日々雑記


きなこ

2017-1-1

謹賀新年 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「父たん(最近は呼称が変化)、出たで。きなこ!」
新年の挨拶に出かけた帰省中の上娘。

お雑煮の横に「きなこ」の皿。
「雑煮(白味噌)の丸餅をお椀から取り出して、きなこをつけて食べる!」「そうやろ。」「話には聞いていたが、本当に出るとは思ってなかった。意外と美味しかった!」
そう、奈良のお雑煮はきなこを付けて食べるのである。

奈良産のこちらはそれが当たり前と思っていたが、世間ではそうではないと気付いたのは、大阪に引っ越した直後の小学生の頃だろうか。

夕刻、「きなこ、頂戴!」と家人に告げてみる。
「はぁ?ないけど買ってくる?なにすんの?」
上娘「雑煮には、やっぱ きなこでしょう!」「え~!」

深くうなずく父たんと娘。

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初詣

2017-1-3

住吉大社に初詣。

太鼓橋が落ちるかもと思うほどの大混雑。
第一本殿でも押すな押すなの人混み。
幣殿にようやく近づいた頃、横のDQNなカッブルが「あそこに刺されば運勢ええねん」と告げて幣殿の破風に向かって“投銭”。
ヲイヲイ幣殿は国宝やで。
アホの極み。そんなことしているから、いつまでもDQNなんやて。

混雑を避けつつ、横の「大海神社」へ。
住吉大社の喧騒とうって変わって静寂そのもの。
式内社。いわば「元祖住吉社」。こちらも国の重要文化財。
家人曰く「あっち(住吉大社)は露天目当ての参詣やね」と。

参拝後、住吉界隈を歩きながら「東粉浜」から帰途。家人、「阪堺電車」は初めての由。

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二王立ち

2017-1-4

年末に贈られた鎌倉地方の仁王像(江戸時代)修理報告書。
裳裾がかなり重く、裳裾の下に小さいマクラ状の木片支え。当初の処置のようである。
裳裾が重く大きく翻ると、重心は後方へ。それで両足と裳裾で3点保持して立っているのかと。

ふと、以前贈られた高徳院の仁王像が胴切りであったことを思い出す。
造像がひと段落した後、立ててみると、両足だけでは後方に倒れて自立しない。そこで胴切りをして上半身と下半身を調整しながら両足だけで立つように改造した・・・と。

二王立ちもなかなか難しいものだと、想像。
「運慶も坐しては彫れぬ仁王立ち」。

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不勉強の極み

2017-1-7

授業再開。今日は“月曜日”。

この頃、ピント外れの新聞記事がよく目につく。

夕刊には、京都文化協会とキヤノンがすすめている「綴プロジェクト」の紹介記事。劣化や災害などによる損失の可能性を考慮し、オリジナルを高精細複製品に置き換えるもの。
写真には大徳寺・曽我蕭白《雲龍図》。キャプションにはご丁寧に「2015年3月に撮影」とある。周知の通り《雲龍図》はボストン美術館。大徳寺とは何ら繋がりない襖絵。
せめて天球院の狩野山楽・山雪の襖絵など、趣旨に合った無難な襖絵を紹介すればよいものの、何もわざわざ曽我蕭白《雲龍図》を・・・。足で稼ぐ記者ではないらしい。

朝刊には「京都・冬の非公開文化財特別拝観」紹介記事。壬生寺の地蔵菩薩立像に「現存最古級の地蔵菩薩立像」。
まぁ、それはそうかもしれないが、元は奈良・唐招提寺にあった御像。
もとは地蔵菩薩半跏像(旧国宝)で知られていたが、1962年7月の火災で四天王像もろとも焼失。1965年に唐招提寺から移坐したとの由。
こちらも聖護院や妙法院の障壁画もあるだろうに。
情報化社会、新聞記者はもっと足で稼いでもっと勉強せなあかんのとちゃうか。

