本を読もう!

2000.7.30開設、2005.3.2更新分まで)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。

紹介した本がだいぶ増えてきたので、大雑把に分類してみました。本選びの参考にしていただけたら幸いです。太字は私が特にお薦めしたいものです。

<社会派小説>96.高野和明『13階段』講談社文庫78.野沢尚『破のマリス』講談社文庫74.横山秀夫『動機』文春文庫73.横山秀夫『陰の季節』文春文72.貫井徳郎『慟哭』創元推理文庫62.西木正明『夢顔さんによろしく(上)(下)』文春文庫61.真保裕一『ボーダーライン』集英社文庫51.宮部みゆき『理由』朝日文庫48.東野圭吾『白夜行』集英社文庫47.東野圭吾『天空の蜂』講談社文庫39.山崎豊子『沈まぬ太陽(1)〜(5)』新潮文庫37.立松和平『光の雨』新潮文庫35.野上弥生子『真知子』新潮文庫33.三浦綾子『母』角川文庫31.連城三紀彦『黄昏のベルリン』講談社文庫30.ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』新潮文庫26.山田太一『終わりに見た街』中公文庫10.五味川純平『人間の條件(全6巻)』文春文庫8.松本清張『或る「小倉日記」伝』新潮文庫5.山崎豊子『二つの祖国』新潮文庫4.宮部みゆき『火車』新潮文庫3.帚木蓬生『閉鎖病棟』新潮文庫

<人間ドラマ>86.乃南アサ『氷雨心中』幻冬社文庫75.山本文緒『ブルーもしくはブルー』角川文庫70.ダニエル・キース(小尾芙佐訳)『アルジャーノンに花束を』早川書房66.倉本聰『北の国から(前)(後)』理論社59.梶尾真治『黄泉がえり』新潮文庫56.真保裕一『奇跡の人』新潮文庫45.東野圭吾『秘密』文春文庫36.浅田次郎『壬生義士伝(上・下)』文芸春秋29.三浦綾子『氷点』角川文庫23.浅田次郎『天国までの百マイル』朝日文庫16.連城三紀彦『恋文』新潮文庫14.有吉佐和子『華岡青洲の妻』新潮文12.北原亞以子『深川澪通り木戸番小屋』講談社文庫2.三原順『はみだしっ子』白泉社文庫1.浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』集英社文庫

<推理小説>100.パトリシア・コーンウェル『検屍官』講談社文庫98.逢坂剛『さまよえる脳髄』新潮文庫96.高野和明『13階段』講談社文庫95.藤原伊織『テロリストのパラソル』講談社文庫88.乃南アサ『凍える牙』新潮文庫81.綾辻行人『人形館の殺人』講談社文庫80.桐野夏生『OUT(上)(下)』講談社文庫78.野沢尚『破線のマリス』講談社文庫74.横山秀夫『動機』文春文庫73.横山秀夫『陰の季節』文春文庫72.貫井徳郎『慟哭』創元推理文庫68.渡辺容子『左手に告げるなかれ』講談社文庫61.真保裕一『ボーダーライン』集英社文庫60.貴志祐介『青の炎』角川文庫56.真保裕一『奇跡の人』新潮文庫51.宮部みゆき『理由』朝日文庫48.東野圭吾『白夜行』集英社文庫47.東野圭吾『天空の蜂』講談社文庫45.東野圭吾『秘密』文春文庫31.連城三紀彦『黄昏のベルリン』講談社文庫26.山田太一『終わりに見た街』中公文庫13.ジム・デフェリス(酒井紀子訳)『シックス・センス』竹書房文庫8.松本清張『或る「小倉日記」伝』新潮文庫4.宮部みゆき『火車』新潮文庫3.帚木蓬生『閉鎖病棟』新潮文庫

<日本と政治を考える本>77.宮本政於『お役所の掟――ぶっとび霞ヶ関事情――』講談社+α文庫67.松田十刻『東条英機――大日本帝国に殉じた男――』PHP文庫65.中村彰彦『烈士と呼ばれる男――森田必勝の物語――』文春文庫64.高木俊朗『特攻基地・知覧』角川文庫62.西木正明『夢顔さんによろしく(上)(下)』文春文庫46.佐藤昭子『決定版 私の田中角栄日記』新潮文庫40.岩瀬達哉『われ万死に値す ドキュメント竹下登』新潮文庫37.立松和平『光の雨』新潮文庫35.野上弥生子『真知子』新潮文庫33.三浦綾子『母』角川文庫32.瀬戸内晴美編『人物近代女性史(全8巻)』講談社文庫27.武光誠『名字と日本人――先祖からのメッセージ――』文春新書22.角間隆『日本の教育 戦後35年の光と陰』校成出版社21.上杉隆『田中眞紀子の恩讐』小学館文庫20.保阪正康『後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡』文春文庫

<人物伝>99.一坂太郎『高杉晋作』文春新書89.立石泰則『復讐する神話――松下幸之助の昭和史――』文春文庫79.星亮一『山川健次郎伝――白虎隊士から帝大総長へ――』平凡社69.石原慎太郎『弟』幻冬社文庫67.松田十刻『東条英機――大日本帝国に殉じた男――』PHP文庫65.中村彰彦『烈士と呼ばれる男――森田必勝の物語――』文春文庫54.川端要壽『下足番になった横綱――奇人横綱 男女ノ川――』小学館文庫53.鈴木洋史『百年目の帰郷――王貞治と父・仕福――』小学館文庫52.青柳恵介『風の男 白州次郎』新潮文庫46.佐藤昭子『決定版 私の田中角栄日記』新潮文庫44.折目博子『虚空 稲垣足穂』六興出版40.岩瀬達哉『われ万死に値す ドキュメント竹下登』新潮文庫34.小手川力一郎『野上弥生子エピソード』フンドーキン醤油株式会社32.瀬戸内晴美編『人物近代女性史(全8巻)』講談社文庫28.小林信彦『天才伝説 横山やすし』文春文庫21.上杉隆『田中眞紀子の恩讐』小学館文庫20.保阪正康『後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡』文春文庫

<歴史物・時代物>93.浅田次郎『蒼穹の昴(1)〜(4)』講談社文庫92.滝口康彦『上意討ち心得』新潮文庫91.堀和久『大久保長安』講談社文庫87.森村誠一『ミッドウェイ』角川文庫83.藤沢周平『蝉しぐれ』文春文庫57.早乙女貢『新編 実録・宮本武蔵』PHP文庫43.黒岩重吾『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』中公文庫36.浅田次郎『壬生義士伝(上・下)』文芸春秋19.手塚治虫『陽だまりの樹』小学館文庫18.神一行『消された大王 饒速日(ニギハヤヒ)』学研M文庫17.大島昌弘『結城秀康』PHP文庫14.有吉佐和子『華岡青洲の妻』新潮文庫12.北原亞以子『深川澪通り木戸番小屋』講談社文庫11.『日本の歴史(全26巻)』中公文庫7.司馬遼太郎『竜馬がゆく』文春文庫6.杉本章子『写楽まぼろし』文春文庫

<青春・若者>82.片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』小学館71.石田衣良『池袋ウェストゲートパーク』文春文庫60.貴志祐介『青の炎』角川文庫

<純文学的小説>76.江國香織『流しのしたの骨』新潮文庫

<映画>94.(映画)山田洋次監督『隠し剣 鬼の爪』(2004年・松竹映画)84.(映画)小泉堯史脚本・監督『阿弥陀堂だより』(2002年・『阿弥陀堂だより』制作委員会)55(映画)藤沢周平原作・山田洋次監督『たそがれ清兵衛』(2002年・松竹映画)50.(映画)澤井信一郎監督『Wの悲劇』(1984年・角川映画)49.(映画ジョンタートルトープ監督『あなたが寝てる間に……』(1995年・アメリカ)42.(映画)松山善三監督『虹の橋』NHKビデオ38.(映画)平山秀幸監督『愛を乞うひと』東宝ビデオ25.(映画)岩井俊二監督『Love Letter』King Video

<その他>97.池谷裕二『進化しすぎた脳』朝日出版90.渡辺正・林俊郎『ダイオキシン――神話の終焉――』日本評論社85.酒井順子『負け犬の遠吠え』講談社63.養老孟司『バカの壁』新潮社58.松田忠徳『温泉教授の温泉ゼミナール』光文社新書41.佐藤郁哉『フィールドワークの技法』新曜社24.中島みゆき『愛していると云ってくれ』キャニオン・レコード15.黒木瞳『わたしが泣くとき』幻冬社文庫9.俵万智『サラダ記念日』河出文庫

<最新紹介>

100.パトリシア・コーンウェル『検屍官』講談社文庫

 90年代に大評判になったパトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズの第1作です。このシリーズは妻が集めていたのでこの本は10年以上前からうちにあったのですが、なんとなく読む気が起こらず、ずっと手を出しませんでした。今回、特にこれといったきっかけもなかったのですが、まあ一度は読んでみるかと手に取ったのですが、やはり私とは相性の悪い本でした。欧米の作家の小説にはよくありがちなのですが、無駄に長いという気がしてなりませんでした。翻訳で500頁もある本ですが、無駄を省いたら、半分の長さで十分同じ内容が書けると思いました。納得の行かないことが山のようにあります。まず主人公の検屍官が職務を逸脱しすぎていて、検屍官というより私立探偵としか思えません。解説で日本の検屍官とは仕事内容がかなり異なるらしいと言い訳がましく書かれていましたが、やはりいくらなんでもこれはやりすぎじゃないの、という違和感が消えませんでした。著者のコーンウェルは新聞記者と検屍局のコンピュータ・プログラマーをやっていたという経歴を持っていて、まさにその経歴を生かしてこの小説を書いたわけですが、メインとなる医学的知識が不十分です。検屍の細かい描写はなく、DNA鑑定の話程度です。主人公は「検屍官」らしい仕事をちっともしていません。この本の内容で「検屍官」というタイトルをつけるのは詐欺のようなものです。第2に、いったん犯人ではないかと読者に思わせようとした人物がなぜ犯人ではないと言えたのかをきちんと説明しないまま、突然別の視点から新たな容疑者を作り出し、それが真犯人でしたというのは、まったく納得行きません。それまで出されていた伏線は一体何だったのと疑問だけが残りました。出来の悪い長編推理小説によくある悪しきパターンです。そして第3に、男の描き方がひどすぎます。登場する男たちは、粗野で傲慢で女性蔑視的で変態でと散々です。余程男に苦労させられてきて、恨みでもなければ、ここまで書けないんじゃないかと思ってしまったほどです。この小説が好きだという男性読者がいたら会ってみたいものです。もう私はコーンウェルは読みません。(2005.3.2)

99.一坂太郎『高杉晋作』文春新書

 高杉晋作は知っているでしょうか?幕末の歴史に関心がある人にとっては著名な人物ですが、一般の大学生だと知らないという人も多いかもしれませんね。長州藩の上級武士で、吉田松陰の松下村塾で久坂玄瑞とともに竜虎と称され、後に武士以外の人間も兵士になる「奇兵隊」という部隊を作り、第2次長州征伐で長州が幕府軍を破る上で大きな働きをした直後に、29歳で亡くなってしまった人物です。若くして亡くなったこともあって、吉田松陰などと同様伝説化している幕末の志士です。今回、この本を読もうと思ったのは、前々から、高杉晋作という男はそんなにすごい男だったのか、密かに疑問を持っていたからです。著者は、高杉晋作関連の書籍を多く出している人のようですが、決して高杉晋作賛美の論調にはなっておらず、資料に基づいてニュートラルに書いているという印象を持ちました。読み終わって、どう思ったかと言えば、やはり高杉晋作はそれほどの人物ではなかったなと思いました。発想はかなり思いつきに過ぎないし、持続性もありません。日記を何度も書いていますが、みんな途中で投げ出しています。高杉の最大の業績とされる奇兵隊創設も、一般に理解されているような四民平等を意図したものではなく、武士以外にも入りたがったものは入隊させたというだけのことだったようです。高杉の発想は、ひたすら毛利家恩顧の臣として毛利家に尽くすというところから出ておらず、身分に対するこだわりは非常に強かったようです。もしも、高杉晋作が明治以降も生きていたら、きっと「萩の乱」に加わり、自滅していたことでしょう。若くして亡くなったがゆえに、可能性だけで実像より高く評価されている人が幕末には多いような気がします。(2005.2.20)

98.逢坂剛『さまよえる脳髄』新潮文庫

 また脳に関係した本ですが、こちらは推理小説です。確かすでに映画化もされていると思います。ちらっと見たような記憶もあるのですが、全部は見ておらず内容をよく知らなかったのですが、今回、その原作であるこの小説を読んで、かなりおもしろいと思いました。やはり脳を扱った東野圭吾の『変身』もおもしろかったですし、どうやら脳を主題とした小説は、作家がよく勉強をして知識をうまく小説の道具として使えてさえいれば、浅薄な心理描写で済ませるような小説とは比べものにならないほど、おもしろいものができあがりやすいようです。この小説は、ストーリー展開もうまく、主要な登場人物の配置の仕方が巧みなので、結末がどうなるのかが、ぎりぎりまでわかりません。先が気になる小説ですし、読み終わった後、冒頭を読み返したくなる小説です。(2005.2.11)

97.池谷裕二『進化しすぎた脳』朝日出版

 正月休みに子供と水族館に行き、イルカのショーを見て「イルカって頭がいいよね」、「どうやって芸を覚えさせるんだろう?」といった素朴な疑問を持ったので、何かそんなことがわかる本はないかなと書店に行き、いろいろ見ているうちに目についたのが、この本でした。こうした分野の専門的な本ではとうてい理解しきれないのですが、この本は副題に「中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線」となっており、かなり易しい言葉で語られていたので、なんとかなるかなと買って読んでみました。100%理解できたとはとても言えないのですが、脳の構造についてかなりわかりやすく説明してくれており、神経細胞やシナプスの働き方、目の役割、身体と脳の相互作用など、いろいろ知らなかったことをたくさん学ぶことができました。社会学はこういう議論とは無縁そうでいて、やはりどこかつながっている部分はあると思います。社会を作っているのは人間で、我々社会学者はその人間が社会の様々な制約の下でどのような行動をなすかについて研究しているわけですが、その際に行動する人がどのような心理状態になっているかは必ず考えます。で、その心理とは何かと言えば、結局脳の活動以外の何物でもないのですから、脳がどのようにデータをインプットし、アウトプットするのかについて、多少なりとも知識を持っておくのは必要だと思います。と言っても、社会学の研究に具体的にどう生かせるかは、まだわからないのですが。(2005.1.8)

96.高野和明『13階段』講談社文庫

 久しぶりのお薦め作品です。この本は、死刑制度というものについて、空理空論ではなく具体的に考えさせる社会派小説の趣もありますが、何よりも謎解きを楽しめる本格的な推理小説です。推理小説として、もっとも大切な伏線のはり方、そして最終段階でのその処理がきちんとなされていますし、主要な登場人物の設定が適度に複雑になっており浅薄な感じがしません。また、各登場人物の行動の動機も十分納得が行きます。95点をつけていい完成度の高い作品だと思います。しいてケチをつければ、なぜあの人が重要証拠の隠し場所を知っていたのだろうという疑問はありますが、まあ全体的な質の高さを考えたら、微々たる問題と目をつぶってもいいと思える作品です。(2005.1.6)

95.藤原伊織『テロリストのパラソル』講談社文庫

 何人かの知人から、藤原伊織はいいよと聞いていたのですが、探してまで読もうという気にならずに、今日まで来ていました。先日書店でなんとなく本を見ていたら、この本が見つかり、紹介文に江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した初めての作品と書いてありましたので、やはりすごい作品なのかもしれないと思い、読んでみました。で、読み終わった感想ですが、確かにこの作者は文章がうまいし、広い知識は持っているし、歌も詠めるし、複雑な人間心理を書き込む力もある人だということがよくわかりました。さすが東大仏文科出身の大学紛争世代という感じです。途中までは、久しぶりにこのコーナーで絶賛することになりそうだなと思いながら読んでいたのですが、最後になって評価がぐっと下がりました。気に入らないのは細かい点を除けば2つあります。ひとつは、あまりに無理矢理、登場人物を関係者にしすぎだということです。20年以上前の事件の関係者をどうしてそんなにたまたま知り合いにしてしまう必要があったのか、私にはわかりませんでした。最後の方はまるでマンガか、2時間ドラマの安易な脚本を読まされているようでした。もうひとつ気に入らないのは、タイトルです。「テロリストのパラソル」ってかなり象徴的な意味を感じさせる題名だと思いませんか?特に「パラソル」がそういう印象を与える言葉だと思います。このタイトルにはどんな意味があるのだろう、最後には、なるほどそういうことだったのかと思わせてくれるちがいない、と期待していたのですが、結局何も深い意味などありませんでした。これなら、「テロリストの帽子」でも「テロリストのマフラー」でも何でもよかったんじゃないかとがっかりしてしまいました。悪い作品ではありませんが、江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞するほどの傑作とは思えません。賞を選ぶ審査委員が自分と同世代の作家が描いた同世代の空気にノスタルジーを感じて、高い点数をつけたくなったんじゃないでしょうか。(2004.11.23)

94.(映画)山田洋次監督『隠し剣 鬼の爪』(2004年・松竹映画)

