ロンドン便り PART4(第151号〜第190号)

 

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  目次(興味のあるテーマをクリックして下さい。)

<第190号:さらば、わが街ロンドン>(2000.3.31)

<第189号:表札がない――街区方式と道路方式――>(2000.3.26)

<第188号:今日は23時間、今週は6日と15時間>(2000.3.26)

<第187号:オックスフォードとケンブリッジ>(2000.3.25)

<第186号:旅の記憶>(2000.3.23)

<第185号:ジュビリー2000>(2000.3.23)

<第184号:A CHI CHI A CHI>(2000.3.20)

<第183号:人類バーガロイド計画>(2000.3.18)

<第182号:ある日、King's Crossで>(2000.3.17)

<第181号:牧野義雄という画家を知っていますか?>(2000.3.16)

<第180号:根強いステレオタイプ>(2000.3.14)

<第179号:マークス寿子氏との議論>(2000.3.14)

<第178号:情報革命は何を生むのだろうか?>(2000.3.13)

<第177号:時間よ、止まれ!>(2000.3.12)

<第176号:やっぱり行くんじゃなかった……>(2000.3.11)

<第175号:大ロンドン市長選挙>(2000.3.11)

<第174号:イングランド国旗なんて知らないよ>(2000.3.11)

<第173号:イギリス人は花粉症にはかからないのかな?>(2000.3.11)

<第172号:"Small Change, Please"と"Big Issue">(2000.3.10)(追記:2000.3.13)

<第171号:"National No Laughing Day">(2000.3.10)

<第170号:ミレニアム・ドーム探訪記>(2000.3.9)

<第169号:動物愛護、子供の権利、ゲイ容認>(2000.3.4)

<第168号:よい医者とは――シップマン事件に思う――>(2000.3.4)

<第167号:イギリスにおける中国の遺産>(2000.3.3)

<第166号:PubとBeer>(2000.3.2)

<第165号:ASローマの中田を観戦>(2000.3.2)

<第164号:スクエアがいい>(2000.3.1)

<第163号:ロンドンの桜>(2000.3.1)

<第162号:お弁当袋強盗>(2000.2.22)

<第161号:チップにご注意>(2000.2.22)

<第160号:Stanstead空港>(2000.2.18)

<第159号:趣味じゃない>(2000.2.15)

<第158号:"Saint Valentine Day">(2000.2.14)

<第157号:性の露出>(2000.2.11)

<第156号:大英博物館の入館無料はいつまで続くか>(2000.2.11)

<第155号:日が長くなってきました>(2000.2.11)

<第154号:セルビア人の運転手さん>(2000.2.11)

<第153号:マグリットと白ビールとチョコレート>(2000.2.10)

<第152号:Britainはどこに行くのか?>(2000.2.4)

<第151号:重量表示の変更>(2000.2.3)

<第190号:さらば、わが街ロンドン> 3月31日です。いよいよ今晩1年暮らしたロンドンを旅立ちます。「さらば、わが街ロンドン」なんて、思いきり「ださい」感傷的なタイトルですが、いいんです。最終号はこのタイトルにしようとずっと前から決めていたんですから。どうせ正攻法しか攻め手のない人間です。そんなにひねりは効かせられません。まあとにもかくにも、これが最終号です。わずか1年間でしたが、自分でも最初に思っていた以上にたくさん書いたので、全部読まれた方はそう多くないかもしれませんが、全部読んでくださった方も、一部読んでくださった方も、ご愛読ありがとうございました。

 さて、これでおしまいって言うんじゃ、1号分に値しないですよね。もう少しちゃんと書かないと、「片桐新自のロンドン便り」らしくないですよね。で、今号の本当のテーマは、「飛行機って感傷的になりにくい」です。前々から思っていたのですが、空港の別れって、ロマンティックになりにくいですよね。まず、航空会社のカウンターに行って、荷物を預け座席を決定し、出発の1時間くらい前には見送りに来た人たちと別れてしまいます。でも、機内に入るまでには、まだ時間があるので、暇つぶしに免税ショップで買い物をしたりしていると、ついさっきまでの感傷的な気分がふっとんでしまい、すぐ現実に引き戻されます。その点、列車の別れはロマンティックですよね。昔なら、窓越しに手を握り、汽車が走りはじめると、残された者も一緒に小走りになり、5本の指でつながっていた手と手が4本になり、3本、2本、1本となってついには離れてしまう……。うーん、ロマンティックですね。いいですね。最近でも、日曜日夜の新幹線ホームでは、発車のベルが鳴るまで、ドアのそばで別れを惜しむカップルをよくみかけます。新幹線が走りはじめても、姿が見える間は手を振り続けているその姿に、愛を感じるのは私だけではないでしょう。その場所を離れるぎりぎりまで一緒にいられるというのが、いいのでしょうね。そして、出発の際の列車のスピードの上がり方がいいんですよね。突然時速200kmで走りはじめたら、余韻を感じる暇もありませんが、徐々にですからね。徐々にスピードが上がり、生木を引き裂くように2人を引き裂いていくんです。飛行機じゃ、こうはいきません。窓越しも、小走りも、ドアの閉まる直前のキスも、何にもできないですからね。(そうは言っても、実は新幹線の別れでも、別れた後、すぐに幕の内弁当を食べ始める人や、ガラス越しの姿が見えなくなったと思ったら、途端に時計を見てそそくさと出口に向かう人など、実際にはいろいろな人がいますが……。)

 こんなビジネスライクな飛行機での帰国ですが、それでも「感傷的になりたがり屋」である私は、きっと何か胸にこみ上げてくるのものがあるのではないかと思っているのですが……。果たしてどうなるでしょうか。すばらしい思い出をくれたロンドンに"Good Bye!"と、必ずどこかで言おうと思っています。(2000.3.31)

追伸:出発当日までこんなものを書いて何と優雅な生活だろうと思われるかもしれませんが、優雅な白鳥も水面下では足をバタバタさせているように、実は私も、最近はかなりしんどい毎日を送っています。「ロンドン便り」を書くのは楽しみではあるのですが、いつからか半分は仕事のような気がしていて、最後はきちんと締めないといけないだろうという強迫観念に捕らわれていました。今号を書き上げ、漸くほっとしました。これから、また掃除に戻ります。明朝にはインベントリー・チェック――借りていた家を出るにあたって、壊されたところがないかどうかを大家あるいは管理を任されている不動産屋がチェックすることを言います――があります。今晩果たして寝られるかどうか……。(2000.3.31)

<第189号:表札がない――街区方式と道路方式――> 日本の家には必ずある表札がこちらにはありません。これは、住居表示が日本のような街区方式――街区に名前をつけ、その中を区割りして番号を付す方式――と違って、道路方式――道路に名前をつけ、道路の両側の家屋に番号を付す方式――であるため、道路名と家屋の番号さえわかれば、どこの家か認識できるようになっているためです。でも、表札がないため、住居表示さえあっていれば、どんな手紙も届いてしまいます。それゆえ、うちには前に住んでいた方やその前に住んでいた方宛てのダイレクト・メールが時々放り込まれます。私たちが帰った後にも、私たち宛のダイレクト・メールが放り込まれ続けるんだろうなと思います。

 でも、この道路方式の住居表示法の方が世界的には一般的なようです。少なくとも欧米諸国やかつて欧米諸国が植民地化していた国では、この住居表示法を採っている所が多いと聞いています。考えてみれば、こちらの方が便利だし、プライバシーも守れるように思います。道路名がすべて出ている"A to Z"という地図さえ持っていたら、住所がわかっているところにはどこにでも簡単に行けます。他方、日本のような街区方式だと目指す家がなかなか見つからず苦労するなんてことがしばしば起こります。すべての道路に名前がついているので、愛着も持ちやすいですし、私は日本もこの方法にしておけば良かったのにと残念に思っています。(京都の住居表示は道路方式に近いですが、あれは長すぎる上に、「上ル」とか「東入ル」といったあいまいな表示なので、最終的には表札がなければ目的の家は見つけられないという難点があります。)

 ただ、この道路方式の場合、行政区域はかなり入り組んでいるように思います。日本のような街区方式の場合は、基本的には道路や川、あるいは山の尾根などを境に行政区域が設定できるわけですが、こちらは道路の両側の家は同じ道路の番地違いの家ということになりますから、道路で区域を切ることはできません。結果として、背中合わせで隣接している家と家との境界が行政区域上の境界になることになります。うちのあたりも行政区域的には、WembleyとHarrowの境界に近いところに位置していますので、すぐお隣のように思っていたところが、異なる行政区域になっていたりします。正直に言うと、どこが境になっているのか未だによくわかっていません。結局よくわからないままここを立つことになりそうです。(2000.3.26)

<第188号:今日は23時間、今週は6日と15時間> 今朝午前1時に再びサマータイムに突入しました。午前1時になった途端、2時になりました。空白の1時間です。だから今日は23時間しかありません。昨年10月末にサマータイムが終わったとき(第90号参照)には、実はロンドンとは1時間時差のあるパリにいたので、なんだかサマータイムの終了が感覚としてはっきりつかめませんでした。パリに着いて1時間時計の針を進めたのを、すぐ次の日にはまた1時間戻し、ロンドンに帰ったときにさらに1時間戻すなんてことをしていたので、何が何やらよくわからない状態でした。今回は、引っ越し作業でずっと家にいましたので、この1時間のずれをどう感じるかと楽しみにしていましたが、全然どうってことありませんね。寝る前にもうサマータイムに入っていたので、時計を合わせて寝たのですが、朝起きたらすぐにしっかりサマータイムに合わせた生活になってしまいました。(目を覚ましたら、まず時計を見る習慣がありますので。)8時くらいに目が覚めたので、「昨日までならまだ7時だ。起きるには早い」と思い込もうとしましたが、うまく行きません。ごろごろしていたら、すぐ9時近くなったので気になって結局起きてしまいました。しみじみ、私は時計に支配されている人間だなと思いました。もしも時計が一切ない生活だったら、感覚が全然違うだろうと思います。時計を持たずに出かける人って結構いるようですが、私はだめですね。時計を忘れて出かけると不安でしょうがありません。近代人の悪弊なのかもしれませんが……。

 それにしても今週は末に日本に帰りますので、ここでも時間調整が必要になってきます。8時間の時差がありますから、結局今週はトータルで6日と15時間しか私には時間がないことになります。不思議な感じです。さすがに日本に帰ったら、サマータイムのようにはすぐに適応できず、時差ボケをすることでしょう。でも、これまであまり本格的な時差ボケを経験したことがないので、結構密かに楽しみにしていたりもします。(2000.3.26)

<第187号:オックスフォードとケンブリッジ> つい今し方、かの有名なオックスフォード大学とケンブリッジ大学の対抗ボートレースが終わりました。今年は、オックスフォード大学が勝ちました。わずか18分間ぐらいのレースでしたが、漕ぎに漕ぎ続けライバルに勝った勝利の味は格別なようで、オックスフォード大学のクルーたちは、体中から喜びをあふれさせていました。他方、負けたケンブリッジ大学の方は、まさに意気消沈という感じでした。私はたいした理由もなかったのですが、ケンブリッジ大学を応援しながら見ていたので、ちょっと残念でした。

 オックスフォードとケンブリッジはともに大学町として有名です。どちらの町にも足を運びましたが、いずれもさすがにすばらしい雰囲気です。歴史のある重厚な建物がそこここに立ち、散策しているだけで身が引き締まるような気持ちがします。(ただし、繁華街は賑わいすぎていてだめですが。)やはりこの雰囲気がオックスブリッジ(オックスフォードとケンブリッジを合わせた言い方です)にある限り、ロンドンの大学は追いつけそうもありません。オックスブリッジの卒業生がメンバーになっているクラブがセント・ジェームズ宮殿の近くにあり、一度だけメンバーの方に連れていってもらいましたが、ここもすごい所でした。部屋が大きく天井が高い程度のことはイギリスではたいしたことではないのですが、ネクタイ、ジャケットをいつでも着用していること(暑くても脱いではいけないそうです)、声高に議論をしてはいけないこと、案内標識は一切なく、たとえオックスブリッジの卒業生でも、最初は知っている人に連れてきてもらわなければ、用も足せないようになっているという具合です。いわゆる「紳士クラブ」とは皆こんなものなのかもしれませんが、私などは肩が凝ってとうてい「紳士」の仲間入りはできないなと思いました。

 それにしても、ライバル同士の闘いというのは見ていて盛り上がりますね。日本でも、早慶戦などはそれなりに注目されていますよね。大学だけでなく、かつての巨人・阪神戦とか柏鵬(昭和30年代後半から40年代前半の相撲界を盛り上げた柏戸と大鵬という横綱ですが、知っていますか?)など、スポーツにはライバル物語がたくさんあります。でも、本当に高いレベルで力が拮抗していて甲乙つけがたいライバルとして素晴らしい勝負を繰り広げてきたというケースは少ないような気もします。実際は一方が圧倒的に強いのに、大衆の関心を引きつけるためにマス・メディアがあえてライバルを作り出すことも多いように思います。比較あるいは対照というのは、もっとも容易な評価方法です。それゆえ、スポーツの世界だけでなく、社会の様々な局面で「ライバルの争い」といった盛り上げ方がなされています。このわかりやすさは大衆に受けるので、今後も「ライバル」の設定は行われ続けていくことでしょう。

 そんな風に安易に作り出されたライバル関係が多い中で、オックスフォード対ケンブリッジは、付け焼き刃でできたようなライバル関係ではなく、長い年月をかけてできあがったライバル関係として、これからも注目されていくことでしょう。ただし、単に歴史の長さだけでこのライバル関係が維持されているのではなく、紳士クラブやボートレースに端的に表れているように、オックスブリッジ以外の他大学を完全に排除した排他的やり方を取ることによって、この2校だけが特別の輝きを維持し続ける仕組みが作られていることも忘れてはなりません。日本でも、2校ではありませんが、東京6大学野球や関西学生野球連盟が東大や京大といった弱小チームを抱え込みながら、入れ替え制度を採用せずにいるのも、やはりこの排他性により生み出される付加価値を期待しているからなのです。(2000.3.25)

