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Part15

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<目次>

第528 ん、「生活山本太郎ち」って(2014.12.27)

第527号 野口みずきさんは?(2014.12.22)

第526 清廉さ(2014.11.29)

第525号 それはないでしょ(2014.11.27)

第524号 過敏すぎないか?(2014.11.24)

第523号 「良夫賢子」で輝く女性?(2014.11.17)

第522号 コスプレ社会?(2014.11.16)

第521号 いないかな?(2014.11.8)

第520号 プロポーズ(2014.10.26)

第519号 また改悪するのか?(2014.10.25)

第518号 イワナとサクラマス(2014.10.20)

第517号 祝!関大野球部優勝!(2014.10.17)

第516号 教え子の結婚式はいいものです(2014.10.13)

第515号 「お茶コミュニケーション」は深い!(2014.9.29)

第514号 「シンジ対決」(2014.9.21)

第513号 居心地の悪さ(2014.9.15)

第512号 古代ヤマトの謎を旅する(2014.9.9)

第511号 青春とは悩むこと(2014.8.28)

第510号 40年前の大学1年生の思考(2014.8.21)

第509号 都塚古墳に思うこと(2014.8.14)

第508号 「女子力」と「女らしさ」はどこが違うのだろうか?(2014.7.21)

第507号 ドラマ「若者たち」に期待大(2014.7.13)

第506号 JK撮影会?(2014.7.12)

第505号 「大学時代にしかできないこと」ってなんだろう?(2014.6.23)

第504号 なるほど!(2014.6.21)

第503号 秋元康の戦略はいかに?(2014.6.2)

第502号 顔は浮かぶのに、名前が出ない!(2014.5.28)

第501号 意図せざる結果としてのゼミ内恋愛(男女交際)の多発(2014.5.16)

第500号 ついに達成!(2014.5.11)

第499号 同期会(2014.5.6)

第498号 ポスト桜(ソメイヨシノ)の街がいい(2014.4.27)

第497号 あっ、15年経っていた!(2014.4.3)

第496号 「いつもお世話になっています」(2014.4.1)

第495号 「伊達マスク」だったのか!(2014.3.31)

第494号 「笑っていいとも!」終了に思うこと(2014.3.30)

第493号 カーリングがおもしろい(2014.2.16)

第492号 長寿は幸せなのだろうか?(2014.2.13)

第491号 おつくりいかがですか?(2014.2.11)

第490号 日本と中国が戦争をする可能性は小さくないのでは?(2014.2.11)

第489号 イッキ飲みは実は誰も楽しんでいない学生文化(2014.1.31)

第488号 ハビトゥスを実感(2014.1.24)

第487号 「明日、ママがいない」は打ち切りにした方がいい(2014.1.23)

第486号 「鞆の浦慕情」(2014.1.8)

528号(2014.12.27)なんやねん、「生活の党と山本太郎となかまたち」って

 昨日結成された「生活の党と山本太郎となかまたち」という党名を聞いて、あきれ返るのを通り越して可哀想になってきました。国会議員が5人以上いないと政党要件を満たさず、政党助成金をもらえないため、4名しかいなかった生活の党の実質的オーナーである小沢一郎が、なんとか5名にするために無所属だった山本太郎に入党してもらえるように、山本太郎が気に入るように党名を変えたわけですが、理念も何も見えてこないこんな名前は政党名とは言えません。これなら、キラキラネームにでもすればいいくらいです。「光宇宙(ぴかちゅー)党」の方が夢があっていいです。

 それにしても、小沢一郎という政治家のぶれ方はひどいものです。にもかかわらず、彼が最近まで大物扱いをされてきたために、この20年の日本の政治は彼によって振り回されダメになってきた歴史でした。この20年の歴史においては、彼こそA級戦犯です。私も一時は彼の先見の明を讃えたことがありましたが、今となっては、自分の不明を恥じるばかりです。若い方には小沢一郎が何をしてきたかわからない人も多いでしょうから、ここで彼の足跡(ぶれまくりの歴史)をまとめておきたいと思います。

 大臣までやった父親が比較的早くに亡くなったため、20歳代で衆議院議員となった彼は、田中角栄に可愛がられ、早くから将来の総理候補と目されるようになります。しかし、田中角栄がロッキード事件で逮捕され、しかしいつの日かの復権を夢みて田中派から総理候補を出さないことに納得が行かなくなり、竹下登を担いで竹下派を作ります。海部総理の時には40歳代で自民党幹事長となり、総理よりも力がある剛腕幹事長と言われ、次の宮沢喜一が総理になるにあたっては、はるかに年上の総理候補たちを面接するなどということまで行いました。

しかし、その宮沢内閣の際に、政治改革のためには小選挙区制を導入すべきでそれを進めようとしない宮沢内閣の不信任案に仲間たちとともに賛成票を投じて、内閣不信任案を可決させてしまいました。その後行われた総選挙で自民党が過半数を取れなかったのを利して、共産党以外の野党8党による非自民連立政権を作り、細川護熙を総理にしました。その細川内閣ではついに念願の小選挙区制度を導入することに成功しますが、消費税を3%から7%に上げるという提案を与党各党に十分はからずに当然出し、すぐに引っ込めるなどというドタバタを演じ、最終的には連立を組んでいた社会党とは政策が合わないと切捨て、またさきがけは党首だった武村正義とそりが合わず、この2つの党を無視して次の羽田内閣を作ったために、この2党は自民党とくっついて自社さで連合して政権を奪い返してしまいました。

その後もまだまだ小沢一郎のぶれまくりは続きます。政権奪回と2大政党制をめざして、公明党も含んだ新進党という割と大きな政党を作りますが、ここでも政策や政治手法、あるいは人間性などでどんどん仲間割れをし、わずか3年で解党してしまいます。自民党を飛び出した時以来の仲間の大多数ともここで別の道を歩むことになります。小沢一郎は政策理念の一致した仲間たちと自由党を作ります。しかし、少数政党では結局何もできないと、小渕自民党内閣の時に、連立政権の一翼を担う自自連立政権を作ります。この連立政権には、後に公明党も加わり、自自公連立政権となりますが(公明党はこの時以来ずっと与党です)、しばらくすると、小沢一郎は小渕内閣の方針には賛成できないとまた連立を飛び出します。この時も、小沢一郎についていかず、自民党との連立政権に残ることを選んだ仲間たち(保守党を作りました)とは袂を分かつことになりました。

その3年後には、かつて理念が違うと切り捨てた社会党やさきがけなどが中心になって創った民主党との合併を選び、再び2大政党制をめざして民主党を少しずつ大きくしていきます(この頃が、私が唯一小沢一郎を評価していた時期です)。そして、ついに2009年には民主党大勝によって堂々たる政権交代を行ったにもかかわらず、政権を取るまでは自嘲していたわがままをまた出し始めて、ついには消費税導入には絶対賛成できないと、かつて3%から一気に7%に強引にしようとした過去も忘れて叫び、50名ほどの仲間と民主党を離れます。いまだに、民主党政権と言えば、内部でいつも争ってばかりいてひどい政権だったという印象ができあがったのは、小沢一郎のせいだと言ってよいでしょう。

民主党を離れた後は、「国民の生活が第一」という政党名を名乗りましたが、自分のイメージでは勝てないと思ったのか、2012年総選挙の直前に、当時滋賀県知事だった嘉田由紀子を担いで、「日本未来の党」を作りますが、当然のことながら大敗を喫し、すぐに役に立たなかった嘉田を切り捨て、生き残ったわずかな仲間とともに「生活の党」を作ります。そして、今回、その生活の党がさらに議席を減らしたために、「生活の党と山本太郎となかまたち」という「トンデモ政党」を作ったわけです。

これほど政党を創っては壊した政治家は、日本に政党が生れた明治以降でも断トツではないでしょうか。今も、「日本に2大政党制を根付かせるために、多少の意見の違いがあっても野党はまとまらなければならない」と主張しているようですが、あんたのやってきたことを見たら、誰もあんたとともに政党を創ろうとは思わないよと言ってやりたくなります。民主党政権時代に、小沢一郎がもう少し我慢ができたなら、本当に2大政党制が根付いたかもしれないのに、結局、あんたがすべてを壊したんだと言ってやりたいです。

今となると中選挙区の方がいいのではという声も上がってきていますが、大勝ちできる政権政党がこの選挙制度を変える可能性はほとんどありません。となれば、もう一度自民党に対抗し得るちゃんとした政党を育てるしかありません。幸い、小選挙区は政党の色がはっきり出てくるので、自民党もかつてよりはっきりとした色が出てきました。かつては、ハト派からタカ派まで抱え込み、国民政党と言われた自民党ですが、今や保守と自由を標榜するアメリカの共和党に近い政党としての理念がはっきりしてきました。となれば、もう一方の軸はアメリカの民主党に近い格差を減らし社会的弱者に手を差し伸べる平等を理念とした政党ということになるでしょう。今回の選挙でも、共産党が議席を伸ばしたのは、その理念を前面に出していたからでしょう。しかし、共産主義を標榜している限り、日本では2大政党制の一翼は担えません。民主と平等を旗印にしつつも、自由主義や天皇制も否定しないという立場に立たないと、政権は取れません。結局2大政党間で政権交代が可能なのは、ともに基本理念は同じようなものを置いているが、そのどこをより強調するかの違い程度になっていないといけないのです。保守(国を守る)、自由、民主、平等は、日本で政権を担おうと思うならば、どれも大事なものでしょう。ただし、そのどこに強調点が置かれるかで、政党の個性は出てくるはずです。今の政党の理念なら、前2者は、自民党、維新の党、次世代の党が、後2者は民主党、公明党、生活なんちゃら等、社民党、共産党などが前面に出していますので、それぞれこのグループでまとまってくれると、わかりやすいのですが、公明党が自民党にくっついていますから、単純な構図にはなりません。安倍総理が図に乗って憲法改正を強引に推し進めるために、公明党を切り捨てるという判断をしたら、おもしろくなりそうなのですが。

527号(2014.12.22)野口みずきさんは?

 TVのバラエティ番組に高橋尚子さんが出ているのを見ながら、ふと「そう言えば、野口みずきさんはどうしているのだろう?」と思い出しました。オリンピックで同じように女子マラソンで金メダルを取ったのに、高橋尚子さんは国民栄誉賞ももらい、引退後は、CM出演、マラソンの解説、ゲスト・ランナーとしてのマラソンへの参加等々、名前を忘れられることはない活躍をしていますが、野口みずきさんはほとんど忘れかけられている気がします。たぶん、まだ引退しておらず、リオデジャネイロのオリンピック出場をめざして練習しているのだと思いますが、まったく名前が聞こえてきません。昨年行われたモスクワでの世界陸上には参加したようですが、途中棄権になったため、出場していた事すら、私も忘れていました。ネットで「野口みずき」と入れて検索したら、最初にウィキペディア、次に所属しているシスメックス陸上競技部の選手名鑑が出てきて、3番目に「野口みずきさんインタビュー」と出てきたので、「おっ、最近の状況がわかるかな」と思い、クリックしたら、「北京オリンピックで再びメダル獲得をめざす野口みずきさん」という内容でした。インタビュー日は書いていませんでしたが、少なくとも6年以上は前のインタビューということになります。そんな昔の記事が3番目にあがってくるなんて、あまりにも注目されていなさすぎて、少し可哀想になってきました。片や、国民栄誉賞をもらい「Qちゃん」と親しみを込めて呼ばれているのに、片方は名前すら忘れられかけています。今回のこの「つらつら通信」のタイトルを見て、「野口みずきって誰?」と思った人すらいそうですし、名前を覚えていた人でもその99%は「久しぶりに聞いたなあ、その名前」と思ったことでしょう。でも、オリンピックのマラソンという一番の花形競技の金メダリストですよ。こんなに存在が消えかけていていいのでしょうか。高橋尚子さんほどの明るいキャラクターではないので損する方だと思いますが、同じ競技で同じだけの素晴らしい成果をあげたのですから、もう少しスポットライトを浴びてもいいのではないかと思います。まあ、ご本人はまだ選手としての活躍をめざしているのでしょうから、TVのバラエティ番組など出たくはないでしょうが、収入とかもちゃんとあるのかなと心配になってきてしまいます。万一次のリオデジャネイロのオリンピックに出場して、万一メダルが取れたら、金メダルでなくても「国民栄誉賞」をあげてほしいなあと思います。高橋尚子さんという太陽の影に隠れた野口みずきさんに、地味に注目し続けたいと思います。もうすでに誰か追いかけているかもしれませんが、野口みずきさんを素材によいノンフィクションが書けそうな気がします。

526号(2014.11.29)清廉さ

 日本テレビの女子アナウンサー内定者がスナックでアルバイトをしていたことを正直に報告したところ、「女子アナウンサーに求められる清廉さに欠ける」という理由で内定取り消しになったというニュースをゼミ生たちと議論をしました。てっきり全員「そんな馬鹿な内定取り消しはありえない!」と憤慨するだろうと予測していたのですが、「微妙ですね」という意見も結構ありました。「今回のケースはスナックなので内定取り消しは可哀想だけど、ガールズバーやキャバクラなら内定取り消しでも当然だと思う」という意見を述べる男子学生もいました。スナックとガールズバーとキャバクラのどれが「清廉」なのかよくわからない、さらにはそもそも内定を取り消しにされなければならないようなアルバイトなんてあるのか、女子アナに視聴者は清廉さを求めているのだろうかと、議論はおおいに盛り上がりました。

 私は、内定取り消しにされるようなアルバイトなんてないんじゃないかという立場で議論していましたが、ある学生が「じゃあ、先生は恋人や妻がそういうアルバイトをしていてもまったく気にしませんか?」と言われ、「うっ!」と詰まりました。確かに、恋人や妻になる人には「清廉さ」を求めてしまうかもしれないと、正直言って思いました。ゼミ生でも、そのアルバイトはやめておいた方がいいのではないかというアドバイスをする可能性は十分あります。スナックでアルバイトをしていた学生はこれまでにもいましたが、やめた方がいいとは言いませんでした。スナックくらいはOKかなと思う意識が働いていたのでしょうが、自分の妻や娘がやりたいと言ったら止めそうな気がします。そういう意味では「清廉」な仕事ではないという潜在意識があるのかもしれません。教え子の人生にはすべて責任を持つわけにもいかないのでストップをかけないけれど、恋人や妻や娘となったら、よりハードルを高くしてしまいそうな気がします。女子アナ内定取り消し問題も、先の意見を述べた男子学生が「そういうことですよ。女子アナに世の視聴者は、疑似恋人、疑似娘のような見方をしまうから、やっぱり清廉さは求められてもおかしくないんですよ」と言われ、ちょっとなるほどと思いました。(ただし、裁判闘争になっているこの問題は、内定取り消しは不当という判決が出るとは思いますが。)

 「どこまでが清廉な仕事なのですか?」と問われても答えは簡単には出ません。ただ、そういう見方がまったく必要でないかと言えば、そうではないのかもしれないという気もしています。何をやって稼いでも問題ないということになれば、性道徳規範は崩壊してしまい、社会の安定的な維持・継続にとってはマイナスに作用しそうです。なお、フェミニストから怒られそうなので、ひとつ指摘をしておくと、男性にはこうした清廉さというものが求められておらず、男女の間でダブルスタンダードになっていることは十分認識しています。ただし、男性は女性のようには「清廉さ」を求められないが、男性規範に基づいた様々なものが求められているという点では、男性は楽でいいという単純な話にはならないと思いますが。

525号(2014.11.27)それはないでしょ

 先日ゼミ生から「先生の本の最新版を卒論に使うかもしれないので、貸してもらえませんか?コピーを取ってすぐにお返しします」というメールをもらいました。あまりのずうずうしいメールに開いた口がふさがらない気分でした。私たち研究者はものを書くプロです。長い時間をかけて調べ考えて執筆してようやく1冊の本を出せるのです。昔の本で手に入れるのが難しい本ならいざしらず、大学の生協に行けば簡単に手に入る本であるにもかかわらず、購入せずに「コピーしたいので貸してください」はあまりに失礼です。プロの写真家に「ちょっと写真1枚貸して。カラーコピー取ったらすぐ返すから」というのと変りません。「お金がないので」と書いてありましたが、そんな高い本ではありません。旅行に行くお金はあっても、恩師の本を買うために2000円程度のお金が出せないのかいと言いたくなってしまいます。まあまったく読む気がないなら買わないのも仕方ないですが、卒論で使う気があったら、買って読んでほしいものです。押し売りみたいになるのは嫌なので、ゼミ生に「著者割引で頒布できるから、みんな買わないかい?」とは言い出せないでいるのですが、一体現役ゼミ生(3回生・4回生)の何人が私の方を買ってくれたのだろうかとふと考えます。出版してから4ヶ月くらいになりますが、現時点までに「先生、本を頒けてください」と言ってきた現役ゼミ生は1人しかいないので、もしかすると、その1人しか私の本を持っていないのかなと不安に思っています。5年前に出した時の現役ゼミ生たちはかなり購入してくれたものでしたが……。まあただの愚痴と言えば愚痴ですが、今日改めて口頭できちんと詫びがあるかなと思ったのですが、残念ながらなく、もやもやした気分が晴れないので、書かせてもらいました。ものを書く人、本を出す人の強い思いなんてわからないですと開き直られてしまうかな。でも、少し考えたらわかりそうなものですが。

524号(2014.11.24)過敏すぎないか?

