日々雑記


師走

2011-12-01

昨日と変わって冷え込む。今日から師走。

用務員氏は朝から竹箒や熊手を持って学内・外の落葉掃き。銀杏の樹の下は一面黄色のじゅうたんである。
生協には大きなサンタクロースの人形が飾られ、名物? ガラポンの抽選券も。1等も例年通り「高級和牛」。

こちらも年末休講に伴う補講措置。いくつは臨地見学に変更。90分しか見学しないということはないのだが、全国的に評判のよろしくない半期15回(講義)完全実施の関係で。1回の臨地見学で2回分の授業に振り替えるというのは話をややこしくするばかり・・・。

今日から“就活”解禁。しばらくは「作られた“就活神話”」が流れることだろう。雑音多すぎの感。

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武内宿禰

2011-12-02

授業の合間に東西学術研究所研究例会。
上川氏の「国境の中世寺院」のみを聞き、後髪を引かれる思いで授業へ向う。辛い。

リレー講義では《鯨図》がスライドに変更。前回までホワイトボードに吊り下げられていたのだが、表装や画面にも僅かながら傷みが見え、「そろそろ(実物を提示するのは)最後ですね」と。展覧会にも出た作品、そう軽々に取り扱うのはどうかと。

代替初披露となったのは狩野周信筆《武内宿禰》。所蔵者曰く「(真贋)五分五分」とのこと。もちろん学生(1回生)にとっては、「武士が松樹の下で“たらこキューピー”を抱いている」不思議な絵にしか見えていない。それが証拠に、「この武士、シッポある!」。それはシッポじゃなくて「尻鞘」・・・。

見ると落款・印章が右下隅に。ということは、対幅で左幅は「神功皇后」か。
別に三韓征伐を史実として捉えようとは思わないが、こうした歴史画が描かれた背景や事情を考察する上で知るべき事柄なのだが、芸美志望の学生(1回生)にとっては難しい。講義テーマとは直接関係しないものの、やっぱり《鯨図》のほうが分かりやすかったのかもしれない。
「歴史(画)・神話表象」などと不遜なことも思いつく。

終了後、研究例会の懇親会へ。

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美学会

2011-12-03

美学会西部会 第286回研究発表会 in 関大。
朝から大学院生・学生による準備。雨が降らずに幸い。

発表は、保存・修復におけるコンテンポラリー・アート、「認知考古学とネアンデルタール人」の2編。
後者はともかく前者は興味深い内容。様々な素材やパフォーミングアートなど「何でもあり」の現代アートと修復の関係について。

日本でも同じような事例を想像する。例えば、鎌倉時代の仏像に江戸時代に補彩、補修が施される、これはオリジナル(当初の造形)を尊重する関係から除去。ところが江戸時代の仏像で当初の胡粉彩色が剥落すると、除去すべきなのかどうかの判断がゆらぐ。当初の造形を尊重すると剥落止めだが、たいていは塗り直しとなり、なかには当初の彩色を後補の彩色と無理から判断し(除去し)たものも。
江戸時代の彩色における時期判定など非常に難しいとは思うのだが。

夕刻には委員会。既に評判となった関大前「メランジュ」のケーキと紅茶を提供。

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プレ・ステューデント・プログラム

2011-12-04

10:00よりプレ・ステューデント・プログラム(プレステ)。

各種入試による文学部合格者を対象とした入学前事前教育。部長挨拶(代理)、文学部カリキュラム説明、朝日新聞社によるeラーニング、質疑応答など。

当たり前だが、まだまだ高校生。
先輩(2回生)の挨拶にもあったように、大学は高校とは別個の世界。何事も自主的、自発的に動かないと、誰もかまっても気付いてもくれず、770名(文学部入学定員)のなかで、路頭に迷うことにも・・・。
4月の授業開始日には、教室どこ?などと、そのことを痛感するのだが。
質疑応答ではパソコン関係。大学ではパソコンが出来ないとたちまち行き詰まる。授業登録、休講、提出物、分属など重要な案件ほどパソコン経由。保護者の皆さん、入学祝・合格祝には万年筆ではなくパソコンです。

