Part12

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<目次>

第423 安易な表彰はやめるべ(2011.12.7)

第422号 もっともっと女性が働きやすい社会に(2011.11.26)

第421号 最近の「KSつらつら通信」について(2011.11.13)

第420号 大阪はどうなるのだろう?(2011.10.23)

第419号 法と慣習(2011.10.22)

第418号 終わった!(2011.9.19)

第417号 旅の達成記録(2011.9.7)

第416号 39.2(2011.9.2)

第415号 海江田民主党代表なら野田総理?(2011.8.28)

第414号 世界経済に明るい未来はあるのだろうか?(2011.8.10)

第413号 やっぱり、こっちがいい!(2011.8.6)

第412号 やっぱりモダニストなんだ……(2011.8.3)

第411号 最近の時事問題(2011.7.29)

第410号 社会学部HPをチェックしよう!(2011.7.14)

第409号 ケータイ絶対主義が怖い(2011.6.29)

第408号 ブラシンジ〜本郷通りを歩く〜(2011.6.27)

第407号 第3回総選挙!(2011.5.30)

第406号 高槻で歴史を体感する(2011.5.8)

第405号 社会システムデザインを説明する(2011.4.18)

第404号 菅バッシングをして何か事態がよくなるのだろうか?(2011.4.16)

第403号 日本を信じよう!(2011.3.17)

第402号 結婚記念日に関する疑問(2011.3.3)

第401号 官僚主導の政治に戻した方がいいのかもしれない……(2011.2.20)

第400号 ユニークな昭和家電たち(2011.2.9)

第399号 「チア」したい若者たち(2011.2.5)

第398号 「ブラタモリ」がおもしろい(2011.2.5)

第397号 「冬サク」ブームがやってくる(2011.1.23)

第396号 「タイガーマスク運動」を分析する(2011.1.14)

第395号 ヒーロー(2011.1.8)

423号(2011.12.7)安易な表彰はやめるべき

 オリンピックで金メダルを2つも取った柔道の有名選手が準強姦罪で逮捕されたことが大きなニュースになっています。その事件自体については特に語る気はなかったのですが、逮捕されたことによって、これまでに彼に与えた賞を剥奪すべきかどうかが検討されているというニュースを見て、一言語りたくなりました。彼の場合は、紫綬褒章とK県民栄誉賞をもらっているそうです。県民栄誉賞はともかく、紫綬褒章の場合は、社会学者なら、長年一線で活躍した方が60歳代、70歳代になってもらえる人がたまに出るというくらいの賞です。それをオリンピックで優勝したというだけで30歳前の人に与えてしまうという安易な授与慣習は以前からおおいに問題だと思っていました。今回の事件がたとえ「合意」の行為だったとしても、不倫にはなるわけです。立派な賞の受賞者としてはあまり褒められた行動ではないでしょう。若い人が大きな賞をもらってしまうと、その後の人生を非常に制約されることになります。今年は、なでしこジャパンが国民栄誉賞と紫綬褒章を受けましたが、若い女性たちにとって、この賞は重荷になるのではないでしょうか?スポーツで立派な結果を出した人(チーム)には、報奨金で応えるのがよいと思います。オリンピック柔道や女子サッカーの選手は決して経済的に恵まれた状態ではなかったでしょうから、そんな中で立派な結果を出した選手には、経済的に報いてあげるべきです。名誉の賞だけ与えてお金はあまり払わないというのは、若いスポーツ選手にとって、プラスよりもマイナスになる可能性が高いと思います。かつて、盗塁の世界新記録を作った阪急の福本豊氏は、「国民栄誉賞なんてもらったら立ち小便もできなくなる」と言って受賞を断りました。まあ、立ち小便は賞をもらっていない人もすべきではありませんが、彼が言いたいことはわかりやすいと思います。要するに、そんな賞をもらって窮屈な人生を送るのは嫌だということです。まっとうな考えではないかと思います。シドニーオリンピックの女子マラソンで優勝し国民栄誉賞をもらってしまった高橋尚子さんなんかも大変だと思います。若いスポーツ選手に対する安易な賞の授与はやめた方がいいと思います。

422号(2011.11.26)もっともっと女性が働きやすい社会に

 この時期は、年に1回の「片桐ゼミの集い」の返信で卒業生たちの近況がたくさん届きます。関大に来てもう20年目なので、1期生は現役入学生でも40歳になります。ちなみに、前の大学で9期生までいますので、その1期生はなんと49歳ということになります。もう孫のいる人もいるかもしれませんが、残念ながら関大でのように卒業後も連絡を取れる仕組みを作らなかったので、最後の方の学年の何人かと年賀状をやりとりしているだけで、上の方の教え子たちが今どうしているのかまったくわかりません。(もしもこっそりこのHPを覗いている人がいたら、ぜひご連絡下さい。)さて、卒業後の動向のわかる関大の卒業生たちですが、最近は結婚の話ばかりでなく、子育ての話もたくさん届きます。男性陣からは、子どもはかわいい、宝だという明るい話題ばかりですが、女性陣からは子育ての悩み、仕事との両立の難しさ、保育所不足問題など、切実な内容のメールが届きます。それらを読みながら、この四半世紀、女性たちも働きやすくなるように日本は変わってきたはずだけれど、まだまだ子育て負担は圧倒的に女性に偏っていて、女性が結婚し子どもを持っても普通に働ける社会にはなりきってはいないんだなと感じています。私は、この20年くらいは一貫して、男も女も家庭も仕事も普通に持てる社会にならなければならないと主張していますので、働きたいのに客観的条件が整わず、仕事をやめざるをえない女性が出てしまうのは残念でなりません。もっともっと女性が働きやすい社会になってほしいものです。

 そのための方法はいくつか考えられます。すぐにでもすべき手だてとしては、大都市(特に東京圏)の保育所不足をなくすために、大都市では保育所開設の制限を緩めること。保育所という形式を取らないベビーシッター(たとえば普通のお家で23人の子どもを預かる)を利用できるようにすること。各企業に保育室設置を義務づけること。ラッシュアワーを避けて出勤できるように、育児期間の従業員の出勤時間を配慮すること(遅めの出勤、早めの帰宅)。もっと長期的な改善方法としては、東京一極集中の社会システムを変えていくこと。これだけ通信システムが便利になったにもかかわらず、地理的に近接したところに、企業、官庁が集まっているのがおかしいのです。政治家と官僚も、日本の国土の有効利用、平等な発展のためには、中央官庁を各地に散らばせたらいいということがわかっているはずです。日本は狭いと言いますが、地方も利用したら決して狭くはないはずです。東京以外のところでは、保育所不足も深刻ではないと聞きます。親も近くに住んでいるという状況であれば、どれほど女性たちも働きやすいでしょうか。

 ちなみに、もしもいろいろ頑張ったけれど、結局会社はやめざるをえなくなってしまったという女性でも、ぜひ子どものことだけを考える「専業母」にはならず、自分のやりたいことを持ち、地域や様々なネットワークとつながりをもつ「兼業母」になってほしいと思います。「あなたのことだけをいつも考えているのよ。あなたが私のすべてなのよ」なんて言われ続けた日には子どももたまったものではありません。そんなうっとしい愛情は「百害あって一利なし」です。母親も父親も誰の犠牲にもなってはおらず、自分の人生を楽しく生きているなと思えれば、子どももまっすぐに育つものです。

421号(2011.11.13)最近の「KSつらつら通信」について

 最近の「つらつら通信」は更新も遅いし、たまに更新されても、もうひとつキレがよくないなと思いながら読んでいただいているコアファンもいるのではないかと思います。というかこのコーナーの最大の愛読者は私自身だと思いますが、その私がそう思っています。書けない理由、キレが悪い理由はいくつかあります。ひとつは、私の現在の大学内での社会的地位です。平の1教員なら気にせず書けていたことでも、このポジションにある人間がこういうことを言ってしまったら、問題にならないだろうかとかなり意識しており、結果として書かないという選択をしている場合が多くあります。人は自分の役割を認識した上でもっとも合理的な行為選択をするというのが私の考える一般的な人間モデルですので、私が役割ゆえに語らないという選択をするのも、また合理的行為なのです。ただ、その結果として、語っても語らなくてもどうでもいいような内容で、この「つらつら通信」を埋めているなという印象を自分でも持っているわけです。

しかし、書けない理由はそれだけではありません。私はこの「つらつら通信」をもう13年も書いてきており、こういうことを書こうかなと思った時に、「あれっ、待てよ。こういう内容は以前にも確か書いたな」と思うことが多くなっているのです。つい最近も「いい子のままではいられない」というテーマで書こうと思ったのですが、以前に書いた「第338号 大学生活の重要さ(2009.7.30)」や「第97号 ちゃんと卒業することの大事さ(2003.1.30)」と、実質的な内容はかなり類似すると思い、書くのをやめてしまいました。同じようなことを何回も書くのは、ものを書くことをそれなりに生業にしている人間としては、かなり抵抗感があります。ただ、その結果として、そういう文章を読ませたいと思った現在の現役大学生たちには何もメッセージが伝わらないという問題も生じます。「つらつら通信」もものすごい量になっていますので、最近の教え子ですべてを読んだという人はまずいないだろうと思います。せめて、「KSつらつら通信・ジャンル別テーマ一覧」をクリックしてもらい、興味のあるジャンルについては過去のものも読んでくれると嬉しいのですが……。とりあえず、 恋愛・結婚・男女> <学生・若者> <生き方> などは、新ゼミ生である2回生、就活が始まる3回生、もうじき社会に出る4回生、そして働きはじめて間もない若い卒業生にとっては、参考になることがたくさん書いてありますので、ぜひ読んでみて下さい。私は考え方がブレない人間なので、10年以上前に書いたものであっても、今とはまったく見方が違っているというものはほとんどなく、以前書いたものであっても、今もそういう思いでいるものが大部分です。何度も同じことは書けないので、ぜひ過去の「つらつら通信」からも学んでもらえたら幸いです。

KSつらつら通信」は、あと1年弱は遅い更新とキレの悪い文章が続くと思いますので、どうぞしばらくは過去に遡ってお楽しみ下さい。また、HPには私の作った創作物語、「桜坂」(戦時期の青春を描いた作品)、「紫陽花」(大学紛争期の青春を描いた作品)などもありますし、その他いろいろ探していただいたら、十分1年かけて読む量があるだろうと思います。「片桐ゼミのHP」をすべて読みましたという若い教え子が現れるのを楽しみにしています。

420号(2011.10.23)大阪はどうなるのだろう?

