日々雑記


元号

2011-10-01

朝から都市遺産研究センターの国際シンポジウム「青春と戦争の惨禍 大阪日赤と救護看護婦」。こちらは別用務で終日大学。シンポジウム不参加。

なんという暗いテーマだと思っていたが、300名ほどが参加し、台湾の方の講演もあり、ともかく安堵したと仄聞する。へそ曲がりの発想ながら、こうした時は「西暦」で統一。「昭和」とか「民国年」を持ち出されても、日・台・西の対照表が必要となる。

今年は辛亥革命から100年。「民国100年」である。
元号は大陸のほうで生まれたが、中華人民共和国成立時に西暦に変更。
今日的には厄介と思う者もいる(私も平成2ケタになって西暦が分かりづらい)だろうが、日本美術や日本史を学ぶ者にとっては、元号理解は必修。「正保」と「享保」の前後がわからないようでは、話にならない。

top

デジャブ

2011-10-02

初の朝会(午前中の会議)。会議が終わると、早やお昼。
前職でも朝会があったが、なんだろう、この既視感は。

「こんなとこで、“現状の不満”言ってもらっては、困るわ」(組織改編の説明会での首長か総務部長かの“お言葉”。しばらく職場でギャグにされていた)と思ったり、話のやりとりや説明を聞きながらも、「まわる~ まわる~よ、時代(話題)はまわる~」などと脳内でリフレイン。
「即却下」というシロモノも、人によっては10分も20分も費やす。「子供やないんで、エエ歳のおっさんが駄々こねてもアカンもんはアカンがな。」(これは前職・朝会での私の発言)とも。

食事をしながら、いずこも同じ 秋の空かな と思ったり。

top

美術手帖

2011-10-03

授業が終わって後片付けをしていると、「センセのカバン、なんなんですか!」と学生。
「エコバックやけど・・・」。

女の子のイラスト(©KATO AI×AIDA MAKOTO)の横に「きゅぴん(ハート)」と書かれ、吹き出しには「偽善かな?」とある。美術雑誌『美術手帖』(BT)の付録。
他にも鳥獣戯画や仏像展の「エコバッグ」があるものの、A4サイズのレジュメが入るのはこれしかないので使っている。もちろん会議の折にも持参。

『美術手帖』は時々、不思議な“おまけ”が付く。
右は「新しい身体と彫刻の美学」特集(2003年10月号)のもので、パッケージには村上隆の「Miss Ko2/Blond」フィギュア。シリアルナンバー06242。もちろん未開封である。
基本的には現代アート向けの月刊誌ながら、時折「鳥獣人物戯画絵巻」などの特集を組んだりする。

私が「きゅぴん(ハート)」の布カバンを持っているからといって、別にそんなに驚くこともあるまいに。
風呂敷代わり。

top

早め早め

2011-10-04

雨模様のなか会議。さっそく卒論提出の日時・場所のアナウンスやら来年度の時間割編成など。
まだ夏休み中?の学生にハッパかけないと・・・。

卒論の提出は指定場所にて。間違っても、個人研究室横のボックスに放り込めば済む話ではない(過去に前例あり)。今年の1年生でも「提出レポートを間違ってK先生のボックスに入れました。明日から海外なのでヨロシク」とメールした者もいたが、無視した。
提出時間も指定されており、プリンター一体型の純粋ワープロの時代では、閉室時間ぎりぎりに部屋に入って、中で打ちこんでいた者もいたらしい。何事も早め早めの対応。

来年2月以降、大学に届け出た住所と現住所が違う学生は要注意。
「口頭試問」のハガキは届け出住所にしか届かない。口頭試問の日に、届けていない現住所である下宿でじっと待機していても、我々からの電話がかかってくるわけはない(これも過去に前例あり)。
芥川賞や直木賞じゃあるまいに。