 名作『たそがれ清兵衛』と同じ原作者、同じ監督で撮られた作品ですが、残念ながら凡作です。私自身がそうでしたが、『たそがれ清兵衛』並みを期待して見に行くと、非常に物足りなく感じると思います。失敗の原因は、前作と基本的なプロットにほとんど変わりがなく新鮮味がないこと。ストーリーが単純すぎて深みがないこと。そして何よりも配役がミスしていることです。一人一人は力のある役者さんばかりですが、役柄と合っていません。主役の永瀬正敏も友人役の吉岡秀隆も軽すぎます。武士の風格が出ていません。(真田広之と比べるのは可哀想かもしれませんが、差がありすぎました。)松たか子は苦労が演じられません。山田洋次監督は苦しい生活の中でも明るさを失わない娘として描きたかったのでしょうが、あまりに明るすぎて苦しい生活が伝わってきません。松たか子のふっくらしすぎた頬ではどうやっても苦しさが出ないのではないかと思います。(『たそがれ清兵衛』では、宮澤りえの細さが、いい絵を作り出していました。)緒形拳に悪徳家老という配役も不適切です。緒形拳の愛嬌のある笑顔を見ていると、どうしても悪い奴と思えなくなってしまいます。高島礼子の役ももっと固い清潔感のある女優さんにやってほしかったですね。ちょっと色っぽすぎるし、たくましく生きていきそうな感じがして、自害するタイプに見えません。なお、軍備が伝統的な日本式から洋式に変わっていくことが、かなりの比重で描かれているのですが、山田監督がそこで一体何を伝えたかったのか、最後までもうひとつよくわかりませんでした。特に、主役の生き方とどう関わるかがわからないので、ストーリー上は不要な場面だが、撮影してしまったので、もったいないので使ったのではないかと思えるほどでした。総じて無駄の多い映画です。(2004.11.12)

93.浅田次郎『蒼穹の昴(1)(4)』講談社文庫

 浅田次郎を三流の物書きから一流の作家に転換させた大作としてずっと前から読みたいと思っていたのですが、なかなか文庫にならず読めずにいたのですが、漸く文庫として刊行されたので、早速購入し、読んでみました。率直な感想を言えば、「こんなものだったのかあ……」という印象です。期待が大きすぎたのもいけなかったのかもしれませんが、以前紹介した『鉄道員』、『天国までの百マイル』、『壬生義士伝』に比べると、格段に落ちます。18861898年の清朝末期の中国を描いた作品なのですが、格調が高くないのが致命的です。なぜ西太后を町娘のように喋らせたのか、皇帝も親王も他の高官たちもなぜみんなあんなに庶民的な感覚で喋らせたのか、おおいに疑問です。キャラクター設定も実に中途半端で、どの登場人物も魅力的ではありません。また、100年前の乾隆帝や郎世寧は一体なぜ登場しなければいけなかったのかも最後まで疑問として残ってしまいました。作品としては高めにつけてせいぜい60点というところでしょう。ただ、この本を読んで、辛亥革命が生じる少し前の中国の歴史と、ツングース族と日本民族との関係に対する興味はおおいに増しましたので、それでよしとしたいと思います。(2004.11.5)

92.滝口康彦『上意討ち心得』新潮文庫

 さらさらと読めてしまい後に何も残らないような戦後生まれの作家が書いた軽い現代の小説ばかりを読んでいると、だいぶ以前に発表された時代小説を読んでみたくなります。以前『鬼哭の城』(新潮文庫)という作品を読んで「うまいなあ」と思っていたこの作家の本を再び手に取ってみました。『鬼哭の城』もそうでしたが、この作品も武士道という不条理に振り回される人間を見事に描ききっていて、改めてうまい作家だと感心しました。滝口康彦は大正13年生まれの作家で、今年の6月に80歳で亡くなっています。新聞で訃報の記事を見なかったような気がするので、あまり有名な作家ではなかったのかなと思いましたが、調べてみたらなんと直木賞の候補に6回もなっていましたし、1960年代の時代劇映画の原作にも何度か使われている売れっ子作家でした。まああれだけの技量があれば、売れっ子にならないわけはないなと納得するとともに、それだけの才能を持った人なのに、現代ではもうひとつ有名でない(もちろん、時代小説好きの間では有名だと思いますが)のは、やはり直木賞という勲章を取れなかったからなのかなと思ってしまいました。しかし、この作家の作品は読みごたえがあります。読んでいると、だんだん単なる過去を舞台にした時代小説ではなく、現在でも会社をはじめとする所属組織で宮仕えの苦労をしている人なら、似たようなことはあると言いたくなってしまうようなところがあると思います。ぜひ一度読んでみて下さい。損はないですよ。(2004.9.24)

91.堀和久『大久保長安』講談社文庫

 大久保長安は、江戸初期に徳川政権の財政確立に寄与した経済テクノクラートです。幕府創成期とはいえ、その役職の兼務ぶりは信じられないほどです。200万石に及ぶ天領の総代官、年寄衆(後の老中)、所務奉行(後の勘定奉行)、金山総奉行、一里塚総奉行、信濃越後75万石を治める松平忠輝(家康6男)の後見職を兼務していました。おそらく徳川幕府260年間を通じてもっともたくさんの重職を兼務していた幕府官僚だったと思います。これだけの仕事を任されたのですから、家康の信頼は非常に厚かったはずですが、彼が死んでからすぐに幕府に対する叛意があったとされ、死体の首は切られて晒され、7人の息子すべてと、重臣は死罪、親類縁者も所領没収等の憂き目に合うものが多数、という悲惨な結末を迎えています。この本は、この大久保長安という魅力的な人物の生涯を、歴史資料に基づきつつ、想像力をまじえて見事におもしろい歴史小説に仕立てあげています。もともと武田家に仕える猿楽師の息子として生まれた少年が土木・治水・鉱山等に関する技術と、経済に関する知識を蓄え、武田家滅亡後も、その能力を買われて徳川家に仕え、その能力によって重要な仕事を次々と任され、力をつけていく。そして、本田正信・正純親子との暗闘――というより家康との暗闘といった方がよい――を経て、ついには家康に代わって天下を取ることまで夢見るようになるという大河小説です。多数の人物が登場しますが、それぞれきちんと描けており、筆力のある作家だと思いました。NHKの大河ドラマで取り上げても十分やっていけるだけの原作だと思います。(2004.9.10)

90.渡辺正・林俊郎『ダイオキシン――神話の終焉――』日本評論社

 ダイオキシンってよくわからないけれど、マスコミの報道を見る限り、身近な焼却などから生じる猛毒の化学物質で、生命を脅かすものだろうという程度の認識でしたが、この本を読んで、「目からうろこ」が落ちました。社会学者はいつも「常識を疑え」と言っているのですが、それはあくまでも社会学者でも理解のできる「社会的常識」に留まっています。「科学的知識」となると、みんなからきし弱く、ある科学者が「危険だ」と言い、それをマスコミが大々的に取り上げると、ほとんど鵜呑みにして、一緒になって「危険らしいぞ」と煽り立てる役割しか果たしていません。(なぜか「安全だ」という科学者のことは「御用学者ではないか」と疑ってかかる習性がありますが……。)どうやら、「ダイオキシン問題」もその典型的なパターンだったようです。私もこの本を読み始めたときは、「社会学者」らしく「御用学者」がどこかの利益を守るために「ダイオキシンは怖くない」って強弁している本ではないかと疑ってかかっていたのですが、読み終わった今は、この著者たちの方がデータをきちんと扱っていて、「ダイオキシンは怖ろしいぞ」と唱える人たちよりも信頼がおけると思いました。もちろん科学的な詳しいことについては判断がつかないのですが、「ダイオキシン問題」では統計的なデータが大きな役割を果たしており、その扱い方はわれわれ社会学者にとっても、理解可能なものであり、その範囲で見る限り、明らかに「怖いぞ」論者よりも、この著者たちのデータの扱い方の方が適切なのです。どうやら「ダイオキシン」はその摂取量からすれば、マスコミがわめき立てるほど(最近はマスコミもこうした情報を得たのか静かになってしまいましたが)、危険度の高いものではないらしいということを信じざるをえないなと思わされました。「ダイオキシンが新生児死亡率をあげている」、「ダイオキシンを含んだ母乳育児がアトピーの原因」、「ダイオキシンがオスの生殖機能を低下させている」といったセンセーショナルなマスコミ報道がほとんどデータ的信頼性がないことを知れば、皆さんも「目からうろこ」の思いをすることでしょう。ちなみに、「ダイオキシンは怖いぞ」という報道が流れることで儲かるのは、ダイオキシン分析業者と、焼却炉メーカーだそうです。ダイオキシン問題に関しては、危険さを強調する方が儲かるようです。そしてその費用を払っているのはほとんどが行政なので、結局我々の税金がその費用――著者たちに言わせれば無駄な費用――に充てられていることになるのです。もちろん、ダイオキシンが人体にとって毒であることは事実なので、あまり生まれない方がいいことは当然なのですが、著者たちが指摘するように、ダイオキシンで騒ぐぐらいなら、日常生活にはもっと気にしなければならない危険な物質がたくさんあるということも納得させられました。(2004.8.25)

89.立石泰則『復讐する神話――松下幸之助の昭和史――』文春文庫

 久しぶりに優れたノンフィクションを読みました。松下電器の創業者で「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助について、彼の部下だった人々との関係に焦点を置きながら、その思想、人となり、経営方針の功罪を見事に浮き上がらせた本です。19601970年代は電気メーカーと言えば、まず「ナショナル」が一番はじめに思い浮かぶという人がほとんどだったと思います。総合電機メーカーとしては、東芝や日立の方が上だったのかもしれませんが、身近な豊かさの象徴である家庭電化製品に関しては、「ナショナル」が圧倒的な評価を受けており、他のメーカーの製品より少し高くてもナショナル製品なら仕方がないとまで、みんな思っていたものでした。しかし、今や「ナショナル」=「松下電機」の名前をあまり聞かなくなりました。うちに今ある家電製品でもナショナル製品は、10年以上前に買った炊飯器と食器洗い機、それに電子レンジだけになっていました。こんなに松下電器の地位が低下してしまった最大の原因は、松下幸之助という「経営の神様」が長生きしすぎて、影響力を持ち続けすぎたせいだということが、この本を読んで納得がいきました。たった3人で始めた町工場から世界に冠たる大企業になった松下電器は、その規模の拡大、時代の変化に合わせて、もっともっと変貌していかなければならなかったのに、その成功物語の体現者である創業者が70年以上も実質現役として「昔からやってきたわしのやり方でやれば間違いないのだ」と陰に陽に言い続け、結果として時代の波に乗り遅れてしまったわけです。厳格な販売網制度へのこだわり、早い段階でのコンピュータ開発からの撤退などが、今の時点から振り返れば、松下幸之助の判断ミスとして指摘しうるものでしょう。社長を娘婿に譲って会長になったにも関わらず、わずか3年で営業本部長代行として現役復帰するなんてことをされた娘婿社長はどれほどやりにくかったことでしょうか。松下電器の最大の売り物は、「今太閤」とも呼ばれた松下幸之助自身の「伝記」だったのではないかというこの著者の皮肉な指摘は実に鋭いと思いました。松下電器は松下幸之助という教祖を戴くある種の宗教団体のようなものにすらなっていたと言っても過言ではないようです。毛沢東の中国もそうでしたし、他にもいくらでも例があげられますが、創業者(創始者)は、どんな集団でも神に近いような特別な存在になってしまうものです。そうなる前に(あるいはそうなった後でも)、次世代にバトンタッチをしてきれいに身を引ければ見事なのですが、なかなかそうはできないようです。自分の作り上げた集団・組織は我が子と同じで、いつまでも気がかりで仕方がなく、ついつい口を出してしまうということになるようです。松下幸之助の営業本部長代行としての現役復帰は、毛沢東の文化大革命と重ねて読んでしまいました。松下幸之助がなくなって15年。さすがに「幸之助神話」の呪縛も解けている頃ではないかと思うのですが、出遅れた松下電器は新たな「パナソニック」として再生は可能なのかどうか、今後の松下電器に注目してみたいと思います。なお、この本を読む前に、門真にある「松下電器歴史館」を訪ね、松下幸之助の人生、経営哲学を味わうと、より興味深く読めると思います。「松下電器歴史館」はなかなか見応えのある資料館ですが、見ようによっては松下幸之助を神として祀る神社のような趣もあります。もしかしたら、松下電器は永遠に「幸之助神話」の呪縛から解き放たれることはないのかもしれません。(2004.8.22

追記:この本はいい本なのですが、ひとつだけクレームをつけるなら、「復讐する神話」というタイトルが納得行きません。『呪縛する神話――松下幸之助の昭和史――』の方がいいと思います。

88.乃南アサ『凍える牙』新潮文庫

 乃南アサを読んでいると知人に話したら「なんと少女趣味な……」と言われたのですが、少なくともこの小説はそんな枠には絶対納まらない傑作だと思います。女性刑事が主人公の推理小説ですが、甘っちょろい恋愛などはまったく折り込まれていませんし、妙にセクシーな場面や超人的な活躍をしたりもしません。全体的に無駄のないきりっとした作品です。警察も部署によっては女性がかなり増えているのでしょうが、TVドラマと違い、現実の捜査の現場にはまだまだ女性が少ないはずです。この小説でも、ある殺人事件の捜査をするチームの中で、主人公が唯一の女性という設定になっています。たった1人の女性であるがゆえに生じる微妙な空気や、相棒となった中年男性刑事の心理もきっちり描けています。物語のスパイスとして、いくつかの家族の複雑な状況も描かれており、社会派小説の趣も持っています。そして、何よりも本作品の陰の主人公とも言うべき狼犬「疾風(はやて)」が実に魅力的に描かれています。読みながら、「疾風」に会ってみたいと心の底から思いました。『シートン動物記』の「狼王ロボ」を思い出しました。ともかく、久しぶりに二重丸をつけたい作品でした。(2004.7.28)

87.森村誠一『ミッドウェイ』角川文庫

 今TVドラマでやっている「人間の証明」をはじめとするヒット作を多数書いた推理作家の戦争を題材とした小説です。森村誠一の戦争を題材とした小説としては、細菌兵器の研究などをしていた「731部隊」を取り上げた『悪魔の飽食』が有名ですが、私は「ミッドウェイ海戦」について知りたかったので、この本を選びました。「ミッドウェイ海戦」と言っても、多くの若い方はまったく知らないでしょうね。194112月8日の真珠湾攻撃から始まったアメリカとの戦争は当初日本の優勢で進んでいましたが、1942年6月5日に行われたこの「ミッドウェイ海戦」で、日本は空母4隻と多数のベテランパイロットを失い、制海権をアメリカに渡すことになり、この戦争の帰趨が決まりました。もちろん、アメリカとの戦争はどうやっても日本は勝つことはできなかったでしょう。しかし、ミッドウェイ海戦の時点では、海軍力は日本の方が上だったのに、なぜ大敗を喫したのか、以前から知りたいと思っていました。小説仕立てですので、事実ではないことも入っていると思いますが、日本海軍に慢心と戦術的な誤りがあったという説は、それなりに説得力があるように思いました。軍隊というと陸軍のイメージが強いのですが、アメリカとの戦いは海をはさんでのものですから、実は主として戦ったのは海軍だったわけです。その日本海軍がどんな雰囲気だったのかが多少なりともわかる本です。物語自体は、如何にも大衆小説を大量生産する作家らしく、単純なキャラクター設定、男性読者向けサービスシーン、わかりやすいストーリーなどで構成されており、それほどレベルの高いものではありませんが、戦争小説としては読みやすいものになっていますので、歴史小説としては合格点だと思います。(2004.7.25)

86.乃南アサ『氷雨心中』幻冬社文庫

 乃南アサという作家の名前は以前から知っていたのですが、なんとなく読む機会を得ぬまま過ごしてきました。桐野夏生の本の解説で、最近はサスペンスものを描く優秀な女性作家が多いと述べられており、そこに乃南アサも紹介されていたので、とりあえずブックオフで、105円で売っていたこの小説を読んでみましたが、これは当たりでした。この作家はたぶん頭のよい人なのだと思います。6つの物語が入った短編集なのですが、すべて日本の伝統工芸にたずさわる職人が主人公になり、そこにサスペンスがからめてあります。これだけの制約をつけつつ、それなりの水準の物語を6つも作り上げた力量は、やはり並大抵のものではないと思います。次は長編を読んでみます。(2004.7.19)

85.酒井順子『負け犬の遠吠え』講談社

 つい最近「負け犬」という言葉が密かな流行語になっていると知り、そのきっかけとなったこの本を読むことにしました。こんな言葉が流行っているのも知らなかったという方のために、言葉の説明をしておけば、未婚、子ナシ、30歳以上の女性のことを、この著者は「負け犬」と呼んでいます。ものすごく侮蔑的な表現ですが、著者自身がまさにその立場にある人であるため、差別書だと批判されずに済んでいます。もしも、男性が書いたり、女性でも違う立場の人間が書いたら、社会問題化していたかもしれません。さて、読んでみてどうだったかということですが、なかなか鋭い観察眼と分析能力を持つ人のようで、「なるほど。確かにそう言われるとそうかもしれないな」と思わされるところが、何カ所も出てきます。特に「負け犬にならない十カ条」は、かなり当たっているかも、と思わされました。たとえば、「上の姓ではなく、下の名前で呼ばれなくてはいけない」とか「『大丈夫?』と声をかけられたら、間違っても『大丈夫です!』なんて言わない」などの指摘は鋭いと思いました。女性で「負け犬」という立場の人が増えるということは、男性の「負け犬」も増えているということを意味しますので、男性陣にも関係のない話ではありません。一読の価値はあると思いますが、単行本で買って読むほどの価値はないような気がします。(2004.7.9)

84.(映画)小泉堯史脚本・監督『阿弥陀堂だより』(2002年・『阿弥陀堂だより』制作委員会)

