日々雑記


長谷ゼミ、海を渡る

2011-11-01

ようやく休み。

朝から幾つかの雑事を終えると、もう正午。
缶ビールを空けつつ、末娘のスーツケースを借り(先日、韓国への修学旅行を終えたばかり)、着替えや緊急連絡先や旅行会社から預かったeチケット(控え)を投げ込む。今日は、学園祭恒例の修学ゼミ旅行 in 台湾。長谷ゼミ、海を渡る・・・。
関西空港18:50発JAL815便にて台北(桃園)へ。

台湾は2度目。前は天安門事件後1年目(1890年)の夏。当時も既に日本との国交はなかったので、「亜東関係協会大阪弁事処」(現 台北駐大阪経済文化弁事処)でビザをとり、総統府外観の撮影も禁止で、バス停から道路に出て手を広げてバスを停めて(正規の停車方法)故宮博物院へ、街角のあちこちで檳榔(ビンロウ)を噛んだ赤い痕を見かけた。
今では隔世の感。
日本とは-1時間の時差があり、21:25に台北 桃園空港に到着。空港内の両替所に寄った後、ホテル。
宿泊は王朝大酒店。文湖線(俗称「堺筋線」)南京東路駅近く。
古いマンモスホテルだが、ある程度充実。初めての海外という学生もおり、リーズナブルなだけでは決めがたい。英語が話せれば何とか自力で対応できるホテルでないと、こちらも困る。
部屋は左のツインルーム型。カード・キーながら手違いもあって認証せずに、しばらくは入室できずに困惑。

入室後、近くのコンビニ(7&11)でビール、おつまみを買い、深夜まで無事来台の祝賀。コンビニの道中、暗い道を女性がひとりでご帰宅? 治安はよさそうでホッとする。

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台北散策

2011-11-02

朝から“自由行動組”と“引率組”に分かれて市内散策。こちらは“引率組”。MRT(地下鉄)も初経験。

総統府、中正記念堂、国立歴史博物館などを巡る。もちろん途中、近代建築(植民地建築)も たっぷり 。
背景の台湾総統府(旧台湾総督府)は、統治における様々な問題を含む。植民地を支配するのは軍事力だけではない。病院、学校、銀行など社会インフラを整えなければ“支配”したことにはならない。後藤新平は、これを「文装的武備」と称した。支配の象徴である総督府を先に建てるのか、社会インフラの整備が先か・・・。台湾の統治は下関条約で割譲されたもの。こちらは「建国100年」というが、辛亥革命時、既に日本統治。
国立歴史博物館では、「我們:中華民國100年特展」を見学。故宮文物を運んだ木箱も展示。

西門町に出て少し遅いお昼。小龍包と飲茶のコース。
その後、龍山寺へ。ちょうど「夕刻のお勤め」が始まったばかりで、多くの人が参拝、読経。本堂正面のみならず横も後ろも、本堂を取り囲んで老若男女が、ひざまずき、あるいは立ったまま、読経(阿弥陀経)する光景に驚く。
現世利益か極楽往生かはよくわからないが、普段の日の夕方に僧俗あわせて一心不乱に読経する姿は日本であまり見かけない。
堂内には導師と梵音衆。蓬髪のまま僧衣を着た男女。同行者曰く、「行基の衆会に集まった優婆塞・優婆夷を見るよう」とも。全く同感。

(夕食)集合のため、中山(南京西路)へ出て自由解散。こちらは駅前にある「新生三越」の喫茶室でひと心地。
ところが喫茶店の店員はチェックのミニスカート、前には小さなエプロン。あらっ、メイド喫茶に入ってしまったのかといぶかったが、横の座席では親子がパフェをつついている・・・。刺激的な台湾の一面。(写真を撮るなよ!)

“自由行動組”と“引率組”が揃ったところで、夕食。もうひとりの教員の希望で、天厨菜館の「北京ダック」。骨は鴨スープ、身は鴨肉炒めで丸ごといただくコース(三吃)(約6人前で1100元≒3600円)。初日から舌づつみ。
ホテルに戻り小宴。

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国宝総動員

2011-11-03

MRT士林で下車、バスに揺られて故宮博物院。

現在は「精彩一百 国宝総動員」展。故宮博物院で人気の文物は、「白菜(翠玉白菜)」と「豚の角煮(肉形石)」。ともに小さく清朝の玩物。入場制限もかかるほどの展示品とは思えないのだが。中国(大陸)からの団体観光客多し。

国宝総動員展では、文淵閣『四庫全書』がずらり。
金泥写本によるチベット語龍蔵経(康熙8年)や満州語の大蔵経(乾隆55年)、西夏文の華厳経(元)などをみると、展示でも少数民族を意識した展示内容。仏像でも大理国の仏像やチベット系が目立つ。
絵画では期待した范寛《谿山行旅図》や郭熙《早春図》は既に終了していたが、仇英《漢宮春曉》や常設展では牧谿《写生巻》。大きく広げられた《写生巻》には、枇杷や柿、二十日大根、青梗菜等々。
大徳寺龍光院《柿・栗図》のオリジナル版である。