午後も哲学倫理学・比較宗教学・芸術学美術史の「プレステ」に飛び入り参加。
自己紹介を交えての「なぜなら~である。・・・・したがって~と考える。」のロジカル・シンキング。
「大学では『これ(作品)、面白いス!いいス!』では血まみれ?になるほど罵倒され、DVDを10分も15分もだらだらとみせては、失神するほどの罵詈雑言が浴びせられ・・・」とも。
んっ?ひょっとしてオレのこと?。当時はまだ若かったから・・・。
ちょっと内輪受け。

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補講

2011-12-05

教務センターより試験問題の作成と来年度のシラバス作成依頼。もうそうした季節。

授業終了後、学生より質問。
「この授業の補講が土曜日に設定されていますが、その時間は別な授業が入っているんですが・・・」と。「配布プリントが必要なら後日配布しますが・・・」と答えるもどうもそうでないらしい。つまり補講日の内容は試験に出題するなと。ごもっとも。

誰がどんな時間割を組んでいるのか、とあるところ以外誰も知らない。
分母(受講者数)が大きければ、隙間(補講日時)の機会は小さくなるばかり。6・7時限(18:00~)に補講を入れてもアルバイトが入っているとかで、やはりクレームの恐れ。臨地見学会に振り替えても現地まで遠いとか、交通費がかかる・・・ということも。

今の学生はむしろ杓子定規で窮屈なほうが好いのだろうかと、ふと疑問にも。

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猪熊弦一郎

2011-12-06

発表。発表学生は旧制丸亀中学校(現 県立丸亀高校)の卒業生。高校の図書館にも猪熊の作品があり、納得のテーマ。
もっとも、記念館もまた見どころ(登録文化財)。

東京美術学校藤島武二の門下。同期には小磯良平、牛島憲之、荻須高徳ら。帝展改組(松田改組)により新制作派協会を設立。
フランスに渡りマティスに師事。マティスに「絵が巧すぎる」と批判。下手は下手で非難され、巧ければ「虚心になれ」と手難しい。
この頃の作品はマティスそのもの。
パリ陥落直前に帰国し従軍画家に。

戦後、上野駅の壁画や三越の包装紙デザインを手がけ(mitsukosiのサインはやなせたかし)、1955年、再度パリへ向かうもニューヨークに惹かれ以後、20年間ニューヨークで制作。

モンドリアンも惹かれたニューヨークだが、既に美術市場(マーケット)が西欧からアメリカへ移動したことを猪熊は知るに至ったのではないだろうかと(密かに)思う。アメリカではその後ミニマル・アートも台頭し、平面・立体を問わずに活躍する猪熊の制作にも大きく影響したことも(これも密かに)。
このあたりの作品になると、こちらもなんだか自信不足。

これから就活かたがた、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)に通うことだろう、きっと。

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席を温めず

2011-12-07

大学院(文学研究科)には主専攻のほか副専攻として「EU‐日本学」がある。
午前中、博士論文(甲:24 乙:6)を確認し、年史編纂室で展示中の「ポスター展 壁‐ドイツをつらぬく国境‐」を見て(今年はベルリンの壁が出来て50年。「EU‐日本学」関係)、昼には次年度4回生のゼミ分けガイダンス。午後には会議ひとつあり、夕刻には「EU‐日本学」特別講演会。

タイトルは「考古学遺跡と世界遺産登録」。この類の講演を聞くのはこれが初めて。
バラ色の話もあったが、バッファーゾーンや高度制限、都市計画まで話が及ぶと「ん~ん」と唸ってしまう。しかも対象は不動産限定。ほかにもオーセンシティなどの問題も。
現状では87基を絞り込み中だとのことだが、ストーリーと構成資産(要素)とは不可分であるとの言には納得。「エンペラーの墳墓群」なら世界にもインパクトはあるが、学界がそれを許さないだろう。
学界動向の報告がなかったのもそのためかと。

