミニズム的な意識に近いものなのだろうと思います。(2012.2.11)

397.(映画)ジャスティン・チャドウィック監督『ブーリン家の姉妹』(2008年・アメリカ・イギリス)

 エリザベス1世の母親であるアン・ブーリンとその妹メアリー・ブーリン姉妹を中心に、新興貴族ブーリン家の戦略とその失敗を描いた作品です。姉妹の父親は後継ぎの息子が生まれずにいたヘンリー8世に、長女のアンを娶せようとしますが、ヘンリーは勝ち気すぎるアンより控えめな妹メリーを好み、メアリーと関係を持ちます。メアリーは父親の期待に応えて妊娠し息子を出産しますが、その頃には浮気者のヘンリーの気持ちは、アンの方に傾いており、生まれた息子を認知もしません。アンはメアリーの失敗を繰り返さないために、愛人という地位ではヘンリーの思いを叶えさせず、王妃キャサリンを離婚させ、その地位を代わりに手に入れます。しかし、アンが産めたのは後にエリザベス1世となる女児だけでした。ヘンリーの気持ちはジェーン・シーモアにすでに移っており、アンは何とか息子を産むために、なんと自分の弟と関係を持とうとします。こうした事実が露見し、アンは民衆の罵倒の声の中で断頭台の露と消えるわけです。ナタリー・ポートマン演じるアンはまさに気の強い権力志向の強い女性そのもので、妹のメアリー役の女優さんは影の薄い役者さんで、2人の違いが際だっていました。

 気になったので、歴史的事実はどうなのだろうかと調べてみたのですが、映画とはいろいろ違うところが多かったです。まず、アンとメアリーの長幼もメアリーの方が年上という説の方が多いようですし、映画と違ってメアリーが美人でアンは不美人というのが定説のようです。アンが死刑になった理由は不倫と近親相姦の罪だったそうですが、弟ではなく兄のようです。映画では、アンを強くイニシアチブを取る女性として描くために、一番上の長女にするのが適当だったのでしょう。(2012.2.11)

396.河合敦『後白河法皇』幻冬舎新書

 たぶんこの著者はTVにも時々出ている人だと思いますが、この本もTV番組を観る程度の気楽さで読める本です。源氏や平家を扱ったドラマで権謀術数に長けたやり手の人物として登場してくる後白河法皇ですが、現実にはそれほど権力が振るえていたわけではないということが語られます。鳥羽天皇の息子として生まれたものの、兄の崇徳のあとは弟の近衛が継いだため、自分に天皇の地位はやってこないものと思い、和歌や今様にうつつをぬかしていたのが、近衛の死によって降ってわいたように天皇の地位につき、その上、政治の実権を握っていた鳥羽法皇もすぐに亡くなってしまったため、期せずして政治の中心に躍り出ることになります。しかし、著者によれば、後白河は政治の中心に立つことになってからも、一貫して好奇心旺盛で身軽で節操のない天皇・上皇・法皇として一生を過ごし、平家から源氏へ移り変わる世を巧みに生き抜いた人物だったようです。これまでの後白河法皇のイメージを変えさせられました。(2012.2.9)

395.(映画)野村浩将監督『愛染かつら(総集編)』(1938年・日本)

 戦前のもっとも有名なラブストーリーで、スチール写真は何度も見ていたのですが、映画自体は初めて見ました。本来は前編、後編、続編等5作ほどあったようですが、それをまとめたものがこの総集編になっているそうです。そのせいもあるのか物語の展開が早すぎて深みはまったく感じられませんが。1938年という戦時期と言ってもいいようなこんな時期に、こんなラブストーリー映画が作られ、また大ヒットしたということが、社会学的には興味深かったです。結構笑いを取るような場面もあり、この時代が決してただ暗い時代だったわけではないんだなと認識を改めました。(2012.2.6)

394.(映画)成瀬巳喜男監督『めし』(1951年・東宝)

 昭和26年時点での専業主婦である女性の生き方にスポットライトを当てた作品で、当時の世相と価値観をそれなりつかめる作品です。上原謙と原節子という当時人気絶頂の美男・美女が演じる若夫婦は、周囲の反対を押し切って恋愛結婚して5年目という設定です。もともと東京の人間だったふたりは夫の転勤で大阪に暮らしています。そこに、夫の姪が家出してきたとやってきて、自由奔放な行動をし、それに妻が苛立ちを感じます。もともと大恋愛結婚だったのに、今ではまるで「めし炊き女」にでも成り下がってしまったのではないかという疑問を持ちながら暮らしていたために、妻は姪を送るという口実でそのまま東京の実家に戻ってしまいます。最終的には、「女の幸福はこんなものなのかもしれない」と自分で自分を説得するようなセリフがモノローグで流れながら、夫とともに帰路に着くという話です。見ながら、そりゃフェミニズム運動も起こるよなと思ってしまいました。この時代の女性の生き方の不自由さとしんどさは、今の若い女性からしたら、まったく信じられないものでしょう。なぜフェミニズム運動が生まれなければならなかったかを知りたい人は、一度見ることをお薦めしたいと思います。(2012.2.4

393.(TVドラマ)重松清原作『とんび』(2012年・NHK

 昭和37年の息子の誕生から物語は始まり、母親が小さい時に事故でなくなった後、男手ひとつで息子を育て、その子が結婚するまでの父親の気持ちを描いた作品です。ストーリー自体はベタな人情ドラマで、ひねりも何もなく、時代とともに移り変わる環境と音楽を織り交ぜて見せてしまおうというものですが、堤真一演じる無骨な愛に溢れた父親像がストレートに見ているこちらに伝わってきました。子を思う父親の気持ちというのは、私の場合、自己投射しやすい対象なので、特に泣けてしまったのかもしれませんが。居酒屋のおかみを演じた小泉今日子もいい味を出していました。もうひとつの評価ポイントは、このドラマがCGを使わずに作られたものだということです。各時代の環境や大道具、小道具をよく集めたものです。さすがNHKという感じです。(2012.1.15)

392.一坂太郎『幕末歴史散歩 東京篇』中公新書

 地味な本ですが、すごい本です。東京にある幕末、明治初期の史跡、墓碑、顕彰碑などを年代順に紹介した本です。有名な人のものも含まれますが、そうでない人のものも多く、読みながら、こんな人もいたのか、こんな歴史があったのかと、何度も目から鱗が落ちる思いがしました。最後のあとがきを読み、さらに感心しました。私より10歳以上若い著者ですが、神戸出身で東京の大学に進学した時に、東京にいる間に、幕末史跡を訪ね、記録しようと思い、それを卒業後も続け、ついにこの本にまでたどり着いたのだそうです。巻末の幕末関連人物の墓所所在地一覧も非常に詳しいものです。私も『歴史的環境の社会学』を刊行した際に、墓所も歴史的想像力をかき立てる歴史的環境になりうると書きましたが、この本はまさにその思いを実現してくれている気がしました。(2011.12.29)

391.中村彰彦『闘将伝――小説・立見尚文――』文春文庫

 この著者は、一般には広く知られていない歴史上の人物を取り上げるのがうまいので、今回も著者の目の付けどころを信じて読んでみました。小説としての出来はたいしたことはありませんが、会津藩とともに佐幕派の代表格であった桑名藩の上級武士で、戊辰戦争でも鳥羽伏見の戦いから東北連合軍にまで一貫して幕府側として戦い、新政府軍を攪乱し続けた立見尚文という興味深い人物がいたことを知り、新たな知識が加わりました。立見は、その後謹慎期間を経て、まずは法務省に勤めますが、西南戦争の際に今度は官軍の軍人となって活躍します。最後には、陸軍大将にまで上りつめます。幕末から明治という時代の動きは実に複雑で、歴史に詳しくなればなるほど、若い時に知っていた事実とはまた異なる新たな興味深い事実をいろいろ知ることができるようになります。歴史は本当におもしろいです。(2011.12.28) 

390.(TVドラマ)司馬遼太郎原作『坂の上の雲』(20092011年・NHK

 NHKがその威信をかけて作り上げ3年間12月に4週ずつ放映するという新しい試みを行った大河作品ですが、見事に期待を裏切りました。1年目ですでに多くの視聴者と同じように私も関心を失っていましたが、それでも3年間一応見ました。しかし、その駄作ぶりは如何ともしがたく、最後までおもしろくないドラマのままでした。時代考証は丁寧で、服装、小物など、明治のものをこれだけ揃えるのは大変だったでしょうし、戦闘シーンなどは人もお金もかかっていることはよくわかりますが、いくらそういうディテールにこだわっても、ストーリーがおもしろくなければどうしようもありません。司馬遼太郎の小説のファンはかなり多く、司馬遼太郎の最高傑作だと評する人もかなりいますので、NHKの脚本が悪いと主張する人も多いでしょう。しかし、私はもともとこの小説は誰が映像化してもおもしろくならない作品なのではないかと思っています。私は司馬作品はかなり読んでおり、一時は相当好きな作家でしたが、その時期でも、どうもこの『坂の上の雲』だけではまったくおもしろくありませんでした。明治期日本を妙に美化したような物語は、何か違うという気がしてなりませんでした。歴史的事実がたくさん残っており、歴史小説のおもしろみを生みだす創作部分が、この小説には少なすぎるのです。もしかしたらそうだったのかもしれないと思わせるような、歴史的推理のおもしろさが、この物語には欠けているのです。このため、誰が映像化してもおもしろくなるはずはないというのが、私の解釈です。(2011.12.25)

389.(映画)錦織良成監督『RAILWAYS』(2010年・松竹)

 なんのひねりもないストレートな叙情的な映画ですが、悪くないです。見終わって、日本人って、日本っていいなと思える映画です。大ヒットしたという噂は聞かなかったのに、今年早速シリーズ第2弾が公開されることになったのもわからなくはないです。この1作目の主役は中井貴一で、49歳で大企業をやめ、田舎に帰り昔からの夢だった電車の運転士になるという役柄ですが、人に優しいこの役は中井貴一にぴったりです。2作目は三浦友和が主役のようですが、これもいい味を出していたら、完全にシリーズ化されるでしょう。各地のローカル鉄道で、映画の舞台にしてほしいと思っているところは多いでしょうから、可能性は高いと思います。もしかしたら、21世紀の「寅さん」映画になるかもしれません。地味な映画ですが、若い人にも見てほしい映画です。(2011.11.23)

387.澤田ふじ子『木戸のむこうに』幻冬舎文庫

 江戸期の京都を舞台に職人、公家などを主役にした落ち着きのある短編小説集です。小さな事件は起こりますが、大きな事件は起きません。京の町割りと市井の人々がイメージしやすい小説です。大人の小説という感じです。(2011.11.12)

386.沼田まほかる『九月が永遠に続けば』新潮文庫

 書店に立ち寄ったら、「国内ミステリー部門第1位」「第5回ホラーサスペンス大賞受賞作」という帯が目につき、知らない作家でしたが、買って読んでみました。先がどうなるのだろうと気になる作品で、あっという間に読んでしまいましたが、読み応えがあるかというと、クエスチョンマークがつきます。というか、後味が悪いです。人間関係があまりにどろどろしていて、いいものを読んだという気になりません。主人公は離婚した女性で、その高校生の息子がある日突然失踪していまい、そこに別れた夫の再婚相手の娘や、主人公と肉体関係のある男の死がからみ、さらには夫の再婚相手の悲惨な過去や息子の同級生もからんでくるというかなり複雑なというか強引なストーリーです。謎解きもかなり無理がある気がしました。しかし、ストーリーを作る力も、キャラクター設定力もありそうな作家なので、テーマによっては、また読んでみてもいいかなという感じはしています。(2011.11.6)

385.(映画)三谷幸喜監督『ステキな金縛り』(2011年・日本)

 とにかくおもしろいです。笑い声が10分以上消えている時間帯はなかったのではないかと思うほど、おもしろいコメディ映画です。深津絵理、西田敏行、中井貴一がそれぞれの役にあった見事な演技をしています。西田敏行が演じる落武者の亡霊が裁判の証人になるという奇想天外の発想で展開する映画ですが、そんな無理な設定をなんか自然に受け止められるようなうまい作りです。今後も三谷幸喜作品ははずせないなと思った映画でした。(2011.11.5)

384.(映画)森永健次郎監督『若草物語』(1964年・日活)

 映画『若草物語』というと、ハリウッド映画が有名ですが、日本でも作られています。私は原作を読んでいないので、もともとの「若草物語」をどの程度ベースにしているのかよくわからないのですが、四姉妹の物語であるというところだけは、少なくとも「若草物語」と一緒の設定です。見てみようと思ったのは、四姉妹が芦川いずみ、浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子という、当時の日活の人気美人女優がそろっている作品だとうことで、興味を持ったからです。映画で一番魅力的に見えていたのは浅丘ルリ子でした。今でも通用する現代的な魅力を見せてくれています。他方で、三女役の吉永小百合はあまり魅力的ではありません。役柄もあるのでしょうが、暗く重い演技でした。和泉雅子はかわいいです。北極探検に行く前にはこんな時代もあったんだなと再認識しました。女優さんたち以外の見所は、『Always――三丁目の夕日――』がCGを駆使して再現した昭和30年代の東京がリアルに見られるというところです。それだけでも見る価値はあると思いました。なお、映画のストーリーとはあまり関係のない組合活動のシーンや場末の様子が出てくるのも、興味深かったです。当時の時代の空気なのか、監督のイデオロギーなのかはわかりませんが、金持ちの生活との対比も露骨に描かれています。個人的には、本筋以外を楽しんだ映画でした。(2011.11.4)

383.宇江佐真理『深川恋物語』集英社文庫

 江戸深川を舞台にした男と女の心の機微を描いた良質な短編集です。この作家の作品は初めて読みましたが、江戸情緒の描き方が抜群にうまいです。読者に、自分が今江戸時代の深川にいるのではないかと思わせるほどの描写力です。風俗、情景、言葉など、見事に描けている気がします。もちろん、私も江戸期の深川のことなど詳しくは知らないのですが、これまでに読んできた江戸ものの中には、会話が途中から妙に現代風になってしまうものなどが結構あり、「これは違うだろ」と言いたくなる作品が結構ありました。この作品は小説としてだけでなく、江戸時代の庶民の暮らしを知るという意味でも価値があると思いました。(2011.10.22)

