桜坂

                     (作・片桐新自)

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第1話 出逢い(1999.5.15公開)

第2話 生き方(1999.5.15公開)

第3話 出征(1999.5.15公開)

第4話 軍隊(1999.6.3公開)

第5話 人間(1999.6.14公開)

第6話 思い出(1999.6.29公開)

第7話 母(1999.7.11公開)

第8話 階級(1999.7.11公開)

第9話 緊張(1999.7.17公開)

第10話 決死(1999.7.17公開)

第11話 残されし者(1999.7.25公開)

 (完)

第1話 出逢い

(昭和30年4月3日。桜満開。新聞社の窓から桜を眺める新人記者とベテラン記者。)

富本裕子「きれいですね。」

近藤千恵「本当にね。でも、悲しいわね。」

  裕子「えっ、どうして悲しいんですか?」

  千恵「だって、すぐ散ってしまうじゃない。」

  裕子「でも、だからいいんじゃないですか。」

  千恵「そう?」

  裕子「そうですよ。」

  千恵「今はいいわね。若い人たちが自然にそんな風に思えるのだから。」

  裕子「どういうことですか?」

  千恵「うーん、なんでもないの。」

  裕子「なんだか気になるなあ。」

  千恵「ふふ。」

 

(昭和10年4月6日。桜満開の坂道。3人の中学生が坂を登っていく。)

安田誠一「またおまえたちと同じ組か。もういいかげんあきたな。」

松本丈二「本当にな。なあ、満もそう思うだろう?」

大谷 満「ははは。」

  誠一「なんだよ、その笑いは。いつもおまえは笑ってごまかすんだから。(前から歩い

     てくる女学生3人組に気づく。)おお。おい丈二、結構かわいくないか。」

  丈二「まあまあってとこかな。」

  誠一「なことないよなあ、絶対かわいいよな、満、なあ。」

   満「……うん。」

  丈二「あれ、満が笑ってごまかさなかったぞ。」

   満「えっ、いや、そんなことないよ。」

    (女学生たちとすれちがう。)

  誠一「なあ、やっぱりかわいいだろ?」

  丈二「まあな。」

  誠一「ああ、知り合いになれないかな。」

  丈二「オヤジのコネは?」

  誠一「馬鹿野郎、こんなことにそんなものが効くわけないだろ!」

  丈二「だな。」

   満「ははは。」

 

(その3日後。学校の講堂。)

中学校長「悲しい出来事ではありますが、君たちはこんなことに心を乱されず、一心不乱

     に勉学に励むよう希望するものであります。」

  丈二「おい、聞いたか?山川さん、心中だってさ。」

  誠一「ああ、知ってるよ。俺、あいつと昔仲良かったんだ。」

  丈二「そうか、おまえ一年落第してたもんな。」

  誠一「馬鹿、でかい声で言うな。格好悪いだろ。」

  丈二「すまん、すまん。相手は名取の女学生だってさ。」

  誠一「まあな、道ひとつ隔てて建つ中学と女学校だもんな、恋愛するなって言うのが

     無理だよなあ。」

   満「そうだね。」

誠一・丈二「あれ?」

 

(放課後の女学校の教室。)

道内紀子「元気出しなよ、佳織。」

三上佳織「うん。」

近藤千恵「佳織のあこがれの先輩だったもんね、柿崎先輩は。」

  紀子「でもね、心中でしょ。すごいよね。」

  佳織「(怒ったように)何がすごいの!」

  紀子「ごめん、ごめん。そういう意味じゃなくって、なんか私たちとひとつしか歳が

     違わないのに大人だなあって思ったの。」

  佳織「大人なんかじゃないよ。大人ならこんな馬鹿なことはしないよ。」

  紀子「まあね。でも情熱的な恋愛だよね。」

  千恵「うん。」

  佳織「死んじゃったら何にもならないよ!」

 

(桜の散る坂道を下る佳織、紀子、千恵。後ろから追いついてくる誠一、丈二、満。)

  誠一「あのお……。」

  紀子「何ですか。」

  誠一「いやあ、この前もお会いしたと思うんですが……。」

  紀子「そんなこと、私たちは知りません。」

  誠一「そうですか……。」

  丈二「何やってんだよ、おまえは。いやあ、あの、心中事件知ってますよね。あの死

     んじゃった男の方、こいつの親友だったんですよ。(と、誠一を指さす。)」

  誠一「(妙に自慢げに)そうなんです。」

  佳織「(誠一をきっと睨み付けながら)それが何か私たちに関係があるんですか!」

  誠一「いやあ、あんまり関係ないですね。」

  紀子「佳織、千恵、もう行こう。」(早足に去っていく3人。)

  誠一「いやあ、きついな。美人なのにな。」

  丈二「ほんと、ほんと。特にあの佳織って子なあ。」

   満「……。」

第2話 生き方

(5年後の昭和15年4月10日。桜の散りかけた中学校の門の前。丈二と満。)

  丈二「ああ、ついに出征か。中学の頃は良かったよなあ。それにしても、誠一はうま

     くやったよな。」

   満「何、言ってるんだ!お国のために戦えるんだ。僕らが守らずして、誰がこの国

     を守るんだ!」

  丈二「まあな。そりゃタテマエは満の言うとおりだけど……。」

   満「僕はタテマエを言っているわけじゃない!」

  丈二「わかった、わかった。まじめなおまえとこんな話してても埒があかないな。な

     あ、ところで、満、おまえ、もう男になったのか?」

   満「えっ。」

  丈二「やっぱりな。おい、これから、俺と一緒に島川へ行こうぜ。」

   満「島川って、あの……。」

  丈二「なに、カマトトぶってんだよ。いくらおまえでもやり方ぐらい知ってるんだろ?」

   満「うーーん。僕はいいよ。」

  丈二「何言ってんだよ。俺たちに残された時間は後1週間だ。せいぜい娑婆を楽しま

     なくっちゃ。あっという間に死んじゃうかもしれないんだぜ。おまえ、女知ら

     ないまま死にたくないだろ?」(強引に満を引っ張って坂を下っていく丈二。)

 

(高級感漂うクラブ)

