ロンドン便り(番外編)(第191号〜第200号)

 

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  目次(興味のあるテーマをクリックして下さい。)

<第200号:これで本当に終わりです――「ロンドン便り」を振り返って――>(2000.4.30)

<第199号:愛玩動物>(2000.4.30)

<第198号:日本の雨は重いけれど……>(2000.4.23)

<第197号:JALからの手紙>(2000.4.16)

<第196号:「ソーリー日本語化推進運動」>(2000.4.9)

<第195号:赤いシグナル>(2000.4.6)

<第194号:昼食に悩まぬ幸せ>(2000.4.6)

<第193号:便利なもの、不便なもの>(2000.4.4)

<第192号:JALの機内にて>(2000.4.4)

<第191号:生活感覚差ボケ>(2000.4.3)

<第200号:これで本当に終わりです――「ロンドン便り」を振り返って――> ついに200号です。いやあ、よく書きました。でも、さすがにこれで終わりにします。帰国して1カ月。もうすっかり日本の生活に戻ってしまい、ロンドンが遠くなってきました。帰ってきてすぐの頃は、本当に何を見ても何をしても「えっ、こんな風だったっけ?」と違和感ばかりを感じていましたが、今ではみんな普通になってしまい、この2週間ほどは、ロンドンと結びつけて物を考えるのが容易ではなくなり、「もう限界だな。もう終わりにしよう」と思いながら暮らしてきました。でも、もう少しで200号に到達するから、そこまではなんとかと思い、漸くここまでたどり着きました。節目節目は大事にしたいというのが、私の生き方です。きれいな数で終われて、嬉しく思っています。

 振り返ってみれば、この「ロンドン便り」を書こうと思い始めた頃は、週に1号ずつ書いて、1年間で50号も書けたらいいだろうと思っていたのですが、書き始めたら次々に書きたいことが出てきて、「ああ、これは100号は書けるな」とすぐに思うようになりました。100号を11月半ばに突破した時点で、自分でも何号まで書くのかなと楽しみにするようになってきました。でも、その時点でもまさかロンドンで190号まで書き、帰国してからの番外編を含め、200号までたどり着こうとは本人すら予想もしませんでした。でも、それだけネタはあるということです。異なる社会に暮らし、そこの生活を味わっていると、誰でも日本と比較する視点を自然に持ちます。もちろん、そこでなんとなく感じた違和感をきちんと分析し言語化するか、そのままにしていつのまにか忘れ去ってしまうかでは、後々大きな違いが生まれます。かつてアメリカに行っていた時に、同じようにいろいろなことを感じたのに、その時々文章化をしなかったので、後々記憶が薄らぐとともに、その貴重な感覚を喪失した経験を持つ私は、同じミスを繰り返さないためにも、この「ロンドン便り」を必死で書きつづってきたのかもしれません。(ちなみに、アメリカから帰国して思い出しながら書いた「一社会学徒の見たアメリカ」という秘蔵の文章はあるので、いつの日か公開するかもしれません。)いずれにしろ、この「ロンドン便り」を書いてきたことを私自身にとって大きな財産になると思っています。風化していく記憶をこの「ロンドン便り」がしっかり再生してくれるでしょう。皆さんも、思いついたことがあったら、折々に書きとめておいた方がいいですよ。18歳の時思っていたこと、25歳の時思っていたこと、後で思い出そうと思っても思い出せませんよ。「考える、そして書く」というのは、人生を生きていく上で大切な作業だと思います。

 この「ロンドン便り」を終えるにあたって、いろいろな人に感謝したい気持ちでいっぱいです。ロンドンに行くチャンスをくださったたくさんの関係者の皆様、この「ロンドン便り」を読み感想をメールで送ってくださったたくさんの方々、そして私にロンドンで定住者的生活を経験させてくれた家族に、心から感謝したいと思います。ご愛読ありがとうございました。これにて「ロンドン便り」完結です。(2000.4.30)

