ロンドン便り PART3(第101号〜第150号)

 

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ロンドン便り(番外編)(第191号〜第200号)へ

  目次(興味のあるテーマをクリックして下さい。)

<第150号:道路の横断>(2000.2.2)

<第149号:Pepperの謎>(2000.2.2)

<第148号:王室御用達>(2000.2.2)

<第147号:やればできるんじゃない?>(2000.2.2)

<第146号:前庭が半分消えた!>(2000.1.30)

<第145号:ブレアは1000日、小渕は何日?>(2000.1.29)

<第144号:冬の高速道路は要注意>(2000.1.29)

<第143号:海外旅行もいいけれど……>(2000.1.20)

<第142号:『イエロー』>(2000.1.20)

<第141号:子供たちの不満>(2000.1.17)

<第140号:洗剤を洗い流さないイギリス人>(2000.1.17)

<第139号:蝋人形と生気>(2000.1.16)

<第138号:イギリスでのいくつかの不快な経験>(2000.1.16)

<第137号:テレビで見るイギリスのいろいろなスポーツ>(2000.1.15)

<第136号:不思議な運賃改正>(2000.1.13)

<第135号:首相夫人の不正乗車>(2000.1.11)

<第134号:暖房が故障!>(2000.1.11)

<第133号:イギリスは21世紀に入った!?(2000.1.6)

<第132号:太陽は黄色で、月は白>(2000.1.6)

<第131号:スヌーピーの引退>(2000.1.6)

<第130号:ヴィクトリア時代の生活>(2000.1.1)

<第129号:ついに2000年がやってきた!>(2000.1.1)

<第128号:ご近所さん>(1999.12.30)

<第127号:カラオケボックスの特殊性>(1999.12.26)

<第126号:ミレニアム・ブルー>(1999.12.26)

<第125号:漆黒の闇がない>(1999.12.26)

<第124号:新札ばかり出てくる>(1999.12.26)

<第123号:七面鳥の丸焼き>(1999.12.26)

<第122号:「偽善家」について考える>(1999.12.16)

<第121号:バラと桜>(1999.12.15)

<第120号:何か気になるジョージ4世>(1999.12.9)

<第119号:宿命のライバル――イギリスとドイツ――>(1999.12.8)

<第118号:Wonder-boy, Shinji(1999.12.7)

<第117号:プーとパディントン>(1999.12.4)

<第116号:マークス寿子氏に会う>(1999.12.2)

<第115号:日本のスパゲティ屋よ、ロンドンに進出せよ>(1999.12.1)

<第114号:日付の表し方>(1999.12.1)

<第113号:骨と皮だけのスパイス>(1999.11.30)

<第112号:イギリスが好き、日本が好き>(1999.11.27)

<第111号:日本はアジアなのか?>(1999.11.26)

<第110号:政治家の妻>(1999.11.24)

<第109号:りんごがおいしい>(1999.11.23)

<第108:速報・バティストゥータ、マンチェスターを破る>(1999.11.23)

<第107号:モダン・ブリティッシュ・レストラン>(1999.11.22)

<第106号:視力>(1999.11.21)

<第105号:イギリス史を学ぶ必要性>(1999.11.15)

<第104号:チャールズとカミラ>(1999.11.15)

<第103号:50年後にはイギリス王室はない?!(1999.11.15)

<第102号:Lord Mayor's Show(1999.11.14)

<第101号:キツネの来訪>(1999.11.14)

<第150号:道路の横断> ロンドンの中心部だけしか見ていないとあまり感じないかもしれませんが、イギリスは日本と比べたら横断歩道が非常に少ないです。うちから半径約2km(歩いて約30分以内)の範囲では、たぶん駅前にあるのが唯一の横断歩道ではないかと思います。では、横断歩道のない所でどうやって道路を渡るかと言えば、車の来ないのを見計らって、自分の判断で渡るのです。少し広い道路の場合は、道路の中央に"Traffic Island"と呼ばれる安全地帯があり、一気に渡りきれないと思ったら、まずその"Traffic Island"まで行き、車の流れが再び切れるのを待って、残り半分を渡りきるのです。こちらに来て最初のうちはなんて危ないんだろうと思っていましたが、慣れると信号より待ち時間が少なく便利と言えば便利です。法律や警察の指示に従って動くのではなく、自分の判断で自分の行動をコントロールするという個人主義の思想がこんな所にも生きているようです。でも、すばやく行動のできない子供やお年寄りにとっては、やはりあまり安全な横断の仕方とは言えないことは確かでしょう。

 横断歩道よりもっと少なく、ほとんど見かけないのが歩道橋です。A道路と呼ばれる1級国道のような道路は片側3車線以上あるところがざらで、車もよく時速100km以上出して走っています。こういう道路は普通の道路と同じように渡ることは困難です。(一度無理に渡ろうとして肝を冷やしたことがあります。)で、日本だったら、こういう所では歩道橋を作ろうという話になるのですが、イギリスは違います。大体地下に潜らせます。もしも大きな道路で、横断歩道も"Traffic Island"もなかったら、周辺を探してみて下さい。きっとどこかに地下道への入口があると思います。歩道橋ではなく、より建設費用のかかる地下道にしているのは、やはり街並みの景観を大事にしているからでしょう。日本ももっと見習わなければならない点だと思います。でも、台風が多く、しばしば地下道が水浸しになる日本では、もっと地下道をという発想はあまり支持されないかもしれません。となると、やはり日本にはあまり見栄えの良くない多数の信号と横断歩道というのが一番合っているのかもしれません。(2000.2.2)

<第149号:Pepperの謎> どうでもいいようなことですが、最近気になって仕方がないのが、"Pepper"という言葉です。普通"Pepper"と言えば、胡椒のことですよね。"Black Pepper"とか"White Pepper"がありますよね。で、"Red Pepper"とか"Hot Pepper"と言えば、唐辛子とかタバスコのことになります。でも、胡椒と唐辛子(あるいはタバスコ)は、全然違う植物です。なんで同じ単語で表してしまうのでしょうか?辛い香辛料という点は共通しているからいいんじゃないのという人もいるかもしれませんが、そういう方々もピーマンが"Green Pepper"――こちらでは、日本と違い様々な色のピーマンがあり、その色でそれぞれ"Red Pepper""Yellow Pepper""Orange Pepper"など――と呼ばれていることを知ったら、私と疑問を共有してもらえるのではないでしょうか。なんで、胡椒も唐辛子もピーマン――もちろん唐辛子とピーマンが同種の植物であることは知っています――もみんな"Pepper"なんでしょう?黒いピーマンや白いピーマンができたら、"Black Pepper"とか"White Pepper"と呼ぶのでしょうか?辞典を調べたら、胡椒を緑のうちに摘んだものは"Green Pepper"と呼ぶと出ていたのですが、これでは緑のピーマンと同じになってしまいます。こんなことで混乱しないのでしょうか?しかし、イギリス人たちを見ている限り、全く困っていなさそうです。まあ、彼らは食卓用香辛料としては唐辛子はほとんど使わないので、"Red Pepper"は「赤いピーマン」で、料理用の唐辛子やタバスコは"Hot Pepper"と呼んで、問題を感じていないようです。緑の胡椒などというものも一般的には使わないので、"Green Pepper"は「緑のピーマン」に特定化できるのでしょう。でも、食を大事にする日本人の私としては納得がいきません。なぜ同じ単語で表されるようになったのかもう少し考えてみましょう。

 胡椒と唐辛子のどちらが古くからヨーロッパ人に知られていたかと言えば、胡椒の方です。胡椒はインド南部が原産で、唐辛子の方はメキシコ原産と言われています。それゆえ、胡椒の方は、インドから中東を経てヨーロッパに早くから知られていたのに対し、唐辛子の方は「大航海時代」以降に新大陸アメリカから初めて持ち込まれたわけです。この時に、ちゃんと胡椒――この時点ですでに"Pepper"という名称になっていたと考えられます――と区別する名前を与えれば良かったのに、辛いという共通点だけで"Pepper"にしてしまったんでしょうね。その後辛くない唐辛子(=ピーマン)が伝わっても、同種だと言うことで"Pepper"のままにしてしまったんでしょう。なんといい加減なことでしょうか。フランス語でも胡椒が"Poivre"で、ピーマンが"Poivron"と言うようです――ピーマンって外来語はフランス語の"Piment"から来ているはずなのですが――ので、このいい加減さは食の貧しい英米だけのことではなさそうです。最初に唐辛子を持ち帰ったと思われるスペインでは、胡椒と唐辛子とピーマンを区別しているでしょうか?ここでもだめだとなると、唐辛子がヨーロッパに伝わった最初からだめだったということになるのでしょうね。

 唐辛子はその後世界中に伝播し、今や原産地のメキシコ料理だけでなく、インド料理にもタイ料理にも四川料理にも韓国料理にも欠かせない香辛料となっています。これらの国々の料理だけでなく、一般的にエスニック料理というと、唐辛子を使ったホットな味がイメージに浮かんできます。こうした非ヨーロッパ圏では、胡椒と唐辛子はちゃんと区別されているでしょうか?それにしても、その浸透ぶりから考えると「唐辛子は世界を支配した」と言っても過言ではないかもしれませんね。でも、日本は唐辛子に支配されていない数少ない社会でしょう。わさび、山椒、しそ、ゆず、ああ和食が恋しい……。(2000.2.2)

<第148号:王室御用達> 老舗百貨店ハロッズのオーナー、モハメド・アルファイドの言いたい放題(ダイアナとその恋人であった自分の息子が死んだのは、エジンバラ公の策略だったとか、自分がイギリス国籍を取得できないのもエジンバラ公が邪魔しているからなど)に堪忍袋の緒を切らしたエジンバラ公(エリザベス女王の夫君)が、長年ハロッズに与えてきたワラント(王室御用達の証明)を取り上げたことは、たぶん日本でも紹介されたことと思います。ハロッズの緑色のビニール袋――こちらではプラスティック・バッグと言いますが――を見るとわかるのですが、"Harrods"という金文字の上に4つの紋章が並んでいます。左から女王、エジンバラ公、クイーンマザー、チャールズ皇太子の紋章です。今やハロッズは、エジンバラ公のワラントを失いましたので、このビニール袋も作り直さざるをえません。かなりの出費でしょうね。その上、エジンバラ公同様にハロッズのオーナーを嫌っている女王とチャールズ皇太子のワラントも近い内に取り上げられるだろうというもっぱらの噂です。今年100歳になられるクイーンマザーもそういつまでも生きていらっしゃらないでしょうから、近い将来ハロッズからすべてのワラントが失われることは確実と言えます。強気のオーナーは、ワラントがなくなっても売り上げにはたいした影響は出ないと述べていますが、買い物大好きな日本人の奥さんたちは、「ワラントがなくなったら、ハロッズなんかだめよね」と話しています。「記号消費社会」において、ワラントが持つ価値は、非常に大きいことは間違いありません。すべてのワラントがなくなった後のハロッズがどうなるか見てみたい気がします。

 そんなことを考えながらトイレに入ったら、なんとうちが使っている"Andrex"というトイレットペーパーにも女王とクイーンマザーのワラントがついているのに気づきました。そうか、女王陛下もお使いなのかと思ったら、途端に素晴らしいトイレットペーパーのように思えてきた私も結構「記号消費家」ですね。(2000.2.2)

<第147号:やればできるんじゃない?> 昨年の11月末頃から、ミレニアムドームへのアクセスとして、"Jubilee line"という地下鉄路線が延長されました。先日その新"Jubilee line"Waterloo駅に行って驚きました。プラットホームが、日本の「ポートアイランド線」や「六甲アイランド線」と同じように2重ドア方式になっていたのです。2重ドア方式とは、プラットホームと線路の間にも仕切があり、電車が来たときだけドアが開くという方式です。プラットホーム側のドアと電車のドアと2重になっているわけです。で、どうしてこの2重ドア方式に私がそんなに驚いたかと言うと、この方式で乗客をちゃんと乗降させるためには、電車を決まった位置できちんと止めなければならないからです。電車が決まった位置で止まるのは日本では当たり前のことですが、こちらではそんなことはこれまで全く期待のできないことでした。電車を待つ乗客もみんなプラットホームの適当な場所に立ち、万一自分の前にドアが来てくれたら「ラッキー」と喜び、来なくても「まあそんなもんだろう」と諦めの境地でいたのに、この新しい"Jubilee line"Waterloo駅では、ちゃんと決まった位置に電車が止まるのです。"Unbelievable!"というのは、こういう時に使う言葉でしょう。イギリスの電車だってやればできるじゃないと突っ込みを入れたくなりました。

 ついでにもうひとつ改善してほしいなと思うのは、旧BR系の駅で出発ホームをぎりぎりまで提示しないというやり方です。旧BR系のターミナル駅では、空港と同じような大きな掲示板があり、何時何分のどこそこ行きは何番線ホームから出発しますという表示が出るのですが、出発ホームの番号は、出発予定時刻の早くて10分前ぐらい、下手をすると5分前ぐらいにならないと表示されないので、乗客はみんなぎりぎりまで掲示板の前で待ち、番号が表示された途端、急いで移動するという慌ただしいことをしています。飛行機のように天候に大きく左右される乗り物ならいざ知らず、毎日時刻表に合わせて走らせている列車で、どうしてあらかじめ出発ホームが決められないのか不思議でなりません。今までは、これもアバウトなイギリスだから仕方がないかと思っていましたが、Waterloo駅のプラットホームの改善を見て考えを変えました。これだってちょっとした意識改革でできるはずです。ブレアさん、頑張って!(2000.2.2)

<第146号:前庭が半分消えた!> うちの家の前庭が半分消えてしまいました。と言っても厳密に言うと、うちの前庭ではなく、隣のお宅の前庭なのですが。我が家はイギリスによくある"Semi-detached House"(日本風に言えば、「二戸一住宅」ということになるでしょうか)で、隣とは言えこれまでは垣根のようなものを作っていなかったので、大きな前庭を両家で共有しているような感じでした。リビングルームから外を眺めると一年中緑の芝生と草花が目に入るという心休まる景色を享受してきました。ところが、つい最近お隣が前庭を潰して駐車スペースにしてしまったため、窓からはいつも車が見えるという殺風景な景色に変わってしまいました。

 "Semi-detached House"はひとつの建物ですが、所有は完全に2世帯に分けられており、自分の所有部分に関しては、隣家と一切の相談なしにどのように手を入れることも可能です。それゆえ屋根や壁の色が半分ずつ異なるような建物もしばしばあります。うちの場合は、これまでは両家に大きな違いがなく統一性が保たれていたのですが、今回の変更で大きく様変わりしてしまいました。隣家は車を2台所有しているため、どうしても駐車スペースを確保したかったようです。そう意識してみると、確かに前庭がなく、駐車スペースになっている家が随分多くなっているような気がします。モータリゼーションの進む中、こうした変更はさらに増えていくのだろうと思います。街並みの美しさから言うと、前庭の方がきれいなのですが、仕方のないことなのかもしれません。ちょっと残念ですが……。(2000.1.30)