 名画です。名作と言うより名画がぴったりです。「日本の美」が凝縮されています。自然、四季、人、思い、優しさ、愛、死、生、各シーンがすべて1枚の絵になっています。小泉堯史という監督は、黒沢組にいた人のようですが、黒沢映画だけでなく、小津映画の影響も受けている気がします。日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞を北林谷栄が取っていますが、主演男優の寺尾聰も、主演女優の樋口可南子もすばらしいです。こんな夫婦になりたいと思わせるような夫婦を演じています。なんでもっと賞を取っていないのかなと思ったのですが、同じ年に『たそがれ清兵衛』があったからなんですね。『たそがれ清兵衛』は有名になりましたので見た人も多いと思いますが、この映画もぜひ見た方がいいですよ。お薦めです。(2004.6.5)

83.藤沢周平『蝉しぐれ』文春文庫

 名の知れた名作ですが、やはりそれだけのことはあります。一分の無駄もない構成、明確な人物設定、見たこともない江戸時代の架空の藩の町割りなのに情景が目に浮かんでくるような見事な描写力、青春、思慕、剣、政治が絡み合う人間ドラマ、流れるように読める文章力、これこそまさに「時代小説」のプロの作品です。若い人は、時代小説に関心がない人が多いと思いますが、この小説なら読めると思います。チャレンジしてみませんか?(2004.5.30)

82.片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』小学館

 なんかすごく売れていると聞きましたので、立ち読みしてきました。約1時間で読み終わりました。なんで、この本がそんなに売れるんでしょうねえ。何十年も前から使われたありきたりの設定と、印象に残らぬ会話、平凡な情景描写、何も見るべき所はありません。こんなしょうもない小説が売れるとは、読み手の質が落ちているということなのでしょうか。まあでもこれまでにも村上春樹の小説なんてあまりおもしろくもないのにかなり売れていましたから、軽い小説が売れるのはもう20年ぐらい前からの傾向なのだと思いますが……。それにしてもつまらない小説です。こんな小説、一晩で書けそうです。買ったら絶対もったいないですよ。立ち読みする必要もありません。こんなものを読むぐらいなら、私の戯曲を読んだ方がずっとましです。日本の片隅で不平をつぶやいてみました。 (2004.5.29)

81.綾辻行人『人形館の殺人』講談社文庫

 学生からK先生がモデルとなった登場人物が出てくる小説があると聞き、「その本、貸して」と言って借りた本がこの本です。Kと言ってももちろん私ではありません。読んだ人は、あまりに名前がそのままなのですぐにわかるはずです。この作家は、京都大学の大学院に進学しているのですが、その際にK先生と出会っているそうです。この本は1989年に刊行されていますので、15年以上前のイメージなのでしょうが、「ばっさりと伸びた前髪を大ざっぱに横へ流している」なんて描写される外見は今もそのままなので、これだけ読んだ人でも感のいい人ならわかると思います。学生から話を聞いたときは、ちょい役で出てくるのだろうと思っていたのですが、なんとこれがとても重要な役なのです。推理小説ですから、あまり詳しく説明しない方がいいでしょう。奇妙な関心で読んでしまいましたので、小説として出来がよいのかどうかは、よくわかりません。ただ、意外な結末にはなっています。関大社会学部社会学専攻の関係者なら読んでみても損はないかも?(2004.5.18)

80.桐野夏生『OUT()()』講談社文庫

 もともと1998年に「日本推理作家協会賞」を受賞し、映画化もされたぐらい評判の高い作品ですが、今年アメリカで「エドガー賞」という権威ある賞にノミネートされたことで、日本でも改めて読者層を拡大しています。かく言う私も、そのひとりなのですが……。確かに日米で高く評価されるだけあって実にうまい小説です。久しぶりに一気に読破してしまいました。しいて言うと、終わらせ方にやや不満が残りましたが、まあそれも予想通りすぎたということなので、仕方がないところなのかもしれませんが……。主要な登場人物である4人の女性たちの複雑な心理と細部にこだわった書き方は、力量のある女性作家でなければ書けないものだと思いました。しかし、何よりもこの小説に関して私に強い印象として残ったのは、この小説は非常に怖い小説だということです。見事な描写力があり、「猟奇的趣味の小説」と言ってもいいくらいの場面が、ほぼ完璧に映像として浮かび上がってきます。正直言って、夜1人で読んでいるのが怖くなったぐらいです。「ホラーもの」とか「スプラッタもの」などは常に避けて通っている私のような人間にとっては、この小説でも十分肝を冷やされました。この作家は実にうまい書き手だと認識しましたが、こういう「怖い」内容のものが多いなら、今後、私はあまり読まないかもしれません。でも、映画「OUT」は、あんな怖い場面をどう映像化したのだろうという興味があるので、見るかもしれません。いずれにしろ「怖い話」が苦手でない方にお薦めです。(2004.5.9)

79.星亮一『山川健次郎伝――白虎隊士から帝大総長へ――』平凡社

山川健次郎なんて若い人は誰も知らないでしょうね。そもそも白虎隊すらほとんどの人が知らないかもしれませんね。今、大河ドラマで新選組がやっていますが、新選組は幕末に京都守護職だった会津藩預かりの立場にありました。その会津藩は、幕末から明治の転換期にもっとも筋を通した誠実な行動をしたのに、あるいはそれゆえに、時代の流れの中で「逆賊」(天皇に刃向かう人々)の「汚名」を着せられた不幸な藩です。薩長に追われ、会津城にこもって戦いついに敗れたわけですが、その際に今の中学生から高校生ぐらいに当たる若者たちが「白虎隊」という名で組織され、命を落としていったという悲しい歴史があります。その白虎隊の一員であった山川健次郎という若者がその後アメリカに渡り英語を身につけ、日本の物理学の基礎をつくり、後に東京、京都、九州の帝大総長を勤めあげた生涯を紹介した伝記です。特に優れた伝記というわけではないのですが、激動の時代に翻弄されながらも見事に生きたこういう人物がいたことを知ってほしくて紹介させてもらいました。(2004.4.23)

78.野沢尚『破線のマリス』講談社文庫

ドラマの「青い鳥」や「眠れる森」の脚本家が初めて本格的に推理小説を書いたら、あっさり江戸川乱歩賞を取ってしまったという作品です。TVニュースの問題性を題材にしながらありきたりではない意外な展開に話を持っていく力、顔が浮かんできそうな明確なキャラクター造形力は、抜群だと思いました。これらは、まさに脚本家として鍛えてきたからこそ身に付いたものでしょう。しかし、逆に見るとあまりにTVドラマ的で、話の展開がやや現実味に欠けること、人物像が単純すぎることなど、本格的な小説好きからすると、多少物足りなく感じるかもしれません。でも、十分に読み甲斐のある、平均点を大きく超えたおもしろい小説だと思います。(2004.2.27)

77.宮本政於『お役所の掟――ぶっとび霞ヶ関事情――』講談社+α文庫

厚生省という役所で行われている日本的慣行の非合理性について、アメリカ帰りの内部の人間が赤裸々に書いた本で、10年少し前にベストセラーになり、英独仏訳まで出された本です。当時、単行本をぱらぱらと見て、買ってまで読む本ではないなと判断したのですが、おなじみの「ブックオフ」100円本のコーナーに並んでいましたので、今更ながらですが、読んでみることにしました。社会や歴史について書いた一般書は、書店で目次を見て、まえがきとはじめの方を少し読めば、大体どの程度の本か判断がつきます。この本に関しても、11年ほど前の判断は正しかったようです。なんでこれがベストセラーになったんでしょうね。少なくとも、日本人にとっては、なんら新たな発見と思えるようなことはない本です。多少一般の国民からおもしろがられたとしたら、あけすけに書かれているのが厚生省という国の中央官庁でいつも威張っている官僚たちだったということでしょう。ちょうどこの頃、薬害エイズ問題が裁判に入っており、この本が出た後あたりから、厚生省に問題ありという空気が高まっていきましたので、そうした事情もこの本の売り上げを伸ばしたのだろうと思います。それにしても、この著者のような人間は、私は好きにはなれません。私も、組織の中で結構言いたいことを言う方で、「非日本人的だ」と称されたこともある人間ですが、この著者とか『うるさい日本の私』を書いた哲学者の中島義道氏なんかのクレームの付け方には非常に疑問があります。組織を構成するメンバーが歩み寄れないような極端な主張をするのは、マイナスになることはあってもプラスになることはほとんどありません。「私」を滅ぼして「公」に奉仕する必要はありませんが、「公」を無視して「私」を通すのは、ただのわがまま、あるいは悪しき「ミーイズム」に陥るだけです。己と公をうまく調和して、はじめて主張も意味をなすのです。よかったら「KSつらつら通信」(第51号「活己為公」と第73号「賢さとは?」)をお読みください。私と彼らの違いをわかっていただけるかと思います。(2004.2.19)

76.江國香織『流しのしたの骨』新潮文庫

江國香織は以前から書店でよく平積みされていたので、何回か手にとってぱらぱら見たことはありましたが、これは私の好きなタイプの小説ではないと、一切読まずにきました。でもついに直木賞を取ったので、一応1冊ぐらいは読んでおくかと思い、この本を買ってきました。映画化もされた『冷静と情熱のあいだ』にする手もあったのですが、映画を見てしまっていたので、新鮮な気持ちでは読めないだろうと思い、どんな話かまったく知らないこの本にしてみたのです。読んでいる最中にずっと思っていたのは、なんか大島弓子のマンガを久しぶりに読んでいるみたいだということでした。最近の小説家は、少女マンガ――特に「昭和24年組」――から影響を受けた人が多く、林真理子、吉本ばなな、などが、インタビューでそう答えているのを読んだことがあります。江國香織が小説で描く世界は、大島弓子がマンガで描いた世界と雰囲気が非常によく似ています。間違いなく強い影響を受けているでしょう。静かなエッセイか詩のように進んでいく不思議な家族の話で読みにくくはないですが、読み終わっての感想は「やっぱりこんなもんだな」でした。ちょっとだけ「文学したい」若い女性にとっては「おしゃれな感じ」のする小説と評価されるのだろうということはよくわかりました。でも、私は2冊目には進まないと思いますが。(2004.1.26)

75.山本文緒『ブルーもしくはブルー』角川文庫

テレビドラマ化もされた小説なので、ご存知の方も多いと思います。自分と同じ人間がもう1人いて、自分が選ばなかった相手と結婚し暮らしている。その「自分」と出会ってしまった「私」は、もう1人の「自分」の現在の生活の方が今の「私」の生活よりも幸せそうに見え、生活を一時的に取り替えることを提案し、実行に移す。しかし、端から見ていたときには幸せそうに見えた生活も、中に入ってみれば幻滅せざるをえない場面に出くわし、元の生活に戻ろうとする。だが、もう1人の「自分」が予想外の行動を取っており、すんなり元の生活に戻れないというストーリーです。もともと少女小説を書いていた作家なので、全体に文章が易しく読みやすい小説です。マンガを読む感覚であっという間に読めてしまいますが、悪くない小説です。(2004.1.7)

74.横山秀夫『動機』文春文庫

73.横山秀夫『陰の季節』文春文庫

どちらも、今一番脂ののった推理小説作家の短編集です。文庫本として読めるのは現在この2冊しかありません。『陰の季節』の方はすべて警察を舞台にした短編です。警察を舞台にした推理小説と言えば、刑事部の刑事が活躍する小説をイメージしますが、この小説の新しさは刑事部ではなく、警務部という警察の中の管理部門を舞台にしていることです。警察は大規模な官僚制組織なのですから、管理部門があって当然なのですが、みんなそんな部門があることを日頃意識していません。私自身もそうでした。この作家はその盲点のようなところを見事についたわけです。読んでいると、まさに警察も一企業なのだという気がしてきます。企業小説ではよくこうした管理部門の人間が主人公になるものがありますので、そうしたものと比べれば、特に新しいテーマではないのかもしれません。しかし、そこはやはり警察という特殊な問題を扱う組織ゆえの特殊性が新鮮な味付けになっています。『動機』の方は、この作家が舞台にできるのは警察だけではないということを示した作品集です。元殺人犯、地方新聞の女性記者、裁判官などが主人公になっています。この作家のうまさは、心理描写の丁寧さにあります。どの作品もしっかりとした人間ドラマになっているところが、この作家が高く評価される理由でしょう。とりあえず、映画化されじきに公開される『半落ち』は見に行こうと思いますし、文庫本になるのを待てずにきっと単行本を買ってしまうだろうと思います。(2004.1.6)

72.貫井徳郎『慟哭』創元推理文庫

「題は『慟哭』、書き振りは《練達》、読み終えてみれば《仰天》」というほとんど絶賛という帯文がついています。さらに言えば、この作家はこの作品を弱冠25歳で書き上げており、それを考え合わせると、間違いなく才能豊かな作家だということができます。テーマは「少女誘拐殺人事件」ですが、そこに家族、宗教、警察機構の問題が折り込まれていて、社会派小説の趣もあります。もちろん、帯に「仰天」という言葉が使われていることからわかるように、意外な結末が用意されており、分類するなら、やはり本格推理小説の部類に入れられるものなのでしょう。私は、最初から意外な結末になっているのだろうと思いながら読んでいましたので、「仰天」まではしませんでしたが、犯人は当てられませんでした。最後の謎解きを読みながら、まあそう言われればそうだなと9割ぐらい納得しましたが、なんでその人を犯人と思えなかったのだろうと再度チェックしてみたら、読者にミスリードさせる不正確な書き方がされているところを何カ所か見つけました。パズルのような推理小説においては、不正確なことを書くのはルール違反だと思うので、パーフェクトな推理小説とは言えないと思いますが、そうしたマイナスを差し引いても25歳でこれだけの文章力と知識を持っていることには脱帽します。すでに他にも何冊も文庫本が出ているようですので、アイデアも豊富な人なのでしょう。とりあえず、もっと読んでみたくはなりました。(2003.12.13)

71.石田衣良『池袋ウェストゲートパーク』文春文庫

最近人気が出てきている作家のようですが、実は知り合いに薦められるまで知らない作家でした。(一番のお薦めは「4teen」という作品だったのですが、まだ読んでいません。)社会学書でも同じなのですが、日本人のくせに、カタカナをいっぱい使いたがる人の本はあまり好きではないので、本をぱらぱら見たときは、「うーん、大丈夫かな」と思ったのですが、読んでみたら、意外にいけました。文体は、体言止めやカタカナや若者言葉を多用し、若者のポップな感じを意識的に出そうとしていますが、もともと1960年生まれで私と5歳しか違わない人ですから、本当に若い人がそのままの感性で書いた本ではなく、それほど違和感なく読めてしまいました。ストーリーは池袋に集まる若者たちの間に事件が起こり、それを主人公の少年がすべて解決してしまうというある種の推理小説です。一応の解決はしてくれるので、まあ納得できるのですが、幾分マンガ的かもしれません。気になったのが、主人公の少年が妙に物知りで、ちょっと「出来すぎ君」になりすぎているところです。良い子すぎて、登場人物としての魅力にはやや欠けるなと思いました。でも、読みやすい作品でしたので、続きも読んでみようかなと思っています。(2003.10.13)

70.ダニエル・キース(小尾芙佐訳)『アルジャーノンに花束を』早川書房

30年以上前に書かれた名作を初めて読みました。先日、たまたま夕方にTVをつけたら、ユースケ・サンタマリアが主演したドラマ「アルジャーノンに花束を」の再放送がやっていました。そこで、初めてこの物語のことを知りました。非常に興味深いストーリーだと思いましたので、早速本を探して読んでみました。やはり長く読み継がれるだけのことはありますね。知恵遅れ(もしかすると、差別語でしょうか?知的障害者というのでしょうか?)の青年が、外科手術の結果IQ180の知能を得るが、またしばらくすると再び知能が低下していくという過程を、その青年の心理に焦点を当てて一人称で語らせます。単純に知能が高ければ高いほど人は幸せになれるわけではないということを考えさせられます。それにしても、よくこんな心理が描けたなと思います。そして、訳者も実にうまいと感心させられる本です。(2003.10.5)

69.石原慎太郎『弟』幻冬社文庫

石原慎太郎が、衆議院議員をやめ政治活動を休止していた期間に、亡き弟・石原裕次郎について書いてベストセラーになった本です。若い人たちはもちろん、私の世代でも若き慎太郎・裕次郎兄弟がもっとも輝いていた時期は知らないのですが、彼らの登場は日本の戦後史を語る上では欠かせない出来事になっています。「太陽族ブーム」を生みだした現役大学生作家・石原慎太郎と、彼の作品で映画デビューし、日活映画の最盛期を作り出した俳優・石原裕次郎の登場は、暗い印象のあった「戦後」という時代に終止符を打つ象徴的な出来事と位置づけられます。私は、個人的にはこの2人にあまり魅力は感じないのですが、とりあえず彼らがどのような経緯でデビューするに至ったかを知りたくて、読んでみました。練った書き方ではなく、石原慎太郎が自分の記憶に頼って1人称で書いた本なので、客観的な状況が曖昧なところも多いのですが、それなりに興味深く読めました。特に、裕次郎という俳優がかなり破天荒な人間であったことは初めて知りました。現在のように、ワイドショーや写真週刊誌が発達した時代だったら、あっという間にマスコミの餌食にされ、役者としての社会的生命は早々と絶たれていたことでしょう。慎太郎の方は、本人が自画自賛気味に書いていますが、第3者から見て、彼にどのような魅力があったのかは、この本を読んでもわかりませんでした。作家としては、決して文章がうまいとは言えないと思います。有名政治家の兄貴が、惜しまれつつ亡くなった有名俳優であった弟のことを書いたから、売れた本であって、それ以下でもそれ以上でもない本です。(2003.9.4)