  誠一「お父さん、僕はこんなところにいていいのかな。」

安田 誠(誠一の父、国会議員)「何を言っているんだ。おまえはいずれわしの後を継ぐ人

     間だ。今のうちからこういうところにも慣れておかないとな。」

  誠一「いや、そうじゃなくて、僕も戦争に行くべきじゃないのかな。」

   誠「何を馬鹿なことを言っているんだ。万一のことがあったら、どうする!」

  誠一「でも、満も丈二も出征していくんだ……。」

   誠「階級が違う、階級が。庶民はそうやってお国のために尽くすんだ。だがおまえ

     は違う。もっともっと高いレベルでお国のために働かなければならない大事な

     体なんだ。もういいだろう、その話は。ご覧、あの歌手を。なかなかいい女じ

     ゃないか。」

  誠一「(歌手の横でピアノをひく正木孝代を見つめながら)うん、そうだね。」

   誠「ああいう女は落ちそうでなかなか落ちないもんなんだ。だが、わしには地位と

     金がある。どうにでもなる。」(ボーイを呼び、チップを渡し何やら頼み込む。

     ボーイ、多額のチップに満面の笑顔でうなずき、歌い終わったばかりの歌手の

     ところへ行き、耳元で囁く。うなずいて、笑顔で誠の席までやってくる歌手。)

森本雅子「先生、わざわざお越しいただき、ありがとうございます。歌は気に入っていた

     だけました?」

   誠「もちろんだとも。まあ、それ以上にわしは君が気に入ったんだがな。」

  雅子「まあ、嬉しいわ。」

   誠「どうだい、ここが終わったら、もう一軒つき合いたまえ。」

  雅子「嬉しい。でも、今晩だけはどうしても都合がつかないの。次は必ず、ね。」

   誠「そうか、仕方がないね。じゃあ、これだけ取っておきなさい。」(お札を渡す誠。)

  雅子「ありがとうございます。じゃあ、またお待ちしていますから。」(立ち上がり、

     帰ろうとする雅子。)

  誠一「あのお、ピアニストの方は何というお名前なんですか?」

  雅子「あら、お若いのに目のつけどころがいいわね。でも、孝ちゃんはだめよ。昔の

     思い出で生きている人だから。」

  誠一「いや、僕はそんなことを考えている訳じゃ……。」

  雅子「ふふ、じゃあまた。」

 

(島川上がり口にて)

  丈二「今晩わ。」

島川のおかみ・瀬川みち「また来たの?」

  丈二「また来たのはないだろ?お客だよ、お客。」

  みち「でも、あんたが来ると、雪が仕事になんなくなっちゃうからね。」

  丈二「そんなこと言われてもなあ。そうそう、今日ははじめての奴連れてきたよ。本

     当に初めてなんだぜ、こいつ。」

  みち「あらあら、それは光栄ね。」

  丈二「それと俺たち来週出征することが決まったんだ。娑婆ももうあと1週間さ。」

  みち「えっ、それを先に言いなさいよ。じゃあ、今日は特別に、初めての子に相手さ

     せるわ。」

  丈二「おお、それはいいね。」

  みち「あんたはだめ。雪に怒られるでしょ。」

 

(花の部屋にて)

   花「あの……。」

   満「えっ。何か。」

   花「何もしないんですか?」

   満「いや、僕は、そんなつもりでここにきたわけじゃ……。」

   花「でも、ここはそういうところですよ。もうずいぶん時間が経ちましたよ。」

   満「えっ、それはそうだけれど……。いや、だからなんていうか、僕は自分の意志

     でここに来たんじゃなくて……。」

   花「ふふふ。」

   満「君だって初めてなんだろう、今日が。怖くないのかい?」

   花「あなたに会うまでは怖かったんだけど、あなたを見てたら、全然大丈夫って気

     になってきた。」

    (突然ふすまを開けて、丈二が入ってくる。)

  丈二「ああ、やっぱりな。だから初めて同士はだめなんだよな。よし、しょうがない。

     雪と交換してやるわ。」

   花「いや。私はこの人がいい。」

  丈二「そんなこと言ったって、おまえたち2人じゃ埒があかないだろ?」

   花「絶対、あんたはいや。大体あとで雪ねえさんから叱られちゃう。」

  丈二「わかった、わかった。じゃあ、俺はいいからさ。とにかくこいつを雪の所へ行

     かせてやってくれよ。このままじゃ何もしないうちに時間が過ぎちゃうよ。な

     あ、満、そうしようぜ。」

   満「いや、僕はとにかく帰るよ。」

  丈二「まあ、そう言わないで。じゃあ、えーと、花ちゃんだっけ。また今度遊ぼうね。」

    (恨めしそうに見つめる花を置き去りにして満を連れていく丈二。)

 

(雪の部屋)

   雪「なんか、あんたが丈二の親友って変な感じ。」

   満「どうして?」

   雪「だって、性格が全然違うじゃない。」

   満「それはそうだけど、性格の似た奴だけが友だちになるわけじゃないよ。」

   雪「まあね。でももうそんなことはいいわ。早くいらっしゃいよ。」

   満「いや。僕はいいんだ。」

   雪「どうして?戦争行くんでしょ?女知らないまま死んじゃうかもしれないよ。」

   満「そんなことはどうでもいいんだ。」

   雪「どうでもよくないよ。大事なことだよ。もしかして、こんな商売しているあた

     したちじゃ、いや?」

   満「そんなことないよ。」

   雪「じゃあ……。」

   満「僕は好きな人がいるんだ。」

   雪「だから?」

   満「だからって?だからできないに決まっているじゃないか。そんなことをしたら、

     その子を裏切ったことになるじゃないか!」

   雪「ふーん、まじめなんだね、あんた。男はみんな好きな子がいようといまいとや

     ってるよ。丈二だって今頃は花ちゃんと……。」

   満「そうかもしれない。でも、僕はいやなんだ。」

   雪「わかったわ。いいわ、このままで。なんかあんたといると、まだ何も知らなか

     った昔を思い出すわ。ねえ、一緒にふとんに入って手だけつないでいてくれな

     い?」

 

(2時間後)

  丈二「どうだ、満?雪はよかっただろ?」

   満「ああ。」

  丈二「なんだ、はじめて男になった割にはぱっとしない感想だな。」

   満「そうか。」

  丈二「まあいいや。ああ、それにしてもあと1週間か。悔いが残らないようにしない

     とな。」

第3話 出征

(4月11日。桜散る坂道を満と佳織が歩いている。)

  佳織「で、用は何なんですか。」

   満「うん……。」

  佳織「はっきりしない人ね。用があるから呼び出したんでしょ。2人で歩いていると

     ころを他人に見られたら、なんて言われるかわかったもんじゃないわ。早く用

     件を言って下さい。」

   満「ごめん。」

  佳織「あやまらないで。」

   満「うん。」

  佳織「で、何なんですか。」

   満「僕、来週入隊します。」

    (一瞬の沈黙。)