<第145号:ブレアは1000日、小渕は何日?> この1月25日で、ブレアが首相になって1000日に到達したそうです。1000日と言えばわずか3年弱ですが、最近の日本の首相で1000日を達成した人はいたでしょうか?たぶん1982年から1987年まで5年近く首相を務めた中曽根康弘まで戻らないといないだろうと思います。ちなみにその前となると、1972年に首相を辞任した佐藤栄作になります。ということは、この四半世紀の間に、1000日以上その座にいた日本の首相は、中曽根ただひとりということになります。如何に日本の首相が短期間で変わってきたかということをよく示しています。(ポスト佐藤栄作で首相になった田中角栄から小渕恵三まで27年間で15人も首相になりました。)

 単に長ければいいというものでもないでしょうし、首相一人ですべての国の政策を考えているわけではないでしょうから、首相の交替がいいのか悪いのか一概には言えないと思いますが、少なくとも2大政党制が実質的に機能しているイギリスでは首相の打ち出す政策が、社会を大きく変化させる可能性は日本よりはるかに高いことは間違いないようです。ブレアの場合は、長期の保守党政権の後の首相であるため、特に政策に新味が強く感じられているようです。スコットランドやウェールズに独自の議会を持たせ、北アイルランド問題に関しても大きな前進をし、上院からは大部分の世襲貴族を逐い、サッチャーが潰した大ロンドン市の議会と市長を復活させることを決定し、とざっと考えただけでも、イギリス政治史に残る改革をかなり進めてきています。諸々の税率のアップやNHS(ナショナル・ヘルス・サービス=医療保険制度)の問題、公共交通機関の問題など、マイナス点もありますが、奥さんのシェリーさんの妊娠などもあり総じて評判は良く、まあ順調な1000日だったと言えるでしょう。

 他方、小渕首相はどうなのでしょうか?彼ももうそろそろ500日ぐらいは首相をやっているのではないかと思いますが、彼の意思で具体的に何か改革がなされたことはあるのでしょうか?「君が代・日の丸」の法制化も小渕さんの意思と言うよりは、時代の流れの中でなされたことだったでしょう。小渕さんらしいアイデアと言えば、「2000円札」発行決定ぐらいでしょう。原則として官僚の書いた脚本通りよい操り人形を演じようというのが彼の首相としての方針でしょう。最近の日本の首相で、何か改革をしようという気概があったのは、橋本龍太郎、細川護煕あたりでしょうが、彼らは十分な結果を出さないうちに首相の座を去りました。結局それなりの改革を行えた首相となると、やはり3公社の民営化を行った中曽根まで戻ることになるでしょう。しかし、中曽根がもうひとつ手をつけた教育改革はとうていうまく行ったとは思えません。そして今、日本を急速に衰退に向かわせているのが、まさにこの教育の問題だという気がしてなりません。小渕首相は果たして日本の子供たちに「将来こういう人間になってほしい」と語れるだけの人間像を確立しているでしょうか?まさか自分のように、長い物には巻かれ角を立てないように生きることが一番だとか言ったりはしないですよね。こういう言葉を使うと古い人から反発されることを覚悟で言えば、「21世紀版・期待される人間像」を考えることが今必要なのではないかという気がしています。(2000.1.29)

<第144号:冬の高速道路は要注意> 久しぶりに車を借りて出かけました。小雨がぱらつく中、南東部のドーバーに向かって高速道路を走ったのですが、その途中で事故車を5台も見ました。道は全く空いていたのに、なぜかこの日は確かに走りにくかったです。雨は気になるほどの量は降っていなかったのですが、ちょっと雨が降ると車が極端に汚れてしまうのです。目的地に着いて車を見たら、まるで1週間ぐらい埃だらけの所を走ってきたのではないかと思えるほど、車が汚れていました。窓ガラスは、ワイパーとウォッシャーでまめに汚れを取っていた前方部以外は、ほとんど外が見えない状態になっていました。これでは、事故が多く起こるのも無理はないと思いました。

 車を返しに行ったとき、この話をすると、「ああ、それは、冬の間は高速道路が凍結しないように、こちらでは砂と塩を混ぜたようなものを道路に撒いているからですよ」と聞かされました。今回私は無事に帰り着きましたが、冬のイギリスの高速道路は要注意です。(2000.1.29)

<第143号:海外旅行もいいけれど……> 1月の下旬に入り、ロンドンにまた日本人観光客が増えてきました。今の時期は、卒業の決まっている大学4回生あたりが主役でしょうが、もう少しすると、ほとんどの大学生が拘束から解放され、たくさんやってくることでしょう。

 ふと疑問に思ったのですが、日本人――特に若い人――は何のために海外旅行に出るのでしょうか?二昔ほど前なら、その国の歴史を知り見聞を深めるための旅行だと言えたと思いますが、最近の若い人の行動パターンを見ていると、イギリスに来た目的がイギリスという国の歴史を知り、見聞を広めるためだとはとうてい思えません。さすがに大英博物館だけはいつ行っても確かに日本人がたくさん来ていますが、ナショナル・ギャラリーでは、日本人女性は結構見かけますが、男性は少ないですね。その隣のイギリスの歴史を知るにはもってこいのナショナル・ポートレイト・ギャラリーになると、日本人の数はぐっと減ってしまいます。で、どこでよく見かけるかというと、買い物ができるようなところです。リージェント・ストリート、オックスフォード・ストリート、ハロッズ、三越、こういう所には、日本人がたくさんいます。海外旅行って買い物旅行なんでしょうか?

 外国に行くならせめてその国の歴史や社会に興味を持って来てほしいと思うのですが、とてもそうなっているとは思えません。せめて帰国してからでもいいから、関心を持って、その国について調べてほしいものです。まあ、そんな固いことを言わなくても、海外に来さえすれば、「百聞は一見しかず」という格言通り、その国の習慣やマナーなどをいろいろなところで経験できるので、国際感覚が身に付くんじゃないですかと言う人もいるかもしれませんが、私はそんな「国際感覚」は信じられません。海外旅行や海外生活を体験したからといって、それだけで国際感覚が身に付くことはないと思います。自分の生まれ育った国の歴史や社会構造について知りもしない人間が、海外に出たって、国際感覚なんか絶対に身に付きません。準拠集団――判断・評価の基準となるもの――を持たずして、他国のことをきちんと理解することは不可能です。

 そういう点から、ここ十数年私が気になっているのは、日本の若い人たちの日本の歴史に対する関心の欠如です。海外旅行をする前に日本の国内をもっと旅行をし、どんな地域にどんな歴史があったか、もっと関心を持つべきではないでしょうか?最近の若い人の国内旅行は、スキーだ、温泉だ、カニだということになっており、せっかく素晴らしい歴史のある場所に行っても、その地域のことを理解できる博物館や資料館はもちろん、史跡すら訪ねようとしない傾向があります。こんな風に自国のことについて知ろうともしない人間が海外に行って、「日本はダセーよな。国際感覚が欠如してるよなあ」なんて言っているのを聞くと、耳をふさぎたくなります。海外旅行に行く前に、もっと日本を旅しよう、もっと日本のことを知ろう、と叫びたくなります。(2000.1.20)

<第142号:『イエロー』> おもしろい本を読みました。と言っても、日本の本で半年ぐらい前に出版されているので、もう日本で読まれた方もいるかもしれません。でも、甘っちょろいイギリス賛美本が多い中で、異色のこの本はここで取り上げるに値すると思いましたので、紹介も兼ねて私の感想を書いてみたいと思います。

 著者は、イギリスに1990年から住み、金融関係のディーラーとしてシティで働いている渡辺幸一という方です。本のタイトルは、『イエロー――差別される日本人――』。帯には、「日本人はイギリス人が好き、でもイギリス人は日本人が嫌い」という過激なキャッチフレーズがついていました。タイトルと帯から容易に想像がつくでしょうが、この本はイギリス人の日本人に対する潜在的嫌悪感や差別意識に焦点を当てた本です。日本人の書いた本で、イギリス人とイギリス社会を賛美している本は数多いですが、イギリス人の冷たさ、陰湿な差別意識を描いた本は滅多にありませんので、この本は非常に興味深かったです。もちろん、著者もイギリスでの永住権を取ったぐらいですから、イギリスが全面的に嫌いなはずはありません。それでも、時々イギリスの嫌な面と直面し、腹を立てることがあるわけです。こういうポジションから書かれた批判は一読に値します。頭のてっぺんから足の先までイギリスが嫌いだという人が書けば、主張は行きすぎたものになり、読んでいても共感を持てないでしょうが、基本的には好きなんだけど、こういう部分はどうしても納得が行かないという形で書かれたものは、説得力があります。この本は、そうした本の典型と言えるでしょう。

 著者は自分の体験や天皇訪英の際の元軍人たちの異議申し立て行動、あるいはマス・メディアの日本の取り上げ方などから、イギリス人は日本と日本人を嫌っているし、差別心も持っていると述べています。そして、アメリカ人も同様の感情を持っているが、彼らはかなりストレートにその感情を表すのに対し、イギリス人はより陰湿な形で表すと言っています。日本人の上司には「面従腹背」で、裏で排除しようと画策したりするそうです。こっそり"Remember Pearl Harbor!"と呟いたり、"Jap"とか"Yellow"と口を滑らせたりと、いろいろな陰湿な差別があるそうです。

 著者はこうしたことの原因として、イギリス人自体の保守性、大国意識以外に、第2次世界大戦の影響――特にイギリスに関しては、捕虜の取り扱い――と、日本人の国際感覚の欠如を上げています。日本人は第2次世界大戦のことなど、もう50年以上前の過去のことで、そんな大昔のことはもう関係ないんじゃないかと思っているかもしれないけれど、イギリス人にとってはそうではなく、まだ戦後補償が済んでいない現在進行形の問題なのだと指摘しています。国際感覚の欠如はよく言われることですが、日本のことにしか関心がないと思われるような態度が、日本人を排除させやすくしているのだそうです。私が著者の主張にもう少し付け加えるなら、第17号で書いたように体格の問題と言葉の問題があると思います。体格の良い人は貧弱な体格の人を見下す傾向があります。また、自由に英語を駆使して言い返せない日本人を、きちんと自己主張もできない子供のような奴らと見がちだと思います。

 私自身はそれほど露骨な被差別体験をしていませんが、それでもこの本の著者の主張には同意できます。確かにイギリス人は日本人にあまり好感を持っていないと思います。たぶん日本にかつて侵略され恨んでいる国の人々を別とすれば、世界の中でイギリス人とアメリカ人が日本人嫌いの双璧ではないかと私は思っています。まあでも考えてみると、日本人はどこの国の人々からもあまり好感は持たれていないような気もしますね。世界の人々から好かれるように日本人は変わるべきなのでしょうが、そのためにはどうしたらいいのでしょうね。第2次世界大戦中の捕虜の扱いについて謝罪し、国際感覚を身につけるために英語を国語とし、自国の経済的繁栄より世界のために尽くすようにすればいいのでしょうか?あまり納得が行かないですね。もう少し時間をかけて考えてみましょう。(2000.1.20)

<第141号:子供たちの不満> 時々娘たちが「早く日本に帰りたいな」というようになってきました。「どうして?」と聞くと、「だって、一人で遊びに行けるから」と言います。そうなのです。ここイギリスでは10歳未満の子供は、保護者なしで外に出てはいけないことに法律で決まっているのです。うちの9歳の娘たちは、外で遊ぶのが大好きなのに、勝手に外に行くことができず、欲求不満が増大しています。

 日本を出る前からこのことは聞いていたのですが、そんなこと言ったって、まあみんな適当に遊んでいるんじゃないのかなと思っていましたが、まずいませんね。10歳どころか12歳ぐらいの子でも子供だけで遊んでいる姿は見たことがありません。たまに一人で歩いている子がいたと思うとつかつかとこちらに近づいてきて、"Small change, please"とか言ってきます。こんな状況では、いくらうちの娘たちがたくましいと言っても、子供だけで外に出すことはさすがに怖くてできません。歩いて3分ぐらいしかかからない近くの友達の家に遊びに行くのにも親が送っていかなければならない始末です。子供が自由に遊べる日本はまだまだ治安の良い国だとしみじみ思いました。「あ〜あ、芝生公園で思いきり遊びた〜い!」と今日も娘たちは呟いていました。(2000.1.17)

<第140号:洗剤を洗い流さないイギリス人> これは結構いろいろな人が書いていることなので、今さら私が書くのもちょっと気恥ずかしい気もしますが、ちょうど昨日BBCでそのことについての特集をやっていたので、まあ今日あたりが書くチャンスかなと思い、この「ロンドン便り」でも紹介することにします。

 洗剤を洗い流さないって何のことだろうと思った人もいるかもしれませんが、食器の洗い方の話です。昨日のBBCで紹介されていたイギリス人たちの食器の洗い方をご紹介しますと、まずシンクに洗剤を入れて泡立てたお湯をはり、そこに食器を抛り込みスポンジか布巾のようなもので汚れをこすり落とし、もう一度泡立つシンクの中を通してそのまま食器置きに立てかけ、自然に泡のついた水が切れるのを待ち、最後に乾いた布巾でさっと拭って食器棚に片づけるというものです。つまり、洗剤を洗い流さないのです。どう考えても食器には洗剤がついていると思うのですが、こちらの人はあまり気にしないようです。「そう言えば、時々料理が洗剤の味がするなあ」などとのんきなことを言っています。日本ではまず考えられないことでしょう。昨日一緒にテレビを見ていた子供たちも「げぇー、なんで?」と驚いていました。台所用洗剤は害はないと思っているようです。

 日本でも昔は、「野菜は洗剤でよく洗いましょう」などと間違った指導をしていた時期がありますが、「ライポンF」の誤飲死亡事件などを通して、政府は公には人体に有害だとは認めないものの、少なくとも野菜を洗剤で洗うことは避けるべきで、また洗剤はよく洗い流すべきだという認識が広まるようにし向けてきました。日本よりも早くから台所用洗剤を使い始めていたイギリスで、合成洗剤の危険性が認識されてこなかったことは不思議な感じもします。大きな事故は起こっていないということでしょうか。だとしたら、余程強靱な胃腸の持ち主なんですね。(料理に洗剤の味がしてもそれほど気にならないという食に対する鈍感さも一役買っているように思います。)

 まあでも、こういう番組が放送されるぐらいですから、徐々に合成洗剤の危険性を認識させようという方向にあるようです。今や食器洗い機を使う家庭も増えてきていますので、以前よりは状況はましになってきているそうです。それにしても、私たちが外で食事をする時に使われているお皿ももしかしたらこういう洗い方をされているかと思うと、イギリスでの外食も怖くなります。(2000.1.17)

<第139号:蝋人形と生気> はじめて「マダム・タッソー」の蝋人形館に行ってきました。入館料は10.5ポンドと高かったですが、まあそれなりにおもしろかったです。私が一番興味深く感じたのは、背の高さです。写真や肖像画では背丈がピンときませんが、実物大に作ってある蝋人形だと、自分自身という基準と比べることができるので、非常にわかりやすかったです。ナポレオンやビクトリア女王は背が低いことで有名でしたが、ビクトリア女王の子供であるエドワード7世も孫であるジョージ5世もやはりその血を受けてあまり背が高くなかったのだということがよくわかりました。サイズがわかると、イメージがしやすくなります。

