ゼミ生の声part5No.201〜250)

ここには、ゼミ生、卒業生から寄せられた意見を掲載します。プライバシーの問題もありますので、メールで送ってくれたものを、チェックして、名前をイニシャルに変えて、掲載したいと思います。どしどしご意見をお寄せ下さい。

ゼミ生の声 Part1(No.1〜No.50)

ゼミ生の声 Part2(No.51〜No.100)

ゼミ生の声 Part3(No.101〜No.150)

ゼミ生の声 Part4(No.151〜No.200)

ゼミ生の声 Part6(No.251〜)

トップページに戻る

250.(タイトル)〔卒業式〕  By 6期生YAさん(2002.3.22)

ご無沙汰しております。お元気でしょうか?Yです。昨日の卒業式は風が強くて、女の子達は大変だったのではないでしょうか?自分たちが卒業してから もう3年も経つのかと思うと、年をとるごとに「月日が経つのはやい」と感じてしまう今日この頃です(笑)。

思えば学生生活最後に、すばらしい仲間に恵まれたものです。2年間であんなに『ゼミ合宿』へ行ったり、議論(そこまで大袈裟なものではないかな?)できたことは、『講義』ではなく、『ゼミナール』ならではの醍醐味だったなぁと思います。今となっては、勉強する機会を持つのが困難になっていますが、だからこそ逆に、当時いかに恵まれていたのかがよく分かります。すばらしい時間を、楽しい思い出をありがとうございました。

何だか 感傷に浸った文章になってしまいましたが、また 機会があればメールを送らせて頂きたいと思っています。桜の開花宣言も出て、いよいよ春本番ですが、季節の変わり目ですので、お身体を大切になさって下さい。

249.(タイトル)〔卒業3年後の気持ち〕  By 6期生MYさん(2002.3.19)

1月の同期会はとてもとても楽しかったです。時間があっというまに経ち、こんなことなら、昼間から飲んでりゃ良かったなと思ったぐらいです。ゆっくり話せなかった人もいますが、あとでメールが来たりと、うれしい思いを数多くしました。先生を酔っぱらわせることができたのも、そのひとつです。

2月のMちゃんらとの北海道は、これまた楽しい旅行になりました。今考えても本当に不思議な気がするのですが、Mちゃんとゼミを離れてからも、飲んだりましてや旅行したりとは卒業のときには思ってもみないことでした。公式の場ではもちろん仲良く会うとは思っていましたけど、プライベート(怪しい意味ではなく)でも、とは本当に意外です。ご存知でしょうが、在学中は実はそれほど、仲が良かったわけではなかったので。一緒に少ないメンバーで飲みに行ったこともなければ、ゼミ後にご飯を食べることもなく・・・。Mちゃんだけでなく、他のみんなにも当てはまることですが、私は誰とでも仲が良かったわりには、誰とも親密でなかったというのが、本当のところでしょう。どちらかといえば、クラブ活動に重きを置いていましたから。

ゼミを好きだと本当に思えるようになったのは、4回の秋も深まるころだったように記憶しています。それまでは、大学における居場所のひとつとして、「キープ」していた、というのが正直なところでしょうか。しかし、具体的なきっかけはないように感じていますが、その秋からはゼミは「キープ」の居場所ではなくなりました。

卒業してからはじめて、何人かのゼミ生と触れ合えるようになったというのが、卒業3年後の気持ちです。

248.(タイトル)−K5− 今度も絶対に会うぞ  By 5期生KK君(2002.3.19)

〔このメールは、私が5期生宛てに書いたメールの返事として、KK君が5期生に向けて書いたメールですが、とても素敵なメールなので、HPにも掲載させてもらうことにしました。ちなみに、KK君は、このたび某国立大学医学部に編入合格をしました。順調に行けば、4年後には関大片桐ゼミ出身のお医者さんが生まれます。すごい!努力すると、夢は叶うんですね。(K)〕

みんなおひさです。これから長い文章書くけど、携帯の人ごめん。先生のメールでご承知の通り、医学部行くことになりました。一度は、アメリカ留学するとか言ってどうもすいません。おまけにアメリカ行く前提での送別会まで開いてもらってすいません。2週間ほど前に、医学部に追加合格してしまって、オレゴンじゃなくて米子に行くことになりました。今年のゼミの集いも出られるはずだから、会おうね。

 昔を思い出すと、5期生は盛り上がりに欠けたお通夜ゼミだったのに、今ごろになって友情が深まりつつあるよね。なんか俺ら5期生は、優等生の集まりだったから、多少なりともみんな社会に出て、すれたぐらいの感じでちょうど良い味が出たような気がします。みんな見てると、人間的魅力が出てきてもっともっと好きになりました。また話しようぜ。俺も無邪気に企業を飛び出して、社会の風当たりのきつさを肌で感じ、夢を実現する難しさにこの2年悩んできたから、少しぐらいはみんなと同じく人間的魅力を増したかもしれません。

 これから4年間また学生やるので、みんなのところにお邪魔します。ゼミの集いでもまた朝まで語らおうね。東京で来れない人は、確実にこの4年の間に一度は、東京に行くので、5期生東京ミニ同窓会しようね。『気配り』はあるが『強引さ』に欠ける5期生隊長Kが恐る恐る声をかけたので、みんな集まろうぜ(うそうそ、最近は社会の底辺を味わい強くなりました)。

最後になりましたが、“K5“(片桐ゼミ5期生)のご健康とご活躍をお祈りします。

追伸 辛いときいつも僕はこの詩を読んでました。みんなも辛いとき、この詩が役に立てば良いなと思うので、下に記しておきます。多分好き嫌いはあると思うけど)。

  「牛」 高村光太郎

 牛はのろのろと歩く
 牛は野でも山でも川でも道でも
 自分の行きたいところへは
 まっすぐに行く
 牛はただでは踊らない ただでは飛ばない
   (略)
 牛は急ぐことをしない
 牛は力いっぱい地面を頼って行く
 自分を載せている自然の力を信じきって行く
 ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
 踏み出す足は必然だ
 上の空の事でない
  是でも非でも
 出さないでいられない足を出す
 牛だ
 出したが最後
 牛は後へはかえらない
 足が地面にめり込んでもかえらない
 そして牛はやっぱりのろのろと歩く

247.(タイトル)〔ロンドンより(3)やられてしまいました!!!〕  By 9期生AMさん(2002.3.15)

先日、友達の引越しを手伝いに行く予定だったのですが、大変なことになってしまいました。授業が終わり、友達がお金をおろしたいと言って、ストリートにあるATMでお金をおろそうとしました。その子にとっては引越しだったので、日本から親が30万円送金してくれたそうです。1回目友達は£400(約8万)をおろし、次にもう一度£400おろそうとしたときでした。私は友達と背を向け合う形で立っていたのですが、突然知らない男に私は「この辺にチャイニーズレストランを知らないか?」と聞かれ、「知らない」と答えたのにもかかわらず、何度もしつこく尋ねてきました。おかしいな・・・と思った瞬間でした。友達が悲鳴をあげたので振り向くと、大きな男2人が友達のお金を盗んだのです。私はその男の腕を捕まえたのですが、ほどかれてしまいました。私は何も考えることもないまま、逃げた男2人を追いかけました。と同時に、叫びながら周りの人に助けを求めました。すると、イギリス人の男性が走って逃げた男を追いかけてくれました。2人のうち1人は車で逃げようとしたので、腕をつかんだのですが振りほどかれてしまい、もう一人逃げた男の後を追ったところ、イギリス人の男性が走って逃げた男を捕まえててくれて、警察も呼んでくれていました。しかし、その男は結局何も持っていませんでした。友達が盗まれたキャッシュカードの照会をしてもらったところ、総額£1200(24万円)全て引きおろされていました。当然我々は警察署に行って事情聴取されましたが、言葉が通じず通訳を呼んでもらいました。事件が起こったのは12時半くらいで、結局通訳が来たのは4時くらいでした。それから簡単な調書を取られました。イギリスの銀行だと、盗まれたお金は保険が利いてほとんど全額返ってくるそうですが、Cバンクは全くダメでした。こっちの警察の巡査部長が東京のCバンクに電話してくれたのすが、結局話が折り合わず返ってこないそうです。因みにその巡査部長に言わせれば「Cバンクなんていうひどい銀行はやめなさい。こんなに被害者の立場に立たない銀行は初めてだ!」とカンカンに怒っていました。犯人は結局3人組で、一人は私に道を尋ねたやつ、もう一人は車で逃げたやつ、もう一人が逮捕されたやつです。捕まった犯人はルーマニア人で、イギリス政府から難民手当てを受けている難民だそうです。

私も犯人ともめた時に若干手にあざを負いましたが、私はお金をすられることもなく、手以外に傷はありませんでした。もしこれが裁判沙汰になれば当然私は証人として呼ばれるだろうし、現に友達より私の方が犯人をよく見ています。後日、我々はマジックミラー越に犯人の顔を見ないといけないそうです。しかし、立件は難しいと思います。と言うのも、捕まった犯人はおとり役で、肝心の野郎がまだ捕まっていないからです。まぁでも犯人にしても、まさか捕まるとは思っても無かったはずです。

結局警察には6時間ちかくいて、寮に帰ったのは7時半過ぎでした。寮に帰ってからこの事を寮メートに話すと「よく追いかけたね。刃物でも持ってたらどうすんの?」と言われてしまいました。今考えるとゾッとしますが、とにかく無事で良かった!って言うのと、友達が可哀相過ぎて同情してしまいます。とにもかくにも、私もCバンクなので、こんなひどい銀行はやめようと思いました。CバンクのメリットはどこのATMでおろせるけれど、これが今回は仇になってしまいました。犯人は9分以内に総額£800を4回に分けて引きおろしたそうです。それに2回目友達がおろそうとしていた£400の被害です。この件でATMでお金をおろすのが怖くなってしまいました。また、東欧系の人を見ると、どうしても警戒心が拭えません。は〜、まさに「なんてこった!」です。

246.(タイトル)〔ロンドンより(2)〕  By 9期生AMさん(2002.3.9)

2月24日の日曜日、なんとなくキングスクロスの駅に行ったらなんと「ハリーポッター」の撮影に出くわしました。第2弾の制作に入るというのは聞いていたけれど、まさか偶然にも撮影現場を生で見れるとは思ってもいませんでした。ちなみに4つのプラットホームを貸切状態にしていたので、エクスカーションに出かける人たちにとっては、さぞかし迷惑だったに違いありません。(撮影用の9・3/4の表示はバッチリ確認しました。ご存知でないと分からない話ですが・・・)

こちらで生活して常々感じるのですが、イギリス人って鼻をかむのにどうしてティッシュではなくハンカチを使うのでしょうか?そんなハンカチで手を拭いているのかと思うとぞっとします。いくらティッシュが高いからと言って、一度使ったものをもう一度ポケットに入れるなんて絶対おかしいです!あと、飲食店に入っておしぼりが出てこないのも凄く気になります。やっぱり、美の感覚だけは日本が最高です!