  佳織「(気を取り直したように)それが私に何か関係があるんですか。」

   満「いや……。でも、君には伝えておきたかったから。」

  佳織「そんなこと聞かされたって、私だって、困るわ。」

   満「ごめん。」

  佳織「あやまらないで。」

   満「ごめん。」

  佳織「また!」

   満「あっ、ご……。はは。」

  佳織「で、いつなの?」

   満「何が?」

  佳織「何がって。出征する日。」

   満「ああ、17日。」

  佳織「そう。(しばらく考えてから)もう用はないの?用がないなら帰るわ。」

   満「ああ……。」

  佳織「じゃあ、帰るわね。誰かに見られたら困るから。」

   満「うん……。」

  佳織「じゃあ。帰るわ。」

   満「ああ……。」

  佳織「(怒ったように)さよなら!」(くるっと振り返り坂道を早足で降りていく佳織。

     目には涙が浮かぶ。その後ろ姿を心残りの様子で見つめ続ける満。)

 

(4月17日。石台駅。)

町内会長「では、松本丈二君と大谷満君の武運長久を祈って、万歳三唱を行いたいと思い

     ます。では、万歳、万歳、万歳。」

丈二・満「皆さん、行ってまいります!」

    (丈二と満を送る人々の後ろの方には、佳織、紀子、千恵の姿も見える。他の人

     から気づかれないようにしながら、誠一も来ている。丈二と満の姿が列車の中

     に消えると、すぐに誠一の姿も消える。)

  紀子「行っちゃったね。結構あいつら、いい奴だったよね。」

  千恵「うん。」

  佳織「そうかな。」

    (紀子、去る。)

  千恵「佳織、もう少し素直になった方がいいんじゃない?」

  佳織「何が!」

  千恵「ううん、じゃあいいよ。」

  佳織「変な千恵。」

    (佳織が去り、その後ろ姿が見えなくなった後、ひとり列車の去った方をいつま

     でも見続ける千恵。)

 

(その日の晩。クラブの裏口)

  誠一「孝代さん、僕はあなたを愛しています。つき合って下さい。」

正木孝代「何、馬鹿なこと言ってるの?あなたがここにはじめてきたのは、たった1週間

     前じゃないの?」

  誠一「愛するのに時間なんて要りません。僕は、あなたを一目見たときから恋してし

     まったのです。」

  孝代「馬鹿ね。」

第4話 軍隊

(昭和15年8月。暑い夏の盛り。陸軍練兵場。)

  丈二「暑いなあ、今日も。また鬼原のしごきを受けなきゃいけないのか。ああ、つい

     てねぇな。」

岡本拓三「本当にな。たまんねよな。」

西田正平「うん。でも、松本君はまだいいじゃないか。何でも上手にできるし。」

  丈二「何でも要領だぜ。おまえら要領が悪すぎるんだよ。」

  拓三「俺は、正平ほど悪くないぜ。」

  丈二「まあ、似たり寄ったりってとこだよ。おお、噂をすれば鬼原のお出ましだ。今

     日は殴られないようにしろよ。」

  拓三「うるせえ。大きなお世話だよ。」

 

(大原豪介軍曹がやってくる。)

大原豪介「何だ、貴様ら。女の腐ったのみたいにぐちゃぐちゃ話してるんじゃないぞ。」

  丈二「すみません、大原軍曹殿。」

  豪介「どうせ、大方わしの悪口でも言って笑っておったんだろ!」

  拓三「そんなことはありません。」

  豪介「ならば、岡本なんの話をしていたか言ってみろ。」

  拓三「それは……。」

  豪介「ほれみろ、答えられんということは、やはりわしの悪口を言っておったんだろ。

     どうだ、西田。」

  正平「……。」

  丈二「いえ、悪口ではありません。大原軍曹殿は信州の出身とお聞きしましたので、

     昔大谷2等兵と行ったことがありましたので、良いところだったと話していた

     のであります。そうだな、大谷。」

   満「……ああ、はい。その通りであります。」

  豪介「ふっ、嘘ついているのがまるわかりだが、まあいい。訓練を始める!」

  丈二ら「はいっ。」

 

(厳しい3時間の訓練後)

  豪介「どうした、もう根をあげたか。この程度の訓練で根をあげていたら、前線に行

     ったらすぐに足手まといになるぞ。後20周走れ!」

(正平、疲労のあまり銃を落とす。)

  豪介「こら、西田!貴様、畏れ多くも御上からお預かりしている銃をなんと心得る!」

  正平「す、す、すみません!」

  豪介「すみませんで済むか!馬鹿者。貴様こっちへ来い。」

(正平、ふらふらしながらやってくる。)

  豪介「大体、貴様は日頃から根性が足りん。今日こそそのたるんだ精神を直してやる。

     気をつけ!歯を食いしばれ!行くぞ!」

(豪介、正平の頬に鉄拳を喰らわし続ける。崩れ落ちそうになる正平。)

  豪介「本当に根性のない奴だ。岡本、こっちへ来て西田の体を支えていろ!」

(とまどいながら、やってきた拓三。豪介の言う通りに、正平の体を支えようとする。)

   満「岡本、やめろ!」

  豪介「なにっ!大谷、貴様、俺の命令に逆らうか!」

   満「3時間も走り続けさせられたら、誰でも疲れます。休憩が必要です。」

  豪介「貴様!生意気なことを言うな!上官の命令は御上の命令と同じだぞ!」

   満「御上はこんな無茶な訓練は望んでいないと思います。我々は大原軍曹の憂さ晴

     らしの相手をさせられているだけだ!」

  豪介「貴様!」

(持っていた木刀で満に殴りかかる豪介。身を固くしてひたすら耐える満。)

  豪介「貴様は何様のつもりだ!中学を出ているのがそんなに偉いか!小学校もまとも

     に出ていない俺を貴様は馬鹿にしてるんだろ!」

   満「僕はそんなことは言っていない!」

  豪介「貴様、まだ逆らうか!」(さらに殴り続ける豪介。)

  丈二「軍曹殿!大谷にはあとでよく言って聞かせますので、今日は勘弁して下さい。

     このままでは、大谷は死んでしまいます。」

  豪介「こんな反抗的な奴は、死ねばいいんだ!」(と言いつつ、だんだん殴る力が弱ま

     る。)

  豪介「よし、今日はこのぐらいで勘弁しておいてやる。だが、明日からは毎日この

     倍の訓練が貴様らには必要だ。覚悟しておけ。俺は貴様らのためを思ってやっ

     てるんだぞ。」

(豪介、去っていく。)