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ちゃんと仕事しなはれ。

2017-1-8

終日、雨。

大学にて、とある市町村のお仕事。古文書関係のなかの絵画類。昔見た、尋常小学校の毛筆画全盛の頃の図画教育の好例である。

写真を撮っておいて下さいとお願いしたものの、送られてきた写真が全面黄色〔写真上〕。
しかも小さい。

ありゃ、デジカメが壊れていたのかと、気を取り直して、補正をかける〔写真中〕。

まだ黄色っぽいので、さらに補正をかけ、図版に合うようにトリミングをすると、今度は画面を抑えた竹棒の先端が右下に映り込んでいる。〔写真下〕。
あぁ~。

この作業が全部で44カット。
なんで毛糸棒なん?布団針+画鋲を知らんのか。
読むことにアップアップで、撮影したことないんか?

まさに「『写真を撮っておいて下さい』と言われたので撮りました。なにか間違っていますか?」と言わんばかり。
何のために写真撮影をお願いしたのか全く理解できていない。後の作業も全く念頭にないご様子。
事務方ならまだしも、これが文化財関係プロパー(しかも元博物館学芸員)の仕事だから恐れ入る。

「原稿、まだですか~?」と能天気にも電話がかかってくる。原稿以前に問題がぁ~!
いまさら怒っても仕方ないが、送られてきた古文書目録をみて、さらに怒りが倍増。
どうして明治3年の受領書に明治10年生まれの人がサイン出来るのですか・・・(怒)!

ちゃんと仕事しなはれ。

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“あげく”の教員

2017-1-10

この時期になると“厄介な”メールがしばし。

日本に所在する日本語学校には、日本語をより上達しようとする外国人学生が多数存在する。しかし日本語学校の一部に「大学院進学クラス」というのが存在する。
外国大学卒→日本語学校→大学院。ところが外国大学ではまったく別の分野を専攻(この点は出願書が届いて初めてわかる)。
ここが問題。
日本語の読み書きが上手ではない(?)留学生が直接、大学院受験をコンタクトする。大学院進学自体は歓迎するものの、専攻分野とは全く関係なかった仏像を大学院で研究したいとするのは、いかがなものかと思ってしまう。それでも受け入れる大学(大学院)があるのが不思議。
中世の日韓の仏像を比較して…などと、平気でほざく(万一、盗難でも遭えば疑われてしまうご時世)。大学院で「畢」「さいかう」などが分からないとなると・・・。

今日もメールが来た。
初めまして。私は〇〇から留学しに来た、某と申します。
いきなりですが、今回大学院の進学のためにいろいろな学校を探したあげく先生がいらっしゃっている大学院を見つけました。
それで、先生の大学院で私の研究をしたいと思いましたので、失礼になるかもしれませんが、このメールお送ることになりました。
研究計画書も一緒に添付してお送りますが、お時間あればみていただけませんか。 お忙しところ本当に失礼しました。
やや日本語がおかしい・・・。
仕事を終え帰宅しようと思った夜に「訂正」と再びメールが来て
「いきなりですが、」→「恐れ入りますが、」、「あげく」→「結果」、「大学院を見つけました」→「研究をしたい」、「メールお送る」→「メールをお送り」などと修正。惜しいかな「お忙しところ」→「お忙しいとこ」と。
恐らく送信後に日本語学校にみてもらった(怒られた)ようである。

研究計画書をみても「仏像」と記すのみで具体的な作品はなく、到底大学院レベルは難しい。
日本語学校も昨今厳しい業界だろうが、まずちゃんと日本語能力試験(N1・N2レベル)に合格させてから進めるべきではないか。N1には「内容の論理構成などを詳細に理解したり、要旨を把握」(リスニング)と書かれている。

ここをみているかもしれないので、せめてN2レベルには合格し(この点は出願要項にも明記)、学部に入って基本的な事項をまず学習して下さい。大学院のお話はそれからということで・・・。
というと、大学教員として失格である昨今。