3月1日、やっと「MAMMA MIA」観てきました。観劇後は興奮が覚めないって感じで、ABBAの歌が頭から離れませんでしたが、1日たってみると、あまりのストーリーの単純さに呆れてしまいました。確かに面白いミュージカルですが、あれは日本では受け入れられ難いと思います。我々日本人が面白いと感じる所と、イギリス人が面白いと感じる所は違いますね。でも日本でのキャストを考えてみると、主役の女性は戸田恵子で、男性は市村正親くらいでしょうね。構成は絶対三谷幸喜がするべきですね。でもやっぱり日本ではダメです。第一、肝心の「MAMMA MIA」が日本語の歌詞になるんですよ。「なんてこった!」なんていう歌は嫌ですね。あれ?「MAMMA MIA」って「なんてこった!」っていう意味じゃなかったですか?豪州出身の先生が「MAMMA MIA」の意味を日本語で「なんてこった!」と教えてくれたのですが、ひょっとして私は騙されたのでしょうか?あと「LION KING」は全くダメですね。ロンドンの劇場はほとんどが日本に比べて舞台が狭いために、いい作品でも小さく見えてしまします。全然面白くないところで笑うという雰囲気も嫌です。イギリス人にとっては面白かもしれませんが、ちょっとした役者の動作に反応して笑うのは正直迷惑です。あと拍手も多いですね。観客は楽しんでいると思いますが、役者にとっては日本の雰囲気の方がやりやすいと思います。勿論、拍手でテンションがあがるということも考えられますが・・・

あまりネットを接続できない為に日本の情報に疎くなっていますが、日系のフリーペーパーでたまに日本の事を知ります。割とくだらない記事が多く、「日本って平和だな〜」と実感します。こちらでは顔が半分ない赤ちゃんの記事がメトロの一面になっており、人々の同情を呼んでいます。またイギリス特にロンドンでスリ・盗難に一番適しているのはダントツで日本人という記事がありました。過去の例ではカバンに700万円も入れていて盗まれたそうです。これは特別かもしれませんが、日本人はどうも危機感に欠けています。それだけ日本が平和だってことの証でしょうが・・・

245.(タイトル)〔エントリーシート〕  By 8期生TK君(2002.2.25)

ご無沙汰しております。悪夢の試験をどうにかやり過ごしたと思ったら、間もなく就職活動が本格化し、結局セミナーで学校ばかり行ってます。今一週間以内に提出するエントリーシート三つぐらい抱えてて、自己アピールを書くために自己分析とやらを何とかしないといけないのですが、考えるたびに行き詰まってばかりで前に進まずに困ってます。エントリーシートの記入事項に多いのが「大学時代にもっとも力を入れたことは何か、そしてそこから何を学んだか」といった類のものです。リクナビとかから送ってくる就職サクセスブックみたいな冊子に合格例が載ってたのですが、それを見ると別に難しいこと書いて無くてすごく簡単そうに見えるんですよね。しかしイザ自分が書くとなるとどうも焦点が定まらないというか、ごちゃっとしてしまいます。

ふと思ったんですが、こんな単純なもので書類選考されるってことは、簡単そうに見えるけどやっぱみんなそれがかけないってことなんだろうと思いました。僕は大学時代何やったんかといわれてもあまりピンと来ません。強いていえばバイトかな。しかしバイトで何を学んだかといったらなんだか典型的な答えしか浮かんでこない。「働くことの責任感と満足感」とか、「いろんな人と出会えて、いろんな価値観を知った」というような。それは確かに事実なんだから書いてますが、みんなが内容的に同じことを書いた場合、どこで判断をつけるのでしょうか。字の美しさだったら僕にはまず勝ち目はありません。それはまあ置いとくとして、やっぱりエントリーシートで落とされることがあれば僕はなんだかなあという気持ちを禁じ得ません。希望者全員に面接するのは物理的に不可能だろうから仕方ないのは分かってるんですが。

何言ってるんだかよく分からなくなってきましたがまあ要するに面接しなけりゃ人間のことなど分かるものかということがいいたいわけです。もっと平たく言えばエントリーシートを書くのが嫌なだけですが。バイトのことばかり書くのもどうかなと思ってゼミのこともネタに使いました。いろんなテーマで議論をして考え方が拡がった、とか。まあ実際そうですし。休みにはいるとゼミのありがたみがよく分かります。週一とはいえ様々な議論が出来る場があるというのはなんというかまあ、ありがたいもんだなしみじみと思います。しみじみしてる場合じゃないんですけど。

244.(タイトル)〔ロンドンより(1)〕  By 9期生AMさん(2002.2.23)

無事にロンドンについて早4日目になります。伝えたいことが山ほどあるので、長いメールにしばしお付き合い下さい。

まず、ロンドンは相変わらずのお天気です。だいたい陽が照らし始めるのは朝の8時頃といったところでしょうか。降ったり止んだりの毎日です。こっちに来て全く糖分を摂っていない自分に驚きますが、油っこいロンドンの食事には大分気遣っています。朝食は毎日シリアルとトースト。分かっていた事とは言え、やっぱり悲しくなりますね。同じ寮にはた〜くさんの日本人がいます。日本人の帰属意識ってすごいですね。私は相も変わらず自分のペースで淡々と生活しております。

イギリスは確か水道代が高いのでしょうか。シャワーから出てくる水はじょうろに負けず劣らずの勢いです。温かいのか冷たいのかもよく分かりません。また、部屋にheatingがないのも納得出来ません。だいたいこの寮には40人ほどが生活しているのですが、ある晩知らずにダイニングの机に座っていると「ARE YOU VEGETARIAN?」と聞かれました。慌てて「NO!」と答えて違うテーブルについたのですが、意外に菜食主義者が多いことに驚きました。しかし、ロンドンの食生活を考えると、菜食主義でもいいかな・・・な〜んて思ったりします。

ロンドンの街は相変わらずです。ただ、メインストリートとも言えるオクスフォードStやピカデリーのあたりの店がいくつかつぶれていたので、こっちの不況も深刻なのでしょうか・・・。来週の月曜日から学校が始まりますが、その間に色々と見て周りたいと思います。ちなみに、やっと1年半待ってようやく「MAMMMA MIA」と「LION KING」のチケットが手に入りました。「CATS」はもうすぐ終わりです。1988年くらいからずっと続いてたのかな。客足が鈍りだしたのが原因だそうです。私が見たときは超満員だったのですが・・・。また、メールします。とりあえず、近況報告まで。

243.(タイトル)〔北海道より〕  By 4期生OT君(2002.2.17)

鈴木宗男と狂牛病の話をしましょう。まず狂牛病についてですが、牛肉が大丈夫かということについて言わせてもらうと、「多分大丈夫・・・」現在出荷されているものは全頭検査しているため、異常プリオンが存在するものは全てはじかれて市場には出回らんようになっています。ただとことん追求していくとまだ狂牛病について100%解明できていないのが実情。しかしそれを言い出すと、羊のスクレイピーも同じであり、また鳥や豚だけが肉骨粉をエサにしても本当に問題ないのでしょうか???北海道内の焼肉屋は結構繁盛しています。半額セールをした2日間なんて、どこの焼肉屋に行っても行列、行列。北海道より本州の方が、牛肉に対する不安を感じている人が多いのかな?今酪農王国北海道からはっきりと言えることは、「牛肉はおいしいよ」ということです。「あと牛乳もおいしいよ」

次に鈴木宗男について。北海道の足寄町出身。足寄町とは私のいる十勝支庁管内で、私自身週に1度は足寄に仕事で行ってます。地元足寄町でも、一般町民の彼に対する評価は冷ややかです。ただ皆さんにひとつわかっておいて頂きたいのは、道東道(日本一交通量が少ないと有名になった高速道路)は必要だということ!札幌市と帯広市の間には、日高山脈が走っており、そこを行き来するには日勝峠という山道を通らなければなりません。札幌-帯広間は現在車で4時間半。冬は路面が凍結して峠を越えるにはかなり過酷な状況。しかし交通量は非常に多い。日勝峠での年間交通事故死者は70人を越えます。現在道東道は次のような状況です。〔札幌-夕張・・・・・十勝清
水-池田〕この・・・・がいまだつながっていない状況。一番必要な部分(つまり過酷な峠の部分)がつながっていないのです。そして「日本一交通量が少ない」と有名になったのが〔十勝清水-池田〕そんなところは地元民誰も通りません。なぜなら(他に高速と同じように飛ばせる国道があって)必要ないから。しかし〔夕張・・・・十勝清水〕がつながれば、皆利用するのです。鈴木宗男が問題なのは、肝心の〔夕張・・・・十勝清水〕の工事をはじめずに、今度は地元足寄町に高速道路をのばす計画を進めてやがる。足寄の一般町民は、「そんなもん出来ても誰も使わんよ」と言ってます。皆さんおわかりでしょうか?(わからん人は地図を見て下さい)鈴木宗男は、必要な道路工事を着工せずに、これだけムダな金を使うなと言ってる時代に、本当に無駄な道路を地元に引っ張ろうとしている大バカヤロウです。以上、近く、彼は必ず政治生命を終えることでしょう。

