はじめに
I 1950年代までの輸入代替進行局面
II 1960年代における工業化の停滞局面



III 「ブラジルの奇跡」―高度成長局面


第1節 経済構造


 本節においては,「ブラジルの奇跡」の期間(68-73年)を検討する。軍事政権の 停滞局面脱出の戦略は,フルタード (Celso Furtado) によってブラジル・モデルと 命名されたものであり,絵所秀紀氏の適切な要約によれば,(1)富裕階層の耐久消 費財需要に依存した経済成長,(2)多国籍企業に依存した耐久消費財生産,(3) 上記(1)(2)を可能にした政府政策の大きな役割の3点を骨格としたものである (63)

 自動車産業は,耐久消費財産業である点,強力な後方連関効果を有する点からこ のブラジル・モデルにおける成長基軸産業にふさわしいものであった。というの も,工業部門全体の稼働率が低下しているもとでは特に,波及効果を発揮して経済 全体の成長を牽引することができるからである(64)。このブラジル・モデルは,50年代 に形成された「三つの脚」企業体制を前提に,これを特に政府系―外国系企業との 関係を軸にして,意識的に利用しようとするものである。こうした戦略に基づき, (1)自動車産業を中心とする耐久消費財産業の育成,(2)賃金抑制継続による所 得集中と,(3)信用供与の拡大・対外借入の自由化が行われた。

 (1)について特に注目すべきは,輸出振興策BEFIEX(65)制度が72年に設置されたこ とである。これは,工業品メーカーが輸出計画を提出し,承認されれば機械設備・ 部品を減税輸入できる制度である(66)。この制度を最も活用し利益を得たのは,自動車 を含む輸送機械産業(67)であった。しかし,この制度は輸出拡大のために資本財輸入に 対するインセンティブを与えたため,自動車等の当該産業における輸出拡大と同時 に,資本財輸入の増大を招く傾向にあった。また,この個別企業向けのBEFIEX制度 とは別に,一般的に資本財輸入に賦課される関税率の引下げ及び減免措置も実行さ れ,国内の資本財産業は不利な立場に立たされたのである(68)

 (3)に関して。長期信用は,BNDE,工業機械購入基金(FINAME)などによる 供給の拡大がなされ,また消費者信用も耐久消費財購入や住宅建設を対象にした融 資を拡大した。対外借入の自由化については,67年8月の決議第63号によって商業銀 行による外国からの借入資金の国内貸出が可能になり,法律第4131号(62年9月)に 基づくブラジル中央銀行外国資本監督登録局(FIRCE)通知第10号(69年9月),な らびに通知第20号(72年9月)によって,公共・民間機関の外国からの直接借入が可 能となったのである。その結果,ブラジルの対外債務は67年の33億ドルから73年に は126億ドルへと拡大したが,70-74年の期間においては投資全体の88.8%は国内貯蓄 で賄われていた(69)。この対外借入の自由化措置が,重大な役割を果たすことになるの は第1次石油危機後においてである。

 以上の特徴を持つ経済政策のもとで,遊休設備を抱えた工業部門はその稼働率を 高めることによって生産を拡大し(70),実質成長率は64年の2.9%から,67年の4.8%に 回復した。そして,GDP年平均成長率10.1%,年平均実質工業生産成長率12.9%を記 録した「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度成長期(68-73年)へ突入するのである。

 ここで,この期における経済成長要因を検討しよう。高度成長期においてとりわ け成長率が高いのは耐久消費財(自動車24.0%・家電22.6%)であり,耐久消費財が 主導的役割を果たしたことがわかる(71)。自動車産業はこの時期,戦後を通じて最も急 激に成長した。自動車生産台数は67年22.5万台から73年75.0万台へと3.3倍化し(図 3),また国内工業生産高に占めるシェアも拡大し,自動車は67年7.2%から73年8.7 %へと1.5ポイント上昇した(72)。この期の自動車産業は,田中祐二氏の言う「製品差 別化政策による急成長期」にあたる。これは,先に述べた所得集中と消費者信用制 度の発展を踏まえて,販売対象を高所得者層に限定した。そしてモデルの多様化と 頻繁なモデルチェンジによって,乗用車の複数所有と頻繁な買い替えを実現した。 それにより需要を拡大して急成長を成し遂げたのである(73)

