本を読もう!映画を観よう!9

2020.9.27開始、2022.6.30更新)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>872.浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』角川書店833.有川浩『県庁おもてなし課』角川文庫808.朝井リョウ『何者』新潮文庫802.遠藤周作『ファーストレディー』新潮文庫

<人間ドラマ>897.朝井まかて『恋歌』講談社文庫891.北原亞以子『その夜の雪』新潮文庫886.雫井修介『つばさものがたり』角川文庫882.有吉佐和子『香華』新潮文庫873.土屋敦『「戦争孤児」を生きる』青弓社872.浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』角川書店871.薬丸岳『Aではない君と』講談社文庫855.向田邦子『あ・うん』文春文庫848.宮尾登美子『蔵()()』中公文庫847.有川浩『海の底』角川文庫845.萩尾望都『一度きりの大泉の話』河出書房新社839.朱野帰子『駅物語』講談社文庫836.有沢真由『美将団 信長を愛した男たち』宝島社823.米澤穂信『満願』新潮文庫820.角田光代『対岸の彼女』文春文庫818.古内一絵『十六夜荘ノート』中公文庫812.乃南アサ『ウツボカズラの夢』双葉文庫808.朝井リョウ『何者』新潮文庫803.菊池寛『真珠夫人』文春文庫

<推理サスペンス>900.真梨幸子『631日の同窓会』実業之日本社文庫898.長江俊和『出版禁止』新潮文庫892.伊岡瞬『代償』角川文庫887.永嶋恵美『転落』講談社文庫872.浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』角川書店871.薬丸岳『Aではない君と』講談社文庫850.湊かなえ『母性』新潮文庫847.有川浩『海の底』角川文庫832.安生正『生存者ゼロ』宝島社文庫831.歌野晶午『葉桜の季節に君を思うということ』文春文庫830.米澤穂信『ボトルネック』新潮文庫827.湊かなえ『往復書簡』幻冬舎文庫823.米澤穂信『満願』新潮文庫822.朝井リョウ『世にも奇妙な君物語』講談社文庫818.古内一絵『十六夜荘ノート』中公文庫

<日本と政治を考える本>894.百田尚樹『日本国紀(上)(下)』幻冬舎文庫854.高橋鐵『浮世絵 その秘められた一面』河出文庫

<人物伝>897.朝井まかて『恋歌』講談社文庫889.秋永芳郎『海軍中将・大西瀧治郎 「特攻の父」と呼ばれた提督の生涯』光人社NF文庫880.寺田眞智子・古川香美由編『若葉になりて――寺田隆士追悼遺稿集――』(私家版)877.大倉雄二『鯰 大倉喜八郎 元祖“成り金”の混沌たる一生』文春文庫875.吉川英治『大谷刑部』青空文庫874.愛新覚羅浩『流転の王妃の昭和史』新潮文庫864.山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』新潮文庫861.吉村昭『長英逃亡()()』新潮文庫851.児玉博『堤清二 罪と業 最後の告白』文春文庫843.冲方丁『天地明察(上・下)』角川文庫841.安部龍太郎『レオン氏郷』PHP文藝文庫825.梯久美子『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』新潮文庫821.加来耕三『立花宗茂』中公新書ラクレ811.柘植久慶『皇女アナスタシアの真実』小学館文庫806.工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』幻冬舎文庫

<歴史物・時代物>899.朝井まかて『洛陽』祥伝社文庫897.朝井まかて『恋歌』講談社文庫896.橋本健二『居酒屋の戦後史』祥伝社文庫894.百田尚樹『日本国紀()()』幻冬舎文庫891.北原亞以子『その夜の雪』新潮文庫889.秋永芳郎『海軍中将・大西瀧治郎 「特攻の父」と呼ばれた提督の生涯』光人社NF文庫885.乙川優三郎『喜知次』講談社文庫879.白石一郎『島原大変』文春文庫875.吉川英治『大谷刑部』青空文庫874.愛新覚羅浩『流転の王妃の昭和史』新潮文庫873.土屋敦『「戦争孤児」を生きる』青弓社870.宮尾登美子『一絃の琴』講談社文庫867.杉本苑子『竹ノ御所鞠子』中央公論社861.吉村昭『長英逃亡()()』新潮文庫854.高橋鐵『浮世絵 その秘められた一面』河出文庫843.冲方丁『天地明察(上・下)』角川文庫841.安部龍太郎『レオン氏郷』PHP文藝文庫836.有沢真由『美将団 信長を愛した男たち』宝島社825.梯久美子『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』新潮文庫821.加来耕三『立花宗茂』中公新書ラクレ

<青春・若者・ユーモア>859.原田康子『挽歌』新潮文庫846.竹宮恵子『少年の名はジルベール』小学館文庫845.萩尾望都『一度きりの大泉の話』河出書房新社837.森絵都『永遠の出口』集英社文庫833.有川浩『県庁おもてなし課』角川文庫829.有川浩『クジラの彼』角川文庫824.有川浩『ラブコメ今昔』角川文庫819.森絵都『つきのふね』角川文庫

<純文学的小説>893.小川洋子『ホテル・アイリス』幻冬舎文庫835.宇佐見りん「推し。燃ゆ」(『文芸春秋』20213月号)820.角田光代『対岸の彼女』文春文庫

<映画等>895.(映画)早川千絵『PLAN75』(2022年・日本・フランス・フィリピン)890.(映画)ピーター・ウィアー監督『トゥルーマン・ショー』(1998年・アメリカ)888.(映画)ガス・ヴァン・サント監督『グッド・ウィル・ハンティング』(1997年・アメリカ)884.(映画)ウィリアム・ワイラー監督『我等の生涯の最良の年』(1946年・アメリカ)883.(映画)ペニー・マーシャル監督『レナードの朝』(1990年・アメリカ)881.(映画)瀬々敬久監督『糸』(2020年・日本)878.(映画)ガース・ジェニングス監督『SING』(2016年・アメリカ)876.(映画)岩合光昭監督『ねことじいちゃん』(2019年・日本)869.(映画)大島渚監督『御法度』(1999年・松竹)868.(映画)外崎春雄監督『鬼滅の刃 無限列車編』(2020年・日本)865.(ドラマ)源孝志作・演出『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』(2021NHK863.(映画)森谷司郎監督『動乱』(1980年・東映)862.(映画)マーヴィン・ルロイ監督『悪い種子』(1956年・アメリカ)860.(映画)アーマンド・イアヌッチ監督『スターリンの葬送狂騒曲』(2018年・イギリス/カナダ/フランス/ベルギー)858.(映画)テレンス・ヤング監督『暗くなるまで待って』(1967年・アメリカ)857.(映画)内田けんじ監督『鍵泥棒のメソッド』(2012年・日本)856.(映画)ビリー・ワイルダー監督『麗しのサブリナ』(1954年・アメリカ)853.(映画)クリント・イーストウッド監督『ハドソン川の奇跡』(2016年・アメリカ)852.(映画)ジェームズ・キャメロン監督『トゥルーライズ』(1994年・アメリカ)849.(映画)リチャード・カーティス監督『アバウト・タイム――愛おしい時間について――』(2013年・イギリス)844.(ドラマ)宮尾登美子原作『櫂』(1)(2)(3)1999年・NHK842.(映画)チャン・フン監督『タクシードライバー――約束は海を越えて――』(2017年・韓国)840.(映画)黒沢清監督『スパイの妻』(2020年・日本)838.(映画)三谷幸喜脚本・星護監督『笑の大学』(2004年・東宝)834.(映画)山田洋次監督『男はつらいよ お帰り寅さん』(2019年・日本)828.(映画)黒沢清監督『岸辺の旅』(2015年・日本)826.(映画)堤幸彦監督『ファーストラブ』(2021年・日本)817.(映画)光野道夫監督・岡田惠和脚本『大人の事情 スマホをのぞいたら』(2021年・日本)816.(映画)江崎実生監督『夜霧よ今夜も有難う』(1967年・日活)815.(ドラマ)岡本螢・刀根夕子原作・矢島弘一脚本『おもひでぽろぽろ』(2021年・NHK)814.(ドラマ)山田太一脚本『チロルの挽歌()()』(1992年・NHK)813.(ドラマ)『光秀のスマホ 歳末の陣』(2020年・NHK)810.(映画)ウィリアム・フリードキン監督『恐怖の報酬』(1977年・アメリカ)809.(映画)フランクリン・J・シャフナー監督『ニコライとアレクサンドラ』(1971年・イギリス/アメリカ)807.(映画)ビリー・ワイルダー監督『昼下がりの情事』(1957年・アメリカ)805.(映画)土井裕泰監督『罪の声』(2020年・東宝)804.(映画)大森立嗣監督『星の子』(2020年・日本)801.(映画)大森立嗣監督『日々是好日』(2018年・日本)

<その他>873.土屋敦『「戦争孤児」を生きる』青弓社846.竹宮恵子『少年の名はジルベール』小学館文庫845.萩尾望都『一度きりの大泉の話』河出書房新社

<最新紹介>

900.真梨幸子『631日の同窓会』実業之日本社文庫

 「631日」という不思議な日付と、裏表紙に書かれていた「一気読み必死の長編ミステリー」という宣伝文句に惹かれて読んでみましたが、駄作でした。この作家、初めてのような、かすかに記憶のあるようなと思いながら読んでいましたが、読み終わって調べてみたら『孤虫症』という小説を読んでいて、その感想に「トンデモ小説」で、もうこの作家は読まないでしょうと書いていました(笑)2回も騙されてしまいました。今度こそ、名前を忘れないようにして2度と読みません。

 まあこんな批判ばかりしていて中身の紹介をしておかないと中身を忘れてまた騙されるかもしれないので、ざくっと書いておきます。ある名門女子高校のOGたちが次々に死んでしまうというストーリーで、それらの死には関連があるのかどうかという展開で読ませようとするのですが、人物描写が下手で、どの人物がどの人物かわかりにくく、何度も前を読み直さざるを得ず、一気呵成に読ません。そして、最後の方になると、たくさん起きた死よりも別の謎がその高校にはあったんだということが書かれて、そっちの方が実は重要だったんだというような締め方になります。「はあ?」って感じでした。

 前の『孤虫症』という小説を読んだ時と似たような感想をまた持ちました。妙に複雑なストーリーを作りたがり、ごちゃごちゃしすぎてすっきりと読めない三流小説です。こんな小説で900号という記念号になってしまうのが残念です。違う小説を読めばよかったです。(2022.6.30

899.朝井まかて『洛陽』祥伝社文庫

 1冊読んで気に入った朝井まかての2冊目をさっそく読んでみました。この物語は、明治神宮を造ることをめぐってのストーリーと紹介されていたのですが、実際にはある新聞記者が明治時代とは、明治天皇とはどういう人だったのかを調べていくというのが隠れたテーマになっています。ただ、1冊目に読んだ「恋歌」ほどのキレはない小説でした。明治天皇のことももっと踏み込んで語ってもらわないと、なんとなく立派な人だったという程度の内容で終わっています。せっかくなら、明治天皇すり替え説を織り込んでくれたらよかったのにと思ってしまいました。せめて、宮中奥深くで育ったひ弱な少年だったはずの明治天皇が、なぜたくましい近代的な立憲君主になれたのかくらいは謎解きしてほしかったです。

 表のストーリーの明治神宮建設問題は勉強になりました。久しぶりに明治神宮に行ってみて、この物語で話題になっていた杜が100年経ってどうなっているのか確認したくなりました。小説としては今一つですが、新しい興味関心が湧いたという点ではまあまあでした。(2022.6.27

898.長江俊和『出版禁止』新潮文庫

 「話題騒然!!異例の大重版出来!!」という帯の盛大な宣伝文句にちょっと惹かれて読んでみることにしました。なんか奇妙な出だしでどんな小説なのだろうと不思議に思いながら読みました。読み終わった後、調べたら、この作家は小説家というより、映像クリエーターで「放送禁止」という有名な番組――私は見たこともなかったし、番組名も知りませんでしたが――を作っていた人だそうで、そのパターンを活字に持ち込んで書かれた話のようです。

 さて、どういう話かというと、出版禁止になった原稿が入手できたという設定で、その原稿がこの物語です。「出版禁止」というタイトルはこの物語には関係ありません。「放送禁止」の活字版だと知ってもらうためのタイトルとしてつけたのでしょう。実際、その後同じ「出版禁止」というタイトルで、別の設定の物語を書いているようです。で、その出版禁止になった方の原稿には、「カミュの刺客」というタイトルがついています。あるルポライターが7年前に起きた有名ドキュメンタリー作家の心中事件の真相を調べ直すというストーリーです。その心中事件で女性の方は一命を取り留めていたので、ルポライターはその女性にコンタクトを取って真相に迫ろうとしますが、心中事件が起きた当時に言われていた通りのことしか明らかになりません。

 ルポとしては何ら新しい発見もなく、この物語はどう展開させるのだろうと思ってい始めた後半に、大きく展開が変わります。ルポライターが取材対象の女性と恋愛関係になり、半同棲的な生活をするようになり、そこで新たな心中事件が起きます。というのが表面的な筋で、これが最後になって、実はこういうことだったということが次々に明らかにされていきます。このあたりの謎あかしはやはり面白く、これが「大重版」になった理由なんだろうなと納得できました。

 リアリティはない小説ですが、エンターテインメント小説としては面白いと言えると思います。ミステリー好きにはお薦めです。(2022.6.24

897.朝井まかて『恋歌』講談社文庫

 初めて読んだ作家の作品ですが、傑作でした。名前も知らない作家でしたが、直木賞を取った作品だということと、文庫本の裏の内容紹介で明治期の実在の女流歌人の中島歌子が主人公で、彼女の人生が幕末の水戸藩と関りがあったということが書いてあり、割と面白いかもと読み始めました。最初は、明治後半から話が始まり、歌子の弟子の三宅花圃――三宅雪嶺夫人――という人物が狂言回しのように登場し、えっ、中島歌子の話じゃないのと首を傾げながら読み始めたのですが、途中から歌子の手記が見つかったという設定で、歌子自身が自分の人生を語るという物語になります。

 江戸の水戸藩御用達の宿屋の一人娘だった登世――中島歌子の本名――が水戸藩の侍に恋をし、その思いを遂げて水戸に嫁に行きますが、幕末の水戸藩は烈公・徳川斉昭亡き後、尊王攘夷を唱える天狗党と佐幕派の諸生党の激しい内紛の時代で、それに巻き込まれ登世も死が間近に迫る獄中生活を強いられます。このあたりのストーリーがこの本の大部分を占めていて、この辺を読んでいた時には、こんなにこの辺のストーリーをたっぷり書くなら、三宅花圃とか無理に登場させずに、最初から最後まで中島歌子の1人称で描かれる小説でよかったのではと思っていました。

 しかし、最後のところで、また明治後半に時代が戻り、そこでこの小説のもうひとつの謎解きがなされ、なるほど、これなら1人称の小説にしたくなかったわけだと感心し、作品に対する私の評価がぐっと上がりました。恋愛小説と歴史小説と推理小説の楽しさも味わえる傑作です。大河ドラマにできる作品だと思いました。幕末初期にあれだけ派手に活躍していた水戸藩の人間が、明治以降に全然活躍していないのがなぜかかもわかる優れた小説です。

 今回初めて知った朝井まかてというこの作家さんは、1959年生まれで2008年デビューだそうです。もう50歳に手が届こうかというところから作家になったんですね。素晴らしいです。この作品は2013年に発表したそうですので54歳です。他の作品も読んでみたいと思います。(2022.6.20

896.橋本健二『居酒屋の戦後史』祥伝社文庫

 著者は『格差の戦後史』という優れた本を書いた社会学者ですが、酒好きで居酒屋についてもいろいろ調べていて本を書いているのは知っていたので、今回読んでみました。読後感としては、中途半端な本になっているなという印象でした。著名人の日記や映画の場面から戦後の居酒屋について語る部分、自分の体験からの居酒屋紹介、専門の格差の話を絡めて酒に関しても格差が広がっていたり、酒離れが進んでいるということをデータから語る部分と、かなりトーンの違うものが一つの本に入り込んでいて、トーンが変わるたびにこちらの読む態勢も変えざるをえず、気持ちよくスムーズに読めませんでした。

 私が一番知りたかったのは、チェーンの居酒屋の誕生と発展でした。その部分に関しては多少勉強になりました。私が思っていたより、チェーン展開は早かったんだということを知りました。著者が触れていないことで、個人的にかなり大きな影響を与えていたのではないかと思うのは、生ビールの提供が可能になったことです。1970年代の半ば――私が学生時代――は、まだ居酒屋では瓶ビールしかなく、生ビールはビアホールとかに行かなければ飲めないものだったはずです。ところが、この生ビールが簡単にジョッキで出されるようになり、それもチェーンの居酒屋の発展に大きく寄与したのではないかと思っているのですが、その点については触れられていなかったのは残念でした。まあ、自分で調べればいいのでしょうね(笑)(2022.6.19

895.(映画)早川千絵『PLAN75』(2022年・日本・フランス・フィリピン)

 日本の高齢化問題の解決のために、75歳以上は死を選ぶことができ、それを役所がスムーズに進めてくれるという衝撃的な設定で展開する映画です。80歳からは自ら死ぬことを選ぶことができるようにすべきではないかという持論(「KSつらつら通信 第492号 長寿は幸せなのだろうか?(2014.2.13)」参照)を持つ私にとっては是非とも観なければならない映画だと思い、公開2日目に観に行ってきました。関心を持つ人が多かったようで、比較的小さめのスクリーンでしたが、満席でした。当然ながら、観客はほぼ全員高齢者でした。

 さて映画ですが、まずは主演の倍賞千恵子が素晴らしいです。全編を通してほぼすっぴんで、深く刻まれた顔の皺や骨張ってしまった手の指などが何度もアップで映されます。綺麗に映りたいであろう女優さんがここまで老いを曝け出すのは本物の女優なんだろうなとしみじみ感心しました。今年の日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞は絶対倍賞千恵子に与えるべきです。

 ストーリーは、78歳でホテルのベッドメイキングの仕事をやっていた倍賞千恵子演じるミチが年齢を理由に解雇され、まだやれると思って仕事を探しますが見つからず、住んでいる団地も解体予定なのか退去を求められていますが、新しいアパートも年齢を理由に貸してもらえません。将来の見えなくなったミチは、それまでは自分に関係ないと思っていたPLAN 75に申し込みます。死の措置が行われる日まで電話で係の若い女性と話をして、久しぶりにコミュニケーションの楽しさを味わいます。そして、当日が来ます。

 どんな終わり方にするのだろうと思いながら観ていましたが、様々な解釈が可能な終わり方でした。ただし、単純なハッピーエンドではなく、最後までリタイアした高齢者はどう生きたらいいのかという問いは投げかけられたままでした。私は認知症で生きるくらいなら死を選びたいと考えている人間ですが、そんな症状がなくとも、社会から必要とされなくなったら、生きていくのは辛くなるのだろうなと思わざるを得ない映画でした。(2022.6.18

894.百田尚樹『日本国紀()()』幻冬舎文庫

この作家は、最近は保守的、右寄りの発言が多い人なので、どの程度これまでの日本の歴史と違いがあるのだろうかという興味で読んでみました。まあ左寄りの知識人なら「嘘ばかり書いている」とか酷評するのかもしれませんが、私はどちらの立場でもないので、素直に読ませてもらいました。

 全体的な印象としてはまあこんなものだろうなという感じです。上巻は古代から幕末までですが、ここでは日本人が如何に優れていたかというようなことがちらちら出てきますが、そこまで極端に偏った印象でもなかったです。下巻は明治維新から現代までですが、「自虐史観」と保守派が批判する戦後日本の歴史教育の問題性をこの作者も指摘します。特に、中国、韓国と関係においては、強く日本擁護の立場を打ち出します。1990年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が「自虐史観」批判の声を上げ始めた頃は、一部のウルトラ保守がそういう主張をしていると見る人が多かったように思いますが、今だとこの程度の歴史認識で書かれた通史は極端な保守とは思われずに受け入れられるのかもしれないなとも思いました。

 歴史って、どういう風に教えるのがいいのでしょうね。戦後日本の教育界が戦前の体制や思想に対する反動から、かなり左寄りになっていたことは間違いないだろうと思います。反省すべきところは反省するというのが大事なのでしょうが、どう反省すべきかが難しいところです。少なくとも、教える人間は、異なる立場の歴史観を知っておいた方がいいでしょうね。(2022.6.5)

893.小川洋子『ホテル・アイリス』幻冬舎文庫

 HPに「本を貸しますよ」と書いたのを見て、現役生が「小川洋子の『博士の愛した数式』を貸してください」と言ってきたので、研究室を探してみたのですが、見つからず、代わりに小川洋子のこの小説が見つかりました。研究室に置いてある小説はすべて読み終わった小説なのですが、ぱらぱら見ても、この小説の内容をまったく思い出せず、かつちょっと刺激的な設定だったので、改めて読んでみました。読み終わった今も、この小説を読んだ記憶が戻ってきません。ちゃんと感想を書いておかないと駄目ですね。映像記憶の方が残るのか、映画やドラマの方がなんか見たことがあると記憶がかすかに戻りますが、活字は余程印象強いものでないと残らないようです。

 さて、この小説ですが、読み終わった感想としては、こんなストーリーなら少しは記憶に残ってもいいはずなのに、と思うような話でした。この著者は品の良い文学的文章の書ける人で、上記の『博士の愛した数式』などが代表作ですが、この作品はかなり異質です。文体自体は小川洋子らしい静かな、美しい文章ですが、テーマが少女と初老の男のSMで、それもかなり詳細に描写しており、読みようによってはエロ小説とも言えるような作品です。小川洋子という作家は女性ファンが多そうな気がするのですが、この作品は女性たちには受け入れがたいのではないかと思うほどでした。

 文庫本には解説がなかったので、ネット上の書評はどうなっているだろうと見たら、一概には悪くはなかったです。強く拒否する人もいましたが、テーマは強烈だが、やはりそれなりに小川洋子の世界が描かれているという評価も多かったです。ついでに見ていたら、ちょうど今年の2月にこの作品は映画化されていました。予告編や感想を見ると、小説で描かれたようなエロチックな場面はやはりそのままでは描写されなかったようです。たぶん、そのまま描こうと思ったら、アダルトビデオになってしまうと思いますので、当然の判断だとは思います。

 小川洋子はなぜこういう作品を描こうとしたのでしょうか。『妊娠カレンダー』という小説もありますし、女性の身体性や生理に基づく心理に関心が高く、そのシミュレーションとして生み出された作品なのかもしれません。男性作家ではただのエロ小説になってしまうテーマを純文学として読ませるのは、力のある女性作家ゆえにできたことなのでしょう。(2022.5.10)

892.伊岡瞬『代償』角川文庫

 まったく知らない作家でしたが、帯の「一気読み絶対保証!!」というキャッチコピーに惹かれて買いましたが、本当に一気読みしてしまいました(笑)読み終わらないと寝られないと思い、いつもより就寝時間が2時間以上遅くなってしまいました。ストーリー展開に長けた作品です。「どうなるんだろう?」と先を読みたくなる山がいくつもうまく配置されていて、気になって一気に読みたくなってしまいます。

 話は主人公の圭輔が小学5年生の時に始まり、第1部はそこから中学1年までです。同い年のもう一人の主役(ヒール役)達也の罠にはまり、不幸のどん底に突き落とされます。そして、第2部はその13年後の設定で、若手弁護士となった圭輔のところに、強盗致死の容疑者となった達也から弁護の依頼が舞い込みます。当然圭輔は断ろうとしますが、ここでも達也の罠にはまり、弁護を引き受けさせられます。この第2部は法廷劇が中心になりますが、ここもストーリーが二転三転し、なかなか面白いです。

 そしてラストシーンに向かっていきます。サスペンスものですので、結論を書いてしまうと、これから読む人の楽しみを奪ってしまうので書かずにおきます。割と後口が悪くない結末だったということだけ書いておきます。