 ネットのニュースを見ていたら、「子どもの写真年賀状はありか?」という議論が紹介されていました。反対派の意見は、「子どもが欲しいと思いながらできない人にとって幸せなそうな子どもの写真を見せられるのはつらい」、「子どもは自分の知り合いじゃないので、子どもの写真を送られても困る」といったようなものでした。私も昔は子どもの写真を年賀状に使っていました。ある年、気の置けない女性の友人から、「来年から、お子さんの写真は、私はいいわ」と言われて、「そうかあ。そう思う人もいるんだな」と思いました。もちろん、その人には翌年からそういう年賀状を送るのをやめましたが、すべての人にやめたわけではありませんでした。年賀状は1年に1回の挨拶のようなもので、昨年1年はこんな風に過ごしました、今年はこんな風に過ごしたいと思いますということを伝えるものでいいはずです。子ども中心の生活になっている家族が、子どもの写真年賀状を作りたくなるのは自然です。見て悲しくなる人は、ちらっと見て放置すればいいですし、ちらっと見るのも嫌なら、私の友人のようにちゃんと伝えてくれればいいのです。大体、そんな写真を見るのも嫌だなんて言っていたら、テレビで子どもを見てもつらくなり、街を歩いている親子連れを見てもつらくなるということですよね。生きていけなくなりますよ。FACEBOOK なんか、子どもの情報だらけですから、1年に1回の年賀状どころの騒ぎではなく、毎日のように子どもの写真や子どもがいて幸せという投稿を見させられるわけです。そういう投稿をする人とは「友達」の縁を切らないといけなくなります。過敏すぎると思います。気持ちの持ちようひとつで変わることでしょう。なんか「子どもの写真年賀状を送るのは傷つく人もいるから注意しましょう」といったインフォーマル・ルールを作りたがっている層――某雑誌の編集部なんか怪しい――がいそうな気がします。

 考え始めたら、結婚してない人には結婚の話もタブー、ペットを亡くした人にはペットの話もタブー、仕事でうまく行ってない人には仕事が充実している話もタブー、ときりがありません。気にしはじめたら、何の話もできません。過敏すぎる人に合わせて世の中を考え始めたら、ものすごく息苦しい社会になりそうです。不幸な情報はわざわざ送るべきではないですが、「幸せです」という情報は送っていいと私は思います。他人の幸せで、相対的に不幸を感じる人はいるかもしれませんが、そういう人たちに合わせることはないと思います。多くの人は、幸せな情報をもらって、幸せをおすそ分けしてもらっているような気になるものです。前号で、FACEBOOK に子どものことしか書かないことに疑問を提示しましたが、別にそれは不快だということではありません。子どものこと以外の社会の動きなんかにも関心を持ってほしいと言いたかったので、不快だからやめろと言っていたわけではありません。矛盾はしていないと思います。ちなみに、私は、年賀状で昨年はこんな仕事をしましたとか、だらだら活字で書き連ねる研究者の年賀状が一番つまらなくほぼ読みませんが、教え子からもらう家族写真の年賀状は楽しみに見ています。ぜひ、今年も子どもの写真がたくさん届くのを楽しみにしています。

523号(2014.11.17)「良夫賢子」で輝く女性?

 「女性が輝く社会」というのは、安倍内閣が唱えているお題目ですが、これを安倍総理が言い出す前から、「女性の輝き方」を研究対象にしている学生がおり、その学生といろいろ話しながら、今は仕事で輝くよりも、「良夫賢子」を持つことで輝くことをめざす女性が多い時代なのではという話になりました。「良夫賢子」というこの奇妙な言葉は、もちろん「良妻賢母」のもじりです。一見すると、この2つは似ているのですが、スポットライトの当たるところが異なっています。「良妻賢母」の場合は、女性は自分自身にスポットライトが当たる事は望まず、夫や息子が社会的成功を得ることを陰で喜ぶというイメージ――たとえば、三浦百恵さん――ですが、「良夫賢子」の場合は、優しい男性と結婚をして妻の地位という幸せを手に入れ、さらに子どもを産むことで勝ち組としてのスポットライトを女性が当ててもらえるというイメージ――たとえば、辻希美さん――です。テレビで見る女性タレントの位置づけを見ると、そんな時代になっている気がしてなりません。

 2000年代に入って、専業主婦を望む若い女性が増えてきたことがよく指摘され、「保守化」といった言葉で、こうした女性たちの意識が総括されてきました。確かに、フェミニズムが否定し解体しようとしてきた、男性優位社会の中で押しつけられた性別役割分業を再び受け入れようとしているという意味では「保守化」という総括もできなくはないですが、専業主婦を望む現代の若い女性たちは、それを押しつけられたものとは受け止めず、自分自身が輝ける道として積極的に選び取っているのだと思います。ばりばり仕事をして結果を出していても30歳を過ぎてまだ独身や子どもがいない状態を「負け犬」と呼び、特別な才能はなくても優しい夫がいて子どももいる女性を「勝ち組」と見る風潮は21世紀になって、非常に強まってきました。「良妻賢母」になる気はないけれど、「良夫賢子」は欲しいというのが、少なからぬ現代の若い女性の本音ではないでしょうか。比較的若い母親になって、子どもがいるとは思えない「おしゃれで綺麗なママ」に見られるのが、今や一番素晴らしいスポットライトが浴びられる時代だと認識している人は多いような気がします。

 人の生き方は様々ですから、そういう輝き方をめざす人がいてもいいとは思いますが、でもやはりどこかで「本当にそれでいいのかな?」と問いかけたくなる気持ちがあります。FACEBOOKなどでも、「子どもとこんなことをしました」「子どもがこんなことをしてくれました」なんて「親バカ」投稿が多く、それにみんな暖かいコメントをつけ「いいね!」ボタンを押しています。まあたまにはそういうほのぼのとした投稿を見るのも悪い気はしませんが、いつもそういうものしか投稿されないFACEBOOKを見ると、それでいいのかなとふと思ってしまいます。もっと、私はこんなことを考えた、こんな意見をもっているとか、意見とかも発信してもいいのでは、と少し残念だったりします。(これは女性に限らず、男性においても同様の状況なので、自らの意思や意見はあまり他者に示さない方がいいという奇妙な日本文化のせいでもあると思いますが……。)結婚して子どもをもつことは素晴らしいことだと思いますが、それだけで自分が輝いた気がしているなら、いつかその輝きは曇ってしまうだろうと思います。自分自身が何かをなしうる(別にいわゆる仕事でなくてもいいのですが)人間になるように努力を続けることは必要ではないでしょうか。よきパートナーも子どもも生きる張り合いは与えてくれると思いますが、そうした存在がいることがすべてとなるのは、やはり疑問です。「あなたのアイデンティティは?」と問われて、「素敵な夫とかわいい子どもがいることです」という答えしかない人生は、本当に幸せなのでしょうか?

522号(2014.11.16)コスプレ社会?

 ちょっと時期遅れですが、年々ハロウィンのイベントが盛り上がってきているのを見ながら、今はコスプレが市民権を得てきており(特に若い女性たちが)コスプレを楽しめる年中行事が人気が出るのだということを確信しつつあります。1月から見ていくと、成人式の振袖、卒業式の袴、夏の花火大会の浴衣、ハロウィンの仮装、クリスマスのサンタ衣装など、若い人に人気のある年中行事には、今やコスプレが不可欠になっています。私が大学生だった頃は、成人式も振袖を着ていなかった人の方が多かったと思いますし、卒業式では誰一人袴はいませんでした。(女子大などでは、袴の人はいたと思いますが。)花火大会は今ほど多くなかった上に、浴衣は子どもの着るもので、若い女性はそんなに着ていなかったと思います。ハロウィンは存在も知りませんでしたし、クリスマスにサンタの衣装なんて、ケーキを売っているサンタクロースのおじさん以外には見なかったように思います。

 よく考えると、コスプレが一般化しているのは年中行事だけではないですね。たとえば、私服通学が許されている高校で、女子高生が「なんちゃって制服」を着るのも、女子高生というコスプレなのでしょう。少し前に、大学生が女子高生や男子高生の「なんちゃって制服」を着て、京都などを散策するのが、密かなブームになっているという報道を見たことがありますが、これもコスプレを楽しむイベントなのでしょう。そう言えば、着物姿や舞妓姿で京都を散策するというのも人気ですね。また、サッカーが若い女性に人気があるのもユニフォームを着るというコスプレができるというのも大きい要因かもしれません。結婚も今はウエディングドレスを着たいがためにしたいのではないかなと思う気がするほどです。最近出席した3件の結婚披露宴では、いずれも新婦は白いウエディングドレス姿と和装の花嫁姿の両方を見せてくれましたが、これも、花嫁としてしか着られない衣装なので、両方味わいたいということなのでしょうね。

 しかし、かわいい服や素敵な服を着たいという女性の欲求は最近急に生まれたものではなく、昔からあったものでしょう。着せ替え人形遊びがずいぶん昔から女の子に人気のあった遊びだったことを考えると、女性たちの欲求がどこにあったかわかる気がします。いろいろな服を自分が着るのは今のように簡単ではなかったので、人形でその夢を代替していたわけです。かつての女性たち自身が堂々とコスプレできたのは、七五三と結婚式くらいでしょうか。七五三は子どもの行事なので、大人になってからだと結婚式が唯一のコスプレのチャンスだったと思います。白無垢、色打掛、綺麗な化粧、この日だけは女性の夢が叶う日だったわけです。今や簡単に様々な服が手に入り、それを着て歩くことのハードルもどんどん低くなりつつありますので、これからも新しいコスプレ・イベントが次々に生まれてくることでしょう。コスプレ社会とでも名付けられそうです。

ただ、かわいくおしゃれな女性が増えるのは目の保養としてはいいのですが、女性たちが外見を作ることにのみ熱心になり、他方で中身(知識や思考力)を向上させようという気持ちが減退してしまうなら、少し問題のような気もします。コスプレも非日常体験として楽しむけれど、日常生活においては中身で勝負する女性が増えてくれるといいのですが。

521号(2014.11.8)いないかな?

 たいした問題ではないのですが、もうかなり前から、「探偵ナイトスクープ」に依頼したら調べてくれるのではと、密かに気になっていることがあります。それは、昭和元年生まれの祖父か祖母と平成64年生まれの孫という組み合わせの家族はいないかなということです。昭和元年は、19261225日からの1週間だけしかなく、昭和64年も198917日までの1週間しかありません。しかし、その間は62年強なので、祖父母と孫の年齢差としてはちょうどよいくらいです。どこかにいないでしょうか?ちなみに、ゼミ生の誕生日をすべて知っている私ですが、昭和64年生まれのゼミ生には出会えませんでした。高校卒業は20073月の学年になるわけですが、その中には必ず昭和64年生まれの人はいるはずです。統計的には、52人に1人くらいはいるはずです。ただし、正月は産婦人科病院も休みたいので、早めに生ませてしまうので、正月の1週間はもう少し少ないかもしれません。まずは、うちのゼミ生の知り合いで昭和64年生まれの人を見つけ、その人の4人の祖父母の誰かが昭和元年生まれいないかを尋ねてみるという形で調べられるとは思うのですが、誰か昭和64年生まれの友人を知りませんか?昭和元年生まれの方が、もうかなりの高齢になってしまっていますので、元気な昭和元年生まれの祖父母と昭和64年生まれの孫を見出す最後の時期ではないかと思い、書いてみました。

520号(2014.10.26)プロポーズ

 先日卒業生と食事をした時に、「結婚は来年あたりかなと思っているのですが、まだ彼がちゃんとしたプロポーズをしてくれていないんです」と言うので、話を聞いてみると、彼氏の気持が決まっていないということではなく、それなりのきちんとした形でのプロポーズをされていないという話でした。彼氏はもう2度ほどプロポーズをしたと言うのだそうですが、1回目はテレビを見ながら、2回目は歯みがきをしている最中だったそうです() 形式を重んじるタイプの女性ではないので、そのくらいの感じでもOKかなと彼氏も思ったのかもしれませんが、さすがにそれでは彼女もだめらしく、まだ正式のプロポーズをされていないと主張しているわけです。まあやっぱりそうですよね() 

で、ふと思ったのですが、今どきの若い人たちって、どんな風にプロポーズをしているのだろうということです。マンガやドラマでは、サプライズのプロポーズがしばしば描かれますが、たぶんそんな風に劇的にプロポーズされることなんてあまりなさそうですよね。長く付き合っていれば、そろそろ結婚しようかなんて話になんとなくなり、式場と日程を決めるといったことが事務的に進んでいきそうです。でも、それじゃあ寂しいので、きっと非日常的なプロポーズシーンをわざわざ演出したりしているのでしょうね。ちょっとは彼女を喜ばすために、彼女に内緒で企画するのでしょうか?婚約指輪をこっそり買っておくなんてことはしているのでしょうか?2人で買いに行っているカップルの方が多そうな気もするのですが……。まあ、ほぼ見え見えでも、いつもとはちょっと異なる場面で、それっぽく演じているカップルが多そうな気がします。夜景の見える場所なんかはプロポーズの場所として人気がありそうですね。どんなプロポーズをされたか(あるいはしたか)知りたいので、よかったら教えてください。

519号(2014.10.25)また改悪するのか?

