はじめに I 1950年代までの輸入代替進行局面
63-67年は工業化の停滞局面であり,製造業部門での生産能力過剰が資本財を中心
に顕著になり(37),この期の実質年間成長率は62-67年で見て
GDP 3.7%,工業3.9%,
製造業は55-62年のそれから7.2ポイント低下し2.6%となった。部門別では資本財-2.6
%,非耐久消費財0.0%,耐久消費財4.1%,中間財5.9%となり,いずれも55-62年の
数値を下回っている(表3)。工業とその大方を占める製造業(38)との成長率の格差
は,工業に分類される製造業以外の部門の相対的に高い成長率によるものである。
実際に,62-67年における実質年間成長率は,抽出産業4.9%,建設業6.5%,公益事
業28.4%(39)といずれも製造業と工業のそれを上回っている。
クビチェックから政権を引き継いだクワドロス・グラール両大統領は,国際収支
困難の解決のために利潤送金の規制強化―外資導入抑制とインフレ抑制をうちだし
た。1962年に対外利潤送金制限法(法律4131号)が成立し,利子支払い・利潤送金
は62年1.4億ドルから63年0.9億ドルへと減少した。しかしこれは同時に,62年の米系
電話会社の接収(40)とあいまって,62年6900万ドルから63年3000万ドルへと外国直接投
資を減少させ,資本収支を62年1.8億ドルの黒字から63年には0.5億ドルの赤字に転落
させた。これに輸入代替工業化の行き詰まり(表2)が加わった結果,インフレは
いっそう進み(61年35%から64年91%へ),工業成長率は64年には5.0%に低下し
た。一方で,グラールがめざした農地改革や税制改革などの諸改革は実行されず,
政治的不安定を増大させた。
64年の軍事クーデタによって成立したブランコ政権は,インフレ抑制を最優先課
題とし,賃金抑制(41)と政府消費支出の実質的削減(42)を軸とする需要抑制を強力に推進した。こうした需要抑制政策の結果,政府需要と労働者の購買力が低下し,インフレは収拾した。こうしたインフレ抑制に加えて,経済成長のための基盤整備―(1)金融制度改革,(2)産業組織整備,(3)外資政策の転換―が図られた。
(1)の金融制度改革については,通貨価値修正措置(インデクセーション(43))の採用(64年),SUMOCを改組しての中央銀行設立(65年),資本市場法制定(66
年),投資銀行創設などの措置がとられた。こうした諸政策の「全体に支配的な意図はインデクセーションの全面的採用によるインフレの『中和化』であり,それは株式・社債市場の振興と並んで,より長期的な金融資産創出によって従来,為替投機や不動産投機,さらには対外資産という形で不生産的に浪費され国外に流出して
いた資産階級の遊休資金を中心とする民間貯蓄の動員を目指すものであった」(44)。(2)の産業組織整備は,GEIの統合を進める産業政策の中心をなすものとして,産業
開発審議会(CDI(45))が64年に設立された。その主たる機能は,IPI,ICM(46)の免除を通じて資本財輸入に対して財政的誘因を提供することにある。このCDI設置は産業政策一元化への第一歩であった。(3)の外資政策の転換については,対外利潤送金制限法の撤廃,接収された企業の補償などが行われ,外国資本及び借款の積極的な導入が再開されたのである。
以上よりこの期間(64-68年)は,(1)インフレの収拾と(2)金融と産業の諸制度・組織の改革・整備,の2点において「奇跡」を準備した,との位置づけが与えられるであろう。
この期(63-67年)の鉄鋼業の特徴は(1)産業政策確立・産業組織整備と,(2)非被覆普通鋼板の生産能力拡張である。
(1)については,鉄鋼業史上初めて総合的な産業政策が確立され,それを実施す
るための産業諸組織が整備されたことが挙げられる。66年にブラジル政府は,アメ
リカの鉄鋼コンサルタントであるBooz, Allen and Hamilton
International社に調査を委
託し,72年までの鉄鋼需要とそれに見合う生産能力の拡張計画を作成することに
よって長期的な産業政策の確立を企図した(47)。この報告書は需要見通しを立てた上
で,72年までに生産能力を623万トンに拡張すること(66年と比して約244万トンの
増加)を提案した。また,後に見るように鉄鋼業の経営悪化を招いた国内炭使用義
