日々雑記


暗いうちに帰ろう

2017-3-1

朝、新聞連載の「時代の証言者」(「iモード編集者」の松永真理氏)に「暗いうちに帰ろう」とあった。
今ではグレー(ブラック)だが、リクルート在職時には、雑誌編集に追われ徹夜の連続、白々と明ける朝に帰宅することもしばし。そこで「暗いうちに帰ろう」と。

世間では、「プレミアムフライデー」などと言っているが、現実にそぐわないのは確か。そもそも月末金曜日という設定はどこから生まれたのだと思ったり。給与支給日直後ながら多くの職場は鉄火場状態なのに。

ふとTVから リクルート(リクナビ)のCM が流れる。
家人曰く「このCM、いいわね」と。同感。

今日から就活解禁。みんな頑張れ。

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ちょっと待った~!

2017-3-2

過日開催の文化財審議会。案件は指定品(考古)候補。刀剣でいわゆる”サビの塊”(象嵌はなし)。最初は環頭だけだったのだが、刀身や金具類もということで6点である。

ま、問題はなかろうと了承したが、員数が「1口」とあったので、ちょっと待った~!
こちらは「一括6点」でと。ところが、別分野の先生(考古以外)から「1口」でいいんではないでしょうかとあって、しばし激論。
「1振」?もっと違う。その先生、どうしても1口に拘りたい意向をお持ち。委員長、事務局は突然の激論におろおろ。
収拾がつかなくなったので、やむをえず折れて「1口」にて審議了承、解散。

今日、別件でその先生と会い、過日のことを蒸し返される。
たまたま傍におられた考古学の先生に事情を話され、こちらに水を向けられる。
案件の詳細を聴いた考古学の先生曰く、「そういう時は『一括6点』でしょう」と。
ほらぁ。
確信をもって考古学の先生が仰ったので、「今からでも(教育委員会に)訂正してもらいましょうか?」とこちらに振られるが、「また”あの件”で委員会を開くのはもう無理です。もういいんじゃないですか、済んだことだし。」と釘を刺す。

6つも7つも文化財委員を引き受けて、員数もわからんのかいなと思う。
ちなみにこの先生は博物館学の著書もある・・・。

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異境の世界

2017-3-4~6

某所にて調査。機材担いでえっちらおっちら・・・。

本堂まであがり、ご挨拶をし電気をお借りしておもむろに調査開始。「センセはいつもこんな風なんですか?」(「1人で調査?」)と同行の研究者。
そうですが、なにか・・・。

準備中、御住職から寺のパンフレットが渡される。頁をめくると件の仏像はもちろん紹介されて”いない”。
御住職も「そっちですか」と意外そう。ま、こんな仏像に関心があるのは我々ぐらいか。

仏像には宝永7年(1710)の年紀、仏師、願主(女性)の銘記あり。同行の研究者が須弥壇の隅にある願主の位牌を見つける。位牌は丁寧な蒔絵が施されたものだが、すでに宝永5年に亡くなっている。仏像は近親者が女性の3回忌に製作され寄進したものとわかる。
反対側の須弥壇の隅からは1尺ほどの仏像。以前掲載された小さな写真では台座・光背付だったが、その後壊れたのだろう。美作。「これで”飯”2杯は食べられる」と軽口。

翌日以降も機材担いで別寺にて調査。役行者や妙見菩薩、天神像が並置する幕末(年紀あり)の《釈迦十六善神像》を拝見した後、十一面観音像や地蔵菩薩像、二天像などを調査。
躰部は前後2材矧ぎに中間材を挟み、頭部も前後2材(面矧ぎ)で、挿し首。いわゆる「箱造り」で、室町末頃かと思う。光背裏をみると天正の墨書銘があり、ちょっとびっくり。

「こういう(誰も気づいていない)仏像を調査するのは新鮮ですね」と研究者。「いやぁ、新鮮やけど、世間では「はぁ、そうですか…」って感じですよ。早く本筋に戻らないと、元には戻れませんよ」とこちら。
近世の仏像は異境の世界。

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つや髪?