68.渡辺容子『左手に告げるなかれ』講談社文庫

関大前に「ブックオフ」ができたおかげで、これまで知らなかった新しい作家としばしば出会えるようになりました。文庫といえども、500円以上するのが当たり前になってきた昨今、新刊を購入する際には多少躊躇もし、未知の作家の本はあまり手に取らないことも多いのですが、1冊100円で買えるとなると、気楽に手を出し、チャレンジしてみることになります。「ブックオフ」の値段の付け方は、基本的に刊行されてから時間が経っていると、安くなるということらしく、100円だからつまらない本ばかりということではありません。1冊100円の本棚にもおもしろい本がしばしば見つかります。この本もそんな1冊でした。渡辺容子という作家も知らなかったのですが、1996年の「江戸川乱歩賞」受賞作ということだったので、それなりのレベルの本だろうと思い、購入しました。「江戸川乱歩賞」には、25年前くらいに一時はまっていて、当時文庫本として出ていた「乱歩賞」受賞作は片端から読みまくったことがあります。でも、推理小説ははまるとキリがないので、1年ぐらいでとりあえずやめました。その後は、「乱歩賞」受賞作ということで探して読むことはなくなったので、「乱歩賞」受賞作を読むのは、随分久しぶりかもしれません。(「乱歩賞」と気づかずに読んだ作品はあるかもしれませんが……。)

さて、この本ですが、なかなかよかったですよ。たぶん私より少し若いくらいの方ではないかと思いますが、しっかり心理描写のできる作家です。かつて少女小説を書いていたという過去を思い起こさせるような台詞回しの所もありますが、女性作家らしく女性の心理描写は細かいと思いました。(男性の方は、やはりちょっと違うかなと思うところも多いですが……。)ストーリーとしてはまあまあというところですが、小売業界を中心とした現代社会の一面が詳しく描かれており、社会派推理小説の一種と言えるでしょう。私は、猟奇的なものや、ただの謎解きだけの推理小説にはあまり興味がなく、社会に対する作家の見方がよく出ているようなものが好きなので、この作品は私の中では合格点をつけられると思いました。この作家の他の作品も読んでみようと思わせてくれる程度には良くできた作品でした。(2003.8.28)

67.松田十刻『東条英機――大日本帝国に殉じた男――』PHP文庫

今年も8月15日が過ぎました。今年は、小泉首相が春に靖国神社に行き、この時期には行かないことが決まっていたので、あまり話題になりませんでしたが、それでも何人かの大臣や知事が参拝し、「公人としての参拝ですか?」と聞かれていましたね。で、靖国神社の何が問題かと言えば、今や第2次世界大戦のA級戦犯が合祀されているという1点が問題なのでしょう。A級戦犯は結構たくさんいるのですが、多くの人は東条英機の名しか浮かばないというのが現実ではないでしょうか。そして、その東条英機とはどんな人生を生きた人だったのか、A級戦犯というのは本当に犯罪人と言えるのかどうかまで勉強した人となると、一体どのくらいいるのでしょうか。批判する人もそうでない人も、日本の歴史に名を残すこの人物の伝記を読んでみるべきだと思います。東条英機に関する本はたくさんありますが、この本は比較的冷静に東条英機という人物とその時代を見つめていて、読みやすいものだと思います。日本という国はどんな時代を経て来たのか、最低限のことは知っておいてほしいものです。(2003.8.17)

66.倉本聰『北の国から(前)(後)』理論社

言わずと知れた名作ドラマ「北の国から」が連続ドラマとしてやっていたときの脚本本です。1982年の本ですが、先日「ブックオフ」で1冊100円で売っていたので、思わず買って読んでみましたが、やはり感動しました。連続ドラマ終了後、単発ドラマとして、1〜2年に1回ぐらい放送したものはすべて見たのですが、この連続ドラマ時代は見ておらず、総集編等でその一部を見ていただけでしたので、今回初めて通しで脚本を読み、改めて連続ドラマも借りてきて見ようという意を強くしました。映像の美しさ、演出の巧みさ、俳優たちの演技のすばらしさももちろん大きな要素だと思いますが、やはりこの脚本あっての「北の国から」でしょう。倉本聰はしみじみすごい作家だと思いました。(2003.7.24)

65.中村彰彦『烈士と呼ばれる男――森田必勝の物語――』文春文庫

三島由紀夫という小説家を知っていますか?生きていたら、ノーベル文学賞をきっともらっただろうと言われる国際的評価の高い作家です。彼は19701125日に死にました。自衛隊に決起を求め、実らず割腹自殺(要するに切腹)をしました。有名な事件ですから、若い人でも知っている人は多いと思います。その時に、森田必勝という25歳の青年が一緒に割腹自殺をしたことは、若い人はほとんど知らないでしょう。かく言う私も、若者がひとり一緒に死んだことは覚えていても、彼の名前は忘れていました。書店をのぞいていたら、この本が目に入り、「そうだ、森田必勝という青年だった」と思い出しました。三島由紀夫の陰に隠れてしまっていましたが、一体なぜ彼は三島とともに死ぬことを選んだのだろうと興味が湧き、購入し読んでみました。いくつか意外なことがわかりました。著者の解釈がたぶんに入り込んでいるとは思いますが、どうも一般に「三島事件」と呼ばれるこの事件は、この森田必勝という青年のペースに三島由紀夫が巻き込まれた事件なのかもしれないということがもっとも大きな発見でした。この本の著者は、実はこの事件は「森田事件」と言ってもいいのかもしれないとまで書いています。では、その森田必勝という青年に三島由紀夫という大作家を動かすどんな思想があったのかと言えば、たいしたものは何もないと言わざるをえません。その生い立ち、生きた人生を著者は丁寧に追っていますが、そこには弁舌や知識で人を引っ張る魅力はまったく描かれていません。ただあるとすれば、たとえそれが死であろうと、何も考えずに一途に目的に向かって邁進する単純さだけです。でも、たぶん、三島由紀夫という人は、この若者の単純さが好きだったのではないかと思います。三島がホモセクシュアルだったことは有名な話ですが、この本を読みながら、「三島事件」はもしかしたら「心中事件」だったのかもしれないという考えが、私の中にふつふつと湧いてきてしまいました。1970年という時代の記憶を持っていない人にとっては、あまりおもしろい本ではないと思いますが、こんな人もいたのだということだけでも知っておいてもらえればと思います。(2003.7.15)

64.高木俊朗『特攻基地・知覧』角川文庫

先日知覧に行く機会があり、改めて特攻隊のことを考えてみたくなり、数冊の本を買い読みました。その中でやはり、すでに古典としての評価すらあるこの高木俊朗のノンフィクションが圧倒的に読みごたえがありました。特攻隊員を単純に美化するわけでもなく、特攻隊員と彼らを取り囲む人々の思いがしっかり描き出されています。特攻隊への志願はすべて自発的な意思だったのか、確実に死ななければいけない任務遂行を命じられた若者たちはどのような気持ちで最後の日々を過ごしたのか、様々な理由で任務を遂行しきれなかった隊員がどのような扱いを受けたのか、生き残った特攻隊員の戦後、特攻基地から連合軍の進駐地となった知覧の戦後、どのエピソードも深く受け止めなければならないものばかりです。何も深く考えず漠然と幸せに生きている人たちに、ぜひ1度は読んでもらいたい本です。こういう歴史があって今の日本があるんだということを、日本の歴史教育はきちんと伝えるべきだと思います。「知覧」と黒板に書いて、100人ぐらいの大学生たちに「この町を知っていますか?なんと読むかわかりますか?」と聞いたところ、笑いながら「しら〜ん!」と答える学生が少なからずおり、知っているという学生は1人しかいませんでした。おかしくないですか、日本の教育。右だ、左だなんて関係なく、戦争についてきちんと学ぶ必要があるのではないですか。「戦争はよくない」、「日本は昔悪いことをしたらしい」と思うだけで、思考を停止させ、知識を持とうともしなければ、本当に危険な国際情勢になってきたときに、戦争を止めることはできないと思います。影響力のあるマンガ家が、特攻隊賛美論を描けばそのまま全面的に信じてしまう者も出てきます。戦争や軍隊について考えることをタブーとせずに真摯な気持ちで学んでこそ、戦争とはどういうものなのか、どうしたら戦争を回避する戦略を具体的に立てられるのかについても考えられるはずです。無知な者ばかりの社会になればきっと同じ失敗を引き起こすでしょう。ちなみに「知覧」は「ちらん」と読みます。鹿児島県南西部の薩摩半島にある町です。覚えておいてください。そして、なぜここが特攻隊の基地になったのか、どこに向かって飛び立ったのかぐらいは自分で調べてみてください。ついでに「鹿屋」という町も調べてみてください。(2003.7.12)

63.養老孟司『バカの壁』新潮社

タイトルの『バカの壁』という高慢な言い方が気に入らなくて、売れていると聞いてはいましたが、あまり読みたくない本だなと思っていました。しかし、ちょっと時間があって書店に立ち寄ったらあまりにたくさん平積みされていたので、つい手に取ってぱらぱらと読み始めたら、結構まともなことを言っていると思い、結局買って読んでしまいました。著者がしゃべったことを、出版社の方で文章化したという本なので、科学者の緻密な論理などそこにはまったくありませんが、ディテールにこだわらなければ、著者の主張には納得できることが多いです。いくつかあげてみます。「現代社会において、本当に存分に『個性』を発揮している人が出てきたら、そんな人は精神病院に入れられてしまう」、「若い人には個性的であれなんていうふうに言わないで、人の気持ちがわかるようになれというべき」、「社会的に頭がいいというのは、多くの場合、結局、バランスが取れていて、社会的適応が色々な局面で出来る、ということ。逆に、何かひとつのことに秀でている天才が社会的には迷惑な人である」、「そもそも教育というのは本来、自分自身が生きていることに夢を持っている教師じゃないと出来ないはず。突き詰めて言えば、『おまえたち、俺を見習え』という話」、「食欲とか性欲というのは、いったん満たされれば、とりあえず消えてしまう。ところが、人間の脳が大きくなり、偉くなったものだから、ある種の欲は際限がないものになった。金についての欲がその典型」。いかがですか。私が「つらつら通信」に書いていることに似ていると思いませんか。養老孟司という人はテレビなどで見る限りうるさそうなおじさんだなとあまり好印象は持っていませんでしたが、この本を読んで少し見方が変わりました。結局、医学を勉強しようと、社会学を勉強しようと、イデオロギーや時代の風潮に流されずに、自分の中で腑に落ちることのみを信じ、語っていこうと思うと、同じ様な見方になるようです。人生論としても教育論としても生き方探しの本としても読めるかもしれません。ただ、荒っぽい本ですので、その点はご了解の上、お読み下さい。(2003.6.22)

62.西木正明『夢顔さんによろしく(上)(下)』文春文庫

久しぶりに傑作に出会いました。見事な本です。近衛文麿の長男で、細川護煕の伯父にあたる近衛文隆の生涯を丁寧に追いかけ、それを小説形式で読ませてくれます。著者は、こうしたジャンルを「ノンフィクション・ノヴェル」と名付けていますが、実におもしろい試みです。もちろん、司馬遼太郎の歴史小説も、歴史的事実をもとに小説仕立てにしてあるので、同じジャンルのものと分類することもできるわけですが、戦国時代や幕末というと、かなり時代が離れており、小説に登場する人物はすべて過去の歴史上の人物になっていますので、話をかなり創作することができ「ノンフィクション」としての性格は弱くなります。ところが、この本では昭和30年代まで扱っていますので、この本に実名で登場してくる人々で生きている人はたくさんいます。こういう条件のもとでは、作家はあまり勝手な創作はできなくなるので、嫌でも事実に基づく「ノンフィクション」としての性格は強くならざるをえなくなり、読み物としての魅力は削がれるのが普通です。ところが、この本はめちゃくちゃおもしろいのです。青春恋愛小説の趣もあれば、ハードボイルド小説としての面もあり、政治小説としても読めれば、最後は推理小説の楽しみも味わえるという一石二鳥どころか四鳥も五鳥も得られるおいしい本です。近衛文隆という人が破天荒な性格で、その人生が実にドラマティックだったということも幸いしたとは思いますが、これだけの作品に仕上げられる作家の力量にも感服するばかりです。西木正明という作家を今まで知らなかったことを恥じ入るばかりです。(2003.5.25)

61.真保裕一『ボーダーライン』集英社文庫

この小説は、いわゆる「ハードボイルド小説」です。私は、あまりこの手の小説に興味がないのですが、真保裕一の小説を読んでみようと思ってまとめ買いをした時に、これも買っておいたものです。最近ようやく読みました。真保裕一はこれで3冊目ですが、今のところこの小説が一番ましだと思います。人種問題、家族問題など、社会的テーマがそれほど無理なく織り込まれています。また、人物造形も、この小説は悪くないです。主人公やその善意の友人たちもまあまあですが、悪の権化のような存在の人物がうまく描けています。悪者っぽい悪者でない人物が、実はもっとも恐ろしい人間だというのは、心胆を寒からしめます。しかし、この発想は作家が独自で思いついたものというより、たぶん「神戸連続児童殺傷事件」がヒントになっているのではないかという気がします。舞台はアメリカ、設定もまったく違いますが、「イノセントな悪」とでも呼べるような精神の持ち主の造形は、現実の事件から得られたのではないでしょうか。(2003.5.5)

60.貴志祐介『青の炎』角川文庫

また映画の原作本です。本をじっくり探しに行く暇がない人間が、ふらっと書店に立ち寄った時に目につくのが、こういう本なんですね。映画とタイアップして本を売ろうという書店の戦略通りの行動をする単純なお客です。それでも、一応は、本の裏表紙等に書かれている簡単な紹介を読み、この本はいけるのではと判断して買っているつもりです。この『青の炎』という本には、「日本ミステリー史に残る感動の名作」って書いてあったので、それなりにおもしろいだろうと思って買ったのですが……。読み終わった今、「JARO」に誇大広告として訴えてもいいのではないかと思っています。この本の特徴は、綿密な殺人計画を主人公の高校生が立てていくところにあります。最初から犯人がわかっており、その人物が自らの犯罪計画を準備し実行した後、今度は警察や探偵にその計画の不備を明らかされ、追いつめられていくという順序で話が進行する推理小説を「倒叙型ミステリー」と呼ぶそうですが、この小説はまさにその形式を取っています。松本清張もこの「倒叙型ミステリー」が好きだったそうですが、それはこの形式を取ると、犯罪者の心理が克明に描けるからだったそうです。この『青の炎』でも、主人公の高校生の心理状態は描かれていますが、あまり深みはないですね。軽い青春小説で描かれる心理とたいして変わりがないように思いました。この著者は、はっきり言ってキャラクターの造形が下手です。主人公の同級生の女の子と主人公の妹の性格の違いなんてほとんどないようなものだし、友人たちも印象に残らず、十把一絡げという感じです。この著者は、執筆のエネルギーを、性格や心理を深く描くことにおいていたのではなく、殺人計画を緻密に立てることにおいていたのだと思います。ある種の「おたく小説」とも言えると思いますので、そういうディテールが好きな人ならおもしろく読めるかもしれません。しかし、そんなディテールに興味のない、ストーリー読みの私にとって、この本はほとんど読む価値のない本でした。最初から最後まで、読者が気持ちよく裏切られるところがまったくなく、何のひねりもないじゃないか!と言いたくなってしまいました。タイトルの「青の炎」もたいした意味はなく、「赤の炎」でも「黄の炎」でも何でもよかったんじゃないかと思ってしまいました。この本を読み終わって、映画を見に行く気はまったくなくなってしまいました。大衆受けしなければいけない映画ですから、殺人計画のディテールよりは、ストーリーを楽しませるように作ってあるのではないかとは思うのですが……。ただ、監督を務めた蜷川幸夫の演出もあまり好きではないので、この映画はパスしておこうと思っています。(2003.4.19)

59.梶尾真治『黄泉がえり』新潮文庫

現在公開されている映画の原作本です。まだ映画は見ていないのですが、死んだ人間が蘇るという発想の奇抜さにひかれて読んでみましたが、なかなか心温まる小説でした。「泣けるSFホラー小説」と紹介されていましたが、泣けはしませんでしたが、グロテスクなホラー小説でないことだけは確かです。この作家のことは今まで全く知りませんでしたが、この小説を読む限り、自分の郷里を愛する清潔な好人物なのだろうと思います。登場人物にほとんど悪人がいません。もしも本当に死んだ人間が生き返ったら、それを望んでいた人は喜ぶとしても、周りは迷惑に思う人の方が多いのではないかと思うのですが、この小説に出てくる人たちは一時的に困惑しますが、それほど時間を経ずしてみんな蘇った人たちを心から受け入れます。善人ばかりでできた社会です。それなりに読める小説ですが、強烈な読後感を残さないのは、個々の登場人物が聖人君子すぎて人間味が足りず、手に汗握るような緊張感のある場面がほとんど書かれていないからではないかと思います。まあまあの作品といったところでしょう。(2003.3.10)

58.松田忠徳『温泉教授の温泉ゼミナール』光文社新書

本の帯に書いてある宣伝文句なんてほとんどは「誇大広告」のようなものですが、この本の帯に書いてある「この本を読むと、温泉の見方、選び方が180度変わります」という文は、読み終わった後で納得してしまいました。タイトルの付け方が軽くて、一見すると中身のなさそうな本ですが、4300もの温泉を巡り、たぶん全国の大学で唯一の「温泉文化論」という講義を行っている方だけのことはあるなと感心しました。特に、第1章の「温泉の危機」で書かれている内容を読むと、安易に温泉に入るのが怖くなってくるぐらいです。最近新たに作られた温泉施設の中には、循環湯という仕組みを使い、同じ湯を何回も循環させ、浴槽すらめったに洗浄しないというところが少なくないそうです。結果として、レジオネラ菌が発生し死亡する人が出たり、それを怖れて多量の塩素を投入したことにより肌荒れを起こす人が出たりしているそうです。「美人の湯」と言えば、ぬめりが多い湯というのが相場ですが、それも人の脂分が溶け込んでのものである可能性も高いと聞くと、ぞっとしてきませんか。もちろん、この本は温泉が良くないということを指摘した本ではありません。本物の温泉とそうでない温泉を見極める目をしっかり持ってほしいと著者は訴えているのです。そうでないと、日本特有のすばらしい「温泉文化」も滅びてしまうというわけです。私も温泉地に行くことが時々ありますが、今までは温泉地の町としての風情や料理などの方に重点を置いていましたが、これからは温泉の質やどんなシステムで湯を入れているのかなども気にしていこうと思いました。(2003.2.26)