  丈二「満、大丈夫か?」

   満「ああ。」

  丈二「おまえ、馬鹿だなあ。あんな奴に逆らうなよ。」

   満「だが、あんな横暴を許しておいていいのか。」

  丈二「おまえ、ここは軍隊だぞ。まともなこと言ってたって通用しないよ。」

   満「なぜだ。国のために戦う軍隊で、無法なことがまかり通っていて、他国との戦

     いに勝てるのか?」

  丈二「もういいよ。おまえの言うことはいつも正しいよ。でも、世の中はおまえの思

     う通りには動かないんだよ。」

   満「おかしい……。」

  正平「大谷君、大丈夫かい?僕のために悪かったな。僕、明日からはもっと頑張るよ。」

   満「そうじゃない、西田。君が悪いんじゃないんだ。大原軍曹のやっているのは、

     ただのしごきなんだ。」

  正平「そうかもしれない。だけど軍隊ってとこはそんなもんだろ。僕がもっと頑張れ

     ばいいんだよ。」

   満「違う……。」

  拓三「大谷、とにかく兵舎に戻って手当をしないと。」

第5話 人間

(その日の夜)

  拓三「やめておけよ。大谷。言ったってまた殴られるだけだって。」

  正平「そうだよ。話してわかるようような相手じゃないよ。」

  丈二「ほっとけ、ほっとけ。こいつは昔からこうと思ったらとことんまでやらないと

     気が済まない奴なんだから。」

  正平「でも、殺されちゃうよ。」

  丈二「大丈夫。大丈夫。鬼原だってそんな馬鹿なことはしないって。特に、訓練の時

     なら多少派手にも殴ってもわからないけれど、夜の兵舎では昼のようなことは

     できないって。」

  正平「そうかな……。」

   満「とにかく、僕は行く。行って話をしてくる。」

  拓三「気をつけろよ。」

   満「ああ。」

 

(大原の部屋の戸を叩く満)

  豪介「誰だ、今頃?」

   満「大谷2等兵であります。」

  豪介「なんだあ?昼間の謝罪に来たのか?」

   満「いえ、話合いに来ました。」

  豪介「話し合いだと?なにを生意気なことを言ってるんだ。まあいい。入れ。」

   満「入ります。」

  豪介「そこに座れ。おまえの言いたいことはわかっている。あんな無理な訓練はやめ

     ろと言うのだろ?」

   満「(少し驚きながら)その通りであります。」

  豪介「確かにな、ああいう訓練が、しんどいだけでたいして技量を上げるわけではな

     いのは俺にもよくわかっている。」

   満「……。」

  豪介「他ならぬこの俺も昔こうした訓練で嫌になるほど鍛えられたからな。そして実

     際たいして技量は上がらなかったというわけだ。そこまでわかっていて、なぜ

     こんなことを続けるのですかと聞きたいのだろ?」

   満「……はい。」

  豪介「確かに技量は上がらない。だが、こうした訓練に耐えることで、根性はつく。

     戦争っていうのはなあ、大谷、むちゃくちゃなもんさ。まともな神経じゃいら

     れない。なにせ人を殺すんだぞ。確かにあいつらは敵かもしれない。だがなあ、

     考えはじめると、今自分が殺そうとしている奴が、本当に俺の敵なんだろうか

     ってわからなくなってくるんだ。こいつにも妻がいたり、子供がいたりするん

     だろうなあって、そんなことを思うとなあ、引き金を引けなくなるんだ。考え

     たらだめなんだ。考えたら戦争なんてできゃしないんだ。あの訓練はな、兵隊

     にものを考えずに動けるようにするための訓練なのさ。」

   満「そんな訓練なんて……。」

  豪介「おかしいと言いたいのだろ?おかしくないさ。それが戦争なんだ。」

   満「でも……。」

  豪介「いかん、いかん、おまえと話していると、鬼原が鬼原じゃなくなってしまいそ

     うだ。まあ明日からは俺も多少考える。だが、さっきも言ったように、人間と

     してのまともな思考を失わせる訓練なんだ。だから非人間的なこともする。お

     まえもそのへんはわかってくれ。」

   満「はい……。」

  豪介「まだ納得いかないって顔だな。まあ仕方ないだろう。おまえのような純真な気

     持ちを持った人間は、そもそも戦争に向いてないのだからな。俺も昔は多少は

     おまえと似たようなところもあったんだがな。いつのまにかすっかり戦争向き

     の人間になってしまったよ。ははは。」

   満「いえ、軍曹殿は……。」

  豪介「無理しなくたっていいさ。おまえここに来たときは、目がつり上がっていたぞ。」

   満「いえ、そんなことは……。」

  豪介「ははは。なあ、話ついでだ。大谷、おまえ恋人はいたのか?」

   満「いえ、恋人と呼べるような人は。でも、あっ。」

  豪介「ははん、恋人ではないが、好きな人はいたってことか。」

   満「ええ、まあ。」

  豪介「そうか。その子にはおまえの気持ちを伝えたか?」

   満「いえ、はっきりとは。」

  豪介「そうか。でも、その方が良かったかもしれないな。」

   満「どうしてですか?」

  豪介「おまえは戦争に行くんだ。死ぬかもしれない。その時その子はどうなる?」

   満「……」

  豪介「おまえは何も言っていない。ならば、その子は自由だ。また誰かいい人とめぐ

     りあうだろう。そんな風に思うと寂しいか?」

   満「いえ、でも少し。」

  豪介「そうかもしれないな。だがな、俺は逆に田舎に女房と娘を残してきた。気がか

     りで仕方がない。俺が死んだらあいつらはどうなるんだろうと。死んでも死に

     きれんって感じだ。そんなことを考えていると、土壇場で俺は醜態を晒すかも

     しれん。」

   満「お嬢さんはおいくつなんですか。」

  豪介「4年前に俺が出征したとき、娘はまだ3歳だった。今は7つか。会いたいな。」

   満「まったく会っておられないんですか?」

  豪介「一度だけな。女房が連れてきてくれたことがある。2年前だったかな。かわい

     くなってたなあ。」

   満「軍曹殿も、戦争さえなければと思いますか?」

  豪介「まあな。だがこれもお国のためだ。明日からはまた鬼原に戻って、びしびし鍛

     えるからそのつもりでいろよ。」

   満「はいっ。」

第6話 思い出

(兵舎に戻って)