夜半、ガイダンスで残ったサンドイッチを食す。最近、腹囲が気になる・・・。

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土沢

2011-12-08

リレー講義は「萬鉄五郎」。《木の間から見下した町》(1918年)が大写し。あ、これは・・・と。

萬の故郷である「土沢」の風景。現在「萬鉄五郎記念館」が建つ丘から土沢を見た風景であることが一目瞭然。
ちょうど、昨年訪れたので、記憶も生々しい。

1918年といえば、萬は東京に居る(翌年には茅ヶ崎)。東北訛りが抜けぬなか東京へ妻子を連れて売れぬ油絵(を描く)生活は並々ならぬ苦労とコンプレックス。
土方定一による「郷里、土沢の回想であることは、萬の郷里へのかなしい回想を思わせる。回想のなかで郷里のこの風景は、いつの間にか浪漫主義的に美化され造形的に純化され」た作品であるとの指摘(『三彩』・1962年)は正鵠を射ている。

初期キュビスム回帰への「土着的」表現。「土着」といっても、岡本太郎的「日本」ではなく、東北独特のものと思ったり。
講義終了後、おそるおそる同じ東和町にある「成島兜跋毘沙門天像」を例に出して「東北的土着」に言及したところ、「(萬鉄五郎への言及には)そういう説もあります」と。
コーディネーターが勉強してどうすんねん。

ただ、「土沢」には苦い思い出も。列車ダイヤを知らずして、近くのCOOPで缶ビールと竹輪を買って時間を潰したことも。

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福田平八郎《漣》

2011-12-09

学生の発表。今年の学生は優秀。ちゃんとおかしいと思うことは黙殺。

《漣》は釣り好きな福田が琵琶湖あたりで釣れない時に発想したという。金箔にプラチナ箔を貼った屏風に変幻自在な群青が見事。「一見、素通りしてしまいそうな作品ながら立ち止まるとその深みに驚愕する作品」との由。

上の琵琶湖での《漣》誕生秘話は、後に昭和天皇との会食のなかで披露されたエピソード。
しかし、Wikiには「昭和天皇と一緒に釣りに出かけた時に発想した」に変化する。天皇自らが、40歳の新進日本画家と一緒に釣りに行くわけないじゃん。しかも《漣》は昭和17年の制作で「現人神」と呼ばれた頃。書き込んだ者の無能さが知られる。

《漣》は大阪市立近代美術館準備室の所蔵。新市長のおかげ?で、Yahoo オークションに出る日も近いことだろう。

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河口慧海

2011-12-10

仙台へ。

朝、新大阪駅の喫煙エリアにいると、ばったりとF先生。少し相談。「仕事」はどこまでも追ってくる・・・。

午後遅く、仙台到着。東北大学理学部自然史標本館。
入館すると、恐竜や三葉虫の化石や岩石標本がずらりと並ぶ。2Fには「総合博物館コーナー」があり、一角に「河口慧海チベット将来資料」が展示。

『Three Years in Tibet』(邦題『チベット旅行記』)で有名な仏教家 河口慧海。生家近くの南海七道駅前には銅像も建つ。慧海が持ち帰った仏教関係、民族資料の大多数は東北大学へ譲与(大蔵経は東洋文庫など)。持ち帰った際のトランクまでもが残っている。

慧海はインド・ネパールを経てチベットへ。従って将来資料もこれらの国を中心にした文物が混在。
しかも時代もまちまち。中央の立像と向かって左はネパール。向かって右前はカシミール。7~9世紀のもの。
展示されたネパールやチベットの金銅仏をみながら閉館近くまであれこれ思う。

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仙台の仏像

2011-12-11

仙台市博物館「仏のかたち 人のすがた 仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」展へ。最終日、滑り込みセーフ。

入ってすぐに十八夜観世音堂菩薩立像。細長い体躯でツンと臀部が張っており、奈良時代末頃の作品。兵庫・大龍寺像にどことなく似ているような・・・。
時代は少し下がるが、同じ特徴は西光院十一面観音像にも。

