ロンドン便り(第1号〜第50号)

 

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  目次(興味のあるテーマをクリックして下さい。)

<第50号:職人仕事>(1999.7.19)

<第49号:「Burger King」はなぜ日本進出しないのか>(1999.7.19) (追記:1999.9.3)

<第48号:「STAR WARS」人気と宇宙開発>(1999.7.19)

<第47号:SALE,SALE,SALE!!>(1999.7.8)

<第46号:ロンドンでもルーズソックスが流行るのか?!>(1999.7.8)

<第45号:映画「Notting Hill」を見て、Notting Hillへ行く>(1999.7.4) (追記:2000.3.16)

<第44号:そう言えば、1999年7の月に入っていたんですね>(1999.7.3)(追記:1999.7.6)

<第43号:ベジタリアンになりそう>(1999.7.2)

<第42号:芸術・ヌード・ルネサンス>(1999.6.29)

<第41号:ジグソーパズルと母性愛>(1999.6.29)

<第40号:英語という産業>(1999.6.29)

<第39号:こうもり傘を持った紳士がいない>(1999.6.29)

<第38号:スポーツいろいろ>(1999.6.29)

<第37号:哀れなスチーブンソン>(1999.6.22)

<第36号:携帯電話>(1999.6.22)

<第35号:発達しない地下街>(1999.6.20)

<第34号:Queen's Mother>(1999.6.20)

<第33号:物価比較>(1999.6.19)

<第32号:海外要員>(1999.6.19)

<第31号:Europeanとは?>(1999.6.18)

<第30号:June Bride>(1999.6.14)

<第29号:慈善と寄付と施しと>(1999.6.14)

<第28号:Speaker's Corner>(1999.6.13)

<第27号:荘厳な音>(1999.6.11)

<第26号:SUSHI>(1999.6.11)

<第25号:カロリーの高すぎる食事>(1999.6.2)

<第24号:B&B>(1999.6.2)

<第23号:"I don't want you.">(1999.6.2)

<第22号:初ドライブ>(1999.6.2)

<第21号:路上駐車>(1999.5.28)

<第20号:チェルシー・フラワーショー>(1999.5.27)

<第19号:奇跡の逆転勝利>(1999.5.27)

<第18号:観光客としては認知されているけれど……>(1999.5.19)

<第17号:見下ろす優越感>(1999.5.19)

<第16号:スリラー好き>(1999.5.17)

<第15号:TATTOOあり> (1999.5.12)

<第14号:戦争博物館(Imperial War Museum)について>(1999.5.6)

<第13号:この国の公共心とは?>(1999.5.4)

<第12号:さすがにちょっと不安>(1999.5.3)

<第11号:ニュースにもならない地下鉄駅からの避難>(1999.4.30)

<第10号:DILLONSにて>(1999.4.27)

<第9号:マークス寿子氏にはまりそう>(1999.4.27)

<第8号:オリエンタル・シティ>(1999.4.26) (追記:1999.9.3)

<第7号:ロンドンの公共交通機関について(2)心理作戦>(1999.4.20)

<第6号:ロンドンの公共交通機関について(1)Not so bad.>(1999.4.19)

<第5号:世界一のダイヤモンド>(1999.4.18)

<第4号:社会のマナーと個人主義>(1999.4.16)

<第3号:やり直し?>(1999.4.10)

<第2号:美しい町並み>(1999.4.9)

<第1号:Natural History Museumの「阪神大震災コーナー」について>(1999.4.2)

<第50号:職人仕事> 「ヴィクトリア&アルバート博物館」の日本コーナーに根付けがたくさんあります。ひとつひとつじっくり見てるとすごいなあとしみじみ感心します。小さな象牙にこんな丁寧で細かい仕事を施した名もなき職人さんがいたんだなあと思うと感動します。考えてみれば、浮世絵とかでも、元になる絵を描いた絵描きの名前のみが有名ですが、絵描きの書いた元絵の線を一本一本丁寧に彫れる彫り師がいて、色ずれなく多色刷りの版画を仕上げられる摺り師がいて、初めて芸術として現われうるわけです。(肉筆画の場合は違いますが。)

 もちろん、こうしたすばらしい職人仕事は、日本のものだけに見られるわけではありません。大英図書館の展示コーナーで、中世の製本の仕方を実演したものをビデオで見ましたが、これも感動ものでした。1冊1冊こんな風に時間をかけて作っていたんだと思うと、本がかつては高価なものだったのだということがよくわかります。また、こちらで町歩きをしているとすばらしい建築物にたくさん出会います。中には、クリストファー・レンのような有名建築家による設計の建物もありますが、そうした建築物でも、建築家がしたのは設計だけで、実際に建てたのは、多数の職人さんたちです。墓石とかでも見事な彫刻が施されたものがありますが、これも名もなき石工職人の仕事でしょう。職人仕事って考えてみると、本当にすごいですよね。きっと柳宗悦が「民芸運動」を始めようと思ったのも、こんな気持ちからだったんでしょう。

 時代は変わり、今やコンピュータが機械を動かし、あっという間にたくさんの製品を作り出してしまいます。これはこれですごいことです。でも、その一方でかつてのような職人芸を持った人たちは、どんどん減っているわけです。仕方がないことだと思う反面、寂しい気持ちがします。人間社会は確かに便利になってきているのでしょうが、個々の人間の能力は果たして進歩していると言えるのでしょうか?(1999.7.19)

<第49号:「Burger King」はなぜ日本進出しないのか> 「Burger King」というハンバーガー・チェーンがあります。海外旅行したことのある人なら、利用したことのある人も多いだろうと思います。アメリカでもイギリスでもマクドナルドに匹敵する店舗数を誇っています。貧困な食に喘いでいる私も、なんのかんの言いながらよく利用しています。マクドナルドより少し高めですが、マクドナルドよりおいしいと思います。メジャーなのは、Whopperというハンバーガーで、トマトとレタスとタマネギがハンバーグの上にたっぷり乗っていて結構いけます。前々から不思議だったんですが、この「Burger King」はどうして日本に進出しないんでしょうね。あの味ならマクドナルドとも十分対抗してやっていけると思うのですが……。ロッテリアがあるからでしょうか?でも、はっきり言ってロッテリアは危ないですよね。この際、ロッテリアは「Burger King」と提携して、店舗を全部「Burger King」に衣替えしてしまったらいいのではと思うのですが……。(1999.7.19)

【追記:その後聞いた情報では、元「森永ラブ」だったところが、「Burger King」に変わっているそうです。つまりもう日本進出は始まっているわけですね。知りませんでした。(1999.9.3)】

<第48号:「STAR WARS」人気と宇宙開発> 映画「STAR WARS」の新作が公開され大人気ですが、日本でも公開されているのでしょうか。こちらでの人気はかなりすごいですよ。ずいぶん前から話題になっていて、おもちゃ屋に行っても、本屋に行っても、関連グッズがたくさんおいてありますし、先日買った"Daily Mail"という新聞の読者投票では、これまでに公開されたすべての映画の中でトップになっていました。日本でも同じような状況なのでしょうか。私は基本的にSFにあまり興味がないので、よくわからないのですが、これだけ人気があるということはおもしろいんでしょうね。これまでのストーリーも全く知らないので、どうも関心が湧きません。確か「ダースベーダ」とか出て来るんですよね。後、人間型のロボットとゴミ箱みたいな形をしたロボットとか……。あまりに知識がないので、ここに書くのも恥ずかしい限りです。

 こんなに知識がないのに、なんでここに書いているかというと、「STAR WARS」人気を横目で見ながら、宇宙開発っていうのは本当に必要なんだろうかということを思ったからです。アメリカやかつてのソビエトをはじめとして宇宙に人間を送り出そうという試みが行われてきて、今やスペース・シャトルの時代となり、毛利さんとか向井さんとか日本人でも何人か宇宙へ出て行った人がいます。前に毛利さんがテレビで、子供たちに向かって、「君たちが大きくなる頃には、宇宙旅行をできる時代が来ているかもしれないよ」と嬉しそうに話しかけていましたが、どうも私には、宇宙旅行は壮大なエネルギーの無駄遣いのような気がして仕方がないのです。旅行なんてすべて無駄遣いと言えばそうですが、地球の中での旅行なら他の社会の人々のことを具体的に知り、地球市民としてのアイデンティティを形成する上で、何らかの役割を果たせるのではないかと思うのですが、宇宙旅行はどういう意味があるんでしょうね。もちろん個人的には、地球の上にいたら見ることのできない景色が見られるし、確か毛利さんか向井さんが言っていたと思いますが、「地球には国境はないんだ」ということを実感できるのかもしれませんが……。(でも、物理的な国境がないことは、飛行機で飛ぶ程度でもわかります。)

 もともと宇宙開発が戦後急速に進んだのは、周知のように軍事目的のためです。今でも、アメリカが戦争に加担すると、宇宙衛星(ランドスタットでしたっけ?)から撮った写真というのが、利用されていますよね。このあたりも気にかかります。もちろん軍事以外にも、気象や通信の手段として使われており、それらが有意義であることは認めますが、宇宙旅行というのはどうなんでしょうか?引力に逆らって大気圏外へ飛び出すのに膨大なエネルギーが必要なはずです。それだけのエネルギーをもっと地球上で有効に使うべきではないでしょうか。(1999.7.19)

<第47号:SALE,SALE,SALE!!> 6月末から7月初めは、ロンドンの名門百貨店やブランド店が競って"SALE"をやっています。ピカデリー周辺で、ブランド名の入った袋を持った日本人女性にたくさん出会います。それにしても、なんで女性はこんなに買い物が好きなんでしょうね?