 文部科学省の諮問機関である中央教育審議会(中教審)が、大学入試センター試験の変更案をまとめたと今日の新聞に出ていました。現在の知識量を問うセンター試験に変えて、「思考力・判断力・表現力」を評価する「大学入学希望者学力評価テスト」に変えるのだそうです。正直言って、「また改悪するのか」というのが率直な感想です。確かに、「知識偏重」とか「暗記ばかり」といった批判は一見すると説得力をもち、「思考力・判断力・表現力」の高さを見るという方が正しいような気がするかもしれません。しかし、実際に「思考力・判断力・表現力」について真剣に考えたことがある人なら誰でも知っているように、そうした力を高めるためには、豊富な知識が必要なのです。知識を得ることと思考力等を高めることを二択のように考えるのが間違っているのです。若い時は知識をどんどん増すべきなのです。知識を持たずに思考なんてできません。ゼロから思考が始まるなんてことは絶対ありえまぜん。まずは、知識を増やしていくことで、あるところで得た知識と別のところで得た知識が結びついたりすることで、新たな発想も生まれてくるのです。もっともっと知識を得る事の大事さこそ、文科省――あるいは中教審の委員である学者たち――は、強調すべきです。

 長年、大学生を教えてきて、その知識量が確実に減ってきていることを実感しています。1年生の少人数クラスはもちろん、ゼミでですら、学生たちの発想力の乏しさを日々嘆いていていますが、その原因は端的に言って知識がないからです。若い人は柔軟な頭を持っているからユニークな発想力や思考力を持てるなんて主張する人がいたら大嘘つきです。私の方がはるかに柔軟でユニークな発想ができます。それは私の方が様々な知識を持っていていろいろな引出しがあるからです。まだ私が若い教師だった頃は、こちらの知識も少なかったせいもあるでしょうし、結構知識を持っている学生もいたせいか、時々「おおっ、そんな発想もあるか」と感心させられたこともありますが、最近はほとんどないですね。ゼミ合宿等の遊びの企画すら、私がアイデアを提供することが多くなっています。もっと固いテーマにも柔いテーマにも、知識のアンテナを張れと叫びたい気分です。この「KSつらつら通信」も、様々な知識がベースにあるから書けるのです。

 大学にはまじめに来て授業を受けて耳学問はしますが、自分で参考文献を読んだり、ウィキペディアでも芋づる式に調べ知識を体系的に深めていくことも、ちっともしない学生たちの唯一の使える知識になっているのが、受験勉強の時に覚えた知識です。日本の歴史を比較的よく知っているなという学生がいたら、ほぼ入試で日本史を選択していたからです。日本史を取っていなかった学生の、日本の歴史に関する知識たるや悲惨なものです。こんな時代において、若者たちが知識を頭に叩き込む唯一の機会だった大学入試を、評価の困難な「思考力・判断力・表現力」重視の入試に変えたら、日本の将来は悲惨なことになります。

 最近の若者の思考力の弱さ等は、知識偏重入試で思考力を問う入試をやってこなかったからではなく、逆に知識の持たせ方が減ってしまったからです。ノーベル賞を取ったような人も、もともとみんな知識をたくさん持つ中で、その応用として新しいこともできたのです。高校生段階で知識を持つよりも、基準もよくわからない「思考力・判断力・表現力」が大事なんて思わせたら、将来日本でノーベル賞を取れるような人もいなくなってしまうかもしれません。まあそういう特別に頭のよい人は、入試なんかとは関係なく自分で知識も増やしていくかもしれませんので、ノーベル賞は出るかもしれませんが、一般の大学を出て社会の礎となって働く普通の人たちが心配です。知識がないところに発想も生まれません。知識を持つことの重要さをもっともっと強調すべきです。今子育てしている方、そしてこれから子育てする方は、こんなアホな大学入試改悪なんか無視して、自分のお子さんには知識を持つことの楽しさを教えてあげてください。まあそれができるためには、自分自身ももっともっと知識を持たないといけないと思いますが。でも、みなさんには、スマホがあります。それを駆使すれば、ほぼどんな知識でも得られます。せっかくの宝を、しょうもないSNSやゲームのみに使うのはもったいないです。スマホを持つ若い人たちが「豚に真珠」なんて言われないように願うばかりです。

518号(2014.10.20)イワナとサクラマス

 昨日の「ダーウィンが来た!」という番組をご覧になりませんでしたか。イワナとサクラマスという大きさも見た目もかなり異なる魚が実は同一種だという内容で、実に興味深かったです。それぞれ名前は知っていましたが、まさか同一種だとはまったく思いもしませんでしたし、番組が始まった段階では、何か遺伝子上のからくりみたいなことがあるのだろうと疑っていました。しかし、要するに環境要因だけで見た目がまったく違う魚になってしまうということなのだそうです。それもすごくおもしろいプロセスなのです。川で孵化したイワナの中でエサをたくさん食べることができたものはどんどん大きくなるそうです。「そうかあ。それが大きなサクラマスになるのか」と思いながら見ていたらまったく逆でした。川で十分なエサが得られないイワナたちがよりエサの多い海に下っていき、それがサクラマスになって戻ってくるのだそうです。最初に川でそれなりにエサを得られるのはオスがほとんどだそうで、メスの大部分とオスの半分ほどが海をめざすのだそうです。大きくたくましくなることができるのだから、みんな海をめざせばいいのにと思いそうですが、海はエサも多いけれど、自分自身がエサになってしまう可能性も非常に高いのです。海に下っていったイワナの9割ほどエサになってしまい、わずか1割くらいがサクラマスとなって産卵のために川に戻って来られるそうです。しかし、この遡上も容易ではなく滝登りができなかったり、体が大きく目立つ分、熊のエサになったりもしてしまいます。これらの危険をすべて乗り越えたわずかなサクラマスがようやく子孫を残すことができるのです。産卵したメスの卵に他のオスを追払うことのできたオスが射精をし受精をさせるわけですが、その射精のタイミングに小さなイワナのオスも一緒に入り込んできて射精をし自分の子孫を残そうとするのです。大きさも見た目もまったく異なるサクラマスとイワナですが、もともと同一種ですから、受精できるのですが、映像的には不思議な感じがしました。産卵したサクラマスはその後生命のエネルギーを使い果たしたかのように死んでしまいます。

 このイワナとサクラマスの生涯を見ながら、人間の人生選択と似ているのではと考えてしまいました。危険の少ない小さな世界でそれなりのエサを得て大成はせずとも生きていく「イワナ型人生」と、生きていくためにより豊かだが危険の多い世界をめざし挫折するものが大部分だが、一部の少数者は大成をして故郷に錦を飾る「サクラマス型人生」と、人はどちらを選ぶのだろうと。最近の若い人の大部分は、「イワナ型人生」かな、なんて思ってしまいました。まあ、私も結構臆病ものなので、どちらかと言えば「イワナ型人生」を選びそうなタイプですので、「今どきの若い者は……」なんて批判的に言う気はまったくないのですが……。それにしても、「へえ〜」をいっぱい押したくなる(古い!)非常におもしろい番組でした。

517号(2014.10.17)祝!関大野球部優勝!

 今朝新聞を読んでいたら、「関大野球部19年、39季ぶりの優勝」という文字が飛びこんできました。ようやく優勝してくれました。前回の優勝は、1995年の春季シーズンでした。後に、近鉄で活躍した岡本という投手がいた時でした。京都大学を含む6チーム限定で入れ替え制のない関西学生野球連盟で、なんで関大はこんなに優勝できないのだろうと、ずっと疑問に思いつつも密かに応援し、学生野球の時期には、スポーツ面の片隅に小さく掲載される試合結果に注目していました。いいところまで行っても、最後の勝ち点が取れないということが続いて、いつもがっかりさせられていましたが、ようやく優勝できました。今期は最終節まで優勝可能性の高かった立命館を同志社が予想外に破って勝ち点を獲得してくれたので、他力本願型の優勝できたという感じです。同志社も負けると、京大を下回り48年ぶりの最下位になる可能性があったため必死になったのでしょう。とにかく優勝できてよかったです。次は、また19年後なんてことはないように頑張ってほしいものです。

 私が前回の優勝をよく覚えているのは、当時岡本と同学年に、後にも先に唯一の野球部選手が片桐ゼミにおり、応援にも行っていたからです。今は、その彼が野球部のコーチをやっており、ちょっと因縁を感じます。ゼミ生では、野球部の選手はひとりしかいませんでしたが、社会学専攻に在籍した何人かの野球部員の顔が浮かびます。結構野球部の子は礼儀正しく、一度少人数クラスで担当したりすると、その後も学舎で会った時にちゃんと挨拶してくれたりする人が多かったように思います。2007年入学のO君は甲子園にも出た投手でしたが、肩を壊して大学に入学してからはほとんど活躍できませんでしたが、野球部のために裏方を頑張っていました。S先生が「スポーツ障害」の研究をして本を出した時に、「僕もインタビューされているので、先生、ぜひ読んでください!」と嬉しそうに話してくれました。同じ学年の二枚目で女性人気が抜群だった同じ野球部のY君と一緒にソシオカップの片桐ゼミの試合の時に、さわやかに審判を務めてくれたのを思い出します。2008年入学のK君はキャプテンで4番バッターでした。3回生の終わりころからよく挨拶してくれるようになり、私がたまに「野球部、勝てないなあ」と言うと、「すべて自分が悪いんです!」と恐縮したように言っていました。「そんな風に責任感を感じすぎると実力出なくなるんじゃないかい?ここで打ったら、俺がヒーローだっていうようなプラス思考でやってごらんよ」なんて話していたものでした。できたら、彼のいる間に優勝を経験させてやりたかったです。K君はKゼミで素晴らしい体験型学習をし、その思いを社会学部のHPの「学生コラム」に書いています(第67回「出会い系授業 かなちゃんとボクら」2011.7.1掲載)ので、ぜひ読んでみてください。

 片桐ゼミは、野球部に限らず体育会系クラブの人があまり応募してこないので、これまで片桐ゼミに、体育会系の学生(選手)が何部で何人いたか、ほぼ正確に覚えています。この機会に書き出しておきます。アメフト2人(2期、3期)、野球1人(3期)、射撃3人(5期、10期、10期)、体操1人(6期)、ラクロス2人(8期、14期)、サッカー1人(10期)、柔道1人(11期)、陸上2人(13期、14期)、ホッケー1人(15期)、卓球1人(16期)、ゴルフ1人(19期)、アーチェリー1人(21期)の14人だと思います。書き出してみると、結構いますね。でも、受入れたゼミ生は21期生まででちょうど450人ですので、14人はやはり少ない方でしょう。私は、社会学を本気で学びたいという気持ちさえあれば、体育会系の学生さんはおおいに歓迎したいと思っています。まあでも、2コマ授業や数多いゼミ行事と練習や試合との両立はやはり難しいかもしれませんね。

516号(2014.10.13)教え子の結婚式はいいものです

 最近は毎年34回教え子の結婚式に呼ばれますが、何回出てもいいものだなと思います。披露宴は一見すると同じようなパターンで進んでいるように見えますが、新郎・新婦の性格や趣味が反映されて、ちゃんとそれなりに個性が出ています。御両親をはじめとする御親族に会えるのも楽しいですし、昔の友人たち、また今の会社の上司や同僚の話や雰囲気なども、非常に興味深い観察対象です。観察対象なんて言い方は冷静すぎて嫌がられそうですが、長年社会学者として生きてきて、社会学的にものを見るのが癖になっていますので、挙式・披露宴は1人の人間のパーソナリティ形成に大きな影響を与えたであろう重要な人々を一気に見られる貴重なデータ収集機会だという意識はいつもどこかで働いています。また、自分のゼミ生以外の社会学専攻の友人もよく呼ばれているので、そういう人たちともなつかしい話をしながら交流する機会も持てますし、遠くなっていたゼミ生と久しぶりに会えて交流が戻ることもある、実に素敵な機会です。

 すでに教え子の結婚披露宴に30回くらい出ていると思うのですが、たぶんそのすべてで祝辞を述べていると思います。最初の頃は少し緊張した時期もあったような気もしますが、最近は喋らせてもらえるのが楽しみ、というか喋らせてもらえないなら、参加する甲斐もないかなと思っているくらいです(笑)。招待してくれた教え子のことを思い浮べながら、どんな話をしようかなと考えるのですが、新郎、新婦や御両家の親族の方だけでなく、出席者みなさんにも、「印象に残る話だったな」と思ってもらえるよう、心がけています。話のプロとしては、適度な時間で、それなりの評価を得らないといけないだろうといつも思っています。昔の大学の先生は、出席者の多くがよくわからないようなアカデミックな話をだらだら長くしたがる人がたくさんいました。私の結婚披露宴などその最たるもので、媒酌人、主賓2人、乾杯で1時間以上経ってしまいました。将来、自分が教え子の結婚披露宴でスピーチをするようになったら、決してだらだら喋らずに、出席者が聞いてよかったなと思える話をしようと心に誓ったものでした。

 最後に挙式についても語っておきたいと思います。2010年の「つらつら通信」に、アルバイト白人「神父」に愛を誓うことに関する疑問を書き、お勧めは人前結婚式と書いた(参考:「第373号 最近の結婚式に関する疑問(2010.5.9)」)せいかどうかはわかりませんが、その後招待された結婚式のほとんどが人前結婚式になりました。つい最近参列した結婚式は、久しぶりにキリスト教式挙式でしたが、牧師さんは本物の日本人牧師さんで、これも悪くはないなと思いました。ただ、父親から夫に新婦が受け渡されるというのは、女性が「モノ」的に扱われている慣習が残っている感じがして、もう時代に合わないのではとちらっと思ったりもしました。まあでも、こんな風に頭でっかちで考えるべきではないのでしょうね。大好きなお父さんと一緒にバージンロードを歩くという幸せな機会を、父も娘も味わえるよい機会だと考えるべきなのでしょう。キリスト教式挙式は人前式挙式よりは、格調高くはしやすいかもしれません。人前式は、気持ちと雰囲気をしっかり作ってやらないと、ぐだぐだになりかねない危険もあります。披露宴は多少くだけた感じでもよいのかもしれませんが、挙式はきりっとやりたいものです。なんか結婚式評論家になれそうな気がしてきました(笑)。

515号(2014.9.29)「お茶コミュニケーション」は深い!

 お茶を対象に卒論を書こうという学生に付き合いながら、お茶について、ゼミ生たちといろいろ考えているのですが、今日のゼミで話しながら、「お茶する」というのは、なかなか深いコミュニケーションだということに気づきました。学生たちに、急須で入れた日本茶をよく飲むかどうか訊ねたところ、17人中たった2人しかいませんでした。お茶自体を嫌いだとか飲まないかというわけではなく、ペットボトルのお茶も買うし、家でも冷やしてあるお茶はよく飲むのだそうです。じゃあ、なぜ急須で入れたお茶を飲まないだろうかと語ってもらったのですが、結局食卓で腰を落ち着けてゆっくり熱いお茶を飲むというような時間の過ごし方を家族ではあまりしないということのようです。両親は飲んでいたりするそうですが、そこに学生である子どもたちは一緒におらず、自分の部屋に引っ込んでしまうようです。最近のわが家では、食後に娘も含めてお茶を飲むのが慣例になっていますが、そういう家庭は少ないようです。考えてみると、私も若かった時は、熱いお茶を家族とゆっくり飲むということはあまりしていなかったですし、結婚してからも、そんなにしていなかったように思います。どうやら、急須で入れたお茶をゆっくり飲むという行為には、その場にいるメンバーと歓談をするという意味もついてくるようです。わが家でも、夫婦喧嘩をしている時などには、当然のことながらお茶をしようという空気にはなりません。

そして実は、この「お茶する」という行為は、友人関係においても家族でのお茶と同様に、「ゆっくり語り合う」ということを意味しています。「お茶しようか?」という誘いをできる友人は何人いますか?あまりたくさん浮ばないのではないかと思います。「ラーメン、食べに行こう!」とか「ご飯、食べに行こう!」とか「飲みに行こう!」の方が、割と気楽に誘える感じがしませんか?「お茶をする」というのは、「ゆっくり語り合おう」というような意味になってしまい、かなり親しい友人とでないと、行けないようです。で、さらに気づいたことは、「お茶する」という言葉は「ゆっくり語り合う」ということなので、飲むものはお茶でなくても構わないわけです。実際、外で「お茶する」時に飲んでいるのは、コーヒーとかの方が多いわけですが、「お茶する」は「ゆっくり話す」という意味ですから、コーヒーでもまったく問題はないわけです。ただし、お酒は「お茶する」には入りません。コーヒーでも紅茶でも日本茶でもいいのですが、お酒を飲む場と違うのは、酔うことはないので、時間が経っても素面で語りつづけなければいけないわけで、ここがなかなか大変なのだろうと思います。お酒のように、少しずつ酔っぱらっていくことができれば、気持ちも開放されたり、場の雰囲気も変ったりして、なんとなく過ごしやすくなったりしますが、「お茶」の場合はそうはいかないわけです。