<第199号:愛玩動物> ゴールデン・ウィークに突入しました。この1カ月間、自転車操業の毎日を送ってきましたが、漸くちょっと一息つけた感じです。少し気持ちに余裕を持てたので、家族で公園に散歩に行きました。とても天気の良い日で、小さな子どもたちや犬を連れた人がたくさん出ていました。 ボールで遊んでいると犬が寄ってきます。ほとんどかわいい小型犬ばかりです。イギリスでもこういう小型犬を飼っている人もいるだと思いますが、街で見かける犬はもう少し大きい犬が多かったです。本来は猟犬だったんだろうなというタイプの犬たちです。以前にも書いたようにイギリスの犬のしつけは本当にすばらしく、知らない人間にじゃれついてくる犬はまずいません。他方、日本の犬は本当によくじゃれついてきます。この日公園で会ったような小型犬ならまだしも、中型・大型犬でもじゃれついてくるのが結構いて、子どもが小さかった時には、はらはらしたものでした。日本とイギリスで犬自体に先天的な能力の差は本来そんなにないはずだと思いますので、この違いはやはりしつけから生まれるのでしょう。やっていいことといけないことをしっかり教え込まれたイギリスの犬と、そうしたしつけのなされていない日本の犬。それは、犬を人間の頼りがいのあるパートナーとして育て上げるか、かわいいだけの愛玩動物に留め置くかという価値観の違いから来ているように思います。

 犬の育て方と子どもの育て方は似ているような気がしてなりません。こっちにリボンをつけられてボールにじゃれつく犬がいるかと思うと、あっちにはブランド品のかわいい服を着せらてよちよち歩く幼児がいます。犬を見る飼い主の視線と子どもを見る親の視線に類似性を感じてしまうのは、私だけでしょうか?日本の犬は飼い主の愛玩動物。日本の子どもも親――特に母親――の愛玩物になっていないでしょうか?幼児にブランド服を着せる意味がどこにあるのでしょうか?外見ばかりを飾り立て、「かわいい、かわいい」で育てられた子どもたちは、社会の自立した成員になれるのでしょうか?やっていいことといけないことを日本の親たちは子どもたちにちゃんと教えているのでしょうか?いや、教えられるのでしょうか?いい年をした母親たちが「キムタクが好き!」などと言っているのを聞くと、私はぞっとします。確かにキムタクは格好いいのかもしれません。しかし、男の、いや人間の魅力って、格好の良さなのでしょうか?「キムタクが好き。滝沢君が好き。ジャニーズ系が好き」と言い続ける母親たちが一体どんな子どもを育て上げるのでしょうか?子どもを愛玩動物にしてはならないはずです。社会の自立した成員に育て上げるのが、親の務めです。

 近代社会において自明視されてきた価値観がすべからく疑われている現在、親たち自身がすでに教えるべき価値観を修得していないという時代に入っていることは確かです。多少反省したとしてもどう育てたらいいかわからないというのが、多くの親たちの本音でしょう。正直に言えば、現在子育てをしている私だって、そんな立派な価値観は修得しているなんて言い切ることはできません。でも、ひとつだけいつも思っているのは、自分の言動にきちんと責任を取れる人間に育てたいということです。人間はペットと違い、誰かの愛玩物で一生を終えることなどできません。(本当はペットの動物だって、そんな生き方はしたくないのではないかと思うのですが。)自立した社会の成員にならなければならないのです。そのためには、自分のことは自分でできる――自分の人生は自分で決断できる――人間にならなければならないのです。もちろん、他者との関係性も大事にしながら。自立した社会の成員であるためには、他者とのコミュニケーションもきちんと構築できないといけません。自分で責任の取れる範囲は、自分一人の趣味の世界だけなどと逃げ込んではいけません。人間は社会的動物なのです。他者とのコミュニケーションを切ってしまったら、社会的存在にはなれないのですから。親も子供、男も女も誰かに依存し、誰かの愛玩動物になるのはやめましょう。自立した人間同士の関係のみが、社会の基盤となるべきなのです。(2000.4.30)