 女性が買い物が好きだと言ったって、タマネギや牛乳やトイレットペーパーを買ってくるのが好きだという人はまずいませんよね。好きなのは、洋服や靴、アクセサリーや装飾品など、外見を飾るものです。ということは、結局のところ、女性をその内面的な能力で評価しようとせず、外見のみで評価しようとしてきた男性優位社会が生み出したものだという結論になるのでしょうね。今や女性も能力で評価されるようになってきたはずだといくら言ってみても、まだまだこれだけ"SALE"に走る人がいるところを見ると、女性たちが内面的能力で評価される時代に十分になってはいないと判断せざるを得ません。特に日本女性の姿が目立つのは、やはり日本社会がよりそうした傾向が強いということの表れでしょうか?(1999.7.8)

<第46号:ロンドンでもルーズソックスが流行るのか?!> 先日の続き(第42号参照)をと思い、ナショナル・ギャラリーで絵を見ていたら、ルーズソックスの女子高生らしき一団に出会いました。(日本の女子高生ではないですよ。こちらのお嬢さんさんたちです。)揃って黄色のブラウスにグレイのミニスカートという制服姿の10人ぐらいの集団でしたが、1人を除いて全員ルーズソックスをはいていました。日本で流行り始めた頃の、あまり極端ではないルーズソックスでした。

 もしかしたら一部ではもう以前から流行っていたのかもしれませんが、私はこちらに来て初めて会いました。制服を着た高校生ぐらいの年齢の女性たちは結構見かけていたのですが……。たぶん流行り始めなのではないでしょうか。で、印象はどうだったかというと、なかなか似合っていました。日本でも初期の頃のルーズソックスに私は悪印象を持っていなかったのですが、その後、茶髪だ、顔黒だとかなってきて良い印象がなくなりました。でも、それらと切り離した極端なほどに長くないルーズソックスなら、今でも決して悪印象は持っていません。こちらの少女たちは、茶髪にする必要はないし、顔も黒くなりませんから、ルーズソックスは独立したおしゃれなファッションとして広まる可能性を大いに持っていると思います。さらに、こちらの気候が、日本より長い靴下をはくのに合っているということを考慮に入れるならば、ルーズソックスが流行する可能性はさらに高くなると言えるでしょう。(1999.7.8)

<第45号:映画「Notting Hill」を見て、Notting Hillへ行く> 映画「Notting Hill」は、日本でも公開されているでしょうか?ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントが出演する大人の恋愛映画です。この映画のタイトルの「Notting Hill」は、ロンドンの地名です。場所は、ロンドン中心部の西の外れぐらいの位置になります。最寄りのNotting Hill Gate駅は、地下鉄のCircle line、District line、Central lineが通っています。映画の中にも出てくるPortobello Roadの商店街を中心に近年若い人に人気があるようです。

 先日その「Notting Hill」という映画を見て、思わずNotting Hillまで出かけていきました。映画の中でヒュー・グラントは、Portobello Roadの商店街の一角で、旅行書を扱う書店を経営しているのですが、そのお店の住所の番号が「142」って一瞬はっきり見えたんです。(映画を見たのは、ちょっと前なので、番号は正しくないかもしれません。でも、見た当日は正確に記憶していました。)で、もちろんフィクションなので、そんなお店があるわけはないと思いつつ探してみました。当然ながら見あたりませんでした。冷静になって考えてみれば、あんな人通りの多いところで、ロケをずっとすることなんてできないでしょうから、どこか違うところで撮ったはずですよね。でも思わず、探訪したくなるおしゃれな映画でした。大英博物館やビッグベン、ピカデリー・サーカスとは違うロンドンの雰囲気が味わえる映画なので、お奨めできます。

 イギリスの映画と言えば、「小さな恋のメロディ」という映画があります。日本公開が1971年でしたから、もう30年近く前の映画です。知る人ぞ知る私の思い出の映画のひとつなのですが、こちらでこの映画を探していたんですが、なかなか見つかりませんでした。先日インターネットで調べてみたら、なんとイギリスではビデオが出ていないようなのです。ショック。古典というほどの映画ではないので、ビデオが出ていないのかもしれません。調べたデータベースでは、10点満点の評価で9.1点と非常に高く評価されていたんですが。ちなみに、「Notting Hill」は7.8点で、あの「タイタニック」は7.3点、現在日本でも公開されている「恋に落ちたシェークスピア」は8.2点でした。ただ問題は、この評価に寄与した人数が、「Notting Hill」は1,423人、「タイタニック」は22,145人、「恋に落ちたシェークスピア」は6,541人もいるのに対し、「小さな恋のメロディ」は81人しかいないということです。やはりこちらではマイナーなようです。ところが、この映画、日本ではCICビクターからビデオが出ているようなんです。もしもビデオを見つけた方がいたら教えて下さい。映画の中に出てくる学校の講堂が、今子供たちの通っている学校の講堂に似ているような気がして仕方がないのですが……。(1999.7.4)

【追記:ある人から、「Notting Hillに使われた店は本当にPortobello Roadにあるよ」と聞かされ、今度は映画の写真が掲載された本を持って、再度142番地を訪ねました。本当でした。まさに映画通りでした。前回行ったときに気づかなかったのは、この142番のお店が本屋ではなく、アンティークのお店に変わっていたからでした。以前は本当に書店だったそうです。漸く見つけられて嬉しかったです。(2000.3.16)】

<第44号:そう言えば、1999年7の月に入っていたんですね> いつも土曜日には必ず新聞を買います。なぜかと言うと、1週間のテレビ番組表が欲しいからです。今週は何かおもしろそうな番組はないだろうかとチェックをするのが、土曜日の楽しみのひとつです。今日もいつもと同じようにチェックをしていたら、土曜日分の番組に、"Nostradamus"という文字が2つも見られました。すっかり忘れていましたが、そう言えば1999年7の月に入っていたんですね。「恐怖の大王が降りて来る」月なんですね。

 因果関係について説明のない予言の真偽などまともに考慮する必要はないのですが、「予言の自己成就」ということもありますからね、何か起きないとも限りません。7の月はまだ4週間ぐらいあります。あんまり何も起こらないようなら、五島勉さんが高層ビルから飛び降り自殺したりして……。ちょっとブラックですね。やめましょう。でも、1999年が世紀末で、何となく気になる年であることは確かです。100年前にはニーチェ的ニヒリズムが流行したわけですが、今は何でしょうね。思想なんて流行らないですね。私も、ウィンブルドンを見ながら部屋の片づけをしていたら、いつのまにか7の月になっていたなんて、何だかあまりにも日常的すぎますね。気になるはずの年も意識をしなければ、毎日毎日が何ということもなく過ぎていくものですね。(1999.7.3)

【追記:後でテレビ番組表をよく見たら、チャンネル4では、7月3日(土)午後8時半から翌朝の6時まで、「ノストラダムス・ナイト」と銘打って、ノストラダムス関連の番組をずらりと並べていました。一部ビデオに撮っておいたので見てみたところ、7月4日が滅亡の日という解釈があり、こういう特集が組まれていたようです。ちなみに特集番組の最後は「カウントダウン」だったのですが、結局何も起こりませんでしたね。(1999.7.6)】

<第43号:ベジタリアンになりそう> こちらの肉を中心とした単調な食事を続けていると、ほとほと肉が嫌いになってきます。ビーフ、ポーク、チキン、ターキー、何だか書いているだけで嫌になってきます。魚と言えば、サーモン、マス、もうあきました。ベジタリアンになる人の気持ちがだんだんわかるようになってきました。野菜が一番おいしいです。今日のお昼はとうもろこしとチェリー。なんかほっとする昼食でした。食はだめですね。単調すぎます。正直言って日本の食事が恋しいですね。

 じゃがいもは好きな食材のひとつだったのですが、こちらではほとんど毎日お目にかかるので、日本に帰る頃には、嫌いな食べ物になっているかもしれません。サーモンも日本に帰ったらしばらく遠ざけたくなりそうです。そう言えば、なくなった父が「かぼちゃは戦時中に嫌と言うほど食べたから、もう食べたくない」と言って、いつもかぼちゃに手をつけずにいたことを思い出しました。好きなものでも調理の仕方と量で嫌いになっていくものだというのを実感しつつあります。(1999.7.2)

<第42号:芸術・ヌード・ルネサンス> 先日ウォレス・コレクションとナショナル・ギャラリーを見ながら、「女性のヌードの絵というのは、やはり男性の欲望の産物なのだろう」としみじみ思いました。「太陽の塔」を作った岡本太郎が「芸術は爆発だ!」とCMで叫んでいましたが、あの真意は「芸術は、『なんだこれは!』と思わせること。つまりそれを見ることで何かを感じさせることにある」ということだったらしいですが、その考え方から言えば、女性の美しい裸像は、多くの男性の欲望をかき立てる効果があるわけですから、まさに芸術なのでしょう。もちろん、興奮した感情だけでなく、安らぎの感情を生み出すのもいいわけですが。

 ウォレス・コレクションは、18世紀の末から19世紀の末にかけて、さる侯爵家の一族が集めた芸術品をその後増減させることなく展示しているミニ美術館です。いろいろすばらしいものがあるのですが、個人的にはロココ時代の絵画に惹かれました。ブーシェにしてもフラゴナールにしても、重厚な格調高い絵ではないのですが、彼らが描く女性たちが魅力的です。単純に言ってしまえば色っぽいのでしょう。やはり惹かれます。

 ウォレス・コレクションを見た後、ナショナル・ギャラリーに移動し、16世紀頃までの絵画を見ました。古い時代から順に見ていこうと思ったら、16世紀までしか行けませんでした。13世紀頃の絵からあるのですが、初期の頃はもっぱら宗教画ばかりです。聖書を題材にした絵が並んでいます。そこには、性を感じさせるものはありません。まだカトリック教会の力は強く、性は押さえ込まれていたのでしょう。それが、15世紀の末頃から少しずつ変わり始めていきます。それ以前は決して露出されることのなかった女性の乳房が、最初はマリアによるキリストへの授乳の図などとして現れてきます。そして16世紀に入ると、ギリシア神話を題材に取った絵画が多く現れるようになり、色っぽいヴィーナスがたくさん描かれるようになります。それも初期は服を着ていたのが、徐々にヌードになっていきます。この辺まで見てきて、はたと気づきました。「そうか、ルネサンスというのは、キリスト教支配からの性の解放だったんだ」と。

 ギリシア・ローマ時代の精神・文化が「ルネサンス」(再生)したわけですが、いつも格調高すぎる表現で説明を受けていたので、ギリシア・ローマ時代の精神・文化が具体的に何を指すかもうひとつピンと来なかったのですが、要はキリスト教が精神世界を支配する前の時代と同様に、性的欲望が素直に表現されるようになったと解釈すればいいのではないでしょうか。こんな解釈は当たり前すぎるとか、一面的すぎるとか、いろいろ批判されるかもしれませんが、なんだか自分なりには非常にすっきりしました。(1999.6.29)

