Part11

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<目次>

第394号 ゲシュタルト心理学で説明できるAKB48の魅力(2010.12.18)

第393号 朝日新聞にがっかり(2010.11.28)

第392号 歌舞伎界にはなぜ甘いのか?(2010.11.26)

第391号 「タイヤキ娘さん」との再会(2010.11.2)

第390号 べらぼうに忙しい(2010.10.28)

第389号 「崇」と「祟」(2010.9.20)

第388号 銀婚式(2010.9.19)

第387号 現代日本人が答えを持つべき3つの歴史的問い(2010.9.7)

第386号 パラサイト・ポリティシャンが日本をだめにする(2010.9.2)

第385号 2010年夏総括(2010.8.27)

第384号 うまくできました(2010.7.20)

第383号 独自の参議院選挙総括と今後の読み(2010.7.11)

第382号 ベストゲームを生みだした要因(2010.6.25)

第381号 どこまで本気でやる気なのだろうか?(2010.6.18)

第380号 芦田愛菜ちゃんがすごい!(2010.6.17)

第379号 目先の勝利より大事なものがあるのでは……(2010.6.13)

第378号 名古屋歴史散策(2010.6.5)

第377号 暗雲漂う岡田ジャパン(2010.6.5)

第376号 感慨深い(2010.6.4)

第375号 自滅に向かう姑息な民主党(2010.5.15)

第374号 吉川ひなの的「大人かわいい」批判(2010.5.14)

第373号 最近の結婚式に関する疑問(2010.5.9)

第372号 歌とは言葉である(2010.4.30)

第371号 時効廃止って……(2010.4.27)

第370号 ひとりひとりが考えよう!(2010.4.26)

第369号 等身大の視点だけでは……(2010.4.25)

第368号 もう日米安保条約を廃棄するしかないんじゃないの?(2010.4.19)

第367号 万博公園・鉄鋼館に行こう!(2010.3.30)

第366号 トモダチコレクションってなに?(2010.3.29)

第365号 長崎をさるく(2010.3.10)

第364号 政治の中身を見よう!(2010.3.3)

第363号 貴乃花が救世主?? (2010.2.1)

第362号 知っていましたか?(2010.1.29)

第361号 最近、大学生が刺激的な存在ではなくなってきたような……(2010.1.22)

第360号 頑張れ、関大野球部!(2010.1.9)

第359号 年頭に思ったこと(2010.1.7)

394号(2010.12.18)ゲシュタルト心理学で説明できるAKB48の魅力

 今年社会現象と呼べるまでに大ブレークしたAKB48について語ってみたいと思います。私は、つい2ヶ月ほど前までは「AKB48なんてどこがいいかわからない。K-POPKARAや少女時代の方がはるかにレベルが高い」と思っていました。しかし、11月にNHKで放送されたAKB48の特集を見てから、考え方が変わりました。確かに、踊り歌っているAKB48は魅力的だと見えるようになりました。なぜ見方が変わったのかを自分なりに分析してみました。まず、これまで歌番組で1曲聞くぐらいで、間のトークなどはおもしろくもなく、喋っている彼女たちは特に注目してみたくなる存在ではありませんでした。しかし、NHKの特集は、これまで出したすべての曲で歌い踊るAKB48の姿を紹介するものでした。厳密に言うと、NHKの番組に出演した時の彼女たちの映像を視聴者リクエストランキング形式で少しずつ紹介するものでした。それでも、確かにその番組でのAKB48は輝いていました。なんでそう見えたのでしょう。何度も繰り返し映像を見ながら、ついに、AKB48の魅力はゲシュタルト心理学的説明がもっとも説得力があることに気づきました。ゲシュタルト心理とは、人は視覚的には、部分より全体像を把握しがちであるという心理を言います。たとえば、ドットで描かれたモナリザは近づいて個々のドットがよく見えるようになると、モナリザには見えず、ただたくさんの点があるとしか見えませんが、全体像が見えるまで離れて見たら、すべての人が美しいモナリザの肖像が描かれていると思うわけです。AKB48の魅力もこれと同じ心理が働いているのだと思います。NHKの特集を見るまでの私は、AKB48の女の子たちの1人1人を見て、「なんだ、今ひとつじゃないか」と思っていたわけですが、その同じ子たちが息を合わせて集団で踊り歌っている姿をしっかり見ていたら、まったく別物に見えてきたのです。個々1人1人の輝きの足し算ではなく、集団でパフォーマンスを見せることで、足し算では出てこない輝きや魅力が出てくるのです。まさにゲシュタルト心理のたまものです。AKB48の仕掛け人である秋元康は賢いです。そういう魅力の示し方がわかっているのでしょうが、その魅力を消さないように、踊り歌う時はメンバーの個性が出過ぎないように、ファッションもほぼ似たものにし、ソロパートも多く入れすぎないように気をつけています。

ちなみに、グループはみんなこういうゲシュタルト心理によって魅力的に見えているかというとそうでもないと思います。56人のグループなら、むしろ個々の個性がしっかり出るようになってからの方が人気が出てくるというケースの方が多いと思います。嵐の人気などは、個々のキャラがしっかり出るようになってからだと思います。ただし、嵐人気の大きな要素には5人が仲が良さそうというのがあり、その雰囲気の良さが隠れた人気の秘密になっているという点では、やはり集団の魅力が足し算ではない形で現れていることになります。ただ、これは視覚的なものではないので、ゲシュタルト心理学で説明するより、社会学の創発的特性という概念(集団になることによって、個の足し算以上の何かを生みだすことを指摘した概念)で説明した方が説得力を持つと思います。

393号(2010.11.28)朝日新聞にがっかり

 本日の朝日新聞朝刊を手に取り、愕然としました。1面5段抜きで、「小6読者モデル発信 ブログ交流数万人」という大見出しとその女の子がファッションショーに出演した時の写真が大きく掲載されていました。最初ぱっと見た時は、あまりの記事の大きさに、この女の子が事件にでも巻き込まれたのかと思ったくらいです。この記事は、社会面に続き、そこでさらに7段抜き写真入りの記事となっています。内容は、小学校6年生で雑誌の読者モデルとして人気のある女の子がブログで発信をし、それが同年代の女の子の間で大人気になっているという記事です。これは、「いま子どもたちはつながる」というシリーズ企画の1回目ということで、注目を集めるためにわざとやったのだと思いますが、知性を重んじるはずの朝日新聞がこんな記事を1面トップに置くのかと、正直言ってがっかりしました。女子高生などを中心に「読者モデル」という存在が人気になってきたのはいつ頃からだったでしょうか。もう10年近くなるでしょうか?それが女子中学生、さらには女子小学生まで広がってしまったことは、ある意味仕方がないことでしょう。しかし、ネットの世界で注目されているからといって、大新聞が迎合するような記事を載せることにはもっと慎重になってもらいたいものです。マズローの欲求段階説にも社会的認知を求める欲球が入っているように、誰にもみんなから注目される存在になりたいという欲望はあるものです。しかし、そうなるための王道は、勤勉努力し、知識と経験を積むことだと私は信じています。もちろん、滅多にいないような外見的な美しさをもった人が、その外見で人々に認知されることはあるでしょうが、大多数の人にとっては、上記のような王道こそめざすべき方向です。特に、私のように教育を仕事としている人間からすると、勉強する癖をつけ、学ぶことの大事さを知らなければならない女子小中高生たちが、ただひたすらおしゃれとブログ発信のみに関心を持ち、そのことばかりにエネルギーを注いでいることに対してはどうしても批判的に見ざるをえません。フェミニズムが、女性も外見ではなく中身で勝負させろと言い続けてきて数十年。今や、そんな初期のフェミニストたちの思いはどこへやら、「勉強なんか大嫌い。女の子はおしゃれでかわいくなきゃ」と、なんの疑問もなく主張する時代になっています。これでいいのでしょうか?今回の記事を1面トップで掲載することに決めた関係者は、こういう批判的声が上がってくるのを期待して、わざとこういう掲載にしたと主張しそうな気がしますが、たぶん逆効果です。たぶん、この少女は朝日新聞の1面トップに写真入りで掲載されたことを自慢気に、またブログに掲載することでしょう。結果として何が起こるかと言えば、「こうやって、○○ちゃんのように、おしゃれでかわいくしていれば、マスコミにも取り上げてもらえるんだ。私もそうなりたい。学校の勉強なんかしている場合じゃない」と思う少女を増やすだけです。今の子供たちの実態を追うという企画ですから、こういう少女たちがいることは紹介する必要があると思いますが、1面トップはおかしいです。中の方の、「教育欄」や「家庭・婦人欄」あたりで取り上げるべき記事です。もっと1面で語るべきことがあるんじゃないでしょうか、朝日新聞さん。

392号(2010.11.26)歌舞伎界にはなぜ甘いのか?

 市川海老蔵がどこかで殴られ怪我をしたという報道がなされていました。TVでは100%被害者のように報道されていましたが、記者会見を体調不良という名目でキャンセルして飲みに行って泥酔し、たぶん喧嘩になって殴られたということなのでしょう。もっと叩かれてもいいと思うのですが……。海老蔵という歌舞伎役者は確かに二枚目ですが、演技はあまりうまくないし、人間的にもできていないと、私の評価は低いものでした。今回の事件を聞いても、「やっぱり」というのが私の感想です。しかし、歌舞伎界には妙に甘い日本のマスコミは、怪我が治って復帰してきたら、まるで海老蔵にはなんら批判はせずに、あたたかく受け入れるのでしょう。中村七之助(中村勘三郎の次男)が5年前に泥酔し(その時も、海老蔵と飲んでいたらしいです)、タクシーに無賃乗車し、駆けつけた警察官に殴る蹴るの暴行を働いて逮捕されたときも、3ヶ月謹慎しただけで、今は何もなかったかのように歌舞伎役者として活動しています。なんで、マスコミは歌舞伎界にこんなに甘いのでしょうか?相撲界に対しては、日本の国技として、伝統的文化の担い手としてこれでいいのかという非難の大合唱で、気の優しいちょっとギャンブル好きなだけだった大関・琴光喜を相撲界から永久追放させたくせに、余程人間的には問題のある人物を歌舞伎役者というだけで、こんなに大目に見てよいのでしょうか?一般の会社に勤めている人でも、七之助のケースなら間違いなく解雇、海老蔵のケースでも自主的に辞職させるか、少なくとも出世レースからは完全にはずして窓際族にさせる程度の事件だと思います。結局、歌舞伎界はひとつのプロダクションのようなもので、歌舞伎界を怒らせたら、TVにも出演してくれなくなり、放送局の方が困るということがあるからなのでしょうね。ジャニーズ事務所関連の事件も強く批判的に報道しないのと同じ論理なのでしょう。ほとんどのマスコミも営利企業であって仕方がないと言えば仕方がないのですが、そういう不公平な報道がなされていることを、われわれは常に意識しておかないといけません。

391号(2010.11.2)「タイヤキ娘さん」との再会

 今年も鞆に学生たちを連れて行ってきました。最近忙しすぎたせいか、いつもの「ミラクル晴れ男パワー」が発揮できず、1日目は雨に降られてしまいました。しかし、それが結果的に幸いしたようで、施設を中心に回ったところ、なつかしい鞆の方々にたくさんお会いできました。そして、特に嬉しかったのは、昨年ほんの小さなきっかけで交流させていただいた「タイヤキ娘さん」ことOさんと再会し、彼女の成長ぶりを目の当たりにできたことです。詳しくは、第353号「鞆の浦のタイヤキ」(20091120日公開)をお読みいただきたいですが、1年経った彼女は、もう「タイヤキ娘さん」ではなく、立派なホテル・ウーマンになっていました。昨年交流するきっかけとなった和太鼓も、力強く、叩ききり、いい笑顔を見せてくれました。帰り際には、彼女の方から手を差し出し握手をし、「またお待ちしています!」と元気よくさわやかに挨拶してくれました。なんか胸が熱くなりました。