 橋下知事が辞任届を出し、大阪市長選挙に出ることが決まりました。「ファシズム」をもじった「ハシズム」とも呼ばれる橋下徹の政治手法は批判も多いですが、大衆人気はまだまだあると思いますので、市長選にも勝つ可能性は高いのではないかと思います。私としては落選してほしいと思っているのですが、2005年の総選挙で、国民がいいか悪いかの理解も不十分なまま小泉純一郎に1票という思いで、自民党を大勝させたというのを見ていますから、今回の大阪都構想もどういうメリットとデメリットがあるかを深く考えずに(考えようと思っても難しいとは思いますが)、橋下徹を勝たせてしまうのではないかという不幸な予想をせざるをえない気がします。しかし、もしも橋下徹が大阪市長になったとして、大阪都はできるのでしょうか?正直言ってハードルは高いと思います。まず、橋下徹の後継者として大阪維新の会からの立候補する松井某という知名度も華もない政治家が府知事になれるのでしょうか?もしも彼が当選せずに、大阪都構想に否定的な新府知事が誕生したら、橋下が大阪市長になる意味は消えてしまうのではないでしょうか?その時は、橋下徹はどうするのでしょうか?次の総選挙にでも出て、国政に進むのか、それとも政治家なんてもうやめたと、またタレント弁護士に戻るのでしょうか?次に、もしも松井某氏が知事になり、大阪府と大阪市が歩調を合わせたとしても、大阪都を作るには国の法律改正が必要だと思いますが、そこをクリアできる戦略はできているのでしょうか?もしも、国会で否決されたら、今度は「日本維新の会」を作って総理大臣をめざすのでしょうか?めざすとしても、知事や市長になるようには簡単にはなれません。どうするんでしょうね?さらに、法律も改正することになり、万一大阪都ができることになったとしても、新しい行政機関である大阪都が順調に運営されるようになるまで、最低でも10年、常識的には20年、30年という時間がかかると思います。その間、橋下徹は大阪の首長に留まり責任を持ち続けてくれるのでしょうか?彼は一度も大阪に骨を埋めるというような発言はしていないですよね?たぶん、そんなことは思っていないのではないでしょうか?心密かに、いつかは総理大臣くらいのことを思っているような気がしてなりません。長く安定的に続いてきた制度を壊して新しい制度を作るなどという大きな改革をやるなら、その新しい制度が定着するまで責任をもつということくらいは、宣言してほしいものです。いずれにしろ、これからしばらく大阪は騒がしそうです。

419号(2011.10.22)法と慣習

 最近東京のJR中野駅前で自転車の一斉取締が行われ、わずか1時間の間に信号無視で6人が検挙、ブレーキが両輪についていない違法自転車使用で1人が検挙、イヤホン使用で9人が警告を受けたというニュースを見ました。みんな顔にはぼかしが入っていましたが、「自転車なのに、なんでこんなに厳しくするの?」という怪訝な感じは伝わってきました。法律的には、自転車は軽車両で道路交通法に従わなければならないわけですが、歩道を走ってもいいことになっているので、多くの人は自転車の利用に関しては、歩行者的な基準でやっていいことといけないことを決めていると思います。しかし、最近自転車と歩行者がぶつかるという事故が増えてきているらしく、業を煮やした警視庁が動き出したということのようです。今はまだ自分の住んでいる所では、そんな取締は行われないから大丈夫だろうと思っている人たちが多いかもしれませんが、あまり安穏とはしていられないかもしれませんよ。自転車に関しては、全国的に厳しくする流れはあるように思います。私も厳密にいったらやってはいけない自転車行動をたくさんやっていると思います。幸い、人とぶつかったことはないですが、だからいいというものではないですよね。でも、これからは自転車に乗る場合は徹底した法律遵守の精神でやっていくかというと、きちんとやりきれる自信はあまりありません。スピードの出し過ぎや危険な行動、信号無視などがいけないのはもちろんですが、中にはこのくらいは認められてもいいのではと思うことも結構あります。

 実はこの自転車の例のように、法律ではこう決まっている(あるいはどう決まっているかよく知らない)けれど、実際には社会慣習的にはこのへんまではOKだろうと考え、その社会慣習に従って行動していることは山のようにあります。というか多くの人にとって、それこそが行動選択の基準になっていると思います。制限速度よりは少しオーバーするスピードで走るなんていうのは今でも実質的に認められている社会慣習でしょうが、昔より厳しくなってきていることも多々あります。法律が変わって社会慣習が変わるパターン、法律は変わっていないが、厳密に適用されはじめることで社会慣習が変わるパターンなどがあります。前者の例としては、酒酔い運転の厳罰化などが典型例としてあげられ、後者の例としては未成年(特に大学生)の飲酒などがあげられます。社会慣習の変化が受け入れられるためには、大衆レベルでの支持がなければなりません。その支持が広がるためにはたいてい事故がきっかけにあるものです。酒酔い運転の場合は、酒酔い運転で死亡事故を引き起こすという事件が大々的に取り上げられましたし、未成年大学生飲酒の場合は新歓コンパで無理に飲まされて急性アルコール中毒を起こしてなくなる学生が少なくないというニュースが大きく取り上げられたりしました。

社会慣習は厳しくなる方向ばかりでなく、緩くなることもあります。法律的な規制はないですが、電車の中での化粧、飲食などは昔は社会慣習的に認められる行動ではありませんでしたが、今やいけないことだと思っている人はそう多くはないのではないでしょうか。社会慣習が緩くなる方は、厳しくなる場合と異なり、これといったきっかけはなく、徐々に変化していくことの方が多いと思います。こうした趨勢的な変化は自然に根付きやすいですが、厳しくする方の意図的な計画的変化は大衆的な支持がないところにやや無理に行おうとする場合もあり、その時には、思いがけない反発を引き起こしたり、予想外の帰結を生みだしたりすることもあるものです。セクハラ、ストーカーという言葉が登場し普及する中で、男女の接近の仕方に関する社会慣習が厳しくなり、結果として男子の草食化を招いたというのは、ずいぶん前から私が主張してきたことですが、最近さらにそれに輪をかけるような条例が京都府で作られました。18歳未満のポルノ画像や映像を所持するものに対して知事が廃棄命令を出すことができ、従わなかった場合は30万円以下の罰金を科すのだそうです。所持しているだけで罰金って、これではまるで「性の治安維持法」です。こんな法律ができたら、男性はもう女性に対する興味をまったく持たないように意識改革をするしかない気がします。日本の少子化をもっと進めたいのかと思わせるような愚法だという気がします。

418号(2011.9.19)終わった!

