研究テーマ
大学院修士課程: フォー カシングの初心者にフェルトセンスが分からない、感じられない、という人が多かった。(今はフォーカシングを学ぶ本もワークショップも沢山あるので、分 からないという人はいないのかもしれない)。そこで、フォーカサーに対するリスナーの関わり方、具体的にはどのような言葉をはさむかによって、フェルトセ ンスの把握がよくなることを、体験過程スケールを使って証明したのが修士論文。
大学院博士後期課程: ちょうど修士課程の後半からある精神科の病院にh常勤で心理士として働き始めていた。修士論文の研究を進めながら、一方で病院臨床で試行錯誤していた。博 士後期課程の入試に失敗して一年間留年したがその間も長期に入院している統合失調症の方やアルコール依存症の方中心のその病院で心理療法を続けた。心理に 理解のある院長先生だった。今、どうなさっておられるかなあ。ある時から幻聴に長く苦しむ患者さんたち何名かにフォーカシングをやってみると、そのためか どうか、幻聴が聞こえなくなった方がおられた。それは事例研究としてまとめている。
博士後期課程に進学後はしばらく、焦点が1つに絞られてなく て、何をやっていたのかはっきりしない。心理面接で親子平衡面接で親面接を担当することが多くなったのもあって、親面接についてだいぶ学んだ。フォーカシ ングも続けていたが、患者さんやフォーカサーの中で何が起こっているのかその現象に近づきたいと思うようになった。現象学哲学の本を読もうとしたが難解で 歯が立たなかった。しかし、今でも現象に近づきたい、という姿勢があって、それは自分の心理臨床の支えになっているように思う。
学部時代から村 山研究室に所属していたこともあってエンカウンターグループにはメンバーとして参加していたが、修士課程を終わった頃から更に熱心になりワークショップに 色々参加した。エンカウンター以外のゲシュタルトのワークショップなどにも参加した。博士後期課程では村山先生と野島先生のお2人それぞれにファシリテー ターとして主に看護学校のエンカウンターグループに参加するよう誘われることが多くなった。村山先生の場合は構成型で、野島一彦先生(当時、福岡大学教 授)の場合は非構成型のことが多かった。結局、野島先生に連れて行っていただいたエンカウンターグループでのファシリテーター経験をもとにファシリテー ションについての研究をするようになる。これが最終的に学位論文のテーマになった。
東亜大学時代: 東亜大学は下関市内にある大学だが、その前に、5年間は同じ市内の下関市立大学で働いていた。市立大学は心理学の学部がある訳ではなかったが、ちょこちょ こと心理的な相談を受けていた。当時は臨床心理士の数も少なかった(今はかなり増えているだろうとおもう)。東亜大学に移ってからは当時、東京からお見え になっていた上里一郎先生や馬場禮子先生から「中田さん、下関市にはクライエントが集まるかな?」と何度か尋ねられた。自分はそれまでの経験から、「広報 がうまくいけば集まると思いますよ」とお返事したことを覚えている。臨床心理士の指定校としてクライエントの集まる心理クリニックの設置が大きな課題だっ た。ところが、広報を始めてもなかなか相談が来なかった。広報を院生も手分けしてやった。しかし、なかなか集まらなかった。すると隣の研究室にいた下川昭 夫先生が「中田さん、ここはクライエントが来談する地域じゃないってことだよ」と言われた。はっと思った。そうだと思った。来談して相談するという形態自 体を当然のこととして疑ったことがなかったが、考えてみると、相談したいことはあってもカウンセリングを受けに行く、ということがはばかられる、というこ とがあるはずだ、と思った。
それから下川先生に誘われて地域にアウトリーチで出て行って行う心理的支援を始めた。下川先生はアウトリーチ型支援 に関心を持ち、地域では下川先生に支えられながらの地域臨床が始まった。当時のことは以前のホームページに次のように書いている。下川先生は、東京(首都 大学東京)に戻られた今でもコミュニティ臨床という形でそれを続けている。自分は地域による心理的援助の違いのほうに関心があった。同じ不登校でも山村で の不登校と都会での不登校では随分中身が違うんじゃないか、つまり病理にも地域の違いがあるだろうし、支援の仕方も地域の違いがあって当然だと思うように なった。地域差にかんする研究はThe Therapeutic Relationship (PCCS Books)という本の中にまとめた。たまたま、そういう論考が欲しい、という依頼が来たためだ。
関西大学(現在): 関西大学では初めの3年は大学院の担当は文学研究科であった。当時、関西大学には臨床心理学をまなぶ大学院の専攻が社会学研究科と文学研究科 にあった。前者が臨床心理士の指定校だった。自分はその後者の担当だったので、臨床心理士養成ではなく自由に心理的支援を考える授業を院生らとやってい た。串崎真志先生(関西大学)と地域実践心理学、地域実践心理学(実践編)と いう本を出したのはその頃だ。院生は資格がとれないことをどこか気にしながらも、自由で熱を帯びた議論をやっていた。自分自身楽しかった。社会学研究科の ほうの授業を少しずつ担当するようになり、そして2009年に両者が合併して専門職大学院が始まると学生のスーパービジョンを担当することになった(教員 の多くが担当する)。教えてみると学生はロジャーズの必要十分条件を少なくとも学部で学び、大学院入試のためにもしっかり勉強していると思っていたのに、 どうも違うらしいと思うようになる。東亜大学の臨床心理士指定校での指導も同じことを感じていたが、関西大学ではより強くそれを感じた。そのうちに、それ が自分の現在の主要研究テーマになっている。