57.早乙女貢『新編 実録・宮本武蔵』PHP文庫

今年は、NHKの大河ドラマで宮本武蔵が取り上げられているので、どこの書店でも、宮本武蔵関連の書籍がたくさん並んでいます。宮本武蔵に関しては、今回のドラマでも原作になっていますが、吉川英治の作り出した武蔵像のイメージが強烈で、本来の武蔵はどんな人物だったのかがよくわからなくなっています。そこで、この本を買って読んでみたのですが、なかなかおもしろかったです。もしかしたら、作者の早乙女貢は武蔵が嫌いなんじゃないかと思うほど、偶像視されている武蔵像を徹底的に壊していきます。二刀流なんてありえないし(これは私も賛成です)、60幾度かの勝負はして勝ったかもしれないが、ほとんど弱い相手ばかりだったに違いないし、戦い方も堂々たるものというよりは、卑怯と呼ばれてもおかしくないような戦術を駆使してのものだったに違いないといった調子です。吉川英治をはじめとしてこれまでの物語で作られてきた武蔵像は、武蔵が自分で書いた『五輪書』や、弟子が書いた『二天記』などを出典としているわけですが、早乙女貢は、自分や弟子によって後年に書かれた資料では、実体よりかなり美化している可能性があるので、そうした資料に頼るより当時の時代状況や、客観的事実として表れた武蔵の仕官失敗等から考察を行い、武蔵は世間で喧伝されるほどの剣豪ではなかったのではないかという主張を展開しています。本格的な研究書として書かれたものではないので、江戸時代の強豪大関だった雷電為右衛門が横綱だったなどという間違った知識もさらけだしていますが、全体としてはそれなりに説得力があると思いました。(2003.1.26)

56.真保裕一『奇跡の人』新潮文庫

最近、私が、東野圭吾にはまっていることは、このコーナーをよく読んでいる方ならおわかりだと思いますが、彼と並んでよく紹介されているのが、真保裕一です。東野圭吾の『天空の蜂』がおもしろいと思った人は、次はぜひ真保裕一の『ホワイトアウト』を読んでみてほしいとどこかで紹介されていたので、映画化もされた小説だし、それなりにおもしろいのだろうと思って、まずは『ホワイトアウト』から読んでみました。ところが、これがかなりの期待はずれで、読むことは読みましたが、もう真保裕一はやめておこうかなと気にすらなりました。しかし、『ホワイトアウト』を買ったときに、一緒に『奇跡の人』も買ってしまっていましたし、ちょっと雰囲気が違いそうなので、とりあえずもう1冊は読んでみようと思い、こちらも読み始めました。比較すれば、この『奇跡の人』の方がかなりましです。交通事故を起こし、一時は植物人間状態になりかけた主人公が意識を取り戻し、「奇跡の人」とよばれるほどの回復を示します。しかし、植物人間になりかけた段階で、脳が一度白紙状態に戻ってしまったため、事故以前の記憶がすべてなくっており、それは一時的な記憶喪失といったものではなく、回復する見込みの全くないものなのです。新たな人生を始めればいいんだよと周りからアドバイスをされるのですが、主人公はどうしても事故以前の自分がどんな人間で、どんな生活をしていたかが知りたくて、過去の自分探しを始めるわけです。そして、その結果わかった自分は…………、といったストーリーです。なかなかおもしろそうなテーマ設定でしょ?私も読みながら、これは、最近必死になって「自分探し」という名の、本来の自分とはどういう人間なのかをあまり考えずに、前のみ見て進もうとする若い人たちに、本当の「自分探し」とはまずは過去の自分をしっかり踏まえるところから始まるんだよ、ということが伝えられる警告の書にもなるかなと思っていました。しかし、最後まで読んでみると、結局忘れていた方がよい過去もあるという気になってしまうので、あまり警告の書としての意味はないなと思いました。まあ、警告の書のつもりで書いてはいないでしょうから、そんなことは小説自体の出来不出来とは直接関係のないものと考えてよいと思いますが、それを離れても、この小説の後半から結末の展開は、正直に言って、前半の期待感からするとかなり物足りないです。『ホワイトアウト』の時にも感じたことですが、この作者は同じパターンで話を引っ張るだけ引っ張ろうとします。読者からすると、無駄な時間を費やさせられている気持ちになり、実にいらいらします。これだけ引っ張っておいて、結局、なんだ、その程度の過去だったんだ、ならばそこまでしてみんなで隠す必要があったのか、またどうして古い新聞記事とかに当たらないんだあ?当たっていればすぐわかる過去じゃないかあ?おかしいよ、とまったく納得が行きませんでした。もっとも気にくわなかったのは、最後の終わらせ方です。そんな終わらせ方では、何のための「自分探し」だったんだ?意味がないじゃないか?と思いきり失望しました。アイデアはあるけれど、それを見事に小説に結実させる構成力が、残念ながらこの作家にはありません。物語に説得力を持たせる専門知識も物足りないし、物語にふくらみをつける魅力的な登場人物も作れません。東野圭吾とは月とスッポンでした。まあでも、古本屋で買って読むぐらいの価値はあるかもしれません。(2003.1.26)

55.藤沢周平原作・山田洋次監督『たそがれ清兵衛』(2002年・松竹映画)

昨年数々の映画賞を取った映画でずっと見たいなと思っていたのですが、ようやく見ることができました。評判通り素晴らしい映画でした。主演の真田広之はもともとアクション俳優だっただけあって殺陣が見事に決まっています。ひとつひとつの所作の腰が据わっていて、実にきれいです。助演の宮沢りえがまたすばらしいです。彼女は女優としてどんどん成長しています。ドラマ『北の国から』も、純君が結ばれる相手は、内田有紀ではなく、宮沢りえが演じていた「しゅう」であるべきだと私は思ったのですが……。話が横道にそれました。戻します。『たそがれ清兵衛』の最大のすばらしさは、やはり監督の山田洋次の計算された演出でしょう。丁寧な時代考証に基づくその映像は見事の一言です。幕末の下級武士一家の生活はこんな感じだったのだろうなと容易に想像できます。その生活はまさに庶民の生活と言えるもので、山田洋次らしい作品です。私は個人的には、幼い娘2人がアップで映った場面が強く印象に残っています。目立つ場面ではないのですが、その映像は一瞬レンブラントの絵を見ているような気にさせられます。とにかく素晴らしい映画ですので、機会があったらぜひ見てください。(2003.1.20)

54.川端要壽『下足番になった横綱――奇人横綱 男女ノ川――』小学館文庫

私が隠れた相撲通であることは、「つらつら通信」62号にも書きましたが、子どもの時から気になっていた力士のひとりがこの本の主役、男女ノ川です。昭和初期に現役だった弱い横綱なのですが、慎重195cm、体重150kg近い体格は当時の相撲取りの中では、飛び抜けて巨漢でした。また、容貌魁偉で、一度写真を見たらしっかり脳裏に焼き付く人でした。しこ名も「男女ノ川」と書いて「みなのがわ」と読むのですが、子どもでも印象に残る名前でした。さて、この本はその横綱男女ノ川の生涯を丁寧に追いかけて書かれた読みごたえのある本です。現役時代のエピソードもなかなかおもしろいのですが、引退後の人生が波瀾万丈で、すごいです。工場の体育教官、衆議院選挙に立候補(もちろん落選)、私立探偵、小間物屋、料理屋、金融会社のサラリーマン、保険外交員、映画俳優、そして養老院での生活を経て、最後は下足番です。でも、決して暗い悲惨な人生という感じはしません。著者の書き方がうまいのかもしれませんが、本人がどの役割も楽しんでやっていたような印象を受けました。むしろ、一番楽しんでいなかったのが、相撲取りという職業だった感じがします。本を読み終えて、この元横綱に会ってみたかったなという気になりました。(もう30年以上前に亡くなっていますので会えませんが。)そう言えば、千代の富士が横綱を張っていた時に彗星のように現れて、あっという間に横綱に駆け上がったものの、素行が悪く実質的にクビになった双羽黒という元横綱は、今は何をしているのでしょうか。相撲界の「新人類」と呼ばれた彼ももう40歳前後のはずです。一時は本名の北尾という名でプロレスをやっていたと思うのですが、最近はとんと噂を聞きませんね。まだプロレスをやっているのでしょうか。男女ノ川と違ってあまり愛される性格ではなかったので、楽しい人生を送っていそうな感じはしませんが。いずれにしろ、頂点を極めた相撲取りも、相撲の世界以外ではなかなか生きにくそうですね。(2003.1.13)

53.鈴木洋史『百年目の帰郷――王貞治と父・仕福――』小学館文庫

私は大の「長島ファン」なので、正直言って王さんには、それほど興味がありません。ただ、王さんのお父さんが中国のどこから来たのか、王さんが日本に帰化しないのはどうしてなのかと前々から素朴な疑問をいくつか持っていたので、読んでみました。期待通り、王仕福氏が中国のどこからやってきたのかはわかりましたし、王さんが帰化しない理由もそれなりにわかる気がしました。しかし、「第5回21世紀国際ノンフィクション大賞」を取った本というわりには、文章は緊張感がありませんし、作家自身が自らの調査結果に妙に1人で酔いすぎていて、読者としては冷めてしまうところがあります。また、作家本人が酔っているほどに、このルポルタージュは、王家の核心にまで踏み込めているかというと、とうていそうは言えないように思います。中国と台湾という複雑な政治問題がからむせいなのか、王家の人々の口はあまりに重く、核心的な発言を何も引き出せていません。結局は表面的な調査と、それに基づく作家による推量ですべてが書かれてしまっている本とも言えます。しかし、酷評しているように聞こえるかもしれませんが、そんなにひどい本ではないので、一読の価値はあると思います。読みながら、迷宮入りしつつある王さんの奥さんの遺骨盗難問題を考えていました。もしかしたら、あの盗難事件にも複雑な政治的な事情がからむのだろうかと。有名人自身の遺骨ならともかく、その奥さんの遺骨ですからね。一体、いかなる動機で盗んだんでしょうか。(2003.1.13)

52.青柳恵介『風の男 白州次郎』新潮文庫

この本もあまりおもしろい本ではありません。もともと私家版として作られた本なので、全体の構成がきちんと練られていませんし、文章もうまいとは言い難い本です。にもかかわらず、ここで取り上げてみようと思ったのは、白州次郎という人物がなかなか興味深かったので、こんな人物もいたのだということを知らせたかったからです。白州次郎は1902年に芦屋に生まれたお坊ちゃんです。青年時代にイギリスで長く暮らし、英語に堪能であったため、戦後すぐから吉田茂の懐刀として、GHQとの交渉を中心として政財界の根回しに活躍した人物です。特に、日本国憲法の制定にあたっては、大車輪の活躍をしたようです。もちろん、同程度に重要な役割を果たした人物は他にもいますので、それだけならあまりここで取り上げるほどの価値はないのですが、実は彼は、身長が180cm以上もあり顔も実に男前だという点で他の人と大きな違いを持っています。この本には写真が多く載せられていますが、白州は、西洋人とまったく対等、場合によっては彼らを凌駕するほどの外見をもって登場しています。写真を見たら、きっと今でも惚れる女性がたくさん出てくると思います。性格も「風の男」と著者が名付けたくなったように、実にさわやかで、はっきりものの言える人物だったそうです。どうですか、ちょっと関心が湧きませんか?買う必要はないと思いますが、どこかで一度ぱらぱら立ち読みでもしてみてください。(2002.10.27)

51.宮部みゆき『理由』朝日文庫

私はこの作品は、単行本で出版された時から、ずっと読みたいと思っていました。ちょうどその頃『火車』を読み終えたところで、宮部みゆきってなんてうまい小説家なんだ。その宮部みゆきが直木賞をもらった作品なのだから、どれほどおもしろい作品なのだろうとおおいに期待していました。よほど単行本を買おうかとも思ったのですが、小説は持ち運びやすさ、その後の保管のしやすさから、文庫本になってから買うというのが、私が自分に課しているルールなので、このときもこのルールに従ってあえて我慢をしました。それほど楽しみにしていた『理由』がついに文庫本になったのですから、もちろんすぐに購入したわけです。で、読んでみてどうだったかというと、この程度のものだったんだというのが率直な感想です。『蒲生邸事件』を読んだときにも、ちょっと肩すかしを喰った感じがしましたが、これも食い足りない小説です。読み終わった後に、感動が残りません。いろいろ文句をつけたいことがあります。まず第1に、書き手の視点がよくわからないということです。名前なきルポライターがまとめた事件関係者のインタビュー記録のような書き方が中心になっていますが、はじめの方にはあきらかに小説家自身の存在もちらついています。そうなると、この名無しのルポライターは誰なのか、どういうポジションで話を聞いているのか、妙に気になって仕方がありません。次に、たくさんの人物を出しすぎており、それが物語全体の印象を拡散させてしまっています。確かに実際の事件では、この小説で登場するようなほんのちょっとだけ関係してくる人々がたくさん存在し、作家はそうした現実の事件に近い形で小説を書いてみようと意識的にやったのかもしれません。だとしたら、狙いは見事にはずれていると私は言いたいと思います。私は――たぶん多くの読者も――、小説には現実と異なったすっきりした結論を求めています。拡散したまま終わってしまうのではなく、最後には伏線がきちんと説明され、登場人物の関係が整理される収斂型の作品を求めています。それを下手にやると、「なんだ、これは?マンガみたいだな」ということになるのです(宮部みゆきの作品では『魔術はささやく』や『レベル7』はそれに近い感想を持ちました)が、だからといって、「現実はこんなものよ」とばかりに、すっきりした説明を一切してくれないと、欲求不満を感じます。最後に、この作品の主題は一体なんだったのだろうという根本的な疑問が残りました。物質としての家と非物質としての家族をめぐる思いを描きたかったのだろうとは思いますが、それほど強く訴えてくるほどのものではありません。『火車』で味をしめた社会派小説としての要素をこの作品でも入れていますが、『火車』ほどにそれをメインテーマにしきれていません。さらに、『理由』というタイトルをどうしてつけたのかも、最後までピンと来ませんでした。せいぜい、それぞれの登場人物がなんらかの「理由」を抱えて逃亡したり、占有屋になったりしているということなのかなとも思いますが、その程度のことなら、どんな小説でも「理由」というタイトルにできるでしょう。以上の「理由」から、この作品は駄作であるというのが私の結論です。(2002.9.11)

50.澤井信一郎監督『Wの悲劇』(1984年・角川映画)

劇場公開以来、18年ぶりに『Wの悲劇』を見ました。薬師丸ひろ子主演の映画です。若い学生諸君は見ていない人が多いでしょうね。しばらく前から久しぶりに見たいなあと思って、レンタルビデオ店で捜していたのですが、見つからず半分あきらめていたところ、たまたま深夜のテレビで放映してくれました。薬師丸ひろ子は、13歳ぐらいのときに『野性の証明』でデビューして以来、角川映画の秘蔵っ子として、『セーラー服と機関銃』や『探偵物語』など数多くの映画に主演しましたが、私はこの『Wの悲劇』が彼女の映画としては、最高傑作だと思っています。20歳の薬師丸ひろ子は、初々しさを持っているのに女優としての演技力も十分に発揮しています。他の場面のディテールは忘れていたところも多かったのですが、最後のシーンで見せる彼女の泣き笑いの顔は18年間ずっと脳裏に焼き付いていました。助演の三田佳子がまたうまいのです。こちらはまさに大女優の風格です。脚本もよくできています。夏樹静子の原作小説をそのまま映画化するのではなく、劇中劇として取り込み、そこで生じる事件と映画の中の現実で生じる事件をダブらせることによって、劇中劇の台詞が2重の意味合いを持つように仕組まれています。非常に凝った作りです。また、舞台での演技と映画での演技の違いというのも味わうことができるのも、もうひとつの楽しみ方と言えるでしょう。いずれにしろ、日本映画の名作のひとつにあげてもいいと思います。機会があったら、ぜひ見てみて下さい。(2002.8.31)

49.(映画)ジョン・タートルトープ監督『あなたが寝てる間に……』(1995年・アメリカ)

久しぶりに映画紹介。このコーナーでこれまで取り上げてきたのは邦画ばかりだったので、今日は洋画、それも恋愛映画を取り上げてみます。この『あなたが寝てる間に……』という作品は若い人の方がよく知っているのではないかと思いますが、サンドラ・ブロック主演のハートフルな恋愛映画です。疲れていたので気楽に映画でも見ようかなと思って見始めたのですが、なかなかよかったです。まあ、よくある軽い恋愛映画のひとつだとも言えますが……。サンドラ・ブロックって、『スピード』という映画から知ったせいか、かなり強い女性のイメージがあったのですが、この映画ではかわいい女性を演じていて魅力的です。こういうタイプの恋愛映画は女性向けなのでしょうが、私は結構昔から好きです。ついでだから、私のお薦めの恋愛映画をいくつかあげておきましょう。まあ恋愛映画なんてものはどれだけ思い入れを持って見られるかによって評価は変わりますので、単に私の好きな恋愛映画ということになってしまいますが……。まずは『ローマの休日』。これは説明する必要もないですね。あの映画のオードリ・ヘップバーンこそ最高の女性だと主張する人は世の中にたくさんいます。次に『小さな恋のメロディ』。これももう30年以上前の作品ですが、知る人ぞ知る私の思い出の映画です。ビージーズのきれいなメロディと幼い恋心が心地よい作品です。それから、『ゴースト』も好きですね。デミ・ムーアはあの作品ではものすごくかわいかったですよね。音楽もいいですしね。最近では、『ノッティング・ヒルの恋人』でしょうか。ちょうどイギリスにいたときに見たので、特に印象が強いような気がしますが、たくさん恋愛映画に出ているジュリア・ロバーツですが、『ノッティング・ヒルの恋人』が一番魅力的な気がします。他にも、たくさん恋愛映画はありますし、歴史映画やアクション映画のジャンルに入れられるものの中でも恋愛映画と言ってよさそうなものもたくさんありますが、とりあえず、いわゆる「恋愛映画」と呼ばれるようなものの中から、ぱっと思いついたものだけあげてみました。それにしても、恋愛映画について語るというのは、好きな女性のタイプを語るようなものですね。でも、結構ばらばらかな?(2002.8.22)

