日々雑記


約款

2020-5-1

春学期はどうも対面授業が難しいっぽい。

うちのHPは「約款」のようだと、某先生が指摘。確かに。
ご存知のように「約款」は各種保険やローン契約などの付属文書。確かに小さな文字で、ダラダラと記してある。
非常時に、人はこういう文章は基本的に読まない(読めない)。
だから非常事態が起こっても「いや、ここに書いてありますのでそれには該当しません」と突っぱねられる(拒否)されることもしばしば起こる。

HPトップは平時と同じく「リケジョ」「関大研究(水災害)」「クラウドファンディング」等々が流れる。「新型コロナウイルス感染症に関連するお知らせ」よりも上のマーキー(?)が大事ということか。

他大学をみよ。
普段のHPとは異なり、「新型コロナウイルス」を真っ先にわかりやすくトップにデカデカと出ているじゃないか。うちよりも活字が大きく、何よりわかりやすい。
近畿大学は断トツ理解。

そもそも、小さな文字でダラダラ書くので一読理解できないためQ&Aが必要になるとは思わないのか。

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授業と課題

2020-5-2

成績評価が平常点に向かいそうで「課題を与えて」などと厳しく問われる。でも授業を受けてこその課題じゃないのか。

遠隔授業でもさっと流して、課題提出する学生が少なからずいる。
たいていは単なる思い付きや根拠のない感想、主張。

初年次生のとある授業。Wikipediaでの「風刺画」を否定せよという課題。
これまで2,3の回答が来たが、多くは「風刺画」の定義めいたものを否定するのみ。
遠隔授業ではそんなこと一言も触れていない。

(1)現状で2か所に不自然な箇所がある。
(2)滋賀や東京、ニューヨークにも本体から離れた断片が残る。
(3)模本から確認すると、順序の入れ違いが生じており、大半の頁も行方不明。
よって、現状では、「風刺画」とする根拠に欠けるである。

もしそんなコミックを買ったら、真っ先に出版社や書店にクレームいれるんじゃないの。
内容、ぜんぜんわかりませんが!って。そうよ、それが解答なんよ。
「風刺画」は、分かる人にはわかるよう巧みに隠蔽されているので、時代背景や世相などを深く知らない人にとっては単なる「不思議な絵」に過ぎない。
二足歩行=風刺画は根拠にならない。「風刺画」はけっこう難しいジャンル。

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光合成

2020-5-3

外出自粛と言えども、既に1か月。
家人・末娘も限界。こちらも含めて些細なことでしばし口論。
深夜のパトカーや救急車のサイレンにも過敏。
非難承知を覚悟の上で、午後、近郊の海岸へ。

普段は潮干狩りで芋の子を洗うような人出だが、海岸を歩く人もまばら。気持ちよさそうに上空をトンビが旋回。

こちらも海を見ながら、しばし心の洗濯。
浜辺に座り込み、はしゃぐ姿をみて、人も”光合成”がないと生きていけないのだと実感。

なんとなく、人心乱れつつあるGW。

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太閤さん、Come Back!

2020-5-5

件の「豊臣期大坂図屏風」。いつぞやも書いたが、紛らわしい名称。
豊臣期の大坂城を描いてはいるものの、制作時期は17世紀末以降。(「大幅値引」しても17世紀半ばを遡ることはあり得ない。)
なぜ17世紀末に描かれたのかが問題なのだ。

振り返って方広寺。
秀頼が2度目のチャレンジにて造立した方広寺(京の大仏)も鐘銘にケチが付けられ、開眼供養もないままに放置(管理は妙法院)。寛文2年(1662)の「寛文近江・若狭地震」で破損、大仏は寛文7年(1667)に江戸幕府によって木造で再興される。同じ頃、隣接する豊国社の再興計画もあった。
〔久世奈欧「近世期京都における豊国大明神の展開」『比較都市史研究』第34巻第2号(2015)〕

久世氏が依拠する『鳩巣小説』『翁草』には、秀吉を徳川家の敵とみなさず恩人として祀るべきもの、前代の為政者を祀る豊国社を破却すれば、東照宮もいずれ同じ運命にあうとされる。後者は回りまわって、慶応4年(1868)に明治天皇が大阪行幸の折、豊国神社再興を布告。

ただいま17世紀半ば以降の秀吉信仰について考察中。

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ちょっと理不尽

2020-5-7

汗ばむほどの好天。授業関連資料を取りに大学。

諦めているのか、うまく対応しているのか知らないが、遠隔授業ながら、ほぼ無人状態。静寂そのもの。

近くの個研では、Zoomにてリアル授業中。
個研の前を通るも、抜き足、差し足、忍び足。

読みたい書籍もありながら、見たい仏像もありながら、今はそれどころではない。
対面授業がなんと楽なことだと実感。しかし百名超でZoomなどできるわけはなく、ほぼ字幕付きスライド&資料、文字原稿。