<第186号:旅の記憶> 1年間定住者のように暮らしてきましたが、帰国が近づきこの1年を振り返ってみると、やはり長い旅をしていたのかなという気もします。思い出は山のようにあります。それらの思い出は今は鮮明な記憶として、私の脳裏に刻まれています。しかし、年月が経てば、記憶は徐々に薄れて行くものです。そんな時、記憶を蘇らせてくれるのが、日記であり、写真であり、みやげものなのです。だから、人は旅に出たら、日記をつけ、写真を撮り、みやげものを買うのです。私も例外ではありません。典型的「3日坊主」だった私が生まれてはじめて1年間日記を書き続けてきました。写真や絵はがきもアルバムにきちんと整理しましたし、いろいろな所で買ってきたガイドブックやかわいいみやげものも大切にとってあります。帰ってもすぐには見ないかもしれませんが、しばらく経ってから見たら、きっと様々な思い出が蘇るだろうと楽しみにしています。

 しかし、同じように写真を撮ったり買い物をしたりしているように見えても、主観的意味合いがかなり違うタイプの人たちもいます。写真には自分が写りたい、安っぽいおみやげは買わずブランド商品を買うというタイプの人です。これは私のような「記録型旅人」とは異なるタイプです。自分が被写体として入っている写真の光景は、決して自分の記憶にはない第3者の視点から見た映像です。擬似的には、こうした写真でも自分の記憶を強化することはできますが、たぶん被写体として写りたがる人は、その写真を自分の記憶の強化のために必要としているのではなく、人に見せることを暗黙の前提にしているように思います。「ねえ見て。ほらここも行ったのよ。」

 珍しい所に行ったときにその場所のみで買える思い出になるような品物を買うのは、記憶強化型行動だと思いますが、外国だ、免税だ、という理由で、高級ブランド品を買いあさるのは、記憶強化型行動とは全く異なる志向性の購買行動です。高級品を身につける自分を想像して自己陶酔に浸れるようなタイプがなしうる行動です。写真に写りたがる人もブランド品を買いたがる人もともに自己顕示欲の強い人なので、両方の行動を取るという人は非常に多いと思います。えてして、こういう人は基本的に他人に見せることのできない日記などはつけないものです。他人に顕示できない旅の記憶より他人に顕示できる物的証拠を重要視しているタイプです。記憶より証拠というところでしょうか。(2000.3.23)

<第185号:ジュビリー2000> 「ジュビリー2000」という国際的なNGO団体(本部・ロンドン)があります。2000年までに貧しい国が豊かな国から借りた債務を帳消しにしようというキャンペーンを展開しています。もっとも多くの債権を持つ国で、今年のサミットの議長国でもある日本はこのキャンペーンの最大のターゲットとなっていますので、日本のニュースでも取り上げられているのではないかと思います。

 昨晩、このジュビリー2000の公開セミナー"Unfinished Business: Japan, Okinawa Summit and Debt Cancellation"(「未完成のビジネス:日本、沖縄サミット、借金帳消し」)が上院の1室を借りて行われました。60〜70名も集まっていたでしょうか。そう大きな部屋ではなかったので、立ち見が出るほどの盛況でした。様々な国の大使館関係者も来ていましたし、日本人も結構来ていました。司会はジョフィ卿、パネラーはジュビリー2000のイギリス代表、日本代表、それに日本大使館、イギリス外務省からそれぞれ1人の計4人でした。当然のことながら、ジュビリー2000の関係者の舌鋒は鋭く、如何に日本が豊かで、貧しい国に貸したお金を棒引きにしたとしても、日本経済に悪影響を与えることなど全くないかということを強調していました。イギリス外務省から来ていた女性は、「今日のターゲットは日本なのだから、あまり余計なことは言わない方がいいだろう」という姿勢で無難に話をしていました。日本大使館から来た参事官は、それなりに日本の方針をきちんと話していました。

 日本は41の重債務最貧国に合わせて105億ドル(約1兆1000億円)の債権を持っているそうです。昨年のケルン・サミットの時の合意に基づき、まず約4000億円分の放棄を約束しました。しかし、ジュビリー2000はこの程度では満足しません。100%の帳消しを求めています。「全額帳消しにしたって、日本政府が金融機関の救済のために支出する60億円のわずか1/50にすぎないではないか」というのが、彼らの主張です。さらに、ジュビリー2000は、41の最貧国だけでなく、フィリピン、バングラデシュ、ナイジェリア、ペルーなど11カ国の債務(209億ドル)も帳消しにすべきだと主張しています。

 確かに債務帳消しはできなくはないのでしょうし、モザンビークのような思いもかけない大災害にあった国の分は即刻帳消しにするべきだと思いますが、ジュビリー2000が要求するすべての貧しい国に関して債務を帳消しにすべきかどうかは、やや疑問が残ります。当事国同士の話し合いでよりよい方法を考えたい、場合によっては債務を棒引きにするよりもそれぞれの国が自主的に経済を立て直していけるよう支援するという日本の立場がそれほど非難されるべきものとは思えません。そもそも、債務を帳消しにしたら、経済が良くなるのでしょうか?確かに返済分はお金が浮くことになりますが、それが経済浮揚につながる可能性はどれほどあるのでしょうか?もっと各国の構造的な問題を解決しないと、また同じことの繰り返しになるのではないでしょうか?

 元をただせば、貸したお金はわれわれ日本人の納めた税金です。私は前々から日本はODA援助とかしすぎではないかと思っていましたが、こうなってみると「だから、やめておけば良かったのに」と言いたい気分です。(もちろん、日本の少なからぬODA援助はひも付きのようなもので、日本の企業がかなり潤う仕組みになっていたことは知っていますが。)特にたくさん貸してあげたために、その分だけ今はまるであくどい金貸しのようなイメージすら流布されているのは納得がいきません。今回のような債務帳消しは1度だけとジュビリー2000は言っていますが、1度あったことは、2度目も3度目もあると不安をもつのは当然でしょう。無理に債務を帳消しにされるなら、日本政府は今後は援助金を出すのに2の足を踏むことになるでしょう。

 他にもいろいろ不満はあります。現在最貧国と呼ばれるような国が、貧しくなってしまったのは、そもそも誰のせいなのかということもきちんと考えてみなければならないと思います。日本にお金を借りその返済をしなければならなくなったから貧しくなったのでしょうか?違います。もっと以前に自給自足的にそれなりに幸せに暮らしていた人々の生活を無理矢理に西洋化し、植民地化し、貴重な資源を奪い取っていったヨーロッパ諸国のせいではないのでしょうか?そうしたロング・タームでの過去を無視して、この4半世紀だけで金を貸した国があくどすぎるのだなどと批判するのはフェアではないと思います。それに、どうして日本から遠く離れたイギリスで、英語を使って日本に対する厳しい要望が出されなければいけないのか素朴な疑問も残りました。私もこの「ロンドン便り」にはこんなことを書いていますが、もちろん当日のセミナーでは何も言えなかったわけです。(私だけでなく、パネラー以外の日本人でしゃべった人はいませんでした。)同じ内容がせめて日本語で語られるなら、日本人たちももっと思いのたけを述べられただろうにと感じました。今や英語は世界の共通語に近づいているのでしょうが、日本に対する要望――今回の要望ははっきり言って「お願い」です――ぐらい日本語でしてもらいたいものだとしみじみ思いました。(2000.3.23)

<第184号:A CHI CHI A CHI> うちもそうですが、3月のロンドンは帰国ラッシュです。ご近所でも日本に帰られるお宅が何軒もあります。うちなどは、たった1年しか住んでいないし、代々日本人が借りてきた家に住んできましたので、帰国と言っても、それほど整理しなければならない物はありません。しかし、3年、5年とこちらで暮らされたお宅は、まだ十分使えるけれど日本に持って帰っては使えないような物が少なからずあり、この時期はこちらの情報誌などに「帰国売り」と銘打った情報がたくさん出ます。車、ピアノ、コンピュータ、TV、炊飯器等々、実に様々な物が売りに出されています。売れそうな物はいいのですが、捨てるには惜しいが売れそうもない物は、知人に譲ったりして帰国します。うちも帰国するのですが、先日妻が先に帰国することになった知人から、「1999年紅白歌合戦」を録画したテープを譲り受けてきました。こちらでは、JSTVという衛星放送でNHKを中心とした日本の番組を見ることができるのですが、有料だし、そんなものを見られたら、そればかり見てしまうことになるに違いないと思い、うちは加入してきませんでした。それゆえ、日本の歌番組など本当に約1年ぶりに見ることになり、今頃になって「紅白歌合戦」を見て、家族ではまっています。

 いやあ、日本の歌番組って、何か特有のものがありますね。最初に見たときは、家族全員がものすごく違和感を感じました。1曲目が「モーニング娘」の「Love Machine」だったじゃないですか。昨年非常に流行った歌だと聞いていたのですが、「何だ、これは?この曲のどこがいいんだ?」という感じでした。(男性軍のトップの「Da Pamp」(合っているでしょうか?)に至っては、とても日本語で歌っているとは思えませんでした。)ところが不思議なもので、何回か聞いていると、「Love Machineって、ノリのいい曲だね。女の子たち、元気だね。おもしろいね。もう1回巻き戻してみよう」ってことになって、結局この歌は何回も聞いてしまい、「うーん、これはやっぱり当たるな」って所に行き着いてしまいました。「つんく」のテクニックにひっかかったと言うべきか、我々の中にあった日本人的嗜好性が復活したと言うべきかわかりませんが、しっかりはまってしまいました。

 うちでもっとも受けたのは、郷ひろみの「ゴールドフィンガー'99」です。これも昨年評判だったんですよね。わたしは知らなかったのですが、こちらでもこの曲は流行っていたそうです。でも、振りは全く違うようです。「A CHI CHI A CHI」の振りをみんなで練習して、大笑いしていました。それにしても、彼、若いですね。私と同じ歳なんですが……。見た目は勝負になりませんから、せめて精神年齢は私も負けないように若くいたいものだと思っています。娘たちも、郷ひろみがかっこいいと言って、一所懸命歌と振りを練習していました。でも、うちの娘たちが一番うまく歌えていたのは、中村美津子の「河内音頭」でした。「やった!こぶしがうまく回った!」なんて楽しんでいました。(ちなみに、中村美津子のかんざしがまるでミレニアム・ドームから突き出た支柱のようだったので、子供たちは「ミレニアム・ドームおばさん」と呼んでいました。)

 1年ぶりに見る歌番組は妙に新鮮で不思議な感じでした。「日本に帰ったら、カラオケボックスに行こうか」なんて話しています。(2000.3.20)

<第183号:人類バーガロイド計画> 先日、レスター・スクエアのバーガー・キングの2階で昼食を取っていたら――まだ行っているんですか?よくあきませんねと言われそうですが、本当はあきあきしています。でも、お店の人の目を気にせずに好きなだけ席を確保できるというのが魅力で、ついつい利用してしまいます――、若い女性が入ってきて何かパンフレットを配り始めました。もらったパンフレットの表紙には、"The Burgeroid Master Plan"というタイトルがついており、体は発泡スチロールのカップ、腕はフライドポテトとフライ返し、頭はハンバーガーにコーラの缶が2本耳のようについた一つ目の「バーガロイド」たちが血を滴らせているというイラストが描かれていました。非常にインパクトのある表紙だったものですから、受け取った客の多くが興味深げにパンフレットを見はじめました。もちろん、これはバーガーキングの宣伝などではなく、アニマル・エイドという動物愛護団体の"Living Without Cruelty 2000"というイベントのキャンペーンでした。当然バーガーキングとしては、こんなものを店内で勝手に配られては困るわけで、すぐに人がやってきて、「やめなさい。出て行ってください」と注意しました。しかし、力ずくで追い出そうとはしなかった――これは実に紳士的な態度で感心しました――ので、アニマル・エイドの女性はすべての客にパンフレットを渡してから、おもむろに出ていきました。外を見ると、パンフレットに描かれていた3体の「バーガロイド」たちが実際に来ていました。

 こんな興味深いイベントを見逃す手はありません。ということで、早速このイベントを見に行ってきました。会場には、多数の動物愛護団体を中心に様々な団体がブースを作り、それぞれ動物虐待に抗議する署名運動をしたり、ベジタリアンへの転向を説き、動物たちを材料にしない製品(例をあげれば、人工皮革の靴や卵の入っていないマヨネーズなど)の販売を行っていました。もちろん、日本の捕鯨に抗議する展示もありましたが、わりあいマイナーな扱いでした。メインは、動物実験への抗議や絶滅のおそれのある動物たちを救おう、ベジタリアンになろうといった展示でした。予想していたほど過激ではなく、穏やかなキャンペーンでした。私が一番長くいたのは、ベジタリアン料理教室でした。ここは結構人気でメモを取りながら聞いている人も少なくありませんでした。私自身もこちらで暮らしていて、しみじみ肉食が嫌になっていましたから、どんな料理を作るのだろうとおおいに興味を持ちました。せっかくですから、この日作られたメニューをご紹介しましょう。