  拓三「へえ、鬼原にもそんな面があるんだ。」

  丈二「全くな。人は見かけによらないとはよく言ったもんだ。」

   満「本当にな。僕もびっくりしたよ。」

  正平「でも、これで明日から頑張ろうという気が湧いてきたよ。」

  拓三「まあな。ああ、でも女房と子供か。うらやましいような気もするな。」

   満「なんで?」

  拓三「だってよ。戦争に行くまでは、家庭を味わえたわけだろ。俺たちなんかこのま

     ま死んだら自分の女房、子供っていうのを全く知らずじまいだぞ。」

  正平「それはそうだね。」

  丈二「なんだ?拓三、おまえ結婚したかったのか?」

  拓三「まあな。」

  丈二「相手はいたのか?」

  拓三「まあな。」

  正平「へえ、どんな人?」

  拓三「言えねえよ。」

  丈二「いいじゃないかよ。話せよ。」

  拓三「言えねえよ。」

  丈二「もったいぶりやがって。」

  拓三「そういうわけじゃないけどよ。」

  正平「あのさ、僕の話聞いてくれる?」

  丈二「なんだ、なんだ。意外な奴から声が上がったな。」

  正平「嫌ならいいんだ。」

   満「嫌じゃないさ。」

  丈二「ああ、もちろん、聞くぜ。」

  正平「ありがとう。僕の話は恋人じゃないんだけど、いいかな?」

   満「ああ、何だっていいよ。」

  正平「うん。僕さあ、妹がいてね。」

   満「ああ。」

  正平「花子って言うんだけれど。とてもいい子でね。5歳下なんだけどね。」

  丈二「ああ、それで?」

  正平「うち貧乏だから、僕が出征する1ヶ月前に東京に働きに出たんだ。おやじもお

     ふくろも働き先をはっきり教えてくれないんだけど、たぶん女郎屋じゃないか

     と思うんだ。僕が出征する前に一度手紙くれたんだけど、それにも住所が書い

     ていなかった。元気でやってるから心配しないで、兄さんお国のために頑張っ

     てきて下さい、なんて書いてあったんだ。なんかいじらしくてね。」

  丈二「花ちゃんか?うん?まあよくいる名前だよな。」

  正平「まあね。だけど僕にとっての花子は、西田花子しかいないんだ。あいつがいろ

     いろな男の慰み物になっていると思うと、僕は悲しくなってくるよ。」

  拓三「しょうがねえだろ。それが商売なんだから。」

  正平「わかってるさ。わかってるけど……。」

  拓三「おまえだけじゃないさ。」

  丈二「なんだ、おまえも妹か?」

  拓三「馬鹿野郎!俺は妹じゃねえよ。俺の好きだった子だよ。」

  丈二「おう、ようやく話す気になったか。」

  拓三「そういうわけじゃないが……。」

  丈二「まあ、いいじゃないか。話してくれよ。」

  拓三「幼なじみでな。美人だった。村の奴、みんな雪に惚れてたんじゃないかな。」

  丈二「……雪って言うのか?」

  拓三「ああ。だけど、あいつ変わり者でな。村なんかにはいつまでもいたくない。も

     っと大きな町へ行きたいっていつも言ってたんだ。で、3年前に、村飛び出し

     ちまったんだ。」

  丈二「で、その後、どこへ行ったかわからないのか?」

  拓三「いや、東京へ行ったんだ。そこでカフェの女給をしたり、絵のモデルをしたり

     してたらしいんだが、ある時村の奴が東京へ遊びに行ったとき、島川って女郎

     屋でばったり雪にあったらしいんだ。」

   満「島川……。」

  拓三「知っているのか!」

   満「……いやあ。」

  丈二「何言ってんの。こいつはそんなこところに全く無関係な男。俺は詳しいけどね。

     島川って言うのは知らないなあ。」

  拓三「そうか。そうだよな。東京は広いもんなあ。」

  丈二「そうさ。」

  拓三「だがな、俺はこの戦争から帰ったら、必ず島川っていう女郎屋を見つけだして、

     雪を助け出すんだ。松本、おまえ東京の地理詳しいよな。そん時は手伝ってく

     れよな。」

  丈二「まっ、まかしとけって。」

 

(正平と拓三が寝てしまってから)

   満「丈二、起きてるか?」

  丈二「ああ。」

   満「さっきの島川って……。」

  丈二「馬鹿、余計なことを言うんじゃない。拓三も言ってただろ。東京は広いって。

     同じ名前の女郎屋なんて何軒もあるって。」

   満「そうかもしれない。でも、雪ちゃんって……。」

  丈二「わかってるって。もしかしたらそうかもしれない。ならなおさら、拓三には話

     せないだろ?」

   満「ああそうだね。」

  丈二「まあ、この件に関しては何も言わない方がお互い幸せだって。」

   満「うん。」

第7話 母

(昭和15年8月。青葉茂れる坂道。)

  紀子「久しぶりだね、こうして3人で会うの。」

  千恵「うん。」

  紀子「佳織、元気にしてたの?」

  佳織「元気だよ。どうして?」

  紀子「なんか元気なさそうに見えたから。」

  佳織「そんなことないよ。元気だよ。ほらっ。(くるっと1回転して見せる佳織)」

  千恵「紀子は?」

  紀子「うん、まあまあね。」

  佳織「紀子こそ元気なさそうじゃない?どうかしたの?」

  紀子「うん……。」

  佳織「何?」

  紀子「うん、実は親が見合いしろって……。」

佳織・千恵「ええっ。」

  紀子「ほら、やっぱり驚くよね。そうだよね。結婚なんてね。まだ全然実感ないよね。」

  千恵「うん。」

  佳織「でも、私たちももう20歳だし、結婚してもおかしくはない年齢だよね。」

  紀子「それは一般的に言えば、そうかもしれないけど、でも私たちって、そういうの

     と縁遠かったじゃない?急に見合いって言われてもね……。」

  佳織「まあね。でも、ちょっと興味あるな。写真見たの?」

  紀子「見てないって。ただ、結構すてきな人だって、お母さんが……。」

  佳織「あっ、やっぱり関心あるんじゃない?」

  紀子「ない、ない。本当にないって。」

  千恵「別にいいんじゃない、お見合いしても。私も一度やってみたいな。」

  佳織「まあね。」

  紀子「そうかな?」

  千恵「そうだよ。やってごらんって。どんな感じだったか後で教えて。」

  紀子「うん、考えてみる。」

(大きな荷物を持って歩く女性に気づく。)

  佳織「あの、お手伝いしましょうか?」

大谷伸子「ああ、ありがとうございます。」

  千恵「女学校までですか?」

  伸子「いえ、中学校の方です。」

  紀子「この荷物何なんですか?」

  伸子「息子の書いた絵です。息子はここの中学校に以前通っていまして、その頃から

     絵を描き始めたのですが、特にこの坂の上からの景色が好きで何枚も書いてい

     たんです。当時の担任の先生がほめてくださって、1枚欲しいと前から息子が

     言われていたのですが、息子は自分で納得のいくものが書けてからお渡しした

     いと言ってずっとお渡していなかったのです。ところが、この4月に出征して

     しまって、その準備でばたばたしている間に、結局先生にお渡しできないまま

     行ってしまったのです。息子はそのことがとても気にかかっているらしく、ぜ

     ひ絵を届けて下さいと手紙をよこしたのです。でも、私ではどの絵がいいのか

     わからなくて、結局持てるだけ持ってきてしまったんです。」

  佳織「そうなんですか。でも、今夏休みですよ。」

  伸子「ええ、でもその先生が今日は当直でいっらしゃるとお聞きしたものですから。

     他の生徒さんや先生方に会わずに済むので、今日がちょうどいいと思ったもの

     ですから。」

  佳織「そうですか。ねえ、良かったら絵を見せていただけませんか。私たちもここの

     名取女学校の出身なので、この坂の上からの景色は私たちにとっても思い出深

     いものなんです。」

  伸子「ええ、ぜひ見てやってください。お嬢さんたちの目でどれがいいのか教えてい

     ただけるとありがたいわ。」

  紀子「わあ、嬉しい。」

(絵を1枚、1枚見ていく3人)