<第198号:日本の雨は重いけれど……> 帰国して3週間強。ずいぶん日本の生活に馴染んでしまって、帰国当初にたくさん感じた違和感がなくなってきました。この「ロンドン便り」ももう終わりにすべき時期が近づいているようです。

 最近感じたことと言えば、雨が重いということですね。少しぐらいの雨なら傘をささないのが当たり前という感じでイギリスでは過ごしていましたが、日本の雨はそうはいきませんね。一粒一粒のしずくが大きく、ちょっと降られただけでも、かなりびしょびしょになります。やはり大気中に水分量が多いのでしょうね。そう言えば、イギリスでは、朝起きると、髪の毛が突立っているなんてことがよくありましたが、日本に帰ってからはそれはなくなりました。梅雨時がやってきたら、この湿気の多さにきっとうんざりするのでしょうが、この湿度の高さが日本人の潤いのある肌とつややかな髪、そして豊かな食を生み出していると思えば、我慢もできそうです。それにしても、少なからぬ若い人たちはなぜあんなに肌を焼き、髪の毛を茶色にするのでしょうか?そんな外見を作ることで、自分なりのアイデンティティが作れるのでしょうか?茶髪・顔黒が広まってもう何年も立つのでしょうが、私の中での違和感はいつまでもなくなりません。(2000.4.23)

<第197号:JALからの手紙> 第192号で書いたJALに対する要望に対して返事が来ました。飛行機が日本に到着したのが4月1日だったのに、1週間も経たない4月7日付けで「CS推進部サービス推進センター次長」から手紙が届きました。内容的にも私が伝えてほしいと言ったことはほぼ伝わっていました。日本航空は超大企業ですが、下からの意見を吸い上げるシステムはそれなりに機能しているようです。

 ただし、この手紙を読む限り、私が要望したような形での改善がなされるかどうかは定かではありません。というより、難しそうだなという感じがしました。手紙によれば、余分に食事を搭載できないのは、機内収納スペースの問題なのだそうです。あの日の飛行機は、エコノミークラス168名分の席がすべて埋まっており、食事は和食113、洋食46、特別食(健康食ないし宗教食)9食が用意されていたそうです。足し算すればわかるように、席数とぴったりの数です。いくらなんでも数食ぐらいは余分が用意されていたのではないかと思っていましたが、まさかぴったりとは……。特別食なんか食べたくないという人ばかりでも誰かは食べさせられていたわけです。もしも、スチュワーデスが食事をひっくり返してしまったらどうするんでしょうね?誰かは食事なしということになるのでしょうか?客室乗務員用の食事はどこにあったのでしょうか?それはもちろん別のスペースなんでしょうね。

 和食と洋食の割合は、路線ごとの過去のデータと年に数度の調査を参考にして、前日段階の予約を元に、和食は日本人の80%、外国人の20%を基準に決定したそうです。当日の機内には、圧倒的に日本人客が多かったにもかかわらず、和食6、洋食4の割合で用意したスチュワーデスが言っていたので、甘すぎる読みではないかと批判したのですが、手紙の方が事実なら、読みとしては悪くないように思います。(でも、実際に機内にいたチーフパーサーが6:4と認識していたのですから、手紙が真実かどうか疑わしい側面があります。)

 最終的には、「サービスの改善を図り、お客様に選択して頂ける航空会社を目指し努力して参ります」という具体性のない抽象的な言葉で締めくくられています。クレームをつけてから1週間もしないうちに出された手紙ですので、当然まだ何も改善策を検討していなかっただろうと思います。とりあえずクレームにはすばやく対応するというマニュアルに沿ったリアクションだったのだろうと思います。私としては、もう少し返事が遅くてなってもいいから、具体的にこう変えたという回答が欲しかったですね。JALさん、もう一度手紙をくれませんか?根本的改善のためには、やはり収納スペースの問題をクリアして、余分を出すつもりで食事を積み込むしかないと思うのですが……。(2000.4.16)