 耐久消費財の次に高いのは資本財であり,年平均18.1%もの成長率を達成してい る。そのことを踏まえた上で表2を見ると,74年時点で依然として一定の輸入依存度 を示す部門は,金属(14.7%),一般機械(32.1%),電機(20.2%),化学(22.2 %)などであり,電機,化学は著しく依存度を高めている。また,固定資本投資に おける輸入資本財のシェアは,60-64年の期間においては約10ポイント低下したのが 一転して,軍事クーデタの翌年(65年)から高度成長期の終焉する前年(72年)ま で拡大基調にある(74)。以上のことから,国内の資本財産業の急成長と,資本財の輸入 依存度の上昇とが同時に起こっていることがわかる。一見矛盾するかに見えるこの 事態―高田裕憲氏の言う「一般機械の成長率と輸入依存度の上昇の同時的現象」(75)― は,いったい何を示しているか。68-73年における年平均成長率10.1%を記録した GDPに占める機械・設備投資のシェアは増大傾向にあり,67年の6.2%から70年代初 頭には10%前後を占めるようになる(76)。つまり,国内の資本財産業がその市場のシェ アを輸入資本財に奪われながらも,急成長を実現したほどの大規模な投資が行われ たのである。

 この大規模投資は,政府系企業投資と民間投資促進のための政府貸付の形態で, 主として政府部門によってなされた。すなわちこの高度成長期において,投資の約 60%が国家によって行われ,70年代半ばに,投資を目的とする貸付の70%以上が経 済開発銀行をはじめとする銀行によって行われたのであり(77),「国家セクターは単に基礎素材部門,インフラ部門の拡大強化を通じて民間部門への財・サービスの低価 格供給に自らの役割を限定したのではない。それらが意味する膨大な投資需要は多 国籍企業とともに直接・間接に輸入誘発をもたらしたものの,機械・設備等の巨大 な販路を提供した」のであって,「国営企業を中心とするインフラ部門,基礎素材 部門と私的資本による各種機械生産部門とは,素材連関と機械・設備需要の連関を 通じて密接化していた」(78)のである。この政府系企業の設備投資による資本財需要の 創出は,政府系企業がインフラや基礎的投入財産業,つまり大規模投資を必要とす る産業を担っていたからこそ,かかる規模で実現できたと言える。つまり,「三つ の脚」企業体制の下で,政府系企業が分担する産業の性格を生産設備調達の部面か ら活用したのである。だがこれは,政府系企業にとっては,第1次石油危機後の経営 悪化につながってゆくのである。

 このような投資需要及び耐久消費財需要が,経済全体の高度成長を主導したと考 えられる。「高度成長のためには,生産財の継続的輸入と外国資本の継続的導入が 必要という前提に立てば,それを可能にするための輸出拡大は,いわば当然の論理 的帰結であった」のであるが,「68-73年のブラジル経済における需要拡大要因とし ては,国内需要が圧倒的に多く,GDPに占める輸出のシェアは,6-7%に過ぎない」 (79)ので,輸出は主たる成長要因ではなかった。

 68年より6年連続の2桁の成長率を記録したブラジルの高度成長も73年の石油危機 後74年頃から減速し始め年平均成長率は67-73年の12.7%から73-80年の7.6%と減少し た(表3)。その要因としては(1)消費者需要の伸び悩みと,(2)貿易収支悪化が 挙げられよう。(1)の消費者需要の伸び悩みについては,不均等な所得構造(80)のた めに消費者需要の拡大が頭打ちになったのである。69年から増加の一途を辿ってき た民間最終消費支出の伸び率(前年度比)は,28.1%を記録した73年をピークに,74 年22.6%,75年1.6%と縮小してしまった(81)。この点で,高所得者層に所得を集中させ ることによって耐久消費財の需要を拡大し,経済発展を実現するブラジル・モデル は破綻したと言えよう。

 (2)の貿易収支悪化―74年には赤字が47億ドルに達した―の要因は,第1に,石 油危機の影響で輸入額に占める石油のシェアが,64-73年約12.5%から74年23.4%へ と急上昇したことである。これは,工業化の主導部門であった自動車産業に大きな 打撃を与えることになった。約4倍にのぼる石油価格の上昇と政府の乗用車販売抑制 政策が国内市場を不振に導いたからである。第2に,資本財輸入が厳しく規制されな かったために―だからこそ,耐久消費財産業を中心とする戦略産業の成長が可能に なった―輸入が増加し,総供給における輸入設備機械のシェアが,66年の28.8%から 72年には40.4%に達したからである。第3に,石油関連製品以外の基礎的投入財も, 需要の急伸に生産が追随できず,輸入が急増したことである。74年において前年比 で「輸入量増加の顕著なものは,鉄鋼131.2%,肥料27.9%,銅43.0%,アルミ76.7 %,電気機器類33.4%,輸送機械類49.7%であった」のである(82)