382.乃南アサ『鎖()()』新潮文庫

 女性刑事・音道貴子のシリーズです。乃南アサのすごさは、刑事を主人公にしたシリーズものにも関わらず、作品事にまったく異なる味わいを示せることです。探偵とか刑事が主人公になるシリーズものでは、一般的には主人公が謎を解く活躍をするものですが、乃南アサの音道貴子シリーズはそんな単純ではありません。この作品はその典型で、主人公の音道貴子は犯人たちに監禁されてしまい、犯罪の被害者になります。上下2冊本ですが、上巻の半分過ぎたあたりから下巻のほぼ終わりまで、主人公は囚われの身になっています。主人公ですから、殺されることはないだろうと思いながら読むのですが、それでも彼女の監禁場所をどう見つけ出すのか、どうやって助けるのかというのが、臨場感をもって伝わってきます。それがひとつの読みどころですが、もうひとつの読みどころは警察官や犯人の人間性と心理が丁寧に描かれていることです。前者のような読み方をするとハードボイルド小説と位置づけたくなりますが、後者のような読み方をすると人間ドラマという位置づけをしたくなります。どの作家もこうした要素を作品に含ませたいと思っているのでしょうが、乃南アサほど巧みな作家はあまりいない気がします。(2011.10.13)

381.(映画)市川崑監督『私は二歳』(1962年・大映)

 前に「市川崑物語」を見た時に紹介されていたので一度見てみたいと思っていたところ、ちょうどBSで放映してくれたので見ることができました。この映画は、新しい子育てについて書いてベストセラーになった松田道雄の本をベースに作られています。夫も多少は子育てを手伝わないといけないと言われますが、やはりまだまだ子育ての責任は母親にあるという印象が強く、今の時点から見ると、どこが新しいのだろうと首を傾げたくなることでしょう。最初は団地暮らしをしているのですが、これも今見ると狭いアパートで貧しかったのかなと思いたくなるかもしれませんが、この時代の団地は憧れの住宅でしたから、当時の観客にとっては、この映画の主婦はそれなりに幸せに見えたのだろうと思います。映画としてはそれほどの作品ではありませんが、たぶんこの映画の最大の見所は、若い母親役の山本富士子の美しさなのだと思います。山本富士子は1950年の第1回ミス日本に選ばれ、美女の代名詞のように言われた人です。市川崑は美人女優を綺麗に撮ることが非常にうまいので、この映画でもアップを多用して、山本富士子の美しさを強調しています。和服ではなく、普通の主婦姿の山本富士子を見るというだけでも価値がある映画でした。(2011.10.6)

380.(映画)成島出監督『孤高のメス』(2010年・日本)

 昨年公開された映画がTVで放映されていたので見てみましたが、なかなか良質な作品でした。地域医療、臓器移植、外科医の腕など、医療に関わるいろいろな問題について気づかされる作品です。堤真一っていい役者になりましたね。彼が出る作品はちょっと見てみたくなります。ストーリーは、海沿いの田舎の公立病院に素晴らしい腕をもった外科医(堤真一)が赴任してきて、それまで低レベルの手術につき合わされて仕事にやりがいをなくしていた看護士(夏川結衣)が、その見事な手術ぶりに、己の仕事に対するやりがいと気力を取り戻します。最後は、まだ脳死が認められていない時代だったにもかかわらず脳死肝移植を行うことになるという内容です。話の展開をわかりやすくするために、ずいぶん都合良く患者が現れるところなどはややマンガ的ですが、テンポ良く見せるということを重視すると仕方がないのだろうと思います。見終わって思ったことは映画自体に対してではなく、いつか自分が外科手術を受ける場合は、うまい医師に執刀してほしいなということでした。(2011.9.23

379.宮部みゆき『誰か』文春文庫

 最近の宮部みゆきの小説は、「可もなし不可もなし」という作品ばかりですが、これもまさにそういう作品です。読めなくはないですが、読み終わっても、納得感も特にありません。一応推理小説のジャンルに入るのでしょうが、おもしろい推理小説なら1〜2日で読んでしまいたくなるものですが、10日以上だらだら読んでいたというのが、私の中のこの小説の評価を語っているように思います。ストーリーも特に語りたくなるような部分はないのですが、それでは一体どういう小説かすらわからないので、少し書いておきます。ある大会社の会長の運転手をしていた男性が自転車でひき逃げされ死亡した事件を、その会長の娘婿が調べ、事件とは直接関係のない運転手の2人の娘に関する事実を明らかにしてしまうという内容です。しかし、さもすごい謎が明らかになったような展開ですが、まったくたいした謎ではありません。まあ現実社会でならこの程度のことでもそれなりの事件だと思いますが、推理小説としては物足りないです。そろそろ宮部みゆきも卒業しようかなという気分です。(2011.9.15)

378.大久保智弘『水の砦 福島正則最後の闘い』講談社文庫

 377の流れで、江戸初期について書いた本を読みたくて選びましたが、歴史小説というより、時代小説でした。予想としては、もう少し福島正則の伝記小説的なものだろうと期待していたのですが、架空の人物が沢山登場し、「陰衆」や「隠密」などとの闘いが物語の中心になっており、やや期待はずれでした。ただ下手な作家ではないと思います。ストーリーも江戸初期の幕府内部の権力闘争の代表的な事件であった大久保長安一族滅亡をきっかけとする大久保党の凋落とそれを画策したと言われる本田正純の失脚(宇都宮城釣り天井事件)をうまく使っており、さらに伊賀衆と能の芸に関する隠れた共通点などもそれなりに説得力をもって読ませますので、知識と想像力はなかなかのものだと思います。なお、あとがきを読んで、安芸52万石を改易された後の福島正則が長野に送られ、墓も小布施にあることを初めて知りました。(2011.9.2)

377.山本周五郎『正雪記』新潮文庫

 「由井正雪の乱」というのは若い方は知っているでしょうか?由井正雪とは江戸時代初期の軍学者で、当時増え続けていた浪人たちを集めて幕府転覆をめざしたが、計画が露呈して捕縛され死罪になった人ということになっています。昔の漫画ではなぜかこの由井正雪がよく登場していたので、私は子どもの時から名前を知っていたのですが、その後歴史的知識が増える中でも、この事件と由井正雪についてはあまり知識が増えず、ずっと謎の事件だと思っていました。この小説は、わずかに残された事実から、著者の山本周五郎が想像力をたくましくして、彼なりの「由井正雪の乱」の真相に迫ろうとしたものです。読み物としておもしろくしようとして創り出したストーリーはやや破天荒で私としては評価できませんが、大きな背景として幕府の安定化を図ろうとして外様大名の取りつぶしとその結果として多数生まれた浪人の存在がこの事件の構造的誘発性となっており、老中・松平伊豆守の様々な浪人圧迫政策のひとつとして、この事件が「創られた」のではないかという見方は説得力があると思いました。徳川幕府は1603年開府ですが、その体制が260年も続く安定的なものになったのは、1615年の大阪の陣、1637年の島原の乱、そしてこの1651年の由井正雪の乱を経てと考えた方がいいようです。関ヶ原の戦いから約50年経って、ようやく戦国時代は本当に終わったのでしょう。(2011.8.31)

376.(映画)岩井俊二監督『市川崑物語』(2006年・日本)

 2006年に市川崑が『犬神家の一族』を30年ぶりにリメイクした際に、半分その宣伝用に作られたドキュメンタリー映画ですが、なかなかおもしろいです。無声映画のように説明はすべて画面上の文字で読ませるという形式になっているため、映画を見るというより、本を読んでいるような気になります。角川映画の宣伝用なので、角川映画に偏って映像も頻出しますが、私としては、市川崑が妻の脚本家・和田夏十と組んで次々に映画を撮っていた50年代、60年代の作品を非常に見たくなりました。映画全盛期で粗製濫造の映画も多い時代ですが、その中で、市川崑と和田夏十の作品は輝いているように見えます。市川崑の映画ではどれも女性が美しいです。『細雪』などはその典型ですが、昔の作品でも、女優さん達を美しく魅力的に撮る視点を市川崑監督はよく知っているのだと思います。(2011.8.23)

375.山田宗樹『黒い春』幻冬舎文庫

 読み応えのある長編小説です。「黒手病」と名付けられた新種の死の病の原因を探る専門家たちと彼らの家族の物語がうまく折り込まれ、単なる医療サスペンスに留まらない深みをもった小説です。科学的に病気の原因を突き止めるだけでなく、壮大な歴史的謎も絡めてあり、この著者の造詣の深さに感心します。この著者のもっとも有名な作品である『嫌われ松子の一生』とはまったく違う趣の小説であることも驚きです。この作品で著者は安易なハッピーエンドを拒否し、またすべての謎を最後に安易にすべて解いてしまうということもせずに、物語を終えてしまいます。読者としては「えっ、これで終わりなの?」という物足りなさが残りますが、逆にそれがこの小説をよりリアルなものにしている気もします。この物語はただのフィクションではなくて、もしかしてノンフィクションなのではないか、「黒手病」という恐ろしい病気は本当にあるのではないか、と疑いたくなってしまうほどです。久しぶりに、一気に読みたくなった小説でした。(2011.8.22)

374.(映画)小林正樹監督『人間の条件 第1部〜第6部』(19591961年・松竹)

 小説の方は、この「本を読もう!」の10で紹介しましたが、今回はその映画版です。前からこの映画を見てみたいと思っていたのですが、全6部作8時間近いという作品なのでレンタルするのも面倒だなと思っていたところ、NHKBSでまとめて放送してくれましたので、ついに見ることができました。すべて見終わっての感想は壮絶な映画だなというものです。おもしろい映画ではありません。テーマは戦時期の異常な状況の中で人はどれだけ人間らしく生きられるかということですが、それ以上に制作された時代を強く感じます。1960年安保闘争をはさむ時期に作られた映画なので、戦前の日本の体制(特に軍隊と戦争)に対する批判、社会主義に対する期待(ただし、ソビエト体制に対しては疑問)などが端々に出ています。今の時代では、こういう描き方はできないだろうなと思わせる映画でした。(2011.8.21)

373.こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社

 原爆を扱ったマンガです。井伏鱒二の『黒い雨』とも共通した原爆後遺症をテーマしたものが、『黒い雨』よりもはるかに時間が経った戦後60年目でも、こういうことで悩んでいる人はいるのだろうなと思うと、考えさせられます。福島原発が事故を起こした今、このマンガを読むことは勧めるべきなのかどうか、非常に難しいところですが、よい作品であることは間違いありませんので、記録は残しておきたいと思います。(2011.8.11)

372.望月諒子『神の手』集英社文庫

 ものすごくつまらない小説でした。まったく知らない作家でしたが、電子出版で大ヒットした作品ということで、どの程度のものなのか、一応読んでみようと思いましたが、途中からだるくてだるくて、いつ放り出そうかという欲求との闘いでした。結局、最後の最後までまったくおもしろくない「本格推理小説」でした。もう2度とこの作家の本は読むことはないでしょうし、名前も忘れてしまいそうなので、記憶に留めるだけのために書いておきます。ちなみに、解説を書いている大森望という作家は、この小説を絶賛していますが、その眼力のなさに、大森望という作家の本も読まない方がいいだろうと確信しました。内容について少しだけ触れておくと、才能に溢れた一人の小説家志向の女性がいて、彼女の存在が消えてしまっているにもかかわらず、いろいろな人が、彼女に振り回される。これは一体どういうことなのだろうかというストーリーです。きっと、この才能に溢れた小説家志向の女性というのを、作者は自分に重ねているのでしょうが、彼女の残した素晴らしい小説という形で紹介される文章がどれもしょうもないものばかりで、作家のひとりよがりぶりを見事に示しています。むしろ、この作家が長く小説家をめざしながら売れなかった理由は、そうした文章を読めば納得できてしまう感じです。人物造形も平板で個性が際だっていませんし、話のつなげ方にも相当無理があります。素人の書いた小説という感じでした。(2011.8.9)

371.(財)赤穂市文化とみどり財団『赤穂義士を考える』(財)赤穂市文化とみどり財団

 人形浄瑠璃や歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が有名になりすぎたため、史実としての赤穂義士についての本を作ろうという狙いで、地元赤穂市が出版した本です。中学生でも読めるように作った本ですので、読みやすいですが、中身はなかなかしっかりしています。浅野内匠頭の松の廊下での刃傷事件から、義士たちの吉良邸討ち入り、そして切腹、さらには生き延びた関係者のその後まで記してくれていますので、おおよそ知りたいことは知ることができます。一般の人が知っている「忠臣蔵」と史実の大きな違いのひとつは、討ち入り装束です。「忠臣蔵」では新選組と同じような派手なダンダラ模様のものを思い浮かべると思いますが、実際は闇夜に紛れて目立たないことと、万一人に問われた時に「火消しだ」と言えるように黒い火消し羽織でした。ダンダラ模様は舞台で栄えるように考え出されたもので、新選組はそれを真似したのです。この本を読んで一番納得できたのが、赤穂義士たちは、吉良上野介の首をあげるという目標を達成するために手段を選ばずというやり方ではなく、徹底してそれ以外のところに迷惑をかけないように気を使っていたという点です。隣接する屋敷への配慮、そして本来は最初の仕置きにどう考えても問題があった幕府に対しても何ら含むところはないということを強調することによって、庶民や幕府からの評価を得たということです。これが、その後「忠臣蔵」(この名前も「忠臣・大石内助」から取ったのだろうということも今回初めて知りました)という芝居として上演もでき、人気も博することになった最大のポイントだったようです。ちなみに、大石神社の参道には、義士たちの像が並んでいるのですが、それを奉納したのが、それぞれの子孫たちというのが多く、非常におもしろく思いました。子孫たちが先祖が赤穂義士だったということを堂々と名乗れているというのは、義士たちにとってはまさに「武士の本懐」と言えるでしょう。(2011.8.7)