 この週末に関西大学社会学部で開催していた日本社会学会大会が終わりました。今年の日本社会学会大会は本来は早稲田大学で開かれる予定だったのですが、東日本大震災の余波で早稲田大学が開催を辞退したため、急遽関西大学で引き受けることになりました。4月下旬に問い合わせがあり、そこから5ヶ月弱の短い準備期間でしたが、なんとか無事に終えられました。まだ会計などの残務処理が終わっていないので、完全に終了とは行きませんが、とりあえず大会が無事に済んだので、ほっとしています。さて、一般の人が読んでもまったくおもしろくない話を書こうと思ったのは、この大会を開催するにあたって、関大の学生・院生90人ほどが手伝ってくれ、彼らの評判がすごくよかったからです。日本社会学会の会員になっている社会学部教員は20名もおり、他大学と比べても多い方だとは思いますが、1000人を超える参加者を迎えるにあたっては、教員だけではとうてい対応できず、多数の学生たちの協力が不可欠です。7月に初めて「こういう学会があり、手伝ってほしいのだけれど……」とゼミ生たちに伝えたところ、予定が決まっていた人以外は、みんな気持ちよく喜んで手伝いますと言ってくれました。その段階で時給のことを聞く人なんて人は1人もいませんでした。結局、片桐ゼミだけでも30名の学生が手伝ってくれました。中にはまだ就活中の4回生も何人もいたのですが、みんなこの3日間は日本社会学会大会を最優先で考えてくれました。土曜日は雨が降ったり止んだりの蒸し暑い気候で、みんなつらかったのではないかと思いますが、さわやかに笑顔で働いてくれました。全国からやってきた何人もの社会学者たちから、「関大の学生さんたち、明るくかわいいし、礼儀正しいし、頼りになるし、よく鍛えられていますね」と言われ、本当に嬉しかったです。金曜日のインストラクションの際に「1人1人が関西大学社会学部を背負っているつもりになって考え行動してください」と伝えておいたのですが、まさにみんなその通りにやってくれたと思っています。100点をあげたいと思います。

しかし、よく考えてみると、こういう特別な時だけではなく、現役生も卒業生も、日常生活で常に関大社会学部を背負い続けているわけです。何かの機会に「関西大学社会学部(出身)です」と名乗った瞬間から、周りに関大社会学部の人がいなければ、関大社会学部の人って、こういう人なのか、という目で見られるわけです。先輩たちが関大社会学部の評価を上げてくれると、後に続く後輩たちの道も開かれやすくなります。人は他者についてカテゴリーに分けて考えたくなるものです。「男って……」「女って……」「若者って……」「年寄りって……」「関西人って……」「東大生って……」etc. カテゴリーだけですべての説明ができるなんてことはありませんが、カテゴリーなしに他者を理解するのは非常に難しいので、どんな時代になっても、カテゴリーによる解釈の重要性は消えません。であるならば、自分が好きで背負っているものに関しては、その名をあげるように努力したいものです。もちろん、私自身も関大社会学部を背負っている意識は人一倍強いと思います。関大社会学部は素晴らしいスタッフと、彼らに育てられた素晴らしい若者が排出される大学として、名をあげるために、ともに頑張りましょう。

417号(2011.9.7)旅の達成記録

 私は無趣味で怠け者なので、何かを積極的に集めるとか、何かにこだわって記録達成をめざすとかいうことにほとんど興味なく生きてきた人間ですが、56年も生きてくると、いつのまにか達成されてしまうこともあります。そのひとつが旅に関することです。もちろん、「温泉1000湯以上入った」とか「百名山すべてに登った」とかいったその道の達人のような記録ではありません。旅は好きですが、若い時から年に何度か出かけるという程度で、それに出張等が加わったくらいのもので、「通」とはとうてい呼べない程度の旅経験しかありません。それでも、大学時代からつけ始めた手帳と、アルバムに残っている写真などから記憶を呼び起こし、旅記録を作ってみると、いつのまにか47都道府県にはすべて滞在・宿泊したという記録を達成していました。まあ、日本中で探せば何十万人という人がきっとこの程度の記録は持っているでしょうが、それでも国民の1%未満しか経験していないことではないかと思います。滞在(数時間以上)があと2県となった頃からはちょっと意識をしていて、その2県に行くチャンスを狙っていました。最後の県は20073月に出向いた山形県でした。宿泊に関しては、最後に残ったのは徳島県でこちらは20093月に達成しました。最近狙っているのは、現存天守12城(すべて国宝か重要文化財)の制覇です。あと2城なのですが、わざわざそれだけのために行くほど「城マニア」ではないので、何かその近くに用があれば行きたいと思っています。果たして、この「頑張らない方式」のままで、この記録は達成されるのかどうか、自分でも楽しみにしています。他にも密かに思っているものはいくつかあるのですが、まだまだ達成にはほど遠いので、内緒にしておきます。

416号(2011.9.2)39.2

 この夏の最高気温ではなく、つい最近記録した私の体温です。人生で経験した最高体温です。手術も入院も経験したことがない健康人間なので、これまでの最高記録はたぶん38度台半ばくらいだったのではないかと思います。なんとなく調子が悪いなあとは思っていたのですが、夕飯を作り、普通に食べて、しばらくしたら、なんか関節がちょっとだるいなあと感じ始めて、そこからです。一気にものすごい寒気がしてきて、体がぶるぶる震え始めました。こんな経験はしたことがなかったので、一体自分の体に何が起こったのかわからず、ものすごく不安になり、家族も心配して、いったんは119番にも電話したのですが、熱によるものかもしれないと計ってみたら、なんと39.2度でした。「そうかあ、これがかの有名な悪寒って奴か」と思いながら、この真夏に靴下をはき、毛布に掛布団をかけ、それでもしばらくはぶるぶる震え続けました。子どもだったら、この熱は危険なんだろうなと思いながら、解熱剤と抗生物質を飲んで、ひたすら耐えていました。ひどい震えは1時間は続かなかったと思います。2時間ほどしたら、解熱剤が効いたのか37度台まで下がってきて、救急車を呼ぶ必要もなくなったのですが、翌日には37度を切るくらいまでになったので、午前中から予定していた恒例の「卒論特訓ゼミ」を午後からに変更してなんとか16人の卒論指導をやり切ることができました。一応これで大学教員生活29年間授業の病欠無しの記録は継続できました。人生初の体験だったので、まったくの私事ですが、思わず記録しておきたくなりました。つまらなかったかもしれませんね。すみません。

415号(2011.8.28)海江田民主党代表なら野田総理?

 このタイトルを見て「えっ、どういうこと?」と思ったと思います。普通は衆議院第1党の政党の党首が総理になるわけですが、明日の民主党代表選挙で海江田万里が小沢グループ、鳩山グループの後押しで民主党代表になるような最悪の事態が起きるなら、2009年総選挙の民主党マニフェストを実質的に捨てることを決めた三党合意を重視すべきだという野田佳彦や前原誠司のグループは、民主党を割って出て、自民党、公明党と連立政権を作った方がいいのではないかと思います。海江田代表になって、ゾンビのような小沢一郎や鳩山由紀夫が後ろで糸を手繰り、三党合意を白紙に戻してまたぞろ高速道路無料化や子ども手当大幅増を言い出すような民主党になるなら、民主党はもう分裂した方がいいです。小沢、鳩山の影響力が消えない限り、民主党はまともな政党になれません。こんな予想はまだ誰も言っていないと思いますが、かつて自社連立という水と油をくっつけた青天の霹靂の政権を作った自民党の中の海千山千のベテラン政治家(そして国民新党の亀井代表)の頭の中には、間違いなく選択肢として浮かんでいるアイデアだと思います。その場合は、いずれ総選挙になるでしょうから、国民的人気のある前原(私は評価していませんが)ではなく、野田を担ぐという戦略で来るでしょう。しかし、これもセカンド・ワーストの選択です。今の5候補なら、素直に野田代表になり、そのまま総理になるのがベターな選択でしょう。ただし、その政策は結局菅内閣を引き継ぐ政策であって、菅直人を変える必要があったのかが改めて問われることになるでしょう。

〔追記:野田代表に決まりましたね。これでなんとか民主党が解党することはないベターな選択になりました。野田佳彦は顔がいまひとつと言われていますが、人物は温厚ですし、演説は歯切れが良くうまいので、総理になったら、それなりに評価されるのではないかと思います。この後の組閣にもよりますが、最初の内閣支持率は50%前後は行くのではないでしょうか。震災復興対策と行財政改革をしっかり進め、消費税アップなども逃げずにやってもらいたいものです。国民の大部分はもう理解しているはずです。(2011.8.29)

414号(2011.8.10)世界経済に明るい未来はあるのだろうか?

 世界経済がおかしくなってきています。日本の経済だけがだめなのではと思っていた人も多いと思いますが、ここに来て、アメリカ国債の格下げ、ロンドンの暴動、世界株安、こんなぼろぼろの日本なのに円高になるなどで、世界経済がおかしいのだということが一気に見えやすくなってきました。直接的原因はリーマンショックだそうですが、もっと長期的な視点に立ってみると、リーマンショックといった小さな問題ではなく、人間の限りない欲望に対応するだけの余力が地球社会になくなってきていることが原因なのではないかという気がしてなりません。人類はその誕生から欲望をエネルギーとして、社会を「発展」させてきました。貯蓄可能な食(穀物、家畜)を見つけ、安定的な供給が可能になるように改善し、人口が増えれば土地を切り開いて耕地や牧草地を広げて食糧供給力をあげ、さらに技術革新によってたくさんの人間がより豊かで楽な生活を送れるようにしてきました。しかし、地球には限られた大きさと限られた資源しかありません。この右上がりの欲求充足が永遠に続くことは論理的にはありえません。この地球に留まる限り、永遠に続く人間の欲望の拡大に対応するだけの術はいつかなくなるはずです。私が中学生の頃の世界人口は37億人程度でしたが、今や70億人です。人類誕生から何百万年かかって到達した人口と同じほどの人口がその後わずか40年程度で増えてしまったのです。横軸を時間、縦軸を人口としてグラフを描けば、最近のグラフはほとんど垂直に立っているような状態になり、もうこれ以上横軸は伸びない(つまり時間が未来に進まないような)グラフに見えます。このままの状態で人類は22世紀を迎えることができるのか本気で疑問を持ちつつあります。

 対応策はあるのでしょうか?正直言って社会学的には考えられないです。私が考え得るのは、実現可能性を無視したSF的な発想くらいです。(1)月や火星などを人類が住めるようにして多くの人類が移住する。(2)技術開発によって極少量で満足できる食糧(栄養剤的なもの)を作る。(今でも点滴だけで生命維持は可能なので、これはもしかしたら科学的には可能なのかもしれません。しかし、もしも可能だとしても、通常の社会活動をするほどの栄養を摂れるのかどうか、食を楽しむという欲望を捨てられるかどうかが問題になりそうです。)(3)人類自体が量的に大きく減少する。あるいは、環境に適応しやすい小動物化する。(最近、恐竜は鳥になったというのがほぼ科学的に公認されるようになってきていますが、もしかしたら肥大化しすぎた恐竜はそうやって種として生き延びる手だてを見出したのかもしれないと思うと、人類も変態していく可能性はあるのではないかとも思います。)こんな大問題を前にすると、社会学は無力だなと感じます。ただ、他の分野の専門家も似たようなものかもしれません。世界経済は、人類は、どこに行くのでしょうか?そして、未来はあるのでしょうか?