 なかなか巧みなストーリー・テラーだと思いましたので、この作家はいくつくらいの人だろうと思ったら、1960年生まれで比較的年齢はいっていました。広告会社勤めをしていた人で、2005年から作家活動に入ったようです。デビュー作が「横溝正史ミステリ大賞」と「テレビ東京賞」をダブル受賞したそうですが、確かにこの小説もテレビドラマとかには非常にしやすそうです。広告会社の頃から、そういう仕事に関わってきたのかなと思わされる作品でした。エンターテインメント作品としてよい出来だったので、またこの作家の別の作品も読んでみたいと思います。(2022.5.7)

891.北原亞以子『その夜の雪』新潮文庫

 この作家は、文章は読みやすく、江戸情緒も上手に描ける人ですが、ストーリー・テラーとしては今一つです。7つの短編が収録されている作品集ですが、どの作品も冒頭は面白そうな出だしで引き込まれるのですが、その後が期待に応えてくれません。読み終わった後、結局この作家が描きたいのはストーリーの面白さではなく人情なんだろうなと納得させるのが精一杯です。それもさらりとした人情話で、後々まで深く印象に残るものではありません。この作家の作品は何冊か読んできましたが、もういいかなという感じです。(2022.5.6)

890.(映画)ピーター・ウィアー監督『トゥルーマン・ショー』(1998年・アメリカ)

 1人の人間の生活がすべてノンフィクションとしてテレビで報道されているという奇妙な設定のストーリーでどんな展開なんだろうと興味を持って見てみました。そもそも、そんな無理な設定はすぐにボロが出るのではと思いましたが、なるほどこんな風にすると、もしかしたら可能なのかもとちょっとだけ思わせられました。

 どんな設定かというと、ものすごく大きなドームの中に街だけでなく海や川も作り、その中に住む人々は、主役としてずっとカメラに追われている主人公以外はすべて設定を理解している役者――両親、妻、子どもの時からの親友もすべて――です。そして主人公の彼は生まれる瞬間から30代になった今でもずっとカメラで追われているのですが、カメラの存在に気付かずに暮らしていて、その番組はドームの外の世界で大人気番組として報道されているという設定です。

 しかし、何かおかしいと気付き始めた主人公がついにカメラを逃れてヨットに乗って海に出ます。そうは言っても、そのヨットにもカメラが付いているし、天候もドームの中のことですからすべてテレビ・プロデューサーがコントロールでき、嵐や強風を起こしヨットを転覆させ、主人公を恐怖に陥れ、街に戻ろうという気持ちにさせることを狙いますが、彼はあきらめずそのまま海を進みます。

 そして、ついにドームの壁に突き当たり、ここがセットの世界であることに気付きます。そしてこのドームの出口を見つけ出て行こうとするのですが、その時テレビ・プロデューサから声がかかります。なんだか、それが神と人間の対話みたいで、神によって人間が創られたという価値観が揶揄的な形で表現されているように感じました。ラストは主人公がドームから出ていき、それを見ていたテレビ視聴者が大拍手で彼の脱出を喜ぶという場面で終わります。番組として1人の人間の人生に興味を持ちながら、監視・管理され続けた人間が解放されることにみんなが喜ぶというのも、大衆感覚としてはありそうなことだなと思わされました。

 奇妙な映画ですが、カメラとネットで誰もが監視されているとも思える現代社会を先取りして象徴したような映画と言えるかもしれません。この映画の中で、セットである街の中には5000台のカメラが設置してあると言っていましたが、今の日本社会にはその何万倍ものカメラが設置されていることでしょう。有名人なら、どこそこで見かけたといった情報もすぐにツイッターとかに投稿されて晒されてしまいます。ありえない設定の話だったのが、今やそれに近い世界になりつつあるのではとつい考えてしまう作品でした。(2022.5.5)

889.秋永芳郎『海軍中将・大西瀧治郎 「特攻の父」と呼ばれた提督の生涯』光人社NF文庫

 特攻隊という作戦を考えた人物がどんな人物だったのかを知りたくて読んでみました。著者は、大西を人間味に溢れた責任感の強い人物として好意的に描いていますが、私が読み取った印象は、こういう人が組織の上にいると、非合理な戦術が採用されてしまうのだなというものです。確かに人間味あふれる愛されるところのある人物かもしれませんが、合理的精神に欠け、自分の信じることを絶対的に正しいと信じて、きちんとした計算なく突き進んでいくタイプです。海軍を戦艦中心主義から航空機中心主義に変えるべきという主張は時代を先取っていますが、これもたまたま自分が海軍航空畑育ちだったからで、特に先見の明があったわけではないでしょう。

 終戦の間際に、陸軍が本土決戦を叫びポツダム宣言を受諾させないように動いていたことは有名ですが、この大西という海軍中将もどんなに負け続けても最後に勝てば勝利であるという論理で、徹底抗戦を叫び続けます。確かに、本土決戦を続ければ、ベトナム戦争がそうであったように、負けましたと言わない限り、最後は攻め込んでいた国が出て行くしかなくなるので、最後は勝ったと言えるのでしょうが、それまでに一体どれほど国土が荒れ、人命が失われるかを考えたら、そういう作戦を叫ぶ人にはトップに立ってほしくないと思います。

 終戦の詔勅が出された晩、この人物は特攻隊で死んだ若者たちに深謝する遺書を残し自死しますが、それで十分な責任を取ったことにもならないでしょう。最後の一人になるまで戦うのだという勇ましい言葉を吐くリーダーが国民にとって素晴らしいリーダーだとは私には思えません。(2022.5.3)

888.(映画)ガス・ヴァン・サント監督『グッド・ウィル・ハンティング』(1997年・アメリカ)

 マット・デーモンとロビン・ウィリアムズのヒューマンドラマという新聞の紹介を見て以前録画しておいたものを今回見てみました。マット・デーモンが演じる主人公は天才的頭脳を持っていますが、家族に恵まれず、少年時代から数々の非行を行い、保護観察の立場にあります。その天才的頭脳が埋もれるのは惜しいと考えたフィールズ賞――数学のノーベル賞とも言われる賞です――を受賞したこともあるMITの教授が保護観察官になり、精神分析も受けさせることを条件に彼を保釈させます。そして、何人かの精神分析医が匙を投げる中で、最終的に主人公の心を開かせる心理学者の役をロビン・ウィリアムズが演じています。

 途中までなかなか複雑な話かなと思って見ていたのですが、最後は「えっ、なんで、あんなにかたくなだった心が、こんな簡単に開かれたの?」と、もうひとつ納得が行かない感じでした。結局、他者の愛情を信じられなかった若者が、心理学者との会話で他者の愛情を信じられるようになったというだけの話で、前半かなり重要な事実として示されていた主人公の天才的頭脳は最終的にはほとんど関係なくなってしまっていて、別にそこまでの設定はしなくてもよかったのではと思っていましました。

 最後の映画情報を見ていたら、脚本をマット・デーモンとベン・アフレック――映画の中では主人公の親友役で、現実の生活でもマット・デーモンの幼馴染だそうです――が書いていると出てきたので、俳優が片手間で書いたものじゃ仕方ないかと思ったのですが、その後さらに調べてみたら、ハーバード大学の学生でほぼ無名の俳優だったマット・デーモンがシナリオ政策の授業のために書いた脚本が原型であるということを知り、ちょっと驚きました。有名になってから片手間で書いた脚本かと思っていたら、若き学生時代に書いた脚本だったので、それならそれなりに優れているかもと思い直しました。

 まあでも、やはり素晴らしい脚本ではないです。天才的頭脳の持ち主だが他者の愛を信じられないという設定は面白いけれど、設定を最後まで活かしきれていない作品です。(2022.4.30)

887.永嶋恵美『転落』講談社文庫

 面白くないことはないです。いや、素直に面白いと言っていいのかもしれません。様々な読者を騙す仕掛けがしてあり、読み進むごとにどんどん認識が変わっていきます。最初の「教唆」という章では、ホームレスになってしまった「ボク」という人間が出てきて、その人物は小学生の女の子が持ってくる食事でなんとか生き延びているため、女の子の言うことを何でも聞く奴隷のような人間として描かれます。ところが、その女の子がその遊びに飽きてホームレスを殺そうとしたことで、逆にホームレスに殺されてしまいます。

 次の「隠匿」という章では、今度はその殺人を犯したホームレスが誰なのかがどんな過去を持っている人間なのか、そしてこの殺人者を匿う友人が出てきて、この友人の方が主人公になって話が展開します。「ボク」と言っていたホームレスが実は、、、(ここを書いてしまうと、読む楽しみがなくなると思いますので、書かずにおきます)で、ホームレスと友人との過去の複雑な関係が遠回し語られます。殺人者を匿っていることがばれたらと怯えているように見える友人ですが、もっと隠したいことが、この友人にもあったのではないかと思わせます。

 最後の「転落」という章では、ホームレスと友人との間に起きた真実はなんだったのか、そしてなぜ「ボク」はホームレスになったのか、が語られます。伏線らしきエピソードや奇妙な行動や心理がかなり叙述されるので、最後回収しきれるのかなと思いましたが、それなりに回収はしてくれていて隔靴掻痒感はなかったです。ただ、かなり無茶苦茶な心理と行動を前提としないとできないストーリーなので、リアリティは薄いです。複雑なゲームのようなストーリーを作るのが好きな作家なのでしょう。面白くなくはなかったですが、読み終わった後に残るものはなかったです。暇つぶしに、面白い心理サスペンス小説が読みたい人にお薦めです。(2022.4.24)

886.雫井修介『つばさものがたり』角川文庫

 読みやすい小説ですが、角川文庫っぽいというか少女小説のようなストーリーです。主人公は、パティシエールをめざす20歳代半ばの女性とその家族ということになるでしょうか。彼女は癌におかされていて根本治療ができない状態だということが、物語の前半で語られます。しかし、彼女は家族をがっかりさせないために、そのことを隠したまま地元へ戻り、母親とともにケーキ屋を始めます。しかし、抗がん剤の影響で鋭敏であるべき味覚も失っていたため、店は繁盛せずに、彼女自身も無理がたたって倒れてしまい、病気のことも家族に知れてしまい、お店も閉めることになります。

 ここでもう1人の主要人物である彼女の兄の息子が大きな役割を果たします。その子は「天使」が見えるという能力を持ち、その天使たちの世界に触れることで、叔母である主人公の女性が元気を取り戻し、再び別の場所でケーキ屋を再開し、今度は成功します。そのお店を決めるのにも天使の意見が参考にされるというような展開になり、ファンタジーの世界がまじめに語られます。なんなら、このまま末期癌も天使のおかげで治ってしまったという奇跡のファンタジーになったりするのかなと思いましたが、さすがにそこまでは行きませんでした。

 読んで時間を損したとまでは思わなかったですが、特にお勧めするほどの作品でもありません。さらっと読める後味の悪くない小説が読みたいなと思っている人にはぴったりかと思います。(2022.4.20)

885.乙川優三郎『喜知次』講談社文庫

 この作家の作品は初めて読みました。品の良さそうな時代小説なんだろうなと予想はついていたのですが、タイトルの「喜知次」と言う名と表紙絵の若い武家の娘、そして裏面の物語の紹介内容がうまく結びつかず、読み始めるまでどんな展開になるのか内容の予想がつきませんでした。読み始めると、喜知次というのは、目の大きな魚の名前で、主人公の家に養女としてやってきた娘の目が大きかったので、主人公の少年が義妹になった少女をその名で呼ぶようになったということがわかりました。となれば、この少年と少女の恋の物語が成就するのかどうかという話なんだろうとその時点では思ったのですが、なかなかそういう展開にならず、物語の9割は、家中の権力闘争に巻き込まれ、主人公の親友2人の父親が殺害され、親友たちはそれぞれその敵討ちをめざすといった内容になっています。

 最後の1割くらいで、急に話がまた義理の兄と妹の恋の話に戻りますが、義妹の強い意志で、2人は結ばれないということになります。最後の20頁ほどでなぜ義妹が義兄の愛を受け入れなかったのか、その後どう生きたのかが語られますが、物語の9割を占めていたお家騒動の部分との関わりが弱すぎて、なんでこの小説のタイトルを「喜知次」にしたのだろうと疑問が残りました。文庫本の解説者は、山本周五郎『さぶ』へのオマージュではないかと解釈していますが、私としてはちょっと騙されたなという印象が拭えませんでした。

 お家騒動の話の部分は、少し無駄に長すぎる気がしました。もっとここを短くして、主人公と義妹の思いについて語る部分を増やしたら、もう少し魅力的な小説になったのではないかと思います。文章は予想通り品がよく、舞台となる時代の状況なども丁寧に描けているので力のある作家だとは思いますが、こういう山本周五郎的作品ばかりなら、別作品を読んでみるかどうかは微妙なところです。(2022.4.15)

884.(映画)ウィリアム・ワイラー監督『我等の生涯の最良の年』(1946年・アメリカ)

この映画は知らない映画でしたが、作品賞をはじめとしてアカデミー賞を9部門も獲得した作品ということで見てみることにしました。物語は第2次世界大戦が終了し戦地から帰ってきた3人の男がたまたま故郷が一緒だということで故郷に向かう飛行機の中で知り合いになり、その戻った故郷で新たな生活を築くという話ですが、アカデミーの作品賞を取るだけあって、それなりに考えさせる内容を含んでいます。

知り合った3人は飛行機乗りだった若き大尉、元銀行家の陸軍軍曹、そして水兵だった若者です。それぞれに戦争の傷を抱えています。元大尉はヨーロッパ戦線でドイツを爆撃していたようですが、部下を失った時の記憶がトラウマになっていて帰国後も悪夢に悩まされます。元軍曹はフィリピンや沖縄で日本と戦い原爆投下後の広島にも行ったという設定で土産として日本刀や日本兵士が身につけていた寄せ書きを持ち帰りますが、高校生くらいの息子にそれらを持ち帰ったことの問題性を冷ややかに指摘されます。水兵は爆撃された艦でやけどを負い、両手を失って義手になって戻って来ています。

 大尉は出征直前に結婚した若い妻がいましたが、帰国後彼がよい仕事を得られないことで妻とは諍いばかりになり離婚することになります。軍曹は、愛する妻や子どもがいて仕事も元勤めていた銀行に副頭取として迎えられるという3人の中ではもっとも幸運な生活に戻りますが、戦争から帰ってきて新たに事業を始めたいと考える元兵士に担保なしで資金を貸し付けたことを頭取から遠回しに批判されます。両手を失った水兵には結婚を約束した恋人がいましたが、こういう障がいを負った以上結婚は無理だろうと、彼女から距離を取ろうとします。

 最終的には、水兵とその恋人が結婚することになり、大尉も軍曹の娘と恋仲になるということでハッピーエンドになり、戦争が終わったこの年(1945年)はやっぱり、人生最良の年になったという話で終わります。1950年代くらいまで続く、男性は男性らしく女性は女性らしく描かれる典型的なハリウッド映画で、年配者には見ていて安心感のある映画です。

 ただ、第2世界大戦敗戦国の日本人としては、フィリンピン、硫黄島、沖縄、広島、太平洋での激突といった話がちらっとですが出てきますし、あるいはヨーロッパでの話として語られますが飛行機からの爆撃の話などは日本でも起きていたことなので、少し見ていて辛いところもある映画です。なので、日本では公開されていないのではないかと思いましたが、アメリカ公開から2年遅れて1948年に公開されているようです。実質的にアメリカに占領されていた日本だったので公開が許可されたのでしょうね。最近の映画評では高く評価している人が多いようですが、1948年に見た日本人は違う感想を持ったのではないでしょうか。(2022.4.10)

883.(映画)ペニー・マーシャル監督『レナードの朝』(1990年・アメリカ)

 名作として名前だけは公開時の頃から聞いていたのですが、初めて見ました。嗜眠制脳炎という病にかかって、意思を失い、体も自分では動かせなくなったように見えた患者が薬の投与で劇的に改善し、普通の人のようになるものの、再び元の状態に戻ってしまったという実話に基づいたストーリーです。その患者役をロバート・デニーロが見事に演じて見せます。CGを一切使わず、俳優の演技力だけで見せる作品で好みの作品です。デニーロ以外にも患者役の人が何人も出てきますが、みんな見事な演技力です。

 それにしても、これが実話というのが信じられません。嗜眠制脳炎という怖しい病になぜなるのかもいまだに明確になっていないようです。1915年から1920年代にかけて世界中で流行したらしいですが、その頃はスペイン風邪が流行していた時期も重なります。実際、この病気とインフルエンザ(スペイン風邪)との関連は注目されているようです。こんな重たい症状になるのも信じがたいですが、これがまた薬の効果で一時劇的に治ることもまた信じられないほどでした。そして、また元の状態になってしまうというのも事実がそうだったのでしょうが、映画のストーリーとしては救いがないような思いにもとらわれてしまうほどでした。(2022.4.8)

882.有吉佐和子『香華』新潮文庫

 文庫で600頁を超える長編小説ですが、飽きさせません。明治末から昭和30年代までを生きた須永朋子という一人の女性を主人公にした大河小説です。主役は朋子ですが、その母親の郁代という人物の存在が非常に大きな意味を持っています。若い時から綺麗で歳を取ってもその美しさを失わず、わがままで男がなければ生きられないというこの母親に朋子は振り回されながら生きていきます。母親らしいことを何一つしたことがないのに、都合の良い時だけ血のつながりで甘えてくる母親を朋子は突き放し切らずに、人生を送ります。

 ある時期、朋子は芸者として、郁代は娼妓として暮らしていたことがあり、朋子は芸者をやめた後は料亭の女将となるという花柳界の世界で生きていたため、その世界のことが詳しく描かれます。行ったことがないので正確にはわかりませんが、この時代の花柳界の雰囲気がかなりリアルに描けているのではないかという気がします。今どきの作家でこういう世界をここまで描ける人はいないでしょう。読み応えのある小説ですが、この小説はやはり女性でないと書けないなということも思いました。女性の心理ばかりでなく生理まで描き切った小説で、男性作家の想像だけではここまでは絶対書けないだろうと思います。

 関東大震災、戦争、空襲、戦後の食糧難から復興など、社会情勢もしっかり織り込んでいて、そういう点でも興味深く読めました。(2022.4.2

881.(映画)瀬々敬久監督『糸』(2020年・日本)

 中島みゆきの名曲「糸」が映画化されたということで興味を持っていたのですが、映画館に足を運ぶほどの気にはならず、テレビで放映するのを待っていたのですが、ようやく本日放映してくれたので、早速見てみましたが、自分が想像していた「糸」のイメージと全然違う物語で、中島みゆき的にこれはありだったんだろうかと思ってしまいました。

 私のイメージでは、昭和の純愛物語でぶれずに、まっすぐに互いに愛し合い、子どもをなし、その後老いても恋心を失わない夫婦というイメージでいたのですが、あまりに違うストーリーだったので、思わず歌詞を確認してしまいました。そうしたら、「どこにいたの 生きてきたの/遠い空の下 ふたつの物語」とか「なぜ 生きていくのかを/迷った日の跡の ささくれ/夢追いかけ 走って/ころんだ日の跡の ささくれ」といったあたりを膨らませると、こんな映画もできてしまうのかもしれないなとは思いました。

 でも、なんか違うという気持ちの方が強いです。歌詞の一番のポイントの「縦の糸はあなた 横の糸は私/織りなす布は いつか誰かを/暖めうるかもしれない」の部分は、この映画のストーリーには全然は全然反映されていません。そこが、納得が行かないところです。二人の愛が結実し、そこで生まれた「もの」が誰かを暖めるというストーリーをぜひ作ってほしかったです。

 主人公の菅田将暉と亡くなった妻(榮倉奈々)との間に生まれた少女が、泣いている人を抱きしめ暖かくさせてあげてはいますが、そうなると、主人公の運命の人はヒロインの小松菜奈ではなく榮倉奈々になってしまいます。同じ「なな」だからどっちでもいいかというわけにはいきませんよね(笑)中学時代から好きだった小松菜奈と菅田将暉の物語のはずです。最後にようやく結婚しましたで終わりでは、布が織りなされてないじゃないですか。納得行かないなあ。(2022.3.29)

880.寺田眞智子・古川香美由編『若葉になりて――寺田隆士追悼遺稿集――』(私家版)

 販売されていない私家版の本ですが、ぜひ紹介したいと思い、掲載させてもらうことにしました。寺田隆士氏は私の従兄で2015年に67歳で亡くなりました。残念ながら、年賀状のやりとりだけで30年も会っていなかったのですが、この「追悼遺稿集」が数年前に届きました。その時に一部は読んでいたのですが、最近のファミリーヒストリーへの強い関心から、A5517頁にも及ぶこの本を隅から隅まで改めて読ませてもらい、この従兄のことはもっと広く知ってもらうべきだと思いました。

 寺田隆士氏は島原高校卒、東京大学文学部宗教史卒で、長崎県の高校教員となり、島原高校と長崎東高校というともに旧制中学からの伝統を引き継ぐ名門高校の校長を勤め、さらには長崎県の教育長、その後諫早図書館長まで勤めた長崎県の教育界の重鎮でした。67歳という「若さ」で亡くなってしまい、愛妻と愛娘が中心になって、この「追悼遺稿集」をまとめたわけです。

 関係者による弔辞、思い出、本人の日記も少し掲載されていますが、この本の大部分は高校長をはじめとした重職にあった時に、様々な場面で語られた式辞や寄稿などです。その部分を今回丁寧に読んだのですが、従兄は素晴らしい教育者だったということがよく伝わってきて、教育に携わる人にはぜひその考え方を知ってほしいと思いました。

 「ちょっと背伸びをしてみよう」「知識を軽視していては新しい発想も生まれない」「憧れを大事にして志につなげよう」すべて私も共感できる言葉ばかりです。30年も会っていなかった従兄でしたが、こんなに同じようなことを考えていたんだなと、血のつながりの深さを強く感じました。もともとうちの家系は教育職についた人がとても多いのですが、人間好きで人育てが好きな性格は血のなせる業かもしれません。

 「憧れ」の話は特によかったです。「憧」という字は、「童の心」と書く字だということから、少年少女には「憧れ」を持つように育てていかなければならない。そのためには、まず教師が「憧れ」の存在になるべきで、「憧れ」の教師が自分が子どもの時にどんな「憧れ」を持っていたかという話をすることができれば、子どもたちもきっと「憧れ」を持ちたいと思うだろうと述べていました。

 なるほどと納得しました。私は教える相手が子どもとは言えない大学生たちなので、「憧れ」られる存在になろうとは思ったことはないですが、人生を先に生きるもの(=「先生」)として、40歳になるのも50歳になるのも60歳になるのも悪くないよという姿は見せたいなと思ってきましたが、根っこの感覚としては似たようなものかもしれません。

 他にも紹介したいところが山のようにあるのですが、長くなるのでこの辺までにしておきたいと思いますが、最後にひとつだけ。この本は教育書としても読めますが、妻や娘や孫への愛がそこかしこで語られている「愛」の本でもあります。特に、高校時代に出会い、大学時代は奈良と東京という遠距離恋愛を経て大学卒業とともに結婚した愛妻への愛情は半世紀も続く恋心もあるんだといたく感激しました。

 「入学した高校は第一希望。大学も第一希望。教職も第一希望。教頭としての赴任も第一希望。校長になる時も第一希望。最後の職場も第一希望。ついでに配偶者も第一希望。私は何故恵まれてるのか。」

 「ひらひらと 散りゆく花の あしたには ゆるる日ざしの 若葉生まれむ」この歌は、従兄が愛妻となった眞智子さんに高校3年の春に贈った歌だそうです。この歌から、この書物の題である『若葉になりて』に決められたそうです。

 67年というのは早すぎる人生の終幕だったと思いますが、こんな風に思い、そして愛妻と愛娘の手によってこんな素晴らしい遺稿集を作ってもらえるなら、従兄は幸せな人生だったろうなと思います。改めて冥福を祈りたいと思います。隆士兄さん、もっと話したかったです。(2022.3.24)

