Part5

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<目次>

第149号 サンタクロースのカミングアウト(2004.12.23)

第148号 まじめなロマンティストがはまるヨン様(2004.11.28)

第147号 恋はあきらめも肝心(2004.11.2)

第146号 大河ドラマ「新選組!」(2004.11.1)

第145号 何も起きない幸せ(2004.10.23)

第144号 「暴風警報で休校」という制度(2004.10.22) 追記(2004.10.23)

第143号 運動会が見たい!(2004.10.9)

第142号 ちょっと聞いてみたいのですが……(2004.10.1)

第141号 16年目の夢の結実(2004.9.20)

第140号 ディズニー神話の崩壊?(2004.8.19)

第139号 ドラマティック・スポーツ(2004.7.31)

第138号 プロ野球再編問題(2004.7.28)

第137号 親しい友人の意見はどの程度参考になるか?(2004.7.19)

第136号 捕まったブランコ(2004.6.30)

第135号 過進国(2004.6.13)

第134号 焼酎ブームに一言(2004.6.6)

第133号 大学教師の事務能力(2004.5.19)

第132号 気配り+α(2004.5.18)

第131号 遊びにも頭を使おう!(2004.4.27)

第130号 シュレッダーが家電化する?(2004.4.10)

第129号 パワーポイント神話(2004.3.30)

第128号 関西にトルコブーム?(2004.2.12)

第127号 天王山を制す(2004.2.10)

第126号 嫌咳権(けんがいけん)の確立を!(2004.1.29)

第125号 芥川賞におもしろい小説はない(2004.1.17)

第124号 全頭検査の馬鹿馬鹿しさ(2004.1.15)

第123号 これでは郵政民営化が思いやられる(2004.1.14)

第122号 毒舌擁護論(2004.1.12)

149号(2004.12.23)サンタクロースのカミングアウト

 明日はクリスマスイブですね。日本人は大部分がクリスチャンではないのに、クリスマスイブを1年で一番ロマンティックな日と感じる人は多いように思います。彼氏、彼女のいる人は素敵な計画でもしているかな。(まあそんなことをやりそうなのは、今年初めてクリスマスを迎えるカップルだけかもしれませんが。)「いつの日か、私も」と思いつつ、今年もアルバイトか家族パーティで過ぎそうだという人の方が圧倒的でしょうね。大学生ぐらいですと、家族パーティももうそれほど楽しいものと思えなくなっているかもしれませんが、子供時代にはみんなすごく楽しみにしていたことと思います。おいしい食事をして、ケーキを食べて、眠りにつくと、翌朝にはサンタクロースからのプレゼントが届いていた、そんな夢の叶う1日だったという経験を多くの人がしていることと思います。我が家でもある時期までそんな子供たちの夢を叶えるような演出を毎年していました。なぜかクリスマスイブは私がシェフで、オードブル、スープ、ローストチキン、サラダ、ケーキとフルコースをすべて作っていました。オードブルは、オイスターとグリーンアスパラのベーコン巻き、ポテトといくらとスモークサーモン、うずらとチーズとウィンナーの串、シュリンプ・カクテル風など、いろいろ作りました。スープはほうれん草のスープが簡単でおいしいので大体毎年作っていました。ローストチキンのたれもずいぶん凝ったものでした。極めつけはケーキで、スポンジは買ってきていたのですが、ホイップクリームを塗ってイチゴやチョコ菓子や小さな家やサンタクロースやトナカイのおもちゃでデコレーションをするのですが、毎年子供たちが目を輝かしていました。そして、もちろん締めの仕事は、子供たちが寝た後にこっそり枕元にプレゼントを置くサンタクロースになることでした。毎年、朝起きた子供たちが、「わあ、今年もサンタさん、欲しいと思っていたものを持ってきてくれた。どうしてわかるのかな」と無邪気に喜ぶのを、「そうだね。どうしてわかるんだろうね」なんて話を合わせながら、幸せを噛みしめていたものでした。

 子供たちもだんだんと大きくなって、友だちから、サンタクロースなんていない、プレゼントは親が用意しているんだという話を聞いてきて、そうのかなと疑い始めるようになりました。ちょうどその頃(幼稚園か小学校1年ぐらいだったと思います)、クリスチャンの知人がボランティアでサンタクロースの格好をしてプレゼントを渡してくれるということをしていて、彼がうちにも2年連続で訪問してきてくれていたので、うちの子供たちは、まだしばらくはサンタクロースはいるものだと思って過ごしていました。しかし、小学校の中高学年になると、サンタクロースなんてもうほとんどみんな正体を知ってしまい、その時点でまだサンタクロースの正体を知らなかったうちの子供たちは、ちょっと馬鹿にされてしまうようなこともあったようです。息子が5年生、娘が4年生の冬でした。「どうしても本当のことが知りたい。サンタクロースはいないのはわかっている。でもお父さんとお母さんが家にいるときにサンタが訪ねてきたことがあるから、お父さんとお母さんではないでしょ?一体サンタは誰なの?」と問われ、あまり学校で馬鹿にされてもまずいかなと思い、ついにカミングアウトすることにしました。事情を聞き終え「そうだったんだ……」と言った時に浮かべた子供たちの、風船が萎んでしまったような寂しげな表情が忘れられません。仕方がなかったのですが、夢は夢としてもう少し騙し続けてあげればよかったかなと、その時一瞬思いました。家計を気にしてくれているのか、健気な子供たちは、親がサンタだと知ってからは、あまりクリスマス・プレゼントのことは言わなくなってしまいました。ちょうど同じ年、ローストチキン作りに失敗し、ホイップクリームも固まらず、散々なクリスマス・ディナーを経験してしまった私は、翌年からシェフ役もサンタ役も降板してしまいました。

いつまでもおとぎ話のような夢を見ているわけには行かないのでしょうが、喜ばせるためなら、嘘をつき続けるのも大事なことかもしれません。少なくとも、子供が疑いを持たないうちは、サンタクロースの夢は見させてあげた方がいいと思います。なお、今年は中2になった娘がスポンジから焼いてデコレーション・ケーキを作ると言っていますので、密かに楽しみにしています。

148号(2004.11.28)まじめなロマンティストがはまるヨン様

 「ヨン様」ことペ・ヨンジュ氏が来日して大変な騒ぎになっています。しかし、女子学生諸君に話を聞くと「あの笑顔が嘘臭い」と酷評ばかりです。同じ女性でもはまっている人とはまっていない人が非常にくっきりと分かれています。昨晩の「ブロードキャスター」で、「ヨン様」に会うためにやってきた女性たちを対象に簡単なアンケート調査をしていましたが、それによれば、40歳代、50歳代が中心で、夫を愛していて、過去に追っかけとかをした経験はない専業主婦、というような回答が多く出ていました。確かに外見から見ても、人生をまじめに生きてきた主婦層で、これからも決して道をふみはずことのなさそうな人たちという感じがしました。好きなマンガが「キャンディ・キャンディ」、好きな映画が「小さな恋のメロディ」というのもよくわかります。恋はロマンティックなものという「神話」を信じられる人たちなのでしょう。

 比較的最近、日本の女性たちがはまってきた人としては、木村拓哉、ベッカムなどがあげられますが、今回の「ヨン様」で騒いでいる女性たちは、キムタク、ベッカムにはおそらくはまっていなかった人たちだと思います。美形であるという点は3人とも共通していると思いますが、キムタク、ベッカムは、少し不良っぽいような――言葉を変えると「少年」のような――魅力があるのだと思いますが、ペ・ヨンジュ氏の魅力はこれとまったく異なり、知性、誠実さ、暖かさ、落ち着きといった「大人」の魅力です。「キムタク・ベッカム派」と「ヨン様派」はほとんど重ならないでしょう。日本のタレントで、ペ・ヨンジュ氏に匹敵する人は誰かいないかと考えてみたのですが、残念ながら思いつきません。福山雅治なんかは、美形で誠実さと暖かさも感じられると思いますが、どちらかと言えばやはり「少年」的魅力の持ち主ですので、知性と落ち着きという点で、ヨン様の域には届いていないでしょう。以前に書いた「第108号 いい男、いい奴、いい人」であげた『アンアン』の好きな男ベストテンの男性タレントを見ても、やはり全員、知性と落ち着きが不足しています。もちろん『アンアン』は20歳代が読者層でしょうから仕方がないのかもしれませんが。30歳代後半〜40歳代のタレントでは、仲村トオル、真田広之、中井貴一あたりがあがりますが、みんなちょっと物足りないですね。ハリウッド俳優では、ロバート・レッドフォード(ちょっと歳をとりすぎましたが)、トム・クルーズあたりがほぼ上記の要素をそなえているように思いますが、白人という点で距離感を感じる女性も多いでしょう。こう見てくると、なかなか「ヨン様」を超える男はいないのではないかという気がしてきます。

 TVのニュースなどでよく映っているのは、40歳代以上の主婦らしき人が多いのですが、これはこの方々が時間的に融通がつく人たちだからで、実際の「ヨン様」ファンは20歳代後半から高齢層まで潜在的にはもっと幅広く存在しているはずです。結婚相手として考えた場合、「ヨン様」タイプは否の打ち所がないのではないでしょうか。コンピュータによる相性診断で結婚相手を紹介してくれるツヴァイのようなところに登録している、あるいは登録を考えている人が、もしも「ヨン様」タイプの男性と出会ったらイチコロでしょう。(皮肉な見方をすると、結婚詐欺師が演じるタイプは、「ヨン様」タイプとも言えます。)女子学生からは「ヨン様」支持の声をまだ聞いていないのですが、「隠れヨン様ファン」は1割程度はいるのではないかと思っています。恋愛と結婚を結びつけて考えるような女子学生なら、やはり「ヨン様」は素敵に思えるはずです。

最後に、実は私は、ペ・ヨンジュ氏は魅力的だとよく理解できる人間のひとりです。私も人生をまじめに生きてきた人間で、これからも決して道をふみはずさずに生きようと思っていますし、思い出の映画は「小さな恋のメロディ」だったりする、かなりのロマンティストです。もしも私が女性だったら、きっと追っかけはしないまでも、写真集は買っているのではないかと思います。

