日々雑記


羊頭狗肉

2018-4-1

入学式。当然、新入生は図書館に入れないので至って静寂そのもの。

とある大型仏像(像高265㎝)。
近世の記録では、仏像は享保6年(1721)に輪王寺門跡公寛親王から寄付された像であると記している。5月23日に江戸から紀州和歌の浦まで船で運ばれ、6月5日に到着、和歌山にしばらく仮置きされた後、再び船で橋本まで運ばれ、6月15日に奉納したと記されおり、非常に具体的な記述。
記述に従えば、18世紀前半に江戸仏師が制作したことになる。
一見問題ないように思うが、大型仏像を実際に観察すればどう見ても14世紀前半の作。
仏像は砥の粉地彩色。

思うに、台座制作と補修費を輪王寺門跡が負担したのだろう。船に乗って運ばれたのは、新調の台座だろう。台座には京都では見られない波濤がある。

記録は隠ぺい、改竄されるのが、常であると思わないと。

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キンコーズ

2018-4-2

報告書本書(オールカラー・168頁)4部を印刷。丸一日がかり。

さて、製本。21時のニュースが始まる頃、以前パンフレットを頂いたキンコーズ東梅田店へ向う。梅田は雑踏の真っ只中。

東梅田店は365日24時間で、コンビニ以上に助かる存在。いざとなれば、朝方まで原稿を作ってそのまま始発で梅田へということもあり得る(したくはないけど)。
表紙も付けて1時間ほどで完了。

事前に作製した送付状と共にゆうパックで発送(大阪北郵便局にて)。
都会の有り難さをしみじみ思う。

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長崎

2018-4-3~4

長崎へ飛び市内の御寺へ。
浄土宗ながら十六羅漢像が安置。みれば萬福寺像を模した作品。最近修理したらしい極彩色の補彩がやや残念ながらも腹を両手で大きく切り開いて釈迦頭部をみせる羅怙羅尊者像や注茶半迦尊者像もいる。もう萬福寺像タイプといってよいほど。
寸法や写真をとりながら、17世紀初め頃かと。御堂の扁額には揮毫は黄檗僧ではなかったが、「寛保元孟秋」。

仏像を見ながら色々話していると、スマホ(録音)が向けられる。後で編集してコメントとしてご住職が話をするとの由。下書きが出来たら一度送ってほしいと依頼。
なぜ浄土宗が萬福寺タイプの十六羅漢像を祀るのかについては、こちらも知りたいほどだが、事情はよくわかりませんねと答える。

翌日は、某市の仁王像。延宝3年(1675)康祐の造像銘があるとの由。こちらも塗り直しで面影もないが、天草にも年次不祥ながら法橋位の康祐作品がある。

長崎といえば、唐様彫刻(長崎様彫刻)が有名で数多くの作品が残る。しかしそれはごく限られたエリア、華僑が活動するエリアの様式であって、田畑が広がるエリアは他の地方とさほど変わらない状況であったと思う。そういった点で康祐による萬福寺仏像の和様化は大きな画期であったかもしれない。

雲ひとつない長崎を後にして伊丹に着くと、雨。明日から授業。

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授業開始

2018-4-5

昨日から授業開始。今年は各科目とも比較的受講生が少な目で安堵。

学生、特に新入生は勘違いするが、大学の授業は多ければ良いというものではない。200名の授業で静かに受講すること自体、無理が生じる。
どちらが行き届いた授業が可能かは言うまでもない。

各曜日1時間目から授業を科目に入れて、途中でイヤになって他の科目もサボりがち、目に見えて学習意欲の低下が著しい者もいる。

ま、生徒から学生への転換の第一試練と思って、頑張れ。

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粉引扁壺

2018-4-7

先月、報告書や簡易パンフレット作製などで鉄火場のさなか、家人は東寺弘法市で皿(新品)などを購入。

目に留まった粉引扁壺。「弟子が叩きすぎて失敗・・・」とタダで頂いたらしい。
「何(の花)を生けようか」と尋ねられ、同じ作家の蕎麦猪口と並べて「もちろん酒」。
「じゃ、そうします」とあっさり。

晩酌時、猪口1杯半ほどしか酒が入らないことに気づく。「椿なんかどうやろか?」「もうすぐ、終わりますから!」とつれない返事。

器は使ってみて初めて良さが分かるって、もう後の祭り。
当分はやむなく節酒。

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森口奈良吉

2018-4-8

家人たっての希望で、家人の友人らと共に吉野・丹生川上神社三社めぐり。

移動しつつ、ちょこっと案内しながら、東吉野村(中社)出身の森口奈良吉をずっと考えていた。

森口奈良吉
明治8年(1875)生まれ。奈良師範学校卒。奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)教諭に赴任、大正10年(1921)退職、その後春日大社宮司を務め、大正14年に『春日神社金石銘表』、翌年には『官幣大社 春日神社大鑑』を編著する。
また師範学校教諭当時の大正7年(1918)に『丹生川上神社考』を著し、小川村(東吉野村小)所在の蟻通神社こそ式内・丹生川上神社であると主張し、内務省が調査し大正11年(1922)10月には式内社として認められ、それまで官幣大社の上社(口の宮)・下社(奥の宮)は中社に包括される形で、改めて三社を合わせて「官幣大社 丹生川上神社」とされた。下社の主祭神の変更はこの時。