413号(2011.8.6)やっぱり、こっちがいい!

 徳島にある大塚国際美術館に行ってきました。この美術館は、世界の名画を陶板に焼き付け、実物大で展示をしている美術館ですが、私の好きな美術館のひとつです。やはり、歴史を超えて名画として人々に支持されてきた絵にはそれなりの魅力がありますし、特にこの美術館のよいところは、順に見ていくことによって、絵画の歴史がよくわかるということです。古代から中世、そしてルネサンスへと、人々の欲望が素直に表現されていた時代から、キリスト教による抑圧の時代へ、そして再び解放されるという流れを絵を見ながら理解ができます。しみじみキリスト教が人々の生活にどれほどの影響を与えていたかを実感できる気がするほどです。その後は、バロック、ロココ、近代、そして現代絵画へと順を追って見ていけます。もちろん、こうした絵画の歴史は書物でも知ることはできるのですが、実物大の絵を見ながらというところが、本で見るのとはまったく違う印象を与えてくれます。本では、どの絵もほぼ同じ大きさで提示されますが、実物大で見ると、印象がまったく異なってきます。例えば、ルーブル美術館で感じた人も多いのではないかと思いますが、「モナリザ」はあまり大きな絵ではないので、意外に実物大で見ると印象は薄い絵だったりします。また、ブリューゲルの「子どもの遊び」という作品は当時の子どもたちの様々な遊びの様子を詳細に描いた作品ですが、画集でみると、小さすぎて細かいところまで見ることはできませんが、実物大だとかなり大きな絵なので、子どもたち一人一人の様子がよくわかります。いろいろ新たな発見のある美術館です。ちなみに、私の不得意な現代美術もこの流れで見ていくと、20世紀中は美術として十分理解可能だったなと改めて思いました。やっぱり、私にはこの美術館の方がいいようです。

412号(2011.8.3)やっぱりモダニストなんだ……

 先日金沢に行き、評判の「金沢21世紀美術館」に行ってきたのですが、まったく理解不能でした。現代美術(芸術)の展示でしたが、「なんだ、これは?」と思うものばかりで、いいものを見たという気にはなりませんでした。岡本太郎がよく「芸術は、『なんだ、これは?』と思わせればいいのだ」と言っていましたので、その点ではまさに芸術そのものだったのかもしれません。しかし、ポストモダンの芸術って、わかる人にはわかればいいというものなのでしょうか?私のような平凡な人間には、オーソドックスな美しさや、わかりやすい驚きだったりしないと、気持ちがもやもやしてだめです。やっぱり思い切り合理主義的なモダニストなんだなと改めて感じました。そんな中で唯一おもしろいと思ったのは、プールの中に入っているように見える常設作品だけでした。しかし、これも科学的な原理を使っただけのもので、芸術作品なのかどうか、私にはわかりませんでした。 

411号(2011.7.29)最近の時事問題

 最近の「つらつら通信」は、時事問題について語っていませんでしたね。まとめて語っておきましょう。まず政治。正直言ってあきれかえっています。与党も野党も菅直人の首を獲ることにしか関心がないのでしょうか。菅直人の人徳のなさも問題でしょうが、とりあえず誰が総理であっても政治家は国民のためにやるべきことをやってほしいものです。その菅直人が打ち出した「脱原発」の方針は、朝日新聞などでは言っている人が誰かはともかく方向性は正しいという立場を取っていますが、果たしてそうなのでしょうか?冷静に判断すれば、クリーンな代替エネルギーで現在の必要電力量を賄うのは相当に困難なことです。生活を大きく見直す意思が国民にはあるのでしょうか?あるのならいいですが、ただのムードで脱原発に走った時には、そう遠くない将来に再び元に戻そうということになるのではないでしょうか?

政治がらみでもう1件。橋下徹大阪府知事の大阪都構想はもう信仰の域に入っています。大阪府民も市民も基本的には必要性を感じていないテーマなのに、府知事が一人でなんとしてでも実現することにやっきになっています。大阪都になったら何がどうよくなるかがちっとも明確に見えません。石原東京都知事から、「大阪は副首都」と言ってもらって喜んでいるだけではどうしようもありません。自分が市長選に出て、知事には中田前横浜知事か東国原前宮崎県知事を立てるのでしょうか?大阪に愛着も何もないそんな候補でも、大阪維新の会の候補ということであれば、有権者は当選させてしまうのでしょうか?私にはありえない選択です。アイデアと勢いだけで緻密な計算はできない人間がトップにいると大変です。

なでしこジャパンの優勝は素晴らしかったですが、この人気がいつまで続くのかが気になります。日曜日のなでしこリーグには、これまでにはないほどの観客が集まり、NHKのスポーツニュースでも各試合の結果を紹介していましたが、このままちゃんと試合があるたびに観客が集まるのかどうか、各テレビ局が試合結果を紹介しつづけるかどうか、やや疑問です。世界大会での優勝はもちろんすごいのですが、一般の人からすると、「簡単に優勝できちゃうんだ」というあっけなさを密かに感じたという人も多いように思います。来年ロンドンオリンピックがあり、日本人はオリンピック好きなので、そこでも金メダルということになれば、今回以上に盛り上がるかもしれませんが、予選リーグ敗退というようなことになると、一気に熱が冷めてしまうかもしれません。現代の多くの女の子たちの価値観も視野に入れると、日本女子サッカーの将来は限りなく明るいとはとうてい言えない気がします。

海老蔵がもう舞台に復帰しましたね。予想通りです。歌舞伎ファンの小泉純一郎は「さすが」だとか、なんとか言っていましたね。おばちゃんたちも「やっぱり花がある役者さんは違う」とか言っていました。本当に、歌舞伎界には甘いです。琴光喜が可哀想です。そう言えば、相撲界の八百長がばれて、かなり多くの力士が引退(実質は解雇)させられましたが、やっていないと嘘をついて他の力士の処分が決まった後にばれた力士はなんと2場所の休場だけで済んで、今場所は本場所に出場できたようです。なんかおかしいですよね。

あと何があったでしょうか?最近語りたくなるニュースがあまり思いつきません。とりあえず、今日はこの辺で。

410号(2011.7.14)社会学部HPをチェックしよう!

 私のHPをよく読んでくれている人でも、社会学部HPhttp://www.kansai-u.ac.jp/Fc_soc/index.cgi)はほとんど見ていないのではないでしょうか。受験生だった時にはちょっと見てくれていた人も入学してしまったら、まずアクセスしていないと思います。でも、ある意味では、大学生になってからの方がおもしろく読めるのではないかと思います。受験生だった時は、知らないおじさんに過ぎなかった先生方のコラムも、入学後なら「へえー、○○先生、こんなこと思っているんだ」と興味深く読めるでしょうし、先生方の顔写真に至っては「これは一体いつの写真?」とツッコミを入れたくなるはずです(笑)。(ちなみに、先生方の顔写真は近々大幅更新の予定ですので、今のうちに古い写真を見ておくといいですよ。)そして、学生コラムには、しばしば知っている友人が登場してコラムを書いていたりしますので、ぜひ読んでもらいたいものです。特に、現在「学生コラム」(第67回)に掲載されている社会学専攻KゼミのKR君の文章「出会い系授業 かなちゃんとボクら」はすごくいいですよ。大学の学びで、人は成長するんだということを、しみじみ感じさせてくれます。ぜひ読んでみてください。ついでに、バックナンバーも見ていただければ、きっと誰か知り合いの文章を見つけられることでしょう。一時更新が滞っていた時期もありましたが、最近体制を立て直しましたので、5月末からは最低半月おきには、どこかのコラムが更新されることになっています。ぜひ、時々アクセスしてみてください。

409号(2011.6.29)ケータイ絶対主義が怖い

 先日ゼミ生と話していて、「3回も先生にメールを送っているのに返信をもらえていないので、嫌われているのではないかと心配なんですけど……」と言われました。でも、その学生のメールには返信をした覚えがあったので、「おかしいなあ。返信したはずだけど……」と言ったのですが、「来てないですよ!携帯から送ったんですから、携帯に返信が来るはずでよね!」とだいぶ責められました。「おかしいなあ」と思いつつ、家に戻って調べてみたら、やはりちゃんと返信していました。どういう原因かはわかりませんが、リターンメールにもならず、かつ相手に届かないメールになってしまったようです。こういう時に、私の言葉よりも、ケータイの方が信頼性があるんですよね。こういう「ケータイ絶対主義」は怖いです。せめてケータイより信じてもらえる教師でありたいものです。