  紀子「上手ね。私も1枚ほしくなったわ。」

  千恵「本当。」

  佳織「だめよ、大事な絵ですもの。」

  伸子「ごめんなさいね。息子に聞いてみないと。」

  佳織「いいんです。気にしないで下さい。見せていただけるだけでとても嬉しいんで

     すから。」

  千恵「あら?」

  紀子「どうしたの?」

  千恵「なんだか、この桜って絵の坂道を上ってくる女学生、私たちに似ていない?」

  紀子「あら、それは勝手な思いこみじゃない?」

  千恵「そうかもしれないけれど、この3つ編みの子のリボン、いつも佳織がしていた

     のとそっくり。」

  紀子「そういえば、隣の女の子の髪型は千恵にそっくりだし、その隣の子は私に似て

     いるわ。」

  佳織「(絵の右隅のサインに目を凝らして)Mitsuruってサイン書いてある……。」

  紀子「あのお、もしかして大谷満さんのお母さんですか?」

  伸子「えっ、息子をご存じなんですか?」

  紀子「やっぱり。じゃあ、これ本当に私たちかも。」

  千恵「あっ、ごめんなさい。私たち、満さんとはちょっとしたきっかけで知り合いに

     なったんです。誠一さんと丈二さんと満さんと私たち3人で何度か会ってお話

     ししたことがあるんです。」

  伸子「そうなんですか。こんなかわいいお嬢さんたちと息子が知り合いだったなんて

     全然知りませんでした。」

  佳織「でも、知り合いと言ってもそんなたいした知り合いじゃないんです。」

  千恵「佳織!」

  伸子「そうですか。でも、息子のことを知っていて下さるお嬢さんたちとお会いでき

     て嬉しいわ。これも何かの縁ですから、今度はうちにも遊びに来て下さいね。

     満が出征してからは、私と娘の良子と2人だけなので、今は寂しくて仕方がな

     いんです。ぜひ遊びに来て下さいね。」

紀子・千恵「はい。」

  伸子「あなたもね。」

  佳織「はい……。」

第8話 階級

(昭和16年11月。上海の場末のクラブの楽屋。)

  雅子「馬鹿よね、あんたも。あのままいれば、いいとこの奥様になれたかもしれない

     のに。」

  孝代「何言ってるの。そんなこと無理に決まっているじゃない。最初からあの人が遊

     びだって言うのはわかっていたわ。」

  雅子「そんなことないわよ。最初はジュニア、本気だったわよ。」

  孝代「そうかもしれない。でも無理な話よ。階級が違うわ。」

  雅子「階級ね。成り上がりでも金使って政治家になれば、名士様かあ。」

  孝代「そうよ。とにかくあっちは、議員先生の御曹司。こっちはしがないピアノ弾き。

     釣り合うわけないじゃないの?」

  雅子「そうかな?私は、あんたの方があのぼんくらジュニアには高嶺の花だと思った

     んだけどなあ。あんた意外にあっさりぼんくらジュニアの愛を受け入れちゃう

     んだもん。私の方がびっくりしたわ。あんなぼんくらのどこが良かったの?」

  孝代「さあ、どこでしょうね。」

 

(昭和15年8月。ホテルの1室)

  誠一「漸くこれで君は僕のものだ。これからはずっと僕のそばにいてほしい。」

  孝代「そばにいてほしいって、結婚しようっていうこと?」

  誠一「それも考えている。」

  孝代「だって結婚しなければ、ずっとそばになんていられないじゃない。」

  誠一「いやあ、それは。精神的な意味でということであって。」

  孝代「どういうこと?」

  誠一「つまり形而上学的に言うと、いつも一緒にいなくても心と心が通じていればい

     つもそばにいるのと同じことであって……。」

  孝代「なんだかあなたの話はよくわからないわ。」

  誠一「とにかく君は僕にとってヴィーナスというかアフロディーテと言うべきか…

     …。」

  孝代「もうわかったわ。」

  誠一「そう、僕の愛をわかってもらえた?」

 

(昭和16年8月。同じホテルの1室)

  孝代「お見合いをするって、私はどうなるの?」

  誠一「いや、君への愛は変わらないよ。これまで通りさ。」

  孝代「だってあなた結婚するんでしょ。」

  誠一「結婚するかしないか、それは神のみぞ知る。」

  孝代「何を言ってるの!あなたの結婚よ。神じゃなくてあなたが知るでしょ。」

  誠一「いや、そう神ではないな。父のみぞ知るだ。」

  孝代「そう、お父様がお決めになるのね。」

  誠一「そうなんだ。僕の愛は君にある。だが、僕の人生は父の手の中にあるんだ。だ

     から結婚は父が決めるんだ。」

  孝代「あなたはいつまでそうやってお父様の決定に従って暮らすの?」

  誠一「えっ、ずっとじゃないかなあ。なんかおかしいかな?」

  孝代「あなたがそれをおかしいと思わないなら、それでいいんじゃない。でも、私は

     お別れするわ。」

  誠一「ええっ。ちょっと待って。君は僕の太陽なんだから君がいなくなったら僕は闇

     の世界に閉ざされてしまう。」

  孝代「閉ざされたら。」

  誠一「そんなこと言わないで。ええと君は僕が持つどんな宝石よりも……。」

  孝代「もうやめて!あなたの言葉は口先だけ。そんな言葉で女が喜ぶと思っている

     の?」

  誠一「いやあ。でもそう書いてあったから……。あっ。」

  孝代「そう書いてあったのね。」

  誠一「いや、そうじゃなくて。えーと……。」

  孝代「さよなら。」(振り向きもせず部屋を出ていく。)

  誠一「待って。せめて最後にもう1回……。」

 

(昭和16年11月。上海。)

  雅子「どうしたの、気持ち悪いわね。思い出し笑いなんかして。」

  孝代「ううん、なんでもない。男の本音なんてあんなものかなと思ってね。」

  雅子「何が?」

  孝代「ううん、いいの。」

 

(昭和16年11月。安田誠一と竹富春子の結婚式。)

   誠「誠一、しっかりしろよ。これでわが安田家も竹富財閥の一員だ。おまえ次第で

     安田家は安泰だ。せいぜい頑張って子作りに励めよ。」

  誠一「任せて下さい。それだけは自信がありますから。」

   誠「ははは。頼もしいような情けないような……。」

 