<第196号:「ソーリー日本語化推進運動」> しばらく海外で暮らして帰ってきた方ならみんな同じような経験をされているのではないかと思いますが、街で人とぶつかったときに、思わず"Sorry"と口をついて出てしまいました。関空に着いてから1週間、4〜5回は言ったと思います。でも、ぶつかった相手の人は、すべて何も言わずに通り過ぎて行きます。ああ、これが日本だったなと苦々しく思っていました。でも、昨日用があってたまたま京都に行き、花見と御所見学の客で街中がごった返し状態になっているのに巻き込まれて、1日ですっかり"Sorry"と言う習慣を失ってしまいました。だって、言っていたらきりがないんです。人と接触せずに歩けないんです。日本の歩道は狭すぎます。これが日本の現実だったんだなと思い起こさせられました。

 それでも、まあまあ広い通りで本来ぶつかるはずのないところで、ぶつかってしまった場合は、何か一言言おうと思うのですが、いつまでも"Sorry"ってわけにはいかないですよね。「すみません」がいいのでしょうか?でも、なんだかイギリスの"Sorry"より、「すみません」の方が重たいですね。こっちが「すみません」と言い、相手も「いえいえ、こちらこそ」とでも言ってくれるなら互いに気持ちがいいですが、こちらだけ「すみません」と言って相手が無視してそのまま行ってしまったら、何かこちらだけ一方的に悪いような感じになってしまい、あまり気持ちの良いものではなさそうです。ああ、こんな風に思っていたら、どんなに広い通りでぶつかっても、何も言わない日本人の私がすぐに再形成されてしまいそうです。「すみません」「いえいえ、こちらこそ」はちょっと長いので、瞬間的に口をついて出にくいかもしれないので、どうでしょう、この際、「ソーリー」をカタカナ外来語としてそのまま導入して、日本人もぶつかった場合は互いに「ソーリー」と言い合うことにしたら?「サンキュー」「グッバイ」などもう定着したカタカナ外来語もあるのですから、いけそうな気がするのですが……。みなさん、「ソーリー日本語化推進運動」を私と一緒に始めませんか?(2000.4.9)

<第195号:赤いシグナル> 帰ってきてやけに目につくのが赤い色です。電車の吊り広告――特に雑誌――の見出しにはこんなに赤い色が使われていたのかとびっくりするほどです。お店の看板、そして何と言っても街のネオンです。海外で見かける現代日本の紹介本や紹介ビデオなどで、よく都会のネオンが写っていて、「なんかどぎついなあ。日本ってこんなにネオンは多くないぞ」とひとり憤慨していましたが、今回1年ぶりに日本に帰ってみたら、本当にネオンサインが目に飛び込んできました。やはり日本はネオンが多いです。特にネオンって、赤をはじめとして原色が多いじゃないですか。ものすごく目につきます。外国人が現代日本のイメージとして、ネオンサインの輝く都会を取り上げるのも無理はないなと思いました。

 考えてみれば、イギリスには、ネオンサインはほとんどなかったような気がします。外側からライトアップしているのはたくさんありましたが、中に光源を置き、内側から光らせるというのは、ほとんどありませんでした。この違いはどこから来たのだろうと考えていたのですが、「提灯」が原点かなという気がしています。中に光源を置き光らせるというのは提灯から来た発想のような気がします。特に日本の飲み屋と言えば、今でも「赤提灯」で代表されるぐらいですから、赤いネオンサインが盛り場の象徴になったのは、当然だったと言えそうです。この推測が当たっているかどうかはともかく、ネオンサインは日本の街並みにあまり好ましい印象を与えていないと私は思っています。(2000.4.6)

<第194号:昼食に悩まぬ幸せ> ロンドンでは、お昼に安くおいしく食べられるものがほとんどなく、そのことをずっと嘆いていましたが、日本に帰ってきてしみじみ幸せだなと思うのは、昼食にちょうどいいB級グルメが充実していることです。600円も出したら、いろいろなものが食べられるじゃないですか。頭の中で、「1ポンド200円とすると3ポンドか、安いなあ」と計算して、感動しています。最寄り駅から大学までの6〜7分の道のりの間に、ラーメンあり、牛丼あり、うどんあり、カレーありと、実に多様な選択肢が並んでいます。高級な和食より、こういうB級グルメに飢えていたので、本当に幸せです。大学へ通うたびに、「今日はどれにしようかな」と楽しんでいます。(2000.4.6)