408号(2011.6.27)ブラシンジ〜本郷通りを歩く〜

 ブラタモリの真似をして、東京を歩いてみました。スタート地点はJR京浜東北線上中里駅です。駅を出てすぐに蝉坂という急な坂があります。この坂を登って行くと上野台地です。上野駅から赤羽駅までの京浜東北線は武蔵野台地の一番東側にあたる上野台地に沿ってレールが敷かれていますので、大体どの駅を降りても進行方向左手側が急な上り坂になっています。蝉坂もそういう坂のひとつです。この坂を登ると本郷通りに突き当たります。ここで左に折れるとすぐに旧古河庭園が現れます。ここには、名前の通り、古河市兵衛に始まる古河財閥の3代目が大正時代に建てた立派な洋館と洋風庭園と和風庭園が残っています。庭もなかなか見事ですが、個人的には洋館が気に入りました。日本近代建築の父とも言えるコンドルの集大成的作品となっており、様々な工夫が見られ、非常に興味深い洋館です(右写真)。これをガイドさんが1時間もかけて説明してくれるので、素人でもよくわかります。

 旧古河庭園を出て南に下っていきます。霜降橋まではまさに下るという言葉がぴったりのゆるやかな下り坂です。そして霜降橋交差点を過ぎたあたりから今度はゆるやかな上り坂になります。上野台地を下って、今度は本郷台地を登っていくわけです。霜降橋という地名ですから、昔はこの谷を川が流れていたのだろうと思います。本郷台地に登る前に霜降橋近くの「しもふり商店街」を寄り道しましょう。昭和の名残がそのまま残っているレトロな商店街です。小道には板塀で囲まれた古い家屋があり、そこに「質」なんて書いてあるのを見ると、昭和30年代にタイムスリップした気になれます。

 再び本郷通りに戻って本郷台地を登っていきます。駒込駅を過ぎると右手にレンガ塀で囲まれた立派なお屋敷らしき敷地が出てきます。ここが六義園です。この庭園は第5代将軍徳川綱吉の側用人として権勢を極めた柳沢吉保が造ったもので、小石川後楽園と並び称された江戸の二大庭園です。難しいことはわかりませんが、気持ちのよい庭園であることは間違いありません(左写真)。ここをゆっくり散策し正門から出ると目の前にアンパンマンをはじめとする絵本の出版社として有名なフレーベル館があります。ここは創業100年以上の老舗出版社です。

 足を延ばす元気さがまだ残っていれば、ここで本郷通りと分かれて1本西の白山通りを北に進み(これは旧中山道になります)、巣鴨駅を越えて少し進んだところの左斜め方向に商店街が出てきます。ここが「おばあちゃんたちの原宿」として有名な巣鴨地蔵通り商店街です(右写真)。とげぬき地蔵に集まる参拝客でにぎわう活気のある商店街です。ちなみに、このあたりの白山通りの東側の地名は駒込ですが、染井霊園があることでわかるように、染井という地名も持っています、そして、この染井こそ、「ソメイヨシノ」という桜の発祥の地なのです。以上江戸の台地と谷を楽しみ、歴史にもたっぷり触れられる、丸1日楽しめるコースのご案内でした。

407号(2011.5.30)第3回総選挙!

 なんのことかって?もちろんAKB48のことです。昨年末に「ゲシュタルト心理学で分析できるAKB48の魅力」(「KSつらつら通信」第394号参照)という文章を書きましたが、半年経って今思うことは、「ああ、あの頃は初心者の見方だったな」ということです。あの文章に対して、教え子から「なるほどと思いました」と「あれはちょっと違うと思いますよ」という二通りの反応がありました。これも要するに、私と同様ようやくAKB48の魅力に気づいたばかりの人とすでによく知っていた人との違いだったのでしょう。で、今私がどうなっているかというと、「ゲシュタルト心理学」的にはもう見ていないですね。個々のメンバーのキャラクターや個性を知るようになると、誰がどこのポジションに据えられているのだろうかといった目で見ています。秋元康という「監督」の選手起用法を分析するといった視点で見ています。ほとんどサッカーの日本代表を見る視点と同じようなものになっています。そういう中で始まった「第3回総選挙」です。関心を持たないわけがありません。6月9日の結果発表日は、本来の総選挙(衆議院選挙)の開票速報並みに楽しみにしています。テレビでの放送がないようなので残念です。もしも放送したら、視聴率40%超えは確実だったでしょう。

 それにしても、選出メンバーをファンに選ばせるという秋元康の戦略は見事に当たりました。ちょっと調べてみたのですが、2年前の第1回総選挙の時は、最終得票で1位になった前田敦子の票数はなんとわずか4630票でした。それが2年経ったら初日だけで1位の大島優子の票数は17,156票です。最終的には10万票前後になるのではないでしょうか。2年間で20倍以上の伸び率です。見事なものです。実際、AKB48がブレークしてくるのは、2年前の総選挙以降です。私などはそれより1年半以上も遅れてからようやく魅力に気づいた人間ですが、学生たちは確かに2009年頃から男女別なく「AKB48がカワイイ!」と言い始めていました。2005年に結成され、2006年にメジャーデビューし、2007年の紅白にも出たのにブレークしていなかったグループが、「総選挙」戦略で一気に大ブレークしたわけです。明らかにプロデュース力の勝利です。プロデュース力というのは、持って生まれた才能というよりは、経験と知識の組み合わせで高められるものだと思います。天才よりは秀才の方がプロデュース力は高いと思います。常人が何を喜ぶかは頭の良すぎる人間より、そこそこの頭をもった人間の方がよくわかると思います。現代のマスメディアでよく知られるプロデュース力のある人としては、秋元康以外には島田紳助などもあげられます。プロデュース力というのは、結局「人員選択・配置」と「企画力」に尽きるのではないかと思います。誰に何の役割をさせるのか、どういう企画で盛り上げるのか、この2点です。これを的確にできる人間が、プロデュース力のある人ということになるのです。

 それにしても6月9日が楽しみです。「推しメンは誰ですか?」という質問がきそうですが、ここでは内緒にしておきます。というかそういう視点ではあまり見ていないので、そこまでこだわりを持ったメンバーはいないのですが、「神7は今回も崩れないのか?」とか「1位の票数は10万票に届くのか?」とか「前田=絶対的エース論をファンは受け入れるのか?」とか、ミーハー社会学者として、いくつかの興味を持ちながら、おおいに注目しています。

406号(2011.5.8)高槻で歴史を体感する

 高槻というと、うちのゼミ生なら、高槻セミナーハウスでの合宿を思い出すと思いますが、そのセミナーハウスに行く途中の道を少しだけ横道にそれた所に、今城塚古墳があります。この古墳は近年の研究でほぼ継体天皇陵で間違いないだろうと言われています。継体天皇というのは第26代の天皇で現在の皇室につながる始祖として措定される天皇です。近江高島に生まれ越前で育った人ですが、武烈天皇に後継者がいなかったため、応神天皇の5代の孫という遠い血縁関係にあった継体天皇が大和に迎えられ、後を継いだということになっています。しかし、大和に入るのに20年もかかっており、その間、樟葉や乙訓に居を定めたりしており、どう考えても迎えられたのではなく、征服したとしか思えません。ようやく大和に入って45年後には亡くなったのですが、まだ大和を治めきっていなかったのか、御陵は三島藍野に造られたと『古事記』にも『日本書紀』にも書いてあります。その御陵がこの今城塚古墳なのですが、江戸時代に、近くにある太田茶臼山古墳が継体天皇陵とされたことを根拠に、宮内庁が現在でもこの説を採っているため、この今城塚古墳は宮内庁のうるさい管理下に置かれず、現在公園として整備され、自由に出入りができます。なぜこうした間違いが起きたかというと、秀吉時代の伏見大地震で、盛り土で造られていた前方後円墳である今城塚古墳の墳丘が崩落し、濠もかなりの部分が埋まってしまい、往事の姿を失ったためだそうです。間違えられているのは残念な気もしますが、宮内庁の管理下に置かれていないので、日本の歴史において非常に大きな意味をもつ継体天皇の御陵を自分の足で踏みしめることができるという贅沢を味わえます。公園内に設置されている今城塚古代歴史館も無料にもかかわらず、なかなか見応えがあります。古代史好きにはお薦めスポットです。(写真左:埴輪と墳丘。写真右:前方後円墳の方墳の角)