第2節 鉄鋼業 ―鉄鋼需要急伸による輸入急増


 この期(68-73年)の消費・生産・輸出入の推移は,以下の通りである。見掛消費 は,68年382万トンから73年736万トンへ1.9倍化したが,68年には見掛消費の99.0% に当たる378万トンに達した生産は,68年から73年へ1.5倍(598万トン)にしか増加 せず,見掛消費との差が輸入の急拡大によって埋められる形になっている。輸入は 68年34万トンから73年182万トンへ5.3倍化したのである(輸出は,68年30万トンから 73年43万トンへ1.4倍化)。この輸入急増の主たる内容は半製品と鋼板であった。輸 入依存度でこれを観察すると,68年当時でいずれも1%以下であった半製品(スラブ 等),厚板,熱延薄板が73年には各々36.4%,32.7%,13.3%と急激かつ大幅に依存 を深めているのである。また,もともと輸入依存度が高かった冷延薄板は,引き続 き輸入量で第1位を占め,68-73年で3.6倍化し,全体の増加分の13.8%を占め,輸入依存度を更に高めて,38.3%となっている(83)。こうした半製品と非被覆普通鋼板需要 の急伸が,鉄鋼製品貿易赤字の主要因と考えられる。鉄鋼製品貿易赤字は74年には15億ドル余に達し(図2),ブラジルの貿易赤字の実に32%を占めるに至った。

 次に,こうした鉄鋼需要の急伸が,どこから生じてきたのか検討する。統計資料 の制約から,非被覆普通鋼板(厚板・薄板)の需要構成の検討に限定せざるを得な い。しかし,この非被覆普通鋼板は,半製品とともに輸入が最も増加した鉄鋼製品 であるので,この期の需要動向を特徴的に表現しており,またその生産は三大製鉄 所によって独占されているため,三大製鉄所体制がどのような需要と結びついてい るのかを明らかにすることができる。なお,三大製鉄所は73年の圧延製品生産量の5 割を占め,引き続き鉄鋼業の主力である。73年における非被覆普通鋼板の国内販売 内訳を見てみると,販売・加工業(再圧延等)を除くと,最も大きなシェアを占め るのは輸送機械(31.5%)でありその内訳は,自動車は21.0%,造船は3.7%等であ り,69年と比較すると輸送機械のシェア拡大が自動車によってほぼ担われている形 になっている。これに次ぐものは,包装・容器と家庭用・事務用機器であり,両部 門共5%程度を占めている。この家庭用・事務用機器は家庭向けや事務所向けの電気 製品を含んでいる。以上の産業が非被覆普通鋼板の主たる国内販売先である。した がって,この鋼材の輸入急増を招いたのもこうした産業であったと考えるのが妥当 であろう。「高成長期に,自動車,造船,電気機器を中心とした鉄鋼消費は,生産 の伸びを上回って拡大し,輸入依存度は再び上昇した。とくに鋼板類の輸入は増加 した」(84)のである。

 こうした需要の急伸に直面した鉄鋼業は,いかなる条件の下でいかなる対応をし たか。まず,この時期の三大製鉄所の経営状況を見てみると(表4),67年には純利 益がマイナスもしくはゼロであったが,この期間を通じて資本利益率は改善されて いる。これは,価格統制の緩和による価格引上げ幅の拡大(85)と,稼働率の上昇による ものだと考えられる。

 当時第2次PSNの具体化として,70年で300万トンから75年720万トン,80年1075万 トンへ上昇させる三大製鉄所の拡張が計画され,その第1期計画が71年から開始され ていた。このうち73年までに稼動した主要設備は,USIMINASとCOSIPAのLD転炉計 2基であり,これにより製鋼部門の年産能力は,60年代末の293万トンから380万トン へ1.3倍化した(86)。製鋼部門の設備拡張が優先されたのは,スラブ等の半製品の輸入 急増と関係がある。60年代の停滞局面においては,三大製鉄所における圧延部門 は,製銑・製鋼部門と比して生産能力が大であるため,稼働率が相対的に低かっ た。高度成長期に入り需要が急伸し,製銑・製鋼部門は圧延部門より以前に生産拡大が限界に至ったため,スラブ等を輸入して,圧延部門の生産能力を活かして需要 に応えようとした。その一方で,圧延部門との生産能力格差を埋めるべく製鋼部門 の設備投資が急がれたと考えられる。