(昭和16年11月)

  紀子「ねえ、聞いた?」

  千恵「何を?」

  紀子「誠一さん、竹富財閥のお嬢さんと結婚したんだって。」

  千恵「そう……。」

  紀子「でも、世の中おかしいよね。お金で軍隊行くのを逃げた人が絢爛豪華な結婚式

     だよ。ああ、やっぱり世の中万事お金なのかな……。」

  佳織「そんなの当たり前じゃない。今さら何言ってるの!」

  紀子「でも誠実に生きていたらいいことがあるって世の中じゃないとおかしいじゃな

     い?」

  佳織「世の中なんてどうせおかしなことばかりよ!」

 

(昭和17年1月)

   雪「あれ、あいつ知ってる。」

   花「誰、雪ねえさん?」

   雪「うん、昔、あたしのところに、丈二っていう奴よく来てたじゃない?」

   花「よく覚えてる。あたしが最初の日に会った人でしょ?」

   雪「そう、そう。あいつがここに来はじめた頃、よく一緒に来てた奴だよ、あいつ。

     なんて言ったかな、名前は?おかあさん、ねえ、昔、丈二と一緒によく来てた

     奴、なんて言ったっけ?」

  みち「ああ、あの人は、安田先生のおぼっちゃんだろ?」

   雪「安田先生って?」

  みち「衆議院議員の安田誠って言うんだよ。あんたもね、貧乏人の丈二じゃなくて、

     あのぼっちゃんに見初められてればよかったのにね。」

   雪「冗談じゃないよ、あんな奴。虫唾が走るよ。」

  みち「はは、あんたも損な性分だね。まあそれにしても惜しいことしたかもね。今

     やあの竹富財閥のお嬢さんと結婚して、竹富財閥の一員なんだからね。」

   雪「ふーん。じゃあ、こんな女郎屋には見向きもしないってこと?」

  みち「まあ、そういうことだろうね。」

   花「いけ好かない奴。」

   雪「あはっ、花ちゃんも言うね。」

   花「だって、ほんとだもん。あたしはなけなしの金を持ってこういう汚い店に来る

     お客さんの方が好き。」

  みち「汚い店で悪かったね。」

   花「あっ、おかあさん、ごめん。そういう意味じゃなくって……。」

  みち「いいよ、いいよ。あんたの言いたいことはわかってるさ。」

   雪「それにしても、丈二かあ……。なつかしいな。今頃どうしているかな?まだ生

     きてるかな?」

   花「変なこと言わないでよ。生きてるに決まってるじゃない。日本は連戦連勝なん

     だから。」

  みち「そうだよ、お雪。変なこと言わないでおくれ。怖い人が来るよ。」

   雪「くわばら、くわばら。」

   花「お兄ちゃんも元気かな……。」

第9話 緊張

(昭和17年8月。ガダルカナル島)

  丈二「ああ、ちくしょう、暑いな。」

   満「おまえ、いつも暑いばっかり言ってるな。」

  丈二「だっておまえ暑くないか?ここは南太平洋だぞ。赤道がすぐそこだぞ。」

   満「まあな。」

  丈二「まあなって、おまえなあ。まあいいや。ああ、ここも女と泳ぎにでも来てるん

     だったら楽園なんだけどな。だけど、実際俺たちがやっていることと言ったら、

     土方仕事。たまんねえな。」

   満「ははは。」

  丈二「笑うな!腹立つな。」

(警報が鳴り響く。)

  丈二「何だ、何だ?」

  正平「あっ、上。敵機だ!」

  丈二「やべえ。隠れろ!」

   満「おい、沖を見ろ。すごい数の敵艦だ!」

  拓三「やべえな。ここに飛行場造ろうとしてんの、ばれてんのかな?」

  丈二「そういうことだろ。だけど、制海権は日本が握ってたんじゃないのか?」

   満「そう聞いてる。ミッドウエー沖でも圧勝したって聞いたけど。」

  豪介「おーい、おまえたち全員兵舎に急いで戻れ!」

  丈二「鬼原小隊長が呼んでるぞ。」

   満「もう、鬼原はやめとけよ。」

  丈二「そうだったな。とにかく、行くぞ。敵機に見つかりませんように。」

 

(兵舎にて)

田岡直正中隊長「すでに諸君も気づいていると思うが、この島は敵艦に囲まれている。し

     かし、心配ない。すぐに味方の船が応援にかけつける。それまでの間、我々は

     なんとしても、この島の滑走路を死守し完成させなければならない。各小隊長

     の下、一丸となって戦ってほしい。」

  丈二「おいおい、やばそうだな。」

  豪介「松本、何をぶつぶつ言っている!早くこっちへ来い!」

  丈二「はい。」

  豪介「いいか、聞いた通りだ。われわれはなんとしてもこの島を死守する。我が小隊

     が守備するのは、北の海岸だ。これから装備を整えてすぐに出発する!」

(装備を整えながら)

  正平「大丈夫かな?」

  拓三「大丈夫に決まってんだろ。制海権はこっちが押さえてるんだぞ。」

  正平「そうだよね。」

   満「本当に制海権押さえてるのかな?」

  拓三「なんでだよ。」

   満「いや、制海権を押さえてるなら、どうしてこの島が囲まれたんだろう?」

  拓三「それは、おまえ……。たまたまだろ。」

   満「ああ、そうだな。」

  丈二「満の言うとおりかもしれない。俺たちやばいかもしれないぞ。」

  正平「そんなあ。」

  丈二「戦争さ。いろんなことが起きるさ。とにかく俺たちは生き延びようぜ。」

   満「ああ。」

10話 決死

(海岸を望む林の中で)

  豪介「おまえたちもなんとなく感づいているかもしれないが、これは決死の戦いにな

     りそうだ。いままで、おまえたちに鬼原と憎まれながらもおまえたちを鍛えて

     きたつもりだ。ここでその成果を存分に出してくれ。」

  拓三「小隊長、敵がやってきます。」

  豪介「おいでなすった。さあ行くぞ。」

(アメリカ軍、上陸とともに火炎放射機で、林を焼き尽くしにかかる。)

  豪介「うわあ、こら勝負にならんな。一旦退却だ。」

(林の奥の洞窟の中で)