405号(2011.4.18)社会システムデザインを説明する

 社会システムデザインとは何なのかがわかりにくいとよく言われますので、私なりに説明をしてみたいと思います。まず、デザインという言葉ですが、建物や洋服をデザインするという使い方なら誰もがわかりますよね?社会システムデザインのデザインもまったく同じ意味です。デザインするものが社会システムだという違いがあるだけです。しかし、社会システムをデザインすると言われても具体的なものが浮かばないとわかった気持ちになれないと思いますので、具体例を出したいと思います。ひとつの典型例としては都市計画があげられます。今、東日本大震災で町の形をほとんどすべて失ってしまったような町がたくさんあります。こうした町をどのように復活させていくかはまさに都市計画によって行うことになります。ただ、区割りをして、線を引けばいいわけではありません。その町に住んでいた人々の要望を聞き、地震や津波に負けない町を設計していかなければなりません。それは、単に建築学の専門家だけでできる仕事ではありません。そうは言っても都市計画のようなものだけが社会システムデザインの例だと言われると、やはり理系の研究のように思われてしまいそうですので、別の例もあげましょう。たとえば、大学キャンパスでの分煙化を進めるという計画を作るのは、まさに社会システムデザインと考えることができます。どうやったら、未成年者も多い大学という場で、喫煙者も納得のいく形で分煙化を進めうるのかは、様々な学問分野の知識を総動員してできることです。単純にやろうとすると失敗します。国がやることなら罰則付きの法律を作ったり、タバコの大幅値上げをしてタバコ離れを進めるといったことも可能かもしれませんが、大学という組織ではそこまでできません。もちろん、大学でも規則は必要ですが、規則だけで分煙化はうまく実行できません。変に喫煙箇所を減らしすぎたら、喫煙場所以外での喫煙を増やし、吸殻のポイ捨てを助長するだけになり、キャンパスはだらしない状態になってしまいます。学生、教職員の行動パターンを分析し、適切な程度の数の喫煙場所を目立ち過ぎないところに確保することで、喫煙者も無理なく規則を守れ、非喫煙者も悪影響を受けないシステムが初めてできるのです。

このように物を作る以外にもデザインは必要とされるのです。実は社会の中には、こうしたシステムデザインが必要なところがたくさんあるのです。というより、社会は常にシステムをデザインし続けているのです。そして、そのためには様々な学問分野の知識が必要となるのです。人々の行動のもっとも大きな基準は利益最大化の原理ですが、これは経済学がベースとしている考え方です。組織の構造、経営の知識も必要です。組織も企業のようなフォーマル組織から、NPOやボランティア団体のようなネットワーク型組織までありますので、様々なタイプの組織とそこにかかわる人間行動に関する知識も必要です。経営学、組織論、NPO論、ネットワーク論、みんな大事な知識です。もちろん、技術に関して無知でもだめです。社会システムのデザインは形のないものだけをデザインするのではなく、形あるもののデザインも必ず入ってきます。そして、やはり社会学です。人々の価値観、文化、慣習等々を分析する力をもった社会学は、社会システムをデザインする上で不可欠な学問のひとつです。実は、家族やサークルといった集団だって、小さいですが社会システムと見ることができるのです。そう考えれば、誰もが社会システムのデザイナーにならざるをえないのだということもわかってもらえるでしょう。なんとなく言葉がわかりにくいというだけで避けてしまわずに、この社会システムをデザインするという魅力的な作業にあなたも取り組んでみませんか?

404号(2011.4.16)菅バッシングをして何か事態がよくなるのだろうか?

 相変わらず原発事故が終息せず慢性的な苛立ちが日本を覆っている感じですが、そうした中で菅直人首相が批判の的になっています。確かに菅直人の喋り方、表情はぱっとせず、大衆的な好感度を得られないのだろうなというのは理解できなくはないですが、はっきり言って叩きすぎだと思います。私は大震災発生後からこの間までの菅内閣はよくやっていると思います。情報もかなり出している方だと思います。でも、原発に対する科学的な根拠のない不安に囚われた人々は勝手に「悪い情報を隠している」と思いこんで批判をしています。すべての情報を出すことは困難ですし、確認が済むのを待ってから発表すれば情報が遅くなることもあるでしょうが、精一杯出している方だ思います。原発対応の初動が遅れたのは菅直人が視察に行ったからだとか、枝野官房長官ばかりに記者会見をさせているとか、原発周辺地域は1020年は住めないと言ったとか言わなかったとか、とにかく揚げ足とりのような報道ばかりが続いています。私はいずれも菅直人を批判する根拠にはなりえないものばかりだと思っています。しかし、これを利用して菅直人を引きずり下ろして、自分の政治的立場を強くしようとする小沢一郎(最近の小沢一郎は「文化大革命」を始めた頃の毛沢東に重なって見えます)や自民党、公明党、そしてニュースとしておいしい政治家批判しか脳のないマスコミが煽り、ミーハー大衆がそれに引きずられ、「菅、やめろ!」の大合唱が起きつつあります。しかし、よく考えてみて下さい。これで総理が代わったとして、原発事故が一気に終息しますか?するわけがないじゃないですか。菅直人が総理をやっているから、原発事故が終息しないわけではありません。そんなことは普通に考えたら誰でもわかることです。菅直人が総理をやめたら、自公も内閣に入って大連立内閣ができ、復興が進むという意見もありますが、誰が総理であろうと、こんな非常事態なのですから、本来挙国一致で復興進めないといけないはずではないですか?それを「菅が悪い」「菅が総理だからだめなのだ」といった因果関係のまったくない批判をし続け、これでもしも総理が代わることになり、内閣を作り直すことになったら、いろいろな復興に向けての作業が中断してしまいます。むしろ、現在の非常事態がある程度落ち着くまでは、現政権にそのまま責任をもってやってもらうべきです。むしろやるべきは、国民の多くも支持していなかった2009年の民主党マニフェストを、非常時を理由にばっさり捨てて、少しでも財源を確保することです。「子ども手当」も「高速道路の無料化」も「高校授業料の無償化」も捨てるべきですし、ついでに「政党助成金」もなくし、「議員歳費」も半減以下にすべきです。政治家が痛みを伴う改革をやってはじめて「震災復興消費税」も理解されるでしょう。民主党内非主流派も自民党、公明党といった野党政治家たちもこの1ヶ月まったくよい仕事をしていません。必死で働いている現政権の足を引っ張るしか脳のない政治家こそやめるべきです。TVでコメントするキャスターもコメンテーターも政権批判しかしていないような輩は「百害あって一利なし」です。今は、まだまだ気持ちをひとつにして問題解決にあたるべき時期です。そのためにエネルギーを割くべきであり、倒閣や政権交替なんかにエネルギーを割くべきではありません。マスコミやネットの煽りに騙されないで下さい。

403号(2011.3.17)日本を信じよう!

 原発も落ち着かず、まだまだ不安もたくさんあると思いますが、日本を信じましょう!日本には底力があるはずです。1人1人が日本社会のメンバーです。みんなが自分たちのできることを精一杯やるなら、きっと日本は立ち直れるはずです。

402号(2011.3.3)結婚記念日に関する疑問

 最近、教え子の結婚式・披露宴に出るたびに気になっているのが、今の若い人たちは、結婚記念日をどの日と考えているのだろうかということです。私たちが若い頃は、結婚式、披露宴を済ませて、新婚旅行に行き、帰ってきてから籍を入れるというパターンが多く、結婚記念日は式と披露宴を行った日と考えるのが一般的でした。しかし、最近の若い人たちは先に籍を入れて(それも結構早く)、一緒に住み始め、その後スケジュールがうまく合うところで、結婚式と披露宴を挙げたりするケースが増えています。こういうパターンの場合、一体いつを結婚記念日と考えているのでしょうか?法的に夫婦になった婚姻届を出した日でしょうか?しかし、婚姻届は一人でも出しに行けますので、何のイベント感ももたないまま提出してしまったら、毎年その日が来ても何も思わなそうです。かと言って、結婚式を挙げた日ということになると、すでに夫婦としての生活をしていますので、結婚記念日とするには、何か違うという気になるかもしれないですよね。それとも、そもそも結婚記念日などあまり気にしなくなっているのでしょうか?いや、そんなことはないはずです。最近の若い人たちは、交際1ヶ月記念とか2ヶ月記念とかでも祝ったりするくらい記念日好きなのですから、結婚記念日というビッグな記念日を決めてないはずはないでしょう。結婚している若い方々、どの日を結婚記念日にしているのかぜひ教えてください。

401号(2011.2.20)官僚主導の政治に戻した方がいいのかもしれない……

 約1年半の民主党内閣を見守ってきて、正直あきらめの気持ちが私の中にも広がりつつあります。しかし、それはマスコミ等で流されている「菅直人がだめだから」ということではなく、もっと根本的な問題です。政権交替が行われ、4年間は民主党政権のもとで、政治家主導による新たな政策が打ち出され、その評価が4年後の総選挙で出され、よければ民主党政権の継続、だめなら自公政権に戻ることになるという、本当の民主主義が根付く第一歩が始まると思っていましたが、まったくそうなりません。個々の政治家がだめだという以上に、たぶん制度・システムの問題からこうならざるをえないのでしょう。

まず、二院制であるために、ねじれが生まれます。自民党政権が永遠に続くかと思われていた時代に、民主党が参議院で多数派を取りねじれが生まれた時は、風穴が空いた気がしましたが、せっかく政権交替したのに、今のようにねじれが生まれてしまうと、政権交替の効果が非常に小さくなってしまいます。もともと二院制は階級社会の産物で、社会の中心を担う上層階級用の議会(日本ではかつては貴族院)に対して、庶民の代表が選ばれる議会(衆議院)が必要だということで、それぞれ存在意義があったわけですが、現代日本のような社会において、貴族院の後を受けた参議院にはもはや存在意義はまったくなく、二院制という制度はマイナスしかもたらしません。

