日々雑記
大物の予感
2019-2-1
本日より入試期間。合間をみて159枚の採点。
1枚の答案。「快慶」という文字を入れる欄にアン(梵字)阿弥陀佛(しかも弥は「方+尓」)と書いた者あり。
思わず×にしそうになったわ。小学校ならハナマルである。
何人か学生は緊張するあまり「稿本日本帝国美術略史」と書くところ、「橋本日本帝国美術略史」(ハシモトってなんやねん)や「稿本日本帝国美術史」などと書くなか、試験時間中に梵字と異体字を書くとは。 大真面目なのかプリント(スライド盗撮)のお蔭かわからないが、なかなかやるな、という思い。
こういう学生が受講していたことを嬉しく思う。その他も正答が続くも後半、ミスが続いて平均点よりやや上位。
なんとなく将来は大物の予感。
古社寺保存法
2019-2-2
京都文化博物館「古社寺保存法の時代」展を拝見。
色々と興味深い史・資料が出品。
布告書〈神仏分離は破仏の趣意にあらず〉は、日吉山王社の一件を踏まえて出されたもの。日吉山王社の比叡山への長年の怨みが出たものだが、「『破仏』の趣意にあらず」と明治政府が出した公文書。
混乱期とはいえ政府の意向が徹底されておれば、と思ったり。
「伴能十全堂関係資料」は初めて見る資料。国宝修理を手掛けた表具師。絵画は、現在「国宝修理装潢師連盟」があり各工房が手掛けているが、なぜ彫刻は美術院だけなのか素朴な疑問が湧く。
別に国宝でなくともよいが、指定クラスになると必ず名前があがる。技術的に問題なら仕方ないが、修復方針もほぼ同じなので問題はないと思うが、なぜ独占状態なのか。
この点をに明らかにしないと、後世に非難を受けるかもしれない・・・と妄想していると、美術院・新納忠之助調査手帳がずらりと展示。
図録には田中文弥による百済観音像模造写真。
大英博物館の百済観音像は一体誰が模造したのだろうか。
色々と考えるところが満載の展示である。
大津
2019-2-7
大津市歴史博物館「叡山文庫の仏像史料」を拝見。
19点の叡山文庫史料が展示。平日なのでじっくりと拝見。
「比叡山根本中堂御仏像御伝授書付写」。寛永17年7月28日付。末尾に「大佛師左京法眼康音」のサイン。
そのほかも27代康伝の「交衆免許状」をはじめ七条仏師関係史料がずらりと展示。壮観。
常設展では、元和9年に七条康温製作の後陽成天皇7回忌の法華八講本尊(三井寺唐院三重塔本尊)も展示される。
今冬は暖冬のようで、比良山も雪が少ない。
取り持ち女
2019-2-10
東京からの巡回展。
メインの作品は初来日《取り持ち女》。
思わず笑ってしまったわ。
大阪市の「夢を再び!」(2000/4/4~7/2「フェルメールとその時代展」:大阪市立美術館 60万人)もわからないわけではない。〔天王寺公園時代、美術館へ抜ける「フェルメールの小径」なるものもあった〕
その頃からあべチカには左のような貼紙(ご丁寧に瞳の部分が破られている)が貼ってあった。(現在それらしきポスターはない)
そのあべチカを通って売春宿の情景を描いた絵を見に行くんやで。しかも1,800円出して。
いかにも"場"にふさわしい展示作品じゃないか。
問題は価格。十分ランチが食べられるお値段。天王寺なのでうまくすればケーキ付コーヒーも可能な価格。
普段は展覧会など見向きもしない大阪人の感覚をみるにふさわしい展示である。
開催後の入館者推移に大いに期待。
試問
2019-2-11
本日、口頭試問(学部)。
主査、副査ともに卒論7編。
学生が今日を前に書いた内容を読み返していると、ケアレスミスが目立つらしい。 「ここも間違っている、あそこも間違っている」とlineが鳴る・・・。最後はもう当日、口頭で訂正しなさいとまで。
ビビりながら口頭試問に臨むも、こちらの指摘はそんな個所ではなく、論旨があいまいなところ。
毎年のことながら、こちらは無事終了。
書類
2019-2-14
午前中、とある全学会議。
相変わらず目を通す書類が多い。
個人情報など含まれる場合もあって紙で配布、回収しないといけない書類もあるが、紙ベースの書類は何とかならものだろうか。
別の会議では、一時の会議のためにミカン箱3箱の紙が消費される。
もう、メールが扱えない先生などいないはずながら、一向に減らない会議の書類。
足元から改めなければならないと思うのだが、なかなかIT化が進まない・・。
窓口
2019-2-15
とある文化財審議会。
文化財に関しての窓口はたいていひとつ。当然、職員(学芸員)も少数である。
色んな文化財に関する色んな相談が窓口に来る。来庁者にとって職員の専門なんか関係ないのだが、職員の専門外の相談は「難しいですね・・・」と対応を渋るところもある。