370.久保田千太郎原作・ほんまりう画『森一族 もうひとつの忠臣蔵』小池書院

 赤穂で興味深い本(漫画)を見つけました。赤穂と言えば、赤穂義士(忠臣蔵)が圧倒的に有名ですが、浅野家の改易後に、赤穂藩の領主になったのが森家だということは、全国的にはほとんど知られていないと思います。森家と言われても誰?という感じでしょうが、本能寺の変で織田信長とともに亡くなった森蘭丸の一族と言うと、少しはへえ〜そうなのかと思ってもらえるのではないでしょうか。この森一族が有名になるのは美濃にいた頃に織田家に仕えるようになってからです。武術に優れ、森蘭丸の兄に当たる森長可は「鬼武蔵」と呼ばれ、敵から畏れられていました。(小牧長久手の戦いで、奮戦の後、討ち取られています。)この本の主人公である森長直は、森長可や森蘭丸の末弟である忠政の孫にあたります。森家は関ヶ原の戦いで、徳川家に味方し報賞として津山18万石の大大名になっていましたが、赤穂浅野家が取り潰される6年前に、当代乱心を理由に津山18万石を取り上げられ、3家に分けて、各1〜2万石の小大名にされていました。この本では、森長直は大石内蔵助と山鹿流をともに学んだ友人関係にあり、吉良邸への討ち入りに対しても協力したということになっています。討ち入りへの協力はフィクションのような気がしますが、友人関係は本当なのではないかと思います。実際討ち入りをして切腹した47士(厳密に言うと討ち入りは47名ですが、切腹したのは46名)のうち、3名はもともと森家の家臣で津山森家が改易になった際に、赤穂浅野家に再仕官した人間です。つながりはあったのでしょう。その森長直が浅野氏改易後、赤穂森家初代として赤穂に入ったわけです。この本では、森長直が当時のばっかくの実力者・柳沢吉保の鼻をあかす形で、赤穂を得たことになっていますが、浅野時代より領地も削られていて、浅野時代ほどには赤穂藩は輝くことはなかったと赤穂の歴史には描かれていましたので、この本で描かれているほど、森長直が力があったわけでもないでしょう。しかし、森家はそのまま明治まで巧みに生き抜いて、明治になってからは子爵に任じられています。知らなかった事実が知れて、なかなかおもしろかったです。(2011.8.6)

369.渡辺淳一『愛の流刑地()()』幻冬舎文庫

 日経新聞の連載小説で映画化もされた話題の作品ですが、基本的に渡辺淳一の小説はあまり評価していないので、今まで特に読む気も起こらなかったのですが、105円×2冊なら、まあ読んでみてもいいかと思い読みました。前半は中年男性に向けたエロ小説としか評価しようがありません。貞淑な人妻が主人公との不倫愛で性に目覚めていくという話です。後半はその行きすぎた性行為の結果、主人公が人妻を殺してしまい、それがどの程度の罪に問われるべきかを裁判を通して考えさせるという狙いになっています。心理描写は性描写ほどには深くないですし、人物造形も単純です。まあだからこそ、新聞小説になるのかもしれませんが。映画版は主役が豊川悦司と寺島しのぶだったようですが、小説のイメージとは2人とも違いすぎます。ネットで見た人の評価を読むと、やはり多くの人が、イメージが違いすぎて受け付けられないと書き込んでいました。そうだろうなと思います。渡辺淳一のもうひとつの有名「エロ小説」である『失楽園』の女性主人公は映画では黒木瞳がやったそうですが、これは読者の希望に合致していたと聞いています。私は、『失楽園』は読んでいないし、映画版も見ていないし、黒木瞳も女優としてはあまり魅力的だと思わないのですが、日経新聞で渡辺淳一の小説を楽しみにしているようなおじさんたちは、黒木瞳が好きで、寺島しのぶは嫌いなんだろうなというのはなんとなくわかります。まあいずれにしろ、若い方にはあまりお薦めしたくない小説です。だったら、ここに書かない方がいいのですが、書かないと忘れてしまいそうなので、備忘録代わりに書いておきます。(2011.8.1)

368.大崎善生『聖の青春』講談社文庫

 今の将棋界をリードする羽生世代のひとりで鬼才とも言うべき存在であった村山聖(さとし)の生涯を描いたノンフィクションです。まだ若い羽生世代なのに生涯が描けるのが不思議に思うかもしれませんが、村山聖は29歳の若さでA級棋士8段のまま1998年に亡くなっています。最後はガンでしたが、子どもの時からネフローゼという腎臓の病にかかり、常に死と向き合うような生活を送りながら、文字通り将棋に命をかけた人生でした。生きていたら、名人位にたどり着いたのかどうかはわかりませんが、見てみたかった気がします。(2011.7.22)

367.(映画)オリヴァー・ストーン監督『JFK』(1991年・アメリカ)

 ケネディ大統領の暗殺を、CIAと軍部、軍需産業が当時副大統領であったジョンソンをも巻き込みながら起こしたクーデターと見る立場に立って撮られた映画です。この立場に立つケヴィン・コスナー演じる地方検事ジム・キャリソンという人は実在の人物で、実際に起こった裁判を基にした実録映画という趣です。ケネディ暗殺事件に関しては、当初から公式の政府報告書で認められた「オズワルド単独犯行説」はおかしいという意見が多かったわけですが、この映画を見ると、確かにこのクーデター説の方が説得力があるという気がしてきます。細かい点ではクーデター説も正しくないところがあるのだろうと思いますが、これだけの大事件にもかかわらず、あまりにも謎が多いまま蓋がされてしまっているという1点を取っても、アメリカ政府にとって不都合な真実がそこにはあるのではないかと思わざるをえません。単に歴史的事実のおもしろさだけでなく、映画としても見応えのある優れた作品になっています。最後の裁判の場面でのケヴィン・コスナーの長台詞は秀逸です。お薦めの1本です。(2011.7.18)

366.本城零次『泣けるAKB48 メンバーヒストリー』サイゾー

365.週刊プレイボーイ編集部編『AKB48ヒストリー』集英社

 中年ミーハー社会学者は興味を持ったものがあれば、とりあえず本を買って読んでみたくなります。昨年の秋から興味を持ち始めたAKB48なので、とりあえず歴史を知り、個々のメンバーの特徴を知ろうと思い、2冊続けざまに読みました。おおよそ公開されているAKB48とその主要メンバーに関する情報はつかめました。その知識をもって過去の映像を見直すとおもしろいです。初めて見た時には認識できなかった後列メンバーが認識でき、どういうメンバーがどの時期から選抜メンバー入りしていたのかがわかるようになりました。366の本はまったく泣けませんでしたが、主要メンバーについて基本情報を知ることができました。365の方は資料部分もあり、AKB48の全体像が知れて、個人的には興味深かったです。(2011.7.17)

364.(映画)北川悦吏子監督『ハルフウェイ』(2009年・日本)

 北川悦吏子という脚本家の監督作品というより、プロデューサーの岩井俊二監督作品といった方がいいような気がします。この映像の撮り方は、明らかに岩井俊二の色が濃く出ています。青空、川辺、自転車、バスケ、親友、優しそうな保健室の女性の先生、一風変わった芸術の先生、理解力のある担任の教師、時代を超えて通用しそうな高校生の純愛物語です。少し今風かなと思うのは、相当に女の子がわがままなのに、男の子がそのことを怒らず、振り回されているのが自然に見えるというところでしょうか。「ハルフウェイ」って一体何のことだと首を傾げながら見ていたのですが、途中で種明かしがあり、最後の終わり方はこのタイトルゆえにこうしたのだろうという終わり方をします。ただし、この終わり方で納得できる人はあまりいないような気がしますが……。もう少し納得できる終わり方にしていたら、ヒット作品になったのではないかと思います。(2011.7.8)

363.乃南アサ『火のみち()()』講談社文庫

 巧みなストーリーテラーである乃南アサにしては、ストーリーにはかなり物足りなさが残る小説です。前半はそれなりに期待感をもって読めますが、後半はほとんど磁器と格闘する主人公の情念のみが語られることとなり、小説としての完成度はかなり落ちてしまっています。しかし、この小説を読んで、これまで美術館でもあまり真剣に見てこなかった東洋の陶磁器をきちんと見たくなりました。近いうちに見に行ってきたいと思います。(2011.7.7)

362.乃南アサ『しゃぼん玉』新潮文庫

 乃南アサを取り上げるのは何冊目でしょうか。たぶん、この「本を読もう!」で一番多く取り上げている作家ではないかと思います。本当にうまいです。なんでこんなにいろいろなものが書けるのでしょうか。さて、この物語は、人生を投げやりに生き、金がなくなるとひったくりやコンビニ強盗をするといった不良青年が立ち直る物語です。解説にも書いてあるのですが、実にベタなテーマです。下手な作家がこんなテーマで書いたらあほくさくて読めない小説になってしまうかもしれません。しかし、乃南アサが書くと、一気に読ませる読み応えのある小説になります。人物造形と心理描写がうまいのは彼女の持ち味で、どの小説でも味わえるものですが、この小説では平家落人伝説のある村として有名な宮崎県の椎葉村が舞台になっており、その舞台装置が巧みに使われているところが読ませどころです。取材に行ったのでしょうが、山深い椎葉村のイメージが、行ったことのない私にもしっかり伝わってくる情景描写力も持っています。そして、最後には読者に温かい涙まで流させるストーリーになっています。しいて難点をあげれば、「しゃぼん玉」というタイトルがやや深みがないかなと思いますが、これだけ多作の人だと、タイトルもそう凝りすぎることはできないのだろうと好意的に解釈しています。本当に弱点がない作家です。(2011.6.30)

361.平野威馬雄『平賀源内 蘇る江戸のレオナルド・ダ・ビンチ』ちくま文庫

 平賀源内の仕事の全貌を知りたいと思って、ちくま文庫だし、このタイトルなら、それなりに読める本だろうと思ってAMAZONで注文して入手したのですが、小学生向けの本かと疑いたくなるほど下手な文章と構成で、平賀源内の魅力が伝わってきませんでした。残念です。これなら、昔見たNHKドラマ『天下御免』の方がよほど平賀源内の魅力を伝えています。あれだけの業績を残した人間なのですから、平賀源内について書かれたおもしろい本はきっとあるはずだと思うのですが……。誰か知っていたら教えてください。(2011.6.29)

360.(映画)前田哲監督『ブタがいた教室』(2008年・「ブタがいた教室」制作委員会)

 命をいただくことの重みを体感するという食育教育の一環としてブタを飼い最後には食べようという、現実に行われたある小学校での実践をもとにした映画です。2003年にその教育を行った教師がその記録本を刊行した時に話題になっていたのを私もよく覚えています。その時もこれは難しい教育だなと感じましたが、映画を見ても改めてずいぶん大胆なことをしたなあと感じました。映画では妻夫木聡が演じているのでソフトな感じの先生に見えますが、実際にこういう教育を行うのは相当信念の強い人なんだろうなと思います。少なくとも、私は恐ろしくできません。さて、映画ですが、多くの子供たちの発言はセリフではなく自分たちの思いをそのまま語っているのだろうと思います。ただ、物語の都合上1616にするために、何人かは「君は賛成派で」とか「君は反対派で」とは言われていたのだろうと思います。それでも、多くの子供たちの心からの声のぶつかり合いは、よくできたノンフィクション映画のようで、ついつい引き込まれます。(2011.6.27)

359.村上もとか『JIN――仁――』(全20巻)集英社

 ドラマの「JIN――仁――」も残すところ最終回のみとなりましたが、原作漫画もどうしても読みたくて、20冊まとめて「大人買い」をしてようやく読み終わりました。ドラマと原作に違うところが多いので、かなりおもしろく読めました。10年以上に渡って続いた漫画には、ドラマよりはるかに多くの登場人物が出てきます。他方で、ドラマにおいて重要な役割を果たしている、現代における南方仁の恋人である未来という人物は漫画では出てきません。ドラマでは、未来が再び生まれるのかどうかがひとつのポイントになっていますが、漫画ではそういうストーリーはまったく存在しません。まさに、漫画は原作として、ドラマ用の脚本が書かれたようです。ドラマでは役者を出し過ぎることも話を複雑にさせすぎることも困難でしょうから仕方がないのでしょうが、漫画の方がドラマよりも緻密に計算されていると感じました。冒頭の謎の患者も漫画では最初から南方仁であると明確にわかるように書かれており、最後ときちんとつながっています。この部分はもっとも重要な部分ですから、ドラマでも変えたりはしないでしょうが、どういうきっかけで現代に再び戻すのか、おおいに気になります。いずれにしろ、読み応えのある漫画であることは間違いありません。(2011.6.21)

追記:ドラマも終わりましたね。歴史の修正力が記憶を消すという形ですべてのつじつまを合わせて逃げている感じもしなくもないですが、まあ許容できる程度の終わり方でした。(2011.6.27)

358.万城目学『プリンセス・トヨトミ』文春文庫

 現在公開されている映画の原作で書店にたくさん並んでいましたし、大阪案内にもなっているのかもしれないと思って読んでみました。読み終わっての感想はというと、おもしろくないこともないけれど読まなくてもいいかなという程度の本です。登場人物の名前がほぼすべて豊臣家か徳川家の家臣の名前になっていたりしますし、謎の王女を守るという話なので、途中結構期待しながら読んでいたのですが、最後まで読んでの印象はこれといった盛り上がりも謎解きもなく、肩すかしを喰らった気がしました。この小説のテーマは一体なんなのか最後までわかりませんでした。一番最後に長いあとがきが掲載されていますが、それを読んで少しだけ腑に落ちました。要するに、この作家がこの小説で描きたかったのは、自分が生まれ育った町への愛情だったようです。子どもの時から眺めていた大阪城とそれを造った豊臣秀吉へのノスタルジーを原動力として物語を作ってみたということだったようです。ただし、彼が愛情をもつ町は、大阪全体ではなく、高津、空堀といった大阪城近くの古くから大坂の町と言われていた地域であって、かなり狭い範域です。あとがきに出てきますが、大阪を代表する通天閣やじゃんじゃん横町がある新世界などに対してはまったく地元意識がないそうです。大阪府は日本で2番目に小さな自治体で大阪イメージというのが強烈に存在するため、外から見ると大阪って一枚岩のように見えるかもしれませんが、実は大阪の中での地域意識は相当分断されています。北大阪に住む人は、ミナミ(難波や天王寺)に行くことは滅多にありません。この著者のように同じ大阪市内でわずか2〜3kmしか離れていない地域にすら地元意識を持てない人はたくさんいます。全然ストーリーとは関係のない感想になってしまいました。333で紹介した森見登美彦という作家の作品と似たタイプです。ともに現在30歳代半ばくらいの京大出身の作家のようですが、この世代のエリート大学卒作家は社会派小説とかは書けないのかもしれません。 (2011.6.18) 