 シェフはいかにもベジタリアンといった雰囲気のほっそりした女性でした。料理は4品作りました。最初に作ったのは、ココナッツミルクとカシューナッツ入り豆腐のキッシュでした。豆腐とカシューナッツをミキサーで混ぜ合わせてそれにココナッツミルクやトマトを合わせてオーブンで焼くというものでした。2品目はトマトの上に香味野菜を細かくしたものを乗せオーブンで焼いたもの、3品目はオリーブオイルをたっぷりふりかけたナスをやはりオーブンで焼き、その上にグリーンソースをかけたもの、4品目はゆでた大豆と良く炒めたタマネギを一緒にミキサーにかけたものを一口大の団子状にして油であげたものでした。私の前で一所懸命聞いていた若い女性3人組は、ニンニクの香ばしい臭いなどが漂ってくるので、「おいしそう」とうっとりした顔で話していました。しかし、私なら同じ材料でこんなに無駄な手間をかけず、油を使わずに、ベジタリアン料理を作るぞと思いながら見ていました。

 あの柔らかさであの形を保っている芸術的な豆腐をミキサーにかけるなんて邪道です。日本人としては許せません。ここは、花鰹、生姜、ミョウガ、浅葱(あさつき)で冷や奴にするか、シンプルな昆布のだしで湯豆腐でしょう。豆腐を崩すぐらいなら、雪花菜(おから)を使えと言いたいですね。トマトは露地物を冷蔵庫でキューンと冷やして輪切りにして塩でしょう。これが一番おいしいトマトの食べ方です。ナスは焼くならオーブンではなく、焼きナスにすべきです。網で焼いたナスを熱いうちに水に入れ、皮を取り、やはり生姜と花鰹でしょう。だし醤油で食べるとよりおいしいですよね。大豆の代わりに塩湯でした枝豆、タマネギは薄くスライスしてよく水にさらして花鰹に醤油ですね。ちょっと夏の飲み屋の箸休めという料理ばっかりですね。もう一工夫要りますね。(そういう料理もできますが、それはまたいずれ。)でも、しみじみ和食はかなり豊富なベジタリアン・メニューを持っているなとあらためて思いました。前にも書きました(第25号参照)が、料理は和食が世界標準になるべきだと私は思っています。人類が「バーガロイド」にならないためにも。(2000.3.18)

<第182号:ある日、King's Crossで> King's Cross駅は6本もの地下鉄が通り、地上には旧BRの駅もある一大ターミナル駅なので、私もよく使います。昨日もいつものようにピカデリー・ラインからサークル・ラインへ乗り換えたのですが、その時に見かけたロンドンではよくある些細な出来事をお伝えしてみたいと思います。

 ピカデリー・ラインは市内中心部ではかなり地下の深いところを走っているので、乗り換えの時には大体長いエスカレータに乗らないといけません。エスカレータ横の壁には、ポスターが連続して貼ってあります。他にすることもないので、このポスターはついつい見てしまいます。ところが、このポスターにやたらとガムがくっつけてあるんです。ほんの一握りの不心得者がやっているのでしょうが、見るたびにイギリス人は公共心が高いとは言えないなあと感じてしまいます。そんなことを考えながら、ぼーっとエスカレータに乗っていると、隣の下りエスカレータでは、熱烈なキスをしながら男女2人が通り過ぎていきました。よく見かける光景なのですが、こうした公の場所での露骨な愛情の確認に慣れていない私には未だに不思議な光景に映り、ついついじっと見てしまいます。

 漸く長いエスカレータが終わり、サークル・ラインへの乗り換えのために、改札を出ようとすると、私の斜め前を歩いていた黒人男性が突然ダッシュをして、隣の自動改札を前の人に続いてすり抜けていきました。私も2度ほどやられたことがありますが、要するに無賃乗車です。前の人が改札口を開け、その扉が閉まる前にすり抜けるわけです。当然センサーが働き、ピーという音が鳴り続けるのですが、駅員はいなかったり、いても瞬時に対応できなかったりで、捕まったのは見た試しがありません。自分がやられたケースを含めて、6度ほどは見ているのですが……。この時も当然センサーが働き、ピーという音が鳴りましたが、結局駅員は出てこず、ただ後ろにいた女性が切符が入らなくなって困っていただけでした。このピカデリー・ラインの改札口を強行突破した男性は、次にサークル・ラインの進入禁止の改札出口を乗り越えてホームへ入り、そのまま電車に乗って行ってしまいました。この時は近くに駅員がおり、"Stop!"と言ったのですが、そんなことでやめるわけはありません。また、運の悪いことに、その駅員はベビーカーを押した女性の対応をしていて、すぐに追いかけられなかったようです。ベビーカーの女性が去った後ホームまで追いかけましたが、ちょうどドアが閉まってしまい、ついに逃げられてしまいました。

 その黒人男性より後ろにいた私は、次のサークル・ラインを待つことになりました。ホームを歩いていると、後ろから大きな荷物を持った白人男性がやってきて、大きな音を立てて自分の荷物を投げ捨てるように置きました。「なんか不機嫌な人だな」と思って見るともなしに見ていると、しばらくしてさっき駅員と話していた女性がベビーカーを押しながら、その男性に近づいてきて話し始めました。どうやらカップルのようでした。男性は何を怒っているのかわかりませんが、ずっと不機嫌でほとんどものを言いません。女性の方が必死で、彼の気持ちをほぐそうとして話しかけていました。男性は20歳代後半ぐらいでジーンズとぼろ靴をはき、女性の方は30歳代後半でレースの縁取りのされたスカートとパンプスをはいていました。女性の方には、さらに、見た感じからすると11歳、8歳、3歳ぐらいの女の子3人がそばにいました。はっきり言って、釣り合いの取れていないカップルでした。女性は、男性の腕を取り、首に手を回し、キスをしようと試みました。男性の方は、相変わらず憮然としたまま、投げやりな感じで、女性にされるままになっていました。その間、娘たちは2人の方をほとんど見ず、線路を見ていました。3歳の子がコカコーラのペットボトルを振り回して、炭酸を噴出させた時だけ、女性は一瞬母親の顔に戻りましたが、その処理をするとまた男性のそばに寄っていきました。ここで電車が来て、私は乗り彼らは乗らなかったので、私が見たのはここまでです。

 なんということもない街の光景です。でも、どの光景も日本だったら、あまり見られないかなと思いましたので、書きとめておくことにしました。(2000.3.17)

<第181号:牧野義雄という画家を知っていますか?> 牧野義雄という日本人画家がいます。明治の初めに現在の愛知県豊田市で生まれ、19世紀の終わりにロンドンに渡り、約40年ほどここで暮らした画家です。日英交流史や美術史を専門にしている方ならご存知なのでしょうが、私はつい最近知りました。「ロンドン漱石記念館」の館長として有名な恒松郁生氏――牧野義雄についても何冊も本を出されています――に教えてもらいました。『牧野義雄画集――霧のロンドン――』という本を見たのですが、とても良かったです。絵は水彩画で、20世紀初頭のロンドンの風景が淡いタッチで描かれています。すでに写真の存在する時代ですが、間違いなく写真とは違った魅力を生み出しています。「霧のロンドン」は写真に撮ると何か薄汚く映ってしまうのですが、牧野義雄の絵では、非常にロマンティックなものになっています。日本では「霧の都ロンドン」というとだいたいロマンティックなものというイメージがあるのですが、もしかしたらこの牧野義雄の絵が影響を与えたのかもしれないなと思いました。

 全くの素人なのですが、牧野義雄の絵にはどこかに日本画の影響があるように感じました。略歴に、幼児に地元の画家に絵を習ったと記されていましたから、その影響なのかもしれません。アメリカやイギリスの美術学校にも通っているようですが、間違いなく日本画の影響は残っていると思います。牧野が画家として活躍した時代は、ヨーロッパでは印象派がもてはやされていた時代ですが、彼らの絵より牧野の絵の方を私は好みます。(印象派も嫌いではないのですが。)どこかに感じられる日本画的部分に惹かれるのかもしれませんが、もうひとつ思うのは、絵がクリアに描かれていると言うことです。もともとイラストレータとして認められるきっかけをつかんだ人なので、イラスト的あるいは挿し絵的主題の明確さがあるように思います。こうした種類の絵を本格的な印象派の絵画と比較し、より良いなんて言うことは、無謀なのかもしれませんが、まあ絵は好みの問題ですから構わないでしょう。それに私だけでなく、この時代は装飾的なアール・ヌーボーがもてはやされた時代で、ミュシャはもちろんのこと、クリムトなんかもイラスト的ですよね。20世紀初頭はイラストや挿し絵に一定の評価が与えられるようになった時代だったとも言えるのではないでしょうか。私は個人的にはこの時代のイラスト的絵が好きです。いずれにしろ、牧野義雄はもっと一般に知られてもいい画家だと思いました。(2000.3.16)

<第180号:根強いステレオタイプ> 先日LSE(ロンドン経済大学)の授業に出ていた時、日本のフィルム産業が世界で大きなシェアを持っているという話になり、講師がニヤッと笑って「日本人は写真を撮るのが好きだから」と一言言うと、それまで集中力を欠いていた教室の学生たちがどっと一斉に笑いました。その教室には、世界各地からやってきたと思えるほど様々な民族がいたのに、このジョークはほとんどすべての人に通じました。やはり、かつて良く描かれた「ちびで出っ歯でメガネをかけ、首からカメラをぶら下げている」日本人像がまだまだ世界に根強くあるんだなと言うことを思い知らされました。特に、聞いていたのは大学生ですから、中心は1980年代の生まれです。こんな若い人たちにすら、あの醜いステレオタイプ化された日本人イメージが継承されているのかと思ったら、かなりショックでした。

 その日の夜、その授業をしていた講師と一緒にパブに行き、帰りに「ちょっとおもしろい本屋があるから寄っていこう」と言われ、チャリング・クロス駅近くの地図やガイドブックばかりを売っている店に入りました。日本好きな彼は、日本の地図やガイドブックを私に示し、「どう、いい店だろう?」と自慢げでした。確かに興味深い店でしたが、私には日本の多くのガイドブックの表紙に芸者が採用されていることが気になりました。特に、その中の1冊に和装の花嫁が表紙になっているものがありました。彼に「これは芸者ではなく、花嫁だよ」と言うと、彼は「へえ、全然わからないね」と言っていました。日本通の彼にしてこの程度ですから、まず99%のイギリス人はこの花嫁を見て芸者と思っていることでしょう。

 その店には、日本の寺社の写真集も置いてありました。その本を見る前に、「どうも日本のイメージって言うと毒々しい朱色の建物が出てくるけど、そんなに日本には朱色に塗られた建物は多くないよ。もっと素朴な茶色がほとんどだよ」と話していたのですが、その写真集を見はじめたら、次々に朱色の建物が出てきます。あれこんなにあったかなと思ったのですが、探せば確かにあるのでしょうね。やはり、イギリスで売る日本の写真集ですから、イギリス人の持っている日本イメージに合わせて写真の選択がなされたのでしょう。こうして、ステレオタイプ化されたイメージは次世代へと継承されていくわけです。(2000.3.14)

<第179号:マークス寿子氏との議論> 12月に続き(第116号参照)、マークス寿子氏の話を聞く機会があったので、再び出かけて行きました。今回は、日本の現状について自由に語るという魅力的だが、中身のつかみにくいテーマだったため、参加者が少なく、私以外には主婦の方々が5人来られていただけでした。ちょうどこぢんまりとしたゼミという感じでした。テーマが大雑把だったこともあり、前回ほどのまとまりはありませんでしたが、やはり教育問題――というよりしつけの問題――を中心にそれなりのレベルの話をされていました。簡単に話の要点をお伝えすれば、ほぼ次のようなことだったと思います。現在話題になっている「学級崩壊」にしても「援助交際」にしても「不登校」にしても、根っこにある根本問題は家庭できちんとしたしつけができていないということだ。親は子供に嫌われたくないという気持ちから、あるいは無理強いはしたくないという「理解力のある」親のふりをすることによって、本来子供のうちに教えなければならない道徳観を教えずに、子供を甘やかし、忍耐力と思いやりの行動力に欠けた人間を作り出している。だから、大学生にもなって教師に叱られて保健室に駆け込むなんて若者ができあがってしまう。親がもっと自信をもってしつけをしなければならない。大体、以上のような話でした。

 人数も少なかったので、ここでお茶が出て、少しリラックスした雰囲気になり、マークス氏が「もしもご自分の娘さんが援助交際をしていたら、どう言ってやめさせますか?」と質問をされました。2人ほどの主婦の方が「そういうことは女性の体に如何に悪いかと話します」とか「もっと自分を大切にしなければいけないと話します」と言い、別の方は「私は泣きながらたたくと思います」とおっしゃいました。私にも振られたので持論である「自分のためという理由では彼女たちは説得できないでしょう。自分がそういう行動をすることによって、悲しむ親や未来の自分の子供のことを考えてみてほしい。人間は個としてだけ生きているのではなく、類としても生きているということを考えさせるようにするしかないでしょう」と言うと、マークス氏は「その議論がわかる人なら、援助交際はしないでしょうね」と切り返しました。それなら、マークス氏の方法はどんな方法なのだろうと期待して待っていたところ、次のようにマークス氏は言いました。「親がだめと言うものはだめ、これしかないでしょう。論理的に言っても通じないのですから、これしかありません。」ちょっとそれはないんじゃないのというのが、その瞬間の私の正直な気持ちでした。それこそ、それで子供が言うことを聞いてくれるなら、誰も苦労はしません。そんな問答無用的強権発揮でうまく行くわけがないのです。今時の若い人は、自分自身は非論理的行動を取っていても、他人、特に大人の非論理的行動には厳しいものです。「なぜ、だめなの?」と聞いてくるに決まっています。その時理由を一切言わずに、子供たちの行動を規制することなど不可能です。「なに言ってんの??」で終わりです。ここはひとつ議論をふっかけなければいけないなあと思い、ここから私とマークス氏の対決が始まりました。と言っても、議論した方がおもしろいだろうということを暗黙に理解し合ったその場の役割期待に応えた程度のもので、別にギスギスしたものではありませんでしたが。とりあえず、再現してみましょう。(多少端折っています。)