 一貫して感じたのは全体に人形が小さめに見えたことです。サイズに関しては厳密に実物大に作ってあると思うのですが、モハメッド・アリも、シュワルツネガーも、千代の富士もあまり大きく感じませんでした。当たり前かもしれませんが、威圧感のようなものが蝋人形からは感じられず、それが大きく思えない原因だったのではないかと思います。たぶん威圧感というものは、生気と強く関係しているのでしょう。それゆえどんなに精巧に作ってあっても、蝋人形を人間と見誤ることはないだろうと思います。いくら似せても人形には生気は吹き込めないということでしょう。だからこそ逆に生気の消えた「死んでいるナポレオン」という蝋人形は実際もこんな感じだったのではないかという気を起こさせました。

 我々は生気をどうやって感じているのでしょうか?おそらく生きている人間の微細な動きから感じ取っているのだろうと思います。人間の体は生きている限り、常に様々な微動を示しています。瞬き、心拍、脈、呼吸など、自分の意志を超えたところで体は動いています。よく銅像のふりをした大道芸人がロンドンの街にはいますが、こうした微動を如何に隠すかがより銅像らしく見せるためのポイントなのだろうと思います。こうした生気は特に顔からよく感じ取れるように思います。最近のマネキン人形は顔がないのが主流ですが、これもマネキン人形の顔に生気を与えることが困難なので、むしろ顔がない方が自由なイメージを与えることができるということで、こういう傾向になってきているのではないでしょうか。(2000.1.16)

<第138号:イギリスでのいくつかの不快な経験> こちらに来て約9カ月半。ご近所さんをはじめ結構いろいろな人から親切にしてもらっていますが(第128号参照)、多少は不快な経験もしています。つい先日も、土産物屋で不愉快な経験をしました。子供が日本の友達におみやげを買いたいというので、観光客向けのお土産がたくさん売っているような繁華街のお店に入りました。子供は健気にもクリスマスとお正月にもらった自分のお小遣いで買いたいというので、あまり高い物は買えなかったのですが、それでもかわいい陶器の置物を見つけました。喜んでレジに持っていき20ポンド紙幣を渡すと、ニコリともせずに受け取った店員は、まず紙幣を透かして見てから、ムスッとしたままお釣りを渡しました。まあ、この辺までは許しましょう。問題はその後でした。陶器の置物ですから、きちんとラッピングして箱に入れなければいけないのに、ちらっと店内を見渡しただけで箱を探しもせずに、エアーの入ったビニールで包んで、紙袋に抛り込みました。それはないんじゃないのと思って、「箱はないの?」と聞くと、「ない」の一言です。一所懸命探した上でないなら、こちらも「仕方がないね」とあきらめるところですが、探しもせずに「ない」はないだろうと思って、自分たちで探してみるとすぐに箱が見つかりました。レジに持っていって「ほら、あるじゃないか」と言うと、箱に買った置物と同じ絵が描いてあるにもかかわらず、「この箱は違う」などと言い張りました。「他の分もちゃんと探してほしい」と言っても、知らん顔をするので、ならばと思って自分たちで探していると、「勝手に探すな」の一言です。なんという態度だと思って、もっと抗議しようかと思いましたが、せっかくかわいいお土産を買って喜んでいる子供を悲しい気持ちにさせてもいけないので、その場はそれであきらめました。しかし、しばらくの間、不快な気持ちが消えませんでした。この店は特別にひどかったように思いますが、一般的に言って、観光客相手の土産物屋の店員の態度はあまりいいものではないように思います。

 もうひとつ今でも忘れられない不愉快な経験は、これもこちらを観光客と見くびってなされたケースです。『地球の歩き方』などのガイドブックにも出ていますが、著名な観光スポットには写真を撮っては高い値段で売りつける怪しいカメラマンが出没します。私が声をかけられたのは、バッキンガム宮殿前でしたが、"Are you Japanese? I have Japanese friends"などと言って、幾人かの日本人の名前と住所が書いてあるノートを見せてきました。「あなたは何なの?」と聞くと、"I'm a cameraman"ときました。ああこれが例の奴かと思い、「私はカメラマンに用はないよ」と言って彼のそばを離れましたが、しばらく経ってからその「カメラマン」がまた私のそばにやってきて、"You're like Jew"(意訳すれば、「おまえはユダヤ人のようなケチな奴だ」というような意味でしょう。)と一言ほざいて去っていきました。「ふざけるな」と思いましたが、とっさに言い返す適当な英語が思い浮かばず、くやしい思いをしました。私を侮辱するとともに、ユダヤ人差別もしているキリスト教系白人の嫌らしい面を見せつけられました。

 別にこれだけのケースでイギリス人すべてが嫌な奴らだなんて思いはしませんが、不快な奴はどこの社会にもやっぱりいるもんだと思ったのは事実です。(2000.1.16)

<第137号:テレビで見るイギリスのいろいろなスポーツ> 今こちらでは「ダーツのワールドカップ」が毎日のように放送されています。「ダーツ」という遊びがあることはよく知っていましたが、まさかこのダーツにもワールドカップがあるとは知りませんでした。テレビではアップしてくれるので、よくわかるのですが、結構その場に見に行っている人もいるみたいなのですが、果たして見えるのかなと他人事ながら心配になります。

 他にもイギリスでは日本ではテレビでは見られないようないろいろなスポーツが放映されています。見ていればすぐルールが理解できるのが、"Snooker"でしょう。要するにビリアードの1種なのですが、赤い玉15個とその他の色の玉が6個あって、赤い玉とその他の色の玉を交互にポケットに入れていけば、得点になるというゲームです。

 イギリスに来て初めて見たのは、氷上のスポーツであるカーリングをボーリングの玉を小型にしたような玉でやる"Bowls"というゲームでした。静止した白い玉のなるべく近くに自分の玉を止めた者が勝ちというゲームです。おもしろいと言えばおもしろいような気もしましたが、見ている限りではかなり退屈なゲームという感じでした。

 退屈いう点では、個人的にはクリケットの上をいくスポーツはないと思っています。ルールをきちんと理解できていないせいかもしれませんが、クリケットがおもしろいと言う日本人には出会ったことがありません。でも、イギリス人をはじめ、「クリケットのワールドカップ」に出場するような国ではおもしろいスポーツだと思われているようなので、やはり享受してきた文化の違いなのかなと思わざるをえません。誰かクリケットの魅力を私に教えて下さい。(2000.1.15)

<第136号:不思議な運賃改正> いつものようにオリエンタル・シティまでバスで行こうと思い、"80p Please"と言って、1ポンド払うと30ペンスお釣りをくれました。そう言えば、1月9日から運賃が改定されていたんだと気づきましたが、値下げという運賃改定に慣れていなかったので、一瞬判断停止状態に陥りました。後で調べてみたら、これまで60ペンスと80ペンスに分かれていた運賃が70ペンスに統一されていました。(ただし、中心部である第1ゾーンを含む場合は1ポンド。)これはなかなかいい改定だと思います。車掌のいないワンマンバスの場合、運転手が行き先を聞いて、60ペンスか80ペンスかを判断して切符を売るという煩雑なことをしていましたので、バスが遅れる原因にもなっていたと思います。70ペンスに統一されたことで、運転手は煩雑な作業から解放され、運転に集中しやすくなったと思います。

 このバスの料金改定は理解できるのですが、地下鉄の料金改定は複雑です。多くの人がよく使う"One Day Travelcard"は、1020ペンス値上げされたのですが、同じ範域を子供連れで移動する"Family Travelcard"として買うと、4050ペンスの値下げになっています。ただし、"Family Travelcard"の子供料金の方は、20ペンス値上げになりました。例えばうちの場合は、1〜4ゾーンの"One Day Travelcard"をよく使うのですが、私が一人で出かける場合は、以前は4ポンドだったのに対し、今は4.10ポンドと10ペンス上がりましたが、子供を一人連れて出かけるなら、以前は3.200.603.80ポンドだったのですが、今は2.700.803.50ポンドで、30ペンスも下がったことになります。どういう理論付けでこの運賃改定がなされたか、私にはよくわかりません。ただ運賃改定というと、値上がりしかありえない日本と比べて、値下げも同時に行われているので、時として得をしたような気分になり、運賃改定も一概に悪くとは言えないという気持ちにさせられました。(2000.1.13)

<第135号:首相夫人の不正乗車> ブレア首相夫人シェリーさんが切符を買わずに電車に乗り、不正乗車として10ポンド払わされたというニュースが流されていました。ニュースによれば、シェリーさんはクレジットカードで切符を買おうと思っていたが、券売機が動いておらず、現金の持ち合わせもなかったので、降りるときに清算しようとしたが、不正乗車とみなされ罰金10ポンドを払わされたそうです。地下鉄は理由の如何に関わらず清算を認めないという方針を採っていますが、旧BR系各社は対応が様々なようで、清算を認めているところもあるようです。こちらのニュースでもシェリーさんにも10ポンドが戻されるかもしれないと言っていました。旧BR系各社の電車に乗る場合、改札口がなく構内からそのままプラットホームに行けるところが多いので、シェリーさんのように切符を持たずに乗ってしまうことも可能です。ダウニング街10番地(首相官邸)に住んでいることを誰もが知っているシェリーさんなら、どこから乗車したかは明白なので、切符を持たずに乗っても清算できると思ったのでしょうが、一般の人ならどこから乗ったかを証明できるものを何か――通常はそれが切符なのですが――持っていなければ、不正乗車を意図して切符を買わなかったんだろうと言われても、仕方のないケースでしょう。10ポンド返されるとしたら、ちょっと甘いような気がします。

 これに比べて厳しいのが地下鉄です。上記のようなケースはもちろん、間違えて買ってしまったとか急に行き先を変更したくなったという理由でも乗り越し清算は一切認められません。日本の乗り越し清算に慣れている方はどうぞお気をつけ下さい。ちなみにロンドンのバス・地下鉄ではこの不正乗車からの罰金収入は、全体の0.33%を占めるそうで、それなりの財政収入となっているそうです。(2000.1.11)

<第134号:暖房が故障!> インフルエンザが猛威を奮うこの寒い時期になんとラジエータが故障してしまいました。土曜日の午後からラジエータが働かなくなって、日、月、火曜日の午後まで約3日間暖房なしで暮らしました。はっきり言って寒かったです。昼でも家の中でコートを着、夜、子供たちはパジャマの上にセーターとジャンパーも着て寝るという山小屋暮らしのような生活でした。セントラル・ヒーティングってちゃんと作動しているときは、家中が暖かくていいのですが、どこかおかしくなると、すべての部屋が暖房なしになるのでやっかいです。故障の理由は、コントロールをつかさどっている箇所の部品が古くなって焼き切れてしまったということでした。漸く直って部屋が暖かくなってきたときは本当に嬉しかったです。でも、修理に来たBritish Gusの人が靴を脱ぐことを拒否したため、ついに土足の人間に家の中に踏み込まれてしまいました。そう言えば、前に靴を脱ぐことを拒否して帰ってしまった人もBritish Gusの人でした(第78号参照)。British Gusでは、そういう指導をしているのでしょうか。今日来た人は、法律で靴は脱いではいけないことになっているとか言っていましたが、そんなこと聞いたこともありませんし、前に帰った人はそんなことは言っていませんでしたから、嘘だと思うんですけどね。普通なら帰ってもらうところでしたけれど、これ以上の寒さには耐えられず、土足での上陸をついに許してしまいました。(2000.1.11)

<第133号:イギリスは21世紀に入った!?> 日本から「イギリスは21世紀に入ったらしいですね」という便りを何人からかいただきました。何かそういう報道がなされたようですね。正直言って、私も混乱しています。そんなひとつの国だけが、世紀の区切りがずれているなんてことがあるのだろうか、と。こちらのニュースとか見ていても、"New Millennium"という言葉はよく使われていますが、"21 Century"というのは聞いていないような気がするのですが……。まあ、でも気分としては今年から21世紀の方がいいのではと思っています。だって、誰が考えたって、1999から2000に変わる方が、2000から2001に変わるより、大きな変化って気がしますから。来年から21世紀だってことは、まだ今年は「世紀末」ということですよね。でも、ノストラダムスの予言もはずれたし(もうみんな、すっかり忘れていたでしょう?)、もう完全に新しい時代が到来したって感じで、「世紀末」って感じは全然ないですよね。いくら20世紀が終わると宣伝しても、今年の大晦日は昨年ほど盛り上がらないと思いますよ。この際、世界的に今年から21世紀ということにしてしまったらどうでしょうか?(2000.1.6)

<第132号:太陽は黄色で、月は白> こちらの子供向けの初心者用英語のテキストブックに、色とその色で表されるものが出ているのですが、そこでは「太陽は黄色で、月は白」ということになっています。子供たちに英語を教えてくれている白人の先生も何の疑問も持たず、「黄色いものは、バナナ、太陽、白いものは、雪、月……、そうよくできました」とかやっています。

 日本では、太陽は赤で、月が黄色ですよね。まあ、実際には違うのかもしれませんが、子供が絵に描く場合は大体そう決まっています。こちらでは、太陽は黄色に月は白に塗らせるんですよ。なんだかすごく違和感がありました。もちろん、天体の色なんて、犬や鶏の鳴き声と一緒で、小さな時から刷り込まれたイメージで、どんな風な色にも見えるのかもしれません。でも、赤より黄色が、黄色より白の方が明度が高いことから考えると、黒い目の日本人と青い目のイギリス人の違いが表れているのかもしれません。他の国ではどうなんでしょうか?誰か知っていたら教えて下さい。(2000.1.6)

<第131号:スヌーピーの引退> きっと日本でも紹介されたことでしょうが、約50年に渡って書き続けられてきた"PEANUTS"が終了しました。"PEANUTS"と言ってもわからない人でも、スヌーピーの出てくるマンガと言えば、わかってもらえるでしょう。作者のチャールズ・シュルツ氏が高齢を理由に筆を折ることにしたのだそうです。出版社サイドからは、他の人に書きついでもらいたいという要望も出たようですが、シュルツ氏がこれを拒否したため、終了することが決まったそうです。(昔の作品を採録して掲載することはあるようですが、新作はもう出ません。)

 2000年1月3日の日付の入った最後のマンガは、いつものようにスヌーピーが犬小屋の上でボーっと座っている(哲学的瞑想に耽っている)挿し絵に、以下のような作者からのメッセージがつけられていました。

親愛なる友人たちへ

 幸運にも私は50年近くもチャリー・ブラウンと彼の友人たちを描き続けてこられた。それは私の子供時代からの夢の実現だった。

 しかし、残念ながらもう毎日マンガを書き続けるスケジュールを維持することはできない。そこで、私は引退することをお知らせしたい。

 私は長年にわたる編集者の誠実さとマンガのファンからもらったすばらしいサポートと愛情に感謝している。

 チャリー・ブラウン、スヌーピー、ライナス、ルーシー……、どうして彼らのことを忘れることができるだろうか……。

                           チャールズ・シュルツ

というメッセージでした。ひとつの時代が終わったという感じがしました。

 ただし実は言うと、私は"PEANUTS"を読んで笑ったことがない人間なので、このマンガの魅力はとうてい理解できていないのです。『スヌーピーに見るアメリカ』(書名はちょっと間違っているかもしれません)といった本まで買って読んでみたこともあるのですが、やはりだめでした。なんだかこのマンガで笑える人と私の間には、大きな文化的断絶があるような気がします。でも、このマンガで笑える日本人って、そうたくさんいるとは思えないのですが……。(2000.1.6)