研究業績:
1984 |
クリアリングスペ-スについての生理学的研究, 中田行重,村山正治, 九州大学教育学部紀要(教育心理学部門), 査読なし, 共著,
29/1,109-115, 1984 |
1986 |
フェルトセンス形成におけるHandle-Giving, 中田行重,村山正治, 九州大学教育学部紀要(教育心理学部門), 査読なし, 共著,
31/1,65-72, 1986 |
1987 |
幻聴体験のフオ-カシング的言語化の試み -ある分裂病者の事例より, 中田行重,村山正治, 九州大学教育学部紀要(教育心理学部門), 査読なし,
31/2,57-66, 1987 |
1989 |
単独母親面接の三事例, 中田 行重, 九州大学心理臨床研究, 査読なし, 単著,
8/,93-101, 1989 |
1991 |
心理学における新たなるパラダイム -事例研究の視点より-, 中田行重, 人間性心理学研究, 査読あり, 単著, 9/,106-112, 1991 |
アメリカの臨床心理学のPh.D.プログラム -University of Southern
Mississippi-, 中田行重, 九州大学心理臨床研究, 査読なし, 単著,
10/,121-128, 1991 |
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ジェンドリンとの対話-セミナ-でのQ&Aから, 村山正治編「フォ-カシングセミナ-」第6章、福村出版, /,34-35, 1991 |
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1992 |
エンカウンタ-グル-プの研究と実際, 中田行重, 人間性心理学研究, 査読なし, 単著, 10/1,25-29, 1992 |
Handle-Giving法のフォ-カシングへの適用, 中田行重, 九州大学教育学部紀要(教育心理学部門), 査読なし, 単著, 37/1,21-29, 1992 |
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1993 |
エンカウンタ-グル-プのファシリテ-ションについての-考察 -看護学校の一事例を通して-,
中田行重, 心理臨床学研究, 査読あり, 単著, 10/3,53-64, 1993 |
強迫神経症の女性の症例, 中田行重, 九州大学心理臨床研究, 査読なし, 単著,
12/,51-54, 1993 |
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精神病が疑われるクライエントとの対応, 中田 行重,金坂弥起, 九州大学心理臨床研究, 査読なし, 共著,
12/,51-54, 1993 |
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1994 |
部屋にとじこもったまま、全く喋らなくなった青年期男子の母親との面積, 中田行重, 九州大学心理臨床研究, 査読なし, 単著,
13/,53-61, 1994 |
研修型エンカウンタ-・グル-プにおける困難とファシリテ-ションについて考える, 中田行重,平山栄治,永野浩二,坂中正義, 九州大学心理臨床研究,
査読なし, 共著, 13/,122-124, 1994 |
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エンカウンタ-・グル-プにおけるファシリテ-タ-の立場の問題について, 中田行重,村山正治, 九州大学教育学部紀要(教育心理学部門), 査読なし, 共著,
38/2,95-101, 1994 |
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1995 |
Fukuoka Human Relations Community : A Network Approach to
Developing Human Potential, 中田行重,Murayama Shoji,
Journal of Humanistic Psychology, 査読あり, 共著, 13/1, 1995 |
不登校の高校生男子の事例 -自分にとって正しいと思えることをやっていけるといいね-, 中田行重, 九州大学心理臨床研究, 査読なし,
単著, 14/,11-18, 1995 |
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1つのエンカウンタ-・グル-プにおける個々のメンバ-間での体験の相違について, 中田行重, 下関市立大学論集, 査読なし, 単著, 38/3,87-106, 1995 |
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1996 |
エンカウンター・グループにおけるセッション外体験の意義 -3事例を通して-, 中田行重,
人間性心理学研究, 査読あり, 14/1,39-49,
1996 |
1999 |
体験過程スケール, 中田行重, 現代のエスプリ(至文堂), 382/,50-60, 1999 |