私「先ほど先生がおっしゃった援助交際をしている娘に対して『親がだめと言ったらだめ』ということで済ませるというのは、私にはどう考えても納得がいきません。それで済めば誰も苦労はしません。それで済まないから、今も皆さん、その『だめ』の理由を一所懸命考えたわけじゃないですか。きちんと言葉を使って説得すべきではないでしょうか?」

マークス氏「彼女たちは、論理的には説得できません。むしろ、ごちゃごちゃ言わない方がいいのです。」

私「私は、そういう問答無用的なやり方がいいとは思えません。確かに多くの少女たちに通じないかもしれない。それでも、なぜいけないのかを説得的に語っていくべきだと思います。マークス先生だって、日本の教育の現状が容易に変え得ないということを理解しながら、『気づいた人が少しでも語らなければならない』という思いから努力を続けているわけではないですか。そのやり方から言ったら、援助交際の少女たちにも、成功するかどうかはともかく、説得していかなければならないのではないでしょうか?私は論理の力をもっと信じています。」

マークス氏「何も最初から『だめ』というわけではなく、それまでに長い議論はあるのでしょう。しかし、それで話がつかない場合、最後は、親がしっかり『だめと言ったらだめだ』という態度を取ることが肝心です。要は親がもっとしっかりしなければいけないということを言いたかったのです。」

私「親がしっかりしなければならないというのはその通りだとしても、先ほど先生は親が子供をしっかりしつけられないとおっしゃったのではなかったですか?子供の前でそんなに堂々と『親がだめと言ったらだめ』と言える親がどれほどいるのでしょうか?」

ここで、ひとりの主婦の方がマークス氏に助け船を出しました。

主婦Aさん「うちはそういう経験をしたことがあって、14歳の娘が友達とパーティに行きたいと言い、私は仕方がないかなと思ったのですが、主人が『だめだ』と言ったら、娘は結局何も言わずあきらめました。」

マークス氏「そうなんです。そこなんですね。やはり、父親の役割が大切なんです。日本の父親は主婦に家庭を任せ切りにしすぎなんです。母親ひとりでは解決のつかないことも多いのです。そう言うときに父親がしっかりした一言を言わなければならないのです。」

私「しかし、日本の企業のシステムは、男たちが終業時間とともに家庭に帰ったりしないことを前提に動いているのではないですか?帰りたくても帰れないという側面を無視することはできないでしょう。」

マークス氏「典型的な男性の逃げ口実ですね。何も毎日5時に帰る必要などありません。週に1度でも父親としての存在感を示すことはできるはずです。私は自分の父親とは1カ月に1度くらいしか会いませんでした。」

私「先生の父親像は少し古いという気がします。今子育てをしている世代の家庭のイメージではなく、先生のお父さんの頃の父親像で語られているように思います。もちろん、私も父親は子育てに積極的に関わるべきだと思っています。しかし、子育てに自信がないのは、女性だけでなく、男性も同じなのではないでしょうか?毎日でも週1でも構いませんが、父親が子供と関わるときに、母親と違ってそれほど自信を持ってしつけができるとは思えないのですが……。」

マークス氏「それでも、社会に出て働いている男性は、それなりに社会の規準を知っています。母親たちよりは子供たちに社会ではこんなことはしてはいけないということを言えるはずです。」

私「確かに比べれば多少はそうでしょうが、やはり私は現在子育てをしている世代自身に問題点を感じます。この世代の人々自身がすでに、貧しさも、厳しく叱られた経験もないまま親になってしまったところに、問題があるのではないかと思っています。親たちがもっと自分の来し方を見つめて、自己改革を図るべきだと思います。」

 もっと議論をしたかったのですが、ここで時間切れという感じでした。まあ、でも久しぶりに議論らしい議論をしました。以前にも書いたように、マークス氏とは日本の現状に関する認識がほぼ合致しているので、同じ土俵の上で議論ができるという感じがして楽しいのだと思います。これが全く違う土俵の上にいる人間とだとこうはいかないものです。いずれにしろ、丁々発止とやり合う議論というのは本当に楽しいものです。(2000.3.14)

<第178号:情報革命は何を生むのだろうか?> この1年、インターネットのおかげで日本からの情報に飢えずに済みました。本当に便利になったものです。12年前にアメリカで半年過ごしていた時には、日本情報に飢え、足繁く図書館の書庫に通っては、1週間遅れぐらいの日本の新聞を貪るように読んでいたものでした。12年後にロンドンの自宅にいながら、日本の情報をほとんどオンタイムで得られるようになるなどということは、その頃の私には全く想像もつきませんでした。Eメールという便利な通信手段は、毎日のように誰かなつかしい人のメッセージを届けてくれました。その上、こうしてホームページなどを持っていると、思いついたこと気づいたことを色褪せないうちに、不特定多数――特定少数かもしれませんが――の人々に伝え、意見の交換までできるのですから。もしも、インターネットがここまで発展していなければ、私のこの1年は全く違ったものになっていただろうと思います。(逆に見ると、もっと専門の勉強に没頭していたかもしれませんが……。)

 コンピュータの急速な発展は、まさに「農業革命」、「産業(工業)革命」に次ぐ第3の革命、「情報革命」の名に値します。革命的変化というのは、その時代を生きている大多数の人間の予想をはるかに凌駕した形で進んで行くのだということを実感しています。「農業革命」は不安定で漂流型の狩猟生活から安定的で定住型の農耕生活を可能にし、ひいては貧富の差を生み、支配階級と被支配階級を生み出しました。「産業(工業)革命」は、エネルギー革命として、様々な領域の生産物を飛躍的に増大させ、生存可能人口を急速に増加させ、結果として環境問題を引き起こしました。情報革命はどんな変化を生み出すのでしょうか?どの革命的変化も最初は良いところが目立ちます。多くの人が良い変化だと思うから、革命的な進度で進んでいくわけです。最初に良いところが目立たなければ、革命は雲散霧消してしまうでしょう。情報革命は今はまだその初期段階にあり、「便利だね、すごいねえ」と多くの人が感心している段階にあると言えるでしょう。しかし、過去の2つの革命がそうだったように、意図せざるマイナスの副産物もいつかきっと出てくるでしょう。バーチャル・リアリティの世界でしか生きられなくなり、生身のコミュニケーションができない人間が増えてきて、人類という種の滅亡につながっていくなんてこともありそうな仮定のように思いますし、未だ定かではない電磁波の影響も気になります。しかし、そんな簡単にマイナス点が予想できるなら、それに対する対策も打てるわけで、それほどたいした問題ではないと言えます。しかし、過去の例を見ると、革命によって生じるマイナス点は、そんな容易に予想できるものではないようです。何が起こるかわかりませんが、何かはきっと起こります。それが深刻な問題となるのは、私が死んだ後でしょうが、今回は人類の存亡に関わるような問題になるような気がしてなりません。

 2000年のミレニアムで今年は喜んでいますが、後、何回New Millenniumを人類は経験できるのでしょうか?個体に盛衰があるように、種にも盛衰があるはずです。1億8000万年も栄えた恐竜たちも滅亡しました。長く見積もってもせいぜい100万年程度の人類の繁栄時代は、恐竜時代の足下にも及びません。恐竜たちのようにほとんど生活を変化させずに生きて行くなら1億年以上も種が維持されるのかもしれませんが、人類は生活を変化させすぎました。恐竜たちの盛衰はなだらかな坂を登りなだらかな坂を下りていったようなものだとしたら、人類の方は信じられないほどの急激な坂を登ってきた――特に20世紀の後半は斜度が90度に近づいています――と言えるでしょう。頂上はもうすぐそこに来ているような気がします。頂上を通り越してしまった先には、何が待っているのでしょうか。あっという間に人類種は滅んでしまうのかもしれません。考えたら怖ろしくなってきます。

 しかし、あっという間とは言っても、それは40億年の地球的寿命で考えた場合のことです。せいぜい80年程度しか生きられない人間個体の寿命から言えば、まだ何十世代も子孫は生き延びていくでしょう。だから、個々人はそんなにペシミスティックになって生きる必要はありません。私は地球物理学者や古生物学者ではなく、社会学者です。あまり長すぎるスパンで考えるつもりはありません。10年後、20年後、せいぜい50年後くらいまでを視野に入れて、どうしたら社会がよくなるかを考えていたいと思います。 (2000.3.13)

<第177号:時間よ、止まれ!> ロンドン生活も残すところ後20日を切りました。今週で子供たちの学校も終わりますので、いよいよ帰国に向けての準備を急ピッチで進めなければならなくなりそうです。買い置きをしていた食料を無駄にしないように使っていかなければ、などと考えながらの生活になってきています。先日、夕暮れ時にセント・ジェームズ・パークからピカデリー・サーカスに向かって歩いていたら、何だか無性に淋しい気持ちになりました。卒業を間近に控えて慣れ親しんだキャンパスを歩いている大学4年生の気分に近いかもしれません。思わず心の中で「時間よ、止まれ!」と叫んでしまいました。

 もちろん時間は止まりません。そして帰国の日は確実に近づいてきます。帰るのが嫌だというわけではありません。帰ったらたくさんのなつかしい人たちに会えますし、「3番」をつけた動く長島茂雄を見ることもできます。「探偵ナイトスクープ」だって見られるし、立ち食いそばだって食べられるのですから、嫌なわけはありません。でも…………。

 でも、何なんでしょうね。たぶん、自由に学び自由に思考してこられたこの豊穣な時間を失うのが惜しいのでしょうね。こんな風に時間を過ごせる日が次にやってくるのはいつなのかなと思うと、後20日弱が本当に貴重なものと思われてきます。この「ロンドン便り」も後何号書けるでしょうか。それにしても、今頃からこんなにセンチメンタルになっていたら、最後の日なんかはどうなるんでしょうね。(2000.3.12)

<第176号:やっぱり行くんじゃなかった……> 結構有名なロンドンの観光スポットの中でここだけはパスしておこうと思っていた「ロンドン・ダンジョン」――イギリスの歴史の中で残酷な部分だけを取り上げ、蝋人形などを使って展示している「エンターテインメント」(?)施設――に、つい魔が差して行ってしまいました。この「ロンドン・ダンジョン」は、ロンドン・ブリッジ駅のすぐそばにあるのですが、ある時別の用事でこの駅に降り立ったとき、子供を含むかなり長い行列ができており、それが「ロンドン・ダンジョン」の入場を待つ人の列だと知ったとき、私の信念がぐらつきました。こんな長い行列ができるほどおもしろいのだろうか?子供でも楽しめるようなものなのだろうか?そして、好奇心という悪魔に負けて、私はここの門をくぐってしまったのです。でも、やっぱり行くべきではなかった……。

 はっきり言って悪趣味です。なんでこんな所が人気があるのか、いやそもそもなんでこんな施設を造ったのか、その感性が私には理解できません。まあ日本でもお化け屋敷とかが好きな人はいるようですから、そういう人にはお薦めかもしれませんが、私は評価できません。特に日本のお化け屋敷は架空の妖怪たちが主役ですからまだかわいいものですが、この「ロンドン・ダンジョン」は歴史上の実話がすべて元になっているのですから、その残酷さには心底肝を冷やします。これを笑って見ていられるイギリス人って一体どういう精神構造をしているのか不思議に思いました。

 私が行った時も、結構子供が入っていました。小学校中高学年ぐらいの子はしっかり見ていましたが、4歳ぐらいの女の子は目をつぶって泣きそうな顔をしながら歩いていました。特に「切り裂きジャック」のコーナーは、絶対子供に見せたくないような所でした。なんでこんな所に子供を連れて見に来るのでしょうか?(ちなみに私は一人で行きました。うちの子供たちは恐いのは嫌いですので。)映画では「18」(18歳未満禁止)「15」(15歳未満禁止)「12」(12歳未満禁止)「PG」(Parental Guidance=親が指導するならOK)「U」(制限なし)と細かい区分を設けて規制しているのに、ここにはどうして何もないのだろうかと疑問を持ちました。私が受けた印象から言えば、ここは「18」にすべきだと思います。小さいときから、こんな残酷なものを見て、何か成長に役立つことがあるのでしょうか?(2000.3.11)

<第175号:大ロンドン市長選挙> 前号に引き続き、地方政治の話です。サッチャー時代に潰されたGreater London Council(大ロンドン市議会)が行政単位として復活し、この5月に初の市長選挙が行われることは、日本でも報道されていると思います。昨年こちらにきてから、このニュースはたくさん流されていたのですが、あまりにも事態が混沌としすぎていて書き出せずにいました。最初は労働党の候補者選びがもめる中、保守党が知名度のあるジェフリー・アーチャーを候補者に立て先行したかに見えましたが、昨年11月にかつて裁判で偽証を依頼していたことが明るみに出て、すべて無に帰してしまいました。その後、あまりパッとしないスティーブ・ノリスという人が保守党の公認候補に決まりましたが、はっきり言って当選可能性はゼロでしょう。

 誰が人気があるかというと、かつてサッチャーの暴挙に最後のGLC(Greater London Council)議長として抵抗した労働党のケン・リビングストンです。ところが、彼はガチガチの左派で、右派路線を走るブレア首相を筆頭とする労働党主流派とは相容れません。首都を左派に渡したくない主流派は、元保健相のフランク・ドブソンを公認候補として決めました。ところが、最近になって、労働党の公認が得られなかったリビングストンが無所属で立候補することを表明し、その人気ぶりから言って、まず間違いなくリビングストンが勝利をおさめるだろうと予想されています。