来年3月や5月などの予定が続々と入り、今の手帳(2012年1月1日まで)では無理なので、新たに10月始まりの手帳を購入。
そういえば、日が暮れるのもめっきりと早くなった・・・。

top

伽藍石

2011-10-05

学生の発表。「植治」こと7代小川治兵衛(作庭家)。

質疑応答にて「伽藍石とは」?お寺の「礎石」なり。
発表を聞くなかで、明治10~20年代は廃仏毀釈の折に廃寺の礎石や壊れた石燈籠なんかは無尽蔵に転がっていたのだろうと想像。それを庭の飛び石や景色、手水鉢などに使う発想が面白いとも思ったのだが、さにあらず。

『東大寺法花堂要録』寛正6年(1465)9月13日の項には「元興寺ノ石壇ヲ取テ、興福寺ノ金堂ノ溝ノ橋ニワタサル、如何ナル事ゾヤ、」とあって昔からの発想である。慶長頃の民家ですら、天文年間頃の一石五輪塔や板碑を溝の土留めや石橋に使っている(もちろん裏返しだが)。各地にある城の石垣にも多用。

発表を聞きながら、石(材)はリサイクル材と、ふと思ったり。

top

人肉質置裁判

2011-10-07

このところ、事務に無用の電話をしたり忘れ事や忘れ物も多く、落ち込む毎日。ちょっとお疲れ気味。

物騒なタイトルだが、シェイクスピア「ヴェニスの商人」を川上音二郎が日本へもたらせた時の演題。
なにしろ「文明開化」直後の日本。「ベニス」って男?女?食べ物?何?という風に、地名であること自体、理解している観客は皆無。さらにはポーシャ演じる「流しの裁判官」(これ自体が異文化理解)も理解できるわけはない・・・。

そこで、川上は「ベニス」⇒「松前奉行所のお白州、「アントーニオ」⇒「安藤仁蔵」、「シャイロック」⇒「才六」、「ポーシャ」⇒「お袖」に変更。当時の日本人にとって、理解できないであろうややこしい話はもちろんカット。翻案なり。
いつも後方座席で拝聴しながら、「模刻」なるものを考えている。

「センセ、何、一所懸命メモっているのですか?」「いやいや・・・。」
これだから授業は面白い。

top

「住民」

2011-10-08

たまには新聞もいいことを書く。「風評被害」での読売新聞の社説。

大阪・河内長野で福島製の橋桁による工事中断。社説でも「京都五山送り火」「愛知・日進市の花火大会」「福岡市・福島農産物支援ショップ」等々・・・。
アウト(規制値超)になった食べ物以外はオールオッケーなのに、風評の拡散ぶりは目に余るほど。
愚行もたいがいにしぃゃと思わずボヤキ。

第一報は必ずといって言いほどに「住民から不安の声」というが、単に「住民の無知蒙昧」ではないか。「住民」と言っても千差万別だが、特定するとその「お里」はしれようもの。
報道も「中立性」「公平性」を重んじるあまり、行政による検査の必要性とか、説明義務を持ち出す「マスコミ学者」の言説をひっぱってくるが、そんなコメント紹介よりも、見出しに「あきれた○○市住民の馬鹿っぷり!」と大書して、「住民」の迷言でも載せてやればよいのに。そこまで恥を晒さないと、自らの愚行には気づくまい。

個人的見解だが、行政サイドからみれば、「市民」と「住民」はまったく別種の存在。「住民が・・・」と、声高に絶叫するほど単なるクレーマーであることは、毎日窓口に座っていると、その違いはいやでもわかる(もちろん正当な事情や早急に対処すべき事案も多いが)。
水田の横に建つ戸建ての住宅から「隣の田んぼのカエルがうるさい。なんとかしろ!」と「住民」からの苦情。はぁぁ?と思うも事情を聴く(棒・・・)。しばらくして後、地元選出の議員センセから「あの話(田んぼのカエル)はどうなった?」とお呼び出し。慌てふためく上司。