そのために審議会委員がいるじゃないかと思う。何も会議だけ出席するだけが委員ではない。
最近、審議会委員をうまく利用するところと利用しないところの明暗がはっきりしてきた。
単に委員の利用云々ではなく、市民に「アカンでぇ、うちの文化財は相手してくれへん」と思わせ、ひいては文化財保護・活用に市民が賛同・協働しづらい空気を作っているのではないかと思う。
今日出席した市町村は、よく相談なり案内が来る教育委員会。
文化財は会議室ではなく、現場にあると言いたい。
趣味もなく公務が研究と思っていると、大きな仕返しが来るぞと思う。
岡崎
2019-2-16・17
愛知県下へ出張。
許諾関係のお願い―すっかり原稿を失念―にあがる。
愛知県下の神社は式内社の候補地でもめている神社(論社)が多い。日長神社、和志取神社は安城市と岡崎市に所在。「預れる官人等もほどほどにあつかひなやみて」と。
村社か式内社か、神社の格に関わる問題ゆえ、そう簡単には決まらず、今日まで尾を引いている。
翌日は、大樹寺。徳川家康像を拝見。作者、時期とも基準作品のひとつ。さらに冷泉為恭の障壁画。ちょっと見せる工夫をしないと・・・。
寄り道をして、五百羅漢像の史料をひとつ見つける。
急遽、原稿
2019-2-18
薄々、なんとなくおかしいとは感じていた。
鎌倉のゼミ旅行中に電話が入ったり、つい先だっても突然執筆
大急ぎで10頁と決めて取り掛かる。大丈夫か?
締切は月末必着。
そう来るとは思わず、月末に調査を入れてしまった・・・。 ちょっとピンチ。
鈴木香峰
2019-2-20・21
ここに鈴木香峰の史資料がある。鈴木家は吉原宿脇本陣扇屋(香峰は養子)。
明治16年3月15日に松浦武四郎は旅の折、吉原宿鈴木香峰宅に投宿しており、香峰から頼朝坊仏をもらっている。(『癸未溟志』)
行くまではてっきり素封家とばかり思っていたが、地元では「郷土の画家」である。
2日にわたって文書はもとより絵画類も拝見。ウィーン万博や第1回内国勧業博覧会にも出品。
頼朝坊仏は「豆州大仁村蔵春院旧蔵」、何故香峰が所持していたのか、現地に来てみて氷解。東泉院があったのか・・・。
帰り際、図録を買ったが対応されたMさん、どことなく聞き覚えがある氏名。展示室には仏像(レプリカ)も展示されていた。
あの人かなと思うも、尋ねそびれてしまう。
清原雪信
2019-2-22
午後から御用がありて、文化財収蔵庫出張企画展「尼崎史を彩る人びと」へ。
知る人ぞ知る「清原雪信」が展示。ちなみに女性画家である。
久隅守景の娘で、狩野探幽の姪にあたる。作品は狩野派ながら真面目で品のある清楚なものばかり。
尼崎との関係は、探幽に師事していた時に尼崎仕官の息子と通じ、清信の母が強く叱責したために「かけおち」し、画を描いて渡世とし尼崎にて没したという。
絵画からは想像もできない人生。 さすが、守景の娘だけのことはある。
大学院入試
2019-2-23
午後より大学院入試。
前半は留学生などあって心が荒んできた頃にこちらが主査。
口頭試問のやり取りや語学やらがあって、再び口頭試問。
副査の先生が「なぜ仏師に注目するのですか?」と。丁寧な説明が続く。
聞きながら、そうかこれまでそういう事をしてきたのかとつい思う。
説明が終わると、つい「丁寧な説明をありがとう」と言ってしまった。
やはり志を同じくする者がいるということは嬉しい。 「一代年寄」などとのんびりしているわけにはいかなくなった。
お詫びの旅
2019-2-26・27
どんな形であれ調査をすると、所有者に報告書が必要。
ずいぶん以前に企業が行った調査(リサーチ)に同行しその際に名刺を渡したことは覚えている。
過日、連絡があり「概要をいろいろ教えてほしい」と。
聞けば、企業はクライアントへは報告書を提出したが、所有者には送っていない。当時の社員も退職やら異動やらで困っておられる。
電話口で「たいへん申しわけございません、すぐ参ります」と南へ飛ぶ。
まずお詫びし、件の像に向ってあれこれと説明。
さほど怒っておられる風でもないが、ここは低頭に。
聞けば、観光客の増加で色々と思案されているようである。
翌日は絵画を拝見させてもらい、夕刻まで相談。
観光対策とはいえ、こちらはちっとも観光でない・・・。
ま、何時でも何処でもそうなんですが・・・。
〆日
2019-2-28
原稿締切最終日。ようやく完了し、速達にて送付。
このところ何処に行くにせよ小型パソコンは必携。おまけに関係資料も持ち込んでいたので、非常に重いカバン。
いつもこの時期は年度末を目前に多忙。