2017-3-7

『神像彫刻重要資料集成』関西編2(ようやく見ることができる気分)を見て、ふと気づいたこと。

熊野速玉大社の《伊邪那美神坐像》(和歌山-14・重要文化財)。
束ねた髪(マバラ彫り)の両側面、後頭部に白い斑点がある。なんやこれは?と思い解説をみると「花鈿 (かでん)」とある。
類例を同書から探すと奈良・丹生川上神社の女神坐像(奈良-32-1)も左右側面の髪束にも同様の斑点。こちらは言及なし。(O氏、K氏、無礼・非礼をお許しのほどを)

「花鈿」自体をよく知らないので、調べると唐様の化粧と理髪の釵子があり、後者は高髻の根に挿す金銀飾りの簪とも(『国史大辞典』)。
高髻の根元どころではなく頭髪一面に挿していることもあり得ない。なんだろうか。

つや髪?と思うものの、それなら総髪の女神像にもあるはず。
神像は不思議がいっぱい。

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OBよ、頭を冷やせ

2017-3-8

関大学歌に「我等期す 人格の向上に 正義の奉仕 世に為すと」という歌詞がある。

後輩が就活に励んでいるさなかに「森友学園の籠池理事長が経歴詐称」との報道。
関大法学部卒から自治省入省、奈良県へ出向とあるが、実は「関大商学部卒」、総務省職員録にも記録なし。
商学部卒ではあかんのか、偽らんとアカン人生を歩んできたのか。まったく。

時折、学生でも無茶して問題になるが、このところ一部のOBの行状が目に余る。野々村といい、籠池といい・・・。
彼等が「人格の向上に」期し、「正義の奉仕」を行っているとは到底思えない。

今、開かれている会社説明会でも後輩が胸張って「関西大学」「関大商学部」ですとは、いえんやろ。OBが後輩の足引っ張ったらあかん。
商学部は怒ってもよし。

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応用問題2

2017-3-10

昨年 に引き続き三津寺の仏像群を拝観。

今回は地蔵菩薩立像、十一面観音像、大日如来像、弥勒菩薩像が仏間に直接展示。
地蔵菩薩像(平安・10世紀後半)と昨年もみたがまじかで見るともう少し古い。9世紀でいいのかもと。

前回もみたが訂正すべきものが不動明王立像。
前回は江戸時代とみたが、腰を捻った細身で、滝谷不動明王寺像をほうふつとさせる。回答集(パンフレット)には「江戸時代」。でも全然江戸っぽくない。
会場で報告書を頒布しており、それを読むと「頭体一木から彫出、正中で割矧ぎ、割首、(彫眼)」。いやぁ、江戸の作品の殆どは前後矧ぎ。正中で割矧ぎ、割首という面倒なことはしない。平安後期の作品と確信。
あとはおおむね妥当なところか。

見ているようで見ていない。モノを見るときは真剣にと思っているので、ちょっと反省。

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リゾート

2017-3-11

「森友」とは違う、大阪のちょっとした話題。

JR新今宮駅からみえる広大な空地。約4200坪。もとクラブ化粧品やプチ話題の「プラトン社」の中山太陽堂の工場だったが1983年に大阪市が買収。
以後、「西成暴動」がおこった際に機動隊車両の駐車場にも。
ここに星野リゾートが20階建てホテルを建設。宿泊は1室2万円程度を想定。はぁ?である。

右の赤い建物には「権利・保証ナシ日払可」「福祉の方御相談に応じます」とあり、真ん中の白いビルも「一泊宿泊OK 夜9時迄受付」とある。周囲にも一泊1000円から3000円台の簡易ホテルが乱立。空地を囲む鋼矢板塀には無数の落書。
何を血迷ったのか、ここに星野リゾート。
当然、現地をみての決定だろうが、正直「リゾート」って?と思ってしまう。困惑。

朝からプレスチューデントプログラムのため大学へ。

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五趣生死輪図

2017-3-13

午前中、神戸・三宮の神戸女子大学古典芸能研究センター「此岸から彼岸へ ―志水文庫蔵仏教版画展―」へ。
奈良県立美術館「庶民の祈り 志水文庫 江戸時代の仏教・神道版画」(2008年)以来。受付にて記帳(勤務先名も)。

《都卒内院浄土図》(兜率天曼荼羅)は天保5年2月の彩色。「高祖弘法大師一千歳遠忌」における彩色。「阿州城北恵地利邑/白寿山実相院現住」の裏書があり、その後に調べてみると、現在の板野郡北島町江尻に該当。『阿波志』3巻によれば、江尻村に実相院(三宝院所属)も存在。