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平成31年

2017-1-11

新天皇、2019年元日に即位との新聞報道。
なにも皇室行事が目白押しの元日にせずともよいとは思うが、気になるのは平成31年。

一昨年末あたりから幾人かの知人から「何にも(動きが)ありませんね」と。
そうしたなか、昨年7月に「生前退位(譲位)」のご意向。その後に口を揃えて「やっぱり。」と。

なにが「やっぱり。」と言えば、
1999年(平成11年)には、「御即位10年記念特別展」として、東京国立博物館で「皇室の名宝-美と伝統の精華」展が、京都国立博物館では「天皇陛下御在位10年記念 宮廷の装束」展が開催され、「よみがえる正倉院宝物-再現された天平の技-」展が兵庫歴博ほかで開催。
2009年(平成21年)には、「御即位20年記念特別展」として東博で「皇室の名宝-日本美の華-」が開催され、秋の「第61回正倉院展」(奈良博)でも「御即位二十年記念」のカンムリ。

周知のように特別展の準備は2~3年前から進められる。 知人たちは揃って「御即位30年記念特別展」への動きがないと不審がり、その後「生前退位」のビデオメッセージが流れて「御即位30年」(2019年=平成31年)はないものだと確信。

なんだか “定年を1年残して退職する”ような寂しい気持ちにも。
せめて「御即位記念特別展」を開催してもらいたいと思いながら、研究棟まで来ると「〇〇教授 による最終講義のご案内」。なんだか幸せそうに思える貼紙。

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13日の金曜日

2017-1-13

ひさびさに派手にやってくれたぜ、阪和線。

朝、バスで駅に来ると、バス停に長蛇の列。改札に上がると大混雑。あぁ~、人身事故で電車止まっている。振り替え輸送も実施。
今日は午前中に授業がある。大学へのルートはふたつ。長蛇の列に並んでバス→私鉄。再度自宅に戻って家人に山手にある私鉄駅へ送ってもらう・・・。むぅ。

仕方なく、再度バスに乗って自宅へ舞い戻る。ここまでで30分のロスタイム。
家人に山手の駅まで送ってもらって私鉄に乗り込む。ロスタイム計50分。さしずめ通常なら地下鉄に乗り込むところか。

私鉄に乗って大阪地下鉄の駅までたどり着いたところで大学へ電話。「もし、学生が『センセ、来ないんですけど』と、言ってきたら「自然休講(開始30分)までには出講する旨」を伝えてほしいと。

大学に辿り着いたのが授業開始5分後、あれこれと準備し教室に着いたのが15分過ぎ、おまけにレジュメを取り忘れて(鞄にはスライドリストのみ)、授業を開始したのが20分過ぎと、朝からボロボロ。

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満面の笑み

2017-1-14

今季最大の寒波到来。昨年よりも10日早い・・・。

知人の研究者より「『昇龍軒』って(仏師)知りませんか」と。
知らぬもなにも、資料室にある羅漢像(19世紀)である。框板裏に「法橋左近七世/北寺町/大仏師/昇龍軒/第二番」と墨書銘。
大学に赴任した時から気になっていたが、「北寺町」は金沢あたりの地名?と目測をつけたものの該当仏師はなし。羅漢像は時に入学案内パンフにも登場し、学生たちには「中華料理店みたいな名前でしょ」と説明。

事情を聞けば、某所の在地仏師の手による羅漢像。北寺町の地名も残り、法橋左近七世も該当者がいるらしい。
おそるおそる、「『二番』(の羅漢像)ありますか?」と尋ねる。 「えっ~と、ちょっと待ってください・・・。「二番」ですよね、あっ、あります。それがなにか・・・」
「(こちらの羅漢像が)盗難品かも思って、ちょっと心配に・・・」。

