日々雑記


謹賀新年

2019-1-02

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

大晦日午後、遊びに行くと出て行った末娘が、1時間もせずに帰宅。みればかなりしんどい様子。体温は39℃。あらっ。
家人が暖かいモノを持って行っても、少し飲んだだけでかなり辛そうに寝ている。

夜も更けた頃に、「アカン、病院行く!」と末娘。
突如、我が家の第3号配備発令。幸か不幸か、年明け締切の原稿があって、未だ飲んでいなかった。車を走らせて病院へ向かう。
こちらはいったん帰宅。

1時間ほど待つと、上の画像。インフル決定である。要安静。
除夜の鐘を聞きながら病院へお迎えにあがる。

こんな時に親の背中みて育たなくてもよいのにと。実に静かな正月。

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大学

2019-1-05

さっそく宛先不明で帰ってきた年賀状をみながら、近世彩色仏像の彩色は誰が行うのだろうかと思う。

分業制のなかで絵師(彩色師)の名を記す資料は少ない。
山本芳翠「十二支図」(亥)は、絵師が摩利支天像に胡粉地を塗っている光景。横には娘と思われる助手。絵皿を差出している。
この娘さんがそのうち彩色師になるのかと思ったり。群像の台座彩色は確かにばらつきがみられる。

明後日から授業が再開。初詣もなく準備のため初出勤。

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注意力散漫

2019-1-07

年末に出した作成書類が返送され処理しようと開けてびっくり。
同一日の支払い、交通費の清算だが、支払い日と交通費の日付が異なった書類を作成していた。慌てて正しい書類を再作成。

別の書類、こちらは急ぎだったので、作成して夜半に中央郵便局へ。いつもながら長い長い行列。ようやくあと数名になったところで差出人の氏名が未記入。

このところ注意力散漫。新聞屋さんの「高島暦」でもよくない1年だそうで、立て続けの失敗に大いにへこむ。

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『日本国紀』

2019-1-10

百田尚樹『日本国紀』(&副読本)が何かと話題である(騒がれている)。
美術や美術史に関わる人たちが(も?)批評(その是非はともかく)している。
個人的にはいや、ちょっと待てよと思うわけで・・・。

百田尚樹は小説家である。『海賊とよばれた男』はモデルも実在するいい小説である。『日本国紀』もあくまで小説とみれば、特に非難することもなかろう。

ところが、西洋美術史研究の重鎮が、はぁ?という見解で「日本美術史」を書きそのうえ「新しい歴史教科書をつくる会」会長も務めたことに対しては、表立って非難せずに“沈黙”なんだ。
個人的にはこちらのほうが問題である。
「『ラ・トゥール 夜の画家の作品世界』などは必読書ですが、『鎌倉文化の思想と芸術 : 武士・宗教・文学・美術』なんかは批判が多い書です」と言えるが、初学生にとっては「なんで?」と思うわけです。

こっちはプロパーで、今でも影響は大きいのだが。

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親の気持ち

2019-1-14

昨年の三重での研究会(9月28日 研究報告会「松浦武四郎研究の最前線2018」)の誌上発表原稿。
(1月最終週〆)。

台風襲来前夜ながら報告会終了後は展示品解説も行ったのだが、聴講者のひとり(女子学生)が「なぜ、いし(一志)と亀次郎は七回忌供養の方法が異なるのですか。」と質問。
原稿を書きながら、うまく説明できなかったことを思い出す。

慶事で考えても、姉と妹がいて姉の結婚式を祝福とやや羨む姿の妹をみて、親は妹が羨んでいたと思いまったく同じ挙式や披露宴を行ったとしたら、妹はどう思うだろうか。「姉のコピーではない」と思うだろう。弔事や供養も同じである。
親はそれぞれの子にそれぞれの思いがある。この感覚は人の親にならないとわからないかもしれない。

亀次郎には亀次郎への思いがあったと思うのだが。

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図書

2019-1-17

夕刻遅く、ちょっと読みたい書籍があり図書館へ。検索では「論文編」「資料編」とあるも、現実は「論文編」のみ配架。
とりあえず借りて読むものの「資料編」も必要に。考えあぐねていると博物館にあったような気がする。明日にも探しに行こう。

長く勤めているが、ときおり配架場所が「経商資料室」「社会学部資料室」となっている雑誌等を閲覧する術を知らずにいる・・・。

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アートor落書き

2019-1-18

ネットなどで東京の防潮扉にバンクシーの「作品」で話題となった頃、大阪城東区にある大阪メトロとJR西日本の車両基地で車両への落書きが相次いで見つかり、警察が器物損壊などの疑いで捜査とのこと。
かたやバンクシー作として別保管、かたやグラフィティの除去と警察の捜査。

将来の大家が「若い頃にグラフィティに凝っていて大阪メトロとJRの車両に描きました」となれば、ごく初期の作品として扱われるだろう(ただし「現存しない」との注記が入る)。
グラフィティが嵩じて東京藝術大学に入った者もいる。〔二宮敦人『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』〕