《五趣生死輪図》。
奈良県美での展覧会でもっとも関心を寄せた作品。
今回は、天保3年版五趣生死輪図(墨摺手彩色)、嘉永3年版五趣生死輪図(墨摺)、明治24年版五趣生死輪図(墨摺手彩色)と小山憲栄『五趣生死輪辨義』(永田文昌堂・明治24年)が展示。
天保3年版と明治24年版は同じ図様。ところが、嘉永3年版は微妙に異なる。無常大鬼の角が内向きであったり、「有」での梵天の光背があったりなかったり。嘉永3年版では沙門某とあり、「仏御殿御絵所 姉崎織江蔵版」と。

そもそも図様の典拠とされる『根本説一切有部毘奈耶』34には説かれていない。「悩」は暴れる駱駝を曳く男が描かれるが、駱駝が暴れて引くことが困難であることを当時の日本人の誰が知っていたのか…。
壇王法林寺版木の《当麻曼荼羅》(当麻曼荼羅)、『国華』にも紹介された《六道返送八大地獄図》、耳鳥斎《別世界巻》に負けず劣らずの玉手棠州《地獄戯画》。

そんな、こんなで小1時間ほど展示室で見学。退出すると、センターの研究員が…。
さほど大きくない展示室に小1時間ほど見学するのはよほどの変り者、まして大学関係者となると…。挨拶をして早々と退散。
ジーンズにジャンパー、スニーカー。どっから見ても町工場の工員にしかみえない…。

たっぷりと此岸と彼岸。 その後、大学へ。

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修二会

2017-3-14

朝、昨日の新聞を片付けながら「『お水取り』、もう始まってるやん!」と家人。
いやいや修二会(本行)は1日から始まっているし・・・。
傍の末娘も同調して「お水取り!お水取り!」。
なんで・・・?

と、夕刻から「お松明」をみることに。
二月堂前。最終日とあってかなりの人出。

英語と中国語のアナウンス(もちろん日本語も)があり、照明消灯。しばらくすると回廊から赤々としたお松明が登る。そのうちいくつものお松明が昇廊し、外陣回廊で、一斉にフリフリ。火の粉が落ち、そのたびにおっという歓声と拍手。
さぞ「青衣の女人」もびっくりだろう。10分程度で終了。

上娘に画像を送ると「お寺、大炎上!」と返信。
二月堂から帰る人並みからも「よう、火事にならんことで・・・」と聞こえてくる。
いや、江戸時代には全焼したし。この惨事をみた奈良の人たちは幸か不幸か二月堂本尊(大観音)を見ている・・・。

夕食後、夜半に帰宅。春はもうすぐ。

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官民の差

2017-3-16

藤田美術館の中国コレクション、301億円で落札(クリスティーズ)との報。
やっぱり・・・。
いっぽう、白髪一雄《タジカラ男》は、議会で(競売)可決したにもかかわらず競売をやめて《赤色、赤光》ともに尼崎市総合文化センター白髪一雄記念室へ寄託。

《タジカラ男》《赤色、赤光》ともほぼ同寸で、購入価格はともに130万円。
画面の大きさで価格が決まるなら、鑑定も必要ないし(もとより作家から直接購入)、加西市はもとより関西の一般の人が現代作品に大きな関心をもっているとは到底思えない。普通に見て売却処分だろう。市長や議員は何を考えてんだと。

せめて「ふるさと納税○○○円以上で白髪一雄『タジカラ男』・『赤色、赤光』のどちらかをプレゼント!」とすれば、税収や話題性に富んだはずなのに、別の地方自治体にタダで寄託ですか・・・。
官民の差が激しく露呈したようで。

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要注意

2017-3-17

日本美術院の平等院阿弥陀如来像・雲中供養菩薩像の修復について明治38年の仕様書に「後世粗末なる修理を加へたるのみならず最近明治十八年(ママ)の修繕の如きハ誠に遺憾極りなきものにして…」とある。
明治28年の修理は江戸の修理よりも酷かったと、述べた

ところが、大学からの帰途、吉田千鶴子『〈日本美術〉の発見』を読んでいると、明治18年1月9日『京都日出新聞』に平等院鳳凰堂修復記事が引用。
それによると、今泉雄作を監督として平等院鳳凰堂全体を修復、予算は京都市からの補助金を合わせ774円。修復の方針は『真正に修繕』することはできないが、できる限り旧来の木片を蒐集し、取り付け、「一孔穴と雖も新たに穿たざる」といった維持修理であった。阿弥陀如来像の修復は京都仏師山本茂祐が担当。