<第193号:便利なもの、不便なもの> 1年間日本を離れていたことによって、以前は当たり前のように日本で使っていたものが、ものすごく便利に感じたり、不便に感じたりしています。便利だなと痛感した第一のものは、宅急便ですね。翌日の指定の時間に大きな荷物をしっかり運んできてくれるなんて、"Unbelievable!"という感じです。便利だなと思った二番目がジャンボ・タクシーです。イギリスでは、特別に呼べば来てくれますが、駅前にこんなものが待っていたりはしませんので、うちは荷物が多いときはタクシーを2台利用することもしばしばでした。普通のタクシーの2割増し程度で、こんな車に乗れるなんて、本当に便利だと思いました。

 他方不便なものの筆頭は、自動券売機です。自分で行き先の駅までの値段を調べ、小銭と紙幣を何回も入れて買うというのは、実に不便です。一人分ならたいしたこともありませんが、うちは大人2人に子供3人です。面倒で仕方がありません。ロンドンでは、窓口で"Family Travel Card, please. Two adults and three children."というだけで、5枚の券をぱっと渡してくれましたので、その違いは実に大きいです。自動券売機も機械自体に行き先の駅名がアルファベット順で並んでおり、その駅名のボタンを押せば運賃が表示される方式になっていたので、「○○駅まではいくらだ?」といちいち悩まずに済みました。もうひとつ不便だと強く思うのが、外税型徴収方式の消費税です。値段を見て、財布からぴったりのお金を用意して買おうとすると、消費税が乗せられた中途半端な額を言われ、あわてて不足分をまた探すなんてことをもう何度もやっています。イギリスは、内税方式なので、こうした不便さは全くありませんでした。今さら、消費税廃棄を唱えても無理でしょうが、せめて食料品をはじめとする日常品の無税化――代わりに贅沢品、嗜好品の物品税は10%以上にしても構いませんので――と、内税型徴収方式に変えてほしいものだと思っています。(2000.4.4)

<第192号:JALの機内にて> 第190号で「飛行機での旅立ちはあまりロマンティックではない」と書きましたが、実際どうだったかご報告しておきましょう。やはり、飛行機に乗り込むまでは、全く「ロマンティック」とはほど遠い状態でした。家族5人で持てるだけの手荷物を持って乗り込んだのですが、手荷物検査の列がまるでディズニーランドの人気アトラクション状態で、私たちの順番が来るまでに40分ぐらい並ばなければならなかったので、しんどくて、しんどくて……。しかし、機内で落ち着いてからは、徐々にこの1年の思い出が走馬燈のように蘇り、飛行機が滑走路に向かって動き始めた頃には、もうだめでした。思いきり感極まっていました。心の中でしっかり"Good Bye, London!"と言っておきました。

 離陸し、ロンドンの街の灯も見えなくなってしまうと、気分はすっかり入れ替わり、「さあ、日本だ。まずは機内で和食を食べ、日本の音楽を聴き、映画を見るぞ」と、すっかり帰国する観光旅行客のような気持ちになっていました。しかし、この後にちょっとした事件が生じ、映画も和食も吹っ飛んでしまいました。何が起きたのかというと、要するに和食が不足して意に添わない洋食を食べさせられた乗客が十数人出たのです。和食と洋食のセレクション方式を採用している日航機では、和食と洋食のいずれかが不足し、意に添わない食事をさせられるという事態はしばしば生じます。行きの飛行機では、洋食が不足し、私たちの隣に座っていた白人女性は、「和食ならいらない」と言って食事をせずにいました。本当によく見かける光景です。スチュワーデスさんが「すみません」と謝りながら、納得の行かない顔をしている乗客に食事を手渡すという光景は。しかし、この飛行機のスチュワーデスさんにとって――というより日本航空にとってと言うべきだと思いますが――不幸だったのは、その意に添わない食事をすることを求められた乗客の中に私が入ってしまったことでした。

