Part25

トップページに戻る

KSつらつら通信・ジャンル別テーマ一覧」へ

過去の「KSつらつら通信」

メールはこちらへ:katagiri@kansai-u.ac.jp

<目次>

第959 立憲民主党が3したが、、、(2024.4.28)

第958号 最近書けない理由(2024.4.27)

第957号 いくらドラマとはいえ、、、(2024.3.28)

第956号 令和6年春場所総括というより今後を占う(2024.3.24)

第955号 萌え、キュン、エモい(2024.3.18)

第954号 不公平(2024.3.14)

第953号 哀悼・鳥山明(2024.3.9)

第952号 青春してますか?(2024.3.6)

第951号 相撲協会は白鵬に厳しすぎる(2024.3.3)

第950号 大谷結婚発表に思うこと(2024.3.2)【追記(2024.3.15)】

第949号 手紙は貴重な思い出(2024.2.14)

第948号 やはりコロナだったと確信する(2024.2.5)

第947号 セックス、恋愛、結婚を歴史的に考察する(2024.2.4)

第946号 恵方巻(2024.2.3)

第945号 令和6年初場所総括(2024.1.29)

第944号 知的能力が低下する大学生(2024.1.26)

第943号 トランプを再び大統領にしようというアメリカ国民は信じられるのか?(2024.1.25)

第942号 「三無主義」(2024.1.24)[追記(2024.1.25)]

第941号 アジアカップ・イラク戦(2024.1.21)

第940号 派閥解散?(2024.1.19)

第939号 楽しかった!(2024.1.14)

第938号 LINE未読が嫌い(2024.1.10)

第937号 今年の大河ドラマへの期待(2024.1.8)

第936号 コロナだったかもしれない体験記(2024.1.5)

第935号 2024年波乱の幕開け(2024.1.2)

959号(2024.4.28)立憲民主党が3勝したが、、、

 本日の衆議院補選で立憲民主党がすべて勝ちました。最近10年間くらいしか記憶にない人には驚きの結果でしょうが、今回の結果は予想通りで驚く結果ではないし、立憲民主党が2009年の民主党のように次の衆議院選挙で政権交代ができるほどの人気になっているわけでもないということはきちんと認識しておくべきです。

 自民党vs.立憲民主党という与野党対決になった島根1区は保守の堅い地盤ですが、今の自民党にはお灸をすえるべきと考える人が多かった上に、立憲民主党の女性候補者はもともと父親が自民党の代議士だった人ですから、保守層にとっても受け入れやすかったので勝利は当然でした。

 長崎3区は、立憲民主党vs.日本維新の会の対決でしたが、関西――特に大阪――圏から離れたら、維新の会は人気がありません。コロナで大変だった時期に、吉村大阪府知事がやや全国区になり好印象を与えましたが、もうその記憶は大阪以外では薄れています。むしろ、最近はうまく進まない大阪万博の責任者ということで、評価は落ちています。さらに、大阪臭がつきまとう日本維新の会は他地域では敬遠されることの方が多いのです。なので、長崎の有権者は特に立憲民主党が好きでなくとも、消去法で立憲民主党に1票を入れざるをえなかったわけです。

 そして9人も候補者が乱立した東京15区ですが、ここは小池百合子の戦略ミスで、立憲民主党の勝ちが決まったようなものでした。他地域以上に東京では人気のない日本維新の会の候補が勝つことは絶対ありえませんし、その他の諸派や無所属に勝ち目など最初からありませんでした。唯一勝つ可能性があったのは小池百合子率いる都民ファーストの会が適切な候補者を出して、陰ながら自民党も公明党も応援するという形だったはずですが、乙武洋匡では無理です。彼には、複数の女性との性行為のイメージが強くつきすぎています。女性票が逃げてしまいます。なぜ彼を候補者にしたのか、小池百合子の戦略がよくわかりません。また、共産党が候補者を下ろし、実質的に立憲民主党の候補者の応援に回ったのも大きかったと思います。投票日が来る前に、立憲民主党の勝ちは決まっていました。

 さて、3勝もした立憲民主党は今浮かれていると思います。確かに、今回の選挙結果を受けて立憲民主党から立候補してもいいかなと考える人は増えて小選挙区の候補者数はかなり増えるでしょう。それでも全選挙区に候補者を立てられるところまでとうてい行かないでしょうし、野党が分裂して何人も候補者を立てたら、結局自公候補者が勝つことになるでしょう。2009年の時のように、立憲民主党単独で議席の過半数を取れるような状況ではまったくありません。

しかし、ちょっとだけですが面白くなったのは確かです。今年中に行われるであろう衆議院選挙でも有権者が今の気持ちを持ち続けて、自民党に一度お灸を据えようと思って投票したら自民議席の大幅減という事態は起きそうです。野党が候補者調整をしたら、自公で過半数に届かないということもありえなくはないですが、政治信条のバラバラな野党がまとまれる可能性の方が低いので、もしも自公で過半数割れしたら、維新の会が連立政権に入り、「自公維」政権ができるのではないでしょうか。

最後に、今速報で、今回の補選は、3選挙区ともに過去最低の投票率だったと流れてきました。GWの真っ最中ということもありますが、こんなひどい政治に対して自分の意志を1票で示そうという気持ちを持つ有権者が少ないことに、やはり日本の政治の最大の問題点があると思いました。こんなに政治関心の低い有権者たちでは、まっとうな民主主義はできません。なんともならないですね、日本人。

958号(2024.4.27)最近書けない理由

 ごくわずかでしょうが、この「つらつら通信」の更新を楽しみにしていてくれる人たちは、「先生、最近まったくつらつら通信を更新しないなあ」とがっかりしていることと思います。なので、今日はなぜ書けないのかについて書いてみます。

 特に書けていないのが、社会的テーマですよね。これまでに書いた今年の23本もスポーツ関連とか私的な思い出話とかでお茶を濁していますよね。社会的テーマを書けないのには以下のような理由があると思っています。ひとつには、あまり興味を惹かれるニュースが少ないこと。自民党の裏金問題のニュースも長くやっていますが、何を今更という感じで、特に分析したくなりません。政権交代のない政治であれば、政権党に金が集まるのは当たり前です。ちゃんと二大政党にしようという民主主義の主権者としての自覚のない、安定ばかりを求めてきた有権者の罪です。岸田首相も毎日顔を見ますし、なんの魅力もないですが、厳しく批判したくなるほどのパフォーマンスもなく、彼について書きたいという意欲が湧きません。スポーツニュースも大谷ばかり。一体、誰が大谷の打球速度なんかに関心があるのでしょうか?

 次に、多少このニュースは面白いなと思っても、大体前に同じようなテーマで書いてしまっています。最近なら、夏の高校野球が中途半端な二部制を導入するなんて話はツッコミどころ満載ですが、夏の高校野球をどうすべきかについては「第339号 夏の甲子園への疑問(2009.8.5)」で書いています。他にも、このテーマは語りたいけどと思っても、かなりのテーマについてすでに書いてしまっています。もう950本以上書いていますからね。

そして、一番のネックは、世の中の空気がおかしすぎることです。「いやいや、それは変だろ」とツッコミを入れたくなることがマスメディアで紹介されたりしていますが、「多様性を認めよう!」という「金科玉条」の下、水戸黄門の印籠が出された時のように、みんな「ははあ!」となってしまっています。おかしいよと言いたい気持ちがふつふつと湧いてくるし、かつてなら書いていたのですが、最近の空気は、こんな地味なHPにすら書きにくいという気持ちさせられています。具体例を書くと批判されそうなのでやめておきますが、最後に一言だけ。「多様性が社会を滅ぼす。」 解釈はご自由に。

957号(2024.3.28)いくらドラマとはいえ、、、

 「大奥」というフジテレビ系で今クール放送されていたテレビドラマを見ていた人はほとんどいないと思いますが、あまりに歴史改ざんがひどすぎたので、いくらなんでもここまでいい加減なものを作っていいのかと一言書きたくなりました。歴史的事実をベースにした時代劇はもちろんわからないこともたくさんあるので、そういう部分に関しては、創り手の解釈がかなり自由になされてもいいところです。しかし、事実としてわかっていることがあるのに、それを無視して物語を創るのは、少数と言えどもこのドラマをそれなりに事実に基づいているのだろうと思って見ている人もいるはずですから、間違った知識を持たせることになり問題です。それは、いくらフィクションの部分が入り込まざるを得ない時代劇でもやってはいけないことだと思います。

 このドラマが如何に歴史的事実を無視して作られていたかをいくつか指摘しておきます。物語の主人公は徳川第10代将軍・徳川家治の御台・倫子(ともこ)ですが、このドラマでは家治が死んだ後も倫子は15年以上長生きをしていますが、実際の倫子は1771年に33歳で亡くなっており、家治の方は1786年まで生きています。こんな歴史的事実の無視はあってはならないと思います。他にも家治の子で世継ぎとなっていた家基は16歳で亡くなっているのですが、このドラマではまだ56歳くらいの時に殺されてしまいます。そして、このドラマでは次男が家治の命で一橋家の養子になり、その子が家治なき後15年ほど経って元服して家斉として即位するということになっていますが、もちろん史実はまったく違います。家治が死んだ翌年に、一橋治済の実子ですでに15歳だった家斉が将軍になっています。また、現実には倫子や家治の20歳以上年下の松平定信が倫子と幼馴染で、家治の子どもの暗殺の黒幕として描かれています。あまりにも史実を無視すぎていて、ちょっと腹が立ってしまいました。

 いくらフィクションのドラマとはいえ、歴史を題材にする限り、その人物が生きた時代や年齢までは無視してほしくありません。NHKで昨年放送していた男女逆転版の「大奥」は男女逆転というフィクションでしたが、主要人物の年齢や生きた時代は大体史実に忠実だった気がします。まあでも、こういういい加減な時代劇があると、実際はどうだったのかとか調べたくなるので、知識が増えるという点ではよい刺激剤にはなります。