147号(2004.11.2)恋はあきらめも肝心

 久しぶりに恋愛論を語ってみます。別に私が今恋愛をしているというわけではないのですが、この半月ぐらいの間に、ちょっとつらそうな恋の話をいくつか聞いたので、書いてみようと思いました。今回言いたいことはひとつだけです。「しんどい恋はあきらめた方がいいよ」ということです。相手に思いを伝えない「片思いの恋」が美しいのは中高生までです。(今どき、高校生ももうこの範疇外かもしれませんね。)大学生になって恋をしたら、頃合いを見て(頃合いはしっかり見ないといけません。最初から告白してもうまくいきません)思いを伝えなければなりません。思いを伝えずにいるなんて、ただ消極的なだけで、誰も評価してくれません。しかし、思いを伝えたからと言って、必ずその思いが実るとは限りません。で、実らない時にどうするかですが、私はあきらめて、次の恋を探すことをお薦めします。まあ1度くらいではあきらめられないかもしれませんね。また相手の態度が微妙で多少の希望が残っているような時には、すぐにはあきらめられないかもしれません。でも、2度目も同じ様な感じなら、もうやめた方がいいですよ。たとえ、あなたが一般的にはいい男(女)で、周りの友人が、「おまえなら絶対大丈夫だ」と言ってくれたとしても、相性やらタイミングやら、様々な要因があって、どうしても伝わらない場合もあるものです。あなたが誠実に行動して、自分をちゃんと見せているにもかかわらず、相手があなたの気持ちを受け入れてくれないなら、もうあっさりあきらめましょう。あなたが好きになれる相手はその人だけではないはずです。男も女も世の中にたくさんいます。つき合ってみたら、結構みんないい奴だったりします。自分で勝手にストライクゾーンを狭めすぎずに、恋に意欲的な気持ちを持ち続けたら、またきっと他に素敵だなと思う人が出てくるはずです。そして、あなたが友人たちから「いい奴」だと思われているなら、いつかきっとあなたの思いをちゃんと受け止めてくれる人は出てきます。意欲的に恋をして、頃合いを見て思いを伝え、だめならあきらめて、次の恋に向かう。めげずにこれを繰り返していれば、いつか必ずあなたも楽しい恋をゲットしているはずです。まあでも、思いが募って恋になるわけですから、こんな簡単に切り替えられないのが普通でしょうね。だめだったら相当に落ち込み、次の恋に行くまでには、それなりに時間はかかるでしょう。それでも、しんどい恋に固執するよりは絶対にいいと思いますよ。いっぱい落ち込んで、あきらめきれないと思っても、きっと時が癒してくれます。引きずるより頑張って断ち切り、次の恋に向かいましょう。恋は若者だけができるわけではありませんが、歳を取ってからの恋にはややこしい問題もいろいろ出てきます。若い時は単純に楽しい恋ができる時期です。しんどい恋ではなく、楽しい恋をいっぱいしてください。

P.S. ちなみに、私が「つらつら通信」に書いた恋愛論はこれで5本目です。まとめて読んでみたい方のために、号数とタイトルを以下に示しておきます。

86号 恋をしようよ!男の子/第53号 「愛」と「恋」/第15号 若乃花と癒し系/第7号 「小恋愛結婚」のすすめ

146号(2004.11.1)大河ドラマ「新選組!」

 現在放映中のNHK大河ドラマ「新選組!」は、視聴率も取れていないし、評判も高くないようですが、私はかなりおもしろい、近年稀に見る大河ドラマだと評価しています。新選組を扱ったドラマや映画はたくさん見ましたが、こんな青春友情ドラマのような新選組は初めて見ました。従来、新選組というと、近藤勇や土方歳三が40歳代(下手すると50歳代)の俳優が演じ、かなり重厚で血なまぐさいドラマになっているものが多かったと思います。しかし、今回、脚本の三谷幸喜の希望で、現実の新選組の隊士たちの年齢に近い俳優たちが集められたそうです。正直言って最初は軽すぎて、やはり140年前とは精神年齢がまったく違うからだめだなと思って、しばらく見る意欲が減退していた時期もありました。しかし、ここ2〜3ヶ月前くらいからは、なかなか魅力的な人間ドラマを見せてくれています。今週の「決戦・油小路」も傑作でした。中村勘太郎演じる藤堂平助の迫真の演技に思わず涙してしまいました。藤堂平助なんて、これまでの新選組を扱った映画やドラマではこれほどクローズアップされることのない存在だったと思いますが、その人物をここまで魅力的な存在にすることのできた脚本と演技力には拍手を送りたいと思いました。

 近藤、土方、沖田という、どの作品でも必ず主役級の扱いがされる3人以外の隊士たちが、それぞれに魅力的に描けていることが、このドラマの最大の魅力でしょう。そこにはまさに友情が成立しており、1人1人が亡くなっていくときは、まさに「同志」という名の友が失われたという気持ちに、見ている私の方もなってしまいます。実際の歴史とは大分異なるのでしょうが、この人物設定であれば、こういう展開になるのは無理がないと納得させるだけの作りになっています。私は、これまで三谷幸喜の脚本をあまり高く評価して来なかったのですが、今回の大河ドラマを見て、認識を変えました。時間的には15年間ぐらいの短い期間しか扱っていないはずですが、ちゃんと大河ドラマになっています。一見しょうもなさそうだった初めの頃の多摩での若き日々があって、現在の魅力的な物語展開が可能となっていると思います。おそらく「新選組!」を期待して見始めたのに途中から見なくなってしまったという人は、最初の頃の多摩での緊張のない物語の時に離れてしまった人だと思います。私自身もそうなりかけていましたので、よくわかります。しかし、今回の藤堂平助の最後を見ながら、多摩の試衛館時代の映像が浮かんできましたので、やはり三谷幸喜はちゃんと計算して書いていたのだなと納得しました。もしもこれまで見ていなかった方は、これから急に見ても、ずっと見続けてきた視聴者ほどには感動を得られないかもしれません。その際は、ぜひ年末の総集編をご覧下さい。でも、どの回も無駄のない構成になっていますので、総集編で短縮してしまうのはもったいないなと思いますが……。

145号(2004.10.23)何も起きない幸せ

 こんなに続けざまに自然の脅威を見せつけられると、何も起きない平凡な毎日がいかに幸せなのかを、しみじみ感じます。別に何者かになれていなくても、大きな幸運が舞い込んでこなくても、仕事をして、お腹が空いて、ご飯を食べて、眠たくなって、自分のベッドで寝られる。これだけのことが、どれほど有り難いことか、豊かすぎる日本人でもこんなときなら考えられます。こういう非常事態の時だけでなく、毎日、何も起きなかったことを心から幸せと感じて暮らせれば、「悟り」の境地に達するのでしょうが……。煩悩にまみれた俗人はなかなかその域に達することはできません。頭でこうしたことを理解することはできるし、そうしたふりをすることはできますが、それではだめです。頭で考えて演じるのではなく、自然に心からそう思えないと、悟ったことにはならないでしょう。いつの日か、そんな域に到達してみたいものです。でも、努力してそこに到達するというものではなく、日々の暮らしを送る中でいつのまにか自然にその域に到達していたいのです。著名な宗教家より、幸せそうにひなたぼっこをしているおばあさんの方が、私のイメージする「悟り」に近いような気がします。昼寝している縁側の猫もイメージに近い感じですが、彼らはもともと人間のような煩悩がないので、やっぱり違うでしょうね。何事もあるがままに受け入れる、そんな風に思える日がいつか来るでしょうか。なんだか「らしくない」文章を書いてしまいました。

144号(2004.10.22)「暴風警報で休校」という制度

 死者・不明者合わせて90人近い被害を出した台風23号に関するニュースを見ながら、しみじみ台風は恐ろしいと思いました。今年は本当に台風の上陸が多いです。特に西日本での上陸が多く、被害も甚大です。うちはマンション住まいなので、あまり直接的な被害は被っていませんが、川沿い、海沿い、山際などに建つ一戸建ての家は気が気ではないことでしょう。家は大丈夫でも、この時期に旅行を計画していた、仕事でどうしても移動しなければならなかった方々も大変だったと思います。TVの画面には、駅で足止めを喰らっている修学旅行らしき生徒たちの一群も映ったりしていましたが、こういう場合はどうなるんでしょうね。1日短縮ぐらいで済めばいいですが、場合によってはなくなってしまうこともあるのかもしれませんね。学校生活のメインイベントのひとつが消えてしまうと寂しいでしょうね。自然の力には敵わないとみんな諦め気味ですが、今年の台風の異常とも言える大量発生には地球温暖化も影響しているという説もあり、だとすると人間活動も無関係とは言えません。また、被害の程度が大きくなるか否かには、事前に行われていた災害対策、当日の対応、そして事後の対応などが大きな影響を与えるので、自然災害とはいえ、社会学的な研究対象になります。台風だけでなく、地震も大雨も含めて、「災害の社会学」が成立するわけです。こうした研究は、同じ様な被害を生み出さないために、大事な研究なのですが、私自身はそれほど強い関心を持っていません。むしろ、今度の台風で今年3回目となった休校措置に興味を持っています。

 上陸数が史上最高と言っているので当たり前ですが、年に3度もの休校措置を体験するのは初めてです。いずれも会議の予定が入っていたのですが、どうしてもやらなければならなかった1度を除き、会議は流れてしまいました。これだけ経験すると、この「暴風警報が発令されたら休校」という制度はいつどういう経緯で生まれたのだろうと気になってきました。「暴風警報が発令されたら休校」という制度はたぶん日本のすべての学校で導入されているのではないかと思うのですが(もしも自分の知っている学校にはこの制度がなかったという事実を知っている方がいたらお知らせ下さい)、これだけ万遍なく普及している制度の場合は、文部科学省の指導等がきっとあるに違いないと思い、インターネットでいろいろ調べてみたのですが、全然出てきません。どうしても納得が行かなくて、関西大学の学事課、吹田市教育委員会、そして文部科学省まで電話をかけて聞いてみたのですが、怪訝な顔(声?)で対応して下さった係りの方々も、やはりそういう指導はされていないし、してもいないとおっしゃいます。一応、ここまで言われたら信じるしかないのですが、ではこの措置はいつどの学校(自治体)が始めて、どういう経緯で普及していったのか気になって仕方ありません。私の歴史認識からすると、太平洋戦争が終了したばかりの混乱期の日本では、こんな安全措置基準なんて、まだ作られていたとは思えませんし、50年代でも個別対応でそういう措置が採られたことはあったとしても、制度化されていたとはあまり思えません。これを確認するために、朝日新聞の記事見出し検索を行ってみました。キーワードは、「暴風警報」と「休校」です。1945年から調べ始めたのですが、40年代も50年代もヒットせず、漸く1961年10月10日で1件記事が出てきました。引用しておきます。

「台風24号が近づいたので9日午後11時10分、東京地方に暴風雨警報が出た。気象庁の予報では、東京近辺がもっとも強い影響をうけるのは10日午前6時から9時頃の間で、最大風速20メートル、雨量80ミリ前後の暴風雨になる見込みという。このため東京都内公立の幼稚園、小、中、高校(全日制)は臨時休校となった。」(『朝日新聞』1961年10月10日朝刊1面より)

 もちろんこれが最初の休校措置ではないでしょう。1959年に5000人以上の死者を出した伊勢湾台風の時だって、学校が通常通りやっていたはずはありませんし、戦争中も戦前もあるいは大正・明治時代でも臨時の休校措置自体は行われることはいくらでもあったでしょう。しかし、この1961年時点でも休校措置が臨時で採られることが朝刊の1面に出ているということは、別の見方をすれば、まだ制度化がされていなかったことを示してくれているように思います。「暴風警報が発令されたら休校となる」ということが制度化されていたら、わざわざ新聞に「臨時休校」なんて見出しにつけて出す必要はないはずですから。この推測が正しければ、「暴風警報が発令されたら休校となる」という制度は1961年以降に作られた制度であることになります。実は調べはまだここまでしか進んでいません。制度として正式に導入したのはどこでいつなのか、それがなぜ全国にくまなく普及できたのか、文化伝播の一種ならタイムラグも当然生じるはずだが、どのくらいの期間で全国に普及したのか、本当に文部省(当時)は何の指導もしていないのか、こうした疑問に対する答えをなんとか探し出してみたいものだと思っています。もしも、誰かこの件について知識を持っていたら、教えていただけませんか。