家庭でゆっくり熱い日本茶を飲むという行為を人はいつ頃から身につけるのでしょうか。私も、上で述べたように若い時には熱い日本茶を家でゆっくり飲む習慣が身についていなかったのに、今はよく飲みます。年齢による要素が大きいのかもしれません。若い恋人同士や若い夫婦が、熱い日本茶をのんびり飲んでいるという場面は、映画やドラマでもあまり見かけず、やや違和感を持ちやすい気がします。コーヒーや紅茶ならまったく違和感がないのですが。熱い日本茶というのがやや年寄り臭いイメージが強いのでしょう。味としてはすっきりしていて、若い人も嫌いではないと思うのですが、熱い日本茶は若い人の飲み物ではないというイメージが先行しているような気がします。「茶飲み友達」と言えば、年老いた夫婦や友人関係を思い浮べる人がほとんどでしょう。熱いお茶を飲むときは、時間がゆっくり流れるような印象をもつ人も多いのではないでしょうか。

今の茶道はあまり会話をするために行っている感じはしないですが、昔、千利休がいた頃は茶室は武将同士が大事な話をする場だったと聞いていますし、江戸、明治の大商家などでは茶室がいくつもあり、格によって通される茶室が異なり、そこで重要な商いの取引がされたとも聞きます。「お茶する」=「ゆっくり話す」というのは、実は昔からお茶を飲むことの重要な役割だったようです。ペットボトルや冷茶を飲むのは渇きをいやす機能でしょうが、熱いお茶を飲むのは、渇きをいやすのとはまったく違う意味をもつわけです。人の家を訪ねて、熱いお茶を出されて「ゆっくりしていってください」と言われたら歓待されているなと思うでしょうが、もしも熱いお茶の代わりにペットボトルのお茶を出さたら、ゆっくりできる人はいないでしょう。コップに入れた冷茶も、「のどの渇きをいやしてください」という意味にはなるでしょうが、「ゆっくりしてください」というメッセージには取れなさそうです。これを書きながら、ふと思ったのですが、秀吉と光成の出会いで有名な「三杯のお茶」(1杯目は狩りでのどが渇いていた秀吉に一気に飲んでもらうために大きめの器にぬるめのお茶をたっぷりと出し、2杯目は少し熱めのお茶を出し、3杯目は非常に熱いお茶を出した)という逸話も、光成――あるいはこの逸話を創作した人――がお茶の機能をよく理解していたと読めます。すなわち、1杯目はのどの渇きをいやすため、2杯目は様子見、3杯目は「どうぞゆっくりしてください」という解釈が可能になります。いやあ、「お茶コミュニケーション」は深いですね。

514号(2014.9.21)「シンジ対決」

 昨日のドイツ・ブンデスリーグの試合で、香川の所属するドルトムントと岡崎の所属するマインツが対戦し、ともに攻撃の核を日本人の「シンジ」が担っているということで、「シンジ対決」と話題になっていたそうです。香川真司は「シンジ」と愛称でも呼ばれているので有名ですが、岡崎も慎司だったんですね。愛称は「おかちゃん」だったので、気付いていませんでした。岡崎自身も、香川のことを「シンジは……」なんて呼んでいましたから、自分が「シンジ」であることも自覚していないかのようでしたが。

 それにしてもなぜかヨーロッパで活躍する日本のサッカー選手には「しんじ」が多くいます。かつて(今も?)有名だった選手に、小野伸二がいます。彼は1999年頃おおいに注目されていました。当時イギリスの新聞"Daily Mail"紙は、スポーツ面に大きく、マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルが小野伸二の獲得を目指しているという記事を、「Wonder-boy, Shinji」というタイトルで掲載しました。ちょうどその頃私は家族とともにイギリスにいて、自分と同じ名前がイギリスの新聞の見出しになっているのを見て不思議な思いを持ったものでした(参考:「ロンドン便り」Part3 <第118号:Wonder-boy, Shinji(1999.12.7))。それから15年。今度はドイツですが、またもや「Shinji」です。なんか奇妙な気分です。

 野球選手だと「大輔」が多いのですが、これは1980年に甲子園で荒木大輔がスターになり、野球好きなお父さんはこの年以降生まれた子に「大輔」とつけたものでした。ちなみに、その一人が1980年生まれの松坂大輔選手です。現在30歳代前半のあたりで、大輔という名の人がいたら、お父さんはほぼ野球好きだと思います。松坂も1998年から2000年代前半にかけて、スターとして輝いていたので、その影響で、また大輔という名前を付けられた少年たちが生れたことでしょう。彼らもぼちぼち高校野球で活躍する年齢になってきていますので、第3の「大輔ブーム」が起きるかもしれません。

 さて、サッカーはなぜ「シンジ」が多いのでしょうか?漢字がみんな違うので、たまたまの可能性の方が高いとは思いますが、こんな風に「シンジ対決」なんて煽られ、これが今後も何度か続いていけば、サッカー好きなお父さんは生れてくる息子に「シンジ」と名づけるようになってくるかもしれません。香川真司と岡崎慎司という2人の選手の活躍次第では、これから20数年後くらいの日本代表に「シンジ」選手がいっぱいということもありえなくないかもしれません。

513号(2014.9.15)居心地の悪さ

 先日、娘と家内に付き合って某百貨店の紳士服売り場に行きました。娘が興味を持っていた2030歳代向けのブランドが並んでいるお店をちらちら見たのですが、店員さんを含めてあまりにおしゃれで10分もいたらしんどくなってきました。しんどさの理由は、こういうおしゃれな世界に対する苦手意識のようなものだと思います。好きな人は、見るだけでも楽しいと思うのでしょうが、まったくそういう気持ちにはなれませんでした。おしゃれをすることやきちんとした外見をつくる事はもちろん大事だと思っていますし、自分なりに多少は考えているつもりですが、この若い人向けのブランド・ファッションに対する違和感は自分が思っていた以上に強いものでした。決してそういうおしゃれな若い人のファッションを否定するつもりはないのですが、異世界に入り込んでしまったような気分でした。いつも大学で若い男性たちを見ているわけですが、大学には、こんなおしゃれをしてくる人は少ないですからね。歴代のうちのゼミ生でも、10期生の2人くらいしかぱっと思い浮かびません。でも、こういうお店がこんなにいろいろあるのですから、それなりに需要はあるのでしょうね。日頃特におしゃれなファッションをしていない大学生も、デートの時や合コン(最近はあまり話を聞かなくなりましたが、やっているのでしょうか?)の時には、こんなファッションをしているのでしょうか。マネキンや店員さんと同じような格好をしていたら、かなり目立つ気がしますが。

そう言えば、最近気に入っている「ニッポン戦後サブカルチャー史」という番組で、先々週くらいに1980年代のDCブランドブームを紹介していましたが、あの頃からでしょうね、男性もおしゃれにエネルギーとお金を使うようになったのは。もちろん、昔から一定程度おしゃれな男性はいましたが、金銭的に豊かな上層階層の人たちだけというイメージでした。普通の若い男性たちが、頑張って働いて貯めたお金を洋服や靴につぎ込むという文化は1970年代まではあまりなかったように思います。今は、もうバブルの時代ではないので、お金をかけておしゃれをするというのは1980年代よりは減っているのかもしれませんので、私が違和感をもったようなお店で買い物をする人は、またそれなりに豊かな層の人だけになっているのかもしれませんね。

512号(2014.9.10)古代ヤマトの謎を旅する

 大和と言えば、今は奈良県全体、場合によっては日本全体のことを指しますが、もともとは三輪山麓の地域を「ヤマト(山門?)」と呼び、そこを中心として力をつけた政治勢力が大和王権を創りあげ、それが奈良盆地全体を、さらには全国を支配していったために、「ヤマト」という名称が奈良県全体、さらには日本全体の名称になっていったというのが事実のようです。さて、今回の旅は、その原点とも言うべき「ヤマト」の旅です。私は車を使い、さらに3度ほどに分けて行ったところなので、実際に行った順番とは異なりますし、道自体を歩いていないところもあるのですが、話をわかりやすくするために、大神神社から歩P8291903 (640x480)いてスタートするという想定で進めていくことにします。

 JR三輪駅から東へ歩いて10分程のところに大神神社があります。この神社は三輪山自体をご神体とする日本最古の神社と言われています。大物主神という出雲系の神様を祀っており、本来このヤマトの地を押えていたのは、出雲系の勢力ではなかったかということを思わせる神社です。西から新勢力(大和王権を確立した勢力=崇神朝?)がやってきてからは、天照大神と倭大国魂神も祀られることになりますが、『日本書紀』によれば、この2神が争い、平安が訪れないため、別々の場所に祀ることとなり、天照大神の方は、元伊勢とも呼ばれる檜原神社を経て、最終的には伊勢神宮へ祀られ、倭大国魂神の方は、最終的には現在の天理市の大和神社に祀られることになったそうです。さて、大神神社ですが、鬱蒼とした緑深い中にある神社で、本殿がないこと、鳥居が通常の形と違い、2本の柱に注連縄を張っただけの「三輪鳥居」になっていることなどで、通常の神社とはまったく異なる場所に来た気持になります(写真右)。この「三輪鳥居」は、ここから30分強、山の辺の道を北に歩いたところにある、上で述べた檜原神社でも使われています。檜原神社も本殿のない神社です。

P8291871 (640x480) 檜原神社から西に山を下るように30分程ほど歩くと、そこには箸墓古墳と呼ばれる大きな前方後円墳の古墳があります。この古墳は、第7代孝霊天皇の皇女で、大物主神の妻であった倭迹迹日百襲姫命の墓ということになっていますが、孝霊天皇は実在を疑われる天皇であり、この古墳の埋葬者は、邪馬台国の卑弥呼ではないかという説も根強いです。航空写真で見ると、それなりに前方後円墳に見えるのですが、近くから見ると、手入れのされていない林が池の奥にあるという感じです(写真左)。でも、ここが卑弥呼の墓かもしれないと思うと興奮します。古墳の南半分に沿って道ができているので、私はこの周りを車で走ってみました。すぐ近くまで行けるのはなかなか魅力的でした。箸墓古墳の北に歩いて25分くらいのところに、纏向石塚古墳という、このあたりではもっとも古い古墳があったのですが、私は行きませんでした。

 箸墓古墳から169号線に出て、車で数分走ると、第12代景行天皇陵と言われる渋谷向山古墳に着きます。わずかな堀とその奥にある前方後円墳ですが、これも下から見るとただの林です。景行天皇はヤマトタケルの父にあたります。ヤマトタケルは架空の人物でしょうが、その父とされる景行天皇は実在の人物と言われています。この景行天皇陵から車で行くと北側すぐの所に、初めて国をまとめ上げたといった意味をもつ「ハツクニシラスシメラミコト」という和名を持つ第10代崇神天皇陵と言われる行燈山古墳があります。崇神天皇は歴史的にその実在がほぼ確実と言われる最初の天皇(大王)であるためか、景行天皇陵や箸墓古墳と異なり、崇神天皇陵の敷地内は、白砂利が敷かれ、参拝所も立派な造りになっています。天皇家にとって重要な陵ということなのでしょう。

 崇神天皇陵から西北の方角に歩いても行ける近さのところに、黒塚古墳があります。これは誰の墓かはっきりわかっていないのですが、平成9年度の発掘調査で、三角縁神獣P8291896 (640x480)鏡が33枚も出てきて話題になり、その後天理市が黒塚古墳展示館を隣接して建てていましたので、ここを見に行ってきました。私としては展示館よりも黒塚古墳の上に登れたのがおもしろかったです。古墳は天皇陵と宮内庁が指定していると、一切立ち入り禁止になってしまいますが、そうでないとかなり自由に踏み入れられます(写真右)。以前、継体天皇陵とほぼ確定しつつある、高槻の今城塚古墳を宮内庁が認めていないため、自由に出入りができてよい経験をしたことがあります(参照:「KSつらつら通信」第406号 高槻で歴史を体感する(2011.5.8))が、ここも今はだだの公園になっていて、出入り自由です。中世以降は城としても使われてきた場所なので、古墳というより城跡という印象が強いところです。

 169号線をさらに北に数分走ると、今度は西に行けば大和神社という看板が出てきます。ここを西に向かうと、すぐに大和神社の鳥居にぶつかります。この神社は、上にも述べたように、もともとは三輪山に天照大神とともに祀られていた倭大国魂神を祀る神社ですが、片や伊勢神宮となって、日本の最高の神社で祀られることになったのに対し、こちらは地味な地方の神社のような雰囲気の中で祀られています。むしろ、この神社の売りは、名前が同じということで、戦艦大和の神社として、知る人ぞ知るという神社になっているそうです。誰も管理者がいないプレハブハウスの「大和資料館」には、模型の戦艦大和がいくつも飾ってありました。私が行った時は平日ということもありましたが、誰も参拝者がおらず、下調べなしで行ったら、新しく創られた権威のない神社なのだろうと誤解したと思います。大神神社の神も、大和神社の神も、伊勢神宮の神も、もともとすべて三輪山で祀られていたと考えると、三者のその後の盛衰は、日本における天皇家中心史の確立との関連が興味深いところです。

 さて、最後に訪問したのが、大和神社から北東方向に車で5分程で着く石上神宮です。ここは、物部氏の神社です。物部氏と言えば、仏教導入を巡って、蘇我氏に敗れた氏族としてのみ印象をもつ人が多いと思いますが、この一族は古代史を調べていると、出雲系で、大和王権を確立した勢力がヤマトに入ってくる以前から、この地域に勢力を持っていた非常に古い歴史をもつ氏族だということが確信されます。もしかしたら、神武東遷神話で語られる九州からの新勢力が入って来るまで、実質的なヤマトの支配者であった可能性も十分考えられる有力氏族です。そして、この神社は非常に風格のある建物で、歴史の重みを感じさせてくれます。一度見ておく価値のある神社だと思います。

 はじめに書いたように、実は私はこのコースを1日では回っていません。ただ、車があり、午前中から回れば、このコースはほぼ回れるだろうと思います。日本という国家の原点を訪ねる旅として、古代史好きにはたまらないコースだと思います。

511号(2014.8.28)青春とは悩むこと

 ついつい自分の日記をずっと読んでしまいました。たいしてまめに書いていないので、そう量はないのですが、やはり青春時代が相対的にたくさん書いています(1年半で大学ノート1冊ペース)。読みながら、若い時はこんなに悩んでいたんだなあと、恥しくなりつつもいろいろ思い出しました。受験に悩み、恋に悩み、人間関係に悩み、自らの幼さに悩み、能力に自信が持てず、人の評価に落ち込み、自らの怠惰さに嫌気がさし、論文を完成できないのではないかと不安に思い、就職なんて無理なのではないかと悩み、とよくもこんなに悩みがあったなあと思うくらいですが、これが青春なんでしょうね。人間形成の途中過程にあり、居所も定まらない青春時代は、誰でもちょっとしたことで落ち込み、悩むというのが常なのでしょう。「青年期のアイデンティティの危機」そのものです。就職をし、結婚をし、子どもが生まれと、放りだせない社会的役割が与えられるたびに、自らに対する悩みは減り、いつのまにかアイデンティティが確立されるという一般法則を、自分の人生で確認してしまいました。私の場合、日記は悩みを書きつけるものでしたので、悩みの青春時代が終わってからは、日記を書く量が極端に減ってしまいました(結婚してからは、1冊目の大学ノートが終わるまでに10年かかり、2冊目はもう19年も使っていますが、まだまだ終わりそうにありません())。