4時間ほどかけてたっぷり名宝鑑賞。さすがに引率してきた学生のうち“生存者”はただひとり。(事前に長時間の見学に及ぶので自然解散と言ってあった)

夕食まで少し時間があるので、駅前で「牛肉麺」を食し淡水へ。
淡水は、もと台湾を代表する港。「東方のベニス」とも。(どっかで聞いたことのあるセリフ・・・。)
日没も近いため紅毛城はあきらめて、老街を通って船で漁人埠頭((フィッシャーマンズワーフ)に。
近年、親水公園として整備。市街の雑踏から離れて、台湾海峡に沈む夕陽を見ながら、まったりと休憩。

バス、MRTでふたたび中山駅。
昨日の贅沢があるためか、夕飯にはあれこれ注文が。
あまりに五月蝿いので、地元民ご愛用の食堂(日本語メニュー有)へ連れていく。好きなモノ食べろと。
食事後は、各自自由解散。自助努力でホテルまで。

学生(唯一の“生存者”)の希望で、誠品書店(敦南店)へ。
玄奘三蔵のごとく、大部の書籍を抱えてホテル。精算時、パスポートの提示を求められ、???。
授業に使う中国大陸全図(地図)がヤバかったのかと焦りながらも「護照」はホテル。店員さん曰く「示していただければ、5%の割引になりますが」と日本語。はて?

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早や帰国

2011-11-03

台湾ゼミ旅行も今日で終わり。
空港へと向かうバスにて、お約束の免税店へ。
帰国時の説明で高額な商品を買えば、5%の免税措置があるという。昨夜の書店はそういう意味だったのかと。

台湾のあちこちで日本語の看板を見かけ食堂では日本語メニューも出る親日の国。故宮博物院では台湾人の茶商とそんな話もした。曰く「中国(大陸)人は茶葉を買っても別の店が安ければ、2週間前のことでもあっても返品や返金を求めてくるので商売にならない」「割りこんで(文物を)見る」「大声を恥ずかしいとは思わない」云々。多分に偏見もあるが、彼曰く「『衣食住足りて礼節を知る』ということです」と。・・・。
そんなことをぼんやり思い出してると、送迎バスははや桃園空港に。JAL816便12:30発関西空港行。
出国検査もスムーズに進み空港内をぶらつく。
売店の前には「祈祷室(Prayer Room)」。内部は半分が仏教、残り半分がキリスト教とイスラム。各々のドアには「卍」や「月星」のマーク。宗教の大切さをこういう所で感じる始末。

機内では食事もそこそこに爆睡。気がつくと関西空港にランディング。1545着。無事に全員帰国。帰るまでは旅の続きと言いつつも、まだ頭は寝ぼけたまま。
再び、普段の生活に。

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日常

2011-11-05

昨夜帰宅すると、旅行中いくつかの電話があったらしい。ひとつは「研究支援課」から。
電話で「(台湾へ)パソコンを持って行っていませんか?」と尋ねたらしい。「んなもん、持っていくわけないじゃん、遊びに行ってんだから」と家人。辛辣。

かくして朝から大学へ。小雨模様で学園祭もやや残念。どうも冷え込んだらしく紅葉と落葉。あちこちで首から段ボール看板を下げた学生たちを見かける。模擬店からはいい香りも。
研究支援課で用件を済ませた後、川西市「レフネック」(第2講)のスライド調整。ゼミ旅行前には80枚からあったのを増減し50数枚に。昼前に完成し川西市生涯学習センターへと向かう。
相変わらずのドタバタぶり。

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感熱紙

2011-11-07

朝会(とはいえ夕刻まで)。
昨日学園祭が終わったというのに、はや入学式の段取りなどが議案に。

私らの仕事は基本的にはルーティン。入学式や試験、入試等々・・・。それに付随する書類や告知も既にフォーマットが出来上がっており、当該年度の日付を替えるだけ。それを長く、使用していると、細かな部分で修正が必要。

論文提出告知の項目に、紙の指定は「横書きはA4(感熱紙は除く)」とある。感熱紙?
よもやファクシミリのロール紙をA4に裁断して・・・。いまどき、感熱プリンターもないはず。
このカッコ書きはいらんやろと思ったので独断で削除。なんでも話題にはのぼるものの、その度に“旧守派”が抵抗したらしい。
周りも安堵しつつ、“旧守派”の反撃に備え(たのかどうかは知らないが)、「センセ、紙(質)の指定はよろしいでしょうか?」と。ふと、かつて 再生紙で博論を出した事例 を思い浮かべたが、紙質までを問うとたいへんなことになるので、「このままいきましょう」。まさか、「ホームセンターで500枚 300円ほどで売っている白色のコピー用紙」とはいくらなんでも書けないし、そのぐらいは常識。
(たまに上質厚手のコピー用紙で提出する者もいる。紙厚に対して中身のほどは如何に・・・。)