879.白石一郎『島原大変』文春文庫

 この本は読んだことがあったはずなのですが、この「本を読もう!映画を観よう!」のコーナーを作る以前――たぶん30年以上前――に読んだ本だったようで、記録がなく、かつどういうストーリーだったかまったく記憶が蘇らず、仕方がないので再読してみました。記憶がなかったのがもったいないくらい面白い本でした。表題作の「島原大変」を読みたくて引っ張り出したのですが、他の3編もすべて歴史的事実に基づいた本で歴史好きには非常に面白い小説ばかりでした。今度はここを見て思い出せるように少し詳しく記録しておきます。

 まず、「島原大変」ですが、これは1792年に雲仙普賢岳が噴火し、前山――現在は眉山と呼ばれています――が山体崩壊し、有明海にその山崩れがなだれ込み、大津波が発生し15000人以上が亡くなったという「島原大変、肥後迷惑」と言われた自然災害を扱ったものです。ただ、この作家が上手いのは、その災害そのものを描くというより、そこに関わった人間たちのドラマをきちんと描いていることです。主人公は医師ですが、彼を描くというより、彼を狂言回しにして、島原藩の藩主、武士たち、藩医、市井の人々がそれぞれしっかりキャラが立った人物として描かれています。読み終わった後、どの程度歴史的な事実なのだろうと思ったら、藩主が島原城下を抜け出して城下を守り切れなったことで自害したことや、それ以前に藩主以下家来たちが城下を離れることに反対して切腹した武士がいたことなど、かなり事実が織り込まれていて、上手いなあと感心しました。

 2編目の「ひとうま譚」は、豊後竹田藩を舞台にした話で、江戸前期の第3代藩主・中川久清をめぐる話です。この藩主は足が悪く馬に乗れなかったので、人に鞍を担がせそこに乗るという形で山登りをよくしていた人物だそうです。この物語は、その「ひとうま」の世話をしなければならない庄屋の嫁を主人公にしており、「ひとうま」役を勤める青年との間の密やかな慕情を横糸にして、中川久清の思想や行動が縦糸になって話が進みます。ほのかな恋心の物語を読みながら、江戸前期の幕府のあり方なども見えてくる巧みな小説です。

 3編目の「凡将譚」は、大友宗麟の嫡男・大友義統が主人公の話です。九州で一時は6か国の守護となり、キリシタン大名としても著名だった大友家はその後どうなったのかよく知らなかったのですが、この小説でよくわかりました。跡を継いだ義統は優柔不断で小心者で、いったんは豊臣秀吉配下の大名として豊後の国を任されますが、朝鮮の役で敵前逃亡するという失態を犯し、秀吉から「豊後の臆病者」と烙印を押され、所領をすべて没収されます。その後、関ヶ原の戦いの際には、家康の東軍に味方したいと思いつつ、妻子を人質に取られたことで、西軍に味方せざるをえなくなり、九州に戻って東軍の黒田如水と戦うもあっけなく負け、再び幽囚の身となり、常陸の国で客死します。鎌倉以来の名家・大友家の衰退過程がわかり、興味深かったです。

 最後の4編目の「海賊たちの城」は、もともと瀬戸内の海賊だった来島村上氏が、名字も村上から久留島に変えて、豊後の山の中の森という小藩に押し込められていたのですが、その8代藩主だった久留島通嘉が1万石の大名には許されない「城」造りをめざしたという歴史的事実を基にした話です。この小説の主人公は、その「城」造りを渋々引き受けされられた大庄屋ですが、最初はいかにしてこの危うい試みを潰すかに協力するのですが、藩主とともに、かつて自分の先祖もそこにいた来島を見ることで、藩主とともにこの「城」造りに積極的になります。「城」と公に言ってしまうと、幕府に咎められるので、「神社」を壮大に造ることで実質的な「城」を造ることをめざすわけです。結局完成前に、久留島通嘉は亡くなり、その後日田の代官所からの建築中止命令を受け、この「城」作りは完成にまでは至らず終わります。しかし、今でも、その立派な神社は末廣神社という名であるそうです。いつかぜひ行ってみたいものです。

 4編とも九州の大名や藩主の存在が物語の核になっていて、それを別の人を主人公にして語らせるという手法で描かれた物語です。あまり知られていない興味深い歴史的事実を掘り起こし、それをきちんと小説の形にして読ませるというのは、なかなか簡単ではありません。白石一郎という作家は何冊か読んできましたが、こんなに上手かったんだと再認識した短篇集でした。(2022.3.17)

878.(映画)ガース・ジェニングス監督『SING』(2016年・アメリカ)

 このアニメ映画は面白いらしいという噂を聞いて、たぶん数年前に一度録画して見はじめたのですが、30分もしないうちにつまらないと思って消してしまいました。でも、最後まで見たら印象が変わるのかもしれないと思い直し、また放送していたら録画して、今度は最後まで見てみようと思っていたところ、数日前に久しぶりに放送してくれたので録画して最後まで見てみました。

 結論から言うと、見なくていい映画でした。これを評価する人は何がいいのでしょうか。キャラクター造形もストーリーも全然深みがありません。歌がいいのでしょうか。私にはこの映画の魅力は全然わかりませんでした。子どもは楽しめるのでしょうか?あまりそういう気もしません。とりあえず、見たという記録のためだけに書いておきます。(2022.3.15)

877.大倉雄二『鯰 大倉喜八郎 元祖“成り金”の混沌たる一生』文春文庫

 江戸末期に生まれ昭和まで生き、一代で財閥とまで言われるような成功者となった大倉喜八郎という人物がどんな人物で、どんな人生を送った人なのかになんとなく興味を持って読むことにした本ですが、あまりにも素人っぽい下手な文章で、途中で投げ出したくなりました。この下手くそな作者は他に何か書いているのかなと疑問を持ち、普通はしないことにしている途中で解説を読むという“禁”を犯しました。そうしたら、なんとこの作者は、大倉喜八郎が82歳の時に生まれた実子と書いてあり、「えー、82歳で実子?嘘だろ」と思い、むしろ、この作者の誕生まで頑張って読もうと思い、なんとか読み切りました。ちなみに、この人の下にもう一人子どもが生まれているそうで、一応実子ということは疑われていないようです。

 あとがきで作者本人も書いていますが、まさに素人が書いた本なので、ストーリーに山が作られておらず、ただ大倉喜八郎という人物の人生を平坦に紹介しています。小説ではなく、ノンフィクションのつもりで書いたにしても、もう少し強弱をつけないと、人生だけでなく、人物もつかみきれません。決して、息子として父親を褒めまくっているわけでもありませんが、分析的に書かれていないので、表面的な面しかわからず、ちうてい魅力的な人物とは思えませんでした。明治維新の元老たちに取り入って儲けるチャンスを得た人間だということはわかりましたが、それだけでは、これだけの大成功はおさめられないのではないかと思うのですが、喜八郎の魅力のようなものが全然伝わってこないので、大成功の理由がわからないままでした。

 伝記ものは肉親が書かない方がいいのかもしれないなとも思いましたが、肉親でもよい伝記を書いているものも結構あった気がするので、この作者に才能がないだけなのかもしれません。副題の「混沌たる一生」は、この実子である作者自身が父親・大倉喜八郎のことを掴み切れず、混沌としたまま書き終えてしまったためにつけたくなった副題なのかなと感じました。(2022.2.26)

876.(映画)岩合光昭監督『ねことじいちゃん』(2019年・日本)

 「世界ネコ歩き」で有名な岩合光昭が撮った映画ということで、どんなものなのだろうと、ちょっと興味をもって見てみたのですが、猫の映像だけは悪くないですが、人間の物語があまりに浅く、演出も下手すぎて、うまいはずの俳優陣の演技がものすごく下手に見えます。やはり人には得手不得手があるんだなと感じました。

 猫は自然体プラスアルファくらいの演技ですが、人間の方には複数の恋の物語を作っているのですが、どれもすごく中途半端な物語で終えてしまっていて、何を描きたかったのかさっぱりわかりません。年寄ばかりの島にやってきた若い女性(柴咲コウ)は、なぜこの島に来たのかもわかりません。手紙が届く場面があるのですが、その手紙がどういう意味をもつものなのかも一切描かれません。そして、その彼女が中心になってダンスホールを学校に作りますが、違和感しかありません。高校生は2人しか出てこないのに、小学生くらいの子どもは結構出てきますが、その親と思われるような年齢の人たち――特に母親――が出てこないのもおかしいです。

 岩合さんは、やはり猫だけ追いかけていた方がいいなと思った映画でした。(2022.2.24)

875.吉川英治『大谷刑部』青空文庫

 手元に読む本がなかったので、久しぶりにiPadの青空文庫で、この小説を読みました。短いものなので、1時間もかからずに読めてしまいましたが、長さだけでなく、吉川英治の文章の巧みさも読むスピードアップにつながったと思います。

 大谷刑部とは大谷吉継という人物で、関ヶ原の時に石田三成の西軍に味方し奮戦し死んだ武将です。ハンセン病に侵され弱っていた体にも関わらず奮戦したことでも有名です。この物語は、関ヶ原の戦いの前に、徳川家康が上杉征伐に出かける際にそれに同行しようと大垣まで来た大谷刑部のところに三成の使者が来て、三成の居城・佐和山城まで来てほしいと伝えます。盟友である石田三成の申し出を断れず、佐和山に行き、ついには徳川家康との戦いに加担し、最後は果てるまでを描きますが、戦闘等はまったく描かれず、要はなぜ大谷刑部が勝ち目がないと思われた石田三成の戦いに助力することにしたか、刑部という人間はどういう人間だったのかを、吉川英治は描きたかったわけです。

 非常に分析力のある頭のよい人物ではあったが、それ以上に情に熱い人物であるというのが吉川英治が描きたかったところで、それはよく伝わってきます。昔の作家は上手いなと思わせる小品でした。(2022.2.23)

874.愛新覚羅浩『流転の王妃の昭和史』新潮文庫

 1937年に満州国皇帝溥儀の弟・溥傑と結婚させられた嵯峨浩が70歳の時にまとめた自叙伝です。彼女の人生は大体知っているような気がして買ったまま長く読まずにいたのですが、なんとなく手に取って読んでみたら、意外に面白かったです。

 日本陸軍(関東軍)の意向で政略結婚をさせられたわけですが、夫婦は互いに和し50年以上仲のよい夫婦であったようです。ただ、その人生はまさに「激動の」という言葉がぴったりの人生です。思いがけない結婚、満州での暮らし、子どもの誕生、敗戦から帰国までの苦しい日々、最愛の長女の心中事件、夫との再会、文革、ここまでの波乱の人生を経験した女性もめったにいないのではないかと思います。

 いろいろ興味深いところだらけなのですが、やはり「天城山心中」とマスコミで話題になった長女・慧生氏の死についての部分が一番興味深かったです。本書では、母である浩氏は、その男性と長女は付き合ってもおらず心中ではなく無理矢理殺害されたという立場を取っています。母親の立場からすればそう言いたくなるだろうと思います。

しかし、マスコミもまったく根拠なく「心中」とは言わないでしょうから、なぜそう言ったのかを調べてみると、慧生氏とその男性は付き合ってはいたようです。彼女から彼に送られた手紙を見れば付き合っていなかったという浩氏の主張の方に無理があるようです。実際、父親の溥傑氏には恋愛をしているが、母親に反対されているという相談の手紙が来ていたようです。また、東京から天城の山中まで無理矢理連れて行かれたと考えるのは無理があると思います。

あとは、どこまで慧生氏がともに死ぬことを承諾していたかでしょう。山中まで乗せていったタクシーの運転手は、慧生氏が帰りを気にしていたとのことなので、なんとか彼を説得して自殺を思いとどまらせようとはしていたのだと思いますが、その説得が叶わないとなったときに、納得して死んだのか、それとも無理矢理殺されたのかは微妙なところかもしれません。母親としては、絶対に死ぬなんて選択を娘はしていないと主張したいところでしょうが、極端な抵抗の跡が見られないようなので、結局最後は彼に同情して共に死ぬことを納得しての心中だったという方が事実に近そうな気がします。

長女の死の話ばかり書いてしまいましたが、次女は日本人と結婚し子どももたくさん産んでいるので、清朝の愛新覚羅の血筋の人は日本人として生きて行っているんだなということも知りました。読み応えのある本でした。(2022.2.9)

873.土屋敦『「戦争孤児」を生きる』青弓社

若い同僚からいただいた本ですが、いただいたから紹介するわけではなく、「戦争孤児」という存在について考える知的刺激をもらったので、紹介しようと思いました。

戦争についてはいろいろな本を読みかなり知識を持っている気でいましたが、「戦争孤児」の人生についてはちゃんと認識していなかったことに気づかされました。戦争で両親を失い孤児となった人々がたくさんいたことは知っていましたが、彼らがその悲惨な人生に同情してもらうより、「浮浪児」「みなしご」「やっかいもの」として冷たくされ排除されてきていたことをきちんと認識していませんでした。

本書の冒頭でも紹介されていますが、アニメ映画「火垂るの墓」で何度も涙を流しているのに、生き延びた孤児たちがどういう人生を送らざるをえなかったかに想像力が湧いていませんでした。死んでしまった「戦災孤児」はかわいそうだなで終わりますが、生き延びた人は「火垂るの墓」の世界では終わらないんですよね。子供なりに生きていかなければならなかったわけで、そこではどれほど辛いことがあったかをもっと知るべきだったなと思いました。

この本では10名の戦争孤児が自分の人生を語りますが、戦後の子供時代、青春時代は辛い思い出ばかりです。おじやおば、いとこといった人々がみんな冷たいです。施設もほとんどひどいところばかりです。孤児になったのは、本人たちにまったく責任はないことなのに、国も血縁者も誰も手を差し伸べてくれません。昔は親族の中がよかったといったイメージが幻想にすぎないことを嫌でも教えられます。親戚の関係がよい状態であるためには、それぞれの家族が自分たちの生活はきちんと自分たちで維持できていることが前提なんだと言うことに改めて気づかされました。

最後に、著者は孤児がたくさん生まれるのは戦争の時ばかりでなく、大きな災害でも生まれるのだと指摘し、阪神大震災や東日本大震災でも三桁を超える孤児が生まれたと指摘しています。果たして、彼らは第2次世界大戦後の孤児たちとは違う人生を生きられているのでしょうか。(2022.2.8)

872.浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』角川書店

 大学生を主人公にした小説はなるべく読むようにしているので、この小説が新聞で紹介されていたのを見てすぐに入手して読んでみました。結論から先に言うと、よくできたミステリー小説です。きっと近いうちに、映画化されるんだろうなと思います。テーマというか舞台はちょっと変わった就職活動とその後の謎解きですが、伏線を割ときちんと回収していて、なおかつ読後感が悪くないものに仕上げており、なかなか力のある作者だなと思いました。

 超人気のIT企業の最終選考に残った6人の就活生がグループディスカッションをして自分たちで1人だけの内々定者を決めるという奇妙な設定で、そこで6人の過去の問題行動が暴露されていくという展開が前半です。まずは、そんな暴露情報集めをしたのは誰かという推理ゲームが行われますが、後半になって、あの時「犯人」と自白した人間は本当に「犯人」だったのかという本当の謎解きが始まります。割と真の犯人が誰かは容易にわかるのですが、なぜそんなことをしたのか、また他の5人の過去の悪事もなぜそういうことをしたのかということがきちんと語られ、登場人物11人に愛情を持てます。

 たぶん、この小説は若い人もかなり読んでいるだろうと思います。ミステリー小説の面白さを持ちつつ、就活のあり様に対する様々な疑問が提示されていて、就活中の学生、就活を経験した学生、若い社会人は「そうそう」と思いながら読めるところがたくさんあると思います。読み応えがある小説なのでお薦めです。

 ちなみに、最近の大学生を主役にした小説としては、この小説や朝井リョウの『何者』になりますが、やはりテーマは就活なんだなということを改めて確認した気がします。1950年代〜1960年代は政治と恋愛、1970年代は性と恋愛になり、学生が真剣に悩まなくなってからは、大学生を主役にした小説がなくなってきたなと思っていましたが、ここに来て、就活とSNSが大学生の悩みとつながり、小説ができるようになったんだなと思います。

 近いうちに映画化が間違いなくされる作品でしょうが、どういう俳優が各登場人物を演じるのか、ちょっと楽しみにしてみたいと思います。(2022.1.28)

871.薬丸岳『Aではない君と』講談社文庫

 久しぶりにこの作家の小説を読みました。一貫して少年犯罪をテーマにして書き続けているようです。この小説の主人公は、友人を殺害した中学2年生の父親が主人公です。妻と離婚し妻が親権を取ったため、息子とも距離ができていたところに、その息子が友人殺害の疑いで逮捕されたという衝撃的な事実が届きます。急ぎ会いに行きますが、息子は何も喋ろうとしません。最初は殺人は犯してないのではと思いますが、やはりやっていたとわかってからは、なぜそんなことをしたのかを明らかにしたいと望みますが、息子は核心的なことは何も言いません。

 そのうち、実は被害者の少年からいじめを受けていたという事実がわかり、さらには息子は殺そうとしたのではなく、自分が自殺しようとしたのではないかと父親は思うようになります。結局、息子ははっきりとは何も言わないまま裁判は終わり、少年院に2年ほど収容されます。

 第3章では、出院した息子が立ち直ろうと、調理人としての仕事を始め、順調に行っていたように見えたので、父親は被害者の父親と約束した更生した息子の姿を見せに行こうとしますが、息子はその場に現れず姿を消します。ようやく見つけ出した息子は、初めて殺害を行った時のことを語り始めます。そこで何を語ったかは、ミステリー要素のある小説ですので、さすがに書かずにおきます。

 この作家は文章はうまいし、テーマも社会性があるので、また何か読むことになると思います。(2022.1.26)

870.宮尾登美子『一絃の琴』講談社文庫

 直木賞を取った作品ですが、宮尾登美子の小説にしてはドラマ性に欠け、もう一つなのですが、途中からあまりにドラマが少ないので、もしかしたら、これはほぼ史実に基づいた話なのではないかと気づきました。

一絃琴という幕末から明治にかけて高知を中心に流行ったことがある楽器をめぐる2人の女性の子ども時代から死ぬまでの人生が描かれます。一人は苗という女性で、幕末に生まれ昭和まで生きた人で、もう一人はその弟子で蘭子という女性で明治から昭和37年まで生きます。最初は、フィクションだろうから、一絃琴は単なる道具のようなもので、男女の恋愛の話やドラマチックな人生が展開されるのだろうと思って読み進めていたのですが、ひたすら一絃琴をめぐる話で、そこに師匠と弟子の心理的なすれ違いが書かれる程度です。その心理の部分は作者の想像の部分もあるのでしょうが、かなりの部分は高知における一絃琴の盛衰を史実に基づいて紹介しています。

ドラマ性はなさそうだなと気づきましたが、後半はどういう史実があったのだろうという興味に変わり、早く読み終わり、史実であったのかどうかの確認と一絃琴の音色を聞いてみたいと思い、急ぎ読み終わりました。YOUTUBEで聞いてみましたが、音色はやはり一絃しかないので単調でした。

小説としては、今一つでしたが、一絃琴というものがどういうもので、どういう歴史があったのかを知れたので、よしとします。(2022.1.16)

869.(映画)大島渚監督『御法度』(1999年・松竹)

 新選組を扱った作品ですが、テーマは衆道(男性同性愛)です。加納惣三郎という美青年がいて、その若者をめぐって隊士たちの間で起きた事件が描かれます。実際に加納惣三郎という美少年の隊士はいたようですが、史実とは違うようです。この映画で加納惣三郎を演じているのは、松田龍平で、彼はこの作品がデビュー作だったはずです。今でもあまり上手い役者とは言えないですが、この時は新人ですからさらに大根役者感があります。(でも、それが松田龍平っぽいとも言えますが。)

 主役は、土方歳三を演じた北野たけしということになるのでしょうが、それほど主役らしい活躍はしていません。ただ、テレビタレントとしての北野たけしより大島渚に俳優として使われる北野たけし悪くはないです。「戦場のメリークリスマス」でもそうでしたが、無駄に喋りすぎず、ぼそぼそとつぶやくように喋る役が静かな迫力を感じさせます。

 名作とはとうてい呼べない作品ですが、大島渚がメガホンを取った最後の作品であり、武田真治が美青年の沖田総司役だったり(実際の沖田総司は美青年ではなかったようですが、そういうイメージが一般に広まっていますので、それに合わせたのでしょう)、浅野忠信が加納惣三郎に衆道を教える隊士の役だったり、坂上二郎が井上源三郎役だったりを見ると、時代を感じて面白かったです。観たことを忘れないために記録しておきます。(2022.1.10)

868.(映画)外崎春雄監督『鬼滅の刃 無限列車編』(2020年・日本)

 ご存知の通り、2020年に公開され観客動員数の史上最高を記録したアニメ映画です。まったく興味が湧かず、もちろん映画館には足を運ばなかったのですが、昨年秋頃にテレビ放映していたのを一応録画してはおきました。ただ、それもちっとも見る気にならず、ずっと放置していましたが、ブルーレイ・レコーダーのハードディスク容量を空けるために、消す前に一応社会学者としては見ておくべきかなと思い、頑張って見てみました。

 見終わった感想は、やっぱり何がいいのか全然わからないというものです。こんなただ殴り合いと斬り合いと気持ち悪い物体が出て来るだけのアニメがなんでそんなにヒットしたのでしょうか。さっぱりわかりません。基本的にアニメ映画にあまり興味がない方ですが、それでもジブリもディズニーも一応ストーリーがそれなりにあるので多少は興味深く見られる時もありますが、この物語をこの映画版だけで見ていると、ほぼストーリーらしいストーリーがあるようにすら感じず、まったく面白くありませんでした。テレビアニメも見ていたら、多少はつながるのかもしれませんが、それでもたいした物語とは思えません。

 個人的に共感できないのは年も年ですから仕方がないとしても、社会学者として若者の立場や子どもの立場に立って考えてみようと思っても、どういうところを彼らが評価しているのか全然理解できません。時代とずれすぎてしまったのでしょうか。でも、みんな本当にそんなに面白いと思って映画館に足を運んだのでしょうか。なんとなく話題だ、評判だ、みんな見たと言っているからとかで見に行ったけど、実はそんなに面白くは思わなかったという人も少なくないのではとちょっと疑ったりしています。あと、こんなに殴り合いや斬り合いばかりしている映画は、子どもに悪影響は与えないのでしょうか。私なら子どもに見せたくないですね。R12指定にした方がいいのではないかとすら思いました。(2022.1.7

867.杉本苑子『竹ノ御所鞠子』中央公論社

 竹ノ御所鞠子という人物はほとんど誰も知らないでしょうが、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の娘です。私もつい最近までそういう人物の存在を知らなかったのですが、何かで紹介されているのを見て、その生涯を知りたくてこの本を購入し読んでみました。歴史小説としてはそれほど良い出来の作品ではありませんが、頼家が将軍職を追われ暗殺された後、いかにして北条氏が鎌倉幕府の実権を握っていったかという流れがおおよそわかり勉強になりました。

 頼家の子どもと言うと、実朝を暗殺した公暁くらいしか有名ではないのですが、実は5人も子どもがいて、鞠子以外の4人は男子で、すべて北条氏によって殺害されています。こんなに源頼朝の直系男子がいたのに全部亡き者にして、九条家から1歳の男児を連れてきて4代将軍に据えるというのは、北条氏の権力掌握に向けての戦略がいかにすさまじいものだったかを物語っています。摂関家から将軍を立てたのは、頼朝の血を受けた男子がもういなくなっていたからだと思い込んでいましたが、その時点ではまだ頼家の四男が京都で生きていました。彼を将軍に据えずに、摂関家の子ども――もともとは後鳥羽上皇の息子を欲しがっていたようですが、それが叶わず九条家の三男となったわけですが――を将軍に据えるというのは、意識して源氏の血を絶やそうとしたとしか思えません。ちなみに、この時点で生きていた頼家の四男も、すぐ後に結局殺されてしまっています。