390号(2010.10.28)べらぼうに忙しい

 忙しいとは聞いていましたが、想像をはるかに超えた忙しさです。仕事でストレスを溜めないのを信条としてきましたが、わずか1ヶ月弱で過去10年分くらいのストレスが溜まったような気がします。HPの更新もままなりません。更新を楽しみにしてくれているみなさんには、申し訳ない限りですが、しばらくはこんな状態が続きそうです。全然「つらつら通信」的ではないですが、近況報告まで。

389号(2010.9.20)「崇」と「祟」

 「本を読もう!」のコーナーに、「崇拝」の「崇」と「祟り」の「祟」は同じ字だと書いてしまいましたが、よく見ると違いますね。「崇」は、「山」+「宗」で、「祟」は「出」+「示」でした。間違えました。でも、見ようによっては、「示」の上に乗っている冠の両サイドの縦線が下を向いているか上を向いているかだけの違いとも言えます。こんなに似ているのはやはりもともとは同じ字であった可能性があるのではないかとまだ密かに思っています。近いうちに、図書館に行って、大漢和辞典で語源や字義を調べてみたいと思います。考えてみると、微妙な違いをもった漢字っていろいろあり、そこには深い理由がありそうです。たとえば、「王」と「玉」は、将棋ではともに「王」の役割を果たしていますし、あの有名な天皇の終戦宣言は、「玉音放送」と呼ばれており、「玉」は「王」の意味で使われることがあります。「舟」と「船」と「舩」はすべて「ふね」ですが、格が違うのだと聞いたことがあります。「吉」という字も、姓に使われている時に、上の部分が「士」ではなく、「土」の場合があります。元が武士だったか農民だったかの違いによるという説もあるようですが、どうなのでしょうか?そう言えば、最近お名前を知った方で、「前」という字の左下の部分が「月」ではなく、「日」になっている方がいました。似ている字で、少しだけ違うというのは、微妙に意味を変えるために、変化した字ではないでしょうか。「漢字博士」だった父親が生きていたら、教えてくれただろうと思うのですが……。まあでも、自分で調べてみるのもおもしろそうです。

388号(2010.9.19)銀婚式

 つい最近結婚25年を迎えました。いつのまにやら、そんなに経ったんだなと不思議な感じがします。まあ、うちの場合は、典型的な「子はかすがい」のパターンですが……。今日はみんなの時間が合うということで、お祝いをしてくれたのですが、食事とケーキを作ってくれて、さらに25年に合わせて、25本のバラの花束をくれました。よくできた子どもたちです。親は子によって幸せにしてもらえるものです。そして、卒業生からも銀婚式記念ということで、ペーパーウエイトをいただきました。幸せな人生です。私事ですが、嬉しかったので、ここに記録させていただきました。

    

387号(2010.9.7)現代日本人が答えを持つべき3つの歴史的問い

 ゼミで歴史的想像力の重要性を語っていると、だんだんとゼミ生たちも歴史を知ることの重要性をわかってくれるようになり、「日本史の本を一から読み直してみます!」と言ってくれる人も結構出てきます。しかし、石器時代、縄文時代から読み始めたら、おそらく途中で投げ出すことになるのではないかと密かに心配しています。もっとポイントを絞って、この辺を学んでごらんと示さないと、結局「意欲はあったのですが、無理でした」という人ばかりになりそうです。そこで、3つの問いを投げかけることにしてみます。

1 「日本はなぜアメリカという大国と戦争することになったのだろうか?」  現在超大国と言われるアメリカですが、第2次世界大戦前にすでに世界でもっとも豊かな国なっていました。日本との国力の差は歴然たるものでした。多少知識のあるものなら、誰もがわかっていたことです。にもかかわらず、なぜ日本はアメリカとの戦争に踏み切ったのでしょうか。

2 「昭和20年代前半の日本とはどのような社会だっただろうか?」  戦争で日本が廃墟のようになった映像はしばしば目にすることがあるでしょうが、そんな中で人々はどのように暮らしていたのでしょうか。食糧も十分得られない状況の中で、人はどんな希望をもつことができたのでしょうか。

3 「『ジャパニーズ・ミラクル』とまで言われた高度経済成長はなぜ可能になったのだろうか?」  廃墟のようになった日本がそれから20年も経たないうちに、オリンピックを開催できるほどの復興を遂げられたのはなぜなのでしょうか。

 この3つの問いに、自分なりの答えを持つことは、若者だけでなく現代という時代を生きるすべての日本人にとって必要なことだと思っています。ある時期までは、この問いは改めて人から問われなくても、ほとんどの人が自問自答していたように思うのですが、時が経ち、戦争や昭和が遠くなってしまったために、みんな自問自答をしなくなってしまいました。しかし、今の豊かさと幸せは、こういう歴史の上に成立しているのです。知っておかなければならないことです。

386号(2010.9.2)パラサイト・ポリティシャンが日本をだめにする

 いよいよ菅vs小沢の民主党代表選が始まりました。まあ鳩山・輿石などという引退間際の政治家たちの密室調整で、小沢が立候補をとり止めるよりははるかにいい形だと思います。特に、公の前でなかなかきちんと話をしない小沢一郎が前面に出て喋らなければならなくなったのはよいことです。何を考えているのか、この機会にしっかり語ってほしいと思います。昨日の共同会見を聞いていると、財源根拠は示さないままマニフェストを絶対守る、普天間基地移設問題は知恵を出せばアメリカも沖縄も納得する案が出るはずだ、官僚主導から政治主導にすると主張していますが、すべて鳩山総理時代に必死にやろうとしてできなかったことばかりです。小沢が総理になったら魔法のように解決できるとはとうてい思えません。

 しかし、より問題があるのはその政策以上に周りにいる神輿担ぎたちです。小沢一郎の神輿担ぎはろくでもない政治屋ばかりです。昨日の決起集会で「ガンバロウ!」三唱の音頭を取ったのはあの谷亮子です。田中美絵子や三宅雪子といった「小沢ガールズ」と同じただの小沢信者です。前号で名を挙げた山岡、松木といった人たちも含めて、小沢一郎についていく(パラサイトする)ことだけを政治信条(?)とする「パラサイト・ポリティシャン(寄生政治家)」です。国民が何を求めているかではなく、小沢一郎という旗を立てて、何も考えずにその後ろからついていこうとしているだけです。最低レベルの政治家です。

 小沢一郎の周りにいる神輿担ぎには別のタイプもいます。これはよくいるタイプですが、「勝ち馬に乗りたい」という日和見かつ恩賞を求めるタイプです。別に小沢一郎を信奉しているわけではないけれど、今回は小沢一郎が勝ちそうなので、小沢一郎という「勝ち馬」に賭けるという人たちです。こういう行動は政党政治家としては当然の行動と言えばそうなのですが、今回の場合問題となるのは、世論がまったく小沢一郎総理を求めていないにもかかわらず、その意向を無視して、小沢一郎に乗っかろうとしている点です。結局、国民の意向を無視して自己利益のみを求めているわけです。小沢一郎が勝てば大臣になれるかもしれない、おいしいポストにつけるかもしれないということしか考えていません。これも 「パラサイト・ポリティシャン」と言ってよいかもしれません。

 世論もしばしばマスコミに流されておかしな空気になることがありますので、100%世論の求める通りにする必要はないですが、菅総理の継続を求める声が約8割、小沢新総理の誕生を求める声が約2割という、今回の世論はまともだと思います。この世論と異なる結果が出るなら、次の総選挙で、民主党は大敗北をするでしょう。そして、再び腐った政治の時代に戻ってしまいます。そうならないことを望みますが、「パラサイト・ポリティシャン」が意外なほど多いのが気にかかります。

385号(2010.8.27)2010年夏総括

 まだまだ暑いですが、しばらく「つらつら通信」を更新していませんでしたので、まとめて夏の話題を総括しておきます。まず、とにかく暑すぎる夏でした(です?)。熱中症による死亡者はたぶん過去最高だったのではないでしょうか。しかし、そんな中で個人的に「あれっ?」と興味深く思っていたのは、「地球温暖化のせいだ」という声がほとんど聞こえてこなかったことです。少し前までは異常なほどの暑さが続くと、すぐに「地球温暖化」という言葉が飛び交ったものですが、なぜ今年は言われなかったのでしょうか。巷には、「地球温暖化」を疑う本もたくさん出てきています。政府もマスコミも、トーンを少し落とし始めているかもしれません。

 次に、戸籍上生存している超高齢老人についてです。私は、このテーマについては、すでに昨年、「第349号 日本人は社会学的には150歳まで生きる!? (2009.9.27)」という文章を書いていましたので、ついに白日の下にさらされたかと思ってはじめのうちは見ていましたが、ここにきて180歳を超えるような人まで形式上存在することになっていると知り、私の予想すらはるかに超えた杜撰な実態があるということを知り、驚いています。まあしかし考えてみると、身元不明でなくなる人が毎年万単位で出ているわけですから、その戸籍がのこってしまうのは仕方がないと言えば、そうも言えます。所在を確認できなくなった人には若い人もいるでしょうから、何年で自動的に戸籍上抹消するというのは難しそうです。せいぜいできるとしたら、生きていれば100歳以上という人に関しては10年も所在不明のままなら、戸籍を抹消するというくらいでしょうか。それにしても、日本の人口は一体何人いるのでしょうか?人口はどの台帳をベースに作られているのでしょうか?今回の問題で、高齢者の調査が進んだら、一気に数千人人口が減ったりすることはないのでしょうか?

 そして、ここに来てメディアの注目を大きく浴びるようになったのが、民主党の代表選挙です。小沢一郎が出馬を表明し、一気にヒートアップしてきました。まさか鳩山が小沢支持に回るとは思いませんでした。世論と民主党内の空気の違いが大きいです。今は、どちらかと言えば、国民の方が大人で、政治家の方が子どもっぽい感じがします。まさに権力争いそのものです。私は、政権交替が起きるまで、小沢一郎の「日本に政権交替を可能とする二大政党制を作り上げるのが目標で、個人的な権力欲などない」という主張を信じて、小沢一郎はすぐれた政治家であるという立場を取っていましたが、最近の彼を見ていると、結局政治献金問題で訴追されるのを怖れて、保身に走っているとしか見えなくなってきました。昨年の総選挙の約束であるマニフェストに戻ると言っていますが、民主党に投票した人も含めて多くの国民はそんなことは求めていません。選挙の前から、高速道路の無料化も、子ども手当の大盤振る舞いも、農家の個別保障もやらない方がいいと思うが、政権交替してほしいので、民主党に1票を入れたという人はたくさんいるのです。あんな無茶なマニフェストを実施しようと思ったら、日本の経済はめちゃくちゃになります。事業仕分けなどをしたら無駄な金が山と出てくると、民主党は1年前は主張していたわけですが、そんなに出ないことは、もう誰の目にも明らかです。なのに、小沢一郎だけはまだそんなことを言い続けています。

 小沢一郎の取り巻きである山岡とか松木とかが本当に小物でどうしようもない政治屋です。自分の政策を前面に出して自分が戦いの最前線に出るのではなく、小沢一郎という看板を利用してうまい汁を吸おうとしているだけで、己の政策など示したこともありません。菅直人が参議院選挙敗北の責任を取らないと事あるたびに言っていますが、参議院選挙で民主党が自民党より議席を獲得できなかった原因は、菅直人のせいではなく、鳩山・小沢体制の8ヶ月に対する評価です。国民の8割は安易な総理大臣交代はもうしないでほしいと思っています。こうした国民の意向を受けた形で、議員には代表選での投票をしてほしいものです。議員は国民からの委託を受けた政治家なのです。気にすべきは国民の意向で、党内実力者の意向ではありません。小沢グループだの、菅グループだの言っていないで、1人の独立した政治家としてしっかり考え行動してほしいものです。