「パーソンセンタード・アプローチ」より第7章『研修型エンカウンター・グループに固有の意義はあるか』, 中田行重, ナカニシヤ出版, 査読なし, 単著, 1999 |
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「生活に活かす心理学 -体験と自己発見」より第4章『自分らしさのなりたち』, 中田行重, ナカニシヤ出版,
1999 |
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研修型エンカウンター・グループにおけるファシリテーション -逸楽行動への対応を中心にして-, 中田行重, 人間性心理学研究, 査読あり,
17(1)/30-44, 1999 |
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研修型エンカウンター・グループ・プロセスにおける逸楽行動の生起の仕方, 中田行重, 下関市立大学論集,
査読なし, 42/3,91-108, 1999 |
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下関市立大学における学生相談の在り方の検討, 中田行重, 査読なし,
9/,25-34, 1999 |
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2000 |
第5回クライエントセンタードおよび体験過程療法国際会議の参加報告, 中田行重, 人間性心理学研究, 査読なし,
18/1,58-63, 2000 |
2001 |
臨床心理学の体験的教育としてのエンカウンターグループ-大学生の対人関係の促進効果もふまえて-(共著), 中田行重, 東亜大学 総合人間・文化学部紀要 総合人間科学, 査読なし, 1/1,81-91, 2001 |
臨床心理学における人間観(共著), 中田行重, 東亜大学
総合人間・文化学部紀要 総合人間科学, 査読なし, 1/1,47-54,
2001 |
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大学生の仲間づくりに対する支援の試み(2)(共著), 中田行重, 東亜大学大学院臨床心理相談研究センター紀要
心理臨床研究, 1/,53-62, 2001 |
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ファシリテーターの否定的自己開示, 中田行重, 心理臨床学研究, 査読あり, 19/3,209-219, 2001 |
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研修型エンカウンター・グループにおける問題意識性を目標とするファシリテーション, 中田行重, 学位論文、東亜大学,
査読あり, 単著, 2001 |
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2002 |
フォーカシングにおけるリスナーのファンクショナル・モデルの提示, 中田行重, 心理臨床学研究, 査読あり, 単著, 19/6,619-630, 2002 |
生活に活かす心理学 Ver.2「第5章 自分らしさのなりたち」, 中田行重, ナカニシヤ出版, 査読なし,
39-51, 2002 |
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特集「学問と社会の接点」について, 中田行重, 東亜大学 総合人間・文化学部紀要 総合人間科学, 査読なし, 単著, 2/1、1−3, 2002 |
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2003 |
コミュニティ・アプローチ特論「第4章 エンカウンター・グループによる不登校児への親のグループ」, 中田行重, 日本放送大学出版会,
査読なし, 47−58, 2003 |
コミュニティ・アプローチ特論「第7章 キャンパスにおけるコミュニティアプローチの展開」, 中田行重, 日本放送大学出版会,
査読なし, 89−100, 2003 |
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村山正治(編著)現代のエスプリ[別冊]ロジャーズ学派の現在より座談会「ロジャーズ学派の現在と今後の発展を探る」, 中田行重, 現代のエスプリ[別冊], 査読なし, 16-43, 2003 |
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村山正治(編著)現代のエスプリ[別冊]ロジャーズ学派の現在より「技法論とセラピスト個人の距離感について」, 中田行重, 現代のエスプリ[別冊], 査読なし, 166-174, 2003 |
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臨床心理学の教育, 中田行重, 東亜大学 総合人間・文化学部紀要 総合人間科学, 査読なし, 共著, 3,33−38, 2003 |
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臨床心理基礎実習の1つのモデル, 中田行重,下川昭夫,村山正治,馬場禮子,中田肇子,萩谷克子, 東亜大学大学院臨床心理相談研究センター紀要 心理臨床研究, 査読なし, 共著, 3,49-53,