「感熱紙」ごときで馘首にはなるまい。

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血が騒ぐ

2011-11-08

朝夕、ずいぶんと寒くなった。なぜか今日の授業はめっきり学生が少ない。はて?
出席者は全員「博物館実習」受講者。今日は学生の発表ではなく私が担当する日。演習準備もしてきたのだが、みな「実習展」準備でそわそわと。

「まぁ、そう気になるのなら、(展示の)チェックをしに行こう」と急遽、博物館へ。
博物館では準備の真っ最中。出来上った展示品を見ながら、「貼りパネを切る時はカッターナイフをこのように・・・」「(作品をみる)視線が乱高下するのはよろしくない」などと、あれこれアドバイス。

展示ケース上の照明サッシ(プラステック製)にワイヤーが結えられており何かを吊すらしいが、見た目は非常に見苦しいし、もし照明サッシが折れたら・・・。

「脚立、持って来て!」と思わず展示ケースの天井を覗く。幸い熱気除けの通気孔がある。そこからワイヤーを垂らすときれいに吊ることができる・・・と口頭でアドバイスすればよかったものの、脚立の上から「ワイヤー!」。出来上ったワイヤーに唖然とする学生を見ながらしまった!と。

つくづく教員に向いていないと反省しながら、貼りパネや展示ケース、ワイヤーなどを見ると、いまだに血が騒ぐ・・・。

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熟考中

2011-11-09

会議ディ。ようやく隔週での開催にもどり、会議のない日に展覧会へ行ける・・・。

3Fと4Fの合同研究室前には各地の展覧会チラシが貼ってある。会議が続いた先月は、この前を通ると、まるでネオン街の前を通るような誘惑にかられた(実際のネオン街は無関心そのもの)。
いつものことながら終わってしまった展覧会も多いが、まだいくつかは見にいくことができるだろう。
いつもなら会議中に手帳とにらめっこしながら、あの美術館とあの博物館を合わせて一日・・・、やむをえぬ事情で会議を休んで行くか(コラコラ!)などと考えるのだが、今ではそれも出来ない。

書類を前に発言する人は除き、会議中、居並ぶ人たちはいったい何を考えているのだろうか。「それは某先生から(の発言)」という小声のアドバイスが飛ぶということは、議事進行に集中している証拠。
余裕が出来たのか、フロアからどのように見えているのかが、最近は気になるところ。
(別に内職はしませんので)

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選挙

2011-11-10

さっそく「投票所入場券」が届く。こちらは大阪市民ではないので府知事選。「橋下」「平松」と書く者も多かろうと、家人。「カンダイ、2人も出てるんじゃない」とも。
このあたりではわが校はめっぽう強い。

大阪府と大阪市の二重行政の弊害と訴えるものの、それでないと解消できない問題もある。例えば「博物館・美術館」。
府立は弥生文化博物館・近つ飛鳥博物館、日本民家集落博物館と狭山池博物館(土木局)。民家博を除き、全て考古学系施設。かたや大阪市は、大阪市立美術館、東洋陶磁美術館、大阪歴史博物館や大阪市史編さん所、また大阪城天守閣(経済局)や大阪市(埋蔵)文化財協会も。

各都道県に公設美術館はあるものの、どうして大阪府立美術館はないのか。どうして大阪市は大阪市立美術館だけではなく大阪市立近代美術館も建てる計画なのか。
府指定文化財の公開展示を大阪市の施設でしか開催出来ないのは「文化不毛の地 大阪」ならではの現象。喧嘩している場合ではないとは思うのだが。

今回ばかりは熟考の末「棄権」かもと。

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英一蝶

2011-11-11

英一蝶《雨宿り図屏風》。
東京国立博物館のほか、ニューヨーク・バークコレクション、高嵩谷の作品。
武家屋敷の門柱を鉄棒代わりにして遊んでいる子供に気が取られるが、“外回り商売”の職人尽絵とみえなくもない。なんとなく「柴又の寅さん」も混じっていそうな雰囲気。
いずれの作品も夏の暑さをしのぐ「通り雨」がやってくる直前・直後の埃っぽいような、独特の「匂い」が画面から漂ってくる。

学生の発表では、将軍綱吉の死去(宝永6年・1709年)に赦免され、三宅島の水汲娘トヨとの間に出来た二人の息子を連れて江戸に戻った一蝶は、本妻も、友人の宝井其角も亡くなっている事を知り、達観するらしい。でも、赦免後は真っ先に仏師民部や村田半兵衛と吉原あたりで旧交を温めたに違いない。

幸か不幸か、発表した学生は私の(専門)領域に仏師民部が含まれることをご存知でなく(多くは「仏像」という漠たる認識)、それ以上に、昭和天皇の崩御に伴う恩赦が1000万人以上ということも知らない。今の学生はとうに平成生まれ。発表の総評や解説も、自ずとおじさんの「昔語り」。