 さて、鞠子ですが、彼女の母親は木曽義仲の娘で敗軍の将の娘として鎌倉に連れてこられて、頼家の慰み者にされ結果として娘を生むことになった刈藻という女性です。この小説は鞠子よりこの刈藻の視点が描かれます。自分のような愛のない関係にだけは娘をしたくないと思い、両想いになっていた従者・諏訪六郎と祝言を挙げさせ、娘・万亀も生まれるという幸せを味わっていました。しかし、鞠子が婚姻をしていることを公にはしていなかったため、なんと頼朝未亡人の尼御前政子に目をつけられ、15歳以上下のわずか4歳児に過ぎなかった4代将軍のいいなづけにされてしまいます。

 しばらくは子ども過ぎる相手だったので、そのままごまかしていましたが、10代半ばに近づいてきた将軍・頼経との婚儀を迫られ、ついに夫・諏訪六郎と娘・万亀とともに鎌倉を抜け出そうとしますが、執権・泰時に見つかり、夫と娘は惨殺され、鞠子は拉致され、そのまま頼経と夫婦にさせられます。そして、31歳の時死産をした際に本人も亡くなってしまうという悲しい人生です。

 この物語は、映画化が十分できそうなほどドラマチックなものです。来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が同じような時代を扱うわけですが、北条義時が主役ですから、北条氏のこうした残酷な戦略は綺麗に描かれるのでしょうね。それでも、この本を読んだことで、さらに来年の「大河ドラマ」への期待が高まりました。(2021.12.28

866.村上篤直『評伝 小室直樹()()』ミネルヴァ書房

 自分が会ったことがある人の伝記本を初めて読みました。今から11年前の2010年に小室直樹という市井の学者が亡くなりました。若い人は知らないでしょうが、ソビエト連邦の崩壊を理論的に予測した人として1990年代以降はマスコミの寵児のようにもなっていた人です。ただ、私が会った頃は、まだマスコミでブレークする前で、東大の大学院生を相手に「小室ゼミ」という自主的な研究会を主たる活動の場としていた頃でした。私が小室ゼミに出ていたのは1978年のことで、たぶん数回しか参加していません。甲高い早口で様々な知識を語る小室氏に圧倒されつつ、自分の求める社会学とはかなり距離があると思い、すぐに出なくなってしまいました。しかし、大学院同期のS氏などは小室ゼミがぴったりだったようで、その後ゼミの世話人的な存在になっていきましたので、この本の中でも何度も名前が登場します。

 上巻は、小室氏の生い立ちから東大の小室ゼミが活性化していくまでの時代が扱われており、非常に興味深く読みました。社会学の知り合いがたくさん出てくるという面白さもありますが、奇矯な天才肌だった小室氏のパーソナリティがどのように作られていったかがわかる、生い立ちから青春時代のところも非常に面白かったです。しかし、著書が売れるようになってからの時代を描いた下巻は、本や講演・対談などの内容紹介で伝記本としての水準はがくっと落ち、あまり面白くありませんでした。著者としては、小室氏の思想を紹介したいという意図もあったために、こうしたのでしょうが、伝記本として魅力を減らしています。

 本の評価はともかく、小室直樹という人物をこの本を読んで改めてどう思ったかを書いておきたいと思います。正直言って、マスコミの寵児になってからの小室氏の思想も行動も私はまったく共感できません。目指すところが違うせいかもしれませんが、小室氏のめざす社会学――彼としては社会科学の総合と言った方がいいのでしょうが――は、私が考える社会学とはかなり異なります。また、天才肌の人間にありがちなのかもしれませんが、他者への配慮のない迷惑な行動ばかり取る人だということがこの伝記本からもよくわかり、そういう人物が苦手な私が小室ゼミを数回で参加しなくなってしまったことは、自分にとってはよい判断だったと思います。

 伝記本ですが、ほんの少しでも関わりがあった人物なので、ちょっと通常の伝記本とは違う読み方をしてしまいました。(2021.12.25)

865.(ドラマ)源孝志作・演出『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』(2021NHK

 先日NHKBSプレミアムで放映していたドラマですが、傑作でした。江戸時代に実際に活躍した伝説の歌舞伎役者・中村仲蔵が出世していく物語ですが、演出、役者たちの演技のいずれもよく、見応えのある作品になっていました。主役の中村仲蔵を演じたのは、中村勘九郎でしたが、彼は上手いです。ただ、上手いだけでなく人間味を感じさせる演技をしますので、見ていると応援したくなります。弟の中村七之助ももちろん出ていますが、歌舞伎役者だけでなく、多くの名優たちが出演しています。そんな中できらりと光る演技を見せていたのが、上白石萌音でした。この女優さん、なんか幼すぎる顔をしていてあまり興味がなかったのですが、このドラマでは仲蔵の妻で三味線の師匠という設定で、実際に三味線を弾き長唄を歌う場面が何度もありましたが、すごく上手でした。三味線を弾くだけでも大変だろうなと思うのに、長唄もまさに江戸っ子という感じの雰囲気を出しており、見直しました。

 しかし、役者以上にすごいと思うのが、作・演出の源孝志という人です。この「本を読もう!映画を観よう!」のコーナーではドラマはあまり扱わないのですが、源孝志演出のドラマは「遺恨あり 明治十三年 最後の敵討ち」と「スローな武士にしてくれ」に続き、3本目です。他にもここでは紹介していませんでしたが、「平成細雪」や「怪談牡丹灯籠」も素晴らしい作品でした。今後も、源孝志演出と聞いたら必ず見ようと心に決めました。(2021.12.17)

864.山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』新潮文庫

 若い人は知らないでしょうが、山口淑子という人は、かつて戦時中に李香蘭という名前の女優として満映で人気を博し、戦後は本名の山口淑子として映画や舞台の女優として活躍したのち、テレビ番組の司会者、そして自民党の参議院議員まで勤めた人です。私がリアルタイムで見た時は、すでに女優をやめワイドショーの司会をやっている頃でしたので、李香蘭や山口淑子として出演した映画等は見たことはありません。ただ、戦時中は「中国人女優」として活躍し、漢奸(中国人でありながら戦争中日本に協力した罪人)として死刑になりそうな危機にも瀕したことはなんとなく知っていて、どういう人生を歩んできた人か詳しく知りたいと思っていました。

 この本はもう1人の共著者の力を借りつつ基本的には山口淑子の自伝本として書かれています。1920年に満州の奉天(現在は遼寧省瀋陽)に生まれ、父親の方針で中国人の家庭で暮らし中国人の女学校に通い、ちょっとしたきっかけから満映で中国人女優としてデビューすることになります。終戦時は、自分が本当は日本人であることをなんとか証明して日本に帰国し、その後は日本とアメリカで女優として活躍します。この間の話で出てくる彼女が出会った人物が錚々たる歴史上の人物がずらりという感じで、彼女自身歴史に名を残す人なんだなということを改めて感じます。

満映時代は、大杉栄殺害事件の甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子(この人は山口淑子と逆で中国人なのに日本人名を名のっていました)、戦後は海外の映画の紹介者として有名だった川喜多長政などとの深い関わりがあり、戦後アメリカに渡ってからは、数多くの著名な俳優・歌手などとの関わりが語られます。エディット・ピアス、チャールズ・チャップリン、ユル・ブリンナー、etc. そして、最初の結婚相手は彫刻家として著名なイサム・ノグチです。よくもこれだけ有名人との関わりがあるなと驚くほどです。

この自伝は政治家になる前に終わっていますので、そこまで書いたら、一体どれほどの著名人が、この本に登場することになったのだろうかと想像するのも困難なほどです。彼女自身は2014年に亡くなっているようなので、94歳くらいまで生きたんですね。参議院議員をやめてからの消息はまったく知らなかったし、亡くなった時もそんなに大きくニュースにならなかったのかあまり覚えていません。しかし、この人の一生は大河ドラマになりそうなくらいの波乱万丈さです。ついこの間まで生きておられたから、まだ作りにくいかもしれませんが、いつか映画化、ドラマ化がされるんじゃないかと思います。(2021.11.5)

863.(映画)森谷司郎監督『動乱』(1980年・東映)

 以前観たような気もするのですが、BSNHKで放送していたので、改めて録画して観てみました。2・26事件を素材にした作品です。主人公の青年将校の中心になっている役を高倉健が、その妻を吉永小百合が演じています。ストーリーにはそれほどひねりはなく、如何に青年将校たちがやむにやまれぬ気持ちで立ち上がらざるをえなかったかという話です。多少複雑な心理が描かれるのは、吉永小百合が演じる女性は、もともと高倉健の部下だった初年兵の姉で、困窮から身売りをしなくてはならなくなり、それを高倉健が救い出して、「妻」のように同居させるのですが、物語の終盤まで二人の間には一切肉体関係はないというあたりです。「私は汚れた体だから」と自分を責める吉永小百合と、明らかに魅かれているのに、自分たちがしようとしていることを考えたら、そういう関係にはならない方がいいだろうと苦悩する高倉健。そして決起の決まった後、ようやく高倉健は吉永小百合を抱きしめ関係を持つという予想通りの展開です(笑)

 でも、この2人のベッドシーンは実際に2人で演じていないのではないかと思います。吉永小百合の顔のアップで時間が流れ、吉永小百合の上に高倉健がいるのかどうかは映らないのでわかりません。演じていたらそれなりに写しただろうと思うので、きっと違う男優さんがいたような気がします。この時点で、2人とも超大物俳優で、それもこういう色っぽいシーンはほぼご法度みたいな俳優だったので、実際にそういう演技をするのを、特に高倉健が嫌がったのではないかと思います。

 奇妙な見方をしてしまいましたが、それでもやはりこの2人は絵になります。40代終わりの寡黙な高倉健と30代半ばの美貌の吉永小百合。自分よりずっと年上の俳優さんですが、この映画の時はまだこんな年齢だったんだなとなんだか不思議な気になりました。(2021.10.9)

862.(映画)マーヴィン・ルロイ監督『悪い種子』(1956年・アメリカ)

 古い映画でまったく知らないタイトルでしたが、新聞の映画紹介でストーリーがちょっと面白そうだなと思い、録画して見てみました。思った以上に、興味深く「へえー、こんな時代に、こんな映画もあったんだ」と感心しました。ちょっとミステリーものなので、あまりストーリーを語るのはネタバレになってしまいますが、まあたぶん誰も観ないでしょうから、ネタバレを恐れずに書いてしまいます。

 主役は母と娘です。娘は10歳くらいの女の子で、かわいいけどかなり気が強い子だという印象から物語は始まります。海辺への遠足で同級生の男の子1人がおぼれて亡くなるのですが、その事件を目の当たりにしたはずの少女が一切動揺していないことに母親は不安を感じます。学校の先生や、亡くなった少年の母親が訪ねてきて、少女が亡くなった少年と一番最後に会っていたはずだ、何か知っているのではないかと尋ねてきます。少女は知らないというので、母親も信じようとしますが、少女の部屋で男の子が大事していたメダルを発見してしまい、娘が少年の死に関わっているのではないかと疑心暗鬼になります。

 知人である犯罪小説家(?)に、「幼い子どもでも犯罪を犯すことはあるのか」と聞くと、実例をあげてそういう女性がいたと話します。その後、その子ども時代から犯罪を犯し続けていた女性の娘が自分だったということに気付き、遺伝によって自分の娘にその悪い血が流れていると思うようになります。娘を問い詰めると、少年を溺れさせたと白状しますが、それでも悪びれたり反省したりすることもなく、母親は自分をかばってくれるはずと思い、甘えます。他方で、娘が怪しいと気づいたその家の下僕の男を娘は焼死させてしまいます。

 下僕の焼死も娘の仕業と気づいた母親は、娘に致死量の睡眠薬をビタミン剤だからと言って飲ませ、自分は拳銃で自殺をはかります。母親は重体で病院に運び込まれますが、娘の方は拳銃の音で隣人が早めに気づいたことで助かります。そして、さらに次の犯罪すら考えていたのですが、雷雨の中母親がメダルを棄てたという場所に探しに行って、雷に打たれて死んでしまい、物語は終わります。

 映画の最後に、この映画のクライマックスは最後の意外な結末にあるので、決して最後はどうなるか言わないでくださいとスーパーが出ていましたが、なんか脈絡のない唐突な終わり方で、それまでの伏線が全部無駄になった気がしました。監督が思っているほど、魅力的な結末では全然ないです。私なら、むしろ次の犯罪も成功させ、自分の犯罪を知っている母親が死んだと聞いて、人前では悲しそうに涙を流しながら、心ではほっとしている少女のアップか何かで終わりにしたいです。まあ、1950年代頃のアメリカは勧善懲悪的な価値観が強かったので、そういう終わり方は許されなかったかもしれませんね。悪いことをした人間には災いが必ず振りかかるというのが、この時代らしい終わり方なのでしょう。(2021.10.2)

861.吉村昭『長英逃亡()()』新潮文庫

 読み応えのある歴史小説です。高野長英に関しては、幕末の蘭学者で「蛮社の獄」で渡辺崋山などともに捕まり投獄されたが、その後脱獄して顔を変えて逃げようとしたが、逃げ切れずに捕まって死んでしまったくらいの知識しかなかったので、多少知識は増えるだろうというくらいの気持ちで読み始めたのですが、非常に面白かったです。

 長英の生涯すべてを描くのではなく、投獄されてから脱獄し最後に死ぬまでの6年間が描かれるだけですが、主人公に回想させることで長英の生涯全体もある程度わかります。長英のことをほぼ知らなかったので、物語がどう展開していくのかが予想がつかず、推理小説を読むような気持になって読んでいました。

まず、上巻は牢獄生活から如何にして脱獄したかが最初の山です。はじめの方を読んでいると、この厳しい警備の下でどう脱獄するのだろうという興味を持たせてくれます。そうかあ、そういう形で脱獄したのかと納得しました。

その後は、いかに捕まらないように逃走したかというストーリーですが、そんな秘密のルートがわかるはずはないので、著者が多少勝手にルートを作ったのかなと思いながら読んでいましたが、最後の著者のあとがきを読むと、徹底的に資料を調べ、実際にも現地に足を運び、ほぼ実際に長英が隠れながら逃走したルートのようです。もちろん、完全にはわからないでしょうが、その部分もきちんと論理立ててたぶんこういうルートだったのではと考えた上で書いているので納得が行きます。

いったん生国の東北に行き、母親に会った後、今度は再び江戸に戻り、妻子と再会し、オランダ語の兵書の翻訳の作業に取り掛かります。それを島津斉彬や伊達宗徳といった洋学を評価する大名に届け、その庇護を受け、伊達宗徳の宇和島藩にしばらく滞在し、そこでさらに兵書の翻訳に携わります。

宇和島藩に長英が匿われているようだという情報が洩れ、宇和島を離れ、名古屋を経て、再び江戸に入ります。そして、江戸で医師としての生業を立てるために、人相書の出回っている自分の顔を変えるために、自ら顔を焼き顔を変えます。しかし、かつての獄中の仲間だった男に発見され、その情報を受けた奉行所の与力たちによって捕まります。その際に、十手等でひどく殴打され長英は殺されてしまいます。

歴史書等では、顔を焼いたのは江戸に入る前、最後は殺されたのではなく自殺となっていたりするそうですが、著者は江戸に入る前にそんな危険なことはしないはずだと考え、脱獄後6年も必死で生き延びてきた長英が安易に自死するわけはないと考え、こういうストーリーにしています。架空の物語を書いたというより、様々な資料を調べた上で、著者なりの歴史的推測をしている歴史研究という感じです。

歴史研究者のものだと、その時々の長英の心理や会話などが書かれることはないわけですが、歴史小説だとそこがたっぷり描けるから面白いです。司馬遼太郎が書いた歴史小説が「司馬史観」と呼ばれ、歴史的推測として事実のように取り上げられますが、吉村昭の方がより丁寧に調べていて、その推測はより説得力を持っていると思います。吉村昭は文章も上手いし、素晴らしい作家です。

最後に、高野長英という人は幕末にもっともオランダ語に精通していて、欧米事情にも詳しく、日本を防衛するためには、欧米の軍事関連の知識を日本語に翻訳して広く知らしめないといけないと考えていた人物で、もしも脱獄をせずにいたらいずれ赦免されて、幕末にもっと大きな足跡を残した人物だったんだろうなということがよくわかりました。死んだのは1850年、黒船来航のわずか3年前です。幕末には有為な人材がたくさん亡くなっていますが、高野長英ももしも生きていたら、と考えたくなる人物だったようです。(2021.9.25)

860.(映画)アーマンド・イアヌッチ監督『スターリンの葬送狂騒曲』(2018年・イギリス/カナダ/フランス/ベルギー)

 スターリンが亡くなった後のソビエトの権力奪取の闘いをコメディタッチで描いた作品という紹介に、ちょっと面白そうだなと思い、見てみましたが、なんだかむちゃくちゃな作品でした。歴史的事実をどのくらいちゃんと踏まえているのかも疑問ですし、出てくる人物がみんな実在の人物ですが、すべて醜悪な人物として描かれています。本人たちは亡くなっているのかもしれませんが、子孫はいるでしょう。ここまでの描き方は、名誉棄損として訴えたら訴えが通るのではないかと思うほどの醜悪さです。

 制作国が、イギリス、カナダ、フランス、ベルギーという他国であるのも気になります。ロシアがソ連時代の歴史を反省して作った映画というのであればまだ受け止めようがありますが、直接に関係がなかった国々が手を携えてソ連時代のロシアを笑い者にするというのはありなのでしょうか。こんな風刺映画が許されるなら、彼らは何でも作りそうです。下手をすれば、大日本帝国時代の日本を笑い者にする映画でも十分作ってしまいそうです。万一そんな映画がもしも公開されたら、国粋主義者ではない私でも絶対に腹を立てると思います。

 この映画はロシアでは公開されてないんでしょうね。もしも公開されていたら、国際問題になってもおかしくない内容だと思います。フランス人は特に政治風刺が好きで、以前には「シャルリ−・エブド」という週刊誌がイスラム教を風刺した漫画を掲載し、それに怒ったイスラム教徒が出版社を襲撃する事件が起きましたが、この映画もそういう事件が起きてもおかしくないほどの作品です。風刺の精神というのはある種の節度に基づいて行われないと危険だと思います。この映画は批判され、お蔵入りさせるべき映画だと思います。(2021.9.24)

859.原田康子『挽歌』新潮文庫

 1956年に発表された小説で当時100万部以上売れ大ヒットした「恋愛?」小説です。名前だけは知っていて、BOOKOFF100円で売っていたので買ったのですが、それほど面白そうでもないなあとずっと放置していました。コロナ禍で外にも出られないので、まあ暇だし読んでみるかと手に取りました。

 予想通りあまり面白くない小説でした。文庫本で380頁くらいですが、300頁くらいまでだらだらしたストーリーが続き、何度も読むのをやめようかなと思いましたが、まあ最後どうなるのかなというところだけ興味を持ってなんとか読み切りました。300頁あたりからちょっと緊張感のあるドラマチックな展開になるかと思ったのですが、これもあっさりしたもので終わってしまいました。読んだ意味は、この時代にはこんな小説でも大ヒットしたんだなあ、今なら絶対ありえないなあ、やはり時代が違うんだろうなという社会学的認識が得られたことくらいです。

 一応ストーリーも紹介しておきます。北海道東部に暮らす若い女性・玲子の実にわがまま勝手で独りよがりの「恋愛?」物語です。たまたま出会った40前後の桂木という男性を好きになり、自分から積極的に行動して肉体関係を持ちます。その後、そのことを秘密にしたまま、桂木夫人と仲良くなります。このあたりまで、まったく理解のできないわがままな若い女性の心理がだらだらと書かれます。300頁あたりで、桂木夫婦に玲子のやっていることを知られてしまいます。さあ、ここから緊張感のある展開になるかと思ったら、あっさり桂木夫人が自殺してしまい、その罪悪感で主人公やその相手の桂木もおかしくなってしまうのではないかと予想しましたが、2人ともそんなに痛手を受けていません。一応、玲子が罪悪感に囚われ、もう桂木とは会えないと言いながら、結局会ってしまいます。最後も、桂木の泊まっているホテルに自分も部屋を取り、そこに泊まるのか、あるいは自分を慕う同年代の男の仲間たちの下に帰るか、どちらだかわからないような終わり方になっています。

 正直言って、この玲子という女性は全然魅力的ではありませんし、その心情もまったく理解できません。作家自身もまだ20歳代の若さだったからか、もともとの才能がその程度だったのかわかりませんが、人物造形も下手だし、文章にもリズムがないし、ストーリー構想力もないという、ダメダメ小説です。太平洋戦争が終わってわずか10年ちょっとしか経っていなかったので、若い女流作家が書いた、小悪魔的な若い女性を主人公にした物語というものが新鮮で、魅力的に思えたというだけのことでしょう。

 この小説はすぐに映画化され、1957年版では久我良子が主演を務めたようですが、どうなんでしょうね。観てないのでわかりませんが、後の久我良子のイメージしか知らないので、この小悪魔の役がフィットしたのでしょうか?2回目の映画化は1976年に秋吉久美子主演で撮られたようで、こちらも観ていませんが、イメージ的には秋吉久美子なら、この訳の分からない行動ばかりとる小悪魔的女性はぴったりだったのではと思います。

 最後に、この文庫本の解説が実に的確でした。私は小説の解説を自分が読み終わった後に、必ず読みます。自分が読んだ感想とどのくらい合致するかを確認するためです。駄作だと私が感じた小説の場合、解説と合致しないことが多いです。解説を書くということは半分その小説の宣伝に協力するようなものでしょうから、駄作でもなんとかほめようとしています。しかし、この小説の解説を書いている山室静という文芸評論家――知らなかったので調べたら、1906年生まれの詩人・文芸評論家と出てきました。ムーミン・シリーズの翻訳などもしているようです――の解説は、静かな筆致ながらも、この小説を酷評していて、「そうそう。同じ意見だ」と気持ちよく読みました。(2021.8.29

858.(映画)テレンス・ヤング監督『暗くなるまで待って』(1967年・アメリカ)

 オードリー・ヘプバーン主演の作品として昔から名前だけはよく聞いていたのですが、見たことはなく、タイトルから、オードリー・ヘプバーン十八番のラブロマンスだろうと勝手に思っていましたが、全然違う内容で、ヒッチコックばりのサスペンス映画でした。オードリーは盲目の人妻の役で、それまでのラブロマンス物とはまったく違う演技を見せています。大きな目を見開いたまま、見えてない役をやるのはなかなか難しいのではないかと思いますが、かなり上手に演じています。なお、この作品まで比較的コンスタントに映画に出演していたオードリー・ヘプバーンですが、この映画をひとつの区切りにしたのか、あるいは時代がもうあまりオードリー・ヘプバーンを必要としなくなったのかわかりませんが、この後9年ほど映画に出演しません。戻って来てからも結局4本の作品に出ただけなので、この映画がオードリー・ヘプバーンが輝いていた時代の最後の作品という位置付けもされているようです。

 さて、ストーリーですが、結構ややこしくて、オードリー演じる人妻の夫が、ふとしたことで麻薬輸入のために偽装された人形を見知らぬ女から預かり、そのまま自宅に持ち帰ってきます。そして、この麻薬の存在を知る男がなんとかこれを取り返すために、金で雇った男たち2人ともに、オードリーが1人でいる家にやってきます。3人の男たちはそれぞれの役割を決め、盲目の人妻を信じさせて、人形のありかを探りますが、勘の鋭いヒロインは、階上に住む少女の協力を得て、3人が怪しいことに気付きます。最後は、力づくで人形を奪おうとする男と暗闇の中で対決する盲目の人妻・オードリーという展開になります。