357.猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』文春文庫

 読み応えのある本でした。三島由紀夫と言えば、若くしてノーベル文学賞の候補にあげられ、1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊の決起を促し、受け入れられないとわかると割腹自殺をしたという特異な作家です。その波乱に富んだ人生から天才的な作家という印象を持ちがちですが、この本を読むと、三島由紀夫という作家は決して天才などではなく、典型的な秀才タイプの作家だったのだという気がしてきます。祖父・父と東大でのキャリア官僚で、本人も東大を出て一度は大蔵省の官僚になった人間です。決して破天荒な作家ではなく、計算に計算をしながら歩んでいた作家だったようです。デビュー作は、昭和1911月という戦争末期の出版事情が悪い中、使えるコネはすべて使いながら出版にこぎつけています。戦争が終わった後も、若くして売れるためにはどうしたらいいのかを徹底的に研究して小説を作り上げています。戦争中ひ弱だった体をコンプレックスに感じた三島は戦後ボディビルを始め、肉体も作り出し、豪快な作家を演じようとし続けます。三島は同性愛者だったというイメージも流布されていますが、それも実際は女性との関係を自信をもって作れなかった時代にカモフラージュとしてそう見せていただけではないかという気もしてきます。最後に、楯の会を作り、自衛隊に決起を促し、割腹自殺をしたことで、信念をもった「憂国の士」というイメージがついていますが、これも60年代後半に大学生を中心に左翼勢力が過激化する中で、思いついた思想に過ぎなかったようです。割腹自殺も国を憂えてというより、執筆という自らの才能と闘いに疲れ、死に場所を求めていただけのことだったのかもしれません。ちなみに、この本の作者である猪瀬直樹は現在東京都副知事ですが、これだけの本が書けるのですから、また執筆活動に戻って欲しいものです。その方が意義があると思います。(2011.6.7)

356.中村晃『平清盛』PHP文庫

 平清盛というと、鎌倉幕府を作った源氏との関係で出てくることが多いのでどちらかというと悪役というイメージですが、改めて清盛の生涯を知ると、時代を武家政権に動かすためにより重要な役割を果たしたは源頼朝ではなく、平清盛だったのだということに気づきます。清盛が生まれた時代は天皇ではなく上皇が政治を行うという奇妙な政治体制・院政の開始期です。清盛自身が院政を開始した白河上皇の落胤(=子)というのがほぼ歴史的事実として認められているようです。長らく実質的な政治指導者としての役割を果たしてきた藤原氏もそれぞれが個人的な名誉欲のみに目がくらみ、大局を考える政治を行わなくなっていたため、比叡山延暦寺と奈良の興福寺などを中心に僧兵が暴れ回り、暴力によって政治に介入することが頻繁に起きていた時代です。大権力者である白河上皇に自分の思い通りにならないのは、「鴨川の水」と「サイコロの目」と「山法師(=延暦寺の僧兵)」だけと言わしめるほどの状態でした。上皇とその取り巻きの公家たちには武力はないので、僧兵に脅されるたびに武士に頼らざるをえなくなり、それが徐々に武士の地位を上げていくことになります。天皇家と藤原家内部の権力闘争がきっかけで生じたのが保元・平治の乱です。この2つの戦いは、教科書で習うくらいでさらっと通り過ぎてしまいやすいところですが、実はこれらの戦いを通して摂関政治から武家政治への道が明確になった、歴史的には非常に重要な戦いです。そうしたことを知れるという意味ではまあまあ読める本ですが、後半の方はかなりバタバタとした書き方で、これまでにドラマや小説で語られてきた有名な場面を折り込んで安易にまとめた本になっていますので、ほとんど新鮮味はない本です。小説としての完成度は低い本なので、物語調で書かれた読みやすい歴史書くらいの気持ちで読むのがよいと思います。(2011.5.22)

355.(映画)ダーレン・アロノフスキー監督『ブラック・スワン』(2010年・アメリカ)

 怖くてすごい映画です。見終わった後、なんか重たいものが乗っているようで、椅子からしばらく立ち上がれないような気分になりました。たぶん、あまりの怖さに体が硬直するような感じになっていましたので、血流がうまく巡らなくなっていたのでしょう。正常な状態に戻るまで30分以上かかりました。もともとホラー映画などは好きではないので怖い映画は観ない方なのですが、この映画はそんじょそこらのホラー映画よりはるかに怖い心理的映画です。観ている間に、あまりの怖さに何度か声をあげてしまいました。しかし、この映画のすごさは別に怖さにあるわけではありません。主演のナタリー・ポートマンの見事な演技(心理的な不安、妄想に襲われる演技、そしてバレーダンサーとしての見事なパフォーマンス)、カメラワークの迫力、演出の巧みさ、見事な映画です。一瞬たりとも目を離せない映画です。アカデミーの最優秀賞は主演女優賞だけのようですが、作品賞も監督賞も撮影賞も編集賞も全部最優秀賞に値すると思います。実際に作品賞、監督賞を取った『英国王のスピーチ』より、こっちの方がはるかに素晴らしい映画です。ただし、とにかく怖い作品ですので、楽しく明るい映画とかちょっと泣ける映画しか観たくないという人はやめておいた方がいいかもしれません。本当の映画好きだけにお薦めしておきます。(2011.5.19)

354.(映画)松山善三監督『名もなく貧しく美しく』(1961年・東映)

 最近のマイブームは古い映画を見ることです。この映画は高峯秀子主演で1961年に公開された映画です。高峯秀子も夫役の小林圭樹もともに聴覚不自由者という設定で手話が映画の中で重要な役割を果たしています。ここ20年ほどはこうしたハンディキャップをもった人を主人公にしたドラマは多くなりましたが、この頃では非常に珍しかっただろうと思います。昭和20年から34年までという時代設定の中で、ハンディキャップをもったふたりが必死で生きていく姿を描いています。ようやく少しは暮らしも楽になり、家族で旅行にも出かけようかという話も出るくらいになり、ハッピーエンドで終わるのだろうなあと思って見ていたら、最後に「えっ、どうしてそんな展開にするの?」と首を傾げたくなる場面に遭遇します。監督は何を狙っていたのでしょうか?そんな甘いハッピーエンドなんか人生にはやってこない。それでも人は生きていかなければならないのだ、とでも言いたかったのでしょうか。当時映画館で見た人たちも愕然としたのではないでしょうか。(2011.5.14)

353.稲葉稔『大村益次郎』PHP文庫

 大村益次郎に関してこれまで知っていたことと言えば、緒方洪庵の適塾出身であること、宇和島に居た時にシーボルトの娘のイネと出会っていること、上野寛永寺にこもった彰義隊を殲滅した時の新政府軍の実質的な総指揮者だったこと、最後は暗殺されて死んだことくらいでしたが、この本を読んで、部分的に知っていたことが1本の線としてつながりました。もともとあまり地位の高くない村医者の息子として生まれたが、非常に頭が良く、当時の最先端学問であった蘭学の第1人者とも言われるほどの人物になり、後にその知識――特に軍事に関する知識――を実践に使うように求められ、倒幕の最終場面でようやく表舞台に登場してきたが、表舞台に立ってまもなく暗殺されてしまうという人物です。表舞台に出てきて幕末のスターたちとからんだのがわずかな期間しかなかったため、他の幕末を題材にした小説等ではあまり登場してこないということのようです。しかし、その頭の良さは相当なものだったようで、明治の軍事体制の基本形は、大村益次郎が創ったと言っても過言ではないようです。表舞台に登場する前の大村益次郎の人生が知れて興味深かったです。(2011.5.7)

352.(映画)成瀬巳喜男監督『浮雲』(1955年・東宝)

 成瀬巳喜男の最高傑作という評判だったので、楽しみに見たのですが、私の評価は星1つです。清純派のイメージの強い高峯秀子がこういう汚れ役をやっているのを見るのは珍しいので、その点では興味深かったですが、脚本も演出も評価できません。なぜあんな浮気で自分勝手な男に惹かれるのかさっぱりわかりませんし、場面が説明なく飛ぶので、物語についていきにくいです。原作は林芙美子の小説だそうですが、たぶんこの小説からいまひとつなのではないかと思います。ただ、昔の映画は時代の空気感だけはよく伝えてくれるので、その点だけは見応えがありました。昭和20年代前半の話をその数年後に撮影しているので、今時のドラマや映画ではとても作り出せない雰囲気がしっかり伝わってきました。(2011.5.6)

351.乃南アサ『未練』新潮文庫

 女刑事・音道貴子を主人公とした短編集です。第1短編集の『花散る頃の殺人』もよかったですが、これもいいです。というか、乃南アサ作品は基本的にはずれがないです。ストーリー作りの巧みさ、心理描写の丁寧さ、文章の無駄のなさ、いずれも一級品です。どの小説においても人物造形は見事だと感心するのですが、その中でもシリーズ化されたこの女刑事・音道貴子は魅力的です。2001年と2010年に『凍える牙』がTVドラマ化されたようですが、それぞれ音道貴子役は天海祐希と木村佳乃がつとめたようです。木村佳乃は?ですが、10年前の天海祐希は合っていただろうと思います。今なら誰かな?天海祐希はちょっと年齢が行きすぎてしまい、「BOSS」のイメージも強くなってしまったので、今はちょっとはずれた気がします。米倉涼子は少し攻撃的すぎるかもしれません。松雪泰子は華奢すぎるような……。美人できりっとしていて、バイクが似合い、クールなようで熱くなりやすく、こびないけれど人としての可愛さが見える30歳代半ばくらいの女優さん。いずれにしろ、今度このシリーズがドラマ化される時は、必ず見てみようと思います。(2011.5.6)

350.山本文緒『あなたには帰る家がある』集英社文庫

 久しぶりに山本文緒を読みました。相変わらず読みやすいです。2組の夫婦を主役にして、女性の生き方、仕事、家庭、恋愛といったオーソドックスなテーマで味付けをした女性向け定食(ランチ?)のような小説です。マンガのようなストーリー展開で、TVドラマに向いていそうな話です。1994年に単行本が出ているので、もうどこかでドラマ化しているのではと調べてみたら、BSフジで放送されたようです。BSということもあるでしょうが、聞いたことはまったくなかったので、きっとドラマとしての出来は今ひとつだったのでしょう。あまり深みはない物語なので、仕方がないかもしれません。登場人物の性格はみんな二重人格のようで、誰にも好感が持てないのですが、とりあえずどんな結末になるのだろうと先を読みたくなってしまう小説ではあります。まあそれだけこの作家がプロの書き手だということなのでしょう。(2011.5.5)

349.西木正明『孫文の女』文春文庫

 この著者がもっとも得意とする近代日本の史実を基にした短編小説集です。4つの物語からなりますが、すべて通常の歴史ではスポットライトを浴びない女性たちを中心人物として取り上げています。表題作の「孫文の女」は、辛亥革命の立役者である孫文が日本でともに暮らした2人の女性の話、他には日露戦争直前にアフリカからロシア艦隊の情報を送った女性、明治開化期の函館でイギリス人の妾となった女性、日露戦争後のアムール川周辺で「オーロラ宮」というお店を経営した女性が扱われています。いずれも、女性としての身体的魅力をもった女性たちで、そのことにより著名な人物も含め男たちが引きつけられ、関わりを持つことになります。虚実ないまぜの物語のはずですが、すべて事実ではないかと思えるほど、歴史的事実とうまくからめてあり、興味深かったです。いずれもドラマにしたらよさそうな話ばかりでした。それにしても、昔はまさに「英雄、色を好む」の格言通りで、またそれが非難されることもない時代だったんだなというのが印象深かったです。仕事ができ、女性にモテるというのが、つい最近までの男性の理想像だったんだということを改めて思い出しました。(2011.5.3)

348.竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書

 5年ほど前に、超ベストセラーになった本ですので、読まれた方も多いと思います。タイトルだけで中身が想像できそうな本だったので、これまで手にも取ってみませんでした。(たぶん、売れすぎの本に対する嫉妬心があるのかもしれません。)105円だったので買って読んでみました。思ったよりも中身はありました。というか、タイトルは中身とはぴったり一致していません。まあこのタイトルだからこそ売れた本ですが、著者からしたら、「ノンバーバル・コミュニケーション」というのをキーワードにしたかったことでしょう。決して外見の話だけでなく、言語以外の要素が持つ様々な意味について述べた本です。著者はマンガの原作も書き、舞台の演出もしているそうですが、まさにそうした自分の得意分野に関する知識と経験がふんだんに盛り込まれています。心理学的な分析が中心ですが、ゴッフマンの「ドラマトゥルギー」にも通じる部分があり、社会学を学ぶものにとってもまあまあ参考になる本です。それ以上に、コミュニケーション力を高めたいと思っている人にとっては、マニュアルとして使える本でしょう。(2011.5.2)

347.わぐりたかし『地団駄は島根で踏め 行って・見て・触れる《語源の旅》』光文社新書

 よく知られている言葉のルーツとなったスポットを訪ねるという本です。テーマは非常におもしろく、「へえー、そうなんだ」と思えることがいろいろ書いてあります。たとえば、「急がばまわれ」は滋賀県草津、「関の山」は三重県関、「火ぶたを切る」は愛知県長篠などは、なるほどそうだったのかと勉強になりました。しかし、文章が軽すぎるのと、調べが浅いので、「本当かな?」と信じ切れないものも多いです。著者は放送作家だそうですが、確かにTV番組的にはこの程度の調べでちょうどよいのでしょうが、書物として読むとかなり説得力に欠ける印象になります。やはり、メディアによって、示し方は変えないといけないという印象を持ちました。(2011.5.1)

346.横山秀夫『クライマーズ・ハイ』文春文庫

 すでに映画化もされた有名作品ですが、小説としても名作です。横山秀夫という作家は人間描写に優れた作家で何を書かせてもうまいのですが、この作品は特に優れています。1985年の日航ジャンボ機墜落の際に地元新聞記者であった作者は、自らの記者としての体験と万感の思いを込めてこの作品を書き上げたであろうことが端々から伝わってきます。単に事故に関して起きた一地方新聞社のドキュメンタリー的な物語にしてしまうのではなく、親子、死の重さ、組織についても考えさせる重層的な物語になっています。それがまたバラバラになっておらず、有機的につながっています。見事に計算された作品と言ってよいでしょう。それにしても、今の時期にこんな本を読むと、いろいろ余計なことを考えてしまいます。新聞をはじめとするマスコミの記者とかジャーナリストとかいった人々は結局大事故が近くで起こると心密かに宝くじに当たったように喜んでいるのではないだろうかとか、この小説が書かれたのは日航ジャンボ機墜落事故から18年後だが、いずれ阪神淡路大震災や尼崎JR脱線事故も、そして今回の東日本大震災も小説になるのだろうか、とか。人々が現実に起こった悲惨な事故や事件を物語として読めるようになるのには、事故の大きさに比例したどのくらいの時間が必要なのだろうか、とか。まあそんな余計なことは考えなくてもよいのですが……。ともかく、この小説は読みごたえのある作品であることは間違いありません。(2011.4.29)

345.(映画)フリッツ・ラング監督『メトロポリス』(1926年・ドイツ)