384号(2010.7.20)うまくできました

 久しぶりに私的な話題です。こう見えても結構料理はちょくちょくやるのですが、今日は久しぶりに改心の出来でした。私の料理に対する小さなこだわりは、残りものをうまく利用することと料理本等を見ずに、自らの感覚を信じて、時間をかけずに作るというところにあります。当然、結果として失敗も結構あります。30年くらい前に1人暮らしを始めた頃には、麻婆豆腐を作ろうと思って、まずフライパンで赤唐辛子を炒めて悲惨なことになったこともあります。(何が起きるか気になる方はやってみてもいいですが、悲惨なことになりますよ(笑)。)さて、今日のメニューのポイントは、昨日の残りもののカレーと冷蔵庫にあった長芋、ゴーヤ、エリンギ、シイタケを使うことでした。先日、「秘密のケンミンショー」を見て、関西人はカレーを翌日はカレーうどんにすると知り、関西人ではない我が家ではやったことがありませんでしたので、まずはそれに挑戦してみようと思いました。長芋はまぐろのぶつ切りと合わせて、まぐろの山かけに、ゴーヤは薄く切って和風の炒め物にすることにしました。エリンギとシイタケはキノコ・ソテーにすることにしました。スーパーに行ったら、ちょうどおいしそうな鱈が安く売っていましたので、鱈のムニエルにすることにしました。あさつきと生姜、それにいただいた大葉もありましたので、これは冷奴で使うことにしました。和洋折衷のメニューですが、なかなかおいしい夕飯ができました。ポイントはちょっとした手間をおしまないことです。初体験にしては実にいい味にできあがったカレーうどんには白髪ネギも乗せました。鱈のムニエルにはレモンの輪切りを乗せ、キノコのソテーはバターとニンニクをたっぷり使い、サニーレタスとトマトも盛り、色合いも美しくできました。冷奴も薬味だけでなく、なめたけも乗せてみましたので、醤油を使わなくてもおいしく食べられる冷奴になりました。ゴーヤの炒め物も、まぐろの山かけもおいしく、家族も大絶賛の出来映えでした。最近、「弁当男子」だとか、「オトメン」だ、「イクメン」だなどといった新語を造って、家事・育児に携わる男性のことを新たな男性の出現のようにマスコミは言っていますが、ちゃんちゃんらおかしいです(表現が古いですね(笑))。家事・育児は必要に応じて男性も女性もできなければならない、生きていく上での基本技術です。昔からやっていた人は男性にもたくさんいますよ。必要に応じて必要なことをするというのは、当たり前のことです。

383号(2010.7.11)独自の参議院選挙総括と今後の読み

 参議院選挙が終わりました。自民党の獲得議席数は予想以上に多かった気がしますが、まあ1人区が多いですし、民主党の人気が落ちれば自民党が増えるのは当然と言えば当然です。「マスゴミ」はニュース価値を高めるために、これで民主党内部に「菅下ろし」や「執行部交代」の動きが起きるように狙った報道をするでしょうが、国民はそんなことは望んでいないはずです。むしろ、また総理大臣が替わるようなみっともないことはしてほしくないと思っているはずです。じゃあ、なぜ民主党に過半数を取らせなかったのか?世間では、消費税増税を言い出したことがすべてだったといった言われ方をしていますが、私は消費税の問題はそれほど大きくないと思っています。もちろん、あまり詳しく知らない人は、「消費税なんて言い出した菅民主党内閣は支持したくない」と思ったかもしれませんが、多くの人は自民党も消費税増税を打ち出していることを知っていますので、消費税が争点になったわけではないと思います。むしろ、鳩山内閣時代の政権運営の評価も踏まえての判断でしょう。鳩山内閣のままなら、もっと負けていたはずですから、40議席代半ば(これを書いている今、まだ最終結果が出ていません)はまあまあという見方もありえるわけです。

 いずれにしろ、参議院で過半数割れをしましたので、国会は衆参のねじれになり、政策決定にはまた時間がかかることになるでしょう。無駄だと思うことも多いと思いますが、いい形でこのねじれを使うこともできるかもしれません。昨年の総選挙の際に、民主党がかなり無理な形で入れてしまった政策(たとえば、高速道路の無料化や定住外国人への地方参政権付与)の多くが実現できなくなるでしょうが、それは国民の望むところかもしれません。これから参議院で各政党がどういう行動を取るかを、われわれ国民は注視しなければなりません。反対のための反対をする政党は要りません。なんでもかんでも「ダメなものはダメ」しか言わない政党も要りません。次の総選挙で、きちんと選択ができるように、有権者が成長しておく必要があります。

 今回の選挙結果を受けて激動期に入るのは、雨後の竹の子のようにできた小政党です。舛添の「新党改革」はたぶん改選議員5人全員が落ちて国会議員は舛添1人の政党になるでしょう。うまく行けば1人は当選するかもしれませんが、いずれにしろ1人や2人では何もできないので、舛添はどこかとくっつくことでしょう。もともとあまり評価していない政治家なのでどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、まあ自民党には戻れないでしょうから、こちらも議員数が減った「国民新党」にくっついて与党入りをめざすという選択をするかもしれません。「たちあがれ日本」も悲惨です。こちらはどうしようもないですね。もともと、共同代表の平沼と与謝野は政治理念がかなり違いますから、分裂・解体もありそうです。「創新党」なんて政党は名前も十分覚えられないうちに即消えてなくなるでしょう。大体、現在の政治には小政党の役割はほとんどありません。「みんなの党」は今回は大勝利ですが、中期的に見たら、消えて行く運命なのは、過去の歴史が物語っています。最近できた政党ではありませんが、社民党ももうだめですね。これも、分裂して民主党入りする人と共産党入りをする人に分かれて、消えてなくなりそうです。

 最後にもうひとつ。実は予想外に勝ってしまって困っているのは、自民党の中堅・若手かもしれません。これといった魅力のない谷垣総裁はこの選挙で負けるだろうから、それをきっかけにもっとフレッシュな人を総裁にしようと狙っていた目論見が完全に崩れてしまったわけです。当面、谷垣総裁、大島幹事長という不人気執行部のままで行かなければなりません。これでは、自民党は変わったというイメージを与えられず、政党支持率は伸びないでしょう。どういうタイミングで、谷垣を交代させるか、今、中堅・若手の自民党議員は頭を抱えていることでしょう。

382号(2010.6.25)ベストゲームを生みだした要因

 サッカー日本代表がデンマークを3-1で破り、決勝トーナメント進出を決めたのはすべての人がご存じのことと思いますが、今回のデンマーク戦は、私がサッカー日本代表の試合を見始めて18年目で最高のゲームだったと高く評価しています。今日の試合は、日本が実力で勝ち取った試合でした。W杯直前に岡田監督が苦肉の策として採用した布陣(4-3-3)と先発メンバーが見事に機能して、日本は持っている力を出せるようになりました。初戦のカメルーン戦は勝ちはしましたが、あまりに引き気味でひたすら相手の攻撃に耐えるという形になっており、これでは1996年のアトランタ・オリンピックでたまたまブラジルを破った「マイアミの奇跡」と同じで、進歩がないと思いましたが、勝ったという結果が持つ意味は予想以上に大きなものでした。アトランタ・オリンピックの時の西野監督は、このブラジルに勝った非常に守備的な布陣で残り2試合も戦おうとしましたが、岡田監督はもう少し賢かったようです。勝ったということで、采配に余裕が出たのでしょうが、次のオランダ戦では布陣は同じでもより前からボールを取りに行くようにして、負けはしましたが、ほぼ互角と言ってもよい戦いができたので、これが選手自身にとっても大きな自信になったようです。そして、デンマーク戦では同じ布陣で守備をしっかり固めつつ、ここぞというときはSBも含めて攻撃参加する形が作れていました。これが日本代表のめざすべき道だと確信したサッカーファンは多かったと思います。個々の選手の出来もよく、トラップでボールがぴたっと足元に納まるのは驚くほどでしたが、日本選手というのはもともとそういう技術は高いので、自信を持てたことで、練習でできることが本番でもようやくできるようになったのかもしれません。

 それにしても、大会直前の4連敗で、それまでの布陣とレギュラーを思い切って変えることができたのが、見事に功を奏したわけです。この大会で大活躍をしている本田ですら、完全にレギュラーの座を勝ち取っていたわけではありませんでしたし、見事なセーブと気合いを示しているGKの川島、守備を支えているアンカーの阿部、SBの駒野は、昨年まではほとんどずっとベンチ要員でした。攻撃の方でも本田とともにうまく機能している松井と大久保は大会に入る直前まではともに左ウィングという同じポジションで重なる選手として、2人一緒に試合に先発することはありえませんでした。何より、そもそもMFの本田をワントップで使い、典型的なFW1人も先発させないという前代未聞の布陣なんて、どんなにサッカーに詳しい人でも、大会直前まで予想できた人は1人もいなかっただろうと思います。また、地味なポイントですが、キャプテンを中澤から長谷部に変えたのも大きな意味を持っていたと思います。アジア予選を突破した際に、岡田監督は、中村俊輔、遠藤、中澤の3人を自分の部屋に呼び、「W杯でベスト4に入り、世界を驚かそう!」と言ったそうですので、その段階でその3人を中心にチームを作ろうとしていたことは明らかです。しかし、直前の親善試合でまったく結果が出なかったため、岡田監督はそれまでの自分の方針を捨てて、新たな方針を立てたわけです。その中には、キャプテンを変えることで、この中村・遠藤・中澤というベテラン中心のチームから、長谷部・本田という若手中心のチームに変えるという方針変更も入っていたわけです。アジア予選では通用する布陣・戦術が世界の強豪国相手には通用しないということを悟り、それに合わせた変化をせざるをえなかったということですが、こうした思い切った(そして的確な)切り替えができるというところが岡田監督のすごさでしょうね。まあそれでも、まだ監督も選手も半信半疑だった、この新しい布陣・メンバーで戦った初戦のカメルーン戦で、たまたま勝てた(最大の勝因はカメルーンが下手だったことにあると思います)ことが、予想以上の大きな意味をもったわけです。もしもあの試合で負けていたら、状況は岡田監督にとっても日本代表にとっても180度違うものになっていたでしょう。しかし、運をうまくつかんで、実力を伸ばしていくというのは、よくあることです。今の日本代表を見ると、まさにその時期なのだと感じます。

このままどこまで行くのかわかりませんが、このW杯が終われば、岡田監督は日本代表監督をやめ、新しい人が監督になるでしょうが、この岡田戦術(イタリアの固い守備陣を表す言葉であるカテナチオの向こうを張って「オカナチオ」などという言葉も生まれているそうです)を継承することが、日本が世界の強豪になっていく道だということを理解している人が監督になってほしいものです。ただし、アジアで戦う時は違う布陣・戦術が必要になるでしょうし、たぶん代表を引退するであろう中澤の後釜になる高くて強いCBも必要でしょうから、また微調整は必要になるでしょう。とりあえず、今はもう少し南アフリカW杯を楽しみたいと思いますが、終わってからもまた楽しみが増えました。

381号(2010.6.18)どこまで本気でやる気なのだろうか?