 リビングストンの人気の秘密はどこにあるのかよくわからないのですが、反骨精神――ポーズだけのような気もしますが――が、都会人に受けるのかもしれません。ブレア首相は頭が痛いだろうと新聞などには書いてあるのですが、私はたぶんリビングストンが大ロンドン市の市長になったとしても、たいした摩擦は生じないだろうと予想しています。たぶん当たり障りのない範囲で、大衆受けを狙った政策を何か打ち出すのが関の山でしょう。私がこんな風に思うのは、もしも本物のガチガチの左派だったら今の時代まで政治家として生きのびてこられているとは思えないからです。市民を第一に考える政治家だという顔をしながら、労働党右派、あるいは保守党とも陰で適当に妥協しながら、市長職を務めていくようなタイプだという気がします。(2000.3.11)

<第174号:イングランド国旗なんて知らないよ> 『英国ニュースダイジェスト』におもしろい記事が出ていました。「ブリタニカ百科事典」が調査した結果、イングランド人のわずか54%しかイングランド国旗を認知していなかったそうです。もちろんイングランド国旗というのは、日本人がよく知っているユニオン・ジャック――大ブリテンと北アイルランドの連合王国の国旗――のことではなくて、白地に赤い十字が描かれたセント・ジョージ・クロスのことです。ユニオン・ジャックは、このセント・ジョージ・クロスと、スコットランドのブルー地に白い斜め十字の旗――セント・アンドリュー・クロス――と、アイルランドの白地に赤い斜め十字の旗――セント・パトリック・クロス――を組み合わせてできているのです。こんなに認識率が低いのは、やはり「イングランド=英連合王国」と思っている人がイングランド人に多いからでしょう。スコットランドやウェールズ、北アイルランドではこんなことはないでしょう。どんな社会や組織でも中心部にいると、自分が一部分にしかすぎないという意識を忘れ、全体を代表しているような気持ちになりやすいものです。日本でも東京生まれの東京育ちは自分も一地方人だという意識を忘れがちです。こうした傲慢な意識が中央集権を強め、地方分権を妨げるのです。イギリスの場合は、昨年スコットランドやウェールズに大きな権限委譲を行いましたので、むしろ今後は失われたイングランド・アイデンティティをどう回復するかの方が問題になるかもしれません。以前取り上げた「Britainが死んだ日」というドキュメンタリー番組(第152号参照)でも、国会議事堂前で、セント・ジョージ・クロスの旗を振りながら、「イングランド人のためのイングランド議会を!」と呼びかける人を紹介していました。

 日本では、最近石原東京都知事が地方自治体としての東京都という側面に目をつけた政策を次々に打ち出しているようですね。中心部の東京都だけでなく、他の自治体も同じように声を上げた方がよりいいのですが、東京以外の地方自治体は、国からもらう国庫助成金や地方交付税交付金に頼っていますから、国に逆らって独自の政策を打ち出すのが難しいのです。この税制度が日本の中央集権的システムを支えていると言って過言ではないでしょう。はっきり言って国が吸い上げ過ぎなんです。吸い上げた税金は、力の強い政治家の地元により多く還元されるような奇妙な不平等システムまで作り出されています。日本はもう少し地方税の割合を高くして、地方自治体の自主性を高めるように改革すべきでしょう。(2000.3.11)

<第173号:イギリス人は花粉症にはかからないのかな?> 昔はなかったのですが、数年前から私もこの時期になってくると、鼻がむずむずし、目がかゆくなり、くしゃみが出るという花粉症に悩まされています。こちらにいても、やはり同じような症状が出始めました。先日、電車に乗っていたときに、大きなくしゃみを2度してしまいました。もちろん手で押さえてはいたのですが、かなり大きなくしゃみだったので、"Sorry"と言うと、向かいの席に座っていた老婦人はにっこり笑って"It's OK"という顔をしてくれました。ところが、斜め向かいの席に座っていた30歳代半ばぐらいの女性――ずた袋のようなビニール袋を盛大に広げ、2人分以上の席を占領し、『ハリー・ポッターと賢者の石』を読みながら、一人でげらげら笑っているような厚底メガネをかけた「素敵な」方でした――は、とても嫌な顔をしました。2度目などは眉間にしわを寄せて、「なんて非常識なの!」という睨み付けるような顔でした。こちらでは日本のようにくしゃみに対して寛容ではないとは知っていたのですが、それにしてもすごい顔でした。私から言わせれば、「出るものはしょうがないじゃないか。ちゃんと謝っているんだし、何もそんな顔をしなくてもいいじゃないか」という思いでしたが、くしゃみをしたときに嫌な顔をされたのはこれが初めてではありません。どうもこちらが考えていた以上に、くしゃみは「失礼な行為」のようです。

 こちらの人は花粉症にかからないのでしょうか?確かに、くしゃみをする人をあまり見かけたことはありません。盛大な音を立ててハンカチに鼻水を噴き出すあの行為によって、花粉もすべて飛び出しているのでしょうか。そう言えば、鼻も日本人と違って高いので、鼻の中身も出やすそうですね。これは友人のN氏夫妻から聞いた話ですが、N氏夫人が日本でよくある風邪の時に使うマスクをしてロンドン市内を歩いていたら、非常に奇妙な顔を何人もの人からされ、ついにはピストルで撃つ真似までされたそうです。N氏夫妻はこうしたリアクションから、マスクをするというのはこちらでは顔を隠しているという意味になり、危険人物視されるに違いないと解釈されていました。確かに、薬局でもスーパーでもマスクは見かけません。やはり、イギリス人はくしゃみをしないってことでしょうか。こちらで心地よく暮らすためには、ハンカチに盛大に鼻水を噴き出し、そのハンカチを汚いと思わずポケットにしまい、さらにはそれを何度でも使える訓練をしておいた方がいいかもしれません。(そうかあ、それでトイレには手を乾かすための乾燥機が不可欠なんですね。さすがにあのハンカチで、洗った手は拭けないですからね。)(2000.3.11)

<第172号:"Small Change, Please"と"Big Issue"> ロンドン名物と言えば数々ありますが、"Small Change, Please"もそのひとつではないでしょうか。サッチャー首相時代に、「イギリス病」を招いた従来の福祉国家的行き方を止め、競争主義的経済政策を強めた結果として、弱者にしわ寄せがいき、「物乞い」も増えたと言われています。この「物乞い」もよく観察してみると、いろいろなタイプがいます。最近Piccadilly Circusの近くで見た「物乞い」さんは、バスや車がたくさん通る通りに座り込んでいるので、自分の声がかき消されないように、かなり元気な声で"Small Change, Please!"と言っていました。不思議なもので――というより、当たり前と言った方がいいかもしれませんが――元気な声の「物乞い」さんに、お金をあげる人はあまりいませんでした。私はその「物乞い」さんの正面約1mぐらいしか離れていないところに、10ペンスコインが落ちているのを見つけました。たぶん気づいていなかったのだと思いますが、もしかしたら気づいていても1m動くのが面倒で拾わないのかもしれないなんてことを考えたくなるほど、動くのは億劫そうでした。(ちなみに、「物乞い」さんの前ではなんとなくお金が拾いにくく、私もそのまま立ち去ってしまいました。)

 自分の食すら確保するのが大変そうなのに、物乞いをしている人たちの中には、犬と一緒にいる人が少なくありません。抱きかかえて暖を取っている人もいますが、多くの犬は飼い主の横におとなしく座っています。犬たちのしつけはちゃんとしているので、その辺にいた野良犬を連れてきたという感じは全くしません。「物乞い」さんたちもかつてはこの犬たちとともに優雅な散歩を楽しんでいた人たちだったということでしょうか。そうそう、「物乞い」と犬と言えば、Russell Squareの駅前にいた犬は、はじめて見た時は女性の「物乞い」さんと一緒だったのに、次にこの同じ場所で見かけた時には、男性の「物乞い」さんと一緒でした。「物乞い」を家業としている――あるいはチーム制でしている――人たちが飼っている犬なのか、それとも犬の方がこの場所をテリトリーにしていて、ここに座る「物乞い」さんたちの一時的な飼い犬になるのか、ふと疑問が浮かびました。

 「物乞い」とは違うのですが、なんとなく同じような存在として大多数の人が避けて通るのが、街で声をかけてくる"Big Issue"売りです。彼らは、ホームレスの自力救済のために発行されている"Big Issue"という名の薄い冊子を人々に売ることによって収入を得ている人たちです。私は以前から興味があったのですが、なんとなく近づきにくい感じがして、まだ"Big Issue"を買っていません。日本に帰る前に一度買ってチェックしておかなければいけないなあと思っています。(2000.3.10)

【追記:早速"Big Issue"を買ってきました。値段は1ポンドで、予想以上にちゃんとした週刊雑誌でした。私に"Big Issue"を売ったおじさんは、"Thank you. Have a nice evening"と丁寧に挨拶してくれました。「案ずるより生むが易し」という奴でした。売り手の取り分は60%だそうです。(2000.3.13)】

<第171号:"National No Laughing Day"> 「全国無笑ディ」とでも訳したらいいのでしょうか?ミレニアム・ドームの中で、数人の人たちが"National No Laughing Day"と書いたプラカードを持ってむっとした顔で歩いていました。もちろんジョークです。これもひとつのパフォーマンスというわけです。動かないという芸をするパフォーマーには慣れているイギリス人も、ジョークのデモには一瞬戸惑い、扱いに困ってあまり積極的な反応を見せていませんでした。「にらめっこ」の伝統を知る日本人の私は、ここは笑わせようとするアクションを期待しているに違いないと確信し、舌を出したり口を変形させたりして笑わそうとしてみました。今日は笑ってはいけない日だと主張している彼らは当然、怒った顔をして私を睨みつけてきました。あまり恐い顔をしているので、子供たちは「お父さん、あの人たち本気で怒ってんじゃないの?」と心配そうでした。

 このことを思い出しながら考えていたのが、どこかで聞いたような言葉ですが、「笑顔は万国共通語」――笹川良一氏が生きていたら、言いそうな言葉ですね――ということでした。本当に笑顔は一番通じます。自信なさげに曖昧に笑う"Japanese Smile"ではだめ――「だめ」というのは、こちらの人が"Japanese Smile"というシンボルの意味を理解できないということ――ですが、喜びや感謝やおかしさを堂々と笑顔で示すならば、言葉など一切発しなくとも必ず良好なコミュニケーションがはかれます。また、笑顔って魅力的なんですよね。一番いい顔をしようと思ったらやはり誰でも笑顔を作ります。だから、写真を撮るときは「はい、チーズ!」なんです。(写真を撮るときの「チーズ!」も国際的にかなり通じます。以前、韓国出身のゼミ生が「はい、キムチ〜!」と言って写真を撮ってくれたことがあるのですが、あれは彼女のジョークだったのか、本当に韓国ではそう言うのか、その後調べていないのでわからないのですが、どなたか知っていたら教えて下さい。)

 ちょっと横道にそれましたが、要するに顔の表情というのはコミュニケーションの容易かつ重要な手段だということを言いたかったのです。笑顔は良好なコミュニケーションを生み、怒った顔は良好なコミュニケーションを壊します。いつも笑顔でいられたらいいのですが……。(2000.3.10)

<第170号:ミレニアム・ドーム探訪記> 噂のミレニアム・ドームへ行ってきました。こちらでのミレニアム・ドームの評判は散々たるもので、予想にはるかに届かない入場者数の責任を取らされて、オープンして3カ月も経たないうちにトップの首がすげ替えられました。私は前々から評判がどんなものであれ、この機会しか行けないのだから一度は行っておこうと思っていましたが、漸くチャンスを得て、家族で行ってきました。

 まず最初に全体的な印象を言ってしまえば、言われているほど悪くはないという感じです。いや、もう少し誉めてもいいかもしれません。行く価値はあると思います。特にうちのように小学生のいる家族なら十分満足できるどころか、午前10時開館・午後6時閉館では時間が足りないぐらいです。(当然の変更だと思うのですが、4月からは午後11時まで閉館時間が延長されるそうです。)子供たちが自分で体験できる遊び道具がアナログからデジタルまで広く揃い、あっという間に時間が経ってしまいます。コンピュータと遊ぶ――ここの遊びは「コンピュータで遊ぶ」というより「コンピュータと遊ぶ」という方がぴったりしています――"Play"ゾーンや、単純だけれども楽しい遊びの並ぶ"Work"ゾーンなどは、大人たちもかなりはまっていました。

 ドーム中央で行われるショーはドームの広く丸く高いという特徴を見事に利用したものとなっており、必見です。大人も子供も十分満足できます。他のゾーンでもいくつかショーがあっておもしろそうだったのですが、結局時間が足りずに行きそびれました。もう1年いや半年でもいられるならもう1,2度は行っていると思います。(特に、新経営者は、リピーターに関しては入場料を20%割り引くという方針を出していますので。)大人向けの私のお薦めは、"Self Portrait"ゾーンです。ここに据えられた彫像と写真は味があります。意味を考えながら見ていると飽きないゾーンです。

 もちろんすべて良かったわけではなく、「何だ、これは?」というようなゾーンもありました。まあでも、そういうものも含めて、イギリスに住んでいる人なら一度は見ておく甲斐があるとお薦めしておきます。(ただし、日本から高い飛行機代を払ってわざわざ見に来るべきところとまでは思えませんが……。)(2000.3.9)