2003 |
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大学生を対象とした構成型エンカウンターグループの効果測定 −セッションアンケートの自由記述と魅力度の評価から−, 中田行重,宮崎保成,下川昭夫,川島正裕,末續貴子,廣住由紀子, 東亜大学大学院臨床心理相談研究センター 心理臨床研究, 査読なし, 3,1-8, 2003 |
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臨床心理学専攻学部生へのエンカウンターグループのファシリテーター体験, 中田行重,宮崎保成,末續貴子,白井祐浩,尾崎典子,小林純子,下川昭夫,更科友美,村山正治, 東亜大学臨床心理学研究, 2/1,91-104, 2003 |
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フォーカシングの教え方についての試論, 中田行重, 東亜臨床心理学研究,
査読なし, 2/1,51-59, 2003 |
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臨床心理学専攻の学部生にとってのファシリテーター体験, 中田行重,下川昭夫,更科友美,三好謙一,市野瀬かの子,新冨美南子,内田優輔,栗林美和子, 東亜大学
総合人間・文化学部紀要 総合人間科学, 査読なし, 共著, 3/, 85-96, 2003 |
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人間性心理学研究における人間的側面の探索の試み, 中田行重, 人間性心理学研究,
査読なし, 単著, 21巻 2号, 2003 |
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2004 |
臨床心理学のゼミ運営を促進する1つの方法としてのエンカウンター・グループ −その可能性についての検討−, 中田行重, 関西大学 文学論集, 査読なし,
単著, 53巻4号, 2004 |
スーパーバイジーの仕事, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 査読なし, 単著, 5号, 2004 |
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パーソンセンタード・アプローチの視点からみた地域臨床, 中田行重, 教育科学セミナリー,
査読なし, 単著, 35号, 2004 |
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地域の教育支援ー教育・福祉・行政と大学との連携ー, 中田行重, 平成16年度文部科学省学術フロンティア研究成果報告書(関西大学大学院社会学研究科), 査読なし, 単著, 41−44, 2004 |
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パーソンセンタード・アプローチの視点からみた地域臨床, 中田行重, 教育科学セミナリー(関西大学教育学会), 査読なし, 単著,
35,49-54, 2004 |
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2005 |
地域実践心理学 −支えあいの臨床心理学へ向けてー, 中田行重,串崎真志, ナカニシヤ出版, 共著, 2005 |
マンガで学ぶフォーカシング入門, 中田行重,村山正治,福盛英明,森川友子
ほか, 誠信書房, 共著, 2005 |
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ロジャーズ学派内の現状と課題 −G. Lietaer教授との対話を通じて−, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 査読なし, 6号, 2005 |
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テーマプロジェクト「地域実践心理学」開始に向けて, 中田行重,串崎真志, 関西大学文学会, 査読なし, 共著, 54(4),
2005 |
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問題意識性を目標とするファシリテーション −研修型エンカウンター・グループの視点−, 中田行重, 査読なし, 単著, 2005 |
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2006 |
日本人に合った対人支援の方法を求めて―文化風土的心理療法の試論, 中田行重, 平成17年度文部科学省学術フロンティア研究成果報告書(関西大学大学院社会学研究科), 35,41-44, 2006 |
相談施設の特長による心理面接への影響―特集を企画するにあたって―, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 7,1-3, 2006 |