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なが~~~~いお付き合い

2011-11-12

は、有名な京都銀行TVCM。

黒板とスクリーンを前にして川西市生涯学習センターでの講座(最終回)。
コンソーシアム大阪でもそうだが、聴講されるかたのほとんどは私より上の世代である。

「美術は道楽!」という人もいるが、歴史や美術は「大学での学び」で完結するものではなく、老いてなお役立つ学問と思う。
過日も妙齢の女性が、世界各地の美術館に行って様々な作品を見てきましたし、美術史の専門書も読んできました・・・と語られた。極端な(過激な)意見だが、外国語文学を専攻して卒業後、社会人になり、あるいは家庭に入っても、原書を読み続けるのだろうか?
今度の日曜日はよい天気なので、ちょっと清水寺へ、あるいは奈良公園・興福寺へ、という確率ほど高くないような気がする。

そんな折にこちらのつたない講義を思い出し、また記憶に残った講義での作品に出会うと、ちょっと豊かになるような、得した気がするらしい。美術はながーいお付き合いでもある。

そうした美術作品に出会う授業は小学校から大学まで数少ないのだが、私が若い時はレンブラントに憧れたように、若い学生の頃は「東洋・日本の古美術」にあまり関心はない。
人は渋みを増すと、おのずと「渋いモノ」に関心を寄せるのだろうか。

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奇しくも

2011-11-13

企業に入社後、ミスマッチで後悔する元学生がいるらしい。
知名度を優先し企業研究が足りなかったり、仕事へのこだわり(願望)が強すぎたり、はては応募先を絞り込みすぎて失敗し、不本意な会社に入社したという者もいる。

閑話休題。
先日より文学部1年生向け分属スケジュールが発表。上位学年からみれば「別に大したことじゃない」と思うのだが、1年生は「人生のレールが決まってしまう」ばかりの、マジ真剣そのもの。
学びの扉も知パスも未履修、「音楽」の専門家はいない(失礼な!)ようだが、「音楽」が出来るのかというメールまで届く始末。
出来る子はどこ(の専修)に行っても出来るが、出来ない子はどこに行っても出来ないというのもまた真理なり(経験則上)。

先のミスマッチでは「より深く企業を知る」「応募の幅を広げる」「配属は柔軟に考える」とアドバイスするのだが、文学部の分属も同じようなものである。人生そんなところで大きく変わるわけはない。

まずは、その「タメ口」でのメールをなんとかするほうが先だと思うのだが、会ったことも見たこともないので、しばらくは無視することに。

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上六

2011-11-14

所用にて出勤前に「上六(上本町六丁目)に寄る。二十歳前後の頃にうろうろしていたエリア。見知った場所ながらまるで“浦島太郎”。新歌舞伎座が出来たほか、高層ビルが立ち並び、足しげく通った古書店もなくなり、名高き風俗ビルも今やビジネスホテルに変貌。見覚えがあるのはたった一軒の「精肉店」のみ。

さんざん迷った挙句、目的のオフィスビルにたどりつく。
プレートには某会社の名前。その横で所用。
実はこの会社の前社長(故人)の名刺を持っている。前職での仕事で、京都での研究会かなにかでご一緒したときのもの。もちろん当時はあまり関係はない・・・という思いであったが、よもや、今大きく関連しようとは。既に故人ゆえ特別なことは何もなく・・・。もう20年も前のことである。

懐かしさや驚きが混じった気持ちで「上六」を後にし大学へ。

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なんとなく不安

2011-11-15

「文学部紹介情報」「ゼミ案内」の取材。

授業開始直後、カメラマンとディレクター、職員氏登場。事前連絡していたので学生も気軽にカメラマンの要望に応じる・・・。
イメージ図(左:なんでそんなモンがあんねんと詮索するにあらず)を渡してあったのでテキパキ対応。
授業中なので一旦退出していただいて、授業終了後、再び取材再開。
ディレクターに替り“ライター”登場。どうも分かっていないような、予習していないような雰囲気・・・。
事前に取材メモを渡しているだけにひときわ、眉間に皺が寄る。

冒頭から文学部の特徴なのか“長谷ゼミ”の特徴なのか・・・と聞きただす始末。
以後、こちらの専門をかなり取材。近世仏教彫刻史などを書いても、受験生はもとより読み手は誰も読まへんで。
ゼミ生の就職先についても。一般企業や公務員等々と答えたが、ライターは「文学部」「ゲイビ」に強い職種を書きたいらしい。社会に出て学部はもとより専修(学科)など誰が問うものかと。学部・専修名など、しょせん「アフターファイブの一献」での小ネタに過ぎない。因みにライターは「法学部」・・・。
今求められているのは出身学部やのうて、その取材能力やろが!
横では職員氏が眉をひそめ、顔がひきつっている。
午後には、そんな「世間の誤解や流言飛語」に騙されないように、キャリアセンターへ挨拶にいったばかりなのに、“ライター”がこれでは。

次のステップである実社会への対応能力を高める― これが学是であり、“長谷ゼミ”のモットー。

出来上ってくる記事が何となく心配。誰も読まないような近世仏像の記事がだらだらと書かれたら、どうしようかと、広報課のみならずこちらも心配。

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神仏いろいろ

2011-11-16

今日は授業なし、会議なし、好天の「展覧会日和」。
まずは安土城考古博物館「武将が縋った神仏たち」。
さて、何と読む?
ここは、「寧處に遑あらず」とか「日継知らす可き王無し」とか難読タイトルを好むが、その感覚は理解し難し。
「武将がすがった神仏たち」である。私の国語力が貧素なのかも。