公僕だけでなく、「住民」にもイエローカード、レッドカードを示せばよいのに。

top

飛鳥と明日香

2011-10-09

午後、明日香村中央公民館にて「飛鳥史学文学講座」第6講。好天のなか、また飛鳥学冠位叙任試験(飛鳥版科挙)が行われるなか、満員。深く御礼。

大江親通『七大寺巡礼私記』を扱う。奈良の観光案内書第1号。現代と変わらぬモノもあれば既に失われたものも。ちょっとした小話(久米仙人とか)も含んでおり、飽きさせない。まるで仮想の読者がいるがごとく。
同書には、「尤(もっと)可見」「尤可拝見」「不可思議也」などの標語が並ぶが、見慣れた京都からみれば、南都(奈良)は変わったモノばかり。保延6年(1140)の巡礼後に著わした『七大寺巡礼私記』だが、例えば、仁平元年(1153)奈良・長岳寺阿弥陀三尊像と保延5年(1139)京都・安楽寿院阿弥陀如来坐像を比べれば、その驚きは何となく理解。

講演後、奈良県立万葉文化館「大飛鳥展」へ。橘寺日羅立像は既に返却(橘寺で展示)されたものの、法隆寺金堂壁画(飛天)や藤井斉成会有鄰館の石仏などをじっくり。あと川原寺十二神将像や長安寺薬師堂薬師如来坐像、四天王像、藤原鎌足像にも驚く。お昼に明日香の仏教美術の話題があったばかり。

top

即断即決

2011-10-10

終日、大学にて。

午後、ゼミ生より連絡。
どうも卒論の進行状況がよくなく、学園祭期間中のゼミ旅行に参加できないかも・・・との由。

以前なら、「あ、そうなの。頑張ってね。」で済ますのだが、最近は事後の結果が目に浮かぶよう。
学園祭の後には、「出来たか?」「・・・・・。」という会話がきっと交わされる(模様)。
(ゼミ旅行に)行っても行かなくても結果は同じ。総合図書館も閉館だし、自宅でゴロゴロ~ンである。
「行っても行かんでも結果が一緒やったら、ひとつでも“思い出”作りぃーや。なんやったら、旅行先で添削指導もするでぇ」と。

追い詰めるというのも「指導」の一環。気持ちの切り替えがないと、いつまでもだらだらとしたまま。
「よく遊び、よく学ぶ」学生に早くなってくれ(と言えども、あとわずかだが)と願う“親心”と。

top

景気動向

2011-10-11

9時からの会議に始まって、相談・学生来室・授業・授業とあって、さらに学生対応。
気が付けば、短針ほぼ1周。ふぎゃ!

「センセ。○○さんがパーティで欠席します」との連絡から、ゼミでの話題(雑談)はもっぱらパーティ。
「パーティ? 何の?」「内定式の。」「はぁ?」
どうも内定式を終えた企業は式後、近くのホテルでパーティを開くらしい。なかには皆で「シャンパン」で乾杯も。「え゛-!」という学生がいないのをみると、どうもそのようなご時世であるらしい。

バブル期の頃には、内定者を旅行に連れて行き“監禁”してまで他の企業に行かないようにした例も多く聞いた(未体験ゾーン)が、「シャンパン」で乾杯とは、景気は上向きなんだろう、きっと。

盛り上がるパーティの話題を尻目に、「あとはこれだけやな。」と、(卒論)草稿を指でたたきながら、授業モードに。

top

ストレステスト

2011-10-12

午後より会議。

夏前から大学構内に「小屋」が建つ。お馴染みの「喫煙所」で、ここ以外は学内全面禁煙。
声高に叫ぶ者ほど「ファシズム」の臭いが漂うが、(元ヘビースモーカーが極・嫌煙運動の旗手へ転向。お得意の「自己批判」はなし)とりあえず、ここでは問わない。
小屋には未成年は近寄っちゃダメとの注意事項も。そうそう、悪い大人がたむろしていて・・・である。使い捨てライターも過日からは複雑な構造なものへ。