242.(タイトル)A Happy New Year!!!  By 7期生TT君(2002.1.4)

片桐先生、あけましておめでとうございます。2002年が始まりましたが、いかがお過ごしですか?僕は友達とパーティーにでたりビーチに行ったりして、夏を満喫した新年が始まりました。オーストラリアのクリスマス・New Yearなど、日本とはいろいろな点で違うということは知っていたのですが、体感できたので、その経験を感じたままに伝えたいと思います。

やはり、一番驚いたのが、12/25・12/26・1/1のcityのあり方です。12/24・31は夜も遅くまで、と言っても9時くらいまで(これでもずいぶんと夜遅い)なのですが、デパートをはじめ多くの店がやっていました。しっかりイブの夜には、道路も通行止めになって、サンタがトナカイにひっぱられたそりでその通行止めで多くの人に見守られた道を行きました。しかしながら、12/25・12/26・1/1には、店が気持ちいいくらいに閉まっていて、道路を走る車の数もかなり少なかったかのように思えました。日本だったら、クリスマス・正月ともデパートなどが「クリスマスプレゼント用に」とか「お楽しみ袋」といった感じの賞品を作り、店を開けどんどん売ろうとするところです。また、他の人たちも、「クリスマス」「正月」ということを強調して働こうとします。つまり、日本では、そういう特別な日を利用してまでも、どんどん働いて何かと利益を出そうとします。やっぱり、オーストラリア人の物事への考え方からでしょうか、そういう特別な日には、バスや電車ドライバー・テレビ局員など特別な職業の人を抜かしたらほとんど働いていないように思えました。もちろん、その電車やバスの本数も平日と比べたらかなり少ないものです。いくつか理由があるだろうと思いました。

1.休日……オーストラリアには日本と違って休日というのがあまりありません。日本では、何かと国民の祝日というのがありますが、こっちでは8日あるかな(?)というくらいだったと思います。それが原因でしっかりそういう特別な休みの日にしっかり休むのかもしれません。

2.欲……以前先生から教わったことですが、「オーストラリア人は金銭的欲もしくは社会的地位欲に関して、ある程度の水準の生活を送れる程度のものであったら、その人が持っている以上の高い地位などを望まない人が多い」らしいのです。お金は人生を送るために必要なものですが、楽しむためにお金はもちろん必要です。しかしながら、必要な分だけあるのならば、それ以上は働く必要はない。これは、5時6時で家に帰る人が多い理由だろうと思います。「お金は人生を豊かにするための補助物」ということは、日本人も分かっているのですが、日本人は分かっていても実行は無理かもしれません。

3.優先事項……以上のことも踏まえ、ひたすら働けという日本とは違って、Priorityが国民全体にしっかり浸透しているなと思います。人生を楽しむのが先か、お金を貯めるのが先か・・・。別に、日本の経済が発達しすぎて1日でも休むと大変なことになるので、「日本では全てがpriorityだ」と思えるかもしれませんが、オーストラリアも経済の点から言って、日本には及ばないもののかなりのものだと思います。

国全体として、1日を祝い・楽しみということも心のゆとりを持つという点においていいことだなと改めて感じました。

New Yearへのカウントダウンでも、多くの人が花火を打ち上げられるところの近くに集まって一緒にカウントダウンして祝ったり、cityの夜の繁華街にあるパブとかに行ったりしているみたいでした。オーストラリアの主要都市では、花火が打ち上げられたみたいです。テレビで見ましたが、シドニーはハーバーブリッジからの花火が出て凄く綺麗でした。

ところで、イベントの時になると、一番大変なのが主催者とかより、警察官ではないでしょうか。未成年者の飲酒・喫煙などをとりしまって、警察官には「クリスマスはクルシミマスだな」と思いました。(笑)でも、テレビで、若者が警察官に「A Happy New Year.」という言葉とともに握手をしていたシーンを見て、なんとなく変な感じがしたと共に、新鮮にも感じました。心の中に「やってみたらよかったな」という後悔と共に・・・。

241.(タイトル)〔クリスマスの思い出〕  By 9期生SMさん(2001.12.23)

ふう、また1年が過ぎ、クリスマスがやって来ました。今年も「ケーキ売り」で私のクリスマスは終わっていくのでしょう。まー、ホームパーティはやるんでいいかな。家族が一番ですよね。にしてもなぜ基本的にキリスト教でない私達がここまで、クリスマスにこだわるんでしょうね。家族や恋人などが、「愛」などを確認しあえる丁度いい機会だからですかねえ。クリスマスはやるのに、ハロウィンはやらない・・・。うーん、不思議ですね。

私の中で一生の思い出になるだろうクリスマスは、浪人時代のクリスマスです。24日の日、いつも通り、夜遅くまで予備校に残り、皆で勉強?(怪しいですが・・・)してて、帰り駅に向かう途中で、ケンタッキーが、あと1箱で売り終わりって感じで店頭で販売していたんです。私達の中の一人が、「食べたい」と言い、皆賛成でお金を出し合い、もう閉店して木にイルミネーションだけついているデパートの横で凍えそうになりながら食べたんです。もう冷めていたのに、すごく美味しかった。きっと、クリスマスにどんなに豪華な食事をするより、美味しかったし、心が温かくなる体験をしたと思います。なんでもそうなんでしょうね。辛かったり、しんどかったりして、自分がいっぱいいっぱいな時に同じ境遇の仲間達と共に過ごす一瞬一瞬が、とても良い思い出になるし、自分の成長にもなる。クリスマスって、豪華とかそんなの関係なくって、一人一人にいい思い出を作るためにあるんじゃないかなとも思います。その1日の出来事が、心のアルバムに刻まれ、たまに勇気や元気をくれる。もーそれだけで、クリスマスの役目は果たしているのではないかなと。そう、クリスマスは自分の為にあるのでは・・・と思いました。

240.(タイトル)〔「ゼミの集い」に参加して〕  By 1期生TSさん(2001.12.23)

どうもお疲れ様でした。ほんまにめっちゃ楽しかったです。まあ正直いって1期生1人っていうのは、なんか「はりきり」って感じで少し後ろ向きでいたんやけど、せっかくやしということで行かせてもらいました。さすが先生の教育が行き届いてますね。うちが皆を圧倒したというより、周りがうちをもちあげてくれたって感じです。ほんまに楽しかった。ほんでこの日は朝まで盛りあがったようで。うちも次の日仕事やなかったら行きたかったけど……。ひさしぶりうちのスペシャルボイスをきかせてあげたかったんやけど・・・。残念でした。来年も1人でも参加します。でもほったらかしにせんといてください。やっぱさみしいし。人前でしゃべるのはあんましうまくないのは相変わらずですが。

239.(タイトル)「ゼミの集い」に参加して  By 4期生YCさん(2001.12.18)

私は、2次会までしか参加できませんでしたが、久しぶりにたくさんのゼミ生に会えてとても楽しかったです。また、9期生の若さにも圧倒されました・・・若いってほんとにいいなあ。ともあれ、普段の社会人生活のなかでは滅多に会えないような人たちと交流する場があって、ほんとに幸せだと思いました。これも、あのとき片桐ゼミを選択したおかげですね。

238.(タイトル)祝・第10回片桐ゼミの集い  By 7期生TT君(2001.12.19)

片桐先生、お久しぶりです。お元気ですか? Tです。 この間、第10回片桐ゼミの集いが盛大に行われたようですね。 ホームページ久々にチェックさせていただきました。朝5時の写真ですか。最初見た時は、「あれ?人が少ないぞ。何故だ?」と思いましたが、朝5時だったとは・・・。 来年、再来年には100人規模の集いになりそうですね。10年後とかは、一体・・・・・。ゼミ生からのメッセージを読む限り、例年以上に盛り上がったようですね。そして、気付いたこととして、ゼミの集いを毎年やると、「片桐ゼミの素晴らしさを知った」という声が多いですね。つくづくいいことだなと思いました。

残念ながら、僕は参加できませんでしたが、同時に行われた友達主催のパーディーに参加していました。インターナショナルのパーティーでなかなか楽しかったです。 最近の僕のことを少し。 僕はこの間、無事(?)にテストが終了し、こっちでやらなければいけないことがとりあえず、一通り終わりました。まだ、2ヶ月ちょっとこっちにいるつもりですが、またこれからいろいろなことが学べればいいなと思っています。

237.(タイトル)〔「ゼミの集い」の感想〕  By 9期生IMさん(2001.12.18)

片桐先生へ  土曜日の親睦会、すばらしいものでした。一期生の方から私達九期生まで集まり、先生とてもニコニコして、ずっと嬉しそうでしたね。あんな嬉しそうにした先生をはじめて見て、意外な一面を見た気がしました。また、片桐ゼミの奥深さを知りました。先輩方と貴重なお話が出来、嬉しさと満足感でいっぱいでした。入学したての、サークル入りたての頃の初イベントの雰囲気(知らない人ばかりで、同回の友達を作りつつ先輩と話をするっていう新鮮さ)を思い出しました。すごく楽しかったです。