 現代でも、青春期にある若い人たちは、紙ベースの日記を書いたりするのでしょうか。アイデンティティが確立できない悩みはきっとあるはずですよね。みんな、明るくノリのよい人間を演じ、人付き合いをよくしなければという社会的要請が強くなっているのか、あまり暗い顔、落ち込んだ顔を見せませんが、きっとそれなりには落ち込んだり、悩んだりしているはずですよね。就活がうまく行かないという程度の悩みは、親しい友人に話したり、LINEをしたりする程度でも回復できそうですが、「自分には何か優れたところがあるのだろうか」とか「このままでは自分はまったくだめなんじゃないか」なんて重く落ち込んだりしたときはどうするのでしょうね。昔の私は、そんな時は日記帳を取りだして、まとまらない、もやもやした思いを書きつけることで、日記を通してもうひとりの自分に話しかけていたのだと思います。そうすることで、もうひとりの自分が「そんなことはないぞ」とか「そうだ、おまえの言う通りだ」とか「こつこつやるしかないだろ?」なんて答えてくれているような気になっていたのでしょう。今はどうするのでしょうか。それでも、やはり親しい友人に伝えて励ましてもらうのでしょうか。でも、親しい友人にも言えないような、どろどろ、ぐちゃぐちゃした思いは、どこで消化しているのでしょうか。かなり悩んでいる人なら、昔の私と同じように紙ベースの日記帳を使っているかもしれませんね。でも、そこまで真剣に悩むことはないですという方が、今どきの若者の多数派なのかもしれません。

510号(2014.8.21)40年前の大学1年生の思考

 ちょっと調べたいことがあって、過去の自分の日記を読んでいたら、ちょうど40年前の1974821日に「若者が反体制的であるゆえん」というタイトルをつけて文章を書いていました。文章も下手で論理もなっていませんが、40年前の大学1年生がどんなことを考えていたか興味がある人もいるかもしれないと勝手に思い、ここに掲載してみます。

     若者が反体制的であるゆえん

 単純な事である。人間、いかなる人間であろうと、未来の(わずかでも)ある人間であれば、その未来を完全に不幸なものとみなし、何ら期待をかけずに現状で満足している事はできない。「未来」=「イマダコズ」。一体、どれほど人間は未知のものに期待をかけるものであろうか。人は誰でも現状に真の満足はしえない。特に、それがこれから自分の人生を形成していこうという人間であるならば。いつの世でも、若者がその場に存在する時、その場を築き上げ運営しているのは、彼らの父親の世代の人々である。そしてまた、いつの世でも、欠点の存在しない時代というものはない。観察心旺盛な若者が、目をこらして現在のこの世を見れば見る程、垢が見える。その垢を作ったのは、我々若者ではない。年配の者たちだ。俺たちだったら、もっとどんなにかすばらしい世界を作れるだろう。そう考えるのが当然だろう。若者が反体制的になり得ない如何なる理由もない。

 もうひとつ付け加えて言っておくなら、現在この世界を築き、運営している中年〜老年世代も、理想としては反体制でありたいと思っている事だろう。いかなる場合でも、これからやってくる、何がやってくるかわからぬ未来は、現在よりもすばらしいものである可能性を秘めている。彼らとて、この未来に期待したい気持はどんなに強い事だろう。しかし、彼らは家庭を持っている。生活を支えている。今までこつこつと築き上げてきた足場がある。どうして、それらすべてを賭けてまで、吉と出るか、凶と出るかわからない未来に賭ける事ができようか。単なるギャンブルではない。もう一度やる事は不可能なのだ。〇×△郎という人間として、その精神と知力とその他すべてをもって行いうる人生は、ただ1回なのだ。失敗すれば、そのまま二度と浮き上がれずに死んでしまうのだ。今の生活さえ守れば、一応暮らしは適当にやっていけるし、地獄のような生活になる事もない。こう考えて、保守的、体制的になるのは当然だろう。いつの時代でも、時代を動かしている中老年世代と青年世代の対立はあるはずだ。どこでも聞ける「今の若い者は……」。

 説得力のあまりない文章ですが、40年前の大学1年生はこんなことを考えていたりしたわけです。未来への期待感が今の大学生よりはるかに強いですね。高校までは受験と恋愛と人間関係のことがほとんどだったのに、大学に入った途端、社会問題や思想など、いろいろなことを考えては日記に書いています。どれも論理は甘く頭でっかちに考えているものばかりですが、こうやって必死で「大学生」になろうとしていたのだなあと、改めて実感しました。この日記帳(ただの大学ノートですが)は、大学合格発表があった日(高校3年の3月)から、大学2年の9月末まで使っていますが、その最終頁に、「この日記帳、将来読むと実に意味の深いノートとなっていることだろう。この1冊のノートに片桐新自という人間の変化が脈々と捉えられている」と書いています。40年後の今、読んでいる私が実際にいるわけですが、確かに大学生活最初の1年半は、まさに必死に変わろうとしていたんだなということを感じます。過去の自分の経験だったり思考だったりするわけですが、まるで他人の青春を覗いているような気分でした。

509号(2014.8.14)都塚古墳に思うこと

 昨日のニュースで、石舞台古墳から歩いて10分ほどのところにある都塚古墳が大きな階段式の方墳(ピラミッド型)だったことが明確になったという報道がされていました。この古墳は、場所、時代、規模から考えて、蘇我馬子の父である蘇我稲目の墓であると見るのが有力なのですが、この階段式の方墳という形は古墳時代の日本にはほとんどなく、高句麗や百済に似たものがあるそうです。昨日のニュースでも、蘇我氏は朝鮮半島の勢力とつながりが深いという紹介がされていましたが、この都塚古墳が階段式方墳であることが明確になったことによって、蘇我氏はほぼ間違いなく渡来系部族であることが確定したように思います。蘇我氏は稲目の曽祖父の満致くらいからしか先祖がわからず、その子の名前が韓子ということ、そしてその息子で稲目の父にあたる高麗という名前から言っても、また大陸伝来の仏教を初めて本格的に取り入れようとしたことなどから、稲目の曽祖父である満致の時代あたりに日本にやってきた渡来系部族であっただろうという説はもともと強かったのですが、この都塚古墳の形が確定したことによって、蘇我氏渡来系説はほぼ100%確定したと思います。ニュースでは新しい文化を取り入れたのではと言っていましたが、むしろ自分たちの先祖がやってきたことをそのまま日本に来てもやったということなのではないかと思います。

しかし、考えてみると渡来人とはなんなのでしょうね。もともと、この日本列島で人類が誕生したわけではないので、みんなどこかからやってきた人たちの子孫に過ぎないわけですから、全員渡来人と言えば渡来人です。しかし、どこかの時代から渡来人と呼ばれるようになっています。応神・仁徳朝も墳墓から馬具が初めて出土することから騎馬民族説がありますが、それが事実であったとしても、このあたりの渡来部族は渡来人とは呼ばれないように思います。崇神朝、応神・仁徳朝を通じてほぼ大和朝廷が国家統一を成し遂げた後に、朝鮮半島から渡ってきた人々が渡来人と見られているのだと思います。それ以前に日本に渡ってきた部族より、文化水準が高く、漢字、仏教、建築、彫刻などの技術や文化を持ちこんだ文化的貢献という点で、渡来人という名称が使われていることも多いように思います。渡来人という言い方が本格化するのは、継体朝(=蘇我氏支配)になってからのようですので、蘇我氏は渡来系であったとしても、いわゆる渡来人と呼ばれる人々よりは早く日本に来ていたので、渡来人というべきかどうか微妙なところではあるかもしれません。いずれにしろ、今回の発見によって、蘇我氏のルーツがそう古いところまで遡らずに、朝鮮半島に行きつくことは明らかになったと思います。こんな話に興味を持たれた方は、よかったら「私説・日本統一国家の誕生」も読んでみてください。古代史は、日本という社会を考える上で、非常に興味深いです。

508号(2014.7.21)「女子力」と「女らしさ」はどこが違うのだろうか?

 最近(と言ってももう結構経ちますが)、「女子力」という言葉が頻繁に聞こえてきます。曰く「女子力を上げる」「女子力が高い」etc.。使っている人たちも、言われた人たちもマイナスイメージはまったく持っていないようです。下手をすると、田島陽子のような、がちがちなフェミニストですら、「先生、女子力が高いですね〜」と言われたら喜びそうな感じまでします。他方で、「女らしいですね」と言われたら、きっと眉をつり上げて「女らしいなんて、勝手に人を決めつけるな!」とか怒りそうな感じがします。でも、実際のところ長く使われてきた「女らしさ」と「女子力」にはどの程度違いがあるのでしょうか?女子力を最近聞いた場面を思い出してみると、居酒屋でサラダなどを取り分けてくれている女子学生がいると、「〇〇ちゃんは女子力が高いね」とか、やわらかいふわっとした外見や喋り方とかしている女子学生やおしゃれな女子学生に「女子力が高い」という評価がされていました。これは、母親的気配りができる、癒しの存在となっている、あるいは女性的魅力を示せているというポイント評価と言えるでしょう。いずれも、昔は「女らしさ」として求められていたものです。「女子力」と「女らしさ」はイコールなのでしょうか?かつて「女らしい」行動としてイメージされたもので「女子力が高い」と言われなさそうなものを探してみると、上品さ、立居振舞の美しさなどでしょうか。「大人の女性」感の溢れる行動には「女子」という言葉がやや違和感を生みやすいのかもしれません。まあでも、女子学生レベルでは、ほぼ「女らしさ」が死語になり、「女子力」に取って代わられたと言っても過言ではない気がします。

 せっかくですから、もう少し「女子力」をめぐって考えてみましょう。この言葉を使うのはほぼ女性たちであって、男性たちはあまり使っていない気がしますが、これはなぜかを考えてみましょう。おそらく、男性たちが「女らしさ」という言葉にマイナスイメージがほとんどないことが理由ではないかと思います。女性たちは「女らしさ」という言葉に、男性優位社会で女性を男性たちにとって都合のよい存在とするために押し付けられてきた行動や思考の規範という印象を持っている人が多いため、この言葉を使うのは、相手に対する褒め言葉にならないかもしれないと思い避けるために、新たなマイナスイメージのない言葉=「女子力」を創造したのだろうと思います。

「男子力」という言葉が生れてこないのも、多くの男性たちが「男らしさ」という言葉にマイナスイメージを持っていないことから理解できるだろうと思います。もうひとつ理由があるとしたら、「男らしさ」は「大人であること、たくましさがあること」が重要な条件になっていますので、「男子」という子どもを表す用語に、むしろ抵抗を感じやすいということもあるのではないかと思います。男子学生たちは、冗談半分で「男子会やろうぜ!」といった発言をしていることもありますが、30歳代、40歳代女性たちが、嬉々として「今日は女子会」なんて言う様に、30歳代以上の男性たちが「今日は男子会」と言う日は来ないだろうと思います。「おやじの会」や「おっさんの会」の方が、男性たちにとっては違和感はないでしょう。

しかし、男性たちの価値観もかなり変わってきている時代ですし、また新語を作って当てたいと考えている人たちはたくさんいるので、そのうち「男子力」という言葉も改めて定義され広まる時代が来るかもしれません。先取りして、いずれ「男子力」という言葉がどういう意味で使われる可能性がありそうかを予測しておいてみます。@いい意味での少年っぽさを残している(=おじさん感が出すぎない)、A行動で優しさを示せる(ex.女性の荷物をさらりと持ってあげる、車道に近い方を自分が歩き女性を安全な側におく)、B髪は短め、服装はおしゃれ過ぎず清潔な印象を与える。どうでしょうか、こんな感じで。今でも、こういう男性は人気があると思います。タレントで言えば、浜田岳、溝端淳平、岡田将生なんか、こういう意味で「男子力」が高いと言われそうです。妻夫木聡なんかもまだぎりぎり行けそうですね。考えてみると、最近人気の若手男優さんたちは、「男らしい」人というより「男子力」が高そうな人が多いですね。もう時代は来ているのかもしれません。

507号(2014.7.13)ドラマ「若者たち」に期待大

 先週の水曜日から始まったドラマ「若者たち」がおもしろそうです。20歳代、30歳代の若い演技派、実力派が集まって、丁々発止のやり合いを見せてくれました。音楽も映像もよく、久しぶりに名作ドラマになりそうな予感がします。この「若者たち」というドラマは、1966年にフジテレビが連続ドラマとして放送したものの48年ぶりのリメイクだそうです。1966年版の「若者たち」は評判を呼んだので、その後同じキャストで映画版が3作も撮られ、またかの有名な「ひとつ屋根の下」の原案にもなったようです。とまったく他人事のように書いていますが、映画版の方は、実は私にとってかなり印象の強い作品です。1966年の連続ドラマの時は小学生でしたからまったく見た覚えがなく、映画版も公開されている最中は見に行ったことももちろんなければ、公開されていたことも記憶していません。にもかかわらず、この映画版「若者たち」(1968年公開)が印象に残っているのは、大学生になって初めて見た映画だからです。大学入学してすぐのオリエンテーションの期間に、駒場キャンパスのどこかの教室で、この映画が無料で見れるとのことで、なんとなく見に行きました。貧しい家庭のきょうだいたちがぶつかりあったり、わめき合ったり、しんみりしたりする話という程度にしかストーリーは思い出せないのですが、なんか生きるエネルギーに満ちていて、自分も大学生活をむだにせずに、何をするのかちゃんと考えなければという気持ちになった覚えがあります。「きみのゆく道は 果てしなく遠い だのに なぜ 歯をくいしばり きみはゆくのか そんなにしてまで」という主題歌の歌詞が、そのまま心に伝わってきた映画でした。

 1960年代という若者が熱く燃えていた時代と違いは、現代は若者たちがおとなしく冷めているように見える時代です。しかし、演出家は、この現代という時代の中でも熱く燃える若者たちはいるという認識でドラマを作っていくようです。果して、実際に現代の若者たちがこれをどう見るかが非常に興味深いです。もしかしたら、40年前の私のように、このドラマを見て、何かを想う人がいるかもしれません。ただ、先週の木曜日の授業で「昨日『若者たち』というドラマを見た人?」と聞いたところ、1回生では0人、2回生、3回生が中心の授業でも、たった3人しか手を挙げてくれませんでした。手を挙げるのが面倒だったという人も多少いたでしょうが、若者のテレビ離れは急速に進んでいます。新聞離れを食い止めなければと思っていましたが、今やとりあえずテレビを見ようよと言わざるをえなくなっています。ネットをつないで、自分の興味あるニュース、映像のみ見ていたら、新しい知識は増えません。ドラマでもいいから見てほしいものです。そしてどうせ見るなら、この「若者たち」をぜひ見てほしいと思います。

506号(2014.7.12)JK撮影会?

 先日ゼミ生たちを連れて近江フィールドワークに行ったのですが、そこで奇妙な光景を見てしまいました。近江八幡の堀沿いを中年男性と若い女の子の二人連れが歩いていて、そこここで写真を撮っていました。最初はちょっと格好悪いお父さんと、お父さん似ではないわりとかわいい娘さんなんだなと思っていたのですが、聞こえてきた会話が、妙に遠慮気味に喋る男性と馴れ馴れしく喋る女性という感じで、まったく親子っぽくありませんでした。ゼミ生たちと「あれは親子じゃないね。どんな関係なんだろう?」と話していたら、前から同じような2人連れが歩いてきて、「あれっ?」と思っていたら、さらにまた1組という感じで何組も見てしまいました。これは商売なんだろうなと気づき、そう言えば、渋谷で「JKお散歩」といった商売が流行っていて問題視されているというニュースがあったことを思い出し、きっと「JK撮影会」というような商売があるのだろうと思って、ネットで検索してみたら、まさにその時見た様なサービスが提供されているサイトがすぐに出てきました。なるほど、これかと納得した次第です。

しかし、この時の、この商売との関わりは軽いすれ違いで終わりませんでした。うちのゼミが自由時間後に集合した場所が、なんとこの商売の方も集合場所にしていました。まずは、首から立派な一眼レフカメラをおじさんたち――40歳代くらいが多かったように思います――が56人いました。みなさんちょっと太り気味でファッションセンスはあまりなく、おとなしそうな感じの人ばかりで、互いに交流はまったくしようとしていませんでした。そこに、次々に短めのスカート姿の若い女性たちが現れ、こちらは「〇〇ちゃん、久しぶり〜。元気だった?」と楽しそうに話していました。そして真打登場という感じで、20代後半くらいの女性が現れ、おじさんたちと若い女性の双方に挨拶をした後、「それじゃあ、時間ですので、みなさんそろそろ出発してください。1時間です。よろしくお願いしま〜す」と言うと、いつのまにかペアになったおじさんと若い女性たちが動き出しました。ゼミ生たちの話だと、あるおじさんは1万円札を3枚出し、お釣りをもらっていたそうです。このサービスは1時間2万円以上の価格だったようです。「高い!」と思うのですが、そうでもないのでしょうか。資本主義社会においては、需要と供給があるところに様々な商売が成立することは頭でわかっていても、実際にそういう場面に出くわしてしまうと、やはり素直には受け入れにくいです。

505号(2014.6.23)「大学時代にしかできないこと」ってなんだろう?