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セラピストが研修としてセラピイを受けることについて―あるロジャーズ派の視点―, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 7,45-52, 2006 |
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テーマプロジェクト「地域実践心理学」−この1年の経過報告, 中田行重, 関西大学文学論叢, 55(4),101-109, 2006 |
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研究論文で学ぶ臨床心理学, 串崎真志,中田行重, ナカニシヤ出版, 2006 |
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地域実践心理学【実践編】, 串崎真志,中田行重, ナカニシヤ出版, 2006 |
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2007 |
地域臨床の背景にある問題意識と訓練について, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 9,15-24, 2007 |
2008 |
教育現場への学生ボランティアの活用 −成功事例からの考察−, 中田行重, 平成19年度文部科学省学術フロンティア研究成果報告書(関西大学大学院社会学研究科), 87-100, 2008 |
Non European Persopective, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 10,51-60, 2008 |
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Japanese Perspective, 中田行重, PCCS Books,
Ross-on-Wye, UK, 156-167, 2008 |
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2009 |
We-Feeling for the Japanese, 中田行重, 査読なし, 単著, 2009 |
Tasks of Person-Centered and Experential Practitioner, 中田行重, 関西大学心理相談室紀要, 11,21-32, 2009 |
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吹田市教育委員会との連携による教育臨床ボランティアシステムの展開, 中田行重, 平成18年度文部科学省学術フロンティア研究成果報告書(関西大学大学院社会学研究科), 41-52, 2009 |
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"We-feeling" for the Japanese, 査読あり, 単著, 153-157, 2009 |
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2010 |
不安と抑うつの心理学的理解と援助(安藤・加戸・眞田編著『子どもの発達障害・適応障害とメンタルヘルス)19章), 中田行重, ミネルヴァ書房, 161-170, 2010 |
2011 |
大学における心理臨床相談施設の責任, 中田行重, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2,i-ii, 2011 |
病的賭博者への大学付属心理相談機関による援助, 中田行重, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2,35-36, 2011 |
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ある病的賭博者へのカウンセリング過程, 松田多依子,中田行重, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2,45-54, 2011 |
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ある病的賭博者の母親へのカウンセリング過程, 梅田敦子,中田行重, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2,55-62, 2011 |
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ある病的賭博者に個人カウンセリングと当事者研究サポート・グループを組み合わせた事例の検討, 押江隆,中田行重,池上麻未,杉村 美佳,福山侑希, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2,63-72, 2011 |
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わが国におけるアディクション臨床の現在についての文献研究, 中田行重, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2,73-80, 2011 |