パチンコ屋が一斉に開店するなか、対面授業が不可能とはちょっと理不尽にも。

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モレリ式鑑定法

2020-5-9

知己の研究者から資料・画像が送付。あつく御礼。

一瞥しながら台座の意匠に瞠目。
以前見た台座と同一意匠。薄墨に濃墨の界線、具の緑青。

美術史では、「モレリ式鑑定法」がしばしば使用される。
M先生がかつて発表された、快慶作か否かの判断基準としての耳における「モレリ式鑑定法」である。

「モレリ式鑑定法」とは、「(画家の)筆跡が最も端的に現れるのは人物の目、耳、手足、爪などの細部であるとし、この部分を重点的に比較研究する」ことで、真贋を判別する方法。

これを援用して快慶作品の判別を行ったM先生の高論は特筆大書すべき業績とは思うものの、近年の研究者の論考ではいささか誇張・濫用な解釈も見受けられる。
模刻作品が横行するなか、江戸時代の仏像まで「耳」を援用するのはいかがなものかと。

ところが、送付資料は台座の意匠をはじめ何もかもが同一。モレリ式鑑定法(作者が気を抜いて、つい作者の個性が出てしまい製作した部分)によれば、同じ制作者、少なくとも同一の工房と考えられる。
もう想定されている仏師(工房)の製作に間違いないのではと。

19世紀の作品。
鑑定法は「耳」だけではなく、台座までに及ぶのではないかと思う。

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マスクあり〼

2020-5-13

このところ、近郊へ買い物に出かけると、「マスクあります」とのプレートをよく見かける。でもちょっと不思議。
ディスカウント系の酒販店や看板装飾店、はたまた民家の軒先まで。「転売ヤー」?
アベノマスクも届いていない、量販店にも「入荷予定なし」というのに、なぜそんなところに。

我が家では先月上旬からミシンがフル稼働。
今は、夏用のマスクが生産中。「大臣マスクがいい?」などと時折、試着することにも。

高値で売ろうと目論み、高値を見逃した挙句の果てに「在庫処分」(損切り)ですか。
「転売ヤー」のマスクも、株式みたいなものかと。

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10分遅刻

2020-5-15

一昨日の夜、翌日の授業スライド(字幕付)が完成し保存しようとしたところフリーズ。フンともスンとも動かない・・・。
おぼろげな記憶をたどると、外付HDを使用前に「初期化」していなかった。
授業スライド(字幕付)を没にし、恐る恐る授業準備必須の資料をありったけのUSBに移動。泣きながら翌日午前中まで再度、授業スライドを復元。

その後「初期化」し、USBからHDヘ再移動。いくつかのファイルは壊れていた・・・。
学生対応(メール)等を終え、翌日の専門科目(準備)。
予想外に時間がかかり朝になっても完成、UPできない。
疲労困憊しながら、10:50にUP完了。二徹。
どうせ時間までにUPしても「教材提示による授業」なので、学生は定刻通りにはみないだろうとは思うものの、「授業資料が上がってない!」などとクレームが来そうなので、定刻10分過ぎにはUP、終了。

心のトゲトゲが徐々に先鋭化しているのが、自分でもわかる。

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松原道運

2020-5-16

過日、送られてきた妙成寺報告書を関係者へ送付。一昨日に恩師から御礼のメール。

刊行まで色々とあったけれど、恩師の顔に泥を塗るわけにはいかず、じっと忍耐&寛容。

ほとんど調査報告のみで考察はないが、勉強になったのは「(松原)道運」。
車の免許もなかった昔、カメラ等を背負って始発の特急に乗り「秀雅上人像」を調査した(この時も知人からの紹介)。「泉州堺仏師藤原朝臣式部法眼道運」の作品。秀雅上人像はその後、町指定文化財となった。
当時はデジカメもPCもなく、鏡に移った鏡像を写真撮影し、カラ―フィルムを反転して焼いてもらって銘文を読んだ。 その折には、よもや近郊に類例があるとは思えなかった。

これで、恩師からの依頼は完了。ただ、ひとつは調査継続するとの由。
長年にわたって受けた御恩は生涯忘れまじ。

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ああなって、こうなって・・・

2020-5-20

新聞各社から取材。大阪・大宮神社秀吉像。

思い起こせば、某会議の直前(2019-12-14)に建築史の先生から連絡があり、すぐさま関係者に連絡。
X'mas(12-25)に調査を行い、調査報告書の提出を求められる。この時期、新型コロナは深刻ではなかった・・・。