健康診断も昨日から開始。問診票に「以前喜びや興味を感じたことについてなにも感じなくなった」(はい・歳ですから)「わけもなくイライラや不安を感じる」(いいえ・必ずわけがあります)とあるが、「日頃、ストレスを感じますか」(いつも感じる・たまに感じる・あまり感じない・まったく感じない)の項目はない。
「だから心折れて、病むんだよ。きっと。」というのは喫煙者の戯れ言である。

top

夜回り先生

2011-10-13

日も暮れ、授業が終わると静かなお勉強タイム・・・。

ところが、最近は遅くまで騒がしい。学園祭の練習やらリハーサルやら。「まだ10月半ばだぞ」と思いながらも構内には早や立看やらも林立。

家人からも「今年の関大(のライブ)は誰?」とご下問あり。かつては平原綾香やケツメイシも登場したが(その折のチケット代は未納のまま)、この数年は知らない。今年はナオト・インティライミ/ET-KING/九州男のトリオだそうだが、おぢさんにとっては全然知らないヒトばかり。たぶん家人も同様。

ご厚意に甘んじて免除していただいたが、学園祭中は何人かの教員・事務職員氏が「夜回り先生」として待機。今日も「ずいぶん時代も変わりましたね」と学外の方から。

当分、静かなお勉強タイムはお預け。(もう気にもしていない・・・)

top

試験

2011-10-14

教務からのお知らせ。1月に行われる試験の件。

とある授業の受講者は306名。これでも何とか減らした。履修段階でも既に「抽選科目」となったらしいが、最初は390名近くおり、立ち見が出る状態(うちでは日常茶飯事)。「(試験で)バンバン落として、厳しくするぞ!」「ほらぁ、そこの男子、喋るんじゃない。出ていけ!」と自助努力も。
さて「試験」。
昨冬頃には2ケタ履修と予想して「到達度の確認」。ところが現実は上記の通りで、「定期試験」へと変更だが(ここまでがお知らせ)、今度は教室の確保。

入試でお馴染みのように、ひとつの長机の両サイドに受験生は座る。そのため348名収容の教室も試験会場となれば230名に減。教室定員の66%。ということは463名収容可能な教室で「試験」。
受講生500名の授業もあると聞くので、問題はないのかも知れない。

レポートはもっと嫌。ある先生曰く、『みかん箱』単位で届くらしい。
なにごとも、ほどほどが一番なようで。

top

フリーアギャラリー

2011-10-15

オートバックスに置かれていたパンフレットに、俵屋宗達《松島図屏風》。
現在は米国・フリーアギャラリーの所蔵。堺の豪商であった谷正安(1589~1644)が宗達に製作依頼し、堺・祥雲寺に寄贈された。井上正雄『大阪府全志』(大正11年・1922)祥雲寺の項目にも「宗達筆荒磯図屏風」とあり、少なくとも20世紀初頭までは堺に。フリーアギャラリーには、このほか家原寺から出た仁王像も。
リスボン古代美術館《南蛮屏風》も昭和初期まで同市の旧家にあり、また某文化館蔵の南蛮屏風も昭和40年代まで存在。
今秋は祥雲寺に《松島図屏風》の複製品が展示。

「(京都の)黒い瓦の屋並みを潰していったのは、他でもない 戦後の日本人です!」と叫んだ某教員の言葉が響く・・・。

top

金銭感覚 その1

2011-10-16

終日、大学院入試。

大学院入試は語学試験と面接。相変わらず欠席も。
面接欠席なら何となくわかる。「予想以上に出来が悪くて、これではとても・・・」と大学を後に。
ところが、最初の語学試験を欠席するのは理由がよくわからない(あまり知りたくもないが)。もちろん一方だけではぜったい無理。

「急病」とかの事情は理解できるが、「やーめた!」というのでは、受験(検定)料35000円をみすみす捨てることになる。
35000円って、6:00~22:00までマクドとローソンで3日間、バイトをした金額だぞ。(譬えがおかしい)それを“捨てる”とは。

社会に出た卒業生はこの金額の大きさが分かっている。それがわからない(理解できない)ようでは、大学院にきてもこの先危ういことは確か・・・なことに気づいて、来なかったのだろうか?

top

金銭感覚 その2

2011-10-17

会議と授業。

授業中、ちょっとお遊び。
スライドの下に この皿 、上には某博物館所蔵の本物の景徳鎮産VOCの皿を並べて映し出す。
「はい、片方はホンモノで15万円、片方は500円。さて、ホンモノはどっち?」と。ちなみに15万ではあり得ない。喋っている間にヒトケタ以上間違ったが、まぁいいか。