[追記:作者のシュルツ氏は、2000年2月12日に死去されました。ご冥福をお祈りしたいと思います。(2000.2.14)

<第130号:ヴィクトリア時代の生活> 年末にやっていた番組ですが、現代の家族がヴィクトリア時代の生活を3カ月してみるという興味深いドキュメンタリーがありました。いつも古い建物とかを見ては情緒があっていいと思っていましたが、やはり昔の生活は不便だったんだということを嫌でも認識させられた番組でした。

 家族は、両親と女の子3人、男の子1人という6人家族でした。彼らがまず耐えられなくなったのは、洗髪でした。シャンプーのような便利なものはないので、最初は固形石鹸を削ってそれをお湯で溶いたもので髪を洗い、リンス代わりに卵の白身を髪に塗っていましたが、全然納得が行かなかったようで、ついにお母さんがキレて、ルール違反なのですが、シャンプーとリンスを買いに行ってしまいました。料理も竈の火力が弱く、うまく行かず、ここでもお母さんは泣き出してしまいました。総じてヴィクトリア時代の生活は、主婦の負担が大きかったようで、1週間経つか経たないかのうちに、お母さんは「私はこんな生活は嫌!」と今にも企画を中止させそうな勢いで不満を述べ立てていました。

 いろいろ大変そうでしたが、中でもコルセットが一番大変そうでした。一度お医者さんが派遣され、コルセットを締めた状態とゆるめた状態で肺活量をチェックしていましたが、まったく値が違いました。ウェストを細く見えるようにするために、骨格と内臓にまで負担をかけていたのですから、ひどい話です。中国の纏足とともに、欧米人のコルセットが女性を拘束するものとして、20世紀になってから急速に衰退して行ったのは当然と言えるでしょう。

 この家族はなんとか3カ月たどりついたようですが、もう2度と経験したくないという感じでした。「炎のチャレンジャー」なら、ゆうに100万円をもらえそうなチャレンジでした。日本でもやってみるといいかもしれませんね。「江戸時代の農民生活を1カ月できたら、100万円!」なんてどうでしょうか?企画買いませんか?(2000.1.1)

<第129号:ついに2000年がやってきた!> 新年あけましておめでとうございます。ロンドンよりご挨拶申し上げます。いよいよ2000年がスタートしました。皆さんは、どのような新年を迎えられましたか?私たち家族は、テムズ川沿いで盛大に打ち上げられた花火を楽しみながら迎えました。

 それにしてもロンドンはものすごい人出でした。約300万人がロンドンの中心部に集まっていたんだそうで、街中がラッシュアワーの駅のような大混雑ぶりでした。その上、酔っぱらいは多いし、笛を吹きまくる輩がたくさんいるわで、なんでこんな所に子供を連れて出てきてしまったのだろうと何度後悔したことでしょう。しかし、挫けずに見た花火は素晴らしかったので、その瞬間はやはり来てよかったなと思いました。しかし、当然の事ながらその後がまた大変でした。花火が終わったら家路につこうというのはみんな考えることですので、今度は駅に向かっての「民族大移動」が開始されました。我々は公園で見ていたのですが、まずこの公園から出るのが一苦労でした。漸く柵を乗り越え、駅に向かうことができたのですが、近い駅はほとんど閉鎖されており、約30分ほど歩いて閉鎖されていないヴィクトリア駅に着きました。ところが、ここも一気に人が押し寄せたので、入場制限をしてなかなか入れませんでした。3040分ほどもみ合いへし合いをして、漸く駅の中に入れました。その後は、比較的スムーズに家まで帰り着きましたが、それでも午前2時でした。

 ロンドンの大晦日は毎年盛り上がるようですが、今年は2000年がやってくるということで特にすごかったようです。まあこういう日ですから、多少の酔っぱらいや笛を吹きまくる輩などは許容しなければいけないと思うのですが、あの混雑の中で、タバコを吸う輩は許し難いと思いました。彼らは、タバコには火がついているんだということがわかっていないのでしょうか?あのスペースが全くない中でタバコを吸い、それを持ちながら歩いたら、周りにどれほど迷惑かわからないのでしょうか?どうせそんな輩には何を言っても無駄でしょうが、タバコなど禁止にするべきです。

 家に帰ってから世界各地のミレニアム祝典行事を見ましたが、紹介されていた中では、日本が一番みすぼらしかったですね。窓の明かりで「2000」と描かれた東京タワーの下から風船が弱々しく上がっていくという映像でした。同じ塔でも、エッフェル塔の方はすごかったです。エッフェル塔から花火が横に打ち出されるという仕掛けで、まるでエッフェル塔が爆発したかのようなインパクトのある映像でした。なんでこんなに違うのでしょう。日本は少し前に、「天皇在位10周年」を盛大に祝ったようですが、こちらではほとんど紹介されませんでした。やはり日本政府は少し国際感覚が欠如しているように思います。いくら元号重視でも、また「除夜の鐘」という伝統的な新年の迎え方があるといっても、今年のミレニアム祝典行事は、世界各地で紹介されるのは十分予想できたことですから、世界に紹介されても恥ずかしくない行事を考えるべきだったと思います。日本の映像の後に中国が紹介されていましたが、豪華な行事でした。今年の行事を見る限り、東アジアの大国は中国で、日本は風船しか上げられない貧乏国というイメージでした。ちょっと日本人であることが恥ずかしくなりました。(2000.1.1)

<第128号:ご近所さん> こちらに住んでもう9カ月。すっかり近所の人にも顔を覚えてもらい、地域住民として認められた感じです。2000年問題で何が起こるかわからないので、水や食料を少し多めに買い込んでおこうと、今日子供たちと私がリュックを背負って家を出ると、ちょうど車に乗り込もうとしていた3件ほど先の家のご主人が「どこまで行くの?駅に行くなら送っていくよ」と声をかけてくれました。駅ではなかったので、丁重にお断りしましたが、そんな風に声をかけてもらい、とても幸せな気持ちになりました。

 住み始めた当初はうまく行くかなと心配していましたが、自分たちがちゃんとしていれば、受け入れてもらえるものですね。玄関先を掃いたり、庭をきちんと手入れしていたりしていると、ご近所は評価してくれるようです。まあ、うちの場合は3人も子供がいますので、怪しい人間ではないと認められやすいということもあるかもしれません。両隣からはクリスマスの日にはお菓子をいただいたりもしており、近隣関係はきわめて良好です。その他にも、いつも新聞を買うお店のおじさん、酒屋のおじさんはもちろん、時々しか利用しない駅前のハンバーガー屋のご主人まで、道で会っても挨拶してくれます。写真の現像をしてもらっている薬屋のおねえさんはこちらの顔を見ただけで、"Katagiri"と受付票に書き入れてくれます。来年のハロウィンまでいられたら、子供たちがご近所を回っても、お菓子をもらえそうなのですが……。3月末に日本に帰らなければならないのがちょっと残念なぐらいです。いずれにしろ、よきご近所さんに恵まれ、定住者のように暮らせることはとても貴重な経験だと感じています。(1999.12.30)

<第127号:カラオケボックスの特殊性> 日本にたくさんあってイギリスにほとんどないもののひとつに「カラオケボックス」があります。ロンドンにも探せばあるのだと思いますが、普通に街を歩いていて見かけることは滅多にありません。日本社会であんなに流行っているものが、どうしてイギリスではーー否、欧米諸国ではーー流行らないのでしょうか?

 もちろん歌を歌うという行為自体は多くの人が好む行為と言えます。大きな声をお腹から出して歌うのは生理学的にも良い行為だろうと思います。適度に歌った後は、爽快な気持ちになれます。おそらく言語が成立する前から人は歌を歌っていたのではないでしょうか。ですから、その歌を歌いやすくするための道具としてのカラオケは、普遍的に受け入れられる可能性を持っていると思います。しかし、「道具としてのカラオケ」と「場としてのカラオケボックス」には大きな違いがあります。

 日本でもカラオケが導入された初期の頃は、クラブやスナック、あるいはホテルや旅館で、飲み会や宴会の潤滑油的存在としてカラオケが使われていました。そこでは会話が主で、カラオケはせいぜいコミュニケーションを潤滑にするものとして使われていただけでした。しかし、近年のカラオケボックス内の状況はこれとは全く異なります。カラオケで歌を歌うことがすべてで、会話をしようなどという気持ちはそこにはほとんど存在しません。そもそも、あのボリュームは部屋の中で会話をすることを拒否しています。

 そんなカラオケボックスが日本の若い人たちの間で非常に人気があるのは、単に若い人が歌好きだからでは説明がつきません。むしろ、会話をせずに友達と長く一緒にいられるからこそ、カラオケボックスは好まれていると考えた方がいいように思います。一人でいてもすることはないしつまらないから、とにかく友達とは一緒にいたい、でも話題はそんなにない(彼氏や彼女のことぐらい)。となれば、会話をせずに楽に一緒にいられるカラオケボックスに、となるのも当然の選択と言えるでしょう。

 欧米人は子供の時からの教育の違いなのか、自己主張するトレーニングができており、会話型コミュニケーションを得意としています。数人で集まってコミュニケーションを深めようというときに、会話の困難になるカラオケボックスなどには絶対に行きたいとは思わないでしょう。イギリスのパブは、まさにこうした会話型コミュニケーションを行いたい人のために存在している場です。ですから、イギリスのパブにカラオケが普及することはまずないと思います。私自身も会話型コミュニケーションを好むタイプなので、基本的にカラオケボックスに行くのは嫌いです。カラオケボックスとは、会話をせずにーーもちろんボディ・ランゲージでもなくーーコミュニケーションをはかりたいという、言語を操る生物としてはかなり特殊な欲求を持った人たちの欲望に応えるために生み出され、広まっている特殊な空間だと言えるように思います。(1999.12.26)

<第126号:ミレニアム・ブルー> もうじき2000年がやってきます。日本でもいろいろな催しが企画されているのでしょうが、世界標準時で生活しているイギリスでは、実に様々なイベントが用意されています。1231日は、ロンドンの中心部は車をシャットアウトすることになっていますので、街中イベント広場化しそうです。毎年この日は盛り上がるようですが、2000年を迎えるということでその盛り上がり方は例年を大きく上回っているようです。

 そんな中、この歴史的な日を一人で迎えなければならない人たちに、鬱的症状が多く現れるのではないかという心配が他方でなされています。そのために、通常より多めのカウンセラーを待機させ相談を受け付けるので、一人で落ち込まず連絡を取ってきてほしいという記事が先日新聞に掲載されていました。この「ミレニアム・ブルー」とでも呼ぶべき症状がどのくらいの規模で起こりそうなのか予測もつきませんが、ありえなくはない話だなと思います。しかし、よく考えたら、19991231日と言ったってただの1日に過ぎないんですけどね。(1999.12.26)

<第125号:漆黒の闇がない> 緯度の高いイギリスではこの時期、日が暮れるのが早く午後4時過ぎには暗くなってしまいます。でも、他方で不思議なのは、何時になっても夜の闇が薄明るいのです。街の明かりのせいかなとも思うのですが、どの方向を見ても明るいので、もしかしたら緯度が高いせいかもしれないなどと勝手に考えています。天文学や物理学には詳しくないので、全く外れているかもしれませんが、緯度が高いと夜になっても乱反射した太陽光線がわずかながら届いているのではないかと推測しているのですが……。きっと違うんでしょうね。(1999.12.26)

<第124号:新札ばかり出てくる> 最近銀行のキャッシュ・マシーンで現金を引き出すと、新札ばかり出てきます。イギリスでは20ポンド札を今年リニューアルさせたので、特に新札が多いのかもしれませんが、2000年問題がらみで、一段と増刷しているのではないかと思います。コンピュータの混乱が起きて困ることはたくさんありますが、クレジットカードやキャッシュ・マシーンが使用不能になり、買い物ができなくなると生活に困りますので、あらかじめいつもよりかなり多目に現金を下ろしておこうと考えている人は少なくないと思います。(もちろん、私もその一人です。)結果として、市中に出回るお札を多く用意しなければならなくなり、新札が大量に増刷されているのではないかというのが、私の読みです。

 一度下ろしたお金をまた預け入れに行く人はそう多くないような気がしますので、それほど大きな混乱もなく2000年が迎えられたら、1月は例年になく購買意欲の高い月になるでしょう。それが2月以降も続くかどうかは定かではありませんが……。というより、続かない方がいいのではないかと思っています。大量に増刷された紙幣をベースにした景気浮揚などインフレを引き起こしそうで、何だか危なっかしい感じがしてなりません。(1999.12.26)

<第123号:七面鳥の丸焼き> 昨日はクリスマス。せっかくイギリスにいるのだから、「郷に入れば郷に従え」で、我が家でも七面鳥の丸焼きに挑戦しました。いやあ、時間のかかる料理ですね。すでに首をもがれて、羽もむしられ、臓物の処理も済んでいた鳥を買ってきたのに、それでも焼きはじめるまでに、まだ2時間ぐらいの準備が必要で、オーブンに放り込んでからさらに約4時間ぐらいかかりました。そして、焼き上がっても食べる前がまた大変で、肉を食べやすい大きさに解体しなければなりません。これがなかなかうまくできず苦労しました。その上、解体作業はひどく残酷な感じであまり気持ちの良いものではありませんでした。また残念ながら、肉の味も七面鳥は淡泊すぎて、今ひとつおいしいとは思えませんでした。何でもまねをする日本人が七面鳥の丸焼きをクリスマスの家庭料理として取り込まなかったのもむべなるかなという感じがしました。日本人はどちらかと言えば、菜食系の民族です。丸焼き系は鳥でも豚でもパスしたいという人が多いのではないでしょうか。でも、それなりに西洋のクリスマスが味わえたので、その点では満足でした。(1999.12.26)

<第122号:「偽善家」について考える> 「偽善家」ってものすごく印象の悪い言葉ですよね。英語では、"Hypocrite"と言いますが、やはり非常に悪い印象を与える言葉です。先日、こちらで子供たちに英会話を教えてくれている方に教会に行くかどうかと聞いてみたところ、「私は滅多に行かないわ。教会に通っている人って、"Hypocritical"(偽善的)で好きではない」というようなことを言っていました。よく言われることだと思いますが、それを聞いてから、改めて「偽善」ということについて考えています。