956号(2024.3.24)令和6年春場所総括というより今後を占う

 尊富士が110年ぶりの新入幕優勝、初土俵からわずか10場所という最速記録での優勝を飾りました。こんな結果になるとは、まったく予想していませんでした。尊富士は、2場所前の九州場所はまだ幕下力士だったのに、先場所は十両優勝、今場所は幕内最高優勝です。どうなっているの?と言いたくなるほどの結果です。尊富士が強いのか、他の力士が弱いのか。千秋楽まで優勝を争ったのは、入幕2場所目の大の里ですし、なんだか勢力図が一気に変わってしまいそうです。

 さて、今場所も「片の富士コラム」をまめに書いてきて、総括として新たに書きたいことが少ないので、むしろ今後の予測をしてみたいと思います。まず今場所優勝の尊富士ですが、脚に大怪我さえしなければ2年後には大関、うまく行ったら横綱になっていることもありそうです。あのスピードと運動神経の良さは頂点を極められる力士のものです。ただ怪我が心配です。高校時代も大学時代も膝に怪我して十分な成績を残せなかったようですが、あの細い脚を見ていると、大相撲でもやってしまうのではないかという気もします。今場所の怪我もどのくらいで完治するのか心配です。次に大の里ですが、彼の立ち合いの威力は抜群ですが、今場所も何番か逆転されたように、あの勢いだけの相撲では大関になるのも厳しいです。ぼちぼちまわしを取って腰を下ろして攻めるという相撲を覚えていくべきです。抜群の体力とパワーがありますので、まわしを取って相撲を取れるようになったら大関、さらには横綱もありえます。

 大関陣では今場所一番成績のよかったのは豊昇龍ですが、彼の相撲は柔道の癖が抜けないですね。体力もそれほどないので、ほとんど相手に攻められて足腰の良さで柔道的な投げ技で逆転するという相撲ばかりです。前に出て勝てるようにならない限り、横綱はないです。そのためには、体をもっと大きくしないといけないです。次いで琴ノ若。体力とパワーは十分ありますが、運動神経がもうひとつです。あと、尊富士や大の里に比べると、前に出る力が弱いです。腰が重くかつ柔らかい体なので押されにくいですが、全体に受け身の相撲になりやすいです。今の大関陣の中では横綱の可能性を一番持っていますが、もっともっと前に出る力をつけてほしいです。霧島はまずは来場所です。今場所の負け癖をきっちり払拭できないと、横綱どころか大関陥落が現実になってしまいます。霧島はこういう形になったら必ず勝てるという型を見つけないといけません。相手力士に合わせてもちゃもちゃ相撲を取っている感じです。これでは、よくて万年大関です。

 関脇以下幕内上位陣では、朝乃山について語りたいと思います。尊富士に圧勝したように、この元大関はやはり実力があります。今場所の負けも土俵際の逆転がほとんどなので、あの勢いで無理に一気に持って行こうとせず、まわしが取れない時は無理をしないという相撲に変えたら、大関に戻れると思います。体力とパワーは十分あるし、右四つの型もあるので、自信を持って落ち着いて相撲を取ったら、三役で二桁勝つのも容易なはずです。若元春は好きな力士ですが、関脇までの力士ですね。大栄翔も今場所を見ていたらパワーが落ちました。もう大関候補として戻ってくることはないでしょう。熱海富士はまだしばらくかかるでしょう。もっと前に出るパワーが身につかないと大関には届きません。

 あと十両に戻った若隆景についても触れておきます。今場所、初日から7連勝した時は、このまま全勝優勝して来場所は幕内かなと思ったのですが、8日目から26敗で結局96敗に終わりました。大怪我をした膝が途中から悪くなったのではないかと思います。相撲が軽くなってしまいました。やはり膝は怖いです。まあ少しずつはよくなってくるのではないかと思いますので、そう遠くないうちに幕内上位には戻って来られるのではないかと思いますが、再び大関候補にまでなるのはもう難しいと思います。同じく今場所十両に戻った伯桜鵬はすっかり相撲が変わってしまいました。新十両、新入幕の頃のような鋭い立ち合いが影を潜めました。怪我の影響と言われていますが、怪我は肩ですし、むしろ気持ちの問題ではないかと思います。宮城野部屋問題が有能な若手力士を潰しかけている気がします。

 2年後にはどんな番付になっているか楽しみにしたいと思います。(2年前には、尊富士も大の里もまだ角界入りしていなかったことを考えると、まったく新しい力士が出てきている可能性もありますね。)

955号(2024.3.18)萌え、キュン、エモい

 妙なタイトルで始めましたが、上記のような言葉を最近若者たちがよく使うようですが、どういう場面でどういう感情になると使えるのか、よくわかりません。「若者言葉なんだから、先生はもうわからなくてもいいんじゃないですか?」と言われてしまいそうですが、一応まだ現役大学教師ですし、なるべく若者の感性を理解したいと思っているので、ちょっと気になります。特に、数年前に「先生、エモいですね」と言われたことがあり、その時は「エロい」との区別がつかず、「えっ、どういうこと?」と聞き返しました(笑)「褒めているんですよ」と言われましたが、どういう感情でその言葉を言ったのかがわからず、なんかもやもやしたままでした。それに比べれば、「萌え」や「キュン」は多少わかる感じもしますが、自分の感覚では、湧いてきたこともない言葉たちなので、正直に言うと、どういう感情で使っているのかよくわからないです。

 いつの時代でも、若者たちは新しい言葉を作りたがるもので、1960年代後半あたりには「ナウい」とか197080年代には「ダサい」とかも広まったと思います。19802000年代には「かわいい」が若い女性たちの高評価を表す言葉としてありとあらゆる場面で使われ、本来なら「かわいい」で表すようなものではないものに使われ、「エロかわいい」や「キモかわいい」なんて言葉も生まれたりしていました。新しい言葉を使うと時代の先端を歩んでいるような気になるので、常に生まれてくるのは仕方ないことですが、個人的にはあまり好きではないです。日本語には感情を表す豊かな表現があるのに、こんな新たな感覚的言葉ばかり使っていたら、ちゃんとした文章が書けなくなるのではないかと心配です。

 言葉は時代とともに変化していくものですから一切変わるべきではないとは思いませんが、なんかよくわからない言葉が幅をきかせるのは嫌だなあと思います。まあ、まさに世代の異なる年寄りの愚痴のようなものですが、少なくとも「先生、エモいですね」なんて言わないでほしいなと思います。褒めてくれるなら、ちゃんとこちらにもわかる感情表現を使ってほしいものです。

954号(2024.3.14)不公平

 十両の相撲を見ながら、なかなか好力士である「欧勝海(おうしょううみ)」と「欧勝馬(おうしょうま)」の名前が似すぎているし、いくら鳴戸親方がブルガリア出身の元琴欧州だからと言って、ヨーロッパ出身でない力士に「欧」をつけるのはちょっとなあと気になって、2人の力士のことを調べていたら、大変な事実がわかってしまいました。鳴戸部屋こそ宮城野部屋以上に崩壊しているようで、この部屋の問題が大きく取り上げられず、元白鵬の宮城野部屋問題だけが問題視されるのは不公平すぎないかという思いが一段と強くなりました。

鳴戸部屋では、2019年に兄弟子による暴力事件が起き、その加害力士は引退勧告を受け辞め、鳴戸親方も3か月の減給を受けています。そこまでなら、一応処分もされたしそこまで問題視することはないですが、鳴戸部屋の問題は最近も起きています。昨年8月から3人も幕下力士がやめ、そのうちの1人がインタビューを受け、現在十両にいる欧勝馬が粗暴行為をしていて、それを鳴戸親方がまったく注意できていないため、幕下力士はもうこのままここにはいられないと次々に引退を選んだそうです。宮城野部屋の北青鵬の子どもじみたいじめもひどいものでしたが、3人も幕下力士がやめ、さらに引退を考えている力士が他にもいるという話なので、この鳴戸部屋問題も相撲協会はちゃんと対処しなければいけないのではないでしょうか。鳴戸親方は欧勝馬が粗暴行為をしていても注意もできないそうですので、まさに親方としての指導力を問われる事態です。宮城野親方を処分するなら、鳴戸親方も十分処分対象だと思います。

 鳴戸親方もブルガリア出身で元外国人という点では、特に贔屓される理由はないと思いますが、あまりの対応の差の違いに、元白鵬の宮城野親方を相撲協会執行部が非常に嫌っているのだなと改めて思います。まあ強いて両部屋の違いを探すなら、北青鵬のいじめは稽古と関係ないところで行われていたのに対し、欧勝馬の粗暴行為は稽古がらみでなされている点でしょうね。稽古が多少荒っぽくなっても、それは仕方がないことだというのが相撲協会の見解かもしれません。ただ、指導という名での暴力的な行為は許されない時代になっていますし、3人もの力士が引退を選んでしまうほどの行為は見過ごしてしまうのはまずいのではないかと思います。伸びそうな力士だなと思っていた欧勝馬ですが、応援する気がすっかりなくなってしまいました。

953号(2024.3.8)哀悼・鳥山明

 本日、マンガ家・鳥山明氏が亡くなったとニュースで報道されていました。「ドラゴンボール」というマンガは世界的にファンがいて、彼の死は世界中で悲しまれているようですが、私にも特別な思いがあります。というのは、彼は私と同学年の人なので西城秀樹に次いで2人目の同学年の著名人がなくなってしまったんだなという思いと、彼が一気にメジャーになった「Dr.スランプ」は1980年に雑誌連載が始まった時から見ていて、その明るく豊かな表現力と躍動感あふれる絵に魅了され、このマンガ家は絶対売れると確信し、この年は、いろいろな人に鳥山明の「Dr.スランプ」というマンガが面白いよと宣伝しまくっていたという思い出があるからです。その証拠というほどでもないですが、右図にあるように、1981年の私の年賀状は、鳥山明の絵を使わせてもらったものばかり作っていました。(この頃は、年賀状に凝っていた時期でしたので、投函前にコピーを取ってました。)

 「Dr.スランプ」で一躍人気マンガ家になった鳥山明ですが、そのほのぼの路線をやめ、バトルものの「ドラゴンボール」を書きはじめ、これでさらに人気を高め、海外にも知られるようになっていくわけですが、私はバトルものに興味がないので、「ドラゴンボール」はほとんど読んだことがありません。たぶん、「ドラゴンボール」を単純にバトルものなんて言ってしまうと、ファンに怒られるでしょうが、ちゃんと読んでないのでその辺はお許しください。いずれにしろ、才能ある同世代人がまた1人亡くなってしまいました。いずれは、自分にもその日が来るんだよなとどうしても思ってしまいます。鳥山明氏は、素晴らしい作品を残したので、その作品とともに永遠に生き続けられるのかもしれませんね。翻って自分はどうなのだろうということも、つい考えてしまいます。自分が生み出し、残したものは何なのだろう、と。たぶんあるとは思っていますが、ここに自分で書くのはちょっとずうずうしいので、いつかその日が来た時に、周りから自然にそういう指摘がされたらいいなと思っておくことにします。

952号(2024.3.6)青春してますか?