『神像集成』記載の混乱記事もこの時におこったのか。

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石見地震

2018-4-9

昨夜未明に石見・出雲で地震。大田市で震度5強。
かなり心配だが、ともかくお見舞いと文化財も心配な状況なのでお手伝いの提供。
地元紙の動きが遅いのは、なぜ。

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旧円覚寺仁王像復元制作に関する研究

2018-4-10

が刊行。PDFで閲覧可能。〔旧円覚寺仁王像復元制作に関する研究
園原 謙、岡田 靖、上江洲安亨、大山幹成、門叶冬樹、園部凌也、山田千里、本多貴之、宮腰哲雄の各氏と共に執筆。

カラー図版を希望したのだが、にべもなく却下される。でも岩石のカラー図版はOKで、なぜ仏像のカラーはペケなのか理解しがたい。

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書籍の扱い

2018-4-12

昨夕、待合せで阪急梅田へ。

ちょっと早く着いたので書店へ向かう。
高村光雲『幕末維新懐古談』(岩波文庫)を買う予定。手元の同書は下線やメモ書きなどでぐじゃぐじゃ、小さな紙片まで貼ってある始末。棚に並んでいたので手に取りレジに向かおうとした時、柳宗悦『木喰上人』(講談社文芸文庫)が目に留まる。

今年は木喰生誕300年。まぁいいかと2冊とも購入。文庫にしては少々お高いがともに基礎文献。
そのうち『木喰上人』も黒や赤のボールペンで書き込み夥しい本になるものと。

自分の蔵書だからこそ出来る大胆な書き込みの快感。

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きのくに縁起絵巻の世界

2018-4-15

和歌山県立博物館「きのくに縁起絵巻の世界」展へ。滑り込みセーフ。

《粉河寺縁起絵巻》(複製)。童行者(観音の化身)の造像譚。後段の病に苦しむ長者の娘が童行者の祈祷により快癒し、粉河に去った。長者が粉河に詣でると、千手観音(童行者の化身)は礼物の緋袴と提鞘を持っており長者一族は出家。
長者の末裔は“塩ジイ”こと故塩川正十郎氏。この場面は《粉河寺御池海岸院本尊縁起絵巻》に登場。
「御池海岸院絵巻」には毎夜、童行者が信濃・善光寺本尊を詣でる場面。僧侶などは熟睡。善光寺本尊は秘仏ながらおしげもなく開扉。鞆淵八幡神社《八幡大菩薩御縁起絵巻》(14世紀)。鍛冶(実は八幡神)が竹葉の下で3歳の童として現れる。竹の描写は浄瑠璃寺吉祥天像厨子絵の竹図とよく似ているので、制作時期をもう少し上げてよいかもと。

《伊奈八幡宮縁起絵巻》(応永9年・1402)。全体をみると拙い筆致のようにみえるが、下巻の波の表現は近世絵画を思わせる驚くべき描写。《熊野権現縁起絵巻》(和歌山県博蔵)には山伏姿の「万行法印」(役行者の前世とも)が登場。杭全神社本に現れない山伏に驚く。
《東照宮縁起絵巻》(正保3年・1646 住吉如慶筆 尊純法親王詞書)。鍵付きの三重箱に収められいるので、最近制されたかと思うほど保存状態は完璧(巻3を除く)。さすが東照宮縁起。正保3・4年は要注意。

阿弖川荘上湯川の《日光社参詣曼荼羅》。同曼荼羅には平維盛が描かれ、同地《平維盛像》は文政7年(1824)に(高野山)小田原仏師市左衛門の作。 2時間弱、展示を見て、感嘆しつつ図録を買って千円札でお釣りが来る。
内容からして安すぎはしないか。

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Bring Book Store

2018-4-17

和歌山県博・県近美の企画展看板側面にこんなモノ。近美所蔵の現代アート作品と思われた。作品右には「Bring Book Store」と謎の文字。

県博の企画展に満足しつつ隣接する近美のコレクション展・企画展「産業と美術のあいだで」も見てさすがに疲れたので近美2Fカフェで小休止。
そこで氷解。カフェの店名は「Bring Book Store」。