務と価格統制に関しては,国内炭使用比率引下げ,販売価格引上げを提案した。こ
れを受けて政府は67年4月,鉄鋼諮問グループ(Grupo Consultivo da
Industria Siderurgica -
GCIS)が商工大臣の下に設置され,同年末に国家鉄鋼計画(Plano
Siderurgico Nacional -
PSN)を発表した。この計画は,鉄鋼需要を72年616万トン,77年989万トンと見積もり,これを自給しかつ77年時点で47万トンの輸出余力をもつ鉄鋼業にしようとするものであった(48)。これに基づき,68年には商工省にConsiderが設置され,拡張計画,投資,価格,コスト,販売等について総合的な政策決定が行われる
ようになった(49)。
73年には,政府系企業の持株会社 Siderbras が Consider
のもとに設置された。このSiderbrasによって,政府系鉄鋼企業の直接的統一的な運営が可能となり,同社は80
年代まで傘下企業のための海外の技術と石炭の買付を一手に握り,生産・販売・金融政策の方針を示すことを通じて,鉄鋼業の発展に重大な影響を与えることになる
(50)。
(2)は,三大製鉄所体制の始動によるものである。この三大製鉄所の生産能力の
鉄鋼業全体におけるシェアは65年で,銑鉄では47.6%(216/454万トン),鋼塊では
52.4%(266/508万トン),厚板100.0%(224万トン),熱延薄板92.7%(188/202万
トン)に至った(51)。
この期の消費・生産・輸出入の推移は,以下の通りである。圧延製品全体で見る
と,見掛消費は62年233万トンから67年292万トンへ1.3倍化,生産は消費に追いつく
べく62年205万トンから67年283万トンへ1.4倍に増加しているが,67年においても消
費量にはわずかながら及ばない。輸入は62年28万トンから67年34万トンに増加した
が,生産の伸長により年平均成長率は生産・消費のそれより低い4.0%にとどまって
いる。一方で輸出はこの期に事実上開始され,62年にわずか5571トンであったのが
67年には実に46倍化して25万トン余を記録した。品種別に見ると,成長率がもっと
も高いのは,レール・鉄道資材で,生産ベースで31.6%,見掛消費ベースで49.8%を
記録し,圧延製品に占めるシェアは67年見掛消費ベースで4.8%となった。それに次
いで,厚板・薄板(生産10.7%,見掛消費4.3%),ブリキ鋼板(同9.8%,9.5%)と
なっている(52)。
次にこの期の圧延製品需要を概観する。建設は需要の3割を占め,60年に引き続き
66年においても最大需要部門となっている。それに次ぐのが輸送機械であり66年で
は23.6%占めている。特に自動車は60年に比してシェアを倍近く伸ばし13.3%を占め
るに至っている。鉄道や造船もシェアを伸ばし,特に造船は―シェア自体は2.0%に
過ぎないが―3.3倍にシェアを拡大した(53)。この期に急激に生産能力が拡張された非
被覆普通鋼板の国内販売先内訳を見ると,輸送機械が最大の需要者で全体(139.5万
トン)の26.8%を占め,これは主として自動車(18.8%)と造船(5.0%)で構成され
ている(54)。
以上の需要構成分析に基づき,鉄鋼業の成長要因を検討する。当時製造業全体は
停滞基調であったが,輸入代替の余地が最も残されていた中間財は最も成長し,62-
67年の実質年間成長率は全体が2.6%であったのに対し中間財は5.9%を記録した(表3)。鉄鋼業もその例外ではなく,62年の自給率は鉄鋼製品で87.6%,62-67年におけ
る成長率(圧延製品重量ベース)は年平均7.6%であったが,この期の鉄鋼業の成長
要因は輸入代替ではない。圧延製品の輸入依存度(輸入/見掛消費)は,62年12.1%
から63年17.9%へ上昇した後,64-67年にかけては11%台で安定しているからであ
る。では,この時期の鉄鋼業の成長要因は何か。それは,輸送機械産業の一定の成
長と輸出拡大である。
輸送機械関連需要は,自動車,造船,鉄道によるものである。まず自動車産業
は,その発展過程から見ればこの期は停滞期に当たるが,それでも62-67年の年間平
均成長率(ユニットベース)は3.6%と,製造業全体の成長を上回っている(図3)。