 先日歌番組で、森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌が流れていたのですが、その歌を聴きながら、今の若い人たちって青春しているのかなとふと考えてしまいました。そもそも、最近「青春」って死語になりつつあるのではという気すらしてきましたので、「青春」についてちょっと考えてみたいと思います。

おそらく、今「青春」のイメージを尋ねたら、多くの人が、高校生が「○○甲子園」とかをめざして必死に仲間と努力している姿とかを思い浮かべそうですが、大学生以降の年齢の人たちはどうなのでしょうか?大学生や若い社会人で「青春してます!」と堂々と言える人ってどのくらいいるのでしょうか?「青春時代は高校で終わりました」とかさとり顔で言う人が結構いそうな気がします。(ちなみに、ある時期から自分たちを「さとり世代」とか言いたがる若者が出てきましたが、それはよくないよということを、「第690号 さとるな、あがけ!(2018.10.13)」で書いています。)それは早すぎますよ。大学生も若い社会人もまだまだ青春時代を生きているはずです。

陰陽五行説では「春」は1529歳なのだそうですが、このくらいの年代が青春時代だというのは、私の実感ともよく合います。「第949号 手紙は貴重な思い出(2024.2.14)」に書きましたが、まさに私はその時期が青春時代そのものでした。その時期を青春時代として思い出せるのは、やはり恋愛を求めていたからだろうと思います。上記の「青春時代」という歌も大学生の恋愛が前提にあります。しかし、今や高校生が仲間と一緒に目標に向かって頑張る姿が典型的な青春になってしまい、恋愛の比重がかなり下がってしまったように思います。「恋愛は面倒」「相手はマッチングアプリで探す」「推しがいれば幸せ」「ゲーム命」etc.うーん、、、「青春時代」の歌詞にあったように「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの」にはとうていなりそうもないですね。

どの時代の若者もその時代の中で生きやすい生活、楽しい生活を求めているわけですから、こうなってしまっているのも自然なことなのでしょうが、なんかなあ、、、という思いが払拭できません。大学生たちをずっと見てきている私の眼には、やはりスマホの出現が「青春」の退潮を一気に促してしまったと見えます。恋愛でなくとも、今の高校生たちの目標をめざす姿が青春に見えるのは、やはり対面関係で悩んだり、喜びを分かち合ったりできてるからですよね。「青春」って濃い対面関係での様々な感情が湧き出る中でしか得られないものだと思います。

ガラケーの頃はまだ携帯電話は他者との連絡手段の意味が強かったので、対面の人間関係もそこまで変化した気はしませんでしたが、スマホになってからは1人時間を過ごすための道具になっており、対面の人間関係を激減させたように思います。1人で過ごしていて「青春」を感じることは難しいでしょう。スマホが日本で普及してもう10数年経ちます。さらには、2020年からの新型コロナの流行も対面関係を激減させました。高校生まではまだみんな学校に行くので、対面関係も生まれ、青春もしやいですが、オンデマンド授業や在宅勤務が可能になってしまっている大学生や若い社会人たちが青春する機会は大幅に減りました。このままでは、日本の青春時代は高校生までということになってしまいそうです。

951号(2024.3.3)相撲協会は白鵬に厳しすぎる

 宮城野部屋所属の北青鵬の弟弟子いじめが露見し、彼は実質解雇になり、白鵬の宮城野親方は指導者、親方の資格なしとして、部屋運営をさせてもらえなくなり、この後、宮城野部屋は解散させられるのではという話にもなっています。確かに北青鵬をちゃんと指導できなかったことの責任は取るべきでしょうが、部屋を解散させるまでの罰は重過ぎると思います。他の部屋でも、パワハラやいじめのようなことはこれまでにも起きたのに、部屋解散までの重たい処分を受けた親方はいません。明らかに相撲協会は白鵬を排除しようとしているように思います。

 朝青龍が現役でいた頃は、やんちゃな朝青龍に対して優等生の白鵬という位置付けでしたが、朝青龍が引退してからは、徐々に白鵬への批判が増え、小さなことでも問題視されてきました。勝負の判定に疑義を申し立てとか、優勝インタビューの際に万歳三唱をしたとか、そこまで目くじら立てることなのかと疑問でした。今は大人気の相撲界ですが、野球賭博と八百長相撲などが次々と明らかになり、国技館に閑古鳥が鳴き、場所が開催できなかったりした時代に大相撲界を支えてきたのは白鵬でした。双葉山をはじめとする過去の大横綱のことも勉強し、自分の相撲にも取り入れようとするくらい研究熱心な力士です。何よりも優勝45回の大横綱です。まあ確かに現役最後の方は、いろいろ批判されるべき言動も多少あったとは思いますが、本来なら一代年寄が与えられなければおかしいほどの見事な成績を残した力士です。一代年寄を与えないどころか、宮城野という親方株まで奪い取ってしまおうというのでしょうか。もしも部屋解散にさせられた時に、白鵬が裁判に訴えたら白鵬が勝てるのではないかと思います。ただし、相撲協会というのは江戸時代以来の慣習をいろいろ引きずっていて、そこが魅力にもなっていますが、また一方では非常に不透明な組織になっていますので、通常の法的判断が可能かどうかわかりませんが。

 監督不行き届きによる降格や減給の処置は仕方ないと思いますが、部屋解散は重すぎます。すでに日本国籍を取得しており日本人になっている白鵬ですが、明らかに相撲協会も世論も、白鵬はモンゴル人といった目で差別的に扱っている気がしてなりません。別に白鵬のファンではないし、白鵬が指導力のある親方とも思っていませんが、あまりの不公平を誰も指摘しないので、書いてみました。メディアも世論も偏りすぎていておかしいです。

950号(2024.3.2)大谷結婚発表に思うこと

 大谷翔平選手が結婚発表しましたね。みんな驚くとともに相手は誰だろうと話題にしています。ネット上では大分特定化されてきているようですが、なんで大谷選手はちゃんと発表しないのだろうと私はおおいに疑問を持っています。プライバシーだから話さなくてもいいと考えているのかもしれませんが、ちゃんと2人で出てきて記者会見とかやった方がその後絶対楽になります。今のように、相手の名前も素性も発表しなければ、なんとか探ろうと芸能マスコミも必死になります。候補と見られる女性の実家や友人たちへのしつこいアプローチも続いてしまうでしょう。大谷夫妻も堂々と街を歩けないのはもちろん、パートナーの女性はずっと日陰の女のように暮らさなければならなくなります。ご両親やごきょうだいも大谷選手が言わない限り、何も言えないでしょう。みんな大谷選手のことになると、「素晴らしい」としか言いませんが、この結婚発表の仕方は現時点では間違っていると私は思います。近いうちに、ぜひ2人で会見すべきです。長嶋茂雄にしても王貞治にしても映画界の人気俳優たちも、かつての大スターたちはちゃんとお相手を紹介していました。オープン戦が始まったばかりでいろいろスケジュールもあるのかもしれませんが、パートナーの女性のためにも、その関係者のためにも、近々大谷選手はお相手をちゃんと紹介すべきです。

 もうひとつ誰も突っ込んでいないですが、他の人が言っていたら問題になったのではないかと思う発言も彼はしたと思います。それは「至って普通の日本人です」という発言です。この多様性が絶対的正義のように振りかざされる時代においては、「普通」とは何か、ということがしばしば議論されます。「うちの孫息子が普通の日本人女性と結婚してくれたたよ、嬉しいなあ」と森喜朗のような保守的な政治家が言ったりしたら、必ずその「普通」とは何かと批判されるでしょう。ましてや、彼は「日本人」もつけていますので、「そうかあ。ハーフの人とかではないんだな」と無意識に思った人は多いでしょう。「普通の日本人」はかなり危ない発言のはずですが、いつもコンプライアンスで山のように揚げ足取りをするマスメディアもネットメディアも何も指摘せず、ただただ笑顔で「素晴らしい」とだけ言います。ちょっとおかしくないかと思ってしまいます。

 あんな中途半端な囲み取材で答えるからいけないのです。最初から2人で出てきてちゃんと結婚報告会見をしたら、「普通の日本人」なんて紹介をする必要はなかったのです。大谷選手の判断ミスです。大谷選手のことになると、メディアも国民も目が曇ってしまうので、あえて厳しい指摘をさせてもらいました。

【追記(2024.3.15)】今朝起きたら、大谷選手が奥さんとの2ショット写真が公開し、「さらっとした紹介の仕方で好感度爆上がり」とか話題になっていましたが、私は全然納得できません。写真を公開しただけで、妻であるとか名前とか、大谷選手自身はまだ何も伝えていません。球団が奥さんだと発表したようですが、本来は本人がちゃんと伝えるべきです。大谷選手自身が言わない限り、奥さんのご両親やきょうだいも何も語れません。もう実際は誰だかわかっているようなものですから、芸能レポーターは奥さんの実家に押しかけているでしょう。しかし、今の段階ではご家族はまだ何も発言できない状態になってしまいます。大谷選手のこの少しずつ情報を出すやり方は間違っています。最初から名前やどういう人なのかは紹介すべきだったのです。

