関西大学文学部英米文化専修 小林剛ゼミ

Department of Cross-Cultural Studies, Faculty of Letters, Kansai University

Gender&Movie文献のまとめ

Gender&Movie文献のまとめ

参考文献

①武田悠一「『男らしさ』の神話—アメリカ映画を〈ジェンダー〉で読む」『愛知学院大学教養学部紀要』第45巻第3号,1998年,47-69頁.

②Harry M. Benshoff and Sean Griffin 『映画の中の女と男―アメリカ映画のジェンダー表象』(英宝社,2005) のChapter3 Gender in American Film since the 1960s


1.フェミニズム運動

①第一波フェミニズム=婦人参政権獲得運動(1890~1920年代)
1848年の人間の平等を謳ったアメリカ独立宣言を借用しながら参政権を要求した「セネカ・フォールズ宣言」をきっかけに、1890~1920年代の間の、女性参政権成立の影響を受けて、①参政権を中心とする公的権利②男性とは異なる女性の本質への追及(結婚制度・育児制限)を問題とした運動。

②第二波フェミニズム=女性解放運動(1960年代以降)
女性は専業主婦や母親として家庭で生きることが望ましいという第二次世界大戦後の社会的風潮に反して、女性の社会進出を進めようとする動き。
1963年に出版されたベティ・フリーダンの『女らしさの神話』(家庭に縛りつけられている女性の覚醒を促す)が契機。
女性解放運動のスローガンは“the personal is the political”( 女性が家庭で感じている抑圧は個人的な問題ではなく、国家のイデオロギーによって作られる政治的問題である。)


2.1960年代

①第二波フェミニズム
公民権運動(1950~1960年にかけて、アメリカの黒人が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動)、ベトナム反戦運動とも連動していた。
ベトナム戦争の泥沼化、人種間抗争、麻薬や犯罪の激増などにより、アメリカ社会を支えてきたモラルが崩れ始める中でだんだんと女性が社会進出していき、それまでの男と女の関係・結婚観・家族観が変わってきた。しかし、それらの運動は男性にとっての平等や自由の獲得に焦点が当てられており、男性が中心的役割を果たすなかで、女性は従属的な役割しか果たせなかった。

②全米女性機構NOW(National Organization Women)の設立(1966)
リベラル・フェミニズム
白人の中流階級女性を中心に、家庭からの解放を訴える。
一般に個人主義的・自由主義的立場である。男女平等は法的手段や社会改革を通して実現可能であり、集団としての男性と闘う必要はないと主張。
彼らの多くは同性結婚も妊娠中絶も賛成で、個人の問題であることに周りが立ち入るべきではないと考えている。
⇒つまり、Publicな領域では男女平等であるが、Personalな領域までは立ち入らず、個人に任せるという考え。

③Production code
1934~1966年のハリウッドにおいて、連邦政府・宗教団体の圧力から映画を守る自主規制、ある意味、検閲。

④Rating System(年齢制限指定方式)の採用(1968)
G=一般。年齢制限なし。
PG= 児童は保護者の判断が必要
PG-13= 13歳以下には保護者の判断が必要
R=17歳以下は成人の保護者の同伴が必要
NC-17=17歳以下は鑑賞禁止
ハードコア・ポルノも作ることができるようになり、興行的に成功を納める作品も出始める。

⑤Buddy Film(1960年代後半~1970年代)
男性らしさ(Masculinity)を強調した作品。異性愛の男性同士の絆が描かれ、女性は男性の恋人あるいは、セックスの相手として登場する。
 

3.1970年代

*前半*

①ラディカル・フェミニズム
ケイト・ミレット『性の政治学』(1970)
男性優位の文化を痛烈に批判、男性中心主義によって権力をふるっている男たちの言いなりになることは、女自身の自我を抑圧し、男に都合のいいような母性、結婚、愛情を強いられることになる。
因習的な女性役割から解放され、男への隷従をやめるべきだと主張。
⇒つまり、Publicな領域でもPersonalな領域でも男女平等を目指す。集団としての男性を敵にし、文化全体を変えることでPersonalな領域にも立ち入って平等にしようとする考え。

②女性は、narrative“use”として映画に登場
映画は男性によって制作され、内容は男性の興味に基づき、女性の自立を描いた内容は一部で、ほとんどがcareerかfamilyの選択に迫られた女性が登場した。