翌年の中尊寺金色堂・宝物の修繕予算は2万円余。少し前だが明治22年の高村光雲奈良出張旅費が160余円。平等院の予算は建物・庭園修復も込みで774円。阿弥陀如来像修理にかける経費は微々たるものである。
今泉が(予算が少ないため)現状維持で良いと言ったのに、後に「誠に遺憾極りなきもの」と罵倒されるとはと、山本茂祐は思ったことだろう。

明治期の言説は要注意である。

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卒業式

2017-3-18

本日、卒業式。
父母会場の千里山東体育館が工事のため9:40~、12:25~、15:10~の3部制。文学部は15:10~の部。

卒業証書授与はこれより約1時間後ながら、たいてい後輩などに囲まれ予定より遅れる。
今年は、卒業式の模様がYoutube(Kansai University Official Channel)でライブ配信されているので、ちらちら見ながらこれを書いたり、書類などを片付けている。
便利な世の中になった・・・。
15:40.学長の祝辞が終り、理事長登壇。
15:59. ライブ配信終了。

おもむろに卒業証書授与式の教室へと向かう。

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彼岸

2017-3-19

午後より四天王寺宝物館『春季名宝展 浪花の彩』へ。

小川翠村・青木大乗を除けば、菅楯彦・生田花朝・湯川松堂の三人展の態。普段は見ることのできない作品も多い。いつもは入館料の半券だけながら、今回はオールカラーのパンフレット(28頁建)が付属。じっくり。

四天王寺の文化財指定の歴史は、後醍醐天皇宸翰本《四天王寺縁起》、舎利容器など。変わったところでは、帝国博物館が「本館参考」に資するために扇面絵、七種御守、箱入千手観音坐像などを模写したく福地俊一・画工を派遣したいとする明治27年5月17日付けの模写依頼状。

彼岸入りで、多くの人は経木に故人の戒名を書いてもらって亀井堂へ。亀の井は極楽に通じているとされ、沈めた経木が再び浮くと、故人が極楽にたどり着いたと。傍の黄鐘楼(北鐘堂)では極楽に届けとばかりにずっと鐘の音が響くなか、故人を偲びながら六時礼讃堂で回向。おそらくこれがフルコース。たいていは亀井堂で故人を偲んで終了。

夕刻、極楽門から夕陽をみる。ビルが立ち並ぶなか、ひと時、無量寿経の世界。

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供養

2017-3-20

昨日の後半の話(の所以)には、ちょっとしたことがあった。

帰り際に極楽門をみていると、年配の女性が「にぃちゃん、ちょっと聞きたいことあんねんけど・・・」と。「は、はい。」
「主人の供養しようと思うけどどうしたらええのん?」と。
思わず「えっ!(マジか せやけどまたなんで私に?)」と。手には戒名を書いたメモ。
「それやったら・・・」と(昨日の)手順を教える。

故人をどう供養するなど、誰も教えてくれないし、普段は気にも留めない。
別に四天王寺でなくても、西国三十三所や四国八十八所などもあるのだろうが、回向(供養)の方途がわからない。彼岸と此岸を結ぶ「白道」が分からずに迷子になっているようなものである。

お寺さん(住職)に来てもらうのが相場だが、そこまで大げさにしたくない、とはいえ、現代風に割り切っても、なお故人のためにお経のひとつでもあげてもらいたいというのが人情。でもどうすればよいのか分からないという人も多いのではないかと思う。

葬儀屋さんの話によれば、都市部で亡くなると、親族に南無阿弥陀仏ですか、南無妙法蓮華経ですか、南無大師遍照金剛ですかと、まず問うらしい。分からなければあれこれ質問をして、宗派を決めて当該のお坊さんにきてもらうらしい。

散骨や樹木葬など、これからはこういうケースが増えてくるのだろうかと思う。

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いつまでもあると思うな

2017-3-23

某書店から『日本彫刻史基礎資料集成』第13巻が届く。
請求書には「科研費」とあって、昨年と同じ書式、まただと思う。

昨年、事情を話して「個人研究費」でと念を押したにも関わらず、伝票が未修整のままになっている。こういう変更情報はフードバックされないのか、しかも(科研費があったとしても)この時期に及んで「科研費」の請求書を事務に回すことなど出来ない。
電話1本で済むことながら、正直煩わしい。予算が付く新年度まで放置。