昔から、婚姻は3つあると言ってきました。籍を入れる法的婚姻、一緒に暮らす実質的婚姻、そして家族、親族、知人に知らせる社会的婚姻の3つです。かつては、この3つの婚姻はほぼ間を空けずに一気に行われたものですが、最近は様々な事情で3つ揃わない婚姻も増えています。大谷選手の場合、法的婚姻と実質的婚姻はすでになされているのでしょうが、社会的婚姻がまだちゃんと行われていません。囲みの記者会見で「普通の日本人」と紹介し、今回は写真で紹介しましたが、これではまだちゃんとした社会的婚姻になりません。もちろん家族や友人には知らせているでしょうが、ファンに支えられている有名人の場合、ファンたちもある意味知人のようなものです。細かい情報まで紹介する必要はないと思いますが、最低限、一般の人に対しても奥さんの名前くらいは紹介すべきです。たぶん、韓国にいる間に情報を流しそうな気はしますが、なんでこんな小出しにするんだろうと非常に疑問です。最初に必要情報を出してしまえば、後はそんなに追われなくなるのに、こんな小出しにしていたら、しつこく追われることになります。どう考えてもうまいやり方をしているとは思えないのに、「大谷選手は素晴らしい」とタテマエしか言わないメディアと大衆の「大谷はすべて正しい」みたいな見方がおおいに疑問なので、追記させてもらいました。

949号(2024.2.14)手紙は貴重な思い出

 50年以上増やし続けてきた本、資料類をあと2年でリデュースしないといけないので、少しずつやろうと思い、片付け始めたのですが、ひょんなところから、すっかりその存在を忘れていた青春時代の私信が出てきてしまい、思わず半日読みふけってしまいました(笑)時代的には、1970年〜1984年までの15年間で、私が十代後半から二十代終わりまでの15年間のもので、まさに青春そのものでした。

以前にも、自分の日記を読んで青春を思い出したことがあります(「第511号 青春とは悩むこと(2014.8.28)」)が、手紙は人間関係そのもので、そこには送り手の気持ちが書かれているので、日記とはまた違う思いが蘇ります。女性からの手紙の方が多いですが、男性の友人からの手紙もたくさんあります。昔は、みんなよく手紙を書いたものでした。便箋というか大学ノートに56枚も熱い思いを書いているものもざらにありますし、内容だけでなく、葉書なんかだとデザインを工夫しているものも多く、こういう手紙や葉書のやり取りを楽しんでいたことを思い出しました。私自身も、今は年賀状は印刷物にしてしまっていますが、大学院生くらいまでは1枚、1枚手作りで、特に親しい人には、毎年かなり工夫した年賀状を送っていました。一度だけですが、宛先に沖縄のどこか実際にありそうな住所に私の名前を書き、送り手欄に友人の正しい住所と名前を書き、宛先不明で友人のところに、その葉書が届くというようないたずらをしたこともあります。(郵便屋さん、ごめんなさい。)

 残っていた手紙類の中に、名前だけではこの人誰だろうと思い出せない人も結構何人もいました。中身を見たら、旅先で出会って、写真を撮って、その写真を送ったお礼の手紙だったり、旅先で楽しかったというメッセージがほとんどでした。今の若い人には信じられないでしょうが、昔は旅先で若い男女が出会ったら、なるべくコミュニケーションを取ろうとしたものですし、互いの住所交換なんかも普通にしていたものでした。中には、その後本格的に文通を続けて何通もやりとりした人もいます。今はそんな旅先での出会いなんてないですよね。青春時代が1970年代でよかったなとしみじみ思います(笑)私も今ではできません。当たり前か(笑)

 付き合っていた――あるいは友人として仲良くしていただけ人も含めて――女性からの手紙は、やはり一番読み応えがありました。悪趣味だ、廃棄すべき、と言われそうですが、青春の貴重な思い出です。記録好きの私としては、とても廃棄する気にはなれません。ほとんどの私の恋は振られて終わってますので、ちょっと辛い思い出が蘇るのではと思われるかもしれませんが、そんなことは全然ありません。振られたことも、青春の貴重な1ページで、「ああ、あの時かあ。そんなこともあったなあ」と思い出せて楽しい時間でした。恋をしていた――恋をしようとしていた(?)――ことが、まさに青春でした。恋を抜きに私の青春は語れないし、それを思い出せる手紙たちは、今となればすべて宝物です。

 でも、もうそういう文化もなくなってしまいましたね。30歳代以下の方々は、ちゃんと手紙(私信)を書いたことがないのではないでしょうか。メールやLINEを記録として残している人なんてほとんど誰もいないでしょうから、今の若い人たちが私のような年齢になった時は、どんな風に過去を思い出せるのでしょうね。スマホで写真は撮りまくっているでしょうが、それをちゃんと見ることはあるのでしょうか。デジタル・タトゥーになるような黒歴史なら探せるかもしれませんが、淡い素敵な思い出なんかは逆に探しにくそうです。しみじみ、今の時代の若者じゃなくてよかったなと思います。まあもちろん、今の若い人は若い人なりに楽しく生きているのでしょうから、これはただの年寄りの「昔はよかった」論のひとつと思い、聞き流してください。

948号(2024.2.5)やはりコロナだったと確信する

 年末・年始の体調の悪さは、やはり新型コロナに感染していたんだろうなと最近確信しました。というのは、コロナ後遺症がいろいろ出ているからです。熱やひどい頭痛や咳などは1週間程度ですべてなくなりましたが、その後も喉の違和感と時々出る咳はさらに2週間ほど続きました。その喉の痛みや咳はなくなりましたが、その後現在に至るまで出ている症状が、腹部や脇腹の筋肉痛です。筋違いの時のような痛さが体勢によっておきます。寝てれば楽かというとそうでもなく、一時は寝ている時の方が痛くて寝返りも打てないという日もありました。数日前あたりがきつかったのですが、ここ12日はだいぶましになってきましたが、今でも横隔膜のあたりや脇腹のあたりに力が入ると悼みます。

 こんなに長く様々なところが不調になったことなど、これまでの人生で一度もなかったので、「なんなんだ、これは?」と思い、もしかしてコロナの後遺症でそういうのも出るのかなと調べたら、やはり出るようで、となるとやはり、年末年始のあの体調の悪さは、新型コロナに感染したせいだったんだと確信するにいたりました。自分がこういう状態になるまでは、ニュース等で「コロナ後遺症」が紹介されていても、「半分気のせいでは?」とか思ったりもしていましたが、実際あるんだと認識を改めました。味覚や臭覚は一番体調が悪かった時でも大丈夫でしたが、こんな筋肉痛が出るとは思いもしませんでした。やはりコロナ、なかなか厄介なウィルスです。なめちゃいけませんね。

947号(2024.2.4)セックス、恋愛、結婚を歴史的に考察する

 現代社会だけ見ていると、セックス、恋愛、結婚も、必ずしも異性間で行うものとも言えないという状況ですが、人類の歴史を遡って考えてみたらどうなのだろうかということを思考実験としてやってみたいと思います。

 人類は雌雄別体の動物ですから、まだホモサピエンスではなかった時代から、男女(雌雄)が交尾を行ってきたことは間違いない事実です。そこには結婚はもちろん、恋愛もなく、ただ本能のおもむくままに交尾をしてきたと考えられます。つまり、この時代は「セックス」のみの時代と言えるでしょう。異性選択の基準は動物と同様に健康であるかどうかくらいだったことでしょう。

 そうした時代が何万年も続いた後、徐々に美意識が芽生えてきました。古代文明からは様々な身を飾る宝飾品等が出てきますので、豊かな階層を中心に美意識が存在したと推測できます。そうなってきた時に、動物的本能に基づく交尾から、美しいものを自分のものにするセックスへと変化したと考えられます。そして、それは相手に対する恋しさ、愛おしさのような感情をも生み出し、恋愛的なるものが誕生したと言えるでしょう。恋愛は近代社会が生み出したものと見る見方もありますが、万葉集や平安時代の和歌に詠まれた気持ちを知ると、こうした異性を慕う感情は、やはり恋愛感情と言ってよいのだろうと思います。

 一方、婚姻制度は戸籍制度などを整えなければならなかった近代社会がまさに必要とした制度ですから、それ以前は厳密にはなかったと言ってもいいと思いますが、保存できる食料の発見から財の考え方は出てきていますので、古代文明の頃には、豊かな階層において、異性(女性)も財の一種として特定の異性(男性)のものであるという縛りは十分生まれていたことでしょう。ただし、男性が女性を自分の家で所有するというより、女性は生まれ育った家にそのままいて、男性が通うという形式の方が多かっただろうと思います。日本の平安時代の貴族たちは、まさにそんな生活をしていたようです。そして、通う家は1軒だけではなく、何軒かある方が一般的だったようです。他方で、庶民はセックスをし、子を持った間柄の2人は一緒に暮らす方が多かったかもしれません。江戸時代の宗門人別帳などは実質的に戸籍の役割を果たしていたので、婚姻関係に近い関係は成立していたかもしれません。江戸時代の武士に関しては、イエ制度の維持のためにも、近代的婚姻制度にかなり近い慣習を生み出していたと言えるように思います。儒教が浸透していく江戸時代の武士の社会では、セックスは正式的な婚姻を経たうえでしかなされるべきではないものという位置付けになっていたのに対し、庶民の社会でははじめにセックスをして相性がよければ、その後実質的な夫婦として生活をともにするというパターンが多かったのだろうと推測します。