 最近いい子になりすぎた感のある学生たちに対して、説教おじさんのように頻繁に説教くさい話ばかりしています。いい子の学生たちは誰も反論することもなく困ったような顔をして聞いています。何がそんなに不満なのかというと、貴重な大学生活を有意義に使っているように見えないからです。いろいろなことに意欲的に取り組んでいるように思えないのです。たとえば、ゼミで課題を出せば、まず全員期日通りにとりあえず提出してくれますが、本気で悩み調べ考えて提出してくれるレポートはほとんどありません。ゼミでの学び、卒論のための研究は、試験勉強ではありません。発表担当になっている日に発表するためだけに一夜漬けみたいに「勉強」して、形式だけ整えたレジュメを作って発表する、そしてどんなぼろぼろの発表であろうと、終わったら注射が終った後のようなすっきりした顔をしているのを見ると悲しくなります。もちろん大学の勉強なんて意欲的になれなくて当然じゃないですかと言われてしまいそうですが、私としては「ああ、まだこの子たちに学ぶことの楽しさをまったく気づかせることができていない」と思い、軽く落ち込みます。卒論に力を入れられないのが、何か他に本気でやっていることがあるためなら、まだ理解できますが、そういうわけでもなさそうです。そもそも遊びにだって、そんな力を入れている気がしません。なんか、みんな、なんとなく生きている感じです。就活以外に悩むことのない今どきの学生たちは、その悩みがなくなったら、毎日をどう過ごしているのでしょうか?アルバイト、LINE、動画サイト、2ちゃんねる、ショッピング、カフェめぐり、あと何をしているのでしょうか?

「悩みもなく、毎日を平凡に生きている、それでいいって、前に「つらつら通信」に書いていなかったですか」と言われたら、確かに書きました(「第145号 何も起きない幸せ(2004.10.23)」参照)。でも、あれは災害が続いた後だったし、それなりに人生を生きていった先には、というつもりで書いたものです。まだまだ発展途上で、可能性をたっぷり秘めた若者をイメージしてのものではありません。中学はよい高校に行くために、高校はよい大学に行くために通い、ようやく大学に入ったら、人生について考えたり、社会や政治について考えたり、自分という人間について考えたり、これまでできなかった様々な経験をしたり、そういうことができるところが大学だったはずなのに、今や大学もよい会社に入るために通うところになってしまった感じです。今どきの学生たちがそういう気持ちになってしまうのも、時代が生み出したもので半分仕方がないとわかっているのですが、それでももう少しあがくことはできるのでは、もう少し有意義に時間を使えるのでは、と最近の学生さんたちを見ながら思ってしまう自分がいます。貴重な大学時代、特に残すところ9か月となり、最大目標の就職も決めた4回生の学生さんは、今からでも意欲的に生きてみませんか?「日向ぼっこをする猫」になるのは2122歳がすることではありません。「大学時代にしかできないこと」があるのかどうかわかりませんが、とりあえず、そんなことも考えてみてもいいかもしれません。チャレンジをせず、自分の可能性を拓こうとせずに、特になんということもない現状に満足してしまっている学生たちに、喝を入れたい気分です。もったいないですよ。自分の限界を自分で勝手に決めず、何者かになろうと努力してみませんか?1回限りの人生です。たぶん、大学生活も1回限りですよね?今の日々の過ごし方で本当に満足ですか?後悔しませんか?ああでも、後悔って奴は、現在進行形ではできないですね。これはむしろ卒業生に聞いた方がいいのかもしれません。卒業した今、大学生活をもっとこうしておけばよかったと後悔していることはないですか?してない人は、どんな風に過したのでしょうか?

504号(2014.6.21)なるほど!

 ギリシア戦に負けて「もう終った」という空気が流れているサッカー日本代表ですが、実はギリシア戦で勝利するより引き分けの方がグループリーグ突破の確率は高いという論理が成立するようです。サッカーに詳しい10期生のMK君から教えてもらったのです(彼もあるブログhttp://www.plus-blog.sportsnavi.com/loversportss/article/46を見て気づいたそうです)が、もしも日本がギリシア戦でなんとか1点取って1-0で勝っていたとすると順位はどうなっていたかというと、1位のコロンビアは勝点6(得失点差4、総得点5)、2位はやはりコートジボワールで勝点3(得失点差0、総得点3)、3位は日本で勝点3(得失点差0、総得点2)、4位のギリシアは勝点0(得失点差-4、総得点0)ということになります。順位は今と一緒ですが、コロンビアのグループリーグ突破はまだ決まっておらず、ギリシアのグループリーグ敗退が決まっているということになります。そうなると、最終戦に何が起きるかというと、日本の相手のコロンビアは主力選手が本気モードで出場してくる一方で、コートジボワールの相手のギリシアはやる気を失った状態で試合をすることになります。コートジボワールがギリシアに勝つ確率は非常に高くなり、日本がそのコートジボワールの上を行く2位になるためには、本気モードのコロンビアに、コートジボワールがギリシア戦で得るであろう得失点差を上回る得失点差で勝たなければならないことになり、確率は非常に低いことになります。

 ところが、実際には日本はギリシアと0-0で引き分けたことによって、コロンビアのグループリーグ突破が決まり、ギリシアにも可能性が残されたわけです。そのため、コロンビアは、日本戦を試合に出ていなかった控え選手を多めに起用して調整試合として使おうとする可能性が高くなり、日本が勝つ可能性は主力選手がフル出場するであろうコロンビアに対する時よりははるかに高くなります。そして日本の上を行くコートジボワールは、勝てばグループリーグ突破の可能性があり必死になるギリシア(ギリシアの選手は、日本はコロンビアに負けるだろうから、コートジボワールに勝ちさえすれば、ギリシアがグループリーグを突破すると考えていることでしょう)を相手にすることになりますので、敗北あるいは引き分けになる可能性もかなり考えられます。コートジボワールとギリシアが引き分けた場合は、日本が2点差以上でコロンビアに勝っていれば、日本が2位となりグループリーグを突破できるわけです。ギリシアが勝った場合はギリシアとの総得点差の比較になりますが、現時点で2点、日本の方が優位に立っていますので、日本が2位になる可能性は高いわけです。特に、2点差以上つけてコロンビアに勝てば、ギリシアが日本の上を行く可能性は非常に小さいでしょう。

 このように考えると、ギリシアに勝ってしまった場合より、引き分けた現在の方が決勝トーナメントに行ける可能性が高いという論理が成立するわけです。「なるほど!」と思いませんか。まあ、そこまで計算して、ザッケローニも選手たちも、ギリシア戦を引き分けたわけではないと思いますし、ふたを開けてみたら、控え選手中心のコロンビアも強くて、勝点をとれませんでしたという可能性も高そうなのですが……。それでも、あと4日希望を持ちながら過ごせるのではないでしょうか。

503号(2014.6.2)秋元康の戦略はいかに?

 最近、秋元康が静かです。昨年の総選挙の速報発表があった時には、「指原の1位はないだろう」なんてコメントも発表していたのに、今年は何も言っていないみたいですね。岩手の握手会での事件に関しても何もコメントしてないみたいですし。総選挙を前に戦略を悩んでいるのかもしれません。昨年は大方の予想では、指原莉乃がそのまま1位になることはないだろうと思われていたのに、1位になってしまい、それはそれでドラマができ、さらにその指原をセンターに据えた『恋するフォーチュンクッキー』が大ブームを呼ぶという、たぶん秋元康の予想以上の結果を生み出しました。しかし、今年このまま指原が2連覇してしまったら、もう何の新鮮味もないし、2匹目の『恋するフォーチュンクッキー』は難しいでしょうから、このままでは、ただのどんでん返しのないつまらない物語になってしまいそうですので、これを阻止すべきかどうかを悩んでいるのではないかと思います。AKBの総選挙は一応「ガチです」と言っていますが、開票作業が一般に公開されているわけではないので、操作は容易でしょう。ここ2年のじゃんけん大会の怪しさを見ても、秋元康と運営の意向が結果を操作している可能性は小さくないと思います。無理なくドラマチックにするためには、渡辺麻友が念願の1位獲得というのが、ベターなシナリオでしょう。でも、そういう結果になったら、AKB総選挙はガチではないと思って間違いないような気がします。指原がこのまま逃げ切るという、つまらない物語になれば、ガチと判断していいような気がします。1位以外は秋元康もあまり気にしていないでしょうから、操作があるとしたら「1位 渡辺麻友」だけでしょう。指原の連続1位を阻止するという仕込みをするかどうかが、今回の総選挙のひとつの見所です。

502号(2014.5.28)顔は浮かぶのに、名前が出ない!

 上記のタイトルを読んで「ある、ある」と思った人は多いと思います。年配者だとこういう状況に出会うと、「やっぱり歳なのかなあ」とか、続けて思ったりするのではないかと思います。我が家でも妻がよくそんなことを言います。しかし、私は「別にタレントの名前なんか出なくても歳とかではないんじゃないかなあ。若い時も、こういう経験はよくあったように思うし」とあまり気にしていませんでした。でも、名前が出ないと会話もしにくいし、確かに気持ちは悪いなあとも感じていました。

今朝も小西真奈美という女優さんの名前が二人とも出ず、「ほら、あの『踊る大捜査線』でスナイパーとかやっていた人……」とか言いながら、しばらくしてようやく名前が出て「そうそう、小西真奈美だ」と、胸のつかえが下りたような気分を軽く味わいました。で、それから考え始め、ふと気づいたのですが、この「顔は浮かぶが名前が出ない」という人にはある種のパターンがあるのではないかと思います。結論から言ってしまうと、役者さんでいつも主役というわけではないけれど、結構よく見かけるという人に多いのではないかと思います。役者さんをわれわれがTVや映画で見るときは、いつも役名で呼ばれていて、役者さんの名前で呼ばれるのを見る機会はあまりないわけです。出演者リストは出ますが、そんなものはあまり真剣に見ないでしょうから、顔と役名の方が役者本人の名前より結びつきやすくなります。有名な役者さんで私が結構すぐに名前が出てこない人に、堺雅人もいます。「半沢直樹」とか「リーガルハイ」なんてワードが、彼の顔とともに浮かんでしまいます。顔が浮かんでも名前が出ないというのは、役者さんたちに関しては起こりやすいのは当然で、決して歳のせいではないだろうと思います。

歌手の場合はグループでない限り、顔と名前は一致しやすく、「顔は浮かんでいるのに名前は出ない」というパターンにははまらないはずです。松田聖子も郷ひろみも中島みゆきも井上陽水も顔に名前が書いてあるのではと思うくらい、顔と名前が一緒に出てきます。小泉今日子のように現在役者になっている人でもかつて歌手としてデビューしてその期間に名前を覚えた世代にとっては、やはり名前が出やすい人になります。グループのメンバーだったり、一人なのにグループのような名前をつけている人の場合は、やはり個人名は出にくくなります。

芸人も、この法則に当てはめれば、ピン芸人かコンビかによって名前の出方は当然変わることが簡単に理解できます。タモリ、明石家さんまなんて名前が出ない人はまずいないでしょうが、「キングコングの……」とか「アンジャッシュの……」とかはよく起こるわけです。コンビ芸人も個人の名前を覚えて欲しければ、「宮迫です!」みたいに、個人名にリズムをつけて連呼していれば、覚えられやすくなります。

結局、顔が出ている時に、その名前がどのくらい呼ばれているかで、記憶装置への留まり方が違うというだけの話であって、役者さんの名前が出ない程度ならたぶん何の心配もないだろうと思います。しかし、有名な個人歌手名やピン芸人名が出なくなったら、ちょっと危ないかもしれませんね。

501号(2014.5.16)意図せざる結果としてのゼミ内恋愛(男女交際)の多発

 私のゼミでは「ゼミ内恋愛禁止」を唱っているのですが、最近妙にカップルが増えてきています。まあ付き合ってしまったら「別れろ」というのも無粋なので、結局黙認ということになってしまいます。私としては、男性、女性ではなく「ゼミ生」として、性別関係なしに付き合ってもらうことによって、妙な遠慮がなくなり、よい雰囲気のゼミができあがると考えての「ゼミ内恋愛禁止宣言」なのですが、このルールを知っているにも関らず、ゼミ生同士で男女としての付き合いが私に隠れて始まってしまいます。むしろ、最近は他のゼミよりカップル率が高いような気がします。なんでこうなるだろうと不思議に思っていたのですが、ふと気付きました。私の方針が意図せざる結果として、恋愛(男女交際)を多発させているのではないかと。

単純に考える人は、「禁止」が逆に気持ちを燃え上らせるのではと思ったかもしれませんが、私の解釈はそうではありません。むしろ、性別関係なしに付き合いよい友人関係になってほしいという私の狙い通りの方針がうまく行けば行くほど、現代においては恋愛(男女交際)が生れやすいということなのではないかというのが、私の解釈です。私たちが学生時代には、友だちになる異性と、恋愛対象になる異性ははっきり分けていました。私はその私の価値観に沿って方針を打ちだし、友達感覚になれば恋愛は成立しにくくなるだろうと思っていたわけですが、現代の学生の恋愛は、むしろ友達感覚の延長線上の方が始まりやすい時代になっているのではないかと思います。交際相手との間にドキドキする感情より、まったりした落ち着ける感情を求めているのではないかと思います。うちのゼミでは男子も女子もその長所も短所も全部さらけ出せるような付き合いになります。ある意味隠すところがない関係になってしまいます。そういう風にわかり合えている同士であれば、付き合っても互いに楽にいられますので、交際相手として望ましいということになるわけです。つまり、私の方針が成功すればするほど、今の時代においては恋愛(男女交際)が誕生しやすくなるというわけです。まさに意図せざる結果です。

こうやって分析してしまうと、これからもいい雰囲気のゼミになればなるほど、ゼミ内恋愛関係は発生しやすくなると予想せざるをえません。しかし、それが嫌だからといって、これまでうまく行ってきたやり方を変えるつもりもありませんので、ちょっとしたジレンマです。結局、交際が発覚したカップルにいつも言っている、ゼミの時にはカップル行動は取らないこと、なるべく卒業までは別れないこと、万一別れることになっても引きずらずに、ちゃんと元のように普通の友達関係に戻ること、これらをちゃんと守ってくれるなら、ゼミ内恋愛にも目を瞑るという方針で行くしかないのかもしれません。でも、本当に守ってくれるかどうか疑わしいので、やはり「ゼミ内恋愛禁止」のルールはまだ続けます。

500号(2014.5.11)ついに達成!