48.東野圭吾『白夜行』集英社文庫

47.東野圭吾『天空の蜂』講談社文庫

45で『秘密』を紹介したばかりなのに、また東野圭吾です。それも2冊まとめて。こんなに短期間に同じ作家の小説を何冊も紹介するのは、このコーナーの趣旨に反するのですが、あまりにおもしろかったので、どうしても紹介したくなりました。『秘密』も含めて3冊とも全く異なる小説です。『白夜行』は19年もの時間とともに大河ドラマのように展開する推理小説、『天空の蜂』の方は、わずか10時間の息詰まるようなクライシス小説です。前者は854頁、後者は622頁もあります。しかし、どちらも一気に読ませます。これだけ長いのに、無駄なことが書かれている感じがほとんどしません。実によく計算されています。元技術者だけあって、理系の知識がふんだんに出てくるのですが、その難しいはずの理系の知識が私のような文系人間にもそれなりに理解できるレベルで利用されているのには、しみじみ感心してしまいます。事件を起こす人間にはそうせざるをえない動機があり、最後まで読むと納得が行くようにできています。最近現実社会で実際に起こる事件の動機の薄っぺらさとは対照的です。『白夜行』には、1973年からの19年間の時代の空気がしっかり書き込まれているので、この時代の記憶を持っている人は、そうした空気を楽しむこともできると思います。『天空の蜂』の方は、原発問題という大きな社会問題についても考えさせる社会派小説と言えるかもしれません。この作品はいずれきっと映画化されるでしょう。しっかりお金をかけて作ったら、世界に通用する作品にすらなりうるストーリーだと思います。とりあえず、どちらか1冊読んでみたいなら、男性には『天空の蜂』を、女性には『白夜行』をお薦めしておきます。(2002.8.19)

46.佐藤昭子『決定版 私の田中角栄日記』新潮文庫

田中真紀子が議員をやめましたが、この機会に父親の田中角栄について書かれた本を読むというのはいかがでしょうか?著者は、田中角栄の講演会組織である「越山会」の金庫番を長年にわたって務めた秘書であり、愛人であった人です。彼女は、角栄との間に娘をひとりもうけています。ちなみに、田中角栄には他にも子をなした間柄の女性がいます。そこには、息子が2人いて、角栄はかなりかわいがっていたそうですが、真紀子がこうした腹違いの妹や弟たちを徹底して排除してきたため、彼らの存在は一般にはあまり知られていません。決してうまい文章ではありませんが、ある意味では田中真紀子などよりもはるかに角栄に近いところにいた人物の証言ですので、資料として価値があると思います。田中角栄という人物にほれきった女性が書いたものなので、少しよく書かれすぎていると思いますが、死後も愛人からこれだけ賞賛してもらえる男というのは、それなりに魅力的だったんだろうなあと思わざるをえません。真紀子が持っていない魅力を角栄は持っていたんだということが確認できる本です。(2002.8.16)

45.東野圭吾『秘密』文春文庫

おもしろい小説です。読み始めたら、たぶん誰でも最後まで一気に読みたくなると思います。今頃何を言っているのですか、有名な小説ですよ、と若い人たちからお叱りを受けるかもしれませんね。1998年度のベストミステリーに選ばれた作品で、すぐに映画化もされましたので、知っている人も多いと思います。知らなかったという人は、幸せです。ぜひ映画からではなく、この本の方から読んでみてください。実は、私は映画の方はすでに見てしまっていたので、どういう展開をしていくのだろうか、どういうエンディングが待っているのだろうかという楽しみを最初から持てずに読むことになりました。それでも、十分おもしろかったのですが、もしもストーリー展開をまったく知らずに、この本を読んでいたら、どれほどはまっただろうと思うと、もったいないことをしたなと思います。殺人も犯罪も出てこないのですが、確かにこれは良質のミステリー小説でしょう。娘を持つ父親としては(もしかしたら、娘の立場からも)、ちょっと心理的に抵抗感のある部分もあるのですが、設定のおもしろさがすべてに勝ります。絶対に買って読んで損のない小説です。(2002.7.21)

44.折目博子『虚空 稲垣足穂』六興出版

このHPを読んでいる人で、折目博子という作家を知っている人はほとんどいないでしょう。実のところ、私もついこの間まで知りませんでした。しかし、この女流作家は、著名な社会学者の奥さんなので、ある年齢以上のある大学出身者の方々にはよく知られているようです。ひょんなきっかけから、この作家の名前を知り、読んでみたいと思って、大学の図書館で調べたところ、この1冊だけが書庫にありました。私が読みたいと思っていたのは、別の作品なのですが、この作品もなかなか読みごたえがありました。と言っても、作家自身の筆力が優れているからではなく、題材となっている稲垣足穂という人物に非常に興味が湧いたからです。稲垣足穂という人も作家なのですが、こちらもあまり知らないでしょうね。私も名前だけは聞いたことがあるという程度でどのような人物かよく知らなかったのですが、あまりに破天荒な人物でおおいに興味をそそられました。大酒飲みで自信家で他者に対して異様に攻撃的で、決して友人になりたくないような人物ですが、こんな人間がかつての文壇という世界で生息しえていたという事実は非常に興味深いと思いました。もう少し、彼について調べてみたいと思っています。ちなみに、この怪人物・稲垣足穂の弟子を自認する折目博子という作家もかなり変わった人だったようで、瀬戸内晴美(寂聴)は、彼女について、こちらも破天荒なことで有名な「岡本かの子」によく似た人だと指摘しています。(2002.7.7)

43.黒岩重吾『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』中公文庫

この本は小説としてはおもしろくありませんが、小説仕立てで書かれた歴史書として読めば、興味深く読めます。日本の天皇家は万世一系を唱っていますが、実際には、崇神朝、応神朝、継体朝という3代の政権交替があったことは、古代史に関心をもつ人たちの間ではほぼ常識となっています。この本は、もともと越の国(現在の福井県)にいた現在の天皇家の祖にあたる継体天皇が、どのような経緯を経てそれ以前の王朝の中心地であった大和に進出できたかを、その後、継体朝の中で重職を占めることになる蘇我氏、物部氏、大伴氏などとの権力闘争とからめて描いたものです。蘇我氏も一般には、聖徳太子や大化改新との関連で、馬子・蝦夷・入鹿の3代がよく知られていますが、この本で活躍するのは、馬子の父親の稲目とその父親の駒(高麗)です。教科書等で蘇我馬子は大臣として登場してきますが、どうして蘇我氏がそういう重職を占めることができたのかについては、普通は習いませんので、この本を読むと、なるほどこんな風にして新政権の中で自分たちの地位を確立してきたんだろうなと納得が行きます。もちろん、小説ですので、歴史的事実と作家による想像とが入り交じっているわけですが、わりあい無理がない推測だと思いました。特に、朝鮮半島との人種的、文化的交流の深さは、説得力のある非常に興味深い説です。黒岩重吾の古代王朝を素材にした小説は他にも何冊か出ていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。(2002.5.5)

42.松山善三監督『虹の橋』NHKビデオ

とてもいい映画を見つけました。もう9年も前の1993年公開作品です。日本アカデミー賞にもノミネートされている作品なので、きっと映画好きの人ならよく知っている作品なのでしょうが、私はその頃は子育てに追われていた時期だったせいか、この映画が公開されていたことすら知りませんでした。先日、何の気なしに何かおもしろそうな映画はないかなと探していて見つけました。いやあ、大当たりでした。見始めて、すぐに引き込まれました。江戸時代の京都の庶民たちの姿を描いた時代劇なのですが、青春映画としての味わいも強く、若い人も十分楽しめる映画です。美しい日本的情緒を背景に、あたたかい人情やまっすぐに伸びようとする心が描かれています。ひねった映画よりもストレートに訴えてくる映画が好きな私にはぴったりでした。素直な心を持ったすべての人にお薦めしたい映画です。(2002.4.26)

41.佐藤郁哉『フィールドワークの技法』新曜社

このコーナーは読みやすい一般書を紹介するコーナーと思っているので、社会学の専門書は自分の本も含めて紹介してきませんでしたが、この『フィールドワークの技法』は、一般書と同じくらい読みやすく、かつとても役に立つ本なので、紹介することにしました。著者の佐藤郁哉氏は、暴走族のフィールドワーク研究(『暴走族のエスノグラフィー』)で有名になり、その後も演劇のフィールドワーク研究で大著『現代演劇のフィールドワーク』を刊行した、著名な社会学者です。研究対象の奇抜さで関心を持つ人も多いだろうと思いますが、こうした研究の根底には実に緻密なデータの収集と分析技法があることにこそ、より注目すべきです。この本は、佐藤氏が試行錯誤しながら確立してきたそうしたフィールドワークの技法について、易しい言葉で説明してくれている貴重な本です。著者は、以前にも『フィールドワーク』という類似の本を出されていますが、今回出された『フィールドワークの技法』の方が、よりハウツウ本的内容を含み、フィールドワークを実際にやってみたいと思っている人は、使える本になっていると思います。これといったテクニックがないと思われがちな社会学ですから、この本の価値は大きいと思います。今後、長期に渡って読まれ続ける本になることは間違いないでしょう。(2002.4.9)

40.岩瀬達哉『われ万死に値す ドキュメント竹下登』新潮文庫

久しぶりに本格的な政治ドキュメントを書ける作家と出会いました。政治家に関するノンフィクションや実録小説のようなものは、政治家に対する賞賛とおべっかで終わってしまうものが少なくありません(昔なら戸川猪佐武、今なら大下英治といったところでしょうか)が、この本は竹下にも他のどの政治家にもこびていません。また、調べが徹底していて、新聞やテレビでは知り得ない竹下登の隠された部分を赤裸々に暴き出しています。若き日に新妻を自殺で失っているなんて事実を私はまったく知りませんでした。それも実父がその死に関わっているらしいと聞けば、まるで推理小説のようです。竹下登は、かつての田中角栄や最近の鈴木宗男と違い、人の良さそうな顔をしていたので、あまり悪人という印象はありませんが、基本的にやってきたことは変わらないということもよくわかります。このコーナーの20で紹介した保阪正康が解説でこの作家のことを高く評価しているのもうなずけます。(2002.3.16)

39.山崎豊子『沈まぬ太陽(1)(5)』新潮文庫

この作品は駄作です。数々の名作を世に送ってきた山崎豊子も、ついにこんな駄作を書く作家になってしまったかと妙な感慨を覚えました。この作品は「実録・日本航空」とでも言えるような企業の内幕を描いた小説です。事実を小説的に構成し直して作品を作るのは、この作家の得意とするところですが、これまでの作品は小説的構成がもっと上手でモデルがあろうとなかろうと十分楽しめる作品に仕上がっていましたが、この作品はまったくだめです。ストーリーに山らしい山がない。登場人物の性格が平板で魅力がない。人物を出しては生かし切らないまま、いつのまにか消え去らせている。だめばかりです。それでも、5巻本を最後まで読んだのは、あの山崎豊子なんだから、どこかで山を作ってあるのではと期待していたのです。結局裏切られました。最後の終わり方も「なんなの、これは?」という感じでした。もう山崎豊子は終わりました。私は、今後、山崎豊子の新作は買わないと決別宣言をすることにします。(2002.3.4)

38.平山秀幸監督『愛を乞うひと』東宝ビデオ

この映画は1998年の映画賞を数々受賞した作品で、評価が高いのは知っていたのですが、今までなんとなく見そびれていました。今回はじめて見て引き込まれました。まったく無駄のない見事な作品です。テーマの深さ、ストーリーのドラマ性、役者の演技力、時代考証の丁寧さ、映像のクリアさ、どれをとっても文句のつけようのない作品だと思います。満点に近い出来ではないでしょうか。日本映画はおもしろくないとよく言われますが、この作品は世界にも通用するものだと思います。一見の価値がありますので、ぜひビデオを借りて見て下さい。(2002.2.3)

37.立松和平『光の雨』新潮文庫

立松和平と言えば、時々TVで間延びしたようなレポートをしているキレの悪い文化人というイメージがあって、今まで彼の小説を読みたいと思ったことはありませんでしたが、この作品は、「連合赤軍事件」を素材していたので、ちょっと興味を持って読んでみました。率直に言って、やはり小説としてはそれほど出来のよいものだとは思えません。2030年に時代を設定し、その時代を生きる2人の予備校生男女が、「連合赤軍事件」に関わった老人から話を聞くという形で展開する小説ですが、若い2人のシーンがまったく生きていません。また、この作家は社会に対する想像力が乏しいのか、2030年という近未来の社会をどこにも感じることができません。にもかかわらず、ここで取り上げてみようと思ったのは、「連合赤軍事件」という悲惨な事件がどのような心理状況の下で生じたのかということを多少なりとも知ることができるからです。この本は、実質的には、「ドキュメンタリー・連合赤軍事件」と呼んだ方がいいかもしれません。実際に事件に関わった当事者も本を出しており、この小説はそれらをベースに書かれているのだと思いますが、完全なドキュメンタリーだと堅苦しくて読めないという人も、小説なら読めるのではないでしょうか。ドキュメンタリーより小説が読みやすいのは、前者では書くことのできない他者の心理も、小説という形式を取れば、作家が想像で書くことができるので、理解しやすい心理ドラマとして読めるからです。(社会に対する想像力は乏しい作家ですが、人間心理に関してはそれなりに想像ができるようです。)それにしても、イデオロギーとか思想とかを信奉してしまうと、日常生活における素直な感性が失われてしまうものなのだという恐さを改めて感じます。60年代末から70年代初頭にかけて、いかに「空理空論」が無用に幅をきかせていたかを知ることのできる作品です。(2002.1.21)

36.浅田次郎『壬生義士伝(上・下)』文芸春秋

この正月に放映されていたドラマがとてもよくできていたので、どうしても原作が読みたくなって、次の日に本屋に走り、買ってきました。小泉首相ではないですが、「感動した!」というのが読後感です。最後の方は、読んでいる途中からぼろぼろぼろぼろ泣けてきて、涙を拭わないと先が読めなくなるほどでした。新撰組ものは数々読んできたので、いまさら目新しさはないだろうと思っていたのですが、こんな描き方があるんだなと改めて感心しました。ちょっと古臭いと思われてしまいそうですが「男の生き様」ということを考えたくなる本です。男たちに読んでもらいたい本です。(2002.1.11)

35.野上弥生子『真知子』新潮文庫

この小説は、昭和3年から5年にかけて書かれたものです。つまり、今から70年以上前の小説です。でも、かなりいけます。というより、私には非常におもしろかったです。日本に階級社会が明確に存在し、女性の役割は良き家庭人たることが当たり前とされていたこの時代に、知的好奇心と社会関心をもった上流の若い女性がどのような生き方を選択せざるをえなかったのかが、いきいきと伝わってくる小説です。周りから釣り合いのとれそうな相手との結婚を押しつけられるのに反発し、自立した人間たらんことをめざしながら、美男子のマルキストに惹かれていく。しかし、彼は……というようなストーリーです。時代の空気、上流階級の女性たちの関心のありようなどがよくわかっておもしろいです。社会学者の私にとって個人的に特に興味深かったのは、主人公の女性が東京帝国大学で聴講生として社会学を学んでいるという設定のため、社会学についての意見がしばしば出てきて、当時社会学がどのように受け止められていたかがよくわかるところです。この点については、またいずれ「社会学を考える」で本格的に取り上げてみたいと思っています。いずれにしろ、古典的と言われる小説は、やはりそれだけのものがあると思わされた1冊でした。(2001.11.8)

34.小手川力一郎『野上弥生子エピソード』フンドーキン醤油株式会社

『秀吉と利休』などで有名な小説家・野上弥生子の生涯を甥にあたる小手川力一郎氏が書きつづったものです。文章はまったくの素人のものですが、近親者しか知り得ないエピソードがふんだんに盛り込まれていて、おもしろく読めました。出版社名は聞いたことがないと思いますが、当然です。これは、小手川力一郎氏が会長をやっている醸造会社なのですから。つまり、自費出版ということです。どこでこの本を買えるかというと、大分県の臼杵に行けば買えます。野上弥生子は、臼杵で成功した小手川酒造のお嬢さんとして生まれ、同郷の野上豊一郎と結婚し、夏目漱石に師事し、3人の息子を育てながら小説を書き、99歳で亡くなる直前まで現役小説家として書き続けたすごい人だということ、その閨閥は学者世界では華麗としか言いようのないほどのものであることを、私もこの本を読んで初めてきちんと知りました。『秀吉と利休』以外にもおもしろそうな小説をたくさん書いていることを知りましたので、これから野上弥生子の小説を読んでみようと思っています。いずれにしろこのように、地方に行くとそこでしか手に入らないような郷土関連書が入手できます。そうした本から思いがけない歴史的事実を知ることができます。(ちなみに、この本の著者のお母さんは、滝廉太郎のいとこだそうです。)こうした本に出会えることも旅の魅力のひとつです。(2001.10.22)