製作仏師が判明し、盗難品でないこともわかり、安堵安堵。
心なしか羅漢像も満面の笑み。

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お好み焼き

2017-1-16

といってもコナモンの話ではない。

大昔、某祝賀パーティで、とある年長の先生から「江戸の仏像をやるヤツなんて、バカか、その反対しかおらんのだよ」と面と向かって言われたことがあった(しかも素面で)。
その時はさすがに「えへぇ、へ…。」と苦笑。
爾来十数年、幸いにも江戸時代の仏像を扱った論文も目にするようになったものの、物足りないモノもいくつか目立つ。

読むと、ある仏師(地域)の近世作品に、こんなんあります、あんなん知ってます・・・と、事例の紹介に留まっているのは、なんとも残念な気がする。
たとえ、在地仏師であれ、彼らは何処から来て、何を考えて仏像を造って、地域にどう貢献してどこに影響を与え、幕末・明治になるとどうなるのかを念頭におかないと、「こんなん、あんなん」だけでは、論文数を単に増やした自己満足に過ぎず、誰の“お役”にも、たっていない。
それではあかんと思うのだ。
時には失敗することもあるが、全体への還元―下面が焼けたお好み焼きをどうひっくり返すのか―が、一番読みたいところなのだが。

あの時、投げられた言葉はどっちだったのだろうかと思いめぐらすことも。

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神品降臨

2017-1-18

午前中、特別展「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」(大阪市立東洋陶磁美術館)へ。
わずか6点(青磁水仙盆、うち1点は清・景徳鎮の倣品)の展示で、「人類史上最高のやきもの 海外初公開、初来日」とのコピー。

1つの小展示室ながら、ホンマにす、すごかった・・・。

なんといっても1《青磁無紋水仙盆》。他とはクオリティ違い過ぎ。高台内に小さな目跡の間に乾隆帝の御製詩。附属品も繊細な描金が施された紫檀の台座。台座の引き出しを開けると、乾隆帝による小冊子「御筆書画合璧」が入っている。
とはいえ、他の水仙盆(2・3)も乾隆帝の御製詩が刻まれている。2は覆輪付、3は乾隆辛巳(乾隆26年・1761)と紀年資料。4はよく見ると6つあるはずの目跡が5つしかない珍しい作品。5は安宅コレクション。覆輪の下に鉄斑がアクセント。
展示室をあちこちしながら仏像並みの凝視。もうこれなら何杯でも御飯が食べられる・・・。

その後に特集「宋磁の美」。定窯の白磁や耀州窯、龍泉窯の砧青磁などなど、久々に陶磁器にどっぷり。もちろん油滴天目も。ターンテーブルには木葉天目が回っている。1月21日には小林仁主任学芸員による「天目研究の最前線―杭州出土の曜変天目をめぐって」のレクチャーも。

昼御飯も忘れての陶磁器。こういう財産があるんだ大阪には、と実感。2時過ぎに大学着。

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瞑想

2017-1-19

最後の授業が終り、試験監督応援。いわゆる「到達度の確認」試験。
通常の定期試験とはやや異なる・・・。

大きく異なるのは、定期試験だと開始30分以降終了10分前まで退室可能だが、「到達度」試験は授業の一環であるため、最後まで着席しないといけない。 社会学関係の「到達度」試験。
なんだか難しそうな問題。開始20分を過ぎる頃から答案用紙を見ていた学生の頭があちこちで伏せていく。起きていても女子学生は髪をいじったり、学生証をしげしげと眺めたり・・・。もちろん30分を経過しても状況は変わらず、残り15分を切った頃から頭がむくっとあがって、今度は座席で瞑想の態。手に鉛筆をもつものの微動だにしない・・・。