 生産能力として現れていないが,この時期に行われた設備投資額は,Siderbras全体で72年1.48億ドル,73年3.10億ドル,74年7.78億ドルと年々急激に拡大しているこ とが注目される。この72年で見て1.48億ドルという投資額は,三大製鉄所の71年時点の売上高の34.6%,自己資本の32.9%に相当する過大なものであり(87),この投資とそのための債務負担が,政府系鉄鋼企業の経営を再び悪化させていくことになるので ある。しかもそれは表5に見るように,当時特に生産段階の中核的設備(高炉,平圧延機等)の自給が達成されていないため,国内資本財産業へは周辺設備の需要を創 出しつつも,資本財輸入を増大させ貿易赤字の一部をなしたと考えられる。


(63)絵所秀紀『開発経済学 ―形成と展開―』法政大学出版局,1991年,87頁。
(64)小島眞「インドの工業化の停滞とブラジル・モデル」『アジア研究』第33巻第1号,1986年,18-22頁。
(65)Beneficos Fiscais a Programas Especiais de Exportacao, 特別輸出計画に基づく租税恩典。
(66)アジア経済研究所(編)『発展途上国の自動車産業』アジア経済研究所,1980年,236頁。
(67)田中祐二「ブラジル自動車部品輸出における政府と多国籍企業の役割」『立命館経営学』第24巻第5号,1986年,88頁。
(68)小島眞,1990年,前出,18頁。
(69)小島眞,1990年,前出,17頁。
(70)Baer and Kerstenetzky, op. cit., p.138,小坂論文,101頁。
(71)高田裕憲,前出,11頁。
(72)ANFAVEA, op. cit., p.39より計算。
(73)田中祐二,前出,30-31頁。
(74)James Dinsmoor, BRAZIL: Responses to the Debt Crisis, IDB, 1990, p.47.
(75)高田裕憲,前出,12頁。
(76)IBGE, op. cit., pp.111-112 より計算。
(77)土生長穂・河合恒生(編)『第三世界の開発と独裁』大月書店,1989年,95-96頁。
(78)高田裕憲,前出,18頁。
(79)岸本憲明,前出,31-34頁。
(80)所得分配の不均等性を示すジニ係数(ジニ係数は0以上1以下の値をとり,0の場合完全に均等であり,1の場合完全に不均等となる)は,60年の0.4999から70年には0.5684に上昇し(水野一「ブラジルの経済成長と所得分配」『上智大学外国語学部紀要』第7号,1972年,139頁),70年代以降,所得構造がほとんど変化しておらず,85年で所得上位10%の階層が所得全体の44%を占め,世界で最も所得分配が悪い国に属する(小池洋一『ブラジルの企業 ―構造と行動―』アジア経済研究所,1991年,131頁)。
(81)IBGE, op. cit., pp.122-123, pp.186-191 より計算。
(82)小坂允雄「ブラジル経済の高成長と石油危機」『アジア経済』第8巻第10号,1977年10月,35-39頁。
(83)以上,IBS, Anuario Estatistico da Industria Siderurgica Brasileira, 1978, pp.34-37,56-59, 77 より計算。以下 非被覆普通鋼板の需要構成もこれによる。なお,この冷延薄板の輸入急増は,当時の三大製鉄所の生産能力 と技術水準の双方が関与していると考えるが,この詳細については資料に制約があるために今後の課題とし たい。
(84)小坂論文,116頁。
(85)大原美範,前出,304頁。
(86)Harry G. Cordero & Raymond Cordere ed., Iron and Steel Works of the World, 5th ed., Metal Bulletin Books, 1969, and Raymond Cordero & Richard Serjeanston ed., 6th ed., 1974, USIMINAS, Usiminas conta sua Historia, 1990, より計算。
(87)IBS, Anuario 1972, 1973, pp.120-126, pp.132-136, pp.154-157, CONSIDER, Anuario Estatistico Setor Metalurgico 1981, 1982, p.50 より計算。

むすびにかえて


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