意外にも「下(がホンモノ)」と答える学生がかなりいる。
「正解は上です。下は我が家のサラダボールです。5万円でいいですから、買ってくれますか」と。

「こうしたことで、オランダは富み、黄金期を迎え、皆さんご存じのレンブラントの『夜警』という絵が出来上がります。実際のところ、あまり『海のシルクロード』では儲かっていませんが・・・」と。

さすがに「銭勘定」の話はうけて、学生が活き活きとするのは「大阪の大学」だからなのだろうか。

top

佐保山尭海

2011-10-18

学生の発表を聞きながら。

大正頃から富裕層を中心に輸入カメラが広まり、アマチュア写真家が登場。(もちろん「『フジカシングル-8』って時代ですっ」と言っても、まったくの無反応)。

カメラ愛好家(アマチュア写真家)はカメラ屋(桑田商会)に入り浸りに。キオスクでフィルムを売っている時代ではもちろんない。桑田商会から浪華写真倶楽部、丹平製薬の社長森平兵衛が心斎橋に丹平ハウス(ビル)を建てて丹平写真倶楽部を設立。
丹平写真倶楽部会員のひとりに「佐保山尭海」。管長も務めた東大寺の高僧。

「ゼラチン・シルバー・プリント」とかの用語が、デジタルカメラ世代で理解しているのだろうかと思いながらも、スライドは佐保山尭海《奈良風景》。大仏殿の屋根頂上に登って南大門を見下ろした1枚。

同じ写真をみながら、学生は「斬新な視角」「大きなスケ-ル」と説明しながらも私の頭では違うことを思っている。「渾身」「役得」の1枚と。(もちろん上の写真ではありません)

top

ケースバイケース

2011-10-19

自動車のハンドルには「遊び」がある。
まっすぐ走っているクルマのハンドルを右に少し廻してもクルマはまっすぐ走る。この部分が「遊び」。15度ぐらい廻すと、ようやくクルマは廻した方向へ。「遊び」がまったくないハンドルは飲酒運転以上にコワいらしい。
阪神高速道路(環状線)の制限速度は60km。それでも、現実には70~80kmで走らないと、クラクションやパッシング、幅寄せなどの襲撃?に遭い、逆にコワい。

ガチガチに物事を決めても、守らない者がいるだろうし、それを防ぐために、より細かに決めても結果は混乱するばかり。「遊び」(余裕)がない姿は、見た目は美しいが、それが現実的対応と齟齬することも多い。

目の前に広がる世界がいつも「真夜中のハイウェイ」とは限らない。真夜中の高速道路を60km/hで走ると逆にもっと危険でもあることもご存じでない様子。

top

肝っ玉

2011-10-20

普段は狼藉、暴言を繰り返しているが、意外?にも「肝っ玉」は小さい。

月曜日、生協でチケットを手配。お願いした時に若干の変更が生じ、水曜日16時頃までに正式なご回答をメールで・・・と言われる。この時間を過ぎると自動的にキャンセルとなる旨も。翌日、文房具を買いついでに、カウンターへ出向き、別の係員さんに快諾の旨を伝える。これで万事終了・・・。

水曜日、携帯を忘れて大学。深夜自宅に戻ると、生協から17時頃にかけて何度も電話連絡あり。
ちゃんとメールで回答しなかったのでキャンセルとなったのか、生協内で連絡がいっていなかったのかとあれこれ悩む。もしキャンセルになったら後々ややこしいことになる・・・。でも、面談のうえ口頭で私は了解の旨をちゃんと伝えた。それなのに電話がかかるということは・・・と、妄想スパイラル。

そうなると、もう眠れない。
まんじりともせずに朝を迎え早々に大学。頭では「これからのややこしい事後策」を考えるばかり。
開店と同時に電話。「チケットの件で昨日、お電話を頂きましたハセですが・・・。」
「チケット、取れましたのでご都合のよい時にお越しくださ~い。」と係員氏。
著しく弛緩。