 明治期に入って、儒教の倫理観が染みついた元下級武士たちが政府の要職につき、近代的な婚姻制度を導入するにあたって、西洋のキリスト教道徳観とも合致する儒教的な道徳観を庶民にまで広げて、結婚せずにはセックスをすべきではないという価値観を広めていったわけです。恋愛は推奨されてはいなかったので、「結婚→セックス」だけの男女もいたかもしれませんが、異性を恋しく思う気持ちは大多数の人に自然に生まれるものであり、セックスを前提としない近代的な恋愛というものも誕生してきたと考えられます。なお、儒教でもキリスト教でも男女の間のダブル・スタンダードは激しく、女性には貞淑さや純潔さを求めるのに対し、男性は婚姻の相手である正妻以外に女性を囲おうとも何ら問題視されない時代が第2次世界大戦終了後までしばらく続くわけです。

 終戦後、民主的な政策を日本に導入したGHQの方針に基づいて、恋愛の解禁、婚姻制度の男女平等化などがはかられましたが、性別役割分業に関してはGHQも疑問視はしておらず、「男は仕事、女は家庭」を基本とした男女関係が確立します。外で仕事をし金を稼ぐ男が亭主関白として家庭内権力者の座にあり、妻は夫の性的欲求を受け入れる、あるいは夫が外で浮気をしても許さないといけないという不平等な関係にありました。この頃まで多かった見合い結婚の場合、結婚後じわじわと愛情が湧く夫婦も多く、「結婚→セックス→恋愛」という順番だったと言えるでしょう。

 1970年代に入った頃から、第2次フェミニズム運動が始まり、こうした男女間の不平等への疑問の声も起きてくるようになりますが、70年代はまだ一般の人々にとっては、性別分業は当たり前、性に関するダブル・スタンダードも当たり前でした。この頃までは、「恋愛→結婚→セックス」というのが、女性やまじめな男性にとってはもっともオーソドックスなコースでしたが、男性の中には「恋愛→セックス→結婚」というコースを求める人もかなりいたと思います。

ようやく1970年代後半あたりから先進国の方で女性の地位を向上させる動きが強まる中で、日本でも1980年代以降男女平等化に向けて少しずつ取り組みが進むようになってきます。そうした流れの中で、1980年代後半、1990年代となると、恋愛、結婚関係において、女性の立場が強くなり、それまでの男性主導だった関係性が変わっていくようになります。この時期になると、家庭内での父親の権威がなくなっていくことを危惧する書物が次々に登場し、そしてセクハラ、ストーカーなど、男性の性的関心に抑制をかけるような流行語が広まります。さらには、セックスレス夫婦、草食系男子と次々に恋愛やセックスから遠ざかる人たちが出てきて、当然のことながら、未婚率もどんどん上昇していくことになりました。

 こうした状況の中で、1970年代までのように時間をかけて恋愛をし、結婚する、あるいは性的関係になるというのは、タイパもコスパも悪いと考える男女が増え、とりあえずマッチングアプリで簡単に出会い、セックスをするという関係を作るという人も出てきているようです。1回だけで終える人もいれば、その後恋愛関係になり、結婚に至るというパターンも少なくないようです。つまり、そういう人たちの場合「セックス→恋愛→結婚」という順になっているわけです。ちなみに、1980年代以降急速に増えてきた「できちゃった結婚」になった男女の場合は、「セックス→結婚」というパターンと言えるでしょう。

 そして、今はセックスも恋愛も結婚もかつてのように異性間でしか生じない関係と言えなくなってきています。しかし、雌雄別体の動物である人類が異性間のこうした関係を当たり前に作らなくなってしまった場合、50年後。100年後は一体どんな社会になっているのでしょうか。想像するのが怖いので、ここでやめておきます。

946号(2024.2.3)恵方巻

 恵方巻にかぶりつくという風習を、私は一度もやったことがありません。みなさんはやっているのでしょうか?もともと私はこんな風習があることを関西に来るまでまったく知りませんでした。先ほどウィキペディアで調べたら、発祥はあまりはっきりしないが大阪ではないかと考えられていて、1989年にセブンイレブンが「恵方巻」と名付けて広島県で売り出し、その後その名前とともに全国的に知られるようになったと書かれていました。確かに、この経緯はここ40年ほどの私の関西暮らしの記憶とも合致します。しかし、一体いつからこの風習は関西ではあったのでしょうね。以前、私と同い年くらいの知人は子どもの時からやっていたと言ってたような記憶もありますが、正確ではありません。手巻き寿司とかが出てきて太巻き寿司が売れにくくなってきた1980年前後くらいに、どこかの太巻き寿司の販売業者が仕掛けたといった方が納得はしやすいのですが、、、私は縁起をまったく担がない人間なので、どっちの方角がいいとかも知りませんし、そもそも、なんであんな太い巻きずしをかぶりつくなんて、美味しくも感じられないだろう食べ方をしなければなないのだろうと、まったく興味が湧きません。たぶん、これから先もやることはないだろうなと思います。

風習とか習慣とかは、やはり育った家庭で大事していたことを自然と身につけるものです。私の場合だと、年末年始で大事している習慣はいろいろあります。年賀状を書くこと、つまらないと思いつつも毎年紅白歌合戦を見ること――テレビをつけていること――、簡素でも正月料理らしいものを食べること、これらは生まれて以降現在まで欠かさずやってきています。他方で、自分が子供時代になかったような風習・習慣・行事などにはまったくはまれません。恵方巻以外にも、ハロウィンだの、イルミネーションを見に行くだの、若い人たちが好むような新たな習慣には個人的には全く興味がありません。ただし、社会学者としては、そういうものに、なぜ若者がはまるのかという点では興味がありますが。

 かつてやっていた家庭内行事も子どもが巣立ってしまうと、やらなくなるものが多いです。節分も、恵方巻は食べなくても、豆まきはしていたものですが、子どもたちが成長してからはまったくやらなくなりました。雛人形ももちろん出さないし、七夕も子どもが小さかった時は、わざわざ笹を買ってきて部屋の中で願い事を書いた短冊を吊るしたりしたものですが、もういつからやっていないのか思い出せないほどです。クリスマスも、子どもたちが独立してからはまったく何もしなくなりました。他にも何もやっていない年中行事日だらけになっている気がします。こうやって考えると、やはり年中行事の実施には子どもの存在が大きいですね。家庭というのは、子どもの成長とともに大きく変貌していきます。子どもが喜んでくれるうちはいろいろやっておいた方がいいですね。

945号(2024.1.29)令和6年初場所総括

 「片の富士コラム」を作ってまめに相撲について書いていたので、これまでのように場所総括をしなくてもいいかなと思いましたが、まあこれも定期的記録になるので、やはり書いておくことにします。

 今場所の総括としては、やはり照ノ富士は強いということですね。かつて「照ノ富士は令和の雷電だ」と書いたと思いますが、今場所もそう思わせてくれました。特に、終盤戦の強さは圧倒的でした。千秋楽の霧島戦、優勝決定戦の琴ノ若戦は力の違いを見せつけました。この2人は近い将来横綱になるかもしれませんが、照ノ富士に一度も勝てないままでは、本物の横綱とは言えないと言われてしまいそうです。これまで横綱になった力士で、5回以上対戦した上位力士に対して一度も勝てなかったという力士はいないのではないかと思います。照ノ富士の壁を破った力士が横綱になるのでしょう。

 霧島の横綱昇進は白紙に戻りましたが、それでよかったと思います。まだ横綱としてしっかりやっていく力は霧島にはありません。体重もあと10s以上は増やして立ち合いも相手に合わせていろいろ変えるのではなく、こういう形に持っていくという型がほしいです。器用で運動神経がいいので、照ノ富士以外の相手ならどの相手とも五分以上の勝負ができると思いますが、横綱は五分以上程度ではだめです。下位の力士ならどの相手でも78分で勝つだろうと思わせるくらいの強さがないと、万一横綱になれても長続きしなくなります。もっとどっしりした強さを身につけ、照ノ富士とも五分で渡り合えるようになってから横綱になった方がいいです。

 琴ノ若は強くなりました。大関としては十分やっていけるのはもちろん、案外横綱昇進も一番早いかもしれません。霧島と違って照ノ富士とも渡り合える体が琴ノ若にはありますので、照ノ富士の壁を突破する可能性も一番ありそうに思います。今場所のようにどっしりと落ち着いた相撲を取れるなら、毎場所優勝争いに絡んできそうです。

 1年間で3人の新大関ができ、1年前の次の大関は誰と言われたころの大関候補はこれで結論が出た感じです。大栄翔や若元春も魅力的な力士ですが、大関には届かなさそうです。他にも朝乃山や高安の大関復帰を求める人も多いですが、怪我がちなので2人とも実力はありますが、復帰はかなり難しいと思います。次の大関候補には大の里が一気に来そうな気がします。あの体力と馬力に、幕内上位に通用する技を会得したら一気に大関まで行ける気がします。来場所もかなり活躍するでしょう。

 「片の富士コラム」には書かなかった十両以下の力士についても少し書いておきます。132敗の好成績で新十両優勝した尊富士は来場所新入幕になりそうです。確かによい力士だと思いますが、膝から下の足の細さが私には気になります。なんかいずれ致命的な怪我をしてしまうのではないかと心配です。幕下優勝は若隆景でした。膝の状態が大分よくなったのか、幕下では敵なしでした。膝の状態さえ問題なければ、来場所は十両優勝でしょう。このまま順調に幕内上位、三役に戻ってきてほしいものです。怪我で同じく幕下まで落ちていた伯桜鵬も来場所は十両に戻ります。ただまだ脱臼癖が怖いのか、相撲をおそるおそる取っている感じで、新入幕した頃のような迫力にかけていました。大の里のような体はないので、上手さはありますが、先々大関まで行けるのかという点はもう少し見てみないとわかりません。