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管理職のための産業心理臨床の新しい試み―PCAGIP法を用いた体験的講習―, 中田行重,菅野百合子,越川陽介,佐藤春奈, 関西大学心理臨床カウンセリングルーム紀要, 2.101-108, 2011 |
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青年期における「生き方要因尺度」作成の試み, 松本梨加,中田行重, 査読なし, 共著, 2011 |
地域実践心理学
関西大学文学部総合人文学科教育学専修の心理コースでは2005年度からテーマプロジェクト「地域実践心理学」が始まります。
地域実践心理学は本学の串崎真志先生と私とが中心となって行っている、従来の臨床心理学を基礎とした新たな心理学です。地域実践心理学のプロジェクト講義演習などについては串崎先生が担当しています。
臨床心理学は大きく、心理的援助と心理査定の2つの面に分かれます。このうち、心理的援助については、従来、個人心理療法(日本では心理カウンセリ
ングとほぼ同義)や集団心理療法(グループアプローチ)を中心に発展してきました。また、扱う対象という点では、個人や集団に加え、20年ほど前くらいか
ら日本でも家族も含まれるようになり、家族療法という援助理論も既に根をはっています。
では、私たちが何故、個人でも集団でも、家族でもなく、地域に注目するようになったのか?私はこの点について平成16年(2004)10月1日に、関西大学と吹田市が連携して行う吹田市民講座でお話する機会をいただきました。その時の話の要旨を以下に載せておきます。
以前勤務していた大学で私は臨床心理士の養成コースを担当していた。臨床心理士の養成コースとして認可を受けるためには、そのコースは地域のための 実際の外来カウンセリングサービスを行うための、心理相談センター(クリニック)をもつ必要がある。単に建物をもっているだけでなく、ある程度以上の数の 相談者(クライアント)が来なければならない。ところが、養成コースを立ち上げたばかりのその大学では、思ったほどにクライアントが来なかった。私たち教 員は、この地域に心理臨床的なニーズ、つまり心理カウンセリングの適用と思われるケースが沢山あることを知っていた。そして、そうしたケースに該当する人 たちがカウンセリングを望んでいることもある程度知っていた。それなのに、クライアントが来ない。「これでは養成コースの指定を取り消されかねない」とい う危機感から、私たち教員は同じ市内だけでなく、近隣の市町村にまでかなりのPR活動を行わざるを得なかった。
「何故だろう?」と私たち教員は考えた。そして、何人かの来談したクライエントとのやり取りの中から、理由が見えてきた。「何故だろう?」と考えた 割には、出てきた答は意外に簡単なことであった。つまり、「心理カウンセリングを受けるなんて恥ずかしいことだ」「人に心理相談をすることは、お金を払っ てするようなことではない」という考えが、この地域にかなり広く根を張っているらしい、ということであった。これが、「地域実践心理学」という発想の始ま りである。
私は学部生から大学院生、助手、研究生と長いこと九州大学(九大)で臨床心理学を学んだ。九州大学にも心理相談センター(心理教育相談室と言ってい た)があって、相談にやってくる地域の人たちに対して大学院生や教員がカウンセリングを行っていた。そこでは毎週、少なくとも3〜5ケースの新規の相談申 し込みがあったように記憶している。多いときには10近いケースが舞い込んで来ることもあった。そういう場で心理カウンセリングを学んだ者としては、心理 相談センターを開設すれば地域にカウンセリングのニーズがある限りクライアントは来る、と考えるのが当たり前になっていた。私と同僚だった他の3人の先生 方(そこには村山正治先生や馬場禮子先生というスーパースターもいたのだが)も、当然クライアントは来る、と思っていた。ところが、なかなか来ない。
私たち教員は地域の教育委員会や現場の先生方と接触する機会を持つごとに地域の心理的な問題について尋ねた。そして、心理相談として来談しておかし くないケースがこの地域に確かに沢山あって、それこそ教育委員会も現場の先生方もその対応に苦労されていることを知った。そうしたコネの開拓などによっ て、少しずつクライアントが相談にお見えになるようにはなったが、どうもこうした来談形式の相談はこの地域に合わないらしい、という思いが次第に強まって きた。そして、ある時から発想を転換し、こちらから現場に出て行くことを考えるようになった。私の隣の研究室にいた下川昭夫先生(現、首都大学東京)が中 心になって、地域の児童養護施設、学童保育、保育・幼稚園、学校、養護学校などに、院生を派遣するようになった。そのことによって、私のいた大学は地域で の心理臨床の大学として認められるようになった。
考え方のこの変化は当たり前のように見えて、実は大変な大きなことである。心理療法はフロイトが精神分析を100年以上も前に始めた頃から、クライ アントの相手をするのはカウンセラー(心理療法家)のオフィスであった。それ以後、ずっとそのことは当然のこととして考えられてきている。現在の日本の臨 床心理士の教育でも、心理カウンセリングとはカウンセラーのいるオフィスに行って相談する(これを来談という)という昔からの形態が想定されている。