<第169号:動物愛護、子供の権利、ゲイ容認> 今イギリスの「進歩的」な人々が「錦の御旗」のように掲げる三題話と言えば、動物愛護、子供の権利、ゲイ容認の3つではないでしょうか。これらに反対するどころか多少異論を唱えるだけでも「反動的」という目で見られるような感じがします。動物愛護派が「キツネ狩り」に反対するのは私も十分理解できますが、「捕鯨禁止」とか「動物実験廃止」を唱えると、話はそう簡単ではありません。個人的には、鯨肉はあまり好きではないし、動物実験もかわいそうだと思っていますが、社会的には食習慣の違いや医学の進歩のためという理由を一切無視して議論するべきではないだろうと思っています。(ちなみに、捕鯨より娯楽として行われている闘牛の方がずっと残酷で止めさせるべき慣習だと思います。)子供の権利も振り回されるとたまらないなと思います。「自分の子供なら煮て食おうと焼いて食おうと親の自由だ」なんて言うつもりは毛頭ありませんが、時と場合によっては、多少厳しく叱ったり、時には叩くことが必要なこともあると思います。子供の頭をコツンとやっただけで「虐待だ!」とか叫ばれたのでは、たまったものではありません。ゲイも個人的につき合う分には差別する気はありませんが、社会的に見た場合には、次世代を生み出すことのできないゲイが増大しないように社会が抑制をかけるのは当然ではないかと思っています。

 こうした「進歩的」主張が誕生してきた背景を探っていくと、かつて――典型的にはビクトリア朝――のイギリスでは、日本では考えられないほどの動物虐待、子供虐待、ゲイ差別が存在していたことに嫌でも気づいてしまいます。大衆の好む娯楽に「熊いじめ」などというものがあり、子供のしつけにはムチが欠かせないと認識されており、才能溢れるオスカー・ワイルドは同性愛のために2年もの禁固刑を受け、実質的な作家としての命を絶たれてしまいました。こうした歴史的事実を知ると、現在の動物愛護、子供の権利、ゲイ容認に関する声高な主張は、その反動なのではないかという位置づけが容易にできます。そう考えてくると、イギリスのように動物虐待、子供虐待、ゲイ差別の歴史を持たない日本で、現在、動物愛護、子供の権利、ゲイ容認がイギリスほどに極端に進まないのも当然と言えるでしょう。(2000.3.4)

<第168号:よい医者とは――シップマン事件に思う――> 日本でも報道されたと思いますが、マンチェスター郊外で開業していたハロルド・シップマンという医師が、致死量に至るモルヒネを多くの老婦人に注射して殺害したという事件が1カ月ほど前に明らかになりました。まだ犯罪の全貌はわかっていませんが、20年以上にわたって150人以上を殺害していたのではないかという推測も出ています。これほどの長期にわたる殺人が気づかれもせず可能だったのは、シップマンという医師が非常に患者からの評判が良く、その評判のために「まさかあのシップマン医師がそんなことをするはずはない」という思いこみが地域住民にあったからだそうです。

 この事件の報道を聞きながら改めて私が感じたことは愛想の良い医者は信頼できないというものだということです。これは私自身の経験からも言えることです。というのは、私も偽医者にかかっていたことがあるからです。小中学校の頃通っていた歯医者が実は偽医者だったのです。この医師も愛想が良く、近所の評判は非常に良い人でした。私は個人的には、「なんでこんなにいつまでも治療が終わらないんだろう?どうしていつまでも同じところを削っているのだろう?」とずっと疑問を抱いていましたので、彼が偽医者だと知った時、「やっぱり」と妙に納得しましたが、うちの母親をはじめご近所のご婦人方はひどく驚いていました。(ちなみにその医師によって削り続けられた歯は、壁面が薄くなり過ぎていて後にかけてしまいました。)その頃から、愛想が良すぎる医者は信頼すべきではないという規準が私の中にできあがりました。(他の病院でも、患者に対して愛想の良い「評判のよい」医者が製薬会社の営業マンなどには、ものすごく高圧的な態度を示している場面も何度か見ています。)

 しかし、だからと言って、患者やその家族に症状や対処の仕方をちゃんと説明もしない傲慢な医者も大嫌いです。これも日本での体験談ですが、以前子供が脱水症状を起こして救急病院に連れていった時、対応した医者は、そばにいた私に一切の説明をせずに、看護婦だけに指示を出して去っていきました。その医者のあまりの人間味のない傲慢な態度に憤懣やるかたなく看護婦さんに「一体どういう理由で、あの医師は私に何の説明もしないのか。納得がいかない」と訴えると、看護婦さんは私に同情的でその医者のところに私の気持ちを伝えに行ってくれました。そのすぐ後に、その医師が戻ってきて自分の態度の非礼だったことを謝り、丁寧に症状と対処について説明をしました。この医師はまだ反省する気持ちがあったからましな方なのかもしれませんが、こういう患者やその家族を見下したような態度を取る医者はごまんといます。自分の体のことは、複雑なことでなければ、まず本人が一番よくわかっているのに、患者の症状についての話をまともに聞かず、「問答無用」という感じで誤診され、より具合が悪くなったこともあります。

 他にも薬を出しすぎる医者は絶対儲け主義の医者ですので、当然信頼に値しません。「まだこの間あげた薬は持っているよね」とか「お母さん、こんな病気に薬なんか要りませんよ」などと言ってくれるような医師でなければなりません。人間の体には、自然な治癒能力がかなり備わっているのですから、薬に頼りすぎては絶対にいけないはずです。私が規準としている良い医者の条件は、「早い、安い、口が悪い」です。良い医者はかなりひどい症状の時以外は、診察時間も短く、何度も来させず、薬も多めに出さないので支払額も少なくなります。妙な愛想の良さとは無縁で、しょうもない病気の時はしょうもないと言いきり、症状がひどい時には、愛想なしに要領をえた病状と対処療法の説明をしてくれるような医師を私は信じています。(2000.3.4)

<第167号:イギリスにおける中国の遺産> ウェッジウッドをはじめとして日本のご婦人方にイギリスの陶磁器はおみやげものとして絶大な人気がありますが、もとはと言えば中国の陶磁器のまねから始まったものです。中国の陶磁器を集めようという日本のご婦人方はほとんどいないようですので、やはりイギリス風に「ゴージャス」にアレンジされた陶磁器がいいのでしょうね。私などは、こちらの繊細かつ「ゴージャス」な陶磁器には惹かれません。もっと素朴で力強い陶(磁)器が好きです。日本の焼きものでは、志野焼が昔から好きです。いずれにしろ、イギリスのチャイナも日本の焼きものも、中国の陶磁器がルーツなのは間違いないところでしょう。

 陶磁器が好きだという人にぜひ見てほしいのは、ウェッジウッドのお店ではなく、ラッセル・スクエアの近くにあるパーシバル・デビッド財団の中国陶磁器コレクションです。実に見事なものです。中国人はなんとすばらしい技術を持っていたのだろうと心底感心します。個人的にはいろいろ複雑な紋様をつけたものよりも、自然な形で自然な色合いのついたものがいいと思いました。やはりおみやげものとして人気のあるイギリスの紅茶も、もとは中国茶がルーツだということも考え合わせると、イギリスにおける中国の遺産は実に大きなものだということに気づきます。現在公開されている貴族の屋敷などでもほぼ間違いなく中国の陶磁器が自慢げに堂々と飾られていますが、こうしたすばらしい陶磁器をイギリス人――特に東インド会社――はそれに値するお金をちゃんと払って買ってきたのでしょうか?(2000.3.3)

<第166号:PubとBeer> イギリスと言えばパブが有名ですが、初めのうちは慣れないものですから、なんとなく敷居が高く入りにくかったのですが、慣れてしまうとやはり噂通りなかなかいいものです。昼は結構ボリュームのあるランチが食べられますし、夜はうまいビールが飲めます。ラガーは日本のビールと似ていて無難ですが、イギリスで飲むなら私のお薦めはビターです。大体ビターならどれもいけますが、泡がクリームのように細かくなめらかな"Caffrey's"という銘柄が気に入っています。缶ビールとしても売っていますから、パブには入りにくいと言う人でも味わうことができます。ぜひ試してみて下さい。味は保証します。他方、騙されちゃいけないのが、"Strong Bow"という銘柄です。名前から見るとこれはアルコール度の高い黒ビール――スタウトと言います――か何かだろうと思いませんか?ところが実は「リンゴ酒」――こちらではCiderと言います――なのです。これはおいしくないです。でも、日頃カルピスハイだの巨峰ハイだの甘ったるいチューハイを好んで飲んでいるような人なら好きになれるかもしれませんが……。

 ところで、イギリスのパブは午後11時になったら店じまいです。銅鑼をならす店、それまで暗かったのに店内をパッと明るくしてしまう店などいろいろやり方があるようですが、どこも11時で終わりなのは同じです。(きっとこっそり飲ませている店はあるのでしょうが、盛り場研究の苦手な私にはその辺はわかりません。)つい最近パブの営業時間の延長について調査結果が紹介されていましたが、それによればなんと59%が「延長は好ましくない」と考えているそうです。探せば容易に一晩中お酒を飲ませる店が見つかる日本では絶対に考えられない調査結果だと思います。日本だけでなく、隣のフランスでも、このイギリスの厳格さにはあきれているようです。(「フランス人がさあこれからと思うときに、イギリスのパブは閉まってしまう」)でも、日本でも、お店がすべて11時で終わってくれたら、ちゃんといつも電車で帰れて、無駄なお金は使わずに済むわけですから、結構いい制度だとも言えますね。(「もう少しいいじゃないか」と言われると、断りにくいんですよね。結局最後は高いタクシー代を払って、「ああ、もったいないことをしたなあ」と後悔しながら家に帰り着くというのが、日本人のパターンなんですよね。)(2000.3.2)

<第165号:ASローマの中田を観戦> と言っても、テレビでですが。UEFA杯でイギリスのリーズ・ユナイテッドと中田のいるASローマが試合をやったので、こちらのテレビ局でも放送をしたわけです。こちらにきて初めて日本のサッカー選手をテレビで見られてとても嬉しかったです。中田が初めて映ったときは思わず拍手をしてしまいました。(うっ、単純すぎる……。)こちらのアナウンサーは、しきりに「日本のナンバーワン・プレイヤーだ」と言っていました。試合は圧倒的にローマが押し気味だったのですが、結局どちらも点が取れず0対0の引き分けに終わってしまいました。試合が終わった直後に、イギリスのアナウンサーは何度も「よくやった」「見事だ」と言っていましたから、如何にローマが優勢だったかおわかりになるでしょう。 ローマにとっては痛い引き分け、リーズにとっては勝利にも等しい引き分けというところだったでしょう。

 で、問題の中田はどうだったかというと、やはりボランチ(守備的ミッドフィルダー)では輝きは今ひとつですね。基本的に攻撃向きの選手なのでしょう。守備に関してはハードにチェックしていくことはほとんどしていませんでした。また、まだこのチームに移ってきて2カ月も経っていないせいか、チームメイトの信頼も今ひとつで、あまりボールを回してもらえないようでした。それでも、たまに触ると前に良いパスを出しており、ボランチというより3列目の攻撃的ミッドフィルダーという感じでした。一度だけ後ろに戻したパスを敵のフォワードに奪われたのは減点でしたが、総じて無難にはこなしていたと言えるでしょう。でも、このチームがより強くなるためには、中田を一番得意なフォワードのすぐ下に置き、今そのポジションをやっているトッティをフォワードにした方がいいと私は見ました。ちょっと贔屓目かもしれませんが、フォワードのデルベッキオのキレの悪さを見ていて確信したのですが……。(2000.3.2)

<第164号:スクエアがいい> イギリスに緑が多いことは何度も書いてきましたが、この緑の空間を大事にするという発想は、大都市ロンドンでも貫かれています。ロンドンの『A to Z』(すべての街路名の入った地図帳)のどのページを開けても緑色の部分が目につきます。こうした緑の空間は、"Common"、"Park"、"Garden"、"Field"、"Ground"、"Square"などと呼ばれています。正確な定義はできないのですが、大体のイメージは以下のような感じではないかと思います。"Common"はかつての共有地――私有地と異なり、周辺に住む人々が自由に出入りし、そこの資源を利用していたオープン・スペース――ですから、自然に近い雰囲気で木が立ち、草が生えているようなところです。これに対し、"Park"は人々が気持ちよく休息を取れるように人為的に整備された緑の空間、"Garden"も似ていますが、花や植物の計画的植樹の存在をより強く意識させます。ともにスポーツのできる広場というイメージのある"Field"と"Ground"の区別も難しいですが、後者の方がより整備されているという印象が強いように思います。

 今回取り上げてみたいのは、"Square"です。"Square"というのは、本来は緑の空間とそれをを取り囲む道路と建物によってなる四角い地区全体のことなのだと思いますが、中心に広場があるために"Square"と言えば、緑のある場所というイメージがあります。(もちろん、広場自身に名がついているものもあり、例えば、観光で来られる人たちがよく知っているラッセル・スクエアに取り囲まれた広場は、ラッセル・スクエア・ガーデンズと言い、レスター・スクエアに取り囲まれた広場はレスター・フィールズというのが正式名称だそうです。また、トラファルガー・スクエアには緑がないなど例外もあります。)

 "Square"はもともとは17〜18世紀頃からロンドンの中心部が込み合ってきたのを嫌い、貴族たちが中心部からちょっとはずれたところに――今では十分に中心部の一部と言えるようなところになっていますが――、緑の空間を作りその周りにテラスと呼ばれる連続住宅を建てたことから始まっているそうです。(確かセント・ジェームズ・スクエアが最初の"Square"だったとどこかで読んだような気がするのですが、定かではありません。)こういう成立の歴史を持っていますから、"Square"はとても雰囲気の良い所が多く、歴史上の有名人物などが住んでいた住宅なども多いのです。中心部近くの由緒ある"Square"の周りをぶらぶらと歩いていると、しばしば青くて丸いプラーク(表示板)がドアのすぐ近くにはめ込んであるのに気づきます。これには、誰々がいつからいつまでここに住んでいたと書かれてあります。何の気なしに歩いていてそういうところで、自分のよく知っている歴史上の人物の名前を見つけたりすると、歴史的想像力が喚起され嬉しくなってきます。