さらに下位では、先場所序の口で全勝優勝をした安青錦が今場所は序二段で全勝優勝し現在14連勝中です。とりあえず、幕下上位までは一気に上がるでしょう。しかし、幕下上位は実力者がたくさんいますので、そこをそのまま抜けきれるかどうか、まだあまり彼の相撲自体を見たことがなく、どの程度の力を持った力士かよくわかりませんので、幕下に上がってからじっくり観察してみたいと思います。あと、今場所初めて知った力士で将来大化けする可能性があるのではと思ったのは、三段目筆頭の丹治という17歳の力士です。非常にバランスのよい体をしています。相撲自体も幕下力士と何番か取ったのを見ましたが、なかなか強いです。すでに幕下に上がったことがあったようですが、負け越して三段目まで落ちましたが、来場所以降は幕下で勝ち越しを続け徐々に番付を上げていくと思います。ただまだ17歳で体も出来上がってはいないので、すぐには十両、幕内とはいかないかもしれませんが、5年後くらいには幕内上位で活躍していそうな気がします。超先物買いですが、こういう予測が大好きなので書いておきます。

944号(2024.1.26)知的能力が低下する大学生

 自分の講義の試験の採点をしながら、最近急速に大学生の知的能力が落ちてきているのを感じています。まず質問の狙いを正確に把握できない学生が多いです。質問文には、キーワードになる語句が入っているものです。そのキーワードをきちんと捉えて、それに応える形で解答を作成すべきですが、そこができておらず、勝手に連想ゲームのように質問に関連したことを書いておけばいいだろうという感じで解答を作っている学生がたくさんいます。論理展開がちゃんとしてないのは仕方ないと思っています。短い時間で早く記述しようと思うと、丁寧な論理展開はなかなかできないのはやむをえないですが、ポイントを把握せずに論述し始めるのはまずいというくらい考えないのかなと思います。あと、字が下手な学生が多くなりました。スマホばかり使っていて、手書きで文字を書く機会が減っているのでしょう。汚い字は、内容も読み取りにくいです。

 卒論の指導をしていても知的能力が落ちているなと感じます。社会学は自分で研究テーマを決めていかなければならない学問ですが、魅力的な研究テーマを自分で見いだせる学生が滅多にいません。研究対象をなんとなく見つけても、その対象にどうアプローチをしたらいいかがまったく思いつかない学生だらけです。自分で考える能力が大きく落ちています。関連しそうなデータは簡単にたくさん探してきますが、それらのデータを使って、どう論理展開をしたらいいのかがわからず、ただデータを羅列しているだけになっているものも少なくありません。こうした問題発見力、論理展開力、思考力の低下は、今の大学生の生活から言えば必然的なことなのだと思います。スマホですべてを済ませている学生たちは、情報には受け身で接するのが当たり前になってしまいました。自分で発信する場合は、映える写真や動画に無難な短いコメントをつけるだけで、長い文章をまったく書かなくなってしまいました。そんな生活をしていたら、論述問題を解けなくなり、卒論もうまく完成させられないのは当たり前です。

 教員側の対応の変化も、学生たちの知的能力の低下に一役買っています。というのも、コロナ以降、LMSLearning Management System)というネット上の教育システムで課題を出す教員が増え、その課題への解答で成績評価をし、学期末に試験をする人が減っています。私も2020年春学期はすべてオンデマンド授業でしたので、そういう形で成績評価をしたことがありますが、あれだけでは学生の力は本当に測れないし、伸ばすこともできません。今は対面の授業に戻りましたが、LMSに毎回感想を書かせそれをきっちり読んでいますが、それだけで成績評価をする気にはなれません。ただ授業に出ただけでなくちゃんと理解したのかどうか、論述する力はどのくらいあるのかどうかは、試験をしないとわかりません。論述試験がどんどん減ってしまうと、ますます学生の能力は落ちてしまいます。教員もぜひ考え直してほしいものです。

 外見を魅力的に見せることとダンス能力は高くなっていると思いますが、大学生が一番伸ばすべき能力はやはり知的能力だと私は思っています。就活の時は、コミュニケーション能力が大切と言われますが、それはサブです。高い授業料を払って伸ばすべきなのは、知的能力です。特に思考力、考える力をつけるべきです。知識を自分のものにし、そうした知識の組み合わせから柔軟な思考ができるようになっていってほしいものです。今のようにスマホをいじって時間潰しをしている生活では、大学生はどんどん駄目になります。意識して生活を変えてください。

943号(2024.1.25)トランプを再び大統領にしようというアメリカ国民は信じられるのか?

 アメリカ大統領選挙の年で、共和党の予備選挙が始まりましたが、すでにトランプ1人に候補が絞られるのは時間の問題です。2016年の選挙の時は、トランプは最初泡沫候補扱いだったのが、時間が経つにつれて有力候補となり、ついには共和党の候補、そして大統領にまでなったわけで、あの時は全世界が驚きを持って受け止めました。しかし、今回は最初から最有力候補でそのまま共和党の大統領候補になるのは確実と思われ、実際そうなりそうです。民主党は、半分呆けかけているようなバイデン現大統領が候補になりそうですので、そうなるとトランプが勝ってしまうという結果になりそうです。

 それにしても、あんな自己中心主義的で自分にとって都合の悪い相手のことは過剰に非難するような人間を、なぜアメリカ国民は支持するのでしょうか?個人的には決して上に立ってほしくないと思う人物です。アメリカのことだけ考えると叫ぶ大統領でいいとアメリカ国民の半数以上が思っていると思うと、ぞっとします。世界最強国のトップがあんな狭量で自己中心的な非人格者では、世界が混乱しそうで怖いです。アメリカ大統領は、民主主義と自由主義を大事にする良識的な博愛主義者になってほしいものです。比較的最近の大統領で例をあげればオバマ元大統領あたりでしょうか。民主党の方がそういうタイプの大統領が多かったとは思いますが、共和党の大統領でも、トランプほどひどい大統領はいなかったと思います。そのトランプを再び大統領にしたがっているアメリカ国民はもはや信じるに値しない気がしています。

 このままトランプ大統領が復活したら、その後の4年間はおおいに不安です。民主党に魅力的な大統領候補が出てきてくれないでしょうか。

942号(2024.1.24)「三無主義」

 理論社会学のテストの解答で、「三無主義」について触れる学生が毎年いるのですが、そのすべてが「三無主義」とは「無気力・無関心・無責任」のことであると書いているので、いつもおかしいと思っています。確かにネットの辞書ではそう出てくるので、学生もそう書くわけですが、まさに「三無主義」と言われた私たち「シラケ世代」が若い時には、三無主義とは「無気力・無関心・無感動」だったはずです。「無感動」だからこそシラケているように見えた世代だったのであって、「無責任」では「シラケ」とは遠くなります。「無責任」な世代とは言われた覚えはほとんどありません。一体、なぜ「無責任」で広まっているのか、ちゃんと調べてみないといけないなと思い、新聞記事検索をしてみました。

 「三無主義」という言葉はいろいろな場面で使われており、まったく違う意味のものもいろいろ出てきます。196154日の『朝日新聞』に、横浜国立大学の教員が「無試験、無採点、無賞罰」の「三無主義」を唱えているとか、19686月の『読売新聞』には、東映という野球チームの監督が「サインなし、門限なし、罰金なし」の「三無主義」を撤回したという記事があったりします。もちろん、これらは私が探している「三無主義」ではありません。1970年前後からようやく私の探している「三無主義」が出てきます。1969320日の『読売新聞』で、高校生が「無気力、無関心、無規律」の「三無主義」に陥っているという記事が見つかりました。その後は、1970430日の『朝日新聞』、197085日の『読売新聞』で、やはり最近の高校生の話として、今度は「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」がはびこっていると述べられています。私の覚えていた「無気力・無関心・無感動」の「三無主義」が出てくるのは、197464日の『読売新聞』で、「新入社員の意識調査」という見出しの記事で登場します。しかし、1970年代の記事で、この3つを並べているのは、この記事しかありません。一方、「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」は、197183日と1976115日と1976125日の『読売新聞』でも出てきます。1971年のものは上記と同様に高校生の話ですが、2本目は新成人に向けた社説、3本目は『自信のないシラケ世代』という見出しで、若い社会人の話として紹介されます。

 「うーーん、そうなのか」という印象です。まずは1960年代末から1970年代はじめにかけて高校生の態度として「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」が語られるようになり、その後1970年代半ばあたりから大学生や若手社会人にも当てはめられるようになってきたということなのでしょうが、その時点でも「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」と言われることが多かったということになりそうです。この事実は、私の記憶とは合致しません。まあ、記憶なんてものは主観的なものですので、自分の思い込みだったということになるのでしょうが、「無責任」より「無感動」の方が、「シラケ」には合っているという思いは消えません。「無責任」は行動の責任を取らないというイメージだと思いますが、「シラケ世代」は行動できないのが特徴だったと思うので、「無責任」は合わないと思うのですが、、、同世代が若い時に「三無主義」をどう認識していたか、友人たちに聞く機会があったら聞いてみたいと思います。

[追記(2024.1.25)]博識の同年の友人から得た情報です。「三無主義は、団塊の世代の学生運動の連中が、ノンポリどもに使った言葉で、我々の世代まで含まれているという意識はありませんでした。ノンポリどもに発する場合は「無気力・無関心・無責任」であったと思います。団塊の世代後の我々世代について三無主義をいうのであれば、「無気力・無関心・無感動」というのは当たっているなぁ、と思います。」この情報は貴重ですし、説得力があります。1970年ごろから「三無主義」という言葉が出てくるわけですが、原点は大学紛争時の活動家たちがノンポリに使った言葉であるなら、確かに「無気力・無関心・無責任」がぴったりです。それが、我々「シラケ世代」に適用された際に、「無責任」より「無感動」の方がぴったりしていて「無気力・無関心・無感動」としても使われるようになったのでしょう。当時の私は、政治や大学の問題に関しては、まさに「無気力・無関心・無感動」のような態度を装っていましたので、ぴったりだと思ってそう覚えこんだということだったのでしょう。なんかすっきりしました。

941号(2024.1.21)アジアカップ・イラク戦

 久しぶりに、サッカー日本代表について書いてみます。いつ以来かなと思ったら、2019年に開催された前回のアジアカップ以来でした。カタールに負けて優勝できなかった時でした。森保ジャパンが始まって初めての公式大会だった時です。そこから5年。第2次森保ジャパンになって以降、再び初めての公式大会ではないかと思います。5年前は、本当に森保監督で大丈夫かと、みんな半分疑いながら見ていたわけですが、優勝はできなかったものの、それなりの結果を出し、これで森保監督でも行けるかなと思ったものでした。