ところが、実際に大学の外の現場に行くようになると、来談形式の心理臨床では見えなかったものが見えてきた。では何が見えたかというと、至極当たり 前のことであるが地域の雰囲気である。例えば2つの「不登校」のケースを考える時、言葉は同じ「不登校」であっても、学区の雰囲気や学校の雰囲気というも のが随分と違う。そう考えてみると、東京弁の地域での不登校児と、関西弁の地域での不登校児では、その子の感じ方も、その子を取り巻く人的環境も違うだろ う。同じ県内でも、県庁所在地のある町での不登校と離島での不登校では違うだろう。カウンセリングを受けに行くことに抵抗の少ない地域での「不登校」と抵 抗の多い地域での「不登校」では、やはり同じ不登校にも違いがあるだろう。もちろん、あらゆるケースは、たとえ症状や病名が同じであっても、全て個々の特 徴があり、その意味で全て異なっている。そのことは従来の心理療法論でも言われていた。しかし、地域の違いについては余り言われてなかった。
更に原因論としてだけでなく、援助論として考えてゆく場合も、地域の雰囲気の違いを考慮することは重要である。今年の5月、私はベルギーの大学に短 期間ではあるが出張する機会を得た。そこで、臨床心理学の先生と色々な議論をする機会があった。私は日本で「引きこもり」が問題になっていることを話し た。すると、その先生は「親は何も言わないのか?」「私が親だったら、『学校に行かないのは構わないが家にこのようにずっといるのは許さない』と言って、 子どもに対決の姿勢で臨む」とおっしゃった。この話を聞くと、親が対決すれば引きこもりなど起こるはずがない、という前提をあちらの先生がもっていること が分かる。ということは、引きこもりの原因が日本の風土と何かしら関係していることが見えてくる。また、引きこもりがたとえベルギーで起こったとしても、 そこからの回復に際して、父親の力が確立されているということが何らかの援助になることが期待される。
このような地域が持っている力はもうわが国には残ってないのだろうか。もし、残っているのであれば、大事にする必要があるだろう。残っていないので あれば、それを作り出していく必要があるだろう。作り出すにしても、やはり、日本に合ったものでなければ定着しないであろう。もっと言えば、その地域の風 土、雰囲気に合ったものでなければ定着しないであろう。
では、日本独自の風土、雰囲気とはどんなものだろう? と考えてみる。日本人、特に若い人が米国にあこがれ、米国に留学して個人主義的な生き方をし ようとしている。しかし、講義の時間を見てみると、積極的に質問したりする学生は殆どいない。米国では質問するのが当たり前である。そういう日本で質問す るようになるのは、小さな講義で、それも、そこにいる人が自分の仲間であるような場合にである。それも全てが質問するのではなく、一部の学生である。他人 がいると質問できないという、この日本人独自の雰囲気が分からない人は日本人としては不適応状態に陥ることになる。また、個人主義的な生き方を目指してい るような人でも日本語を話す時には、やはり日本語の特徴である「私は」という言い方を省く言い方をする。「私は」という部分を省くのは語法だとか文法の テーマから論ずることも出来るのかもしれないが、そこに、もう1つ、「私は」という言い方を省く方が日本社会では滑らかである、という感覚的なものが大き く横たわっている。「私は」「私は」〜と言っているといつも自己主張しているようで、うまくいかない社会であって、それは相当に個人主義的な生き方をして も、その日本語を変えるまでには至っていないのである。つまり、日本という国は、「私」よりも、集まっている人の全体の雰囲気を大事にする、という感覚が 抜きがたく横たわっている国である。
ところが、わが国の心理臨床の理論はわずかな例外を除くと圧倒的に欧米からの輸入物であって、それをわが国に適用しようとしてきた。その1つが冒頭 に書いた、来談という相談形式である。しかし、集団の雰囲気を壊さないことを大事にする日本において、「私」を主張する欧米の理論、それも心理療法という 人間関係の理論が、日本人に本当に合った心理的援助法であると言えるだろうか。
上に述べた「引きこもり」のように、欧米の感覚ではどうにもならない日本独自の問題が、今や数多く出てきている。それに対して欧米の考え方をただ適 用するのでは、うまくいかないこともあるだろう。今まで輸入してきた沢山の考え方を基にして今度は日本独自の援助の在り方を考えてゆく時が来ているのでは ないか。更に、この日本という国単位で考えるのではなく、上に書いたように、それぞれの地域がもっている特性という視点から援助の在り方を考える必要があ る。
もちろん、既にそれぞれの地域で色々な施設や機関での多くの対人支援が行われている。しかし、それらはそれぞれの施設・機関の中だけでのことであっ て、この地域、吹田市や北大阪、関西などという地域がどのような特性を持ち、それをどう活かして援助しているかの、統合的な視野を得ることが出来れば、そ れぞれの機関での援助活動にも一層の効果があるのではないか。東京のやり方や海外からの借り物の理論をこの地域に押し付けるのではなく、この地域に合った ものや人を作り出すことが出来るのではないか。
地域実践心理学は、関西大学文学部がこの地域の機関のネットワークの拠点となって、地域の特徴、や地域のもつ力についてのデータを収集して、この地域の対人援助や人の成長に還元していくという教育心理的、社会福祉的な面を併せ持った臨床心理学の新しい分野である。