 私の好きなスクエアをいくつかご紹介しておきましょう。ロンドン大学近くの"Gordon Square"には、20世紀前半に文学や芸術で異彩を放った「ブルームズベリー・グループ」が住み、そのグループと近しい関係にあった経済学者のケインズも住んでいました。そこから遠くないBTタワー近くの"Fitzroy Square"には、「ブルームズベリー・グループ」の中心人物の一人であるバージニア・ウルフやバーナード・ショウが住んでいました。"St.James Square"には、多くの首相が住んだチャタム・ハウスがあり、大英図書館横の"Bedford Square"には、人造大理石できれいにドアを飾ったジョージアン様式の建物が並んでいます。アメリカ大使館そばの"Grosvenor Square"にはフラクリン・ルーズベルト像が建ち、別名「ルーズベルト・スクエア」とも呼ばれています。"Leicester Square"には、チャップリン像が建ち、大道芸人たちが集まってきます。"Gordon Square"東隣の"Tavistock Square"にはガンジーの座像があります。私が好きかどうかを別として他にも有名なスクエアはたくさんあります。チャーチルが睨みを利かせる"Parliament Square"、三越のライオンのモデルになったライオン像を足下に従えるネルソン提督像のそびえる"Trafalgar Square"、ゲイのたまり場と言われる"Soho Square"もスクエアです。いずれにしろ、ロンドンで時間のある方は、『A to Z』を片手にスクエア散策をぜひ楽しんでみて下さい。ロンドンらしさをしっかり味わえると思います。(2000.3.1)

<第163号:ロンドンの桜> ついに3月に入ってしまいました。帰国まで1カ月を切ってしまったわけです。いろいろなごり惜しいですが、初めから決まっていたことなので仕方がありません。残りの日々をさらに充実させたいものだと思っています。

 ところで今こちらでは桜がきれいに咲いています。土壌や気候の違いなのか、日本より1カ月以上早くこちらでは桜が咲きます。昨年この時期にやってきた時にも見た桜を今年も見ることができて静かな喜びを味わっています。特に、来年どころか、この桜をまた見る日は来るのだろうかと思うと、特に感慨深く思えます。毎年当たり前のように見ていると、あまり感動しないものですが、こんな風に思い入れたっぷりに見ていると、本当に美しく思えてきます。きっとこれからの1カ月はロンドンのどこを歩いても、どこを見ても、いちいち感慨に耽っていることになるのかもしれません。(2000.3.1)

<第162号:お弁当袋強盗> つい最近日本人学校の近くでちょっとした事件があったようです。男女2人組が車から降りてきて、通学途中の小学生に「金を出せ!」と脅したそうです。「お金は持っていない」と言うと、その強盗たちは小学生の持っていたハロッズのビニールバッグを奪って逃走したそうです。ハロッズのビニールバッグならそれなりの物が入っているに違いないと思って奪っていったのでしょうが、実際に入っていたのはお弁当だったそうです。お弁当しかないことに気づいたとき、犯人たちがどんな感想をもらしたか聞いてみたいものです。「なんで、日本人はあの高級店ハロッズの袋に弁当なんか入れてんだ??」ってとこでしょうか?(2000.2.22)

<第161号:チップにご注意> イギリスではレストランで食事したときには、かかった費用の10〜15%をチップとしておきましょうとガイドブックに書いてありますが、実際に食事をしていると、10〜15%というのは高すぎるという気がします。確かに10ポンド程度の食事なら1〜1.50ポンドぐらいチップをあげてもいいかなと思いますが、何人かで食事をして60ポンドとかになったときに6〜9ポンドもチップをあげる必要はないのではないかと思います。私は、最高で10%ぐらいしか出さないことにしています。気持ちのいい本当にサービスらしいサービスをしてくれたら10%強、普通に料理を運んできてくれたら5〜10%の間(かかった金額の多寡にもよります)ぐらいを目途にしています。無愛想で態度が悪いウェイターならチップを渡さない場合もあります。

 でも、私のような人間が増えてきているせいなのかもしれませんが、あらかじめ勘定書にチップ分を勝手に書き込んで持ってくるお店も増えてきました。それもあらかじめメニューなどに「○○%のサービス・チャージをいただきます」と書いてある場合は仕方がないとしても、何も書いていなかったのに、最後の勘定書にはしっかり書き込んであるなんてこともあります。中には15%も勝手に書き込んでくる店があって、思わず「このサービスのどの辺が15%に値するのか説明して欲しい!」と抗議したくなります。(実際にはしたことはありませんが。)皆さん、イギリスで食事する場合は、勘定書をよく見てからお金を払いましょう。サービス料を取られているのに、さらにチップを払ってしまったなんてことのないようにお気をつけください。(2000.2.22)

<第160号:Stanstead空港> アフガニスタン機のハイジャック事件で一躍有名になりましたが、スタンステッドという空港があります。ロンドンから北へ50kmほど行ったところにあります。50kmも離れていてはロンドンの空港とは言えないのかもしれませんが、成田空港(新東京国際空港)と都内との距離も同じようなものでしょうから、ロンドンに住む人が利用できないわけではありません。しかし、ロンドンにはヒースローをはじめシティ、ガトウィックと3つも有名な空港があるので、やはり利用者は少ないようです。私がこの空港のことをはじめて知ったのは、エディンバラまでのべらぼうに安い航空券の宣伝を目にしたときでした。確か「ロンドン―エディンバラ」が往復で38ポンドくらいだったように記憶しています。なんでこんなに安いんだろうと思ってよく見てみると、ロンドンの空港とはスタンステッドだったのです。一体どこにあるんだろうと調べてみたら、ロンドンとケンブリッジのちょうど中間あたりにこの空港はありました。これでは、そこに行くまでに時間と交通費がかかり、思ったほど得な話にはならないようでした。(さらに、妻が知人から聞いた話では、スタンステッドからスペインまで19ポンドだったという話もあります。ロンドン市内からスタンステッド空港までの交通費の方が高かったと言っていたそうです。また、スタンステッドからイタリアのジェノバまで1ポンドで行って帰ってきた方もいます。)

 今回のハイジャック事件が起こったとき、最初に思ったのは、巻き込まれた人には申し訳ない限りですが、「ああこれで、Stanstead空港もちょっと有名になるな」ということでした。私はこのまま利用せずに帰国することになりそうですが、比較的時間がたっぷりあってお金はセーブしたいという人は、利用を考慮してみてもいいかもしれません。それにしても、ロンドン周辺は空港が多いです。実はもうひとつLuttonという空港もあります。これは、スタンステッドの西40kmぐらい、ロンドン中心部からはやはり50km弱といった所にあります。つまり、ロンドン中心部から50km圏内に5つも空港があるわけです。本当にそれだけ需要があるのかどうか私にはわかりません。まあでも、海外から来る人も多いし、逆にイギリスに住む人も気楽に国外に出かけるし、はたまた国内の列車はのろいしと考えていくと、それなりに必要性はあるような気もしてきます。(2000.2.18)

<第159号:趣味じゃない> アカデミー賞のノミネート発表がありましたね。"American Beauty"という映画がもっとも多くの部門でノミネートされたそうです。実は、私もつい先日この映画を見たばかりです。内容をよく知らないまま、タイトルの美しさとなんとか賞を取ったという宣伝ポスターを見て、「きっときれいな女優さんでも出てくる美しい映画なのだろう」と期待して入ったのですが、まったく予想を裏切られました。他人の評価はどうであれ、はっきり言ってこの映画は私の趣味ではありませんし、個人的には高く評価する気にはなれません。全体を通して受けた印象は、この映画は北野たけしの映画に似ているということでした。あくまでも私の勝手な推測ですが、この映画監督は北野たけしの映画を見ていて、その影響を受けているという気がします。妙に無表情な主人公の娘とそのボーイフレンド、そして彼の母親、さらに最後は拳銃で主人公が殺されてしまうこと、それに内容としっくりこないタイトルの付け方など北野映画の特徴をふんだんに盛り込んでいます。北野映画をあまり高く評価できない私にとって、当然この"American Beauty"も高く評価のできない映画にならざるをえません。もしこの映画がアカデミー作品賞を取るなら、いつの日か北野たけしにもチャンスがありそうな気がします。私は映画には映画ならではというものを期待します。ただで見られるテレビでは失敗に終わっている実験作も許容しますが、それなりのお金を払って見る映画には、「さすが映画だな。お金と時間と頭を使っているなあ」という風に思えないと強い不満が残ります。正直に言って"American Beauty"はテレビドラマでも十分描けそうな世界でした。他の作品賞の候補で見たことがあるのは"Six Sense"だけなので、とりあえずそれなりの満足感を与えてくれた"Six Sense"が勝つようにひそかに応援しようと思っています。"American Beauty"をまだ見ていない人は、たとえこの作品がアカデミー賞を何部門か取ったとしても、見ない方がいいですよと忠告しておきたいと思います。たぶんあまり得した気分にはなれませんよ。(2000.2.15)

<第158号:"Saint Valentine Day"> 2月14日は聖バレンタインディです。日本では、今時「聖」あるいは「セント」なんてつけてこの日を呼ぶ人は少数派でしょう。しかし、正式には"Saint"がついているわけで、バレンタインという聖人を記念した日です。(遠征に出る兵士の結婚を禁止したローマ皇帝に反対しバレンタイン司祭が処刑された日だそうです。)ということですから、当然キリスト教国イギリスでもこの日は"Saint Valentine Day"で、やはり愛の告白をしていい日です。ただし、日本と違って女性からと決まっているわけではないし、プレゼントも圧倒的にチョコレートなんてことはないようです。つい最近見た広告では、赤とハートが基本になっていましたが、たまたまその広告だけのものだったかもしれません。いずれにしろ、日本ほど一大イベントにはなっていないようです。

 子供の通っている学校は日本人学校なので、バレンタインディは密かに盛り上がったようです。娘たちの話によれば、一応学校にチョコレートを持ってくるのは禁止になっていたはずなのに、みんな持ってきていたとか、禁止って言ってた先生が嬉しそうにもらっていたとか、何とか君のロッカーにはチョコが山のように入っていたとか、あげたのに嬉しそうにしなかったからなんとかちゃんはチョコを取り返してみんなで食べちゃったとか、いろいろおもしろい話を聞かせてくれました。3年生ともなるとなかなかおませなものだなと妙な感心の仕方をしてしまいました。そういえば、好きな子はいるけどチョコレートをあげないと言ううちの娘の言い分は、「昔はよくわかんなかったからあげちゃったけど、もう今はそういうわけに行かないからね」というものでした。うーん、父親としては何と言ったらいいんでしょうか、こういう場合……。(2000.2.14)

<第157号:性の露出> 最寄り駅を出たところに、嫌でも目に入る縦2m横4mぐらいの大きなポスター用の看板があります。ここに2カ月ほど前に非常に大胆なポスターがしばらく貼られていました。どういうポスターかというと、ベッドの上で一糸まとわぬ姿の若い男女が対面交錯して座っていながら、互いの視線はそれぞれが持っている書籍に向いているという書店の広告でした。ポーズがポーズなだけに、否が応でもセックスを連想させてしまいます。ポスターのコンセプトは、「セックスよりも本がおもしろい」とでもいうところだったのでしょうが、初めて目にしたときから、子供に「あのふたりはどうしてあんな格好をしているの」と聞かれたら困るな、なんて大胆なものを公衆の面前に晒すんだろうと首を傾げていました。うちの子供たちから問いかけがなされる前にポスターが消えたのでホッとしていたのですが、昨日新聞を見ていたらちょうどこのポスターのことが取り上げられていました。

 やはり苦情は多かったようで、インターネットで315件の苦情が寄せられたと出ていました。ところが、これだけの苦情があるにもかかわらず、広告基準局(The Advertising Standards Authority)は、広範な不快感を与えるものではないとして規制はしないことに決定したそうです。このポスターを出した会社の責任者は、「学校や教会の近くには貼っていないし、そもそもこのポスターがそんな行きすぎたものだとは思っていない」と全く悪びれた様子もありませんでした。広告基準局が支持しているのが強気な理由でしょうが、この記事を書いた記者が指摘していましたが、イギリスの広告基準局はそのメンバー構成から言っても、広告主よりの判断を下しがちなのだそうです。子供もたくさん通る駅前の大看板には貼ってほしくなかったというのは、子供を持つ親としての実感でした。

 ついでにイギリスのテレビにおける性の取り扱いを紹介しておきましょう。午後9時前ぐらいの番組では性が露骨に扱われるものはまずありませんが、9時過ぎてからの番組だといろいろ出てきます。特に11時過ぎぐらいからのドラマや映画では性を取り扱ったものがかなりあります。で、どこまで映像で流しているかというと、テレビ用に作られたドラマでは局部も陰毛も映ることはありません。映画となると、陰毛は映っていました。(なつかしの『エマニュエル夫人』で見ました。)でも、そうしたエロチックに作られたドラマや映画より大胆なのが、まじめな意図の下に制作された番組です。ポルノグラフィーの歴史を丁寧に調べた番組もなかなか露骨でしたが、ここ3週間ほど前からやっている"Private Parts"という番組はものすごいです。第1週目が「クリトリス」、第2週目が「ペニス」、第3週目が「乳房」でした。たくさんの人がその"Private Parts"に関してのインタビューに答えているのですが、そのうちの多くの人が自分の"Private Parts"を見せながら、インタビューに答えているのです。1週目の「クリトリス」の時などは、クリトリスにピアスをつける場面まで映していました。あまりの大胆すぎる映像に呆気にとられてしまいました。(ちょっと話が落ちますが、本当に「馬並」って人がいるんだというのも見てしまいました。)