 次に、日本人はそもそも選挙という制度を受け止めるほどの人間になれていないのではないかということを指摘したいと思います。今、永田町で政治家(「政治屋」と言った方がぴったりですが……)たちが起こしていることの多くは、すべて次の選挙で自分が落ちないためにはどうしたらいいかという発想に基づいた行動です。消費税増税策を打ち出したり、2009年のばらまきマニフェストを修正するのは、有権者にとっておいしくない話ばかりなので、有権者に嫌われ落選すると勝手に思っているような気がします。たぶん、一般有権者はそこまで「ばらまき金」を欲しがっていないと思いますし、消費税増税もある程度までは仕方がないと思っています。今、民主党の支持率が落ちているのは、マニフェストを変更しようとしているからではなく、党内があまりにもゴタゴタしているからです。こんな奴らに任せておけないという不安感が民主党離れを進めています。では、有権者はそんなに大人かと言うと、そうも言えないと思います。消費税の多少のアップを認め、高速道路の無料化や子ども手当の無駄なばらまきはしない方がいいと答える人でも、自分の利害に大きく関わることなら、自分の利害を優先します。何よりも、政治を感覚的に見過ぎています。菅直人はオーラがない、官僚や公務員は優遇されすぎている、小沢一郎は悪そうな顔をしている、石原慎太郎や橋下徹はカッコイイ、等々。大局的にモノを考えられる有権者もいるとは思いますが、少数派で、大多数は感覚的な判断のみで投票します。こういう有権者を前提とすると、政治家も大局より有権者向け、マスコミ向けのパフォーマンスのみに力を入れることになります。そのマスコミについては、同じようなことを何度も書いているので詳しく書く気も起きませんが、彼らが求めているのはニュースのネタです。小沢シンパの離党はあるのか、内閣不信任案は提出されるか、内閣総辞職あるいは総選挙はあるのか、次の首相は誰か、毎日そんなことばかり書いています。読者が社会の大局を考えたくなるようなニュースは目立たない小さな記事でしか書きません。

 政権交替をしてもこういう風にしかならないなら、国民によって選ばれた政治家が政治を動かすという一見正統性のある政治家主導の民主主義をやめ、選挙で職を失わないので大局を考えやすい官僚主導の政治に戻した方がましだという気がします。明治時代に国を開いたばかりの日本があっという間に列強諸国に追いつくことができたのも、1950年代から1980年頃まで日本が急速かつ順調に成長を続けてこられたのは、選挙によって選ばれる政治家という存在がいなかったり、自民党政権が長くつづいたりといった実質的に非民主主義的な体制のもとで、官僚たちが腕をふるうことができたからです。日本社会にとって、いやもしかしたらどの社会でもこういうやり方の方がましなのかもしれません。衆愚制という言葉を生みだしたのは古代ローマの民主主義で、その後元老政治から帝政へと変わっていったという歴史もあります。チュニジアもエジプトも、民衆の感情的勢いに任せて、長く続いてきた安定的政権を倒してしまいましたが、果たしてその後よい社会が来るのかどうかはわからないと思います。民主主義も社会主義と同様、理念は素晴らしいが、現実にはうまくいかない制度なのかもしれません。政権交替のあるまともな民主主義社会に日本がなることを夢見ていた私が、今こんなことを書かなくてはならないのは、本当につらい気分です。

400号(2011.2.9)ユニークな昭和家電たち

 天神橋筋六丁目にある「大阪住まいのミュージアム」で、「昭和レトロ家電 増田 健一コレクション展」が開催されています。昭和30年代を中心としたこの手の展示は最近あちこちで開催されているので、それほど新鮮味はないだろうと思いつつ寄ってみたのですが、予想に反して、非常に優れたコレクションで見応えがありました。このコレクションの特徴は、当時を生きていた人でもほとんどの人が存在を知らなかったであろう珍品がいくつも展示されていることです。私が思わず「へえ〜、こんなものもあったのか」と驚き、笑ってしまったような製品をいくつか紹介させてもらいます。

@電気釜分割内鍋(昭和35年)……内釜が4室に分かれており、ご飯を炊くこと、お湯を沸かすこと、味噌汁を作ること、カレーを作ることがいっぺんにできるというウリだそうです。絶対無理ですよね(笑)

Aボースホーン(昭和38年)……受話器を真ん中にして両側にダイアルのついている電話機。職場で向かい合わせに座っている2人がともに使用できるというウリだそうです。そのユニークな形は一見に値します。

Bハイファイラジオ(昭和33年)……ひとつのラジオに見えるのですが、中に2つのラジオが入っていて、NHK第1放送と第2放送を同時にかけるとステレオ放送として聞けるラジオです。FM放送がなかった時期に立体感のある音を出すために売り出されたようです。NHKがそれ用に放送をしていたというのにも驚きました。

Cスナック3(昭和40年)……ホットミルクと目玉焼きとトーストがいっぺんに作れるという調理機器。とは言っても、実際はまずミルクを入れて温まってきたら、おもむろにフライパンの上に玉子を落とし、下のトースターでパンを焼くというだけのものです。見た目は、完全に女の子の調理用おもちゃという感じでした。

Dテレビ型ラジオ「シネマスーパー」(昭和31年)……ぱっと見、テレビのように見えるラジオ。選局パネルがテレビのブラウン管のように見えます。テレビがまだ高価すぎて手が出なかった人たちが気分だけでも味わおうとしたのでしょう。

Eテレビ型ストーブ(昭和37年)……今の若者風に言えば、「意味わかんない!」と言いたくなる製品です。ストーブがなぜかテレビの形をしています。この頃、いかにテレビが人気だったかを示す逸品でしょう。

Fかもめ印マジック洗濯器(昭和31年)……お湯と洗剤と洗濯物を入れて、自分で振り回して攪拌するという代物。電気を使っていないので、厳密には家電ではないですが、使っている人を想像して笑ってしまいました。実際どのくらい使われたかわかりませんが、たぶんこれを振り回すくらいなら、洗濯板で洗った方が楽だったろうと思います。

他にもおもしろいものがたくさんありましたし、また、この時代にもうこんな製品があったのかと驚くようなもの(例えば、昭和35年の食洗機や昭和34年のテレビリモコン)もたくさんありました。お時間のある方はぜひ見に行ってみてください。ただし、211日(金)までです。

399号(2011.2.5)「チア」したい若者たち

 奇妙なタイトルをつけましたが、別に「チアガール」になりたいという意味ではありません。大雪で困っている日本海側の町に、若者たちが雪下ろしの手伝いに行ったというニュースを見ながら思いついたことです。通常は「ボランティア」と言われている行為で、この雪下ろしの手伝いなどは、まさにボランティアと言ってよい行動ですが、日頃の若者たちの行動も合わせて考えていたら、ボランティアというより、彼らが好きな行動って、他者の応援なのかなと思えてきて、こういうタイトルにしました。ゼミなどで学生たちを観察していても、自分の卒論執筆に没頭するより、なかなかうまく進まない仲間たちの卒論を応援してあげる方が楽しそうにやっています。自分が主役になって、中心で頑張るより、頑張っている誰かを応援してあげたいし、その方が自分には向いていると思っている人が増えているような気がします。豊かな日本が生みだした戦うことが嫌いな若者たちは他者に優しいのです。傷つけてはいけないと言われて育ってきた若者たちは、的を射た鋭く厳しい言葉を発するのは苦手で、「頑張って!」とか「大丈夫だよ!」いう甘い優しい言葉を発するのは得意なのです。頑張っていたサッカー日本代表チームを応援するのは楽しくて仕方がないのです。自分が舞台に上がり、もしかしたら非難もされるかもしれないことはできる限り避け、下から支える役に回りたい、そんな若者が増えています。もちろん全員ではありません。サッカー選手もまた若い世代です。彼らは「一番になりたい」と思って努力しています。他の分野でもいることでしょう。でも、全体的に見たら少ない気がします。スポットライトを浴びるような仕事でなくとも、自分が主役になるんだというくらいの気力をもつ人が若い人の多数派であってほしい気がします。「チアしたい」より、「チアされたい」若者がもっと増えないと、日本の将来が心配です。頑張れ、若者!われわれ世代が、若者を「チア」したいと思うような頑張りを見せて下さい。

398号(2011.2.5)「ブラタモリ」がおもしろい

 昨年からずっと書こう書こうと思っていたのに、バタバタしていて書きそびれていましたが、NHKで毎週木曜日に放送している「ブラタモリ」という番組が非常におもしろいです。番組名通り、タモリが東京の町を歩き、昔の地形や昔の町並みに思いを馳せる番組ですが、実に奥が深いです。大NHKの威光を使って、通常は入れないようなところまで案内してもらっていますので、われわれもカメラの目線を通してですが、日頃見られないものを味わえます。今週の江戸城外堀もすごくよかったです。江戸城は大地の東南の端にあるので、東南側の堀は自然を利用して造れたわけですが、北西はどうしたかといえば、人力で掘っていたんですね。昔の土木工事、なめられません。その外堀を利用して中央線を走らせることにしたため、中央線はできた当初から、踏切のない路線として造れたそうです。先週の池袋もよかったですよ。池袋の発展の理由と地名の謎を解き明かしていくというテーマでしたが、なるほどと感心させられました。タモリって、音楽番組なんかは肩の力を抜いて楽にやっていますが、こういう自分の知的好奇心をくすぐる番組になると、実にいきいきしています。彼は、現代日本を代表する博学な教養人です。