236.(タイトル)ありがとうございました。  By 2期生IEさん(2001.12.18)

ホームページの存在さえも知らなかった私はかなり時代から取り残されているような。。。早速、ヤフーで検索して見つけました。今後は、ちょこちょこ訪問させてもらいます。

ゼミの集い、ありがとうございました。まさか徹夜になるとは思ってもみなかったけど、久々にいつもとは違う空気の中で、楽しかったです。みんなより、年齢が高いのは、ちょっと悲しいですが・・・。また何か変化があれば、今までよりはまめに連絡入れます。では、また。

235.(タイトル)ありがとうございます。  By 2期生MSさん(2001.12.17)

こんにちは。先日は、片桐ゼミの近況報告ありがとうございます。

この週末、大寒波がバルセロナに来襲。この街で雪が降るのを初めて見ました。バルセロナの街は海沿いなのでそれほどでもなかったのですが、バルセロナの背後にある山の向こうはかなり積もったようです。(ちょうど神戸の六甲山みたいな感じ)そして、寒さで消費電力が上がり、なんと金曜の夕方一時街の大部分が停電に陥りました。その時私は学校のB1にある図書館でレポートを作成中。もうめちゃくちゃあせりました。なんせ地下だから真っ暗。非常灯もなく、視界ゼロ。なんか神戸の震災の時のことを思い出し、少しパニックになってしまいました。すぐに学校の人が来たのはいいのですがちっちゃなライター1つ持ってきただけ・・・。(懐中電灯なんてものはないのですね)記憶を頼りになんとか、机の上のものを片付けて建物の外へ。暗い街の中、不思議だったのが、通りに飾られてる電球のイルミネーションは消えてなかったということ。どういう電気の供給をしてるのでしょう・・・?「備えあれば憂いなし」なんて言葉はスペインには存在しないようです。さすがラテンの国。非常事態に陥った時は、悲惨そのもの。こういう思いをしても、反省して今後に生かすということがあんまりないだろうなぁ〜。

234.(タイトル)〔「ゼミの集い」の感想〕  By 9期生AMさん(2001.12.17)

「ゼミの集い」の感想を送らせてもらいます。参加しないとあの良さは分かりませんね。本当に楽しい時間を戴きました。特に先輩方と話す機会があって満足です。こぞってゼミの自慢話をしていたのが印象的です。授業では見ることの出来ない先生の「優しい顔」を見れたのも満足です。(普段が怖いという意味ではなくて、始終柔らかい表情とでも言いましょうか・・・)なるほど、ゼミ生が先生を慕って、またゼミ仲間を慕って各地から集まって来るのがよく分かりました。ずっとずっと続くといいですねぇ・・・。最近、あまりいい身の上話がなかったので、15日はここ一番の素敵な思い出になりました。幹事を務めて下さった3回生の方があってだと思います。改めて感謝します。

233.(タイトル)〔卒業生の近況報告を読んで〕  By 3期生ARさん(2001.12.17)

片桐先生へ。報告のメ−ルありがとうございます。近況報告は会社では全部読み切れず、家に持って帰ろうと思っているのですが、3期生の所だけ読んでみましてもみんなそれぞれ頑張ってるのがよくわかって、元気わきました。特に、Kちゃんはいつのまにかお母さんになっててビックリでした。ほかの女の子のメンバーたちはみんなどうしてるのかなあと思います。我ながら、“なんと筆無精の、連絡無精なんでしょう”とも思いました。(先生にもなかなかメ−ルもしないので今に始まった訳じゃないですね、スミマセン)来年の「ゼミの集い」のころには○月×日に結婚する予定です。とか言ってみたいですネ・・・。取り急ぎお礼まで。またお会いできるのを楽しみにしています。

232.(タイトル)ありがとうございました。  By 5期生OK君(2001.12.17)

片桐先生へ。15日は朝まで本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。あんなに打算のないうまい酒を飲めたのは、ひょっとすると大学時代以来かもしれません。

5期生とは4年ぶりに会った人がほとんどでしたが、みんな本当にいろんな人生を歩んでおられて、一方現役生はあの頃の僕らのように揺らぎながらも手探りで次のステップに進もうとされてる・・・。また、関大周辺がかなり様変わりしつつも4年前の雰囲気も残していたりもして、あの頃食ったものをみんなで思い出したりもしたり・・・と、いろんなことを対比して考えていたら少し感慨深くなって先生に少し「痛い」心情を吐露してしまいました。

現役生のみなさん。先生もおっしゃってたとおり文系のゼミでタテの繋がりがあるというのは関大ではあまり聞いたことがないですし、体育会系や同窓会とは違った雰囲気は刺激的で貴重な体験だと思います。僕も同期に会えたことと同じくらい、別の年代のOB・OGの方々や現役生と話ができて楽しかったです。いまは先生の顔を見るのもいやな人もいるかも知れませんが、いつかそれも消化できるときが来ると思うので、今後も大事にしてほしいと思います。

それでは皆さん、これから益々寒い日が続きますが「よいお年を」そして「GOD BLESS!!」ということで失礼します。

231.(タイトル)ゼミの集い、おつかれさまでした!  By 8期生SYさん(2001.12.16)

こんばんは。昨日のゼミの集い、とても楽しかったです。昨年のゼミの集いから、もう一年経ったのかと思うと、日が経つのは本当に早いなーと思います。9期生を見ていて、昨年、ドキドキしながら参加して、緊張して同回生と話すのもすごく遠慮がちで、ごはんもあまり食べれなかったよなーなんてことを思い出して、みんなと話していました。卒業生の近況報告を読んだり、昨日、OBさんの話を聞いていて、卒業してもつながりがあるゼミということで、改めて、片桐ゼミでよかったなー、と思いました。ほかにはないですもんね!私たちが卒業して、みんなが結婚して、そんなの今は全然わからないけど、いつか私たちも誰かの結婚式に出席したりしてるのかなー、とかいう話でもみんなで盛り上がっていました。誰が一番に結婚するのかな?

1次会では、8期生の代表として挨拶をしましたが、本当に緊張してしまいました。もう、言っていることがめちゃめちゃだったような気がしています。本当にごめんなさい。後から、「あー、OBの方たちに対する挨拶が全然言えなかった」と、反省しました。でも、みんな笑ってくれたので、それで場がなごんだのならありかなー、とも思いつつ・・・。挨拶で言ったように、卒論、頑張っていきたいと思っています!まずは構想ですね。また、図書館で本見てみようと思います。では、おやすみなさい。おつかれさまでした!

230.(タイトル)「人ってつながってる」それを思えるのが先生のゼミです  By 8期生NH君(2001.12.16)

どうもおつかれさまでした。第10回ゼミの集い、盛り上がりましたね〜。僕も思う存分楽しませていただきました。三次会はみなさん朝までがんばりましたね。(朝5時に撮った写真は、みんなどんな表情で写ってるか楽しみです)三次会は残ってホントよかったです。OB・OG、7期生、9期生、いろいろな人と話ができたのは、楽しかったと同時に、貴重な時間(とき)を過ごせたと思います。いいですわ、このゼミ。 

229.(タイトル)〔ゼミの集いに出席して〕  By 4期生MN君(2001.12.16)

昨日は大変楽しかったです。何かしら伝説が生まれる集いですが、あんなに遅くまで(早くまで?)、あの人数、しかもOBがあんなにたくさんは同窓イベントでもちょっとやそっとないでしょう。しあわせです。ご馳走様でした。

228.(タイトル)ゼミの集い  By 9期生MYさん(2001.12.16)

Mです。ゼミの集い、お疲れ様でした。あのように縦のつながりのあるゼミは、滅多にないんですよね。すごいです!現役のゼミの先輩方だけでなく、卒業した先輩方とお話する事もできて、本当に楽しい時が過ごせたと思います。(^-^)

それにしても、片桐ゼミ生の人達は本当に個性的な人が多いですね。話を聞いていて、やっぱり不安になってきてしまいました(苦笑)。でも、片桐ゼミを上手くくぐり抜ける方法(?)を、いろんな先輩が伝授してくださったので、教えをもとに頑張ろうと思います(笑)。あと、片桐ゼミは私の宝だと言っていた先輩がいました。なんだか感動してしまいました。私も精一杯努力して、そう言えるようになりたいです。それでは朝までご苦労様でした。

227.(タイトル)〔ゼミの集いに出席して〕  By 5期生RH君(2001.12.16)

片桐先生、昨日はお疲れ様でした。朝早々に東京に戻りまして、今まで寝ていました。昨日は久しぶりにみんなに会えて楽しかったし、何よりKの大復活が嬉しかったです。みんなどんどんいい歳になっていきますけど、年に1回学生気分を味わえますのでいい刺激になってます。・・・・ある意味子供がえりしているんですかねぇ。それではまた今度は何処から駆けつけるかは分かりませんが、今後もますます片桐ゼミが発展しつづけることを祈っています。

226.(タイトル)お疲れさまでした!  By 9期生SMさん(2001.12.16)

昨日&今日?はとても楽しかったです!!もー先生のゼミってやっぱすごくいいなと思いました。卒業してもずっと繋がっている。やっぱそうなるにはいっぱい要素が必要で、その一つには、しっかりと自分をそれぞれ出して、お互いに認め合っているってことだと思いますわ。ふむふむ。いいなあ。

昨日の話の中で、「社会学って、社会の中で役立ちにくい」みたいな?話がありましたが、私はもっと身近なとこ、昨日みたいに皆で話をしてるだけでも社会学を学んでいるような気がします。そんな身近なところで学んだ社会学も、気がつかないうちに自分の中で吸収し、気がつかないうちに、小さな自分のまわりの社会で役立っていて、気がつかないうちに、少し大きな社会へも役立ち・・・。っと言う風に、あれ?なんか、社会学でこんな感じに学問あった気がする・・・。違うかな?

