日々雑記


プチ・天平

2017-11-1

今年の正倉院展では「漆槽箜篌」が復元品とも出品。
藤島武二「天平の面影」(1902年)には復元された「漆槽箜篌」が描かれている。

東博にも2つ。明治32年(1899)の精巧な模造品と文様などやや異なる正倉院宝物風の模造品(明治40年・1904)。
藤島が描いた「漆槽箜篌」は精巧な模造品のほう。その後、寺崎広業「大仏開眼」(1907年)〔現在、東大寺ミュージアムに展示中〕、高村真夫「春日野」(明治44年)にも正倉院「阮咸」が描かれ、20世紀初頭はプチ・天平ブーム。

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運慶展

2017-11-2~3

東京出張。資料の閲覧と某所での調査。

3日、全ての用務が終り、やっと東博「運慶展」の夜間開館へ突入。未だ観覧者多し。
上野公園のイベントと併せて本館でこんなことを開催。運慶展に出品されているであろう作品が本館壁に投影。
本館の前でしばらく見とれている。早く平成館に急がねば。

多くの仏像が、独立ケースや単独に展示。普段見ることが出来る仏像ながら背面まで見ることができるのは幸い。じっくりと背面中心に観察。
図録を買い求め、至福のもと帰阪。

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高野山

2017-11-5

東京からのお客様(非業界関係者)を高野山にて接待。

初めての高野山で事前に「世界遺産切符」を入手ほど意欲満々。ところが、台風21号で目下(年内?)高野下~高野山まで不通で代行バス輸送(高野山大学は通常授業)。事前情報ではマイカーで激混みの山内とのこと。

朝早く出発し大門南駐車場に車を留めて連絡を待つ。10時過ぎには着くと思ったが、先方が到着したのは12時前。
山内主要各所は紅葉をめでる人や車ではや大混雑。そこで人・車も少ない女人堂から高野警察までの散策を楽しみ、昼食をとっていただき、壇上伽藍、奥之院、大門をご案内。
残念ながら奥之院から戻ってくる頃には霊宝館は閉館。橋本まで車でお送りし、こうや号で帰京の途につかれる。
ご満足いただけましたでしょうか。

紅葉は見ごろで非常に美しかったが、それどころではなかった一日。

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早め、早め

2017-11-6

過日の卒論指導。今年は例年になくスローペース。

「いいですか。必要な書籍は今、借りてください。後になって誰かが借りていたということではなかなか戻ってきません。」
(教員や院生が借りておれば3ヶ月や半年は返却されない)
「地元の図書館も早く借りてください。クリスマスを過ぎると、館内整理日で年始まで閉館します。うち(大学)の図書館も同じです。そうなってAmazonで入手しても 年始の配達はお休みです。万事休すです。やむなく留年してください」

ここまで言ってもまだ先のことだからと思う学生もいるので、頭が痛い・・・。

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霊木化現

2017-11-8

某所で調査。十一面観音立像と地蔵菩薩立像。

本尊は薬師如来坐像ながら、右手が肘から脱落。ちょっと痛々しい。
背後に回って移動できるかどうか考えたが、結局須弥壇から降ろさず、そのまま調査。

十一面観音立像は瞳を表わさない像。
言い伝えによると落雷の霹靂木で地元の仏師が造ったとの伝承。確かに背面にウロがある。井上正先生ならきっと喜んで調査されたはず。
2体だけなのだが、結局夕刻までかかって調査。

等身を超える像とはいえ、ちょっとスローじゃないかと真っ暗になった道をもどりつつ、家路を急ぐ。

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調査の旅

2017-11-11~12

中部地方の某町へ調査。共に依頼があったもの。

天文24年、椿井次郎作の聖観音立像。面部材は既に接合済だが、面部矧ぎ面に「多武峯寺平等院峯堂脇立」とある。
寺院が修験道関係なので、廃仏毀釈ではなく近世門主の峯入りに際して御礼として贈与されたのかも。

既に紹介済ながら椿井次郎の基準作になりえるものでやや興奮。
地元の指定にすればよいとは思うが、鎌倉時代ではない、地元の歴史と関係ないということで黙殺されている。実に惜しい。

翌日は、別寺での真宗阿弥陀如来立像。

康雲作以前の阿弥陀如来立像。こちらにとっても江戸初期の真宗阿弥陀如来立像を調査できるのは数少ない。慶長末年ごろの作品とみた。
螺髪も大きく、ちょっとカクカクした面相で、室町末期の雰囲気が残る。