 しかし、今回のアジアカップは一昨年のワールドカップでドイツ、スペインを破り、その後も絶好調で10連勝で迎えた大会でしたので、優勝は当たり前、アジアのチームに負けることなんてないだろうと思いながら、みんな見ていたところでのイラク戦敗戦という結果は、そんなにアジアも甘くないよと言われている感じでした。初戦のベトナム戦も一時は1-2でリードされたわけですし、意外だと思った人は少なくないでしょうね。テレビでしかサッカーを見ないので、ベトナム戦はスポーツニュースでしか見ていないのですが、イラク戦はしっかり見ましたので、感想を述べたいと思います。

 正直言って、最初にスターティングメンバ―を見た時から、「うん?この布陣で大丈夫か?」と少し不安なりました。イラクはグループステージでの最強ライバルと見られていたはずなので、今のベストの布陣がこれか?とかなり疑問でした。トップ下でいい仕事をする南野を左に移して久保をトップ下というのは機能しないのではないか、CBは富安でなくて谷口で大丈夫か、と不安に思いましたが、やはり上手く機能せず0-2になってしまったので、珍しくCBが途中交代、前線も南野をトップ下、左に伊東純也を右から移し、右に久保という布陣に変えました。まあしかし、これも十分機能せず、その後の交代も十分効果が出ず、後半アディショナルタイムにようやく1点を返すのが精一杯で、実力で負けたような印象の試合になりました。

 前半からロングボールを放り込まれ、それをうまく納められ、かつ高い打点のヘッドができる選手のところにいい球が行ってしまい、見事に決められてしまいました。攻める方はうまくボールを繋げず、決定的チャンスを数多く作れませんでした。珍しいことですが、イラク戦は森保監督の選手起用の失敗による敗戦だったのではないかという感想を持ってしまいました。GKの鈴木はまだ若く、日本代表の正GKとしては不安です。今回は招集されていませんが、私はシュミット・ダニエル推しです。とりあえず、今回はシュミットはいないので、せめて前川で行ってほしいです。CBは富安、板倉しかないです。SBが左右ともに厳しいですね。伊藤洋輝はもともと買ってないんですよね。SBの選手ではないです。バックパスや横パスが多く、自信なさげにプレーしているように見えます。でも、中山も魅力がないし、左SBは日本の弱点です。右SBの菅原は買っていたのですが、この2試合、完全に裏を取られて日本チームの弱点になっています。代わるなら毎熊なのでしょうが、こちらも守備は不安です。酒井、長友のようなSBがまた出てきてくれないかなと思うばかりです。

 ボランチの遠藤と守田は、みんなよくやっていると言うのでしょうが、イラク戦は2人とも輝いていなかったです。この2人の組み合わせだとボランチがかなり守備的になりすぎます。ボールを繋いで攻撃的に来るチームならこの2人の組み合わせでボールカットからショートカウンターというパターンが有効ですが、イラクのようにロングボールやサイドに振って攻めてくるチームだと、この2人の組み合わせが適切ではない感じがします。でも、攻撃センスのあるボランチを招集していないので、結局この2人でいくしかないのかもしれません。鎌田とかいればここで使えたのですが。あともうひとつずっと気になっているのは、遠藤のキャプテンシーです。負けている時に、チームを鼓舞している雰囲気がないです。吉田がキャプテンだった時代は、吉田はよく声を出していたように思います。遠藤はキャプテン向きなのかなと疑問に思います。

 前は、右に伊東、トップ下に南野、左に三苫、ワントップは上田でしょう。三苫が怪我で出られないなら、中村を使うべきです。私は昔から小さくちょこまかドリブルをしたがる久保タイプの選手を評価できません。久保は日本代表ではレギュラーの位置にすべきではないと思います。後半の交代で、浅野や堂安というのは効果的ですが、久保は後半で出しても使いようがないです。スペインで活躍しているからと言って、日本代表の戦術に合わなければ出さなくてもいいはずです。イラク戦は交代もよくわからなかったです。伊東純也を引っ込めて前田では効果が出ません。守田と旗手の交代もよくわかりません。負けているのだから、もっと攻撃的選手を投入すべきでしょう。珍しく、森保監督の采配ミスで負けたとも言える試合だったのではないかと思います。

940号(2024.1.19)派閥解散?

 今朝の新聞に、岸田派と安倍派が派閥解散を検討しているというニュースがトップ記事になっていました。正直言って、派閥なんていったん解散してもまたできるに決まっているのでここで取り上げるほどの価値もないのですが、最近政治関連のテーマで何も書いてなかったなあと思い、ちょっと書いてみることにします。

 岸田派解散を岸田首相が打ち出すというのは、1か月ほど前に岸田派を離脱すると宣言したことが実際は行われていなかったことを意味します。本当に離脱していたなら、もう岸田首相には岸田派の解散を検討する資格はないはずです。あと、岸田派には次を狙う林芳正がいるので、彼にとって総裁選の地盤になる派閥の解消はなんとでも阻止したいところでしょうから、もしも形式的に岸田派を解散したなら、すぐにでも林派を立ち上げたいと思うことでしょう。まあ、岸田を排除した形で新派閥を創れたら、林官房長官にとってそれはそれでラッキーかもしれませんが。

 安倍派の解散は現実味があります。今回の問題が露見する以前から、安倍晋三の後継者を決められず、トップのいない組織ですから、今回の問題が起きなくても、いずれ解散、再編が起きやすい状況でした。今回の問題でも、派閥として一番問題のある行為をしていたわけですから、これをきっかけに派閥解散、5人衆のうちの何人かが新たにグループ――実質派閥――を創ることになるのでしょう。グループを作りそうなのは、西村康稔と萩生田光一あたりでしょう。保守系の安倍チルドレンの多くは萩生田についていきそうな気がします。

 まあいずれにしろ、派閥はいったん解散とかになっても、いずれ復活します。誰もが言っていますが、多人数の組織には、組織内集団ができる方が自然です。永遠になくなるわけはないです。そもそも政党だって、政治という世界に生まれている派閥のようなものです。そして、どの政党も内部にグループができているものです。ないのは日本共産党くらいですが、そうなると逆に党内民主主義がないと批判されたりします。派閥がなくなれば、今回のような政治資金問題が起きなくなるなんて、まったく的外れな対策です。派閥が解散するかどうかなんてことが焦点になっているようでは、問題の本質がごまかされている感じです。

 政党助成金を与えるなら、一切の政治資金獲得のためのパーティは全面的に禁止すべきです。でも、私はどちらかと言うと、どうせ隠れて資金を提供する企業、受け取る政治家はいるの決まっているので、政党助成金を与えるのを一切やめて、自力で資金を集めさせる昔の形でいいのではないかと思っています。献金を受けて、そういう企業のためにだけ働く政治家なのかどうかを、有権者がしっかり見極めるしか、政治家をまっとうにする手はないのではないかと思っています。こういう問題が起きるのも、結局国民がちゃんと政治に関心を持って、投票行動を行っていない結果だと思います。そこが変わらない限り、こんな問題はこれからも何度でも起きることでしょう。

939号(2024.1.14)楽しかった!

 今年は出だしから、災害、事故、自分の病気と暗いスタートで、予定していた新年会も3つもキャンセルしてちょっと鬱々と過ごしていたのですが、ようやく昨日、今年初の新年会ができました。601人(=私)、403人、302人、202人という飲み会でした。1次会で美味しく食べ飲みし、盛り上がったままカラオケにまで行き、さらに大盛り上がりになり、みんな終電ギリギリまでいるという楽しい晩になりました。参加メンバーの笑顔を見ていて、本当に幸せな気持ちになり、鬱々とした気持ちが消えていきました。やっぱり、対面で会って適度にアルコールも入れながらコミュニケーションを取るって楽しいですよね。

しかし、考えてみると、上記のような年齢の組み合わせでの飲み会って、今はあまりないのかもしれませんね。昔なら、上司も含めた職場の人たちとの飲み会だと、こういう年齢のばらつきのある飲み会もあったのでしょうが、最近は少なくなっているみたいですからね。昨日の飲み会の場合、みんな私の教え子たちですが、それぞれみんな違う学年の人です。私にとっては、しばしば行うタテつながりの飲み会のひとつですが、こんな関係性を続けているゼミというのも、改めて考えると珍しいでしょうね。年齢差があるのに、若い20代も40代に気楽にツッコミを入れられる関係って、実にいいものです。

そして、こういう関係が生まれるにあたって、私という存在が必要だったんだよなと思うと、幸せな気持ちにならせてもらえます。もちろん、個々の人たちがそれぞれ魅力的だからではありますが、たぶん私を含めて特別な人は誰もいなくて、人はみんな魅力的なので、それを素直に発揮できる場があるかどうかの問題なのだと思います。そういう場を作ってきたという自負心は持っています。対面の人間関係、特に年齢の違う人との飲み会なんて苦痛以外の何物でもないと思っているような若い人たちに、こういう場を経験させて楽しさを知ってもらいたいなと思います。まあそうは言っても急には無理ですから、少しずつ私との距離を縮めてもらうところから始めてもらうしかないですが。4月から始まる31期生が最後のゼミ生ですが、その中からもいつかこういうタテつながりの飲み会に喜んで参加してくれる子が出てくることを期待したいと思います。

938号(2024.1.10)LINE未読が嫌い

 基本的にメールを中心にコミュニケーションを取っている人間ですが、今の時代、メールはあまり見ない人も多いので、どうしても連絡しなければと思う時は、LINEで連絡しています。しかし、しばしばそのLINEを何日も未読のままにしておく人がいて、それがすごく嫌いです。