 ちょうど500号なので、500号達成のことかと思われそうですが、そうではなく、日本に現存する12の天守閣――「現存12天守」と呼ばれています――をついにすべて訪問できたという話です。江戸時代以前から壊されずに残っている天守閣は以下の12城です。青森県の弘前城、長野県の松本城、福井県の丸岡城、愛知県の犬山城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、岡山県の備中松山城、島根県の松江城、香川県の丸亀城、愛媛県の松山城と宇和島城、そして高知県の高知城です。(ちなみに、このうち国宝に指定されているのは、松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4城です。)47都道府県宿泊を達成した頃から密かに次の達成記録として狙っていました。今年になって、丸亀城と備中松山城を訪ね、ついに達成できました。まあ達成したからといってどうということもないのですが、記録好きな私としては、最後のピースがはまってジグソーパズルが完成した様な、静かな喜びを感じています。特に、最後の12城目となった備中松山城のある高梁市には過去5度も訪問していたにもかかわらず、お城にだけ行けていなかったので、ようやく満願成就という感じがしています。四国八十八箇寺をめぐるお遍路さんや、西国三十三箇寺をめぐる巡礼、あるいは百名山を登る人たちほど頑張った記録ではないですが、それなりに長く生きてきてあちこちに出かけた記録として自分なりには大切にしたい記録と思っています。さて、次は何の到達をめざすか、これからゆっくり考えてみたいと思います。

499号(2014.5.6)同期会

 先日2期生の同期会が開催されました。話題のアベノハルカス内のお店でということで楽しみに出かけていきました。少し早目に着いたのですが、写真などを撮っているうちに時間ぎりぎりになってしまい、急ぎお店に向かいました。エレベーターは混んでいそうだったので、エスカレーターで上がることにしましたが、お店が13階だったので、エスカレーターを急ぎ足で昇ったのですが、結局1分ほど遅れてしまいました。時間厳守を旨とする私としては失態だったのですが、お店に着いてみるとまだ2人しか来ていませんでした。7人参加ということでしたので、あまりの集まりの悪さと1分遅れたことを焦っていた自分が馬鹿みたいに思えてきました。

 私のすぐ後にひとり来た後、10分ほど遅れてきた人は、着くなり、遅れたことの詫びのひとつもなく、エレベーターがちっとも来なかっただの、梅田が混みすぎていただの、いかにも自分は悪くない、むしろ被害者であるようなことを話し出しました。正直その時点で「いい加減にしなさい。40歳も過ぎて、なんて常識がないんだ」と腹が立っていましたが、場の雰囲気を悪くしてはいけないと思い、その時は何も言いませんでした。しかし、私の機嫌が悪そうな感じはありありと伝わっていたようで、その時点で集まっていた4人は私に話題を振ることもなく、30分ほど不快な時間が流れました。心の中では「もう帰ろうかな」と結構本気で考えていました。30分ほど遅れて気が利く人が現れてから場の空気が変わり、その後はそれなりに楽しく過ごし、2時間後くらいにはざっくばらんな雰囲気になったので、最初の空気の悪さ、遅刻を詫びもしない姿勢のおかしさを全部語りました。

 「先生に久しぶりに説教された。この歳になると、なかなかそういうことをストレートに言ってくれる人がいないのでありがたいです」とか言っていましたが、正直最初から自分たちで気付けよなと思いました。大体、年齢の違う教師が教え子の同期会に参加するのはそれなりにハードルが高いものです。同い年の仲間ではないのですから、呼んだ限りはちゃんと話題を振ってくれたり、それなりに気を遣ってもらわないと居づらいものなのです。2期生だけではなく、この同期会に参加して居心地が悪かったという経験は、1期生、13期生でもありました。

 現役生との飲み会はいつも半分以上仕事と思っていますので、こっちから話題を振ったりということも積極的にしますが、卒業生との飲み会は私の仕事ではありませんので、そこまでのサービス精神を発揮しなければならない場だと思っていません。興が乗ればいくらでも喋りますが、最初にきっかけを作ってくれなければ、実に居心地の悪いものなのです。この文章を読んで「ああ、やっぱり先生はめんどくさい。これからは呼ぶのはやめておこう」と思う場合は、どうぞそうしてください。上手に気を遣うことのできない人間が一人もいない集まりには参加したくありません。

 ちなみに、この日の2期生の同期会は私が本音を暴露してからはおおいに盛り上がり楽しくなりましたし、次回はきっと最初からそれなりに気を遣ってくれるだろうと思いますので、また参加するつもりです(笑)。

498号(2014.4.27)ポスト桜(ソメイヨシノ)の街がいい

 春は花が美しい季節です。その代表格が桜(ソメイヨシノ)だというのは衆目の一致するところで、みんな桜の開花に一喜一憂します。もちろん私も嫌いではないですが、猫も杓子も(テレビも新聞も)「桜だ、花見だ」と言っているのを見ると、「ちょっとなあ……」と白けた気分になる自分がいたりします。むしろ、最近はソメイヨシノが散り、人々の宴会気分が落ち着いた後の街こそ、様々な美しい花が咲いていて楽しめる街なのではと思っています。

目線を少し上に向ければ、八重桜やハナミズキが、青空に淡い色合いの花を咲かせています。また最近私の家の近くには藤棚も作られており、これが数年前から美しさを増してきています。足下にはチューリップやパンジーも可憐な姿で咲いています。これからは、つつじと菖蒲の季節です。刈り込まれたつつじの低木が燃えるような紅やピンクや白に染まり、菖蒲の花は折り紙のような繊細な美しさを見せてくれるでしょう。4月の半ばから5月いっぱいは気候もよく、花も美しい1年で一番よい季節だと思います。

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今日は天気もよかったので思わず写真を撮りに出かけました。関大のキャンパスもたくさん花が咲いていて綺麗です。スマホばかり見ていないで、街に、キャンパスに目を向けてみませんか?

497号(2014.4.3)あっ、15年経っていた!

 なんだかバタバタしているうちに4月が来てしまい、ふと振り返ってみたら、このHP開設(199935日)から丸15年が過ぎていました。5年前には、10年経ったことをしっかり意識していて、ちゃんとその当日にHPに書いたのに、15年はぼうーーとしている間に過ぎてしまいました。まあ15年って盛大に祝うには中途半端な数ですので、気付かずに通り過ぎるくらいでもちょうどよいのかもしれないですが……。でも、HPとしては老舗の方でしょう。書いたものも全部プリントアウトしたら、相当な量でしょうね。すべて読んでいますという人はいるのでしょうか?たまに、自分でも忘れていることがあって、ふと見ていて、「ああ、こんなこと書いたんだ」となつかしく思い出したりしています。

 もともと、このHPはイギリスに在外研究に1年間行くことになっていたので、イギリスからの情報を発信したくて始めたのがきっかけです。また2年間ゼミを持たないこともあり、卒業させたばかりの6期生までの教え子たちとつながれる方法として開設しました。今なら、facebooktwitterskypeなどで簡単につながれますが、当時はまだLANにもなっていない電話回線を通してメールをやりとりするのがせいぜいの時代でした。(それでも1988年にアメリカに研修に行った時に比べたら便利になったものだと思いながら過ごしていました。)1999年の開設時からあるのは、「ゼミ生の声」「KSつらつら通信」「ゼミ史」などゼミに関するコーナーです。そして、イギリスからは「ロンドン便り」や戯曲「桜坂」と「紫陽花」などを発信しました。他のコーナーは20003月に帰国してから少しずつ増えていったわけです。

 あと何年続くのでしょうね。まあ気力がある限り、書きつづけたいと思っていますが……。自分自身でも忘れていた15周年ですが、小さな声で「おめでとう!継続は力だよ。頑張ろう!」と言っておきたいと思います。

496号(2014.4.1)「いつもお世話になっています」

 表題の言葉を本当にお世話になっている人が書くのはいいですが、長らく会っていない人、まったく会ったこともない人が使うのはおかしいと思うのですが、そう思う私がおかしいのでしょうか?確かに文章の書き出しは難しいと思いますが、世話したこともない人から「いつもお世話になっています」なんて言葉から始まるメールが届くと、「こいつ、心にもないことを言う奴だな」と密かに不快感を持ちます。長く会っていない人なら、「御無沙汰しています」で始めればいいし、初めてメールを書くのなら、「突然のメール、失礼いたします」とか「初めてメールを送らせていただきます」といった書き出しで十分でしょう。何も考えずに、いつも使っている仕事用メールのパターンで「いつもお世話になっています」とか書く人は言葉を大事にしない人間であることを証明しているようなものです。他にも、学生さんがよく使う書き出しでは、「お疲れ様です」というのがあります。これも、前日とかに飲み会等があって、「昨日はお疲れ様でした」といった使い方なら適切ですが、その学生としばらく会ってもいず、一緒に何かやったわけでもないのに、「お疲れ様です」とか書かれると、「知らんわ、君の疲れなんか」と密かにツッコミを入れています。そんなことで目くじら立てなくてもと言われそうですが、顔を合わせていない状態では、言葉でしか気持は伝えられません。まったく会ったこともない人から「いつもお世話になっています」なんて言葉で始まるメールが届くと、一瞬どこかで会ったかなと私はまじめに考えてしまいます。もっと言葉は適切に使ってほしいものです。

 ちなみに、書き出しだけでなく締めの言葉も社交辞令が飛び交いやすいところですよね。「ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」、「お身体御自愛ください」、「お近くにおいでの際はぜひお立ち寄りください」等々。まあ、書き出しほどの違和感は持たずに社交辞令として読んでいますが、私個人は本気でそう思う人にしか、そういう言葉は書きません。自分が昔転居通知を作った時にも、「ぜひお立ち寄りください」なんて書かなかったし、そう書いてある転居通知を見る度に、本当に立寄ったらどうなるんだろうなんてちらっと考えたりしてしまいます。面倒くさい人だなと思われても構いません。言葉は思いを伝えるものとしてもっと大切しようと訴えたいと思います。社交辞令なんかに逃げていたら、TPOに応じた適切な表現力が身に付きませんよ。

495号(2014.3.31)「伊達マスク」だったのか!

 ネットニュースを見ていたら、「若者に多い伊達マスク」というタイトルがあり、気になって見てみました。「伊達マスク」とは、咳やくしゃみの迷惑防止、花粉防止、保湿効果などの本来の目的ではなく、ファッション(?)、仮面、コンプレックス隠し(すっぴん隠し)、コミュニケーション忌避、などの理由でマスクをすることを言うそうです。そして、そういうマスクの使い方をする人が若者に増えているのだそうです。この記事を読んで、「そういうことだったのか!」と合点がいきました。というのは、1年数か月前に、1回生の少人数クラスで経験していた事実があったからです。5名のグループの発表だったのですが、そのうち女子2名と男子1名がマスクをしたまま発表していたので、声もこもって聞きにくいし、特に咳やくしゃみも出ているわけではなさそうだったので、「聞き取りにくいから、マスクをはずして喋ってくれないかな」と言ったところ、男子1名はマスクをはずそうとしたのですが、女子2名がまったくはずそうとしなかったため、男子1名もまた慌ててマスクをつけ直し、結局3名ともそのままマスクをし続けて発表したということがありました。想定外の若者の行動に不快感が納まらず、当時のゼミ生たちに「こういうことって、ありなのかな?」と尋ねたものでした。ゼミ生たちには、私に気を遣ったのかもしれませんが、「それはありえないですね」とみんな言ってくれて、「やっぱりそうだろう」と安心したものでした。しかし、その後見ていると、翌年の少人数クラスでもマスクしたまま発表する学生はいました。なんかもういちいち注意するのも面倒になってきてしまい、もう気にしないでおいた方がいいのかなと思うようになり始めていました。今回の記事を読んで納得が行きました。若者たちの「新マナー」の中では、マスクをしたままコミュニケーションを取るのは「あり」になりつつあるんですね。かつて女子学生がジーンズを履いて授業を受けるのを認めず教室から出て行かせた外国人教師がいましたし、最近まで帽子をかぶって授業を受けるのを認めず「帽子を取りなさい!」と注意する年配の先生も結構いました(まだいるかもしれません)。私は、ジーンズはもちろん(笑)、帽子も構わないと思っていますが、この「伊達マスク」にはまだ抵抗が強いです。なんでもかんでも若者に合せるだけがいいわけではないでしょう。今回記事を読んで改めて「伊達マスクは認めない」と言い続けようと心に決めました。海外では、正当な理由でのマスク使用ですら、不審者扱いをされたりします。顔を半分近く隠すマスク装着行為は、余程の必要性がない限りすべきではないと思います。

494号(2014.3.30)「笑っていいとも!」終了に思うこと

 32年続いた長寿番組「笑っていいとも!」がこの3月末で終るということで話題になっています。私も長らく見ていなかったのですが、最後は見ておこうかなと思って、最近は録画して飛ばしながらも見ています。改めて見ても「可もなし不可もなし」という感じですごくおもしろい番組だという印象ではないですが、昼時に昼食でもとりながら軽く見るには合っている番組なのでしょうね。32年間平日は毎日続けてきたということで「タモリさん、すごい!」と言われていますが、考えてみると、働いている人で32年間以上平日は同じ場所に通い続けている人はたくさんいるはずです。比べるのはおかしいと言われてしまうかもしれませんが、無名の人で同じくらい長く同じ作業を飽きもせずにやりつづけてきた人がいたら、やはり「すごいですね」って言わないといけないのではと思います。栄枯盛衰の激しいテレビ業界ですので、32年続いたこと、最近のタモリは毒気が抜け好印象を与えていること、数々の若手お笑い芸人がこの番組からメジャーになっていったことなどは、やはりそれなりに評価しないといけないのでしょうが、タモリが月〜金で新宿アルタに通い続けたことが偉いと言われると、一般のおじさんも偉いともっと言ってもらってもいいのにと思ったりしています。明後日から新年度で、これから社会人生活を始める人もたくさんいると思います。そういう人たちにとって30年間以上同じ仕事を続けるなんてことは、今は想像もしにくいことでしょう。でも、目の前の課題をひとつずつ片付けていく間にいつのまにか時は経つものです。私も大学教師として、4月から32年目に入ります。長くなったものです。でも、結構毎年4月は新鮮な気持で迎えられています。私の仕事柄ということもあるかもしれませんが、たぶん長く続けている人は、そこに何か新しいもの、新鮮なものを常に見つけながら日々を過ごしているような気がします。

493号(2014.2.16)カーリングがおもしろい

 ソチ冬季オリンピックが連日放送されていますが、私が一番見ているのはカーリングです。カーリングは8年前のトリノで「カー娘」として有名になりましたので、今頃ですかと言われそうですが、あの時は「本橋選手がかわいい」といったような話題が先行していたので、そんなミーハーにはならないぞと妙に突っ張ってほとんど見ませんでした。今回はわりと見やすい時間に放映されていることもあって、なんとなく見ていたら、クイズのような緻密な作戦と投げる際の微妙な力加減やスウィーピング加減によるストーンの動きなどにはまってしまいました。今日のスイス戦を終えて34敗になりました。後は、上位2か国ですので、準決勝進出は難しいのかもしれませんが、カーリングという競技は何が起こるかわかりません。1投のミスで局面が大きく変わったりします。頭脳と技術のいるゲームでやってみたくなりました。カナダでは、ボーリング感覚でやっているところもあるそうですが、日本でもどこかでできるのでしょうか?素人でもそれなりに楽しめそうな気がします。なお、真剣な表情で取り組む選手たちは、確かに美しくみえるなあというのもよくわかりました()

492号(2014.2.13)長寿は幸せなのだろうか?

