日々雑記


霊木の分化

2022-7-1

早々と梅雨も明けて、猛暑。

彫刻史の授業は、長谷寺十一面観音像について。
『阿婆縛抄』で、「近江粟本(太)郡一夜内十丈生長の霊木」は災いが起こすので3つに切り、ひとつは近江・志賀寺正観音像、河内・剛琳寺(葛井寺)千手観音像、二つ目は大和・長谷寺十一面観音像、三つ目が河内・剛琳寺(葛井寺)千手観音像に使われたと「観念の同木」を説明。

話しながら、これは神像でも有り得ることだなぁと思う。
薬師寺休ヶ岡八幡宮の三神像は同木ではなさそうだが、ながく同一の御神木から造られたとされていた。また『新編鎌倉志』に鎌倉・長谷寺の十一面観音像は「和州長谷の観音と此観音とは一木の楠にて作れり。和州の観音は木本、此像は木末也」とも記されている。

かつて調査した神像にも同時期に複数の神像が制作されたが、そのうちの1躯の像底に「下」とも読める文字があった。これを「木末」と理解できれば面白い考察になるだろうが、そこまでの根拠がなく断念した。

大和・長谷寺十一面観音像のたび重なる再興に際しても、多数の御衣木片から観音像が制作されている。

top

天に見放される

2022-7-2

大分県立埋蔵文化財センターで「密教仏画の至宝4 京都長谷川派の仏画」が開催中(~7/18)。
5月17日からの開催で、1期:長谷川等鶴・等叔、2期:長谷川等叔、3期:長谷川等舟の展示で、現在は3期。
もっと早く気づけばよかった・・・。

近世仏教彫刻と同様に近世仏教絵画もほぼ空白状態である。
大西芳雄氏以降、樋口氏や渡辺氏、近年では中川氏や藤元氏、松尾氏、佐伯氏の研究もあり、調査研究も大いに進展。

こちらも大いに関心があるものの、なかなか動けない。
前職で、仏間内陣の彩色が「雪舟十三世/長等舟筆」とあり、「自雪舟十二世/長谷川等叔謹書」の両界曼荼羅図なども所蔵している某寺があった。作品返却の折に今度は「近世仏教絵画展!」と色々調べていた。

手帳を繰るもちょっと厳しい状況ながらも何とかして大分へ行こうと思った矢先、台風が予定日あたりに九州上陸との由。
とうとう天にまで見放されたか・・・。

top

ラスボスの復讐

2022-7-4

新古典主義のラスボス ドミニク・アングル。
フランス革命で小学校を中退し、『アガメムノンの大使』(1801年)でローマ賞を受賞、政府給費生としてイタリア留学が許可されたが、フランス革命後の混乱で1806年まで延期となってしまった。
ようやくイタリア留学が決まり、渾身の作品として「玉座のナポレオン1世」を描き、イタリアへ留学。
ところが、サロンでは生気がないと大批判。以後、アングルは1824年までイタリアに。イタリアから多数の作品がフランスのサロンに送られるが、どれも大批判。

1824年に出品した『ルイ13世の誓願』が評価され、ようやく帰国。44歳のアングルは新古典主義の重鎮として迎えられる。

そこからアングルの復讐が始まる。
批判された「グランド・オダリスク」とほぼ同じ図をグリザイユで発表したり、同じく批判を受けた「ヴァルパンソンの浴女」をそのまま取り込んで「小さな入浴者:ハーレムインテリア」を描いたり・・・。文句あるヤツは出て来いと言わんばかり。

どの世界でも重鎮を怒らせるとコワい・・・。

top

長谷川等舟

2022-7-6

台風一過、思い切って大分県立埋蔵文化財センター「密教仏画の至宝4 京都長谷川派の仏画」へ行く。

埋文センターで仏画?と思っていたが、センター内の「Bvngo大友資料館」の企画展示室。
まずは、長谷川等舟展から。

「御誂佛畫目録」に掲出された仏画が展示。
等舟描く火焔の描き方(金泥の細線で枝分かれ)や能満院仏画粉本、版木との比較もよく理解。

何より江戸時代末期なので、各画面の図像がよくわかる。
大昔、仏画の特別展があった(担当ではない)が、何が描かれているかよくわからないといったクレームが出たが、その心配は無用。
無料パンフレット(1~3期の展示を纏めた)を見ながら7点の作品をじっくり拝見。お百度参りのようにようにケースの前を行ったり来たり。
来て本当に良かった・・・。