〔追記(2004.10.23)〕今度は新潟で地震が起こり、被災者が出ているのに、何を暢気な調査をしているのですかと叱られてしまいそうですが、昨日までの調べが途中までだったので、その後の調査結果を記させていただきたいと思います。

 朝日新聞の記事見出し検索を「臨時休校」でやってみたところ、1956年9月9日に鹿児島、宮崎、大分の3県下の多くの学校が台風のために臨時休校になったという記事が見つかりました。(ちなみに、朝日新聞の見出しに表れた戦後最初の臨時休校の記事は、「食糧難と燃料不足のため、北海道大学で12月21日から2月16日までを休校にすることに決めた」(1945年11月17日)というものでした。)ほぼ同じ時期である1956年10月7日の朝刊に「台風時の臨時休校問題」と銘打った非常に興味深い投稿が見つかりました。これは、当時の学校や教育委員会の台風に伴う休校措置についての対応を知ることのできる価値ある投稿なので、ちょっと長いですが、全文を紹介してみます。

「4日付の『もの申す』欄に台風15号が南関東通過の予報が出された9月27日に、都の教育庁の指令による公立の幼、小、中、高臨時休校の通知をラジオで知り、これを信じて目黒区立第1中学校に在学中の子供を休ませたところ欠席となったという学校側の処置に対する非難がその父兄から出されていた。これに対して同校長や同教育長の答えに問題がある。第1に『都教育庁からの指令のラジオ放送を信用するに値しない』ということ。何のために都教育庁がラジオを通じて公報を出したのだ。未然に事故を防ぐためではなかったのか。第2に『他の生徒が登校しているなら来るべきだ。授業に出た生徒と休んだ生徒とは区別すべきで、出なければ欠席とする』ということだが、事故が起こらなかったからよいようなものの、万一台風が予報通りに襲い、登校生に事故を与えたらどうなるか。第3に『学童が風の中を登校するのも1つの鍛錬である』。これから台風が襲ってくるかもしれない事態にこんな非常識な言葉を吐くとは。教育委員長にこんな台風おやじがいるとはまことに残念です。」(投稿者は東京在住の学生)

「台風おやじ」とはなかなかのネーミングです。こんな発言を教育委員長がすることは現在の日本では考えがたいですが、この投稿が書かれた時期は10年ちょっと遡れば戦争をしていたという時代ですから、台風ごときなにするものぞという気風の人たちがたくさんいたのもまた事実だろうと思います。「暴風警報で休校」が制度化される下地はまだ十分に整っていなかった時期だったと言えるでしょう。この後、1958年9月18日、1961年9月16日、そして昨日も記した1961年10月10日にそれぞれ台風のため、東京都で臨時休校措置が採られています。朝日新聞縮刷版で知りうる台風襲来による臨時の休校措置に関する記事は、1967年9月14日夕刊に出ている千葉市、船橋市、市川市でなされたものが最後のようです。(ちなみに、この時、私はちょうど船橋市で小学6年生だったのですが、記憶にはまったくありません。)1972年7月15日夕刊に多摩地区で台風による大雨のため臨時休校にする学校が多かったという記事があるのですが、こちらは暴風ではなく大雨冠水によるもので、現在でも多くの学校でこの休校措置は臨時で採られるものになります。以後、台風(暴風警報)で臨時休校になったという記事は一切なくなりますので、やはり60年代に各地で制度化されていった可能性が一番高いように思われます。またこの時期は交通機関が「春闘」の名の下に毎年恒例のように電車を止めていたため、高校や大学では台風と交通機関のストライキをセットにして、臨時休校制度を整備する必要があったのだろうと思います。このようにおおよその時期は絞れてきたのですが、制度化を最初にした地域(学校)、その時期、その後の急速な普及の理由等は、残念ながらいまだにわかっていません。今後も折りを見て調査を継続したいと思っています。

ちなみに、関西大学の「暴風警報による休校」制度は1994年1月24日制定になっているのですが、これは、たぶんその前に類似制度があったものを廃止して、新制度として制定したのがこの時期だったということだと思います。職員勤務に関して暴風警報が発令された場合に休業措置を採ることが制度化されたのは1976年4月15日となっていますので、休校もこの時からか、あるいはこれより以前に制度化されていたと考えるのが妥当だと思います。

143号(2004.10.9)運動会が見たい!

 キャッチボール話の反応の良さに調子に乗ったわけではないのですが、子どもがらみでもうひとつ。実は、すぐ近くの公立中学に通っている娘たちの運動会(体育大会というそうですが)を見に行くことができません。今年も去年も木曜日に行われていて、私は見に行けません。文化祭にあたる「文化総合発表会」も木曜日に行われて、やはり見に行けませんでした。なんで土日を使ってやらないのでしょうか。私立中学に通っている息子の学校は、体育祭も文化祭もちゃんと土曜日にやっています。公立の教員は公務員意識が強く、土日に働きたがっていないのかなとも思いますが、小学校の運動会はこのあたりでも日曜日にやっていますから、中学だってできないはずはありません。小学校にある「父親参観日」も中学ではありませんし、なんだかまるで公立中学は、なるべく父親を学校に来させないようにしているかのようです。昔は中学校の体育祭も日曜日に行われていました。父親の子育て参加がもっともっと必要だと唱えられているこの時代に逆行しているようなやり方に思えてなりません。かなり本気で学校か教育委員会に疑問をぶつけてみようかと思っている今日この頃です。かつて、JALに闘いを挑んだパワーが再び出るかどうか……。(参考:「ロンドン便り(番外編)」第192、197号)

142号(2004.10.1)ちょっと聞いてみたいのですが……

 先日3回生ゼミでちょっと議論が盛り上がったテーマなのですが、広く皆さんの意見を聞いてみたいので、ここにも書いてみます。聞きたいのは、「つき合っている彼氏/彼女が、『旅のおみやげ』と言って、500円くらいの小さなおみやげを持ってきたときに、あなたは心から喜んで『ありがとう』って言えますか?」という問いなのですが……。この問いは、ある学生が自分の所属サークルの夏合宿参加者を対象に「おみやげ」について簡単な調査をし、その中で男子学生は彼女がいる人でも誰もおみやげを彼女に買っていなかったのに対して、女子学生は数人が彼氏におみやげを買っていたというところから生まれました。おみやげの価格はすべて1000円未満の安いものばかりです。たいした数が調査対象になったわけではないので、データの信憑性はないといえばそうなのですが、なんとなく一般的な傾向ではないかと思えなくもありませんでした。女性は安いおみやげでもちょっとかわいいものであれば、「はい、おみやげ!」って渡せそうだし、彼氏の方も物がなんであろうと彼女の気持ちが嬉しいと「ありがとう!」って心から言いそうな気がするのですが、これが逆だとこうはならないのではないかという気がしてなりません。男性が小さなおみやげ――例えばキーホルダーや携帯ストラップ、貝殻の瓶詰め、手鏡、ハンカチーフ、etc.――を「おみやげだよ」と持ってきたら、その物に関わらず彼女は「ありがとう!」と心から言えるのでしょうか。もちろん、彼氏がすごく貧乏で、そのおみやげさえ結構痛い出費になっていることを知っていたら、素直に喜べるでしょうが、通常の暮らしをしている彼氏であった場合、「えっ、何これ?」とか思いませんか?少なくとも、そんな安いおみやげを渡したら、彼女が喜ばないのではないかと、漠然と不安に思っている男性陣は結構いませんか?男性がプレゼントを彼女に渡す限り、それなりの物でなければいけないと、男性も女性もなんとなく思っていませんか?原材料費2000円ぐらいの手作りマフラーと2万円ぐらいのディナーの「社会的交換」をした経験のある人は結構いるんじゃないですか?(学生に聞いたのですが、「ホワイトデー」は3倍返しなんて、インフォーマル・ルールも存在するとか……。)

 どうも経済面に関しては、やはりまだ男性の方が期待されているようです。昔調査をしたことがあるのですが、大学生同士のつき合いではデートは割り勘派が多かったですが、社会人になると圧倒的に男性が多く出すのが当たり前となっていました。大学生でも男性が大目に出すべきという意見は結構ありましたが、女性が多く出すべきという意見は皆無だったと思います。確かに性別で平均収入を比べたら、男性が女性よりもはるかに多いでしょうが、男子学生と女子学生では経済力には差がないはずですが、それでも、男性の方が経済的負担を多めにすべきだし、より高価なプレゼントをすべきだという社会的慣習は存在するように思います。別にこの社会的慣習が悪いと言いたいわけではないのですが、経済的にはイコールにならない社会的交換もなんらかの形でイコールになっていないと長期的には継続されえないはずです。経済的な面で男性が期待されるとしたら、女性は何を期待されるのでしょう。ちょっとここには書きにくいストレートな答えを想像された方も多いでしょうが、それより本当は「細やかな心遣い」とかだったのではないかと思うのですが……。でも、今は女性にそういうことを求めると、「女らしさ」の押しつけだと批判されるようになっています。そういう批判が見事に浸透したのか、実際今どきの大学生をみていて、女性の方が細やかな心遣いができているかと言えば、かなり疑問です。なんだか最近の大学生の状況は、女らしさの呪縛から解き放たれて利用したいときだけ軽やかに女らしさを利用できる女子学生たちに対し、男らしさの呪縛に囚われたまま男らしく行動できないことに悩む男子学生たちといった構図になっているような気もします。もちろん、年輩者も含めてトータルで見たら、まだまだ「らしさ」が呪縛になっているのは女性の方で、男性は呪縛どころか「男らしさ」に何の疑問も感じず生きているというような面もあるとは思いますが。ジェンダー論なんかを中途半端に知ってしまった男子学生が一番しんどいのかもしれませんね。

141号(2004.9.20)16年目の夢の結実

 男の子が生まれたときに、父親となった男が持つ夢って、どんなものがあるか想像がつきますか?よくある夢としては、「将来、息子と酒を酌み交わしたい」かなと思いますが、お酒は成人してからでないといけませんので、もっと早く叶えられる夢としては、「息子とキャッチボールをしたい」なんていうのがあります。かく言う私も「野球少年」だった過去を持っていますので、まさにそういう夢を持ったひとりでした。ところが、我が息子は、運動が大嫌いで、野球どころか球技全般に全く興味を示しませんでした。それでも、時々運動好きの娘たちの相手をするという名目で、息子も引っぱり出し、キャッチボールらしきものをしてみたりしたこともありますが、なんだかとてもつらそうで、無理なことを強いているんだなと思わずにはいられませんでした。そしてある時期から息子を誘うのはやめました。それから約6年経った今年、突然息子が「お父さん、グローブ、持ってるよね?」と聞いてきました。「持ってるけど、使うの?」と聞くと、最近学校で野球チームを作って試合をするのが流行っていて、息子もやることになったというのです。なぜか息子がキャプテンでチーム名は、「吹田片桐ケミカルズ」というのだそうです。みんな野球の素人みたいな子ばかり集まったチームだというのです。なんか笑ってしまいたくなるとともに、すごく嬉しくなってしまいました。「そうかあ、野球、やるのかあ」「うん」「じゃあ、今度休みの日にでも、練習しようか」と言うと、嬉しそうに「うん!」と言いました。

 そして、今日、息子が生まれて初めて、本当にやる気満々で、一緒にキャッチボールやバッティング練習をしました。暗くなってもう練習ができなくなった後も、「こういう場合はどうしたらいいの?」「こういう場合は?」といろいろ質問をしてきました。息子は感じていなかったかもしれませんが、父親の私は実はものすごく感動していました。初めて息子と楽しくキャッチボールができて、野球談義ができたのです。16年目にしてひとつの夢が結実した日として、9月20日は私の新たな記念日となりました。まさに文字通りの「親馬鹿」エピソードで、HPに掲載して人様に読んでもらうようなことではないとは思ったのですが、あまりに嬉しかったのでつい書いてしまいました。

140号(2004.8.19)ディズニー神話の崩壊?