<第41号:ジグソーパズルと母性愛> こちらの人はパズルが好きです。暇つぶしにクロスワードパズルをしている人をよく見かけますし、SCRABBLEというクロスワードパズルのゲーム版のようなものも人気があるようです。確かに、たった26文字のアルファベットですべてのWORDが形作られているのですから、クロスワードパズルにはもってこいですよね。その点、日本語は大変です。46文字のひらがなと同じ文字数のカタカナ、それに一体いくつあるのか定かではない漢字まで使われているのですから。パズルにはあまり向いていないですよね。もちろん、日本にも「漢クロ」をはじめクロスワードパズルがあり、それなりに人気があるのはよく知っていますが、その浸透の程度は全く異なると言えるでしょう。

 クロスワードパズルとともにメジャーなのが、ジグソーパズルです。博物館や美術館、あるいはちょっとした観光地のsouvenir shopには、このジグソーパズルが必ずと言っていいほど置いてあります。今はまだ日が長いので、ジグソーパズルなどをやって1日過ごしてしまうともったいないなという気がしますが、秋から冬になって寒くなり、日も早く沈むようになったら、ジグソーパズルをやって家で過ごすというのもいいかなという気がします。

 ところで、このジグソーパズルをやるといつも思うことは、「母性愛」ってジグソーパズルに対する愛着のようなものではないだろうかということです。なんだか話が飛躍しているように思うかもしれませんが、本当にいつも思うのです。ジグソーパズルを苦労してコツコツ作り上げていき漸くできあがった時には、誰でもそのできあがったジグソーパズルに愛着が湧くじゃないですか。「壊したくない、大事にしたい」って。「母性愛」っていうのも同じようなものではないでしょうか。280日も自分のお腹の中で大事に大事に育て上げるわけです。愛情が湧かないはずはありません。「母性愛」は本能ではなく、この妊娠期間を通じて育成されるものというのが、私の考えです。ですから、アメリカでかつてあったように、代理出産などをすると、お腹の中にいた子に愛情が湧いて、依頼者夫婦に赤ちゃんを渡したくなくなってしまうなんてことも当然起こるだろうと思います。まあ考えてみれば、何かに対する愛着なんてみんな同じようなものかもしれませんね。苦労して獲得したものに対しては、その苦労の度合いが大きければ大きいほど、大きな愛着を持つようになるわけですし、安易に手に入れたものは粗略に扱ってしまうなんてことは、きっと誰でも経験していることでしょう。(1999.6.29)

<第40号:英語という産業> イギリスが生み出し世界に流通しているものはたくさんありますが、No.1と言えば英語という言語なのではないでしょうか。ある人が、「イギリスには、英語という産業があるから、どんなに経済が悪くなっても大丈夫」と言っていましたが、なるほどなと思います。日本人は、高いお金を出して英会話を習いに行き、英語ができることをひとつの技能にしようとするわけですが、こちらの人は普通に生活している中で、その技能を苦もなく修得するわけです。日本に来ている英会話の教師なんて、その多くは英語の指導方法のノウハウなんか全く知らないただのネイティブです。それでも稼げてしまう、英語はまさにイギリスが生み出した最大の財産です。ロンドンにこんなに観光客がたくさん来るのも、ここが英語の通じる世界だからですし、ビートルズが世界的なバンドになれたのも、英語で歌っていたことも無視できない重要な一因です。

 17世紀頃から世界の一等国の仲間入りをし、18世紀にはいち早く産業革命を終え、他国を大きく引き離したイギリスは、19世紀には「太陽が沈まない大英帝国」と言われるほどに、世界中に領土を拡大し、それとともに英語の種を播いていったわけです。20世紀には、2つの大戦の影響で、イギリスのパワーは大きく衰えたわけですが、これを引き継いだのが、早い時期に英語の種を播き、花をしっかり咲かせたアメリカだったので、英語という産業はますますその規模を拡大していったわけです。今や英語は世界の共通語と言っても過言ではないでしょう。英語がこの地位を失わない限り、イギリス経済は決して崩壊することはないでしょう。(1999.6.29)

<第39号:こうもり傘を持った紳士がいない> イギリス紳士と言えば山高帽にこうもり傘というのは、ずいぶん前のイメージだというのは重々分かっているのですが、山高帽はいなくても、格好の良い傘を持った紳士は結構いるのではないかと思ったのですが、会いませんね。まあ、今は折り畳み傘という便利な物があるので、長い傘を腕にかけて歩く人はいないのは、当然と言えば当然ですが……。でも、実際には折り畳み傘すら持たずに歩いている人が多いようです。こちらの雨はあまり長く降ることはなく、しばらく雨宿りをしていたら止んでしまいますし、地下鉄が発達しているので、ちょっと歩けば地下鉄駅の入り口に入れます。傘がなくとも、なんとかなるわけです。

 でも、地下鉄はこれほど発達していなかったとしても、気候は似たようなものだったはずです。どうして昔はみんなこうもり傘を持っていたのでしょうか。想像するに、たぶん大気の汚染状態の違いによるものではないでしょうか。かつてイギリスでは、暖炉で薪をくべ、石炭をエネルギーの主原料としていたため、大気が非常に汚れていたわけです。その頃のロンドンのことを書いた本には、建物は宮殿も含めみんな煤けているようだったと書いてありました。当然、雨はかなり汚い雨になっていたはずです。雨に降られれば、顔も服もさぞかし汚くなったことでしょう。身だしなみに気をつけようと思う人なら、傘なしでは出かけられなかったのだと思います。でも、今は暖炉は使用禁止、エネルギー源も電気やガスが中心です。少しぐらい雨に降られても平気ということでしょう。こうもり傘を持った紳士がいなくなったということは、ロンドンの大気がきれいになったことの表れでもあると言えるのではないでしょうか。(1999.6.29)

<第38号:スポーツいろいろ> イギリス最大の避暑地――イギリスに「避暑地」が必要だとは思われないのですが――と言われるBrightonという町に行って来ました。ロンドンから車で約2時間の距離にある南部の海辺の町です。行く途中雨が降っていたりしたので気温は20度を切り、強風のせいで波が激しく海岸にうち寄せていました。私たち日本人の感覚では、とても泳げるような条件ではなかったのに、海に入っている人が何人かいました。中には、小学校低学年ぐらいの子供もおり、驚きました。でも、さすがに寒いのかすぐ上がってきていましたが。日本でも泳ぐのにはまだ少し早い時期かもしれませんが、でももう少し暑いですよね。イギリスは日本と同様に島国ですが、ここの気候では、水泳が得意という人はあまり生まれないだろうなとしみじみ思いました。そう言えば、オリンピックでも、イギリス選手が水泳に勝つことって、ほとんどなかったように記憶しています。ちなみに雪もたくさん降らないので、スキー競技もだめですよね。

 この国が得意とするのは、芝生の上のスポーツです。ラグビー、サッカー、クリケット、ゴルフ、競馬。こうしたスポーツは、みなイギリスから生まれた、あるいはイギリスを経由して広まったわけですが、まさにこの国の自然条件が必然的に生み出したスポーツと言えるでしょう。なだらかな丘陵地帯がどこまでも続いているのを見ると、この野原を使って何かスポーツをしたいと思う人が出てきたのは、当然だなと思います。

 テニスも、イギリスが発祥の地ではないようですが、イギリスに伝わり芝生の上で行う「ローン・テニス」となって、一般に普及していったそうです。今、ウィンブルドンの真っ最中。注目はなんと言っても、ヒンギスを破ったオーストラリアの16歳の少女、ジェレナ・ドキッチでしょう。昨日も第9シードの選手に勝って、準々決勝進出を決めました。どこまで行くか楽しみです。こちらでは、日本の高校野球のように、パブや軽食を食べさせるレストランで、「ウィンブルドンが見られます」なんて看板が出ていたりします。(1999.6.29)

<第37号:哀れなスチーブンソン> イギリスの紙幣は、4種類あります。大きい方から、50、20、10、5ポンドです。すべての紙幣にはエリザベスU女王の顔が描かれており、裏には著名人の顔が描かれています。50ポンド紙幣にはSt.Paul寺院の設計で有名なクリストファー・レン、20ポンドが「ファラデーの法則」で有名なファラデー、10ポンドが文豪ディケンズ、そして5ポンドが蒸気機関車の発明者スチーブンソンです。

 ご存知の通り、この国はパーソナル・チェック(小切手)が普及しているので、現金は少額の買い物でしか使いません。50ポンド紙幣なんて日本円に直したら、1万円に過ぎませんが、全く出回っていません。私もまだ見たことがありません。銀行に行って「どうしても50ポンド紙幣が欲しい」とでも言わなければ、絶対手に入らないでしょう。

 で、こんな位置づけのせいか、紙幣はあまりきれいではありません。特にひどいのが、5ポンド札。大体くしゃくしゃになっています。みんなポケットにでも押し込むんでしょうね。こちらに来てから、私のところに巡ってきた印象的な5ポンド札はと言えば、泥のついたもの、計算用紙代わりに使われたもの、セロハンテープで貼ってあるもの、などでしょうか。(でも、このセロハンテープ付きの5ポンド札、信じられないことに、自動切符販売機の機械で使えたんですよ!あの自動販売機、きっと中に人がいて、切符とおつりを出しているんですよ!?)私が汚くしたわけではないのに、渡した5ポンド札を透かしてチェックされるという経験ももう3回ぐらいしています。哀れなスチーブンソンって感じです。(1999.6.22)

<第36号:携帯電話> ロンドンでも携帯電話が急速に普及してきています。特にこの1年すごく伸びたようです。当然問題も起こってくるわけで、1ヶ月ほど前にもドライバーが携帯電話を取ろうとしてハンドル操作を誤り、死亡事故を起こし、その被害者の母親が、携帯電話が原因の事故にはもっと罪を重くして欲しい、そうでないとこういう犠牲者はどんどん生まれてしまうと訴えていました。どこかで聞いたような話です。