カフェ看板といい地下駐車場といい、現代アートと看板・構造物の境界が時折よく分からなくなる。

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うにく

2018-4-19

昨夜、卒業したゼミ生(10期生・東京勤務)からGWに帰省するので同窓会を開こうとのLINEが入る。
10期生(15年卒)はLINEを駆使し疑問や連絡に活用、今でも繋がっている。

快諾し、「適当なお店、探しておきます」と返したが、その直後から立て続けに10数件の候補がUPされ、なかには「ぬる燗とお肉と個室」と親爺風のコメントまで。

しばらく放置していると、ゼミ生らでどうも「うにく」に決まったようだが、「うにく」とはいかなるものか。

今から楽しみである。もちろんゼミ生の近況のほう。

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不思議な構造

2018-4-20

今年の日本美術史(日本彫刻史)の受講生はおおむね真面目。気を良くして奈良時代の彫刻は最近なにかと話題の阿修羅像の研究を紹介しようと準備。

CTスキャン画像が入手しえなかったのでネット(ニュースチャプター画像)で代用。よしよし・・・。

ところがである。よく見るとなんだかおかしい・・・。

図右は頭髪が渦状になっているので、背面からの撮影画像とわかる。腰上の横桟との関係から頭部に至る上半身の支持材(縦桟)は横桟の前(前方)に位置している。これはY先生の推測図と同じ。
ところが、側面からの撮影画像(図左)では、縦桟は横桟の背後に位置している。しばらく考えてみても右図と左図ではつじつまが合わないように思える・・・。ニュースチャプター画像では反対側の側面画像も示されているが同じ結果。

講義で「上半身の支持材が(人の)背骨のように・・・」と説明しようとしたが、これが納得できるまでは講義内容としてはあかんわと、断念。

あまりにもこちらの基本的理解が乏しすぎるのかも知れない。

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蔵王堂

2018-4-22

夏日のなか吉野・蔵王堂へ。本尊蔵王権現像の特別開帳。

内陣に設けられた「発露の間(懺悔室)」で懺悔もせずにじっくり拝見。秀吉も完成間もない本尊像をみており、その驚きが印象に残ったのであろう。

堂内の旧安禅寺本尊像や天海僧正像なども。天海僧正像は被り物をしない剃髪像で秀作。その後如意輪寺へ足をのばし源慶作蔵王権現像や阿弥陀如来像。阿弥陀如来像は吉野地方で最も古い仏像ではないかと思う。

夕刻5時過ぎには雑踏も消えて静かな吉野。桜に替わって藤が美しい。

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盗用

2018-4-24

いくつかの問い合わせがあって、“近世仏師事績データベース”を久々に更新。
ネット上でも“PDF”で公開されているものについては、冊子体として刊行されているので要チェック。

検索・更新していると、某論文の内容(一部)が拙稿と酷似。某論文は2016年、拙稿は2014年。註記に付した引用文献までほぼ同じ。
驚くべきは、某論文の執筆者は某宗門系大学の学部長。
恥ずかしくはないのかね、まったく。

若い研究者の盗用はマスコミの話題にもなり世評も厳しいが、斯界で重鎮と呼ばれる人に対しては甘々である。

みんな、見てるよ。

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キャンパスメンバーズ

2018-4-26

過日、大学博物館の委員会があり、今年度から教職員証の提示で奈良国立博物館「名品展」が無料観覧となるとの由。
これまでしばし学生を引率しているが、学生が20名に満たないため、ちょっと悔しい思いも。

「でもね。京博はしばらく無理なんですよ」と、他の先生。
旧館(明治古都館)が閉室中(耐震工事等)で、新館(平成知新都館)で特別展を行うものだから、常設展も特別展料金なんですと。

「・・・と、学生証は大いに活用してください。」とさっそく授業のマクラに使う。

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平八供養碑

2018-4-28

GW初日、京都峰山・仲禅寺金剛力士像を拝見。

仁王像については既に猪川和子氏の論考があり、文明13年(1481)に「大仏師大輔法眼院勝」の制作、宝暦3年京都(室町高辻下ル町)仏師の水谷作之進方昭(脇?)の修復。阿形像はほとんど近世の制作である。

仁王門(仁王像)の傍に「平八供養塔」(昭和54年造立)。
宝暦の修復には、水谷作之進のほか弟子の甚兵衛と「下細工」として近江高島郡出身の「平八」が参加。
七夕の日、修復仏師ら7名が琴引浜に遊びに行く。帰途、近傍の離池で子供達が泳いでいるのをみて、平八も着の身着のままで飛び込んだがそのまま姿を見失う。周囲の者は驚いて、村では舟3艘を出し、綱を入れて捜索したが見つからず、溺死と判断。
仁王像の再興料銀2貫300匁は道心者の祖心に託して「千日隔夜念仏」に。平八の永代供養料だろう。
時久しくして平八供養塔が建立。

皮肉なもので、師匠水谷作之進より名を遺した不肖の弟子であった。

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