 お盆休みに初めて「ディズニーシー」に行ってきました。鳴り物入りで登場して約2年。ミーハー社会学者としては、一度は行っておかなくてはと思い、混雑を覚悟の上で、家族で行ってきました。感想を一言で言えば、「しょぼい」です。あまりにしょぼい。こんなアトラクションで、今どき客が満足すると思っているのか、金返せと言いたくなるようなものばかりでした。もっとも混むだろうと予想されるお盆シーズンなのに、ほとんどすべてのアトラクションを体験できてラッキーだと思いましたが、後から考えたらこれもリピーターがあまり来ていないせいだったのでしょう。こんなつまらないアトラクションを2度も味わおうとする奇特な人はほとんどいないと思います。園内で働いている人も「ディズニーランド」では客を乗せるのがうまく、客を物語の登場人物の気分にさせてくれるとよく言われてきましたが、「ディズニーシー」では、みんな演技が下手(棒読み)で、ちっともその気にさせてくれませんでした。確か「ディズニーシー」は本場アメリカにはない、日本用に作られたものなんですよね?そのせいなのでしょうか、あまりにも底が浅い。企画は日本側でしたんでしょうね。金をかけてないように作ったものばかりでした。はっきり言って、これなら「志摩スペイン村 パルケ・エスパーニャ」の方がずっといいですよ。もちろん「ユニーバーサル・スタジオ・ジャパン」とは比べものになりません。「ディズニーシー」はきっとどんどん客数を減らし、「ディズニーリゾート」(「ディズニーランド」と「ディズニーシー」をセットで言う言い方だそうです)の「鬼っ子」になることでしょう。東京という多くの人が集まる場所にあるので、「ディズニーリゾート」が潰れることはないでしょうが、「ディズニーシー」単独で5500円の料金はいつまでも維持できないでしょう。きっとあと2〜3年したら「ディズニーランド」とセットで7000円、「ディズニーシー」だけなら2500円ぐらいまでダンピングされているのではないかと思います。まあ私はその値段でももう2度と行きませんが。とにかく星1つもあげにくいしょうもないテーマパークです。デートなんかで行ったら、誘った方が「ごめん。こんな所だとは思わなかった」と謝らなくてはならないような所です。絶対行かない方がいいですよ。日本では「ディズニー」がやれば何でも成功するという「ディズニー神話」はもはや崩壊したように思います。

139号(2004.7.31)ドラマティック・スポーツ

 見ていなかった人にはわからないと思いますが、今日のサッカー・アジアカップの日本―ヨルダン戦は実にドラマティックな試合でした。こういう試合にたまに出会うからスポーツ観戦はやめられないんですよね。PK戦で0−2から逆転できるなんて、誰かが脚本を書いているのではないかと疑いたくなるような展開でした。いやあ、日本サッカー史に残る試合を見せてもらいました。こうしたドラマティックな試合は、もちろんサッカー以外でもあります。プロ野球では、史上唯一の天覧試合の巨人―阪神戦の長嶋のサヨナラホームラン、「江夏の21球」、バース、掛布、岡田の3連続バックスクリーンへのホームラン、3年前の近鉄北川の逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランが出た試合なんかがそれに当たるでしょう。相撲では、例の小泉首相が「感動した!」と叫んだ貴乃花の優勝場所などが記憶に新しいものとしてあります。負けたら終わりというトーナメント方式の高校野球では、ドラマが作られやすいです。西武の松坂が3年生だった夏の「PL対横浜」なんか死闘と呼ぶにふさわしい試合でした。サッカーでは、「ドーハの悲劇」「アトランタの奇跡」「ジョーホールバルの歓喜」なんかがそれに当たるでしょう。それにしても、今日の試合で改めて川口能活というゴールキーパーのすごさを実感させられました。「神憑り」という言葉を使いたくなるような活躍でした。そういう星の下に生まれた人なのでしょう。野球界では長嶋茂雄がそうでした。大きな試合になればなるほど、ものすごい集中力が出て超人的な活躍ができるタイプです。単なる偶然ではなく、運を呼び込むにはそれだけの技術と、そしてハートの強さが備わっているということなのでしょう。私が一貫して主張しているように、日本代表のゴールキーパーは、絶対川口です。

〔追記〕準決勝のバーレーン戦も「死闘」になりました。今回のアジアカップはかなりおもしろいです。(2004.8.3)

138号(2004.7.28)プロ野球再編問題

 最近プロ野球にほとんど関心のなくなっていた私は、近鉄とオリックスの合併問題から始まった一連のプロ野球再編問題も、放っておいてもいずれ落ち着くところに落ち着くだろうと、あまり強い関心を持たずにいたのですが、ちっとも報道の勢いは衰えず連日連夜ニュースでやっているので、私も一言述べたくなってきました。読売新聞は違うのだと思いますが、日頃意見のほとんど合致しない朝日新聞と産経新聞は、この問題では2リーグ制維持で立場を同じくしています。テレビも読売系は別として、巨人の渡辺オーナーは横暴だ、1リーグ制は間違っている、阪神球団社長は頑張っている、合併はすべきではない、選手会負けるな、といった論調が多いように思います。確かに、渡辺オーナーの傲慢の発言は私も大嫌いですが、ただ彼の強烈なマイナスイメージでこの問題が的確に認識されていないのではないかという気がします。もう少し冷静に分析する必要があるのではないでしょうか。

 まず阪神をはじめとする巨人以外のセリーグ球団がなぜ2リーグ制維持を求めるのか?理由は簡単です。1リーグになったらドル箱である巨人戦が少なくなってしまうからです。4チームと6チームでも交流戦をやれば2リーグ制が維持できると主張していますが、冷静に考えたら誰もそんなバランスを欠いた2リーグ制を長期的に認めることなどできないはずです。万一、10球団で2リーグ制ということになったら、せめて5と5にすべきでしょう。その際に、巨人がパリーグに移ることにしたらおもしろいと思いますよ。きっと阪神球団社長は今度は率先して、やっぱり1リーグにしようと言い始めると思います。今、阪神球団社長は正義の味方みたいな取り上げられ方をしていますが、要はパリーグ各チームの経営危機などにはまったく興味がなく、ひたすら既得権益を守ろうとしているだけです。私は2リーグ制でも1リーグ制でも構いませんが、2リーグ制の場合は毎年リーグ構成チームを変えて、いろいろな試合を見せてほしいと思っています。セリーグの1,3,5位とパリーグの2,4,6位が翌年のセリーグを構成し、パリーグの1,3,5位とセリーグの2,4,6位が翌年のパリーグを構成するなんてアイデアをずっと前から私は持っていました。それをしないなら、1リーグ制の方がいろいろな試合が見られて楽しそうです。12球団あっても1リーグの方がおもしろいのではないかと思っています。

 次に選手会が被害者(弱者)のように扱われていることに疑問があります。近鉄を合併にまで追い込んだのは、他にもいろいろ要因があるでしょうが、選手の年俸が高くなりすぎていることも大きな原因でしょう。FA制度の導入がもっとも大きな影響を与えていると思います。ほとんど試合に出ていない名前だけの選手が4〜5億円ももらっていたり、2〜3億円の年俸をもらっているレギュラークラスはごろごろいるし、1億円以上もらっている選手は一体何名いるのか余程の野球好きではない限りわからないほどです。基本的にプロ野球選手の年俸は高すぎると思います。これが経営を圧迫しているわけです。かつてプロ野球選手の年俸が高すぎるのではないかと問われた江川卓氏は、「プロ野球選手の寿命は、一般の勤めに出ている人よりはるかに短いので、一般の人が35〜40年かけて稼ぐものを10年ぐらいで稼いでいると考えればそう高くはないのです」と言っていましたが、それはおかしいとその時から思っていました。選手としては引退しても後は無収入の余生を送るわけではなく、それぞれなんらかの仕事をして収入を得ているはずです。残りの30年以上の人生をずっと無収入で暮らすわけではないのです。百歩譲って、江川氏の論理を認めたとしても、せいぜい一般企業勤めの人の3〜4倍程度の年収でいいはずです。数億円の年俸は高すぎます。選手の高年俸を擁護するもうひとつの論理として、「プロ野球選手は子どもたちに夢を与える存在でなければならない。それは金銭面においてでも必要であり、プロ野球の選手になったら、こんなにお金ももらえるのだということを示すのはよいことなのだ」というものがあります。でも、これもおかしいと思います。どの道でも成功したら経済的にも豊かになれるという動機付けはあってもいいと思いますが、あるスポーツだけが突出しているのは違和感があります。サッカーもヨーロッパなどはやはり同じ問題点を抱えていると思いますが、スター選手が漸く1億円もらえるかどうかというJリーグなんかはちょうどいいと思います。プロ野球はJリーグよりは収入が多そうですので、最高レベルの選手で3億円、超一流で2億円、1億円を超える選手は各チーム2〜3人程度だと妥当な気がします。また夢を与えるというより、野球少年以外の子どもたちは、あまりの収入の違いにがっかりして、こつこつ努力するのをやめてしまうかもしれません。そんなことが生じないようにするためにも、もっと選手の年俸を抑えるべきだと思います。これについては、特に巨人が悪いです。最後は巨人が莫大な金で拾ってくれるという構造があるので、選手も強気になるのです。選手会もその辺のことを頬被りして、合併反対、ストライキも辞さず、なんて言っても、私は支持できません。全選手が年俸を半額にするから、近鉄とオリックスは合併しないでほしいというなら、私も支持します。しかし、自分たちの経済条件は悪化しないことを前提にするなら、経営を維持できない球団が出てくるのもやむをえないでしょう。チームが減って働き口が少なくなるとしても、現在のような超高年俸を選手たちが望むなら、それも当然のことと受け止めるべきなのではないでしょうか。近鉄球団を買い取りたいと申し出ているライブドアの社長さんも、もしも買ったとしても、今の年俸ではすぐに放り出すことは見えています。選手の年俸高騰問題をなんとかしない限り、日本のプロ野球に明るい未来はやって来ないでしょう。いずれにしろ、このプロ野球再編問題も、マスメディアの操作するポピュリズムに流されずに、冷静に判断する必要があると思います。

137号(2004.7.19)親しい友人の意見はどの程度参考になるか?