 日本と違うのは、制服を着ているような若者たちは携帯電話をほとんど持っていないことと、イヤホーンとミニマイクを使って通話する人を結構見かけることでしょうか。特に、この後者のパターンにでくわすと、少々戸惑います。左手で携帯電話を耳のところに当ててしゃべっている人は、「ああ、携帯で話し中だ」とすぐわかるわけですが、イヤホーンとミニマイクですと、携帯でしゃべっていることに気づかなくてびっくりすることがあります。先日バス停でバスを待っていたら、こちらに向かって歩いてきた女性が突然、"Hello!"というので、こちらもあわててにっこり笑って"Hello!"と返事をしたのですが、彼女は私の顔も見ずに勝手に話しながら、そのままバス停を通り過ぎていってしまいました。よく見たら彼女の手には携帯電話、耳にはイヤホーンがありました。そうです。彼女は携帯電話で知人と話していたのであって、私に"Hello!"といったわけではありませんでした。誰も見ていなかったから良かったですが、見られていたらさぞや笑われただろうと思います。せっかく日本で携帯電話を聞き流す術を会得したはずだったのに、イヤホーンとミニマイク対策がまだできていませんでした。(1999.6.22)

<第35号:発達しない地下街> ロンドンはよく知られているように、地下鉄が非常に発達しています。日本の地下鉄以上かもしれません。でもなぜか、地下街は全く発達していません。電車を降りたら、乗り換える人以外は、みんな"WAY OUT"の黄色い表示に従って、そそくさと地上に出てしまいます。あるのは、日本のキオスクにあたるようなお店ぐらいです。なぜでしょう?やはり、日照の少ない土地柄なので、なるべく日に当たりたいと考えているのでしょうか。確かに、雨もそう多くは降りませんし、暑すぎたりもしないので、日本ほどには地下街が発達する要因は少なさそうですが、ロンドンも決して地上の土地は有り余っているということはないと思うのですが……。(1999.6.20)

<第34号:Queen's Mother> 昨日は、エドワード王子の結婚式が行われました。日本でもきっとニュースで報道されたことと思います。ソフィーさんの方は、お父さんが付き添って教会に入ってきましたが、エドワード王子に付き添ってきたのは、チャールズ皇太子とアンドリュー王子でした。やはり女王夫妻は付き添いをするには偉すぎるんでしょうね。まるで「だんご3兄弟」みたいでしたね。2人とも奥さんがいないので、こういう形になったんでしょうか。もしもダイアナさんが生きていて、チャールズ皇太子と離婚していなければ、チャールズとダイアナが付き添いをしたのかなと気になりました。(ちなみに、教会での結婚式って、新郎の方にも付き添いがいるんでしたっけ?)

 一番印象的だったのは、Queen's Mother(エリザベス女王の母親で、やはりエリザベスというお名前です)のお元気さでした。1923年に結婚をされているので、1900年頃のお生まれでもう100歳に近いのではないかと思うのですが、見事なほどにお元気でした。杖をつきながらでしたが、教会の中にも自分で歩いて入っていかれました。イギリスでは、このQueen's Motherが大変人気があるのですが、さもありなんと思いました。人間健康に長生きするだけで十分尊敬に値するとしみじみに思いました。

 日本でも、キンさん・ギンさんがいますよね。でもなんか受け止められ方が大きく違います。もちろん、一方は女王の母で、他方は庶民ということもあると思いますが、そうした階層の問題だけではなく、年配者に対する人々の意識の違いが大きいように思います。実際こちらでは、普通のお年寄りも実に堂々としています。足は弱っている人がかなり多いのですが、非常によく外に出ていて、ゆっくりゆっくりでも確実に自分の足で歩いてゆきます。自分たちはこの社会の立派な1構成員だという覇気と、それを当然と受け止める社会がここにはあります。キンさん・ギンさんは「かわいい」とよく言われますが、そこに尊敬の念が入っているでしょうか。まるでペットか珍獣に対するのと同じような気持ちで「かわいい」と言っていないでしょうか。

 年配者に対する意識を日本は変える必要があるように思います。お年寄りを社会のお荷物のように思うのではなく、社会の1構成員としてきちんと認めるべきです。日本社会はいつのまにか子供や若者に迎合しすぎる社会になってしまいました。もっと年配者の経験と知恵に敬意を払うべきだと思います。アメリカでは、ageism(年齢差別)が徐々に大きな問題になりつつあるようですが、日本のお年寄りは「老いては子に従え」という格言のせいかどうかはわかりませんが、おとなしすぎるように思います。日本こそ、ageismがもっと問題にされていいように感じます。(1999.6.20)

<第33号:物価比較> 日本の経済企画庁が世界の主要8都市の物価を比較した結果が発表されたかと思いますが、その中で東京とロンドンに注目して見てみました。私が実感――私の場合、大阪とロンドンの比較になりますがーーとしてつかんでいるものとほぼ合致していました。トータルで言うと、ロンドンの方が東京よりやや物価が高いという結果なのですが、品目によってかなり異なります。電化製品を中心に、日本産業が世界の先端を行っているようなものは、日本の方が安く、肉、パン、牛乳、ビールなど主要食料品はロンドンの方が安いように思います。もちろん日本食材は総じて高いですが、お米はこちらのの方がはるかに安いので助かります。ただし、卵は日本で「物価の優等生」と言われるだけあって、日本の方が安いです。他に私がよく使う食関係では、ハンバーガーやサンドイッチ、あるいはお昼のランチなどは日本の方が安いですね。

 電化製品もこちらの方が高いですが、安売り店にいけば、それほど割高には感じません。そんな中で、目の玉が飛び出るほど高いのは、ティッシュです。1箱400円近くします。日本では5箱買える値段です。つまり5倍ぐらいするということになります。なんでこんなに高いんでしょうか。必需品だと思うのですが。こちらの人は、あまりティッシュを使わないんでしょうか?日本の大手製紙企業が進出したら、きっと成功すると思うのですが……。(1999.6.19)

<第32号:海外要員> こちらにきて驚いたのは、日本人で海外暮らしが長いご家族が多いと言うことです。私は、海外に何年間か出た人は、みんなその後日本に帰ってエリートコースを歩むものだとばかり思っていたのですが、必ずしもそうではないようです。ロンドンに3年、その前はデュッセルドルフに5年、今度はニュージャージーへ、なんて方もいます。自嘲気味に「直送される」とか「海外要員だから」なんて言い方をしています。きっと英語がよくでき重宝されているのだろうと思いますが、いつ日本に帰れるかわからないという生活はかなりしんどいようです。私は今こちらの生活を楽しんでいますが、これも1年限りだとわかっているからなのかもしれません。ずっとこっちにいていいよと言われたら、「帰らせて下さい」ときっと直訴するでしょう。(1999.6.19)

<第31号:Europeanとは?> 先頃、"European Election"(5年に1回行われるEU議会議員の選挙)が行われました。イギリスでは、労働党が議席を減らし、保守党が議席を増やしたようですが、その開票速報を見ながら、"European"って何だろうかと考えてしまいました。テレビのレポーターがユーロスターに乗っているお客さんに、「Europeanって何だと思いますか?」と聞いていたのですが、みんな答えにくそうにしていました。「私はEnglishだけど、Europeanって自覚はないわ」と答えていた女性がいましたが、正直な感想だと思いました。政治的リーダーと多国籍企業のトップは別かもしれませんが、一般の人たちには、「ヨーロッパ人だ」などという自覚はほとんどないのではないでしょうか。

 それでも、あえて"European"って何だろうかと考えてみると、白人でキリスト教信者というのが、コア・イメージとして浮かんできます。それはおかしいのではないか、EUは国家間の境界をなくしていくという方向に進んでいるのだから、白人でなくてもキリスト教徒でなくとも、EUに加盟している国家の国民であれば、"European"だろうと主張される方もあるかもしれませんが、法的にはともかくーー"European"を法的に定義しているものがあるとも思えませんがーー、意識の面ではどう見ても、インド系のイギリス国民や中国系のイギリス国民が、"European"の内に包摂される日が来るとは思えません。

 制度的には国家単位でヨーロッパ統合に向けて進んでいるわけですが、民族・文化的には白人・キリスト教文化中心にならざるをえないでしょう。第1次世界大戦以後、世界を牛耳ってきたアメリカ経済に対抗しうる経済圏を作り、かつての栄光を取り戻そうとする旧大陸国家の経済的逆襲が最大の目当てなのでしょうが、"European"の大同団結によってそれをめざす限り、白人・キリスト教徒以外を精神的には排除する排他の思想にも容易につながると思います。EUの統合が進めば進むほど、ヨーロッパにおけるマイノリティ集団の反乱は増えるでしょう。大同団結するなら人類全部でするべきなのです。それよりも狭い枠での大同団結は、新たな火種になる可能性を必ず有していると言えます。(1999.6.18)

<第30号:June Bride> "June Bride"(6月の花嫁)という言い方は日本でも有名ですが、日本では梅雨の季節にあたり、結婚式をやるのには最悪の季節ですが、こちらにいると、まさに絶好の季節に結婚する幸せな花嫁と言われるのもよくわかります。日は長く、バラは咲き、本当に気持ちの良い季節です。

 さて、このすばらしい季節にエリザベス女王の3男のエドワード王子がソフィーさんと結婚式をあげます。まさに、"June Bride"というわけです。さてさて、言い伝え通り幸せな花嫁になれるのでしょうか。すでに第3号で指摘した通り、今多くのイギリス人がソフィーさんを故ダイアナ妃とダブらせて見ています。結婚する二人は、必死に「ソフィーとダイアナは全く違う」と言っていますが、ブロンドのショートヘアや大柄だということが似ているだけでも、この国の人はダイアナさんを思い出すのに十分なのです。同じ失敗を繰り返してはいけないと多くの人が思っているはずですが、今や兄二人には妻はいず、王子の花嫁と言えば、ソフィーさんだけなのです。嫌でも注目が集まってしまいます。「ソフィーってどんな人?どんな過去があるのだろう?女王とは仲良くやれるんだろうか?」こうした関心を人々が持つ限り、メディアはソフィーさんに関する報道を行い続けるのです。そして、また……、なんてことにはならないことを祈りましょう。

 お二人が幸せになることを心より祈りたいと思いますが、なにせ他の兄弟――長男チャールズ、長女アン、次男アンドリュー――がみんな離婚していますから、エドワードも大丈夫だろうかという不安感は、多くの人が持っていると思います。この50年間に急激に上昇した離婚率の荒波の前には、ロイヤル・ファミリーすら例外ではなかったということでしょうか。(1999.6.14)