 最近、東京の高齢化が今後急速に進んでいくといったニュースや認知症の人を取り上げたテレビ番組を見ながら、「長生きをするというのは幸せなのだろうか?」という疑問が湧いてきています。確かに、「長寿社会」というのは、豊かで衛生面もよいからこそ可能なものであり、そういう社会になっていることは外向けには誇り得ることでしょうが、リタイアし年金生活になる65歳以上の高齢者が人口の3分の1を占める日も近いとか、そのうちの半分は認知症発症率が非常に高い後期高齢者になるという話を聞くと、内実は大変なことになると思わざるをえません。マクロに社会を見た場合、実は多くの人があまり長生きをされると困るわけです。しかし、どの人も早く亡くなることは悲しいことですので、助ける手立てがある限り、本人も周りの家族もそして社会もなんとか生きよう、生きさせようと努力します。結果として長寿社会が現出するわけです。あまり誰も指摘していませんが、これも「社会的ジレンマ」(個人的な合理的行為選択が、集団全体としては不合理な結果を導く状態)と言えるのではないでしょうか。

 私も最近は己の人生の終り方について時々考えるのですが、ボケて人に迷惑をかけながら生きたくはないということだけは強く思います。人を人たらしめているのはやはり脳であって、その脳の機能が狂い始め、自分を自分たらしめていたようなこと――私の場合なら、こんな風にものを考えたり書いたり話したりといったことでしょうか――ができなくなってしまったら、もう人生は終ったようなものだと思わざるをえません。しかし、現代の医学では脳の寿命が尽きかけていても身体そのものの機能はまだ十分に維持されたりしているのでやっかいです。数十年前までは、脳の寿命よりも身体の寿命が先に尽きる人の方が圧倒的に多かったと思いますが、今は必ずしもそうは言えないだろうと思います。現時点でも、軽度の認知症である予備軍を含めれば65歳以上の高齢者の15%、400万人以上いるそうです。記憶力も思考力も徐々に衰えていくのはある程度は仕方ないことでしょうが、周りを困らせるようなレベルになったら、生きているのはつらいなあと個人的には思います。

 しかし、現状ではそういう人が確実に増えることが予想されるわけです。人生にも定年制があればどうだろうかなんてこともふと思います。人生80年定年でそれ以降は生きたい人は生きてもいいけれど、自分の人生を閉じたい人は閉じてもいいなんてルールを導入することはできないでしょうか?ベネルクス3国やスイスでは安楽死が法的に認められています。たぶん安楽死は不治の病に侵され痛み等に耐えきれないといった場合がほとんどでしょうから、私のアイデアはもっと過激なものになってしまいますが、致死量の薬が医師から合法的に処方してもらえるというのはいいなと思います。まあ管理がしっかりしていないと、処方された人以外が使うといった事件も起きそうですが。死ぬということをマイナスにしか受け止めにくい社会ですから、こんな私の考えは暴論としか思われないでしょうが、個人的には80歳まで生きられたら、あとは致死量の薬をもらっていつでも自分の人生を閉じられるように準備しながら生きたいなと思います。

491号(2014.2.11)おつくりいかがですか?

 表題は、某書店で買い物をした時に若い女性店員さんから言われた言葉です。「お造り、いかがですか?」と思いますよね。何を言われたのかわからず2回聞き返してしまいました。3回目に「ポイントカードを……」と言ったので、ようやく「お作りいかがですか」と言っていたのかと気づきました。そう言えば、支払いをする時に、「ポイントカードはお持ちですか?」と問われ、「持っていません」という会話をした後の「おつくりいかがですか?」でしたので、店員さんはわかると思ったのでしょうね。でも、やっぱりおかしいですよね。「お作りになりますか?」とか「お作りいたしましょうか?」とか言うべきところでしょう。妙な丁寧語は意味がわからなくなります。こういう店舗での奇妙な丁寧語は「1万円からお預かりします」など、しばしば話題になりますが、「おつくりいかがですか?」は新種でしょう。注意するのも偉そうでよくないかなと思い何も言いませんでしたが、早く同じ店舗の人が気づいて直してあげるといいのにと思いながら、お店を後にしました。

490号(2014.2.11)日本と中国が戦争をする可能性は小さくないのでは?

 昨年くらいから秘かに思っているのは、日本と中国の間でこの数年以内に戦争が起こる可能性は小さくないのではないかということです。もちろん全面戦争ではなく局地戦争のイメージですが。紛争の焦点となるのは尖閣諸島問題です。中国がもしも尖閣諸島を実効支配しようとしてきた時には、日本は――安倍内閣であれば――確実に自衛隊を出動させ実力で阻止しようとするでしょう。そこで互いに武力行使が行われ、戦端が開かれるという予測です。

こういう領土をめぐっての局地戦は戦後社会において何度も勃発しています。中東では頻繁に起っており若い人も知っているでしょうが、1982年に起きたフォークランド紛争はご存知ですか?アルゼンチン沖のフォークランド諸島の領有をめぐってイギリスとアルゼンチンが約3か月にわたって戦い、両軍合わせて900名以上の死者を出しています。島の領有権をめぐっての戦争という点で、尖閣諸島問題とも類似点が多いです。また、中国は、インド(1962年)、ソ連(1969年)、ベトナム(1984年)とそれぞれ国境をめぐって戦争をしており、国境をめぐって戦争することに躊躇のない国です。日本にはこれまでバックにアメリカがいるという意識があり、簡単には手を出しにくいという印象を持っていたかもしれませんが、中国がアメリカとの関係を良好にしつつあるのに対し、日本は安倍首相の靖国参拝問題などでアメリカの覚えもめでたくなくなりつつあり、アメリカが尖閣諸島問題に対しては中立の立場を取るだろうと、中国が判断した時には実効支配という手に打って出る可能性はかなりあると思います。中国は個別日本との戦争なら軍事力で負けないという自信を確実に持っているでしょう。

さて、もしもそういう行動に中国が出た時に日本がどうするかですが、かつて1953年に竹島を韓国が実効支配した時のように抗議の声をあげるだけで実力行動を起こさないということにはならないと思います。当時は、まだ第2次世界大戦の傷跡も深く、戦争に対する忌避感が国民全体に浸透していましたので、小さな島ひとつで武力行使などできない――そもそもまだ自衛隊ではなく保安隊と言っていた時代で十分な戦闘能力ももっていませんでしたが――という空気だったろうと思います。しかし、今は違います。国を守ることを前面に出す都知事候補が、東京だけで60万票以上票を獲得する時代です。もしも尖閣諸島が実効支配されたら、実力で排除すべしという声が高まるのは確実です。とはいえ、できたら戦争したくないという気持ちを持つ人がまだ多数派でしょうから、アメリカ軍が排除してくれないかなと期待する人が一番多いでしょう。ただ、アメリカは最初の時点では介入してこないのではないかという気がします。中国との関係が悪くない今、アメリカにとって、尖閣諸島が日本のものであろうと、中国のものであろうと、平和であればいいというのが本音なのではないかと思います。特に日本の味方になってくれるとは思えません。こう分析してくると、やはり日本は中国と戦わざるをえなくなるという結論にたどりつくわけです。

実際戦争が始まったらどうなるでしょうか?今の両国の軍事力、士気から言って、日本が独力で勝つことは難しいように思います。負けて尖閣諸島を取られる可能性も高いように思います。日本にとってましな落としどころは、アメリカが仲介役に立って、尖閣諸島は両国の共同統治にするといったところでしょうか。それでも、現在の尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しないという立場からは大きく後退することになります。つまり、中国との戦争になったら、日本はかなり不利な状況に追い込まれることになります。中国がそういう行動に出ないようにするためには、巧みな外交戦略――特に日米関係のさらなる緊密化(というよりアメリカの支配下に入るくらいのプライドを捨てた関係)――が必要でしょうが、「日本の誇り」やプライドが高まりつつある今、それもまた難しいように思います。戦後70年が近づいてきていますが、やはりこれだけの時間が経つと、前の戦争の記憶――記録ではなく――は消えてしまい、再び人は戦争をしてしまうものなのかもしれません。

489号(2014.1.31)イッキ飲みは実は誰も楽しんでいない学生文化

 昨日行った卒論発表会で、飲酒文化について研究した学生の発表を聞きながら、「イッキ飲み」というのは大学時代にのみ成立する文化なのかもしれないという疑問が湧き、学生たちと少し話してみました。「イッキ飲み」自体は、1980年代前半から登場していますので、「イッキ飲み」を学生時代に経験した一番上の世代は50前後になっているはずです。体育会系に入っていて結構な年齢のOBも参加する飲み会をやっている学生に、そういう年齢のOBは「イッキ飲み」をするかと問うたところ、「もちろんそんなことはしないです」という答えでした。むしろ、そんな年齢層のおじさんたちどころか20歳代の先輩たちでもまずしないようです。他の学生も「卒業した先輩はまずしないです」と口々に言いました。ある女子学生が、「でもホストクラブではやっていますよね?」となかなかおもしろい発言をしましたが、考えてみると、ああいうお店はお酒をどんどん飲み飲ませ、それで儲けているお店ですから、商売としてやっているのでしょう。商売と関係なしに、こんな「イッキ飲み」などいう飲み方をしているのは、やはり大学生だけなのではないかという思いは強まってきました。現代(1980年代前半頃から)学生文化の特徴である「広く浅いコミュニケーション」を演じるのにちょうどよい慣習なのでしょう。

1970年代までは、学生たちは飲むとよく議論していました。決して政治ネタばかりでなく、男と女のことなども。大学紛争が終わってから大学生になったわれわれ「しらけ世代」もお酒が入った時はよく議論していました。曰く「共産党が政権を取りそうになったら、1票入れるか?」曰く「男と女の間に友情は成り立つか?」こんなテーマで、延々議論していました。でも、今はそういう議論をする奴はめんどくさい奴と思われたりしますからね。とりあえず、場の空気に合せて、「ノリ」に乗っておけば軋轢を起さずに時間が過ぎて行き、友達にも悪印象を与えずに済む、そんなところでしょうか。でも、卒業したら、途端にやらなくなるというのは、実は大学時代から、学生たちも「イッキ飲み」なんて楽しいものではないということに気づいているのではないでしょうか。しかし、人数が多いとみんなで議論することもできないので、とりあえず頭も使わずに全員が場を共有できるものとして行われているのだと思います。頭を使えば、20人どころか120人でも、その場に一体感を生み出すことは可能です。そもそも始終一体感なんか作り出さなくてもいいように思います。20人が4〜5人ずつに分かれて議論してたっていいじゃないですか。政治ネタで議論できなくても、男と女の話やら、最近の事件や流行、映画やドラマなど、語り始めたら語れるテーマはいっぱいあるでしょう。実は誰も楽しいと思っていない「イッキ飲み」などという学生文化は消えてなくなっていいと思います。うちのゼミでは、昔から「イッキ飲み」は絶対にさせませんが、ちゃんと一体感も作り出せますし、楽しい飲み会もできます。大学生なら、議論を肴に飲めるようになってほしいものです。

488号(2014.1.24)ハビトゥスを実感

「ハビトゥス」とはフランスの社会学者ブルデューが提起した概念で、「人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向」を言います。特に、各家庭で子どもが育つ中でいつのまにか身に着ける文化習慣や価値観などが中心となります。まあこの概念が登場する前から、こういう世代間継承が行われることは、子育てをしてきた人はみんな気づいていたことだと思いますので、別にこの概念の魅力を語りたいわけではありません。書きたくなったのは、わが家でもこうした継承が実感できるようになってきたなと思ったからです。特に、お正月という伝統行事の多い時期に、それを実感しました。

今年は人生で初めて大阪で娘と2人でお正月を過ごすという生活をしたのですが、娘がきっちりとおせち料理を作ってくれたので、お正月らしいお正月を過ごせまP1011115 (640x480)した。右がその写真です。2人分なので豪華なP1011114 (640x480)お皿に盛りつけることもしていないので、それほどのものに見えないかもしれませんが、「鮭の昆布巻き」「大えび」「蒸し鶏」「松前づけ」「きんぴらごぼう」「なます」「かずのこ」「筑前煮」はすべて手作りです。わが娘ながら、大学を出て1年目、23歳になったばかりで、この料理の腕はたいしたものだと感心したのですが、なぜ面倒くさがらずに手間をかけて(2日間くらいかけていました)、こういうことをしてくれるのかと問えば、「ずっと、おばあちゃんのうちで、おいしいおせち料理を食べてきたから、やっぱりお正月は手作りのおせちがないと始まらない感じだから」という答えでした。ああ、こうやって文化は継承されるんだなとしみじみ思った次第です。おそらく、子ども時分には、おせち料理なんてあまりおいしいと思わなかった時期もあるかもしれません。でも、親の意向に付き合っているうちに、こういうことは大切にしないといけないのだと思ってくれるようになったようです。他にも、年賀状を書く習慣もちゃんと継承されていますし、寺社や歴史的町並みを散策したりするのもいつのまにか好きになってくれているようですし、小説を読むのも好きなようです。食の好みも、私が和食党なので、娘も和食党になっています。特に押しつけたつもりはないのですが、こういうことは大切だと思う、素敵なことだと思うと自分で思えるなら、多少子どもが興味がなさそうでも付き合わせるのは悪いことではないのではないかと思います。子どもの好きなことに合せてばかりでは、子ども自身も視野が広がりません。もちろん、生れ育つ時代が違いますので、いくら親が大切だと思っていることでも継承されないこともたくさんあると思います。そこは、子どもが自分たちで取捨選択をしていくでしょう。しかし、とりあえず親がいいと思えるものは子どもに経験させておくというのは大事なことだと改めて思った次第です。

487号(2014.1.23)「明日、ママがいない」は打ち切りにした方がいい

 芦田愛菜が大人顔負けの演技を見せる「明日、ママがいない」というドラマですが、児童養護施設や里親を極端に描き、誤解を生むとクレームをつけられています。第1話を見た時は、確かに問題はあるけれど、芦田愛菜のあまりに見事な演技力に批判よりももっと見たいと思う意識が強く打ち切りにならなければいいなと思ったのですが、第2話を見たら、ストーリーは単純なくせに妙に芦田愛菜にあざとすぎる演技をさせる脚本で、なんかもういいやという気分になりました。ちょっとやりすぎです。「mother」の時の芦田愛菜は、子どもらしさもありつつも、時折見せる大人顔負けの感情表現に感動したのですが、今回のドラマは、ひたすら芦田愛菜から子どもらしさを奪い取りすぎています。見ていてつらい感じがします三上博史の舌打ちも不快です。やはり、野島伸司脚本(監修)では、坂元裕二脚本のようなドラマはできないのでしょう。スポンサーも降りはじめているようですし、名女優・芦田愛菜のためにも、このドラマは打ち切りにした方がいいでしょう。

486号(2014.1.8)「鞆の浦慕情」

 ネットニュースを見ていて偶然気づいたのですが、本日AKB48に所属する岩佐美咲という歌手が「鞆の浦慕情」という新曲を発表していました。作詞は当然秋元康です。これが多少売れてテレビでも歌う機会が増えたりすると、何度目かの鞆ブームがやってくるかもしれません。歌詞には、鞆港の歴史的遺産である常夜燈、雁木、焚場、波止、船番所が詠みこまれ、MVでは鞆の浦の随所で撮影が行われています。宮崎駿が「崖の上のポニョ」を作るにあったては、埋立・架橋反対派の人たちが宮崎駿に働きかけることでできたと聞いており、福山市は協力的でなかったようですが、今回の「鞆の浦慕情」に関しては、福山市も市のHPでも紹介しており、全面的に協力しているようです。もしかしたら、市の企画として、秋元康に話を持ち込んだのかもしれません。だとすると、福山市も鞆に関する基本方針を大きく変えたのかもしれません。無理に、埋立・架橋計画を進めるよりも、観光地としての鞆を全面的に売っていこうとしているのかもしれません。そうなると、ずっと市が認定申請をしてこなかったためなれていなかった重要伝統的建造物群保存地区に、鞆がなる日も近いかもしれません。今日は、たまたま「社会学総論」の授業で鞆の話をしたところで、このニュースを見たので、なんだか不思議な気分です。ちなみに、この「鞆の浦慕情」のMVは、今YOUTUBEで見られますので、ぜひ一度ご覧ください。