もーとにかく楽しかったです。初朝帰り?だし。でも薄暗ーい朝方の風景ってなんかすごくいいですね。静まりかえった、あの感じ。いいなあーって思いました。空がだんだん明るくなっていくのをビルの谷間からみる風景もなんとも言えない良さがありました。

225.(タイトル)〔平和について〕  By 8期生TMさん(2001.12.14)

今週のゼミでのニュース報告のテーマだった「平和ってなんだろう」について、私なりの「平和」を思いつきました。外国のシステムを知らずにこんな事を言うのは問題だと思いますが敢えて言いますと、奨学金・献血・国民年金などの仕組みが国内で支え合いながら運営されている国は平和だと言えるのではないかと思います。そう思ったのは最近、以前国民年金の学生免除を申請したのに「未納になってるので払いに来て下さい」という通知が来たことがきっかけです。ちゃんと国民年金を払い続けたとしてもどのくらいの人が、年金を受け取れる65歳まで生きていられるのでしょうか。私自身生きられるのでしょうか。「無理そうだったら払うの止めてしまおうか」、なんて考えが頭をよぎったのですが、それはみっともない考えで、「国民年金払い続けるよりタンス預金した方が安心」なんて説もありましたが、それは国民年金制度を崩壊させる考えだという事にはっきり気づきました。だって多くの65歳以上の人の生活を支えてるんですもん。年金制度には、金八先生ではないですけど、「人という字はぁ・・・(ちゃんと覚えてません。とにかく支え合って出来てる、といったような事を言ってましたよね?)」というのが生きていると思います。そんな制度は戦争中もあったのかもしれませんけど、滞りなく運営されるのはやはり「平和」な状態ではないと難しいのではと思ったのです。献血も奨学金制度も同じではないでしょうか。

224.(タイトル)「教養って何でしょうか?」で考えたこと  By 8期生NH君(2001.12.10)

前回のゼミで先生が「教養って何でしょうか」と言われたので、僕なりに考えてみました。

一般的に「教養がある」とか「教養が高い」という言葉は、その人が勉強してて知識があることを表していると思います。例えば古典や歴史をよく理解してるとか、本をたくさん読んでて作品や作家について詳しいとか、クラッシク音楽に通じているとか。一般的にそんな話をする人と会うと「この人教養あるなー」と感じがちではないでしょうか。しかし、古典や歴史をよく理解してるだけでは、教養があるんじゃなくて「ただのオタク」って言われてしまうでしょう。じゃ、「教養がある」ということは本当はどういう意味か?「教養がある」っていうのは、ちゃんと究めた道を持っていて、その他に知的なことを修得していることだと思います。つまりその人の専門領域というのがちゃんとあるんですが、その知識だけじゃなくて、他の分野の知識もあるということです。(大学の一般教養っていうのは専門知識をより理解するためにあるんだと思いますが、実際は専門だけじゃ卒業単位数をそろえるのが大変だからあるような気がします)いろいろな知識を持っていることはいいことでしょう。一つの事例に対して柔軟で深く考えることができると思います。そういうのって人間性の豊かさにもつながるような気がします。

223.(タイトル)12月8日の初ゼミについて  By 9期生AMさん(2001.12.9)

とっても興味深いメンバーの集まりでした。出会うべくして出会った仲間なのかなぁ・・・と思います。社会学専攻の先生総勢11名の中から「片桐ゼミ」を応募してきたのだから、きっと変な(個性的な)人間ばっかりだと、胸をはずましています。今度再会したら、是非「片桐ゼミの応募動機」を聞きたいです。

「6期生ゼミの総括&卒論講評」を読みましたが、他人を理解するという作業は、極めて難しい課題だと実感しました。付き合いが密になればなるほど、互いの嫌な面も見えてくるであろうし、ゼミという特別な空間で2年数ヶ月共生していくわけだから、やはりお互いを高め合うことが不可欠だと思います。「諦めたらそこで試合終了!」ってことでしょうか?!

ところで、やっぱり先生のトークは隙がないですね。別に他人を傷つけている、という風にはとれないのであそこまでストレートに語れるのは素敵ですけど。要するに、パワーがないとついていけないのかな?1回生の基礎研の時の経験でそれなりに理解いや覚悟はしていましたが、改めて考えさせられました。先生は興味のあること(時)とないこと(時)の差がハッキリしていて、分かりやすい人だなぁ・・・と思います。「強い者には強く、弱い者には弱く」を意識しているのでしょうか?

HPは一通り拝見しました。なかなか私なりに突っ込んで読ませてもらいました。「ロンドン便り」はイメージが湧く分、正直カナリ笑わせてもらいました。

「若者に価値はあるのか」という問いかけについてですけど、「老人」と同様にある!と思いますよ。若者の基準をどこに置くかによって弱冠かわりますが、若い時は選択肢がゴロゴロ転がっています。これを模索しながら生きている若者の姿をみて先生は何とも感じないですか?「自分は若いからなんでも許される!」と豪語して生きている人間などに、私も別に価値など感じません。しかしこれは老人についても言えます。「私は年寄りだから周りがなんでもしてくれる」と言っている人には全く魅力など感じませんよ。また、最近は「若者が全て」という風潮が流れつつありますが、あれは誤解だと思います。今年の成人式で若者の在り方が社会問題になりましたが、ああいう人間はいつでも存在するものです。「若気の至り」と思って放っておいたらどうでしょう?マスコミの影響力は恐ろしいと感じます。ああいった若者が増えたのではなくて、世間の関心が若者に向いているのだと思います。確かに「老人」への関心が薄れているようにも感じますが、これは人に強制されてするものではありません。自分の成長過程の中で学ぶものです。身近な老人、おじいちゃん・おばあちゃんとよく接する機会があった人は、自然と老人を大切にしているはずです。第一、年をとるということは、過去(若いとき)がないと出来ません。

話は反れますが、日本人の頑固さは嫌いです。頑固と自分の意志を貫くとは似ているようで違います。特に「ごめんなさい」と言うのが日本人は苦手なようです。これは若者だけに限りません。「ごめんなさい」という言葉が持つ意味は大きすぎるように思います。「sorry推進運動」は賛成ですね。

---

<K氏から>

ついに9期生の登場です。今年から、片桐ゼミではこの12月の初顔合わせを「プレゼミ」と言うのをやめ、「第1回ゼミ」と呼ぶことにしました。9期生ゼミはもう始まったのです。これからは、そうした意識でおつき合い下さい。この欄にもどんどん9期生が登場することになると思います。

222.(タイトル)〔From Switzerland〕  By 4期生MN君(2001.11.23)

Hello.  Japanese cannot input, so sorry put in English.

Now I'm in Switzerland. Italia and Switzerland keep their own town style.  There are quit beautiful and so cooool.  Of course some unuseful sphere is in such town.  But this beautifulness wins trivial unusefulness.

In Otaru seminar, German Professor said Japanese has hardly to keep historical buildings.  At that time I feel anti-sympathy. But now I understand his speech.  I wonder why Japanese kick off historical town completely.  For modernization?  Mottainai!

From now I will visit Vienna-Austria.  I'm looking' for feeling the town keeping Hapsburg era.

Having a Chance, I will send again. 

Sincerely

221.(タイトル)〔姫路市タウンウォッチング〕  By 6期生MM君(2001.11.13)

姫路市主催・タウンウォッチングに参加しました。とてもいい企画でした。年に一度、開催されているそうで今年で10年だそうです。地元にある優れた景観を市民に紹介し、共に文化財産について考えることが目的のようです。参加者は50名くらいで年輩者が多かったです。ハイキングがてらといった感じでしょうか。旧山陽道には、姫路市が指定する重要建築物が数件残っています。他にも20件近く姫路市内で指定されている建物があるそうです。他にも指定したい建物がいくつかあるそうですが、保存の為の所有者の費用負担の問題があり、なかなか指定を受け入れてもらえないようです。市の職員の方とも色々と話をしてとても楽しく、勉強になりました。

220.(タイトル)『カリスマ』の感想  By 8期生TK君(2001.11.4)

  前期のグループ発表で僕は経済班での発表でしたが、あのとき先生が言ってはった中内ダイエーのノンフィクション『カリスマ』をようやく読み始めました。前期発表後に読もうと思ってたはずがコロッと忘れてまして・・・。上巻だけ買ったのですが、なかなか分厚く、こりゃなかなかすすまねえだろうな、と思って電車の中で読み始めたんですが、意外や意外、スイスイ読めて三日ほどで読み終えてしまいました。さすが良くできたノンフィクションは読み物としてもおもしろいもんだと感心しました。まだ上巻しか読んでませんが、この本のおもしろさは何なのかというと、中内功という人物についてその人間的な側面を徹底的に深くえぐり出そうとしている点だと思います。戦後経済を形作る上でまさにその原動力となった人物、ときに考えられないような無茶なやり方で時代を切り開いてきた人物を突き動かしてきたものは何だったのかという。時々著者はあまりにも戦争時の体験に何でも還元しすぎなんじゃないかと思ったりもしましたが、戦争という極限状態における体験はやはりそれほどまでに人を呪縛するものなのでしょうか。成功者かどうかは僕には分かりませんが、戦後日本経済を考える上で開拓者であるのは間違いないと思います。兄弟は引き裂かれてしまったようですが・・・思うに、あまりに激烈な人間のあまりに激烈なエネルギーは大きなことを為し遂げるがその余波で周囲の人間にも時として害をもたらすということが中内氏の生き様を見ていくとよく分かります。副作用みたいなもんですね。あと、この本は戦後経済の大まかな流れをつかむのにすごく役に立つと思いました。下巻ももちろん読んでみようと思います。

219.(タイトル)〔アメリカ旅行〕  By 4期生FT君(2001.11.1)