陸奥国分寺諸像は頭部が小さい。十二神将像も姿は基本に忠実だが、やはり頭が・・・。
展示された仏像の多くが、江戸時代、京都(洛陽)に持ち込まれて修理され、あるいは注文されて、城下のしかるべき寺院に安置。龍寶寺釈迦如来立像も由来や縁起などからは、京都から仏師を呼び寄せたり、京都へ修理に出したりで、光背も原像と同じ形に。天冠台のある仁王像にも注目。

長く愚考している問題のひとつに、土木工事ではないが「下請」「JV(共同企業体)」がある。
今回、東照宮・仙岳院関係の仏像が展示。
『東照宮御遷座之雑記』には東照宮諸像が洛陽に注文され、承応3年(1654)までに「大仏師左京法橋幸和」が制作したとある。了琢が画像制作を担当していることからも、「幸和」は「康知」の誤りであろう。
しかし本地仏の薬師三尊像には、「大仏師左京」(薬師像)、「作者右京」(脇侍像)、「吉野右京」(獅子・狛犬)とそれぞれ銘記。
東照権現像が作られていることから七条仏師の関与は間違いないが、その他は主たる京都仏師でワークシェアリングだったのだろうか。まだまだ資料不足というか、改めて考え直さないこと多すぎ。
仙台市では平成27年度完成を目指して地下鉄東西線が建設中。ここにも第1工区、第2工区…と。

夕刻、晩翠草堂(土井晩翠の旧宅)を見て、帰途に。
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なが~~~~いお付き合い

2011-11-12

は、有名な京都銀行TVCM。

黒板とスクリーンを前にして川西市生涯学習センターでの講座(最終回)。
コンソーシアム大阪でもそうだが、聴講されるかたのほとんどは私より上の世代である。

「美術は道楽!」という人もいるが、歴史や美術は「大学での学び」で完結するものではなく、老いてなお役立つ学問と思う。
過日も妙齢の女性が、世界各地の美術館に行って様々な作品を見てきましたし、美術史の専門書も読んできました・・・と語られた。極端な(過激な)意見だが、外国語文学を専攻して卒業後、社会人になり、あるいは家庭に入っても、原書を読み続けるのだろうか?
今度の日曜日はよい天気なので、ちょっと清水寺へ、あるいは奈良公園・興福寺へ、という確率ほど高くないような気がする。

そんな折にこちらのつたない講義を思い出し、また記憶に残った講義での作品に出会うと、ちょっと豊かになるような、得した気がするらしい。美術はながーいお付き合いでもある。

そうした美術作品に出会う授業は小学校から大学まで数少ないのだが、私が若い時はレンブラントに憧れたように、若い学生の頃は「東洋・日本の古美術」にあまり関心はない。
人は渋みを増すと、おのずと「渋いモノ」に関心を寄せるのだろうか。

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おん祭り

2011-12-13

午前中、御用出仕にて奈良へ。

師走の奈良は「春日若宮おん祭り」一色。ジングルベルが奏でる餅井殿商店街にも、おん祭りの幟(のぼり)。
大宿所にも 懸鳥 の台もセット。後は奉納を待つだけ。

「おん祭り」は一の鳥居くぐってすぐの「お旅所」に若宮(天押雲根命)が“ちい散歩”。そこに芸能集団をはじめ奈良の人々が出向いて若宮に喜んでもらう儀礼である。

威儀物の「盃台」。
『多聞院日記』天正10年5月12日条には安土に来る家康のために信長が興福寺に「美麗ヲ盡」した「杯台」を作らせ献上。家康は「無比類トテ」と絶賛。幕末期には、岡野松寿家(奈良一刀彫)が秘伝として制作。現在も「春日有職一刀彫師」が制作。1基60万円。おん祭後はもらえるのだが、なかなか手が出ない・・・。