 この映画のことは随分前から知っていました。たぶん最初に知ったのは手塚治虫について調べていた時だったと思います。手塚治虫の初期のマンガに「メトロポリス」という同名の作品があり、その作品は未来都市のイメージなどをすべてこの映画から借りてきており、手塚治虫が多大な影響を受けていると、何かで読んだ時だったと思います。さて、初めて見たその感想ですが、個人的には非常に興味深い映画でした。もちろん、現代の映画と同じ目線では見ることはできません。演技もストーリーも大道具も小道具も大袈裟すぎたりちゃちだったりしますが、この映画が公開されたのが85年前のドイツであるということを考えれば、すごい映画だと言ってもよいと思います。第1次大戦で敗れぼろぼろになったドイツで戦後10年もせずに、こんな映画を作ったのかと思うと、この後ヒットラーが現れ、アーリア民族ほどすばらしい人種はいないと言い始めるきっかけにもなったのかもしれないとすら思いたくなる映画です。ストーリーは高層ビルが林立する未来都市でビルの上層階に住む支配層である知識階級と、その都市を地下で支える労働者階級の対立がテーマです。隣国ソビエトができて9年、ドイツでも王政が崩壊したばかりで、まだまだ初期資本主義と言ってよい時期で、過酷な労働を強いられる労働者層の存在に目を向けざるをえない時期でした。物語は、支配階級のトップに立つ男の息子なのに地下の労働者の過酷な労働を知り心を痛めるフレーダーと、地下の労働者の女神的存在となっていたマリアの2人恋物語という要素を折り込みながら、かなり複雑な展開をしていきます。私が見たのは2時間に編集されたバージョンでしたが、もともとは7時間くらいの大長編映画だったそうですので、もっともっと複雑な展開になっていたのかもしれません。アンドロイド(『スターウォーズ』のC-3POにそっくり)まで作ってしまう天才科学者の家には、ユダヤの星のマークが燦然と描かれ、遊興街の名前は「ヨシワラ」で、みんな提灯をもってはしゃいでいたりします。無声映画と言うこともありますが、目を離すところのない映画でした。(2011.4.29)

344.大崎善生『ドナウよ、静かに流れよ』文春文庫

 この作家が得意とする私小説的な味わいをもったノンフィクションです。19歳の少女と33歳の男がドナウ川で入水自殺をしたという記事を見つけた作家が、そこに至る過程を調べていくドキュメンタリーです。ノンフィクションのはずですが、作家が一人称で登場し、取材過程で起きたことや、入水した二人、あるいは少女の両親に対する彼の感情を率直に綴っていくので、客観的な事実が語られた本というより、ひとつの事件をきっかけに、ある作家が何を考えたかを書いた本という方が正確な紹介になるでしょう。確かに、作家が姿を消して客観的な事実を叙述しているようなノンフィクションでも何を書き何を書かないか、またその描き方、位置づけ方に、実際は作家の価値観やスタンスが出ているものです。しかし、作家自身が登場せずに書かれると、書いてあることがすべての人にとっての客観的な事実であるかのように読者は受け止めてしまいますので、この作家のような叙述の仕方の方が誠実なのかもしれません。341で紹介した奥野修司という作家の手法も大きく言えば同じ手法です。近年のノンフィクションの主流はこういう描き方になってきているのかもしれません。自らの考え方、感情を作家が示すことにより、読者に、そのノンフィクションはある種の立場からの事件の再構築であることを気づかせるというのは、ちょうど社会学におけるM.Weberの「価値自由」の立場の具体化と同じようなやり方と言えるでしょう。ちなみに、この本がおもしろく読めるかどうかは人それぞれでしょう。私自身は今ひとつという読後の印象でした。(2011.4.16)

343.(映画)イ・ジェハン監督『サヨナライツカ』(2010年・日本)

 また納得の行かない映画を見てしまいました。すぐに記憶から消えてしまいそうなので、見たという記録を残すために書いておきます。中山美穂の演じるヒロインと西嶋秀俊演じる主人公がバンコクで出会い、ほとんどたいした交流もないまま互いの外見だけに引かれあって肉体関係を持ち、そして別れます。その一時だけのアバンチュールを楽しんだという話ならまだ納得も行きますが、その25年後が物語として続き、実は互いにずっと好き合ったままだったという物語になっています。たぶん見た人の9割は「えーーっ、ありえないだろ!」と言いたくなるのではないかと思います。中山美穂が久しぶりに映画に復帰した作品ということで注目していたのですが、彼女の魅力を全然引き出せていないし、相手役の西嶋秀俊も彼がこれまでに演じた役の中で最低ではないかと思うほど魅力のない男にしか見えませんでした。この作品の原作小説を書いた辻仁成という作家は中山美穂の夫ですが、もともと浅い物語しか書けない作家なので期待はしてはいなかったのですが、自分の妻の魅力さえわかっていないのではないかと思ってしまいました。演出もダサイですし、25年経った感じがうまく描けておらず、監督の力量にもおおいに疑問を持ちました。見事な駄作です。(2011.4.16)

 

342.(映画)黒沢清監督『トウキョウソナタ』(2008年・日本)

 正直言って何を描きたかったのか最後までよくわかりませんでした。ある家族の話ですが、なんのリアリティもありません。不条理映画の一種なんでしょうね。リストラされたことを家族に言えずに、父親の権威を保とうとするだけの父親。家族の犠牲になっているような日常に漠然とした抑圧感を感じる母親。なぜかアメリカの軍隊に志願する長男。町で見かけたピアノの先生に憧れ、ピアノを始めただけなのに、天才的な才能をもつ次男。他にもリストラに苦しみ自殺する友人。強盗に入って何も盗めず自殺する男。指導力も子どもへの愛情もない教師。出てくる人物が、すべて共感をもてないような人物だらけです。一体、脚本家と監督は何が描きたかったのでしょうか?名の通った俳優さんがたくさん出ている映画ですが、みんな納得して、クランクアップを迎えたのだろうかと疑問に思いました。クエスチョンマークだらけの映画でした。(2011.4.9)

341.奥野修司『心にナイフをしのばせて』文春文庫

 読みごたえのある本です。1969年に起きた高校1年生が同級生の首を切った事件を取材して、その被害者家族の思いをモノローグ形式で書き上げたノンフィクションです。ノンフィクションですが、小説的手法で書かれているため、非常にドラマチックな本になっており、引き込まれます。著者は、1997年に起きた有名な神戸児童殺傷事件の報道から、過去に起きたこの同じような事件を知り、殺された少年の家族がその後どのような人生を送ったか、また殺人を犯した少年はその後どうなったかを克明に記しています。被害者家族の心理も実に複雑な心理までしっかり描けていてすばらしいですが、最後になって明らかになる加害者少年のその後の人生を知ると驚愕します。まるで推理小説の結末を読むような感じがしました。そして、また本書出版後の顛末を記した「文庫版あとがき」が、その後のさらなる物語になっていて、最後の1頁まで読ませます。この本は、司法の場でそれまでほとんど配慮されなかった被害者遺族に対する配慮をしなければいけないことに気づかせ、司法自体を変えた本とも言われているそうです。すばらしい書物は、現実を変えうる力を持つのだということを証明した本でもあります。二重丸の推薦書です。(2011.3.16)

340.小川洋子『妊娠カレンダー』文春文庫

 芥川賞を取った「妊娠カレンダー」を含む短編3作でなる純文学作品です。別に怪奇小説ではないのですが、妙に怖いです。どの小説に出てくる人物もみな変わっていて、もしも現実に出会ったら、私ならすぐに逃げ出したくなりそうです。純文学ですから最後まで読んでもどんでん返しとかものすごく納得することはないだろうとわかっていても、どう物語は展開するのだろうとついつい引き込まれました。あとがきを読むと、この作者は体験に基づいて書いているのではなく、空想(妄想)で書いているようです。想像力が豊かな人です。(2011.3.11)

339.(TVドラマ)吉村昭原作・源孝志監督『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討』(2011年・TV朝日)

 久しぶりに素晴らしいドラマを見ました。幕末に父母を惨殺された青年が明治になってから仇討ちを果たしますが、すでに時代は仇討ちを正当なものとは認めず、謀殺として裁判にかけます。果たして死罪になるのか?武士とはなんなのか?大変革の時代を生きなければならなかった人間の悲哀が見事に描かれています。そうしたテーマのよさは原作のよさとも言えるでしょうが、役者の演技、時代考証も素晴らしく、このドラマを一級品にしています。主役の藤原竜也、敵役の小澤征悦、山岡鉄舟を演じた北大路欣也の剣捌きは迫力があり見事なものでしたが、殺陣の場面だけでなく、立ち居振る舞いのひとつひとつがきまっていました。女性陣も町娘と武家の娘では髪型、帯の結び方も違うわけですが、そこもきちんとできていましたし、小道具等もその時代を感じさせるものをしっかり集めていました。DVDが発売されるそうですから、ぜひ見てみて下さい。『たそがれ清兵衛』に匹敵する作品です。映画館での鑑賞に堪えるドラマです。(2011.3.10)

338.大崎善生『将棋の子』講談社文庫

 プロの棋士を目指して夢を叶えられなかった若者たちが、その後どのような人生を送ったかを、暖かい眼差しで見つめ描いたノンフィクションです。私は将棋にはあまり興味がないのですが、羽生善治や佐藤康光、森内俊之といった棋士の名前程度は知っています。それは、彼らが若くして名人位などを獲得したからですが、当然勝者がいれば敗者もいるのが勝負の世界です。そうした敗者に思いを馳せることはなんとかできると思っていましたが、それ以前にプロになれずに将棋の世界を離れなければならない若者たちもたくさんいるのだということは知りませんでした。将棋のプロになるためには、日本将棋連盟奨励会に所属し、満23歳の誕生日までに初段に、満26歳の誕生日までに4段に昇進できなければ、退会をしなければならないという規定があるそうです。まったく知りませんでした。いくつになっても目指すことのできる仕事ではなかったんですね。将棋一筋でやってきた若者が、23歳で、あるいは26歳で突然普通の社会に放り出されるわけです。そこから、生活を築きあげていくのは並大抵の苦労ではないでしょう。将棋が強い人は頭がよいだろうから道を変えてもなんとかやっていけるのではないかと思いたいのですが、必ずしもそうでもないようです。特殊な世界で生きてきて、社会的常識などを持っていないがゆえに、まともな人生からドロップアウトしてしまう人も出てくるようです。新たな知識を得られた本でした。(2011.3.8)

337.(映画)トム・フーバー監督『英国王のスピーチ』(2010年・イギリス)

 久しぶりに見たい映画だと思って映画館に足を運びました。しかし、結論から言えば、もうひとつ、いやもうふたつくらいの映画でした。現エリザベス女王の実の父親であるジョージ6世の話でほとんど実話に近いので、あまりおもしろおかしくはできなかったのでしょうが、映画としては盛り上がりに欠けすぎました。どこかで、決定的な転換点が来て、物語はクライマックスへ進むのではないかという期待は裏切られます。ある意味、非常に淡々とした物語です。ただ、映画としては高く評価できませんが、歴史社会学的には興味深いところもありました。ラジオというマスメディアが登場した時代で、それを巧みに利用したヒットラーと同時代人のイギリス国王はこんなにスピーチが下手だったのかというのはおもしろい事実です。また、第2次世界大戦で、イギリスを率いてヒットラーと対峙したのはチャーチルという印象をみな持っているわけですが、そういえば、イギリス国王もいたんだなという事実の再発見です。元首という立場をもちつつも「君臨すれども統治せず」という長い伝統の上で、イギリス国王という存在がどのように国民に受け止められていたのかが少しわかった気がします。あと、兄のエドワード8世の退位が「世紀の恋」という名前ほどには格好のよいものではなかったんだなと印象を持たされました。映画としては、たぶんエドワード8世を主人公にした方がおもしろいでしょうね。と思って、そんな映画がないかと調べていたら、なんとマドンナが監督で現在撮影中という情報が出てきました。これはおもしろそうです。公開されたら見てみたいと思います。(2011.3.7)

336.米澤泉『私に萌える女たち』講談社

 女性ファッション誌中毒を自認する著者が、ファッション誌の変貌を通して、女性たちの変化を分析した本です。読みやすい本ですが、社会学書と言ってよいと思います。結論を一言で言えば、『JJ』第1世代である現在のアラフィフ(50歳前後)より下の世代の女性たちは、夫(男性)や子どものために生きるより、自分のために生きる(自分が主役の人生を生きる)生き方を選ぶ人が多くなっているということです。自分が主役であるために、かわいくキレイでなければならないので、そうした生き方のモデルになるような女性たちにスポットを当てた雑誌が次々に生まれてきているそうです。女子学生たちはいい男との結婚をめざす「上昇婚」より自分らしくいられる「自分婚」を望み、主婦はより自分が輝くためにちょっとしたモデルのような仕事を求め、キャリアウーマンは自分が輝くための「道具」として子どもを持ちたいと思い、アラフィフは一生「姫」として生きることをめざすと述べられています。総じて言えば、「私に萌える」のが現在の女性たちということになります。主観的、印象論的な分析なのですが、現代の女性たちの意識とそうした女性たちを生みだした時代をなかなか鋭く見抜いていると思いました。読みながら、やはりこれからの時代の男たちは女たちを支える脇役に回らざるをえないのかなと思ってしまいました。外見のみが圧倒的に重視されるこうした傾向は望ましいことではないと思うのですが、時代が生みだす趨勢を変えるのは容易なことではありません。「大人カワイイ」をめざす「私萌え」の女性たちが主導する社会とは一体どのような社会になるのでしょうか。不安です。(2011.2.24)

335.大崎善生『パイロットフィッシュ』角川文庫

 この作家の別の本を探しに行ったのですが、この本もおもしろそうに思えたので、読んでみました。私のあまり好きではない、いわゆる純文学ジャンルの小説ですが、この本は悪くないです。40代に入った編集者のもとに、19年前につき合っていた女性から1本の電話が入り、彼女との出会いから別れまでの青春時代の記憶が蘇ります。現在と過去が交錯しながら物語は進みますが、基本は自らのアイデンティティを確立できない不確かな青春を描いた小説と位置づけることができるでしょう。村上春樹の『ノルウェイの森』とちょっと似た感じもしますが、個人的にはこちらの小説の方が好きです。(2011.2.22)

334.吉田修一『悪人()()』朝日文庫

 本日の日本アカデミー賞で最優秀主演・助演の男優・女優賞を総なめにした映画の原作です。映画の方はまだ見ていないのですが、とりあえず先に原作を読んでみました。結論から言ってしまえば、非常によくできた小説です。久しぶりに一気に読んでしまいました。深津絵理が海外で賞を取ったこともあり、深津絵理と妻夫木聡の2人にのみ焦点が当たっている物語なのかなと思っていましたが、かなり多くの人物が登場し、そのひとりひとりの人物像と心理がしっかり描かれています。ストーリーも妻夫木聡が殺人を犯し、深津絵理が一緒に逃亡する話なんだろうと知っているつもりで読み始めましたが、やはりそれだけのものではなかったです。誰が「悪人」なのか、読み終わった後に考えてしまうような作品になっています。小説の主人公は妻夫木聡のイメージとはかなり合わないので、これを彼が演じきったとしたら、なかなかの役者だと思います。ぜひ、近いうちに映画を見に行ってみたいと思います。(2011.2.18)