9/3に大阪を出発し、10/26に帰ってきました。サンフランシスコで野球三昧の日々を送っているところで、あのテロが起きました。非常事態で毎日ヒリヒリしながら、それでも旅行を続けました。毎日星条旗を目にし、GOD BLESS AMERICAを耳にしながら。

飛行機の周遊券を買っていたのですが、結局使わず、列車とバスで下記のルートをたどりました。

サンフランシスコ→シアトル→サンフランシスコ→シカゴ→ミルウォーキー→ワシントンD C→ボルチィモア→ニューヨーク→ボストン→クリーブランド→シカゴ→ニューオリンズ→エルパソ→ロス→サンフランシスコ

大変でしたが有意義でした。野球も計16試合観ました。イチローはもう神の領域ですね。

ワールドトレードセンターも観てきたし、ボストンでは小沢征爾観たり。相変わらずゲイには好かれるし、国境超えて、戻るときに拘束されたり、色々ありました。戦争中だということで、緊張しながらも一生懸命遊んできました。

218.(タイトル)世界は狭い  By 2期生MSさん(2001.10.30)

こんにちは、片桐先生。バルセロナのMです。ご無沙汰してます。お元気ですか。私は引き続き、バルセロナで勉強を続けてます。

先日、こちらで知り合ったYさんという日本人のお友達と飲みに行った時、彼女の妹さんが片桐ゼミにいるという話を聞かされて、ビックリ仰天してしまいました。世の中は狭いとはよく言うものの、まさかバルセロナでそんな片桐ゼミの話を聞くなんて。しかも、片桐ゼミネタはなんと2度目なんですよ。

友達:実は私の元彼氏は、関大の社学やってん。

私:そっか〜。で、専攻は?

友達:社会学専攻。

私:私と同じやわ。もしかしたら、名前知ってるかも。でも社会学専攻だけでも、200人以上在籍してたしなぁ。

友達:××クンっていうんやけど・・・。

私:!!!!!

とにかく、世界は広いようで狭いのです。こっちでは、「世界は1枚のハンカチの上にのったようなもの」と言うのですが。それでは。

---

<K氏から>

他にもこういう話はありますよ。もう9年ぐらい前のことになりますが、ニューヨークのブロードウェイで、私の親しい友人とうちのゼミ生が偶然知り合いになったなんていうのもあるし、私自身もミシガンで高校時代の友人にばったりあったり、ローマで大学院の友人に出会ったりしています。”It’s a small world”ってことですね。

217.(タイトル)〔タイ旅行〕  By 4期生OT君(2001.10.30)

7期生・TS君の「タイ旅行」を拝見しました。実は僕も昨日まで新婚旅行でタイに行ってきました。(プーケット4箔・バンコク2泊のいわゆるパック旅行ですが・・・)

僕がタイに関して受けた印象は、TS君とは少し違います。「マイ・ベン・ラン」(気楽に行こうぜ)という雰囲気は多少はあるかもしれません。ただ、僕が強く感じたことは、タイ人は非常に礼儀正しくて、勤勉であること。僕は農業系の商社に勤めていて、日々、「日本で生産したものを日本で消費する」ということに限界を感じています(コスト面で)。中国人の平均的な給料は日本の約15分の1。タイ人は日本の約6分の1です。確かに産業を自ら見つけ出せなくて、「マイ・ベン・ラン」で毎日を過ごしている人はいまだ多い気がします。しかし例えば日本の企業が一度技術指導をし、また社員教育をしてしまえば、彼らは勤勉なので、非常によく働きます。

最近、僕は「maid in Thailand」の輪ゴム(原料だけでなく、製品加工までタイで仕上げたもの)の卸しを始めたのですが、今までひとり勝ちしていた日本のブランドが面白いように崩壊していきます。コストは当然安いが、品質もすばらしい。タイが伸びていくために必要なことは「自らの強みを知ること」だと僕は感じました。(日本の製造業が中国やタイに移り、農業もまた同じ道をたどることを喜べませんが・・・ 本音では)

治安も悪くないし、海はきれいだし。すばらしい国だと感じました。女性は日本の方がきれいやけど・・・(日本人と結婚しました)

216.(タイトル)〔『蒲生邸事件』〕  By 6期生MM君(2001.10.29) 

宮部みゆき『蒲生邸事件』って読まれたことありますか?もぉ〜号泣です。舞台は東京、主人公の若者が予備校受験のために泊まっていたホテルが火災にあい、逃げ遅れていたところ、居あわせた時間旅行者とともに昭和11年2月26日にタイムトリップしその火災から逃れるのです。で、主人公の若者が2・26事件や戦前の日本社会を体験。言葉として「2・26事件」は知っているものの経緯などを知らないことを恥じたり、人の温かさや現代ではスイッチで用足りる仕事を人がやっている…。主人公の若者と時間旅行者が繰り広げる物語が「歴史」についても考えさせてくれる、とてもいい作品でした。

---

<K氏から>

そうですか。私はいまひとつだと思いました。どうも宮部みゆきの書く人間は薄っぺらい感じがします。特に、主役が魅力的でない気がします。まあ、「つらつら通信」にも書きましたが、歴史は個人では変ええないという発想は賛成ですが……。

215.(タイトル)〔大坂の坂道〕  By 8期生NY君(2001.10.27) 

大坂の坂道について書かれていたので、ちょっとコメントを。中学生の頃、夕陽丘の塾に通っていたのでこの辺りはよく通りました。僕が住んでいるところはまさしく通天閣の下、パチンコ屋がたくさんあり、飲み屋も多くて酔っ払いは多い、ガラの悪そうな連中は多い等等、本当に雑多な感じがするところですが、たまにこの坂道周辺を歩いたりすると、とても静かで歩くたびにこの辺りに住んでいる人たちをうらやましいと感じます。この坂道から夕日を見ると本当に綺麗で、もう時間というものを忘れてずっと見ていたいという気持ちになります。というわけで、町歩きをされる人は坂道からの夕日を是非です。

214.(タイトル)O君、ありがとう  By 4期生MN君(2001.10.20) 

「少女」見てきました。S、Y、Mと例のメンバーでした。「ロリータ」のような憐れな中年男性を想像していましたが、そうではなくハッピ―エンドで観後感も良好でした。

劇場に入ろうとすると前の回を見終わった観客が出てきました。おじさんが多いなぁと思いましたが、納得、おじさん好みするものなのでしょう。すなわちにっかつロマンポルノ的なのでしょうか。

町並み、自転車をこぐ警官、サイケデリックなチンピラとジミ・ヘンドリクス、そして、おじさんに人気のあった裕木奈江似(S談)の少女等など、中高年の心象風景はああいう感じなのかなぁと思いました。

暴力と性は映画のスパイスで、暴力の方はすぐに現実離れと感じますが、性の方は現実的にありうるという錯覚を持ってしまうので映えてきます。実際はないでしょうけど。

自分の娘が飯島愛原作の映画の主人公になるのは嫌でも、この映画の主人公になるのなら許せるような気がすることはないですか?

夏木マリの場面が良いと発言するとあとの二人に批判され不如意でした。

---

<K氏から>

5期生のO君が、勤めている会社が製作に関わった映画「少女」(奥田英二監督)の招待券をたくさん送ってきてくれました。学生や卒業生などに配ってすべてはけました。今週の金曜日までです。ちなみに、私は娘が「プラトニック・セックス」の主人公になるのも、「少女」の主人公になるのも嫌ですね。あと、夏木マリは怪優ですね。奥田英二が平凡な男に見えました。

213.(タイトル)「戦争と正義」読みました  By 1期生NMさん(2001.9.16) 

ワールドトレードセンタービルには一昨年、観光で行きました。下から見上げると天に突き刺さってるかのように見えました。屋上から夜景も見ました。 あんなものが崩壊するなんて。。。

ニュースを見てると涙が出てきます。悲しみと怒りで鳥肌が立ちます。何十回も同じシーンを見てますけど。あのテロは戦争行為だと言うなら、ビルで働いていた人、飛行機に乗っていた人、警察官や消防士さん、みーんな死んでしまった人は戦死したようなもんですよね。戦った訳ではないですけど。

大学時代の友人は海外で活躍してる人が多く、ワシントンに留学中の人、カリフォルニアに駐在している商社マン、中国の日本大使館で働いている人、フランスにも台湾にもいます。

各国での報道のされ方なんかを情報交換していますが、アメリカでは最初の頃は飛行機がぶつかるシーンを何度も放送していたけれど、次第に音声なしで放送するようになったとか、「テロ」とか「戦争」という表現を「アタック」に変えているそうです。子供には見せないようにとか、精神面のカウンセリングについてなども伝えられているそうです。

あと話題になっているのはピッツバーグ近郊で墜落した飛行機はホワイトハウスに向かっていて、それを米軍が攻撃したとかいう噂が日本ではありますが、アメリカではそんな話は聞かないそうです。パイロットが殺されたあと、乗客がテロリストと戦って、そののちコントロールを失ったと報道されているそうです。

ハイジャックされた飛行機は11機だと最初日本では報道されていましたよね。そのうち4機が墜落したってことでしたが、じゃ、後の残りは??? というとアメリカでは最初からハイジャックされたのは4機だと報道されてたらしく、誤報なのでしょうかねー。

なんだか情報がすべて正確に伝わっているようには思えないですよね。

今後の報復も恐ろしいですが、日本はどんな具体的な協力をするんでしょうかね。

212.(タイトル)〔タイ旅行〕  By 7期生TS君(2001.8.14) 

先日、タイへ行ってきました。ツアーとかではなく、行き帰りのチケットのみで、リュック一つで宿その他は現地調達のバックパッカーで、若さ溢れる旅を満喫してきました。思っていたよりもいいところで、物価の安さに驚きでした。10日間で、生活費2万円ほどでまかなえました。貧乏学生にはもってこいの国だと思います。