③女性への暴力的表現
女性が被害者となる凶器を使った殺人やレイプが描かれるようになる。

*後半*

「新しい男」(New Man, New Male)の登場
“新しい男”(男であることで、自分に特権をあたえたり、他人に対する命令ができたり、他人を思い通りにしたりする権利が自分にはあると思わない男。)
男が’bread winner’として一家を支えるということが、現実的ではなくなってきた。
父性を描く映画も作られるようになる。しかし、父性は新しい女性像(自立を求める女性や母性のない女性)を非難する形で描かれ、男性は親としても女性より優れているということを示唆している。結果として既存の性別役割を強化してしまっている。⇒ハリウッド映画の男性中心主義がよく表れている。


4.1980年代

①バックラッシュ
Personalな領域にまで男女の平等を謳ったラディカル・フェミニズムへの反動と、レーガン政府が重視したFamily Valueによるジェンダーの保守化。

②レーガン政権の政策
キリスト教原理主義者による伝統的な家族観への回帰
1950年代ごろの伝統的な家族観(男性が家長で権威があり、女性や子どもは従属的であるという家父長制)を重視
「強いアメリカ」をスローガンに「強い男性」を求めた。

③男女の役割逆転
・ベビーM事件(1986)
生殖技術の発展に伴って、母親と父親の役目が分裂し、法的問題となってジャーナリズムに登場。
・共稼ぎの夫婦の増加
24歳から34歳までの働く女性の割合
 1950年代 34%
 1980年代 88%
スーパーウーマン:女が仕事も家事も子育てもすべてこなす


④映画
・恐怖映画(Slasher Films)

男性も女性も犠牲者として描かれるが、男性はすぐに殺されるのに対し、女性はいたぶられて殺される。映画に出てくる凶器は男性の性と凶暴性を象徴。
殺人犯の視点と視聴者の視点が重なり合うように作られている。
・暗黒映画(Film noir)の再燃
男性と女性の間の疑惑や不信感が殺人を引き起こす。
特に女性は人を騙す信用できない存在として描かれた。

⑤まとめ
・男性らしさ(Masculinity)の証明
男性らしさ、タフさを強調するアクション・アドベンチャー映画が多くなる。男性はアクション・ヒーローとして描かれ、女性はヒーローに守られるお姫様として描かれる。
・新しい男女の性役割に対する不安
女性の仕事と家庭の両立の問題が描かれるが、そこには男性優位が潜んでいる。
男性は優しさや弱さを装うことによって、別の形で女性を支配しようとする。
「男の主体」が揺らぎはじめたとき、「男の主体」の回復を目指すだけではダメ。別の形で〈男〉でありうる道を探らなければならない


5.1990~2000年代前半

*映画*
男女の役割、ジェンダーの役割が逆転
役割逆転が「ジェンダー」のみならず、「セックス」にまで及んでいる。
「男らしさ」や「女らしさ」とはいったい何なのか?という疑問を視聴者に投げかける作品が多い

アクション・ヒロインとして女性の活躍を描くようになる。
アクション・アドベンチャー映画での女性の活躍は、
ハリウッド映画のジェンダー表象も一歩前進しているとの評価を多く受けている。

しかし、これらの映画は、男性と女性の役割を平等に描いているのだろうか。
女性を異性愛の男性に性的対象として見られる存在であることに変わりないのではないのか。

例をみると・・・
「エイリアン」のクライマックスのシーンでヒロインが下着姿になる
「トゥームレイダー」のヒロインの身体の線を強調するタイトな服
「チャーリーズ・エンジェル」
これらのヒロインは、男性のボスがいたり、父親や夫を亡くした記憶に忠誠をたてていたりする場合が多い。


女性は男性と同じように暴力的になれる、ということを描くことで女性の平等を表現。これは、男性らしい勇ましさや暴力的特権を男性優位の態度を強めた結果である。

ハリウッド映画の数十年来の固定された表象パターンが男性や男らしさを優位にする一方、女性や女性の問題を周縁に追いやってしまっている。男性中心であることに変わりがない。

ハリウッドの大作映画は、男性はヒーロー、女性は守られるプリンセスとして描く。現代の女性の映画やロマンティック・コメディでも、女性は男性なしでは不完全なものとして描かれることが多い。

6.結論

20世紀のアメリカでは男女平等という問題において大きな成果があったが、映画でのジェンダー表象においては男女平等とはいかなかった。最近では女性が映画制作に携わるようになり、女性の問題を描いた映画も作られるようになったが、ハリウッド娯楽映画の主流はいまだ家父長的特権を維持するジェンダー表象である。

しかし、消費者や映画制作者は、この問題に気づき始めている。映画制作に携わる女性や有色人種が増え続けていたり、アメリカでのジェンダー問題に対する社会認識が進化し続けていたりするように、映画はそのプロセスの一部分となっている。

Posted by kana| 2011-01-15 (Sat)