八幡神、将軍地蔵、妙見菩薩、刀八毘沙門天、摩梨支天などいろいろ。仁和寺・僧形八幡神影向図や読売新聞社・妙見菩薩像など有名な作品をはじめ、見たこともない不思議な資料が盛りだくさん。
作品がちょっと羅列ぎみなのは、研究途上の成果展なのかとも。マニアックな展示ながら、たいへんよく勉強させていただきました。

その後、大津市歴史博物館「日吉の神と祭り」展。
入るなり、神像ばかりがずらずら~っと展示。ああでもないこうでもないと愚考しながら、神様の前を行ったり来たり。もう当分は神像はいい・・・。
次いで日吉山王宮曼荼羅や日吉山王本地・垂迹曼荼羅図。北斗七星やカシオペア座などに驚く。後は日吉山王祭礼図屏風や日吉山王祭礼貼交屏風など。
構成がすっきりしているので、どれも熟視するありさま。

日も暮れる頃に大学。
昨夜からの続きで、オリジナル・複製あい混ざっての「現品照合(備品検査)」を行い、書類を提出。ほっとしてメールを開けるとまたもや書類の不備が・・・。先ほど提出した書類もミスありで差し戻し。

疲れているのか、このところ書類に嫌われているばかり・・・。

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紫いもあん

2011-10-17

深夜に帰宅すると、最近お年頃なのか、すっかり疎遠かつ会話が無くなった娘から、「これ、やる(あげる)・・・」と。
山崎製パン ランチパック関大バージョン「紫いもあん&ホイップ」 。

噂に聞いていたがこれとは・・・。飲みかけた缶ビールを横に置き、封をあけひとつ(2個入)を食す。イモあんにホイップと求肥がマッチして、うまい、うまい。
「関大カラ―」→「紫紺」→「紫いも」と発想したのは商学部の学生。ちょっと悔しいが・・・。

「いっこ、食べるか?」と差し出したが、「いらん」と娘。 ・・・。

今朝、家人曰く「(紫いもあん)パン、食べたの?」と。「うん!」
「高いぞっ、あのパンは・・・。」と。
聞くところでは、クリスマスや年末年始を前にあれこれと皮算用。しかし、如何せん、収支バランスが取れていない。そこで「公的(父的)資金導入」を思いついたらしい。
まぁ、喰ったものは仕方ないじゃないと、親バカ。
最近、どうも学生に対してもやさしくなった(甘い)事情も、実はこんなところにある。

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サンドイッチ

2011-11-18

会議と打ち合わせに挟まれた授業。終日“サンドイッチ”状態。

「学びの扉」ではキャリアガイダンス(新企画)。
分属を控えたこの時期に何をまた?と思う向きもないではないが、教員がキャリアガイダンスをやると、多くは「就活はしたことがないので、詳しくはなんとも・・・」という危ない状態。
親御さんに至っても経験則しかないので「とりあえず安定した企業に入れば、人生安泰。頑張れと」。じゃぁ、山一證券や日本航空の現在を予想できたでしょうか。大王製紙やオリンパス、東電は現状で「安定した企業」といえるでしょうか。「働く」というのはそういうことでしょうかと。
そこで「餅は餅屋」ということでキャリアセンターのKさんにご登壇願った次第。

いつものように後ろで聞きながらあるいは「ワークショップ」をお手伝いしながら、納得、大満足。
「就職氷河期」とは何時か。それぞれ時代で厳しいながら、バブル崩壊後の時代がどん底。当時からすれば新卒募集数は4万人も増えており、安泰ではないがそこそこの求人はある。ネットによってTVCMを流す会社や超大手に集中し、(マスコミが)それだけを見て勝手に「就職氷河期」をねつ造。

なぜ今キャリアガイダンスなのかというのは、大学生活をよい意味で充実し3年後に卒業してほしいからである。「海外旅行・バイト・サークル」では就活に対処できんやろとも。

最後の授業を終え、若干の準備をして岡山へ。明日は島根県立美術館での講座がある。
無茶すれば未明には松江に着くのだが、午後からなので途中下車。

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堀江友聲

2011-11-19

岡山から松江入り。幸い雨も上がる。島根県立美術館に早く着いたので「堀江友聲」展。

堀江友聲は享和2年(1802)に雲南・大東町生まれ。幼少より絵を好み、京都に出て山本探淵に指示し、柴田義董に私淑する。その後、萩・毛利家の画事御用を受け、京都に戻って海北友徳の養子となる。翌年、養子解消した後、出雲に帰国。丹後宮津で彩管をふるい、後に広瀬藩の御用絵師となる。