「取らなきゃよかった」とか「サボったのはまずかった」とか思っているのだろうか。
巡回しながら答案をみると、かなりの空白が目立つ。

終了後答案を回収し枚数を数えて退出。自業自得ながら問題が解けない者は苦痛の60分間。

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初弘法

2017-1-21

朝から東寺初弘法市。初体験。

かなりの人出。「大人の縁日」と家人。新旧の陶磁器や骨董、和装着物、野菜等々が並ぶ。
見ているうちに家人の手には野菜などが入ったビニール袋。骨董といっても京都の土地がら、掘出し物はなく、三田青磁の角寸皿20,000円などそれ相応(以上)の値がついている。ひとしきり見て回ったあと、気になっていた南大門下で売っていた新作の粉引ぐい呑みと片口ぐい呑みを購入。荷物を車に置いて再び東寺諸堂へ。

まずは五重塔初層の公開。久しぶりの拝観。阿しゅく・宝生・阿弥陀・不空成就の各如来坐像と八大菩薩菩薩像。阿弥陀如来像だけが六角框ではなく獅子座。宝生如来坐像の左脇侍も面相部が異なり、後の修復が入ったのかも。
その後、金堂薬師三尊像、講堂諸像を見学。四如来像や金剛波羅密菩薩像など江戸の仏像もさることながら、やはり不動明王像や持国天像など平安時代の名品をじっくり。何度みても見飽きることがない。

遅い目の昼食を取り帰途。

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粉引

2017-1-22

昨日買った片口ぐい呑みが我が家で大評判。

添えられた紙片に「米のとぎ汁で煮る(土の隙間が埋まる)」とあり、家人が大真面目に煮ようとするが、懇願して押し止める。そういうことしたら“雨漏”にならないじゃないか。

小壺や小徳利も品があってよかった、茶碗や皿も買えばよかったと家人。奈良・菅原顕悟氏の作品。

閑話休題。
柳宗悦らが提唱した「民藝運動」。「手仕事による」「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」として「民藝品」が提起されたが、柳の提唱した民藝運動が今日まで継続しているかといえば、私見ではかなり疑問。
河井寛次郎・浜田庄司らの作品は”美術品”となり、柳が指導した工芸分野の「工人」も悉く「美術作家」を指向し挫折していった。いわば柳宗悦というラベルが重要だったのだ。民藝品を定義する実用性・無銘性・複数性・廉価性が今日の「民藝運動」には失われている。
ネットにより無銘性ということは弱くはなるものの、菅原氏の粉引を見ながら新たな「民藝」の胎動を感じる(ほろ酔い気分)。

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贅沢というか もったいないというか

2017-1-24

再び寒波のなか、企画展「有田川中流域の仏教文化―重要文化財・安楽寺多宝小塔修理完成記念―」を見学。

「ミミヲキリ ハナヲソギ」で有名な阿弖川荘の仏教文化とその推移を紹介。
阿弖川荘は京都・寂楽寺(白川寺喜多院)の荘園ながら、高野山にとっては、”第一列島線”。
メインの安楽寺多宝小塔は、嘉元2年(1304)に高野山が寂楽寺の本所であった円満院から阿弖川荘の領有を勝ち取った記念碑。多宝小塔は往時の高野山大塔を模したものと想像するも言及はなし(意外に亀腹が小さくきゃしゃな感じ)。

出品の仏像は30躯、鎌倉時代1躯、室町時代2躯、朝鮮半島の金銅仏1躯を除いて、いずれも平安仏。贅沢というか、企画展にしてはもったいないというか・・・。写真に映る右から3番目の仏像も、渦文をたくさん付けた9世紀末頃の《吉祥天像》。驚き。

絵画も充実。牛窓寺の《熊野観心十界曼荼羅図》《仏涅槃図》《阿弥陀聖衆来迎図》は、稀有な三幅対。《熊野観心十界曼荼羅図》は仏界にあって阿弥陀三尊ではなく十一面観音像(左右は菩薩像)、幕末の林文吾筆《熊野観心十界曼荼羅絵馬》は「老いの坂」ではなく「老いの橋」である。人生は短しというところか。