ロンドン便りのなかでも取り上げられていた、「施し」という産業が、タイでも成り立っていました。ロンドンのような、ホームレスというような感じではなく、多分戦争か何かで身体障害者となった人が大半でした。聞く所によると、生活費を稼ぐ為にわざと自分の腕や足を切り落とす人もいるらしいです。そういう面で、ロンドンよりも発達したひとつの産業という印象でした。日本人よりもタイ人のほうが、自分は施しをできる人(裕福という意識でしょうか?)という自覚があるのかな、と思いました。タイは仏教国であり、托鉢という習慣があるからかもしれませんね。

何せ日本とは常識が違いますから、全て新鮮でした。特に安全性に関しては曖昧極まりなく、市営バスでは飛び乗りが常識です。タイ人気質であるマイ・ペン・ラン(気楽にいこうぜ)を実感しました。産業の発達やシステムなどをみると、50年前の日本がこんな感じだったのかな、と思います。きっとタイも日本のような国に発展していくとおもいます。ただ、タイ(特にバンコク)は観光地としての色が濃く、第三次産業が盛んなので、景気にものすごく左右されると思います。タイが伸びていくためには、現状に甘んじない自覚が必要なのではないかと思いました。

タイでは今、日本・日本人が流行ってるらしく、日本のキャラクターや歌手を度々見ました。僕らも夜、街を歩いてると、タイ人の女性が話かけてきて、一緒に写真に映って欲しいと言って写真を撮られました。ヘンな事に使われなければいいのですが・・・(~_~;)

---

<K氏から>

最近タイ旅行が流行っていますね。「タイに行ってきた」「これから行く」という話を今年だけで5人から聞きました。他のアジア諸国に行ってきたという話は聞いていません。なんで、タイなんでしょうか?治安がいいのかな?

211.(タイトル)〔一人旅〕  By 6期生MM君(2001.8.9) 

先日、一泊二日で山口へ出かけました。友達に会うのが第1目的でしたが、とてもいい旅行でした。初日は、今、山口で開催されている「きらら博」へ行き、湯田温泉で泊まり、二日目は、県立美術館でモネ展を見学し、車で秋吉洞まで連れていってもらいました。秋吉洞は、ぶち(←山口弁で「とても」という意味)涼しく、まさに天然クーラーです。年間の平均気温が17℃…自然ってすごいですよね。感激しました。昼食は秋吉洞名物の「河童そば」を食べ、帰路に着きました。

往時、西条という駅から60過ぎのおばさんが乗ってこられ、隣り合わせました。で、「どこまで行くの?」という会話から話しがはずみ、途中、宮島近くで降りられるまで楽しい一時を過ごしました。その方もよく旅行に行かれるそうで、下関近くの「『長府』って街の街並みがとてもきれいだから、是非、足を運んでごらん!」ってことでした。あいにく、今回は行けなかったのですが、ガイドブックを見ていると、とてもいい雰囲気でした。今度の旅行の候補地です。

また、その方がお住まいの「西条」という町も、昔ながらの酒蔵などが残っており、とても素敵な街だそうです。その方は、西条駅のすぐ目の前にお家があるそうで、広島大学の留学生などの受け入れも行われているとか、、、聞くところによると、神戸大学を卒業されたとか…とっても、ユニークな方でした。60歳とは思えぬパワーで圧倒されっぱなしでした。

やっぱり、一人旅って楽しいですよね。何より出会いが多い。

210.(タイトル)鞆の浦フィールドワークの感想  By 8期生ME君(2001.8.1) 

僕が今回のフィールドワークで強く感じた事は、今、埋立・架橋問題で揺れているとは言え、自分たちの住む鞆の浦という町を強く意識し、その価値を実感し、反対運動を行っているMaさん達が、実は非常に羨ましい人たちで、そして、今やこの日本においてその様に自分たちの住んでいる町に対して誇りを持っている人は、実は結構稀なのではないか、という事です。

交流会の自己紹介の時にも言いましたが、僕は父親の転勤の関係で幾つかの土地を転々としているので、僕にとってはっきりと地元と呼べる所はありません。近所付き合いも、僕ら子供が成長するにつれて段々と弱くなりました。僕と同じような状況にいる人も今の日本では少なくないでしょうし、ずっと同じ土地で暮らしている人でも、自分の町の良さを実感している人は意外と少ないのではないかと思います。そもそもその町自体に魅力がある町というのも少ないと思いますし、その数も段々減っているのではないかと思います。(そういう意味でも、埋立・架橋は反対しなければならないのかもしれません。)

さらに、Miさんとの会話の中で、この反対運動を通して「国会や旧建設省に行ったり、東大生をはじめ学生と交流したり、普通だったら経験できないような事が経験できて、人生において非常にプラスだと思う」というような言葉を聞いて、これは社会運動をしている人にとってまさに社会運動の潜在的順機能であると思いました。その他にも、Oさんが先生との会話の中で「ライフワーク」と言っていた事や、Maさんが自己紹介の時に言っていた「この活動を通して喜怒哀楽を全て味わった」という言葉にも、社会運動の潜在的順機能を強く感じました。(人生の醍醐味は、喜怒哀楽をたくさん経験する事だと思います。これは、僕の考えじゃなくて、確かどこかで聞いたような気がするのですが。)この様に、社会運動がその人の人生においてプラスになっているという事は、社会運動をする上で理想的だと思うし、そういう意味では、今回鞆で出会った人々からは、そういうものがにじみでていた様に感じました。(特に、Maさんは実際の年齢よりも随分若く見えました。それだけ、人生に張りがあるという証拠だと思います。)

お手火祭りは、あの迫力に圧倒されましたが、あの祭りはまさにストレス発散の場であり、特に若者にとってのエネルギー発散の場であると思いました。Miさんも「ああやって今日は勇ましかったけど、普段は結構おとなしい。その分、お手火祭りに懸けてる所はあるかも」と言っていたのですが、フィールドワークで見た限りでは鞆の浦には娯楽施設は無かったし、あの祭りはまさに鞆の人々にとっての娯楽であると、思いました。やっぱり、人間にとってエネルギーを発散させる事はとても必要な事だと思うし(もちろん個人差はあると思いますが)、あの手の祭りはまさにそういう理由から行われていると僕は思います。逆にショウ化されている都会の祭りなどは、そういう機能はほとんど失われていると思います。しかし、都会には娯楽施設が多くある上に、コンサートやスポーツ観戦など、エネルギーを発散させる場が存在しています。

船の上からの景色や医王寺からの眺めの素晴らしさとは相反して、浜掃除や仙酔島での海水浴で感じた事は、非常に海が汚い、という事です。浜掃除の時に、近くのおばさんとお話をしたのですが、そのおばさんが子供の頃は、あの浜掃除をした浜でよく海に入って遊んだそうです。そして、足で砂をほじくると貝が出てくるぐらいきれいだったそうです。そう考えると、皮肉のようになりますが、せめて景観だけでも素晴らしいままで残すべきなのかなと、感じました。確かに海の水は汚くても、波止場からの鞆の景観は素晴らしかったですし、あそこに車がビュンビュンと通る橋が架かっては、あの景観は確実に壊れてしまいます。

しかし、現実問題あのメインストリートの道幅の狭さと、それに比例した車の混み具合は確かに不便だし、事故の危険性も否定できないと思いました。実際、あの道を歩いていて、車の混雑のせいで歩行者である僕たちが歩けないというような状況もありましたし、宿泊させてもらった家の近くのT字路は多くの危険性を孕んでいると思います。さらに、Miさんも「鞆には働く所がないから、自分は福山まで出ている」と言っていて、『歴史的環境の社会学』の99ページの「また、このままいけば、近い将来、鞆には生計をなりたたせうる仕事はなくなり、交通の不便さから住む人もどんどん減っていくだろうという予測」の現実性を強く感じました。それに、交流会の自己紹介の時に若い女の人たちが3人とも以前は鞆の不便さに一度は鞆を離れたという過去があると、言っていましたが、それが多くの鞆の若者の心情を表しているような気がします。これはやはり、過疎地にとっては放っておく事の出来ない現実だと思います。

また、今回のフィールドワークを通して強く感じだ事は、社会学の難しさです。というのも、今回運良く、日大(土木工学)の人と交流する機会があったのですが、彼らはもちろん3年目という事もあると思いますが、学問上はっきりとした目的がありました。そして、作業はどのくらい大変なのかは分かりませんが、明白です。それは、同時に住民にとっても非常に分かりやすいもの、つまり、理解しやすいものでもあります。それに対して、社会学というものは、どこに重点を絞ったら良いのかという事は始めからは決められませんし、当然一回目から研究という段階にまでは達しません。つまり、住民にとって何をやっているのか理解してもらうのは困難なのではないか、ということです。僕らが不勉強だったのかもしれませんが、Maさんのご主人が僕らに対して一種の物足りなさを感じていたように、僕は強く感じました。もちろん、僕らの中では一種の成果みたいなものは、きっと個々で掴んでいるとは思います。例えば、今日『歴史的環境の社会学』に軽く目を通したのですが、フィールドワークの前後では、まったく読解力が違いますし、本に書かれている文に対して実感を感じる事も出来ました。そういった意味で、フィールドワークの大切さを感じました。

最後に、3日目僕は尾道に行ったのですが、一番印象強いのは「尾道ラーメン」です。単なる食事といっても、その土地にしかない料理や食材を食べる事は、実は最もストレートにその土地を実感する手段なのかもしれないと、思いました。