 一般的に日本人は、こういう事態が生じた時、ぶつぶつ言いながらもあきらめます。実際この日も食事のサーブが最後になった私たち家族を除いては、皆しぶしぶ洋食を受け取りました。しかし、私は抗議しました。「おかしいではないか。なぜ平等のサービスが受けられないのか」と。1年間のイギリス暮らしで、洋食は食べ飽きています。飛行機に乗ったときにすぐにメニューを見て、「ああ、今日はこんな和食が出るんだ。おいしそうだね。楽しみだね」と期待感を高めていたので、「和食はなくなってしまいました。洋食でもいいですか?」と言われても、素直に「いいですよ」なんて言える気分ではありませんでした。大体配り方も一貫性がなく、私たちとは別の通路からサービスを受けていた隣の席の人たちは、30分ほど前から和食をおいしそうに食べていたのです。社会学の重要概念のひとつに「相対的剥奪感」というのがありますが、まさにそれです。本来差がないはずの隣席との間で、こんなに差がつくと不満感は非常に高まります。納得のいかない私は、あくまでも和食を要求しました。当然スチュワーデスさんは困っていましたが、ビジネスクラスの方にチェックに行き、3つだけ和食を持ってきました。取りあえず、それでその場は妥協しましたが、斜め前に座っていたおばさん――この人もしぶしぶ洋食を受け取った人の1人です――が、「怒って良かったわねえ」という言葉を吐いた瞬間、私はこの事態はもっときちんと処理させるべきだと強く思いました。単に個人的な問題解決を求めたと思われるのは、しゃくでしょうがありません。これは、システムの不備の問題なのです。きちんと日本航空に抗議させてもらおうと心に決めました。食事が済んでから――と言っても、あまりにサーブが遅かったので、子供たちは眠くなってしまい、ほとんど食べられませんでした――、早速チーフ・パーサーを呼んでもらい、話をすることにしました。私の主張は、以下のようなものです。

 今や航空産業はサービス業であり、機内で受けられるサービスのもっとも重要なもののひとつが食事である。それゆえ、その食事で乗客に不満を感じさせるというのは、もっとも基本的なサービスができていないということを意味する。この日の食事は、和食、洋食を6対4の比率でほぼ座席分だけ用意したという話だが、それはあまりにコスト削減のみを考慮しすぎた判断である。セレクト方式を採用する限り、50食や100食は余ってもいいというつもりで用意しなければ、満足のいくサービスはできない。コスト削減のつけを乗客に回すのは、全く間違った発想である。日本へ帰る便で日航を選ぶ乗客の多くが、日本的なるものを期待している。特にこの日は3月31日で、長年のイギリス暮らしから久しぶりに日本に帰る人も多いことは、容易に予測のつくことである。にもかかわらず、6対4の比率で座席分だけしか用意しなかったというのは、あまりにも甘い予測である。データをもっと緻密に分析する必要がある。実際、スチュワーデスが「すみません」と謝る場面はよく見かけるが、その後そうした不満を与えた乗客から意見を聴くことはもちろん、一体そういう人が何人いたのかを調べているのすら見かけたことがない。とりあえず、スチュワーデスが謝ってその場をしのげればそれでいいと日航という企業は考えているのではないか。そういう姿勢でいる限り、今回のような事態はこれからも何度も繰り返されることは間違いない。スチュワーデスが現場で処理できることには限界がある。今回のケースも絶対数が足りないのだから、根本的な解決はできない問題である。こうした現場での問題点が決定権を持つ上層部まできちんと伝えられ、改善が図られなければならないはずだ。今回のことも、このままここで「すみませんでした」で終わりにされたくはない。それゆえ、こうした意見がちゃんと上層部まで届き考慮されるかどうかを確認したいので、5月末日までに責任ある立場の人から返事がほしい。もしも、誠意ある返事が2カ月以内に戻ってくれば、日航という企業もまだまだ捨てたものではないだろうが、2カ月経っても何の音沙汰もないようであれば、いつの日か必ず日航も拓銀や山一のような日を迎えるに違いない。