こう考えると、作品と落書きの違いがわからなくなるものの、今のグラフィティのレベルでは、即刻除去と器物損壊罪。世界はまだまだ遠い・・・。

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山下りん

2019-1-21

本日で授業終了。
最後は明治初期の洋画。あえて山下りんも取り上げる。

「『大阪ハリストス正教会』って知ってますか?」と。
はぁ?という顔。「豊津のスーパーライフの裏です。」
(車窓から尖塔が見えるのだが、電車に乗ったらスマホばかりいじっているので気がつかない。)

かつて、全学会議で外国語学部か社会学部かの先生に「『山下りん』って知っています?豊津のハリストス正教会に作品があるんですよ。センセ、御覧になられました?」と聞かれた。
(山下りんと作品所在を)知ってはいますが、まだ見る機会がなくて・・・と弁明。

「(皆さんの)卒論でも扱ってくれれば、いつでもなんでも協力します」と授業でPR。
恰好のテーマながら、灯台下暗し。

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ゼミ旅行

2019-1-22~23

鎌倉・東京へ久々にゼミ旅行。

昨春、「コンパorゼミ旅行?」と尋ねたらゼミ旅行と答え、「どこへ?」と聞いたら「鎌倉宮」と。鎌倉宮?

建長寺、鎌倉宮、高徳院やら東京上野、江戸城(皇居東御苑)などを案内。

鎌倉国宝館では、「没後800年 源実朝とその時代」展。
初めて善光寺・源実朝坐像(甲府市指定文化財)を見る。源頼朝像とともにこちらも傷みが激しい。なんとかしなければと思う。あと複製品ながら「源頼朝像」(大英博物館原蔵・鶴岡八幡宮)も。かつて見たのかも知れないが記憶にない。
明るい賦彩からはとても南北朝時代時代とは思えない。各地の調査でしばしば出てくる近世初頭の頂相画などに近い。
『喫茶養生記』も茶の伝播を語る上で重要などと。

皇居東御苑。都心観光の穴場。ビル群が見えなければ、どこの郊外かと思うほど。本丸で「秋にここで大嘗祭が行われるので、TVにも映るはず」と。
売店では、大嘗宮の模型も展示。

”お登りさん”のゼミ旅行。でも有益かつ楽しかった。

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筆記試験

2019-1-26

学内会議。その後に定期試験(担当科目)。

受験生160名弱。1名特別配慮。特別配慮は第3学舎、その他は第2学舎の端。第3学舎にも質問等があるやもしれないので見に行って下さいとメールが来たが、かなり距離があるので、事前に下見。
やっぱり行って帰ってくるだけでも15分はかかる・・・。

開始直前に職員氏が来て、「(第3学舎で)何かあれば連絡が来て対応しますので、センセはこちら(第2学舎)で」と。安堵。

無事、終了。後は採点のみ。

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プレスチューデントプログラム

2019-1-26

午後からプレスチューデントプログラム。3専修合同。

教室に入ると高校生がずらり。思わず教室を間違えたのかと貼紙をみなおす。
自己紹介と諸連絡、教員による模擬発表。

終了後、資料閲覧に来た旧友と博物館にて会う。
夜、千里は一時雪。

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厄年

2019-1-29

末日〆の原稿。内容に厄年が出てくる。
厄年の初出は天慶8年(945)、朱雀天皇の時である。「天台座主義海をして、仁王経一千部を読誦して、御厄年を禳はしむ」とあるが、朱雀帝23歳。
源氏物語『若葉』巻中にも紫の上が37歳の厄年になったので加持祈祷をし物忌みをしたとの記述。

色々調べていると、どうも場所によって、あるいは本厄の年齢も異なるらしく、42歳が死に、33歳が散々に通じるからなどというのは語呂合せに過ぎないとも。これは近世あたりから。
25歳や42歳で地域共同体の重要な役目につき、61歳は一切の役目から退く年であるからともある。

実は、数え年で60歳の前厄となる。身を慎まねば。

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瓦経展

2019-1-30

関西大学博物館では、「瓦経展」と「関西大学と村野藤吾 設計図・建築写真・絵画」展が開催中。

パソコンで便利になったのは瓦経や経文断簡など。ネットで当該部分がすぐに判明する。
大昔、瓦経を研究していた先生の書架に「大正新脩大蔵経」がずらりと並んでいたことを思い出す。
どの経典のどの部分かがわかるだけで成果となった時代である。展示では悉曇を刻んだ瓦経も登場。

末法の世と騒がれた時代、経を残そうと瓦や金属板に刻み埋納した。弥勒が下生する56億7千万年後までのタイムカプセル。
同時開催で「関西大学と村野藤吾 設計図・建築写真・絵画」展。
この時代に大学に在籍したことを懐かしく思う。

展示は今日で一時中断(1/31(木)~2/8(金))。入試後2月10日から2月28日まで開催。

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