図録(30頁 800円 250部限定)も「有田川町教育委員会発行」とあり、ざっと300冊(50冊は配布等)250万円位の予算捻出かと思われ、町教育委員会(文化財)としては破格の措置。増刷はないものと思い購入。

いつものことながら気合の入った企画展。こちらも時を忘れてじっくりと拝見。

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後藤主水

2017-1-26

たまたま『法隆寺年表』を見ていたら、文政2年閏4月17日に「後藤主水、仏師職に就く」とある。後藤主水とは初めて聞く名前。

文政あたりの頃は清水定運や田中主水が法隆寺で活動している。「田中」の間違いじゃないのかと、『法隆寺史料集成』にあたる。『天保記』(12巻)に件の記述。
「仏師職受領」とあり、やっぱり「後藤主水」。でも管見では、近世法隆寺での活動経験はない。
いったい、誰なんや。

午後から担当科目(共通教養)の試験。224名中212名が受験。

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公欠届

2017-1-27

授業を公欠した際に「公欠届」がある。事情は忌引、ゼミ合宿、インフルエンザなど様々。

今年に入って昨年10月の公欠届を提出した学生。理由は体育会の合宿。しぶしぶ認めて10月当日に出した「日本の神話画の誕生契機と展開」の小レポートを提出させることにした。
ところが、「神話そのものの誕生契機と展開では(ママ)間違いですか?」とメール。

ほとんど授業に出席していない様子。ちょっとは考えよう、神話そのものの誕生契機と展開を問うのは「神話学」で「美術史」ではないし、まして他の学生がそのテーマで既に提出していることも。
本日、小レポート到着。案の定、ポンペイの壁画から説く的外れな答案。授業ではポンペイの「ポ」の字も話していない。

公欠届には「公欠を認める 認めないは各担当教員に委ねられる」と明記されている。
これからはこのあたりも考慮に入れないと。

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アイスの行方

2017-1-28

午後、プレスチューデントプログラム。

終了後、図書館で『言経卿記』をみていると、「アイス 五服」(慶長9年10月5日)などと登場。10月にアイス?一瞬、これ(←)かと想像したが全否定し、なんじゃこれは と思っているうちに註に「愛洲薬」。
「愛洲薬」は『言継卿記』にもあらわれる。

色々とみていくと、山科言継は上泉武蔵守信綱との関係が深く、愛洲久忠(愛洲移香斎)から信綱に伝わった秘伝の薬を言継に渡している。
「アイス」の行方は、愛洲久忠(愛洲移香斎)→上泉信綱→山科言継→言経と。『言継卿記』には「愛洲薬」を庶民にも配布したとのこと。

解決したところで、書庫内でいったい何を調べにきたのかと我に返る。

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日本語、大丈夫か

2017-1-30

答案の採点。
相変わらず、飛鳥大仏や東大寺金剛力士像が難問のようである。あれほど説明し、問題も誤解を招かないように改めたのに、なにが日本現存最古の仏像は(十一面観音像)なんや・・・。

今年の特徴は「唐物」。
「15世紀に茶は、中国伝来品である(     )を中心とした道具類を用いて書院の茶という形式を採用した」。
「三具足」「茶器」「柿形茶壺」(?)「茶壺」「金襴」「国焼」「陶磁器」「塗器」は間違いだが、モノだからまだ許せる。「茶の湯」「書院造」「賭物」「茶」「婆娑羅」「宋式闘茶」「わび」「わび茶」「茶会」「座敷」「座敷飾り」「草庵」というのは道具なのか?
「守護大名」「栄西」「貴族」「足利将軍家」「禅僧」「画人」「日本後記」に至っては、そもそも日本語が分かっているとは思えない。

(    )に係る言葉は「中国伝来品である」と「道具類」、そこから「唐物」という答が導き出せるはず(授業中に指示済)。

外国語と連呼する前に日本語の読解力を高めんといかんのとちゃうか。

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