造船業については,造船業の勃興による新規需要が挙げられよう。ブラジルの近代
造船業は,大型船建造向けの3造船所が外国系と民族系の手によって59-60年に稼動
することにより勃興した。62-67年における主要6造船所の新造船受注高は,88隻
826,230D/Wに達し,そのための厚板を中心とする新規の鉄鋼需要を生じさせ(55),66
年時点で鉄鋼需要の2.0%を占めた。鉄道業については,先に見た建設業の相対的高
成長と関係している。鉄鋼製品の需要構成上は鉄道業に分類されるレールは,GDP
を構成する産業分類上の建設業に需要される形になっていると推測される。これ
は,先述の通りレール・鉄道資材の見掛消費の急伸と以下の事実によって裏付けら
れよう。すなわち,ブラジルの鉄道輸送は67年時点で商品輸送量(トン・キロ)の
シェアは14.8%にすぎない(56)ものの,鉄道のほとんどを支配する連邦鉄道会社(RFFSA)などは60年代半ばから,「非経済的な路線の廃止及び,設備の近代化に努
力を傾注した。投資データは,鉄道投資が60年代後半から76年まで実質で高成長し
たことを示している」(57)のである。
こうした追加需要だけでは,特に非被覆普通鋼板の生産能力を拡張した
USIMINASとCOSIPAにとって依然不十分であった。そのため,輸出が事実上開始さ
れることになったと考えられる。輸出は67年までに,その生産に占める率を圧延製
品ベースで9.0%まで上昇させたのである。この輸出率を品種別に見ると,67年時点
で非被覆普通鋼板(厚板・薄板)が,他品種が軒並み0.0-2.3%である中で,群を抜
いて高く19.2%を記録している。このことは,USIMINASやCOSIPAの非被覆普通鋼
板生産能力の一部が,国内需要の伸び悩みの中で,輸出に向けられたことを物語っ
ている。
こうした成長要因は,鉄鋼業の稼働率を,66年の鉄鋼業全体で製銑部門65%,
製鋼部門74%,
鋼板圧延部門23%,非鋼板圧延部門47%と,他の産業と比較して高く
維持することを可能にした(58)。にもかかわらず,USIMINAS,COSIPAにとっては,
操業開始したばかりであるがゆえ,十分な稼働率と言い難く経営を圧迫したと考え
られる。
鉄鋼業の経営を圧迫したのは稼働率の問題だけではなかった。三大製鉄所の財務
状況は67年において,粗利益は売上高(7.3億クロゼイロ・ノーボ)の28.3%で黒字
であるが,そこから販売費・管理費等を差引いた営業利益は赤字になり,売上高の
わずか4.4%の黒字に過ぎなくなる。さらに営業利益から元本返済や利子負担等の債
務返済,税金等を差引いた税引後利益は,売上高の5割を占める赤字(3.6億クロゼイ
ロ・ノーボ)となっている。債務関連の支払いは対外,国内ほぼ同額で,合わせて4.4億クロゼイロ,売上高の実に3割を越える(59)。
こうした財務状況をもたらした原因は(1)政府の価格政策と国内炭使用比率規
制,(2)圧延部門をはじめとする低い稼働率,(3)債務関連の支払い負担,であ
る。政府の鉄鋼価格統制は60年代中葉から行われ,64年から67年までは一般物価水準に比して,鉄鋼製品の実質価格をかなり低下させた。この価格統制の当初の目的
は鉄鋼需要産業の育成―それを通じての工業化にあった(60)。ここで言う鉄鋼需要産業
が輸送機械を主として指していたことは,先述の政府の成長戦略と需要動向からも
明らかである。また国内炭使用比率規制は,政府は国内石炭産業の保護と外貨節約
のため,鉄鋼業での使用比率を最低40%と規定している。65年のUSIMINASの1号高
炉のデータによれば,この低粘結度・高灰分の国内炭の使用義務づけによりトン当
り銑鉄生産コストは,輸入炭を全量使用した場合に比べ,コークス比の上昇(3.83ドル),石炭価格の差額(6.43ドル),高炉の生産性低下(2.43ドル)の計12.69ドル上
昇するとされている(61)。債務関連の支払い負担については,(1),(2)の結果であ
ると推測される(62)。要約すれば,政府系三大製鉄所は,鉄鋼需要不振の下で稼働率を
高く維持することができず,原料調達部面と製品供給部面双方において国内産業の
保護・育成という役割を課されて経営を悪化させたのである。
III 「ブラジルの奇跡」―高度成長局面 むすびにかえて
[ ホーム | 論文リスト]