333.森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』角川文庫

 大学生を主人公にした小説を探していたら、山本周五郎賞にも選ばれ本屋大賞2位にも選ばれたというこの本が見つかり期待して読んだのですが、期待はずれに終わりました。美文調のようなリズム感のある文章は読みやすくはありますが、テーマが何もありません。まるでドタバタ芝居の脚本を読んでいるよな感じでした。もしかしたら、この作家は大学時代に芝居でもやっていたのではないでしょうか。そんな雰囲気が端々に感じられました。ストーリーはというと、京都と京都大学を舞台として、サークルの先輩と後輩の不思議少女の淡い恋の物語ということになるのですが、恋愛シーン的なものは一切なく、奇妙奇天烈な人物が多数登場して、物語をかき回します。「ナンセンス小説」あるいは「ユーモア小説」の一種と言えるでしょう。(2011.2.16)

332.(映画)デヴィッド・リーン監督『逢びき』(1945年・イギリス)

 古い有名な恋愛映画です。名前だけは聞いていたのですが、初めて見ました。ストーリーは、優しい夫と小さな子ども2人を持ち幸福に暮らしていた30代半ばと思しき女性が、偶然知り合った医師と互いに引かれあい、週に1回逢びきをするのですが、そういうことをしてしまう罪悪感に苛まれ、悩み、結局は別れを選択するという話です。「逢びき」といっても、キス止まりでそれ以上の深い関係になるわけではないのですが、この時代には(今でもそうかもしれませんが)、十二分に「不倫」として罪の意識に囚われるものだったのです。いけないことだと思いつつ引かれていく気持ちを抑えられない女性の心理が、まるでサスペンスもののように描かれています。今見ると、恋愛映画というよりサスペンス映画という雰囲気なのですが、感情をそのまま発散させられない、こういう秘めた恋、背徳の恋こそ、恋だというイメージがある世代より上には強くあるように思いますが、その心理を見事に描写した映画と言えるのかもしれません。(2001.2.15) 

331.杉森久秀『暗殺』光文社文庫

 明治から昭和はじめに起きた8件の暗殺事件を取り上げた本です。暗殺された人々をあげておけば、大久保利通、伊藤博文、安田善次郎、大杉栄、山本宣治、井上準之助と団琢磨、犬養毅、永田鉄山といった人々です。多少の歴史好きなら、そのほとんどの暗殺事件についてはおおよそのことを知っている有名な事件ばかりです。私も最初この本を見た時に、大体知っている事件ばかりだから新鮮さはあまりないだろうから買うのをやめようかなと一瞬思ったくらいでした。しかし、以前この作家の伝記物を何冊か読んだことがあったのですが、いずれもよい出来だったので、もしかしたらおもしろいかもしれないと思い、買って読んでみましたが、予想通りおもしろかったです。暗殺された人は有名人ばかりでも、暗殺者がどういう人間で、なぜ暗殺という究極の行為に走ったのかについてはまったく詳しくないものです。それをこの作家はしっかり描いています。決して、暗殺者を美化することなく描ききるスタンスは、プロの伝記作家と言えると思いました。どれもおもしろかったですが、特に安田善次郎以後の暗殺事件は時代が近く、同じ時代の空気感が生みだした一連の暗殺事件とも考えられるため、特に興味深かったです。第1次世界大戦後の好景気と自由の空気と、その直後に起きる世界大恐慌での反転が、貧富の格差と思想的視野狭窄を生み、それが多くの暗殺事件を生みだしていったのです。読んで初めて知り驚いたのは、井上準之助と団琢磨を暗殺した血盟団の小沼正と菱沼五郎はともにわずか8年で出所して、昭和後半まで生き、菱沼五郎は茨城県議会議長まで務めていたという事実でした。暗殺者が社会的に高い地位に就くなんてことが昭和でも起こっていたわけです。歴史の事実は知れば知るほどおもしろいです。(2011.2.5)

330.(映画)宮藤官九郎監督『少年メリケンサック』(2009年・日本)

クドカンの映画は脚本があまり好きではないので、映画館では見る気にはならないのですが、TV放映されるなら、一応見ておこうかなと思い、年末に録画しておいたものを最近見ました。まあ、まさにクドカンの世界という感じでした。たいしておもしろくはないのですが、なんとなく最後まで見てしまうという映画です。テーマらしいものは何もないと思います。しいて言えば、ぬるま湯のような現代社会にちょっとした刺激を与えたいということでしょうか?でも、たぶんクドカンはそんなことは考えていないでしょう。とにかくおもしろい展開になればいいということしか頭にない気がします。まあその割に、おもしろい展開ではないですが……。見所は、宮崎あおいのかわいらしさだけでしょうね。あの女優さんは、かわいくてうまいです。この映画も宮崎あおい以外の人が主役だったら、目も当てられない作品になっていたと思います。宮崎あおいはこの先どうなるんでしょうね。今は、まだ若いですし、あと4〜5年はかわいさが自然に受け止められるでしょうが、4050となった時には、一体どんな女優さんになっているのでしょうか。イメージが湧きません。背の低い人は若いうちはかわいく見えて主役もできるけれど、だんだんと主役が張れなくなるというのが、私の俳優理論なのですが……。(2011.2.4)

329.佐野眞一『渋沢家三代』文春新書

 幕末、明治、大正、そして昭和まで生きた巨人・渋沢栄一の名前は多くの人がよく知っていることでしょう。この本は、栄一、その息子の篤二、そしてその息子の敬三の三代を描いたものです。栄一は日本で最初の銀行を創ったことや様々な企業を興したことは有名ですが、幕末において最初は勤王攘夷の立場から武力決起を実行しようとしたこと、その後一転して一橋慶喜に仕え、慶喜に仕えているという意識を持ち続けたこと、そして自分は女性にいろいろ手を出し子までなしたのに、息子・篤二の放蕩は許さず廃嫡し、孫の敬三を若いうちから後継ぎに決めるといった、かなり勝手な人間であったことは、この本で知り、面白く思いました。まあこういう人物は一代で功成り名遂げた人物にはありがちですし、創ろうと思ったら、三井、三菱、安田と並ぶ渋沢財閥を創ることもできたかもしれないのに、そこまでの蓄財をしようとしなかったことなどを考えれば、渋沢栄一を評価できるところでしょう。二代目の篤二は早くに廃嫡され隠遁生活を送っていたような状態だった上に、あまり自分のことを語ったものを残していないため、この本でもあまり詳しく語られていないのですが、偉大な親をもった二代目がそのプレッシャーから期待に応えない生活を送るということはよくあることです。三代目の敬三は、渋沢家の後継ぎとして実業界での仕事もこなしながら、日本の民俗資料などをたくさん集め、民俗学の確立に大きな貢献した人です。万博公園にある国立民族学博物館も、もともと渋沢敬三の収集したものを展示した「アチック・ミューゼアム」が原点です。財閥とも言えないほどの渋沢家でしたが、それでも戦後の財閥解体の中で、敬三が自ら財産を放棄するような形で、渋沢家は没落していきます。しかし、若い時から重い責任を負わされてきた敬三にとっては、その没落はにこやかに受け入れられるものだったようです。(2010.11.26)

328.(TVドラマ)橋田壽賀子脚本『99年の愛――Japanese Americans――』(2010年・TBS

 べたなホームドラマしか書かない橋田壽賀子脚本のドラマなんてこれまでほとんど無視して来たのですが、日系アメリカ人を主役にした大河ドラマというので、「ダメもと」で1回目を見てみたら結局気になって全部見てしまいました。TVドラマならでは荒唐無稽さも、さすが橋田壽賀子と言いたくなるようなくさい場面も多々ありましたが、それでも20世紀という時代の中で日系アメリカ人家族がどう翻弄されたかを、うまく描いていました。昨年フジテレビ系列で放送された三谷幸喜脚本の『家族の肖像』も同じように時代に翻弄される家族を描いていましたが、それより数十倍見応えのあるドラマに仕上がっていました。どちらがより優れた脚本家であるかは好みの問題もあるでしょうが、決して三谷幸喜の筆力が劣っていることはないと思います。にもかかわらず、この差はどこから生まれたかと言えば、時代と主役に持たせた設定の違いでしょう。『家族の肖像』は戦後日本を舞台にして、成り上がりの男に囲われる女性を主人公として、明るく豊かになっていく生活を描いていましたが、今回のこのドラマは、20世紀初頭にアメリカに渡った一世とその子供たちである二世の人生を第2次大戦までを中心に描くことで、日系移民の困難を描いたものです。その立場が難しいほど、ドラマとしては魅力的なものになるのは当然かもしれません。戦前、船中、戦後を生きた日系人を主役にした有名な小説としては、山崎豊子の『二つの祖国』がありますが、状況が困難であるほど、物語の魅力は増すようです。作り物のドラマとはいえ、かつての日本人がいかに努力をしてきたかということに改めて思いを馳せたくなりました。刻苦勉励努力の日本人はどこに行ったのでしょうか?(2010.11.12)

327.吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘()()』新潮文庫

 シーボルトについては、歴史の教科書で名前を覚えた方も多いと思いますが、そのシーボルトに日本人女性との間に生まれた娘がいたことは若い方々はご存じないのではないでしょうか。この小説は、その娘(イネ)が生まれる前(シーボルトとお滝の出会い)から死ぬまでを描いた大河小説です。イネは1827年に生まれ、1903年に亡くなっています。幕末の激動期を生き、日本女性で初めて医師(産科医)となった人です。その生涯はドラマ以上にドラマティックな人生です。1歳の時に、父・シーボルトが国外追放となり、別れざるをえなくなったものの32歳の時に、シーボルトが再来日し、再会を果たします。しかし、憧れ続けた父と現実の父とのギャップに親子関係は微妙なものとなります。特に、イネは産科の師匠だった石井宗謙に犯され、娘(タダ)を生むというつらい経験を経ていたため、シーボルトが召使いの女性に手を出したことが許せなかったようです。後半生は娘・高子(タダから改名)の幸せを願うものの、高子も2人の夫に死別し、途中やはり犯されて子を産むという、イネと同じつらい経験をしています。こうやって書いていったらキリがないほど書くことがありますが、実に興味深い本でした。激変する時代の中で、シーボルトの娘で、日本初の女医がどう生きたかという話がおもしろくないわけがありませんが、著者の調べの丁寧さもこの本の魅力を増していると思います。(2010.10.15)

326.長宗我部友親『長宗我部』バジリコ

 「長宗我部」と言えば、かなりの歴史好きでも、四国全体に勢力を拡大した「長宗我部元親」と、「大阪冬の陣・夏の陣」のために大阪城に入ったその息子の「長宗我部盛親」くらいしか出てこないだろうと思います。今は、NHK大河ドラマで『龍馬伝』がやっていますので、そこに出てくる土佐藩で上士から差別される下士がもともと山内家の家臣ではなく、長宗我部の家臣だったということを知った人もいるかもしれません。さて、この本はその長宗我部の末裔の方が自らの先祖のことを書いた本です。ということは、山内に支配された時代も長宗我部の子孫は生き残っていたということです。江戸時代は、「長宗我部」という名も、代々継承してきた「親」という字も隠して暮らし、明治になってから名前を復活させたそうです。その事実も初めて知りましたが、もっと驚いたのは、長宗我部家はもともと秦の始皇帝を先祖に持つという歴史です。始皇帝から数えて現在は70代目を超えるくらいに当たるそうです。聖徳太子と同じ時代、京都を中心に大きな勢力を持っていた秦河勝という人物がいますが、彼が始皇帝の子孫であり、長宗我部の先祖に当たるそうです。大河小説でもせいぜい3代くらいしか扱いませんので、70代以上を視野に入れた物語は非常に珍しく興味深く読みました。確かに、人の命は先祖からずっと伝えられてきたものですから、みんな先祖はいるわけですが、多くの人はそれが誰だったかというのがわかっていないわけです。知れるものなら、知ってみたいものです。(2010.9.16)

325.百田尚樹『永遠の0』講談社文庫

 久しぶりに名作に出会いました。読みながらこんなに涙が止まらなくなってしまったのは、たぶん『壬生義士伝』以来だと思います。著者は「探偵ナイトスクープ」の構成作家として名を知っていた人でしたが、こんな小説が書けるなんて、驚きです。いや、共通点はあるのかもしれません。人の情というものをよくわかっている人だから、この小説も「探偵ナイトスクープ」の構成もできるのかもしれません。さて、ストーリーですが、太平洋戦争時代の零戦(ゼロ戦)のパイロットであった宮部久蔵という男の物語です。その孫2人が祖父のことについて、知っている人物から聞きだしてゆくという形で、徐々に宮部久蔵という男がどのような人間であったかがわかっていきます。「絶対に死にたくない」と言い続け、「あんな臆病者はいなかった」と言われる話から始まりますが、彼は本当に臆病者だったのか、なぜそれほどまでに死にたくなかったのか、あの時代そういうことを公言することが何をもたらすのか、願いは叶ったのか、そして実は……という謎がストーリーの核を構成しています。しかし、ストーリー展開以上に読ませるのは、当時の海戦や航空戦の詳細、そして巻き込まれた人々の心情の描写です。著者は、私とほぼ同じ年齢ですが、ここまで戦争の詳細と心情を描けるとは……。脱帽です。戦争賛美でも戦争全面否定でもない戦争と人間を描いたすばらしい作品です。若者はもちろん、すべての日本人に読んでもらいたい本です。(2010.8.30)

324.阿井景子『龍馬の姉 乙女』光文社文庫

 龍馬の姉・乙女と武市半平太の妻・冨をそれぞれ主人公とした中編2編の小説です。ともに、土佐を出ることのなかった2人の女性が、幕末・明治初頭の土佐でどのように生きたかを描いた歴史小説です。乙女の方は、龍馬を鍛えたとか、「坂本のお仁王様」といったあだ名から、婚家でも嫁らしいことはほとんどしていなかったのではないかと思っていましたが、そうでもないようです。夫は下女に手をつけて子を産ませるは、暴力を振るうは、というひどい夫だった上、姑の嫁いじめもひどかったと著者は描いています。一応、史実を丁寧に調べる作家のようですので、事実に近いのかなと思うとおもしろく思えました。冨の方は、半平太を愛し続けた妻というイメージは変わりませんでしたが、半平太が捕まって以降、明治10年に武市半平太の名誉が復活するまでの暮らしぶりや思いが描かれており、地味ですが、興味深く読めました。(2010.8.29)