 めったに触れない領域に入り込んだんだからもっといろいろ書ければいいのですが、私に書けるのはこの辺までですね。繁華街のそういう関係の場所とかには行ったことがないので、どの程度のことが行われているのかわかりません。「何でも見てやろう、経験してやろう」という精神が大事な社会学者としてはだめなのかもしれませんが、まあこればっかりはねえ。そういうことは得意な方がどこかでレポートしているでしょうから、それを読んでもらうこととして、今回の私のレポートはこの辺で終わりにします。(2000.2.11)

<第156号:大英博物館の入館無料はいつまで続くか> ロンドンの博物館や美術館と言えば、入館料が無料というのが通り相場ですが、よく考えてみると今やそうたくさんはないことに気づきます。ただもっとも有名な大英博物館が未だに無料なので、まだ無料というイメージが強いのでしょう。でも、その大英博物館も徐々にお金を取る方向に変わりつつあるようです。特別展は以前から特別料金を取っていたのだと思いますが、昨年から「ロゼッタ・ストーン」――ナポレオンがエジプトで見つけたもので、この発見によりエジプトの象形文字が解読できるようになったという有名な石板――の本物は、特別な部屋に動かされ、それを見るためだけに4ポンド払わなければならなくなりました。この調子では、いずれパルテノン神殿の彫刻を見るのも4ポンド、ミイラを見るのも4ポンドなんてことになってしまうのではないかと危惧しています。

 確かに博物館の維持には膨大なお金が必要ですし、現在大英博物館は大規模な改装工事中ですから、入館料を取る方向で改定が行われても仕方がないかなという気はします。でも、どうせお金を取るなら、現在「ロゼッタ・ストーン」でやっているような分割型徴収方式ではなく、入口で買った入館券ですべて見られるようにしてほしいものだと思います。金額は大人10ポンド、子供は無料というのが妥当な線でしょう。(イギリスの博物館、美術館は、子供が無料というところがほとんどです。これは日本ももっとまねしてほしい点です。)大人1人から10ポンド取ったら、相当の収入になることは間違いありません。年間100万人ぐらいは軽く来るでしょうから、1000万ポンドにはなります。というと20億円ぐらいですね。うーん、私が首相だったら、明日にでも入館料徴収の決定を下しそうです。

 ただ、財政の論理とは別な論理も考えられます。イギリスが世界各地からかすめ取ってきた宝を自分の国の財産にしてしまっていても、これまではこれだけきちんと管理して無料で見せてくれるのだから、まあイギリスに所有させておくのもいいかなと思っていた人も少なくないかと思います。しかし、もしも高い入館料を取るようになったら、これは話が全く違ってきます。歴史を遡ってその所有の正統性が問われ、「我が国の宝は、我が国に返せ!」といった要求が強くなるに違いありません。矜持を保ってこのまま無料を続けるか、背に腹は代えられずと入館料徴収に踏み切るか、ブレア労働党内閣がどう動くかここ数年ぐらい注目してみたいと思います。(私の予想では、ここ1〜2年のうちに入館料徴収になるのではないかという気がします。)(2000.2.11)

<第155号:日が長くなってきました> 2月も半ば近くなり大分日が長くなってきました。12月下旬頃は午後4時にはすっかり暗くなってしまっていたのが、午後5時過ぎまで暗くならなくなりました。やっぱり日が長いっていいですね。なんだか元気になってきます。日本でも立春を過ぎたところでしょうが、日本は雪などもよく降るので2月が一番寒い感じがして、まだ春が来るという気がしないのではないかと思いますが、こちらの2月は本当にもうじき春がやってくるという感じがします。青空が見える日が多くなり、庭では黄色いかわいい花が咲き始めました。日が長くなった分、暖かさも少し戻ってきたような気がします。春はもうすぐそこです。(2000.2.11)

<第154号:セルビア人の運転手さん> ブリュッセルのタクシーは日本の小型タクシーぐらいの大きさで4人までしか一度に乗れません。駅からホテルに行くときに頼んでみたのですが、やはり「5人は乗れない」と言われ、2台に分乗して行きました。帰るときもまた2台タクシーを呼ばなければいけないなあと思っていたのですが、たまたま通りがかったタクシーの運転手さんに「5人なんだけど……」と言うと、「子供はプチだから構わない」と言って乗せてくれました。英語のほとんどできないおじさんでしたが、コミュニケーションは結構できるものですね。駅に行く前にEU本部の建物の方にも回ってもらったのですが、その際に「ブリュッセルはEUの首都ですよね」と言うと、首をすくめて「さあ、どうなんだろうねえ」って顔をしていました。「ベルギー人なんですか?」と聞いたら、セルビア人でクロアチアから来たとの答えでしたので、ユーゴスラビアの紛争のことを思い出し、「お国はいろいろ大変ですね」と言うようなことを話すと、「どうってことないさ」と気にもしていないようでした。

 クロアチアと言えばワールドカップで日本と対戦したんだなと思いつき、ボバンとかスーケルといったクロアチアの選手の名前を思い出そうとしたのですが、焦っているときはだめですね。その場では結局クロアチアの選手の名前がひとりも出てこず、唯一浮かんだのが、ストイコビッチでした。確かストイコビッチはユーゴスラビアの選手だったなあと思いつつ、ままよとばかりにストイコビッチの名前を出すと、親指を立ててニヤッと嬉しそうにしてくれました。ストイコビッチはユーゴスラビアが分裂する前の1990年のワールドカップで一躍有名になった選手なので、セルビア人のこのおじさんにとっても印象は悪くなかったのでしょう。(と自分に都合良く解釈しています。)ほとんど単語と単語が行き交うだけの会話でしたが、それなりにコミュニケーションができて楽しい一時でした。(2000.2.11)

<第153号:マグリットと白ビールとチョコレート> ユーロスターに乗ってブリュッセルまで行ってきました。ロンドンから3時間弱で着きます。「あまり見るもののない街よ。どうせ行くならブリュージュの方がいいのに」という近隣の声もありましたが、とにかくパリとともにユーロスターで簡単に行けるというのが魅力で出かけました。

 ブリュッセルは予想以上に魅力のある街でした。中世の建物で囲まれたグラン・プラスと呼ばれる石畳の広場や王宮は趣があります。他方、車で5分ぐらい走ると、超近代的なEUの議会や委員会の建物が現れます。過去と現代がきっちり棲み分けをしているような街です。こうした街を散策しているのも楽しいのですが、もうひとつ忘れてならないのが国立美術館です。ここには、中世の民衆の姿を生き生きと描いたブリューゲルの絵が何枚もあることで有名ですが、それとともにマグリットの絵が揃っているので圧巻でした。マグリットと言ってもわからない人も多いかと思いますが、だまし絵的要素を持った絵をたくさん描いた画家です。羽ばたく鳥の形に切り取られた青空や、画面上部の空は昼なのに、画面下部の景色は夜になっている絵とか見たことありませんか。もし見たことがなかったらこれから注目してみて下さい。とても不思議な絵です。現代絵画というと、幾何学的すぎたり、逆に混沌とした印象しか持てないものなどが多く、絵に引き込まれない場合が多いのですが、マグリットの絵は不思議な絵なのですがとてもきれいなので、ずっと見ていたくなります。今回この美術館でじっくり見て改めて好きになりました。もちろん、ブリューゲルもいいですし、ボスの描いた奇怪な生物を眺めるのもおもしろいです。いずれにしろ、この美術館は見ずに通り過ぎてしまってはもったいない美術館であることは間違いありません。

 もうひとつブリュッセルを気に入ったのは、ビールと食事がおいしかったことです。日頃イギリスのまずい食事に辟易しているので、イギリス以外の国に行くと何でもおいしく思えるのかもしれませんが、たぶん日本から来てもおいしく感じると思います。まずビールにいろいろな種類があって、いずれもなかなかいけます。個人的に気に入ったのは、白ビールです。色は濁ったレモン色――実際最初に飲んだ白ビールにはレモンの薄切りが浮かんでいました――で、さっぱりしていながらが味わいがあるという感じでした。他にもフルーツビールや修道院ビールのシメイ(アルコール度がかなり高い黒ビール)などいろいろ変わったビールがあり楽しめました。そして、なんと言っても食事がおいしいかったです。海が近いので海の幸も豊富にあります。私たちが挑戦したのは、生貝、ムール貝のワイン蒸し、うなぎのグリーンソース煮、小エビのコロッケ、牛肉のビール煮、ワーテルゾーイというクリームシチュー、アンディーブとハムのグラタン、ストゥンプと呼ばれるマッシュポテトなどでした。(もちろん1食分ではないですよ。)特においしかったのは、ムール貝のワイン蒸し、牛肉のビール煮、ストゥンプといったところです。他もなかなかおいしかったですが、うなぎのグリーンソース煮だけは今ひとつでした。(うなぎを開かずにぶつ切りにしてあったので、ちょっと蛇を食べているような気になりました。やっぱりうなぎは開いてたれにつけて焼くのが一番ですね。)

 あと私は甘党ではないのでそれほど感動しませんでしたが、ベルギーはお菓子もおいしいのだそうです。ワッフルも有名なのですが、日本人にはチョコレートで有名な"Godiva"はベルギーが本場なんですよと言った方がわかりやすそうです。その他にも"Neuhaus"とか"Wittamer"など有名なお菓子のお店がいろいろあります。甘党の妻は、"Neuhaus"のチョコレートを3箱に、"Wittamer"のケーキを買って帰りました。一応外国旅行なのに、ケーキの箱を持って帰路につくわけですから、しみじみヨーロッパの垣根は低くなっているなあと実感しました。(2000.2.10)

<第152号:Britainはどこに行くのか?> つい最近「Britainが死んだ日」という興味深いドキュメンタリーが放映されていました。作家で政治評論家でもあるアンドリュー・マー氏が様々な人々にインタビューをしながら、「Britain=イギリス」はどうなっていくのかということを考えていくドキュメンタリー番組でした。第1話は、スッコトランドやウェールズが独自の議会を持ち、大きな権限を委譲されたという国内政治の面から、第2話は、文化のアメリカナイズ化の進行とヨーロッパ統合という国際関係から、そして第3話は、GMフードやキツネ狩り、それにエスニックといった国内で意見の分かれる争点からBritainの将来を考えるというものでした。どの面から見ても楽観的な見通しは立たないようで、「もうBritainは死んだよ」といった発言がたびたび出てきました。「1707年誕生、1999年死去」と刻まれたお墓にイギリス国旗のユニオンジャックを埋葬するなどという象徴的な映像を作っていました。

 確かに事態は容易ではないなと私も思います。一方で、英米あるいはヨーロッパという大統合への動きがあり、他方では民族的アイデンティティの高まりがあり、どちらの方向へ進んでも、Britainは維持できないことになります。第2次世界大戦の終了までは、国家間戦争がしばしば起こり、そのたびにBritishとしてのアイデンティティが喚起されてきたわけですが、第2次世界大戦の終了後は、小紛争を除けば、そうした機会はなくなったわけです。現在では、戦争犠牲者を追悼する"Remembrance Day"の式典をやっている時だけ、かつての"Great Britain"が一時的に復活しているような感じです。考えると怖ろしいのですが、結局他国との戦争が国家としてのアイデンティティを高める最大の要因ということになるのでしょう。戦争がなく、国家が自然消滅的に静かに解体していくなら、それは好ましい推移と見るべきなのでしょう。しかし、Britainの解体がより民族的アイデンティティの強い小国家イングランド、スッコトランド、ウェールズの誕生にすぎなかったり、より強大な国家であるアメリカ・イギリス連邦やヨーロッパ連邦の誕生であるならば、単純に好ましい推移とは言えないでしょう。国民国家が消滅し地球連邦ができるのが一番なのですが、集団は仮想敵国なしにはまとまりえませんので、宇宙人が攻めてこない限り地球連邦の誕生はないというのが、私の持論です。当面宇宙人の侵略はないでしょうから――あっても困りますが――、国家という枠は生き続けるはずです。"Great Britain"という国家の枠が50年後も残っているかどうかは定かではありませんが……。(2000.2.4)

<第151号:重量表示の変更> イギリスではこれまで重量の単位としてはパウンド(記号はlb)を使っていましたが、2000年を期にグラム表示に変わりました。長さもインチ、フィートからメートルに、液体の量はオンス、パイントからリットルに変わっていくようです。特に、重量表示は日常の買い物(野菜や肉)の中でたくさん見かけますので、変わったんだなあということがよく実感できます。他方、長さの方は、交通標識などに多く使われているので、重量ほどすぐには変えられないようです。パイントと言えば、何と言ってもパブのジョッキ1杯のビールの量ですが、これも簡単には変わらないでしょう。でも、スーパーマーケットで買えるペットボトルや缶入り、紙箱入り飲み物は、ずっと前からリットル表示になっていました。ビールだけなら日本でも大ジョッキ、中ジョッキ、小ジョッキという適当な区分でやっていますので、パイント、ハーフパイントで、特に変える必要はないかもしれません。

 もともとイギリスは、1875年にできた「メートル条約」(10進法のメートル、グラムを使うことを定めた条約)を批准しているので、とっくのとうにメートルやグラムに変えていなければいけなかったのに、ずるずると昔からの単位にしがみついて変更して来なかったのです。これがここに来て急に改善されたのは、EU統合を睨んでのことです。ユーロの使用――いわゆる通貨統合――に関しても未だ国民の過半数が反対という状況ですが、取りあえずできることから条件整備だけはしておこうということのようです。EU統合の是非は簡単に結論が出せませんが、ややこしいイギリスの単位がわかりやすい「メートル法」に変わってくれるのは、われわれにとってありがたいことです。でも、イギリスのおばさんたちは、量がどのくらいかわかりにくくなったとブツブツ言っています。(2000.2.3)