午後の健康診断では とんでもない高い血圧。体は正直。

top

秋の午後

2011-10-21

入学生を満開で迎えたサクラの木も色づきつつある。法文坂の紅葉もいまがピーク。朝夕めっきりと肌寒く、そろそろ「某さん、風邪で(授業)欠席します」との学生の声も聞く。
私の中では、やはり大学というのは緑木に囲まれたキャンパスというイメージが強い。研究会などで市街地の真ん中に立つ大学にも訪れるが、どことなく無機質な印象は否めない。とはいえ、山中奥深い自然に囲まれたキャンパスも学生にとって不便であり、評判もあまりかんばしくない。
昔の理事長か誰かが「(学内の)木を切ってはならぬ」ということを言ったらしい。

・・・って、秋を感じる前に急げよ。会議(構内南端)が午後の授業に10分ほど喰い込んで終わり、まだ出たばかりじゃないの。
目指すは1号館E号棟。構内の北端。頑張って走らないと、自然休講(30分過ぎて教員が現れないと休講)になるじゃない。走れ、走れ。(25分遅れで授業開始。あぶねぇー。)

top

よくわかる陶磁器の見方

2011-10-22

コメントペーパーにコメントを記しながら、逆にこちらが驚く。
「『陶磁器』ってひとつだと思っていました。陶器と磁器の違いがあるなんて、驚きです」というコメント多すぎ。

「『陶器』・『磁器』(の違い)について説明します。バァーンと床に投げて割ります。その破片を拾って握り、「痛い」と感じたら陶器、「血」が出たら磁器です」などと。
焼成温度が800~1200℃が「陶器」、1300~1450℃が「磁器」、磁器は磁石(じせき)を精製・・・といっても(一応スライドで示すが)何も頭に残らない。焼成温度を暗記しても何の役にもたたない。

「焼物ひとつで、(高校の)日本史の「秀吉の朝鮮出兵」、世界史の「大航海時代」、美術の西洋絵画が結びつくとは、目からウロコです。」
これが大学(の授業)だぁ!と思いつつ、高校の日本史はともかく「暗記物」としかみていないようで、作品の名前は知っているが、(図版ですら)見たこともない(特徴もわからない)学生が多い。
多くの人がそのまま「大人」になって、初めてオリジナルを前にした時、これなのかと気づく(戸惑う)。

それで「よくわかる○○○○の見方」なる本がよく売れるのか・・・。
なるほど、世の中、うまくできているものだと。

top

余生

2011-10-23

昨夜来の雨もあがり、行楽日和 朝からAO・社会人・編転入・留学生の各種入試。

杖をつき、腰が曲った かなりご年配の方もみかける。《信貴山縁起絵巻》に登場する(尼公に道を尋ねられた)里人そっくりの姿勢だったので、思わず凝視。
AO入試で「父母控室」も設けられ、保護者の方が面接会場にと思ったが、実は受験者。えっ!

事情は異なるものの、ふとわが余生を思う。私が古希や喜寿になった時(そこまで生きていたら)、毎日、何をしているのだろうかと。受講生であっても大学にいることはまずあり得ない。
どこかの地方博物館や資料館で「めっちゃうるさ型の解説ボランティア」でもやっているのだろうか。「そんなことも知らんと質問するな!」などと観客に暴言を吐いているのだろうか。それともストロボとバック紙もった好々爺として、地方の仏像を触っているのだろうか。

面接を終えて、ふとわが余生を想像。

top

首を抜く・・・

2011-10-24

会議で、来年の「文学部紹介情報」での「ゼミ案内」(小囲み記事)を引き受ける。

旧知の先生が「センセ、またポーン!と、仏像の首、抜いて下さいよ」と。横で聞いていた事務の方が、「仏像の首を抜くなんて(ハセセンセはそんなことしません)・・・」と援護射撃?
「いやホンマに抜くんです、ポーンと。」と私。あきれ顔の事務の方。