像底の撮影をしていると、裙以下の部分と衲衣より上の部分に隙間がみえる。上下で分離するセパレートタイプの仏像。江戸初期でもこういう構造をするのかと。
指定にしてくれないかなと、調査後の現地説明で力説するもなぜセパレートタイプなのか、説明に苦慮。あかんか、やっぱり。
立ち会った教育委員会の方から報告書を求められる。

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またまた

2017-11-13

昨夜、帰宅してメールを開くと、徳島・某寺より「西田立慶」作十二神将があるとの由。写真も添えられ部屋の片隅に纏まって置かれている。本堂の工事でもしているのだろうか。写真には銘文が添えられていないが、破損した胎内にでも書かれてあるのだろうか。
文面からなんとなく来て見てほしい雰囲気。こちらも近世彫刻ゆえ大いに気になる。

夜中ながら手帳を取り出して、授業の隙間を見つけて返信。十二神像12体を調査するとなれば、たぶん1日がかり。

調査作品が先方からやってくる、ありがたい限りのお話である。

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木仏裏書

2017-11-15

過日、調査した近世作セパレートタイプの阿弥陀如来立像。

セパレートタイプはおおむね像内に納入品を納めるための処置である。大きな経巻や色々な品を納入する際、首枘の開口部では小さく、また仏像が完成(漆箔等の表面仕上げ)する前に納入品を揃えて製作に合わせて納入しないといけないが、セパレートタイプだと仏像完成後に納入品を納めることも可能。

真宗で仏像完成後に渡されるのは本山から「木仏裏書」しかない。
調べているうちに小島義博氏「木仏裏書の様式論」(『本願寺史料研究所報』21)を見つける。それによれば、『木仏之留』中の寛文2年の表題は「木仏御札中入之留」とあり裏書を像内に納入していたとされる。卓見なり。ところが実例となると心もとない。

大昔「(これまで35㎜正面1カットで済んだものを)いちいち仏壇から降ろして背面、足枘、像底の写真を撮らないといけないじゃないか」とかなり本気で怒られたこともある。
ましてそういうセパレートタイプになっていることに気づいた方は誰もいない。

調べているうちに東本願寺「御本尊木仏点検並びに御本尊木仏点検並びに御裏書願」のフォームを発見。ここに記して本山仏師講に頼もうかと思ったり。(願事礼金30000円(本山))

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薬湯

2017-11-17

ちかごろ、大阪でも朝夕は肌寒い。

女性陣が圧倒的に多い拙宅では寒い夜には、これがお風呂に投入。
法華寺(総国分尼寺)版と東大寺版(総国分寺)があるが、我が家は総国分尼寺版。

薬湯に浸かりながら、法華寺は光明皇后が病人の治療のために法華寺に建てた「からふろ」。
光明皇后は千人の民の汚れを拭うという願を立てたが、千人目の人は皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めた。意を決した皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという伝説ゆえに「薬湯」があるのはわかるが、なにゆえ東大寺が?と思う。正倉院に薬草や薬材があったから?もっと考えると、博多にも「薬院」の地名があるが・・・。

・・・のぼせてきた。
身体の芯まで温もるが、翌朝の電車のなかでも、若干ながら薬の香りが漂う。

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なんだか不思議

2017-11-18

伊丹中央公民館で講演。今月は伊丹市「文化財保護強調月間」。初心者向けということで、釈迦と阿弥陀のお話。

質疑応答で「お話とは関係ないですが、円空の魅力についてどう思われますか」。
む、むぅ・・・。
「円空仏は贋作が多く、とある博物館でも偽物を購入して問題になったことがある。そもそも江戸の人たちは円空仏を有難い、手を合わせて礼拝する仏像と思わなかったのではないでしょうか」と厳しい発言。

講演終了後、別室で仏像のスナップ写真と写真をみたK氏のコメントをみせられる。「特に問題ないです、コメントの通りだと思います」と。
こちらも実際に調査に来てほしいとの意向。了承するも年内は無理なので、年明けで日程調整をお願いする。
なんだか不思議な御縁が続いている。

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本づくり

2017-11-21

『神像彫刻重要資料集成』(西日本編)の再校を返却。

当初の刊行予定は6月。
再校のゲラは1頁2段組みの下段に2行ほどがかかる。余白として勿体ないので、なにか挿図でもあれば掲載できるのだがとの要望があり、挿図用の写真を探し出すと、本文に記述がないことが判明、本文に文章を加え、挿図用写真も添えて、返却。
念校が再び送られてくる由。