 今、ロンドンで北野たけしの映画が次々とすべて公開されています。実験的な映画を上映するICA(現代美術研究所)の中の小さな映画館ですが、結構人が入っています。(初日1回限りの公開だった「菊次郎の夏」などは券が売り切れで見られませんでした。)実を言うと、私はたけしの映画を見るのは、今回が初めてです。TVに出てくるビートたけしがあまり好きではなかったので、ずっとパスしてきました。で、初めて見たその印象はというと、たくさんあるのですが、今ここで取り上げたのは、たけしって「偽善家」が嫌いで「偽悪的」に振る舞うのが好きな人だなという印象を受けたからです。映画の中で、一番悪い奴は大体善人ぶった人です。他方で、主役のたけしは、表面的にはひどいことばかりやっていますが、根からの悪人ではないと思われるような人物に設定されています。たぶん、北野たけしという人自体が、偽善的より偽悪的に生きようとしている人なのでしょう。

 しかし、人間って誰しも善と悪の部分を持っているのではないでしょうか。100%善人だったり、100%悪人だったりする人なんていないんじゃないかと思います。そういう善悪合わせ持つ人間が生きていこうとするときに、表面的にではあっても善をなそうとすることは、そんなに悪いことなのでしょうか?例えば、精神的なものも含めて自己利益を一切考慮に入れずにボランティアやチャリティはできないので、そんな「偽善的」な行為は嫌だと言ってボランティアやチャリティに一切参加しない人と、そんなに突き詰めて考えずに「喜んでくれる人はいるんだし、良いことはいいんじゃないの。感謝されたら、こっちも嬉しいし……」といって、ボランティアやチャリティに参加する人と、どっちを高く評価すべきかと言えば、やはり後者でしょう。

 「偽善的」というのは裏に回って悪をなすような場合に使う言葉で、上で述べたような行為は「偽善的」とは言わないという人もいるかもしれませんが、実際にはこの程度のことにも「偽善的」という言葉はしばしば投げかけられています。実際、教会に行く人が偽善的だという言い方も、そんなに強い意味で使われていないと思います。「偽善家」は根が悪人で「偽悪家」の方は根が善人だというような単純な人間分類ができるはずはありません。であるならば、「悪人のふりをする」より、あるいは「偽善家」と思われることを恐れて何もしない人より、「善人のふりをする」人の方が社会にとってはプラスでしょう。自分の心の中にある悪意を押さえ込んで善意を前面に出して行くのは、悪い事だとは思えません。ただ「偽善家」という言葉は「善を偽る人」ということになってしまうので、さすがにこの言葉をプラス・イメージに変えるのは難しいだろうと思います。そこで、「善を演じる人」=「演善家」なんて言葉を作ったらどうだろうかなどと考えています。「偽善家になろう!」では抵抗が強すぎるでしょうが、「演善家になろう!」ならどうでしょうか?(1999.12.16)

<第121号:バラと桜> 8月半ばにバラがまだ咲いていることを驚き、まさか冬まで咲いているなんてことはないでしょうが……と書きましたが(第66号参照)、なんと信じられないことにまだ咲いています。品種の問題なのでしょうか、それとも気候の問題なのでしょうか?たぶん、両方なのでしょうね。でも、このバラの苗を持って帰っても、日本の気候では、こんなに長期間次々に花を咲かせたりしないのでしょう。1年を通して平均的に雨が降る気候が自然な水やりになって、花にはいいのでしょう。それにしても、他の花はここまで持っていませんので、バラは実にしぶとい花です。まるで、バラを国花にしているイギリス人、イギリス社会のしぶとさを象徴しているようです。

 他方、日本の国花は桜です。「花の命は短くて」、散り際の美しさを愛でる花です。品種改良を図って4月から12月まで咲き続ける桜を作ったら、日本人に愛されるでしょうか?たぶん、違和感を持つ人の方が多いでしょうね。また、バラはひとつづつ花が咲き、それぞれが自己主張しているのに対し、桜の花はひとつだけを取り出したらそれほどきれいな花ではありませんが、一度にたくさんの花が咲くので、全体として見ると、とても美しく見えます。これもちょうど個人主義的なイギリスと集団主義的な日本を象徴しているようです。花に対する美意識と生き方に対する美意識は、どこか根本でつながっているのでしょうか。しかしだからといって、日本社会が桜と同じように、ぱっと咲いてぱっと散ることがないようにしないといけませんね。社会はしぶとく持続していかなければならないのですから。(1999.12.15)

<第120号:何か気になるジョージ4世> ビクトリア女王の伯父で、182030年まで王位についていたジョージ4世という国王がいます。彼は、歴代の国王の中でもっとも評判の悪い王だと思います。暴飲、暴食、女好きで、体重が「1/4トン」にもなってしまったジョージ4世は、父王のジョージ3世が長生きをしたので、王子としての期間が長く、「快楽の王子」(Prince of Pleasure)と呼ばれています。彼を風刺した漫画が数多く残されていますが、いずれも彼は実に醜く描かれいます。ある風刺画では、太ったいやらしい山羊として描かれ、別の風刺画では、あまりの肥満ぶりから鯨に見立てられ、"Prince of Wales"をもじって"Prince of Whales"と名付けられています。

 こうした見た目の醜悪さとともに、彼が嫌われたもうひとつの大きな理由として、彼が膨大な骨董品を購入したり、普請に莫大なお金を浪費したことがあげられます。そうした彼の無駄遣いの真骨頂がブライトンにある「ロイヤル・パビリオン」です。行かれた方も少なくないと思いますが、この建物は外観はインド風、中は中国風という奇妙な建物で、イギリスの伝統に全く合っていません。一言で言えば、ゴテゴテした趣味の悪い建物です。ここを好んでよく訪れていたジョージ4世は、何枚かの風刺画の中では、清国の皇帝の姿――もちろん肥満した――で描かれています。

 こんな国王なのですが、なんか気になります。この「ロイヤル・パビリオン」も、今は良い観光名所になっていますし、バッキンガム宮殿の中にも、ジョージ4世が集めた芸術品が多数あります。また、日本人観光客がみんな知っている「リージェント・ストリート」も、「リージェンツ・パーク」も「リージェンツ・キャナル」も、このジョージ4世が摂政(リージェント)時代――18111820年――に生み出されていったものです。さらに、「ダンディズム」というイギリス紳士のスタイルが確立したのも、皇太子時代のジョージ4世が、ジョージ・ブランメルという伊達男を庇護したせいです。

 現在ドイツにあるノイシュバーンシュタイン城を造ったバイエルン王ルードウィッヒ2世も、自分の趣味のために莫大なお金を使い、廃位に追い込まれましたが、ノイシュバーンシュタイン城は今日では、バイエルンが誇る観光名所として、多くの観光客を呼び、経済的にもプラスに作用しているという話を聞くたびに、ジョージ4世もイギリスにおけるルードウィッヒ2世みたいな存在と見ることもできるのかなと思っています。趣味の悪いものも少なくはないですが、文化の庇護者としてはジョージ4世を高く評価する必要があるのではないかと思います。(でも、今こんな国王が出てきたら、きっと王制は廃止になるでしょうね。)(1999.12.9)

<第119号:宿命のライバル――イギリスとドイツ――> 昨日、2002年ワールドカップの予選の組み合わせを決める抽選会が日本で行われましたよね。イングランドはドイツと同じ組になったということで、こちらのメディアで大きく取り上げられていました。メディアの扱い方は、どれも「宿命のライバルの対決」といった感じでした。1970年のワールドカップの準々決勝で破れて以来、イングランドは引き分けひとつをはさんでドイツに4連敗しているそうですので、今度こそ雪辱を、というところでしょう。しかし、その力の入り方は、純粋にサッカーのことだけを考えてのものではないように思います。イングランドを中心とするイギリスにとって、ドイツと言えば、やはり2度の世界大戦での相手国という印象がいまだに強烈にあります。イギリスを徹底的に苦しめた最強の敵というイメージです。このイメージが今回のワールドカップ予選の組み合わせに対する感想にも反映されているような気がします。

 もともとこの両国は非常に関係が深く、親戚のような間柄にある国です。このことは、歴史をひもとけばすぐわかることです。イングランド人の中核たるアングル人とサクソン人はともにゲルマン民族の一派ですので、民族的にはドイツ人とイングランド人は同根なのです。また、王室も18世紀初めにスチュアート王朝の直系の血筋が絶えた後、ジェームズ1世の曾孫にあたるドイツのハノーバー選定候ゲオルグがジョージ1世として即位し、その直系が現在のエリザベス2世まで続いているのですから、ドイツ系王室といってもおかしくはありません。ヴィクトリア女王までは代々の配偶者もドイツから来ていましたので、ヴィクトリア女王の息子でエリザベス2世の曾祖父にあたるエドワード7世などは、計算上は255256がドイツ人の血ということになります。当然、イギリス王室からもたくさんドイツ王家に嫁いでおり、第1次世界大戦の際のイギリス国王ジョージ5世とドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、ともにヴィクトリア女王を祖母とする従兄弟同士でした。(ちなみにロシア皇帝ニコライ2世もジョージ5世とは母方の従兄弟にあたり、顔がそっくりでしばしば間違えられたそうです。)

 国民の社会的性格も似ており、互いに相手のことを規則にうるさすぎると思っているそうです。ビールが好きで、料理にはあまり手をかけず、ジャガイモをよく食べるところなんかも、そっくりだと思います。この両国と肩を並べるもうひとつのヨーロッパの中核国・フランスは、様々な点で、ラテン社会的要素を色濃く持っており、ドイツとイギリスほどには似ていないと思います。考えてみると、20世紀のヨーロッパの歴史とは、遅れて成長してきた従兄弟(ドイツ)が、先に1人前になって幅を利かせていた兄貴分の従兄弟(イギリス)になんとか追いつき、抜き去ろうと足掻いてきた歴史と見ることができるように思います。第1次世界大戦、第2次世界大戦と、失敗し続けてきたその弟分の兄貴への挑戦は、まだ終わっていません。今はヨーロッパの中でEU(ヨーロッパ共同体)の比重をどんどん高めることによって、ヨーロッパのリーダーの地位をイギリスから奪おうとしていると解釈できると思います。そんな意図をなんとなく嗅ぎ取っているイングランド人は、ワールドカップ予選でも、「ドイツをうち倒せ!」と熱くなることでしょう。(1999.12.8)

<第118号:Wonder-boy, Shinji> もう日本のメディアでも紹介されたようですが、12月6日付けの"Daily Mail"紙のスポーツ面に大きく、マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルが、"Uwara Reds"(もちろん、"Urawa Reds "の間違いですが、この日の"Daily Mail"紙は、一貫して"Uwara Reds"と書いていました。)の小野伸二の獲得をめぐって争っているという記事が出ました。記事は、2面にわたっており、小野のことを「ワンダー・ボーイ」(驚異の少年)と呼び、写真を3枚も掲載していました。そのサッカーセンスの良さは激賞されており、マンチェスター・ユナイテッドもアーセナルも200万ポンド(1ポンド170円で計算すると、3億4000万円)を用意したと書かれていました。トヨタカップで日本に行ったマンチェスター・ユナイテッドの監督のアレックス・ファーガソン卿は、日本チームの監督のフィリップ・トルシエに会い、小野について聞いたところ、トルシエは、「小野は、どんなに高いレベルのところでも、十分プレイすることができる。彼は、オーウェンのような、イギリスのサッカーが求めている小さいが技術のあるプレイヤーだ」という回答を得たというようなことも書かれていました。

 特におもしろかったのは、マーティン・リプトンという記者のレポートで、小野をベッカムや中田と比較している記事でした。その比較は、サッカーの技術のことではなく、彼らをとりまく環境や人間性についてのものなのです。記事よれば、ベッカムはファンにとってセクシャルなイメージを持ったスターだが、小野にはそうしたセクシャルなイメージは全くない。中田は自分の国に背を向けているとしばしば非難されるが、小野は、極端に礼儀正しく、控えめである等々。要するに、この記者によれば、小野は、ベッカムとは違い清潔な少年のイメージを持った選手で、中田とも違い日本的な美徳を身につけている素晴らしい選手であるということになるようです。

 しかし、果たしてこの記者が指摘するような美徳がサッカーをする上で必要なのでしょうか。「礼儀正しく、控えめな」というような美徳は、自己主張すべき時にできないということになったりはしないでしょうか。もうすでにどこかで言われているのではないかと思いますが、日本に良いフォワードが育たないのは、こうした美徳が邪魔をしているのかもしれません。「絶対自分が決めてやる!」という「我の強さ」が足りないせいではないでしょうか。日本の文化環境からは良いミッドフィルダーは出ても、良いフォワードは生まれにくいのかもしれません。私は日本のフォワード陣の中では、ジュビロの中山が一番良いーーうまいかどうかは別としてーーと思うのですが、それは彼が目立ちたがり屋だからだと思います。逆に、アントラーズの柳沢なんかうまいのでしょうが、なんか控えめすぎる性格が災いして、どんどん表舞台から消えていっているような気がします。

 中田がセリエAで成功しているのは、もちろん第1には彼の技術の素晴らしさによるものでしょうが、はっきり言うべきことは言う、集団に流されないという彼の非日本人的性格も大きな影響を持っていると思います。小野も賢そうなので、決して日本人的美徳に拘束されて行動したりはしないと思いますが、最近の日本からの情報によれば、来シーズンJ2落ちの決まった「浦和レッズ」とまず契約の話をすると言っているそうなので、少し気になっています。たとえ4億円積まれても、5億円積まれても、J2落ちの決まっているチームになんか残ってはいけないでしょう。実力がすべての世界で生きている人は、自分の力はより高い所で試すべきであって、義理や人情で動いてはいけません。小野は、イギリスに来るべきです。

 もし小野がイギリスに来て成功すれば、個人的に小野が名声を得るだけではなく、日本人にとってもプラスは大きいでしょう。というのは、日本人は頭はいいが、肉体的には西洋人にはるかに劣ると見られているイメージを多少なりとも変えることができるからです。中田の活躍で少しは見直されつつあるものの、次が続かないと、中田個人の特殊な能力のように思われてしまいます。名波も頑張っているのでしょうが、こちらには聞こえてきません。やはり、英語圏で活躍する日本人が現れないと、大きなイメージの変化を生み出すことはできないでしょう。その意味でも、小野がイギリスに来て活躍してくれればと思っています。(1999.12.7)

(おまけ)小野が活躍すれば、"Shinji"と言う名前が、世界に通用するかも?!