<第29号:慈善と寄付と施しと> こちらにいると、いろいろな所で、お金を寄付してほしいと求められます。家にいても、「ピンポーン」とドアチャイムがなり、パンフレットを持った慈善活動家が「世界にはかわいそうな子供たちがたくさんいます。どうかこの子供たちのために、いくらかでも寄付をお願いします」とか、「あなたはクリスチャンですか?そうでなくても、貧しい人々のために2ポンドのご寄付を」とか求められます。町に出れば、アンダーグラウンド・ミュージシャンや大道芸人の前に、帽子や楽器ケースが置いてありますし、明らかに栄養失調の顔をした人がうずくまって、小さな声で「小銭を少し下さい」とつぶやいています。入館料が無料の博物館や美術館にも、たいてい一番目につきやすいところに「寄付をお願いします」という大きな看板が出ています。

 ある時、周りの建物を見ながら歩いていたら、疲れた表情で座り込む青年の前に置いてあった小銭の入ったプラスチックケースをひっくり返してしまいました。謝って急いでお金を拾い集めたのですが、その間、青年はまったく動こうとせず、ただ「僕の1ポンド硬貨がなくなった」とだけつぶやいていました。あまり派手にぶつかったわけではないので、たぶんそんな遠くには飛んでいないはずなのですが、いくら探しても見つかりません。最初からなかったんじゃないかなという疑念も強く起こりましたが、こうなったら仕方ありません。財布から1ポンド硬貨を出して寄付してきました。

 博物館や美術館で寄付をするのは、楽しませてもらったことに対する対価という思いがあるので、お金も自然に出ますが、アンダーグラウンド・ミュージシャンや道端に座り込む若者に、通りがけにさっと小銭を渡していくというのは、自然にはできません。こちらの人でも、もちろん多くの人はそのまま通り過ぎますが、それでもしばしば小銭を置いていく人を見かけます。シャーロック・ホームズ・シリ−ズの『唇のねじれた男』という作品には、乞食が儲かるので、まともな仕事をやめて、乞食を職業にしてしまった男が出てきますが、寄付の精神の普及しているこの国なら、あながち「嘘八百」とは言えないような気もします。私のような人間が多い日本では、どう考えてもありえなさそうなことですが。

 寄付や慈善の精神と豊かさとは密接な関連があるはずです。ただし、ここで影響力を与える豊かさとは客観的なものではなく、あくまでも主観的なものでしょう。日本人は客観的に計りうる一人あたりGNPからいえば、間違いなく世界有数の金持ち国です。実際前に書いたように、日本語のガイドブック等が、どこにでもあるということは、多数の日本人が容易に海外旅行をしうるほど豊かだということの証拠でしょう。しかし、主観的に自分が金持ちだ、豊かだと思っている日本人は、わずかしかいないのではないでしょうか。「自分は豊かではない。ゆえに、他人に寄付できるほどの余裕はない。」多くの日本人はーーそして私もーー、そう結論づけ通り過ぎるわけです。

 フローで計ったら、我々よりはるかに収入が少ないであろうこちらの人々が寄付をしていきます。彼らは主観的には、我々より豊かだという意識を持っているわけです。この差はどこから生まれてくるのでしょうか?ストックの差?宗教の差?歴史の差?いずれにしろ、寄付や慈善活動を自然にできないことを少し負い目に感じています。(1999.6.14)

<第28号:Speaker's Corner> ハイドパークの東南角に"Speaker's Corner"と呼ばれる場所があります。ここは、何か主張したいことがある人がやってきて、簡易演壇――ビール瓶を入れるケースであったり、脚立だったりしますーーに乗って、熱っぽい演説を行います。まさに、"Speaker's Corner"というわけです。前から行きたい行きたいと思っていたのですが、漸く行って来ることができました。

 いやあ、予想以上におもしろかったです。天気が良かったので、かなりの人が集まってきていました。狭いコーナーに7〜8箇所の簡易演壇ができており、その周りを少ない所は10数人、多いところは70〜80人ぐらいの人が取り囲んで話を聞いていました。宗教がらみのスピーチが多いのですが、政治的イシューを取り上げていた人も2人いました。そのうちの1人のスピーチはかなり熱が入っていて、その日もっとも多くの聴衆を集めていました。スピーチの内容は、現在の国際情勢についてで、アメリカ批判になっていました。「今や各国を生かすか殺すかは、ビル・クリントンが決めている!あいつは'God'にでもなった気なんだろう。どういう状態が平和でどういう状態が平和ではないかも、アメリカが決めているんだ!だから、イラクやユーゴスラビアには介入したが、インドとパキスタンの紛争には介入しなかったし、ルワンダにも介入しなかったじゃないか!アメリカは、どこに介入すべきか、計算してやっているんだ!誰がアメリカを止められるか?誰も止められやしない。トニー・ブレアなんておろおろついていっているだけだぜ。」実にテンポよく次々に機関銃のようにまくし立てていました。

 宗教がらみのものでは、中年の黒人女性が神の愛を説いている横で、黒人男性が「なんであんたはSEXについては何も言わないんだい?」とか、「神がそんなにすばらしい天国へ連れていってくれるなら、どうして今行かないんだい?」といったテンポよく横やりを入れていたのが、見ている分にはおもしろかったです。最初のうち、まじめに答えようとしていたスピーカーも、途中からは無視して自分のスピーチを続けていました。

 あちこちでスピーチを聴いている内に、隣の人と議論を始める人がたくさんいます。それをまた興味深く見守る人たちが集まると、そこにはもう新たな"Speaker's Corner"ができあがっているといった具合です。中にはかなり熱くなって議論している人たちがいますが、警察官の話では、喧嘩は滅多に起こらないそうです。議論は議論として割り切って楽しんでいるようです。ふと見ると、さっき私の隣でスピーチを聴いていろいろ質問していたおじさんが、いつのまにか壇上に登って演説をしていました。「コーランは嘘ばかりだ」なんて過激なことを言いいながら、イスラム教徒おぼしき人と議論をしていました。

 私は基本的に自分の意見をはっきりと主張する人たちが好きです。市井の普通の人々が集まってきて、議論を交わす場所があるというのは、実にいいと思います。徒党を組んでからでないと何もはじめられない日本人と違って、一人ででも主張したいことがあれば、とりあえず前に出てしゃべってしまうという行動は、もっと日本人の中にも普及した方がいいように思います。こうした主張をすることが運動の第1歩になるわけですから、こちらの運動の組織化と、日本の運動の組織化とは、自ずと異なるものになってくるのは必定でしょう。(1999.6.13)

<第27号:荘厳な音> テンプル・チャーチという古い教会で、パイプオルガンの演奏をしていました。コンサートの練習だったようですが、熱が入っていて、すばらしいものを聞かせてもらいました。思わず椅子に座って聞き惚れてしまいました。「聞き惚れた」というのは、あの時の感じをうまく伝えていません。「荘厳な音に包み込まれた」という方が近いです。パイプオルガンってこんなにすごいんですね。知りませんでした。ここの教会のオルガンはかなり立派なものなのだと思います。一番太いパイプは近くで見たらものすごい迫力でした。音楽には詳しくないのですが、こういう音を響かせるのには、アーチ型の天井っていうのは、最高なんでしょうね。教会建築がアーチ型になっているのは、こういう効果も狙っているんでしょうね。そういえば、ロンドン名物の Underground Musician たちも、ロンドンの地下街がチューブ型をしているから演奏するんでしょうね。日本の地下街のように平面的な壁で囲まれていたら、Musician たちも、いまひとつ演奏意欲にかられないんでしょうね。(1999.6.11)

<第26号:SUSHI> 第25号に続いて食シリーズです。日本食こそ世界標準にと書きましたが、寿司はロンドンでも着実に人気を増しているようです。再開発が進み一大ビジネス街に変身しつつあるドックランズのカナリーワーフで回転寿司屋を見つけました。丁度12時少し前だったのですが、日本では見たこともないほどの長いコンベアーの上に2段重ねで寿司が廻っていました。日本に比べるとはるかに値段が高くーーサーモンやヒラメの1.5ポンドはまあまあですが、まぐろは2.5ポンドもしていましたーー、こんな値段でこんなに作って大丈夫なんだろうかと気になったのですが、「大丈夫、あっという間になくなってしまうよ」とのことでした。ついでに聞いた話では、このお店のオーナーは30歳代の白人女性で、このお店がもう3軒目なのだそうです。

 魚を扱っている大手スーパーでは、結構お寿司が売っていますし、サンドイッチを扱っているような店で、サンドイッチと並べて寿司を売っている所も何軒か見ました。あるお店で本当に売れるのかどうかチェックするために、2時間ぐらい経ってから、お店に戻ってみたら、本当にきれいになくなっていました。「みんなSUSHIは大好きだから、すぐ売れてしまうよ」と言ってお店の人は笑っていました。前号で書いたように、油をたっぷり使った料理に辟易している人はイギリス人の中にも少なくないのでしょう。お寿司は、こちらでは、健康的でおいしいダイエット食と位置づけられているようです。このまま行けば、5年後ぐらいにはロンドンではかなりお寿司が普及しているのではないでしょうか。でも、生魚が苦手な人は多いので、巻きずしを中心に普及していくのではないかと思います。巻きずしーー特に太巻きーーの切り口が花のようできれいだと思う人も多いようです。(1999.6.11)

<第25号:カロリーの高すぎる食事> こちらの食事はカロリーが高すぎます。油をたっぷり使って料理したものが多すぎます。特に値段が安い食事ほどそういう傾向が強いように思います。かの有名なフィシュ&チップスもそのひとつですし、昨日私が食べたASDA Brunch――ASDAという大手スーパー内の軽食コーナーに用意されたお昼の定食のようなものです――というメニューは、2.59ポンド(約520円)で、たっぷりのポテトと豆、太いソーセージが2本、厚めのベーコンが2枚、極めつけが油で揚げた卵――ポテトを揚げるようなたっぷりの油の中に生卵を落とすんですよ!――、それにコーヒーでした。安いのはありがたいですが、これを全部食べるような生活をしていたら、間違いなく太ります。よくアメリカで煙草をやめられない人と、太っている人は、出世できないと言われますが、よくわかります。太っているか否かは、こうした食環境に流されず、自己管理できるかどうかのバロメーターになっているわけです。若いきれいな女性でも、お腹がぽこっと出ている人も少なくありません。