 もうじき夏休みが来ます。秋になると3回生は就職のことも真剣に考え始めるようになるでしょう。まず最初に必ずやりなさいと言われるのが自己分析です。でも、なかなか自分のことは客観的にはわからないので、自分はどういう人間だと思うかと自分のことをよく知っている親しい友人に聞く人が多いことでしょう。しかしここで、私はひとつの疑問を提示したいと思います。親しい友人に見えているあなたの姿は、初めて会った人やそれほど親しくない人にも同じように見えるものでしょうか?親しい友人は「おまえは誤解されやすい奴だけど、根はいい奴だよ」とか「ちょっと冷たく見えるけど、本当は暖かい優しい人間だよね」なんて言ってくれます。もしもこういう言葉で自分はちゃんと理解される人間だと思うとしたら、あなたは甘すぎます。親しくなって初めてわかるような性格がいくら素晴らしくとも、就職活動ではあまり意味を持ちません。初対面でも10分会話すれば自分の魅力は出せるという人間になっていないと、就職活動ではポイントになりません。第3者に自分という人間がどう映るかを知りたければ、親しい友人よりも、それほど親しくない知人の意見の方が参考になると思います。もちろん、仲のよい自分のことをよくわかってくれている友人と一緒にいるのは気楽だし、心地よいものです。日常的には、そういう関係の中で気持ちよく過ごしていても構わないと思いますが、就職活動という厳しい社会の試練を受ける前に自分のことを知っておきたいと思うなら、親しい友人の意見ばかり聞いていては痛い目を見ると思います。まったく知らない人に「自分はどう見えるか」と聞いても外見的な印象しか答えられないでしょうから、適度な知人にでも分析してもらうといいのではないかと思います。的確な他者分析のできる毒舌家の知人なんかがいると、こういう時便利だと思います。まあでも「傷つきたくない・傷つけたくない症候群」の若者ばかりの時代ですから、なかなかストレートに言ってくれる人は少ないと思いますが……。

136号(2004.6.30)捕まったブランコ

 うちのマンションの敷地内にあるゆりかご型のブランコが1ヶ月ほど前からロープで縛られたままで放置されています。なんだか悪いことをして捕まってしまったみたいで哀れです。うちの子どもたちが小さかった時はよくお世話になったブランコなのにと、なんだか可哀想でなりません。なんでこんなことになったかと言えば、今年の4月に高槻の回転遊具で起こった事故のせいです。動く遊具は危険だという単純な発想で使用禁止にしてしまったということです。こうした事態はうちのマンションだけではなく、あちこちで生じていることと思います。本来はきちんと点検して安全に利用できるようにするのが筋だと思うのですが、とにかく少しでも危険のあるものは使用させないという「臭いものには蓋をする」という根本的な解決を避ける安易な発想に基づく予防策です。先日読んだ新聞には、落ちたら危険なので、今学校から高鉄棒がどんどん消えているという記事も出ていました。滑り台も高いから危ないと言われて使用禁止になる日ももうすぐでしょう。しかし、そんなに過保護な環境を作り出して子どもを育てるのは間違った方向ではないかと思います。外を普通に歩いているだけでも交通事故に巻き込まれる可能性はあるし、上からものが落ちてくるかもしれません。徹底して危険を回避しようと思ったら、子どもを外では遊ばせられなくなるでしょう。そんな無菌室で育ったような子どもが成長して社会の荒波の中でまともにやっていけるとはとうてい思えません。過度な危険は回避するように大人が気を付けるのは当然ですが、適度な危険(子どもが自分の判断で避けうる程度の危険)はむしろ経験させて、危険回避の方法を会得させるようにすべきです。なんで、ゆりかご型ブランコのような危険度の小さいものまで使用禁止にしてしまうのか、疑問でなりません。まあ個々の親がそうしろと言っているというよりも、管理責任を問われる可能性のある管理組合などが、事故が起こってから非難されるのを恐れて決めてしまったことだと思いますが。子どもが事故や事件に巻き込まれると、すぐにマスコミは子ども自身よりもその問題に関係した権力主体(行政や学校等)を責め立てるので、こうした過度な予防対策が取られるのだと思います。どんなに注意しても事故はどうしても起こります。起こったときに、如何にそれを受け止めるかが、社会にとっては重要です。レアなケースを拡大解釈して全体のバランスをおかしくするような対策は取ってはならないのです。

135号(2004.6.13)過進国

 各国の首脳が顔を売るためだけの役割しか果たしていないサミットが今年も終わりましたが、開かれるたびにいろいろな疑問を持ちます。サミットって、昔は「先進国首脳会議」と日本語訳が当てられていたような気がしますが、最近は「主要国首脳会議」になっているようです。「主要国」ってどこなんですかね?アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本の7カ国で始まり、最近はロシアとEUも加わっています。最近の伸びからすると、中国も近い内に入れないと、「主要国首脳会議」にならないのではないかと思います。まあいずれにしろ、恣意的に選ばれた国々でたいした意味はないと個人的には思うのですが、このサミットのメンバー国に入っていることで、日本は一流の先進国だと漠然と思っている日本人は多いように思います。でも、実際のところはどうなのでしょうか?最近、お隣の韓国と日本はどっちが進んだ国なんだろうと思うときがあります。1988年のソウルオリンピックの頃は、1964年の東京オリンピックの頃の日本の勢いと似ているなと思った人で、2002年のワールドカップではもうほとんど差はないという印象を持った人は多かったのではないでしょうか。今や、分野によっては韓国の方が勢いがあるところも少なくないように思います。映画やドラマはかつては日本のものがアジアに輸出されていたのに、最近は韓国がアジア最大の輸出国になっているそうです。私も、つい先日「シルミド」という韓国映画を見たのですが、感動しました。久しぶりに映画館で涙をこぼしてしまいました。「シュリ」「JSA」の流れにある北朝鮮との緊張関係を背景にした映画ですが、その2本よりも映画としてよくできています。「冬のソナタ」にもはまっていますし、最近は日本のものよりも韓国の映画・ドラマに魅力を感じています。シリアスな作品は徹底的にシリアスに、ロマンティックなものは徹底的にロマンティックに作り上げているところが、単純な私にはぴったりなのかもしれませんが。しかし、人間って複雑になればなるほど進歩していることになるのでしょうか。最近の日本の進歩的論者の発言などを聞いていると、「それはあまりに行きすぎた主張ではないか」と感じることが多々あります。また、文化状況も「自由」を楯にやりたい放題になっているような気がします。「冬のソナタ」は、ストーリー自体はたいしたものではありません。しかし、あのドラマに中年以上がはまるのは、主役2人の清潔感のためだと思います。その清潔感は外見だけのことではなく、まじめな恋愛観などの内面も含めてです。日本にもいろいろ素晴らしい若者がいますので、「最近の日本の若者は……」なんて単純化した言辞を吐くつもりはありませんが、全体として見た場合、韓国人のまじめさ、真剣さは、今や日本人を完全に凌駕しています。というより、日本人の価値観から本物のまじめさ、真剣さが消えかけてさえいるように思います。どちらが「先進的」なのかと言えば、確かに日本なのかもしれません。しかし、それはもはや「先進的」というより「過進的」というべきところまで来ているのかもしれません。日本は「先進国」ではなく「過進国」といった方がいいのではないでしょうか。

134号(2004.6.6)焼酎ブームに一言

 幻の芋焼酎「森伊蔵」の偽物が売られていたというニュースが少し前に流れていましたが、こんな事件が起きるほど、昨今は空前の「焼酎ブーム(特に芋焼酎ブーム)」です。私はお酒を飲み始めて約30年ですが、この間「焼酎ブーム」が生じたのは初めてだと思います。おそらく、日本の飲酒文化史上でも初めてのことではないでしょうか。焼酎なんて一昔前はおっさんの飲み物で、もっともださい酒というイメージだったのに、今やすっかりおしゃれになってしまいました。私自身も昔は焼酎なんてまったく飲みませんでした。最初はビールと熱燗、そしてウィスキーというところでした。20年ちょっと前頃から「チューハイ」(最初はレモンとライムぐらいしかありませんでした)が登場し、その後、冷酒のブームがやってきて、私もそれぞれはまっていた時期がありました。焼酎を飲み始めたのは、10年ほど前で、お酒好きの先輩につき合って「いいちこ」(麦焼酎・キャッチフレーズは「下町のナポレオン」)から飲み始めました。でも、その先輩自身もそうでしたが、焼酎の方がおいしいと思って飲んでいたというより、日本酒より安いから焼酎にしていたのです。7〜8年ほど前に沖縄に行った際に文字通り三日三晩、泡盛を浴びるように飲んだのに、翌日がまったくつらくないという経験を経て、次の日がしんどくないお酒として焼酎を好んでよく飲むようになりました。それでも、まだしばらくは癖の少ない米か麦の焼酎を愛飲していました。芋党に転じたのは、3〜4年前のことです。私が焼酎の味を教えた教え子が「先生、芋を飲んでますか?芋がおいしいですよ」と教えてくれたのがきっかけでした。芋焼酎と言えば、焼酎の中でももっとも安物の、もっとも親父くさい酒の代表で、においもくさいという話を聞いていたので、それまでまったく飲まずにきたのですが、誘われて飲んでみたら、全然くさくなんかないし、むしろ米や麦の焼酎よりうまみを感じることができ、しみじみ「これはうまい!」と思いました。ここに至って、ついに日本酒より芋焼酎の方がうまいという境地に達し、完全な焼酎党(それも芋焼酎党)になったわけです。それから、家には芋焼酎を切らさないようにおいています。そんな「芋焼酎党」である私ですが、「幻の○○」なんて言われて、焼酎が高価なお酒になってしまうことにはおおいに疑問を感じます。焼酎はあくまでも安い酒であることが大事です。焼酎にブランドができ、べらぼうな値段で売られるなんて、それはもう焼酎ではありません。ブームが生じると、必ず蘊蓄を傾ける好事家も出てきますが、焼酎はそんな輩とは、本来無縁であるべきです。焼酎は、ブランドなんてどうでもいいからいつまでも安くてうまい庶民の酒でありつづけてほしいものだと願っています。