<第117号:プーとパディントン> イギリス人はなぜかクマ好きです。おみやげ物屋に一番多くいる動物は間違いなくクマだと思います。そして、イギリス生まれで世界的に有名なクマと言えば、A.A.ミルンが生み出したプーとM.ボンドが生み出したパディントンでしょう。「プーさんは知っているけど、パディントンなんてクマは知らない」という人も、横につばの広い帽子をかぶり、ダッフル・コートを着たクマと言えば、「ああ、なんかそんなクマを見たことがある」と思い当たるのではないでしょうか。歴史の古さとディズニーの影響で日本では圧倒的にプーさんが有名ですが、本場イギリスでは、パディントンもなかなか健闘しています。

 プーもパディントンもモデルがいたことをご存知ですか?両者とも、作者の家にいたクマのぬいぐるみが直接のモデルですが、それぞれお話には書かれていないエピソードがあります。プーは、A.A.ミルンの息子のクリストファー・ロビンが持っていたぬいぐるみの名前ですが、元はといえば、実在したクマの名前だったのです。これは、ロンドン動物園に行くとわかるのですが、そこには小熊と遊ぶ軍人の銅像が立っています。そして、その銅像の説明に、「ひとりの軍人がウィニー・プーと名付けた小熊を飼っていたが、外国に行かなければならなくなって、この小熊をロンドン動物園に預けた。A.A.ミルンと息子のクリストファー・ロビンはこの小熊が好きで、よく見に来ていた。後年、彼らは自分の家のクマのぬいぐるみに、この小熊の名前をつけ、ウィニー・プーは世界的に有名なクマとなった」と書いてあります。多少記憶があいまいになっているので、正確ではありませんが、こんな内容だったと思います。いずれにしろ、プーさんはもともとは本物のクマの名前だったわけです。

 一方、パディントンはと言えば、物語の中では、ペルーからやってきてパディントン駅でブラウン夫妻と出会ったので、「パディントン」という名前になったことになっていますが、実際には作者のM.ボンドによってセルフリッジでクリスマスイブに売れ残っていたのを買われたクマだそうです。名前の由来は、作者のM.ボンドがパディントン駅に慣れ親しんでいたので、この名前にしたのだそうです。最近は、パディントンと言うと「列車事故」の印象が強烈で、クマの方は忘れられがちですが、パディントンという名前のクマがいたことも思い出してあげてください。ちなみに、我が家にも、"Harrods"(ロンドンの有名なデパート)生まれのハロルドという名前のクマのぬいぐるみがいます。私もハロルドの物語でも書いてみましょうか。(1999.12.4)

<第116号:マークス寿子氏に会う> たくさんの日英比較論のような本が出ていますが、それらの中でマークス寿子氏の意見が私と一番合致するところが多いなあと常々思っていたのですが(「ロンドン便り」第9号参照)、今日ちょうど「ロンドン朝日カルチャーセンター」でマークス氏の講演会があったので、出かけて聞いてきました。

 講演テーマは、「英国の教育の現状――日本との対比においてーー」というものでした。マークス氏はその著書から想像された通りの歯切れの良い話し方をされる方でした。日本と英国の教育の問題点と改革の必要性を語り、両者が逆の方向からだが徐々に類似したものになりつつあるのではないかという内容でした。以下は、講演終了後の私とマークス氏の質疑応答です。(テープを取っていたわけではないので、完全採録とはいきませんが、ほぼこんな内容だったと思います。)

私「先生のお話は多岐に渡っており、質問させていただきたいことがたくさんあるのですが、時間もありませんので、1点だけ質問させていただきます。現在、日本は非常に高い進学率を誇っていますが、これは高すぎるということはないでしょうか?1955年頃の進学率は、高校で5割強、大学では1割を切っていました。そして、この方々が日本の高度経済成長を支えてきたわけです。今や、高校進学率は95%、大学進学率は40数%もあります。社会はこれほどの高学歴者を必要としているのでしょうか?あるいは、そもそもこの高学歴に見合うだけの能力を持った人間を生み出すことができるのでしょうか?門戸を狭めないといけないということはないでしょうか?」

マークス氏「おっしゃる通りで、この話をすると、みんな高すぎると言います。でも、大学に行かせたいというのをやめさせるわけにはいかないでしょう。企業も現実に大卒ばかり採用します。で、何をやらせているかと言えば、非常に単純な事務的作業だったりするわけです。また、お母さんたちに話を聞くと、大学ぐらい出ていなければ、結婚もできないとおっしゃいます。だから、この現状でも、少しでも良くなるように、教育制度を改善していかなければならないのです。」

私「よくわかります。私も大学で教育に携わる人間として個人的には多少なりとも努力をしているつもりですし、事態を改善していこうというマークス先生の積極的な御姿勢におおいに賛同するものですが、ただ時々ふとペシミスティックな気持ちに襲われます。結局、社会は生き物のようなもので、盛りを過ぎたら後は衰退していくしかないのではないか、そして日本はもう盛りを過ぎてしまっており、衰退過程に入っているのではないかと。」

マークス氏「実は私もペシミストですので、日本が衰退していくだろうという予測はしています。でも、日本の衰退の速度は速すぎます。イギリスは、長期的に見た場合、19世紀に頂点を迎え、20世紀に入ってからはずっと衰退してきているのですが、もう100年です。実にしぶとい衰退の仕方です。これに比べて、日本の衰退はあまりに早すぎるのです。日本人は本来その能力から言って、そんなに急速に衰退する民族ではないはずです。戦後の壊滅的状態から急速に立ち直ったように、現在が危機的状況にあるということを認識すれば、衰退の進行も抑えることができるはずです。」

私「なるほど。ただ、戦争後の危機状況は誰の目にも明らかだったわけですが、現在の状況はどれほど危機として認識されているでしょうか?私や先生は危機として認識しているとしても、次代を担う若者たちは現在の状況を危機として認知しているでしょうか?」

マークス氏「確かにそうですが、若い人たちがみんな現状に満足しているわけではないのです。コンピュータ・ゲームをやりながら、その生活に不満感を感じている人は多いはずです。大学で学生たちとつき合っていると、彼らが素直で可塑性のあることに気づきます。彼らは、厳しく注意されるのを待っている節があります。」

 時間がオーバーしていたので、ここで私とマークス氏の質疑応答は終わりました。基本的な見方が似ているので、異論をぶつけるというよりは、マークス氏が講演で言い足りなかったことを確認するぐらいの役割しか果たせませんでしたが、なかなかおもしろかったです。最後の若者論に関して言えば、私はもう少しペシミスティックですが……。

 確かに現在の若者――特に大学生――は素直ないい子が多いです。しかし、健全な批判精神の養われていない素直さは、指導者が右と言えば右に、左と言えば左にいってしまう怖さがあります。麻原彰光にもついていけば、宇多田ヒカルにもついていく可能性があります。漫画家の小林よしのり氏がよく『ゴーマニズム宣言』の中で、「純粋まっすぐ君」と揶揄しているのもこのタイプの若者でしょう。違うのではないかと疑える力がもっと必要です。柔軟で建設的な批判力を持つためには、自分でしっかり考えることができなければなりません。健全な批判精神を身につけるためには思考力が伴っていなければならないのです。その思考力が、現在の日本の受験教育の中では養われないように思います。

 でも、私をペシミスティックにさせるのは、若者だけではありません。この日の講演会場には、20人ぐらいの聴衆がおり、そのほとんどはロンドン在住の日本の主婦の方々でしたが、私以外に3人の女性がマークス氏に質問をしていましたが、その質問を聞いていて、私は愕然としました。1人の方は、「マークス先生がおっしゃったような問題点が日本の公教育にはあるので、私は日本に帰ったら、子供を小学校から絶対私立に入れようと思っているんですが、どうでしょうか?」と尋ね、2人目の方は、「うちの子供は今こちらの現地校に通っているのですが、あまりよくない学校もあると聞いて不安になっています。どうしたらいいでしょうか?」3人目の方は、「3人子供がいるのですが、日本でされていないようなことで、子供たちに生きる力を与えるとしたら、どんなことがあるでしょうか?」という質問でした。マークス氏の話は、社会における教育のあり方についてという大きなテーマだったのですが、主婦の方々――少なくとも質問された主婦の方々――は、自分の子供の単なる教育相談会のように受け止めてしまったわけです。

 確かに大きなテーマを身近な問題として受け止めることは悪くはないですが、大きなテーマとの連関を断ち切ってしまうと、私生活主義的思考から出て来られなくなります。この日のマークス氏の話は、教育相談会のように受け止めるべき話ではなかったと私は思いました。しかし、マークス氏はこういう質問には慣れているのか、軽くあしらっていました。最初の人には、「それも結構でしょう。でも、私立校受験は子供のためというより、母親の満足感のためという部分がありますよね。」2番目の人には、「せっかく現地校へ入れていらっしゃるんですから、続けた方がいいのではないですか。」極めつけは、3番目の人への回答で「遊ばせることでしょう。」の一言でした。さすがという感じでした。

 この日最終的に強く思ったことは、もっと社会学的思考は一般社会に普及しなくてはいけないなあということでした。最初のとっかかりは身近なことでも構わないのですが、それをマクロな社会のあり方とつなげて考えていくことのできる発想が、学問をする人だけにではなく、日常生活を生きていく人の中にももっと普及しないと、日本の急スピードでの衰退の進行をくい止めることはできないだろうと思いました。(1999.12.2)

<第115号:日本のスパゲティ屋よ、ロンドンに進出せよ> 最近多くて申し訳ありませんが、今回も食についてです。世界各地のいろいろな食が入ってきているロンドンですが、日本で人気のあるようなスパゲティ屋さんが私の知る限り1軒もないのが不思議で仕方ありません。もちろん、スパゲティを食べさせる店はたくさんあります。イタリア人経営のレストランは山のようにありますので。私が求めているのは、そういうスパゲティではなく、日本風のあっさりしたスパゲティです。こちらには、和風のしょうゆ味はもちろん、スープスパゲティもなければ、トマトソースもギトギトしており、日本でよくあるようなあっさりした感じのがないんです。

 鮨もラーメンも結構いろいろなところで食べられるのに、和風スパゲティが食べられないのが納得がいきません。材料はほとんどこっちで揃うし、ヘルシー思考の強まりつつある今、日本人以外にも絶対人気が出ると思います。今や世界で一番おいしいスパゲティはイタリア人ではなく、日本人が作るスパゲティだと私は信じてやみません。日本のスパゲティ屋さん、ぜひロンドンに進出して下さい。進出したら絶対当たりますよ。(1999.12.1)

<第114号:日付の表し方> いよいよ1999年の最後の月に突入しました。泣いても笑っても1000年代は後31日です。嫌でも頭の中でカウントダウンを始めてしまいそうです。ところで、前々から気になっていたのですが、なんで日付の表示順序が国によっていろいろ違うのでしょう?日本は、年、月、日ですが、イギリスは、日、月、年で、アメリカは、月、日、年ですよね。統一できないんでしょうか。それぞれの国の伝統みたいなものなので、できないんでしょうね。大体、もともとイギリスの植民地だったアメリカがイギリスと違うのはなぜなのでしょうか?どなたか知っていたら教えて下さい。

 できないのでしょうが、もしも統一するとしたら、私は絶対日本の表示順序を採用すべきだと思います。それは、私が慣れているからではなく、大きな単位から表示するのが思考の流れからいって素直だからです。年から言われれば、少しづつ思考しながら確実に徐々に焦点を絞っていくことができますが、日や月から言われたら、同じ日や同じ月はたくさんあるわけですから、焦点を絞れないまま、次の数字が出てくるのを待たなければいけません。最後の年まで言ってもらってはじめて思考を開始できるわけで、無駄な時間を使ってしまうことになります。この説明は、ちょっとわかりにくいかもしれないので、例をあげてみましょう。例えば、初めて会った人に生年月日を尋ねた場合、日本式とイギリス式ではこういう風になります。

日本式:「1941年、」(ふむ、太平洋戦争の始まった年だ。今年58歳か。)「5月、」(おっ、僕と同じ月じゃないか。もう誕生日は過ぎているから、58歳になってるな。早生まれじゃないから、大学に入ったのは、59年の4月だな。とすると、60年安保は大学生として経験してるだろうな。)「12日。」(なるほど。同じ誕生日ではなかったけど、結構近いや。)

イギリス式:「12日、」(何月だ?日だけじゃイメージが何も湧かないぞ。)「5月、」(おっ、結構僕と誕生日が近いぞ。でも、何歳だ?どんな話題を出したらいいんだろう?)「1941年。」(ということは、えーと5月生まれだから、誕生日は過ぎているので、58歳になっていて……。ああ、何日生まれだったけ?)

 このように、日本式の方が断然いいわけです。大体、小さな単位から並べるなら、時刻表示だって、分、時、の順番にすべきでしょう。でも、これはどこの国でも、時、分じゃないですか。(ひねくれもののイギリス人は、結構、"Ten to Six"(5時50分のこと)なんて言い方もよくしますが……。)大きな単位から並べるのが自然なのです。ちなみに、国連の公式文書はどの順番で書いているんでしょうか?本部がニューヨークだから、アメリカ式かな?今度インターネットで調べてみましょう。ちなみに、同じ理由で、住所表示も日本式の方がいいと思っています。(1999.12.1)

<第113号:骨と皮だけのスパイス> 今日行われたトヨタカップで、見事マンチェスター・ユナイテッドが優勝したようですね。「クラブ世界一決定戦」なんて言っても、親善試合みたいなものなのかなと思っていましたが、結構こっちでも扱いが大きかったですよ。今朝の朝刊では、各紙のスポーツ欄を大きく割いて扱っていましたし、試合結果は当然テレビのニュースで映像付きで紹介されていました。

 マンチェスター・ユナイテッドのスターと言えば、なんと言ってもデビッド・ベッカムです。金髪の貴公子という感じで、世界的なスターですが、彼の奥さんがスパイス・ガールのビクトリアです。今年行われた二人の結婚式は、スター同士の結婚として大きな話題を呼びました。今、そのビクトリアがまたマス・メディアに再び注目されています。その理由は、彼女の痩せすぎにあります。今日のデイリー・メール紙に「骨と皮だけのスパイス」という過激なタイトルで、彼女のことが扱われていたのですが、確かに写真を見る限り、このタイトルも行きすぎではないなという感じがします。記事によれば、ヒップはなんと27インチ(約69cm)しかないそうです。「拒食症」ではないかという憶測が流れているのですが、彼女自身も家族もこれを否定しています。一般の人の目には、どう見ても病的な痩せ方としか見えないのですが、本人は全くそう思ってないどころか、現在のスタイルに自信を持っているようです。その証拠に人前に出るときは、体の線がはっきりわかるような服ばかり着ています。新聞では、彼女が若い女の子たちの理想となっているので、彼女のようなスタイルに憧れ、無理なダイエットをする人が出てくるのではないかということを心配していました。また、このまま行ったら、ビクトリア自身も、かつてのカレン・カーペンターと同じような悲劇的な結末を迎えたりはしないだろうかという心配もあるようです。

 「痩せ願望」は飽食の社会でのみ生まれます。食べるものが有り余っている社会でだけ、「痩せたい」と考える人が出てきます。食べるものが十分にない社会では、「痩せ願望」など生まれません。日本の若い女性にも多いですが、日本はまだましだなと思います。日本の食にはカロリーの高くない食事がたくさんありますので、ダイエットも食事をしながらでもそれなりにできそうです。だが、食の貧困なこの国では、油のたくさん使われているものがおいしいものということになっていますので、考えずに食べていると、信じられないほど太っていきます。街に出れば、オビースと呼ばれる極端な肥満体の人を毎日何人も見かけます。ビクトリア自身も少し太り気味だったことがあるようです。極端な肥満と極端な痩身の混在は、豊かになりすぎた社会の不健康さの表れと言えるでしょう。(1999.11.30)