---

<K氏から>

7月28〜30日、8期生とともに鞆の浦にフィールドワークに行って来ました。その時感じたことを各自レポートにまとめてもらいました。それぞれ、しっかりとフィールドワークを受け止めたよいレポートをまとめてくれました。そのうちのひとつを代表してここに掲載しておきます。

209.(タイトル)〔夢が叶う?〕  By 2期生AT君(2001.7.28) 

今朝気が付いたのですが、2期生のMさんがスペインで日刊スポーツの現地通信員をしているのを先生はご存知だったでしょうか。私の家では、土日だけ、日刊スポーツをとっているのですが、今朝(7月28日)分のサッカー面、元セレッソ大阪の西澤の記事をMさんがかいているではありませんか。活字になったMさんの名前を見つけたときには、寝不足の頭も一発でさめてしまいました。

208.(タイトル)〔小泉首相街頭演説〕  By 8期生SYさん(2001.7.14) 

Aちゃんが小泉街頭演説観察記を書いたとのことですが、もしや、今日の大阪駅前の街頭演説ですか?私も偶然大阪で、ちょっとブラブラしていたのですが、すごい人だかりができていて、近くにいた人に「誰か来るんですか?」って聞いたら、「もうすぐ小泉さん来るらしいで」とのこと。ミーハーな私は、ばっちり写真まで撮ってきちゃいました。少し距離が離れていたのと、時間がなかったのとで、ちゃんと話が聞けなかったのが残念でしたが、生で小泉さんを見れたのには、感動しました。それにしても、その人だかりを見て、「すごい人気なんだなー」と改めて実感しました。以前までなら、街頭演説って言ったら、若い人は素通りしていくものっていうイメージがあったのに、老若男女問わず、いろんな人でごったがえしていて、しかもみんな日本の国旗持っていたし、小泉内閣になってから、政治家が芸能人のような扱いに変わったようなそんな感じがします。私も、そのうちの一人なんですけどね。

207.(タイトル)〔小泉首相街頭演説観察記〕  By 8期生ATさん(2001.7.13) 

今日、梅田に行ったら小泉首相が来たので見てきました。人が多くてすごかったです。言っていることはいつもと同じでした。他にも、比例で出るサッカーの釜本さんとか末広まきことかが来てました。末広まきこは全身ピンクでセンス悪・・・と思いました。小泉さんは話がうまいのか、横にいたおばさんが熱心に聞いていました。私は話を聞くより聞いている人を観察してました。隣の若い男は必死に写真に収めようと話を聞いてない模様。手を振るだけでキャーキャー騒ぐ女の子。サラリーマン、老人、若者色んな人がいました。他の人の話には拍手はしなかったのに、小泉さんだけに拍手をする人、など。印象深いのはSPの人たち。ガ〜っと黒い車から降りてきて(たくさん)怖かったです。でも、私のいた位置から狙えそうなのに、全然ガードしてないみたいで、こっから狙撃できそうだと思いました。暑くて溶けそうでした。

206.(タイトル)メールでありがとうございます。  By 6期生YM君(2001.7.10)

先日はどうもありがとうございました。C(サークル)も七代目の後輩たちがはいってきました。この歴史がずっと続けばなと思います。日曜日にフェニックスビルの地下一階のアサヒスーパードライビアホールに会社関係の人たちと行ったら、Cの後輩がバイトのチーフをしていました。わざわざ声をかけて来てくれたのでとてもうれしかったです。自分たちが作り上げたサークルで偶然出会った人たちと、街角で再会する。人生の中でいろんな人たちといろんな接点を持てる。気持ちいいことです。先生のホームページを見ていると、セミ生たちのたくさんの声が繋がっていますね。顔を見たことも無い後輩たちの生き生きとした姿が目に浮かんできます。そんなゼミのメンバーたちとの接点を持てる時間を楽しみにしています。

205.(タイトル)〔ナマ小泉〕  By 6期生MM君(2001.7.8)

今日、神戸市立博物館の胡宮博物館展に行き、その帰り、神戸の大丸前で偶然にも小泉総理大臣の遊説に遭遇し、ナマ小泉を見ました! すごい人気ですね。ただ、話しを全部聞いている人って少ないように感じました。数分したら、その場を離れてしまう人が結構いましたから…これから、どうなるんでしょうね。参議院選の先生の読みはいかがですか? やはり自民圧勝ですかね?

204.(タイトル)宮台真司の本、読みました  By 8期生NH君(2001.6.26) 

前、先生に「読んでごらん」と言われた宮台真司(一応、社会学者なんで「宮台真司先生」と言った方がいいかもしれませんが、研究者っていう感じがしないんで、敬省略ということに)の本を読んでみました。読んだのは『自由な新世紀・不自由なあなた』(メディアファクトリー 2000年)です。この本は、初め3分の2が彼がある雑誌でやっていた「世紀末相談」の内容をまとめたもので、残りが彼の専門分野であるテレクラ、援交についてなどいろんなことについて述べられた本でした。

中身は、かなり過激な内容と言えるものでした。「世紀末相談」は宮台宛てに寄せられた相談に彼が答えるというものなんですが、これが大学教員らしくないし、社会学的な答えでもない。毒舌で有名なヤツが、毒舌で答えるという感じで、「真剣に答えてないやろ!?」と思えてばかりでした。でも、これが結構おもしろかったですけどね。

しかし、テレクラや援交の話になると、さすがは有名な先生。それらの実態をよく研究し、しっかりした理論やなと思わせるほどの内容でした。(けれども、過激です。)

宮台は先生が言っていたように、タレント(才能)、そしてメディアを駆使した「職人芸的社会学」の使い手と言うべき人物だと思います。それは「宮台社会学」と言ってもいいほどのものであり、模倣すらできないかもしれません。(テレクラを実際にフィールドワークしたのは、彼ぐらいじゃないすっか?)

203.(タイトル)恋愛学  By 8期生SYさん(2001.6.23) 

先週、サークルで「恋愛学」を発表しました。恋愛社会学を中心として、「恋愛感情」についてや「恋愛の起源」や、心理学的な面についても発表したのですが、部員の評判はよかったです。恋愛は、誰でも興味があるんだなーと、改めて思いました。最後にみんなに感想を書いてもらったのですが、「恋と愛の違いについて」は、やはり、みんなが興味を持っているようでした。そこで、私の答えとしては、恋は一人よがりなもの、つまり片想いで、愛は二人で育んでいくもの、つまり両想いと考えました。でも、この答えは単純すぎるので、先生の答えがかなり的を射ているなーと思いました。

先生は、愛は家族愛や友愛、動物に対する愛など様々あるので、慈しむものだとおっしゃっていましたよね。恋は男女しかない、と。あー、なるほどなーと思いました。私も家で猫を飼っていますが、確かに愛はあっても、恋ではないですもの。

でも、こうして、恋愛は学問として取り上げられますが、実際に恋愛するときは、理屈じゃないなーって思います。駆け引きは大事かもしれないけど、一番大切なのは、フィーリングだと思うから。T君が言ってた、「コメントペーパーと恋の関係」って気になります。忙しくなるから恋ができないとか、そんな類ですか?次、T君に会ったら聞いてみようと思います。

202.(タイトル)〔郵便屋さんについて〕  By 6期生MM君(2001.6.9) 

郵便屋さんの話ですが、、、郵便書留はあの鞄の中にはいれません。小さな腰につけるバックがあり、そのバックの中に書留はいれることになっています。確かに、他の普通郵便は、バイクなどに備え付けのバックにいれていますが、、、大切な郵便物なので、バイクから離れるということは望ましくありませんが、郵便局の指導としては、籠には網があるので、予防ネットとして、その網紐を必ずすることになっています。あと、前の鞄は、必ず閉めるなど、、、完全に防げるわけではないでしょうが、、、

郵便受けの問題もあります。実際に配達してみると分かるのですが、郵便受けをつける場所ってのも考えて欲しいですよ。配りやすいところに付けていただけるとありがたいですが、門の奥にある場合など、一旦、単車を降りて、そのポストまで行かなければ、ならないわけですし、、、雨の日などは面倒です。小さなアパートなど、集合うけがなければ、階段を上り下りして、各家のポストに運ばなければならないですし、、、集合受けは、配達する側からすると楽ですが、安全面から考えると、問題がありますね、、、各家ごとに配達してもらった方がいいですからね。

201.(タイトル)華やかな社学万歳!  By 8期生NH君(2001.6.5) 

「女子学生のファッション」がHPで議論されてるようなので、少し意見を述べさしてもらおうと思います。

今は「浜崎あゆみと小柳ゆき」ですか!?僕が1回の頃は「Puffyに持田香織」って思ってましたけど・・・。やっぱその時の流行ってやつでしょうか?

僕も社学(関大全体で)の女の子は、割と地味目の子が多いと思います。社学で派手と言われる女の子は、世間で言う「きれいなおねえさん」タイプでしょう。

大学って、まぁ勉強するところですけど、「勉強する場にふさわしい服装」って何でしょう?そんなん決まってないっしょ?それに日本の大学って「勉強」だけじゃないと思いますよ。友達と遊ぶとかサークルをやるとか、男性を意識するとか、勉強以外のことの方が多いですから、そっちを重視してる子はいつもきれいにしてるんじゃないですか。そういう子が多い方が「ああ、大学だなー」と正直感じちゃいますね。

「きれいにしてる子は中身がない」と決めつけるのはちょっと極端すぎでしょう。僕が出逢ってきたきれいな女性は、外見的だけじゃなく内面的にも非常に魅力ある女性が多かったです。自分ってやつをしっかり持ってるんですね。そして、それを素直に表現する。(騙されてますかね?)

もちろん、地味目の女性だって人間的魅力を充分持ってると言えますし、そういう女性の知り合いも実際います。要は自分の魅力を伝えさせることができる、そんな女性に僕は惹かれますね。