近世仏画に堪能した後、Bvngo大友資料館の展示。こちらも元職で見慣れた青花や鞴、楽茶碗など中世都市遺跡の出土品(さすがにメダイは見たことなかったが・・・)。

受付横にあったこれまでのパンフレット(密教仏画の至宝展)を頂き、帰阪の途につく。
車中でも4冊のパンフレットを熟読。

top

七夕

2022-7-7

授業(一般教養)を終了して後片付けをしていると、受講生が「国芳は何時するのですか?」と。
「来週」と答えたが、どうも国芳が好きそうな雰囲気。

国芳人気は何といっても辻惟雄「奇想」シリーズの影響が大きい。ご希望に応えて国芳を大きく取り扱おうと色々と作品を物色中。
とはいえ全く関心のない受講生もおり、いつものことながらこの加減が難しい。
以前も、テオからの仕送りのみで生きてきたゴッホが、なぜ浮世絵を油彩で模写していたのでしょうか?と尋ねたら「安かったから」と答えた学生がいた。以来まずは現状の浮世絵相場を提示。
2019年3月のクリスティーズで北斎「神奈川沖浪裏」が47万1000$(約5230万円)。

関西の学生なので、ゼニ・カネの話はよく聴講してくれる・・・・。

top

実物資料は何よりも勝る

2022-7-10

鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』(岩波書店)に円覚寺仏殿の脇壇の写真が掲載。
『沖縄文化の遺宝』の写真では、壇中央に大権修利菩薩像、左に武装形の感応使者像、右に掌簿判官像。掌簿判官像の右目はすでに損傷している。

沖縄戦で大権修利菩薩像、掌簿判官像の躰部が失われ頭部だけが現存するが、掌簿判官像の左目が損傷(津波古聡「仏像彫刻」『沖縄県立博物館紀要』16号 1990年 49頁)。あれ?

色々考えるも、結局『沖縄文化の遺宝』掲載の写真は裏焼と判明。
写真を左右反転すると、ちょっと不自然だった香炉も収まり、なにより大権修利菩薩像が左手をあげてかざす正しい図像に。

沖縄県立芸術大学「鎌倉芳太郎資料」も「839 円覚寺仏殿東南隅壇上 土地神」の小さな写真も裏焼。実物資料は何よりも勝る。

今日は朝から大学院入試。

top

専修別相談会

2022-7-13

お昼休みに1年生向け専修別相談会。うちの参加学生はゼロ。参加学生ゼロの他専修もいくつか。

何時から春学期と秋学期の開催になったのだろうか。
入学してまだ3ヵ月半。問い合わせメールも明記され、オフィスアワーも設けられているというのに。
秋は真剣に考えないといけない時期なので多少増えるが、今の時期に全専修横並びで設置しないといけない行事なのだろうかと疑問に思う。

かつては、相談会すら設けられることはなく、学びの扉や知パスなどで専修分属を決めていた・・・。そうすると、分属希望専修の届出が写真のように締切日夕刻に「まだ登録していない人が300人以上います」と掲示が出された(2007年12月4日)。
これはこれで問題だが、春・秋開催の意味が分からない。

春の相談会は開催・不開催の選択でもいいんじゃないか。

top

農婦の頭部

2022-7-14

ゴッホ「農婦の頭部」(1885年・スコットランド国立美術館)のキャンバスの下からゴッホの自画像が確認の記事。

「キャンバスの下」にちょっと引っかかり、調べると「農婦の頭部」はボール紙の上にキャンバスを貼り油彩で描いた作品。「農婦の頭部」の下にもう1枚キャンバスが貼られていて、そこに自画像が描かれていたということか。
となれば、ニューネン時代(1883年末-1885年)の自画像である。

「農婦の頭部」のモデルは「ジャガイモを食べる人々」(1885年4月)の左から2番目の女性。「白い帽子を被った女の顔」(1885年3・4月)のモデルでもある。共にクレラー・ミュラー美術館所蔵。

ゴッホは農民と共に歩む画家を目指していたが、一日の労働を終えて疲れている女性をモデルに使うのはどうかなと思うものの、そこはゴッホの悪い習性、お構いなしである。

top

無念

2022-7-15

事情あって日本彫刻史の講義も本日が最終。
方広寺大仏の変遷で終了、江戸時代の彫刻が出来なかった・・・。ちょっと悔しい。

秋から この学生(2021-3-3) が大学院に入るので、ここでじっくりと講義をするか。

top

PAINTINGって言うなよ

2022-7-18

留学中の専修学生からの質問メール。
留学先の大学で「母国の芸術作品を紹介」との課題。
国芳「相馬の古内裏」(3枚続)を紹介予定ながら東京富士美術館・千葉市美術館・ボストン美術館と複数発見、すべて真作でいいのかと質問。どうもこちらの一般教養は未受講の様子。