<第112号:イギリスが好き、日本が好き> 前号のテーマを読み直してみて、「あれ、この新オセアニアの範囲って、『大東亜共栄圏』の範囲とほとんど同じじゃないだろうか」と気づきました。このテーマだけでなく、私の主張が全体に「右傾化」している印象を与えそうですね。まあ、社会主義国家の崩壊を経験した現在、どっちが右で、どっちが左かはよくわからなくなっていますが、195060年代なら、まちがいなく「右傾化」していると言われそうだという意味では、そうなんだろうと思います。でも、微妙なーー本人の気持ちとしては大きなーー違いはあるので、無用な誤解を避けるためにも、私が考えていることを少し説明しておきたいと思います。

 イギリスという国で暮らし、この国のやり方を見ながら、日本のことをいろいろ考えていると、自然にやや「愛国主義的」発想になってしまうようです。「愛国主義」は、"Nationalism"の訳語で、他の訳語である「国家主義」や「国粋主義」とも同義語として扱われ、危険な感じがするのですが、より自分の感情に近いのは、日本という国家(State)――抽象的で権威主義的な存在――を排他的に愛するという感覚ではなく、日本という国(Nation)の文化と制度、そしてそこに暮らす人々を排他的にではなく愛するという意識だと思います。私は、今住んでいるイギリスという国(Nation)がなかなか気に入っています。この社会の文化――特に一定の年齢層以上の人々の心に価値観として内面化されたマナーなど――に好感を持っています。(パンク・ファッションのような突出した若者文化は嫌いです。)この国の人々は、この国に対する強い自負心を持っています。そうしたイギリス人の堂々たる態度を見ていると、日本人ももっと日本という国に自信を持ってもいいのではないかという気がしてきます。食事はおいしいし、風景は美しいし、様々な伝統文化が継承されてきているし、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんは親切だしと、あげていけば、日本には良いところがたくさんあることに気づくはずです。もちろん、日本の中にも評価できないところもたくさんあります。金銭欲の強い人間が多いことなんかは嫌ですね。良いところをきちんと継承し、悪いところを修正していくという努力が現代の日本ではされているのでしょうか。悪いところばかり継承されて、良いところが薄れつつあったりしないでしょうか。

 こちらに来て、私は日本を好きだと素直に思えるようになりました。別に日本を好きになることは、即「国家主義」や「国粋主義」につながるわけではないはずです。「つながってはいけないのですか?」と聞かれるなら、やはりそれは良くないと答えざるをえないでしょう。「国家がはじめにありき」ではないはずです。まず人々がいて、社会ができ、文化が生まれ(Nationの誕生)、その後便宜的なものとして「国家」(State)は作られたのです。後から便宜的に作られた国家が「至上の存在」などになってはいけないのです。その社会と文化と人を愛することと、国家のために尽くすことを同義にしてはいけないのです。(ただし現実には、きれいに切り離すことも困難なのですが。)また、自分の国だけがすばらしく、他の国はだめだという考え方を持つのも危険です。自分の国も好きで、他の国も好きだと思うことに何の心理的葛藤も生まれません。むしろ、そうあるべきなのです。ある面では、日本が優れているけれど、別の面ではイギリスの方が優れていると捉えうる冷静な目を持てば、それぞれの社会の持つ欠点も踏まえて、多数の国を好きでいることは容易です。「イギリスも好きだし、日本も好き」と思える人間であり続けたいと思います。 (1999.11.27)

<第111号:日本はアジアなのか?> 今晩、"BBC Asian Awards 1999"という興味深い番組がBBC2で放映されていました。この1年の間で活躍の目立ったアジア人を表彰する番組でした。たいしたことをしていなくても表彰される人たちが次々に出てきておもしろかったのですが、日本人はもちろん、韓国系の人も中国系の人も東南アジア系の人もまったくノミネートもされていないだけでなく、会場に姿すら見えませんでした。どうやら、この番組で念頭に置かれている「アジア」とは、インド以西中近東までの範囲のようでした。日本で普通「アジア」といった場合は、日本から東南アジアぐらいまでが念頭に置かれていますよね。どうもアジアはミャンマーあたりを境に大きく2つに分かれているようです。人種も文化もこの2つのアジアは大きく異なるように思います。

 「アジア」という概念は、はるか紀元前11〜7世紀頃地中海東部に栄えたフェニキア人によって使われていた「アス」(日の出る地方)から派生したとのことですが、「ヨーロッパ」という概念もアスの対語である「エレブ」(日の沈む地方)から派生しています。つまり、地中海東部あたりを中心として東側がアジア、西側がヨーロッパとなったわけです。ヨーロッパでは、基本的にこの「アジア」イメージが現在まで引き継がれて来ているようです。もちろん、「極東アジア」あるいは「東アジア」という概念は存在するわけですが、東南アジア以東をも従来から使ってきた「アジア」という概念で簡単に整理してしまおうとしたのは、ヨーロッパ人のこの地域に対する真摯な関心の欠如によるものだったと言えなくはないでしょうか。(これと同じような傲慢な認識は、「アメリカン・インディアン」にも見られます。)

 もしも日本を中心にしてーーこれもまた傲慢な考え方ですがーー世界の分類をするなら、東南アジア以東はアジアから独立してオセアニアと合体した方がすっきりするような気がします。モンゴル、中国、東南アジア諸国、韓国、朝鮮、台湾、日本、オセアニア諸国(島嶼部だけでなく、オーストラリア、ニュージランドも含む)で、「新オセアニア」を形成するっていうのはどうでしょうか?(1999.11.26)

<第110号:政治家の妻> 昨日、ヒラリー・クリントン氏が来年のニューヨーク州の上院議員選挙に出馬する意向をはっきりと表示しました。相手は、ニューヨークを治安の良い街に劇的に変えた現ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏になりそうですので、実に興味深い選挙になりそうです。でも、私はヒラリーさんが必ず勝つだろうと思っています。なぜなら、来年はまだ夫のビル・クリントン氏は大統領の座にあり、ヒラリーさんはファースト・レディの地位にあるまま選挙を戦うことになるからです。メディアへの登場機会は圧倒的に多いでしょうし、スター性も断然違います。行政能力だけで決めるなら、ジュリアーニ氏の方がちゃんとした経験があるだけに、1枚も2枚も上手でしょうが、今時の有権者はそんな渋い理由では、投票しません。スター性が高い候補者が勝つのです。ヒラリーさんはこれを踏み台にして、アメリカ初の女性大統領への道を切り開いていくのではないかという予想も出ています。

 ここイギリスのファースト・レディ――女王がいるのでこの言い方は正しくないのかもしれませんが――であるブレア首相夫人シェリーさんは、45歳で4人目の子供を身ごもったことで大きな話題になっています。なんとそのせいで、ブレア首相の支持率も上がりました。ファースト・レディは一般的に結構年齢が高いので、ファースト・レディの妊娠というのは珍しく、好感を持って受け止められたようです。妊娠が発表される前の日の"Daily Mail"では、「シェリーは服を買いすぎだ!」とでかでかと書いていたのに、妊娠がわかった途端、好意的な記事に変わってしまいました。ヒラリーさんもシェリーさんもともに優秀な弁護士で気も強そうで、結構似たようなタイプだという印象があるのですが、とりあえず来年の2人の生活は大きく異なりそうです。(でも、シェリーさんだって、いつの日か出てきそうな気もします。)

 今イギリスでもうひとりーーというより、もっともーーマスメディアに追い回されている政治家の妻と言えば、マリー・アーチャーさんです。彼女は、夫のジェフリー・アーチャー氏(上院議員)が不道徳な女性関係を隠すために偽証を依頼していたことがばれたために、迷惑を被っています。日本の芸能マスコミもよくやる「奥さん、一言コメントを!」って奴です。ジェフリー・アーチャーは、世界的に著名な小説家で、貴族の称号も授与している現代イギリスを代表する有名人である上に、来年久しぶりに復活する大ロンドン市の市長選挙における保守党統一候補に決まっていたため、マスメディアの追及も厳しいものがあります。無言で車に乗り込むマリーさんの姿がよくテレビに映るのですが、とてもかわいそうです。

 ヒラリー、シェリー、マリーと偶然ですが、脚韻を踏みますね。「ミセス・3リー」とでも名付けておきましょうか。でも、それぞれ異なりはするものの前2者の輝きと比べて、マリーさんは「自分はなんて不幸なんだ」ときっと思っていますよ。でも、シェリーさんはいざ知らず、ヒラリーさんは、夫のもっと派手な不祥事を見事に乗り切っての今日ですから、マリーさんもここを頑張れば、自分自身にチャンスが巡ってくるかもしれませんね。(1999.11.24)

<第109号:りんごがおいしい> 林望氏の『イギリスはおいしい』という本にも書かれていますが、こちらのりんごは、適度な甘さとみずみずしさがあり、なかなかおいしいです。日本のお店で売っているものに比べたら小ぶりですが、一人で1個食べるのにちょうどいい量です。先日さる由緒ある建物を見学に行ったとき、そこの庭にりんごがたくさん落ちていたので、これはもったいないと思い、2個ほどいただきました。よく拭いてそのまま囓ったのですが、適度に酸っぱくておいしかったですよ。

 私は暖かいところで生まれ育っているので、りんごが木になっているのを直に見たことはなかったのですが、イギリスではあちこちにりんごの木があります。ちょうど昭和30年代頃までの日本の柿の木のように、庭にりんごの木を植えている家がたくさんあります。ニュートンが、りんごが枝から落ちるのを見て「万有引力の法則」を思いついたというのは事実かどうかわかりませんが、少なくともニュートンがイギリス人である限り、枝から落ちるのは、やはり柿やバナナではなくりんごが一番似合っていることは間違いありません。(1999.11.23)

<第108号:速報・バティストゥータ、マンチェスターを破る> 久しぶりのサッカーねたです。今晩から、UEFAのチャンピオン・リーグ(ヨーロッパ・クラブチーム選手権)の2次予選が始まりましたが、昨年度のチャンピオンで、近々トヨタカップで南米のクラブチーム・チャンピオンと対戦するために東京でもその勇姿を見せるマンチェスター・ユナイテッドが、イタリアのクラブチーム、フィオレンティーナに0−2で敗れました。まだ始まったばかりですので、今後の展開はわかりませんが、あのマンチェスター・ユナイテッドが敗れたということで、こちらのニュースでは大きく取り上げていました。勝利の立て役者は、あのアルゼンチーナのバティストゥータでした。2点ともマンチェスターのディフェンスの安易なバックパスをカットして、1点目は自分で、2点目はきれいなアシストを決めました。皆さん覚えていらっしゃるでしょうが、バティストゥータは昨年のワールドカップで、日本が最初に得点を許した選手です。あの時の1点も日本のクリアミスを拾っての得点でした。なんかかっこいいんですよね。長髪をなびかせて、少しでも隙があったら見逃さない、まさに「ゴール・ハンター」という感じです。チャンピオン・リーグの1次予選でも、ロンドンの強豪チーム、アーセナルを1次予選敗退というどん底に突き落としたのも、バティストゥータのゴールでした。(これは、右サイドの角度のないところから決めたすごいゴールでした。)もうすっかりファンになってしまいました。今年のチャンピオン・リーグは、バティストゥータのいるフィオレンティーナが注目です。

 そうそうそういえば、日本がワールドカップで戦ったもうひとつの強豪国クロアチアのフォワードで得点王にもなったスーケルは、先ほど述べたアーセナルに今シーズンからいます。そのスーケルが先日、写真入りで新聞に大きく出ていたので、何かなと思って読んでみたら、スーケルがライバルチームであるマンチェスター・ユナイテッドの株を買っていたことが判明したという記事でした。別に、サッカー選手が一投資家として、自分の所属するチーム以外の株を買ってもまったく違法ではないそうですが、ロンドンの新聞ですので、なんとなく「裏切り者」といった扱いでした。(1999.11.23)

<第107号:モダン・ブリティッシュ・レストラン> ずっとイギリスの食のまずさばかり書いてきましたが、近年「モダン・ブリティッシュ」と呼ばれるレストランが現れ、これがなかなかの人気だという噂を聞きましたので、これは一度挑戦してみなければなるまいと思い、妻と2人でランチを食べに行きました。場所は、骨董品の市で有名なエンジェル駅のすぐ近くで、"Lola's"というお店です。ここは、昨年の"Time Out"(「ぴあ」のような情報誌です)の評価で、モダン・ブリティッシュ・レストラン部門で1位に輝いたお店です。店の雰囲気、サービス、味、値段、いずれもさすがという感じでした。

 スターターとメインで10ポンド、デザートもつけると15ポンドになります。ランチとしてはやや高めですが、びっくりするほどの高さではありません。この日のスターターとしてわれわれが選んだのは、エビのカクテルとほうれん草のスープでした。エビのカクテルは、下にレタスが敷いてあり、サザンアイランドのようなドレッシングがかかっていました。エビのゆで具合、ドレッシングの味、いずれも合格でした。スープの方は、ほうれん草スープの中央に、チリソースでピリッとした辛さを加えたマッシュポテトとタマネギのあえたようなものが置かれており、スープとともに食するようになっていました。見た目の感じは、街のサンドイッチ屋さんなどによくある"Today's Soup"とそっくりでしたが、味はしっかりしていました。(街の"Today's Soup"は、しばしば味付けが全くされていないことがあります。)

 さて次にメインですが、肉と魚をそれぞれ選んでみました。肉は牛で、非常に柔らかく焼き上がっていました。もうすっかりあきてしまったおなじみのチップス(日本で言うところのフライドポテト)もついていましたが、素材が新鮮だったのか、揚げ方や使っている油がいいのか、ひさしぶりにおいしいポテトでした。魚の方は、マスのソテーを頼みましたが、まるでフランス料理のソースのような感じのマッシュポテトの上にマスのソテーが乗っていました。こちらもなかなかいけました。デザートは、もうお腹がいっぱいだったので、ひとつだけにし、お店の人が強く薦めてくれたラム酒をかけたバニラ・アイスクリームを食べましたが、これは抜群においしかったです。

 このレストランに行くまで、「モダン・ブリティッシュ」と言ったって、どうせフランス料理風とか日本料理風なものでも出て来るんじゃないのかと思っていましたが、食べてみて、やはりこれは「モダン・ブリティッシュ」なんだろうなと思いました。どこが「ブリティッシュ」かと言われれば、ポイントとしては、イギリスでよく料理に使われる素材を使っていること、従来のイギリスの調理法に近いやり方を取っていることなどがあげられるでしょう。で、どこが「モダン」かと言えば、見た目がきれいなこと、味つけがしっかりしていること、チリソースのような異国的な香辛料を利用していることなどがあげられると思います。

 でも、それなりに満足のいった食事でしたが、やはり和食と比べたら、素材も見た目も味もとうてい勝負にはならないとも思いました。 (1999.11.22)

<第106号:視力> こちらに来て、もうじき8カ月。いろいろ変化があるような、ないような。ひとつ間違いなく変わったことと言えば、3人の子供のうち、2人がメガネをかけるようになってしまったことです。もともと両親ともに近視なので仕方がないと言えば仕方がありませんが、こちらに来てから急速に悪くなったように思います。眼鏡屋さんの話では、こちらに来て急速に目が悪くなる日本人は多いそうです。そう言えば、私自身も目が疲れやすくなりました。で、原因はと言えば、照明が暗いということです。シャンデリア風の電灯がついたリビングはいいのですが、他の部屋は100ワットの電球がひとつついているだけです。蛍光灯に比べると、電球というのは明るさが広がらず、部屋で本を読むのに十分な明るさが取れません。