 かなり粗いストーリーで、人形のお腹に詰め込まれた麻薬の量も少なく、たったこれだけの量のために、ここまで危険なことはしないだろうとかツッコミを入れたくはなりますが、オードリー・ヘプバーンのファンとしては、綺麗だ、可愛いだけではないオードリーが見られたことでよしとしたいと思いました。(2021.8.28)

857.(映画)内田けんじ監督『鍵泥棒のメソッド』(2012年・日本)

 初めて見ましたが、よくできた作品でした。2時間ちょっとの映画の時間で見事にストーリーをまとめています。売れていない役者を堺雅人が、正確無比な殺し屋を香川照之が演じますが、殺し屋の香川照之が銭湯で頭を打って記憶喪失になり、その際に堺雅人が香川のロッカーの鍵と自分の鍵を交換してしまうことで、物語は複雑に展開していきます。ここに、恋愛経験のないまま結婚を急ぐ広末涼子が演じる雑誌編集長が絡みます。広末演じる雑誌編集長は、記憶の取り戻せない香川演じる貧乏役者が誠実に努力を重ねる人間だと知り、自分と結婚してほしいと申し出ます。香川は戸惑いながら気持ちが惹かれていきますが、たまたま広末がかけた音楽で記憶が蘇ります。

 他方、そこまでの間に堺の方は、自分が殺し屋らしいということに気付き、ややこしいことに巻き込まれたと思いつつ、ひとの良さを発揮して、危険に合いそうな女性を助けようとします。記憶の蘇った香川と堺、それに殺しを依頼した人物に、広末演じる女性も絡んで来て、後半はB級アクション映画のような展開になります。この辺はちょっと馬鹿馬鹿しいのですが、最後のまとめ方が上手く、納得感が得られます。素直に、映画って面白いなと思える作品です。(2021.8.20)

856.(映画)ビリー・ワイルダー監督『麗しのサブリナ』(1954年・アメリカ)

 『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンが好きで、オードリー・ヘプバーンと言えば、『ローマの休日』に尽きると思って、他の作品はあまりちゃんと見てこなかったのですが、最近BSで毎週のようにオードリー・ヘプバーンの作品が放映されていて時々見ているのですが、今日は『ローマの休日』の次の作品である『麗しのサブリナ』を見ました。「サブリナパンツ」という言葉も知っていたので、てっきりどこかで一度くらいは見たのではと思っていましたが、どうやら初めて見たようです。

 この作品のオードリー・ヘプバーンは『ローマの休日』から一転して、金持ちの家のお抱え運転手の娘で、その家の遊び人である次男(ウィリアム・ホールデン)に実らぬ恋をしているという形で話は始まります。父親の勧めで、パリへ料理修行に2年間行き、そこで洗練されアメリカに戻ってきます。パリ留学前は、まったく意識することもなかったサブリナが洗練された女性となってきたことで、次男は恋のとりこになります。次男だけでなく、堅物だった長男(ハンフリー・ボガード)もサブリナに惹かれていきます。 もともと次男を思い続けていたサブリナでしたが、徐々に長男の優しさにも気付き、2人の間で迷うという恋物語です。

 いつか見る人がいるかもしれないので、最後はどうなるかは書かずにおきましょう。『ローマの休日』のオードリーより、この『麗しのサブリナ』の方が魅力的だという評価もあるようですが、私はやはり『ローマの休日』に軍配をあげたい気がしました。いずれにしろ、初期の頃のオードリー・ヘプバーンは可愛さと気品を兼ね備えており、私くらいまでの世代の日本人にはファンが非常に多いのは当然だなと、改めて思いました。(2021.8.18)

855.向田邦子『あ・うん』文春文庫

 奇妙な人間関係を描いた作品です。軍隊で知り合い無二の親友となった門倉と水田という2人の男の話なのですが、門倉は水田の妻に惹かれていて、水田の妻も門倉に魅力を感じています。そして、そのことを水田も門倉の妻も水田の娘さえ気づいています。しかし、それが理由でドロドロの人間関係になったりはしません。門倉は金もあり、風采もよい男で、子どものできた女性を二号として囲い、さらには水田がはまりそうになった芸妓も引いて三号として囲ったりするくらい、倫理観の緩い男であるにもかかわらず、親友の妻にだけは中学生の初恋のようにプラトニックな感情を持ち続けています。しかし、そのプラトニックな感情が自分の中で抑えきれなくなると感じた時、門倉は水谷に喧嘩を吹っ掛け、絶交を宣言させます。実に屈折した心情です。

 他の女性にはいくらでも安易に手を出す癖に、親友の妻へは決して手を出さない、かと言って恋心を持つのをやめようとしないというのもよくわからないですが、2人の道ならぬ恋心を感じ取っている周りの人間たちの対応もよく理解できません。門倉の妻は、夫が二号を囲い子まで設けたことで死を選ぼうと思ったりもしますが、門倉が一番愛しているのは水田の妻であることはよく知っていて、そのことを暗にほのめかすような発言もします。ドラマの脚本としてもともと構想されたもののようですから、ドラマ的面白さを求めて話を作っているところがあるのかもしれません。

 ちなみに、この話は2度のドラマ化と1度の映画化がされていて、たぶん私は映画の方は観たことがあったようで、主人公の門倉が確か高倉健だったよなと思いながら、この小説を読んでいたのですが、小説の中の門倉は高倉健とはイメージが重なりにくいキャラクターでした。最初にドラマ化された時の門倉は杉浦直樹がやっていて、なるほどこれはぴったりだと思いました。2回目のドラマ化の時は小林薫だったそうですが、やはり杉浦直樹が一番ぴったりです。向田邦子も、杉浦直樹をイメージしながら書いたのだろうなと納得が行きました。

 不思議な人間ドラマでしたが、文章の読みやすさとどう展開するのかという期待感から、あっという間に読んでしまいました。(2021.8.15)

854.高橋鐵『浮世絵 その秘められた一面』河出文庫

 この著者は、私が若かった頃、性についての研究者として有名な人でした。この本も初版は1969年に出た本です。1992年に文庫本になって出た時に興味半分で買ったのではないかと思いますが、ずっと読まずに放置していました。最近、NHKBSで「浮世絵」について紹介している番組を見ていて、そう言えばこんな本もあったなと取り出して読んでみました。

 予想以上に面白かったです。浮世絵は北斎や広重などの芸術的な作品はいろいろなところで取り上げられますが、ああいう立派な作品で浮世絵はあれだけ一般に広まったのではなく、この本で取り上げられているような「春画(=性を取り扱った作品)」こそ、浮世絵版画が庶民に受け入れられた最大の原因だろうと改めて思いました。ビデオにしてもインターネットにしても、新しいメディアが一般に受け入れられていくのは、その新しいメディアを利用して性に関する新しい楽しみを得られるということが重要な要因であると言われてきましたが、浮世絵版画もやはりそうだったんだなとよく理解できました。

 そして、この本で紹介されている浮世絵は性にからむ物語(=戯作)とのセットで提示されたものが多く、その物語も紹介されているので、江戸時代の性に対する関心がどのようなものであったかを知ることができました。特に18世紀後半から19世紀にかけての性に関する物語はかなり奔放で、すごいなあと思いました。もちろん、こういう物語で描かれた世界はそのまま現実を映し出したものではないと思いますが、多くの本がかなり売れたということは、こういうことに関する大衆的需要があったということは間違いなく示していると思います。

 妖怪がただ単に怖ろしいものではなく、庶民の楽しみとして生まれたのも、こういう浮世絵や歌舞伎などとのコラボによるものだそうです。江戸後期の文化にかなり興味が湧いた本でした。(2021.8.13)

853.(映画)クリント・イーストウッド監督『ハドソン川の奇跡』(2016年・アメリカ)

 2009年に起きたバードストライクでエンジン停止となった旅客機がハドソン川に不時着し、乗客乗員全員が無事だったという奇跡の実話を基にした映画です。てっきり単純なヒーローもの的な作り方と思いましたが、そうではなく、機長の判断は正しくなかったのではないかと事故調査委員会にかけられるという話がメインになっています。

 たぶんこれも実話なのでしょうが、まさかこういう立場に立たされているとは知りませんでした。事故調査委員会の検証ではハドソン川に不時着せずに空港に戻れたという結論になっていたのを、機長や副機長が検証のシミュレーションが十分ではないと主張し、その前提に立ってシミュレーションし直すことで、彼らの判断が間違っていなかったことが証明されます。

 まあ映画としてはそれだけのことですが、実際の機長や乗務委員、乗客だった人もドキュメンタリーフィルムの中で登場しますので、かなり実録フィルムを見ているような気分になれました。主役のトム・ハンクスがいい味を出していました。(2021.8.4)

852.(映画)ジェームズ・キャメロン監督『トゥルーライズ』(1994年・アメリカ)

 ジェームズ・キャメロン監督、シュワルツェネッガー主演ということで、一応大作っぽい作りの映画かなと思って見はじめましたが、いやあ、なんともむちゃくちゃなアクション映画で、途中から大笑いしながら見てました。リアリティが1mmもない映画で、基本的にアクション映画に興味のない私も、ここまでやるならこれもありかと思ってしまったほどです。

 序盤のトンデモ場面は、バイクと馬の追いかけっこです。テロ集団の首謀者の男がバイクを盗んで逃げるのですが、シュワルツェネッガーは騎馬警官の馬を借り、それで追いかけます。そして、なんとバイクも馬もホテルの中に入っていきます。それだけでもむちゃくちゃなのに、バイクも馬もエレベーターに乗って屋上に出、バイクに乗った男はそのまま屋上からジャンプし、隣のビルの屋上プールに着水します。このあたりで、ああこの映画はシリアスなアクションものではないんだと気付き、後はその馬鹿馬鹿しさを楽しみました。

 後半はテロ集団の仕掛けた核爆弾が爆発してしまうものの、水中だったから問題ないというような場面があり、これで終わりかと思ったら、もうひとつ核爆弾を持って、テロ集団のリーダーとその仲間がシュワルツェネッガーの娘を人質にしてビルを占拠しているという情報が入り、それを助けに行くために、今度はシュワルツェネッガーは戦闘機を借りて現場のビルに向かいます。

 核爆弾を爆発させるための鍵を盗んで監禁場所から屋上に逃げた娘は、テロ集団の男に追われ、工事のクレーンか何かの先へと逃げます。そこに戦闘機に乗ったシュワルツェネッガーが現れ、飛び移れと娘に言い、娘がぎりぎりのところで戦闘機につかまりますが、テロ集団の男も戦闘機に飛び移り、そこでまたアクションです。「ありえないだろ!」というツッコミを誰も入れる気持ちにならないくらい、むちゃくちゃなシーンです(笑)当然ながら、最後は娘もシュワルツェネッガーも助かり、大団円になるわけですが、なんとも派手な娯楽アクション映画でした。何も考えずに、馬鹿馬鹿しいほど派手な映画を見たい人にはお勧めですが、考えながら映画を見たい人は絶対見ない方がいい映画です。(2021.7.31)

851.児玉博『堤清二 罪と業 最後の告白』文春文庫

 セゾングループの総帥でもあり辻井喬という作家でもあった興味深い人物である堤清二へのインタビューを基にした本で、2016年の「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞したということだったので、非常に期待して読み始めたのですが、なんか隔靴掻痒感の残る本でした。

 インタビューで堤清二が語ったことを基本的にそのまま載せ、それに著者が少しだけ「事実と違うのではないか」とか「あくまでも本人の思いと周りの思いは違うようだ」とかコメントを付けていますが、そのコメントの裏付けになるような事実を丁寧に調べて書いていないので、著者の方のコメントも説得力を持っておらず、結局どれが正しい事実なのかが読者に伝わってこないいうのが隔靴掻痒感の原因だと思います。

 とりあえず、わかったことは堤清二は天才的な頭脳とパワーを持つ人間だが、かなり独断的な専制君主的な面も持っていたこと、弟の義明は凡庸で子どもっぽい人物で、2人の仲は清二が死んでも改善されていないくらい悪いものだったというくらいです。

 せめてこの著者にしっかり書いてほしかったのは、なぜ堤康次郎は兄の清二ではなく弟の義明に、西武グループの総帥の地位を継承させたかということです。一般的には、清二が学生時代に共産党細胞としての活動をし父親に反発していたことがあったことが原因なのかと思うところですが、実際そういう考えでそうしたのかどうかが、この本を読んでもまったくわかりません。むしろ、この本のインタビューで清二が自分が譲ったんだというようなニュアンスの発言をしており、それに著者がきちんとコメントしてないので、余計わからなくなった感じがします。残念な本でした。(2021.7.23)

850.湊かなえ『母性』新潮文庫

 うーーん、読みましたが、好みじゃないです。この作家はどうも女性心理ばかり描きます。この小説は、2人の女性の独白が交互に描かれるという作品なので、当然女性の心理になっても仕方がないのですが、これまでに読んだ作品も女性心理ばかりが独白調で語られるものが多かったように記憶しています。物語に社会的様相が少なく、ただただ心理描写を利用して、ミステリーものっぽくしているという感じです。

 この小説のテーマは、タイトル通り「母性」なのでしょうが、正直私には伝わってきません。単に、超マザコン娘が母になり、自分の娘より母の方が大事という気持ちを持ち続けており、娘は母の愛を求めるために母を守ろうとするというストーリーとしか受け止められず、「母性」を作者がどう描こうとしたのかさっぱりわかりませんでした。

 『告白』が面白くて、それ以来湊かなえの作品を何冊か読んできましたが、いつも読後感がぱっとしません。湊かなえはもういいかな。あまり合わなさそうです。(2021.6.30

849.(映画)リチャード・カーティス監督『アバウト・タイム――愛おしい時間について――』(2013年・イギリス)

 自分の過去に戻れるという能力をもつ若い男性が、その能力を使って恋をし、家族を愛するという話です。こう書くと、どんなすごいタイムトラベルをするのだろうかと思われてしまいそうですが、通常のタイムトラベル物と違って派手で劇的な場面はいっさいありません。タイムトラベルができるという能力が、記憶力がいいとか運動神経がいいというのと変わらないのではないかと思ってしまう、ほんのちょっとした能力として使われています。描きたかったことは、そんな能力のことではなく、恋愛、家族、そして普通の日常がいかに素晴らしいかといことなのだと思います。

 いかにもイギリス映画らしい作品で、好みの作品です。心地よい音楽がうまく使われたロマンチック・コメディはイギリス映画、あるいはイギリスを舞台にした映画がいいです。アメリカ映画やアメリカを舞台にすると、この感じがなぜか出ないんですよね。街の風景が違うからかなあ。「小さな恋のメロディ」「ノッティングヒルの恋人」とかと思い出しました。なんか恋っていいよな、家族っていいよなあ、人間ていいよなあと思える作品です。(2021.6.27

848.宮尾登美子『蔵()()』中公文庫

 読み応えのある小説らしい小説です。上下2巻、一気読みしてしまいました。新潟の大地主で酒造りもしている一家の物語です。主役は形式的には全盲になってしまうこの家の跡取り娘・烈ということになるかもしれませんが、その父・意造とその妻の妹・佐穂の2人も主役と言ってよいと思います。

 新聞連載小説だったということもあるでしょうが、ストーリーにはいくつもの山や谷があり、また登場人物も上記3人以外にもたくさんおり、またその11人の行動と心理が丁寧に描かれており、この物語を簡単に説明するのは困難です。大河ドラマの趣のある小説です。映画化やドラマ化もされているようですが、この物語の全編を紹介しようと思うなら、1年間放映される朝の連続テレビ小説くらいの時間がないと難しいと思います。というか、朝の連続テレビ小説にぜひしてほしい作品です。

 宮尾登美子は実力ある作家だなとしみじみ思います。個々の登場人物の心理描写などが巧みなのはもちろんですが、舞台となる土地の地理、気候、文化なども実によく調べています。高知出身の作家なので、高知が舞台のものばかり書いているように思っていましたが、雪国新潟を舞台にしたこんな名作も書いているのだということに感心しました。おすすめの一作です。(2021.6.18)

847.有川浩『海の底』角川文庫

 実に巧みなエンターテイメント小説です。横須賀港に人間を襲い捕食するという謎の巨大ザリガニが大発生し、それに対し警察、機動隊、自衛隊、米軍はどう対処するかというSFパニックもののストーリーを縦軸に、他方、この巨大ザリガニから逃げるために15人の子どもたちと乗務員2名が潜水艦で6日間を過ごし、そこでの人間模様が横軸として描かれ、重層的な物語になっていて、読者を飽きさせません。この作者、うまいです。警察や自衛隊に関する知識もきちんとしており、しばしばエンターテイメント小説ありがちな、いい加減さはみじんも感じません。あと、登場人物の書き分けが巧みです。かなり多くの人物を登場させますが、きちんと個性を書き分けています。プロですね、この作者は。

 で、この物語の中で主役的な活躍をする二人の潜水艦乗務員と15人の子どもたちの紅一点の女子高生は、前に紹介した『クジラの彼』という短編恋愛小説集に登場していました。乗務員2名の名前だけは覚えていましたが、どんな話だったかきちんと思い出せなかったので、再読しました。最初に読んだ時も面白い小説だと思いましたが、この『海の底』を読んでから再読すると、そんな風につなげてあったんだとさらに面白く思いました。刊行順は、私が読んだ順とは逆で、この長編小説『海の底』が出された後、スピンオフ小説として「クジラの彼」と「有能な彼女」という短編が描かれています。その経緯を知っていた読者は、待ってましたという感じだったのでしょうが、何も知らずに読み始めた私には、新鮮でした。たぶん、刊行順に読むより、この順番の方が私には合っていた気がします。

 この作者には『海の底』以外に、『塩の街』『空の中』という作品があり、それぞれ海、陸、空という自衛隊を扱った3部作があるようなので、いずれすべて読んでみようと思います。(2021.6.11)

846.竹宮恵子『少年の名はジルベール』小学館文庫

 待っていた竹宮恵子の本が届きましたので、早速読みました。萩尾望都の本とはかなり違う印象の本です。大学の学長にまで上り詰めた成功者の若き日の苦悩を語るという本です。竹宮恵子という人は漫画家にならなくてもきっと成功を勝ち得た人だろうなと感じました。普通に賢く、嫉妬をエネルギーに変えられる努力家ですので、どの分野に進んでいても成功したでしょう。萩尾望都が無口な芸術家肌なのに対し、竹宮恵子は旅行計画なんかもさらりと作れてしまうような世俗知に長けた人です。この2人が同居したら、やはり竹宮恵子がこの関係を解消したくなったのは当然だろうなと思います。

 萩尾望都の本では、萩尾が竹宮から受け止められないようなきつい言葉を向けられ、それをいまだに昇華できずにいるという思いがぽつぽつと訥弁に語られるのに対し、竹宮は昔自分が萩尾望都に嫉妬していたこと、でもそれがエネルギーにもなったことを、綺麗に読めるような「昔話」として書いています。自分を正当化しているわけではないですが、50年経っても消えないほど、萩尾の心を傷つけたという認識は持っていなさそうです。まあでも、「踏まれた足の痛さは踏まれた者しかわからない」と言われますので、竹宮が萩尾が感じたほどの重さで自分の行為を認識できていなかったとしてもそれは仕方ないとも思います。

 しかし、竹宮のことですから、当然萩尾望都の本を読んだと思いますので、これから何かリアクションがありそうな気もします。ただ、萩尾望都は一切のコンタクトを竹宮との間には持ちたくないという姿勢を貫いていますので、もしも竹宮がリアクションを起こしたら嫌だろうなと思います。竹宮が本当に萩尾に対して申し訳なく思っているなら、萩尾の本を読んでも一切リアクションをせずに過ごすという選択をするでしょうが、そこまで自分が一方的に悪いわけではないと思っているなら、何かリアクションをするでしょう。もともとエネルギーの塊のような人で、世俗的成功もつかんだ人ですから、後者の選択をしそうな気がします。萩尾望都はまた傷つくかもしれませんが、読者としては読んでみたいです。(2021.6.9)

845.萩尾望都『一度きりの大泉の話』河出書房新社

 新聞の書評欄で紹介されているのを見て、これは読まなければと思い、すぐにAMAZONで注文し、本日到着し4時間ほどで一気に読み終えました。若い人は知らないかもしれませんが、萩尾望都は「ポーの一族」「トーマの心臓」といった作品で有名な漫画家です。「マンガの社会学――マンガを通してみる大衆意識の分析」(『桃山学院大学社会学論集』第24巻第1号,21-53頁,1990年)という論文も書いたことのある私がマンガを一番真剣に読んでいた頃、大活躍をしていた漫画家です。1970年代半ば頃、少女マンガに革命的な変化が起きていると言われた時代があります。それまでの少女の恋や悩みを描くような典型的な少女マンガから、文学と言ってよいような水準の作品が次々と現れ、今読むべきマンガは少女マンガだと男性読者もよく語っていたものでした。その代表格として名前が上がってくるのが、この萩尾望都や竹宮恵子、山岸涼子、大島弓子といった女性漫画家たちでした。

 当時私も彼女たちの作品を読みましたが、単行本まで買ったのは、この4人の中では萩尾望都と大島弓子でした。特に、上にあげた萩尾望都の2作品は高く評価しており、いまだに持っています。ただこの頃はマンガを読んでいただけで、彼女たちの生活のことまで知らなかったのですが、今回の書評で、萩尾望都と竹宮恵子が一時世田谷区大泉で同居生活をしていたが、なんらかの理由でうまく行かなくなり、2人はその後ノーコンタクトになったと知り、そのことについて萩尾望都の側からの見解が述べられている本ということで、ぜひ読んでみたいと思ったのです。

 実は、京都精華大学の学長までやった竹宮恵子が2016年に自伝本を出版し、そこに大泉での萩尾望都とのことも書かれていたため、萩尾側からのコメントが欲しいという要望が萩尾のところに殺到し、そうした仕事を一切受けたくない萩尾望都が、書籍の形にして萩尾はどう感じていたのかを明らかにすることで、今後一切このことには触れないでほしいという意図で出した本です。

 これもある種の自伝本と言えると思いますが、約50年経って70歳代になった今でも思い出したくない、会いたくないという強い思いが記されている非常に珍しい自伝本です。ともに功成り名遂げた二人だからこそ、こうなってしまうのでしょうが、普通はもう少しオブラートに包んで昔の思い出話としてソフトに語られそうなことが、その時の痛みが今でもそのまま思い出せると感じさせる本です。果たして、竹宮恵子はこのままスルーできるのかなと思ってしまうほどです。女子中学生の世界ではよくありそうな、嫉妬による人間関係のもつれが20歳代前半の才能ある女性漫画家の世界でも起き、それは50年経っても癒されないまま傷として残るものなのかと驚きました。

 2人の人間関係の話以外も興味深く読めて、当時の人気女性漫画家たちがかなり交流を持っていたのがわかり、面白かったです。萩尾望都と竹宮恵子が別れる直前に、山岸涼子、増山法恵――この人物は漫画家ではないですが大泉の2人の同居生活とその崩壊に重要な役割を果たした人物です――の4人で40日以上ヨーロッパ旅行をしていたりしたのも驚きでした。

 この本で名前が上がってくる漫画家をほぼ全員わかる私にとっては非常に面白い本でした。近いうちに竹宮恵子の自伝本も届くので、次はそれを読んでまた感想を書きます。(2021.6.2)

844.(ドラマ)宮尾登美子原作『櫂』(1)(2)(3)1999年・NHK

 最近、BSプレミアムで再放送していたので、面白いかもと思って見てみました。なかなかよかったです。松たか子が主役の女性を演じ、その夫役が仲村トオルです。松たか子はこのドラマを撮った時にはまだ20代はじめくらいでしょうが、10代後半から30代後半くらいまで演じていますが、違和感はありません。娘役で、当時まだ1112歳の井上真央が出ていたり、今や文化人感の強い中江有里が女郎役で出演していたり、麻生久美子が若い芸者役で出ていたりするので、そういう発見の楽しみもありました。