133号(2004.5.19)大学教師の事務能力

 大学の先生なんて人種は世事に疎く書斎に籠もって勉強ばかりしているんだろう、なんてイメージを持っている人はまだいますかねえ?大学に入って間のない新入生ならまだ思っているかもしれませんね。まあ多くの学生さんは知ってくれていると思いますが、大学の教師がしなければならない事務的な仕事って実はすごくたくさんあります。本来は事務仕事というよりは大学の行政・運営に関わる仕事というのが正しいのでしょうが、事務職の方にすべてをやってもらうわけにも行かず、結局自分で多くの事務的仕事をこなすことになります。私なんかは、そういう仕事も大学教師がしなければならない仕事のひとつと割り切っていますが、いまだに「そういう仕事は大学教師のすることではない」と言い切る方もおられます。二昔ぐらい前の国立大学なんかだと、そういう先生がかなりいて、研究に関わることでも単純作業に近いことは自分ではやろうとせず、たとえば、雑誌論文などは雑誌名、巻号数と著者名だけ伝えて、後は秘書や助手や院生を走らせてコピーをさせ、製本して届けさせたりしていました。しかし今や、こういう大先生的な生き方は、文科系学部では余程の売れっ子著述家になっているか身の程知らずかでない限り、旧国立大学も含めて難しくなってきていると思います。まあ確かに、こうした事務的(行政的)仕事が増えると、研究時間が減るのは事実です。ですから、あまりやりたくないという気持ちは私も十分理解できますし、私だってそうたくさんはやりたくありません。ただ、やらなければならなくなったときは、割り切って効率よくきちんとした仕事をしてみせなければならないと思っています。一般の方々は「大学の先生は頭がよいのだから、やる気にさえなったら、誰でもそういう事務的な仕事でもてきぱきこなすのだろう」と思われるかもしれませんが、現実はそれとはほど遠い状態です。きちんとやらなければならない地位に就いても、問題のポイントがどこにあるかわからない、論理的に説明できない、状況が把握できない、過去の例や規定も調べない、単純ミスは犯す、感情的になる等々、一般の企業だったら、とっくのとうにお払い箱になっているか閑職に飛ばされているであろう人がたくさんいます。こういう人たちをかばうときによく使われるのが「まあ、○○先生は学者だから」というセリフなのですが、私はいつも疑問を感じています。やらなければいけない地位に就いても、きちんと役割をこなせない(=仕事ができない)人が、どうして研究の時だけはきちんとした仕事ができるって信じられるのでしょうか?問題のポイントが見つけられない人は、研究する上での問題意識も構築できないでしょうし、論理的に説明できない人が論理的な論文を書けるはずはなく、状況把握ができなければフィールドワークなんか絶対無理です。過去の例や規定を調べない人は、データを集めたり文献を調べたりもしないでしょうし、単純ミスに気づかない人間に統計的データの解析は不可能です。結局、何が言いたいかと言うと、事務能力は低いけれど研究能力は高いなんて大学教師は存在し得ないのではないかということです。事務能力も研究能力も使う能力(たぶんもっとも重要なのは「論理的思考力」)自体にそう大きな差はないと思います。事務的な仕事をきちんとこなせない大学教師の研究能力は疑ってみた方がいいと思います。ちなみに、事務的仕事をきちんとこなない大学教師の中には、研究能力の高い人はいる可能性がありますが、この手の人たちは「自己中」である可能性が非常に高いので、教師としての役割も最低限度にしたがるはずですので、学生諸君が関わる上ではやはりお薦めではないと思います。まあでも、事務能力が高く、その能力を生かして学内行政というか学内政治にばかり比重を置くようになってしまっている教師も本末転倒だと思いますが。大学教師は、研究・教育・行政の3つをバランスよくやっていかないといけない時代です、今は。

132号(2004.5.18)気配り+α

 「リーダーは気配りと強引さを合わせ持っていなければいけない」というのは私の長年の持論ですが、最近の若い人たちはあまりリーダーになりたがりませんので、こういう発言を私がしても「自分には関係ないことだ」と聞き流されてしまっていることも多いように感じます。で、新しいキャッチフレーズを考えてみました。「気配りと笑顔があれば人間関係は必ずうまく行く」です。なあんだ、そんなことなら言われなくてもわかっていますよってみんな言うんでしょうね。じゃあ、実践できていますか?仲のよい友だちとの間でならできていますなんていうのは、できているうちに入りませんよ。堅苦しい場面でも、知らない人がたくさんいる場面でもできていると言える人のみ、実践できている人と認めたいと思います。笑顔の効果はみんな知っていますよね。アイドル歌手も、政治家もみんな笑顔で写真には写ろうとしますし、チアガールやエアロビクスのダンサーは踊っている時は、どんなにしんどくても笑顔を絶やしません。そんな特別な人の例を出さなくても、みんな写真を撮るときは「はい、チーズ!」ですからね。中には、どういう笑顔がもっとも魅力的に見えるかを鏡の前で日夜研究している人もいるかもしれませんね。でも、ここぞという時以外でも、笑顔で人と応対できているかというと、みなさん自信はありますか?「作り笑顔」と非難する人がいるかもしれませんが、私はいつも笑顔でいられる人は高く評価します。嫌なこと、緊張すること、いろいろなことがあるでしょうが、そんなときでも、笑顔を絶やさずいられる人はとても魅力的です。逆に、笑顔が少ないので損している人もしばしば見かけます。たとえば、先日運転免許証の書き換えに警察署に行ったとき、応対してくれた女性警察官がまるで笑顔で応対したら損をするとでも思っているのかと疑いたくなるほど、機械的な顔と口調で事務的に応対しました。ずっと笑顔でいてほしいとは望みませんが、「はいこれで結構です」なんて言う時ぐらいは、笑顔を見せてもいいんじゃないかなと思いました。大学で学生と会ったときも、笑顔で挨拶してくれると、とても幸せな気持ちになります。

まあでも、笑顔はわかりやすいし、作るのもそう難しくはありませんが、上手な気配りとなるとそう簡単ではありません。とにかく相手に気を使えばいいんでしょうなんて言う人は、気配りなんか全然できていません。気を使っていることを相手にどれだけ気づかせないかによって気配りのレベルは変わります。気を使われていることに気づいてしまったら、申し訳ないなという気持ちになって、相手の気配りを単純に享受できなくなります。相手ものびのび楽しそうに過ごしているなと思いながら、自分の方も楽しく過ごせているような場合は、とても気持ちがよいものですが、後からよく考えたら、その状況は相手が最上級の気配りをしてくれていたことによって生み出されていたなんてことがしばしばあるのです。両方とも気配り上手なら、その気の配り方は高度なものになり、第3者から見ると、「えっ、そんなことまで言い合っていいの?」と心配になったりするようなざっくばらんな会話でも、おおいに楽しめたりします。もちろん、そうできるには、お互いに相手のパーソナリティをよく知っていること、状況と相手の心理を鋭く見抜く賢さがあること、などが必要なのですが……。あまりよくわかっていない人や、鈍感な人が相手の場合は、あまり高度な気配りテクニックを使うと、ただ単に「何も気を使っていないずうずうしい人」と思われたりしますので、注意した方がいいです。いずれにしろ、TPO(時と場所と場合)をわきまえて気の使い方のレベルを上手に操作できる本物の「気配り」ができる人間になっておくに越したことはありません。そうなっていれば、「+強引さ(=決断力)」でリーダーへ、「+笑顔」で人間関係の達人へなれますよ。「気配り」「決断力」「笑顔」の3つとも揃えられたら、どんな道に進んでもあなたの将来はバラ色です。

131号(2004.4.27)遊びにも頭を使おう!

 私のゼミのモットーは「学遊究友」(学べ、遊べ、究めよ、友と)なので、ゼミでよく遊びます。でも、この遊びというのは、学ぶこと以上に難しいのではないかと常々思っています。しばしばゼミに入った学生が、「勉強はだめですが、遊ぶのは得意ですから、任せてください」と言いますが、これまでに任せられるなと思った学生にはわずかしか出会っていません。20人程度の集団でも、みんなに楽しかったという気持ちをもってもらうためには、かなりの工夫が要ります。この工夫がしっかりできていないと、時間だけがだらだらと過ぎていくことになります。ゼミで遊ぶのは、集団としての連帯感を増したいからですが、だらだらと行われるイベント性の低い遊びは、むしろ気怠さを醸成し、集団の結束力を弱めます。ある意味で、遊ぶときの方が勉強するとき以上に、頭を使わなければならないのです。勉強は他者の関与の程度が低い作業ですが、遊びは他者関与度が非常に高い作業です。というか、私を含め多くの人にとって楽しい遊びとは、基本的にコミュニケーション・ゲームのはずです。それゆえ、相手(集団のメンバー)がどういう人間で、何を好むのか、どういうことならおもしろがってくれるのか、現在はどんな状況か、などをしっかり把握していないと、楽しい遊びは作り出せません。逆に言えば、楽しく遊べたときというのは、イニシアチブを取る者がしっかり企画して、みんなを楽しませる工夫をしていたときに限ります。リーダー1人だけでなく、こういうことを理解できているメンバーがそろって遊ぶときなどは、至福の時間が過ごせます。こうした遊びができたときは、集団の結束力を高めるなんてちゃちな計算を超え、人生が豊かになったということすら実感します。こうしたすばらしい遊びを味わうために、遊びを企画する人は、そしてそれに参加する人は、精一杯頭を使いましょう。こうした遊びが作り出せる人間になれたなら、就職なんかすぐ決まりますよ。

130号(2004.4.10)シュレッダーが家電化する?

 この4月から吹田市の家庭ごみは半透明の袋に入れられたものでないと収集してもらえないことになりました。東京ではずいぶん前からやっていましたし、同じ制約をかけている市町村は、全国各地にたくさんあります。今回、自分が住む吹田市でも導入となって、しみじみ思ったのは、ごみが捨てにくくなったなということです。半透明ですから、ごみの中身ははっきりわかってしまいます。ある意味、プライバシーが丸見え状態です。特に気になるのが、クレジットカードをはじめとする様々なID番号が記されている通知書です。毎月様々な通知書が届き、そこには大体ID番号が示されています。クレジットカード番号がわかれば、インターネット上などで、他人になりすまして、商品を購入することも可能になります。もちろん、プライバシー情報の遺漏はあちこちで起きており、問題なのはごみだけではありませんが、ごみの場合はよく知った近隣の人の目にも入ってしまいますので、特に気になります。で、その対策として、私が思ったのが「シュレッダーを買おう」ということでした。シュレッダーで切り刻んでから捨てれば、少なくとも情報は数百倍の確率で解読されにくくなるはずです。私と同じ発想でシュレッダー購入を考え始める人は今後どんどん増えていくのではないかと予想されますので、近い将来、シュレッダーが一家に1台常置される日が来るのではないかと思います。

 ちなみに、私の家で使い始めて便利だったので、17年ほど前に「食器洗い機が一家に1台置かれる時代がすぐに来る」と予想したのですが、普及率がなかなか伸びなかったという経験をしています。最近になってようやく普及率が伸びてきているようですが、大きさが問題だったようです。シュレッダーの普及率は予想通り伸びるかどうか、今後の展開を見守りたいと思います。

129号(2004.3.30)パワーポイント神話

 マイクロソフト社のソフトと言えば、ワード、エクセルなどが有名ですが、パワーポイントというソフトも広く使われています。もちろん知っている人も多いかと思いますが、これはプレゼンテーションを視覚的に行うためのソフトです。写真や図・グラフなどに文字説明をつけて1つの画面として提示できますので、口頭では説明しにくいことが一目でわかるという効果があり、短い時間でプレゼンテーションをしなければならないときに、このパワーポイントの利用は効果的です。もともとこれは企業で商品説明などのプレゼンテーションをする際のツールとして開発されたソフトだと思いますが、最近では、研究者――特に比較的若い層――の間でも急速に利用者が増えています。学会大会の報告などは時間が限られていますので、このパワーポイントを使うことがやはり効果的なのです。まるで、パワーポイントを使えば報告はうまく行くといった「パワーポイント神話」とでも呼べるようなものまで生まれはじめている気がします。時々パワーポイントできれいな画面を作り出すことのみに執念を燃やし、ほとんど自己満足に陥っているのではないかと問いたくなるような報告に出くわしますが、まあそれでも、研究者ばかりが集まる学会ならそれもある程度許されるのでしょう。しかし、聴衆がこうしたものに慣れていない人たちがほとんどの時に、パワーポイントを使うのはマイナス効果にもなるのではないでしょうか。パワーポイントで示されるスライド(画面のことです)は、基本的にイメージを示すものですので、きちんと言葉で補足説明をしないと、なんとなくわかったような気になるだけで先に進んでしまいます。イメージ図なので、ノートに記録しようと思っても、非常に記録しにくいのも難点です。もちろん、多くのパワーポイント使用者は、その辺の弱点をよく理解しており、各スライドを縮小したレジュメをあらかじめ配布することで、ディスプレイ上で理解が追いつかなかったことを、後で紙ベースで理解できるように用意はしています。しかし、イメージ図は、提示者が思っているほどにはわかりやすいものではありません。きちんとした文章による説明が必要なのです。パワーポイントで当惑する人は中高年が一番多いでしょうが、実は大学生も「パワーポイント神話」に迷惑を被っている代表なのではないかと密かに思っています。大学の教員はほとんどすべてが研究者でもありますので、パワーポイント好きはたくさんいます。学会報告のように時間に追われているわけでもない講義でパワーポイントを使うのは、学生から見て、果たしてわかりやすい授業と言えるのか、かなり疑問があります。私は典型的なアナログ世代なのでしょうが、講義は喋りを中心としながら、大事なことは黒板(サインペンで書く白板でなくチョークで書く黒板がいいです)にしっかり書いていくのが王道だと思っています。私のノートパソコンにもパワーポイントはインストールしてありますので、使おうと思えば、私も使えますが、意欲が湧きません。私は、これからもアナログの喋りと黒板への手書きで学生たちに語りかけていきたいと思っています。

128号(2004.2.12)関西にトルコブーム?