 相撲界で野球賭博が蔓延していたことが明るみに出て、毎日のようにTVでたたいていますが、一体どこまで本気でやる気なのだろうかと首を傾げています。もちろん、野球賭博は違法で暴力団の資金源にもなっていますので、明るみに出た限りは批判せざるをえないわけですが、本気で調べ始めたら、力士や親方のかなりの割合がやっていたことがばれてしまい、相撲界の存続自体が怪しくなるほどの事態になります。暴力団とのつながりも相当根が深いはずです。相撲は地方巡業というのを定期的にやっていますが、こういう興業を仕切るのは、かつてはその筋の人たちの仕事であり、たぶん現在も様々な形で関わりを持っているはずです。名古屋場所を中止にすべきだという意見も出ていますが、場所を中止にすることが、一体どのような形で問題の解決につながるというのでしょうか。まあ、数年前にあった野球界の契約裏金問題なども数人のしっぽ切りで終わりましたので、今回も名前の出た親方や力士のクビを切って終えるのがせいぜいでしょう。もしかすると、謹慎程度で済ませ、クビは切らないかもしれません。

しかし、おかしいですよね。野球賭博なんて、数十人の相撲界の人間だけで成立するわけはありません。日本中でたくさんの人が賭けているから成り立っているわけです。本気で野球賭博を罰するのなら、胴元を捜し出して、すべての客を処分すべきではないでしょうか。ものすごくたくさんの人が関わっているはずです。そもそも、ギャンブルの中に、合法なものと違法なものとがあるのが不思議です。その基準は合理的なのかどうか大いに疑問です。同じように勝利チームを当てるサッカーのTOTOは健全なギャンブルで、野球賭博が社会的に批判される悪しきギャンブルになっているのは、単に法律的に認められているかどうかの違いに過ぎないでしょう。法的に認められていないけれど、人々が欲しがるものには、闇組織が必ず動きます。かつて、アメリカで禁酒法を作った時は、酒の製造・販売がマフィアの資金源になったのは有名な話です。もしも、野球を賭けの対象にすることが悪いのではなく、暴力団の資金源になっていることが悪いということなら、野球賭博も合法化してしまえばいいのです。公的機関が主体になれば、野球賭博もなんか格好いい名前のついたギャンブルに変貌し、健全な遊びとされることでしょう。もしも賭け事自体が悪いというなら、サッカーも競馬も競輪も競艇もみんな禁止にすべきです。でも、きっとできないですよね。野球賭博をたたいているマスコミ関係者でも、一般化しているが実は違法ギャンブルであるパチンコの換金、賭け麻雀や賭けゴルフをしたという人は山のようにいるはずです。私はギャンブルには一切興味がないので必要悪だとまでは思いませんが、楽に金を儲けたいという大多数の人間の心理をベースにしているわけですから、どんな社会でもギャンブルを完全になくすことはできないでしょう。(株で儲けようとする人も、同じ心理で動かされているわけですから、資本主義社会の基本の原理のようなものです。)こうした「濁」の存在に気づいてもある程度目をつぶらないと、社会の運営は困難になってしまうことは、みんな気づいていますから、マスコミもとりあえずニュースを流しながらも、本音では早く収束させたいと思っているような気がします。

380号(2010.6.17)芦田愛菜ちゃんがすごい!

 水曜日の「Mother」というドラマをご覧になっていますか?来週で終わってしまいますが、名作です。虐待されていた少女を担任教師だった女性がふとしたきっかけで救い、そのまま連れ去り母子として暮らそうとするが、警察に逮捕されてしまい、少女は施設に預けられ、女性は執行猶予付きの有罪判決を受け、2人は引き裂かれてしまう、というのが今週までの展開です。本当はその2人の母子関係だけではなく、何組もの母子関係が出てきて、「Mother」というタイトルに恥じない深い物語になっています。高く評価すべきポイントがたくさんあるのですが、主役の松雪泰子さんの演技のうまさ(映画『容疑者Xの献身』もよかったですし、今、不幸な女性を演じさせたら、彼女の右に出る女優さんはいないのではないでしょうか)はもちろんなのですが、子役の芦田愛菜ちゃんの演技力が半端じゃないです。なんとまだたった5歳なんだそうです。まさに天才子役と言ってよいでしょう。もう今週の最後の方なんて泣けて泣けて、私はぼろぼろでした(笑)。今週のエンディングの「おかあさん、もう1回、つぐみを誘拐して……」って、セリフを書いた脚本家も素晴らしいですが、あのセリフをあの子に言われたら、私ですら「今すぐ行くよ!」と言いたくなってしまうほど、せつなく胸を締め付けられる演技でした。来週の最終回がどうなるか、今から楽しみです。芦田愛菜ちゃんは、映画『告白』でも出番もセリフも少ないですが、殺されてしまう松たか子の娘の役で愛らしい表情を見せています。今年、大きくブレークし、昨年の加藤清史郎君並みに売れてくるのではないかと思います。でも、売れたら、しょうもないドラマとかにも引っ張り出されてしまうでしょうから、できたらこのまま「鈴原つぐみちゃん」の役柄イメージのまま、引退してほしいなんて、勝手なことまで思いたくなってしまうほどです。そうだ、加藤清史郎君と芦田愛菜ちゃんで、健気な兄妹の物語なんかどうでしょうか?脚本さえよければ、絶対当たると思いますよ。

379号(2010.6.13)目先の勝利より大事なものがあるのでは……

韓国がギリシアに完勝しましたね。今回のワールドカップで世界を驚かすのは、日本ではなく韓国の方がはるかに可能性が高そうです。韓国が勝つことを喜ばない日本のサッカーファンはかなりいると思いますが、私は、同じ東アジア人として、韓国や北朝鮮が活躍してくれるのは、とてもいいことだと思っています。この世界には、まだまだ欧米が世界の中心だと思い、アジア人を蔑視する欧米人はかなり多いので、韓国が頑張ってくれるのは日本人にとってもよいことだと思います。「近親憎悪」的な、妙な韓国敵視論にはくみできません。それにしても、韓国が韓国のやり方を貫いて勝利を導いたのに比べて、最近の岡田監督は完全に自信を失って日本が進むべき方向を見失っています。私は長らく、「岡田名監督論」を唱えていたのですが、最近の彼のぶれぶりを見て、すっかり考え方を変えました。自信を失って、目先の勝利のために、これまでやってきた戦術をほとんどすべて捨て去って、進むべき方向を忘れてしまった監督は「ダメ監督」です。攻撃は最大の防御です。日本はサイドからの攻撃を積極的に使わないといけません。パスをつなぐサッカーは相手がうまければ、そんなに簡単にはできないので、それにはこだわり過ぎなくてもいいですが、サイド攻撃をも捨てて、カウンター1本では攻撃の形も作れません。ここに来て、前に置いている3選手(本田、大久保、松井)は足も速くないのですから、カウンター狙いも難しいと思います。もちろん、岡田監督の頭の中では本田にキープさせて、その間に大久保と松井が上がるというイメージがあるのでしょうが、3人では無理です。両サイドバックに高い位置を取らせて、5人あるいは中盤のMFも加わった形で攻めないと点は取れません。4−1−4−1ならまだしも、4−3−2−1なんてあまりにも守備的すぎます。前半はとにかく守って、0−0でよいなんてサッカーは見たくもありません。体格に劣り、ファウルももらわないように強いコンタクトもしない日本の守備陣なんて、数ばかりたくさんいても、穴だらけです。万一、カメルーンにこんな守備的なやり方で偶然勝てたとしても、将来の日本代表を考えたらマイナスです。たとえ負けることになっても、ガーナに4−3で勝ったような試合をめざすべきです。目先の勝利しか念頭にない今の岡田監督にはできないでしょうが……。自信を失い、方向性を見失ったリーダーはリーダー失格です。韓国だって、長い間、1次リーグ敗退を続け、ようやく世界と対等に闘える力をつけてきたのです。日本サッカーのよさは俊敏さにあったはずです。俊敏なプレーを磨く方向で、日本代表は進むべきです。たとえ3連敗という結果になっても次につながる何かを見せてほしいものです。せめて、カメルーンに負けたら、ほぼ決勝トーナメントには行けないのは確実ですから、次のオランダ戦とデンマーク戦は過剰に守備的な布陣はやめ、点を取られてもこちらも取るというサッカーに切り換えてほしいものです。

378号(2010.6.5)名古屋歴史散策

 「歩くシリーズ」名古屋版です。名古屋はこれまでに何回も行っていますが、あまりじっくりと歩いたことがなかったのですが、今回は少し時間をかけて歩いてみました。スタートは大洲観音にしましょう。ここには名古屋駅から地下鉄で来られます。大洲観音周辺は最近はコスプレ世界大会が開かれたりする名古屋のオタクの聖地のようになっています。大洲観音から東に向かう観音通りにはそれ風のお店がたくさんあります。しかし、私のお薦めはその南に並行して走る仁王門通りの方です。もともとこちらが大洲観音へのメインの参道だったために、こちらには青柳ういろうの本店(左写真)も含め、由緒あるお店が並んでいます。お店が全体に古いので、活気という点では寂しいものがありますが、歴史散策ならやはりこちらを歩くべきです。大洲観音から東に少し歩くと、万松寺があります。ここは、織田家が作った寺で、信長の父の信秀の墓があります。もっとも有名なエピソードは、この寺で営まれた信秀の葬儀の時に、喪主を務めなければならなかった若き信長が荒縄の帯に長刀を差して現れ、焼香を投げつけたという話です。建物は戦後に建てられた近代的なビルになってしまっていて風情は今ひとつですが、歴史的由緒から言うと、はずせないポイントです。

万松寺から北に少し上がると、そこは「赤門通り」という名前の商店街です。赤門というのはどうやら大津通りに面したアーケードの入口に赤く塗られた門があるからのようでした。この商店街は名古屋のアキバという感じです。大津通りを少し北に上がり若宮大通りと交差したところで、1本東の通りに入ると、そこが久屋大通公園です。約2kmの南北の通りをそのまま公園にしています。ベンチに座っている不思議な母子の彫像やビルにへばりつく観覧車(右上写真)などを見ながら、テレビ塔までたどりつきます。名古屋テレビ塔(左写真)は昭和29年に建てられた日本最初の電波鉄塔です。テレビの放送開始が昭和28年で、まだまだテレビの将来性が見えなかった頃に建設したのですから、名古屋人は先見の明があると言ってもよいでしょう。形から言っても、東京タワーのモデルになったのだろうと推測できます。テレビ塔を越え、さらに北に向かい、けやき並木を抜けると愛知県庁が見えてきます。隣には名古屋市役所があります。この2つの建物(右写真)は戦前に建てられた近代建築ですが、上に城郭風の屋根装飾を持つというおもしろいデザインの建物です。名古屋城が近いので、それに合わせたのでしょうが、ユニークなセンスです。

県庁と市役所の東にある市政史料館(左写真)はレンガ造りのよい建物なので、次はそこに向かったのですが、直線距離でもっとも近いコースには土塁があって通れません。思わず、名古屋の守りは今も堅いんだなあと妙な感心をしてしまいました(笑)。土塁の北側の切れ目を抜けてから南に下り、ようやく市政史料館に到着しました。ここは建物もいいですが、名古屋の近代史の資料も得られます。無料で見学できるのもありがたいです。名古屋城は空襲で燃えてしまったわけですが、県庁・市役所を含め、城の東側地区は燃えなかったようです。市政史料館の目の前にも古い2階建ての建物が軒を並べており、行政書士の事務所として使われていました。さらに国道41号を越えた東側の白壁・主税・橦木町の町並み(右写真)は、落ち着いたいい町並みです。旧豊田佐助邸や川上音奴邸など、立派な邸宅が多い住宅地のようですが、古い家屋をそのまま使ったレストランなどもおり、おしゃれな町という感じです。「へえー、名古屋にもこんな素敵な町があったんだ」と見直しました。晩は「鳥ぎん」本店で、名古屋コーチンを食べましたが、これはとてもよかったです。名古屋の食は、「ひつまぶし」以外はおいしいものがないと思っていましたが、そんなことはないですね。今回は、名古屋再評価の散策になりました。 

377号(2010.6.5)暗雲漂う岡田ジャパン

いよいよサッカーW杯が近づいてきました。親善試合4連敗で迎える岡田ジャパンの前途は暗雲しか漂っていません。おそらく、日本のサッカーファンの大多数が1次リーグでの敗退を予想していることでしょう。正直言って、私もその1人です。アジアでは勝てても、W杯に出てくるチームの中では最下位グループの力しかありません。岡田監督が本気でめざすと言っていた(最近すっかり言わなくなりましたが)ベスト4など、夢のまた夢です。1試合でも勝てたら十分という力です。その1試合が最初のカメルーン戦なら、ちょっと期待値が上がり盛り上がるでしょうが、2連敗後のデンマーク戦だったら盛り上がらないでしょうね。なんとか初戦で勝つまでは行かなくても引き分けに持ち込めれば、小さな望みがつながるので、そのくらいが現実的な期待です。