 物語は、大正7年頃から昭和12年頃の高知の遊郭や女衒を扱ったものです。作者の宮尾登美子の自伝小説的要素も持つものと言われています。仲村トオルが女衒というか遊郭や女郎屋に女性を紹介する商売をしている富田岩伍という男の役で、松たか子はその妻・喜和の役です。喜和は夫の仕事に疑問を感じ、廃娼運動を進める婦人たちの運動にシンパシーを感じていたりします。夫の岩伍は、この商売は貧しい家の者を救ってやっているんだち主張しますが、喜和には納得が行きません。その上、愛人に子をなし、その子を喜和に育てさせます。最初は嫌がっていた喜和ですが、自分の息子をなくしたばかりということもあり、すぐに愛情をもって育てるようになります。その子の大きくなった姿を小学生時代の井上真央が演じています。

 日本が貧しく女性の人身売買が当然のように行われていた時代の空気感をそれなりにうまく伝えています。なかなかの力作だと思いました、この作品は、五社英雄監督、十朱幸代、緒形拳出演で映画化もされていて、こちらも高評価のようですので、機会があったら見てみたいと思います。(2021.5.27)

843.冲方丁『天地明察(上・下)』角川文庫

 映画化された時にちょっと興味があったのですが、見ないままここまで来てしまいました。しかし、それゆえにほぼ内容を知らずに読めたので新鮮でした。主人公は、江戸時代に実在した渋川春海という人物です。碁を打つことを職業とする家に生まれましたが、碁以上に数学や天文学に興味を持ち、大和暦と言われる新しい暦を正式採用されるという話です。関孝和、保科正之、水戸光圀、酒井忠清、山鹿素行といった著名人物ですが、その生涯をよく知らない人物がいろいろ登場してきて、なかなか興味深かったです。

 ただ、私自身が碁にも数学にも天文学にも暦にも知識がほぼないので、そういうことに関心が高い人ほどには楽しめてない気がします。そういう知識を持っている人なら、この小説はより面白く読めることでしょう。ただ、時代としては徳川将軍家が4代の徳川家綱から6代の家継あたりの時代で、このあたりは小説に描かれることが少なく、私もあまり知識がないところでしたが、このあたりの時代も面白そうだなと思いました。特に、松平信綱、保科正之、酒井忠清といった、江戸幕藩体制を確立したこの時期の老中、大老に興味が湧いてきました。また機会があったら、そのあたりの時代の小説や歴史書を探して読んでみたいと思います。(2021.5.27)

842.(映画)チャン・フン監督『タクシードライバー――約束は海を越えて――』(2017年・韓国)

 1980年の光州事件に起きた事実を基に作られた映画です。光州事件は、1963年から16年にわたって独裁的な政権を維持していた朴正煕大統領が1979年に暗殺され、これからは民主的な国家に変わるという期待も空しく、1980年には全斗煥が軍事クーデータを起こし、民主化の期待を断ち切ろうとします。こうした流れに抵抗しようという動きが光州地域の学生から起き、それに市民も同調しますが、軍は力を持ってそれを抑え込みます。その際に、光州の多くの若者・市民が殺害されたり、重傷を負ったりしたという事件です。

 この映画は、その事件の際に光州に潜入し、その悲惨な状況をフィルムに収め世界に伝えたドイツ人ジャーナリストと彼をソウルから光州まで送り、さらに再び空港まで送り届けたタクシードライバーの話です。映画では、このタクシードライバーは詳しい事情は何も知らず、ただ大金が稼げるからというだけの理由で、光州に行きますが、そこで悲惨な状況を知り、自分だけ逃げだすことができず、怪我人を救い出し、そして一度は見捨てようとしたドイツ人ジャーナリストを金浦空港まで送り届けるというストーリーです。細かいところはフィクションとして作っていると思いますが、そういうタクシードライバーがいたことは事実のようです。

 映画としてもなかなか見ごたえがありましたが、改めて軍隊がある国の怖さを感じる作品です。今のミャンマーの軍事政権などにももっと関心を持たないといけないなと思わされた作品でした。(2021.5.12)

841.安部龍太郎『レオン氏郷』PHP文藝文庫

 信長の娘婿で、豊臣政権下で会津・米沢90万石の大大名となった蒲生氏郷の生涯を描いた歴史小説です。蒲生氏郷は戦国末期の歴史小説を読んでいると時々名前が出てくるのですが、どういう人物でなぜ百万石近い領地を与えられた大大名になれたのか、そしていつその生涯をどのように終えたのかといったことをよく知らなかったので、この本を読んでみることにしました。

 割と丁寧に歴史を追って、他の重要人物とどういう関わりを持っていたかを書いてくれているので、蒲生氏郷の人物像と人間関係はつかめました。ただ、当然かもしれませんが、作家は蒲生氏郷を欠点のほとんどない優れた人物として描き、それを際立たせるために、豊臣秀吉や伊達政宗は悪賢い人物として一貫して描いていますので、どこまでが事実なのかはわかりません。それでも、蒲生氏郷のおおよその人生はつかめました。

 近江の日野の豪族で、信長が岐阜から畿内へ勢力を拡大してきた時に信長に味方することを決め、その小姓として目をかけられ、娘の婿として選ばれます。本能寺の変の際には近江という危険な場所にいたにもかかわらず明智光秀には味方せず、織田家の妻女を匿い、光秀が討たれ秀吉の世になると妹が秀吉の側室になることで秀吉との関係を強化し、伊勢松坂12万石に転封されます。その間に高山右近と近づき、キリシタンとしての洗礼を受け、レオンという洗礼名を持ちます。ローマ法王のもとに少年使節団も派遣したとも小説には書いていますが、歴史的事実なのかどうかはよくわかりません。

 松坂に城を築いて本格的に領地経営をしようと思っていたところで、会津へ転封になります。石高は大きく増えますが、畿内からはるかに離れたところに移されたのは、信長の娘婿であり能力もある蒲生氏郷が畿内近くにいることを秀吉が嫌ったためと作者は考えています。野望の大きな伊達政宗と対峙させ、その力を削ごうとしたという見方をしています。実際に、政宗との間ではひと悶着があり、その際に飲まされた毒が何年も経ってから効いてきて、40歳という若さで生涯を閉じることになってしまったというのが作者の主張です。最後の毒殺説はあまり信じられないですが、とりあえず秀吉存命中に蒲生氏郷は亡くなってしまったことは、それなりに歴史に影響はあっただろうという気がします。ただ、天下を取るほどの人物だったようには感じなかったので、うまく行って、前田や伊達のような大大名家として生き延びたか、あるいは加藤や福島のように、徳川幕府につぶされたかのいずれかかなと思います。

 ちなみに、調べてみたら氏郷の孫の忠知までは伊予松山24万石に転封され大名として存続していましたが、跡継ぎがおらず、そこで御家断絶となっていました。(2021.4.28)

840.(映画)黒沢清監督『スパイの妻』(2020年・日本)

 この監督の作品は面白いと思ったことがないのに、タイトルと扱っている対象が私の関心を引くので、もしかしたら今度こそいい作品だったりするかもしれないと思い、テレビとかで放映していたら録画して見てみるのですが、毎回がっかりさせられます。今回も結局また同じ轍を踏んでしまいました(笑)

 時代は太平洋戦争に入る直前で、神戸で貿易商を営んでいた高橋一生演じる福原優作は満州に行き、関東軍の生体解剖や細菌兵器の研究など非人道的な戦略が行われているのを知り、それをアメリカに知らせ、対日本戦に踏み出させようとします。その意図を知った蒼井優演じる妻は夫に協力することにし、夫ともにアメリカに亡命しようとしますが、妻の密航は憲兵隊に密告するものがあり、失敗に終わります。このあたりまででほぼ話の9割です。後は、1945年まで時代が飛び、精神病院に入っていた妻が全然精神を病んでなさそうな感じで登場し、その後空襲があり、なぜか妻は海岸を泣きながら走っているというシーンで終わります。

 一体、この映画は何を描きたかったのか、私にはさっぱりわかりませんでした。夫婦愛?反戦?なんかどれもぴったりしません。こんな映画がヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞とかを取ったらしいですが、何が受賞に値するんでしょうね。(2020.4.17)

839.朱野帰子『駅物語』講談社文庫

 この作家は確か『わたし、定時で帰ります』を書いた作家で、作品はあまり面白かった記憶はなかったのですが、駅を舞台にした人間ドラマで感動作と要約紹介で書いてあったので、怪しいなあと思いつつ、まあ読んでみるかという感じで読み始めました。残念ながら、予想通りのもうひとつや、いやもうふたつ、みっつ、何かが足りなし小説です。読み終わってから、『わたし、定時で帰ります』について自分がどう書いていたかを見たら、ああやっぱり同じだと思ってしまいました。最後には、もうこの作家の小説はいいやとまで書いていました(笑)

 この作家の生み出す人物には深みがないんですよね。それが小説を魅力的に思わせない最大の理由です。そして、ストーリーも平板です。著者本人はそれなりのストーリーを作っている気持ちになっているのかもしれませんが、全然ドラマチックではありません。この小説では、1年前に主人公が駅で倒れた時に手助けしてくれた5人の人を探すために、東京駅の駅員になるというストーリーですが、なんとなく5人と出会い、なんとなく交流しただけで終わります。「それだけかいっ!」とツッコミを入れたくなります。5人を見つけ出す苦労も特になく、その5人が特別のつながりがあるということもなく、それぞれ多少ややこしい状況にあるというだけです。なんで、こんな山もない人物も魅力的でない平板な小説が出版できたのか、不思議に思ってしまいました。

 もう今度こそ、この作家の小説は80円でもスルーします。時間の無駄です。(2021.4.7)

838.(映画)三谷幸喜脚本・星護監督『笑の大学』(2004年・東宝)

 脚本家・三谷幸喜の良さが出ている作品です。調べてみたら、ラジオドラマ版が最初で、次に舞台版があり、映画版が三番目のようです。ラジオドラマも聞いていないし、舞台も見ていないのですが、この映画版が一番いいのではと勝手に思っています。それは、主役の検閲官が、ラジオ版では三宅裕司、舞台では西村雅彦が演じたのに対し、この映画版は役所広司だからです。前の2人には喜劇役者の空気感が強くありますが、役所広司の場合は基本的にシリアスな役を演じる俳優というイメージがあり、そのイメージがこのストーリーによく効いているからです。

 物語の時代は、戦争に大きく舵を切った1930年代後半の浅草で、様々な規制がかかる時代ゆえに、国威発揚を妨げるようなくだらない喜劇を上演中止にすることを自らの最大のお国への貢献と考える検閲官が、稲垣吾郎演じる脚本家との上演許可をめぐる交渉過程で、喜劇の面白さにはまっていくというストーリーです。謹厳実直のはずの検閲官がいつのまにか喜劇のセリフを言い、動きまでつけて演じてしまっているおかしさを役所広司は見事に演じています。好青年の脚本家を演じる稲垣吾郎も悪くないです。

 最後は意外な終わり方になりますが、この脚本家にはモデルがいたようで、そのモデルの脚本家と同じ人生にするためには、こういう終わり方になるのかなと一応納得しました。いずれにしろ、なかなか面白い作品でした。(2021.4.5)

837.森絵都『永遠の出口』集英社文庫

 読みはしましたが、駄作だなという印象です。まあ、『つきのふね』の感想にも書いたように、少女小説から抜け出せていない作品です。一応『小説すばる』という大人の読む雑誌に連載されたものだということで少しは大人の読める小説になっているのではと思いましたが、全然でした。

 主人公は女の子で、彼女の成長に合わせて小学校から高校卒業まで――おまけのように書かれた短いエピローグまで入れたら20歳代後半くらいまで――の小さなエピソードを書き連ねたものです。この少女に共感を持てる人なら多少は面白く読めるのかもしれませんが、私にはまったく無理でした。もっと早く途中で放り出してもおかしくなかったのですが、中学時代のエピソードで不良の仲間入りする話があり、これをきっかけに少しドラマチックな物語に展開するのかもしれないと思い、読み進めることにしたのですが、結局その不良時代はなんの意味があったんだと思うくらい、高校時代は恋に恋する純情少女になっていたりするので、同じ人物を描いているのかとツッコミを入れたくなりました。タイトルの『永遠の出口』も最初の方では、意識して「永遠」について触れていますが、途中からはもうまったく出てこなくなります。当初の問題意識を忘れてしまった連載小説の悪しきパターンの典型でしょう。

 これで3冊森絵都を読みましたが、もういいやという感じです。ちょっと作家としての能力不足を感じます。今後、余程すばらしい小説でも書いたという評判を聞かない限り、森絵都はもう読まないと思います。(2021.3.30)

836.有沢真由『美将団 信長を愛した男たち』宝島社

 タイトルと表紙の絵から、戦国時代を舞台にしたBLだろうなと思いながら、80円だし、たまにはこんな世界がどんな風に描かれているのかちょっと覗いてみるかというくらいの気分で購入し読んだのですが、意外に愛情を交わすシーンなどはさらりと描かれるだけで、むしろ史実にかなり忠実に小姓という存在が大きな意味を持っていたかが描かれていて思ったよりも面白かったです。

 信長の小姓というと、本能寺の変の時の小姓だった森蘭丸ばかりが有名ですが、前田利家も堀秀政もみな信長の小姓上がりです。小姓というと、美少年・美青年ですべて主君のお手がついた男たちというイメージですが、必ずしもそうでもないようです。今の組織でいえば、社長室のメンバーという感じでしょうか。夜の伽の相手をさせるために集められたというよりも、主君の側近として、その意を汲んで密使だったり目付的な役割だったり、様々な水面下の重要な場面で活躍する存在だったようです。頭が切れ、気も利くというタイプでないと、小姓としては目をかけられなかったようです。堀秀政などは何でも器用にこなすことから「名人久太郎(久太郎は秀政の幼名)」と呼ばれていたそうです。

 さて、この物語は実在した長谷川竹(武将名としては、長谷川秀一)を主人公にして、万見仙千代(武将名としては、万見重元)、堀久太郎、そして森蘭丸(武将名としては、森成利)らの人間関係を描きつつ、小姓の視点から織田信長の天下布武の歴史が描かれるというものです。小姓たちが重要な戦の場面にかなり登場するので史実なのかなと思い、調べてみたら、実際にそれらの戦に関わっていて驚きました。なかなか小姓の視点から織田軍が描かれる歴史小説はないと思うので、これはこれで新鮮でした。

 時々、著者の歴史認識の間違い――伊丹にあった有岡城を播磨にあるものとして描いていたりとか――が気になったりはしますが、総じて期待以上の小説でした。読みながら、堀久太郎秀政が非常に気になってきました。彼は1590年の小田原攻めの陣中で37歳の若さで急死してしまうのですが、彼が生きていたら、関ヶ原の戦い、豊臣家の滅亡など、歴史の転換点でどんな風に活躍したのだろうなと思いを馳せました。たぶん、長生きしていたら大大名になっていたのではないかと思います。(2021.3.25)

835.宇佐見りん「推し。燃ゆ」(『文芸春秋』20213月号)

 たまたま『文芸春秋』を見かけて、第164回芥川賞を取ったこの作品が掲載されていたので、まあどんなものか読んでみるかという感じで読んでみました。ストーリーはタイトル通りに、アイドルのコアなファンをやっている女性の生活と心理を描いた作品です。私はこういう世界にまったく共感を持てないので、それほど長くない小説であるにも関わらず途中で2回ほど眠くなってしまいました。

著者はまだ現役の大学生ということなので、昨今の普通の大学生に比べたら、確かに文章力、表現力はあると思いますが、結局何を言いたくてこの小説を書いたのかがわからず、読み終わっても、「それで、どうなるの?」と問いかけたくなりました。推しが芸能界を引退した後、主人公の彼女はどんな人生を生きていくのかまで大河ドラマのように描いてくれたら、もう少し興味深かった気がしますが、なんか生きがいを無くしたというだけで終わってしまっているので、まったく物足りなかったです。

何が評価されて芥川賞なのでしょうか。まあ、芥川賞の受賞作はつまらないものが多いというのが私の評価なので、まあこれもそのひとつかなと思えば納得も行きますが。最近の――いやだいぶ前からかもしれません――芥川賞って、ちまちました心理を細かく描く作品ばかりが取っているような気がします。ストーリー性を重視する直木賞との違いを意識的に出そうとしているのかもしれませんが、全然面白くないです。(2021.3.23)

834.(映画)山田洋次監督『男はつらいよ お帰り寅さん』(2019年・日本)

 24年ぶりに過去の映像も活かしながら作られた作品です。思ったよりよくできていました。吉岡秀隆と後藤久美子という、かつて渥美清が生きていた頃の最後の方の映画で若いカップルとして登場していた2人が24年経った姿で現れ、その2人を核にしてストーリーを作ったのはよかったと思います。吉岡秀隆はその後もたくさんの映画やドラマで見ているので特に新鮮ではなかったですが、後藤久美子は「男はつらいよ」が終わって以降はあまり見ないまま、女優業もほぼやめてしまっていたので、非常に新鮮でした。なんか少年感の残る吉岡秀隆と大人の女性そのものという雰囲気の後藤久美子が釣り合わないなあという印象も持ちましたが。

他にも、倍賞千恵子、前田吟、浅丘ルリ子、夏木マリ、など、かつての『男はつらいよ』に出ていたメンバーが24年後の姿を見せてくれて、過去の映像も挟み込まれるので、「ああ年月はやっぱり人を変えるなあ」としみじみ思わされます。気に入らなかったのは後藤久美子の父親役が、かつての作品では寺尾聡が演じていたのに、今回橋爪功が演じていることです。ここはちゃんと寺尾聡に演じてほしかったです。山田洋次は今や大監督なので自分の気に入った俳優を使うので、今は橋爪功がお気に入りのようですが、過去のシーンが織り込めなくなって残念でした。やるなら徹底してやってほしかったです。画竜点睛を欠くという感じでした。

他にも、立川志らくとかの登場も無駄な場面でした。「男はつらいよ」のファンだと公言していた立川志らくが山田洋次に取り入って登場場面を作ってもらったんだろうなというのがありありしていて映画自体の価値を下げるシーンでした。(2021.3.22)

833.有川浩『県庁おもてなし課』角川文庫

 有川浩らしいユーモア小説ですが、地方自治体の観光政策の硬直さをきちんと描いた社会派小説とも言えます。今回初めて知りましたが、この著者は高知県出身です。そして、高知県に実際に誕生した「おもてなし課」という部署と実際にやりとりした中でイライラ感じることがあり、そこを広げて、かつ高知県の宣伝にもなるということで、この小説を書くことにしたようです。そして、高知県だけでなく、この小説は地方自治体の観光政策にそれなりに影響を与えたようです。

 上記の3行でほぼ主たる内容は伝えられているようなものですが、プラスするなら、サブ的なテーマとしては2組の若い男女の恋愛がからめられているくらいでしょうか。新聞連載小説として発表されたもののようなので、割と行ったり来たりの平坦なストーリーです。この作者の小説としては、「良」といったとこころでしょうか。

 自然に恵まれた高知県の観光地がいろいろ紹介されますが、あまりアウトドア・レジャーに惹かれない私は、この本を読んで高知県に行きたいとは特に思いませんでした。まあ、四万十川は見たくてわざわざ行ったことがありますが。(2021.3.18)

832.安生正『生存者ゼロ』宝島社文庫

 2012年度の「このミステリーがすごい大賞」を取った作品という宣伝文句と、感染症を扱っていると思われるストーリーかなと思ったので、今の時代に重ねて読める点もあるかと思いましたが、だいぶ趣は違いました。こういう小説はバイオサスペンスというのでしょうか。あまり得意なタイプではないです。感染症そのものが蔓延すということではなく、細菌によって狂暴化したシロアリが大発生し、それが人間を襲うという現実離れしたクライシスが起き、自衛官と美人の生物学者が活躍するというストーリーです。アクション活劇という感じです。政治家が無能で、自衛官がヒーローとして活躍するというわかりやすすぎる構図です。ヒーローとヒロインっぽい女性は、苦境に陥っても最後まで死なない――主人公の自衛隊員はみんなが逃げ切れなかったシロアリからなぜ走って逃げきれますし、女性学者は乗っていたヘリコプターが墜落までしてしまうのに無傷みたいです(笑)――というのは、この手のアクション活劇の基本なのでしょうが、なんかご都合主義であまり好みではありません。富樫という感染症学者のキャラ設定もぶれているところも気になりました。そして、最後に主人公がその富樫のいたアフリカの地を訪ねるというのも、「えっ、そんな関係だったか?」と疑問を持ちながら終わってしまいました。 社会的背景などは何も書かれず、自衛隊だけ格好良く描かれるのもちょっとなあと思います。同じ自衛隊員を描いたものでも、有川浩の小説に出てくる自衛官は人間味があっていいのですが、この小説の主人公はほぼ超人みたいで、私にとっては魅力的な人物ではないです。この作家の「ゼロ」シリーズというのがあるみたいでが、たぶんもう読まないかなと思います。(2021.3.5)

831.歌野晶午『葉桜の季節に君を思うということ』文春文庫

 これは久しぶりに出会った快作で、絶対的お勧め作品です。歌野晶午という作家のことはまったく知らず、各種のミステリー賞を取ったということと、帯に書いてあった「あまり詳しくはストーリーを紹介できない作品です。とにかく読んで、騙されてください。最後の一文に至るまで、あなたはただひたすら驚き続けることになるでしょう」という文章に惹かれ、そんな大げさな宣伝文句でこれまでにも何度もがっかりさせられてきたよなあと思いながらも、まあそこそこ面白ければいいかというくらいの気持ちで購入し読み始めました。

 冒頭はハードボイルド小説の主人公の登場といった趣で始まり、途中読みながら、なんかキャラクター・イメージがブレブレだなあ、人物造形の下手な作家だなと思っていました。しかし、それがなんと最後に、全部作家の騙しの仕掛けに見事にはめられていたからだと気づかされ、「やられたあ!」と叫びたくなってしまいました。最後の「捕逸」がお洒落な種明かしになっていて、そうかあ、そうやってひっかけられたのかと感心しました。

 ぜひミステリー好きには読んでほしい小説なので、その楽しみを奪わないために、私もストーリーについても登場人物についてもこれ以上何も書かずにおきます。唯一のヒントを与えておけば、この作品はドラマや映画にするのは無理だろうということです。ぜひ騙されたと思って読んでみてください。(2021.2.27)

830.米澤穂信『ボトルネック』新潮文庫

 823で紹介したこの著者の作品がよかったので、他のものも読んでみようと思い、チャレンジしましたが、こちらはイマイチでした。前に紹介した『満願』という短編小説集よりも前に書かれた小説で、『満願』で感じたような成熟した書き手にはまだなっておらず、若手小説家そのものという感じです。

 物語はいわゆるパラレルワールドものです。高校1年の男子が主人公で、彼が好きだった彼女が転落した東尋坊で自分も転落したと思ったら、自分の住む町・金沢に戻っていたという形で始まります。そして、自分の家に戻ると知らない若い女性がいます。それはもともといた世界では生まれていなかったはずの年子の姉だということがわかり、ここがパラレルワールドだということに気付きます。そして、自分のいた世界では死んだはずの彼女も、やはり死んだはずの兄も生きています。

 で、何が起きるかというと、彼女の従姉の女性が人の不幸な顔を写真に収めるのが好きだという人間で、その人物が仕組んだことで前の世界での彼女の死も生じたということに、こちらの世界の姉が気付き、こちらの世界では同じような事態が生じないように八面六臂の活躍をします。

 なんかなあ、という感じです。ものすごく大きな事件が起きるわけでもなく、パラレルワールドに行ったからと言って何かが大きく変わるわけでもなく、読後感はイマイチです。ともに高校生である主人公とその姉が活躍するわけですが、全然高校生っぽく感じません。まあ、この作品は著者が20歳代の終わり頃に執筆したもののようですので、どうしてもそのくらいの年齢の人物に思えてしまいます。