323.保阪正康『なぜ日本は<嫌われ国家>なのか――世界が見た太平洋戦争――』角川oneテーマ21

 タイトルに引かれて購入しましたが、高校生レベル(最近なら大学生レベルかな?)に向けた本という感じで、読みごたえはありませんでした。ただ、発想としては間違っていないと思います。自分たちも被害者だったという視点以外には、戦争のことをあまり考えたがらない日本人にとって、海外から日本という国が、そして日本人がどのように見られていたかを知ることは大切だと思います。基本的に、まったくよいイメージはありません。著者は、太平洋戦争にその原因を見ていますが、私はそれだけではないと思います。欧米人には黄色人種を蔑視する意識が根強くありますし、中国には「中華思想」という自分たちこそ世界の中心と信じる発想があり、日本はもともと「東夷(東の野蛮人)」という位置づけもあったわけです。そうした要因が触れられていないので、隔靴掻痒感のある本でした。(2010.8.27)

322.杉野昭博編『スポーツ障害から生き方を学ぶ』生活書院

 2年半前まで同僚だった杉野昭博氏が出した本ですが、なかなか興味深い本だったので、ここで紹介させてもらいます。内容はタイトル通り、スポーツで怪我した選手達がそれをどう受け止めたか、またそうした体験談を研究することで、学生たちがどう変わっていったかを、学生たち自身の言葉を中心にまとめた本です。私は専門が異なるのですが、1992年に同期として関西大学に赴任し、はじめの頃の杉野氏のゼミ運営での悩みなども見ていましたので、彼が関大最後のゼミ生たちとともに、自らの理想とするゼミを見事に作り上げたんだなと、なんだか1人で勝手に嬉しく思いながら読んでいました。特に、この本に登場する学生たちの何人もの顔が浮かんできますので、「そうかあ、あの子はそんな経験をしていたんだ」と、一般の読者とはまったく違う読み方をさせてもらいました。私にとって、この本は、障害学の本というより、1人の教員がゼミをどう完成させていったかというノンフィクションとして読めてしまう本でした。(2010.8.19)

321.(映画)是枝裕和監督『誰も知らない』(2004年・日本)

 昨年TV放映した際に録画しておいたのですが、なんか重たそうで見ずにいたのですが、最近の2児放置死亡事件について、この映画を撮った監督がコメントしていたのを読んで見てみようと思い立ちました。見終わった感想はと言えば、胸が押しつぶされそうです。今回の事件に関しても、頼れる人がいなかった若い母親を擁護する声も聞こえてきますが、私は認めたくありません。この映画も1988年に起きた実話を元にした映画です。映画では4人の子になっていますが、5人の子の母親となった女性は、好きな人ができたため家を出てしまいます。映画では一番下の子だけが栄養失調でなくなりますが、実は2人なくなっています。それも1人は生まれてすぐに亡くなったので白骨体のまま部屋にあったそうです。もう1人は母親が家を出た後、一番上の子が連れてきた友人たちにいじめられて死んだそうです。実話の方が映画よりさらに救いがない事件のようですが、それでも置き去りにした母親には、懲役3年執行猶予4年の軽い刑しか与えられていません。母親に重い刑を与えることなど関係者は誰も望んでいなかったかもしれませんが、社会的には問題だという気がしてなりません。あまりのテーマの重さに、実話の紹介に比重を置いてしまいましたが、映画はよくできています。主役の柳楽優弥君は、この演技で、カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を獲得しましたが、確かに抜群の演技力です。まるで、ドキュメンタリーかと思えるほどです。他の子供たちもうまいですし、子どもへの思いがありつつも置き去りにしてしまう「カワイイ」母親を演じたYOUもうまいです。重いテーマですが、みんな一度は見た方がいい映画かもしれません。(2010.8.7)

320.関裕二『古代神道と天皇家の謎』ポプラ社

 最近のマイブームは「古代史」なので、その関連の本を読みあさっています。どの本もそれぞれにいろいろな仮説を立てていておもしろいのですが、納得のいくもの、いかないもの、いろいろです。1人の著者の1冊の本の中でも納得のいく部分といかない部分があります。319で取り上げた本もそうでしたが、この本もそうです。ここでも、なるほど思わされた主張のみあげておきます。(1)「倭」とはもともと中国南部にいた種族で、彼らは中国では「越」という国を作ったが、一部は海を渡り、朝鮮半島南部や北九州にも住み着いた。彼らは入れ墨の風習を持っており、稲作も日本に伝え、北九州にいくつもの小国家を造り、その連合体として邪馬台国を作った。(2)太陽神はもともと男神であった。日本文化にも大きな影響を与えている陰陽説では、男性が「陽」であり、女性が「陰」が一般的である。太陽が男神であるからこそ、巫女が女性になるのである。卑弥呼も「日の巫女」であり、男神である太陽神に仕えた女性と解釈するのが自然である。この太陽神を「天照大神」という女神にしてしまったのは、持統女帝に引き立てられ、持統女帝をモデルにした偉大な人物を神話上に生みだす必要があった『日本書紀』の実質的編纂者であった藤原不比等である。(3)神道とは呪いを封じ込めるために生みだされたものだった。疫病などの蔓延や自然災害などを古代の人々は人知を超えた力を持った存在の怒りとして捉え、それをおさめてもらうために、神社を造り、神として崇めることによって、災難から逃れようとした。

以上の3つの説は非常に説得力があると思っています。(1)の見方に立つことによって、暖かい中国南部で発達した稲作があまり稲作に適さない寒い朝鮮半島を通って北九州に入ってきたことの説明がうまくつくようになります。また福井などを中心とした「越の国」という名前がどこから来たのかも解けたように思います。(2)も納得が行きます。「陽根」「陰部」という言葉があるように、男が「陽」で、女が「陰」というのが、世界的に見ても庶民信仰の一般的見方です。神の使いが蛇として現れるのも、蛇が男性の性器の象徴としての意味を持つからです。神への生け贄が処女の女性になることが多いのもこういう見方に立てば納得がいきます。(3)もまさにそうだと思えることはたくさんあります。古代だけでなく、その後も日本人は非業な死を遂げ、祟るのではないかと怖れた人物を神にして崇めてきました。藤原氏によって非業な最後を迎えざるをえなかった菅原道真は天神として、平将門も明神として崇められているわけです。この文書を書きながら気づきましたが、「崇める」(あがめる)と「祟り」(たたり)は同じ漢字を使うのですね。ここにも、神を崇める(崇拝する)ことと、祟りを怖れてひれ伏すことが同じ意味合いを持っていることが表されていると思います。そう言えば、神社での参拝の方式(二礼二拍手一礼)というのは、神に2度頭を下げ、そのことに気づいてもらえるように拍手を2度しっかり打ち、最後にもう一度頭を下げ神に従うことを誓っている儀式と見ることができます。初詣などで無理なお願いをする人がたくさんいますが、日本の神はお願いを叶えてくれる優しい神様ではありません。初詣で神社に参るのは、「今年も、あなたに逆らわず素直に従いますから、決して私には祟らないでください」ということを伝えに行くという意味なのです。(2010.7.26)

追記:よく見たら、崇拝の「崇」と祟りの「祟」は違う字ですね。間違いました。すみません。でも、こんなに字が似ているのは偶然ではないような気がするのですが……。(2010.9.20)

319.大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』NHKブックス

 聖徳太子は実在していなかったという説を唱えた歴史学者が、誰が何のために聖徳太子を作り出したかを考えることから、『日本書紀』の持つ意味を語ったものです。副題にあるとおり、藤原不比等が天皇という存在を使って自らとその一族の権力を確固たるものにすることを狙って作られたのが、『日本書紀』であるという見方に立った本です。著者は歴史学者ですが、この本はもう学術書というレベルに留まっておらず、古代史ミステリーを独自の立場から解き明かす一般書になっています。中には、その解釈は説得力があるなと思わせる部分もありますが、それ以上にかなり勝手な解釈をするために、従来の歴史学や考古学の成果を無視しているところが見受けられます。まあでも、マイナス面よりは、この著者の主張でなるほどそうかもしれないと思わされたところを記録しておくことにします。まずひとつめは、聖徳太子は実在していなかったとまでは思えませんが、聖徳太子の業績とされている多くのことが、実は蘇我氏の業績であり、蘇我氏を打ち倒した中臣鎌足の子である不比等が、その事実を消すために、聖徳太子という人物のイメージを肥大化させたということは信じられると思いました。ふたつめに、天武・持統朝で律令制度が整い、『記紀』が編纂されるまで、「天皇」という尊称もなければ、宗教的な存在でもなく、後の天皇家の血筋にあたる一族もあくまでも一有力豪族に過ぎず、ヤマト朝廷は豪族の連合政権に過ぎず、その時々でもっとも力のあった豪族が政権運営をしていたという見方です。第3に、大化の改新と呼ばれる、中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿の暗殺は、当時のヤマト朝廷のトップの地位にあった蘇我入鹿を倒し政権を奪取したクーデターであったという見方です。他にも、いくつかおもしろいなと思う見方が出ていて興味深く読みましたが、トータルでは、この著者の古代史観は全面的には受け入れにくいと感じました。(2010.7.21)

318.天藤真『大誘拐』双葉文庫

 ずいぶん前に映画化もされている30年以上前の推理小説ですが、結構おもしろいです。設定には相当無理があり、マンガ的ですが、ドラマティックな展開はエンターテインメント小説としては評価してもよいと思います。ストーリーは誘拐された資産家の老婦人が3人の若者からなる誘拐団の実質的なボスになり、警察を振り回すという話です。まじめに考えたら、絶対ありえないし、破綻だらけなのですが、まあこれはこれでいいのかなという気がしてきます。極悪人が1人もおらず、みんないい人だったりするので、後味が悪くないのかもしれません。(2010.7.4)

317.遠山美都男『天平の三姉妹 聖武皇女の矜持と悲劇』中公新書

 奈良の大仏を建立したことで有名な聖武天皇には3人の娘がいたのですが、その娘たちに焦点を当てながら、奈良時代の権力闘争を描いた歴史書です。歴史書なのですが、そんじょそこらの歴史小説よりはるかにおもしろいです。今年は、遷都1300年祭でにぎわう奈良ですが、奈良時代というのはものすごい権力闘争の時代だったということを知り、おおいに興味が湧いてきました。結局、奈良時代というのは、645年の大化の改新から続く政治体制の確立期にあたり、藤原氏の権力も安定的なものではないし、天皇もその正統性が完全に確立しておらず、その確立のために露骨な権力行使を行っていた時代のようです。皇太子が廃嫡されることなど何度も起こり、淳仁天皇などは孝謙太上天皇によって天皇の地位から引きずり下ろされ、淡路に遠流されるという憂き目にあっています。さて問題の三姉妹ですが、一番上の皇女は井上内親王と言い、一時は伊勢神宮の斎宮をしていましたが、還俗させられ、白壁王(後の光仁天皇)と結婚したので、皇后になります。しかしその後、皇后の地位を追われ、息子とともに暗殺されます。(暗殺されたとは書いていませんが、母子が同じ日に亡くなっていますので、まず暗殺でしょう。)2番目の皇女は阿部内親王と言い、母親は藤原氏出身の光明皇后です。彼女は、2度天皇の地位に就いています。孝謙、そして称徳天皇です。彼女は自分の天皇としての血筋の正統性を強く信じ、自分の意思こそがすべてに優先されると考え、様々な問題を起こした人です。晩年に弓削道鏡を天皇の地位に就けようとしたことは有名でしょう。3番目の皇女は不破内親王と言い、天武天皇の孫である塩焼王と結婚し、その2人の間に生まれた息子は将来の天皇と見なされていた時期もありましたが、皇籍を剥奪されたり、復籍させられたりし、最終的には光仁・桓武天皇系に皇統が移ってからは、邪魔な存在として、配流になるという、時代の荒波に翻弄されるがままの人生を送っています。天皇家の系図というのは、基本的に男性だけをつないだものが出回っていますが、実は妻や母が誰であるかということが、この時代には大きな意味を持っていたようなので、こういう本を読まないと、そのあたりがわからないです。逆に言えば、そういうことがわかるこういう本は新たな知識を与えてくれるので、とてもわくわくします。(2010.6.21)

316.梁石日『闇の子供たち』幻冬舎文庫

 タイを舞台に、幼児売買、児童虐待とも言える幼児買春、さらに臓器売買をテーマにした衝撃的な小説です。物語はフィクションなのでしょうが、背景となる闇社会はおそらく現実に存在するのだろうと思うと、ぞっとしてきます。怖い小説ですが、ぬるま湯のような日本で暮らす者にとって、一度読んだ方がよい小説かもしれません。(2010.6.18)

315.八幡和郎『坂本龍馬の「私の履歴書」』ソフトバンク新書

 タイトルに引かれて手に取り、中身をぱらぱら見て、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』や、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の真実でない部分を明らかにする歴史書として読んで欲しいという内容に期待して、購入し、読んでみましたが、ものすごく物足りない本です。歴史書として読んで欲しいという割には、著者による勝手な推測の部分がかなり入り込んでおり、これはこれで結局この作家の見る坂本龍馬像に過ぎないという印象を持ちました。この著者は歴史関係の読みやすい本をたくさん出していますが、もともとが歴史をちゃんと勉強した人ではないので、単なる趣味が高じて本を書いているに過ぎず、歴史家として評価することはできません。この本も、著者本人が1次資料にあたったわけではなく、坂本龍馬について書かれた本をネタ本として使いながら、安易に書いたものにすぎません。今後は、この著者の本はもう買わなくてもいいと思いました。(2010.6.17)

314.湊かなえ『告白』双葉文庫

 313で紹介した映画の原作です。もちろん、おもしろい小説だと思います。しかし、映画を先に見てしまっていたので、どうしても映画と比べてしまうのですが、映画の方がよりおもしろく感じました。クラスの子どもたち1人1人の個性が映像の方がよく伝わってきて、生き生きと感じました。また、映画がストーリーやセリフをかなり忠実に使っていたので、先に映画を見ていれば、「なるほど、そうだったのか」と感心するところもさらっと読んでしまったのも、小説に対しては申し訳ないことをしている感じでした。映画も小説もどちらも味わいたいと思う人は、小説から入った方がいいと思います。ストーリーのおもしろさをまず小説で味わい、その後、それがどう映像化されたのかを楽しむという順番の方がいいと思います。(2010.6.13)