  拓三「小隊長、どうしたらいいんですか?」

  豪介「うーん。」

  拓三「勝ち目はあるんですか?」

  豪介「うーん。」

  拓三「小隊長殿!」

   満「岡本、黙れ!」

  拓三「そんなこと言ったって、このままじゃ、俺たち全滅だぞ。」

   満「そうかもしれない。その時はその時だ。」

  正平「そんなあ。」

   満「これは戦争だ。殺すか殺されるかだ。どちらかが死ぬ。」

  豪介「大谷、よく言ってくれたな。そうだな、おまえの言うとおりだ。確かに敵の武

     器は強力だ。これに勝つためには、この武器を上回る武器を持たなければなら

     ない。」

  拓三「それはどこにあるんですか?」

  豪介「ない。」

  拓三「ないって……。」

  豪介「日本軍の手元にはない。しかし、敵さんはたくさん持っている。それをいただ

     くしかない。」

  正平「そんな……。どうやって敵の武器を奪うんですか?」

  豪介「夜しかないだろう。」

  拓三「夜討ちですか?」

  豪介「まあな。ここにいる全員で行動したらすぐ見つかる。少人数の方がいい。大谷、

     松本、岡本、西田と俺の5人で行く。」

  丈二「えっ、俺もですか?」

  豪介「いやか?」

  丈二「い、いえ、いやではありません。」

  豪介「そうか、ありがとう。」

 

(その夜)

  豪介「用意はいいか。行くぞ。」

  満ら「はいっ。」

残る兵士たち「頼むぞ!」

   満「任しておけ!」

  豪介「出発!」

(茂みに隠れて進みながら)

  豪介「おまえらもいい兵隊になったな。2年前はどうなるかと思ったがな。」

   満「小隊長殿!敵兵です。」

  豪介「おう!隠れろ。」

(敵兵が通り過ぎた後、さらに進む。)

  豪介「どうやらあそこが武器庫らしいな。ここで二手に分かれよう。岡本は俺につい

     てこい。俺たち2人が敵の目をひきつける。その隙におまえたち3人で奪える

     だけの武器を奪え。特に火器を奪え。いいな!」

 丈二ら「はいっ。」

   満「しかし、小隊長と岡本はうまく逃げられますか?」

  豪介「大丈夫だ。俺も岡本も足が速い。この任務にはうってつけだ。」

  拓三「おう。大谷、任せておけ。それよりおまえたちの方こそ首尾良くやれよ。」

  豪介「じゃあ、行くぞ。おまえたちは裏へ回れ。」

丈二・満・正平「はい。」

  拓三「じゃあな。丈二、島川って……。」

  豪介「岡本、何をしている。行くぞ。」

  拓三「はいっ。じゃあな。向こうで会おうな。」

  丈二「おう。」

(豪介と拓三、表に回る。満らは裏へ回る。)

  正平「なあ、松本くん、向こうってどこだろう?」

  丈二「知るか、そんなこと!」

(突然の銃声と叫び声。アメリカ兵が一斉に駆けだしていく。)

   満「やった!僕らも急ごう。」

  丈二「おう。」

(激しい銃声が続く。)

  丈二「うまくやっているみたいだな。」

  正平「小隊長の作戦通りだ。武器庫の周りには人がいない。」(飛び出す正平。)

   満「だめだ!正平、出るな!」

(銃声。倒れる正平。)

  丈二「馬鹿!なんですぐに飛び出すんだ。満、逃げよう俺たちも危ない。」

   満「正平を連れてこないと!」

  丈二「馬鹿、何言ってんだ!今出たらおまえも正平の二の舞だぞ。こらえろ!」

   満「だけど、あいつまだ生きてるかもしれない。」

  丈二「やめろおー!!」

(満、飛び出す。銃弾の嵐。満、もんどり打って倒れる。)

  丈二「みつるーー!」

11話 残されし者

(昭和18年4月1日)

  千恵「こんにちは。……こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか?」

  良子「千恵さん……。ううう。」

  千恵「どうしたの、良子ちゃん。何かあったの?」

  良子「お兄ちゃんが……。お兄ちゃんが……。」

  千恵「まさか……。」

  良子「戦死って……。去年の8月だって……。ううう。」

  千恵「そんな、満さんが……。」

 

(昭和18年4月3日。満の葬儀。)

  紀子「大谷君のおかあさん、大丈夫かしら?」

  千恵「うん。」

  紀子「一人息子だもんね。ああ、どうして戦争なんてするのかな?」

  千恵「うん。」

  紀子「いつかみんな死んじゃうんじゃないかしら。」

  佳織「変なこと言わないで!日本は勝つんだから。」

  紀子「うん、ごめん。」

(無言で歩く3人。ふと佳織が道を変える。)

  千恵「佳織、どこへ行くの?」

  佳織「学校行ってみない?」

  千恵「学校?」

  佳織「うん、学校。あの坂道の景色が見たい。」

  紀子「うん、行こう!」

(坂道を登っていく3人)

  紀子「桜、きれいだね。」

  千恵「うん。」

  佳織「でも、散っちゃう……。」

紀子・千恵「うん……。」

(無言で坂道を登っていく3人。)

 

(昭和18年4月10日)

(紀子、千恵の家に駆け込んでくる。)

  紀子「千恵!佳織が……。佳織が死んじゃった!」

  千恵「えっ、どういうこと!」

  紀子「わかんない!でも、海に飛び込んだって!」

  千恵「なんで!」

  紀子「わかんないよ!」

  千恵「なんで!なんで!」

  紀子「やっぱり満さんのこと?」

  千恵「まさか!」

 

(その2日後)

(佳織からの手紙が千恵のところへ届く。)

「千恵へ

 ごめんね。びっくりしてるよね。当然だよね。別に大谷君の後を追うっていうんじゃないよ。そんなかわいいタイプじゃないよ。でも、なんかね、生きる張りみたいなもんが、ふっとなくなっちゃった。なんでかな?やっぱり好きだったのかな?よくわからない。でも、この国はどこへ行くのかな?紀子には『日本は絶対勝つ』なんて言ったけど、どうなんだろうね?千恵は強いから、ずっと生きて、しっかり見守って。おばあちゃんになるまでずっと生きるんだぞ!

                                 佳織」

 

  千恵「ずるいよ、佳織……。」

 

(昭和30年4月3日)

  裕子「先輩!先輩!」

  千恵「えっ、何?」

  裕子「もうさっきからずっと呼んでたのに。」

  千恵「ごめん、ごめん。」

  裕子「面会ですよ。」

  千恵「ありがとう。」

 

(喫茶店で)

  千恵「その後、お母さんはどう?」

  良子「うん、相変わらず。」

  千恵「そう。」

  良子「私、今度結婚することになったの。」

  千恵「そう!おめでとう。相手は?」

  良子「うん、平凡な人。」

  千恵「そう、でもそれが一番いいわよ。人も時代も平凡なのが。」

  良子「そうかな。」

  千恵「そうよ。」

  良子「うん。」

  千恵「桜……。」

  良子「えっ?」

  千恵「きれい……。」

  良子「うん……。」

(完)

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