 とまあ、以上のような主張でした。スチュワーデスとしてのキャリアが20年以上というチーフ・パーサーは、とりあえずその場ではよく理解してくれました。さあ、これから5月末までに返事が届くかどうか楽しみに待ってみたいと思います。

 これを読んで、私のことをなんかものすごい「文句言い」みたいに思われれた人もいるかもしれませんが、私は論理的に考えて正統性のあることはきちんと主張すべきだと思っています。そうでなければ、システムの不備はいつまでたっても直りません。よりよいシステムを作り上げるためには、声を上げなければいけないと思います。ちなみに、もしも私たち家族が和食を食べていたら、私がこういう抗議行動を取ったかと聞かれれば、答えは"No"でしょう。実際、行きの飛行機では、隣で洋食を食べられなかった白人女性を見ながら、彼女のためになんの行動を起こさなかったのですから。「それじゃ、私憤にすぎないのではないですか」と疑問をもつ人もあるでしょう。でも、「私憤から公憤へ」という言葉もあります。他人の痛みを推量して抗議するより、自分の痛みをベースにした方が説得力があります。そもそも、世の中にはおかしなことが山のようにありますので、そのすべてに他人の代わりに怒っていたら、きりがありません。私は原則的に自分に火の粉が降りかかったときだけ、行動を起こすことにしています。「愛他主義」の人間ではないようです。でも、それぞれの人が自覚し、私と同様に自分に火の粉が降りかかったときには行動を起こせば、「愛他主義的」行動なんかなくとも、システムは改善されていくはずなのですが……。(2000.4.4)

<第191号:生活感覚差ボケ> ついに日本に帰ってきてしまいました。なのに、性懲りもなく「ロンドン便り(番外編)」などというページを作ってしまいました。「しつこい。どこまで引っ張るんだ。もうロンドンから発信していないじゃないか」とお叱りを受けそうですが、あえてもうしばらく「番外編・ロンドン便り」を続けさせてもらいます。というのは、こちらに1年ぶりに戻ってきたら、実に多くのことに違和感や不思議な感覚を持ったからです。例えば、いろいろなもののサイズが小さいと強く感じています。トイレの便座などこんなに低かったなんて信じられないほどです。最初に座ったとき、いつも落ち着く当たりに何もないのでそのまま後ろにひっくり返りそうになってしまいました。キッチンのシンクも天井もみんな低すぎるという印象が今はあります。スーパーに買い物に行っても、「きゅうりが小さい、なすが小さい」といちいちびっくりしています。(イギリスのきゅうりやなすはものすごく大きいのです。)

 1年という時間はやはりそれなりの長さだったようです。特に、家族と一緒に定住者的生活を送っていましたから、ロンドンの生活感覚が思っていた以上に体にしみついていました。たった1年だから違和感なんか感じないだろうとたかをくくっていましたが、意外なほど違和感――というか、「あれ?」ってずれ――を感じています。たぶん、これは「時差ボケ」と同じようなもので、しばらくたったらなくなるでしょう。「生活感覚差ボケ」とでも名づけておくのがいいのだろうと思います。このずれ感覚が完全になくなったら、この「ロンドン便り(番外編)」を終わりにします。逆に言えば、そこまで書かないと、この1年間の「ロンドン便り」が画龍点晴を欠くことに――あるいは「尻切れトンボ」に――なってしまうような気がします。どうぞ、もうしばらくお付き合い下さい。そして、どのくらいの期間で私がすっかり日本感覚に戻ってしまい、「ロンドン便り」を書かなくなるのか、好奇心を持って見ていていただければと思います。(今日からもう仕事なので、すぐに現実に引き戻らされ、書かなくなる可能性も高いのですが……。)(2000.4.3)