版画なんだから「一杯」(200枚前後)するのが基本。売れ行きが良ければ、「二杯」「三杯」となる。世界各国に複数あるのは当たり前。

北斎「神奈川沖浪裏」や広重「東海道五十三次」など風景版画でよかったのに思いつつ、今頃は山東京伝『善知安方忠義伝』の読解に難渋、平良門って誰?と困惑していることだろう。
恐らく、Skeleton(骸骨)は日本の解剖学に由来したのか?題材となった物語は何か?との質問がくるだろう。経験上、ネイティブは当時の日本の解剖学のレベルは?などと納得するまで突っ込む・・・。

自分の興味のみでチョイスするからこうなる。発表後オーディエンスはせいぜい質問してやって下さい。
典型的な関大の留学生像。

なお浮世絵は(Woodblock)Print(3枚続だとPrints)。間違ってもPAINTINGって言うなよ。

top

一日の観に空しく百年の資を失う

2022-7-20

過日、非常勤に来ている同級生から「なに、これ?」と。

しばらく前から大学各所に多数掲示中。
「関大生チアアップ企画×リアル謎解きイベント」とあり、日時も明示されているが、何度見ても何を行うのかさっぱり分からない。
これも大学昇格100周年記念なのだろうか。

永祚2年 (990)4月1日、賀茂祭使の奢侈が甚だしく、「何壮一日之観。空失百年之資」と祭使の奢侈が禁止となった〔『政事要略』67〕。
こんなイベントを企画していたら、百年間の学問的資産を失うことになりはしまいかと、杞憂。

大学よ、ちょっとは考えよう。

top

截金

2022-7-21

久しぶりの調査。

午前中、室町時代の典型作品(たぶん銘記がある)など、また午後には、麗しい平安時代の截金が施された御像など続々。
この日を楽しみにこれまで頑張ってきたご褒美とばかりによい仏像に出会う。

いっぽう、地元にとっては残念なことも。
40年ほど前の報告書で、いわゆる藤末鎌初とされた像と鎌倉後期とされた像。拝見したところ、共に江戸時代の制作。
藤末鎌初とされた像については彫眼なので、縁起等も不明ながら、「恵心僧都御作」など何かしら由来のあった像の再興作品だったかもしれない。
近世になれば、縁起由来などが先行しそれに見合った像を制作することもままある。

ともかく充実した一日。日没を見ながら帰阪の途。

top

論文試験答案用紙

2022-7-23

試験期間が近づくと、1年生からあれこれと質問がくる。
なかでも多いのが「論文試験答案用紙」。

過日もどこで配布しているのか?と。
授業支援センターと法文オフィスの間に置かれていると答えたが、今度はワード等で作成できないと。そりゃ、B4版手書き(ほぼ)専用用紙なので・・・。因みにこの答案用紙はこちらが学部生の頃から使用されている年代物。

上下に学籍番号や氏名欄等があり、罫線もあるので、手書き専用といってよい。
学生に尋ねると、A4版の表紙もダウンロードできるという。そちらを使えと指示。
今どき、卒論さえ基本ワード等で作成のこととされるのに。
いっそ、昔のように原則(ボール)ペンを使用のことと記したらいかがか。

学内で何万枚(何十万?)と印刷された論文試験答案用紙ながらもうすべて廃棄すれば。
他方では「KU-DX」「関西大学SDGs」などと言っているのだから。
呆れること、夥しいこの頃。

top

千切(地切)と鎹

2022-7-25

とある研究者から質問。
なぜ鎹ではなく千切(地切)(2021-5-1)なのか?と。
近世の類例があったらしい。

難渋しながら回答。
まず、像内ならいざ知らず像表面に鎹を打ち込むとその周辺部分は彫り込むことが出来ない。

もうひとつ。
これは大きな要素だと思うが、部材を緊結させて固定化するという鎹の役割が、近世になると固定化の役割しか果たせず、漆・竹釘にとって代わられたのはないかと。