高野山の執金剛神立像が倒れ、一部が破損し、その穴から体内に「快慶」銘の発見。しかし都合よく仏像に穴が開くことはない。そこで寄木造の特徴を生かして“首を抜く”。銘記や納入品があることもあって、仏像のおなかはタイムカプセル。銘記や納入品がなくても仏像の構造がわかる。

この仏像の首元には歯型のようになっている。細い丸ノミを使って頭部と躰部を割り放す「一木割り剥ぎ造」。外見からわかることも多いが、首を抜くのがもっとも簡単(抜ける場合に限られるが)。
でも、そんな過激な案内はしませんので、どうぞご安心のほどを。

top

白木屋

2011-10-25

学生の発表。近代日本画にみる和服と洋服の変遷。

この話題になると必ずといってよいほどに昭和7年(1932)12月16日の「白木屋大火」。
当時の女性は和服で長襦袢のためにズロース(パンツ)は穿いていなかったため、裾を押さえたために、ロープを持つこともできずに転落死したという。これは鹿島茂氏と井上章一氏による対談で「都市伝説」と判明。

当該学生ではないものの、学会発表などでは時折、院生が「しらきや」と発音し、前に座るおじぃの先生たちから「それは居酒屋!」と突っ込みが入る、定番のパターン。デパートは「しろきや」である。

モガモボの話を聞きながら、いつの世も「かぶく(傾く)」者は「悪」とみなされるのかと。

top

早朝

2011-10-26

以前はこんな時間まで起きていた。今ではこんな時間に起きている。(一応東向き)

眼下では、犬の散歩やウォーキングをする人もたちもいる。皆、私たちの世代以上。
もう徹夜ができない態・・・。(白河夜船で)パソコンの画面に頭をぶつけたことも。
レポートや宿題に追われ、徹夜をする子供をみると、「徹夜」というのは若者の特権であるような気もする。

紫煙をくゆらせて、今日の予定や仕事の段取りなどを考えていると、背筋がゾクッとなった。秋も本番。
それにしても、展覧会が全くご無沙汰。寂寥の10月でもある。

top

使知孤魂之情状也

2011-10-27

午前中、「学習指導」(明日も)。
成績不振者への面談指導。学生はチェックシートと成績表を持参。 機械的に習得単位不振と未分属の学生がセレクト。

眼の前に出された成績表をみてびっくり。かつての私の(一時期の)成績表とそっくりだ。
今なら確実に私も“お呼び出し”を頂く学生であったが、当時はまったくもっての放任。世知辛い時代と実感する。もちろん大した事を言える資格もない。
「使知孤魂之情状也」(『法界聖凡水陸勝会修斎儀軌』)のように、「さまよう魂(心)に対してそうなった事情を深く知」ることのみを心がけて面談。こちらも元「成績不振者」なので、うん、わかる、わかるその気持ち。

誰しも好き嫌いがあって当然。嫌い(障壁)を無理に飛び越える必要はない。グリーンピースが嫌いなだけでチャーハン嫌いになってはいけない、豆だけを皿に残せばいいだけなんだ、イザとなったら最後に目をつぶってバクッと口に放り込む・・・、大学では、周囲の学生と同調することなど気にしてはいけない、私は私自身だ・・・などと迷言の数々。ぜんぜん「指導」になっていない・・・。
僅かずつでもいいから前に進むことが肝心なのです。

それにしても、大学を「高校の延長」と考えていると、道(大学生活)を迷いがちに。
来春の「入学式ガイダンス」では、「高校で学んだことは、今日からきれいさっぱりと忘れて下さい。」と暴言を吐こうと思ったり。

top

文化財行政

2011-10-28

午前中、猪名川町ふるさと館での「木喰仏特別展」で、「松尾大権現倚像」と「一戎大黒天立像」を拝見。ともに同町の個人蔵。ほかに木喰の書蹟も。ともに晩年期の作品。
ふるさと館の展示は大半が民俗資料。しかし富田儀作による「三和高麗焼」や「螺鈿製品」も展示。しかしその全貌は不明との由。植民地での殖産興業や民藝運動の創始など、微妙な問題があるものの、ちょっとおいしい「隠れたお宝」である。