日本代表はなぜ弱いか?一言で言うと、技術も体力も劣っているということです。ミもフタもないですが(笑)。1対1で勝てないので、攻め手が少なすぎます。ボールポゼッションはできても、得点チャンスは圧倒的に少ないです。90分で2,3度しかチャンスが来ないので、そのわずかなチャンスを活かすシュート精度がなければなりませんが、それもないですからね。得点は取れて1点がいいところでしょう。その虎の子の1点を先に取って、守りきれるかどうかが勝ち点獲得への唯一の道です。ちょうどイングランド戦で、かつて見たこともないようなトゥーリオの見事なシュートで1点先取し、あのまま逃げ切れればというパターンです。(まあ、イングランド戦も結局逃げ切れませんでしたが……。)

 で、この際ですから、私が監督なら、どういう布陣を組むかを書いておきたいと思います。GKは川島がいいです。私は、もともと楢崎は手堅いがスーパセーブがないし、フィールドの選手を鼓舞する力がないので気に入らず、ずっと楢崎を変えるべきだと思っていました。韓国戦の敗戦で、岡田監督もようやくそう思ったのか、川島に変えてくれたのはよかったです。イングランド戦で見せてくれたように、楢崎よりずっと反応がいいです。1996年の「マイアミの奇跡」(アトランタ・オリンピックで、日本がブラジルを破った試合)の時の川口のように、1試合で何度かのスーパーセーブをGKがしてくれないと日本は勝てません。川島に期待するところ大です。

 さてフォーメーションですが、イングランド戦の4−1−4−1がよさそうです。ある程度守備を厚くしないと、1対1に弱い日本は守り切れません。本来は相手が2トップで来た時の布陣ですが、SBを上がりやすくするためにも、このフォーメーションの方が日本には向いています。決勝リーグに行けた日韓大会でもフラット3という守備を3枚置くという形が機能したわけですし、体力・技術に劣る日本では、W杯では、守備を厚くする必要があります。イングランド戦でアンカーの役割をした阿部はいい仕事をしましたので、岡田監督は阿部でいくでしょうが、私は個人的には稲本を使ってみたいです。彼の方が阿部よりも少し攻撃的なので、守備的でありつつも状況を見ながら、攻撃参加を期待できます。まあしかし、ここは相手次第でしょう。カメルーン相手なら多少攻撃も意識した布陣で行けそうな気がしますので稲本でいきたいですが、オランダ相手ならより守備的にならざるをえないでしょうから、その時は阿部の方がいいかもしれません。

 アンカーを置くなら、SBはもう少し攻撃的になってほしいので、今野よりは駒野あるいは内田がいいと思います。今野はケガをしたので、岡田監督は駒野を使うと思いますが、攻撃的に行くなら内田を使ってほしいものです。カメルーン戦は稲本をアンカーに右SBに内田を希望します。左SBは長友で決まりです。最近の4連敗を見ていると、強いチームが相手だと、ためができなくて、SBが上がれなくなっているのがはっきりしています。MFはボールを失わない強い選手で構成したいです。中村俊輔は走れないし、1対1でもボールを奪われるようになっていますので、もはや使いものにならないことは証明されたと思います。遠藤もここに来てパフォーマンスが落ちています。岡田監督が、長谷部をゲームキャプテンにしたのは、俊輔・遠藤を中心としたチームから脱皮するという岡田監督の宣言でしょう。これは正しい判断です。長谷部・本田を中心としたチームにしようとしているのだと思いますので、この2人がもっと強くなってもらい、ボールを保持できないと苦しいですね。私なら、遠藤も引っ込めて、中村憲剛と長谷部を組ませたいのですが、岡田監督はそこまでしないでしょう。大久保は確かによく動きますが、シュートが下手(彼は力が入りすぎるタイプで平常心でシュートが打てません)なので、あれでは前にいる守備の選手という感じです。レギュラーとして彼を使っていては、わずかな得点チャンスが無駄になります。はずすべきです。私としてはあのポジションで玉田を使いたいですね。彼はボール扱いがうまい上に、シュート力もあるのが魅力です。FWはワントップでとりあえず岡崎なのでしょうが、森本の方がW杯では通用するかもしれません。SBが上がれてサイドからいいパスが出たり、MFから裏へのパスが何本も出るなら岡崎の方がいいですが、パスが出ずFW自身がDFを振り切る技が求められるなら、森本の方が使えそうです。いずれにしろ、MFが怯えてバックパスや横パスばかり出しているようでは、日本の勝ち目はありません。今更技術も大きくは上がらないでしょうから、失敗を怖れずにいい試合をしてほしいものです。最初に書いたように、決勝リーグに行ける可能性は極めて小さいです。なんとか最初のカメルーンに勝つ、あるいは引き分けて希望をつないでほしいものです。最初のカメルーンに負けたら、ぼろぼろでしょう。さてさて、どうなることやら。

376号(2010.6.4)感慨深い

 予定通り、菅直人が総理大臣になりました。しかし、個人的には感慨深いです。私は菅直人という政治家は好きな政治家で、彼が1974年(私は大学1年生でした)に、市川房枝の選挙運動に関わって登場した頃からずっと注目してきました。社会市民連合→社会民主連合→さきがけ→民主党と一貫して中道(左派?)的な位置に立ってきました。民主党が昨年の総選挙で勝つまではほぼずっと少数政党に属してきていましたが、私は彼の所属政党に何度も票を投じてきましたし、いつの日か、彼が総理大臣になることを楽しみにしていました。過去4人も父親や祖父が総理大臣という人が続き、小泉純一郎も3世議員でしたので、本当に久しぶりの庶民宰相です。奥さんもさぱっとしていて弁の立つ人です。たぶん、この辺の情報が今日からどんどん流されて、菅内閣の支持率はかなり高いものとして出てくるのではないでしょうか。小沢一郎の影響力が小さい内閣、党役員人事を行いそうですので、50%超えは固く、組閣メンバーによっては60%超えも可能な気がします。今度こそ、菅政権が長く続くことを祈りたいと思います。

375号(2010.5.15)自滅に向かう姑息な民主党

 12日に国会内で起きた姑息な事件を見て、さすがの私も、民主党に見切りをつけたくなってきました。その事件とは、「小沢ガールズ」の1人である三宅雪子という議員が衆議院内閣委員会で自民党の甘利明氏に突き飛ばされ転倒したと主張している事件です。三宅氏は翌日に車椅子に乗って現れ、衆議院本会議場でまた転び、投票をするために壇上にあがる際には同僚議員の肩を借り、降りる時はおんぶしてもらって降りていました。まさに、くさいとしか言いようのない演技でした。民主党は、この件で甘利氏に対する懲罰動議を提出しました。しかし、YouTubeにスロー映像がアップされていますが、どう見ても甘利氏は三宅氏を突き飛ばしてはいません。その横にいた男性議員を押していますが、彼も倒れるまでに至っていないのに、その後ろにいた三宅氏があんなに派手に転ぶなんてことは物理的にありえません。どう見ても、自分で転んでいます。その上、床は絨毯の敷いてある委員会室です。どうやったら、車椅子を使わなければならないほどの転倒になるのでしょうか。明らかに、強行採決をしたことに対する非難を、自民党議員による暴力事件にすり替えようとしています。こんな姑息なことをやると、マスメディアに流されずに、民主党の政策のよいところと悪いところをきちんと評価しようと思っているまともな有権者に嫌悪感を持たせるということがわからないのでしょうか?民主党の国対筆頭副委員長をやっている松木謙公という、小沢一郎の側近を自認する男が、裏で糸を引いている感じがします。あまりにもレベルの低い政治屋です。この事件が自作自演だと判断されたら、今度こそ小沢一郎は幹事長の座に留まれなくなるでしょう。小沢一郎が馬鹿でなければ、懲罰動議は取り下げるはずです。懲罰委員会が開かれることになったら、民主党の方が追い込まれるでしょう。政治家がこんなつまらぬ戦術ばかり練っているから、有権者にまっとうな政治意識が育たないのです。日本の未来は暗いです。

374号(2010.5.14)吉川ひなの的「大人かわいい」批判

 また若い女性たちを敵に回しそうですが、人育てに関わっている職業の人間としては、どうしても書かざるをえない気分です。昨日のNHK「クローズアップ現代」で「大人かわいい」が取り上げられ、その中で30歳になったモデル吉川ひなのさんが「大人かわいい」の代表のように紹介されていましたが、私に言わせれば、彼女は「大人」ではありません。年齢が30歳だから「大人」と見るのは間違いです。彼女は少女の感覚を持ったままですので、ただの「かわいい女の子」です。もしも、ああいう人が「大人かわいい」なんだと思われ、ああいう女性をめざす人ばかりになったら、日本は滅びそうです。「大人」というのは、社会の正規メンバーです。ファッションやおしゃれのこと以外も最低限知っていないといけません。政治や経済で今どうなっているのか、社会では何が起きているのか、そうしたことに関心をもっている人が「大人」です。そんなことにはまったく興味がないという人は「大人」ではありません。そうした知識や思考力をもった「大人」の女性が、若い人と同様のおしゃれをするということを「大人かわいい」というなら、まったく問題ありません。むしろ、素敵なことですねと応援したくなります。知識や増やし、思考力を高め、人として中身を充実させよう、という志向性をまったくもたず、外見のおしゃればかりに関心のある人に、素敵な未来は来ません。人間の魅力は中身です。外見でごまかしがきくのは、ほんの短い期間だけです。

373号(2010.5.9)最近の結婚式に関する疑問

 最近の結婚式(挙式)はキリスト教式で行われるのが一般化してきており、私も結婚式(挙式)から参列させられることが多くなってきていますが、参列すればするほど疑問が増してきています。素朴な疑問から入れば、なぜ神父は白人男性ばかりなのだろうかということです。どう考えても、そんなにたくさんの白人男性神父が日本にいるとは思えません。特に、神父というのはカトリックの方の呼び名で、プロテスタントは牧師というそうですが、結婚式(挙式)では「牧師様の入場です」なんて言われることはないので、みんなカトリックの神父ということになります。どう考えても本職の神父とは思えません。たぶん、あの人たちの多くは、教会とは関係のないアルバイト外国人ではないかと思います。次に、その教会で披露宴をすることが多いのですが、なぜ神聖な教会に宴会場がついているのでしょうか。おかしくないでしょうか。「そんな杓子定規なことを言わないでくださいよ。あれが本物の教会ではなく、教会を形取った結婚式場だってことぐらい、先生、わかっているでしょ」と白けた顔して言われてしまいそうですが、ニセ教会で、信仰についてまじめに勉強したこともないアルバイト外国人の下で、信じてもいないキリスト教の神に愛を誓うって、どうなんでしょうか。日本人ならもう少し疑問を感じてもよさそうです。神前挙式をした私も、別に神道信仰についてよく知っていたわけではありませんが、日本の土着信仰とも言える神道の神様の前で、日本の伝統的な方式に則って誓詞を交わすというやり方でよかったなと、最近つくづく思っています。まあ今の若い人たち、特に女性たちが純白のウェディングドレスを着たいと思っており、それに似合うのが教会型結婚式場なのだということは十分理解していますので、今更、着物が基本の神前挙式にしなさいとは言うつもりはありません。しかし、結婚は人生における重要な節目の大イベントなのですから、あのウソだらけの設定にもうちょっと疑問を感じてもいいのではないかと思っています。今時の若い人たちの嗜好性も配慮し、ウソだらけの設定を減らすためには、個人的には人前挙式がよいのではないかと思っています。教え子の結婚式で、1度だけ人前挙式に出席したことがありますが、とても好印象を持ちました。もっと広まるのではと思っていたのですが、思ったよりも広がりませんね。適切な場所がないのでしょうか?パターンが確立できていないのでしょうか?パターンなら、確か婚姻届には2人の証人が必要だったと思いますので、その証人を代表として、家族・親族・友人の前で結婚を誓えばいいのではないでしょうか。そんなに難しいことは要らないし、信じてもいない神に誓うなどというウソもなくなるはずです。新郎新婦が「アルバイト外国人」を神の仲介者として、そちらに顔を向け、わざわざ参列してくれた人々には背中を向けたまま、信じてもいない神に誓う姿を見、賛美歌などを無理矢理うたわされ、さらには見たくもないキスシーンを見せられるのは、個人的にはあまり楽しくありません。私としては、人前挙式にして、証人が横につき、参列者の方を向いてもらって、「証人である○○さんと○○さん、そして、みなさんの前で結婚を誓います。これから、2人で、みなさんから素敵だな思われるような家庭を作っていきますので、どうぞあたたかく見守り、応援してください!」なんて、宣言してくれたら、心からお祝いの拍手ができるのになあ、と思っています。こういう結婚式の企画提案をするのはブライダル企業でしょうか。ぜひ、安易な教会風結婚式場を建てるのではなく、こういう人前挙式をやりやすい式場をたくさん建てて、こういう形式を普及させてほしいものです。いざとなれば、結婚式(挙式)と披露宴の2部制をやめて、最初から合体させてしまったらいいように思います。まあでも、簡単にこの流れは変わらないかもしれませんので、いつの日か、私も花嫁の父として、「ニセ教会」のバージンロードを歩いているのかもしれませんね(笑)。なお、この意見は最近参列した教え子の結婚式で特に感じたというわけではないことと、近々結婚しようとしている教え子の結婚式(挙式)がキリスト教形式だからと言って、私が参列しないなんて「KY」な宣言をしているわけではないということを、最後に付け加えさせていただきます。あくまでも、社会学者としての一般論的疑問です、はい。