 以前LINEの機能をあまりわかっていなかった時は、ずっと未読って何かあったんじゃないかと本気で心配したりもしましたが、通知でも読めてしますし、さらには未読のまま内容を確認する方法もあると知り、未読にしておくって、気づかなかったふりをしているだけなんだと知ってからは、未読のままにしておく人に対しては評価を非常に下げています。

 たぶん若者文化の中では、返事ができるようになるまでは「既読スルー」のように思われて失礼になりそうだから、返事するときまで未読にしておこうというマナーなのだろうと思いますが、私はすぐに返事できなくても既読にしてもらった方が安心します。すぐに返事できないのは忙しかったり、スケジュール調整が必要だったりで、時間がかかっているんだろうなと理解しますので、既読になった後23日後の返事でも不快感はありません。

 しかし、未読にしたまま、23日どころか、下手すると45日以上放置している人もいます。私はこういう人が非常に苦手です。こういうことを何回かされると、「もういいや。この人に連絡を取るのはやめよう」と思います。もしも、これまでの私とのやり取りでそういう経験を持つ方で、今後も私と付き合っていきたいと思う方は、今後は直していただけたら幸いです。

937号(2024.1.8)今年の大河ドラマへの期待

 紫式部を主人公にした「光る君へ」が始まりました。今年はちょっと楽しみにしていました。紫式部にはほとんど興味がないのですが、平安時代の政治に最近非常に興味があるので、そこをどう描いてくれるかが楽しみです。昨日の1回目を見る限り、かなりしっかりと描いてくれそうで、楽しみが増しました。

 奈良時代から平安時代にかけての天皇家と藤原氏との関係は非常に興味深いです。どうやって藤原北家――特に藤原道長の子孫――が摂関家と呼ばれる圧倒的な権力を持つ立場になりえたのかは調べれば調べるほど面白いのですが、映像としてはどう描いていくのだろうという別の興味があります。昨日の放送では、後の花山天皇になる皇太子が奇矯な行動を取る若者として描かれていました。実際に、花山天皇やその父親の冷泉天皇は精神的におかしかったと記録があるようです。この花山天皇の廃位を藤原兼家が企み、天皇を騙して出家させるという計画を、次男の道兼が実行し、一条天皇を帝位につけるわけですが、ここはひとつの見せ場になるでしょう。(ちなみに、この花山天皇が失脚したことで、せっかくその家庭教師役になっていた紫式部の父親・藤原為時は出世の道が途絶えてしまいます。)

 今の天皇家だけ見ていると、政治的権力とは無縁の世界に生きているように感じますが、武家政権が確立するまでは天皇家は最大の政治的権力者でした。(鎌倉時代に、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が武家から権力を奪取しようとしたのは、まだ天皇家は政治的権力者だという意識があったせいでしょう。)昨日のドラマの中でも、役人の任官をいちいち円融天皇が認めないといけないという場面があり、実際がどうだったかはわかりませんが、形式的にはまさにこうした役割があったことが描かれていました。(ある意味、今でも大臣の任命とかを天皇がするのはその伝統を引き継いだものと言えるでしょう。)

 今回のドラマでは、藤原道長が権力を得ていく過程が描かれるのでしょうが、もうドラマの始まった時点で藤原北家は藤原四家の中で、すでに圧倒的力を持っていて、権力闘争は北家の中での争いになっています。気になるのは、一体どのあたりから北家が力を持ち始めたかです。道長の父親・兼家の高祖父にあたる良房が嵯峨天皇(のち上皇)におおいに評価され出世を遂げ、娘の明子を嵯峨天皇の孫にあたる文徳天皇の后とし、のちの清和天皇を生んだあたりからです。清和天皇は文徳天皇の第4皇子であったにもかかわらず、わずか8か月で皇太子に立てられ、9歳で即位します。正式の任官はもう少し後になりますが、実質的にこの段階で良房は、人臣初の摂政となります。これ以降、北家の藤原長者が摂政関白を務め、権力を集中させていく歴史が始まります。良房は男子がいなかったので、甥である基経を養子にして後を継がせ、その後直系で、忠平、師輔、兼家、道長と繋がっていきます。ただし、忠平以下の4人はいずれも長男ではないので、実際にはそんな簡単に継承がされたわけではなく、兄弟間の争いもいろいろありましたし、成人した天皇との権力闘争とかも起きています。調べていると面白くてやめられなくなります。

戦国時代や幕末のような武力闘争が激しかった時代に若い時は興味を引かれますが、もうその辺の時代は、私にとってもはや新鮮味はなく、わかりにくいと思っていた平安時代の政治闘争が今や非常に面白いです。今年の大河ドラマが、滅多に描かれたことがない宮中の権力闘争をしっかり描いてくれることをおおいに期待したいと思います。

936号(2024.1.5)コロナだったかもしれない体験記

 前号で書いたように大晦日から体調不良になり、この正月は誰とも会わずひたすらおとなしくしてました。おかげさまで体調はほぼ通常に戻りました。まだ少しだけ喉の痛みと頭痛がありますが、生活するのに支障はないです。治りかけですが、一応検査してもらおうと思って、今日から行きつけの病院が開いたので、人の少なさそうな時間を見計らって受診に行ったのですが、「コロナだったかもしれないのですが、、、」といった瞬間に、日頃愛想のよい先生が「うちは検査も対応も何もできないから」と言って、検査してくれる病院と薬局で抗原検査キットが売ってるからという情報だけくれましたが、ほぼ追い返されてしまいました。5類に移行したと言っても、まだこんな風に扱われるんだなと初めて経験しました。インフルエンザと同じ5類になったはずですが、インフルエンザとは対応は大分違うんですね。ちなみに、私が最初に「コロナだったかも」と言わなければ、普通に診察してくれたと思いますので、そうしたらどんな判断が下っていたのかなとちょっと興味深いところです。まあ、病院からしたらコロナ対応のできない病院には、コロナの可能性のありそうな人は来ないでくださいという感じなのでしょうね。病院の対応から見ると、コロナはまだ5類になりきってない感じですね。もうほぼ治りかけているので、知らない病院に行ってまで検査してもらうこともないなと思うので、今回の体調不良は「コロナだったかもしれない」という認識で終わりそうです。

 コロナだったかどうかはっきりしませんが、せっかくなので症状の記録だけ残しておこうと思います。大晦日から風邪っぽい症状が出てきたなと思っていたのですが、その晩寝ている時の頭痛がひどく、翌日元旦に熱を測ったら37.5度でした。一般的にはそれほど高い熱とは思われないでしょうが、人生で39度台が1回だけ、38度台も3回くらいしか出したことのない人間なので、37.5度は私としては結構高熱です。結局13日くらいまでは、37度台前半の熱がありました。4日以降はほぼ平熱に戻りました。一方で長く続いた――今もまだ少し続く――のは、喉の痛みです。特に、2日の夜から3日の朝にかけては喉の痛みで眠れないほどでした。相当腫れていたと思います。横になっている時に「これ、ちょっと肺の方まで来てないか?」と少し心配になったほどです。ゼミ生でコロナに罹った子が、やはり喉が痛かったと言ってましたが、私もその症状が一番きつかったです。他には鼻水、くしゃみ、関節の痛み等は多少ありましたが、通常の軽い風邪の時と変わらない程度でした。味覚障害、臭覚障害とかが出るという話も聞いていましたが、私はまったく出ませんでした。胃腸の調子も悪くなく、普通に食事はしてました。そうは言っても、買い物は行けないし、手間のかかるものも作りたくなかったので、大晦日に大量に作った筑前煮が大活躍で、昨日まで5日連続で食べています。あと残りもう少しになりました(笑)

 まあこんな症状だったので、コロナだったのか、あるいはインフルエンザだったのか、ちょっとひどい風邪だったのか、はっきりはわかりませんが、とりあえず1230日から今日病院で医師と一瞬話した以外は誰にも会っていませんし、この後も18日まで人に会う予定はないので、コロナだったとしても誰にも感染させずに完治できると思います。予定していた新年会を2つキャンセルして、映画ばかり見ているという地味な正月となりましたが、仕方ないところですね。前号の「つらつら通信」を読んで心配してくださった方もそれなりにいると思いましたので、ほぼ病状は回復しましたという報告を兼ねて書かせてもらいました。来週からは元気にやっていきます。

935号(2024.1.2)2024年波乱の幕開け

 元旦から大きな地震があり、驚きましたね。元旦に大きな地震で正月特番が放送中止になるのは、私が記憶する限り初めてのことです。正月気分がすっかり飛んでしまいましたね。被害もかなり出ているようなので心配です。大阪もかなり揺れました。感覚的には震度4くらいあった気がします。1995年の阪神淡路大震災と2018年の北大阪地震と2度の大きな地震で家の中がめちゃくちゃになるという体験をしてから、地震が怖くて仕方ありません。ちょっと揺れただけでも、びくっとします。なので、昨日くらいの地震が起きると本当に怖いです。

 その上、実は個人的にも大晦日の晩くらいから体調が悪くなってきて、元旦はものすごい頭痛と咳、熱も37.5度まで上がり、かなり弱っていた時だったので、特にしんどかったです。今日は昨日よりはましですが、まだ熱が37度を超えるくらいあり、のどの痛み、咳、くしゃみ、頭痛、関節痛と悩まされています。年賀状の返信やこの「つらつら通信」を書く程度のことはできますが、参加予定だったある学年の同期会は急遽欠席せざるをえませんでした。寝込むほどではないですが、体がだるく、ちょっとしんどいです。滅多に病気をしない人間なのですが、12月はものすごく忙しかったので、そのすべてのスケジュールをこなしきったところで、体が休息を求めたのかもしれません。とりあえず大人しく過ごして回復につとめます。

【追記】昨日の地震の被害が非常に大きかったことがどんどんわかってきて、どこまで被害は広がるのだろうと一段と心配になっているところに、今日も日航機が全焼する大事故が起きてしまいました。こんなにひどいことが元旦から2日続けて起きるなんて、私の記憶どころか、日本の歴史でもなかったのではないでしょうか。二度あることは三度ある、なんてことだけはないように祈りたいです。