午後は授業のため、吹田に向かう。火曜日の授業は年内最終。ぎゃぁ~と叫ぶ声も聞こえるので、28~30日が補講日(要連絡)。

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文化財修理

2011-12-14

今年最後の長い会議+学位審査会が終わって部屋に戻ると、某人より「どうしましょう?」と困惑の電話。聞けば、とある文化財の修理でトラブル発生。

修理物件であってもその後は万事お任せでは困る・・・。こちらが知らないような業者さんだと尚更(最近は修理費の関係から誰それ?という業者もいる)。理由をつけて、適宜、修理工房へ見に行かないと「こんなはずではなかった」と悔やまれることも多い。

写真は某所で見た全身一木からなる天部像。大切と思っていても、仏像は雨風吹きこむ金網(ビス留め)の中。防犯対策だけはしっかりしているが、仏像は既に残骸。(*本文とは関係ありません)
こちらも専門家なので修理前にアドバイスもするが、聞くも聞かぬも所有者の判断である。うろたえる人を前になんとか善処の対策を考えないといけないが、心の奥では「それ、いわんこちゃない」とも。

あり得ないようなことで、どのようにすればよいのか修理前の写真を見ながら、しばし天を仰ぐ・・・。

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小林太市郎

2011-12-15

授業のみ。
ふと、疑問に思うことがあって書架から『小林太市郎著作集』(淡交社)を引っ張り出す。

昔の先生は、不親切である。
わずかの事例を示すだけで、はぁ~?と思うような突拍子もない結論だけを述べる。初学者にとってはとても実証的とは思えず、「寝言か?」と眉をひそめることもしばしば。
しかし、この頃は「以下略」とされた事柄を知ったりすると、そういうことだったのかと、改めて合点がいくことも多い。寝言変じて預言となす、である。

神戸大学の小林太市郎(故人)はその筆頭。
色々と逸話もあるが、著作集はなんとなく後進の研究者に与えられた研究課題と言えなくもない。「東洋のブルクハルト」とはよく言ったものである。

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悪魔のささやき

2011-12-16

会議・授業・授業とあって、夕刻には2010年3月に卒業した同窓会兼忘年会へと急ぐ。「師走」なり。

働き始めて2年。会社の愚痴や「なによ、あの『住民税』って!」と世間の事情も知るに至る・・・。そうか、昨年の給与には反映されていないんだ。

皆、大学生活を懐かしそうに語り、「また授業に出てみたい」とも。
いやいや、(卒業生)のなかには、既に「お母さん」になった人もいるんでしょ。もう時計の針はもどせない。
少し大きくなった「娘たち」OLを見ながら、「大学は基本的には何も変わっていません。何時でも皆さんを暖かくお迎えします」と。
これが「悪魔のささやき」に聞こえるのは成長した証拠か。

梅田界隈は花の金曜日で怖いほどの雑踏。もちろんクリスマス一色。

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箔足

2011-12-17

久しぶりにオフ。自宅で雑用など。

新聞に尾形光琳《紅白梅図屏風》の話題。中央部の流水はマスキングした銀箔、金地は金の結晶の並び方から金箔とする調査結果が発表。

エックス線回折法などで判明したとされるが、話題になった東文研の調査(蛍光X線分析)では金箔ではないという判断だが、どう整合性がとれるのか理解に苦しむ。蛍光X線分析での材質判定は、精度が低いというようにも受け取れるのだが。
《紅白梅図屏風》をよく見ると、描かれた梅枝の上に「箔足」(金箔の重ね目)がのっている。通常の描き方ではあり得ない。箔足の謎についてはどう解釈されたのだろうか。

科学については素人だが、光琳は「実験の画家」といっても過言ではない。《燕子花図屏風》にしても型を使ったり、蒔絵の技法を用いたりで・・・。
これも素人判断だが、陶磁器や染織、漆工などの意外な技法が使われているのではないかと。

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見学会

2011-12-18


午後から奈良国立博物館見学。「おん祭と春日信仰の美術」。
ちなみに1年生対象。本地垂迹などうまく説明できるかどうか・・・。

まずは「鹿」さんの由来。カミ様はみえてはいけないけど、見たい気持ちもわかるなどと・・・。なんとなくわかってもらえたようで何より。

あれこれと質問を受けながらゆっくりと拝見。そもそも博物館等でゆっくり見るという経験がないもので、みな安心したようにゆっくりと見学。授業にも出た鳥獣戯画断簡(個人蔵)も出品。