初期の狩野派風、円山・四条派の作風、果ては岸駒の「虎」など多彩な活動に瞠目。
〈龍虎図屏風〉の虎は東京国立博物館の岸駒〈波に虎図屏風〉に酷似との指摘だが、龍も岸駒の龍である。門人も出雲を中心に文人画家など多彩に富む。京都・西川嘯堂も門人のひとり。地方絵師の実態、京都絵師の立ち位置を知る上で興味深い資料がいくつも展覧。丁寧な質の良い展示内容で大満足。
常設展でも長沢芦雪の〈白象黒牛図屏風〉。白象の背に乗るカラスと牛の前に座る子犬が秀逸。

文化財愛護活動顕彰表彰式(島根県文化財愛護協会)のあと講演。今年度は、隠岐の西村神楽保存会。
実は「隠岐」と関西大学とは深いつながりがある。1965年から3年間にわたって島根大学と関西大学で隠岐の総合調査を行っている。報告書では「隠岐丸」が自動車を陸揚げしている写真も掲載され、隠岐の文化を知る貴重な基本文献だが、残念ながら美術工芸の調査は行われていない。
「ぜひ隠岐にもお越しください」と保存会の代表の方。

島根県の仏像・神像の魅力についてあれこれ話す。冒頭でこんな話も披露したのだが、最後の挨拶で教育次長が「誤解を招かないように、ぜひ島根に引っ越して下さい」とも。

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出雲・石見

2011-11-20

朝から国道54号線を走って某所で調査。
山は色づき、気温は9度。そろそろ冬支度。

記録では天正11年銘があるという阿弥陀如来像。大粒の螺髪、扁平な顔立ち、すっきりとした体躯等々で天正11年の制作は真実だと思う・・・。
記録には「袖下の裏側」に銘ありと記されているものの、見えない。台座も崩壊気味、光背は背後の柱に番線でくくりつけてある。かつての住職が処置したものであろう。新しい修理の痕も。きっとその時には読めたのであろう。その他2、3の仏像を調査。文化財の理解に深い地元でひと安心。

「文化財指定」は当該資料の良し悪しと共に行政判断が加わる。「この作品が京都(奈良・滋賀)でなかったら」と優品を前に悔むこともある。逆に指定後、関係者から「既ニ国宝指定済ナレドモ…国宝トシテ充分ノ価値ヲ認メガタシ」(現・重要文化財指定)という作品もある。

出雲地方と石見地方の文化財指定は30対1という。これを30対10あるいは30対15に引き上げるのが行政手腕ではないのだろうか。よく調べた結果、こうなってしまうのはやむを得ない。しかし調べもせずにこういう状況だと断定するのはいかがなものかと思う。そのためにも行政決断が求められていると、 遠まわしながら地元紙に新聞記事も書いたのだが・・・。いまどき悉皆調査が県内1箇所というのは、豊かな文化財を抱えているだけに、あまりにもったいない。「頑張れ、石見」と念じつつ、帰阪。

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グローバル化

2011-11-21

いきなり冬。昨夜から咳き込み、今年初の「風邪引き」の態。

先月末、パソコン(自宅)のACコードの接続が悪くなり、触っているとショート、断線。
子供が移動させてコードをくねくねしていたからなぁ・・・。
メーカーに在庫がなく、ネットショップで購入することに。代金を支払ったのが台湾旅行前。 台湾から帰宅してもACコードは届かず、10日過ぎても音信不通・・・。「いつ(コードが)届くの?」「騙された?」と不安を煽る家族。「こうなったのは誰のせいや!」とこちらの不安も高まる一方。

昨夜、ようやく届いたのだが、「EMS」便。宛名は「日本國大阪府…」とあって発送元は広州(中国)。
「(台湾)帰りにちょっと(広州に)寄ってピックアップしたらよかったのに」と。

日本で在庫を抱えるより、ACコードメーカー(中国)から送ってもらうほうがいいのか・・・。断線したACコードの裏を見ると「made in china」。産業界の空洞化、グローバル化をプチ実感。
久しぶりに繋がったパソコンは取り上げられるありさま。

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岸駒の虎

2011-11-22

授業のみ。明日は休日で、なんか、ほっとする気分。たまった書類もいくつか処理。

「岸駒の虎」で思い出したのだが、文化6年(1809)に岸駒は加賀・金沢城の障壁画を描くために、息子岸岱、弟子の村上健亮、斉藤霞亭、望月左近を引き連れて金沢を来訪。12月18日まで滞在している。
岸駒は造営方に岸岱に描かせた下絵5枚を差し出し、「下絵と申すは死物に相成り、必ず其の通りに調え難しもの故、其の時宜に寄り変し調え候義」と述べている。(『御造営方日並記』9月朔日条)

いやいや、京都御所の岸岱〈虎〉や水墨で描かれた虎をみれば、下絵なんかは関係ないってわかるから、そこまで言わなくても・・・。
あるいは江戸から招へいした生真面目な狩野祐益・墨川へのあてつけだったのか?