372号(2010.4.30)歌とは言葉である

 数年ぶりにTSUTAYAの会員に復帰し、CDアルバムを借りてきました。『俺たちのフォーク!』(4枚組)などという50歳代以上にとっての「なつかしのメロディ」とも言えるベタなアルバムですが、なかなか渋い選曲がされていて、初めて聞く曲も結構入っています。しかし、これがいいんですよね。初めて聞くにもかかわらず、言葉がきっちり届き、心情や情景がイメージしやすく、共感できます。聞きながら思ったことは、「歌とはやっぱり言葉なんだ!」ということです。Jポップとも言われる最近のヒット曲は、リズム、メロディ、演奏に関しては、昔のフォークとは比べものにならないぐらい進歩していることは、音楽に疎い私でもわかります。曲の厚みというかその複雑さは、昔の単調だった曲とはまったく違います。しかし、作曲技術が進歩する中で、歌詞の方がおきざりにされ、主従が完全に逆転してしまいました。今の歌詞は曲の邪魔にならないように曲に乗っかるように適当に言葉が並べられています。しかし、もともと歌とは言葉だったのです。言葉をより届けやすくするために、多少のリズムやメロディが必要とされたのです。和歌や韻を踏む詞などを思い浮かべてもらえれば、このことはすぐに理解できるでしょう。長く言葉を伝えるものであった歌が、リズムやメロディを体感するものに変わっていったのは、欧米のロック・ミュージックの影響によるものでしょう。日本では1970年後半あたりから、歌詞を従とし、曲を主とするミュージシャンが台頭してきます。1978年のサザンオールスターズのデビュー(『勝手にシンドバッド』)などはその典型例でしょう。サザンは3曲目の『いとしのエリー』から方向転換を図りますが、リズムやメロディ重視の風潮はどんどん拡大していきます。もともと、素晴らしい歌詞を書くフォーク歌手だった井上陽水も徐々に意味のない言葉遊びのような歌詞を提供するようになります。パフィーに提供した『アジアの純真』など、その典型でしょう。(もちろん、井上陽水はその方向に行ききってしまったのではなく、『少年時代』のような、すばらしい歌詞の曲も作っていますが。)現在は、1回聞いただけでは何を言っているかわからない曲がほとんどです。若い人に売れる曲というのも、まずはリズムとメロディのよい曲でしょう。若い人に言わせると、歌詞もいいと言いますが、多くはイメージしやすい恋心を軽く入れ込んでいるだけのものです。ラップ・ミュージックなどはもともと歌詞を聴かせるためにメロディに乗せている音楽だと思いますが、その歌詞も韻を踏んでリズムをよくすることだけに熱心で、意味は重視されていないものがほとんどのように思います。しかし、『地上の星』、『また君に恋している』のような曲が今でも時々大ヒットしますので、まだ心に届く歌は求められているのではないかと思います。曲の購入者は、年配者が多いかもしれませんが、若い人でもこうした曲なら、いい歌だと思う感性はあるのではないかと思います。言葉を軽視した音楽ばかりにならないでほしいものだと心から願っています。

371号(2010.4.27)時効廃止って……

 今日、現行25年の時効対象だった犯罪に対する時効が廃止され、即日施行(それも過去に遡って適用)となりました。被疑者遺族の感情を配慮すれば、25年でも短すぎるのかもしれませんが、時効廃止というのは、制度として、将来にわたって運用できるのか、おおいに疑問です。時効がないということは、論理的には犯人が見つからない限り、100年でも200年でもその犯罪に関する資料を保存し、捜査を続けなければならないということになります。たとえば、もしもこの法律が明治初期にできていたとしたら、現在の警察が未だに坂本龍馬殺害犯を追い続けていなければならないことになるのです。どう考えても無理があると思います。現行15年、10年、5年の時効対象だった人を死なせた犯罪は、すべて時効期間が倍になりましたが、これは理解できますし、運用も可能でしょう。しかし、時効なしはどう考えても無茶な制度に思えてなりません。時効廃止ではなく、倍の50年にするというのが社会システムが運用できる、ぎりぎりの選択肢だったのではないかと思います。きっとそう遠くないうちに、時効廃止を撤回し、有限の時効期間を復活させる法律改正が行われることになるだろうと思います。

370号(2010.4.26)ひとりひとりが考えよう!

 前2号と同じようなテーマですが、マスコミ報道がひどすぎるので、再度書かせてもらいます。とにかく、普天間基地の移設問題に対する報道がおかしいです。鳩山総理が5月末までに移転先を見つけられずに、総理を辞任し、政局が動き始めるかどうかだけを楽しみにしているとしか思えません。国民ひとりひとりが自分で答えを出そうとせず、鳩山はだめだ、民主党はだめだと他人事のように言っているだけでは、「民主主義」とは言えません。日本は総理大臣に全権を委任して、国民は何も考えなくていい国なのですか?おかしいです。国民投票をやったらどうでしょうか?以下の4つの問いを国民にぶつけてみたらいいと思います。「1.日米安保条約は維持すべきか?」、「2.米軍基地を日本に置くのは仕方がないか?」、「3.沖縄ばかりに米軍基地を過剰に負担させるのは可哀想と思うか?」、「4.自分の地元に米軍基地は来てほしくないか?」ちなみに、この4つの問いにすべて「Yes」と答えたら、移設問題に対する解はありません。 この4つの問いのどれかに「No」と答えないと、解は見つかりません。どこにNoを入れるべきか、国民ひとりひとりが考えるべきです。すべてに「Yes」と答えつつ、鳩山政権を批判するのは不当です。主権者である国民が当事者意識を持たずに、観客になっているのが、この国の政治のもっともだめなところです。そういう姿勢だったからこそ、「官僚天国」も生みだされてしまったのです。こんなことを永遠に続けるのでしょうか?私は、12に「No」をつけます。そもそも、普天間基地の移設問題が出てきたのは、1995年に起きた米軍兵士の少女暴行事件がきっかけです。今時、刑務所ですら地方では誘致運動に積極的になる時代なのに、米軍基地がこれだけ嫌われる一因を作ったのは、繰り返されるアメリカ軍の風紀の乱れ、ルール無視が原因です。自衛隊基地ならここまで嫌われないでしょう。日本国民が批判すべきなのは鳩山政権ではなく、もともとの不信感と問題を生みだしたにも関わらず、何の反省もせずに、すべては日本の問題だといった顔をしているアメリカ政府です。矛先が間違っています。

369号(2010.4.25)等身大の視点だけでは……

 最近TVのニュースを見ていて気になるのが、人にばかり焦点が合わせられているのが気になって仕方ありません。徳之島でも沖縄でも壇上に立ち、訴える女子高生の映像が繰り返し流され、JR事故や明石歩道橋事故でも被害者遺族の意見が通っていったん不起訴に決定したものが差し戻しになり、事故の時に組織のトップにいた人が再度裁判の被告になることになりました。他にも、裁判員制度の下では被害者(遺族)の立場への共感が強く出た判決が出る傾向があるようです。政治においても、鳩山だ、小沢だ、舛添だと人にばかり焦点が当たります。人に焦点を当てると多くの人にとってわかりやすい構図が作れますので、こういう傾向が出てくるのですが、人だけに焦点を当てていても、実は問題の解決はできない場合がほとんどです。問題を起こしている根本原因は、社会や組織の仕組みであることが多いのに、それを個人の責任として還元してしまったり、被害者遺族の感情の慰撫のみに終始していては、問題の本当の解決はできません。社会学では、「鳥の眼と虫の眼を持とう!」とよく言いますが、「人の眼を持とう!」とはわざわざ言いません。それは、「人の眼(等身大の視点)」なら意識しなくても持てているからです。「鳥の眼」(大きな社会の仕組みを捉える視点)と「虫の眼」(普通は気づかずに見過ごしてしまうような小さなことにも気づく視点)は、意識しないと持てません。「見えないものを見よう!」という言い方をする社会学者もいますが、それも「人の眼」のみで見ているだけでは見えないものを見ようという意味です。大きな資本力と取材力を持つテレビ局が、ただただ見えやすい人の視点ばかりでニュースを作っていては、国民がますます思考力を落としていきます。日本人は戦争についても人が死ぬから決してやってはいけないといった程度の認識でいます。そういう視点しかなければ、逆に自分の家族などが殺されたりしたら、復讐心に燃えて、「戦え!」と言い始めるのは明らかです。戦争も個人の視点だけで考えるのではなく、大きな国際関係の中でなぜ起きてしまったのかを知らないといけません。日本は先進国の中では珍しいくらいの「社会音痴」の国民にどんどんなりつつあるように思います。もっともっと社会学の視点が世間一般に普及する必要があると改めて感じています。

368号(2010.4.19)もう日米安保条約を廃棄するしかないんじゃないの?

 普天間基地の移設先が暗礁に乗り上げそうです。沖縄だけに過重負担はさせないことを公約に民主党は政権を取ったわけですから、自民党時代の日米合意案である辺野古沖にするわけにはいかないでしょうし、他に名前が出ればすぐに大反対集会が開催されてしまいます。どこにも動かせず、普天間基地がこのまま維持されるということにすらなりかねません。こんなにみんな嫌なのですから、もう日米安保条約を廃棄するしかないんじゃないでしょうか。マスコミも日本国民も、アメリカとの軍事的な関係を切るなんてことはありえないこととして、誰も口にしませんが、私は別に軍事同盟をアメリカと結んでいなくたって、日本は国際社会で生きていけると思っています。平和的な外交交渉で条約を打ち切ることは可能性として検討していいはずです。別にアメリカを敵に回して戦争しようという話ではないのです。歴史を紐解けば、イギリスと同盟を結んでいた時代や、ドイツと同盟を結んでいた時代も、日本にはあるのです。アメリカとの同盟関係だけが永遠に維持されなければならないこともないでしょう。まあ軍事的な世界最強国の属国でいるのが一番無難だと国民みんなが思うなら、それでも仕方がないのでしょうが、日本は本当に独立国家なのかなと時々疑問に思ってしまいます。安保反対闘争が国民運動になっていた時代もあったのですが……。ちなみに、あの時代の方が、米ソが対立していて、アメリカの核の下にいる必要があった時代でした。今は、アメリカの下にいなければならない必然性はそんなにないと思うのですが……。最終的に維持することになってもそれはそれで構わないと思いますが、一度安保条約の維持について、国民は真剣に議論してみるべきだと思います。現状維持が一番いいのかどうか、きちんと検討してみるべきです。米軍基地が自分の地元に来ない限り、何も考えない日本人のままでいて、マスコミ論調に流されて鳩山はだめだとだけ言っていても、何の意味もないと思います。自分が総理ならどう解決できるのかという発想が、日本国民にはもっと必要です。

367号(2010.3.30)万博公園・鉄鋼館に行こう!