313.(映画)中島哲也監督『告白』(2010年・日本)

 映画の力を感じさせる見応えの作品です。もともと原作もいいのだと思いますが、映像・音楽も非常によく、活字の世界では表現できない映画の魅力を見事に出しています。冒頭の場面から一気に物語の世界に引き込まれます。中学1年最後の終業式のホームルームから始まります。松たか子演じる中学教師が、ほとんど学級崩壊状態と言ってよいクラスの中で淡々と語り始めます。最初の内はまじめに聞く生徒も少ないのですが、「私の娘を殺した人が、このクラスにいます」という発言から、空気が一気に変わります。その場で、誰が犯人であるかを、名前を出さないものの、クラス全員にわかる形で示し、そしてその犯人に報復をしたことを告げます。そして4月、クラス替えが行われないまま、2年生が始まり、様々な事件が起こることになります。ストーリーはこれから見に行く人のためにあまり書かないでおきましょう。あまりにおもしろかったので、原作も読んでみたく早速買ってきました。近いうちにその感想も載せたいと思います。原作を読んだことのある人でも、この作品は映画として十分楽しめると思います。(2010.6.11)

312.貫井徳郎『転生』幻冬舎文庫

 心臓移植を題材にした小説です。心臓移植に成功し、元気になった主人公は、手術前と異なる趣味、才能、記憶を持ちます。どうやら、これが心臓を提供してくれたドナーのものではないかと思い、その謎を解いていくという話です。テンポよく読ませ、最初はかなり期待したのですが、最後はなんか物足りない感じで終わってしまい、残念でした。謎の解き方が何か拍子抜けします。なんで、そんな大がかりな嘘をつく必要があったのか、納得が行きませんでした。また、せっかく魅力的なキャラクターを前半に登場させたのに、後半には彼らのほとんどが消えてしまい、後半から登場した数少ない、それも魅力のない人物と主人公とだけで話が展開してしまいます。この作家は、社会的テーマを扱いますし、文章もうまいので、つい読んでしまうのですが、読み終わった時は、いつも隔靴掻痒感が残ります。詰めが甘い気がします。(2010.5.25)

311.宮部みゆき『地下街の雨』集英社文庫

 久しぶりに、宮部みゆきの短編集を読みました。やっぱり、うまい作家ですね。すごいとは思わせませんが、それなりに読ませます。あとがきで室井滋さんも書いていますが、確かにどの物語もすぐにドラマ化できそうです。映像イメージが浮かびやすく、それなりのオチをつけています。これが、宮部みゆきの人気の理由なのでしょうね。(2010.5.22)

310.伊藤之雄『元老 西園寺公望』文春新書

 最後の元老である西園寺公望の一生を紹介した本です。幕末戊辰戦争に参加し、ヨーロッパに長期に渡って留学、帰国後は伊藤博文に見込まれ、伊藤博文の後の立憲政友会の総裁、そして2度首相になり、パリ講和会議の全権、晩年は元老として天皇に首相を推薦するキングメーカーとして過ごし、太平洋戦争の1年前に亡くなった際には国葬で送られた、功成り名遂げた人生です。しかし、読み終わった印象としては、本人の能力が高かったというより、名門公家に生まれたことを最大限に活かして時流にもうまく乗った人という気もしました。個人的に気になったのは、西園寺が晩年唯一の元老として存在していた昭和初期において、まだ20歳代半ばから30歳代だった昭和天皇が、軍部や政治家からかなり軽んじられていたらしいという点です。天皇絶対主義とは名目ばかりで、実際は天皇の意向を無視する形で、日中、日米の戦争へと突き進んでいったのかもしれないと読み取れなくもなかったです、であるならば、昭和天皇自身は、死ぬまで、自分は日中戦争や太平洋戦争を決断した人間ではないという思いを持ち続けていたのかもしれません。このあたりは、また別の本で調べてみたいと思います。(2010.5.20)

309.東野圭吾『さまよう刃』角川文庫

 単行本で刊行された時から評判の本でしたが、ようやく読みました。やはり、東野圭吾はうまいです。読ませます。未成年の若者たちに娘を拉致され強姦され致死させられた父親が、自らの手での復讐を行おうとする物語ですが、おかしいと思いつつその父親を逮捕し、結果として悪辣な少年を守らなければならない警察官の苦悩や、復讐に男の心情を理解しつつも、殺人を犯させたくないと思う巻き込まれた女性、犯罪の片棒を担がされた気の弱い若者、加害者の親の心情、等々、見事に描けています。過不足なく登場する人物と明確かつ浅薄でないキャラクター設定、最後まで結末がどうなるかという興味を引き、なおかつ最後の最後にもうひとつの謎解きもしてみせるというサービスぶり。エンターテイメントとしても100点ですが、少年法の問題性についても考えさせる社会派小説でもあります。もしも、自分がこの父親の立場ならどうするだろうと考えたくなるし、そもそも日本の少年法はおかしくないかと本気で言いたくなる本です。小説の力を感じる1冊です。(2010.5.7)

308.石田衣良『4TEEN』新潮文庫

 直木賞をもらった本ですが、特にすごく読み応えのある本とは思えませんでした。中2の少年たち4人を主人公に、一般的には中2が経験しないであろう出来事(買春、拒食症と引きこもり、人妻との疑似恋愛、死期間近な老人との交流、同性愛、親殺し、ホームレス生活など)を経験させた短編集です。こうやって並べてみると、元広告会社勤めで、今はTVのコメンテーターなどとしてもよく登場する、流行を見るのが好きな作家なのだということがよくわかります。読みようによっては、ある種の社会派小説とも言えるかもしれません。ただ、キャラクター設定とかがあまりにわかりやすすぎるので、ややチープな感じがします。作者の頭の中で造形している少年たちなので、リアリティが足りない気がします。まあでも、なかなか器用に書かれた小説とは言えるでしょう。(2010.5.5)

307.鹿島茂(聞き手・斎藤珠里)『セックスレス亡国論』朝日新書

 最近の学生たちの話を聞きながら、なんか男女とも恋愛に意欲的でないなと思っていたところに、この題名を見て、思わず買ってしまいました。著者はフランス文学の研究者として有名な人ですが、最近はいろいろな著作をだしているようです。この本も意外な感じもしましたが、フランスは性愛に対してはるかに熱心だというあたりから関心が広がったようです。さて、この本に紹介されているデータによれば、日本社会にセックスレス化が進行しているのは間違いないようです。26ヵ国で毎年行われている性生活に関する調査の結果によると、性生活の頻度は最下位で、平均が44%の性生活満足度も日本はわずか15%だそうです。著者によれば、人はなるべく面倒なことをしないで済ませたいために、便利な世の中を作り出してきたそうです。家庭電化製品、自動販売機、24時間営業のコンビニ、外食や中食の一般化など、お金さえ出せば、自分が面倒なことをしないで済むような社会にどんどん変化しつつあるのは間違いないでしょう。そしてついに、恋愛もセックスも、今や最後に残った面倒なこととして忌避されるようになってきていると言われると、確かにそうだという気がしてきます。昔のように、他に楽しみがないとか、その種の画像は一般には入手できない秘められたものであった時は、人――特に男性――は、面倒でもそういう行為のために努力していたわけですが、現代のように、他に楽しいことがいっぱいあり、また画像も簡単に入手できてしまう時代になると、わざわざそういう行為のために、面倒なプロセスは経ずに、1人で済ませてしまう方が楽となり、多くの人がその道を選んでしまうことになるのだそうです。女性たちはかわいく見せるのがうまくなっていますが、それらのオシャレは男性のためというよりは、女性同士の「モテ競争」の中で他の女性たちに見せつけるために、やっているようなものだそうです。著者によれば、男性に本当にモテたいなら、ブランドバッグもアクセサリーもまったく必要はなく、「うっふん」さえうまければ十分なのだそうです。著者の論理は時々飛躍したようにも思えますが、読み進めていくとそうなのかもしれないなと思えてきます。たとえば、東京都での学校群導入がセックスレスを導いたなんて主張は、最初は「はあ?」と思いましたが、学校群で行きたくない公立高校に放り込まれるのが嫌で、優秀な子どもたちが中学から男女別学の進学校で6年間を過ごすというのは、恋愛に関してはマイナスにしかならないと言われると、なるほどという気がしてきます。なかなかおもしろい本でした。(2010.5.2)

306.仙川環『感染』小学館文庫

 非合法な臓器移植、異種移植をテーマにした推理小説です。ウィルス研究医の主人公である女医の夫が前妻との間にもうけた息子が誘拐され殺され骨となって戻ってきます。その事件の背景には、夫やその研究室の闇の仕事(臓器売買、異種移植)といった問題があり、それが徐々に明らかになっていくというストーリーです。この作家は、医学系の大学院を修了した人だけあって、テーマ自体のもつ難しさをなかなか上手に描いていると思います。登場人物も必要な人間だけにして、あまり無駄な人物を出したりしていないのはいいと思います。しかし、小説としての深みという面ではかなり物足りないです。2時間ドラマでやれそうな物語です。可もなし、不可もなしといったところでしょう。(2010.4.30)

305.北森鴻『メビウス・レター』講談社文庫

 実につまらない小説です。今後、この著者の小説を間違って買わないように、記録に残しておきます。裏表紙に「傑作長編ミステリー」って書いてあったのですが、完全に誇大広告です。この手の本格ミステリーって奴は、どうしてこうおもしろくないんでしょうね。なんの深みもありません。高校生が2人死に、その謎を追求する高校生がおり、怪しい小説家と秘書、みっともない編集者、ストーカーの主婦とその夫、なんか登場人物を並べているだけでも、馬鹿馬鹿しくなってきました。こんな小説が世に出るなんて、日本の出版社の見る目のなさも相当なものです。(2010.4.29)

304.山崎マキコ『ためらいもイエス』文春文庫

 まったく知らない作家でしたが、恒例の105円ということで購入し読んでみましたが、わかりやすいテレビドラマのような展開の物語でした。29歳まで仕事一途で来た女性がちょっとしたきっかけから、恋愛や遊びに目覚め、紆余曲折を経て、最後はわかりやすいハッピーエンドという小説です。読まなくても人生の損にはまったくならない小説ですが、気楽になんか楽しく読みたいと思う人にはお勧めです。たぶん、いつかテレビドラマになりそうな気がします。(2010.4.25)

303.岩村暢子『家族の勝手でしょ!――写真274枚で見る食卓の喜劇――』新潮社

 最近の家族(ほぼ30歳代と40歳代の主婦がいる家庭)の食事をたくさんの生の写真とともに紹介した本です。1週間写真を撮ってもらうと、ごまかしきるのは難しいようです。読み始めた時は、「具の入らない麺食」「お菓子が食事」「水没する煮物」「食器になる調理器具」「手の込んだ料理を作るのは親か夫」「物の置き場と化したダイニングテーブル」等々、ここまで家庭食は崩壊しているのかと愕然としましたが、読み進めているうちに、だんだんまあこれも仕方がないのかなとあきらめのような気持ちになってきました。現代のような時代において、総菜を並べた料理がだめだとか、カップ麺を食事にしてはいけないとか、ばらばらに食事をするなと言っても無理な時代なのかもしれません。上手に総菜を使ったり、日頃手抜きをしたりすることを非難しても、本気で反省する主婦もそうはいないでしょう。ただ、ここぞという時にすら、それなりの料理を作る腕も舌も知識もない主婦が圧倒的多数派にならないように願いたいとは思います。男性は料理好きが増えていると思いますが、女性はあきらかに料理嫌い(面倒臭がる人)が増えている気がします。おいしいものを食べたいから、自分で作れるようになりたいという思考にはならないのでしょうか。別に毎日手をかけた料理を作る必要はありませんが、ほんのちょっとの手間と気配りができたら、料理はおいしくなるものなのですが……。無意識のうちに女性たちに料理を軽視してもいいと思わせる空気を、この社会はこの30年ほどの間につくってきました。フェミニズム運動の功罪についてきちんと検証すべき時期が来ていると思います。(2010.4.22)

302.紺谷典子『平成経済20年史』幻冬舎新書

 なかなか鋭い本です。平成に入ってからの20年間の日本経済を政策的に失敗の連続だったと切り捨てています。データ的根拠が確かかどうか確認できないので、この著者の言うことに全面的に賛成とまでは言いかねるのですが、基本的には共感できました。得に、小泉・竹中の改革というのは、結局アメリカ追従路線に過ぎなかったというのは、その通りだという気がしました。平成に入る以前の1980年前後、日本は経済的には世界から羨まれるシステムを、日本人の国民性や文化を前提に独自に作り上げてきていたのに、1980年代半ば以降、グローバリゼーションの名の下に、沈滞したアメリカ経済を復活させることにやっきになって、強引、勝手なことを押しつけてくるアメリカ政府の言いなりになってきたのが自民党政府でした。特に、中曽根、橋本、小泉の3人は、「行政改革」「民営化」「構造改革」等を前面に出して、日本経済の長所をずたずたにしてしまったというのは、なるほどと思わされます。何でも民営化されればいいってもんじゃないのは明らかなのに、国民はすぐだまされるんですよね。この本を読みながら、もしかしたら亀井静香の国民新党がそうした日本的良さを一番理解している政党なのかもしれないと思ったりしていました。もちろん、現実世界の経済は一国主義ではいけないので、世界標準を意識しなければならないのは確かです。ただし、意識すべきはあくまでも世界標準であって「アメリカ標準」ではないということです。アメリカの「手下」がら脱却し、関係をまっとうな対等関係にしないと、今後も日本経済の復活はないような気がします。(2010.4.16)

301.石川結貴『ブレイク・ワイフ』扶桑社

 300に掲載した『モンスターマザー』の著者が、その約10年前に執筆した本です。読み比べると、わずか10年間であっても時代が変わったことがよくわかります。『モンスターマザー』では最近の母親たちのあり方をかなり突き放して見ていた著者ですが、10年前には自分自身の体験も踏まえて、子育て主婦に対する社会と夫の理解のなさを批判し、女性たちに同情的です。1990年代の後半、雇用機会均等法で男性と対等に働くことができるようになったと思っていた女性たちが、出産・子育てのために、家庭に入らざるをえなくなり、慣れない子育てに悩むつらい立場に置かれていると、この時点での著者は見ていたようです。それが10年経つと、子育てに真剣に悩まず、自分勝手に生きるコギャル主婦と、夫不要の子どもとかわいさを競うバブルギャル主婦だらけになっていたというのは、なかなかおもしろい変化です。女性たちなりの適応の仕方だったのかもしれません。しかし、よい方向への変化とは思えないのが、心配です。 (2010.4.14)