33.三浦綾子『母』角川文庫

『氷点』がもうひとつ魅力的ではなかったので、三浦綾子はもういいかなと思っていたのですが、小樽に行って来たこともあって、小樽出身の作家・小林多喜二について知りたくて、多喜二の母のモノローグという形式で語られるこの小説を読んでみました。『氷点』よりずっとよかったです。最後の方に無理矢理のように出てくるキリスト教がらみのところはいつもながらの蛇足という感じですが、そこに至るまでの部分で十分読むに値する小説になっています。明治から大正、昭和初期にかけての日本という社会の貧しさと不公正さが、小林多喜二という良心的インテリゲンチャが貧しい者たちのために立ち上がらなければならないと思う気持ちに自然になっていった過程が、そして至高の純愛を貫こうとする青年の気持ちが、老いた母の回想という形で語られ、せつせつと伝わってきます。歴史的想像力をかき立てられる1冊です。(2001.10.7)

32.瀬戸内晴美編『人物近代女性史(全8巻)』講談社文庫

もしかしたらもう絶版になっているかもしれませんが、この『人物近代女性史』のシリーズは、読み物としてもおもしろいし、写真がふんだんに使われているので、貴重な参考資料にもなります。歴史は、大体男性中心で記録が残されてきているので、なかなか女性たちについて知る機会がありません。たまに女性について書かれていても、「傾城の美女」であったり「エキセントリックな悪女」であったりということが多いのですが、このシリーズで取り上げられる女性たちの多くは、もっと普通の人たちです。とは言っても、それぞれに個性と才能が際だっていて、生きていた時はそれなりに有名だった人ばかりです。たぶん、若い人たちが読めば、「へえー、こんなすごい女性がいたんだ」と驚くような人ばかりでしょう。どの人も、TV番組の「知ってるつもり」とかで取り上げる価値のあるような人ばかりです。古本屋等で見つけたらぜひ買って読んでみてください。(2001.9.10)

31.連城三紀彦『黄昏のベルリン』講談社文庫

連城三紀彦2度目の登場です。前に紹介した『恋文』とは全く違う世界を見せてくれており、連城三紀彦はもともと巧みな推理小説の書き手だったということを改めて再確認させられます。この小説は、はっきり言っておもしろいです。よくできています。幾重にも積み重ねられた小さなエピソードが大きな物語の伏線になっており、最後の最後には、「えっ、そういうことだったんだ」という意外な結末まで用意されており、小説って本当におもしろいなと感嘆させられます。買って読んで損のない1冊です。(2001.9.10)

30.ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』新潮文庫

ジェフリー・アーチャーは、娯楽大作の書き手として著名ですが、イギリス保守党の政治家としてもなかなかいい線まで行っていました。昨年行われた大ロンドン市長選挙の保守党の公認候補に決まっていたのに、コールガールと遊んだ昔のスキャンダルを隠していたことが露呈し、すべて無に帰してしまいました。作家なら多少乱れた生活をしていても、創作活動の一環として大目に見られることもありますが、国民の税金から給料をもらっている政治家はそうはいかないようです。まあ、それはともかく、この『ケインとアベル』という小説です。互いに憎み合うように運命づけられた2人の男の人生を描いた大河小説です。20世紀初頭のヨーロッパから話は始まり、アメリカ経済界に舞台を移し、様々な人間ドラマが展開されており、上下2巻という長編ながらそれなりにおもしろく読めます。海外の長編小説を読むたびに思うのは、長編をそれなりに読ませるためには、全体の大きなストーリーのおもしろさと主役の魅力だけでは不十分で、脇に性格づけのはっきりした多数の人物を登場させ、危機的事態を適度に配備することが必要だということです。アーチャーという作家はその辺が巧みなのだと思います。ただ何冊も読んでいると、パターンが見えてきて、鼻についてきますが。ちなみに、『ロスノフスキー家の娘』という作品は、この『ケインとアベル』という作品の続編に当たり、アベルの娘フロレンティナを主人公とした大河小説です。こちらもまあまあですが、時代設定、登場人物の新鮮さ等から、やはり『ケインとアベル』の方が優れた作品と言えるでしょう。(2001.9.10)

29.三浦綾子『氷点』角川文庫

古典的と評される作品ですが、今まで読んでいなかったので、何度目かのTVドラマ化をきっかけに読んでみました。いやあ、これはマンガですね。それも、あまりレベルの高くない少女マンガです。妻の不貞を疑った夫によって、娘を殺した犯人の子供と知らずに養女を育てさせられた妻が、そのことに気づいてから養女に次から次に陰湿ないじめを加えるのに、娘は純真な心を失わず、健気に生きる。しかし、ついに「あなたは、実の娘を殺した犯人の子供なのだ」と告げられ、最後には……、というストーリーです。これを読んだだけでも、なんとマンガ的な話だろうと思う人は多いのではないかと思います。「人間にとって原罪とは何かを追求した問題作」あるいは「人間存在の根源を問う不朽の名作」と紹介されているのですが、どうでしょうか。そんな重たいテーマの作品とは感じませんでした。確かに、この作家のベースにはキリスト教精神があるのでしょうが、作品の中ではそのキリスト教精神があまりにあからさまに使われていて、うるさい感じがするだけです。また、登場人物の性格設定もひどく単純で、どの人物も魅力的には思えません。まあ、単純な性格の登場人物による単純なストーリーだからこそ読みやすいという印象を与えるのでしょうが。これは37年前に高額の懸賞小説に当選し大ヒットになった作品ですが、今なら、この程度の小説では入選どころか佳作も無理でしょう。マンガの代わりになる気楽に読める本を探している人のみに勧めたいと思います。(2001.8.17)

28.小林信彦『天才伝説 横山やすし』文春文庫

今回は、文句が言いたくてこの本を取り上げました。通常は、読むに値しないなと思う本は、途中で読むのをやめ、このコーナーにも掲載しないのですが、読んでいてあまりに腹が立ったので、ここで酷評するために意地で最後まで読みました。この作者の小林信彦という人は文章が下手な上に、偉そうで、実に鼻につきます。以前、この人の代表作と呼ばれる『唐獅子株式会社』(新潮文庫)を読み始めたときも、あまりのセンスのなさに嫌になって放り出しました。そんな経験があったにもかかわらず、性懲りもなく、この作者の本を買ったのは、「横山やすし」という人物に興味があったからです。小林信彦の本だからあまり期待はできないだろうが、素材が「横山やすし」なのだから、多少はおもしろいかもしれないと思ったのです。しかし、やはり小林信彦の本でした。

ここまで、悪印象をもった本は初めてです。文句を言いたいところだらけなので、どこから語り始めたらいいのだろうかと悩んでしまうほどです。とりあえず、順不同で思いつくまま書いてみると、まず第1に、大阪に対する偏見に満ち満ちています。東京では絶対に受けないような笑いでも大阪なら受けるとか、大阪では多少知られていても全国区ではないとか、ともかく大阪を東京とは比較にならない文化程度の低い地方という位置づけで、最初から最後まで書かれています。私は、20年ほど前から大阪に住んでいますが、大阪弁もまともに使えないし、大阪人だという自覚も全くありませんので、私の不愉快さは、自分が住んでいる所が馬鹿にされたという当事者としての不愉快さではなく、第3者としてのものに近いです。東京人(そんな輩がいるのかどうか知りませんが)を自負する人間による大阪を馬鹿にしたような文章は数多くあるのでしょうが、この小林信彦の本はもっともいやらしい本と言ってもいいのではないかと思います。作者が自分を高みに置いて上から見下ろすという感じで書いています。そのいやらしさは、大阪だけでなく、実名で登場する大阪以外の人間にも向けられます。例えば、自分の「傑作」『唐獅子株式会社』が、映画になったときそれほど評判を呼ばなかったのは、せっかくのすばらしい原作を、プロデューサー、脚本家、監督、宣伝の下手さでだめにしてしまったからだと暗に幾度も指摘しています。そもそも、この本の題材でもある「横山やすし」に対する友人としての愛情も、芸人としての評価も、この作者が抱いているとはとうてい感じられません。「天才伝説」というタイトルも「皮肉」でつけたと自分で「あとがき」に書いています。資料にもそんなにたくさん当たっていないし、関係者から改めて話を聞くということもほとんどしていません。正直言って、こんな本が出版されていいのかと強く疑問に思いました。対象となる人物に対する思い入れもないような人間が人物伝を書くとこんなひどいものができあがるという見本のような本です。買ったらお金の無駄ですから、借りて読むか、立ち読みで、そのひどさをチェックしてみて下さい。(2001.7.25)

27.武光誠『名字と日本人――先祖からのメッセージ――』文春新書

この著者は、最近もっとも意欲的に読みやすい本を出している歴史学者です。もともとは日本古代史が専門なのだそうですが、私が興味をもった本はいずれも時代を狭く限定せずに、日本の歴史と地理をうまく融合させた興味深い内容となっています。私は、歴史はもともと好きだったのですが、地理は高校まではあまり好きな科目ではありませんでした。歴史は学校の授業であっても容易にドラマを感じ取れるのに対し、地理からはそうしたドラマを読みとれなかったことが、両者の差を生み出しました。しかし、大学入学以降、自分で旅をしたり、歴史書を読んだりしているうちに、歴史と地理は密接につながっている、というより本来切り離せないものだという至極当たり前のことに気づくようになりました。

この著者の本は、まさにそうしたことをよく認識して書かれています。『日本地図から歴史を読む方法』(河出書房新社)や『県民性の日本地図』(文春新書)などもそうした狙いが明確な本です。ここで取り上げた『名字と日本人』もそうした1冊ですが、名字という誰もが持っている記号から、日本の歴史へのアプローチが始められるというのは、身近なテーマから大きなテーマが考えられるという点で、若い人たちにとってもとっつきやすいと思います。きっと歴史学の専門家から見たら、推論に強引さの多い本なのではないかと思いますが、多少問題点があったとしてもこうした本が出されることによって一般の人たちが歴史と地理に興味を持てるようになるという意味で、大きな貢献をしていると私は思います。お盆も近いことですので、この本を読んで、お墓参りをした際には、名字を営々とつないできた先祖に思いを馳せるのも一興ではないでしょうか。(2001.7.17)

26.山田太一『終わりに見た街』中公文庫

「ふぞろいの林檎たち」などで有名な脚本家・山田太一は、小説もたくさん書いています。そのほとんどはドラマ化されていると思います。『ふぞろいの林檎たち』はもちろん、『岸辺のアルバム』、『沿線地図』など、山田太一の作品は、そのほとんどが「家族とは何か」というテーマを含んでおり、社会学的にみても興味深いものです。どの作品を取りあげてもよかったのですが、この『終わりに見た街』という小説のラストシーンが実に印象深いので、この作品をあげておきます。戦時中にタイムトラベルしてしまった家族が最後に見たものは……。意外な結末をお楽しみ下さい。(2001.7.11)

25.岩井俊二監督『Love LetterKing Video

掟破りの第3弾。今度は映画です。きっと若い人たちにはよく知られた映画なのかもしれませんが、私は全く知りませんでした。つい最近ビデオ屋さんで、何かおもしろそうなのはないかなとぶらぶらと探しているうちに見つけました。亡くなった恋人の昔の住所に手紙を出したら返事が戻ってきたというストーリー紹介を読んでおもしろそうだなと思い、借りてきて見ましたが、いやあ、実によかったですよ。きれいな映画です。大きなドラマはありませんが、詩情溢れる映像にとても惹かれました。出演者がみんな今よりずいぶん若いなあと思ってよくビデオのラベルを見たら、96年4月と書いてありました。2役をこなす主演の中山美穂はもちろんいいですが、回想シーンの女の子も魅力的です。学校のシーンは「桜の園」を彷彿とさせますし、同姓同名の男の子と女の子という設定は、大林宣彦の『転校生』をなぜか思い起こさせます。ともかくレンタル・ビデオとしては久しぶりにヒットでした。しばらく岩井俊二監督作品にはまりそうです。(2001.4.27)

24.中島みゆき『愛していると云ってくれ』キャニオン・レコード

またまた原則破りです。今度は音楽です。でも、もちろん『本を読もう!』というコーナーですから、メロディがいいとか、リズムがいいという話ではなく、歌詞がすごいと思っているので、ここで取り上げてもいいだろうと思った次第です。

私の青春時代だった1970年代の半ばに、現在もトップ・アーティストとして第一線で活躍している4人のシンガーソング・ライターが登場しました。井上陽水、松任谷由美、中島みゆき、そしてサザンオールスターズの桑田圭祐です。彼らの登場によって、それまでフォークソングと呼ばれていた自作自演の歌がニューミュージックと呼ばれるようになりました。(意識的に広めたのは、松任谷由美です。)4人とも本当に才能に溢れたシンガーソング・ライターですが、しいて一番好きな人を選べと言われたら、私は躊躇なく、中島みゆきを選びます。4人4様の魅力があり、誰が優れているという順位付けはむずかしいと思います。にもかかわらず、私が中島みゆきを選ぶのは、声と歌詞にひかれているからです。

中島みゆきの歌を聴いていると、「吟遊詩人」という言葉が頭をよぎります。歌詞だけを詩集のように集めた本も出ていますが、本ではそのすごさは伝わってきません。ところが、これをあの声でメロディに乗せて語られると思わず「すごい!」と唸りたくなります。どのアルバムもすばらしいと思うのですが、個人的には『愛していると云ってくれ』に一番すごさを感じます。1曲目の「元気ですか」から2曲目の「玲子」への入り方なんか、聞く度に背筋がぞくっとするほどです。聞いたことのない方は、ぜひ一度聞いてみて下さい。(2001.4.23)

23.浅田次郎『天国までの百マイル』朝日文庫

一人の作家は一度取り上げたら、もう取り上げないという原則を自分の中で作って、このコーナーを書いてきましたが、どうしても原則を破りたくなってしまいました。久しぶりに、小説を読んで泣いてしまいました。フィクションはこうあるべきだという見本のような小説です。素直な感性を持った人なら、必ず感動が味わえると思います。読み終わった今も、ピーター、ポール&マリーの「五百マイル離れて」のメロディが頭の中で流れています。読んで良かったと思える1冊です。(2001.4.5)

22.角間隆『日本の教育 戦後35年の光と陰』校成出版社

戦後史を調べていて見つけた21年前の本です。古い本なので、書店では買えないでしょう。図書館で探してみて下さい。なぜ、こんな古い本を取り上げようと思ったかと言うと、21年前の本なのに、まるで現代の教育事情と教育論争を書いた本のようだからです。学校が崩壊していること、中学生の事件が相次いでいること、個人主義と利己主義のはき違え、戦後教育をどう評価すべきかについての議論など、が扱われています。この本を読んでいると、結局日本の教育は、20年前から指摘されてきた問題点を全く改善できないまま、ずるずると悪化してきたのだということに気づかされ、ぞっとしてしまいました。(2001.3.27)

21.上杉隆『田中眞紀子の恩讐』小学館文庫

政治家に関する本が続きますが、自戒を込めて、紹介しておきたいと思います。ここ数年の「総理大臣にしたい政治家」の1位か2位に必ず入っている田中眞紀子ですが、この本では、現在マスメディアで流されている彼女の好感度の高いイメージと、傲慢でわがままな「お姫様」性格との大きなギャップが詳しく語られています。私も、ここ数年、歯切れの良い発言をする政治家・田中眞紀子に大いに期待していた一人でしたが、この本を読んで改めて、私もマスメディアの流す情報に影響されすぎていたことに気づかされました。読みながらいろいろ思い出しましたが、選挙に出る前の田中眞紀子は、「目黒の女帝」と呼ばれ、マスメディアにずいぶん叩かれていたものでした。それが、衆議院議員に当選して以後、彼女の巧みなメディア戦術によって、「頭が良く、歯切れの良い発言をする、リーダーシップのとれそうな期待の政治家」というイメージに変わり、私自身もそんな見方にすっかり変わっていました。しかし、改めて彼女の生きてきた人生を振り返ってみると、「この人は、弱者の立場どころか他人の立場に立って、物事を考えるというようなことは基本的にできない人」なのだろうと思わざるをえません。まあ、一国の政治を仕切っていく人は、「いい人」であるよりも決断力のある人の方がよいのかもしれませんので、彼女は総理大臣には向いているかもしれません。でも、彼女は、自分で売りにしているような「ふつうの主婦感覚」は持っていないはずだし、「生活に根ざした政治」や「弱者のための政治」などできるタイプの政治家でないことは、きちんと認識しておかなければいけないなと再認識しました。

著者はまだ若いノンフィクション・ライターのようで、前回取り上げた保阪正康などに比べると、取材の深さ、文章の重厚さなどで、まだまだ若いという感じが否めません。週刊誌の記事を読むぐらいの気持ちで気楽に読めます。期待しすぎずに読んで下さい。(2001.3.20)

20.保阪正康『後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡』文春文庫

後藤田正晴という政治家は知っていますよね?でも、最近の若い人は、政治に関心を持たない人が多いので、もう国会議員をやめた高齢の政治家のことなど知らないという人も少なくないかもしれませんね。私は、戦後政治の中で後藤田正晴が果たした役割は、かなり大きなものがあったと見ています。そのことは、彼の経歴を知れば、誰もが納得行くのではないかと思います。戦前の巨大官庁・内務省の出身で、戦後は警察畑を歩き、後に、自治大臣、官房長官、行政管理庁長官、法務大臣などを歴任しています。警察官僚時代には、現在の自衛隊の前身である警察予備隊の創設(特に人選)に中心的に関わり、東大紛争の際には警察庁次長として、そして、よど号ハイジャック事件やあさま山荘事件の時は、警察庁長官として指揮を取り、政治家に転身した後は、田中角栄の懐刀、中曽根内閣の辣腕官房長官、そして小選挙区比例代表並立制度という選挙制度改革の推進者として活躍してきました。戦後政治のターニング・ポイントには、いつも後藤田正晴がいたような気がするほどです。戦後史に興味を持っている人なら、一読すべき本です。