 日本万国博覧会から丸40年の今年、EXPO70の熱気を彷彿させる展示が万博公園で始まりました。これまでにも、大阪ガスの展示施設DILIPA2階を借りて地味にEXPO70の展示をやっていましたが、今回の展示は本格的です。場所は、EXPO70の時から残るパビリオン鉄鋼館です。この鉄鋼館で展示することにしたところがミソです。この鉄鋼館の1階部分はこれまでもちょっとした催しで利用されており、私も入ったことがありましたが、今回の展示の中心は2階部分です。展示もかなり本格的なのですが、それ以上に感動したのが、この2階に上がることによってスペースシアターホールとして使われていたEXPO70当時の鉄鋼館の全貌を知ることができる点です。これを見ると、まさに当時のパビリオンを見ているような気持ちになれます。なんで、こんなよい企画をもっと早くやってくれなかったのだろうと不思議に思ったほどです。この企画は期間限定ではないそうなので、しばらくは見ることができますが、今は桜まつりのシーズン(411日まで)で万博公園自体が21:00まで開園しています(ただし、鉄鋼館に入れるのは16:30までです)ので、これまた40周年を記念して目が点灯されている太陽の塔を間近で見ることができますので、今行くのがお勧めです。

366号(2010.3.29)トモダチコレクションってなに?

 そのネーミングとCMを見ながら、なんか気持ち悪いなあと最近気になっているのが、「トモダチコレクション」(以下トモコレと省略)というゲームです。やったことがないので、あまり批判するのもいかがなものかとは思うのですが、友人をコレクションするというそのネーミング、そしてその友だちが架空の友だちではなく、実際の友人・知人をバーチャルの世界のキャラクターにして楽しむというのが薄気味悪くて仕方がありません。実際に存在する友人・知人なら、現実に会って楽しめばいいではないですか。なんで、バーチャルの世界に入れてしまうのですか?何がおもしろいのでしょうか。私にはまったく理解ができません。

 しかし、トモコレはやっていないという人でも、SNS等で容易に会えない友人(あるいは会ったことのない知人?)の日常生活を簡単に知ることができるため、対面関係にある他者とのつながりを積極的に作ろうとしないという傾向は増大してきているように思います。関西大学社会学部では、1回生に基礎研究という少人数クラスを置き、友だちを作りやすいようにしてあるのですが、最近の学生たちから話を聞くと、同じ基礎研究のクラスだったからと言って、特に仲良くなるためのイベント等はやっていないと言います。1年間同じクラスにいても、顔と名前が一致しない人も多いそうです。これも、携帯の中に、好きなトモダチがコレクションされているので、身近に存在する他者とつながる必要がないということなのではないでしょうか。SNSのつながりは完全なバーチャル世界のものではありませんが、(長く)会ってもいないのに、その日常茶飯事の行動まで互いに知っていたりする関係というのは、半分バーチャル世界のつながりに似ているような気がします。そう言えば、mixiの「マイミク」って、コレクションした友だち一覧のようです。こうしたつながりかたに慣れている若い人たちにとっては、「トモコレ」は親しみやすいゲームなのかもしれませんが、生身の友人と集まって語る楽しさ、新たな仲間が現実に増えていく喜びを知らない人間ばかりになったら、日本はどうなるのだろうと、ひどく不安に思います。

365号(2010.3.10)長崎をさるく

 約半年ぶりの「歩くシリーズ」です。長崎では「歩く」のことを「さるく」という言い方があるので、今回は「長崎をさるく」というタイトルで書いてみたいと思います。長崎は、ハウステンボスとセットで行かれた方も多いと思いますが、たぶん行くところと言えば、グラバー園、大浦天主堂と中華街といったあたりでしょうから、ここでは違うスポットを紹介してみたいと思います。

 路面電車の思案橋停車場からスタートしてみましょう。南に向かう道を少し歩くと、T字路にぶつかりますが、その目の前にあるのが日本で最初にカステラを作った福砂屋の本店です。福砂屋は1624年の創業で、ここの建物も100年以上経っている由緒ある建物です。このT字路を左に折れるともうそこはかつての花街・丸山です。真正面に今も営業をしている有名な料亭・花月があります。ここには坂本龍馬をはじめとする幕末の志士たちもやってきて遊んだそうです。長崎の食の代表と言える卓袱料理はこの花月が確立したそうです。花月前の道を左に折れると、長崎検番(芸妓の手配などをするところ)があります。この建物の横の路地を入り込むと、一気にタイムスリップしたような気になります。車が絶対に入り込めない狭い路地は幕末もこのままだったんだろうなと自然に思えます。路地を歩いていると本当に楽しいです。ふと気づくと、立派な石垣を構えた屋敷跡が出てきます。ここは、高島秋帆という幕末の学者の屋敷跡です。長崎は急斜面に人が住むところを作り出した街なので、少し大きな屋敷を造るためには、かなり立派な石垣で高さを調整する必要があったのでしょう。ここで歴史的想像をさらに膨らませた後、徐々に路面電車の通る道路へと下っていきます。

 次は、路面電車の線路を越えて、崇福寺に向かいます。三門を見た瞬間、ここは中国人のためのお寺なんだということに誰でも気づきます。大雄宝殿は長崎に現存するもっとも古い建物で国宝です。日本は江戸時代鎖国をしていたということになっているけれど、オランダだけでなく中国とも交流を持っていたのだから、制限付きの国際交流をしていたというべきなのではないかと思えてきます。長崎は戦国末にポルトガルの領地とされていた時期があり、江戸時代に入ってからはオランダと中国の文化がいろいろな形で影響を与え、日本の文化と混じって、見事な折衷文化を花咲かせた都市だったんだなということがよく理解できます。日本の折衷文化の原点は長崎にありと言いたくなります。いずれにしろ、この崇福寺は一見の価値のあるかなり見応えのあるお寺です。

正覚寺下停車場から路面電車に乗っていろいろなところに行けます。私は浜口町まで乗り、長崎原爆資料館や平和公園を訪ねましたが、今回はここは端折って、出島に行くことにしましょう。長崎の出島は歴史上非常に有名ですが、今はすっかり埋め立てが進んでしまって、あの扇形の地形を見ることはできません。ただ、最近長崎市では出島を観光施設として整えつつあり、かつて出島にあったのと同じ建物を再現し、歴史的想像力をかき立てやすくしています。川沿いに面した石垣は湾曲しているのがよくわかり、まさにここが出島だったんだなという実感はかなり持てました。ただ、あまりに町中にありすぎるのと、まだ殺風景感が強く、今はお勧めの施設とまでは言えませんが、もう少し整備されていけば、いずれは見応えのある施設になるかもしれません。ちなみに、昼食を近くの出島ワーフで取ると、港を見ながらで、なかなか快適です。

 出島を出て中島川沿いをぶらぶら歩いていくと、かの有名な眼鏡橋が出てきます。その近くの賑橋停車場からまた路面電車に乗り、諏訪神社前停車場まで行きます。目の前に大きな鳥居が建っており、長い石段が続いています。ここは、おくんち祭の行われる神社として有名です。私もテレビでしか見たことがないのですが、このおくんち祭も、中国、オランダ、ポルトガル、日本と様々な文化が融合してできあがった祭なんだと改めて思います。もっとも有名な龍踊りなんかはまさに中国的な出し物です。総じて、長崎は和洋中の文化が混じり合ったおもしろい町です。坂本龍馬ともゆかりの深く、なおかつ主役を演じる福山雅治の出身地ですので、今年の長崎は気合いが入っていて、あちこちで龍馬の文字を見かけました。「福山龍馬」のファンだからという理由でも構いませんので、ぜひ長崎に出向き、町をふらっとさるいてみてください。

364号(2010.3.3)政治の中身を見よう!

 毎日のように民主党の「政治とカネ」のことがマスメディアで取り上げられ、鳩山内閣の支持率がどんどん落ちています。当然と言えば当然ですが、こんな報道ばかり大きく取り上げているマスメディアの下では、政権交代によるプラス面が隠れてしまい、国民が再び政治音痴になってしまいそうで、心配です。トップニュースになっていませんが、自民党政権下ではできなかったことがいろいろ動き出し始めています。今日のニュースでより注目すべきは、大臣が委員会に遅刻したなんてしょうもないことではなく、全国を5つの地域に分け、地域ごとにゴールデンウィークをずらすという制度を2012年度から導入することを検討しているという話題と、50%以下しか消化されていない有給休暇を取りやすくする検討が始まったという話題です。いずれも、かつて私は、この「つらつら通信」で提案したことがあります(第81号「日本休日制度改革案」と第243号「有休を取ろう!」)ので、ようやくこういうまともな改善をやれる内閣ができたんだなと感慨深く見ていました。休日制度の細かい点は、私の案と今回の政府案は異なりますが、全国一斉の休日を減らして、繁忙期と閑散期をなくして、施設や交通機関等を有効活用すべきだという基本の考え方は一緒です。有休をしっかり取るべきだというのは労働者の権利であり、ごく当たり前のことなのですが、働く人間より、企業利益の方を優先しがちだった自民党政権ではまともに検討すらされていなかったのではないでしょうか。少なくとも私はそういうニュースを自民党政権時代には見たことがありませんでした。他にも、10年以上議論が止まっていた「選択的夫婦別姓制度」も立法化に向けて動き出しましたし、少し前になりましたが、事業仕分けも、これまで官僚と政治家が国民に見えないところで勝手に決めていた国民の税金の使い方を白日の下にさらけ出した大きな改革でした。また、マニフェストとして発表された時から懐疑的に見る人が多かった高速道路の無料化や子ども手当の大判振る舞いに関しては、修正がなされつつあり、これもまっとうな判断だと思います。多くの国民がまだ賛成しかねているので、ちょっとやりすぎだなと気になるのは、「定住外国人に地方参政権を与える」という案ですが、これは亀井静香が大反対をしていますので、きっと鳩山総理も法案提出をあきらめるでしょう。ということで、トータルで見たら、民主党政権はこれまでの自民党政権でできなかったことをこの半年の間に動かそうとよく頑張っていると思います。なのに、そういう部分が評価されずに、総理が母親からいっぱいお金をもらったとか、幹事長の人相が悪いとかで、民主党政権が評価されてしまうのは、本当に残念です。顔で政治をやるわけではないのに、小泉進次郎などは1年生議員なのに、頻繁にテレビに写りますから、マスコミが何を考えているのか、丸わかりです。まだ数年は、民主党政権が続かないといけません。何も本気では反省していない自民党が今年の参議院選挙で勝つようなことがあっては、また日本の政治はだめになります。まあそうならないようにするためには、とりあえず小沢一郎は幹事長をやめるべきなのでしょう。ただし、彼には、幹事長を辞任した後、また衆議院選挙の時と同じ役職である選挙対策の代表代行になるという奥の手があるとは思いますので、そのうちやめるのではないかと思いますが……。自民党をまともな政党にし、国民を本当の意味で政治の主役にするためには、少なくともあと3年半、民主党にしっかり政権を担わせるべきなのです。できれば参議院も過半数を持った安定的な政権で。そして、政治家の顔ではなく、4年間の政策をトータルで見て、政権党を変えた方がいいと思ったら、国民が選挙で民主党を政権の座から追い落とせばいいのです。そんなまともな政治が日本にも根付くのではないかと期待したのはわずか半年前だったのですが……。この国に、まともな政治は根付かないのでしょうか。政治の中身を見ましょうよ。

363号(2010.2.1)貴乃花が救世主??