 あと、「ボトルネック」というタイトルも、要は主人公自体の存在がボトルネックだったと読めるような書き方になっていますが、それじゃあ救いがないんじゃないのと思ってしまいました。『満願』とは大分レベルの異なる小説でした。(2021.2.25)

829.有川浩『クジラの彼』角川文庫

 824で紹介したこの作者の『ラブコメ今昔』が面白かったので、同じく自衛隊員の恋愛を描いたこちらの作品も読んでみました。いやあ、面白いです。だんだん、この作者にはまってきました。この作品の単行本のあとがきに作者は、「いい年した大人が活字でベタ甘ラブロマ好きで何が悪い!」と書いたそうですが、私は拍手を贈りたいです。私も好きですね、こういうまっすぐなラブコメは。特にいいのは、自衛隊員が主人公あるいはその恋人で、その特殊な状況が実にうまく活かされていることです。この作者は自衛隊員のことを実によく調べています。ラブコメなのに、実際にこんなことがあるのかもと思わせてくれるリアリティを感じさせてくれます。あと、主人公とその恋人が魅力的に描けています。ラブコメは、恋人たちが魅力的でないと読む気が失せますが、この短篇集を読んでいると、二人の恋を応援したくなるカップルばかりです。有川浩、いいですね。しばらくはまりそうです。(2021.2.24)

828.(映画)黒沢清監督『岸辺の旅』(2015年・日本)

 この監督の作る作品はどうもよくわからないのですが、結構海外で賞とかよく取っているので、それなりに魅力があるのかなと思い、頑張って見てみるのですが、やはりよくわかりません。この作品もカンヌ映画祭の「ある視点」部門で監督賞を取っています。「ある視点」部門というのがかなり怪しいなと思ったのですが、、、

 深津絵里が演じる妻のところに浅野忠信が演じる死んだ夫が戻ってきます。要するに成仏できない魂か幽霊のようなものですが、周りの人にも見えるし、普通に電車に乗ったり、バスに乗ったりして旅します。富山の海で自死したらしいですが、そこから東京までいろいろ人に助けられながら妻のもとに戻ってきたということで、そのお世話になった人たちに妻を連れて会いに行き、最後は富山の海辺で消えてしまうというストーリーです。

 原作小説があるようなので、原作に忠実なら原作自体がよくわからない話だということになりますが、どうにもテーマがよくわかりません。死んでも会いたいほど強いきずなの夫婦の愛を描きたいなら、それだけで話を作ったらいいのに余計なものが入りすぎていて、それは何のために必要だったのか首を傾げるところがたくさんあります。

 世話になった家族が3家族出てくるのですが、なぜこういう設定の家族を出す必要があったのかがよくわかりません。また、妻はいったん東京に戻り、夫の愛人だった女性と直接対面する場面もあるのですが、この場面を入れることの意味は何なのかよくわかりませんでした。

 また、旅の途中で愛し合うことを夫が拒否する感じのシーンがあり、魂と生きた人間はそういうことはできないという設定なのかなと思ってみていたら、最後の方ではしっかり愛し合うシーンが描かれます。なら、もっと愛し合うシーンが多い方が自然じゃないかと突っ込みたくなりました。

 夫が消える少し前くらいからの場面では、夫はまるで重病人みたいになり、妻の肩を借りないと歩けないというような感じで描かれますが、愛し合うのはその後のシーンで、かつ翌朝はまた妙に元気そうになっています。浅野忠信の演技が下手なのかなと思いたくなるくらい、重病人っぽい演技の後に妙に元気だったりとか、よくわかりませんでした。大体もともと死んでいる存在なのですから、肩を借りないと歩けないなんて生きている人間のような設定が入るのも奇妙な気がします。

 ということで、全然お薦めの映画ではないですが、記録のために感想を書いておきました。(2021.2.23)

827.湊かなえ『往復書簡』幻冬舎文庫

面白くないこともないです。でも、この著者は推理作家としていろいろ仕掛けて読者を驚かすのが好きというタイプで、意外な結末を作ることに熱心すぎて、いわゆる「本格推理小説」好きならともかく、社会的背景や登場人物の魅力などを楽しみたいと思っている読者にとっては、不自然感が否めません。

手紙のやり取りにすることで、少しずつしか事実が出てこないという設定を楽しむような物語にはなっていますが、一体誰がこんなに長い手紙を頻繁に書くのだろうかという不自然さに対する疑問が読みながら澱のように残り続けます。

繰り返しますが、面白くないことはないです。なるほどねえ、そういう結末にするのかあ。それなりに頭を使って書いているなあ、とは思います。でも、はまれないという感じです。湊かなえの小説はまた読むかもしれませんが、どうしても探してまで読みたいという人ではないですね。読み終わっても得るものはないけど、マンガの代わりに気楽に読むものがないかなというくらいの気分で読むのにちょうどよい作家です。

短い最終編「1年後の連絡網」に出てくる手紙のやりとりをする男性2人はどこかに出てきた人なのだろうかという気になって探しましたが、よくわかりません。その手紙の中に、第2編目の「20年後の宿題」と第3編目の「15年後の補習」の登場人物が出てくるので、それを紹介するためだけの架空人物なのでしょうか?湊かなえの他の小説に登場する人物だったりするのかなと、そこだけものすごく気になっています。(2021.2.20

826.(映画)堤幸彦監督『ファーストラブ』(2021年・日本)

観た人の評価が割とよかったので観に行ってきました。私の評価としては、可もなし不可もなしというところでした。原作は直木賞を受賞した小説だそうですが、読んでいません。で、もしもこの映画が原作にかなり忠実に作られているなら、原作は読まなくてもいいかなという気分です。ただ、映画で物足りないなあと思ったのは、それぞれの登場人物が抱えるトラウマとなった出来事や人物の背景が全然描かれていないところなので、もしかしたら小説ではその辺は描かれている可能性はあるのかなとも思います。

 具体的には、父殺しの容疑者となっている芳根京子演じる女子大生の両親がなぜあそこまで娘に冷たいのかが理解できず気になりました。娘の言う通りであれば、別の男の子どもを宿していた女性を、「君が生む子ならきっとかわいいはずだ」と言ってあえて結婚したなら、なぜあんなに娘に冷たい態度を取るのか、また母親はなぜ娘を嫌うのか、母親自身の自傷癖はどういうつながりがあるのかがまったく説明されず、隔靴搔痒感を持ちました。また、北川景子演じる公認心理士の方も、父親の東南アジアでの少女買春とそれを成人式に行こうという娘にわざわざ告げる母親の気持ちなどが全然わかりません。

 なんか複雑な心理を描くことだけに力が入っていて、その背景の説明が少ないので、社会学的に見てしまうと、ものすごく物足りないです。まあでも、受験生にも社会学より心理学の方が圧倒的に人気だったりすることからもわかるように、一般の人はとりあえずこういう心理描写がしっかり描けていればまあまあの評価を与えるのでしょうね。

俳優陣の演技は悪くないと思いましたが、私が一番興味深く思ったのは、北川景子の夫役の窪塚洋介の枯れぶりでした。若い時にやりたい放題のイメージだった窪塚洋介が包容力のある大人の男性を演じるようになったことにちょっとした驚きがありました。事前に調べていなければ、窪塚洋介だとは絶対気づかなかっただろうと思います。(2021.2.19)

825.梯久美子『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』新潮文庫

 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本で、それ相応の評価を与えられる本です。太平洋戦争における硫黄島の戦いは日本ではそれほど大きく取り上げられていませんが、むしろアメリカでの方が有名のようです。クリント・イーストウッド監督で2作の映画――日米双方の視点から描いた「父たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」――も作られています。日本側の視点から描いた「硫黄島からの手紙」は観たはずですが、この「本を読もう!映画を観よう!」では感想を記録していなかったようです。

 そんなわけで、ある程度激戦が行われたことは知っていましたが、改めてこの本を読んで、この硫黄島の戦いが日米双方にとっていかに重要な戦いであったかがよく理解できました。硫黄島はサイパンと日本本土の中間地点にあり、ここをアメリカ軍に取られると日本空襲が本格化する地理的位置にあったということ、そしてこの島の防御を任された栗林中将の作戦が功を奏し、圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらず日米両軍の死闘と呼べるような戦いになり、硫黄島という名がアメリカ国民に刻み込まれたこと、などがよくわかりました。

 しかし、この本の価値はそうした戦史として読めるということ以上に、栗林忠道を中心とした軍人、兵士たちの人間味がよく描けているところです。以前、牟田口廉也に関する本を紹介しました(725.広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』星海社新書)が、彼はインパール作戦で多くの将兵の命を失わせながら、自分自身は戦地から戻り戦犯にもならずに1966年まで生きたのに対し、栗林忠道は将兵とともに最後まで戦い、硫黄島で命を失ったわけです。どちらが幸せな人生だったのでしょうか。戦後何十年も経ってずっと愚将と呼ばれる人生と、戦地に散って名将と称される人生。長期的な視点から見たら、後者の人生の方が素晴らしいと言われそうですが、残された家族にとってはどうなんでしょうね。栗林の妻は戦後家計を支えるためにかなり苦労をしたようです。戦争という特殊な状況の中でのことですが、生き方を考えたくなる一冊でした。(2021.2.18)

824.有川浩『ラブコメ今昔』角川文庫

 すごく軽いタイトルの短篇集ですが、面白いです。すべて自衛官とその家族や恋人の話です。この作者は、自衛隊のファンなんでしょうね。出てくる自衛官がみんな魅力的です。ストーリーもそれぞれ違う味わいを持たせていますが、どれも詠ませます。この人もプロ作家ですね。単行本が出されたのは2008年ですが、自衛官と結婚することを言う「J婚」という言葉が流行語に選ばれたのは2014年だそうですから、この本もそのブームに一役を買ったのではないかと思います。確かに、この本を読むと、自衛官は魅力的に見えます。

 自衛官を魅力的に描くなんていう物語は、1980年代までは決して生まれなかったと思います。1990年代半ば以降、自衛隊の好感度は急速に上がっていきましたので、そういう中でこういう小説も受け入れられるようになったのだなと思うと、より興味深いです。この作家は他にも自衛隊について書いた作品があるようなので、また読んでみたいと思います。(2021.2.14)

823.米澤穂信『満願』新潮文庫

 初めて読む作家ですが、力のある人だと思いました。6つの短編からなる作品ですが、よくある連作の形を取っておらず、6つの物語は異なる設定です。でも、なんとなく通底する雰囲気はあります。一言で言えば、ミステリー要素の入った人間ドラマということになるでしょうか。個々の登場人物を非常に丁寧に描いていて、人間性まで含めて読者に伝わってきますので、物語に引き込まれやすいです。この作家はすごいなあと驚くことが2つあります。ひとつは、1978年生まれという若さにもかかわらず、物語の時代設定に昭和を多く使っていることです。ストーリーからすると、別に昭和にしなくてもいいような話なのですが、なぜか昭和にし、かつその昭和の雰囲気を伝えることができている点です。もうひとつはそれとも関係しますが、たぶん自分自身が経験していないようなことも、まるで見てきたかのように描ける知識量です。「万灯」という物語は、昭和40年代のバングラデシュでの天然ガスを開発する商社のプロジェクト・リーダーが主役の話ですが、時代の空気だけでなく、バングラデシュの村の様子などもたっぷり織り込んでいます。著者紹介に生年が書いていなければ、私よりかなり年上の作家なのではないかと推測したと思います。

 ミステリーのタイプも6編それぞれでまったく違うものになっていて、1冊にまとめてしまわずに、もう少し話を膨らませたら、6冊の本になっただろうと思うほどです。ただ、そういう風に無駄な叙述をしなかったことによって、この著書は優れた短篇集となったとも言えるのでしょう。ミステリー小説に与えられる三冠を取った上に、山本周五郎賞も取ったというだけのことはあります。今後注目しておきたい作家です。(021.2.11)

822.朝井リョウ『世にも奇妙な君物語』講談社文庫

 割と面白かったです。著者は、フジテレビの『世にも奇妙な物語』が子どもの時からファンだったということで、そのテイストの連作小説を書いてみたというものです。5編の物語からなりますが、なるほどファンだと言うだけあって、確かに「世にも奇妙な物語」そのものといった小説が4編語られます。そして、5編目はそれまでの4編がドラマ化された時に出演していた(と仮定した)脇役俳優たちが登場し、奇妙な主役オーディションが開催されるという話になっています。

 この著者は時代に敏感で社会的テーマを織り込むのでそこがいいです。1編目の「シェアハウさない」はシェアハウスが舞台、2編目の「リア充裁判」はコミュニケーション能力を判定するという話、3編目の「立て!金次郎」はモンスターペアレントがテーマ、4編目の「13.5文字しか読めな」は短くまとめるネットニュースの書き手が主人公になっています。それぞれ最後の結末はそれなりにオチをつけており、『世にも奇妙な物語』らしいテイストにしています。

 5編目の「脇役バトルルロワイヤル」」はそれまでの4編とつなぐことを意識した作品で、現代的テーマは特にないですが、わき役と主役の違いが面白く語られます。登場人物は、現実にテレビで活躍する俳優がそのまま浮かんでくる名前とキャラクターになっていて、著者はこの俳優陣でこの小説を本気でドラマ化するつもりで書いたんだろうなと思えます。ちなみに、WOWOWで、この3月にこの小説がドラマ化されるそうですが、小説で想定されていた俳優たちとは異なる俳優が演じるようです。役名が具体的な俳優をイメージさせますから、そのままでやるなら演じる俳優たちも奇妙な感覚なんじゃないでしょうか。WOWOWは見られないので残念ですが、まあオチを知ってしまっているので、見たとしても原作とのずれを楽しむという奇妙な見方になりそうですが、、、(2021.2.6)

821.加来耕三『立花宗茂』中公新書ラクレ

 しばらく前から、戦国後期から江戸初期までの九州地方の歴史を読みたいなと思っていたところに、ちょうど良さそうなこの本を見つけたのですぐに買ってしまいました。戦国後期から江戸初期というと、一般にはどうしても織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が活躍した時代として、彼らが主として活躍した地域、あるいはそのライバルとなっていた武田信玄、上杉謙信。北条氏といった関東勢から、毛利氏の支配した中国地方くらいまでが紹介されることが多いのですが、九州も実はかなり複雑で、かつ時代に影響を与えていた地域として、もっと焦点があてられるべきだと思っていました。

 豊後を中心に一時九州の大勢力となっていた大伴宗麟は、なぜその後、秀吉が九州に進出する直前に九州統一にあと一歩まで迫っていた島津氏に敗れていったのかとか、他にも龍造寺隆信や、この本で扱われた立花宗成とか、個別に名前を聞く武将もおり、どういう戦国史が九州で展開されたかを知りたいと思っていました。この本はその欲求をある程度満たしてくれました。話があちこち飛んでしまうところがあり、よくできた本とは言えないのですが、立花宗成のみに焦点を当てるのではなく、その実父や継父、そしてその主であった大伴宗麟あたりから話を展開してくれているので、まさに知りたいと思っていた九州の戦国後期から江戸初期の歴史的経緯がおおよそわかりました。

 書物のタイトルになっている立花宗成のことはこの本の後半で語られます。彼自身は、伊達政宗や真田幸村と同じ1567年生まれですので、本格的に活躍するのは豊臣政権になって以後です。彼の名を轟かせたのは、朝鮮出兵の際に寡兵でもって大勢の敵を打ち破り、一度も負けなかったということからです。宗成は「生涯無敗」とまで言われています。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、東軍に寝返った京極高次の大津城を落としましたが、関ヶ原には参陣せず、西軍の敗北を知り、郷里・柳川に戻り、そこで加藤清正からの説得を受け開城、降伏をし、浪人となります。数々の仕官の声がかかりますが、最終的には徳川秀忠に仕え、再び大名の地位を得、そして、なんと関ヶ原から20年後には、旧領・柳川の城主に戻ったというドラマチックな人生を歩んだ武将です。

地元では、立花宗茂で「大河ドラマ」を作ってほしいという要望が非常に強いそうですが、確かに十分その価値はありそうな人物です。もしもやる時は、ぜひその前史にあたる九州戦国史から始めてほしいものです。(2021.2.3)

820.角田光代『対岸の彼女』文春文庫

 直木賞を取った作品(直木賞というより、純文学系の芥川賞の方が合っている気がしますが)で、確かにそれなりの作品です。しかし、この小説の感性は女性読者でないとしっかり受け止めきれないのではないかと思います。35歳の二人の女性が主人公ですが、現在の話は、夫と子どものいる女性の視点で語られ、もう一人の女性の視点で語られるのは彼女の高校時代の親友との日々です。この物語も、現在と過去が交互に語られるという構成を取っています。両方の時代に現れる女性の印象が非常に異なるので、もしかしたら別の人に入れ替わっていたというようなどんでん返しがあるのではと途中思いながら読んでいましたが、そういう結末ではありませんでした。テーマは女性たちの人間関係の悩みです。この心理描写がものすごく丁寧に描かれているのですが、私には共有できず、この感性はやはり女性特有なのかなと思ってしまいます。そんなジェンダーで決めつけてはいけないのでしょうが、ここまでの感覚はなかなか理解しがたいです。でも、逆に30歳代の女性が読めば、「まさにそう」と共感する部分が多いのかもしれません。出来の悪い小説ではないので、女性の方は読んでみたら面白く思うのではないかと思います。(2021.2.1)

819.森絵都『つきのふね』角川文庫

 野間児童文芸賞をもらった小説というのを初めて読みましたが、やっぱり児童文芸でした。中学生の女の子が主人公で親友だった子と上手く行かなくなっていることを悩んでいて、それを2人と仲の良い男の子がなんとかしようといろいろ試みるという話と、精神的に病んだ青年との関わり、近所で起きる放火事件などがからめられていきます。「奇跡のような傑作長編」と銘打っていましたが、どこがだろう?と思わざるをえませんでしたが、中学生くらいが読むと感動するのでしょうか。大人が読むにはかなり物足りない物語でした。(2021.1.27)

818.古内一絵『十六夜荘ノート』中公文庫

 教え子に教えてもらうまで名前も知らない作家でしたが、文章もうまいし、構成力も調べもしっかりしているいい作品でした。現代と過去(昭和13年〜22年)という違う時代の物語が交互に語られていきます。共通の要素は「十六夜荘」と名付けられた洋館です。現代の方の物語は、この洋館の持ち主だった女性が亡くなり、その女性の妹の孫にあたる青年が相続することになります。マーケティング会社でやり手の社員としてばりばり働いていた青年は、その洋館が地価の高いところにあることから相続し更地にして売却することを目指します。しかし、そこには奇妙な住人たちが住んでいて、彼らとの関わりから、また仕事をやめざるをえなくなるという事態から、青年は徐々に価値観を変化させます。他方、過去の物語は、この洋館の持ち主だった女性が若き日だった戦前、戦争中、戦後という難しい時代の中で、この洋館に集う変わった若き芸術家たちとの関わりと、戦後いったん手放したこの洋館をいかにして取り戻していくかという話になっています。

 ミステリー小説ではないですが、どういう風に現代と過去をつなげるのだろうという興味から一気読みしたくなる本です。また、過去の話の中には、中国人――国民党寄り、汪政権寄り、台湾系――、朝鮮人の戦中、戦後の複雑な立場がしっかり描かれていて、よく勉強しているなと感心しました。参考文献を見ると、なるほどこういう文献を読んで構想を固めたのかということがよくわかり、興味深かったです。あと、「十六夜」がタイトルにも入っていてキーワードになっていますが、これが読み終えるとなるほどなと思えます。満ちていく月ではなく、これから欠けていく月というものをどう受け止めるかという問いかけはいろいろなことを考えさせるなと思いました。また、機会があったら読んでみたいと思う作家でした。(2021.1.25)

817.(映画)光野道夫監督・岡田惠和脚本『大人の事情 スマホをのぞいたら』(2021年・日本)

 たいした映画ではなかったですが、映画館で観てきたので記録のために書いておきます。2016年公開のイタリア映画が原作で、多くの国でリメイクされた作品と聞いたので、それなら面白いかもと思って観に行ったのですが、まあまあ面白かったのはスマホが鳴り始める前まででした。どんな秘密が暴露されるのだろうとちょっと期待したのですが、それほど意外性はなく、かつ人間関係をめちゃくちゃにする事実がわかっても、最後は岡田惠和脚本らしく妙にハートウォーミングな終わり方をします。「なんじゃ、これは?」という後味でした。どうして、こんな作品が多くの国でリメイクされるのか、私には理解できませんでした。

 オリジナルのイタリア版とどこが違うのだろうとネットで調べてみると、7人の出会い方が全然違うようですし、なぜスマホを見せ合うようにしたかというのも展開が違うようです。日本版では出会い方と最後の終わり方が無理に結び付けられていますが、なんかこの作品のメインストーリーからすると、その部分どうでもいい気がしました。最初に妙な思わせぶりのシーンから始まりましたが、最後まで見たら「その程度の意味のものかい?」と言いたくなってしまいました。もうひとつケチをつけておけば、「大人事情」というタイトルが全然合っていません。「どこに『大人の事情』に値するエピソードがあったんだ」とここもツッコミたくなりました。

 映画館で高い入館料を払って観る価値はない映画です。シルバー割引の私でもそれほどの価値はなかったなという程度の映画でした。脚本家の岡田惠和は最近ドラマに映画に引っ張りだこですが、売れすぎてちょっと仕事の質が落ちてきている気がします。今後は、岡田惠和脚本でも吟味して観ることにします。(2021.1.22)

816.(映画)江崎実生監督『夜霧よ今夜も有難う』(1967年・日活)

 石原裕次郎が歌う主題歌は有名でよく知っていましたが、映画は初めて観ました。率直に言ってめちゃくちゃな映画です。プロット、配役、演出、すべて笑いたくなるほどひどいです。航海士だった主人公の相良(石原裕次郎)が結婚を約束した恋人・秋子(浅丘ルリ子)が急に姿を消してしまったことをきっかけに船を降りて、なぜか横浜でバーのオーナーになります。そこには同じ船で働いていたコックと黒人ウェイターもいます。この黒人役が郷^治という日本人の役者さん(ちなみに、現実生活では宍戸錠の弟でちあきなおみの夫だった俳優)が顔と体を黒く塗って演じていますが、まったく黒人に見えませんし、なぜかストーリーにとってはほとんど関係のないこの黒人役のボクシングシーンがたくさん描かれます。

 恋人が失踪してから4年後にグエンという東南アジアの男と夫婦になって、このバーに現れます。このグエンを二谷英明(現実生活では、白川由美が元妻で、娘は郷ひろみの最初の妻)が演じていますが、これも東南アジア人にはまったく見えません。グエンは母国に帰って圧政との闘いに参加しなければならないので、こっそり日本を出られる船を手配してほしいと頼みます。秋子のこともあり最初は拒否していた相良も、グエンがヤクザにも狙われていることを知り、義侠心から救いの手を伸べます。ヤクザとの乱闘シーンや拳銃やライフルの打ち合いのシーンなど、一体どこの国が舞台なのかとツッコミたくなる粗いストーリーです。

 秋子が4年前に相良が待つ結婚式場に行かずその後も連絡を取らなかったのは、グエンの車が秋子にぶつかってしまって、その結果秋子が妊娠できない体になったため、結婚して5人子どもがほしいと言っていた相良の期待に応えられない女になってしまったというのが理由だというのですが、半身不随になったわけでもなく外見的にはまったく健康体に見える女性がどうやって交通事故で子どもを産めない体になるのかの説明はもちろん一切ありません。いずれにしろ、秋子がまだ相良を愛していることに気づいたグエンは妻を相良に預けて1人で母国へ戻ると言いますが、最終的には相良は秋子に夫ともに行くように勧めます。ちなみに、拳銃で人を殺した、少なくとも傷つけたはずの相良は逮捕もされずに、その後もバーで「夜霧よ今夜も有難う」を歌っているという場面で終わります。