与えられたのは「虎の間」ほか。いくら虎がうまいといっても、小難しい絵師を呼んだものである。
写真は某所で見た墨画〈龍虎図屏風〉の落款印章。「越前守岸駒」。天保7年(1836)以降の作品。

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大名貸し

2011-11-23

午前中、大阪歴史博物館へ。どうやら松竹関係資料が出品中。特別展は「心斎橋 きもの モダン -煌めきの大大阪時代-」。
特集展示は「古文書からみる大坂の町」。

「町(チョウ)」は町人による自治団体、町人とはその町域にある家屋敷の所持人(借家人は町の運営に参画できず)とある。
展示も見事。展示は古文書原本と解説文、一口解説(ハンコは黒、筆跡が違うなど)のみ。翻刻文は別刷。

大坂の町の実態が微に入り細に入り紹介されるが、驚くべきは「大名貸し」の実態。
安永6年(1777)に佐賀藩が大坂屋又次郎に借金(銀78貫41匁余)。返済は年980匁で80年払い(金利0)。ところが、37年後の文化11年(1814)にこの借用証文が具足屋多右衛門へ11貫余で売却。きっちり佐賀藩から返済されたとしても貸付残高は41貫781匁。大坂屋又次郎は30貫161匁余の損益。実際はほとんど返済されていなかったのだろう。

往々にして古文書展示は「漢文練習」になる。翻刻文を記したとてどれほどの人が興味を示すのかといぶかっていたが、ここではそうした不安は無用である。パンフ裏面に作品解説に至るまでの作業工程が付されている。ぜひ他館、特にキャプションだけ、あるいは翻刻文しかない館はぜひとも見習ってほしいものである。

菅楯彦描画による着物、帯の展示をみた後、いよいよ松竹関係の資料。松竹座ニュースをはじめ松竹座5周年、10周年、35周年の各種パンフや観覧券、優待券が展示。さすが歴博。
背後にまわってみると、ジョージ・シーガル「Dai‐Osaka」 地下鉄御堂筋線模型。いつも、どきりと。

祝日午前中ながら、来館者も多く、古文書展では旧職S氏、講堂前では日ごろお世話になっている大阪城天守閣K氏ともお会いする。

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お茶・お花

2011-11-24

大教室の授業で「『お茶を習っているヒト?』と言っても、もう絶滅危惧種ですよね」と。

茶室の話から始まり、座敷飾りや慈照寺東求堂同仁斎、「君台観左右帳記」、同朋衆等々へ。講義のさなか、ふと「お花(華道)は?」と思う。

『碧山日録』によると、武将佐々木高秀が専慶を招いて金瓶に数十枝の草花を挿させたところ、洛中の好事家が競ってこれを鑑賞したことが記されている。これが“池坊”の原点。来年で550年。
「華道」といえば、美術史家の山根有三氏は真生流2代家元(創始者は山根翠堂)。
山根先生に御講演をお願いした展覧会では、会期中いつも受付にきれいな花が生けられていたことを思い出す。

お茶以上に門外漢。華道の先生をゲストスピーカーにも呼ばない限り、無理だと思いつつ大教室をみわたすと、どうも関心がなさそうな様子。
花より団子か・・・。

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手遅れとは言わないまでも

2011-10-25

キャリアガイダンス(2回目)。

ちょうどこの時期に、芸美ではゼミわけガイダンスの案内。問診票?「進路」の項目には、大学院とか食品業界とか。中には「公務員」「教員」と書く者も。
それなりの勉強を続けてきたなら話は別だが、特に何のアクションを起こさずに記入しており、希望や理想を書いているようにも思える。なんか悪い催眠術にかかったような・・・。

教員免許が取れたら教職に就けるような錯覚や公務員試験も専門試験では法律や経済などあまり文学部とは御縁のない問題が頻出。授業以外に別途勉強しないと、どうすんねんと思うのだが。

夢心地で残りの大学生活を送られても最後には必ず“泣く”。そうならないためにも早め早めの自主的対応が必要。どうぞ大いにキャリアセンターをご利用のほどと。
これも親心なんよ、と思いつつ、気づいてくれるのはずっと後のこと。

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二足の草鞋

2011-11-26

午後より大学院(文学研究科)進学説明会。参加者は少なかろうと、お気楽モードで参加。ところが・・・。
現3・4年生はもとより留学生や他大学の学生、そしてその保護者までも。なおかつ現役・元会社員もこぞって参加。仰天びっくり。

そりゃ、「カルチャーセンターに通っています」というより「大学院に行っています」というほうが世間の聞こえもよかろうとは思うが、何も現役会社員のまま急いで「二足の草鞋」を履くこともなかろうに。しかも「文学研究科」ですよ。
そんなことを言っても始まらない(怒られる)ので、あれこれと対応。

我々の世代は自分で勝手に勉強し、教員はそれについてほとんど関与しなかったのが「通り相場」だったので、自由な時間があって好きなだけ本を読み、見たい作品を見て自由に考えることの出来る環境が逆にうらやましいとは思うのだが、どうもこちらが誤解しているようである。

様々な受験志望があるとは思うのだが、「就活」同様、過去のセオリーが通じない現代社会の一面をみる思い。

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神・仏・道

2011-11-27

朝一番に投票を済ませ、福井県立歴史博物館「美山の神仏-ふたつの樺八幡神社より-」展へ。
担当者はこちらが働き始めた頃のアルバイト学生。私と同じように紆余曲折しながら、初めての「仏像」展。これはなんとしても駆けつけなければ・・・。