年内には刊行されることだろう。東日本編も執筆だが、まだ当分は時間はありそう。
本づくりはなにかと大変。

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山陰の神仏

2017-11-22~23

某宮司の紹介により、山陰某所で神像拝見。他言無用との由。

山陰の紅葉はほぼ終了。調査が終わって社殿から見る紅葉は、まるで一幅の絵画をみるようである。

翌日は足を延ばして「島根の仏像」展へ向かう。
雲伯地域(出雲・伯耆西部)は東北方言と共通する(松本清張『砂の器』)が、出雲の平安後期までの仏像は東北地方の仏像傾向に似ていないでもないとの印象をもつ。 やはり萬福寺と禅定寺の仏像群が出雲の平安前期仏像の基本をなすものかと。
平安後期の出雲の仏像は同時期の京都・奈良と仏像とあまり変わらない印象。

その後、出雲大社参拝。今年の神迎祭は11月27日。神在祭は12月4日まで。
八足門前で「隠れミッキー」とのたまう人あり。横の古代出雲歴史博物館に行けばと思うが、よくよく見ると現在の中軸線とはややずれている。「宇豆柱」の意味を改めて知る。なるほど・・・。

鳥取・島根の神仏はいつもながら考察するネタを与えてくれる。

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見学会

2017-11-26

日曜日午後、大阪市立美術館にて基礎ゼミの見学会。

集合時、受講生全員が参加。こちらがビビる。見学要項には、確か「コレクション展」と明記したはず(特別展はディズニー・アート展)。
慌ててレジュメをコンビニでコピー。

雑踏する1F(特別展)から2Fへ。
「物語×絵画」の部屋で、レジュメに沿いつつ土佐光孚《源氏物語図屏風》から《伊勢物語図屏風(業平東下り)》、今村紫江《業平東下り》、小西家資料《伊勢物語図団扇〈東下り〉》と展開しながら、物語(古典)と絵画との関係について解説。
気休めを兼ねて上田公長《蟹子復讐之図》や原在中《百鬼夜行絵巻》も。珍しい作品に鈴木松年《鞍馬僧正谷》や赤松麟作《翁》が展示。これも解説。

「物語×絵画」でほぼ90分を費やし「書画にあそぶ」「高僧のおもかげ-仏教美術-」は殆どスルー。永観堂禅林寺の高麗仏画《阿弥陀来迎図》についてはちょっと熱く語る。

明日の基礎ゼミは「大入袋」ではなく「お菓子」でも配るかなどと考えるほど、全員参加という事実に、正直驚きを隠せない。

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黒猫

2017-11-27

夏過ぎから家人がもらってきた黒猫(雑種)を飼っている。

夜中に足音もなく物置(書斎?)に来て、突然キーボードの上に乗って「頭部は耳後ろで前後矧ぎああああああああああ」という事態も時折発生。

飼ってみて、分かったことがある。
菱田春草《黒き猫》は柏の木に登る黒猫を描いているが、ちゃんと白い爪が描かれている。ところが竹久夢二《黒船屋》の猫は女性の左肩に前足を載せているが爪は描かれていない。菱田春草《柿に猫》も木から降りる後足は爪を立てているが、地面につく前足はよく見ないと黒い塊にみえてしまう。そういう点から見れば、竹内栖鳳《小春》《斑猫》はよく描けている作品と思う・・・
こらっ、本の表紙(布貼)で爪研ぐな!

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徳島・某寺

2017-11-27

早朝から徳島・某寺へ十二神将像(西田立慶作)の調査へうかがう。

本堂の傍らには等身大(170㎝)ほどの薬師如来立像。これまで誰も何も言われてこなかったらしい。

十二神将像の調査(銘記は台座に表札のように立ててあった。そこに「西田立慶」の刻銘)が終わり、薬師如来立像を拝見。
彫眼、寄木造。御顔は後世にやや彫り直しがあるものの、肉髻はお椀を伏せた形だし、断面紡錘形、衣文もまずまず。
少し打診すると内刳りはかなり大きい。

あれこれ見ながらも「近世ではこんなことはしない。ここの部分は江戸時代ではこうするはずだが・・・」と近世作全否定。平安時代後期(12世紀末~13世紀初)とみていいと思いながらも戸惑う。
結局、薬師如来像を除く全仏像(江戸)を調査。

調査道具を片付けていると、5時のサイレンが鳴り響く。外はすでに夜のとばり。

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