そろそろコロナの影響が予想されるなか、種々の仕事が重なり身動き取れない状況下、知己の同業者から連絡(2020-2-3)。
快諾後、ドンドンと事態が進展し、報道機関への発表予定が告げられる。
この頃は既にコロナで外出自粛。大急ぎで対応(予習)に励み(5-5)、かくして本日。

思えば半年がかり。長いようであっと言う間であった。

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合同研究室にて

2020-5-21

不用意にも携帯を持たずに午前中、外出。途中で気付いたが既に遅し。昼前に戻ると、NHKからOffice Teamsを使っての取材依頼。

自宅ではそれっぽい背景もなく、どうにも対応できずに、末娘から借りたカメラ付きPCと上着を持って大慌てで大学へ向かう。
個人研究室?無理無理。合同研究室か・・・。

到着後、合研でPC・ヘッドセットを構えて15分程度の取材。背景は哲学関係の書籍や雑誌。「20秒ほど流しますので」と終了。後片付けをして帰宅。

ON AIRされる夕刻のニュース。冒頭で「安倍首相の関西3府県の緊急事態宣言解除」。番組内容に一部変更。
大宮神社秀吉像の紹介もあり、こちらのコメントはわずか数秒。

想定外の質問も出てしどろもどろだったので、むしろ良かった・・・。

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迷走するかも

2020-5-23

府・国が緊急事態宣言を解除し、近所でも人出が再び。
勤務先では「春学期はすべて遠隔授業」となっている。

大阪では公立図書館や博物館・美術館などが開館や開館予定。
例えば、少人数の講義や演習を、開館している美術館の見学にあてるというのは、授業に該当するのだろうか。

全員、マスク必携。予め見学のポイントを押えたレジュメを当日配布という形(コロナ以前もそうした対応)なら授業として成立するだろう。
体調不良や心理的不安で欠席するのも特に問題なし。(こんな学生(2017-1-27)よりもはるかに納得)
なにも教室に縛り付けるだけが授業ではない。もう大学なんだから・・・。
叱責覚悟でやってみるか。

6月以降、感染症対策をとりながらも他大学や大学以外の施設がopenしていると、保護者を初め学生からの不満がいっそう募るかもしれない。
6,7月はふたたび迷走するかも。

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見事に嵌る現代人

2020-5-24

先日の「秀吉像」報道に対してのヤフコメ。
「どこが秀吉やねん」と。普段、突っ込む事しか考えてへんので、こうしたコメントが高評価。
じゃ「誰やねん?」と聞いても黙殺(聞いてもいない)。
否定はすれど対案は出ずじまい・・・。今の学生と一緒。

そもそも大坂は「天領」。
大坂で「衣冠束帯」姿は大坂城代か?(これはマスコミ取材からも同じ質問)考えられるのは、まず家康、でなきゃ秀吉しかいない。
天領の大坂で、「あっ、太閤さん!」とわかった時点で、所蔵の神社も見た人も奉行所からの事情聴取は免れない。
逸翁美術館や大坂城天守閣の「秀吉像」を想起するから「どこが秀吉やねん」となる。上の肖像を誰と心得ておる?(秀吉ではない)

近世の肖像画は、秀吉に限らず信長だって改変されるし、「美しかったら、似てなくってもいいのよ」という意識(2014-10-2)。これまでとは違う好々爺の「秀吉像」。
当然ながら現代人には通用しない。

後世、ヤフコメする者全員が「悪徳商会代表」のような写真で流れたら真相はどうであれ困るやろ。

「秀吉像」制作依頼者の思惑に対して、見事に嵌っていると言わざるを得ない。

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昼夜逆転

2020-5-25

春学期はすべて遠隔授業。成績評価も変更。パワポに字幕を付ける毎日。
おかげさま?で、見事に「昼夜逆転」の生活。

朝方まで授業の準備をし、のろのろと昼過ぎに起床。しばらくし再び、翌日授業のパワポを開いて準備を行う。夜に再び、PCの画面に向かう。朝日もすっかり登った後にUP。しばし仮眠。

90分講義をするのは容易いが、90分の内容を纏めて字幕にするのは、かなりたいへん。
考えてみれば、90分の講演録ではA4版20頁ほどの書き起し原稿が届く。
既に授業も半分近く過ぎ、今更Zoomなどに変更するのも再び混乱を招きかねない。

大学も「羹に懲りて膾を吹く」状態・・・。

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これもあかんのか

2020-5-26

とある遠隔授業で、レンブラントを扱う。

授業用パワポを作りながらなんとなく違和感。
《ペテロの否認》 ブリヂストン美術館と打っても画像が出てこない・・・。
そや確か、ブリヂストン美術館はアーティゾン美術館に改名したんやと改めて入力すれども出てこず。