 日本の食事は少し塩分が多すぎるのかもしれませんが、こちらの食事に比べたらはるかに健康的だと思います。日本人が世界でもっとも長生きなのもむべなるかなという気がします。食に関しては、日本が世界標準になった方がいいと思います。鰹と昆布でとっただしに醤油をベースとした味付けはもっともっと普及してもいいように思うのですが……。(1999.6.2)

<第24号:B&B> イギリスの宿と言えば、B&B――BedとBreakfastを提供してくれるので、B&Bと言いますーーがいいと前々から聞いていたのですが、今回漸く泊まることができました。噂に違わず、本当に良かったです。まさに大きめの民家が宿屋をやっているという感じで、とてもアットホームな感じがしました。何かイギリスの友人の家に招待されたような気分でした。ひとつひとつの部屋にイギリスの文学者の名前をつけている文学好きな奥さんのいるB&Bと、ご主人が心を込めて朝食を用意してくれるB&Bの2カ所に泊まりましたが、どちらもいい雰囲気でした。お金を払ってくれるお客という扱いではなく、家を訪ねてきてくれた訪問客というもてなしをされているように感じました。これからも、B&Bに泊まる旅をしたいと思わせてくれました。(1999.6.2)

<第23号:"I don't want you."> イギリスは観光客が非常に多い国ですが、観光業に従事している人にとってはそれはありがたいことでしょうが、一般の住民にとってはどうなんだろうということが気にかかっています。特に、○○という村が静かですばらしいという情報が流れると、みんなそこに出かけて行き、一般の住民が住んでいる家をのぞき込んだり、バチバチ写真を撮ったりしているわけです。迷惑でないはずはありません。「ここから先は、private propertyなので、入らないで下さい」といった看板はよく見かけるのですが、たまに住民らしき人に出会っても、優しく道を教えてくれたり、挨拶してくれたりで、なんだか不思議な感じがしていました。

 でも、やはり怒っている人たちはいました。ストーンヘンジに向かう途中の道が大渋滞になっていました。イギリスではロンドン市内は別として、滅多に渋滞には出会わないので、最初は事故渋滞かと思いましたが、そうではなくて、やはりストーンヘンジに向かう車が多いので、渋滞していたのです。ストーンヘンジまであとしばらくというあたりで、渋滞道路の脇で車に向かって、紙を見せている年輩の方々がいました。最初はヒッチハイクかなと思いましたが、違いました。その紙には、大きく"I don't want you."と書いてありました。きっとその周辺に住む人々だったのでしょう。確かに、これだけの渋滞がいつもいつも生じているのだとしたら、「あんたたちに来てほしくないんだ!」と言いたくなる気持ちはよくわかります。真っ当な怒りの行動に出会ってなんだかほっとしました。(でも、私もその迷惑な観光客の1人であったわけですが。)(1999.6.2)

<第22号:初ドライブ> こちらに来て初めて車を運転しました。みんなに慣れるまで大変だよと言われていた「ランダバウト」――日本の「ロータリー」にあたりますが、ほとんどの交差点が、この「ランダバウト」になっています――に、やはり多少悩まされながらも、なんとか走れるようになりました。高速道路も走りました。みんな飛ばします。制限速度は時速70マイル(約112km)なのだそうですが、85マイル(約136km)ぐらいは当たり前のように出しています。私も流れについて走っていただけですが、85〜90マイルぐらいで走っていました。キロに換算するとすごいスピードで怖くなりますが、道路が広く車もそう多くはないので、走りやすくそれほどのスピード感を感じません。たまに75マイル(約120km)ぐらいに落ちると妙にゆっくり走っているように感じますから、スピード感覚というのは怖いものですね。高速道路を降りて、一般主要道路であるA道路やB道路に入ってもかなりスピードが出せます。A道路では60マイル(約96km)ぐらい、B道路でも50マイル(約80km)は軽く出せます。交差点がランダバウトになっていて、信号がほとんどないので、スピードを大きく落とさずに進めます。結果として日本で運転するよりはるかに遠くまで容易に行けます。

 山らしい山がほとんどないので、トンネルがありません。今回550マイルほど走りましたが、一度もトンネルに出会いませんでした。車で走ってみると、この国がなだらかな丘陵地帯からなっていることがよくわかります。日本の感覚で言うと、良い住宅地になりそうな土地がこの国にはまだまだたくさんあります。(1999.6.2)

<第21号:路上駐車> ロンドン市内はどこの道路も路上駐車の車でいっぱいです。遠くから町並みを見てなんてすばらしい景観だろうと感動していたところでも、近くに寄ってみると家の前の道路は路上駐車する車で埋めつくされています。日本では町の景観を壊すものとして、電信柱と電線がよくやりだまにあげられますが、こちらで同じような逆機能を果たしているものをあげるなら、路上駐車の車はその最右翼と言えるでしょう。車というものがこの世の中に登場する前からの建物が残っている地区では、もともと駐車スペースなど考慮に入れられていなかったので、仕方ないのかもしれませんが、そうではない比較的新しい1戸建て住宅の並ぶような所でも、路上駐車がされています。住民が止めているケースももちろん多いですが、店舗や事務所が並んでいる近くの通りだと、従業員やお客の車がたくさん止まっています。たまに、警官が取り締まりにやってくるのですが、本当にたまになのか、あまり効果はないようです。さらに日本では滅多にないはずのバス停に駐車する車も少なくありません。バスの方も慣れているのか、日本のようにクラクションを鳴らして退かすのではなく、停めている車の横に停車してお客を乗降させています。(1999.5.28)

<第20号:チェルシー・フラワーショー> 今チェルシー・フラワーショーという花とガーデニングの展示即売会が行われています。こちらではこれは夏の訪れを告げるビッグイベントで、毎日どこかでこのショーのことが紹介されています。やはりこちらにいる限り、これは行かなければならないだろうと思い出かけてきました。チケットはあらかじめ購入しておかなければならず、当日は買えないことになっています。こういう状況になると、決まって現れるのがダフ屋さん。最寄りの駅から会場までの間、あちこちでダフ屋が声をかけています。私も声をかけてきたダフ屋におもしろがって値段を聞いてみたところ、最初のダフ屋は100ポンドと言い、2人目は"very cheap"と言いながら寄ってきて60ポンドと言っていました。ちなみに正規の値段は27ポンドです。

 ダフ屋を振りきりいよいよ会場へ。どこから来たんだろうと思うほどたくさんの人が集まっていました。人にぶつからずには歩けないほどの混雑ぶりでした。大きなテントの中にたくさんの花々が展示されていてそれは十分に見がいのあるものでした。日本の生け花や盆栽も展示されていました。盆栽の方は興味を持って立ち止まって見ていく人もかなりいましたが、生け花の方ははっきり言って人気がありませんでした。会場のあちこちで聞こえてきた誉め言葉は、"Lovely!"、"Gorgeous!"ですから、その観点から言うと、やはり日本の「わびさび」をベースにした花はちょっと厳しいかもしれません。こちらの人は――というか私もですが――色のきれいな華やかな花が好きなようで、そうした花の前にはたくさんの人が集まっていました。

 もうひとつ興味深かったのは、白人の次にたくさん来ていたのが日本人だということでした。(もちろん、白人の1%以下ですが。)イギリスにたくさんいるはずの黒人、インド人、中国人といったマイノリティは、日本人の何十分の一といった感じでした。なんだか日本人は有色人種の一員ではなく、背伸びして疑似白人になろうとしているようにも思えました。でも、ガ―デンニングが本当に好きな日本人なんてわずかしかいませんから、大部分の日本人がここで何をしているかというと、きれいな花の前で「わあー、きれいねえー。ねぇ、ここで写真を撮りましょう。」ということになります。ガーデニングのヒントを得ることはもちろん、花を愛でることすら目的ではなく、あの有名な「チェルシー・フラワーショー」に来ているというそのことで満足感を得るわけです。写真は、将来に渡ってここに来たことを確認するための不可欠な証拠となるわけです。ですから、花の写真を撮るだけではだめで、自分たちも花とともに写る必要があるわけです。まあ、私も典型的な日本人としての行動を取っていましたので、自己反省を込めて分析してみました。(1999.5.27)

<第19号:奇跡の逆転勝利> イギリスで、もっともメジャーなスポーツと言えば、やはりサッカーでしょう。そのサッカーの大イベント「ヨーロッパクラブ選手権」の決勝が5月26日に行われ、マンチェスター・ユナイテッドが奇跡の大逆転勝利をおさめました。日本でもスポーツ番組等で紹介されたかもしれませんが、相手のバイエルン・ミュンヘンに前半1点を取られ、後半も押されっぱなしのままロスタイムまでいってしまいました。もうだめだろうと多くの人が思ったその瞬間、Teddy Sheringhamの同点ゴールが突き刺さり、その2分後今度はOle Gunnar Solskjaerの逆転ゴールが飛び出したのです。アナウンサーも"Unbelievable!"と何回も叫んでいましたが、私も全く同じ気持ちでした。かつて日本も「ドーハの悲劇」と呼ばれる、ロスタイムに同点に追いつかれるという試合を経験したことがありますが、今回はロスタイムに2点ですからね。なかなか見られない試合でしょう。テレビ観戦でしたが、オンタイムで最初から最後まで見ていましたので、なんてラッキーなんだろうと嬉しくなりました。マンチェスター・ユナイテッドは、今シーズンは絶好調で、イングランドのリーグ戦であるプレミアリーグを制し、トーナメント戦であるFAカップも優勝していますので、これで3冠王です。マンチェスターはすごいお祭り騒ぎだったようです。

 ヨーロッパのチャンピオン・チームと南米のチャンピオン・チームが、クラブチーム世界一を決定する試合を確か毎年日本で行っていたと記憶しています。ということは、日本でもこのマンチェスター・ユナイテッドの試合を見られると思います。注目は、キーパーのPeter Schmeichelと、ミッドフィルダーのRyan Giggsでしょうか。もちろん有名なDavid Beckhamもこのチームのミッドフィルダーです。このマンチェスター・ユナイテッドが中田を欲しがっているという噂を聞いたこともあるのですが、もしも本当にそんなことになったら、次のシーズンはテレビに釘付けになりそうです。(1999.5.27)