その後、満願寺仁王像を見学。
境内裏すぐ傍までゴルフ場が迫り、墓地の隣で「ナイッショッ!」。神仏や信仰、文化などには微塵も興味のない人たち。ゴルフのどこが面白いのか、ちっとも理解できない。
仁王像は嘉暦年間(1326~28)南都仏師法眼某の作という。多田院南大門旧蔵の由。

午後には川西市生涯学習センターで「レフネック:文化遺産学科」。学科名が示すように、大学(関係)経由の講演依頼。
本日もお仕事なり。

終了後、後ろで聞かれていた教育行政のトップの方がご挨拶。
「甲南大学の古美術研究会におりまして・・・」などと言う。「じゃぁ、W先生の・・・」「いや、1年生で辞めまして、後はゴルフ部で・・・」。
昼間見た光景そのものやんか。
まずいと思ったらしく、「加茂遺跡」や東京(博物館)に貸し出している銅鐸の話題。おそらく遺跡傍にたつ「文化財資料館」にどのくらいの入館者数があるのかもご存知でないようである。
受益者負担で行政予算にさして影響ない発掘調査だけが「文化財」だとする考えでは、早晩、地域の文化遺産は滅びるだけだと思うのだが、ゴルフ部出身相手では、言うだけ虚しい。
文化財を黙殺するのも支えるのも、行政マンの腹ひとつである。
聴講の一般市民だけが頼りの綱か・・・とも。

top

後だしじゃんけん

2011-10-30

ようやく休み。

普段は「原発」「震災」「救援」などとは全く無縁な(考えたこともなかった)学術団体が「今、フクシマを前に○学は何をすべきか」などとシンポジウムを行う。〔(○学)には学問分野が入る。〕
すごい違和感。

「今、我々は何をすべきか」とマスゴミ受けしそうなテーマを出すよりも、「あの時以来、何をしてきたのか」と自問するほうがよほど良心的だと思う。多くの人たちは、現実に何も行動していないし、震災以前も以後も、福島へ行ったことがない人も多い。福島の南に隣接する県を答えられない関西人もいる。現実を知らない人たちが集まっても、何の意味もないと思うのだが。そんな後ろめたさを隠蔽する如く、あの時に行動した人びとを招致。でもシンポの後に、煌々とした灯りのもとで「懇親会」などが予定されていると、見事に馬脚が露呈。

今日の事態に対して誰の思いも同じだとは思うが、それまで何の関係もなく、また関心ももなかった団体が、今に至って何かできると考えるのは、思い上がりも甚だしい。

京大助教の小出裕章さんの言動に世間が関心を寄せるのは、彼が決して「後だしじゃんけん」ではないからだ。「後だしじゃんけん」の机上空論のシンポを開くのは「便乗商法」に過ぎない。
かくして、こちらは髑髏を掲げて正月に京都の町を歩く一休禅師のように、「偽善」の袋を掲げ歩く。

top

サンダルウッド

2011-10-31

一昨日から始まった正倉院展グッズの目玉は6分の1スケールで作られた「蘭奢待チョコ」(8500円)。切取り跡にはちゃんと付箋も付いているらしい。呆れていると、最近、アロマに興味津々の家人曰く「サンダルウッドって、知ってる?」と。
平べったい痩せた木を想像していると、「ビャクダンよ、白檀」と。

俄然、関心を引いたのだが、こちらもお値段は4800円/10ml なり。「白檀(檀像)の講義で、学生さんにビャクダンはどんな香りがするのかを体験してもらう、ナイスアイデア!」「ビャクダンの香りのお線香で十分」と。何がナイスアイデアだ・・・。

とはいえ「香りの美術史」はなかなか難しい。檀像や香炉、香道具などを見せても、どのような香りだったのか まではわからない。
学生のうちにも「香水」(「こうずい」ではありません)などに関心を寄せる者もいるがなかなか難しく、宗教(儀礼)にとっても香りは重要な要素だとは思うのだが、伝える術を知らないでいる。
教室でお香でも焚けば別だが、怪しげな眼で見られるのがオチ。

top

過去ログ