旧松方コレクションなのになんでや!と思いながらWeb(そもそも画像しか検索していない)をみると、《聖書あるいは物語に取材した夜の情景》に題名が変更。そこを手掛かりにググると、《ペテロの否認》は、レンブラント・リサーチ・プロジェクト(RRP)によってレンブラント作でないと判断された。そう言えば、昔なんかそんな話を聞いたような・・・。

しかも調べると、ベルリン国立絵画館《黄金の兜の男》も工房作であるとの判断。
『レンブラント油彩集成(A Corpus of Rembrandt Paintings)』が刊行されている。

個々の作品の真贋を極めながらも朝に至る。

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大英博物館の近世在銘彫刻(1)

2020-5-27

出張もままならない昨今、突然ながら在外近世彫刻を紹介。
そもそも公費で海外に行って「edo-era」では済まないとは思うのだが、日本ではOK。

騎獅文殊菩薩像・騎象普賢菩薩像
大英博物館蔵
総高:161㎝(文殊) 158㎝(普賢)
寄木造 康祐作
制作年代:貞享4年~元禄2年(1687~1689)

ジャパンギャラリーに展示している(らしい)。
釈迦如来像の脇侍である文殊・普賢菩薩像。通常の文殊・普賢菩薩像は獅子・白象の上に載せた蓮華座に片方の足を垂下して坐すのに対して、大英博物館像は、共に蓮華座がなく、そのまま各獣の背に”馬乗り”になっている。こうした姿勢の文殊・普賢像は珍しくあまり例をみない。

文殊菩薩像の背面には朱漆で「大仏(師)左京入道 勅 法印康祐作」と書かれ、七条仏師26康祐の制作と判明。
「大仏師左京入道勅 法印康祐 作」の銘は貞享4年(1687)の大阪・久米田寺弘法大師像にもみられ、康祐は元禄2年(1689)12月に亡くなっているので、大英博物館の年代判定は妥当。

もとどこに安置されたのか不明だが、1988年に飯田高遠堂から購入。
文殊菩薩像  普賢菩薩像

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大英博物館の近世在銘彫刻(2)

2020-5-27

銅造 苦行釈迦像
大英博物館蔵
総高:37.8㎝
銅造 蜂屋正勝
制作年代:寛永7年(1630)

台座裏に銘記。
「開眼年寛永七庚年二月十五日加州金沢萬光寺三世祥覚紀国枌川住蜂屋源正勝造」は
「開眼年寛永七庚年二月十五日加州金沢萬光寺三世祥覚紀(伊脱カ)国粉川住蜂屋源正勝造」でしょう。
こちらと同じく、彼等も語学はなかなか難しいようで深く同情。惜しい。

粉河蜂屋正勝は、銅鉦(叩き鉦)で時折みる鋳物師の名前。地元の粉河寺には「粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝」の盥漱盤(荷葉鉢)〈安永4年・1775〉もある。
おそらく初代蜂屋正勝の作品。
苦行釈迦像

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大英博物館の近世在銘彫刻(3)

2020-5-29

千手観音坐像
大英博物館蔵
総高:71㎝
寄木造 南都椿井大仏師次良
制作年代:天文7年(1538)

八角華盤、上框上部に修復銘記。
〔上框上面墨書銘〕
   大和国多武峯
   伝実報院号実相院
   持仏堂本尊
奉再興塗金濃彩色千手観世音菩薩像
右意趣者先師前検校祐賢法印為報恩
謝徳恃寺中静謐当坊安全遺弟相続
習学修練門人繁昌都乞(?)代々先師
二親父母六親眷属證大菩提普皆廻向
于時寛文十庚戌天九月
実相院々主時都維那師祐英法印謹白
開眼供養導師時検校安養院誨憲
  塗師南都中筋町勘右衛門
         宗秀

〔上框下面墨書銘〕
此塗者手前にて(?)塗也□□堅地に
仕金箔吟味被此も(?)手前ニてきさセ□也

千手観音坐像

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器用の時代

2020-5-30

午後から某市のリニューアル会議。

昔、お世話になった企業の子会社(グループ企業)。前回とは担当者が代わっている。
前任者は地域の美術も歴史も一知半解で推し進めようとしていたが、委員から”待った!”がかかり、あえなく選手交代。

代わった担当者に期待を寄せたが、企画書をみると、A案、B案、同じ図面。
をぃ、をぃ・・・。

誰も提出物をチェックしていない。 たぶんその仕事だとこの先しんどいと思うのだが。
今は「相伝」の時代ではなく、「器用」の時代であると、分かっていないようで・・・。

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過去ログ