近世の鎹(上)は、鎹の外側が直角で、内側はやや外反している。これでは材を緊結させることが出来ない。
下の写真は、栃木・三乗堂さんが、日光・大猷院霊廟二天門「風神・雷神像」修復に使う特注の鎹(ステンレス製)。こちらのほうは、鎹の内側が直角で、外側は直角よりやや鋭角。この鎹なら打ち込めば、外側の鋭角によって材は緊結していく。円覚寺金剛力士像に使用した鎹もこのタイプ。
千切(地切)で部材を緊結させ、漆・竹釘で固定化したのではないだろうか。

参考文献が皆無だが、これまでの見聞経験からは概ね間違っていないとは思うが・・・。

top

風流な土左衛門

2022-7-26

西洋美術はジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》で〆。

高校生の頃、夏休み感想文課題の夏目漱石『草枕』で初見。
大学では美術史を学びつつ「ミレーのオフェリヤ」を探すも、(ジャン=フランソワ)ミレーの作品集にあらへんがなと、困惑した作品。
先輩に「女の人が仰向けになって川にぷかぷか浮いてる絵」って尋ね、それはジョン・エヴァレットのほうだと教えてもらった・・・。
オフィーリアが『ハムレット』の登場人物であると知るのは、もう少しあと。
その後、テート・ギャラリーで拝見。細密ながら小さな作品だと感じた。

もうずいぶん前になったが、2016年の宝島社の企業広告(モデル:樹木希林)にも登場し、2019年に宝島社から出た樹木希林『樹木希林 120の遺言』(前年に逝去)の表紙にも使用される。

『草枕』では「風流な土左衛門」と表現。

top

流山の仏像

2022-7-28

事情あって、『流山の仏像』(流山市郷土資料館研究調査報告書1 1983.11)を見る。
当然ながら地図には、つくばエクスプレスがなく、東武野田線(現アーバンパークライン)とJR武蔵野線、流鉄が走るのみ。

内容は現在でもまったく遜色ない充実ぶりだが、えっ!と驚くことも。
例言で調査メンバーが示され、西川新次先生(慶応大教授)、副島弘道先生(東京藝術大学助手)、松田誠一郎先生(東京藝術大学院生)、武笠朗先生(東京藝術大学院生)、水本咲子氏と錚々たる布陣。

ところが各説の文章では、総説こそ西川新次となっているが、「宗派と安置仏」(西川新次・郷土資料館学芸員)、「技法について」(副島弘道・郷土資料館学芸員)と。 最初は誤植かと思ったが、目次にもそう記されている。いやいや肩書、おかしいし・・・。
なんか事情があったのだろうと、内容そっちのけで気になる。

のんびりした時代だったのか、土地柄だったのかも知れない。
他のところと変わらず、今や大変貌の様子。

本日の筆記試験で、ようやく春学期終了(成績評価は残るが・・・)。

top

大仏師竹崎石見

2022-7-31

明日より群馬・某所で調査。前泊(自費)にて上京。
寄り道し、Gallery世田谷233にて渡仁 仁王写真展「大仏師石見」を拝見。(関係者からは、また一般の人のふりして見に行くと怒られそうだが、一般人です)
久しぶりの三軒茶屋。随分と変貌。

祐天寺仁王像など「大仏師石見」作のほか、各地の仁王像の写真が展示。
山口・仏光寺仁王像。
もと長州・萩の城下町にあった金谷神社の社坊正灯院にあった像。胎内墨書によれば、金谷神社とゆかりの深い5代長州藩主毛利吉元(享保16年・1731没)17回忌に合わせて、吉本正室と二女寧姫が願主となり、寛延元年(1748)に江戸仏師佐藤主馬に制作させた像である。
佐藤主馬は寛延元年に神奈川・横須賀市専福寺阿弥陀如来坐像を制作しているので、江戸で制作され、萩まで運ばれたのだろう。
長州藩上屋敷(正室居住)は現在の日比谷公園にあり、いっぽう佐藤主馬は京橋南三丁目に住していたから、指呼の距離にある。

あと仁王像の変遷史は、ほぼ東大寺南大門像をもってほぼ終焉を迎え以後は基準作となる作品が見いだせない。
しかし近世に入ると、群馬・正法寺仁王像(康祐・貞享2年)と紀州粉河寺仁王像、仁和寺仁王像(運節・寛永21年)と山形・慈恩寺仁王像など、作者や制作時期、所在地も離れているにも関わらず、類似・酷似した作品が現れる。
模刻もあろうが、近世仁王像に何らかの基準作が出来たのであろうか。

そんなことを考えながら、ギャラリーを退出。

top

過去ログ