 これではいけないと思い、デスク・スタンドを買いに行ったのですが、こちらの期待するようなデスク・スタンドがありません。大きな照明器具の売場を占めているのは、深く傘をかぶった寝室用ランプで、デスク・スタンドはほんのわずかしか売っていません。それも、20ワットとかが幅を利かせているんですから、何をか言わんやです。とりあえず、その中では一番明るそうな50ワットのスタンドを買いましたが、それでも十分でないのは明らかです。

 それにしても、こんなに明るい照明器具が売っていないということは、こちらの人たちはこの程度の明るさで十分だと思っているわけですよね。もしかしたら目が青いことが関係しているのかもしれません。明るい太陽の光に弱い碧眼の白人は、サングラスをよく使用するわけですが、家の中でもあまり明るくない照明の方が好みなのでしょう。たぶんあの青い目は、少量の光量でも物をしっかり捉えるようにできているのではないでしょうか。そう言えば、街を歩いていても、メガネをかけている白人の比率はかなり低いような気がします。(1999.11.21)

<第105号:イギリス史を学ぶ必要性> この国にやってきたのは、必ずしもイギリス史を勉強したかったからではありませんが、暮らす限りは歴史を知っておいた方がいいと思い、イギリス史の勉強もしてきましたが、知れば知るほど、この国について学ぶことは、日本という国を考える上でも現在の国際関係を考える上でも不可欠な作業だという気がしてきています。

 第2次世界大戦以後、日本は長らくアメリカの実質的な支配下に置かれ、表層的な文化の部分では、アメリカの圧倒的影響力を受けてきたことは間違いありません。しかし、社会、国家の成り立ちの違い、政治制度の違い、地理的な違いなどあまりに多くの点で、アメリカと日本は異なっていて、社会の根幹部分は輸入しにくいのに対し、イギリスの場合は、いろいろな点で日本と共通性があり制度も輸入しやすいと思います。実際、戦後はアメリカの影響力を強く受けましたが、日本が近代国家の体裁を整えていった明治維新から戦前まではイギリスの影響力の方が圧倒的でした。つまり、イギリスという国家は近代国家・日本を形成していく上で、非常に重要な役割を果たしたわけです。第2次世界大戦の敗戦により、日本の国家体制はかなり変化させられましたが、アメリカも日本をアメリカのような国にすることはできず、よりイギリスに似たような「象徴君主制」を取る民主主義国家に構築し直したので、制度的にはよりイギリス的になったともいえるでしょう。

 こうした日本との直接的な関係性や類似性ばかりでなく、近代(モダン)という時代――資本主義という経済体制を核とするーーが世界的に形成されていく上で、イギリスの果たした役割を考えるなら、イギリス史について学ぶことが必要だと言うことは自明の理でしょう。市民革命も産業革命もイギリスでまず起こり、19世紀には他の国を大きく引き離して、政治的にも経済的にも現代と連続的な社会体制をいち早く築き上げたわけです。「単線型近代化論」の見方を取るならば、すべての国はイギリスをモデルとして近代化を図ってきたことになります。近代という時代を考えようと思えば、その原点であるイギリスでどのような歴史的背景があり、近代的な体制が作られてきたのかを知ることが必要だと思います。そうすることによって、近代の形成に関する「理念型」をわれわれは持つことができ、それを基準として他の社会を分析的に見ることもできるようになるわけです。

 さらに、イギリスは20世紀に生じた2つの世界大戦の中心にあり、2度とも戦勝国となっています。日本やドイツだと敗戦を境に政治体制が大きく変わったため、歴史が途切れているような印象すら持ってしまうのですが、イギリスは違います。この国の歴史を勉強していると、19世紀から20世紀の世界の歴史がきちんと連続的に見えてきます。19世紀以来、大きな戦争ではほとんど負けていないのに、いつのまにか「イギリス病」と呼ばれるような沈滞ムードの漂う国になっていたイギリスという国は、実に興味深い国です。そして、かつてこの国が持っていた植民地は世界中にあったため、どの地域のことを調べていても、ほとんどどこかでイギリス史とぶつかるようになっています。アフリカや中東の複雑な状況を理解するには、どうしてもイギリス植民地時代から見ていかなければならないでしょう。そもそも、現在世界の盟主のような顔をしているアメリカだって、もともとはイギリスの植民地だったわけですし、イギリスの歴史を知らずに、現在の世界の状況も理解できないだろうと思います。 (1999.11.15)

<第104号:チャールズとカミラ> 前号で掲載した調査結果は、チャールズ皇太子とカミラ夫人の関係についてもおもしろい結果を示していました。

 チャールズ皇太子の評価は、ダイアナ妃の衝撃的な死から時間が経つにつれて、じわじわと上がってきているようです。ダイアナ妃が亡くなったことは、チャールズ皇太子にとっては天恵だったようです。ダイアナ妃が生きていた頃は、表しにくかった息子たちへの愛情を最近はストレートに示すようになり、息子たちとの関係は改善されているようです(「ロンドン便り PART2」第70号参照)。また、カミラ夫人と連れだって公の席に出ることもしやすくなったようです。

 カミラ夫人が王妃になることまで認めるという意見はまだ少数ですが、2人は結婚した方がいいという意見は増え、その結婚はチャールズ皇太子の王位継承を妨げるものではないと言う考え方が増えてきています。でも、2人が正式に結婚して、チャールズ皇太子が国王として即位した場合に、カミラ夫人が王妃に認められないというのは、どういうことになるんでしょうね。法的には国王の正規の妻だが、王妃ではないなんてことがありうるのでしょうか?シンプソン夫人という離婚経験者を王妃につけないために退位させられたエドワード8世のケースを考えても、正式に結婚していれば、カミラ夫人は王妃になれるはずです。結局、カミラ夫人が王妃になってもいいという意見がもっと増えないと、チャールズ皇太子は結婚に踏み切れないんでしょうね。(1999.11.15)

<第103号:50年後にはイギリス王室はない?!> 1113日付けのDaily Mail紙に、非常に興味深いイギリス王室に関する世論調査の結果が載っていましたので、紹介したいと思います。調査は、オーストラリアの国民投票で共和制選択が否定されたことを受けて、11月8〜11日にかけて、電話調査で行われたもので、回答者は1003人です。

問1:国民投票をしたら、イギリスは共和制になると思うか、それとも君主制の維持になると思うか?

  共和制 16(18)  君主制 74(73)  投票せず/わからない 10(9)

  〔注:数字の単位はすべて%、( )内の数字は、昨年の調査結果を表す。〕

問2:国民投票があれば、あなたはどのような投票をするか?

   君主制の維持 69  議会によって選ばれた大統領を持つ共和制 4

   国民によって選ばれた大統領を持つ共和制 21  投票しない/わからない 6

問3:オーストラリアの国民投票に続いて、あなたはここでも同様のことを求めるか?

   はい 33  いいえ 60  わからない 7

問4:君主制は将来も重要な役割を果たすだろうか?

   はい 70(66)  いいえ 25(28)  わからない 5(6)

問5:女王はある段階で退位した方がいいか、それともできる限り長く留まった方がいいか?

   退位する 32(28)  女王を続ける 60(67)  わからない 8(4)

問6:女王の治世が終わった後も、君主制は続けるべきか?

   続けるべき 76  続けるべきではない 18  わからない 6

問7:君主制はいつまで存在しているだろうか?

       あるだろう ないだろう わからない

   10年後   78(78)   15(15)  7( 7)

   50年後   29(33)   45(42)  26(25)

   100年後   16(20)   56(51)  28(29)

〔問8、問9省略〕

10:チャールズ王子は、良い国王になるだろうか?

   良い国王 59(63)  悪い国王 25(20)  どちらでもない 16(17)

11:チャールズ王子とカミラ・パーカー・ボウルズは、彼らの関係を私的なものとして続けるべきか、

   完全に公にすべきか、別れるべきか?

   私的なものとして続けるべき 33(35)  完全に公にすべき 48(44)

   別れるべき 10(10)       わからない 9(11)

12:彼らが別れないのなら、結婚すべきか、それとも結婚せずにいるべきか?

   結婚すべき 49(45)  婚外関係を続けるべき 30(29)  どちらでもない/わからない 21(26)

13:彼らが結婚した場合、チャールズ王子は国王になることを認められるべきか?

   認められるべき 61(53)  認められるべきではない 34(40)  わからない 5(7)

14:カミラは、彼とともに王妃になるべきか?

   はい 17(16)  いいえ 78(77)  わからない 5(7)

15:チャールズ王子とトニー・ブレアのどちらがよりイギリス国民と合致しているか?

   トニー・ブレア 49  チャールズ王子 29  どちらでもない 16  わからない 6

〔問16、問17省略〕

18:ウィリアム王子は大学を卒業したら、何をまずすべきか?

   王室の義務を果たす 6  軍隊へ行く 29  私生活で経験を積む 32

   チャリティで働く 19  彼次第   5  その他/わからない 9

19:エドワード王子とソフィー・リズ・ジョーンズは、王室の義務以外の仕事を続けるべきか?

         続けるべき  続けるべきでない  わからない

   エドワード   87        8        5

   ソフィー    85        7        8

20:エドワード王子とソフィー・リズ・ジョーンズは、彼ら自身のビジネスのために、王室の一員と

   しての地位を不当に利用していると思うか?

   おおいにそう思う 18  どちらかといえばそう思う 25  どちらともいえない 6

   どちらかといえばそう思わない 28  まったくそう思わない 14  わからない 9

 以上のような調査結果です。おもしろいと思いませんか。半数近くの人が、50年後にはイギリスは君主制ではなくなっているだろうと予測しているわけです。この通りになるなら、ウィリアム王子がイギリス最後の国王となる可能性が非常に高いことになります。1990年代に入ってから次々に生じたイギリス王室の醜聞が、国民の王室離れを加速させているようです。

 日本の天皇制とイギリスの王制は、ともに宗教的・政治的シンボルとしての位置を持っており、一見似ているようにも思いますが、実際はかなり違うものだと思います。形式的な制度から言えば、イギリス国王の方が日本の天皇より大きな権限を持っています(注1)が、そうしたイギリス国王としての地位は議会によってーー言い換えれば国民によってーー支持されていなければなりません。成文憲法を持たず慣習法でやっている国ですから、かつて17世紀に王制を廃止した歴史もまだ生きているわけです。それゆえ、この調査で問われているように、王制を続けるか否かといった議論も決して机上の空論ではないのです。他方、日本の天皇は、制度的にはイギリス国王ほど大きな権限を持っていないかもしれませんが、その地位は、実質的な国民のコントロール下にはない超越的なものとなっています。戦前に美濃部達吉が『天皇機関説』を唱えましたが、国民の受け止め方からみると、「機関説」は日本の天皇制によりも、イギリスの王制の方によくあてはまりそうな気がします。「機関」であればこそ、「よく働くなら維持しよう。しかし、コストに見合う働きをしてくれないなら廃止しよう」という議論も可能になるのだと思います。日本の天皇は、まさにあの日本国憲法第1条の「日本国および日本国民統合の象徴」という、厳密な意味はよくわからない不思議な言葉に規定されたインフォーマルで文化的、精神的な存在としての意味をイギリス国王より強く持っているのではないかという気がします。

 歴史の大きな流れからすると、特定の血筋の一族をただそれだけの理由で特定の地位においておく君主制は「生きた化石」のような制度と言わざるをえないでしょうが、それゆえにこそ今や希少価値を持つようになっているとも言えるかもしれません。(1999.11.15)

(注1)イギリスの主権者は国王であり、議会は、国王、貴族院、衆議院の3つのパートからなると規定されている。

<第102号:Lord Mayor's Show> ロンドンではいろいろなパレードが行われますが、この土曜日には、City of Londonの市長の就任パレードが行われました。City of Londonは、紀元前1世紀にローマ人が最初に造ったロンドン市の範囲――現在も経済の中心地にはなっていますーーで、その市長と言っても、今は単なる名誉職で1年任期で交代していくのですが、800年以上続いてきた職なので、その就任パレードは盛大なものです。パレードの8割ぐらいは楽しいパフォーマンス・ショーで、最後の方に、軍隊やお偉い方々の馬車が続き、一番最後に新市長の乗った金と赤の馬車がやってきます。その間1時間以上、しっかりパレードを楽しむことができました。パフォーマンスのグループだけでなく、馬車に乗ってやってきたまじめなイギリス紳士たちも、手袋代わりにパペットをつけて観衆に手を振っていたのが、とてもかわいかったです。参加している人たちも楽しんでいるという雰囲気がこちらにも伝わってきて、いい感じでした。

 ショーはこれで終わりではなく、午後5時からはテームズ川で花火が上がりました。20分ぐらいの時間でしたが、見ている者に息もつかせぬほど次々に花火が打ち上げられ、おおいに楽しめました。今は暗くなるのが早いので、午後5時からでも花火をするのに十分な闇が訪れていました。まだ、冬至まで1ヶ月以上ありますから、冬至の頃には、午後4時で十分花火大会ができるでしょうね。日本では、花火と言えば夏の風物詩ですが、こちらの日照時間では、冬の方が花火をやるのに都合が良さそうです。

 それにしても、花火ってきれいですよね。花火が嫌いという人は、あまりいませんよね。この日の花火も終わった瞬間、あちこちから拍手がわき上がりました。もちろん、音がうるさいと思っている人はいるでしょうが、夜空に瞬間的に描き出される芸術をほとんどすべての人は美しいと思うのではないでしょうか?われわれ人間の遺伝子は、光に好感を持つようにインプットされているのかもしれません。火や光を恐れる人間は、「適者生存の法則」で淘汰されてきたのかもしれませんね。いずれにしろ、花火は火を扱える人間のみが独占的に楽しめる文化のひとつであることは、間違いありません。(1999.11.14)

<第101号:キツネの来訪> 家の庭にキツネがやってきました。こちらに住みはじめた当初は、リスが庭にやってくるのに感激していたのですが、リスにはもうすっかり慣れてしまい、「ああ、また来てるね」程度の関心になっていたのですが、キツネは初めてでした。近所で時々やってくると噂は聞いていたのですが、ついに出会えて家族全員お喜びでした。考えてみると、キツネって動物園にはあまりいないので、実物を見たのは、私もこれが初めてのような気がします。毛皮にされてしまうのもなるほどと頷けるほど、美しい毛並みでした。

 リス、キツネばかりでなく、様々な野鳥もやってきますので、家にいながらにしてバード・ウオッチングもできます。なんかこんな話をしていると、まるで、「北の国から」のようなところに住んでいるように思われてしまうかもしれませんが、ロンドンの中心部から電車でわずか30分程度のところに住んでいるんですよ。ロンドンには信じられないほどの自然が残っています。「イギリスは豊かなり」と言いたくなる人の気持ちがよくわかります。(1999.11.14)