足羽神社から福井の町を眺めると、白山は既に冠雪。

樺八幡神社は「式内社」。東河原と中手の「樺八幡神社」の神仏集合に関する資料を展示。

福井は神仏習合の資料が多数残る地域と知られているが、知られざる作品や資料も多い。今回も閻魔王立像。肩部と足元は後補ながら「王」字のある冠帽の細かな彫刻に驚き。立像の閻魔王像だけでも珍しいのに、これが神社に安置されているとは・・・。
不思議な木寄せながら、住吉神像の体躯に閻魔王像の頭部を合わせたような造形。もちろん頭と躰は同時期の作。
伝十王像と称する作品も展示。こちらは1尺ばかりの男神坐像。丸ほぞで膝前部を接合。そのほか寛政11年の毘沙門天像や八幡神社で藩主の守護を社頭で僧侶が祈祷した「祈祷札」も。

かたや中手樺八幡神社「古拝殿」には周丈六(約180cm)の阿弥陀如来坐像。脇侍として大日如来と阿弥陀如来像。その左右には多聞天像と広目天像。いずれも平安時代中期から後期の作品。これが神社に。

江戸時代には現在の拝殿があり、「古堂」と称された古拝殿が存在し、礼拝空間としては現拝殿での神式と古拝殿での仏式。同じ境内で二つの礼拝空間が共存する。そのほか笏谷石による小さな狛犬も。

展示解説(考古)の傍らに立つ担当者を見つけ、久闊を叙す。もう30年近くたち当時の面影は薄れて別人のよう。
「文化財公開展」と称した28件ばかりの展示だが、神仏そして道教までを呑み込む日本の宗教風土をまざまざと見る思い。

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書式

2011-11-28

様々な書類が積みあげられて、朝会スタート。

目立つのは書式の不統一。専ら学生が提出した文書は、1頁改行なし、改行があっても次の冒頭をヒトマス空けていないなど。「卒論ラボ」でチェック済だけを受理するという冗談までも飛び出す。まぁ、この文章のように万事、ブログ風なんだろう。

大人もしかり。というか、手書き用書類とワード用書類が存在。ワードも打てないようでは・・・とながく思っていたが、実は「Mac」用書類がない。Macにワード用書類をダウンロードして記入したとしても、書式も崩れ、頁最後の署名欄なども消える。
いっそ手書き用で記入と思っても各項目に記入していくと、罫線が次頁送りなどとなって、もと(規定)の書式が崩れ、とんでもない書類に・・・。(これは科研費申請書類でも同じ)
かくして再提出の憂き目にも。

なぜか、うちは書類に厳しい。「この文言はすわりが悪い」などと聞くと、役所みたいだとも思ったり。

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言い値

2011-11-29

授業のみ。

般舟院・不動明王像の一時行方不明(元三大師像は今も行方不明)も驚いたが、もっと驚いたのはセルロイド製品が劣化すると、強酸性ガスが出て他の資料に害を及ぼす話題。
セルロイドは自己発火するのは知っていた(実際、東京国立近代美術館フィルムセンターで火災が発生、フィルムを焼失)のだが、強酸性のガスまでとは。

もっと驚いたのは当該資料の紙タグに「べっ甲」と書かれていたこと。「べっ甲」と「セルロイド」の違いも分らなかったのかと思う。何事もなければ「べっ甲製云々(昭和)」ってキャプションに出るのか。

「モノをよく見る」という基本を忘れているんじゃないのか。あるいは関心がないままに受け入れたということなのかも。でも時代がかったセルロイドだとすぐさま化けの皮がはがれそうなものなのだが。「セルロイド」如きで騙されていたなら、絵画や古文書、工芸品などはどうするんやと。

「某館の学芸員が(売物を示して)『これ、ホンモンですか?』と尋ねてきよる。コイツはアホかと思いながら対応するんやけど、いったい、(業界筋は)どうなってんねん。」とは旧知の骨董屋さん。
「そんなん、『間違いおません。珍しい作品ですから』って、(値段を)倍に吹っかけたらよろし」と私。

「べっ甲」と「店先の作品」。勉強不足の者にとっては共に「言い値」。

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KUエコロール

2011-11-30

終日会議。

配布書類の中には、「この資料は回収します」とスタンプされたものや書かれたものが含まれる。
ところが、打ち合わせの段階で色々と書き込んでいる。各書類も後々必要だろうとファイルしていたが、ひと月もたたないうちに満杯。思い切って、会議が終わると未了のものを除いてすべて捨てることに。
とはいえ、書き込みがされた回収資料は安易にゴミ箱へ捨てるわけにもいかず、コピー室のシュレッダー(左側)にかける。安いシュレッダーしか知らないので、不安になって中をみてみると見事に“粉砕”。

大学では試験問題、答案用紙、会議資料など膨大な機密文書が消費される。これらは溶解されて、オリジナルトイ レットペーパーとして再生。名付けて「KUエコロール」。
今日も夜な夜な「KUエコロール」の準備に。

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