続いて密教美術。倶梨伽羅龍、華籠に質問あり。湛慶の千手観音立像(三十三間堂)もあって、これも説明がひと苦労。これは平安時代のスタイルだが・・・。

その後、東大寺へ。大仏殿か東大寺ミュージアムか迷っていたが、岡山や山形出身の学生もおり、マニアックな?作品よりもここは帰省のお土産話づくりで大仏殿へ。学生の大多数が初めて大仏さんをみる。閉門時間に出て南大門仁王像だが既に暗くなっており、詳細は講義にて。

「モノ(作品)を見よう」という姿勢が大切であると締めくくって現地解散。

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高橋由一《鮭図》

2011-12-19

とある授業。
11月頃にふと気付く、このままでは年内に講義終了・・・。あれっ?
慌ててシラバスを確認するものの、飛ばした内容はない。どこかで2週分を併せて講義したのだろうか。まさか・・・。
というわけで、今日は「高橋由一」。来秋には京都で展覧会。

お馴染みの《鮭図》。
なぜ、鮭がアンコウのように吊るされて半身が削られているのか、長く不思議であった。ニュースでも歳末の上野・アメ横で「新巻鮭」をぶら下げる映像もみるが、こちら(関西)でそうした光景は見かけないし、魚屋でもほとんどが切り身。「塩鮭の一尾買い」する人など見たこともない。不思議なモチーフ。

東日本では川を遡上した鮭に塩をして樽に漬け込み、その後塩抜きして軒に吊るして寒風にさらし、それを削って食べるそうである。頭から吊るすのは「新巻鮭」とも。
案の定、“関西”大学での反応はかなり低く、「はぁ、そんなもんでっか」。

「ほおづき」「朝顔」「酉の市」などは、関西人にとって、はぁ?の筆頭格だが、《鮭図》もしかり。
いっそ「切り身」にしてくれればよかったのに。

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ネパール宗教資料調査

2011-12-20~27

詳細は こちら(未整理)

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ノープロブレム

2011-12-28

終日、停電、ネットもメンテナンスのため繋がらず。明日は断水。

ネパールで困ったことは計画停電。
彼地は水力発電なので乾期には電力不足に陥る。全国各地で毎日停電。6:00‐12:00、19:00‐24:00などとほぼ1日に2回計11時間。週に98時間は停電。コンセントや電圧変換機を持って行ってもあまり役立たない。
高級ホテルには自家発電機があるので何ら問題はないが、泊ったのは主に中級ホテルだったので、突然プツンと。それで、枕元にロウソクとマッチがあったのか・・・。

レストランでも、蝋燭のもとで食事。ロマンチックな感じもするが、明るさに慣れた目には暗いばかり。暖房も薪ストーブ。夜は着込むだけ着込んで寝るばかり。

あと、困ったのは「お湯」。我々の「お湯」は彼地では「熱湯」。蛇口の「HOT」をひねると限りなく水に近いぬるま湯。
昼間20度近くまで上がるが朝方は5,6度まで下がる。ロウソクのもとでシャワーを浴びようと思ってもほとんど「滝に打たれるような」もの。シャワーを浴びるにも修行なみである。

1日だけの停電なんて「ノープロブレム」。

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仕事納め

2011-12-30

昨日3名、今日1名の卒論指導を終えて仕事納め。
電車も、はや休日ダイヤ。官公庁では既に仕事納め。
山積、越年する事柄も多いが、ともかく3日までは休日。

日曜日や休日の大学は静か。普段は慌しく登り降りする法文坂も静寂そのもの。

今年も拙いながら、ふらふらと“焦点化”できない日常をご覧いただきまして本当に有難うございました。また多くのご教示やご指摘を頂いたことにも深謝いたします。

まずは年末の御礼まで。皆様どうぞよいお年をお迎えください。

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