 ヴュッセル神戸にトルコサッカー界の「王子様」イルハンがやってくることが決まり、大きな話題となっています。うまく優勝争いにからむことができたら、マスメディアの露出度も観客数も飛躍的に伸びるでしょう。さすが「楽天」の社長はお金の使い方を知っています。中途半端にかつて有名だったヨーロッパのロートル選手を連れてくるのではなく、現役ばりばりのイルハンを引張ってきたのは正解だと思います。うまいフォワードが1人いれば、チームはかなり変わるでしょう。7億円ぐらい使ったようですが、宣伝費なども考えれば元は取れるような気がします。ところで、イルハンとは全く無関係だと思いますが、たまたま今大阪歴史博物館で「トルコ三大文明展」が開催されており、大人気です。私も先日行ったのですが、なんとチケットを買うのに40分も並びました。思わず「ここはディズニーランドか?」とつっこみを入れたくなりました。なんでこんなに人気があるのでしょうね。日本人がそんなにトルコという国や文化に興味があるとは思えないので、おそらく装飾品として使われている宝石を見たさに集まったのだと思いますが……。(実際、宝石がたっぷり使ってある展示物の前がもっとも混雑していました。)それにしてもすごい人でした。

 イルハンはその二枚目ぶりで、「三大文明展」は宝石で人気があるのであって、トルコ自体に関心が高いわけではないと思いますが、たまたま同じ時期にそろったこの2つのトルコがらみの話題を結びつけて、「トルコブーム」を作り出すことができるのではないかとふと思いました。もし私が広告代理店かトルコ大使館にでも勤めていたら、ブームの仕掛け人になるのになと思いました。おそらく今ほど日本人――特に関西在住者――の意識を「トルコ」に向けやすい時期は、少なくとも過去にはなかったと思います。「トルコブーム」という形で実際に何をするかですが、もちろんトルコへの旅行なども考えられますが、トルコ料理なんかも新しいエスニック料理として売っていけそうです。確かトルコ料理は羊肉を使うことが多かったと思いますが、ちょうど今は牛肉、鶏肉が疑われ、さらには豚にもインフルエンザがうつったといった話も出てきていますので、羊肉はチャンスかもしれません。伝統的なトルコ料理だけでなく、応用として日本人の口に合う羊肉料理なんかも創り出したら、当たる可能性はあるのではないでしょうか。羊肉は臭いがきつく私も苦手なのですが、牛肉だって日本で食べられ始めた頃は、臭いがきついと感じられ、それゆえに醤油と砂糖で濃いめに味つける牛鍋(すきやき)が工夫されたのだと思いますし、羊肉も頭を使えば何かできるのではないでしょうか。案外、牛丼のように薄切りにして味付けた羊肉をご飯のうえに乗せて食べる「羊丼」なんていうのもいけるかもしれませんよ。いずれにしろ、「トルコブーム」、誰か狙ってみませんか?

127号(2004.2.10)天王山を制す

 「天王山を制す」って、何の戦いに勝ったのだろうと思われたかもしれませんが、実はそうではなく、京都と大阪の府境にある天王山に登ってきたのです。たった270mしかない山なので楽に登れるだろうと思ったのですが、これがどうしてどうして。急坂ばかりで、ようやく頂上にたどり着いた時には、かなりの達成感がありました。まあ、山頂の木の枝には、数々の「山歩き会」の登頂記念プレートとともに、「××保育園うめ組とうちょうきねん」といったプレートも結びつけてありましたので、その程度の山だと言えばそうなのですが……。でも、日頃運動不足の大学生諸君なら、きっとしんどいと思うこと、間違いなしです。ぜひ一度チャレンジしてみてください。

 別に山登りや山歩きが特に好きでもない私がしんどい思いまでしてなぜ登ったかと言えば、それが天王山だったからです。「天王山」は今や雌雄を決する戦いの時にもっともよく出てくる言葉ですが、なぜそう言われるようになったかは、皆さんご存知ですよね。織田信長を討った明智光秀と、その光秀を討つことで天下取りの野望に燃える羽柴秀吉が、この天王山のあたりで戦ったからです。秀吉も登ったであろうこの山に私も登ってみたかったのです。そして、京阪間でもっとも通行できる部分が狭く、幾度も戦いの場となった天王山から淀川までの道筋を自分自身の目で確認してみたかったのです。山頂の周りは木が大きくなってしまったため、見晴らしがきかないのですが、途中の「旗立て松」のあたりからは下がよく見え、本当に狭いところだなと言うことを実感できました。歴史的想像力を馳せやすい非常に魅力的なハイキングコースだと思いますので、ぜひお薦めしておきたいと思います。なお、この近辺には、工場見学のできるサントリー・ウィスキーの山崎工場と、モネの睡蓮の絵を飾っているアサヒビールの大山崎山荘美術館もありますので、これらも合わせて見れば半日はたっぷり楽しめるでしょう。特に、サントリー・ウィスキーの山崎工場の見学(要予約)はお薦めです。実はここは日本で国産ウィスキーを初めて作った場所であり、歴史的に見ても非常に重要なところなのです。資料も豊富ですし、無料でウィスキーの試飲もできます。(ちなみに、大山崎山荘美術館の方は期待しすぎない方がいいと思います。晩年のモネの絵は感動しませんし、絵を飾ってある建物もコンクリート大好き建築家・安藤忠雄の設計ですので。)最寄り駅は、JR山崎駅(この駅はホームが京都府と大阪府にまたがっているというとても珍しい駅です)か、阪急大山崎駅です。

 ついでに、もうひとつよいハイキングコースを紹介しておきましょう。京都の北の鞍馬寺・貴船神社です。出町柳から叡山電鉄に乗り、鞍馬駅へ。そこから鞍馬寺の敷地を山越えする形で抜け、貴船神社に出るというコースです。帰りは、貴船川沿いの料理屋さんで「ぼたん鍋」なんか味わうと、このあたりが「京都の奥座敷」と呼ばれていることをよく実感できると思います。「ぼたん鍋」は安くはないですが、冬にその辺に行くのなら、せっかくですからチャレンジしてみてください。私は「喜らく(きらく)」というお店に行きましたが、値段も含めてお店のおかあさん(70歳代後半ぐらいのおばあちゃん)に感動するほどよくしてもらいました。よかったら寄ってみてください。

126号(2004.1.29)嫌咳権(けんがいけん)の確立を!

 「嫌煙権」という言葉は、みなさんご存知ですよね。タバコの煙は受動的に吸わされるだけでも体に害があるということから、近くでタバコを吸うのを拒否する権利として1970年代末に造語され、今や広く知れ渡るようになりました。法律的にはまだ認められた権利ではないと思いますが、社会的にはすでにそれなりに留意しなければならない権利として認められていると思います。今、私はこれと同じ様な意味で、咳を嫌う権利「嫌咳権」(けんがいけん)という言葉を作り、一般に広めたいと思っています。風邪もインフルエンザもSARSも、咳やくしゃみなどで空気感染する病気です。なのに、日本では――というか、たぶん世界のどこの国でも――、咳を拒否する権利は確立されていません。これはおかしくないでしょうか。その影響力は受動的喫煙などとは比べものにならないほど直接的で甚大なものです。SARSとはっきりわかれば隔離までされてしまうわけですが、わかるまでは、ただの風邪だろうと本人が思っていれば、SARS菌をまき散らしながら生活をしているわけです。SARSではなくても、インフルエンザでも風邪でもみんな決してうつされたくないはずです。こうした咳やくしゃみによる空気感染を減らすのに「嫌咳権」という言葉は大きな効果を持つはずです。的確な言葉が作られ広まると社会は急速に変わります。「嫌煙権」がそうでしたし、「セクハラ」もまた新しく作られた言葉が社会を変えた典型例です。咳やくしゃみを拒否する権利「嫌咳権」が一般に普及すれば、咳やくしゃみをしている人間は外出をしてはいけない、どうしても外出しなければならない場合はSARSの際に使われたような口と鼻を完全に覆うマスクをつけることが社会的常識になり、見知らぬ人間からうつされる危険性は大きく減るはずです。咳が結構出るのに頑張って仕事をしていますなんていうのは美談ではなく迷惑行為です。「誰かにうつして早く治ろう」なんて言う人はまさに犯罪行為です。まあ、ここまできつい言い方はしたくはありませんが、「嫌咳権」という言葉を広め、人前で咳やくしゃみを安易にすることは非常に迷惑な行為であるという社会的認識がぜひ広まってほしいと思っています。

125号(2004.1.17)芥川賞におもしろい小説はない

成人式を済ませたばかりの2人の若い女性が芥川賞をダブル受賞し、書店で急に彼女たちの本が売れ始めたとニュースになっていましたが、私は全然興味が湧きません。作品の簡単な紹介は受賞の際にいろいろなところに出ていましたので読みましたが、ちっともおもしろくなさそうでした。みんな本当におもしろそうだと思って書店に走ったのでしょうか。たぶん違うでしょうね。話題性と、若い女性にどのぐらいのものが書けるのかという興味本位で買っているのだと思います。きっと買って読んだ人は、「ふーん、こんなもんか」と思うことになるのではないでしょうか。そう言えば、芥川賞を取った作品って、最近全然読んでないなと思い、ちょっと調べてみたら、70年代後半の村上龍『限りなく透明に近いブルー』(76年)、三田誠広『僕って何』(77年)、宮本輝『螢川』(78年)以来、読んでいないことに気づきました。直木賞作品の方は、90年代以降のものも結構読んでいて、中村彰彦『二つの山河』(94年)、小池真理子『恋』(95年)、浅田次郎『鉄道員』(97年)、宮部みゆき『理由』(98年)などをあげることができますので、随分差があります。なんで私が芥川賞作品をこんなに読まないのかと言えば、要するにおもしろくないからです。もちろん、おもしろい、おもしろくないは主観的なものですので、あくまでも芥川賞作品は私にとっておもしろくないということであって、おもしろく思う人もいるだろうと思います。主観的であることを自覚しつつ、芥川賞作品(実際はあまり読んでいないので、純文学的な作品)のおもしろくなさについて語ってみたいと思います。