保阪正康には、他にも『東條英機と天皇の時代』、『瀬島龍三 参謀の昭和史』というノンフィクションがあり、ともに読み応え十分です。ある人物とその人物が生きた時代をオーソドックスに語っていく彼のノンフィクションを、私は高く買っています。(2001.3.8)

19.手塚治虫『陽だまりの樹』小学館文庫

誰もが知っている天才・手塚治虫について安易に触れるのは気が重いのですが、若い人と話していると意外に知っている作品が限られているようなので、ちょっと書いておこうかなと思いました。この作品は、実在した手塚治虫の曾祖父・手塚良庵と架空の武士・伊武谷万二郎という2人の主役を中心にして、幕末日本の政治状況と医学を中心とした洋学導入状況を描いた作品です。もともと連載漫画だったので、全く無駄のない完璧な作品という感じではありませんが、幕末の著名人が実にうまくストーリーの中に位置づけられていて、プロのうまさを感じさせる作品のひとつです。幕末の時代状況に興味を持っている人なら、間違いなく楽しめると思います。ついでに紹介しておけば、『アドルフに告ぐ』や『きりひと賛歌』もプロのうまさが楽しめるストーリー・マンガです。

手塚マンガに関してよく指摘される「手塚は女が描けない」という弱点は、この『陽だまりの樹』でも感じます。女性が出てこないというわけではありません。出てはきますが、なんだか型にはまりすぎたような女性ばかりなのです。しかし、この批判は、手塚治虫だけに限られるものではないと思います。たとえば、内田春菊の描く「女」は、まさに「女」なんだろうなと思いますが、「男」の方は「これが男?」と疑問符をつけたくなります。天才と言われる作家であっても、どちらかのジェンダーに立つ限り、両性をともに生き生きと描ききるのは難しいようです。それだけ、ジェンダー規定は強力なのでしょうね。(2001.3.5)

18.神一行『消された大王 饒速日(ニギハヤヒ)』学研M文庫

かなりの古代史好きでなければ、饒速日(ニギハヤヒ)などという名前は知らないでしょうね。神武天皇(天皇家の系図で初代と位置づけられています。2月11日の「建国記念日」は、この天皇が即位した日なんですよ。知っていましたか?)が、九州から大和に東征してきたときに、その大和を支配していた王で、「日本書紀」では神武天皇に帰順し、後の物部氏の祖先となったと記されている人物です。「記紀」ではその程度にしか登場しない人物ですが、著者は、神社の縁起や祀られている神の名から、この饒速日(ニギハヤヒ)は出雲系のスサノオの息子で、神武より以前に北九州から大和に移ってきて、大和に最初の王朝を建てた大王であると推論しています。そのほかにも、アマテラスは卑弥呼であり、神武天皇はその孫にあたること、「日本」という名の由来、「大和」は「邪馬台国」から来ていること、などといった大胆な推理を展開しています。私は、本書の推論にすべて賛同するわけではありませんが、なるほどと思わされるところが多々ありました。

率いていたのが神武か崇神(第10代の天皇。その存在が歴史家の間で確実視されている最初の天皇)かはわかりませんが、九州方面から大和にやってきた勢力が、王朝をうち立てるときに倒した(あるいは帰順させた)勢力が、もともと出雲系の勢力で(出雲から北九州を経て大和に先に入っていた)、その子孫は物部氏につながっていることなどは、十分説得力のある推理だと思いました。この本の範囲を越えますが、その後、崇神朝大和政権は、九州からやってきた応神朝に取って代わられ、さらにその応神朝も越の国から進出してきた継体朝に取って代わられます。日本の天皇家は「万世一系」だと唱える人もいますが、実際はどう考えても幾度か王朝交替が行われています。最近の論壇では、日本という国家をめぐってしばしば議論が交わされていますが、自分なりの視点を確立するためにも、古代史を知っておく必要があるだろうと思います。近代国民国家としての日本、大和朝廷という古代国家としての日本の成立、様々な経路から人々が移住してきて自然にできあがってきた日本という社会。いろいろなレベルで日本という社会、日本という国家を考えることができると思います。ぜひ関心を持ってみて下さい。地図帳を見ながら、古代史の本を読むのは、わくわくするほど楽しいものですよ。(2001.2.13)

注:私自身の日本社会と大和朝廷という古代国家の成立についての推論は、このHPに「私説・日本人の起源」として書いています。この本を読む前の推論なので、崇神朝以前の存在を認めない立場(戦後歴史学の主流の立場)に立って書いていますので、この本とはずれがあります。現時点では少し手直しが必要だなと思っていますが、とりあえずそのままにしておきます。興味がある方はご一読下さい。

17.大島昌弘『結城秀康』PHP文庫

徳川家康の次男に生まれ、長男が死んだのに跡継ぎになれず、豊臣秀吉のところへ養子に出され、関ヶ原の戦いの7年後に34歳の若さで亡くなった越前松平家の始祖・結城秀康(のちに松平秀康)の生涯を描いた作品です。作者の名前は知りませんでしたが、秀康という人間に以前から興味があったので、買って読んでみました。なかなかうまくまとめていて、読みやすい本でした。歴史小説が歴史的資料よりはるかにおもしろいのは、史実に基づきながら、資料でわからないディテールや心理を作家の想像力で補ってくれているからです。その補われた部分が、ドラマチックでありながら、自然に読めるように書けていれば、良い作品と評価することができます。しかし、史実に無関係にドラマを作ろうとすると、嘘っぽくなってしまうことも多いので、多くの作家は、その生きられた人生が無理にストーリーを作らなくても、もともとドラマチックな人物を主人公として歴史小説を描いています。激動の時代を生きるとドラマチックな人生になりやすいので、物語の対象になりやすいわけです。戦国時代や幕末を生きた人物が歴史小説でよく描かれるのは、これが理由です。私は歴史小説が好きなので、同じ時代のものでもいろいろな人を主人公とした物語を読みます。そうするといろいろな立場から同じ時代を考えることができるようになり、さらにおもしろさが増します。よく社会学で様々な視点からものを考えようと言っていますが、そうした思考訓練にも自然になっているような気がします。そういう意味でも、結城秀康という人物は、非常に興味深い人物です。家康と秀吉を父に持った人物の視点から物語が描かれるのだから、おもしろくないはずがありません。服部半蔵の役回りもこの小説のおもしろさをうまく増していると思います。ただ、家康や秀吉といったメイン人物を主人公とした歴史小説を読んだことがない人は、まずそうした本を読んでから、この本を読んだ方がいいでしょう。(2001.1.29)

16.連城三紀彦『恋文』新潮文庫

17年ぶりに再読しました。恋愛小説ベストテンというのを作ったら、私は間違いなくこの本をかなり上位にランクさせると思います。実は、この本は、単行本として約17年前に出されたときに、すぐに買って読み、ものすごく気に入った1冊でした。あまり気に入ったので、「おもしろいから、読んでご覧」と知り合いに貸したところ、返って来ず、そのままになっていました。最近古本屋で、ぶらぶらと本を見ていたら、これが目に入り、買ってきて一気に読んでしまいました。17年後に読んでも、全く色あせていませんでした。改めて「うまいなあ」としみじみ感嘆しました。5つの短編からなっていますが、どの話も珠玉の名作と言ってもいいだろうと思います。人間が好きになれる恋愛小説です。(2001.1.16)

15.黒木瞳『わたしが泣くとき』幻冬社文庫

言わずとしれた女優の黒木瞳のエッセイです。私は基本的にエッセイは書くものであって、買って読むものではないと思っているのですが、時間潰しに書店でぱらぱらと読んでいたら、ちょっと意外なことが書いてあったので興味深く、つい買ってしまいました。その意外さとは、この本の「あとがき」の中でも指摘されていましたが、私も黒木瞳という女優さんは、都会出身のクールなタイプの人だと思っていたのですが、それが全く違っていたということです。文章はやはり素人ですから、うまいとは言えません。特に、自分だけ面白がっている「親爺ギャク風」駄洒落は飛ばして読みたくなるほどです。にもかかわらず、ここで紹介しようと思ったのは、「黒木瞳」という芸名をもった一人の女性が、きちんと礼儀を知っている人で、一所懸命生きてきたことを、素直に表現していて、好感を持ったからです。とても女性的感性で書かれた本なので、やはり女性にお薦めの本かもしれません。(2001.1.13)

14.有吉佐和子『華岡青洲の妻』新潮文庫

有吉佐和子を読むたびに思うのは、男性作家には、有吉佐和子のように女性を描くことは絶対できないだろうなということです。その最たるものが、麻酔薬の開発に世界で最初に成功した華岡青洲の、母と妻の心理的確執を描いたこの『華岡青洲の妻』でしょう。もし今映画でこの作品を撮るなら、吉永小百合に姑の於継をやらせてみたいなと思いながら、読んでいました。美しい顔の奥底に秘められた恐ろしいまでの母の情念。きっとカンヌ映画祭主演女優賞が取れると思うのですが……。(2000.9.11)

13.ジム・デフェリス(酒井紀子訳)『シックス・センス』竹書房文庫

昨年公開された映画『シックス・センス』の小説版です。私は、この映画を昨年ロンドンで見てとてもおもしろかったのですが、英語版で見ていたので(当たり前ですが)、入り組んだ話のところなどが完全には理解できず、帰ったらビデオを借りて見ようと思っていました。新聞で小説版も出ていることを知り、たまたま見つけたので、買って読みました。いやあ、なかなかいい出来でした。映画のイメージが助けになっているのかもしれませんが、あっという間に読んでしまいました。この本の訳者あとがきにも同様のことが書いてありましたが、泣けるホラー小説(映画)って珍しいですよね。なんで、この映画より『アメリカン・ビューティ』なんかが評価されたのでしょうか?とにもかくにも、映画も小説も見甲斐、読み甲斐ありです。私も近々ビデオを借りてきて、もう一度楽しもうと思っています。(2000.9.6)

12.北原亞以子『深川澪通り木戸番小屋』講談社文庫

この本は、昨年ロンドンにいたときに、古本屋で安く売っていたという理由だけで買いました。それまで、北原亞以子という作家を知らなかったのですが、この作品を読んでファンになりました。江戸情緒と人情味が溢れる短編集なのですが、全体を通して木戸番夫婦の抱える秘密が徐々に解かれていくという推理小説的味わいもある傑作です。お薦めです。(2000.8.14)

11.『日本の歴史(全26巻)』中公文庫

私が読んだのは単行本なのですが、文庫版も出ていたと記憶しています。1級の歴史家が各巻を執筆していますが、堅くなりすきず、エピソードがふんだんに盛り込まれていて、読み物としてもとてもおもしろい全集です。26巻をはじめから通して読むというより、手元に置いておいて、気になることが生じたときに、取り出して読むというのがいいのではないかと思います。中央公論社では、この全集のヒットに気を良くして、同じような意図で『世界の歴史』も作りましたが、こちらは地域がいろいろなので流れがつかみにくく、『日本の歴史』ほど出来の良い全集だとは思いません。(2000.8.12)

10.五味川純平『人間の條件(全6巻)』文春文庫

文庫で6冊もある長編ですが、読み始めたら止まらなくなります。戦争という極限状況において、人間はどのように生きられたのかを考えさせる感動大作です。同じ著者の『戦争と人間』(光文社文庫)もいいですが、こちらの方がより迫力があると思いました。豊かさと平和を当たり前のものとして、だらだらと毎日を過ごしている人たちにぜひ読んでほしい1冊です。(2000.8.1)

9.俵万智『サラダ記念日』河出文庫

1987年にこの本が単行本で出た時、大ブームを巻き起こした現代歌集。いろいろ批判する人もいますが、私はやはりこの本は好きですね。気にしなければそのまま流れて行ってしまいそうな日常風景(歌人が創り出した想像の風景かもしれませんが)を、さらりと、でも心に残るように詠んだ歌が並んでいます。短歌の可能性を多くの日本人に再認識させたエポック・メイキング的意味のある歌集だと思います。(2000.7.30)

8.松本清張『或る「小倉日記」伝』新潮文庫

司馬遼太郎を取り上げたら、清張も取り上げないわけにはいかないでしょう。歴史小説が司馬なら、推理小説は清張です。でも、ここでは推理小説ではなく、清張の現代小説を紹介します。「現代」と言っても、昭和2030年代が舞台の作品が多いので、近過去の時代に触れるという楽しみが持てます。清張の趣味なのかもしれませんが、女性の言葉遣いが丁寧なのでとても好印象を持ちます。まるで、ヒッチコック映画の女優さんたちのようです。長編もいいですが、清張のストーリー作りのうまさを味わおうと思ったら、短編集がいいですね。たくさんありますが、学者や研究者と言われるような登場人物がたくさん出てくる『或る「小倉日記」伝』をあげておきます。(2000.7.30)

7.司馬遼太郎『竜馬がゆく』文春文庫

歴史小説と言えば、司馬遼太郎。その歴史に対する見方は「司馬史観」とまで呼ばれ、ただの小説家ではなく、歴史家のような扱いまでされている作家です。彼の作品もたくさん読みましたが、一番好きな作品はと言えば、やはり『竜馬がゆく』ですね。『国取り物語り』もいいのですが、やはり坂本龍馬という人物が魅力的なのでしょう。明治維新という日本の青春時代を体現して生きたような人物です。そうしたはつらつとした龍馬像を一般に普及させる上で、司馬の『竜馬がゆく』が与えた影響は大きかったと思います。数多い「坂本龍馬伝」の最高峰とも言えるでしょう。(2000.7.30)

6.杉本章子『写楽まぼろし』文春文庫

杉本章子が描く江戸の市井の人々の姿は、実に生き生きと読み手に伝わってきます。特に、初期の出世作『写楽まぼろし』は絶品でしょう。実は、私はこの作品をタイトルに入っている「写楽」という名前に惹かれて買ってしまったので、杉本章子という作家は、その時点では知りませんでした。ところが、読み始めたら、あまりにうまいので、驚きました。それ以降、彼女の作品が、文庫になるたびに買って読んでいます。小林清親という明治初期の実在の浮世絵師を描いた作品『東京新大橋雨中図』も好きです。(2000.7.30)

5.山崎豊子『二つの祖国』新潮文庫

私は基本的にはストーリーがしっかりした物語が好きなので、ストーリー作りのうまい作家の作品に惹かれます。その点では、山崎豊子もはずせない作家です。最近は新作を書くたびに、盗作問題を引き起こしていますが、読んでいておもしろいことは確かですね。彼女の作品はいずれもかなりの水準に達していて、読んでいてはずれのあまりない作家ですが、しいて1冊をあげるなら、やはり『二つの祖国』かなと思います。日系アメリカ人の家族が、太平洋戦争の時期をどう生きなければならかったかというテーマは、国とは何かということも考えさせる作品です。(2000.7.30)

4.宮部みゆき『火車』新潮文庫

宮部みゆきもストーリー作りがうまい作家です。現在文庫で読める代表作となるとこの『火車』でしょう。クレジット・カード破産という現代的なテーマをひとひねりした形で、ストーリーを展開させており、なかなか読ませます。ただ、彼女の場合、登場人物をもうひとつ魅力的に描けないのが欠点ですね。この作品でも、主人公の10歳の息子がまったく10歳の少年らしくなく、うまく書けていません。他の作品でも、人物像は大体平板です。まあ、それでも読ませてしまうのですから、ストーリー・テラーとしての力量は評価しなければならないと思います。(2000.7.30)

3.帚木蓬生『閉鎖病棟』新潮文庫

帚木蓬生という作家は、テレビ局勤めをやめて、医学部に入り直し医者になったというすごい経歴の持ち主です。そうした自分の経験が小説作りにもよく生きていると思います。『臓器農場』や『三たびの海峡』も読み始めたら、一気に読んでしまいたくなるようなおもしろい作品ですが、私の一番のお薦めは『閉鎖病棟』です。最初は状況が飲み込めなくて、ちょっと退屈に感じるかもしれませんが、個々の登場人物のライフ・ヒストリーがつかめると、読み終わるまで本が離せなくなります。本当にうまいなあと思わせる作家です。(2000.7.30)

2.三原順『はみだしっ子』白泉社文庫

この本はマンガです。活字のおもしろさに気づかせるこのコーナーで、マンガを紹介するのはルール違反かもしれませんが、マンガの中にも活字文学と同等あるいはそれ以上のものが少なからずあります。そういうものは、マンガだからといって馬鹿にして通り過ぎてはいけません。で、この本も深いです。下手な心理学書を読むより、このマンガを読んだ方が、人間心理を学べます。1970年代後半頃、『花とゆめ』という少女マンガ誌に掲載されていたものです。ストーリーのおもしろさから言えば、萩尾望都の『トーマの心臓』などの方が上でしょうが、この作家の作品は、さらりとは読み流せないすごさがあります。私はこのマンガを10回は読んでいると思います。原発問題を扱った『X Day』も圧倒されます。晩年(もう10年ぐらい前に若くして亡くなっています)の作品――例えば、『Sons』など――は、もう哲学的と言ってもいい難解さに達してしまい、楽しんで読むことはできない作品になっています。(2000.7.30)

1.浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』集英社文庫

紹介したい本は山のようにあり、何から始めようかと悩みましたが、とりあえず最近読んでおもしろかった本から軽く始めます。表題作は映画化され、昨年の「日本アカデミー賞」を取った作品なので、すでにお読みになった方も多いと思います。私も日本に帰ってきてから、まずビデオを借りてみて、それから本を読みました。表題作ももちろんいいですが、「ラブレター」や「角筈にて」もいいです。ちょっと不思議な世界がとても身近な所にあるような気がする素敵な短編集です。(2000.7.30)