397号(2011.1.23)「冬サク」ブームがやってくる

 「冬サク」って何?と思った方がほとんどでしょう。先週から始まった「冬のサクラ」というドラマを短縮した言葉です。まだそんな言葉は誰も言っていないと思いますが、きっといずれマスコミが言い始めます。なにせ韓流ドラマ「冬のソナタ」をもろに彷彿とさせますので。「冬」「雪」「純愛」「病」「すれちがい」……。思いきりベタです(笑)。でも、はまりますよ。ヒロインの今井美樹が魅力的です。久しぶりのドラマ出演だと思いますが、とてもいいです。美人に不幸というのは、ドラマの王道です。で、「冬サク」ブームとはどのようなブームになるのかと言えば、40歳代主婦を中心にした「純愛ブーム」になるのではないかと思っています。でも、40歳代主婦の「純愛」って、夫以外の男性との恋愛という形でしか成立しないだろうと思います。1980年代に「金妻」ブームというのがありましたが、それが少し形を変えて「純愛」という衣をもとって復活するというのが、私の予測です。このドラマが終わる頃には、「冬サクしたいなあ……」とつぶやく主婦が出てきているのではないでしょうか。ものすごい早いですが、今年の流行語大賞の候補に入ってくると予想しておきます。

396号(2011.1.14)「タイガーマスク運動」を分析する

 みなさんよくご存じのように、現在マンガ「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」をはじめとする匿名の人たちによる、児童養護施設へのランドセル等の寄付の動きが広まっています。たった1人の奇特な人の行動なら社会学的分析対象にはなりませんが、これだけ模倣行動が広まっていれば、十分社会現象と見ることができ、社会学的な分析対象になりますので、私も分析してみたいと思います。まず、こうした類似行動が多数発生している場合、「集合行動」の一種としてみなすことができます。集合行動がなぜ発生するかについては、社会学は十分な分析枠組みを持っています。ここでは、一番わかりやすいスメルサーの分析枠組みを利用することにします。スメルサーは、集合行動が発生するために、「構造的誘発性」、「構造的緊張」、「一般化された信念の成長と普及」、「きっかけ要因」、「参加者の動員」が順次そろわなければならないと述べていますが、今回の「タイガーマスク運動」の場合をこれに当てはめて考えてみましょう。

「構造的誘発性」としては、階層格差が小さく中流意識を持った人々が多い、それなりに豊かな社会であることと、マスコミ網が発達していることがあげられます。もともと寄付行為というのは、階層格差の大きな社会では上層が下層に対して行うものでしたが、今回の場合そうした形での寄付行為ではなく、数千円から数万円というレベルで行われているものであり、中流意識(そんなに豊かだとは思っていないが、自分たちはそれなりの生活を送れていて、世の中にはもっと可哀想な人たちがいるという意識)をもった層による行為と考えられます。こうした層が大量にいることで、今回の行動は広まりやすかったわけです。また、マスコミによって、こういう行動があったことが克明に紹介されうるというのも、こういう行動をしようと人々に思わせる重要な構造的誘発要因だというのもわかりやすいことでしょう。「構造的緊張」としては、最近の親子関係の不安定さがあげられます。児童虐待のニュースがたくさん報道されているため、庇護されない、親からの愛を与えられていない可哀想な子供たちが増えているのではないか、彼らにわずかでも人の温かさを伝えてあげたいという「信念」をもつ人が、急速に増えているのだと思います。そうした環境が存在していたところに、最初の「伊達直人」が現れ、そのニュースがマスコミで報道されたことが「きっかけ」となり、人々はこの運動への「自主的参加」をしていったわけです。

次に、どういう人がこういう行動をしているのかについて分析してみたいと思います。私は、こういう行動をしている人たちは、すでに子育てから卒業した年齢層の方や、子どもがいない中年層などが中心ではないかと推測しています。というのは、自分に子どもがいて子育て真っ最中の人々は、こういう行動をほほえましくは見ていますが、自分自身の子育てをしっかりすることこそ大事と考え、養護施設への寄付行為には向かわない気がします。ただし、大きく取り上げられるようになってからは、自分から報道機関に寄付をすることを連絡し、タイガーマスクの格好をして現れるなんて人も出てきていますから、ニュースで取り上げられることを楽しみにする目立ちたがり屋も含まれるようになってきていると思いますが。

なぜ本名を名乗らず、ヒーローの名前を借りて匿名でこういう行動をするのかについても分析してみます。2チャンネルで悪口を書くような社会的に非難される行動ではなく、賞賛されるような行動なのだから本名を出してすればいいのではと思う人も多いかもしれませんが、やはり匿名にしたくなるものだと思います。なぜなら、最初は単純に賞賛されても、すぐに必ずどういう仕事をしているのか、どういう生活レベルの人なのか、どういう経歴の人なのかといったことが、マスコミを通じて広く流され、プライバシーはなくなり、そのうち「偽善者ではないか」などという声もでてくるということが、高い確率で予想されます。であるなら、匿名で行動しようと思うのは当然でしょう。

最後に、よく考えてみると、善意の寄付行為や復興ボランティア活動など、これまでにも小さな善意の行動は、日本でもたくさん行われてきています。こうした善意に基づく行動を起こそうという気持ちを潜在的に持っている人は、この豊かな日本には少なからずいるということなのだと思います。マスコミやインターネットを利用して、こうした善意の行動に、うまく陽が当たるようにしてあげるなら、こうした善意の行動は一時的なもので終わらずに継続的に行われる可能性は十分あると言えるでしょう。

395号(2011.1.8)ヒーロー

 正月から肝を冷やしました。年末年始はいつも東京−大阪を車で往復するのですが、大阪に戻る途中、走り始めて間もない横浜近くの高速道路で車がパンクをし、しばらく気づかずに走っていたら、タイヤがバーストしてしまいました(右写真参照)。たまたまパーキングエリアが近かったので、そこまでなんとか走り、レッカーしてもらい、タイヤを交換して、なんとか帰ってくることができました。今は、こんな風に冷静に経緯を書いていますが、その時の私の慌てぶりといったら、たぶんまともに見てられないような状態だったと思います。もともと、準備をせずに何かをするのは苦手な方なのですが、車には詳しくない上に、まったくの予想外の事態だったものですから、まず何をしたらいいのかがわからないほどでした。たまたま、車を購入したディーラーさんと連絡がつき、指示をしてもらったので、なんとかなりましたが、改めてアクシデントに弱いなと再確認しました。

さて、本題はここからです。レッカーしにきてくれたロードサービスの方がまさにわれわれ家族にとっては、ヒーローでした。パンクした車を積載してくれて、オートバックスまで連れて行ってくれる車の中で、半分パニックを起こしている中年のおじさんを安心させようとして、いろいろな話をしてくれました。測道に駐めて車から出て、後続車に轢かれてしまう人が結構いるという話や、ロードサービスで事故処理に来た際に、自分自身が事故に遭ってしまい、血だらけになりながら任務を完遂した話とか、聞いているうちに、「ああ、こんなパンク事故はそんなにたいしたことではないんだ」と思えてきました。あまりにドラマティックな経験談に、思わず「『海猿』に負けない映画が撮れそうですね」と言ったところ、ニコッと笑って「自分、前は『海猿』だったんですよ。泳げなくなってしまったんで、この仕事に変わったんです」と話してくれました。その後、オートバックスが開いている時間になんとかたどりつき、私が少しほっとした顔をして感謝の言葉を述べると、「事故起こした方がこうやって少し安心した笑顔を見せてくれると、ああやっぱりこの仕事をしていてよかったなと思えるんですよ」と素敵な言葉を聞かせてくれました。「惚れてまうやろ!」って叫びたくなるほどでした。

タイヤを交換し、車を整備してくれたオートバックスの方々もみんな神様に見えました。タイヤ、ホイールを外してみたら、中で傷ついている部分があると見せてくれた上で、「もしかしたらブレーキ系統に損傷が出ているかもしれないので、その場合は車を渡すわけにはいきませんが、とりあえず急いで応急措置をして試走をしてみます」と言い、閉店時間を過ぎていたにもかかわらず大急ぎで作業してくれました。結果としては、ブレーキ系統に問題はなく帰って来られたわけですが、おっかなびっくりの私に、「大丈夫ですよ。普通に走れますよ」と笑顔で言ってくれた整備士の方が、またヒーローに見えました。オートバックスなんて、今までM−1グランプリのスポンサーとしてしか知らなかったのですが、こういう仕事をしてくれているんだなあと1人感動していました。こういう経験をすると、機械がいじれる理系の人ってすごいなあとしみじみ思います。文系人間の自分の無力さを知り、せめて車のことはもう少し勉強しなければと思いました。

それにしても、スポットライトを浴びるわけではないけれど、いい仕事をしておられる方がたくさんいて、われわれは暮らしていられるんですね。ディーラーさんも保険会社の担当の方も含めていろいろな人に心から感謝したいと思いました。そして、私は私のできる範囲で、何か貢献をしていかなければならないなということを強く思った貴重な体験でした。