芥川賞に代表される純文学的な作品が、私にとっておもしろくないのは、それらの作品が興味深いストーリーを提供してくれず、もっぱら狭い人間関係の中でぐちゃぐちゃ悩む主人公の心理や、わけのわからない抽象的な思考(しばしば妄想)を提示するに過ぎないからです。たまにそういう作品に当たってしまう(古本屋では安いので、多少趣味じゃないかなと思うものも買って読んでみたりします)と、読後感がすっきりしません。大体いつも思うのは、「なんなんだ、この小説は?読み手を楽しませようと考えて書いた作品ではなく、自己満足のために書いたんじゃないか?」ということです。芥川賞は新人賞でもあるので、作家が読み手のことまで考えに入れられないのは仕方がないのかもしれませんが、いわゆるプロの作家が書いた「純文学」作品でも大体みんなそんな感じです。私は古いのかもしれませんが、「起承転結」が明確な小説が好きです。小説を読んでいても、映画を見ていても、うまく物語に入って行けた時は、半分を過ぎたあたりから、さあ、これはどんな風に終わらせるのだろうということが気になっています。見事に結末らしい結末を見せてくれると、納得が行きます。特に、その結末がこちらの予想を良い意味で裏切るようなものであったときは、心の中で拍手喝采をしています。(映画では「シックスセンス」なんてその代表格です。)こうした感覚は私の主観ですが、たぶん同じように思う人は少なくないだろうと思っています。だから純文学より「起承転結」がはっきりしている推理小説の方が売れるのです。大多数の人はわかりやすいものが好きなのです。作家の感性に共鳴できるわずかな人以外にとっては、純文学作品はえてして難解でわかりにくいのです。私が高く評価する小説とは、明確な起承転結を持った魅力的なストーリーが根底にあり、登場人物がその年齢、社会的役割に応じた適切な人物として造形され、その心理描写がしっかりなされていること、そして社会との関連が物語にとって重要な意味を持っていること、などの条件をクリアしているものです。たぶん、この基準はかなり多くの読書家にとって受け入れられるものではないかと思います。今TVドラマでやっていますが、山崎豊子の『白い巨塔』などはそういう小説のひとつです。昔の山崎豊子作品には上記の条件をクリアするものがいくつもあります。推理小説では松本清張、歴史小説では司馬遼太郎の評価が高いのも、上記の条件をクリアしているものが多いからでしょう。他方、芥川賞作品、純文学作品では、こうした条件をクリアしているものが少ないので、おもしろくないと思われるのです。最近密かに、大衆的な読者にとっておもしろいと思える中間小説を「社会学的小説」、彼らがおもしろいと感じられない純文学を「精神分析学的小説」あるいは「哲学的小説」と呼ぶことができるのではないかと思っています。

124号(2004.1.15)全頭検査の馬鹿馬鹿しさ

 アメリカの牛に狂牛病が見つかったことで、日本政府はアメリカの牛も日本と同様全頭検査をしなければ輸入は認めないという姿勢を取り、そんな厳しすぎる条件を飲む気のないアメリカ政府との間で交渉は膠着し、アメリカの安い牛肉に頼ってきた外食産業が危機に瀕しています。私は全頭検査なんて、大雑把なアメリカ人が受け入れる可能性のない条件を突きつけるのは馬鹿馬鹿しいことだと思っています。そもそも社会調査を多少とも勉強したものなら、全数調査がひとつの取りこぼしもなく行われるなんてことは事実上不可能だと言うことを知っていますので、たとえ全頭調査をやりましたと言われても完全に信じることなどできません。アメリカの牛肉が輸入できないので、日本の輸入業者は、まだ狂牛病の発見されていないオーストラリアの牛肉に変えていますが、オーストラリアには狂牛病の牛が本当に1頭もいないなんてみんな本気で信じているのでしょうか。少なくとも私は信じていません。いい加減な検査をしている国であればあるほど狂牛病は見つかりにくいのです。アメリカだって今まで狂牛病の牛が発見されなかったのは、検査がいい加減だったからに違いなく、とっくのとうに日本にはアメリカの狂牛病の牛の肉が輸入されていたに違いないと考えた方が自然だと思います。オーストラリアの牛も本気で全頭検査をしたら、すぐに狂牛病が発見されるだろうと私は思っています。そんな状況だとすれば、牛肉は一切食べない方がいいという結論になりそうですが、じゃあ代わりにどんな安全な食べ物があるのかと言われたら、どれもみんな怪しく思えてきます。卵も半年前のものだったりしますし、インフルエンザにかかった雌鳥が生んだものかもしれません。実際私のわずかな経験だけでも、白身がだらっとした卵には何度も出会ったことがありますので、採卵日のごまかしなんて、今回の山城養鶏生産組合だけしかやっていないなんて思えません。そうでなくとも、ブロイラーは動きの取れない狭いスペースに閉じこめられて、抗生物質入りの肥満化しやすい餌をひたすら与えられて、短期間で大きくし市場に出されるそうです。ほとんどのブロイラーは病気持ちと言ってもおかしくないような状況だと聞いたことがあります。実際に育てている養鶏場を見学した知人は、「それ以後、一切鶏肉が食べられなくなった」と言っていました。野菜だって、どんな農薬をどの程度使っているのだろうと考え始めたら、怖しい食べ物に思えてきますし、加工食品もどんな添加物を使っていて、それが本当に人体に影響がないのかと考え始めたら、食べられません。今危険視されていないものでも、いつの日か実は危ないものだったということがわかるときが来る可能性は小さくないことをこれまでの歴史は教えてくれます。おそらく世の中には100%安全な食べ物なんてないのではないでしょうか。しかし、人間――すべての生物――は、食料を摂取しなければ生きていくことはできません。安全性に関する完全情報は絶対手に入らないのですから、多少リスクがあっても、食べていかなければならないのです。せいぜい今われわれにできることは危険の分散ぐらいでしょう。特定の食品に偏らずいろいろなものを食べる、危険性が確実視されるものは避けるということぐらいでしょう。こうした立場に立てば、牛肉も絶対危険だと言われている部位を避けさえすれば、他の食品と危険度に関してはたいして変わらないでしょう。鶏肉も卵も過多になりすぎなければ危険ではないと思って食べて行くしかないでしょう。それで運悪く当たってしまった場合は「運命」とあきらめるしかないのではないかと思っています。(実際、我が家は1999〜2000年にかけて狂牛病発祥の地イギリスで1年間暮らし、そこで牛肉を食べていました。今頃、日本で気にしすぎても仕方がないと思わざるをえないのです。)自給自足でも始めて徹底して安全な食だけを摂取していても、どこかで不慮の事故にでもあってぽっくりいってしまうことだってあるのです。危険は食にだけあるわけではないのです。とりあえず、アメリカが絶対飲まない「全頭検査」などを要求することをやめ、危険性のある部位の完全輸入禁止(いや国内産でも使用禁止)を条件に輸入を再開した方がいいと思います。完璧な実施などありえない全頭検査を条件に危険性のある部位をいまだに使用可としているとしたら、そちらの方がはるかに危険性が高いことだと、私は思います。

123号(2004.1.14)これでは郵政民営化が思いやられる

 今年の年賀状は大分遅れませんでしたか?私は例年と同じく12月28日に出したのですが、関西地区に住む知人のところに私の年賀状は1月6日に着いたそうです。例年は28日に出してもほとんど元旦に届いていたのにと不思議に思っていたら、なんと今日、宛先不明で1枚年賀状が戻ってきました。いくらなんでも時間がかかりすぎではないでしょうか。こんなに遅く戻ってきては今更出し直すこともできません。2枚もこんな状態だと他の年賀状もいつ着いたのだろうかと心配になってきます。もしかしてこれは郵便局が郵政公社に代わったせいではないでしょうか。そうでなければいいのですが、郵便局勤めの人で公社化、さらにはその後に予定されている民営化を望んでいる人は誰もいないでしょうから、国営よりもサービスが悪くなりますよという郵便局員たちの無言の抗議ではないかと疑いたくなります。単純な小泉首相は、とにかく民営化すればよくなるはずだと思いこんでいるようですが、民営化してよくなるのは競争がある場合だけです。ライバル会社がないのに、民営化してもよくなることはありません。国鉄はJRになって都市部の短距離路線では私鉄と、長距離では飛行機と競争をしなければならないので、国鉄時代よりははるかによくなりましたが、たばこの販売ではライバルのいないJT(旧専売公社)は民営化されてもたいしてよくなったとは言えないでしょう。NTTはようやくライバルがライバルらしくなってきたので、これから大きく変わっていくでしょう。郵政民営化も進めるなら、他の運送業者に信書の配達も認めるべきです。ポストを同じだけ設置することなどという無理な条件をつけなくてもコンビニを利用すれば、信書配達は容易なはずです。現在の郵便配達料の2割増程度でも全国どこにでも休日平日の別なく翌日に届くなら、多くの人が利用するでしょう。そういうライバルが現れた時、郵政公社(さらには民営化された郵便事業)も良くなっていくでしょう。民営化は競争とセットでなければ効果は出ないのです。ついでに言えば、小泉首相のもうひとつの民営化推進対象である道路公団も、同じ理由で、ただ民営化だけすればよくなるわけではないということはすぐにわかると思います。こちらは、郵便事業以上に民営化効果は望めない事業です。なぜなら、道路公団と競争して全国に道路を作ろうなんて企業が現れるとは考えがたいからです。道路事業は無駄なものさえ作らなければいいのであって、民営化することだけでうまく行くはずなどないのです。

122号(2004.1.12)毒舌擁護論

 私はしばしば「毒舌家」だと言われます。自分ではそんなつもりはないのですが、確かに他の人が心で思っても言わないでいるようなことを言ってしまうことは多いようです。ただ、開き直りと言われそうですが、毒舌家であることはそんなに悪いことではないのではないかと思っています。というのは、私にとって、毒舌とは状況に応じた的確な鋭い一言のことだからです。毒舌を吐くには、的確な状況判断力と高い言語能力が必要とされます。それゆえ、「毒舌家」というレッテルを貼られると、半分評価されたような気持ちになっています。確かに、鋭い毒舌は、時に言われた相手にとっては手厳しい一言となり、人間関係が悪くなることもないわけではありません。しかし、そうなることを怖れて言うべき事を言わないで、いつもオブラートに包んだような当たり障りのない会話をしていたので、決してその人との関係性が深まることはありません。それゆえ、逆に人間関係を深めたくないと思う人に対しては、私は毒舌を吐かず当たり障りのない会話で終始します。ただ注意してほしいのは、混同されがちですが、毒舌は暴言とはまったく異なるものだということです。暴言は、毒舌と違い状況に合わない不適切な発言です。そうした発言は百害あって一利なしです。しばしば「毒舌家」と言われる人の中に、単なる「暴言家」が混じっていることがあります。状況判断力と適切な言語表現力に欠けた「暴言家」ではなく、的確な状況判断力と適切な言語表現力を持った「毒舌家」というレッテルなら今後も貼られ続けたいものだと思っています。