<第18号:観光客としては認知されているけれど……> それなりの観光スポットに行くと、日本語のパンフレットやガイドブックが必ずあります。英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語とともに、日本語の案内があります。観光客としては、日本人は大事なお客さんとしてしっかり認知されています。しかし、ニュースや新聞の記事では日本のことは、ほとんど扱われません。寂しくなるほどです。たまにこちらの人に日本の都市をどこか知っていると聞くと、「Tokyo」とは答えてくれますが、他にはと聞くと、後は知らないという答えが少なくありません。やはり、イギリスから見ると、日本は「far east」なんでしょうね。ビデオカメラはみんなSONYで、TOYOTAの車もいっぱい走っているのに……。(1999.5.19)

<第17号:見下ろす優越感> トラファルガー広場からウェストミンスター寺院――その内部も含め――にかけて、たくさんの彫像が置かれています。そして、そのいずれもが高い台の上からわれわれを見下ろすように造られています。トラファルガー広場のネルソン提督像はその極端な例ですが、チャーチルにしても、グラッドストンにしても、ピットにしても、みんな高い台の上にいます。やはり上から見下ろす方が優越感を感じるのでしょうね。

 欧米人――特に背の高いゲルマン系、ノルマン系――がアジア人に対して潜在的に持つ圧倒的優越感の一因に、この背の高さがあるような気がしてなりません。電車の中などでも、自分より背の高い人に囲まれると非常に緊張感を感じます。私は175cmあるので、日本では周りをすべて自分より背の高い人で囲まれるという経験はほとんどしたことがないのですが、こちらではしばしばそうした事態に出会します。女性でも私より背の高い人がごろごろいます。

 見下ろす優越感と、見下ろされる恐怖感はどこから来ているのでしょうか?いざ喧嘩となった時に、上から押さえつけられる、押さえつけらてしまうというような潜在的な心理が作用しているのでしょうか。これは社会学的問いではないですね。誰か心理学者の方、教えて下さい。(1999.5.19)

<第16号:スリラー好き> こちらの人は、背筋がぞくっとするような怖いものが好きらしいです。テレビでやる映画にはスリラーが非常に多く、ちょっとした本屋には必ず「CRIME」のコーナーが設けられています。かの有名な「マダム・タッソーの館」(蝋人形の展示館)だって、私にとってはただ薄気味悪いばかりで、あまり行きたい所ではありません。でも、非常に人気があるようで、平日に一度前を通ったのですが、ものすごい行列でした。(観光客なのかもしれませんが。)他にもこちらもまだ行っていませんが、「ロンドン・ダンジョン」という博物館では、虐殺や拷問のシーンを等身大の人形を使って再現しているんだそうです。

 こうした嗜好性といつもどんよりしたイギリスの天候とが関係しているとはよく言われることです。もちろん気候だけでなく、この社会が積み上げてきた歴史も大きな影響を与えているのでしょうが、気候も無視できない要因でしょう。デュルケームに怒られてしまいそうですが、このchangeableな気候の中で暮らしているとそんなことをつい思ってしまいます。(1999.5.17)

<第15号:TATTOOあり> TATTOO(入れ墨)を入れた人をこちらでは結構見かけます。大英博物館の警備員さんの腕に見事な彫り物がしてあったのには、ちょっと驚きました。日本では入れ墨をしている人というと、ある種の職種(?)の人というイメージがありますが、こちらではファッションの一種としてはるかに軽い感じで行われているようです。それでも、やはり私は入れ墨をしている人を見ると、なんとなく怖い人ではないかと思い、いつのまにか避けています。

 「外見で人を判断してはいけない」とはよく言われることですが、初対面の人を判断するのには、外見しかありません。きちんとした身なりの人と、腕に入れ墨を入れている人がいたら、きちんとした身なりの人の側にいようと思うのは、多くの人にとって自然な選択でしょう。その点では、日本人であっても、髪の毛が茶色や赤で私から見たらだらしないとしか思えない格好をした若者に出会うと、やはり自然に避けてしまいます。外見はその人を表す重要な記号です。記号はそれぞれ社会の中で一定の意味を持つ物として解釈されます。ですから、髪の毛を何色にしようと鼻や唇にピアスをしようとそれは各人の自由ですが、それが社会的にマイナスイメージのものとして解釈されることを不当だと文句を言うのは無意味です。もちろん記号のもつ意味は時代とともにーーあるいはその普及具合でーー変わってきますので、いずれはマイナスイメージがなくなるかもしれません。でも、とりあえず今突飛な格好をする人は、マイナスイメージがあり他人に好感を与えないことを認識した上でされるべきでしょう。(1999.5.12)

<第14号:戦争博物館(Imperial War Museum)について> 「戦争博物館」を見てきました。かなりの迫力で、見応えは十分でした。小型の武器はもちろん、戦闘機、戦車、高射砲などかなり大型の武器、さらにはスパイが使った道具や暗号を打ち出すタイプライターなど実に様々なものが展示されています。塹壕体験や空襲体験コーナーはまるでお化け屋敷のようで、おもしろいような薄気味が悪いような、いずれにしろ興味深い体験ができました。この博物館は、第2次大戦後も多少ありますが、メインは第1次世界大戦、第2次世界大戦に関する展示です。ずっと見ていくと、嫌でもイギリスがいかに尊い犠牲を払って正義の戦いを行い、そして「正義は勝つ」の言葉通り勝利したかということを納得させる展示になっています。イギリスの子供たちが何団体も教師に引率されてやってきていました。こうした博物館を見て、愛国心を養うのでしょう。

 振り返って日本でこういう博物館が可能かどうかと考えてみたのですが、まあ無理でしょう。日本でこんな愛国心を高めるような狙いで戦争博物館を創ったら、近隣諸国からのクレイムはもちろん、日本人自身の中からも批判の声があがるでしょう。イギリスではそれをやっているわけです。どこが違うのでしょうか?本当に日本は不正義の戦いを行い、イギリスは正義の戦いを行ったのでしょうか?戦争裁判の正統性問題にも関わってきそうですが、「勝てば官軍」という言葉をどうしても思い出してしまいます。

 この博物館のミソは第1次世界大戦より前の時代の戦争には一切触れていないことでしょう。これより前の時代に遡ると、イギリスが行った戦争は「アヘン戦争」にしても「ボーア戦争」にしても、「セポイの反乱」と呼ばれるインドでの戦争にしても、もしも当時まともな国際機関があったらイギリスの方が非難される戦争だったでしょう。確かに第2次世界大戦の際の日本の行動には批判されるべきものがあったでしょう。しかし、それと同様、あるいはそれ以上に19世紀のイギリスが行った戦争も批判されるべき要素があるはずです。しかし、この博物館はそこを全部オミットした「見事な」戦争博物館なのです。

 当然のことながら、原爆の扱いはとても小さいです。原爆の結果こうなりましたという展示物としては、溶けて変形したビール瓶が1本と、焚き火で焦がしてももう少し焦げるぞと突っ込みを入れたくなる程度しか焦げていない竹が3本、後は壁の一部(どの程度被害を受けているかわからない)だけでした。日本人としては、イギリス人の愛国心を高めるための博物館だと割り切って仕方がないと苦笑して通り過ぎるべきか、こんな展示では誤解が生じると憤るべきか、皆さん、ロンドンにお立ち寄りの際には、ぜひ戦争博物館へ足を運んで、「愛国心」とは何かという問いとともに考えてみて下さい。(1999.5.6)

<第13号:この国の公共心とは?> 電車の中はもちろん、駅や町中などに、実にゴミが多いのが気になります。確かにゴミ箱が少なく、捨てるところがあまり見つからないことも一因でしょうが、それにしてもちょっとひどすぎるのでは、という印象です。それと、電車の中で「空いている座席に足を乗せないで下さい」と至る所に書いてあるのに、無視して靴のまま足を乗せている人をしばしば見かけます。自分の家や庭を大事にし、さらには他人に対してもあれだけ親切心を持っているこの国で、どうしてこんなことが生じるのだろうと納得いきません。一部の不心得者の仕業と思いたいのですが、それにしてはちょっと多すぎるような気もします。プライベートな空間のみを重視し、パブリックな空間を軽視するような考え方がもしも広まっているとしたら、この国の「公共心」にも"?"をつけざるをえません。ただし、ゴミはちゃんとした公園などではほとんど捨てられておらず、電車、駅、道路沿いなどに集中的に見られるので、そうした場所が大事にすべきパブリックな空間と思われていないのかもしれません。(1999.5.4)

<第12号:さすがにちょっと不安> 第11号を書いたすぐ後に、SOHOのゲイバーで爆弾が爆発しました。これで3週連続で毎週末ごとにロンドン市内のどこかが爆弾の被害に遭っているわけです。様々なマイノリティ集団が狙われているようです。市内にいるといつか巻き添えになるのではという不安感もちょっと出てきました。駅からの避難もこれからはあまり軽く受け止めることはできなくなりそうです。早く落ち着いてほしいと思いますが、マイノリティ問題の根は深く、そう簡単には片づかないような気がします。(1999.5.3)

<第11号:ニュースにもならない地下鉄駅からの避難> 先日さる地下鉄駅で電車に乗って出発を待っていたら、「皆さん、降りてすぐに駅から出て下さい」とアナウンスがあり、駅から退去させられました。駅の出口では駅員さんが今にもシャッターを閉めようとしていました。最近頻発している爆弾騒ぎの余波だったようです。仕方がないので、この日はいつもとは別ルートで帰ってきました。こんなことが日本で起こったら、大ニュースでしょうが、こちらでは何の報道もされませんでした。人種問題もあれば、北アイルランド問題もあるし、ユーゴスラビアの戦争にも一枚噛んでいますし、まあこの程度のことは日常茶飯事ってことなのでしょう。(1999.4.30)

<第10号:DILLONSにて> 先日大手書籍チェーンのDILLONNSで本を購入した際のこと。私が買いたいと思った本が1冊しか残っておらず、表紙が折れていたのですが、仕方がないのでその1冊を買うことにしてレジに持っていくと、そこにいた女性が「この本は表紙が折れているので、10ポンド99ペンスだけれど、10ポンドにしておくわ」と言って、値段を引いてくれました。日本でも、もしこういう本があったら、多少安くしてもらえるのかもしれませんが、レジを担当している人が自分の裁量でこういう判断はできないのではないでしょうか。(個人商店のようなところなら可能でしょうが。)なにか自分の仕事に対してしっかりしたresponsibility を持っている感じで、感心しました。(1999.4.27)