 日本相撲協会の理事選挙が注目を集め、なぜか貴乃花親方が当選し、これで相撲界も変わるのではといった根拠のない期待感が増しています。まあ10人の1人ですから数の上でも大きな影響力を行使なんかできないわけですが、私はそれ以上に貴乃花親方という人物を信頼できないので、この期待感が理解できません。なんで、彼が相撲界を変えてくれる人物と見られているのでしょうか?引退後ものすごくダイエットしてスーツが似合う、しゅっとした男性になっているからではないでしょうか?彼は、まだ1人も関取(十両以上の給料をもらえる力士)を育てていませんし、今回二所ノ関一門を飛び出したのだって、ただ理事選に立候補したいからであって、理事になって何をしたいのかについていまだに何も言っていません。今日の当選後の記者会見でも、「武蔵川理事長の下、与えられた職務をしっかりこなしていきたい」などと保守的なことを言っていました。結局、高い理事手当が欲しいだけの人なのかもしれませんよ。こんなに、私が貴乃花親方に対して批判的なのは、これまでの彼の言動ゆえです。かつて父親の遺産相続問題を巡って「兄弟確執」と言われた頃、ここ(http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~katagiri/tura6.htm#no159)にも書きましたが、彼はバランスが取れておらず自分が正しいと思いこんだら、相手を非難することも何の躊躇もなくできる過激な人間です。本来なら、味方になる人など誰もいないはずだと思いますが、今回はもともと二子山部屋つながりとこのままでは陽の目を見られそうにないと計算した親方が、貴乃花親方を神輿に乗せて一花咲かせようと仲間になりましたが、いずれ離れていくような気がします。世論の貴乃花親方贔屓の雰囲気は、かつての小泉ブームと似ているような気がしてなりません。実際、2人のキャラはよく似ているように思います。結局、大衆はこういう見た目のよさで決めてしまうんですね。

362号(2010.1.29)知っていましたか?

 ほとんどの学生さんはすでにパケホーダイ(携帯サイト利用の定額制)にしているでしょうから、あまり関係のない話かもしれませんが、まだパケホーダイにしていない人には重要な情報です。パケホーダイに変更するにあたっては、その当日か翌月からしか変更できないと思っていませんか?というか、私はそう思っていました。パンフレットにもわかりやすくそう書いてありますし、ドコモショップでもそう説明を受けました。ところが、実は第3の選択肢があるのです。それは、変更日の前月まで遡ってパケホーダイになっていたことにして再計算をして差額分を返してくれるという、利用者にとって非常にありがたい選択肢なのです。うちも、パケホーダイにしていなかった妻が12月分でかなりパケット代を使ってしまったので、慌ててパケホーダイに変えたのですが、その操作を携帯上でやったときには、当日か翌月からの変更しか出てこず、この第3の選択肢に気づかなかったのですが、高額利用の通知葉書をじっくり見ていたら、そういう選択があることに気づき、ドコモ料金センターに電話をし、事情を説明し、12月からパケホーダイだった形に変更させることができました。これで、万を超える差額分が返ってくることになります。この一連のプロセスでいろいろ調べた結果、ドコモはずるいなあとしみじみ思いましたので、せめてここに書いてこのHPを読んでくれる人には知らしめたいと思いました。

 上にも書いたパンフレット(ドコモショップや携帯売場によく置いてある携帯電話カタログ)の2010年1月分を例にあげてみますと、53頁にパケホーダイについての説明があります。その右上の目につきやすいところに、「当日or翌月適用」という文言が四角で囲って強調されています。これだけ見れば、当然「当日or翌月適用」以外の選択肢があるとは誰も思わないわけです。「前月から適用にし、差額を返してくれる」というのはどこにも書いていないのかと探してみると、頁の下に読みにくいものすごく細かい文字で21行もの文章がありますが、その1516行目にかけて、以下のような文章があります。「また、ご契約回線あたり1回に限り、前月から適用とすることもできます(その場合、前月から適用したものとみなして再計算を行い、翌々月の請求にて差額分をご返還します)。前月からの適用とする場合は、「ドコモインフォメーションセンター」(0120-800-000)またはお近くのドコモショップへお問い合わせ下さい。」こんなところ、普通誰も見ないですよね。携帯上で変更をすると、こういう選択肢があることは一言の説明も出てこず、当日か翌月のどちらかを選ばせるようになっています。その上、ドコモショップでも説明をしない(実は昨年娘がパケホーダイに帰る際には、携帯上でやらず、ドコモショップでやってもらったのですが、その際に前月から適用という選択肢があることに関する説明をまったく受けなかったという経験をしています)のですから、気づくわけはありません。いろいろ説明を聞く中で知ったのですが、この前月からの適用という制度は昨年4月から導入された制度だそうです。パケホーダイにしていなかった人で高額になってしまった人たちがたくさんいたようで、消費者センターに苦情を申し出たために、急遽前月に遡ってという、この制度を導入したそうです。しかし、これを広く知られると、多くの差額を返さなくならなくなるためか、この制度があることを大々的に宣伝していないのです。これはあまりにずるくないでしょうか?ドコモのような大企業が、利用者に有利になる情報を隠して儲けていることに、ひどく腹が立ちました。auやソフトバンクのシステムはわかりませんが、もしもドコモ利用者でパケホーダイへの変更を考えている人がいたら、この情報をぜひ教えてあげてください。なお、ほとんど携帯を使わない人にとっても、パケットあたりの単価が大きく違うので、パケホーダイにした方がほぼ間違いなく安くなるようです。結局、全員パケホーダイにした方が安くなるような仕組みのようです。 

361号(2010.1.22)最近、大学生が刺激的な存在ではなくなってきたような……

 朝日新聞夕刊掲載の4コママンガ「地球防衛家のヒトビト」(作者・しりあがり寿)はなかなか鋭い社会時評になっています。本日掲載作品も読みながら、思わず「そうだよな」と感心しました。ちょっと内容を紹介させてもらいます。

(1) 地球防衛家の父「将来はどうするんだ?」学生「大企業に入りたいです」、(2) 地球防衛家の父「安定志向だなー。夢はないの?」学生「夢って?」、(3) 地球防衛家の父「こうなったらサイコーだなーっていう自分の理想だよ!!」学生「あーっ!!」、(4)学生「生活にこまることなく、ずーっと自分の部屋でゲームやったり、マンガ読んでるのが理想です!!」地球防衛家の父「……あ……そう……」

マンガはデフォルメされているものですが、これは結構当たっていると思う学生は多いように思います。後ろのゲームやマンガを、テレビやパソコン、携帯などの好きなものに変えれば、こういう生活が理想と思う人はもっと多くなることでしょう。

大学教師になって27年ですが、最近大学生たちから刺激を受けることが少なくなってきたような気がしてなりません。私が年を取り、年齢差や知識差が大きくなっていることもあるのかもしれませんが、学生たちとつき合っていても、「ほう、そんな発想があるんだ」とか「やるなあー」と思わせてくれることがあまりなくなりました。課題と期日を与えれば、期日までに最低限のことはやってきますが、ほとんどの人が最低限です。もっと頑張れば必ずもっとできるだろうと思うのですが、多くの人が自分でハードルを低く設定してそれで満足してしまっています。中には、仲のよい友だちと連絡を取り合って、低いハードルで調整したりもしている人たちも少なくありません。教師からダメ出しをされればやり直してきますが、ダメ出しをされなければ「ラッキー!」と思って、そこで終えてしまいます。課題と期日を与えず、自主的な努力を期待して待っているとほとんど何もやりません。まあ、大学での勉強よりもっと時間を使いたいことがあるのでしょうが……。知識を得ること、考えることの重要さを十分自覚させることができていない教師の教育力の問題もあるのかもしれません。しかし、こうしたいわゆる勉強に対して精一杯の努力をしないだけでなく、遊びやイベントの企画でも、ハードルの低いものでお茶を濁すようになってきているのが、より気になります。以前から、学びの面では確かにそれほどの刺激を学生から受けていたわけではないとも言えますが、遊びやイベント企画では「おもしろいことを考えるな」、「実行力があるな」と思わされることがしばしばあったのですが、最近はほとんどないです。「学遊究友」を唱え、学びも遊びも友とともに究めようと常日頃言い続けている教師としては、かなり不満です。というか、少しあきらめ気味です。仲のよい友だちといつも一緒にいて、携帯でも連絡を取り合って、就職活動以外では深く悩むこともせず、怒られないように、突出しないように、そこそこの毎日を過ごせればいいと思って育ってきた若者たちに、これまで味わったことのない充実感を得られるかもしれないが、失敗して痛い目に合うかもしれないチャレンジ精神を持たせるのは、非常に難しいことと感じています。そんなことをちょうど思っていたので、上で紹介した4コママンガがピタッと来てしまったわけです。いい意味で期待を裏切ってくれる学生が再び出てきてくれるとよいのですが……。

360号(2010.1.9)頑張れ、関大野球部!

 今日の全国高校サッカーの準決勝2試合目はいい試合でした。最後はPK戦で負けてしまいましたが、残り5分で2点を取って追いついた関大一高の粘りは見事でした。13日のアメフト日本一を決めるライスボウルでも関大は残り4秒まで日本一の可能性がありましたし、フィギュアスケートでは、高橋君、織田君がそろってオリンピック出場決定、関大サッカー部はインカレで準決勝まで進みましたし、スポーツ関係では最近オール関大の活躍が目立ちます。そんな中で浮上してこないのが、関大野球部です。一番最近優勝したのは、確か1995年の春期シーズンだったと思います。入れ替え戦のない6大学しかないリーグで1530シーズンも優勝をつかめないなんて、京大以外に許されることではありません。そろそろ奮起してもらわないといけません。スポーツ推薦はもっとも古くからやっているクラブです。スカウトの見る目がないのか、ここぞという時の集中力がないのか、よくわかりませんが、今年の春シーズンは背水の陣くらいのつもりでやってもらわないと困ります。そろそろ、優勝という明るいニュースで新聞に載ってほしいものです。頑張れ、関大野球部!

359号(2010.1.7)年頭に思ったこと

 ついに2010年代に突入しましたね。と言っても、特にどうということもないとも言えますが。何人かから「今年の目標を立てましたか?」と尋ねられたのですが、私は初詣も行かないですし、年頭に何か誓いやら目標やらを立てたことはほとんどありません。みんな、何か目標を立てるものなのでしょうか。若い人は結構初詣が好きなので、そういう時に何か考えるのかもしれませんね。改めて考えようと思っても特に何も思い浮かばないですね。1日、1日を無駄にせずに過ごすだけです。その代わりと言ってはなんですが、この年頭に思ったことを、ちょっと書いておきたいと思います。今年はあちこちで私は年賀状が好きですと言い続けた甲斐があって、年賀メールは少なく、例年以上に若い人から年賀状をいただいたような気がします。もちろん年賀メールももらっても普通は嫌な気はしませんが、そんな中でこんな年賀メールはマイナスになるよと誰かアドバイスをしてあげないのかなと思ったのが、年賀メールをBCCで送ってくる若手研究者がいることです。年賀の挨拶を一斉メールで送るなどという手抜きは最低です。同じ内容の印刷物の年賀葉書を送るのと変わらないんじゃないですかと思う人がいるかもしれませんが、多くの人は短くても一言書き加えたりしているものです。一言がなくても、送る相手を思い浮かべて宛先を選択し、そして葉書ですから、なんと言っても50円分の費用がかかっています。BCCの一斉メールのいい加減さとはまったく違います。この人からの年賀メールはもう34年届いていますので、誰も指摘していないんでしょうね。私も学会大会でたまたま知り合っただけの人で、わざわざ注意をするような関係ではないので、放置していますが、もらうたびに、嫌な気分になります。指導教官が注意しないのかなと思いますが、きっと指導教官には、さすがにBCCでは送っていないのでしょうね。

 次にテレビを見ながら思った2010年の予測第1弾です。今年は上海で万国博覧会が開かれますが、ここで万博史上過去最高の入場者数が塗り替えられることになるでしょう。従来の記録は、1970年の日本万国博覧会の64218770人ですが、今の中国の勢いと人口から考えれば、この記録は容易に塗り替えられるでしょう。中国政府も日本万博を超え、史上1位の記録にするために動員をかけるでしょうから、8000万人くらいまで行くのではないでしょうか。そして、もうひとつの予測は、福山雅治の龍馬伝が大ブームになりそうな気がします。1回目を見ただけですが、過去に見たすべての龍馬より「福山龍馬」は魅力的です。あたたかく、やさしく、強く、さらに格好良いという、多くの日本人が抱く龍馬のイメージそのものです。今後、坂本龍馬のイメージは、福山雅治のイメージで作られていくことになりそうです。