小回りの利かない大手書店である。

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短足

2017-3-26

過日、調査した二天像について愚考。

同行の研究者は祈禱札?を根拠に安永4年(1775)だろうと。作風はどうみてみも17世紀中頃。製作年代が100年近くも違う。
17世紀に製作されて安永4年に彩色等の修理を行ったとも考えられるもののどうも腑に落ちない。

調査の折は、裳の裏の刳りがほとんどないことから安永4年かもしれないと思ったりしたが、改めて写真を見、17世紀の作品と比較すると、決定的な違いが判明。
”短足”なのである。
17世紀の二天像は膝下から脚。この像は脛から脚。それに思っていた以上に裳は後方に広がらない。

まだまだ勉強が足らぬとプチ反省。
それにしても非常に巧い。こういう作品が18世紀後半の京都仏師の作なのか・・・。

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齢を感じる調査

2017-3-27

学生(他大学)を引率し山深い某所で調査。
近くにコンビニなどはないので集合前に弁当持参を厳守。

調査しながら彼等をみていると、30年ほど前の自分の姿を思い出す。口述筆記で漢字に詰まると「王ヘンに旧漢字の桜!」などと“ご指導”。
こちらももうそういう齢になった・・・。

御像にはきれいな彩色が残っている。形状、構造、後補を記述した後、眼鏡を外して彩色、紋様などを確認。これがかなりたいへん。
あれこれと見えそうながらも確信が持てない。若い彼等の眼はこちら以上によく見えているらしく「ここに斜めの線が見えます」と。
昼食を挟んで日没近くまで、写真撮影、調書を取る。

今夜は山中の旅館で宿泊。布団には「豆炭のアンカ」が入っている。学生にとっては珍しい経験。もちろん電気コードはない・・・。

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截銀

2017-3-28

引き続き、朝から調査。
御像は長期間、秘匿されていたらしく彩色、紋様がかなりよく残っている。

学生の眼を借りながらの確認。「おっ!」と小さな声があがり「銀!」。截金ならぬ截銀である。銀泥?とも思ったがカクカクしており截銀。
調査で截銀を見たのは初めて(普段、江戸の仏像ばかりなので)。その下にも膠の痕跡。こちらも銀の可能性が高いか。小1時間ほど彩色確認に費やし、脳裏で当初の姿を想像してみると非常に美しい像。

夕刻近くに全件、調査終了。外は水ぬるむ春の陽気。充実の2日間。

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土地絡み

2017-3-29

午前中、大学でがっつり書類を片付けて(後で書類ミスとの連絡)某市文化財審議会へ。

答申のあと指定候補とされる古墳(前方後円墳)を現地見学。
申し分ない眺めに立地しているのだが、残念ながら後円部の一部は私有地、しかも墓地。真新しい墓標も並んでおり、どうも一筆ではないらしいようである。傍目からみても(指定にあっては)かなりの支障物件。

地方公共団体の「公売財産(不動産)」明細に「埋蔵文化財包蔵地の指定. 有(○○遺跡)」と書かれる物件と同じである。古墳全てを買収したい意向ながら、墓地の移転改葬など区画整理と同じ状況が起きる懸念。

古墳を眺めながら、今話題の「瑕疵担保責任の免除」という言葉もちらりと浮かぶ。

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光雲懐古談

2017-3-31

終日雨。桜もようやくちらほら。
学内は入学式前に下見に来たご父兄と新入生の姿も。

久しぶりに山崎隆之先生の「仏像の造像比例法-高村光雲「仏師木寄法」について」と高村光雲「仏師木寄法」(『国華』6・7号)を読む。
面長(卵形)で胴長な体躯は山崎先生が指摘されたようにあまりバランスが良いものとは思えない。『国華』には坐像や随身像の木寄せも掲載しているが、ずんぐりむっくりな如来像やいかにも幕末の随身像である。

東京周辺の(江戸の)仏像をみた時に感じる若干の違和感と近い印象を受ける。
光雲も幕末江戸仏師の末裔なので、幕末・江戸で一般的な木寄せ法ではなかったのだろうか。西洋の影響もあるかも知れないが、ちょっと京都の木寄せとは違うような気がする。

このところ幕末仏師についてあれこれと考えているが、やはり『光雲懐古談』に頼るのは危険。幕末の仏像・仏師に関しては海外の影響をまったく受けなかったといってよい。

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