<第9号:マークス寿子氏に、はまりそう。> 日本にいたときは、あまり読んでみたいとは思わなかったのですが、こちらに来てマークス寿子氏(注1)の本を読むと、妙に納得できることが多く、マークス氏にはまりそうです。この「ロンドン便り」で書いているようなことも、すでにマークス氏によって書かれており、2番煎じという感じがしてちょっと恥ずかしくなってきます。まあ、でも盗作しているわけではなく、本当に同じようなことを感じてしまったということですので、ご了承下さい。マークス氏の日本社会論は適度な辛口で気に入りました。来年ゼミを再開したら、学生たちと読んでみたい本です。(1999.4.27)

(注1)イギリスの大手スーパー「マークス&スペンサー」のオーナーでもあるマイケル・マークス男爵と結婚していたことのある女性。現在は大学で教鞭をとるかたわら、社会評論的な本を何冊も出しています。

<第8号:オリエンタル・シティ> コリンデールというところに「オリエンタル・シティ」があります。日本の方には、「旧ヤオハン」といった方が通りがいいようですが。ご存じの通り、ヤオハンが倒産をし、その後「オリエンタル・シティ」として営業をしています。先日こちらに来て、初めてこの「オリエンタル・シティ」に行ってみたのですが、平日であったせいもあり、閑散としていました。話によると、土日は結構な人出だそうです。セガのゲームセンターがあり、旭屋書店があり、日本の食料品を売っているスーパーがありと、ちょっとした日本のショッピングセンターです。FOOD COURT には、寿司、天ぷら、ラーメンから、中華、韓国料理、インドネシア料理、タイ料理とまさにオリエンタル・シティです。ゲームセンターも、書店も、スーパーもガラガラでしたが、FOOD COURTだけは結構人気でした。中華が一番人気のようでしたが、私はここぞとばかり「北海ちらし」というのを頼んでみました。こちらに来て初めて食べる刺身です。中身はといえば、サーモンといくらとイカに卵としいたけでした。値段が5.80ポンドとあまり高くないのでまあまあかなという感じでしたが、ちょっとごはんがベタベタして酢が効きすぎていました。お店の人は、どうも日本人ではなかったようでした。

 日本で「北海ちらし」と言ったら、北海道の特産品を乗せたちらし寿司ですが、こちらではそのまま北海(The North Sea)で捕れる海産物のちらし寿司なんだなあ、などといったしょうもないことを考えながら、周りを見渡すと食事をしているたくさんの人の中に日本人がほんのわずかしかいないことに気づきました。他のアジアの人々、白人、黒人いろいろな人が食事をしていました。今や、このオリエンタル・シティはこうした人々によって成り立っているわけです。(どうでもいいことですが、ラーメンが6ポンド以上というのは、何か考え違いをしていないでしょうか?結局、私が見る限りほとんど誰もラーメンを頼んでいませんでした。)(1999.4.26)

【追記:その後よく見たら、4.5ポンドの普通のラーメンもありました。ごめんなさい。でもおいしくありません。ロンドンで、ラーメンを食べるなら、「ラーメン瀬戸」というお店をお奨めします。オックスフォード・サーカスから5分ほど歩いたところにあります。ここのラーメンは、ボリューム、味、値段とも納得がいきますよ。(1999.9.3)】

<第7号:ロンドンの公共交通機関について(2)心理作戦> こちらに来てすぐ思ったのが、無人改札でありながら機械式改札も導入していない駅がロンドン郊外にはとても多いということでした。郊外から郊外へ行くと、無人改札を通って入り、無人改札を通って出ると言うことがしばしばあります。「なんだ、これなら切符を買わなくても大丈夫だ」とつい思ってしまいます。ところが、突然車内検札がやってきたり、いつも無人の駅に3人も係員がいたりと、まるで「なめちゃいけないよ」と言わんばかりです。20日ほどこちらで暮らしていて、こうしたチェックに3回出くわしました。なかなかうまいですよね。こういうチェックがあることを忘れない程度にやってくる感じです。日本でこういうチェックをする場合は、「ローラー作戦」的にやる感じですが、こちらのやりかたは「心理作戦」という感じがします。(1999.4.20)

 

<第6号:ロンドンの公共交通機関について(1)Not So Bad> 日本ではちょっと出かけるのにも車を使っていましたが、こちらではまだ車を入手していないので、どこかに出かけるときは、せっせと地下鉄やバスを利用しています。はじめのうちは、日本と違って、まったく時間に不正確な地下鉄にイライラしていたものですが、だんだん慣れてくると、10分や15分ぐらい別にたいしたことはないと思えるようになってきました。それだけ、日本にいたときと違って時間に追われて暮らしていないということなのかもしれませんが。で、そう思って利用してみると、これがなかなか便利で、日増しに気に入ってきています。Bus Mapなんか最初はとうてい理解できないと思いましたが、見方のコツをつかんでしまえば、なかなかわかりやすい。いろいろなところを走っているし、座席の位置も高いので、ちょっとした町並み見物ができます。車に頼っていたら発見できなかった楽しみです。

 もうひとつロンドンの公共交通機関の良い点は、運賃が割に安いことです。(ロンドンから離れると高いようですが、まだ行っていないのでわかりません。)単純にある所に行って帰ってくるだけだとそう安くは感じませんが、あちこち行く場合は、4.5ポンド(900円弱)の One-day Travelcard を買っておけば、地下鉄、バス、地下鉄範囲内のBritish Railなどに自由に乗り降りできます。さらに、Family Travelcardを使うと、大人は1人3.6ポンド(720円弱)、子供は1人0.6ポンド(なんと、120円弱です)で市内全域に行けます。(1999.4.19)

<第5号:世界一のダイヤモンド> ガラス越しですが、世界で一番大きなダイヤモンドを見ました。530カラットだそうです。他にも、数々の名だたる宝石がイギリス王室のものとして展示されていました。こうした宝石類は、どのような経緯でイギリス王室が所有することになったのでしょうか。詳しいことは知りませんが、かつてイギリスが一大帝国として多数の植民地を抱えていたことと関係があるのは間違いないでしょう。ロンドンを見て回っていると、至る所で、かつてイギリスが多数の植民地を持ち、そこから価値の高い様々なものを吸い上げてきたことに気づかされます。「大英博物館」、「自然史博物館」、「ロンドン動物園」など、世界中から様々なものを集められる国でなければ、できない発想だったでしょう。ただ、かつて搾取された国の人々があまりイギリスを恨んでいる感じがしないのが、日本とは違うところでしょうか。支配の仕方の問題なのか、それとも時の長さの問題なのか。(1999.4.18)

<第4号:社会のマナーと個人主義> よく言われることですが、こちらの人はマナーがきちんとしている人が多いことに改めて感心させられます。ちょっと体が触れただけでも、 "Excuse me" とか "Sorry" って、ちゃんと言います。日本では、ちょっと体が触れただけでは、何も言わずに通り過ぎる人がほとんどのように思います。"Thank you" や "Please" も含めて、一声かけるというのは、本当に大事だと思います。まだイギリスの良い部分しか見ていないのだろうと思いますが、「大人の社会」だという印象を持ちつつあります。こういう社会の個人主義はなかなか好感が持てます。社会のマナーを修得している人間たちが、自分で責任を取れる範囲で個人として判断し行動することは、何ら問題はないと思います。しかし、社会のマナーを修得していない人間が「個人主義」を振り回すのは、大きな問題を引き起こすことになるでしょう。どうしたら、こうした社会のマナーが身につくようになるのか、その謎を解明できればと思います。(1999.4.16)

<第3号:やり直し?> 6月にエリザベス女王の3男のエドワード王子が結婚するのですが、フィアンセのソフィさんのファッションが、故ダイアナ妃にそっくりで、ちょっと妙な気持ちになります。なんだかイギリス王室は、あの悪夢を消すために最初からやり直しをしようとしているような……。(1999.4.10)

<第2号:美しい町並み> お天気はこの1週間は晴れたり曇ったり、雨がぱらついたりで漸くロンドンらしくなってきました。暖かそうな格好をしている人がいるかと思えば、お腹を出している人がいたりと、個人個人自分の感覚で好きな格好をしています。いろいろな花が咲いていてきれいです。花にはあまり詳しくないので、よくわかりませんが、きれいだということだけはわかります。私たちが住んでいるあたりは、どこを見ても緑と花が目に入るので楽しめます。しみじみこの国の人は、自然を大切にしているなあと思います。それと、やはり町並みがきれいです。建物の大きさ、高さ、素材がほとんどそろっているので、車窓から見ていても飽きません。日本ではなかなかできないことでしょうが、少しでも近づきたいものです。

 そうそう、今後イギリスに来られる方のために新情報をお送りしておきます。『地球の暮らし方』などに、6ヶ月以上イギリスに滞在する場合は、外国人登録が必要と書いてあったのですが、昨年法律が変わってアメリカ人と日本人に関しては不要になったそうです。(期間がかなり長くなるとまた違うのかもしれませんが、とりあえず1年間滞在する私たちは「外国人登録所」で「必要ない」と言われました。)また、昨年あたりから日本食品の持ち込みが厳しくなったそうです。私たちも多少持ち込んだのですが、結構関税を取られました。基本的には、送るときは何でも「used」で送った方がいいみたいです。箱が開けられることはほとんどないようです。(100%確実とは言えませんが。)(1999.4.9)

<第1号:Natural History Museumの「阪神淡路大震災コーナー」について> いよいよ「ロンドン便り」をスタートさせます。ご期待下さい。3月30日にヒースロー空港に到着。雨。やはりイギリスは天気が悪いと思ったのもつかの間、ここがロンドンであることを忘れてしまいそうなほどのからっとした好天気が次の日からは続いています。

 今日は、「Good Friday」でいろいろなところがお休みなので、こちらも骨休めをしようと思い、初めて家族とともに「Natural History Museum」へ。その展示物の量に圧倒されました。ただ、ひとつだけクレームをつけたかったのが、阪神淡路大震災のコーナーです。まあ、ひとつのコーナーを作るほど関心を持ってくれているのはありがたいことだと思いますが、そのコーナーで流れている音楽は妙にChinese風でどうも日本的ではありません。写真も感心しませんでした。もっとも問題だなあと思ったのは、震度の体験です。その揺れはせいぜい震度3か4程度の揺れで、もしも阪神淡路大震災がこんな程度のものだったと思われてしまうなら、心外だという気がしました。機会があったら、異議申し立てをしたい気分です。(1999.4.2)