 どうせ誰も見ないだろうからストーリーを詳しく書いてしまいました。ちなみに、この映画は「カサブランカ」の翻案映画だそうです。そう言われれば、確かにプロットは「カサブランカ」です。でも、中途半端に似せようとして無国籍映画のようになってしまっています。日活映画が不人気になって、70年代には「日活ロマンポルノ」に路線変更していくのは、こういう無茶苦茶な映画を作るようになっていたからなんだなと納得してしまう映画でした。(2021.1.21)

815.(ドラマ)岡本螢・刀根夕子原作・矢島弘一脚本『おもひでぽろぽろ』(2021年・NHK)

 ドラマばかりですみません。ずっとステイホームなので、いつも以上にテレビをよく見ている結果です。さて、これはジブリのアニメ作品として知っている方も多いと思います。個人的にはジブリの作品の中で一番好きなくらいの作品なので、NHKが原作を活かしつつオリジナルドラマ化するというのでどんな作品に楽しみに見てみましたが、なかなかよい作品に仕上がっていました。

 アニメでは小学校5年の時の主人公・タエ子と27歳になったタエ子が出てきますが、ドラマ版では小学校5年生のタエ子と65歳になったタエ子が出てきます。アニメ版のタエ子は都会から山形の農村に遊びに来て農村の暮らしをする中でその生活に惹かれていくという話になっていたと思います。ドラマ版では65歳のタエ子は松坂慶子が演じ、明るく前向きな高齢女性を演じていて、アニメ版の27歳のタエ子との接点はまったくありません。しかし、アニメでも描かれた小学5年生の時のタエ子のエピソード(初めてのパイナップル、分数ができない、など)はドラマでも描かれ、そのエピソードと現代の話を上手につなげています。

 65歳のタエ子の家にシングルマザーの娘が小学校5年生の孫娘を連れて戻ってきます。その孫娘の学校での話などから、タエ子は自分の小学校時代を思い出したりします。タエ子は1955年生まれという設定なので、ちょうど私と同じ年です。小学校時代の思い出も重なるところがあります。父親(高橋克実)に権威があり、母親(鶴田真由)が家庭的な母親をきちんと演じていて、昭和の空気感がよく出ていました。ドラマ版の小学校5年生のタエ子を演じている少女がとても上手で、アニメ版の「おもひでぽろぽろ」のタエ子とイメージがぴったりだったのもよかったです。

 65歳のタエ子が生きている時代は、新型コロナが広がっている中という設定で今の時代をしっかり織り込んでいます。娘(杏)と子育てをめぐって議論するところなども、まさに昭和の母親の子育て観と平成・令和の子育て観の違いもうまく描けています。同じ時代を生きてきた人間だから特に面白く思うのかもしれませんが、個人的にはお勧め作品です。(2021.1.11)

814.(ドラマ)山田太一脚本『チロルの挽歌()()』(1992年・NHK)

 ドラマが続くという珍しいパターンですが、これも見応えのあるよいドラマだったので、感想を書いておきます。高倉健が、妻に他の男と逃げられたという過去を持ち、電鉄の技術者から北海道に造るテーマパークの責任者として転勤させられるという形で物語は始まります。逃げた妻は大原麗子、逃げた男は杉浦直樹。3人ともはまり役です。山田太一は出演者を決めてあて書きしたんだろうなと思うほど、3人のキャラクターがぴったりです。無口で誠実で男気があってという高倉健演じる主人公が優しそうだけど優柔不断っぽい杉浦直樹演じる間男に負けるとはとうてい考えられないのにと思いながら見はじめましたが、久しぶりに対面した大原麗子演じる妻が、「あなたは仕事ばかりで、私のことなんかちゃんと見てくれていなかった。私は寂しかったの。彼はそういう私の話をちゃんと聞いてくれたから、私はこういう行動を取ったし、後悔なんかしていない」と言い切るのを見て、なるほど、そういうことならこういうことも起こりうるかと、展開に納得させられます。

 一番気に入ったシーンは、杉浦直樹から「あなたはいい人過ぎる。もっとあなたがいい人でなければ、私もこんなに自分を責めなくてもいいのに」と言われた時に、高倉健が「俺はいい人なんかじゃない。自分のダメなところを知っているから、それを直して、おまえから妻を取り戻したいと思っている」と吐き捨てるように言うシーンです。その後、車を運転しながらもずっとブツブツ言い続ける高倉健が人間味が感じられてすごくよかったです。主役の3人以外の重要な脇役たちも、今はもうほとんど鬼籍に入ってしまいました。平成初期に放送されたドラマですが、昭和の名脚本家と名優たちによって作られた素晴らしいドラマでした。(2020.12.27)

813.(ドラマ)『光秀のスマホ 歳末の陣』(2020年・NHK)

 面白いドラマがやっていました。10月くらいに放送していたようですが、その時はまったく気づかず、昨日まとめて再放送していたのに気づいて、何だか面白そうな設定だなと思い見たのですが、いやあ傑作でした。戦国時代に今のようなスマホがあったらという設定です。主役の光秀は、エゴサーチしたり、SNSのフォロワー数を秀吉と争ったり、裏アカで信長の悪口を書いたり、娘の玉とLINEでやり取りしたりと、今の時代のサラリーマンとしても見ることができそうなSF時代劇でした。結構きちんと歴史的な経緯を押さえているので、歴史的知識がある人の方が楽しめるドラマです。スマホがあるという設定以外で一番オリジナルな設定は、秀吉の妻・おねが策士で秀吉に指示を出したり、本能寺の変の黒幕だったというところでしょうか。でも、それもあるかなと思わせる展開にできていました。このコーナーでドラマを取りあげることは滅多にないのですが、あまりに面白かったので書いておきます。再放送があったら、ぜひ見てください。(2020.12.26)

812.乃南アサ『ウツボカズラの夢』双葉文庫

 読みながら、あれっ、なんかドラマで見たかもと思ったら、やっぱり以前ドラマ化されていて見ていました。細かい設定は覚えていなかったのですが、確か主人公は志田未来だったなあと思い出してしまい、そのイメージのまま小説を読むことになったので、なんかちょっと違うなあと思いながら読みました。乃南アサは私が高く評価するプロの小説家ですが、この作品は今一つです。長野からわずかな縁を頼って東京の親戚の家に住まわせてもらうようになった未芙由という少女が主人公で、その居候させてもらうことになった家族が徐々に崩壊し、未芙由という少女がこの家の息子と結婚し、この家の主になるというストーリーですが、なんか家族の崩壊を書きたいだけの物語で、その程度の理由でそこまで極端な行動には走らないのではとずっと疑問符が頭に浮かんでいました。まあたまには、プロにも駄作はあるということで今回はさらっと流すことにします。(2020.12.23)

811.柘植久慶『皇女アナスタシアの真実』小学館文庫

 以前から購入して持っていた本でしたが、なんとなく読みださずにいたのですが、809で紹介した映画『ニコライとアレクサンドラ』の続きのような感じで読んでみました。アナスタシアは皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラの間に生まれた4女です。両親や弟とともに綺麗な4姉妹が写っている写真が有名です。一般的には、両親とともに銃殺されたと言われていますが、4女のアナスタシアだけがなんとか生き延びて第1次世界大戦後のドイツに現れ、「自分は皇女アナスタシアだ」と宣言します。本物が偽物かをめぐって様々な議論や裁判が行われ、彼女は1983年に亡くなりますが、結局本物だったかどうかは明確にならないまま人生を終えてしまいます。

 この書籍の著者は本物であるという立場から論理展開をしていますので、読んでいると、確かに本物の皇女だったのかもという気にはなります。ただ、出てくる人物が多く、頭の中にすっきり入って来ないので、一気呵成に読みたくなるような本にはなっていません。まあそれでも読み切ったのは、ロシア革命前に誕生し2度の世界大戦に巻き込まれ、1980年代までこんな風に生きた女性がいたんだなという興味関心でした。20世紀はしみじみ激動の時代だったなと思います。(2020.12.6)

810.(映画)ウィリアム・フリードキン監督『恐怖の報酬』(1977年・アメリカ)

 こういう映画はどのジャンルに入るのでしょうか。ホラーでない恐怖映画になるのかな。南米のスラムのような町に犯罪者や追われる者たちが集まっており、彼らにボロボロのトラックでニトログリセリンを運ぶという仕事が与えられます。それぞれにスラムからなんとか逃げ出したいと思っての志願でしたが、予想以上の危険さが待ち受けます。車幅ぎりぎりの崖の道、暴風の中の老朽化した吊り橋、道ふさぐ大木、と次々に困難が待ち受けます。映画だとわかっていながらドキドキします。1977年の映画ですから、まだCGの技術も進んでいなかったと思うので、ほぼ実写で撮っているかと思うと、ますますすごいなあと思います。

 ストーリー的にはどんでん返しがあるわけでもないし、前半の主役たちの過去についてのドラマの部分とかこんなに長くなくてもいいかもと思いますが、とりあえずハラハラ、ドキドキする映画を観たい方にはお薦めです。(2020.11.29)

809.(映画)フランクリン・J・シャフナー監督『ニコライとアレクサンドラ』(1971年・イギリス/アメリカ)

 ロマノフ王朝最後の皇帝とその妻を主役とした作品ですが、ロシア革命がなぜ起こったのか、その後皇帝一家はどうなったのかがわかる歴史ドラマになっており、個人的には非常に興味深く見ました。レーニン、トロツキー、スターリンといった革命家も登場しますし、ケレンスキーやラスプーチンも登場してきます。多少は脚色があるかもしれませんが、ロシア帝国の崩壊は基本的にはこういう史実だったんだろうなと知ることができ、面白かったです。第1次世界大戦を機に、ヨーロッパの王朝はその多くが滅びるのですが、第2次世界大戦でぼろぼろになった日本では、天皇家が滅びなかったのはなぜかを考えるために、もっと他の国の王朝崩壊のことも知りたくなりました、ロシアの場合は、共産党勢力が強かったからというよりは、民衆の皇室に対する不満が積もり積もっていたからということが大きかったようです。イメージとしては、フランス革命の際のブルボン王朝の崩壊に似ている気がしました。民衆の苦しみを理解しない王室というイメージです。日本の天皇家は民衆の苦しみがわかっていたのでしょうか。あまりそうとも思えませんが、贅沢三昧の生活をしているというイメージを国民は持っていなかったのかもしれません。あと、数百年くらいで王朝の入れ替わりが起きていたヨーロッパ王室と違い、千数百年以上継承されてきた血筋という重みもかなり違って受け止められる原因なのかもしれません。映画の話から大分外れてしまいましたが、史実を基にした映画は基本的に好きなジャンルで、これもその意味では好きな映画でした。(2020.11.21)

808.朝井リョウ『何者』新潮文庫

 映画を何年か前に先に見ていたのですが、原作小説の方は読んでいなかったので、最近の大学生を主人公にした小説として学生に教えてもらい読んでみました。「就活」と「SNS」がテーマの小説で、まさに現代の大学生の最大の関心事がこのふたつなんだろうなということに納得行きます。映画を観ずに、先にこの小説を読んでいたら、もう少し面白く読めたような気がするのですが、映画でそれぞれの役を演じていた俳優たちの顔が浮かび、それとこの小説に出てくる登場人物のイメージに微妙なずれを感じ、それが刺さった刺のようにずっと奇妙な違和感になって、小説に入り込めませんでした。若手人気俳優をずらりと並べていましたが、なんかみんなちょっと合ってないような気がしました。

 それにしても、今の時代の大学生の関心事は、まさに就活とSNSですから、現役の学生たちが読むと、まさにこんな感じと思うのかもしれませんね。面白いというより、いかにもありそうで身につまされるといった感想を持つ人も多そうな気がします。全然異なる世代で、異なる大学生活を送った私には、あまり訴えてくるものはなかったです。かつての大学生を主人公にした小説では、「政治」と「恋愛」が2大テーマで、それは結構普遍性があり、自分が生きた時代ではない時代のものでも物語に入り込んで読めたものですが、「就活」と「SNS」が2大テーマと言われても、ピンと来ない感じです。昔の若者は「何者」かになろうと必死にもがいていた気がしますが、この物語の登場人物たちは「何者」かになろうしているのではなく、「何者」かだと思われるように演じている感じで、なんだか薄っぺらく感じてしまいます。まあでも、これがまさに今の大学生なんだと言われたら、そうなのかもしれないとも思います。その意味では、この作家は自分の世代の感覚をうまく表現できているのでしょう。(2020.11.19

807.(映画)ビリー・ワイルダー監督『昼下がりの情事』(1957年・アメリカ)

 有名な映画なのですが、今まで見たことがありませんでした。タイトルからかなり濃厚な要素が入っている映画だろうと勝手に思い込んでいましたが、今回BSで放映するのでよく確認したら、ビリー・ワイルダー監督でオードリー・ヘプバーン主演のロマンティック・コメディ映画なんだと知り、しっかり見てみましたが、ビリー・ワイルダーっぽい舞台劇のようなコメディ映画でした。ストーリーは、パリの探偵の娘を演じるヘプバーンは、ゲーリー・クーパー扮するアメリカのモテ男実業家に恋をしますが、自分の純情で幼い恋心では釣り合わないと、経験豊富な女性の振りをして中年のモテ男を翻弄します。その罠に引っかかった男は、何も知らずに娘の父親である探偵に、その娘のことを探ってくれと調査を依頼します。探偵の父親はすぐにそれが自分の娘だと気づき、男に事実を話し、娘から離れてくれと頼みます。娘の実態を知った男は、娘を傷つけないようにパリから去ろうとしますが、駅のホームまで見送りに来た娘の思いを受け止め、そのまま列車に乗せてしまい、二人は結ばれるという話です。

 初期の頃のヘプバーンは妙に中年男とばかり恋する作品が多い気がします。この映画のゲーリー・クーパーはちょっと年配過ぎて、若い娘がそこまで心惹かれるタイプには見えませんでした。まあでも、なんとなく見られる映画でした。(2020.11.19)

806.工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』幻冬舎文庫

 若い人は知らないでしょうが、戦前からの右翼活動家でA級戦犯容疑者で、競艇団体を作り上げ大儲けをし、戦後日本政治における最大の黒幕というイメージがあった人物です。他方で、「世界は一家 人類はみな兄弟」とか親孝行や一日一善を訴えたりする人物としても有名で、正直言って私自身もどんな人物なのかよくわからないまま見ていました。この本を読めばすっきりわかるかなと思いましたが、読み終わってももうひとつよくわかりませんでした。著者は、世間で笹川良一は悪く言われ過ぎているのではないかという立場でこの本を書いており、半分「よいしょ本」のようなところがありますが、その割に笹川良一の魅力は一体どこかにあるのかがよくわかりませんでした。よい人に描こうとし過ぎたのか、ただの女好きで弱者にやさしい人というイメージになってしまっており、それだけの人物がこれだけ歴史に名を残すとは思えません。

 戦前の方がまだ理解できます。株で儲け、そのお金を使って飛行場を自力で造り、それを軍に寄付し、軍との良好な関係を作り上げ、山本五十六とも親しい関係にあり、イタリアに行ってムッソリーニにも会いという話が紹介され、確かに力を持ったのだろうなと思いますが、戦後は自ら進んでA級戦犯容疑者として逮捕され巣鴨収容所で3年過ごし、不起訴になって収容所を出てからは競艇主催団体を組織化していくわけですが、そのあたりからの動きは詳しくは書かれていません。どうやってどのくらい儲けて、どのような政治家にどのくらい献金したりしてつき合いがあったのかがよくわかません。ロッキード事件で逮捕された児玉誉士夫との関係もぼやっとしたままです。女性作家ゆえか、妙に女性関係の話が多いです。確かにそれは、笹川良一のある面を描くことにはなっていると思いますが、社会的影響力あった笹川良一という人物について描くことにはなっていません。かなり物足りない人物伝です。(2020.11.6)

805.(映画)土井裕泰監督『罪の声』(2020年・東宝)

 グリコ森永事件をモデルに作られたフィクションですが、これが事実だったのかもしれないと思うほど、現実に起きたこととフィクションをうまくからめています。「罪の声」って何のことだろうと思いましたが、この事件の際に子どもの声で指示が出されていたという事実に基づき、その声を使われてしまった子どもたちが35年後にどう生きていたかということを横軸に、その周りの人々の思いを描いています。元の原作小説もきっと良いのだろうと思いますが、野木亜紀子の脚本は無駄がなく、かつ最後には救いもあり、よくできています。

 もう36年前の事件ですから、40歳代半ば以上くらいの人でないと記憶はないでしょうが、事件のことを知らない人も興味深く見られると思います。今年の日本アカデミー賞にたくさんノミネートされそうな作品です。(2020.11.2)

804.(映画)大森立嗣監督『星の子』(2020年・日本)

 最近この監督の作品をずいぶん取り上げています。それほど評価しているわけではないのですが、社会的テーマを取り上げるのでとりあえず観てみようかなという気になります。この作品は先週から上映されたばかりなのですが、あまり人気は出ていないようで、私が観に行った回は他に10人くらいしか観客がいませんでした。芦田愛菜主演で、両親が新興宗教にはまっているという設定です。両親が宗教にはまるきっかけになったのが芦田愛菜演じる次女が赤ん坊の時に弱かったのを、勧められた水で良くなったと両親が信じ込むことから始まっています。そのことを聞かされている次女は、心の中では疑問を感じつつも、親を捨てきれずに一緒に暮らしています。信仰にはまっていなかった長女は家を出てしまい連絡もないという状態です。次女が通う中学校に赴任してきたハンサムな数学教師に密かな憧れを抱くも、親の信仰のことも含めて冷たい態度を取られます。そのあたりの複雑な心理の演じ方はさすがに芦田愛菜は上手いなあと思いました。

ただ、この映画もこの監督らしく最後は「えっー、これで終わり?」という感じがします。エンドロールで原作本があるようなので、ちょっと検索してみたら、原作がそういう感じみたいです。ここから先どうなるのかはそれぞれ観客が想像してくださいということでしょうか。映画としては、こういう終わり方は好みじゃないです。何か監督なりの結末を見せてほしかったです。(2020.10.16)

803.菊池寛『真珠夫人』文春文庫

 映画化やドラマ化を何度もされている有名小説ですが、初めて読みました。菊池寛を売れる流行作家に押し上げた作品だそうです。本人も自覚していた「通俗小説」ですが、難解な純文学と違って読みやすいです。場面のイメージも浮かびやすいので、確かにこれは映画やドラマになるなと思えます。菊池寛は、この小説で明確に自分のめざすものは純文学ではなく、大衆が読みやすい「通俗小説」だと割り切ったようです。小説の中でも、文学論が闘わされる場面があり、尾崎紅葉の『金色夜叉』をほめる人物に対して、教養なありそうな人物たちが「あんなものは通俗小説だ」と馬鹿にし、樋口一葉の『たけくらべ』こそ芸術的な小説だと賛美します。このあたりの論争は、菊池寛なりの小説論を展開したかったんだろうなと思います。

 さて、ストーリーですが、真珠に喩えられるような美しく若い女性・瑠璃子が主人公ですが、性格はなかなか複雑です。貧乏華族の娘で、その貧乏ゆえに50歳代の成り上がり者の妻になります。ただ無理やりならされたというより、あえてその妻の座に就き、夫に指1本触らせないような生活をし、夫がその息子に殺害されてしまい、豊富な財産を持つ若き未亡人になります。それからの瑠璃子は、好意を持って近づいてくる男たちをたくさん侍らせ弄ぶかのような生活をします。そのうちの1人が瑠璃子への叶わぬ思いと振り回された自分への後悔から自殺に近い事故死をします。その事故死の時にたまたま一緒に居合わせた男性が、その自殺にも近い死の原因が瑠璃子があることに気づき、彼女を問い詰めます。そこでの会話もなかなか面白く、瑠璃子は「男性はいくらでも女性を侍らせても何も非難されないのに、女性が同じことをすると、なぜこんなに非難するのです」と主張します。このあたり、男女間のダブルスタンダードを批判する新しい女性像が描かれている感じです。

 ただ、瑠璃子という人物がなぜそこまで男たちを翻弄したがるのかはもうひとつよくわかりません。その部分だけ取り上げると、この小説の中で何度も瑠璃子に向けられる「妖婦」というイメージが強くなります。しかし、最後の場面では、昔の恋人と大嫌いだった夫の娘への至上の愛のようなものを持っていた「純粋な人」となります。ちょっと二重人格のようです。まあ、もともと新聞小説ですし、読者が興味を惹かれたら何でもいいとばかりに、菊池寛もその場その場の勢いで書いていたのかもしれません。

 まあでも、確かに、次はどんな展開になるのだろうと頁をめくりたくなる小説にはなっていますので、菊池寛の大衆読者の把握は間違ってはいないと言えそうです。(2020.10.11

802.遠藤周作『ファーストレディー』新潮文庫

 「ファーストレディー」というタイトルですが、実際に一番詳しく描かれる人物は、渋谷忠太郎という男性です。戦時中から物語は始まり、戦後大学生になり、さらには政治家をめざし大臣まで上り詰めます。夢は総理大臣になることだったので、その妻である百合子をファーストレディーにしてやるとずっと言っていたことが、このタイトルになっているようです。結局総理大臣にはなれないし、百合子という女性もまったくその気はない人なので、「ファーストレディー」というタイトルは合っていない気がします。連載小説だったのかもしれません。書き始めた当初と実際の展開がずれたパターンかもしれません。政治の世界の登場人物はほとんど実在の人物です。1988年に刊行された小説でまだ当時生きている人が多かっただろうに、かなり大胆に書いているのが印象に残りました。様々な政治的事件もそのまま使っているところとフィクションで作ったところとある、虚実ないまぜの小説です。今は、こういう風な小説は出しにくいんじゃないかなと思います。遠藤周作ももうこの頃は大ベテラン作家になっていたので、自分と同年齢くらいの男をモデルにして政治家だったらこんな人生を歩んだのではと好きなように書いてみたかったのかもしれません。

 この小説には他に2人の主要登場人物がおり、それは辻静一とその妻の愛子です。二人はそれぞれ忠太郎と百合子の学生時代からの友人で、弁護士と医師の夫婦です。忠太郎が権謀術数と金にどっぷり浸かった生活をしているのと対照的に、静一は貧しい人のための弁護活動に明け暮れ、愛子の方も真摯な姿勢で医療と関わっているという夫婦です。しかし、そんな静一もある女性と割りない仲になり、妊娠までさせてしまいます。愛子の方は最後までそのことには気づきませんが。愛子の方も非の打ちどころない人物かと言えば、そんなこともなく、静一のことを百合子が好きだと知っていたために、シベリアからようやく帰還できて、愛子の病院に入院していることを知った時に、百合子にそれを知らせずに、静一の気持ちが自分の方に向くようにさせるという計算高い行動を取り、結婚にまで至ります。

 全体としての感想としては、戦時中から1970年代までの歴史をよく知る人にとっては、読みやすい小説ですが、まあさらりとした中間小説のようなものです。(2020.9.30)

801(映画)大森立嗣監督『日々是好日』(2018年・日本)

 もともと「本を読もう!」というコーナーだったので、映画から始めてしまうのはちょっとだけ抵抗がありますが、映画も見たら忘れてしまったりするので、記憶を留めるために書いておきます。樹木希林の遺作として有名で茶道の世界を描いた作品です。一昨年公開されていた時にはだるそうで見に行く気がしなかったのですが、テレビで放映されたので録画して観てみました。正直言って、だるい映画でした。そういうセンスがないせいかもしれませんが、この作品を観て「茶道」の世界に興味が湧くということは一切ありませんでした。映画館に観に行かなくてよかったなと思いました。

 茶道の世界を描くことと、主演である黒木華演じる女性の20歳から40歳までも描いているわけですが、なんかその描き方に深みがなくつまらないです。無駄に海に行ったりしますが、なぜなのかよくわかりません。最近この監督は結構作品を撮っているようですが、どうも自分の思い入れが観客にも伝わるはずだと単純に思いすぎている気がします。茶道の世界をベースにするのはいいと思いますが、もう少し人間ドラマを描いてほしかったなと思います。(2020.9.27)